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2008/07/31

あるイ族村の涙ぐましい観光化計画

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元陽の棚田が有名になり、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の主人公もハニ族少女だったし、棚田を作る民として「ハニ族」の名前が目立っています。

でも、元陽の棚田を作っているのは、なにもハニ族ばかりではありません。イ族の人たちもいます。

元陽のあるイ族村を訪ねたとき、こんな計画を聞かされました。

その前に、チンコウというハニ族村について触れておきます。チンコウは、元陽の新街鎮から7kmほど南に下ったところにあるハニ族の観光村です。入村料を払って「伝統的なハニ文化」を体験できる村として、人気になりました。

だから、元陽では、チンコウといえば、村興しに成功した(外国人から見たら、ちょっと違うかもしれませんが)と、うらやましがられているようでした。

なので、そのイ族村の人たちも、チンコウと同じに、イ族観光村にしたいのだといったのです。観光資源としては、棚田の風景と、池がある。池を、釣り堀にして、そこで釣 った魚を料理して食べさせる食堂を開業する。そこまでは、「いいかもしれない」と俺も思いました。ところが、「それと、カラオケを作り、村の若者たち にイ族の歌と踊りを教え、お客の前で披露するんです」と続けました。

「こんな田舎の村にカラオケ? そんなものを作ったら、外国人は、来なくなりますよ。俺たちは、今のような自然のままがいいし、唯一あったらいいなと 思うのは、宿泊できる、民宿のようなものだけです」と、いいました。

でも、彼らは、外国人など相手にしません。20年前は、外国人が観光地でお金を落とし ていましたが、今は、金持ちになった中国人のほうが圧倒的に数も多いし、金使いも派手なのです。だから、カラオケ。カラオケは観光地に欠かせない。彼らは、そう信じているようでした。

「何もないからこそ良いのです」などと彼らに言ってみたところで、理解してくれることはないでしょう。「これからは、『物』じゃなく『心』の時代」などと言っている日本でさえ、難しいんだから。空間そのものが価値のあることなのに、どしても「物」を作ろうとする発想に陥ってしまうのは、日本人もイ族も同じ。

入場を取って「観光村」というテーマパークになると、「ここはこう見るべき」「ここはこれを体験すべき」と、強制されるような感じがして好きではありません。ただ、何か「物」を作らないと、お金が村に入ることはない、というのも現実。

ただ、俺は、ばかばかしい計画だと言って、笑うことはできませんでした。若い人たちは、ほとんどみんな外に出稼ぎに出ています。村に仕事がないのです。このままでは、い けない、なんとかしなければ、という思いがあります。しかも、どうしてハニ族だけいい思いをするんだという、異民族間の嫉妬心のようなものもあったでしょう。

せっぱつまった彼らの経済状態が、ちらちらと見えて しまう。なんとしてでも、この棚田ブームに乗っかり、村を豊かにしたいという、村人たちの熱意だけは、悲しくなるほど伝わってくるのでした。

2年半、元陽には行っていないので、その後、この村の観光化がどうなったはわかりません。


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2008/07/30

イ族の祭りと葬式

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昔、雲南北部のイ族村に、お祭を見に行ったことがありました。その村へは自動車道がまだなかったので、途中までトラックの荷台に乗せてもらい、残りの10kmほどは歩きました。

お祭りは「服装節」といい、女性が美しい民族衣装を競い合うのですが、あいにく、祭りの朝、雨になってしまい、「汚れるのがいやだ」という理由で、民族衣装を着ないですました娘たちもいたっけ。気持ちはわかります。雲南の土は赤くて、汚れたら最後、たぶん元には戻らないでしょう。

などと、俺のような軟弱なイ族もいましたが、それでも昼からは晴れて、たいていの女性は派手な衣装を着て、村の広場で輪を作り踊る様子は圧巻でした。

この村では、お祭りの2日前だったか、葬式がありました。土葬でした。村の中心部からお棺を担いだ行列が、村はずれの高台にある墓地までいって、そこで儀式と、お棺が土中に収められました。

まだ、山の中の村では、ほんとに伝統的な生活が続けられていた、1988年ころのことです。あれから20年たちました。彼らはどう変わっているのでしょうか? あるいは変わっていないのでしょうか? 

