2017/10/19

【愛犬物語 其の百九十九】 福島県浄土平天文台  「星のチロ像」

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福島県浄土平天文台に「星のチロ像」があります。

チロとはどんな犬だったのでしょうか。

Wikiから引用させてもらいます。

「チロ(1969年10月頃 - 1981年9月14日)は、藤井旭(イラストレーター・天体写真家)が飼育していたメスの北海道犬である。「白河天体観測所」という私営天文台の「天文台長」を務め、地元の人々や天文ファンなどに「チロちゃん」、「犬の天文台長さん」などと親しまれていた。その死後、藤井はチロとのエピソードや周囲の「星仲間たち」との交流などを『星になったチロ』などの子供向けの本にまとめた。」

1941年生まれの天体写真家・藤井旭さんは、アマチュア天文家のリーダー的な存在だったそうです。1969年に白河に星仲間と「白河天体観測所」を建設しました。

そして1969年冬、デパートで開かれていた犬の展覧会で、当時としては大金の5万円を支払って、引き取ったのが北海道犬のチロでした。

チロは犬としては初めて(?)、天文台長になりました。クマが出るので、一番頼りになるチロを天文台長にしたそうです。実際クマと対峙したことがあって、お互い退いたので大事には至りませんでした。

もうひとつ理由があって、そこが藤井さんらしいと思いますが、世間的な地位や肩書を抜きにして平等に星を楽しんでいるのに、肩書をつけるのは面白くないので、チロを責任者にしたようです。

その後、全国から2000人も集まる「チロの星祭り」が浄土平で毎年開かれ、チロはイベントの世話人(犬)代表として、全国の天文ファンから親しまれました。「チロにあいにいこう」が星仲間たちの合言葉になりました。

ここ浄土平に天文台ができたのは、チロと藤井さんたちの、そういう経緯があったからです。

今、天文台に展示されているチロの像は、高さが20cmほどのものでした。ネットで見ると、もう少し大きいのかなと思い込んでいたので、小さいな、というのが第一印象です。

ただ、細部までこだわって作られているのはわかるので、おそらく実際のチロとも似ているのではないかなと思います。

天文台には、他に、チロに関するパネルや、藤井さんが執筆した2冊のチロの本なども展示されていました。

チロの死後、愛媛県八幡浜市在住の彫塑家であった塩崎宇宙さんから連絡があり、チロの話に感動したので、ぜひチロの像を作らせてほしいとの申し出がありました。塩崎さんの「宇宙」という名は本名です。

藤井さんは「宇宙先生が宇宙犬チロの像をつくる」ことに不思議で奇妙なめぐりあわせを感じたそうです。

銅像は2年後「星のチロ像」として完成し、1983年の8月の第9回「星空への招待」会場で披露されました。

天文台に展示されている像は、1983年に披露されたオリジナルの縮小コピーですが、これも塩崎宇宙さんが制作したものです。「星のチロ賞」受賞者に対して贈呈されたトロフィーの1体です。

今、像の色は赤銅色ですが、もっと黒かったそうです。火山から硫化水素ガスが出ていて金属を腐食させてしまうらしい。その影響で、赤っぽくなったのだそうで、火山らしいなと思いました。

チロの像は、藤井さんたちの私営天文台である「白河天体観測所」にありましたが、東日本大震災で被災してしまいました。機材のほとんどが壊れ、原発の放射性物質による汚染も深刻で、再起不能になってしまった白河天体観測所は、2014年に閉鎖されてしまいました。だから今、像は公開されていません。

また、塩崎宇宙さんの故郷、愛媛県八幡浜市に記念館があるそうで、そこにチロの石膏像が展示されている、ということを教えてもらいました。

2冊目の『犬像』の本には、このチロを取り上げたいので、その時はあらためてオリジナルの「星のチロ像」や八幡浜市の石膏像を訪ねたいと思います。
 
 
 
 
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2017/10/17

富田和明太鼓芸能生活40周年記念コンサート『太鼓打ち誕生』

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友人の和太鼓奏者、富田和明さんのコンサートが行われました。太鼓芸能生活40周年だそうです。すごいことです。

いろんな人が駆けつけて、40周年記念コンサートを盛り上げました。

冒頭、成田山深川不動堂から出発した『浜から島へ~富田歓暦歩き打ち2017』と銘打って、東京から自身の故郷、淡路島まで約635kmを歩いたときの映像が流されました。

