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2005/11/28

第6回東京フィルメックス イラン映画

昨日、第6回東京フィルメックス映画祭のクロージング作品「フル・オア・エンプティ」を観にいきました。

この映画祭のコンペティション部門の審査委員長が、この作品を作ったイラン人のアボルファズル・ジャリリ監督。「フル・オア・エンプティ」は、ペルシャ湾岸の港町を舞台にした若者の話です。

若者が村から教師になろうと街へ出てきましたが、教師になるにも、いろんな手続きが必要で、なかなか採用されない。そんなとき、ある娘に一目惚れし、いろんな仕事をして結婚資金をためようとするのですが、ことごとく失敗してしまいます。ところが、鏡ひとつ置いての理髪業を始めたところ、その才能があったようで、「カットが上手」という評判が立ち、連日お客がたくさん来るようになり、お金がたまりました。それで仲人を立てて娘の家に行くのですが、なんと娘は離婚歴があり、子供もいました。しかも、再婚相手(すごい年寄り)もすでに決まっていて、失恋してしまう。
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監督のトークショーもありましたが、映画に漂うコミカルさは監督の性格によるものでしょうか。写真の右側の男性がアボルファズル・ジャリリ監督。(左側の男性は、アミール・ナデリ監督。今はニューヨークに住む有名な監督らしい) 監督の家は信仰心が篤く、子供のころはテレビがなく、映画を観たのは革命後だったそうです。

ちなみに映画のタイトル「フル・オア・エンプティ」とは。若者がようやく教師採用の通知が来たのですが、結局採用枠はひとりしかなく、もう一人の女性とどちらかが採用されることになり、役所の人の提案で、ひとつの物を、握ったふたつの手のどちらに入っているかを当てるゲームで決めようということになりました。よく手品でもありますよね? 「入っているのは、どっちの手の中?」というやつです。

結局これでも負けて教師にはなれなかったのですが、「あの女性が教師になれるんだから」といってお祝いし、街の人にお菓子を振舞うという若者なのでした。(イランでは、こういうやり方で物事を決めることがあるんですか?という質問が観客からあり、監督は「ジュークです」と笑っていました)

最後も船の上で女の子に声をかけ、その家族らしい男に「勝手に声を掛けるな!」と、海に投げ込まれてしまって(これはイスラムの国イランではありえる話ですね)エンディング。ハッピーエンドではないのですが、全体的に漂うこの若者のコミカルさや、失敗しても失敗してもめげずにやる姿を見ていると、妙に元気をもらえるような映画なのでした。

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2005/11/25

青海湖の鳥インフルエンザ

報道ステーションでもやっていましたが、今年5月に青海省で発見された死んだ渡り鳥を検査したら、H5N1型鳥インフルエンザウィルスに感染していたことがわかったそうです。

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青海湖は、渡り鳥で有名で、「鳥島」という場所があります。写真は、鳥インフルエンザなど聞いたこともなかった数年以上前に撮影したものです。

ここに何千羽という渡り鳥がやってきます。つまり、ここからアジア各地に渡り鳥が飛んでいくということでもあります。アジア各地に感染した渡り鳥がインフルエンザを伝える危険性が指摘されています。
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ここ数年、東アジアでは、鳥インフルエンザ、SARSなど感染症の問題がたびたび起きています。2年前、日本でSARSが騒がれ出す直前、ちょうどハノイで患者が出ていたころ、現地に1週間ほど滞在していました。ハノイにいたときは、ほとんど情報もなく、それほど深刻な事態だとは思わなかったのですが、ハノイからラオスを経由してバンコクへ行き、東京へ戻る飛行機に乗るためにバンコクの飛行場へいったとき、その異様な光景に驚き、これはただごとではないなと実感したのでした。観光客がみんなマスクを買いあさっていたからです。

