2021/09/23

今日から二十四節気「秋分(しゅうぶん)」、七十二候「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」

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今日から二十四節気「秋分」、初候「雷乃収声」です。

秋分の日は、昼夜の長さが同じです。個人的には「意識(昼)と無意識(夜)が均衡する日」(?)です。

ただし、厳密には地球の空気の屈折のせいで、平均14分くらい長いそうです。

七十二侯の「雷乃収声」は雷が鳴り響かなくなる(遠雷の)季節です。

雷に関しては、今年のシーズンは終わったということなのでしょうか。

ところで「稲妻」ということば、雷が落ちた田んぼの稲はよく育つところから生まれたそうです。写真は、奈良県明日香村の稲渕棚田。

 

 

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2021/09/20

中秋の名月を杯に映す

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明日は中秋の名月。写真は今夜の月をチベット茶用の杯の水に映したものです。(明日夜の天気は怪しいので今夜撮影)

『竹取物語』には、月を眺めるかぐや姫が、月を見るのはよくないですよとたしなめられる場面があります。

月見の慣習が中国からはいってきて、月見を楽しむと同時に、月を見てはいけないという禁忌もあったらしいのです。

平安貴族は月を直接見ることをせず、杯や池に映して楽しんでいました。「満月が終わりの象徴」という説もありますが、なぜ直接見るといけないのか、はっきりわかりません。

とにかく、月を見る(とくに女性が)ことに関しては、世界中に禁忌があります。

西洋でも月が人間を狂気に引き込むと考えられていたようです。「狂気」のことを英語では「lunatic ルナティック」。語源は後期ラテン語「lunatics」=「月に影響された」。「lunacy 」 =「精神異常。狂気」、「moonstruck」=「心が乱れた。狂気」 という言葉もあります。

そういえば、月は「映す天体」です。自分からは光りません。明るいのは太陽の光が反射しているからです。

だから水に映すのは、2重に映していることになります。まるで「合わせ鏡」のようです。

どうも世界中の言い伝えには、月は「狂気」と結びついているものがありますが、きっと月は見る人の心も映すからです。自分の深層心理を直視するのが怖いのかもしれません。

永遠と続きそうな「合わせ鏡」はそれだけでも十分に怖いですが。とくに合わせ鏡の間に立った自分の姿だけひとつしか映っていないときなんかは…

 

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2021/09/19

令和4年(2022年)版「旧暦棚田ごよみ」

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 令和4年(2022年)版「旧暦棚田ごよみ」、校了しました。

表紙は、「10周年にはこれを」と強く思ってきた写真を使うことになりました。自分では一番好きな写真かもしれません。

発行は11月になります。しばらくお待ちください。 

令和4年(2022年)版は、区切りの年、10周年を迎えます。こうして10年続けてこられたのは、それなりに皆さんの支持が得られたものだと自負しています。

写真は、長野県飯田市・よこね田んぼの水に映った月です。

 

 

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2021/09/18

今日から二十四節気「白露(はくろ)」、オリジナル七十二侯「曼珠沙華咲(まんじゅしゃげさく)」

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Img_5883(大分県豊後高田市 田染荘)

_87a3073_20210918070201(福岡県八女市 鹿里の棚田)

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「曼珠沙華咲(まんじゅしゃげさく)」などという七十二候はありません。オリジナル(というか、勝手な)七十二候です。略本暦では、七十二候「玄鳥去(つばめさる) 燕たちが暖かさを求めて南に渡りはじめるころ」になっています。

でも、田園風景の写真を撮っている俺からすると曼珠沙華(彼岸花)が目立つので、このオリジナル七十二候の方が季節を感じるからです。

二十四節気は観念的な言葉ですが、七十二候の方はより具象的事物の表現で、言ってみれば「季節あるある」なのです。だから遊んでみてもいいのではないでしょうか。俺の場合は、「曼珠沙華咲」がぴったりくるかなぁと。

ところで、埼玉県日高市の巾着田は曼珠沙華で有名な場所ですが、このパンプレットには英語名が「Red Spider Lily」となっていました。これをそのまま和訳すると「紅蜘蛛百合」。たしかにそんな名前もぴったりします。

同じものなのに、名前の付け方でより妖しさが増します。危険な香りが漂ってきます。

 

 

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2021/09/17

目黒不動尊の都内で一番古い狛犬 

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狼像のルーツを考えるために、狛犬も見ておこうと思ったので、目黒不動尊を参拝しました。

