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2009/02/16

「150」という数字

090216
昨日の朝日新聞に、「150」という数字について書いてあり、興味をひかれました。

それは、150人くらいの集団が、一番機能しやすい一塊になる、といった話です。たとえば、戦いでも150人くらいの部隊が活躍する、みたいな話だったと思います。

それと、アフリカから出た我々の祖先も、DNA解析から、150人程度のグループだったといいいます。これよりも、多くても少なくても、地球上で生き延びられなかったのではないか、というのです。

そういえば、30代のころ、俺は、今まで何人の人間と知り合っただろうか?と、ふと考えて、過去を思い出しながら数えたことがあります。ただし、たとえば、店で話しかけられた店員とか、街中で喧嘩したヤツとか、職務質問した警官とか、そういうのは含めません。名詞交換までいかなくても、お互いが、素性を明かし、人格を認め合ったくらいの知り合いです。

親、妹、じいちゃん、ばあちゃんから始まって、親戚、幼稚園、小、中、高校、大学、バイト先、旅先で会った人たち、カメラマンや編集者、写真展で会った人たち、酒乱の元暴力団員などなど。

たしかこの計算をしたのは、35歳くらいのときで、2000人程度ではなかったかと思います。これを多いというか、少ないというか分かりませんが、俺は、感覚として、少ないなぁと思いました。

知り合ったあとも、付き合いが続いているのは、何人いるでしょうか。せいぜい年賀状のやり取りをしている人たちは、少なくとも、1年に1回、その人のことを思い出すので、それを考慮すると、だいたい150人くらいなのです。150人ならば、顔も素性も思い出し、「考えられる範囲」「何か頼まれたとき、責任を持てる範囲」といってもいいでしょう。

もちろん中には、500人も、1000人も年賀状を出す人もいるでしょうが、ひとりひとりのことを考えられるのか、ちょっと疑問。少なくとも、俺にはできません。

一生のうち、俺は、まぁ多く見積もっても、5000人程度の人としか知り合わないということです。(どんな仕事をしているかで、知り合う人の数は、かなり違ってくるでしょうが) 67億人の中の、わずか5000人です。

世界で知り合わない人のなんと多いことか。知らないことのなんと多いことか。ということに気がつき、ちょっと愕然とします。ずいぶん狭い範囲で生きて、死ぬんだなぁと。

でも、最初に戻りますが、150人程度を知っていれば、いいんでしょうね。もっと少なくてもいいのかもしれません。「数」よりも、「質」です。俺は友だちが少ないので、多少ヒガミが入っていますが。


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