帰国して翌日だったかその翌日、日本でも騒ぎが大きくなって、親戚に葬式があったのですが、「来ないでほしい」と断られたほどでした。俺も、患者が出ているときハノイにいたので、感染していないという自信はなく、素直に従い、そればかりではなく、なるべく外出は控えました。どうしても会わなければならない編集者がいたのですが、彼には「マスクをかけていくけど、心配しないで。念のためだから」と、わざわざ前もって電話して、俺のマスク姿を見て恐れないようにしてもらったのでした。

新型インフルエンザ、鳥インフルエンザ、SARSなど、次から次へとウィルスが襲ってきます。こんなハイテクの世の中なのに、防げないものなのでしょうか。いや、人間のハイテクこそが、こういう感染症のウィルスに、あっという間に世界に広がる条件を与えているんですよね。便利さとは、こういうマイナス面も含むんです。

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2005/11/18

猫の募金と、犬の物乞い

今、京都に怪しいボランティア団体が出没しているらしい。箱の中にはかわいい子猫たち。捨てられた子猫を保護するとかいう名目で、路上で寄付を集めている団体です。

テレビ報道では、この団体のメンバーが、お金で雇われたホームレスであったことや、あるメンバーが寄付金を自分の生活費に流用していることを紹介していました。(生活費に使っていることは本人も認めていましたが。活動費の一部だと言っていたようです)

何年か前、タイのバンコクで、犬の物乞いを見かけ、5バーツ恵んだことがありました。(俺はめったに募金したり、寄付したりしない人間ですが) 犬は、紙コップを前に置いて、じっと伏せていました。隣には、飼い主(先輩?)も同じようなかっこうで地面 に伏せていました。よくもまあ、こんな芸を仕込んだものだと感心したものです。(自発的に物乞いをやっているとは思えないので、当然、人間が教えたんでしょう)

附近には、目の見えない人や、片足を失った人もいたのですが、こっちにはあまりお金をあげないのに、この犬の物乞いには、バンコクの人たちもみんなお金を恵んでいるんです。

俺も、もし子供をだしにした悲惨な物乞いだったら「またいるな」という程度で通り過ぎたでしょう。ここで犬を使った大道芸をしていたとしても、やはり俺はお金を出したりしなかったと思います。この「犬の物乞い」が新鮮だったんです。人の心理をちゃんと研究している物乞い集団かもしれません。恥ずかしい話ですが、俺はまんまとはめられたのです。(バンコクの物乞い犬はたくさんお金を稼いでいると有名でした。今もいるのかな?)
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「悲惨さ」が日常にあふれていて、確かに俺は「悲惨さ」に鈍感になっているところがあります。悲惨な人間よりも、かわいい動物に心を奪われてしまうという心理。当時イラク戦争がありましたが、その最中でさえ、「タマちゃん」報道の方が時には印象に残ったりして。

動物を出されると、警戒心が緩んでしまいます。それを逆手にとって金を騙し取るとは。何もわからず物乞いの真似をさせられる犬は可愛そうです。

(京都のこのボランティア団体が100パーセント詐欺かどうかはまだわからないですが。明らかに怪しいですね)

こういう団体を野放しにしておくと、まじめに活動しているボランティア団体とか、寄付を集めている団体は迷惑します。募金を集める場合の、なんらかの法的規制が必要だろうということを、報道では言ってました。

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2005/11/05

勝沼のブドウ園と柿の里

11月5日(土)、晴れ

この2週間はほんとに天気に恵まれた。もちろん、曇りや雨の日もまた良い、とは言うけれど、やっぱり初めていくところは晴れたほうがいい。

昨日の夜は、松本から国道20号線で1時間ほど、富士見町の道の駅「信州蔦木宿」に泊まった。ここには温泉もあった。料金500円。俺と同じように車で寝泊りしながらの旅行者がたくさん泊まっていた。りっぱなキャンピングカーもあった。犬を連れた旅行者もいた。自然と挨拶するところは、やっぱりこういったスタイルの旅をしている者同士の親近感からだろうか。