当時、トラックの荷台から降りて歩き出した一団の中に、テレビを担いでいた男がいました。もしかしたら、村へテレビが入った第一号だったのかもしれません。今は、何台あるのかな。

みんな北京オリンピックを観るのでしょうか。どういう反応をするのか、興味のあるところですが。


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2008/07/29

映画『雲南の花嫁』  少数民族の映画

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元陽の棚田に住むハニ族少女、ルオマの映画が日本で公開されたのは、去年。(そのときの記事はこちらです。「雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』」

今度は、イ族を主人公にした映画だそうです。観てみたい。「『雲南の少女 ルオマの初恋』のチアン・チアルイ監督。雲南三部作の第2章」だそうです。

『雲南の花嫁』オフィシャルサイト

イ続は、雲南内だけでも400万人以上住み、少数民族の中では、「多数民族」です。支系は多く、雲南北部から、南部にかけて幅広く住んでいます。

イ族の映画で思い出すのは、何年前だったでしょうか、香港・中国の合作映画『天菩薩』というのがありました。

第二次大戦中、四川省凉山の山中に不時着し、イ族に捕らえられて奴隷になったアメリカ軍パイロットの物語ですが、これは実話を元にしたもの。(この映画はビデオにもなっています) 「天菩薩」とは、頭の天辺の髪の毛だけ残すイ族男性の髪形のことを指しますが、今ではほとんど見られません。

今回の映画『雲南の花嫁』の予告編を観ると、伝統的イ族のしきたり(結婚後も3年間は同居してはならない)と、現代の若い夫婦が、どのように折り合いをつけて生きるのか?といった内容のようです。

ことさら「伝統的」と思われがちな少数民族ですが、今の若い人たちは、そうでもないかもしれません。古いものと、新しいもの。そのふたつの間で揺れる気持ちを描いている点で、『雲南の少女 ルオマの初恋』にも共通しているのではないでしょうか。

ルオマの「初恋」は、アミンという男性に対する淡い恋心と、アミンが見せてくれた「都会」というものに対する恋心と、両方あったように思います。ルオマが、棚田でウォークマンを聴くシーンは印象的でした。(音楽がエンヤだったのはどうかと思いますが) あの当時、中国では、ウォークマンが「都会」を象徴していたのかもしれません。


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2008/07/27

昆明のバス爆発事件に対する犯行声明

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(写真は、かつての昆明順城街)

中国・昆明バス連続爆破:犯行声明 五輪テロ、脅威高まる 警備強化、運営に影響も
毎日jp http://mainichi.jp/select/world/news/20080727ddm007030045000c.html )

先日の雲南昆明でのバス爆発事件について、新疆ウイグル自治区独立を求める「トルキスタン・イスラム党(TIP)」を名乗る組織が犯行声明を出して、五輪テロも予告しました。ついでに、上海のバス炎上事件も、彼らがやったとのこと。

本当に彼らのしわざかどうかはわかっていないようです。テロ組織は、事件(事故)を、「自分たちがやった」と、あとで発表することはあるし、今回も「便乗犯行声明」かもしれません。「あの地震は我々が起こした」と「事後予言」するカルト集団みたいなものでしょう。「弱い犬ほどよく吼える」のです。

それでも、中国当局が警戒していた組織ではあるようなので、オリンピックのテロ予告を、無視することはできないということです。

テロにあわないために、オリンピックを見るのを躊躇する心理が生まれること自体、テロ組織が狙っていることでもあるだろうし、やっかいな問題に直面することになりました。

少数民族に対する問題は、俺も、わからないではありません。差別、格差、貧困。少数民族に同情します。でも、彼らのような過激なテロ集団が、一般の人たちの支持を集めているとは考えられません。少数民族の問題と、テロの問題は、まったく別なのです。

これは何度か書いてますが、主義主張を訴えたいなら、他人を巻き添えにしないで、ひとりで自爆してくれ、ということだけです。この前の秋葉原の通り魔殺人事件に対しても、同じように感じます。


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2008/07/26

棚田米はどうして美味しいのか?

