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2007/05/31

2007初夏、車中泊の撮影旅(12) 島根県石見銀山

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5月31日、木曜日、曇り

昨日の夕方、出雲大社から、国道9号線で多伎町へ。ちょうど、「いちじく温泉」という看板を見つけて入った。400円。露天風呂もある。癖のない湯質で、長風呂が気持ちいい。

お湯から上がって休憩所のテレビを見ていたら、今日行こうとしていた、石見銀山のことをやっていた。

近くの道の駅、キララ多伎に泊まる。

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そして今日31日、午前7時に道の駅を出る。大田市から県道46号線、山陰道で、石見銀山のある大森に。Pのマークに導かれてたどり着いたのは、大きな駐車場。今、博物館が建設中。ここに車を停めて巡回バスで銀山跡にも行けるらしい。でも、結局大森まで戻り、銀山公園の駐車場に車を停める。

まだ8時前なので、ほとんど観光客もいない。静かな大森の街を歩いた。観世音寺の境内から町並みを望む。

小さな商店があったので、メロンパンとコーヒーを買った。すると、店の主人が「寒いですから中でどうぞ」といってくれた。店の奥には椅子があり、ストーブが燃えていた。たしかに今朝は寒く感じる。

主人のおじいさんは、来年で90歳を迎える大正生まれ。顔の色艶も良く、とても元気で、89歳とは思えない。昔は、徴兵検査があって、鍛えられたし、好き嫌いがないので風邪もひいたことがないという。今の若い人は、根気がないというか、持久力がないというか、理屈だけいって、行動が伴わないという。主人からみたら、俺もその「今の若い人」に入るかもしれないが、耳が痛い話だ。

この銀山は大正12年に廃坑になった。それまで賑わっていたらしい。今は、世界遺産に登録申請準備中。地元の人は、賛成する人もいるし、反対する人もいる。比較的若い人は、賛成らしい。やっぱり観光客が増えて、にぎやかになることを望んでいる。反対する人たちは、うるさくなることを心配する。まぁ、今でさえ、平日でも昼間は観光客がたくさんやってくるところだが。

主人は「ゆっくりしていってください」といって、お茶を出してくれて、どこかにいってしまった。俺が店番? その間お客さんはこなかったから良かった。

しばらくして主人が戻ってきた。銀山の観光地図をくれた。この先、町並み交流センターというところに行けば、ビデオも見れますとのこと。それで主人にお礼をいって、さっそく行ってみた。

その建物は、旧大森区裁判所だった。中に入ると、いろんな資料展示と、銀山や町並み保存に関するDVDを見れる席もあった。俺も石見銀山について、にわか勉強をする。

銀山が発見されたのは、「銀山旧記」によると、1309年(鎌倉時代)で、自然銀を採取していたらしい。本格的な採掘は、1526年に博多の商人神谷寿禎が発見してからとのこと。戦国時代は、軍資金としての銀の価値が高く、争奪戦が繰り広げられた。16世紀はじめまで、銀を輸入していた日本だったが、1528年には輸出するようになった。17世紀全般の最盛期には、日本の銀生産のかなりを石見銀が占めていて、しかも世界の3分の1を日本が占めていた。当時石見銀山は「佐摩(さま)銀山」とも呼ばれていて、外国では石見銀のことを「ソーマ銀」と呼んでいた。(以上、パンフレットからの抜粋)

銀山公園から約2km奥に、一般公開されている坑道「間歩」がある。龍源寺間歩だ。1715年に開発され、なんと昭和18年(1943年)までの228年間掘り続けられた。

入場料400円。中に入るとヒヤッとする。当時、ノミで削ったあとがそのまま残っている。狭い間歩もたくさん空いていたが、どうやって掘ったんだろうと思うような、狭い間歩もあった。こうした山の中での過酷な労働が、日本の貿易を支え、今に至っていることを考えると、銀山跡という、「なんだか地味な世界遺産候補だなぁ」と思っていた俺の勘違いが恥ずかしくなる。

実際入ってみると、わかることがある。ベトナムのクチのトンネルもそうだった。こんな狭いところ、じめじめするところに長期に住んで戦えるベトナム人はすごいと思った。ベトナムがアメリカに負けなかった訳が、トンネルに入ることで、政治的とか、戦術的とかいうのではなくて、生理的にわかったような気がした。汗まみれになってトンネルを出ると、そこに冷たいコーラ売りがニコニコして待っているのが、またベトナム人のすごさかなぁ。

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2007/05/30

2007初夏、車中泊の撮影旅(11) 岡山県蒜山高原、鳥取県三朝町穴鴨棚田、島根県美保関、平田市漁村、出雲大社

070530
5月30日、水曜日、晴れ

昨日の午後は、用瀬から国道482号線で西に進み、佐治村に。辰巳峠の手前は、いくつかの集落と棚田があった。こじんまりとした棚田。わずかな土地でもなんとかコメを作りたい。なんだか愛おしくなってくる。ここまでやってしまう、というか、やらざるをえない人間というものが。

人形峠を通り、岡山県から鳥取県に入る。そこは三朝町だ。

下ると、国道179号線との分岐点に突き当たるが、ここが穴鴨の集落。穴鴨には石垣の棚田があると聞いてきたので、どれだろうと探しながら下ってきたが、集落の手前1kmほどのところに、10段くらいの広い石垣の棚田があった。耕作放棄されている部分を含めると、けっこう大きい。人はいなかった。たぶん、ここがそうだろうと確信して写真を撮った。

集落に入って、誰かに訊こうと思うが、人がいない。郵便局があった。ここで訊くことにした。

「石垣の棚田があるそうですが、どこですか?」「石垣の棚田? 聞いたことないですねぇ」 他の局員も「知らないですねぇ」と困った様子。すると女性の局員が「待っててください」といって役場に電話してくれた。それで、さっきの写真を撮った場所が、その棚田であることが判明。

間違いなかった。やっぱりなぁ。さすが、棚田に関しては、勘が鋭くなっている。「埼玉から来たんですよ。ありがとうございました」「それはご苦労様です」

国道482号線を南下し、途中ショートカットして、八束村に抜けた。ここは蒜山高原。山側を走る。道の駅ひるぜんがあった。ここで牧場の場所を聞き、さっそくいってみた。途中、中蒜山と下蒜山が見える開けた場所があったので写真を撮った。すると、そこを通りかかった登山スタイルのおじいさん。

「いい写真機だねぇ」「そうでもないです」「登山ですか?」「うん、あのふたつを上ったよ。6時間かかった」「すごいですね」「今朝、新見から車で来て、駐車場に停めて上った。この先だ。にいさんどこまで?」「車で送りましょうか?」「悪いねぇ」「でも、車の中は汚いですよ」「汚くても平気だよ」

後ろはマットを敷いてあるし、急いで助手席を整理して、人が乗れるスペースを作った。普段は靴とゴミ置き場になっている。

駐車場までおじいさんを送ったあと、牧場へ。広々とした牧場。爽やかな風が吹いている。残念ながら、牛も馬も、放牧の様子は見れなかった。でも、草原と蒜山の広々とした写真は撮ることができた。

山を降りて、また国道482号線に戻った。そこが川上村。道の駅風の家があるので、ここ泊まり。田んぼに囲まれた駐車場。静か。でも、わからないよね。午前3時までは。(今日初めてこのブログをご覧になった方は、26日の分をお読みください)

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そして今日は、30日。夜中雨。

岡山県川上村の道の駅を出るときは雨は止んでいたが、走り出したとたん、大雨と大風になった。厚い雲で暗い。大雨の中、山道を運転するのは気持ちよくない。峠を越えると、また鳥取県だ。米子市へ向かう。

地図を見ていたら、米子市の手前に「小野小町の墓」とあったので、注意して運転していたのだが、標識らしきものは見当たらなかった。見過ごしたか。この前、秋田県で「小町堂」へいったので、つい気になった。どうしても見たいわけでもなかったので、そのまま米子市に。

美保湾の弓ヶ浜沿い、国道431号線を行くと、境港市。「げげげの鬼太郎」でおなじみの、水木しげるロードがある街だ。

水木さんとは、14年ほど前、雲南省の取材旅行に同行させてもらったことがあった。暗くなった大理の町角で、水木さんが、暗闇に向かってシャッターを切った。さすがだなぁと思ったね。暗闇に潜む幽霊を撮ったのかな。でも、それは違うことを、あとで知った。ストロボの光が、遠くまで届かないことを、あまりご存じなかったようだ。戦争を体験している人だから、どんな環境にも動じない。汚いトイレもなんのその。とにかく、エネルギッシュな行動ぶりに、同行していた俺たちは感心したのだった。本人自身が「シャーマンになりたい」といっていた。もうなったのだろうか。

