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2006/09/24

手で触れられるボクの居場所

060924
(写真は新橋のビル群)

ビルの窓拭きのバイトをしていたという話は、昨日も触れましたが、今日はある感覚の違いについて書いてみます。

ビルの窓拭きは命がけの仕事でした。でも、このアルバイトは性に合っていたらしく、ずいぶん長く続けていました。いや、このバイトがなかったら、旅をして写真を撮るということはできなかったでしょう。2ヶ月休んで旅に出ても、また帰国したら雇ってくれたし。そして実労時間は短く、午後早くには仕事が終わってしまうことも多く、そんなときは都内の写真ギャラリーをまわることができたのです。社長には今でも感謝しています。

このバイトでとくに好きだったのは、品川駅前のパシフィックホテルの屋上36階から眺める「下界」の現実感のなさでした。こういうバイトしていると、「怖くないんですか?」とよく聞かれます。でも、36階になると、かえって怖くなかったですね。下に見える車や人が、玩具や蟻ん子に感じます。自分と彼らはどこかで断絶していて、違う世界に感じるのです。むしろ、10階くらいが一番怖い。

みなさんも、飛行機に乗っているときはそうでしょう。ただ、俺は飛行機の離着陸のとき、車輪になって(車輪の近くに張り付いている自分を想像して)、滑走路の凹凸を感じることはありますが。

そこに俺はあることと似ているなぁと感じています。

東京でもいつか巨大地震は起こるとずっと言われていました。(もちろん、今も) ただ、「今じゃない」、「今日じゃない」、「たぶん明日でもない」と思っていますよね。でも、「いつやって来てもおかしくない。今、来るかもしれない」という反対のことも、ちゃんと頭ではわかっているのです。

10年後にはすでに起こっているかもしれないと思うでしょ? 100年後ならもっと確実でしょう。でも、明日くらいまでは「ない」と信じてしまう。どうしてなんだろう?

「未来」に対するふたつの違う感覚が、共存しているのではないでしょうか。そこがどうも、高層ビルで眺める下界に現実感がなくなる感覚と俺には同じなのです。高層ビルは「空間」で、地震の方は「時間」という違いはあるけれど。自分の手で触れられそうな「未来」と、触れられない「未来」とでも言うんでしょうか。

人間は飛行機やロケット、電話やインターネットで、活動範囲が「広くなった」と感じていますが、実際の生活では、どんなに遠くのことを想像しても、手で触れられる「ヒューマンサイズ」の範囲のことしか本当はわかっていないのではないでしょうか。このブログが、地球の反対側のブラジルで見ることができて、実際見ている人がいると知っても、あまり現実感はないし、汚くて狭い部屋で、このキーボードを打っていることしか俺の体は知らないんです。これは空間の話ですが、時間に関してならなおのこと。「過去」はわかるけど「未来」はだれにもわかりません。

たぶん、、手で触れられそうな「未来」には責任を持たなきゃならないことを気がついているから「地震はない」ということにしておかないと、とんでもないパニックに陥ってしまう。でも、触れられない「未来」には、責任も感じなくてすむので、「地震は確実に来る」と断言することができる。俺たちは、ある範囲、つまり「ヒューマンサイズ」を越えたものに対して、現実感をあえて持たないようになっているのかもしれないですね。じゃないと、頭がおかしくなってしまいます。飛行機になんか乗れなくなってしまいます。精神の自己防衛手段でしょうか。


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