2019/08/20

【犬狼物語 其の三百八十六~三百八十八】 埼玉県さいたま市 高砂・三峯秋葉両社&睦神社内の三峯社&沼影・三峯神社

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(高砂三峯・秋葉両社)

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(高砂三峯・秋葉両社 19日は三峯神社の祀り日)

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(高砂三峯・秋葉両社のお供え)

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(睦神社内三峯神社と稲荷神社など)

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(睦神社内稲荷神社の狛狐)

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(沼影・三峯神社)

昨日は「19日」。毎月19日は、埼玉県さいたま市浦和区高砂三峯・秋葉両社の祀り日です。総本山、秩父市の三峯神社では、10日と19日がお炊き上げの日です。10日は神域のお犬さまへ、19日は遠隔地で活躍するお犬さまへ小豆飯をお供えします。

この高砂三峯神社の19日というのも、それと関係があるのかもしれません。そこは以前お話を聞いた講員の方も、よくわからないようでした。

午前9時ころ、神社へ行ってみると、すでに祠は御開帳されていました。

祠の両側に「高砂講」の提灯が下げられ、三峰神社と秋葉神社のお札が祀られ、盛り塩、米、お神酒、手前には、キウイ、ナシ、オレンジ、バナナなどのフルーツ、カリフラワー、カブ、ナスなどの野菜がお供えされています。そして、昼にもう一度行ってみると、お供えに乾き物も追加されていました。

高砂講は、1丁目から4丁目が加入していますが、1年ごとに当番が1丁目、2丁目、・・・と移っていきます。夕方にはこのお供えが下げられるそうです。

次は、南区の睦神社です。武蔵浦和駅の約500m東側に鎮座します。

睦神社には、境内社が多い。本殿の右側に並ぶ伊勢参宮記念碑の隣が三峯社、その隣が、稲荷社、その隣が諏訪神社、八幡神社が並んでいます。三峰社の中を覗いたら「白幡講」とか見える三峯神社のお札が祀ってありました。個人のお札ではなく、講のお札のようです。だからここにも講は存在するようです。

それで、たまたま犬の散歩で歩いていたおじさんに声をかけたら、おじさんは講員ではありませんでしたが、講の存在は知っていました。おじさんも、ここに引っ越してきて40年になりますが、三峯講の講員は、ずっと昔から住んでいた人たちだけらしい。

今でも三峯山へは登拝しているといいます。多い時はバスをチャーターして、少ない時は自家用車で。代表だけが行く代参講ではなく、全員参加の総参講です。

ところで、ここの三峯神社の隣に建つ稲荷神社前には狛狐がいますが、なかなか良い像なので、掲載しておきます。子狐が可愛い。それを優しく抱える親狐の像です。

最後は、南区の沼影・三峯神社です。武蔵浦和駅の約300m西側、沼影観音堂の裏の公民館の敷地に鎮座しています。

鳥居と祠の間には、斜めになった木が横たわっていました。どうしてこんな状態になったのか。小さな赤い花がきれいです。

祠のあるところは少し高くなっていますが、どうも溶岩が積んであるらしい。ここにも狼像はありませんでした。

 

 

 

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2019/08/19

昨日から二十四節気「立秋」、七十二候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

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昨日から、「立秋」の末候「蒙霧升降」。「深い霧が立ち込める」などといった意味です。

ようやく暑さのピークは越したかなといった感じですね。去年よりだいぶ暑い日が少なかったので今年の夏は楽でした。

写真は、何年か前の9月上旬に撮影した新潟県十日町市星峠の棚田の写真です。

 

 

 

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2019/08/18

宮城県村田町歴史みらい館の企画展『猫にお願い』10月20日まで

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宮城県村田町歴史みらい館で企画展『猫にお願い 東北地方の猫神・猫絵馬・猫供養』が開催中です。10月20日まで。

前回の狼展も面白かったですが、今回の猫展も面白そうです。

企画展リーフレットから引用すると、

「猫は、古くから養蚕農家や米蔵の鼠除けとしての益獣、愛玩動物として飼われていました。養蚕の鼠除けでは、猫の絵が入ったお札が各地から出されました。猫を神格化して祀った神社、猫を供養した塚や石碑などが、特に福島・宮城・岩手で多く見つかっています。今回の企画展では、猫を描いた絵馬、猫の絵が入った鼠除けのお札、猫の石像・木像など、民俗資料を通して猫と人の関係を探ります。」

