2016/12/07

今日は、二十四節気「大雪」、七十二候「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」

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今日から「冬至」までは二十四節気「大雪」です。

初候は「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」で、意味は「天地の気が塞がって冬となる」です。

今日は冬らしく寒い日になりました。

ところで、「夜が長くて昼が最も短い日」が「冬至」ですが、日の入りが一番早いのが、冬至ではないということを聞いて、なるほどと思いました。

東京の場合、「冬至」のころよりも、むしろ12月上旬の今の方が日の入りの時刻は早いんですね。「冬至」とは一致しないということなのです。少しずれています。知りませんでした。

これは東京の場合で、北海道や、沖縄ではまた違いますが。
 
 
 
 
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2016/12/05

平成29年(2017年)版の『旧暦 棚田ごよみ』

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新年まであと2か月切りました。来年度の旧暦元旦は、2017年1月28日です。

2017年版の『旧暦 棚田ごよみ』を発送中です。

今回も壁掛け用と卓上版を製作しました。それと付録として、二十四節気、七十二候を簡単に解説したものも入っています。閏年なので、13か月あります。

表紙: 長野県飯山市 福島新田
一月: 宮城県丸森町、沢尻の棚田
二月: 茨城県常陸太田市 浅畑の棚田
三月: 長崎県松浦市 土谷棚田
四月: 埼玉県皆野町 三沢の棚田
五月: 岩手県一関市 金山棚田
閏五月: 滋賀県高島市 畑の棚田
六月: 熊本県球磨村 松谷の棚田
七月: 長野県長野市 赤塩の棚田
八月: 岡山県美咲町 大垪和西の棚田
九月: 山形県山形市 蔵王駒鳴の棚田
十月: 静岡県伊豆市 荒原の棚田
十一月: 愛媛県内子町 石畳の棚田
十二月: 新潟県十日町市 星峠の棚田


ご注文は、特定非営利活動法人 棚田ネットワークまで。

[事務局]
〒160-0023 東京都新宿区西新宿7-18-16-704
03-5386-4001
info@tanada.or.jp

http://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/

「旧暦棚田ごよみ」平成29年(2017年)版

 
 
 
 
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2016/12/04

【愛犬物語百景 其の百七】 東京都文京区 東京大学農学部 忠犬ハチ公と上野栄三郎博士像

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東京都文京区にある、東京大学農学部のハチ公と上野英三郎博士像は、ハチ没後80年にあたる昨年2015年3月8日に除幕式が行われたものです。

イチョウが構内の通路に積もっていて黄色い世界ですが、門を入ったすぐのところにありました。

ハチ没後「ハチ十年」を記念して、この像が建てられることになり、ハチ公と上野博士の生き生きした結びつきを表現したいという希望を持って、彫刻家の植田努氏に製作が依頼されました。

忠犬ハチ公は世界的に有名でも、上野博士が東京帝国大学(東京大学)で教えていたということは、知らない人もいるかもしれません。

上野英三郎博士は、明治4(1872)年、現津市元町に生まれた農学博士です。明治から大正期に日本農業の基盤となる水田の耕地整理を指導し、大学はもとより全国各地で数多くの技術者を育成した農業土木分野の先駆け者でした。

東京帝国大学で教鞭をとった博士は54歳の若さで亡くなりました。博士の飼い犬ハチとの生活は1年5か月と短い間でした。

博士の死後も、ハチは頻繁に渋谷駅まで通っていたことで有名になりましたが、戦前は軍国主義の流れから「主人の恩に報いるために忠義を尽くして待ち続けた犬」と語られましたが、現代の解釈は少し違うかもしれません。

むしろ、ハチは「上野博士に会いたい」という純粋な気持ちで渋谷駅に通っていた、という点でしょう、注目するのは。その純粋な気持ちを持ち続けるハチ公の物語に、80年以上たった現代人も心を動かされるのです。忠犬ハチ公の現代における物語の価値はそこにあります。

