2019/05/24

【犬狼物語 其の三百三十】埼玉県長瀞町 野上下郷の犬塚

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情報では、「石上神社の犬塚」とあったので、長瀞町の石上神社へ行ってみましたが、それらしい塚が見当たりません。光玉稲荷神社の狛狐像はありましたが。

近所のお宅から人が出てきたので尋ねてみると、犬塚はここではなく、ちょっと離れたところにあるという。

犬塚は観光パンフにも載っているそうで、それなりに、大切にはされているようなのですが、「解説看板なども立っていないしね」とのこと。わかりにくい場所にあるようです。

県道に突き当たるちょっと手前というので行ってみると、碑が立っていて、これのことだろうか?と思って近づいてみると、「馬頭観音」の文字が。

道を行ったり来たりしていたら、奥の家から女の人が歩いてきました。ちょうどいい、道を聞こうと思ったら、たまたま通りかかったわけではなく、さっき犬塚を聞いた人から電話があって、そっちに犬塚を探しに行く人がいるからと連絡があったという。なんと! 俺を案内するために、わざわざ家から出てきたというのです。

犬塚は、馬頭観音とは関係なく、民家の庭を30mほど上がったところ、畑の横にありました。そもそも、ここの地名が「犬塚」という小字だそうです。

たまたまその家には草刈りに来ていた男の人がいましたが、その家の息子さんだったらしい。もうここには誰も住んでいません。ときどき息子さんがこうして草刈りなど、手入れをするために帰っているのだそうです。今日はたまたまその日でした。

犬塚の板碑には、このあたりで多く採れる青っぽい石を使っていて、屋根掛けされています。この石材は、三波川結晶片岩帯に分布する「緑泥石片岩」といいます。「青石塔婆」とも呼ばれるそうです。板状に剥離する性質があり、加工がしやすいので、板碑に多く使われてきました。

近くに採掘跡があります。県指定旧跡「板石塔婆石材採掘遺跡」です。

息子さんによると、昔は文字も見えたそうですが、年々板碑は細ってきて、今はわからなくなっています。梵字が書いてあったらしいのです。

今でも12月のある日曜日に、念仏をやっているそうです。この念仏については、栃原嗣雄著『秩父の民俗: 山里の祭りと暮らし』に載っていました。

「犬塚耕地では毎年旧十月戌の日に、犬神様の念仏が行われている。
 この犬神様は、鉢形城の軍用犬で、天正十八年鉢形落城と共に、主を失った犬は秩父方面の出城である天神山城、竜ヶ谷城、根古屋城、日尾城、高松城等を巡り歩いていたが、ついに力尽きて杉郷地内のシケンブチ(四犬淵)で水死したという。その犬を祀ったものが犬神さまと伝えている。
 その犬の供養のため念仏講がつくられている。宿は回り番で小字のイノズカ、カラサワの十六軒もち回りである。米五合と小豆一合を出しあい宿番の家でボタモチをつくって出す(昭和四十五年からパック入りのスシ)
 午後六時ごろから集まり、お日待ちをして念仏になるが、前の方に八匹の犬(オス五匹、メス三匹)が描かれた掛軸をつるし、お燈明を上げ、線香を立て、鉦たたきがその前に座って先導する。まず「犬の念仏」と称して、八匹の犬の名を唱えながら、八回くり返す。

オーゴー オーレイ ナムアミダ
ユウズマ フクズマ ナムアミダ
ツーツキ ツマブキ ナムアミダ
チユーヤ マンプク ナムアミダ

 (略)

犬たちは、大切な文書を首にさげて走り回る伝令の仕事をし、「天正十八年鉢形落城」とは、豊臣秀吉軍の攻撃によるものだったらしい。当時北武蔵一帯を支配していたのは鉢形城の城主だった北条氏邦。氏邦は、約3500の兵で城を固めました。中山道を南下した前田利家、上杉景勝らの軍勢5万人と激しい攻防を1か月続けたましたが、ついに城は落ちました。秩父の出城も運命を共にすることになりました。
 こうして主を失った犬たちはさ迷い歩き、この地で死んでしまいます。それを憐れんだ大沢藤左が自分の所有地に犬神様として葬ったのが「犬塚」だという。それから念仏講が作られました。