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「平成20年度棚田学会大会シンポジウム」が開かれます。

今年のテーマは、「棚田米はどうして美味しいのか?」です。

食品に関しては、産地偽装や消費期限改ざんなどがあとをたちません。ますます「食品」に対する「信頼」が求められるところです。

おいしさは「品種」「炊き方」「炊く水」「食事をするメンバー」「その日の気分」などで大きく変わってしまうのは、皆さんも経験から納得してくれると思います。「水がきれいだから」とか「時間をかけてゆっくり成熟する」とか「天日乾燥だから、水分の含有量 が何パーセントだ」とか、いろいろな理由も言われますが、もうひとつ、大切なのは「物語」なのではないでしょうか。

今まで見捨てられようとしてきたあの「棚田」、人間が自然の顔色をうかがいながら、こうこつと作り上げてきたあの「棚田」、知り合いの@@さんが作っているあの「棚田」、そういう特別 な「棚田」でとれた米を食べるんだという、棚田と自分自身の「物語」です。

それと「安心」ということもあるかもしれません。棚田米は、誰が作ったかわかるので、「安心」なのです。「安心」が人間の味覚にも影響を及ぼすこと自体は、変な時代だなぁとは思います。でも、こんな時代ではしかたありません。「安心」は、たしかに「美味しさ」の一部なのです。もちろん、これはあくまでも俺の「おいしさ」ですが。


テーマ:棚田米はどうして美味しいのか?
日 時:2008年8月3日(日) 14:00~17:45
会 場:日本橋三越本店6F「三越劇場」
参加料:1,000円(資料代込み、棚田学会会員は無料)

第1部(14:00~14:45)
 石井進記念棚田学会賞授賞式及び受賞記念講演
  ・佐賀県唐津市相知町「蕨野棚田保存会」
  ・三重県熊野市紀和町「丸山千枚田保存会」

第2部(15:00~17:45)
 シンポジウム「棚田米はどうして美味しいのか?」
 報告&パネルディスカッション
  ・コーディネーター:牛島正美
  ・パネリスト:佐藤藤三郎、渡辺すみ子、中山茂廣、木戸幸子、成川亮治、山岡和純


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2008/07/23

昆明の順城街(イスラム街)がなくなった時

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昆明のバス爆発事件の原因(犯人)はまだわかっていないようです。

今から3年前、昆明に行ったとき、昆明百貨店前のロータリー一帯は、巨大な公園に様変わりしていました。車道は地下を通 るようになっていました。まだ春節の休みらしく、いったいどこから出てきたのか?と不思議に思うくらいの人出。マックも、ケンタッキーも、ディコスも、家族若者たちであふれていました。

とうとう、百貨店から博物館への裏道、順城街(↑の写真)が姿を消そうとしているところでした。まだ3、4棟、古い建物も残っていましたが、ほとんどは瓦礫の原です。昆明百貨店の巨大なビルが、ますます大きく見えて、まるで勝ち誇っているようでした。

順城街はイスラム街でした。夕方になると、羊肉ケバブの煙と香ばしいイスラム風パンの香りが漂い、まるで中近東の国に迷い込んだような錯覚を覚えたものです。そのときは、いくつかの店が仮小屋で営業していましたが、かつての面影はなくなっていました。

もったいないなぁと思いました。今は「新しさ」が「良さ」ですが、そのうちきっと古い街並みの価値に気がつくのです。残しておけば、観光資源として使えただろうに。

昆明の都市計画にたずさわっている人の中に、先見のめいを持っている人物がいなかったことを残念に思います。もちろん、そういう意見を持っている人はいたのかも知れませんが、少数意見だったでしょう。(おととい書いた昆明在住の写真家のように) まぁ、中国人が自分でやるんだから、外国人の俺がとやかくいう筋合のものでもないかもしれませんが。

あの文化大革命でさえ壊れなかったものは、経済の大革命では、あっけなく姿を消しています。

こういう急速な「発展」は、一部の人たちには、裕福な暮らしをもたらしましたが、地方に行ったら、あいかわらず、20年前と、ほとんど変わらない生活を強いられている人たちが大半なのです。その格差は救いのないほどです。

こんな状態の雲南で起こったテロが、中国の未来を暗示しているようにも思えます。


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2008/07/22

中国雲南省孟連県の暴動

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(写真は雲南省孟連県ワ族の村)