境港市の鏡水道大橋を越えると、対岸が島根県の美保関町だ。美保神社で安全祈願。鳥居のところにいた地元の男の人の話では、昔、海は鳥居の下まできていたという。海が埋め立てられて、車道ができた。青石畳通りが昔の参道だ。青っぽい石畳が昔のままで残っている。雲南の麗江古城を思い出す。俺がいう「雲南」は「中国雲南省」のことだが、このあたりで雲南というと、たぶん、宍道湖の南にある「雲南市」のことだと思われるだろう。合併して新しくできた市ではなかたかな。

美保神社から250mほど青石畳通りと進むと、仏谷寺に突き当たる。戻って、通りの写真を撮っていると、プロパンのボンベを運んでいる地元の奥さんが話しかけてきた。

立ち話で、20分くらいその場にいたが、その間、ふたりのおばあさんが通りすぎただけ。静かだ。

奥さんは言う。「昭和30年代、40年代初めまで、毎日人がたくさん来ていましたよ。そりゃぁもう、当時は賑やかだったですねぇ。みんな境港までJRで来て、汽船でここにやってきました。船が便利だったんです。とくに、田植えが終わった、今ころの時期ですね。美保神社に豊作をお祈りに来てましたよ。今は、車の道も広くなったし、境港から橋も架かったので、みんなここに泊まらなくなったんです。日帰りできるようになりましたからねぇ」

「でも、地元の人には、便利になった感じがしますか?」「初めは道もできて便利になったと思いましたが、若い人たちは、もっと便利なところ、便利なところといって、都会に住むようになってしまいました。若い人たちは出て行ってしまったんです。車社会になって、ここは変わってしまいました。でも、ここだけじゃなくて、どこも若い人たちは同じでしょうけど」

「日が出てきましたね」「晴れましたね」「いやぁ、長々と話をしてしまって」「いえ、いろいろ話を聞かせてもらって、ありがとうございました」「お気をつけて」

奥さんが歩いていったのを見送り、また写真を撮り始めた。そのとき、軒先に置いてあった大きな茶色の瓶の水に太陽光線が当たって、赤いものが動いているのが目に入った。なんだろうと覗いたら、小さな金魚が泳いでいた。

美保関を出て、国道431号線を西へ。大都会松江市を通過し、宍道湖の北側に沿って走る。道の駅で休憩、兼、原稿書き。

国道431号線から、県道23号線に入る。ところが、日本海に出るまでの2、3kmの区間、2度と通りたくないような狭い道だった。対向車がなくてよかった。これじゃぁ、普通車の大きいのは通れない。道を間違えたかなと思ったくらいだ。海沿いに出て、ようやく安心。たぶん、どこかに迂回路があるんだろうが。

そして小伊津という漁村に着いた。入る手前、高台から見て、あっ、これは、と思うくらいすごい村だった。2階か3階建ての家々が、斜面に建ち並んでいるのだが、一塊の複雑な城塞都市のようにも見える。

港周辺は広々としている。最近作ったらしい公園まである。昔は、民家が海まで迫っていたのかもしれない。もしかしたら、1階部分が、舟屋のように、船を収納するガレージだったのかも。(確かめたわけではありません)

食事でもと思って来たのだが、残念ながら食堂のようなものは見つけられなかった。上から見たとき屋根に「民宿」の表示は見たような気がするが。

小伊津から平田市に出る。そこから国道431号線で、出雲大社へ。数年前、巨大な注連縄を撮りに来たことがある。棚田百選をまわっているときだ。稲作文化を象徴する「形」のひとつだと思う。それにしても、どのくらいの量の稲藁が必要になるのだろうか。

出雲大社から南に下り、国道9号線に出て、西へ進む。今日は、多伎町の道の駅、キララ多伎の泊まる。


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2007/05/29

2007初夏、車中泊の撮影旅(10) 日高町蓼川堰、出石「乙女の湯」、智頭の板井原集落

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5月29日、火曜日、晴れのち曇り

来月6月26日から、池袋(JR目白駅からの方が近い)の本屋さんのギャラリーで写真展をやります。入場無料です。写真パネルと、DVDのスライド映写による、棚田を感じる空間を創ります。1ヶ月前ですが、忘れないうちに、宣伝を始めます。開催中、スライド&トークショーもあります。こちらは、お茶と棚田米のおにぎりが付いて1000円です。予約が必要です。詳細は、ホームページを見てください。

写真展『棚田を歩けば』のページ

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さて、車中泊の撮影旅は、今日も続きます。昨日の午後の話から。

兵庫県豊岡市から、円山川に沿った国道312号線で日高町まで。ここの蓼川堰を探す。でも、探すまでもなく、堰は、丸山川にあった。ここで取水して田畑に水を供給している。撮ればいいという写真なので、時間はかからなかった。

近くの温泉を探して地図を見た。そしたら、日高から10kmほどのところに、出石があった。今朝、岐阜からの夫婦がここに行くといっていた。「但馬の小京都」と呼ばれているところだという。ここに「乙女の湯」という温泉があった。行かねばなるまい、「乙女の湯」。名前にひかれる。

こじんまりした施設だが、露天風呂もあるし、休憩所もゆっくりしているし、悪くなかった。入るとき、脱衣所の中から女性の声が聞こえたので、女風呂と間違えたと思い、番台の女の人に、「ここ男ですか?」と訊いたら「女の人の声に聞こえるでしょ。男の人だから大丈夫」といった。

脱衣所に入ったら、その声の主は、たしかに普通のおっさんだった。声が甲高いだけだった。なんだ、紛らわしい。「乙女の湯」なんていうから・・・。

県道2号線で、八鹿に出て、養父町の国道9号線の道の駅、但馬楽座に泊まる。

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そして今日は、29日。

兵庫県養父町を出て、県道6号線で西へ。お城のような立派な民家に朝日が当たってきれいだったので、写真を撮る。

田んぼの見回りに来ていたおじさんと話す。このあたりでのコシヒカリを作っているが、コメは金にならないから駄目だよ。今は他にほうれん草を作っている。向こうの山の上だがね。埼玉からかね。これからどこへ? 智頭かね。気をつけてな。

大屋町で、48号線に入りさらに西へ。若杉峠を越える上り坂の途中、最後の村の上のほうに、耕作放棄された棚田があった。

棚田を撮ったあと、カーブを回ったら、なんと目の前に鹿が5頭。たぶん小鹿だ。すぐに逃げていくわけではなかったので、あわてて車を停めてカメラを持って出たが、下の藪に隠れた。ブレてはいたが、3枚だけ、かろうじて写っていたが。動物カメラマンではないので、下手なのは勘弁してください。(と、言い訳)

峠を下ると、国道29号線に出る。それを鳥取方向へ。戸倉峠のトンネルを抜け、しばらく走り、道の駅はっとうで休憩。歯磨きしているおじいさんが車から出てきたので話しかけたら、彼らは宮崎県からやってきたが、奥さんとふたり、車中泊で日本一周するつもり。あと、1ヶ月か、2ヶ月か。時間に追われると、見た気がしないとのこと。うらやましい。時間が無制限にある人にはかなわない。

そこに地元のおじさんが加わった。彼も仕事が休みのときは、車中泊で旅行しているという。彼の話では、以前,車の中に畳を敷いている人を見て、自分もイグサの匂いのする敷物を敷いて寝るようになったという。「そのほうがゆっくりできるから」 日本人だね。俺もそうしようか。和風に改造。いや、今も布団で寝てるから「和風」といえば「和風」なのだが。

八頭から国道53号線に出て南下する。智頭へ。

ここに板井原集落というのがある。町から4kmほど山の中に入ったところ。伝統的建造物群保存地区になっている。昭和30年代の農村の様子をそのまま残している集落だ。

平家落人の隠れ里として伝えられている。大部分の建物は、築50年を越えていて、中には、約270年も経ったものもある。雲南省の村をトレッキングでまわっていたころを思い出す。こんな感じ。

村の中は、「六尺道」という幅2m弱の道が通っているが、これがオリジナルの道。今は、車道もある。道に長さ1m以上の蛇が。なかなか動かないので記念写真。この暑さでぐったりしているようだ。俺もぐったりしたいよ。