また8匹のうち、死んだのはツーツキ、ツマブキ、ユウズマ、フクズマの4匹だったとのことです。

息子さんは、犬が描かれた掛軸があったはずだといい、家の中へ探しに入ってくれましたが、「ありませんね」という。「犬の名前も、変わった名前だったし、狼犬だったのかなぁ」とのこと。念仏の時に掛けた8匹の犬が描かれた掛軸だったのかもしれません。

12月の念仏は、毎年日が変わるそうですが、その時に掛け軸は見ることができるのではないでしょうか。

 

 

 

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2019/05/23

【犬狼物語 其の三百二十九】埼玉県上尾市 平方・橘神社

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上尾市の神社にもお犬さまらしき像がありました。「らしき」というのは、お犬さま(狼)像とは断定できない部分があるからです。「犬」にも見えるし、由来がわかりません。

場所は、橘神社の「平方河岸出入商人衆奉納の石祠」の前です。左側の像は顔の部分が割れて、下に置かれてありました。

『上尾の指定文化財』(上尾市教育委員会 平成25年)には、有形文化財に指定されているこの石祠について、次のように書かれています。

「平方河岸は、旧平方村(大字平方)にある荒川の河岸場で、近世には岩槻や原市方面から川越を経て多摩方面へ通じる脇往還筋にある渡船場としても機能する、交通の要衝であった。河岸の歴史は古く、寛永15(1638)年には既に河岸場として機能していたと観られる(『寺尾川岸場由来書』)。そして江戸時代を通じて荒川の舟運によって発展し、大正時代末まで栄えた。
 指定の石祠は、明治40年代に河岸場から橘神社に移されたもので、神明社を祀っている。高さ166cmで、形状は笠付角型石祠であるが、笠の部分は後補の可能性がある。正面左側面に「享保二丁酉天九月吉日 武州足立郡平方村 願主 当村中 河岸出入之商人衆中 右之願主等明記内宮納置者也」とあり、平方村中及び平方河岸に出入りする商人衆によって、享保2(1709)年造立・奉納されたものであることがわかる。また右側面には、宝永6(1709)年に祈願して以来、平方河岸が太神宮の神徳により繁栄したことのお礼と、今後の輸送の安全と一層の発展を願う奉納の趣旨が記されている。
 この石祠は、江戸中期から江戸地廻り経済(商品流通)によって発展した、平方河岸の隆盛を伝える数少ない貴重な歴史資料といえる。」

石祠は3基並んでいて、中央が指定の石祠ですが、お犬さまらしき石像が1対守っています。現在はこうですが、市の教育委員会にあった昔の写真を見せてもらうと、このお犬さまはいませんでした。平成15年に発行された『上尾の指定文化財』には載っていません。

最近になってこれが置かれたということが分かりました。でも、「最近」とは言っても、どのくらい前なのかははっきりしません。平成15年に発行された本には載っていなかったといっても、使われた写真がいつ撮られたものなのかわからないし。

いろんな状況から考えると、この石祠とお犬さま像は関係がなく、どこからか移されたものかもしれません。橘神社自体、明治40(1907)年、平方村の氷川神社に近隣の5つの村の鎮守を合祀してできたもので、このときに「橘神社」という名前に変えられています。氷川神社も、現在の場所ではなく、平方小学校の東にある氷川山にあったともいわれています。

上尾市教育委員会では、もしかしたら、別なところに石像があって、合祀されたときに、石像を神社に移し、さらに何年か前にこの石祠前に置かれるようになった可能性もあるのでは、ということでした。

 

 

 

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2019/05/22

【犬狼物語 其の三百二十八】東京都新宿区 動物とのゆかりが深い市谷亀岡八幡宮

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(市谷亀岡八幡宮)

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(市谷亀岡八幡宮のロボット狛犬)

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(几号水準点)

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(犬次神社に奉納されている麻奈志漏の絵)

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(善峯寺の桂昌院と子犬の像)

 

市ヶ谷駅に近い市谷亀岡八幡宮は、動物とのゆかりが深い神社です。

祭神である応神天皇は、シカ狩りのとき、猟犬がイノシシと戦って死んだのを哀れみ、丁重に葬りました。猟犬の名前は「麻奈志漏(まなしろ)」です。(『播磨風土記』)

その場所が、兵庫県西脇市の犬次神社ではないかといわれています。「犬次」の名前の神社は、全国にここだけで、犬を葬った「犬塚」が転訛したものと考えられているそうです。