個人的には、猫の姿が刷られたお札や、猫像に興味をそそられます。狼像のレリーフが丸森町に複数存在することは石黒さんに教えていただいたのですが、そのとき、猫像もあると聞いていました。ただその時は、狼像を追っていたので、猫像をあえて写真に撮ろうという発想はなくて、今度行ったときは、ぜひ猫像もと思っています。

この数年来、「犬」「狼」をテーマにしているので、人からは「犬派」と思われているようですが、もともと子供のころから飼っていたのは猫で、猫好きでもあるのです。だから俺は「犬派」でも「猫派」でもありません。

今日、8月18日は、13:30から、この猫展を企画した専門員・石黒伸一朗さんの講演があるようです。演題は「東北地方の猫神社と猫供養」です。

 

 

 

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2019/08/17

【犬狼物語 其の三百八十五】 埼玉県の御嶽講

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狼信仰の関東での2大聖地は、埼玉県秩父市の三峯神社と東京都青梅市の武蔵御嶽神社です。それぞれ三峯講と御嶽講が作られて、昭和初期まで盛んに代参が行われていました。代参というのは、講員の誰か、くじ引きなどによって2~3名が選ばれ、神社に参拝し、祈祷を受け、お札をもらって帰ってきて、講員に配るというものです。

お札は、狼の姿が刷られた「お犬さま」のお札が中心で、家々では戸口に貼っておいたほか、辻札といって、村境などに竹に挟んで立てておくこともあったといいます。

また何十年に一度の一大イベントとして、武蔵御嶽神社で太々神楽を奉納することもあり、そのときには、御嶽山に記念碑を建てたり、お世話になっている御師坊に記念額を奉納したりしました。費用もかかったので、これは一生に一度こととされ、代参ではなくて、講員全員でお参りするのがしきたりでした。

御嶽講・三峯講に関する民俗調査が行われていますが、たとえば『埼玉民俗』第6号には西海賢二氏の「武州御嶽講について 比企郡吉見町流川の場合」(1975年記)、第7号に「武蔵における御岳講の展開 特に埼玉県下を中心にして」(1976年記)、が掲載されています。その中に府県別御嶽講中分布表(明治期各県講社台帳より)というのがありました。

この明治期のリストを見ると、御嶽講も、埼玉県が圧倒的に多かったのがわかります。

全御嶽講中の総数は3485講。このうち埼玉県内には1368講がありました。これは全体の39%に当たります。また、講員数も、総数144974人のうち、埼玉県内の人数は63689人で、全体の44%に当たります。半数とは言えませんが、かなりの数が埼玉県にありました。次に多かったのは909講があった東京です。(ちなみに三峯講は昭和15年の調査によれば、長野県が圧倒的に多く1410講、埼玉県が2位で914講となっています)

また県内でも特に御嶽講が濃密に分布するのは、旧入間郡内(特に川越市・飯能市・入間市周辺)、旧北足立郡内(特に大宮市・朝霞市・和光市・志木市・新座市・桶川市周辺)、旧比企郡内(特に東松山市周辺)、南埼玉郡内だそうです。

どうしてか?

ここで講と農業との関連が示されています。昭和22年当時の埼玉県下農家人口構成表から、全人口対農家人口の比率をみると、御嶽講が濃密に分布する地帯に高いことがわかります。つまり、御嶽信仰は特に純農村地帯に浸透していったということらしい。これは上尾市の御嶽講・三峯講を調べた時も出てきた傾向です。

御嶽様は作神で、「肥料がなければ御嶽山に参拝しろ」と、よく言われていたそうです。農家にとっては一番頼りになる神さまであったのでしょう。これは三峯信仰も同様で、農家が求めるのは作神だったといいます。

それと比企郡吉見町流川(1975年記)の場合、講が作られたのは100年以上前ですが、理由が4つあげられています。

(一)当地方は狼の害が多く、農民が非常に困ったという。
(二)狐つきが多かった。この狐つきを落として貰うために御嶽の御師に頼んだ。
(三)火事が非常に多かった。
(四)雷神をのがれるため。

以上のような理由で講が作られたといいます。

ところで、代参で毎年2~3人づつお参りして、何年かかかってすべての講員がお参りすると、それを「満講」といって、新しく講を組みなおします。

そのとき、講員が全員で御嶽神社に参詣して太々神楽を奉納するという講社が多いそうです。

各府県の太々神楽の奉納数は、特に東京、埼玉に集中しています。それで興味深い傾向があるそうなのですが、東京の奉納数が多いときは景気が良い状況の年で、埼玉県の奉納数が多いときは、農業の豊作の年ではなく、むしろ不作の年に多いというんですね。意外です。