今年4月ゴールデンウィークに出かけたときは、伊豆半島の道の駅で、まったく同じ車種で、しかも「所沢」ナンバーまで同じおじさんがいた。おじさんの車には、棚が作ってあって、味噌や醤油などの調味料も見えた。窓には網戸を張っている。前は、自作の網戸だったが、どうしても虫が入ってくるので、ちゃんと車メーカーで売っているやつに変更したといった。もう年金暮らしだといっていたようだが、お金もかからないし、他にやることもないので、なんて言っていたなぁ。

朝7時50分、甲府市内に着いて、マクドナルドで朝食。反米的なことを書いてるわりには、けっこうマック好き。これから勝沼と塩山へ行ってみようと思う。勝沼は葡萄の産地、塩山は柿の産地。
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勝沼はさすがに有名なだけあって、葡萄園の多さには驚くばかり。ブドウの丘センター(公園)があり上ってみた。周辺は葡萄園が絨毯のよう。収穫の終わった葡萄の葉っぱが枯れて色づいているのだ。ただ黄色、茶色の中にも微妙な色の違いがあって(黄色、茶色というより、紫色に見えるところもあった。この写真、葡萄園とは思えないでしょ?)、いろんな色に染められた絨毯のように見える。山の中腹までずっと葡萄園が広がっているのは壮観だ。このセンターでは、葡萄のお菓子や、ワインも買える。(宿泊もできそうだった)

人の暮らしとともに作り上げられてきた景観。べつに美しく作ろうとしたわけではないのに、結果として美しくなっている。棚田もそうだけど、何かそこには、人間と自然との関係性が表れているようだ。景観の「美しさ」とは、「関係の良さ」なのかもしれない。

勝沼から30分ほどで、塩山。恵林寺の一帯が柿の産地らしい。柿を干してあるのが秋の風物詩だとのことだが、まだ時期はちょっと早かった。ちょうど収穫が始まろうとしていた。地元のおばさんが「そろそろ収穫してますよ」と言っていた。たわわに実った柿の木がたくさんある。柿の写真だけ撮っておく。また機会をあらためよう。
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塩山から国道411号線で東京都青梅まで。途中、紅葉を見る観光客で混雑していた。アマチュアカメラマンもたくさんいた。絶好の行楽日和だ。青い空と、紅葉の黄、赤とのコントラストが鮮やかだ。午後早い時間帯だったので、夕方の車の渋滞にはひっかからずにすんだ。

青梅から狭山へ。入間に入る途中、大きな茶畑を通った。ここが狭山茶の畑か。初めて知った。ここに引っ越してきて1年半以上たつが、まだ狭山茶の畑の撮影はしていなかった。近いからいつでもできると思うから、かえって知らないことになる。でも、宇治茶の畑とは様子が違う。木が低い。

午後4時。無事、帰宅。今回の旅、走行距離は約3500kmだった。ずいぶん走ったなあと思う。

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2005/11/04

安曇野の田園風景

11月4日(金)、霧のち晴れ

昨日は京都から国道1号線、8号線、21号線と乗り継いで、滋賀県、岐阜県経由で長野県を目指したが、岐阜市を過ぎたころ暗くなり、コンビニで弁当買って食べているうちに、霧が出てきた。そして、美濃加茂市を過ぎたあたりで、21号線が突然消えた。霧で標識が見えなかったが、メイン道路が国道だと思ってそのまま直進していたが、急に狭くなり、農道のようになり、しかも分岐点がたくさんあり、とうとう自分の位置がわからなくなってしまった。たぶん、標識を見落としたんだろう。

車を止めて地図とにらめっこ。そのとき、車のヘッドライトが近づいてきたので、道を聞こうと、車を降りて、手を挙げ「すみません」と声をかけたが、そのまま猛スピードで走り去った。突然霧の中から現れた男に警戒するのはわかるが、一番助けてほしいときに素通りされたショックは大きかった。

適当に走っていたら、ようやく県道に出た。でも霧はますます深くなり、ちょうど路肩のパーキングがあって大型トラックも止まっていたので、そこで寝ることにした。これ以上進むのがいやになった。
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今朝は6時半に出発。あいかわらず霧は出ている。国道19号線を北上。霧が晴れると、周りの山々は紅葉真っ盛り。燃えるような紅葉の中を走る。川にそった道で、ところどころに町や集落がある。道の駅も多かった。2ヶ所で止まって休憩。落ち葉に水滴が付いていて妙にきれいだったので、思わずネイチャーフォトグラファーになる。