逆にいえば、人間はそれだけ純粋な気持ちを持ち続けることが難しいということの裏返しでもあります。それは犬だからできることであって、だから犬を見ると「人はより人らしくなれる」のです。

上野博士に飛びつくハチ公の姿に純粋さがみごとに表現されているのではないでしょうか。
 
 
 
 
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【愛犬物語百景 其の百六】 東京都千代田区 ビルの番犬、甲斐犬の像

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地下鉄有楽町線麹町駅を出て、半蔵門の方へ向かう途中、ビルの前に1基の犬像があります。

由来を書いた台座のプレートによるとビルのオーナーさんの出身は山梨県で、名犬である甲斐犬の存在を知ってもらうことと、ビルの番犬としてこの像を建てたもののようです。

甲斐犬は、秋田犬についで、日本で2番目に国の天然記念物に指定されました。カモシカ・クマの狩猟犬として飼われ「虎の一芸」と称されるほどに猟が巧みな犬だそうです。

体高:体長の比率は他の犬と異なって、100:100で43cm前後だそうで、だからたぶん、像は実物大なのでしょう。

肛門もちゃんと再現してあり、かなりリアルです。きりっとした引き締まった体は、敏捷そうで、たしかに猟が得意な犬種であるようです。

飼い主以外の人間には心を開かず、唯一人の飼い主に一生忠誠をつくすことから一代一主の犬とも評されるそうです。オーナーさんは「古武士に似た性格」と表現しています。おやつをくれる人なら誰にでも付いていくヴィーノと暮らしている目から見たら、とくに気高い雰囲気を感じさせます。

この犬像のリアルさに、オーナーさんの甲斐犬に対する愛情を感じます。
 
 
 
 
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2016/12/03

【愛犬物語百景 其の百五】 静岡県三島市 円明寺の孝行犬の墓碑と犬像

161203_1(円明寺 山門)

161203_2(孝行犬の解説)

161203_3(孝行犬の姿像、墓碑、縁起碑)

161203_4(孝行犬の旧碑)

161203_5(孝行犬の姿像)

161203_6(孝行犬のお守り)

161203_8(白滝公園 湧水汲み上げ兄弟)

161203_9(文学碑 太宰治)

161203_12(楽寿園)


静岡県三島市の圓明寺を訪ねました。

三島は富士山からの湧水が潤し、多くの文豪たちが愛した美しい街です。水路沿いの遊歩道には文学碑が点在しています。

湧水と自然林からなる庭園が国の天然記念物、名勝に指定されている楽寿園もあります。

三島市の文化財に登録されている圓明寺の山門を潜ると、すぐ右側に孝行犬の像と墓と由来碑が建っていました。

黒い御影石に「妙法 孝行犬之墓」と刻まれた墓の横に高さ60cmほどの白っぽい墓碑があり、これが元々の墓碑です。

「孝行犬」とはどんな話だったのでしょうか。

圓明寺第37代住職、日空上人のときに寺の番犬として、母犬のタマ、仔犬のトク、ツル、フジ、サト、マツが本堂の床下に住んでいました。

万延元年(1860)、仔犬のフジが病気にかかり死んでしまいました。タマはそれから食事ものども通らず、とうとう倒れてしまいました。

仔犬のツルとサトは一日中母のそばを離れることがありませんでした。一方トクとマツは町中を走りまわり、人々から餌をもらい、本堂床下の母の口元に運んでいました。

町の人々が不審に思い覗いてみると、床下には瘠せ衰えたタマが横たわり、母をかばうように仔犬たちが寄り添っていました。

親を思う仔犬たちに感動した町の人々は、タマの回復を願いましたが、願いもむなしく亡くなってしまいました。4匹の仔犬たちも文久2年(1862)母を追うように次々に亡くなりました。