昨日、昆明で連続バス爆破事件が起きましたが、雲南では、こんな事件も起きていたんですね。昨日ネットで知りました。

中国雲南省で住民と警官衝突、2人死亡…地元企業に抗議中
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080720-OYT1T00416.htm?from=main2 )

孟連県は、雲南省南西部にあり、13年ほど前、一度訪ねたことがあります。ミャンマーとの国境まで行ってみると、細々と両国間で交易が行われていました。

周りは、水田とゴム林とジャングル。タイ族やワ族などの少数民族地帯です。ちょうど、ゴム栽培をしているタイ族と知り合い、お茶を飲みながら世間話したことを思い出します。

山の中へ入ると、ワ族の村があり、新築中の家族のところで2泊お世話になりました。新築式で村人に出されたものは、畑で作った陸稲のご飯でした。青菜や、豚の干し肉を炒めたものをおかずにして、このピンク色したご飯を食べました。それと、穀物を発酵させたカルピスのような軽い酒「水酒」が美味しかった。

今回の事件は、ゴム関連企業と労働者との賃金をめぐるトラブルが発展したようです。この前の貴州の暴動もそうですが、普通の人たちの不満がたまりにたまっている、そういう感じを受けます。だから、今度はどこで暴動が起きても不思議ではありません。

中央での、オリンピックというお祭は、彼らには、遠い世界に感じているでしょう。少なくとも、「やらなければならない理由」は、彼らには「ない」のです。なぜなら、彼ら辺境に住む少数民族には、中国国家に対する帰属意識はあまり高くないように思うからです。オリンピックよりも、まず、目の前の生活・・・。


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2008/07/21

中国雲南省昆明でバス連続爆発

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中国でバス連続爆発、3人死亡 五輪治安に懸念
47NEWS http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072101000210.html 

中国雲南省の省都、昆明で、連続バス爆発が起きました。原因は不明ですが、公安当局は人為的破壊事件との見方をしているようです。とうとう雲南でもテロが・・・。

雲南には「回族」と呼ばれるイスラム教徒が住んでいて、昔から、政府と対立していました。麻薬村の一大掃討作戦が行われたのは、90年前後だったでしょうか。

雲南省は、80年代から観光地として発展してきました。毎年毎年、昆明の町が激変していることに驚いていました。古い町並みは次々に壊され、新しいビルが建っていることに、昆明の人たちがみんな歓迎していたわけではなくて、中には、そういう無節操な開発に違和感を抱いている人もいました。

俺が知り合った地元の写真家は、古い町並みがなくなっていくことを悲しんでいました。彼が撮った昔の写真を見せてもらったこともあります。

まだ原因(犯人)がはっきりしていないので、なんとも言えませんが、オリンピック開催に合わせた、不満分子の破壊活動なのかもしれません。


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2008/07/18

芥川賞から棚田の将来を妄想する

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(写真は新潟県松之山の棚田)

芥川賞に楊さん 日本文学に大きな刺激だ
産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080717/acd0807170336001-n1.htm

第139回芥川賞に中国人の楊逸(ヤンイー)さんの『時が滲(にじ)む朝』が選ばれました。

楊さんは中国で生まれ、昭和62年に来日してから日本語を習得したそうです。日本語を母語としない外国人が芥川賞を受賞するのは初めてとのこと。

かなり文学界には衝撃が走ったのではないでしょうか。文学界ばかりではありません。今、日本で進行している、日本の「国際化」も、ここまできたかという感じがします。

俺が旅を始めたころ、今から20数年前ですが、外国で会う日本人旅行者は、俺も含めてあまり英語はしゃべれませんでした。なので日本人旅行者だけで集まる傾向にありました。

別に言い訳するつもりではありませんが、当時の英語教育のもとで育った俺たちは、しかたなかったのです。多少単語と文法を知っていても、聞き取れないという問題が一番大きかった。外国人と会話することなど想定されていない授業でしたからね。英語は、コミュニケーションの道具としての「言葉」ではなくて、勉強するための「教材」にすぎなかったのです。

たぶん、この「英語コンプレックス」の裏返しとして言われていたのが、「日本語は難しい」「日本語は複雑だ」ということです。俺も当時はそう思っていたし、外国人に対して実際言ってもいました。