長野県松本市に着いたのは午前11時ころ。そこから安曇野を目指した。30分くらい。安曇野は盆地になっていて、明科町の山に登ると俯瞰できる。山の名前は、「長峰山」。ただ、午後は逆光になってしまい、北アルプスの山並みがよく見えない。穂高岳、常念岳などが見えるはずだったが、残念。紅葉だけは特別きれい。
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夕方、撮影ポイントを探して、日暮れまで写真を撮る。山を背景にソバ畑が広がっているところがあった。ススキも夕日に輝いている。ちょうど、日本風の建物も建っていた。犬を散歩に連れた地元のおじさんが、今朝は山がきれいだったよ、と教えてくれる。今年はもう霜が降りた。気温は0度まで下がったらしい。明日はどうでしょうか?と聞くと「きっと晴れるさ」

これから山梨経由で、埼玉へ帰る。たぶん到着は、明日の夜かな。もし、途中で写真に手間取れば、もう一泊どこかでしようと思う。いよいよ、最終日だ。事故だけは起こさないように。昨日、今日、事故現場を3回見た。いずれも軽かったようだが。

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2005/11/03

宇治茶の里。文化の日

11月3日(木)、曇り

昨日の夜は、また、亀山市の道の駅に泊まった。今朝は、7時に出発。亀山では今日祭りらしい。神輿か山車の準備中だった。

京都から、宇治川を目指す。宇治川沿いに走る道。峡谷は紅葉が始まっている。どんよりとした曇り空だが、たまに日もさす。すると紅葉がもっと鮮やかになって、川面に映る。
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宇治は茶で有名。どこに茶畑があるのだろう?と、きょろきょろしながら車を走らせた。そして迷って入り込んだ宇治川の堤防の道で一休み。通りかかったおじさんに茶畑はどこですか?と聞くと、なんと堤防脇が全部そうなのだった。俺の地元、埼玉県狭山茶の茶の木と比べると、背が高い。上から撮った後、下に下りて、茶の葉のアップを撮っていると、そこの所有者のおじさんがあらわれた。「かってに撮ってすみません」と声をかけると「いいですよ。どこからでも撮ってください」

この人物は、宇治茶撮影にはうってつけの人物であることが、話しているうちにわかった。Yさん。俺の勘もまんざらではないなと思う。棚田とか段々畑を撮っているからだろうか、なんとなく、茶畑のある場所とか、どういう茶畑がいいのか、勘が働くようになったのだろう。

「宇治茶」は全国的にも有名だが、栽培面積でいうとそれほど多くない。今、宇治茶の栽培面積は、約80ヘクタールだという。鹿児島の茶栽培は増加の一途だが、一軒が80ヘクタール持っている農家もあるとのこと。ただ、宇治茶は抹茶の原料になる、開いたまま乾かす「たん茶」だ。その栽培の仕方も、肥料をまくのも、茶葉を摘むのも手作業でと、伝統を守っている。しかも、宇治茶には、日よけが必要で、Yさんは、昔ながらのやり方、よしずをかけ、上から藁で覆うという方法にもこだわっている。究極の宇治茶を作っている農家の一人といってもいいようだ。
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最近、日本茶ブームだが、儲かっているのは一部大手メーカーだけ。その茶葉とは種類が違うので、Yさんはそのブームを横目で見ているが、でも、全般的に日本人の抹茶離れは進んでいる。なんとかしたいなと考えている。たとえば抹茶のサプリメントを作って売り出すこと。健康ブームもあるし、茶が健康にいいというイメージは、すでに日本人に浸透している。あとはきっかけだ。でも、なかなか資本がないとできないのが悩み。俺は、そのサプリメントの話を聞いて、それはいい、と思った。ただの抹茶としては今の時代売るのは難しいかもしれない。でも、サプリメントなら売れるんではないだろうか。もともと茶は薬だったんだし。と、人事ながら、Yさんにはがんばってもらいたいと思う。
ところで、茶の収穫は1年に1度。5月だそうだ。また収穫の時期に来ますよと約束して分かれた。