「麻奈志漏」については、NHK総合で2017年8月24日放送された「人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」で、最も古いペットの名前のひとつとして紹介されました。

市谷亀岡八幡宮はまた、第5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院ゆかりの神社でもあります。綱吉はもちろん「生類憐みの令」で有名だし、桂昌院も愛犬家だったようです。京都の善峯寺には、桂昌院と子犬の像があります。

そんなことで、この市谷亀岡八幡宮では、現在、ペットの健康長寿・病気平癒の祈祷やペット同伴の初詣、ペットの七五三なども行われています。

 階段を上ったところに一風変わった狛犬が鎮座しています。まるでAIBOを思わせるようなロボット狛犬。これは、何か、犬や狼と関係があるのでは?と想像をたくましくしましたが、違ったようです。神社によれば、直接の関係はないそうです。火災の多かった江戸時代に火消しの人たちが身に付けていた刺し子を付けた狛犬だという説もあるそうです。

  

なお、ここには新宿区指定有形民俗文化財の「力石 」や珍しい「几号水準点」があります。

几号水準点とは、高低測量を行うために明治時代に設けた基準となる測量点です。几号水準点は、水屋の台座になっていて、 水準点の位置が設置当初から移動していないことや、保存状況が良く、近代土木史上、貴重なものとして新宿区文化財に認定されているそうです。

 台座の下で、見づらいところにありますが、案内表示があるので、すぐわかります。

 

 

 

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2019/05/21

SHIDAXのManabi JAPAN「狼信仰」の第6回は「オオカミとお犬さま」

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SHIDAXのManabi JAPAN、連載「狼信仰」の第6回は、「オオカミとお犬さま」です。


「お犬さま」は、生物学的な「オオカミ」とは別物であるという話です。詳しくは、Manabi JAPANでお読みください。


https://manabi-japan.jp/life-event/20190520_12097/


 


なお『オオカミは大神』の紹介をしていただきました。ありがとうございます。


 


 


 


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2019/05/20

犬は時間を気にしないのか

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「ほぼ日」から発行する絵本『生きているのはなぜだろう。』を前に行われた、養老孟司さんと池谷裕二さんの対談。

https://www.1101.com/yoro_ikegaya/2019-05-13.html

対談で、犬が時間の観念がないんじゃないかという話が出てきます。

「昨日とか一昨日という概念は、犬には絶対にないです。明日と明後日の区別つくのって、おそらく人間だけじゃないでしょうか。」

「時間が人間のようにしっかり流れてるのは人間だけ、ということは、「時間というものは、人間の脳にしか存在しない」ということです。つまり、時間は人間だけがもつ幻想である、ということになります。」

確かに科学的にはそうかもしれません。俺もそう思います。でも、一方で「日」「月」「年」単位の時間ではなく、もっと短い時間の観念はあるんじゃないかなとも思っています。

ヴィーノは、意外と「待て」が得意です。今までで一番長い「待て」は、犬のイベントで参加した「待て大会」。ボーダーコリーなど、賢い犬たちに交じって、ヴィーノも奮闘しました。惜しくも優勝とはなりませんでしたが、でも、「待て」は得意なんだなと知ったのでした。

人間は同じように「待て」を命令されたら、昔のことを思い出して、しばらく待てば、あとでこのおいしいおやつを食べられるんだ、だから我慢して待っていようと考えるでしょう。でも、「待て」がいつまでも解除されずに、5分くらい続いたらどうでしょうか? こんなに長い時間待っているのに、まだかよ!とイライラしてくるに違いありません。

このように、俺たちは時間を気にしています。ヴィーノを見ていると、同じように長い時間が経つほどイライラしているのを感じます。もし時間の観念がまったくないのなら、何分「待て」させられようが関係ないはずです。「待て」を命じられたら、「よし」をいわれるまで、ずっと待っていられるのではないでしょうか。

こうしてヴィーノを見ていると、ほんの短い時間ですが、少しは時間の観念があるようにも感じます。感じているのは飼い主だけなのかな。

どんな実験をすれば時間の観念があると証明できるのでしょうか。こいういう課題も心理学(比較行動学)で習ったはずです。考えてみます。

 

 

 

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2019/05/17

【犬狼物語 其の三百二十七】 神奈川県厚木市 狸と猪を育てたモスカ像

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モスカの話を知った時、『南総里見八犬伝』の八房という犬が、狸に育てられたという話を思い出し、逆パターンですが、こんな犬がいたのか、100年ほど経ったらいずれこれは伝説になるのでは?と思いました。