ところが、ある日本語をしゃべる欧米旅行者に出会ったとき、彼は「日本語は、それほど難しくないよ」と日本語で言ったのでした。それを聞いて、俺はちょっとショックでした。日本語が難しいから、難しい言葉を操る日本人に優越感を感じていて、だから英語が下手でもかまわないという、なんというか、そういう屈折した思い込みが、音を立てて崩れてしまったのでした。

もちろん彼は特別語学に才能があった人かもしれませんが、でも、俺にその「日本語は難しい」「日本語は複雑だ」という、日本人の勝手な思い込み、もっと言えば、日本人じゃなければ、日本語はあやつれないという思い込みを気がつかせてくれたのは事実なのです。

だから、今回の楊逸さんは、簡単に日本語をマスターしたと言いたいわけではもちろんありません。とんでもないです。約20年間の日本滞在で、芥川賞を受賞するくらいなので、並大抵の努力ではなかったと思います。

そういうことではなくて、つまり、日本語という言葉が、日本人だけではなく、世界の人の言葉になったということなのです。日本語の「国際化」とでも言ったらいいでしょうか。

あのジェロもそうですよ。アメリカ人が演歌を歌って大人気。日本人じゃなければ、日本語も、日本文化もわからないと思い込んでいた時代は終わりました。それが国際化です。いいことだと思います。

言葉(日本語)だけではなくて、相撲はモンゴル人とブルガリア人ががんばっているし、日本ふうの食堂(居酒屋)や、ラーメン店を営むイラン人もいます。

おととい、日本の食糧自給率の低さのテレビ番組を見ましたが、その中で、「農業にはスターがいない」と言っていたので、いっそここで、日本人の心を理解した外国人が、棚田を作り始めたら、たぶん、棚田界(?)では目立つ存在、スターになるかもしれないなぁ、そうすれば若い後継者もできるかなぁとか・・・ちょっと妄想してしまいました。


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2008/07/14

写真ギャラリー『イスラエル』ができました

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写真ギャラリー『イスラエル』ができました。

Ya_2『イスラエル』(a-Gallery)

首都エルサレム、「岩のドーム」や「嘆きの壁」、アコという港町、そして死海。

アコと死海の湖畔では、野宿しました。イスラエルでは、ヒッチハイクと野宿で周っている若者たちにたくさん会いましたが、たいていは、兵士の休日を利用しての小旅行だったようです。

ヒッチハイクの若者を乗せるのは当たり前の国なので、それに便乗したというわけです。

ユダヤ人から載せてもらったときは、日本赤軍の乱射事件の話に恐縮し、パレスチナ人から乗せてもらったときは、日本赤軍をほめられ、どういう顔をすればいいのか困ってしまいました。

ところで、死海湖畔で野宿した翌朝、アメリカ人が運転するレンタカーに乗せてもらったのですが、彼は、かなり酔っていて、結局俺が運転することになってしまったという話は、前に書いていますね。

Ya_2「飲酒運転について」(2006/09/10)


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2008/07/12

「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」は世界遺産登録見送り

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(写真は、骨寺村荘園の慈恵大師)

今年の新しい世界遺産が決まりました。

ユネスコ世界遺産のページ(http://whc.unesco.org/en/news/453)で確認できます。

カンボジア(実際はタイ領?)の「Preah Vihear Temple」や、中国は「福建省の福建土楼群」など、「なるほど、あそこかぁ」と、知ってるところも入っています。まだ行ってないですが。

ところで、日本の「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」は登録見送りになってしまいました。価値が認められなかったということで、再度申請するには、また何年か先になってしまうそうです。

以前書いた記事はこちらです。

「平泉の世界遺産登録「延期すべき」という評価」2008/05/23

地元でいっしょうけんめい活動している人たちには申し訳ないですが、旅行者からすると正直、あの静けさが、あと何年か守られると知って嬉しくもありますが・・・。


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2008/07/11

イランがミサイル発射実験

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(写真はイラン・ヤズド)

イランまたミサイル試射、報復能力アピール…国営テレビ報道
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080710-OYT1T00660.htm?from=navr)