国道1号線に戻り、草津から8号線に折れ、北上。長野を目指しているのだが、今日はどこまでいけるものやら。

今日は「文化の日」。たまたま昨日聞いたラジオのニュースで、フランス議会が、フォアグラの伝統を守ると可決したという。どういうことかというと、一部動物保護団体から、フォアグラを作るのに、無理やり餌を食べさせるのは残酷だからやめるようにと抗議を受けているそうだ。でも、議会は「これはフランス食文化である」として、満場一致で保護法案が可決されたという。俺は、フォアグラなんて特別好きでもないが、フランス議会に味方するね。

よく、こういう問題が出る。「鯨を食べるな」「犬を食べるな」「生の豚肉を食うのは野蛮だ」などなど。食文化にはそれなりの歴史と理由がある。それを、「動物保護」の御旗で反対するのは、逆に文化に対する理解の無さに映るんじゃないだろうか。もちろん、問題は動物保護主義者の過激派なんだけどね。一般の動物保護主義者が悪いといっているんではない。それは誤解なきよう。

文明と文化、というのがある。文明とは、技術的なことをいうことが多く、文化は、精神的なニュアンスを含んでいる。ある人は「文化とは、気持ちのいいことだ」みたいなことを言っていた。その通りだと思う。その土地その土地で長年かけて培ってきた生活全般のやり方で、そうすることで精神的な安らぎ、気持ちのよさも感じる。だから、他の土地(文化)の人から見たら、「野蛮」と映ったとしても、それなりに理由があるんだろうなと、想像する。ただ自分の文化の価値観だけで判断せずに。でも、これだけ国際的になると、固有の文化も変化していくことになる。「俺の文化だから文句は言うな」と開き直るのもどうかと思う。そこは、バランスが大切だ。

タバコも、文化として考えて、俺は吸い続けているが(ほんとか?)、これだけ健康に気を使う文化が盛り上がって、「タバコは嗜好品」から「タバコは毒物」と変化してくると、人の目の前で煙を吐くのも悪いなと、俺も少しは考えているよ。

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2005/11/02

宍道湖から鳥取砂丘

11月2日(水)、晴れ

道の駅は、宍道湖に面していた。朝6時50分ころ目がさめて湖畔に散歩にいったら、ちょうど太陽が昇ったところで、靄がかかった湖面は曇りガラスのようだった。警報機の音がして、2両編成の黄色い電車が通った。湖面の青とのコントラストを考えてのデザインだろうか。なかなかいい。

市内は徐々に朝のラッシュ状態。市内を抜けて5kmくらい行くと、有名な「矢田の渡し」がある。この渡し舟は、朝夕の通学通勤時間に合わせて運航されているらしい。渡し舟は、ちゃんとしたエンジンで動く近代的な船。どうしても、船頭さんが櫂で漕ぐイメージがあったが、今時そんなものはないのだろう。片道一人40円。watashibune


しばらく待っていると、川幅約250mの対岸に女子高生たちが自転車でやってきた。南側から北側へ渡るお客さんのほうが多い。彼女たちが自転車といっしょに乗りこむ。桟橋を自転車引いていく彼女たちの写真を撮っていると、中国雲南省の南、西双版納のガンランバ村を思い出した。そこにはメコン川の渡し舟があり、やっぱり朝夕は行き来が多く、自転車引いたタイ族が桟橋をわたって、船に乗り込むシーンを撮ったことがあったのを思い出した。渡し舟って、風情があっていいよね。

カメラを持った怪しい中年を見て、彼女たちはくすくす笑っていたが、女子高生を撮るのが目的ではなく(そもそも、ほとんどの客が女子高生とは知らなかったし)、あくまでも、渡し舟であり、渡し舟を日常生活で使っている「文化」を撮りに来たのであって・・・。と、あまりここで言い訳がましいのも、なんとなく怪しいのでやめる。女子高生たちも、ちゃんと目的はわかってくれるだろう。