「犬と人、子を思う親の気持ち、親を思うこの気持ちには何らかわりはない。これこそ仏性の現れ」と、日空上人は犬たちの姿に感動し、彼らの冥福を祈るとともに、母子の情と孝行心をたたえ、世の人々の教えとするために墓石を建てました。

このことが東海道を往来する人々にも語り継がれ、「三島圓明寺の孝行犬」として広がっていきました。

当時は、黒船来航や安政の大地震で人々が不安と恐怖を抱いていた時代です。苦しさのあまり親や子を捨てる者がいた時代でもあったようです。

「犬でさえ、親子の絆はこんなにも強いのだ」ということを、日空上人は人々への戒めもこめて墓石を建てたのかもしれません。

寺で話を伺うことができました。

犬の姿像が造られたのは昭和35年のことでした。でも、平成16年の22号台風によって、この犬像は吹っ飛び、壊れてしまったそうです。現在の犬像はそのあと再建されたものです。

それと小学校4、5年生が道徳の教科書にも「孝行犬」が載っていることで、毎年この孝行犬の見学にやってくるということです。

オーストラリア先住民アボリジニーには、「犬のおかげで人間になれる」という言葉があります。

いつの時代も、子どもたちにとって犬は対等な良い友だちでした。上から目線で親に説教されるより、犬の方が子供たちを納得させる力はあるのでしょう。

それこそ人は犬を「飼っている」つもりになっていますが、犬といっしょに暮らすことで、人はより人らしくなれるように、導いてくれているのかもしれません。「犬のおかげで人間になれる」のです。
 
 
 
 
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2016/12/02

【愛犬物語百景 其の百四】 神奈川県熱海市 オールコックの愛犬トビーの碑

160122_2(熱海市 駅前路地)

160125_2(熱海市 起雲閣)

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熱海市の、大湯間欠泉跡に建つオールコック(イギリスの初代駐日総領事)の愛犬「トビー」の碑を訪ねました。

オールコックは、安政6年(1859)、軍艦で長崎を経由で江戸湾に入り、日本に着任しました。

当初オールコックの日本に対する印象は悪かったようで、

「外来者たちを迫害することにかけては熱心な、奇怪でもあり野蛮でもある人種の住まう一群の島々」(『大君の郡』より)

と言っています。

オールコックは、スコッチテリアのトビーという名の愛犬を連れてやってきました。世界の果てに来たと思っていたオールコックを慰めてくれるのがトビーの存在でした。

オールコックの、日本人に対する評価が変わったのは、熱海での事故がきっかけだったようです。

外国人としては初めて富士山登山をしたオールコックは、帰途熱海に立ち寄りました。熱海滞在10日目、トビーが熱湯を浴びて死んでしまうのです。

宿泊先の本陣の庭にトビーの亡骸を埋めさせてほしいというと、日本人たちは同族の者が死んだかのように集まってきて、僧侶が水と線香を持ってきて、墓石が建てられました。

あとで碑を建てたいというと本陣の主人は快諾してくれました。

高さ70cmほどの「Poor Toby(薄幸なトビー),23 Sept.1860」と、富士山登山と熱海訪問の、2つの碑が、トビーの墓の脇に建てられました。

このようにトビーの死をきっかけにして、親切にしてくれた熱海の人たちに接して、オールコックは日本人に好意を持つようになりました。

その後、地震などで墓は行方不明になりましたが、ふたつの碑は残っています。間欠泉も大正時代からお湯を噴出しなくなりましたが、ふたつの碑は時々上がってくる蒸気を浴びています。
 
 
 
 
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【愛犬物語百景 其の百三】 神奈川県大磯町 旧吉田茂邸の愛犬たちの墓碑

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戦後を創った名宰相、吉田茂の旧邸が神奈川県大磯町にあります。

吉田茂は大の犬好きだったらしく、数々のエピソードも残されています。

旧邸の後ろに続く庭に、愛犬の墓碑、「サンチヤン」、「ポチ」、「バンゾウ」がありました。(バンゾウは犬ではなかったかもしれないという話もありますが)