東丹沢温泉郷の七沢温泉「七沢荘」で、自分の子どもだけではなく、狸の子2匹と、猪の子1匹も同時に育てたモスカという名の犬の話です。

モスカの子どもがトモカズ、猪はモモエ、狸2匹はシャープとフラットという名前だと聞けば、あぁ、あのころねと懐かしく思う年代の人も多いでしょう。

先代の中村重男さんは奥さんの典子さんとこの七沢荘を作りました。重男さんは息子の道隆さんから見ても「宇宙人」と呼びたくなるほど、自由奔放な人だったらしい。

突然ライオンを買ってきたり、ペット専用の露店風呂とサウナまで作り、獣医にサウナはダメだと注意されてやめたこともありました。とにかく重男さんは動物好きで犬にもリードを付けず、何かあったら自分が責任は取ると言っていたそうです。

ある日、重男さんがゴルフ場のカップの中に落ちていた狸の子2匹を見つけ、可哀そうになり連れ帰りました。

看板犬モスカは子犬を産んだ直後で、近所の人にもらった猪の子も牙を抜いてモスカの乳を吸わせることに成功していました。それで狸2匹も、最初モスカに目隠しをして乳を吸わせたら大丈夫だったので、目隠しを取りましたが、モスカは狸たちも受け入れました。

こうしてモスカの子犬、猪の子、狸の子2匹を同時に育てることになったのです。湯治客たちは、猪や狸を犬の子だと思っていたらしい。それくらい自然にいっしょに仲良く暮らしていました。

種を越えたモスカの育児が、イギリスのBBCや中国のテレビでも取材され、後追いするように日本のメディアも紹介するようになりました。雑誌やテレビなど、当時はたくさん取材されたそうです。

南アフリカのネルソン・マンデラが1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、獄中で闘っていた時代でもありました。このアパルトヘイトなど人種差別の問題がクローズアップされていたこともあり、動物は種が違ってもいろんな動物を育てるのに、肌の色の違いだけで差別する人間て何だろう? むしろ動物の方が自由なのではないか。道隆さんは、モスカが取り上げられたのは、そんな疑問が生まれていた時代背景もあったのではといいます。

モスカが死んで、2、3年後のこと、モスカを石像にしたいと思ったとき、あおむけで寝て猪と狸に乳を与えている姿こそが、モスカを象徴すると思って、その姿にしました。

重男さんとは安曇野の中学の同級生で彫刻家の高島文彦氏がモスカの像を製作しました。敷地内には高島氏の作品が数多く展示されていて、野外美術館のようです。

七沢荘にはモスカの後も代々看板犬がいて、2代目はラブラドールの夢宇(むう)、そして今は、3代目のトイプードルのカガリが湯治客を出迎えています。

 

(『犬像をたずね歩く』より)

 

 

 

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2019/05/16

【犬狼物語 其の三百二十六】千葉県我孫子市 竹内神社のイヌ科動物の石像

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印西市木下(きおろし)の「唐犬濱之墓」から約3.5km離れたところに、我孫子市の竹内神社があります。

ここにも像があるとのことだったので、寄ってみました。

入り組んだ住宅街の、布佐中に隣接した高台にありました。玉砂利の表参道の先に鳥居も見えました。ただ、駐車スペースがありません。

たまたま近くの民家から出てきた奥さんに、竹内神社の駐車場を聞いたら、「神社の駐車場はないんですよね」という。

ただ、奥さんに神社の裏側へは車で行けますよと教えられたので、彼女の言う通り布佐中のグランド脇を通って行ってみたのですが、道は狭いうえに行き止まりなどもあって、結局神社への道はわかりませんでした。

それで表参道前に戻り、妻とヴィーノにまた車の留守番をしてもらい、一人で境内へ上がりました。

境内にはイヌ科動物の石像が2対ありました。これは狼?犬?狐? どんな由来がある像なんでしょうか。

1体は顔が欠け、1体は上半身が無くなった状態です。

境内には、「三峯山」の祠、「三峯神社 布佐開運講 二十五回登山記念」の碑もありました。太い尾を見ると狐かなとも思ったのですが、やっぱり「三峯山」の祠を見てしまうと、「お犬さま」に見えてきてしまいます。