ひたすら、東へ向かう。日本海沿いの鳥取までの道は、車の量も多くないし、広さもあり、走りやすかった。道の駅が3ヶ所あったが、その中のひとつは、韓国風の建物や庭園があった。店で梨を買い、韓国庭園で食った。

鳥取市を過ぎて、海のほうへ向かうと、すぐ鳥取砂丘だ。今回の目的には入っていないが、まだ行ったことがないので、ついでに寄ってみた。道を挟んで駐車場がたくさんあったが、左側のは「有料」と書いてあり、右側のは「無料」と書いてあったので、右側に止めた。別にこれだけなら書く必要もないのだが、「有料」に止めている車もあり、どうしてなのか?と、細かいことだが気になった。砂丘まで、「有料」のほうが、50m近いメリットはあるのだが。(平日だけ無料なのだろうか)
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砂丘は人の足跡だらけだったが、風が吹くと消えるという。そのとき来れば風紋がきれいらしい。さすが有名な観光地で、馬車や、ラクダもいた。砂丘の上までは大変そうだったので、行くのをやめた。望遠で覗いたら、砂丘の急斜面を両手にストックを持って上っているように見えるおじさんがいた。スキーの練習だろうか。

国道9号線に出て、東へ。途中、温泉町など、温泉街道といってもいいくらい、温泉が多いところだ。そのなかで、たまたま看板を見て道を進んでいくと、真新しい建物があった。兵庫県養父市、関宮温泉の「万灯の湯」という。600円。もちろん、露天もジャグジーもある。休憩室も落ち着ける。ずっと胡弓の中国風音楽がBGMで流れている。露天風呂につかり、空を見上げてこの音楽を聴いていたら、なぜかジーンときてしまった。のんびりして、いいところだ。

京都を目指して9号線をいく。

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2005/11/01

出雲

11月1日(火)、晴れ

国民宿舎で朝風呂につかる。出発は9時半。ひさしぶりにのんびりするとこができた。宿の裏手が神西湖で、湖畔をすこし散歩。ここではしじみ漁をするらしい。その姿はなかった。朝だけかもしれない。
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国道9号線で、出雲市に戻り、ここの周辺の築地松散居集落の写真を撮る。築地松(ついじまつ)というのは民家の西と北に植えた防風林だ。独特の景観。ハウス栽培で仕事をしていたおばさんによると、昔はどこの民家もあったらしい。おばさんのところもあったが、松食虫にやられて枯れて、切ってしまったという。だんだん築地松も少なくなっているそうだ。

車で走って残っている民家を探す。たくさんあるが、確かに、ない家もある。
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宍道湖沿いに快調に走り、松江まで。広々とした湖の風景、開放感がある。松江ではカメラ屋を探し、フィルムを買い増した。デジカメと両方使っている。まだ、どちらも必要だ。デジカメだけで撮るにはまだ不安が残る。デジカメで撮影したものは、すぐパソコンで開いてみてみる。確認できるのはいい。でも、便利だが、長年フィルムでやってきたので、こっちのほうが確実に撮れているような気もする。

宍道湖の夕日の撮影をする。秋の夕日が一番美しいのだそうだ。今日はとくにいい条件だったのではないだろうか。沈む太陽は神々しささえ感じさせる。アマチュアカメラマンや観光客が、100人は集まった。

今日は、宍道湖の北にある道の駅「秋鹿なぎさ公園」で泊まる。今日は、一番走行距離が短い日になった。

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広島、牡蠣の養殖場

10月31日(月)晴れ

昨日は松山を通り越して、波方までいき、そこから竹原までフェリーに乗った。所要時間1時間半。竹原についたのは午後9時だったが、それから、広島の南にある能美の、牡蠣養殖場へ向かった。夜明け前から撮影するために、無理をしても能美についていたかったからだ。ちょっときついががんばって運転。能美に着いたが、ただ暗くてまわりがさっぱり見えないので、適当な場所で車を止めて寝た。