富田さんとは中国貴州省で、旅人同士として出会っているので、富田さんの旅のパフォーマンスにはいつも特別に共感をおぼえるところです。

歩くことは、地球(地面)の太鼓を2本の足で叩いていることではないか、という話は面白いなぁと思いました。富田さんにとっては、「旅=歩く」は「太鼓を叩く」と同じことになるわけですね。

そしてもうひとつ、富田さんのコンサートに身を置いて気が付いたことがあります。音楽を「聴く」と表現しますが、太鼓の音は特に、耳だけで聴いているのではないんだなということです。

鼓膜はもちろん皮膚が音を聴いているのです。直接来る振動。反響して来る振動。人々の雑音。俺のカメラの音など、雑多な音と振動が、皮膚を刺激することで、隠し味のようになって深みを感じさせているようです。

皮膚で聴く音と振動が気持ちよいのです。だから、音楽は「その場にいる」という体験なんですね。


富田さんのHPはこちらです。


富田和明太鼓芸能生活40周年記念コンサート 『太鼓打ち誕生』

10月15日(日)

出演/富田 和明 

特別ゲスト/藤本 吉利 藤本 容子(鼓童名誉団員)

友情出演/近藤 克次

賛助出演/どんどこ座 和太鼓 MIKAWA

太鼓アイランド オールスターズ

会場/亀戸文化センター・カメリアホール
 
 
 
 
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2017/10/16

大分県竹田市 「竹田キリシタン研究所・資料館」がオープン

Omote

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知人がNPO法人竹田キリシタン未来計画で活動していますが、このたび、JR豊後竹田駅前(古町商店街)空き店舗を改装して、竹田キリシタン研究所・資料館をオープンするので、お知らせします。

これが大分県内初のキリシタン資料館になるそうです。

竹田キリシタンという歴史を見直し、観光資源として生かし、商店街に活気を取り戻すべく、新たなチャレンジがいよいよ本格的に始まります。

2017年10月28日(土)には、オープニングイベントが行われます。

09:30~ オープニングセレモニー
10:15~ マリオネット南蛮音楽演奏
10:45~ 歴史大河漫画『へうげもの』(山田芳裕)トークセッション
12:00~ 終了


TAKETAキリシタン謎PROJECT

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2017/10/15

【愛犬物語 其の百九十八】 栃木県塩谷町 大宮神社

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栃木県塩谷町大宮に鎮座するのが大宮神社です。

鳥居前にはしだれ桜の木がありました。

神社名は「大宮神社」ですが、拝殿に掲げられている扁額には、「正一位大宮高龗大明神」(旧社名は「高龗大明神」)とあり、ここも「たかおかみの神」を祀る神社であることがわかります。漢字は、「雨+龍」の文字が使われています。

1対の犬像が、拝殿手前の参道両脇の一番端の地面に直接置かれています。ちょっと見過ごしてしまいそうですが、ころころっとした可愛らしい犬像です。

それと本殿の両側、軒下には古そうな犬像が1対置かれています。こちらは前足が壊れていて、顔もすごみがあります。

周辺はまもなく稲刈りが始まりそうな田んぼです。田んぼでした。ここを撮影したのは9月23日だったので、もう3週間たっているんですね。(記事にするまで時間がかかります)

これで一応、栃木県は終わって、次からは福島県、山形県の予定です。

とくに、山形県では、忠犬ハチ公の石膏像について、奇跡の物語を取材することができました。ご期待ください。

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2017/10/14

【愛犬物語 其の百九十七】 栃木県宇都宮市 高龗(たかお)神社

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こちらも高龗神(たかおかみのかみ)を祀る宇都宮市大網町の高龗(たかお)神社です。

宇都宮市内から国道119号線(日光街道)を北上し、大網町で田川を越えた対岸に鎮座します。周辺はのどかな田園地帯です。

道に面した一の鳥居が見えますが、そこからは中へ入れませんでした。草がぼうぼうと生えていて、しばらく人が通った形跡がありません。鳥居を回り込むように進むと、一の鳥居、二の鳥居の間に車を停める場所がありました。