東京では感謝のために神楽を奉納し、埼玉では祈願のために神楽を奉納するということでしょうか。町場と農村の人の御嶽信仰に求めるものの違いが表れているのかもしれません。町場では火災・盗難除けですが、農村では、豊作祈願という違いです。

 

 

 

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2019/08/16

東北お遍路写真コンテスト2019の作品募集

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東北お遍路写真コンテスト2019の作品を募集中です。

締め切りは2019年12月15日です。

※ 今年、プリントでの募集は行っておりません。作品はデータをDVDかCD-Rでお送りください。

詳しくは、募集要項(チラシ)をご覧ください。

 

 

 

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2019/08/15

【犬狼物語 其の三百八十四】 忠犬ハチ公像が建立されてから71年

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渋谷の「チュウケンハチコー」は、外国人との待ち合わせでも使う、国際的なランドマークにもなっているようです。

終戦記念日の今日8月15日、渋谷駅前の忠犬ハチ公像が建立されてから71年になります。

1代目の忠犬ハチ公像は軍需品をつくるための金属回収運動で供出され、溶解されて無くなりました。機関車の部品になったそうです。

1代目ハチ公像の製作者であった彫塑家・安藤照は空襲で亡くなったため、彼の息子である安藤士が、現在の2代目ハチ公像を製作しました。終戦の3年後、1948年(昭和23年)のことです。

この再建像の除幕式は、8月15日に行われました。日本はまだ連合国軍の占領下にあって、GHQの代表も参列したそうです。

設置にあたり、「忠犬」では軍国主義を思わせるなどの意見が出たようですが、結局、「忠犬ハチ公」という名前が浸透していたので、そのまま「忠犬ハチ公」になったようです。

あれほど日本の軍国主義を嫌い恐れていたGHQが、よく「忠犬」を許したなぁと思うわけですが、実は、忠犬ハチ公の物語は戦前既に欧米でも有名でした。アメリカの社会福祉事業家のヘレン・ケラーもこの物語は知っていて、1937年来日し秋田県で講演をしたとき、秋田犬が欲しいと言って、子犬を譲り受けたくらいです。2代目ハチ公像再建にあたっては、その物語に感銘を受けていたGHQの愛犬家有志が支援を行ったとのことです。(wiki参照) つまり「犬」の像だったから許されたということではなかったのでしょうか。いや、もっと言えば、主人を健気に待ち続けたハチ公の物語は、心の琴線に触れる万国共通の「昔話」だということなのでしょう。

再建当時は駅前広場の中央に設置されたようですが、1989年(平成元年)5月に駅前広場が拡張されたのを機に今の場所に移され、ハチ公口方向に向きも直されました。また、このとき台座の高さもハチ公像に触れやすい高さに変更されたそうです。今は外国人が台座に腕を伸ばして記念写真を撮っています。 

 

 

 

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2019/08/14

【犬狼物語 其の三百八十二~三百八十三】 埼玉県熊谷市 上恩田三峰神社&中恩田三峰社

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埼玉県熊谷市の上恩田と中恩田に、三峰神社と三峰社が鎮座します。

両社は500mほどしか離れていませんが、両社とも、青々とした田んぼの中に社が建っています。

 稲の花が咲いている田んぼも近くにありました。もう少しで稲刈りです。

 社の中には、三峰神社のお札も祀られてあったので、三峰講もあるようです。

 

 

 

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2019/08/13

今日からは二十四節気「立秋」、七十二候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」

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(熊本県球磨村 鬼の口の棚田)

 

今日からは二十四節気「立秋」、七十二候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」です。

「寒蝉鳴」は、七十二候のひとつ。二十四節気の立秋の次候です。

「ひぐらしなく」と読まれていますが、もともと中国から入ってきた「寒蝉(かんせん)」は秋の訪れを告げる蝉といった意味らしい。

田んぼは青々としていた稲が、じゃっかん黄色くなりつつあります。確実に季節が移っています。

今年は、去年ほどの極暑がなく、ちょっと余裕を持ってこの季節を迎えられていることは、良かったかなぁと個人的には思います。ただこのまま涼しくなっていくことはなさそうですが。

 

 

 

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2019/08/12

マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』

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マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』を読みました。