観光客は、村から200mはなれた駐車場に車を停めて村に入っていく。喫茶店もあったが、残念ながら日曜だけ。今日はひっそりとしている。水路の水音が涼しげだった。

智頭に戻り、さらに国道53号線を南下して、大屋の杉林を見に行く。大屋の村に入ったとき、おばあさんたちがいたので、道を聞いた。それは、20年ほど前までは棚田だったらしい。そこに杉を植えたので、今はうっそうとした杉林になっている。おばあさんたちも、そこが棚田だったとき、弁当を持って手伝いにいったのを覚えている。民家もあったくらいだから、けっこう大きな棚田だった。

いってみたら、かろうじて棚田の石垣が残っていたが、気をつけてみないと、棚田であったことはわからない。うっそうとした杉林だ。

また智頭に戻り、食堂で食事後、用瀬まで北上し、このブログをアップし、国道482号線で西へ進む。

九州までは遠い。

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2007/05/28

2007初夏、車中泊の撮影旅(9) 京都府伊根の「舟屋の里」、兵庫県城崎

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5月28日、月曜日、曇りのち晴れ

昨日の午後の話から。

福井県から、国道27号線で、京都府舞鶴市。そこから、若狭湾を北上し、国道178号線で、伊根町まで。ここには、「重要伝統的建造物群保存地区」の「舟屋の里」がある。舟屋は、1階が船のガレージで、2階部分が住居になっている。現在でも230棟の舟屋が伊根湾の海岸沿いに建ち並んでいる。

道の駅の展望台から、その舟屋が並ぶ様子がよく見える。実は、数年前、伊根町の棚田を撮りにきた時もここに立ち寄ったが、そのときは、写真を撮っていない。でも、すごく印象的は風景で、ぜひいつかまた来てみたいと思っていた。

着いたときは、夕日が落ちる直前で、舟屋に少しだけ日が当たっていた。写真を撮るそばで、いい匂いを上げているカップル。大阪から来たという。地元のスーパーで魚を買って、コンロで焼いて食べていたのだ。

「ここに今晩泊まるんですか?」と、期待を込めて訊いたら「最近は、道の駅は怖いから・・・」と彼らはいう。それで俺は「実は・・・」と、おとといの朝の、例のバイクの一件を(自慢げに?)しゃべった。すると「トラウマになったんじゃないですか?」と言うので「その通り。今日はバイクの音がするだけでビクッとします」と俺は答えた。

伊根湾の夕暮れの写真を撮っているところに彼らがやってきて、親切にも「これ食べてください」といって、焼いたハタハタと缶コーヒーをくれた。「絶対断ってはいけない」が掟なので(いつの間に掟になったんだ?)遠慮なくいただく。「気をつけて」というので「えっ? ここに泊まらないんですか?」と俺が寂しそうにいうと「今晩は他にも泊まる人たちいるようですよ」と慰めてくれた。確かに3台ほどが泊まるようだ。今晩は安心して眠れる。(あとでパトカーまでやってきた)

彼らが去ったあと、他の一台の人と話をした。九州を出て、釣りをしながら旅を続けている。もう1ヶ月過ぎた。あとどれくらいで帰るかわからないという。彼の車も軽のワンボックスだが、内装に凝っていて、いろんな収納スペースを作っている。生活必需品とか、釣り道具とかが、整然と並べられていて、一見、「ドン・キホーテ」の店内のようだ。すごい。こういう人がいるんだぁと感心する。

舟屋の上に月が出た。月を眺めながら大阪のカップルにもらったハタハタをいただく。とても旨かった。

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そして、今日は、5月28日。道の駅から、下の漁港の方に下りていく。舟屋を間近に見る。干満の差があまりないから、この舟屋のような建物が発達したという。

舟屋の写真は、こちらにもあります。「2007初夏、車中泊の撮影旅(付録4) 京都府伊根の舟屋」

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伊根の新井にある棚田へいった。数年ぶりだ。ちょうど田植えが終わったばかり。小鳥の声、波の音、田んぼに引き入れられた水音、風の音。気持ちがいい。薄っすらと日が当たった海面がキラキラして、北から南へと流れていく。こういうところで「つぶあん(こしあんではいけない)」のパンの朝食は、至福のときだ。

国道178号線に戻り、丹後半島を半周する。経ヶ岬のあたりは、断崖絶壁の道。岩に砕ける波の音が、上の道まで響いてくる。岬のちょっと先に、袖志の棚田がある。ここも数年ぶりだ。昔来たときは、稲刈りのとき。季節を変えると、また違った印象を持つ。

昨日、道の駅舟屋の里で泊まっていた岐阜県から来た夫婦連れと、抜きつ抜かれつしながら、海の写真を撮りながら進む。彼らは、京都経由で岐阜のほうへ戻り、俺は、国道178号線で、さらに西に進み、兵庫県に入る。

城崎町の河口に近い円山川公苑で川の写真。ボランティアでゴミ拾いをしていた中学生に訊いたら、川をふかんできるところは、向こう岸、町のところにあるというのでいってみた。

城崎の役場に寄る。ここの円山川のヨシ焼きは毎年4月。住民主催で行われている。たまたま対応してくれた職員が、このヨシ焼き保存会と関係がある人物だった。またあらためて話を聞くことに。

近くの公園の展望台から川が見れるというので、役場の駐車場に車を停めさせてもらい、歩いて丘に上った。そこからは城崎の駅と町並みと川が見はらすことができた。そして対岸にヨシ原も見えた。

公園を降りて、ヨシ原までいってみた。車の屋根に上ってヨシ原と川の写真を撮る。朝は小雨もぱらついていたが、気温は快適だったのに、また晴れて暑くなった。たまには曇り空もほしいところ。

そのあと川の右岸を南に走り、豊岡市でケンタッキーがあったので、昼食兼このブログのアップ。

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2007/05/27

2007初夏、車中泊の旅(8) 富山県砺波散居村と、石川県山中

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5月27日、日曜日、晴れ

昨日は、車の修理工場へ午後2時過ぎにいった。作業は1時間半くらい。原稿書きで時間をつぶす。

エンジンも調整してくれた。そういえば、3日ほど前から、カラカラカラという音が気になりだしていたのだが。エンジンオイル漏れほど深刻な不具合ではないというが、九州まで行けなくなったら大変だ。(時間切れになりそうな予感もするが)

でも、整備してくらた青年は言う。「今回の旅行は大丈夫でしょうけど、帰ったら、近くの整備工場で診てもらったほうがいいですよ。錆びた部品があるので、また違ったところから漏れるかもしれません」「オイルが無くなるとどうなるんですか?」「焼けてエンジンが駄目になります」「ブログで旅日記書いているので、もし旅の途中で止まったら、それも書きます」

そうとうガタがきているようだ。一昨日の夕方、77777kmを越えたオンボロ車だ。いつまで走れるだろうか、ちょっと不安になった。

昨日「宮沢賢治」を聴かせてくれたバイクのにいちゃんたちが現れたとき、危機予知能力が備わるなどと書いたが、オイル漏れも、早期発見することができた。やっぱり何かあるんだろうな。普段では気がつかないことでも、旅先では、敏感になるってことが。俺だけではない。みなさんもそうなんじゃないでしょうか?