3年前に、アフマドネジャド大統領になってから、イランは、それまでにもまして反米、反イスラエル色を強めています。

イスラエルからイランの核施設を攻撃されたら、報復するぞというイランのアピールらしい。

実際そんな事態になったら、イランはペルシア湾を封鎖するだろうし、石油に頼っている日本にとっても大問題です。

今でさえ、原油高で悲鳴を上げているのに、戦争が始まったら、ますます石油は手に入らなくなり、日本も、とんでもないパニックに襲われてしまうかもしれません。

遠い国の話ですが、身近で深刻な問題です。


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2008/07/10

北海道洞爺湖サミットが終わる

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洞爺湖サミットが終わりました。

今回のサミットは「成果あり」というのかどうか。具体的なことがなかったのは、いかに問題が複雑で、各国の利害が一致しないかの表れなのでしょう。

ただ、温暖化問題に関しては、低炭素社会を目指すという方向性は見えています。

CO2が増えたから温暖化するのではなくて、温暖化するからCO2が増えるという説もあり、まだ原因が完全にはっきりしたわけではありませんが、でも、原因がどうであれ、今の生活スタイルを変える(低炭素社会に変わる)ことは「今の時代に合っている」と思うので、CO2削減には賛成します。

じゃぁ、具体的に、自分は何をやればいいのか?と考えると、ちょっと戸惑ってしまいます。まだ、いろんな情報が錯綜していて、何をすればCO2が減って、何をすれば増えるのか、人によって違うことがたくさんあるからです。


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2008/07/07

北海道洞爺湖サミットが始まる

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「地球温暖化ガス排出量を現状から2050年までに半減する」という目標に合意するのは、まだまだ先になりそうです。

各国のいろんな利害がからんでなかなかまとまらない模様。

そんな中、アメリカはここに来て、温暖化ガス削減に積極的になってきたそうです。それは、裏に、原子力発電の推進という、次のエネルギー戦略があるから、とも言われているようです。

何だか日本だけ取り残されているような印象は、温暖化ガス半減のことだけではなく、今日の、首脳たちとの懇談している様子からも感じました。

欧米人たちの仲間に入りきれず、ひとりだけ取り残されている日本人、という図は、外国のゲストハウスでよく見る光景でもありました。

それは、言葉と習慣の違いがあるから、ある意味しかたのないことかもしれませんが。福田さんにそれを求めてもしかたないので、せめて、議長として何らかの成果があれば、とは思います。


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2008/07/05

1982年 トルコとヨルダンの写真

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今、時間を見ながら、「シルクロード館」の写真を増やしています。とりあえず、トルコとヨルダンが完成しました。

Ya_2『トルコ・イスタンブール』
Ya_2『トルコ・カッパドキア&アンカラ』
Ya_2『ヨルダン・アンマン&ジェラシ&ぺトラ遺跡』

これは、1982年の、2回目の海外旅行のときに撮った写真です。初めて一眼レフカメラで撮った写真でもあります。

この時期は、まだ「写真家」になることは考えていませんでした。ただ、1回目のヨーロッパ旅行のとき、パリで出あった写真集に感銘を受けて(詳しくはこちらで。「記憶は作られる」2007/03/28)、漠然と「写真はおもしろいなぁ」と思っていました。だから、一眼レフカメラを買って旅に出たのでした。

とにかく、旅がしたかった。それだけです。アルバイト先の焼肉屋の旦那さんと奥さんからは、「若いときにしかできないことだから、思い切りやったほうがいい」と言われました。就職もしないで旅をすることに、賛成してくれたのは彼ら夫婦だけでした。

25年も前に撮った写真で、その後、何度か見たのでしょうが(それさえも覚えてない)、ここ20年は見ていなかったはずなので、自分が撮った写真であるにもかかわらず、客観的に見ることができて、けっこうおもしろい。ただ、どこを撮ったものかわからない写真もあります。それが残念。

それとぺトラ遺跡のメインの建物の写真は、本格的には撮っていない。撮っていないのか、無くしたのか。写真を撮る目的ではなかったので、気が向いたときだけシャッターを押していました。今なら、絶対外すことがない大切な写真ですが、当時の日記を読んだら、ここへは歩いてやってきて、暗くなる前に泊まるところを探すのに必死になっていたようです。だから、写真を撮っているひまがなかった?のかな・・・。

日記によると、その日、野宿するのはやめて、声をかけてきた地元の遊牧民のテント民宿に泊まったようです。どうして野宿をやめたかというと、寝るはずだった洞窟には、どこも、たくさんのヤギの糞が散乱していた・・・。