都内で一番古い、承応3年(1654年)奉納の狛犬です。「男坂」の石段を上ったところにあります。

保存状態も良く、これが367年前の石像だとは信じられないほどです。

顔も威厳があって邪気を払うすばらしい作品だと思いますが、お尻の丸みや、尾のデザインがまた面白い。

狼像とは直接関係はないかもしれませんが、ただ初めて狼像を造った石工も、この存在は知っていたと思うし、実際見ていたかもしれません。

それと先日紹介した、文京区・吹上稲荷神社にある全国で一番古い神使い狐像のことも知っていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

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2021/09/13

【犬狼物語 其の五百七十六】埼玉県所沢市 武蔵野坐令和神社の白狼祭と「お犬さま(狼像)巡礼88」

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武蔵野坐令和神社の白狼祭に招待されて参列しました。

神事では、神前で百合之介さんの狼舞が奉納されました。目の前で拝見することができ、感動しました。

神事後、参列者のみなさんに『オオカミは大神』の紹介と狼像や狼信仰についての話をさせていただきました。狼と犬との区別は、日本ではあまりなかった事情とか。

そして白狼祭の特別なお札をいただきました。お犬さまの姿も入っています。

秩父三峯神社、武蔵御嶽神社が、関東地方の狼信仰の総本山といえますが、享保5年(1720年)日光法印が御眷属拝借として、狼のお札の配布を始めてから狼信仰が盛んになったという事情があります。それからすでに約300年。そろそろ狼信仰に新しいエネルギーを注入してもいいのかもしれません。

そこでひらめいたのが、武蔵野坐令和神社 の「アニメ聖地88」に因んで、「お犬さま(狼像)巡礼88」を選んで、巡礼路のようなものが作れたら面白いかなと。そして両方ともここが「一番札所」ということに。武蔵野から発信する狼信仰の地として。

 狼信仰がこれからも続いていくためには、新しい仕組みが必要ではないかなと思います。日光法印も、お犬さまの効力は1年で弱くなること、また、1体のお犬さまの効力が50戸までという仕組みを作ったわけですね。

なので、令和の狼信仰では、前から言っていることですが「お犬さま」がキーワードだと思います。狼信仰について知らない人にとって「お犬さま」と聞けば「犬」を意味するだろうし、狼信仰について知っている人であれば「狼」を意味します。どちらでもウェルカムなのです。その点、武蔵御嶽神社のペット参拝にも通じる柔軟性です。

だからこの「お犬さま」の像をめぐる巡礼では、犬連れでもいいし、狼信仰をイメージしながらでもいいということです。『オオカミは大神 弐』では巻末に狼像のリストを載せていて、全部で116か所あります。関東地方でなら、88か所くらいがちょうどいいかもしれません。

理想を言えば、その巡礼地それぞれでお犬さまのお札をいただければいいのですが、神社によってはお札がなかったり、神職、管理者が不在のところも多いので、それは現時点では難しい。ところが今はほとんどの人がスマホを持っています。だからそのスマホでお犬さま像の横に設置したQRコードを読み込むことで、電子的なお犬さまのお札をいただける、という仕組み作りはできるのではなでしょうか。もちろん賛同してくれる神社のみです。

あるいは、お犬さまの写真を撮って、「お犬さま巡礼88ポータルサイト」にアップすることで「結願」できるとか。こういう仕組みですね。

そしてこれに収益性を持たせて、お犬さまのいる神社の管理費や維持費にすべて充ててもらうという仕組みです。

アイディアはあるんですが、これを実行するとなると、俺だけではできません。まずはプロジェクト実行部隊の結成でしょうね。アイディアを具体化してくれる人、だれかいませんか。

 

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2021/09/07

【犬狼物語 其の五百七十五】 東京都杉並区 下高井戸八幡神社/御嶽神社

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下高井戸八幡神社(下高井戸浜田山八幡神社)を参拝しました。

甲州街道・下高井戸宿の北側、神田川(神田上水)沿いの高台に鎮座し、一帯の鎮守として崇敬を集めました。

神社の近くから、先土器時代・古墳時代の遺跡、集落跡が発見されているそうです。古くから人々が住んでいた場所だったようです。

境内には、御嶽神社・天祖神社・稲荷神社・祖霊社があります。 御嶽神社は祠だけでした。

 

 

 

 

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2021/09/02

日本茶喫茶・ギャラリー楽風(らふ)では、犬・狼像のカード無料プレゼント

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先日まで写真展『オオカミは大神』開催していた日本茶喫茶・ギャラリー楽風。

暑い中、写真展にお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

写真展は終わりましたが、青柳撮影の犬像と狼像のカード(2種類、はがき大)を無料で差し上げることになりました。表は像の写真で、裏には解説文と書籍のPRが入ったものです。

お立ち寄りの際は、スタッフに声掛けしていただければ、カードをもらえると思います。

なお、書籍購入のお客様には、引き続き、狼像が入ったお札ふう作品(新型コロナ収束祈願&SDGs持続可能な開発目標)も差し上げています。

ギャラリー楽風
〒330-0064 埼玉県さいたま市浦和区岸町4-25-12
048-825-3910

http://rafu-urawa.com

 