ようやく、出発できる。途中で止まらないことを祈って。整備してくれたのは、なかなか感じのいい青年だったので、お礼にポストカードをあげた。

国道359号線、471号線を行くと、小矢部市に「クロスランド おやべ」がある。ここに立っているクロスランドタワーは、この砺波平野の散居村を眺められる別なポイントになっている。タワーの料金は400円。ふと、エレベーターのメーカー名に目が行ってしまった。「HITACHI」と書いてあった。

展望台がちょうど高さ100mだ。360度、いい眺め。水の中に農家が浮いているように見える。不思議な光景。

降りてきてから、タワーの係りの女性と少し話した。「このタワーができたのは、1994年。当時と比べると、だいぶ新しい建物が建って、風景が変わってしまいました。黄色になっているのは、麦畑です。タワーができた当時は、ほとんどが水田でしたが、減反で、麦畑に変わったんです」「でも、黄色もきれいですね」「そうですね、今の時期です。夏は何も作ってないので」

国道8号線に出て、金沢市を通過し、国道157号線で鶴来町の道の駅に。

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そして今日、5月27日。

鶴来から国道8号線に出た。それを南へ。石川県南部、山中温泉のある山中へ。ここの東谷地区へ向かった。ある資料に、東谷地区のことが載っていたので行ってみた。何の予備知識も、先入観もなく、その東谷地区に入ったのだが、「ここもいいなぁ」と直感した。

谷沿いに数ヶ村続いていた。家が独特。道端で草取りしていたおばあさんに道を聞いたら、東谷の一番奥に、大土町というところがあるという。そこまで行ってみることにした。

それにしても、こんな山の中に「町」? もしかしたら、隣町のことかもしれない。県道を外れて、「大土町」の標識の方、いっそう細くなった杉林の道を進んだ。こんな先に突然大きな町が出現するのだろうか? そもそも、村さえあるようには思えない。

5分ほど行くと、民家が見えてきた。そして道はそこで終わっていた。ちょうど男の人たちがいたので、「ここが大土町ですか?」と訊くと「そうです」との答え。どう見ても「町」には見えない。ざっと見渡すと10戸ほどだけだ。「東谷地区で、保存活動か何かやっていると聞いて来たんですが」というと、そのおじさんは、「それは、このあたり全部」という。

このおじさんは、区長さんだった。しかも、今日、村人がシャクナゲの木を神社の境内に植え替える作業をするために集まっているのだという。2年ほど前から、この東谷を何とかできないかと、周辺の今立、荒谷、杉水の村といっしょになって活動が始まったところらしい。

ところで「町」というのは、いわゆる「町」ではなくて、「村」というくらいの意味だ。他の村も、今立町、荒谷町といっている。区長さんから集会所の中に案内されたが、そこには、20年ほど前の村の航空写真や、昭和13年に村が全焼して、その再建の様子を写した写真などが飾ってあった。村の上には、30枚ほどの昔ながらの棚田もある。今は、半分が耕作放棄されているが、これからまた復田する予定もあるそうだ。

この「町」には現在4人しか住民はいない。今日集まった人たちは、4人以外、下の方に住んでいて、ときどきやって来ては作業をするらしい。

100年前まで、ここには45戸ほどの民家があった。そのときは、田んぼはなくて、炭焼きと焼畑で生計を立てていた。今杉林になっているところが焼畑だった。

45戸のうち、約半分の戸数の住人が、北海道に移住した。(そこから、埼玉県の所沢に移住した人もいるという) そのあと水田ができた。集会所には、100年前に移住していった北海道の末裔たちが、この村に里帰りしたときの集合写真も飾ってあった。

俺は、全国の田んぼや集落を見ながら旅をしている写真家だと名乗り、区長さんたちに和歌山県の「あらぎ島の棚田」のポストカードをあげた。こんな形の棚田があるのか?と感心していた。「あらぎ島」は、川が湾曲している土地に棚田を拓いたので、あこや貝のような形をしている。

区長さんたちは、ここの民家には煙突が付いているのが特徴ですという。たしかに、民家には煙突が立つ。今はほとんど使われないが、昔は、朝夕と、全戸から煙が上がっていたという。「それなら、煙突から煙を出してみせるイベントをやったら、人が来るんじゃないでしょうか」などと、俺は無責任に提案した。いや、少なくとも、写真に興味がある人は絶対に集まる。この俺が来たいと思うくらいだから。

高台に上がってみた。そこからは村の様子を見渡せる。村の真ん中にきれいな水が流れていたが、その上流には、「大土生水」と書いた、山の水飲み場があった。口に含んでみたら、とても冷たく美味しかった。

棚田の上の方にも行ってみた。区長さんが言ったとおり、半分は使われていない。

村を一回りしたとき、区長さんに「ここは、どうですか?」と訊かれた。「屋根が赤茶色で民家に統一感があるし、なんと言っても、ここにやってくるときの、自然の演出がまるで「桃源卿」のような、狭い道を通り抜けると、こういった空間がパッと広がって、気持ちいいところですね」と俺は言った。別にお世辞でもなんでもない。(良くなかったら、ブログには書かないだけだ) それと、道がこの村で行き止まりというのも、俺個人としては気に入った点だ。

村のところどころに生えている、シャクナゲを掘り起こし、それを神社の境内に運び、植えつける。みんないっしょうけんめいだ。

自分たちの力で、村を良くしようという姿勢に、すでに俺は気持ちよさを感じている。結局、村人自身が「どうしたいのか」がはっきりしていないと、なかなか難しいと思う。特に人の生活が作り上げた「文化的景観」の場合は。持続するものでなければ、意味がない。部外者から強制されてもうまくはいかないだろうし。ここは、そういう意味で、村人自身が「こうしたい」というのも見えるし、一歩一歩だが、着実に進んでいる感じがする。

大土町の写真は、こちらでどうぞ。「2007初夏、車中泊の撮影旅(付録3) 石川県加賀市山中町の東谷地区」

山越えして、隣の杉水町にも行ってみた。ここには蕎麦屋もあり、観光客も足を運んでいるらしい。大土よりも開けた感じ。

国道364号線から、福井市郊外で国道8号線に戻った。鯖江市、敦賀市を経由して、国道8号線から分かれ、西へ進む。


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2007/05/26

2007初夏、車中泊の撮影旅(7) 砺波平野の散居集落と、「宮沢賢治」

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5月26日、土曜日、晴れ

昨日の午後の続き。

富山市を通過し、新湊市から県道11号という南に向かう道に入る。25分ほどで庄川に。砺波平野の展望台のある夢の平スキー場へ行くのは、あとにして、とりあえず、温泉を探す。どうせこの大雨では何も見えないだろうし。明日の朝に賭けることにする。やることがないので、温泉でも入ってのんびりすることにした。

寺尾温泉という立派なホテルがあって訪ねたが、フロントで、入浴だけのお客さんは取っていないと断られた。そのかわり、近くに何軒か入れる温泉があるとのこと。どれかお勧めの温泉ありますか?と訊いたら、「私は他のところに入ったことないのでわかりません」という。そりゃそうだね。

それで、庄川荘というところへ入った。入浴500円。露天風呂もあった。雨に打たれて入る露天風呂もおつなもの。寒くないからいい感じ。宿泊もできるし、食事もできる公営の施設だ。

さっぱりしたあと、コンビニに行って弁当を買って食べて、展望台に上った。あとは展望台で泊まって、明日の朝を待つつもりだった。

ところが、夕方5時半ころ、展望台に上ってみたら、雲がすごい速さで流れてくる中、ときどき、平野が見える瞬間があった。それでカメラを持って、再び上に。

雨を避けるためにウインドブレーカーをカメラといっしょに頭からスッポリとかぶり、三脚に構えて待った。すると、また霧(雲)が晴れて散居集落の砺波平野が姿を現した。すかさずシャッターを切る。

そして、こんな偶然があるのだろうかというふうに、西の雲間から、ふた筋の光が差し込んで、田んぼの水を輝かした。このドラマも、ものの1分で終わってしまった。デジカメに換える時間はなかったので、フィルムだけで写真に撮った。↑に掲載の写真は、そのあと、デジカメで撮ったもの。(このフィルムで撮った写真は、旅が終わってから、あらためて掲載します)(帰宅後、この写真を掲載しました。こちらでどうぞ。「2007初夏、車中泊の撮影旅(付録5) 富山県砺波散居集落」2007/6/20)

雨が降っていたので、まったく諦めていただけに、こんなシーンを撮れたことの幸運に感謝。万が一の可能性を考えていたことはいたのだが。まさか本当になるとは。ラッキー!

でも、良いことがあると、悪いこともある。それが世の常だ。熊にでも襲われるかなぁ、と冗談で思っていたが、その「悪いこと」は、予想外なものだった。ある意味、熊よりも・・・。

展望台までの道は、とくに夜はほとんど車も通らない山道だ。横になっていると、風の音だけ。そして、午前3時。風の音に混じってかすかに蜂の鳴くような音が聞こえてきて、目が覚めた。俺は旅をしていると動物的勘が強くなるようで、危機予知能力とでもいうようなものも備わるらしい。それで目が覚めたのだろう。

その蜂のような音は、だんだん大きくなっていき、その正体がわかってくると、心臓がどきどきしてきた。なんと、それはバイクの爆音だった。もちろん、普通のバイクでここを通りかかったということではない。例の、極端に大きな音でバイクを走らせるにいちゃんたちが、エンジンの空ふかしを始めたのだ。それも、俺の車から40mのところで。3台いたようだ。時々車の前までやってくる。カーテンのバティックの模様が鮮やかに浮かび上がる。様子を伺っているようだ。

エンジンの空ふかしも、ちゃんと練習しているんだね。よく聞いていると、エンジンをふかすと高音、緩めると低音になるのを利用して、あるリズムというか、音楽にしているのだ。今まで、気がつかなかったが、彼らのバイクのエンジン音には、メッセージがこめられている(?)。かなり暴力的で迷惑な音楽だが。彼ら仲間内では、エンジン音に、上手、下手があるのだろう。だから、こうして練習しているのではないだろうか。

ぶーぶぶ、ぶぶーぶ、ぶぶーぶ、ぶぶー

風の音といっしょになった。

どーどど、どどーど、どどーど、どどー

あれっ? もしかしたら、彼らが奏でているのは、宮沢賢治の『風の又三郎』?