先日、NHK「ダーウィンが来た」 は「最高の相棒 イヌと人」でしたが、いつもは科学的な内容なのに、ファンタジーの描写が多かった気がします。群れで落ちこぼれの狼が人に近づいて「犬」になっていくところなどは。まるで、犬になった狼は仲間や野性の魂を捨てて、ごはんをもらえる境遇に安住の地を得たみたいな姿にも見えて、これってどうなの?と思いました。 俺の「狼から犬へ」の物語とはちょっと違います。

まぁ、ファンタジーが多くて、犬と人の関係を美化したいというのは、わからないでもないです。科学番組のスタッフと言えども、それだけ、犬は特別なんだな、冷静ではいられなくなってしまうんだな、感情に訴えてくるものがあるんだな、犬には、と思いました。

ところで、NHKの別番組でも見たのですが、狐を、より穏やかな個体を掛け合わせていくと、「犬」のようになるという事実。犬、狼、狐の区別は、意外とあいまいだなと思いましたね。生物学的にもそうなら、信仰の対象になった三峯の狼、稲荷の狐といった神使ならなおさらそうだろうと。 以前読んだ本に、神使である狼が、狐へと変わった例が書かれた本があったような気がします。

竹内神社に置かれている石像を作った石工が、どこまで犬や狼や狐を区別しようとしていたか疑問です。いや、そんな区別は信仰にはあまり意味がないかも。もっと緩やかでもいいと思うのは俺だけでしょうか。

 

 

 

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2019/05/15

【犬狼物語 其の三百二十五】千葉県印西市 山根不動尊の「唐犬濱之墓」

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印西市には、以前から気になっていた犬像がありました。墓石に刻まれたレリーフの犬像です。

『犬像をたずね歩く』にも入れようかなと思ったくらいの犬像だったのですが、どうも由来がわからないらしいということで、見送ってしまいました。

成田線・木下(きおろし)駅から、住所を頼りに山根不動尊を探しましたが、車道からは見逃して行き過ぎてしまいました。

50mほど先に三本足の珍しい「貝化石灯篭」というものがあって、資料館のような建物もあり、そこにいた人に不動尊のことを聞いたら、親切にも案内してくれるという。

住宅の裏側がちょっとした公園になっていました。車道からは見えづらいですね。不動尊の境内は公園に隣接していました。案内してくれた人によると、確かにここに不動尊のお堂がありましたが、何年か前、火事でなくなってしまったそうです。礎石だけ残されていました。

「ここに、犬の墓があるはずなんですが」と言うと、その人は「知りませんでしたねぇ」といいました。

墓石は、左奥の古碑が並んでいるところにありました。本堂がなくなっているので、かえって墓石は探しやすかったといえるかもしれません。

高さが60cmくらいの墓石に「濱」の姿が浮き彫りにされています。顔は正面、体は左を向いてお座りし、左前足を上げた姿勢で、お地蔵さまのようによだれかけを着けています。かなり彫は深いので、曇っていても見やすい浮彫です。

そして「濱」の姿の右上には、「唐犬濱之墓」(最後の文字、「土」へんに「莫」という文字になっています)、墓石の右側面には、「明治十三歳二月七日没」とありました。

どんな飼い主であったかはわかりませんが、こんな立派な墓を建ててもらえるというのは、「濱」は大切に飼われていたんだろうなと想像します。

「唐犬」の墓と言えば、『全国の犬像をめぐる』で取り上げた東京都墨田区・回向院にあった「唐犬八之塚」ですね。こちらは1866(慶応二)年の墓碑で、飼主が火消し「は」組の新吉であったことがわかっています。

以前、印西市の市役所で、「濱」の墓について聞いたことがありました。でも、調べてもらったら、墓碑は市の文化財にもなっていないし、「濱」という犬のことはもちろん、由来や言い伝えなどはいっさいわからないということでした。存在自体把握されていなったので、当然といえば当然なんですが。

「もしかしたら、地区の古老が知っているかもしれません」と言われました。そうですね、探せばいるかもしれません。「そのうち」などと言っていると、関係者がいなくなってしまって、せっかく名前もはっきりわかっている犬「濱」も完全に歴史に埋もれて忘れ去られてしまうでしょうが、時間が足りないのでしかたありません。だれか、興味を持った人がいれば、ぜひ調べてみてください。