この最初の古い写真を載せることにしたのは、自分の「旅の記録」として残しておこうと思ったからです。今までの旅全体が、「表現」のような気がしてきたからです。いつ死ぬかもわからないので、こつこつと、写真はウェブ上に増やしていくつもりです。


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2008/07/04

どこでもなく、いつでもない「ボーダー」な飛行機という場

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この前、何気なくラジオを聴いていたら、あるミュージシャン(誰だったか?)が、「飛行機が好きだ」という話をしていました。

その理由として、「世界のどこでもない」みたいなことだったと思います。これを聴いて、俺も「そうだ!」とうなずきました。

俺も、飛行機が嫌いではありませんが、この「世界のどこでもない」ことと、もうひとつ「何時でもない」こと。つまり、「国」とか「時間」から完全に自由になったような状態。いや、自由というのとは、ちょっと違うけど。「ボーダー(境界)」かな? (「ボーダーレス(境界がない)」の反対です)

ホントは、体がエコノミークラスの狭い席に縛り付けられているし、まるでブロイラーのように、何時だかわからないのに、強制的に食事を与えられる、苦痛を感じこそすれ、「自由」なんて、とても感じられる空間ではないのですが。

でも、その肉体的苦痛があってもなお、精神的には、うきうきします。それは、この「どこでもなく、いつでもない」という「ボーダー」な場にいることの、妙な快感なのです。

以前、「やってみたいこと。『ターミナル』を観て」(2005/10/05)でも書きました。「空港ターミナル」や、「山手線の内側」というのは、この「ボーダー」な場の象徴なのです。何物にも所属しない境界に生きる感覚、「ボーダー」に生きる感覚というのは、とても新鮮です。透明人間になったような。(あるいは『箱男』ですね)

ただ、こういうのは、ある限られた時間だとわかっているから快感なんでしょうね、きっと。人間は、どこかに所属していないと、とても不安なんです。

人が集まり、人と繋がる。今、社会と繋がった感覚が希薄な人たちの犯罪が増えているとも言われています。基本的に、みんなどこかに所属したい。していないと、生きていけない。

だから、せいぜい、飛行機の中では、つかの間の「自由」を満喫しようかな。


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2008/07/02

モンゴル首都ウランバートル 非常事態宣言

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(写真はウランバートルの町並み)

モンゴル首都緊張続く 非常事態宣言受け
47NEWS http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008070201000145.html )

今度はモンゴルでも、総選挙をめぐる大規模な混乱が起きているようです。数人が死亡。フジテレビ通信員の日本人も巻き込まれたらしい。

モンゴルへ行ったときの記事はこちら。

Ya_2モンゴル国に行ってきました(2007/08/26)

モンゴルの写真はこちら。

Ya_2モンゴル写真ギャラリー(aoyagikenji.com)


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2008/07/01

数万人暴動が起こった中国・貴州というところ

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(写真はロウケツ染めの布を洗うウェイさん)

昨日も書きましたが、貴州省は中国でも貧しい山国で、暴動の背景には、役人・公安に対する不満や、貧富の差があるかもしれません。

俺は、1989年、貴州省のプイ族の民家に1週間ほど通ってロウケツ染めを習ったことがあります。

その翌年の春節にはホームステイして、正月行事を見せてもらいました。

初めてそのローケツ染めを見たのは、貴州省安順市から30キロ南に下った黄果樹の滝を見にいったときに出会ったプイ族の女性が、ローケツ染めの民族衣装を着ていたのです。

その精緻な模様が気に入り、自分でも作りたくなったのでした。

ロウケツ染めをやっている家を探して、主婦であるウェイさんに、弟子入りしました。ローケツ染めは、液体状に溶かしたフォンラー(蜜臘)で白い綿布に模様を描き、乾いた後にトゥーディェン(藍の染料)で染め、最後に熱湯でフォンラーを洗い落とす。フォンラーで描いた部分が白い模様となって現れます。