とにかくうるさくて寝ているわけにはいかないが、かと言って、「うるさい!」と怒鳴って出て行くほど俺には度胸がないので、車の中でじっとしていた。ちょっかいかけられないといいなと思った。(むこうが、こっちを不審がって近づかなかったりして) あぁ、そういえば、似たようなことが昔、中国であったなぁと思い出していた。

昔、中国新疆ウイグル自治区をロバ車で旅したことがあり、あるウイグル族村で夜になり、建築中の民家に泊めてもらったことがあったが、その夜、子供たち(なんと大人も)が、寝袋で横になっている俺のところに小石を投げ続けた。そのときも、相手をしてしまったら、ますます投げられると思ったので、ひたすら我慢して、彼らが興味を失うまで、寝袋でじっとしていた。

40分ほどで、この極端に大きな音でバイクを走らせるにいちゃんたちは去っていった。人の嗜好はさまざまだ。夜中の3時に山の中までわざわざやって来て、バイクのエンジンで音楽を奏でるのも、すごい「趣味」だが、車中泊しながら全国を走り回るのも、すごい「趣味」かもしれない。

結局眠れなくて、夜を明かしてしまった。展望台に上ってみたが、うす雲がかかって、写真的にはそれほどいい感じではない。やっぱり、昨日のシーンにはかなわない。そしてそのシーンといっしょに、あの恐怖の「宮沢賢治」の『風の又三郎』も、一生忘れない思い出となるに違いない。

ここに立っている看板によると、散居村の各農家は、東向きで、周りの田を耕作しながら、カイニョと呼ばれる屋敷林に包まれ、100~150mづつ離れてたっている。・・・中世から開かれ始め、とくに戦国の争乱が収まった近世初頭には用水も整備され、急激に開発が進んだ。散居村は、この過程で広がった。

展望台をあとにしようとしたとき、車の下に何かが漏れているのを発見。匂いを嗅いだらガソリンではなさそう。たぶんエンジンオイルだ。まずい。一難去って、また一難か。

一番近いガソリンスタンドまでいって、車の修理できるところを聞いたら、運よく、次の信号のところに大きな修理工場があった。

診てもらったら、やっぱりオイル漏れ。今、旅行中なので、なるべく早くと頼んだ。部品の在庫を訊いてもらったら、午後2時過ぎに届くというので、待つことになった。この前車検を受けたばかりなのに。ついてない。今日も砺波で泊まりか?

道の駅砺波で昼過ぎまで寝てすごす。(どうも興奮して寝付けない) そのあとジャスコでラーメン食って、ブログをアップ。

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2007/05/25

2007初夏、車中泊の撮影旅(6) 福島県沼沢湖、新潟県から富山県に

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5月25日、金曜日、曇りのち雨と風

昨日の午後の続き。

福島県の喜多方から金山町の沼沢湖へ向かう。今年4月も寄ったが、あのときは大雨で車を降りたくなくなって、パスしてしまった。今日は、いい天気。いい天気どころか、暑すぎる。30度くらいか?

沼沢湖山荘という多目的研修センターがある。「金山町立沼沢小学校」の廃校を利用した宿泊施設だ。中を見せてもらった。誰でも見学可。オリジナルの校舎と、新築の校舎、2棟ある。教室を部屋に改造したレトロな雰囲気。廊下はそのまま。背の低い、ステンレスの流しが残っている。

予約無しでも、部屋が空いていれば泊まることができるが、どうしても食事が必要な人は、予約したほうが確実とのこと。「食材がすぐにそろうようなところじゃないんですよ」と奥さんは言った。たしかに、コンビにがあるでも、スーパーがあるでもない。でも、そんなものないから観光客がやってくるんだろうけど。

とにかく、校舎もいいが、ここの集落の雰囲気が好きだ。廃校の宿に泊まりながら、周辺を散策するにはいいところ。ところで、校舎の周辺には、黒猫が10匹くらいうろうろしている。たぶん、みんな兄弟? 顔がよく似ている。手を差し出すと、おずおずと逃げていくかっこうもそっくり。俺は犬だけじゃなくて、猫にも好かれないのか。

沼沢湖から国道252号線に戻り、西へ向かう。新潟県への山越えルートだ。只見から山道に入る。ガソリンを入れたとき、店のおじさんに峠道の様子を聞いたら、そんなに狭くはないとのこと。1時間で小出に着くと教えてくれた。

たしかに、道は地図で見るほど大変ではなかった。これは「六十里越え」の道。峠の手前はダムが立ちはだかって、不気味な感じだった。このダムは、不安感をあおる。色だろうか、大きさだろうか。迫りくる夕闇の中では、いっそう不安。車も少なく、寂しい峠越え。

とくに電気の付いてない真っ暗で狭いトンネルは怖い。「乗せてください」などと手を挙げる、きれいな女の人が突然車の前に現れたらどうしよう? なぜか、そういう女の人は、髪の毛が濡れているんだよなぁ。

乗せたあと「どこまで?」と訊いて振り向くと、女の子はいない。ただシートが濡れているだけ・・・。ぎゃーッ! こんな怪談、昔、山形県のトンネルであったなぁ。

トンネルは「死」をイメージさせる。抜けるのは「生」かな? ということは「死と再生」の儀式なんだ。だから、ここに幽霊がいるのも自然(?)なことなのかも。

峠からは、ダム湖が薄暗がりの中で見えた。雄大な風景。新潟県に下り、やっと民家が見えたときは、ホッとした。やっぱり人の気配があると、安心する。小出の町で、さんざん道を迷ったが、ようやくたどり着いた道の駅ゆのたにに泊まる。

そして今日、25日。天気悪そう。移動日になる。富山県までの予定。

小出から柏崎に出て、国道8号線に乗る。ときどき雨が降り、風が吹いてきた。上越市のマックで朝食、兼、原稿書きの仕事。

国道8号線を西へ進み、富山県に入る。雨がだんだん強くなってきた。午後1時半ころ、黒部市で大雨だ。午後2時ころ、ラジオを聴いていたら、黒部市周辺で地震があったらしい。震度2。気がつかなかった。これから富山市を経由して、礪波市へ向かう。

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2007/05/24

2007初夏、車中泊の撮影旅(5) 白鷹のやな場、飯豊の散居集落

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5月24日、木曜日、晴れ

山形県河北町の実家を出て、国道287号線で、寒河江、朝日町、白鷹を経由して、飯豊町に。(朝日町のくぬぎ平の棚田には寄らなかった)

白鷹町には、最上川には大きなヤナ場がある。パンフレットによると、川の流れを利用して、「座敷」(なるほどそんなイメージ)と呼ばれる骨組みに簾を敷き、そこに流れ込む魚を獲るのが「やな漁」。

伝統的な漁法だった。でも昭和36年、下流にダムができて、あゆの遡上が減って、やな漁も廃れていったが、昭和60年、「白鷹の観光ヤナ」として復活を遂げた。レストラン「あゆ茶屋」では、「あゆ定食」などが食べられる。

やな場では、ちょうど係りの人が、やなの掃除をしているところだった。(↑の写真) かなりの水量があり、足にぶつかった水がしぶきになる。足元が滑るらしく、慎重に移動していた。

白鷹から、飯豊の散居集落に。今回の旅は、東北では、散居集落を中心に見て回った。秋田県の仙北平野、岩手県の胆沢、そして山形県の飯豊。ここの散居集落は、「第1回日本のむら景観コンテスト」で、平成5年、農林水産大臣賞を受賞。「第10回農村アメニティコンクール」で、平成7年、最優秀賞受賞している。

集落を見渡すことができる展望所は、役場から車で5分くらいのところにある「ゆり園」の上にある。「ゆり園」は、まだオープンしていないが、その脇を通り、登っていくことができる。