そして境内にも、石灯篭がありました。それは資料館にもあった、このあたりに特有の「木下貝層」で造った石灯篭「貝化石灯篭」と呼ばれるものです。「木下貝層」は、東京湾で堆積した貝の化石で、このあたりでは、石材として使用していたそうです。

 

 

 

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2019/05/14

「大嘗祭の米産地、「亀卜」で栃木県と京都府に決定」というニュース

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(石畑の棚田)

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(石畑の棚田)

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(毛原の棚田)

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(新井の棚田) 

 

「11月に行われる天皇陛下の即位に伴う重要儀式「大嘗祭」に供える米を収穫する地方が占われる「斎田点定の儀」が行われ、宮内庁は、米の産地が栃木県と京都府に決まったと発表しました。」
(TBSニュース https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-273242/)

「亀卜(きぼく)」で「大嘗祭」に供える米の産地を決めるなんて「古臭い」と言っているジャーナリストがいますが、わかってないですね。ある意味「合理的」だと思いますよ。

はっきり言って、田んぼはどこだっていいのです。(あくまでもいい意味ですよ)

どこだっていいけれど、決まったら、影響力は大きいです。名誉でもあるだろうし、経済的メリットも生まれます。

だから選定には、不公平感があってはならないのです。できれば「自然に」、あるいは「神の御意志で」決まったら理想的でしょう。だったら、それをどうやって決めるか。サイコロを振ったり、エンピツを転がすことではみんな納得しないでしょうね。

ここで「亀卜」が出てくる。昔から、これで決めていたんだから、ある意味、どこに決まってもしかたない(納得せざるを得ない)ということです。もちろん「亀卜」の亀の甲羅を読む方法は人の意志や無意識が影響するでしょうが、秘儀であるなら公にしなくてもいいわけだし。

さて、決まった栃木県と京都府では、これから田んぼを推薦することになるそうですが、じゃぁ俺は棚田を推薦しておきます。

栃木県内には、「日本の棚田百選」になった棚田は、茂木町「石畑の棚田」と、那須烏山市「国見の棚田」です。国見は数年行ってないので正確にはわかりませんが、放棄された田んぼもあったかと思うので、ここはやはり推薦は「石畑の棚田」ですね。

ここは立派です。いい棚田です。ボランティアも入っているので、美しい棚田を維持しています。

京都府の百選の棚田は、京丹後市「袖志の棚田」、福知山市「毛原の棚田」ですが、他に百選には入ってないですが伊根町「新井の棚田」などあります。

 

 

 

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2019/05/13

【犬狼物語 其の三百二十四】千葉県印西市 愛宕山泉王寺の犬像

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前から気になっていた犬像があって、それを確かめるために印西市に寄ったのですが、ネット情報で、印西市の愛宕山泉王寺にも犬か狼かの石像があると知ったので、訪ねてみました。

国道464号線の北側、数百メートルのところに位置します。

石像は門柱にぴったり寄り添う格好で像が建っていました。なので、境内側からしか見ることができません。石像はカビなどで迷彩模様のようになっているので、門柱に犬の姿が溶け込んでいるようにも見えます。

耳目もなくなり、頭が丸くなっています。ほとんど球体です。後ろから見ると、尻尾が「マルイ」の〇字に巻いています。

泉王寺は、真言宗醍醐派の寺だそうなので、宗祖と仰ぐ空海(弘法大師)の故事にちなんだ犬像なのかもしれません。

弘法大師は唐の長安で密教を学んで帰国する時、唐から日本の方を見ながら、「密教を広めるための良い土地があればその場所に落ちよ」と唱えて、三鈷を日本に向けて投げました。三鈷は両端が三つ又になった修行で用いる金属製の仏具のことです。

帰国後、三鈷杵が落ちた場所を探しに紀州の山の中に入りました。すると山中で猟師に出会いました。その猟師は白犬と黒犬を連れていました。実はこの猟師は狩場明神が姿を変えたものでした。この白黒2匹の犬たちの導きで、弘法大師は高野山にたどり着き、高野山に金剛峯寺を開山することにしたという。

犬像は、この白黒2匹なのかもしれません。

ところで、この尾の形、どこかで見たなぁと思ったら、千葉県久留里城址・城山神明社の犬像の尾の表現のしかたと雰囲気が似ていることを思い出しました。もっと「の」の字に近いですが、これもまた弘法大師由来の犬像でした。

 

 

 

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