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2007/10/03

映画『ブラッド・ダイアモンド』 (3) 自分がイメージする「自分」

071003
(写真はマダガスカル・アンタナナリヴ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』から思いついたことですが、今日も続けます。

子供のころから高校生くらいまで、自分の2面性というか、多面性というものに悩んでいました。

ある人の前では、こういう感じの態度なのに、他のある人の前では別の態度になってしまう。いったい俺はどっちが「本当の自分」なんだろう?と悩んだのでした。俺の評価は人によって極端だなと思ったこともあります。ある人は、「まじめで、無口な人」と言い、またある人は、「よくしゃべる、おもしろい人」。

2面性・多面性が気にならなくなったのは、いつからだったか。よく覚えていませんが、たぶん、海外旅行へ出て、「何でもありなんだ」と思って楽になった時期と同時だったのだろうと思います。

若い時期は、少なからずこの悩みは持っていると思います。友人と話をしていたら、その友人もまったく同じように悩んでいたと知って、俺だけではなかったんだぁと、安心したのでした。

2面性・多面性に悩むということは、自分というのは、1面だけが「正しく」て、他の面は、「演じている。だから正直ではない」という、青年特有の潔癖症という意味もあったのでしょう。でも、今では、自分でも、この2面性・多面性を自覚しているし、むしろ、使い分けている自分を感じます。

それが「大人になった」と言おうが、「ずるくなった」と言おうがかまいませんが、俺としては、「人間が深くなった」と言っておきます。(ずいぶん前向きだ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』でも、人間は、ただ人間。悪くも善くもない。ただ、そのときの行動が、悪いか善いか、ということです。しょせん、人間はだれでも多面性を持っているのかもしれません。

自分がイメージする「自分」と、他人がイメージする「自分」は違います。「自分」というのは、その両端の中間のどこかなのでしょう。

「自分」は、他人との関係性の中で、生かされているものです。ある友人は言っていました。他人が思う「自分」が、自分にとって「ちょっと誤解されているなぁ」と思っても、たぶん、それも「自分」の1面であることは間違いないし、それも認めざるをえないと。俺もそう思います。

その時々の行動によって、あっちにいったり、こっちに来たりしているのではないですかね。固定されたイメージというものが、そもそもない、とも考えられます。そして、他人から見たら、自分が思っているほど違っていないのかもしれないし。

そう考えると、少し楽になるかな。まぁ、ほとんどの人は、こんなこと気にしてないのでしょうか。


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