展望所では、なぜか蟻の群に襲われた。カメラのファインダーを覗いてしばらく立っていると、下に蟻がたくさん。サンダルを履いていたので、蟻に噛まれて痛い。移動して、そこで撮り始めると、また蟻が集まってきて、足を噛む。俺の足からは、蟻の好きな匂いでも発散しているのだろうか。

あさってあたり、富山県の砺波平野にも寄るつもりだ。そこも散居集落で有名だ。ただ明日、あさっては雨らしい。展望台からはよく見えないかもしれない。

飯豊から、川西町を通り、国道121号線に出て、喜多方市。そこから南へ下り、国道49号線、252号線で、沼沢湖へ向かう。


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2007/05/23

2007初夏、車中泊の撮影旅(4) 仙北平野、雄勝から、山形県寒河江

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5月23日、水曜日、晴れ

昨日の話から。

午後、岩手県から栗駒山を経由して秋田県に戻った。横手市の中心地から、国道13号を北へ10kmほど行くと、県道11号線がある。この入り口はわかったのだが、入ったら、迷ってしまった。集落の狭い道にはまり込み、何度も人に尋ねながら北を目指した。運よく今は農作業をしている人がたくさん出ているので、道を聞くことは難しくない。

ようやく県道50号線に出たので、そこからは大丈夫。朝と同じところから「大台スキー場」の看板を右折して、ゲレンデを登って展望所まで。午後4時着。強烈な太陽の光が、水田の水にキラキラと反射している。じっと目をこらすことができない。まぶし過ぎる。

まだ夕日までは時間があるので、昨日の日記の追加分を書いていて、ふと、水田地帯の方を振り返ると、飛んだ。人が。パラグライダーだったのだ。斜面に人がいることは気がついていたが。てっきり写真を撮るカメラマンで、俺と同じように夕日を待っているんだとばかり思っていた。

水田地帯を飛ぶパラグライダー。どこに着地するんだろう。気持ちよさそうだ。俺も飛んでみたい。

昨日も夕日がきれいだった。散居集落がシルエットに浮かび上がり、水は赤く輝いた。テレビの撮影も来ていた。

散居集落の夕方の写真は、こちらでどうぞ。「2007初夏、車中泊の撮影旅(付録2) 秋田県仙北平野の散居集落」

スキー場を下り、県道50号線、11号線で、国道13号線に出た。8時過ぎていた。山形方向へ向かう。でも昨日は長距離運転したので、もう運転はやりたくないので、湯沢市の南、雄勝の道の駅おがちに泊まる。

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そして、今朝。5時半に起きて、洗面所にいったついでに、インフォメーションコーナーに行ったら、興味深い展示を見た。

湯沢雄勝は、「小町伝説の郷」でもあるらしい。あの平安時代の女流歌人、美人として有名な小野小町だ。道の駅に置いてあったパンフレットによると、全国各地に小町伝説があるが、旧雄勝町小野生まれとする説が有力になっているそうだ。初めて聞いた。

そう言われてみれば、ここには美人が多いような・・・。(昨日の夜着いて、まだ女性なんて見ていない。いい加減)

興味を持ったのは、もうひとつあった。(こっちの方が俺にとっては重要) パンフレットによると、

「菅江真澄は江戸時代の1754年に、三河国に生まれました。30歳のころに故郷を旅立ち、・・(略)・・当時は辺境の地であった東北と北海道をめぐり歩きました。真澄がもっとも長く滞在したのが秋田・・(略)・・。真澄は、訪れた土地の歴史や自然景観、人々の暮らしや習俗などを図絵と文章で記録した。それらは日記、随筆、地誌など200冊以上の著作となり、その半分近くが国の重要文化財に指定されています」

この菅江真澄に興味を持った。俺がやっていることと同じようなことをやっていた人間が、250年前にもいたんだなぁと思うと、親近感が沸く。日本地図を作った伊能忠敬にもあこがれるが、これからは、もうひとり増えた。

彼が訪ねたゆかりの地が、この近くに点在していることを知ったので、いくつか訪ねてみることにした。国道13号線から、高松川沿いの県道51号線を栗駒山方向へ入っていく。

途中、緩やかなカーブを曲がったとき、ハッとして急停車した。満々と水を湛えた水田の中に、小さな神社か祠があったのだ。なぜか俺は「いい」と直感して、写真を撮り始めた。風もなく、田んぼの水に波もなく、まるで鏡のように祠が水面に映っている。

あぜ道を歩いて行けるようになっていたが、その入り口に小さな木の鳥居があった。体を折り曲げないとくぐれないくらいほどの高さ。これがまたいい(女の子ふうに言うと、「かわいい」?)。しつこいくらいに写真を撮った。

写真を撮り終わり、その先に行くと、田んぼは棚田状になってきた。秋田県には「棚田百選」に認定された棚田はないが、それは役所が申請しなかったというだけで、こうしてちゃんと棚田はある。りっぱなものだ。

三途川渓谷があった。橋の欄干から40m下の流れを見る。深い谷だ。青々とした木々の間を、清流が流れている。ここは、菅江真澄も訪ねた場所だ。当時は、もちろんこんな立派な橋はなく、丸木橋が渡してあった。苦労してこの渓谷を通ったことが記されているらしい。

三途川とはよく言ったものだ。当時、ここは文字通り、いったん向こうに渡ったとしても、再び戻ることができないくらいの難所だったのだろう。だから三途川とつけた人の感覚はわかるような気がする。

さらにその先、桁倉沼へ。菅江真澄もこの沼の絵を残している。全体を見渡している絵だが、どこから描いたものだろうか。沼に沿った小道を歩いたが、あまり人が来ていないらしく、草が生い茂っている。なんだか熊でも出そう。途中には、「熊、出没」とか「遭難者多数」とかいう看板が、やたらたくさん立っていたので、小心者の俺は、気になってしかたない。

雄勝に戻るとき、さっき写真を撮った祠の近くに、商店があったので停まった。飲み物を買ったついでに(というか、話を聞くついでに飲み物を買ったのだが)、店の奥さんに、「あの田んぼの中の祠のことなんですが、名前わかりますか?」と訊いてみた。突然、こんなことを訊かれたので、俺を不審がっているのがよくわかった。でも、だんだん意図を理解してくれたようで、顔つきが穏やかになっていった。

「あれは『田の神』と呼んでます。正式名称ですか? ねぇ? じいちゃん、あの田んぼの神社、何て言ってるかな? そう? やっぱり『田の神』だよね」

村の祠ではなくて、個人所有のもの。だから村祭りなども行われず、持ち主がお供えをあげるくらいだという。でも、なんかいいんだよなぁ。バリ島を思い出した。

バリ島の田んぼにも、あぜ道に祠がたっている。お供え物のおこわに蟻がたかっていたなぁ。コメは自然からの贈り物。だから、コメを自然(蟻)に返すのは当たり前。お供え物作りにかなり時間をかけるのも当たり前だという。バリ人の自然観だ。

ところで、バリ島では「稲の神様」を「デヴィ・スリ」という。「デヴィ」は、たぶんあの「デヴィ婦人」の「デヴィ」と同じか? 意味は「女神」なので、やっぱり違うかなぁ。 「スリ」は「稲」のこと。

町に戻り、派手な赤色の建物、小町堂へ寄ってみた。菅江真澄は小野小町伝説についても調べたらしい。大きな駐車場とみやげ物屋があり、ちゃんとした観光地だ。まだ7時なので、観光客の姿はなく、小町堂について説明するアナウンスは、俺一人のためにだけ延々と流れ続けた。

雄勝から国道13号線をひたすら南へ。県境を越えて山形県。鳥海山と水田が見えるポイントがあった。写真を撮る。

新庄市、村山市を経由して、河北町に。実家で一休みして、寒河江市まで行った。

出身高校のある長岡山には「つつじ園」ができていて、満開を、ちょっと過ぎたつつじの花とふじの花が見ごろだ。「つつじ園」から高校へも寄ってみた。卒業してから何十年ぶりかで高校の正面に立った。校舎は変わっていない。

昔、冬の体育の授業はスキーだったが、この「つつじ園」の斜面でやったような気がする。

苦痛の何ものでもなかった体育の授業。スキーやマット運動など、個人競技ならまだましだ。バスケットボールが最悪。ルールが覚えられない。しかも走りっぱなしで疲れる。「俺にボールをよこすな」と、いつも思っているのに、なぜか友人は俺にパスしてくる。あのやろう。