そして今朝6時に動き出した。だんだんと明るくなっていく海。海岸沿いにも筏があるのがわかった。筏の下に牡蠣がぶら下がっている。これが牡蠣の養殖か。船がいくつか、筏の脇に止めて作業をしている。見ていると、クレーンで牡蠣を引き上げ、船に積んでいくのがわかった。高さ10メートル以上はあるだろう。そして大きな鋏のようなもので、牡蠣を落としていく。この作業は、明け方が多いという。
kaki

湾を俯瞰できるところを探しながら、車を走らせる。写真を撮っていると、おばさんから話しかけられた。埼玉から来たといったらびっくりしていたが、「あそこに行ったらええですよ」と勧められたのは、「宮島」。(厳島のことらしいが) 上からの展望は抜群らしい。ただ船で行かなければならない島なので、今回はやめた。その宮島の形は、ここから見ると、女性が横たわっているようなシルエットで、おばさんは「ここは女神の島です」という。伝説では、仲のいいカップルが行くと、分かれてしまったり、子供を持った親が行くと、子供と別れることになったりと、「たたり」があったらしい。昔の話だろう。おばさんの話し、あまり聞き取れなかったので、どうして女神が棲む島へ渡ると、「不幸」になるのかよくわからなかったが、なんとなく、そんな伝説があってもおかしくないような雰囲気ではある。

1ヶ月ほど前、「ビレッジ」という映画を見た。(※まだ映画を観てなくて、これから観ようと思っている人は、ここは読まないでください。ストーリーを書いていますので) 村の周囲にある森には魔物が棲むと教えられていたが、実は、理想郷を作ろうとした長老たちが世界から隔離された村を作り上げ、若者に外の世界を見せたくないために、その結界である森に魔物がいて、入ったら殺されるという伝説を作り上げていたのだった。この映画、賛否両論あるようだが、俺は面白かったよ。

この「宮島」の伝説も、ここに住む人たちを何かの理由で行かせない大人の知恵だったのかもしれない。カップルが行くと、逆に快楽の島だったりして。もちろん昔の話だけどね。今は情報がすぐに伝わってしまうので、誰も信じないだろうから。

能美からさらに南下し、倉橋の段々畑に寄ってみることにした。島の南端まで行くと、橋が架かっていて、それを渡ると鹿島。集落がいくつかあり、段々畑もあった。一番奥の集落は、なかなか赴きがあった。小さい漁港と、民家と、段々畑。村自体も狭い路地が入り組んでいて、干物などが干されている静かな漁村。ラジオからはNHKの国際放送の中国語ニュースが流れていたので、まるでここが日本ではなくて中国の漁村のような気がしてきた。
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写真を撮っていると「いいのが撮れました?」と、男に声をかけられた。この段々畑も、やる人がいなくなって、荒れてきているらしい。石垣が崩れたところも、そのままになっていたりする。昨日、愛媛県西海の石垣の里でもおじさんが言っていた。あそこも、たくさんあった畑がなくなって、森に戻っている。必要なくなれば、消えていく。それもひとつの運命。人が使ってこその景観だ、俺が興味を持っているのは。記念物でもなく、歴史的文化財でもなく、大自然でもない、実際、人が今でもかかわっている景観だ。人が生活で作り上げてきた景観。それが結果として美しいところになっている。それが面白い。そして、日本には、そういうのがまだまだたくさんある。ニッポン、ニッポン人て、こういうところ、こういう人たちなんだなと、漠然とだけれど、わかってくる。

鹿島をあとにして、途中のみかん畑の前にあった販売所でみかん(上野という品種らしい)15個くらい入って300円で買った。おばあさんは3個おまけしてくれた。呉市に戻り、国道375号線で中国山地を北上。三次までは車も少なく走りやすい道路。赤や黄に色付はじめた森と集落が美しい。三次から国道56号で出雲を目指す。

さすがに昨日、今日は強行軍だったので、出雲では国民宿舎「国引荘」に泊まることにする。

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