「サンチヤン」とは「サンちゃん」。

なんでも、吉田茂は日本の独立を果たしたサンフランシスコ講和条約調印の後、つがいのテリアを連れ帰り、雄には「サン」、雌には「フラン」と名前を付けたのだそうです。

「愛犬サンチャン之墓」というのはこの「サン」の墓です。

このつがいのテリア「サン」と「フラン」から産まれた子犬には「シスコ」と名前を付けたとのことです。なるほど。予想通りといえば予想通りですね。

他に「ブランデー」、「ウイスキー」、「シェリー」という名前の犬を飼っていたそうです。
 
 
 
 
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2016/12/01

【愛犬物語百景 其の百二】 神奈川県横須賀市 衣笠山公園の忠犬タマ公の碑

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昭和初期、雪崩で遭難した飼い主を2度も救ったことから忠犬として有名になったタマ公の像は、新潟市、五泉市などに数基設置されています。

五泉市の村松公園にはタマ公のブロンズ像の隣に、「内閣総理大臣 小泉純一郎書」と「忠犬タマ公の像」の文字が刻まれた碑も立っています。

どうしてここに横須賀出身の小泉元総理の揮毫した碑があるのかと思ったら、小泉家とタマ公には関係があったのです。

横須賀市の衣笠山公園に「忠犬タマ公之碑」が建っています。

当時横須賀市に住んでいた新潟県出身の退役将兵が、タマ公の話に感動し、昭和11年、衣笠山の登山道にこの石碑を建立したそうです。碑の題字は、横須賀市長だった小泉又二郎氏が揮毫しました。小泉元総理のおじいさんですね。

タマ公がとりもつ縁で、横須賀市と五泉市の交流ができて、平成15年、村松公園に小泉元総理の揮毫した碑が建立された、というわけでした。

忠犬タマ公は小泉家と代々関係があったというのは驚きですが、小泉進次郎議員もブログでタマ公のことを書いています。

小泉進次郎 Official Blog 「忠犬タマ公」

今年、長年の交流の証として五泉市からタマ公の銅像が寄贈されることが決まり、来年3月、衣笠山公園で開かれる忠犬タマ公慰霊祭でお披露目される予定だそうです。

日本の犬像がこれで1基増えそうです。
 
 
 
 
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【愛犬物語百景 其の九十九〜百一】 千葉県南房総市 『南総里見八犬伝』の里

161127_1(岩井駅前公園の伏姫と八房の像)

161202_1(岩井駅前の公園の伏姫と八房の像)

161202_2(犬掛 春日神社前の八房とタヌキの像)

161202_3(滝田城址の伏姫と八房の像「翔天」)

161202_4(滝田城址の霊玉「義」)

161202_5(伏姫籠穴の犬塚)

161202_6(伏姫籠穴)


とうとう【愛犬物語】も100景を越えました。

調べれば調べるほど犬にまつわる話は増えているので、まだしばらく続きそうです。何景までいくか、いまのところまったくわからないので、とりあえず【愛犬物語百景】にしておきます。

ところで、この【愛犬物語】ですが、書籍化が決まりました。ただ100景では多すぎるので、まず50景に絞って1冊にすることになりそうです。出版は来年の春ころでしょうか。

犬像なんて撮ってどうするんだ?と思っている人もいるでしょうね。俺自身そう思う時もあったので、「渋谷の忠犬ハチ公像」くらいしか知らない人にとっては、何が面白いのかわからないということは理解できます。

これは数年前にやった犬連れ日本一周のときから試行錯誤の結果です。犬と日本文化と風景をどんな風に結びつけるか。日本の風景の中でヴィーノを撮ってみたり、「犬」の付く地名をまわってみたり、いろいろやりました。