そう言えば、あるとき、昼12時ころの山形行き列車に乗りたくて、先生を騙して(と、言っても、先生も勘付いていたはずだが)、授業の終わる15分くらい前に、「先生、どうしても我慢できないので、トイレに行っていいですか」といって、教室を飛び出し、一目散に駅に走り、その列車に飛び乗った思い出がある。

あれは、楽器を見に行ったのか。ドラムのスティックでも買いに行ったのか。文化祭でロックバンドを組もうとしていたが、うちの高校では初めてだったので、先生たちも、練習用の部屋を貸してくれたり、協力的だった。今から思えばずいぶん理解のある先生たちだった。まぁ、見かけ的には「つっぱり系」ではなかったので、許されたのかもしれない。やっていた曲は、矢沢永吉キャロルの曲だったのだが。内面では「つっぱり系」以上に「ひねくれ系」or「シニカル系」であったかもしれない。

午前中の授業が終わってからでは間に合わないので、嘘をついた。たぶん、これもバンド活動として、暗黙の了解を得ていたのではなかったかなと思う。妙なことを思い出した。


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2007/05/22

2007初夏、車中泊の撮影旅(3) 仙北、胆沢の散居集落と、骨寺荘園遺跡

070522
5月22日、火曜日、晴れ

昨日は、森山公園から五城目町に降りて、秋田市のほうに南下し、車で15分のところにあった道の駅しょうわに泊まった。

今朝は、5時に道の駅を出る。ちょうど太陽が顔を見せた。朝から強烈な太陽光線だ。暑くなりそう。

秋田市はスムーズに通過して、国道13号線に入る。協和町で国道46号線を左折。角館へ。途中、谷あいの風景が良かった。新緑と田んぼの水。みずみずしい朝の風景。

角館を過ぎ数kmいったあたりで、県道50号線を右折する。これを南に。途中、かなり細い道になり、迷ったのかな?と思ったほど。でも、なんとか、太田町に着いた。

開店準備中のガソリンスタンドのおじさんがいたので、大台スキー場を聞いたら、「あそこに見えるのがそうですよ。この先500mから左に曲がってまっすぐ行けば着きます」と教えてくれた。

昨日、森山公園で会ったカメラマンが教えてくれた大台スキー場の展望台は、スキー場のコースをジグザグに登っていくとたどり着く。そこからは、仙北平野の散居集落が展望できる。

屋敷林を持った農家が、水の張った水田の中に点在している。水の中に民家が浮いているようだ。ほんとに水の国。水が豊かだなぁと思う。でも、佐賀平野もそうだったが、部外者にはわからない苦労はあるのだろう。これだけの広大な水田に水を張るというのは、自然にできるものではないからだ。その苦労があるからこそ、この景観があるということ。人間と自然が作り上げた景観だ。

スキー場を下り、県道50号線の手前に、走りやすい道があって、これは横手まで続いていた。それほど広くはないが、車も少ないし、なにしろ水田地帯を存分に満喫できる快適な道だ。「みずほロード」とか、名前がついていたので、観光道路なのかもしれない。

横手市の市街地を抜け、国道13号線に出る。また南に。湯沢市の手前、国道342号線に入る。広々とした谷の快適な道。ただ、消毒の匂いがする。夏場は果樹(りんご?)の消毒作業の時期らしい。

東成瀬村の合居橋を国道397号線に。岩手県水沢市方向へ向かう。山越えして暗くて怖いトンネルをくぐると、岩手県側はパッと明るくなった。白く見えたのは雪だった。残雪と新緑の写真を撮る。橋の下を流れるせせらぎ。気持ちよさそう。

山を下りていくと、大きな工事現場。ダム工事らしい。工事用の車がひっきりなしに行きかう。胆沢の扇状地を潤す水はここから引いているんだろうか。何のための工事なのか、詳しい事情はわからない。

胆沢も散居集落のある町だ。ふかんできるところ探してうろうろしたが、よくわからなかったので、役場に行って聞く。展望台までの地図をもらった。

見分森という公園があって、そこに高さ15mほどの展望棟が立っている。一番上まで階段で上ると、胆沢の散居集落や、岩手山を見渡すことができる。

衣川まで出て、そこから県道49号線で直接一関市の本寺地区に入った。前回、去年の8月に訪ねたときは、一関市から国道342号線でやってきた。

本寺に入ると、駒形神社がある。ここに「骨寺荘園遺跡」を解説した看板が立っている。もうひとつ、去年はなかった新しい看板も立っていた。仮設トイレもできたが、閉まって使えなかった。

昔、本寺は骨寺といっていた。その看板によると、

「骨寺村荘園遺跡は、平安時代の12世紀から15世紀まで、平泉の中尊寺経蔵別当の所領だった。・・・重要文化財の『陸奥国骨寺村絵図』2葉が、関係古文書とともに中尊寺に伝蔵され、また伝統的な農村景観がよく保存されていて、それらをつき合わせることで、中世の村の姿を視覚的に復元できる。・・・」

中世の面影を残した水田や民家。中尊寺とともに、世界遺産への登録も申請済みだ。

↑の田植え直後の写真は、今日撮影したものだが、去年8月撮影した写真は、今連載中の『栄養と料理7月号』(6月中旬発売)に載る予定。季節を変えて撮っておこうと思ったので、今回もまた来た。

国道342号線を西へ。栗駒山を経由して秋田県に戻る。今朝行った大台スキー場を目指す。また散居集落が見える場所に行く。よほど気に入ったということ。今日は、「晴れ」の天気予報なので、ぜったいいい写真になると、期待も大きい。夕日の写真だけ撮っていても、実際は使わないことが多いのだが。バリエーションがほしくなる。朝、昼などの写真、それから、近くで寄った写真も。


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2007/05/21

2007初夏、車中泊の撮影旅(2) 庄内平野と八郎潟再び

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5月21日、月曜日、晴れ

8時半に河北町出発。国道347号線を北へ。

大石田の大浦集落に寄る。何度も季節を変えて来ている大浦。田植え時期は初めてだ。

大浦から舟形町、大蔵村を経由して、国道47号線に出る。それを酒田の方へ。国道345号線を右折して松山町の眺海の森公園に。3週間前来たときは、まだ田んぼに水が入っているのは少なかったが、もう田植えも終わりかけ。ほとんどの田んぼには水が入っていて、水の国に変わっている。

国道345号線に戻り、遊佐へ。ここに鳥海山が真正面に見える田植え直後の田んぼがあったので写真に撮る。整然と並んだ苗。すがすがしい。だんだんと、鳥海山の雲が取れてきて、雪をいただいた頂上が見えた。

国道7号線に出た。道の駅象潟でトイレ休憩。そこに怪しげな自転車。段ボール箱のような荷物をたくさんくくりつけている。そしてプラカード。それには、「日本橋スタート。日本一周 12週目。移動費や食費のカンパお願いします」とあった。

意味がわからないのが「食事をとってないので注意」と書いてあったことだ。何を注意するんだろう。食事をしてないから凶暴になってますよ、という意味だろうか。カンパしようかなと思って休憩室を覗いたら、ベンチに横になって寝ていた男がいた。たぶん、この人だろう。起すまでもないと判断。カンパ無し。

ふたたび自転車に戻り、これで日本12週? すごい。半分感心してながめていると、夫婦がやってきて、その自転車を珍しそうに見てから、俺のことも見た。「いや、違います。俺じゃぁありません」

彼らが勘違いするのもしかたないか。俺も色は黒くて汚い格好をしているし。

出発して20分、突然眠気が襲ってきたので、次の道の駅で車を停めて30分だけ寝た。

秋田市を抜けたとき、ヒッチハイカーが立っていた。でも、車が止まれないところ。あそこでは駄目だな。経験者は語る。

前回同様、五城目町までやってきた。こんどは大丈夫。ちゃんと田んぼには水が入っている。あちこちで田植えをしている。

スーパーで食料を買って、森山公園に上る。地元のカメラマンがひとり先に来ていた。八郎潟は水が入って、まるで海のようだ。遠くには、寒風山。薄く雲がかかっていたが、夕方日が出た。紅くなった水田は美しい。

地元のカメラマンはここに3回来たことがあるという。夜景もいいよとのことだったので、暗くなるまで待った。それと、旧太田町に、散居集落があることを教えてもらった。かなりいいところらしい。明日寄ってみることにする。いろいろ教えてもらったので、雲南の棚田のポストカードをあげた。彼は今晩ここに泊まるのだという。