二の鳥居から拝殿まではきれいに草も刈られています。

赤い回廊の欄干が印象的な拝殿両側には、1対の像が立っています。

2体とも傷んでいて、左側は顔が壊れていますが、右側は残っていて、独特の歯が印象的です。お歯黒のおばさんが笑っているように見えてしまいます。

この像は明治28年(1895年)11月21日に奉納されたという。

見た目、これは和犬ではなく、狼像に見えます。ネットでも、「和犬」と「狼」の2つの説があるようです。

「来福@参道」の「高寵(たかお)神社」には、こんな記述があります。

「下野国(今の栃木県)は、利根川の支流鬼怒川の流域です。利根川流域の上総(茨城県方面)は早くから開拓が進み、桓武天皇から分家した坂東平氏が入植したことが知られています。利根川流域には平氏に付き従う形で、犬飼の一族、県犬養氏(あがたいぬかいし)が入植していました。開拓地に犬飼の一族が移り住んだのは、開拓地の田畑を荒らす害獣を狼と犬をかけ合わせた猟犬で駆除するためでした。こうした事情は下野国でも同じことで、下野国にも犬飼を生業とする一族が移り住んだことは確かだと思われます。
高寵神とは闇寵神と対の神で水源の守り神とされる一方、岡山県の木野山神社や貴布弥神社では狼神とされています。下野国の開拓が始まったころ、岡山方面から入植した人々が高寵神を氏神として持ってきたのではないかと思われますが、推測の域を出ません。」

「狼」説ですが、結局はわからない、ということですね。でも、この「狼」と「犬」のあいまいさも、あまり問題にならないのが日本かもしれません。

そもそも、生物学的な「ニホンオオカミ」と信仰の対象としての「お犬さま」は、必ずしもイコールではないし。この像も信仰の対象のイメージということなのではないでしょうか。
  
 
 
 
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2017/10/13

【愛犬物語 其の百九十六】 栃木県河内町 高靇(たかお)神社の犬像

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栃木県河内町の高靇(たかお)神社も、また高龗神を祀る神社の1社です。

車道から延びる石の階段には「高靇神社」の額を掲げた一の鳥居。途中には二の鳥居があり、天保時代の古い手水石も。

木造の長屋ふうの門があり、そこから数段上ったところに苔むしたいい感じの石造りの犬像が控えています。2対ありますが、1対は和犬、もう1対は和犬ふうの狛犬のようです。どちらも高さは50cmくらいです。

午後の光が木々の間から射しこんで、犬像を浮かび上がらせます。ハッとする神々しい気持ちになります。

犬像を作った石工もすごいとは思いますが、まるでこの光も意識しておかれたのかと思うほどの、舞台としては完璧な場所です。

宗教がないと自分自身でも言っている日本人ですが、日本人の宗教性は特定の神からの教えではなく、全体の調和を大切にし、その美意識に従っていると言われます。だからその場の美しい調和は、そのまま宗教性の表れではないか、この美しい場を作ること自体が、日本人の宗教性そのものなのかもしれません。

ここにも犬像の由来書はありませんでした。高龗神と犬像との関係については、前回の「さくら市 高尾神社」で書いているので、そちらでどうぞ。

垂れた耳が可愛らしい和犬像は、どこかで見た姿だなぁと、思い出したら、千葉県の久留里城址の城山神明社に奉納されていた和犬像を髣髴とさせるものです。ヴィーノと似てるあれです。

あれも丹生明神由来の和犬像でした。これもそうなのかもしれません。

神社は小さいですが、拝殿には回廊があって、右側に2体、左側に4体の和犬像が奉納されています。この像は高さが20~30cmの小柄な像です。それぞれ個性的で、いろんなタイプの犬像がいて面白い。

それにしても、雨上がりの湿った薮には蚊が多い。蚊くらい我慢しろという話なんでしょうが。すばらしい犬像にお参りするためには仕方ありません。蚊も、その場の調和に無くてはならないものかもしれないし。
 
 
 
 
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2017/10/12

【愛犬物語 其の百九十五】 栃木県さくら市 水神(龍神)を祀る高尾神社

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栃木県宇都宮市周辺にも犬像が守護する神社が点在します。

ネットで調べると、それらは「高龗神(たかおかみの神)」を祀る神社だそうです。

栃木県さくら市の鬼怒川のほとりに鎮座する「高尾神社」も、この「高龗神」を祀っています。扁額には「高龗神社」とあります。「高尾神」と「高龗神」は同じ意味のようです。現在の社殿は明治42年(1909年)に建てられました。

「高龗神」とはどういった神様なのでしょうか。まずこの漢字「龗」が難しい字なのですが、「高龗神社の雨口龍字について」に詳しく書いてありました。

「高龗神社の「雨+口三つ+龍」文字の「龗おかみ」は栃木県では口みっつが省略されて雨+龍の「靇」が使われる社がいくつかあり,さらに「高尾」と混在する社すらあります。 (略) また読み方は本来「たかおかみ神社」が正式ですが,栃木県では例外なく「たかお神社」と呼ぶようになりました。」(環境依存文字なので、人によっては見えていないかもしれません)