 

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2021/09/01

【犬狼物語 其の五百七十四】 東京都世田谷区 代田広場の狐塚之霊碑

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先日、撮影で世田谷区へ行くことがあり、そのとき、近くに「狐塚」があることがわかりました。なんとなく、ピンとくるものがあり、知った以上は寄るしかないだろうな思い、仕事終わりに代田広場へ行ってみました。

狼信仰にゆかりの場所を調べていると、時々「狐」に行き当たります。

それは、もともと狐憑きには狼が効くといった信仰があったし、江戸時代のコレラ禍でもそうだったように、コレラの原因が、異国から来た妖狐にとりつかれたからという妄想から、狐に勝てるのは狼しかいないということになり、三峯神社など、狼信仰に頼ったという経緯がありました。そのことについては何度も書いているし、『オオカミは大神 弐』でも詳しく書いています。

それと狼信仰が盛んになった江戸時代よりずっと前は(おそらくは縄文時代から)、アニミズムとしての狼信仰だったようですが、時代が下って、狼が狐に置き換わったという説もあり、狼信仰と狐信仰は関係あるようなのです。

『日本書紀欽明天皇紀』には「秦大津父(はたのおおつち)」の話があります。

要約すると、

商人であった秦大津父は、山道で、二頭の狼が血を出して争っているのを止めました。「汝は、これ貴き神」と呼びかけ、もし猟師に見つかったら捕らえられてしまうからと、咬み合うのを止め、血に濡れた毛を洗いぬぐって、両方とも無事に放してやりました。その後、天皇が不思議な夢を見て、秦大津父を探し出し、大蔵省(おおくらのつかさ)に任じました。

と、いった話です。

そしてこの秦氏にはこんな話もあります。

伏見稲荷大社の「社伝によれば、渡来系・秦氏族の秦伊呂巨具(はたのいろこぐ)によって和銅4年(711年)創建という古社」だそうで、稲荷神社の創建にもかかわっています。狼を「貴き神」と呼びかけたのも秦氏です。ここでも狼と狐の関係がありそうです。

狼から狐に変わっていったというのは、今のところはっきりしませんが、狼に狐の影がちらちらしているのは間違いありません。

ところで、この代田広場の「狐塚之霊碑」ですが、「碑」のつくりが「界」に見えますが、「碑」なんでしょうね。Google Mapには「栗原稲荷神社跡」とあるので、昔は稲荷神社が鎮座していたらしい。今は、児童公園になっていて、真ん中にこの碑が建っているだけなので、意味を知らないと、明るい公園といった雰囲気です。

でも、碑の内容はおどろおどろしいものです。これは病気の人々に憑いた狐を行者が祓って封じ込めた記念碑のようです。もしかしたらこの塚の中にくだんの狐が封じ込められているのかもしれません。

世田谷区生活文化部文化課発行の『ふるさと世田谷を語る』には、

「この公園の中央には高さ一メートルほどの「狐塚の碑」と書かれた碑が建てられています。これは、昔この辺りが雑木林やスギ、マツ、ヒノキ、キリ、ウメなどの林、竹やぶなどの多かった所で、キツネ、タヌキ、イタチ、ノウサギなどが住みついていた場所であることと関係あるのです。
 これら小動物の中で、キツネは稲荷信仰の神使として稲荷神社では大切に祀られていましたが、その一方で悪さをしたりする動物でもありました。
 明治五年頃、この栗原では、病気になったり、不慮の事故にあったりする人が続出しました。行者にみてもらったところ、これはキツネに取りつかれたためだということになりました。そして行者の祈祷によって、人間に取りついたキツネの魂を引き離して、稲荷神社の境内に封じ込めたのです。狐塚の霊碑は、キツネの霊魂を祀った石碑なのでした。
 今でも地域の有志の人々によって、建碑の明治三十二年三月六日に因んだ毎年三月六日には、交代で供物を捧げ、お参りしているということです。」

碑の後ろ、碑文の写真でも確かめてみましたが、「馬込」「御嶽」と書いてありました。こちらのHP「武蔵野・多摩MTB散歩」の「狐塚之霊碑」(http://nobish.html.xdomain.jp/2669fox.html)

にも、「馬込村の御嶽神社から人を呼んで御祓いをしてもらった記念碑」とあって、「行者」は、御嶽神社の関係者だったらしいです。つまり、お犬さま(狼)で、狐を祓ったようです。

だからここも狼信仰由来の場所といってもいいでしょう。

 

 

 