暗くなってくると、町に灯がともり始める。秋田市の明かりも見える。なかなか幻想的な風景だ。わざわざ埼玉からやってきたかいがあった。

八郎潟の写真は、こちらでどうぞ。「2007初夏、車中泊の撮影旅(付録1) 秋田県八郎潟」


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2007/05/20

2007初夏、車中泊の撮影旅(1)埼玉から山形へ

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5月20日、日曜日、晴れ

今日からまた車中泊の撮影旅行が始まった。

前回4月下旬と同じで、山形、秋田、岩手県から始めて、今回は、日本海沿いに九州を目指す。一応目指しはするが、どこまで行けるかは、天気、元気、やる気しだい。あとは時間の問題。予定は未定。

初日の今日は、実家のある山形県河北町までやってきた。途中、那須高原や福島県と山形県との境の山の新緑が美しかった。すっかり新緑の季節になった。新緑の並木のトンネルをいくつも通った。風があったので木の葉がわさわさと揺れて輝いていた。

↑に掲載の写真は、道の駅天童の駐車場から撮った、山の新緑。山形県は、午前中雨も降っていたらしい。雨上がりのせいか、緑があらわれて、生き生きしている。雨雲が背景に残り、ふしぎな景色。

国道13号線を左折し、山形空港の脇を過ぎて、河北町の道の駅ぶらっとぴあに着いたのがちょうど午後6時だった。あわてて車を降りて売店に急いだら、店員のおばさんが片付けの最中で、「今日は終わりました」といわれたので、「埼玉からやってきました。何とか売ってください」と頼んだ。

例の「冷たい肉そば」の缶詰だ。そばとスープのセットで1000円。これを何としてでも手に入れたいと思ってやってきた。(「冷たい肉そば」については、以前の記事「山形県河北町谷地の肉そば」を参照) ほんとは明日でも良かったのだが。時間はあるのに、なぜかあせってしまった。


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2007/05/18

『棚田に吹く風』のインタビュー

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(写真は佐賀県浜野浦、5月の棚田)

昨日は、Tokyo MXテレビのインタビューが終わったあと、棚田ネットワークの会報誌『棚田に吹く風』のインタビューも受けました。

それであらためて思ったことがあります。どうしてこんなに長い間、棚田を撮り続けるのですか?という質問に、俺は、「棚田がある空間にいること自体が気持ちがいい」みたいなことを答えました。報道系写真家の社会的使命感とか、被写体としての美の追求とかいうのだったら、長くは続かないんだろうなぁと思いました。(あくまでも俺の場合です。使命感に燃えるりっぱな写真家もいます) 

自分の個人的な快感があるからこそ、長く続いているようなのです。

これは雲南についてもまったく同じで、どうして雲南に何度も行くんですか?とよく聞かれますが、「肌が合う」としか言えません。雲南にいること自体、俺にとって快感なんでしょう。

もちろん、その個人的な快感を求めて行った棚田で撮った写真が、棚田を作っている人たちの役に立つということであれば、正直嬉しいです。でも、あくまでも、それは「結果として」そういうふうになったということです。

どうして棚田のある空間は居心地がいいのか、快感があるのか、それを目に見えるもので表すこと(写真)の難しさは、日々感じています。


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2007/05/17

東京MXテレビ 棚田の番組

070517
(写真は長崎県の土谷棚田)

今日、東京MXテレビ「ガリレオチャンネル」のインタビューを受けました。6月24日(日)放送予定だそうです。

棚田ネットワークの人たちが中心となり、都市部と棚田地域とを結び、棚田の保全活動が盛んになっている現状を紹介する番組内容です。今度の週末は、伊豆半島の松崎町の棚田を取材するそうです。

俺も少しだけ登場しますが、今日の、有楽町国際フォーラム・ごはんミュージアムでのインタビューとともに、撮影した全国の棚田の写真や写真集の紹介もしてくれるとのこと。↑に掲載の土谷棚田の写真も出てくると思います。

終わってから、スタッフの人たちと、中にある「ごはんCafé」で昼食をとりましたが、満席でした。我々が出るときは、10人くらいが椅子に座って待ってました。人気があるんですね。おこげの混ざったおいしいごはん。ごちそうさま。

情報は、また日時が近づいたら、あらためてお知らせします。

Tokyo MXテレビ(地上デジタル9ch/UHF14CH)
毎月第2・4日曜日 朝8:00~8:30放送(再放送:本放送翌週の朝8:00~8:30)

番組ホームページ


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2007/05/16

人は、飼い犬に似る

070516
事情があって、妻の実家から2週間の予定で、ビーグル犬を預かっています。犬とは相性のあまりいいとは言えない俺なので(犬に噛まれた話は、以前書いた「俺はどうして犬に噛まれるのか?(1)~(3)」を、噛まれやすい性格については「俺はどうして犬に噛まれるのか?(4)を参照)、世話はもっぱら妻の役目。

名前はピッピ。14歳のおばあさん。↑の写真。「可愛く撮ろう」という意志の感じられない写真であることは、俺も自覚してます。当ブログは、「愛犬ブログ」ではないので、ご了承ください。(でも、生き物の悲哀は感じるでしょ?)

目も見えない老犬ですが、食欲だけは、驚くほどあります。食べて排泄して眠る。これだけシンプルなことはありません。「生きる」とは、突き詰めていくと、この3つかなと思うほど。

ピッピを預かってから、なぜか眠くてしかたありません。俺も、食べて、ウンコして、ブログ書いて、眠る、シンプルになっているような気がします。「犬は飼い主に似る」とか、「人は飼い犬に似る」とか、言われていますが、俺の場合、後者のようです。


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2007/05/15

国民投票法案成立 投票所での疑問

070515
国民投票法案が参議院本会議で賛成多数で可決、成立しました。いずれ投票する日が来るのでしょうか。

国民投票法案が与党の賛成多数で可決・成立
(asahi.com http://www.asahi.com/business/reuters/RTR200705140043.html 参照)

ところで、投票所での疑問があります。

先月、選挙がありました。俺も投票に行きました。

投票日が近づくと選挙管理委員会から葉書が届きます。名前が書いてある投票所入場整理券。それをハサミで切って持って行きます。

俺が指定されている投票所は、近所にある高校の体育館ですが、入っていくと、「どうぞ」と言われて、係員にその整理券を渡します。すると、名前が呼び上げられ、投票用紙が渡されます。

それを持って机の前へ行き、候補者の名前を書き、二つ折りにして投票箱に入れると、「ご苦労様です」と声がかかりますが、これで終りです。

不思議に思いました。

何か? それは、IDの確認がないことです。免許証や国民健康保険証の提示もないし、生年月日や住所を聞かれるでもありません。ということは、別人が投票できるということですよね。

もちろん、して悪いのですが、してもわからない方法になっています。どうしてなんでしょうか? 投票所に実際来た人と、チケットに書いてある名前の人が、同一人物であると、確認しなくてもいいんでしょうか。「そんな悪いことをする人はいない」などという、のんきな理由ではないでしょう? ここでは、たまたまそうなのか、どうもわかりません。それとも俺の勘違いでしょうか。

名前が「@@子さん」と読み上げられたとき、来ていたのが男性だったら、不審がられますが、同性だったらわからないでしょう。たまたま知り合いがそこに来ていてもバレますが、都会だと、その確率はあまり高いとは言えないし。悪意を持った人間が、この整理券を「売買」することを考えることはないのでしょうか。

国民投票が実施されることになったとき、どうするんでしょうか。


そういえば、日本でIDを確かめられることは、外国と比べて少ないように感じてきました。外国ではパスポートを携帯していて、国によっては、街を歩いていても、パスポート提示を求められたりしました。日本ではあまりありません。(外国人に対しては頻繁にやっているんでしょうか)

昔、アメリカ大統領が来日した日、地下鉄の銀座駅で、警官から職務質問を受け、持っていたスポーツバッグを開けさせられたことがありました。

当時やっていたアルバイト、ビルの窓拭きで使う「シャンプー」、「スクイジー」、軍手、20mのロープ、金具各種が出てきて、かなり怪しまれました。道具の使い方をいちいち説明して、ようやく解放されました。でも、そのときも、IDを証明するものは持っていなかったし、それですみました。

自分が、自分であることを証明するのは意外と難しいのです。でも、それをあまり気にしない社会というのは、みんな顔見知りで、「自分」が「自分」であることを証明する必要がない、悪いことができないという「村社会」の延長と考えればい