ウェイさん宅では、電気は来ていましたが、裸電球ひとつで暗いし、テレビはないので、囲炉裏のそばで話をするのが、夜の過ごし方でした。

ウェイさんの次男が、高校の宿舎に泊まりながら勉強していて、週末に帰ってくるのですが、けっこう農村にしてはあか抜けした服装をしていたし、お湯を沸かして、洗面器で髪を洗ったあとは、カーラー(?)で髪を巻き、パーマをかけていたのが印象的でした。どこでも若い人は同じだなぁと思ったことを覚えています。

あの当時は、まだ中国の改革開放が始まったばかりで、中国全体が貧しさから徐々に抜け出そうとしている時期でした。ウェイさんや息子たちも、この改革開放に期待を寄せて、きっと俺たちも裕福になれると思っていたところはあると思います。

そういう「良い夢」を見ている彼らに接することが、俺にとっても、元気の源になっていたのは間違いありません。だから、何度も、雲南や貴州に行っていたのだと思います。

ところが、改革開放は、都会の人たちを豊かにしましたが、田舎にはあまり恩恵がなかったというのも事実でしょう。もちろん、それでも、当時と比べたら、生活レベルは上がったのでしょうが、でも、昔は、あまり「差」がなかった。みんな貧乏だった。だから、それは当然のこととして気にならなかった、ということはあると思います。

それが今では、格差は広がるばかり。中国人の話をする前に、俺自身の格差を考えなければならないのですが、それはさておき、田舎の人たちが、いつまでも生活が厳しく、それに引き換え、都会では裕福な生活を送っているのを知るにつけ、不満がたまっていくのはわかります。

しかも、中国の役人などの汚職、腐敗は、どこかの国以上に深刻だと聞いています。今回のようなきっかけがあると爆発してしまうところは、中国にたくさんあるのではないでしょうか。

チベット問題は、「漢民族」対「少数民族」という図で、問題を利用して愛国主義を盛り上げることはできましたが、中国政府にとっては、むしろ、各地にふつふつと沸き起こっているこういう「貧しい漢民族+少数民族」の不満が爆発することのほうが、怖いと思っているのかもしれません。

Ya_2「中国・貴州で数万人の暴動」


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中国・貴州で数万人の暴動

080701
(写真は貴州省黔西南プイ族ミャオ族自治州。市場へ向かう人々)

リンク: <女子中学生殺害>事件のもみ消し、住民数万人の暴動に―貴州省 - 速報 ニュース:@nifty.

容疑者のひとりは、公安幹部の息子だったという噂が流れ、暴動が拡大したらしい。

中国ではこのところ、当局の不正に対する抗議活動が各地で相次いでいましたが、数万人規模の暴動は異例とのことです。隠しておける規模ではないし、ネットで画像が公開されてしまったので、中国メディアも報道したようです。

貴州省は、雲南省、四川省、湖南省、広西チワン族自治区に囲まれた内陸の省です。今回、暴動のあった黔南プイ族ミャオ族自治州甕安(おうあん)県というのは、貴州省南部にあり、少数民族、プイ族、ミャオ族、スイ族なども多く住んでいます。少数民族の割合は57パーセントで、漢民族よりも多い州です。

俺は、この州を通過したことはありますが、滞在したことはありません。ただ、この自治州の隣、貴陽市、安順市、黔西南プイ族ミャオ族自治州、黔東南ミャオ族トン族自治州には、何度か行っています。なので、どんなところか、だいたい想像できます。

中国の経済発展からは取り残されたような山国。産業といっても、棚田や段々畑で営まれる農業が主で、80年代から90年代にかけて行っていたころ、正直、けっして豊かだなと思った記憶はありません。

いつも雲南省と比較して見ていました。明るい印象の雲南と比べると、天気も悪いし(貴州の省都、「貴陽」という地名は、太陽の光が貴重だから、というふうに聞いています)、町に行くと、建物もくすんでいたし、乞食や引ったくりや泥棒も多く、暗い印象でした。路線バスでは、デイパックをナイフで切られたし、怪しい詐欺師にひっかかりそうにもなりました。大きな町以外、田舎は今も、それほど変わらないかもしれません。

やりたい放題の特権階級や、貧しさに対する不平・不満が、日ごろからたまっているところではあったかもしれません。今回の大規模暴動の背景には、そのことがあったのは間違いないでしょう。それは、貴州省だけではなくて、中国内陸部はどこもそうなのでしょうが。

Ya_2「数万人暴動が起こった中国・貴州というところ」

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