境内に立つ由来の看板には、

「天候を支配する神が高尾神で、天空や地の底・闇の中にいる神々たちの集団です。雷神・竜神・水神などとなって人々に信仰されてきました。上阿久津の高尾神は鬼怒川と関係の深い水神(龍神)信仰が原点と考えられます。
10月19日の大祭には古法による強く発酵させた甘酒と生の川魚を一緒に供え、それをいただく古式の神事が伝承されています。
古来より農耕や河岸など水とかかわりがあった上阿久津の守護神だったことがしのばれます」

拝殿の前には、大正8年(1919年)10月に奉納された1対の和犬像が鎮座します。犬像の由縁についての説明はないのですが、そのヒントになりそうな記事が福田博通さんによる「神使いの館」にありました。

「この地区の高お神は、高おかみの神を祀るので有名な丹生川上神社(奈良県吉野郡)から勧請されたもので、丹生明神の神使の和犬が置かれているのかもしれない。」

とあります。

各地の犬塚でも、「水」と「犬」との関係はあるようで、それは犬の持つ鋭い嗅覚が水場を見つけたりすることから来ているらしいのですが、とにかく「水」と「犬」とは親和性が高いようです。

また、近くには農業用水を分水する井堰が設けられているそうで、高尾神社はこの井堰を守護するために、水神を祀ったもの、という説もあるようです。

「井堰を護る」という話を聞くと、棚田(水田)が多い、インドネシア・バリ島の「スバック」の井堰を思い起こします。

「スバック」とは、千年前に作られた水利管理組織です。「スバック」それぞれが持つ寺院では祭りも欠かしません。定期的な会合では、水の管理や、管理費の徴集の相談をします。組合員はみんな協力して、水利施設のパトロールをし、水が配分計画通 りにきちんと流れているかをチェックします。

井堰には必ず寺院や祠が建てられていて、水の配分のルールが厳格に守られています。

何割の水を流すか、というのはかなりシビアな問題で、ときには、その水をめぐって争いにもなるからです。水の争いは農業やっているところではどこもそうで、バリ島だけではありませんが。スリランカでは、井堰の見張り役が1日中見守っていました。

2012年には「トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」という名前で、バリ島の「スバック」は世界遺産に登録されました。

ところで、高尾神社の境内には、1体だけ、古い狛犬と思われる像が置かれています。首から背にかけての模様は残っています。

朽ち始めた石像は、アンコール遺跡のクメール像を思わせました。人工物が自然に帰っていく過程には、そこはかとない愛おしい感情が沸き起こってきます。
 
 
 
 
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2017/10/10

【愛犬物語 其の百九十四】 茨城県つくばみらい市 板橋不動尊の犬像たち

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つくばみらい市の板橋不動尊・清安山不動院は関東三大不動尊のひとつです。本堂も立派ですが、三重塔もあります。

境内に複数の犬像が置かれています。ここは犬像を味わうには、量と質が高い場所のように感じます。

本堂への石段脇の犬像はなかなかリアルです。片方には、可愛らしい子犬もいます。

それぞれの犬像は由来が別のようです。

板橋不動尊は「お犬不動尊」と呼ばれているそうで、次のような伝説が伝わっています。

「板橋不動尊白犬の由来」という解説看板には、以下のようにあります。

「婦人が子を産み育てることは、古来より現在、未来、永劫の定めです。この喜びの反面生まれ出る子のため、母の苦しみも変わらないようです。
江戸の昔、山王新田(現つくばみらい市)で難産の婦人多く親子ともに死に至るものもあって子どもを身篭ると皆不安な毎日を送るようになった。ある夜村名主の夢枕に雌雄の白い犬が現れ、我れは板橋不動の使いなり、女人講中揃って不動尊に参詣し護摩祈願を成せば難産の苦しみを救わんとのお告があった。翌朝村人協議の上一同揃って不動尊に参詣、護摩祈願をし不動尊の使者である白犬一対奉納したところ以後当村内で難産で苦しむ者一人もなく、以来板橋不動さまを別名お犬不動尊と呼ぶようになった出産安全の霊験今に伝わっています。」

元禄年間建立と言われる鮮やかな朱塗りの楼門の本堂側の左右に、この伝説の白い犬像が鎮座します。伝説通り雄と雌の像です。(股間を覗いてわかりました)

顔がいい表情です。ちょっとおとぼけ気味で優しい感じです。

また子安観音、子安こんがら童子の両脇に、目黒不動などの母子像と似ている犬像が控えています。こちらは板橋不動内で一番古い犬像のようです。
 
 
 