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2021/08/29

【犬狼物語 其の五百七十三】 東京都あきる野市 正勝神社/大口真神社

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東京都あきる野市の正勝神社を参拝しました。

隣には東海大菅生高校があります。境内の「サカキ」は、あきるの市の天然記念物に指定されています。

御祭神は大山祇命で、明治2年(1869)、旧称山ノ神を正勝神社と改称したようです。

この境内には大口真神社の祠があり、御嶽神社の大口真神のお札が祀られています。

高さ60センチほどの立派なお犬さまがいて、台座には「天保十」との銘があります。

天保十年といえば1839年です。東京都内のお犬さま(狼)像の中でも古いものです。奥多摩の丸っこい、はじめ狛犬のようなお犬さまの系統は宝暦年間で古いものですが、その後のもっとリアルなお犬さま像では、これが東京都内では一番古いものになるかもしれません。先日紹介した24区内で一番古い足立区千住神社/三峯神社のお犬さまは、弘化2年(1845年)なので、それよりも6年ほど古いものです。

『多摩のあゆみ 第38号』( 昭和60)の「山上茂樹翁ききがきノート 第五十一話 管生のお犬さま」には、正勝神社のお犬さまと狼に関する話が載っています。

「正勝神社からさらに奥に入った大沢にはオオカミクボという地名さえ残っている。今、細谷花火工場の倉庫のあるところで、明治のはじめのころ、元多西村々長であった村木鉄蔵さんの父文吉さんと弟久太さんが、このオオカミクボへ草かりに出かけた。狼などいるわけがないと、たかをくくっていたところ、穴の中から、太鼓をたたくような音がする。突如、その穴から狼が 飛び出し、北の方を向いて、ひとうなりうなって谷を飛び越えて、北に向かって飛び去った。ふたりはあまりの恐ろしさに、ほうほうのていで逃げ帰ったという。」

明治初めころはあきる野市でも狼が目撃されていたようです。

「これは私の祖々父がつたえた話。祖々父が御嶽山へ講中で行く途中、大沢のオオカミクボ付近まで歩いて 行ったとき、狼が祖々父の前に立ち、口を開けてこちらを向いている。見ると、のどへ骨がつかえている。祖々父は喰いつかなければ骨をとってやるといってと り除いてやったところ、喜びいさんで、どこかへ消えさったという。翌々日、その狼が家の庭先へやってきて、ひとうなりうなったあと、縁側へ「ドタン!」と いう大きな音を残し去った。出てみると、ウサギが縁側に置かれていたというのだ。」

これは先日、山梨県富士河口湖町善応寺の「狼塚」でも触れた狼報恩譚とほぼ同じです。だからこれは事実というより、この民話がこのあたりでも伝えられてきたということでしょう。

「むかしはどこの村にも村境ちかくに馬捨場などとよばれる動物の死骸を埋めた場所があった。牛や馬などが死ぬと、捨場に埋める。数日後、その場へ行ってみると、狼か犬か知らぬが、大きな穴が掘られ、死骸はむさんにも喰いあらされていたなどという光景はしばしばで、私も子供のころ実際に目撃したこともある。 人もまた土葬であったので、こうした被害から守るため、「狼除け」とよぶ仕かけがつくられた。今でも秋川流域一帯にかけて行なわれている。葬儀のときの四本旗の竹を三本切り、ゆわいて石を吊す。三本以外は穴の中へ放り込んで狼や犬などが死者に近づかぬようにする。瑞穂町長岡では、もっと丁寧に、四、五本まるいて真中に石を吊す。古くは西多摩全域の習俗だったらしい。」

 これには「西多摩全域の習俗」とありますが、平岩米吉著『狼 その生態と歴史』を見ると、この風習はもっと全国的な広がりがあったようです。

「秋田県仙北郡中川村や雲沢村(現、角館町)の辺では、狼が新しい墓を掘りかえすのを防ぐのに、土饅頭の上へ鎌を立てておく風習があったというし、また、それより南の方の豊川村(現名不詳)では、夜は太い藁松明に火をつけたり、弾力のある小枝を籠目に刺しておいて、狼が掘ると、強く弾ける仕掛けをしておいたりしたという。(武藤鉄城氏記載)
栃木でも、これに似たやり方があり、孟宗竹の三尺(約一m)ぐらいのを割って墓にたて、その一片を曲げて地に刺しておく。すると、狼がきて墓を掘ると、それがはねて目をつぶし仕掛けであった。この風習は明治の末頃まで残っていたという。(高久平四郎氏・日本犬の飼い方)
東京都西多摩郡秋多町では、新墓の土饅頭の上に、青竹を三本組合せ、そこから、荒縄で大きな石をつるした。(甲野勇氏・東京の秘境、秋川渓谷)」

 

 

 

 

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