そこで行き着いたのが犬像にまつわる愛犬物語です。犬像にまつわる話を掘り下げていくと日本とは? 日本人とは? ということがわかってくる。そこが俺には面白いところです。

たとえば、すでに「其の四十八」や「其の六十二」でも紹介したように、「おかげ犬」や「こんぴら狗」という話は、「これぞ日本」です。こんな奇跡のような犬たちの存在は、日本人そのものを映している鏡だと思えるからです。
 
 
 
さて今日は、『南総里見八犬伝』の里に点在する犬像です。犬像は3基あります。ひとつは岩井駅前の公園、それと犬掛の春日神社前の駐車場、そして滝田城址です。

『南総里見八犬伝』は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)が28年もの年月をかけて著した長編小説です。

物語の内容は、南総里見家の勃興と伏姫・八房の因縁に始まって、各地に生まれた八犬士たちの流転と集結の物語、里見家に仕えた八犬士が関東管領・滸我公方連合軍との戦争を戦い大団円へ向かう部分に大きく分けられます。

『南総里見八犬伝』を原作としたNHKの人形劇『新八犬伝』は俺も観ていた記憶があります。人形美術の「辻村ジュサブロー」という名前を知ったのはこのときでした。子どもながらに人形の美しさに感動したような気がします。

犬掛の春日神社前にあるのは八房とタヌキの像です。

犬掛(古くは犬懸)は八房の生誕地です。

室町時代、百姓技平の家に1匹の雄の仔犬が生まれました。ある夜、母犬がオオカミに殺されてしまいます。乳を与える母犬がいなくなり、ひとり身の技平は不憫に思いながらも、野良仕事も忙しく仔犬を育てることをあきらめていました。

ところが、山からタヌキが下りてきて仔犬に乳を与えて育てていたのです。「タヌキに育てられた犬」という噂は、滝田の城主里見義実(よしざね)の耳にも届き、体に8つの牡丹の花のような斑があることから”八房”と命名され、愛娘伏姫の愛犬として寵愛されました。

その後、隣国の館山城主安西景連の攻撃にあったとき、八房の働きによって景連は討ち取ったものの、その功績で八房は伏姫を連れて富山の洞窟(伏姫籠穴)にこもりました。

姫を取り戻しにきた許婚の金碗大輔は、鉄砲で八房を撃ち殺しますが、伏姫にも傷を負わせてしまいます。八房の気を感じて懐妊してしまっていた伏姫は、大輔と義実が見守るなか、割腹し、胎内に犬の子がないことを証しました。

伏姫の護身の数珠から八つの玉が飛び散りました。この玉が八方へ飛んで、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持つ八犬士が登場してくることになります。

八犬士は後年巡り合い、滝田城に帰参し、悪と戦い不義を滅ぼし、義実の描いた理想国を作り上げます。


犬掛から数キロ離れた山の上に、滝田城址があります。駐車場から尾根道を上ること20分、ちょっとした広場(曲輪)に出ますが、そこに「南総里見八犬伝発祥の地」と書かれた木碑が建っていて、八房の背に乗った伏姫の像があり、周りを囲むように、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉が置かれています。

この像は、「翔天」というタイトルが付いた宇野務氏の作品です。伏姫は自分の運命を悟り八房の背に乗って、富山へ向かったときの姿なのでしょう。

もともと八房は、里見家に怨念を持つ「玉梓」の生まれ変わりでした。里見家を不幸に陥れるために現れた「悪い犬」だったのですが、伏姫の法華経の読誦で玉梓の怨念は消えていきます。伏姫との出会いによって「良い犬」に変わっていったわけで、これも愛犬物語と言えるのではないでしょうか。

伏姫の「伏」の字は、人と犬がよりそう形になっています。人と犬のはざまで生きる運命を持った女性であったのかもしれません。
 
 
伏姫籠穴の入口上部には、八房のものなのか「犬塚」の碑が建っています。

八犬伝は、実在した安房・里見氏と混同されやすいのですが、物語はフィクションです。伏姫も八房も文学の中の登場人物のはずです。でも伏姫籠穴が現実に存在し、だれが何のために掘った穴なのかわからないという話を聞くとき、フィクションと現実のはざまに立つ不思議な感覚を味わいます。