「イヌのことなら狐(フォックス)に訊け」(デズモンドモリス)という言葉があるそうで、フォックスはイヌ科動物の権威。心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。

この本は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」

「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

フォックスはイヌの研究もやっていて、飼いイヌが野生の動物から家畜化したとき、どういうことが起こったか、という興味深い観察を述べています。家畜化は、オオカミの行動の儀式的な側面を薄め、単純化するというのです。そのため人間に懐くようになりました。イヌは、儀式を捨てて、フレンドリーになった。逆に言えば、だれにでも懐くフレンドリーさを獲得したから、人間の伴侶動物として生き延びることができたということなのでしょう。

これは人間の文化にも言えるようです。

「行動の点でいうと、現代人の行動・文化の伝統の多くからしだいに儀式の要素が失われつつあり、この現象にはファッションから社会的な役割にまで及んでいます。」 

「文化化も似たような影響を及ぼし、さまざまな儀式の効果を弱めることで、人間の行動の幼形成熟をさらに強化させるのかもしれません。疎外と社会の不安定さといった問題はありますが、利点としては、人間の態度が柔軟性を増し、もはや規定された儀式やタブーに束縛されずにすみ、将来、異なる文化間での争いの可能性が少なくなる、ということがあげられるでしょう。」

いいとか、悪いとか言っているわけではありません。生き延びる術を獲得したことを「進化」というなら、飼いイヌも、人間も進化していると言えるのでしょうね。

だからこそ、オオカミに魅力を感じるわけです。人間が失ってしまった儀式を重んじる野生動物としてのオオカミ。自然の一部として存在するオオカミです。

 「先住民を「高貴な野蛮人」とみなしたルソーの視点は、野生動物、とくに、人間と同様ハンターであるオオカミなどに対するわたしたちの文化的な認識や理解といくぶん関連があります。「高貴な野蛮人」という言葉には、ある種神聖な神秘的な雰囲気、存在感、気品があり、「文明化した」人間に、再び自然と一体になりたいとか、文明化しすぎた科学技術の世界が生み出した付属物を捨てて自由な精神状態で暮らせたら、といったあこがれを生み出します。」

「高貴な野蛮人」と「オオカミ」は、社会的な儀式の点で高度に洗練されていて、自然と一体になって生きているという意味で、同じような存在です。そこにあこがれている現代人という構図でしょうか。 

 それと関係があるのか、今までの反動なのか、最近の若い世代は、けっこう儀式好きなのではないかと、最近ある写真を撮るようになって思っています。

 

 

 

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2019/08/11

10個の太陽と12個の月

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来年2020年(令和2年)版「旧暦棚田ごよみ」のあいさつ文を考えているところです。 今回は中国の神話を引用しようかなと。

昔の人は、毎日変化する月の満ち欠けに規則性を見出しました。しかし月の満ち欠けだけでは、季節がずれていきます。そこで太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

中国の創世神話では、五代目皇帝・帝俊の義和夫人は太陽を10個、嫦娥夫人は月を12個を産みました。ところが堯帝の時代に、10個の太陽がいっせいに輝き、大地は灼熱地獄になりました。堯帝は弓の名手・羿(げい)に、9個の太陽を射落とさせました。太陽はひとつとなり、元の世界に戻りました。日本にもこれと似た射日神話が伝わっています。

中国古代の地理書である『山海経』にも、10個の太陽や12個の月が水浴するという話が出てきます。これは1年間が12カ月からなる考えを反映したものだそうです。

また、月はもともと複数ある太陽のひとつでしたが、弓の名人に射られ、怖ろしさのあまり血の気を失って光が薄れ、月になったという話もあります。(伊藤清司著『中国の神話・伝説』)

太陽が多すぎる混沌とした世界も月の存在で秩序を保てると解釈できるかもしれません。この「太陽」とは「支配者」という意味でもあるようです。

また、10個の太陽と12個の月は、十干十二支や太陰太陽暦を連想させます。

 日本に伝わった射日神話ですが、関東を中心に「おびしゃ(お日射)」という祭りも行われています。

そこで、思い出したのは、秩父の小鹿野町に「出原の天気占い」という行事があります。的を射て、その年の天候や作物の出来などを占うものですが、詳しくは調べてないのでわかりませんが、これも「お日射」と同じ祭りかもしれません。

掲載の写真は、10年前に撮影したこの「出原の天気占い」です。

 

 

 

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