 
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2017/10/09

『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ― 10月16日よりgalerie OUで

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『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ―が開催されます。

藤田さんとは1986年ごろ香港で初めて出会ってから、頻繁に中国各地で会うことになり、日本に帰国した時も、写真展などで会う友人になりました。

その藤田さんとは、この8年くらいご無沙汰してしまって、2015年4月に病気で亡くなっていたことも、共通の友人から、去年聞いて、初めて知ったのでした。

今回、追悼展を開催するということで、追悼文を書かせていただきました。

なお、掲載の写真は、藤田さんと出会ったとき、1986~8年ころの香港の写真です。この写真を藤田さんに捧げたいと思います。
 
 
 
タイトル: 『Fに』 ― 追悼 藤田基夫 ―

会期: 2017年10月16日(月)~10月21日(土)
     12:00~18:00
     * 入場無料

場所: galerie OU (ぎゃるり うー)
     大阪市中央区谷町1-3-1  双馬ビル9F
     06-6941-5587

内容予定: 故藤田基夫氏の作品、遺品、および資料(著作、写真、図録など)の展示
        友人有志による追悼展(オマージュ作品、追悼文、メッセージなど)

主催: 『Fに』実行委員会

Fujitasan
 
 
 
以下、藤田さんへの追悼文です。

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旅人同士とは、不思議な関係だなぁと思うことがあります。旅先で偶然に出会って、名前も出身地も職業も、何も知らないのに、意気投合し、会話に花が咲くことがあるからです。藤田基夫さんも、そんな人でした。

藤田さんに初めて出会ったのは香港のラッキーゲストハウスという安宿だったと思いますが、その後も80年代後半から90年代初めにかけて、頻繁に中国や香港で出会っていました。

何度も会ううちに藤田さんが鎌倉に住んでいることや芸術家であることを徐々に知っていったのです。でも、私にとっての藤田さんは「共感できる旅人」でした。肩書や出身地や年齢にもこだわらず、現地の安い食堂でいっしょに食事をしたり、町から山道を何時間も歩いて少数民族の村を訪ねたり、旅の失敗話をしたり、ということが楽しかったのです。

「芸術がどうの」とか「写真がどうの」とかいう話をした記憶はありません。もちろん帰国した時には私の写真展にも足を運んでくれましたが、あくまでもお互い「旅人同士」という関係性だったのではないかと思うし、それが藤田さんの人間性でもあった気がします。でなかったら、長く付き合うことはできなかったのではないかなと。

藤田さんと共有できた中国での時間は、私にとって、今はたいせつな宝物となっています。
 
 
 
 
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2017/10/07

秋田県大館市 「忠犬ハチ公生誕祭」

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忠犬ハチ公のふるさと大館市では、ハチ公生誕祭を実施しているそうです。

昨日のツイッター(大館市観光案内所のつぶやき‏ @odateekiannai )によると、

「《忠犬ハチ公生誕祭》10月7日(土) 10:45~11:15
JR大館駅前の忠犬ハチ公広場にて忠犬ハチ公の生誕を記念した式典が行われます。駅前のハチ公像への献花やケーキカットなどが行われる予定です。明日、駅からきりたんぽまつりにお越しになる方は立ち寄ってみてはいかがでしょう。 」

とあります。そうだったんですね。今日気が付きました。

ただ、実際にハチ公が生まれたのは、1923年11月のことです。大館駅から南西に8kmほどいった大子内の斎藤義一宅で、父・大子内山号、母・胡麻号の間に生まれました。現在住宅前には、ハチ公の像と、向かい側には、「ハチ公トイレ」が建っています。

ところで、昨日、ヴィーノの10歳の誕生日でした。最近は動きも緩慢になり、色も白くなって、歳とってきたのを、俺自身同様に感じているところです。

上に掲載の、大館駅前の忠犬ハチ公像前で撮ったヴィーノの写真は、2009年7月、日本一周していたときのものです。

こういった「忠犬」像があると、必ずその前で写真を撮られ、忠犬と比べられることにうんざりしているふうにも見えます。

有名な忠犬にはかなわないかもしれませんが、ただ、日本一周してわかったことですが、ヴィーノは、「旅犬」としては優秀でした。

ひとりで留守番できるし、どんなご飯でも食べます。車旅が好きで、吐くことなどもありませんでした。車内で阻喪したこともほとんどありません。

俺たち夫婦の旅によく付いてきてくれたと、今では忠犬であることは認めています。ただ、ヴィーノの像を建てることはできないかもしれませんが。
 
 
 
 
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