「八犬伝物語の世界を支配する原理を潜在的に内包する幻想的空間がこの場である」

と、伏姫籠穴に建つ解説板には書かれています。
 
 
 
 
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2016/11/30

【愛犬物語百景 其の九十八】 千葉県君津市 久留里城址の和犬像

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161201_2(久留里城址 紅葉と模擬天守閣)

161201_3(城山神明社 和犬型狛犬)

161201_4(城山神明社 和犬型狛犬)

161201_5(城山神明社 和犬型狛犬)

161201_6(城山神明社 和犬型狛犬)

161201_7(城山神明社 和犬型狛犬の後姿)

161201_8(石盥盤)


千葉県君津市の久留里城址を訪ねました。

雨上がりの朝は、霧に朝日が射し込み幻想的な風景でした。さすがにここは別名、「雨城」「霧降城」とも呼ばれたところだと納得しました。

本丸跡には、天守台跡と模擬天守閣があります。天守閣に上ることができ、回廊からは周囲の紅葉の山々を眺めることができます。

本丸跡から少し下った二の丸の場所には貴重なものが展示されている資料館があります。和犬型狛犬の資料を読んだ後、スタッフに和犬像の場所を聞いて、資料館の裏側を通る旧道を下っていきました。折からの雨で、道も泥だらけ(雪も少し残っていました)でしたが、400mほど下ると城山神明社にたどり着きました。

ここに和犬型の狛犬が1対鎮座しています。

資料館のスタッフから聞いていた通り、社殿に向かって左側の像は鼻が欠けていました。横から見るとまるでパグ犬のようになっています。また右側の像は垂れ耳で、まるでビーグル犬のように見えます。両方とも首輪を結ばれています。

江戸時代には西洋から入っていた洋犬と和犬の雑種も増えていたようで、いろんな里犬(地域犬)がいたようなので、必ずしも「垂れ耳だと洋犬」とは言えないようですが。ビーグル犬に見えるのは、俺が単にヴィーノと暮らしているからです。

後ろからみると、現実にはありえない形ですが、尻尾が水引のような形に収まっているし、首輪の結び目も可愛らしい。「奉納品」らしい形ですね。

それにしても竹林をバックにした犬像は造形的にもすばらしいものがあり、ほれぼれします。2日間かけてこの犬像を撮影した俺は異常なのでしょうか。どんだけ好きなんだと笑われそうですが。

ところで、犬像にはこういう由来がありました。

8代目の黒田直静は嘉永2年(1849)に丹生神社に石鳥居を建立し、翌3年には藩の家老、要人たちがこの和犬型の狛犬を奉献しています。

どうして和犬型狛犬だったのか?

かつて空海が密教の根本道場の地を求めてさまよっていたときに、高野御子大神(こうやみこのおおかみ)が黒と白の二匹の犬を連れた狩人に化身して空海の前に現れ、高野山へ導いた故事にならったもので、黒田氏の先祖が関東に来た時、高野山の丹生明神を勧請したからだといいます。

元々丹生明神(神社)は城山の一番高い場所にありました。現在の模擬天守閣の北西側にある小高い場所がそうです。碑と解説看板がありました。

明治末に丹生神社は城山神明社に合祀され、和犬型の狛犬、石鳥居も移されました。

それと、社殿のそばに置かれていた石盥盤(いしだらいばん)は独特の模様があって一見の価値があります。これは6代目の黒田直方(なおまさ)が文化3年(1806)に丹生神社に奉納したものです。

石盥盤は、いわゆる手水石のことで、参詣で心身を清めるために設けられたものです。それも明治末に城山神明社に移されました。
  
 
 
 
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