カテゴリー「犬連れ旅や犬にまつわる話」の346件の記事

2023/04/05

写真展「おいぬさまの肖像」と「わんちゃん大祭」

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昨日も武蔵御嶽神社 へ行ってきました。

4月中旬以降、宝物殿に展示される予定の追加の「狼のお札」を神社へお渡しし、写真展会場には、サンプルとして『オオカミは大神 弐』を置かせてもらいました。このくらいは宣伝させてもらいます。社務所で販売中です。

なお写真展会場(神楽殿)内の撮影、SNSへのアップはOKです。

また、式年祭期間中の戌の日、4/22、5/16には「わんちゃん大祭」が執り行われます。

ケーブルカーにもペット共有エリア(鳥もOKらしい)が設けられているので、歩けない老犬などはケーブルカーで登れます。

ただし、その先には、急坂と階段が待っています。「わんちゃん大祭」にヴィーノも参列したかったのですが、昨日、上った感じからして、今のヴィーノには難しそうなので大祭は諦めるしかなさそうです。

10年前はヴィーノも階段を上ったんですが。(ヴィーノというより、我々夫婦の体力の問題か?)

 

 

 

 

 

 

 

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2023/01/14

山口県防府市 毛利氏庭園の紅葉とヴィーノ

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毛利氏庭園を訪ねたのは昨年12月中旬ですが、まだ紅葉が終わっていなくて、「旅するヴィーノ」の撮影には、ちょうどいい条件でした。

 表門から本邸に通じる路の橋の周辺が一番紅葉していたので、アングルを替えて、ヴィーノの撮影をしました。

 

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2023/01/13

【犬狼物語 其の六百四十三】山口県防府市 三宝荒神宮

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山口県防府市の三宝荒神宮は、ペットの守護神といわれる宮で、3体の犬像が奉納されています。

どうしてここがペットの守護神と言われるのでしょうか。神社の由来の解説には、

「寛永十七年(一六四〇)此の地方に犬牛馬に病が流行し多く死す村人うれいて仕事も手につかず老人は気を患う早速社を建立し祈願したるところ悉く治り平安となる 平成二年が三百五十年に当たりここに社を再建する 精神安定の神火難及び家畜の守護神として人々の崇敬をうける 講中」

と、あります。今、鳥インフルエンザが流行り、多くの鶏が殺処分されています。昔であれば、こういった状況では、社や祠を建てて、収まるように祈願するしかなかったんだろうなと思います。

 

 

 

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2023/01/11

【犬狼物語 其の六百四十一】福岡県北九州市 到津八幡神社の子守犬と子守石

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到津八幡神社に子守犬があります。犬張り子を模した石像です。

「安産と成長守護」が一番のご神徳である到津八幡神社のHPには、子守石について、このようにあります。

「お子様が生まれるまで、お母様の枕元において、お腹の赤ちゃんのお守りとしてお持ち頂きます。無事、お生まれになりましたら、神様に報告する為に中の子守石に赤ちゃんの名前と生年月日を記入して子守犬に納めます。石は後日、神殿に安置します。今後の守護と無事成長を祈念するものです。」

ちなみに子守石を納める場所は、男の子、女の子に分かれています。

犬や石については、以前「産育の石をめぐる民俗」として、埼玉県越谷市の香取神社でも書いた通りです。到津八幡神社も同じように、子安信仰の犬像と石がいっしょに置かれている神社です。

新谷尚紀著『生と死の民俗史』「境界の石」「産育の石をめぐる民俗心意とその儀礼的表現のメカニズム」には、

「同じく小石を身近におきながら妊娠、出産、育児の各段階でそれぞれ民俗としての意味づけが異なっているという点である。出産以前においては、子授けや安産、出産前後には産神、離乳のころには歯がため、というふうにである。」

また、境内には、子安神社も祀られていて、お食い初めで使う歯固めの石は、授与所で頒布しているそうで、使い終わったあとはこの子安神社に納めるとのことです。

石と犬の産育民俗がしっかりと息づいている神社でした。

 

 

 

 

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2023/01/07

【犬狼物語 其の六百三十七】熊本県山鹿市 大宮神社

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熊本県山鹿市に鎮座する大宮神社を参拝しました。

すると、けっこうおもしろいものがたくさんある神社であることがわかりました。

とくに「犬子ひょうたん」の像。

犬子ひょうたん祭(いんごひょうたんまつり)というのがあるそうです。これは境内社、八坂神社の毎年6月15日の祭事で、ひょうたんを抱えた子犬の形をした米粉細工のお守り「犬子ひょうたん」が授与されるそうです。ネットで検索すれば、実物の米粉のお守りを見ることができます。

厄除けとして買い求め、神棚などに祀り、一年間の無病息災を祈る風習があります。

この風習には、伝説があって神社HPから引用すると、

「京都より神様をお遷ししていると、突然子犬が姿を現しついてきた。長い道中、子犬が疲れたため、ひょうたんのお神酒を少し分け与えるとすぐに元気になった。その後、一行は無事中村(山鹿)に辿り着き、神様のお遷しの神事を終えると子犬は突然姿を消した。すると当時山鹿で流行していた疫病が途絶え、平和が訪れた。」

このことから、この子犬は神の遣いとして信仰されるようになり、犬子ひょうたん祭がおこなわれるようになりました。

犬にまつわる民俗としては、なかなか面白いもので、初めて聞くものです。偶然「大宮」に立ち寄りましたが、ヴィーノを連れているので、犬に呼ばれたのかなぁと思います。

他には、「ぎおんさん鳥居くぐり」や「甲斐神社」。甲斐神社はまた「足手荒神」ともいわれ、手足の病に苦しむ人の守り神とのことで、靴が置かれています。

 

 

 

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2022/12/25

再びの宮島(今度はヴィーノ連れ)

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先日、宮島に渡ったときはヴィーノを車に待たせて、俺たちだけで行きました。

というのも、厳島神社社殿内には入れないことがわかっていたからです。

でも、雪が降り、山陰を通って帰るのはあきらめ、瀬戸内側を戻ることにしたら、ちょうど宮島あたりは奇跡的に晴れることが分かったので、今度はヴィーノを連れて行くことに。フェリーには犬は無料で乗ることができます。

ただ、キャビン内に入ることはできないので、デッキにいる必要があります。この寒空で大丈夫かなと思ったのですが、行きは、西から東への移動なので、西風の冷たさは感じませんでした。

ところが、上陸してすぐ、突然空が曇って、強烈な雨と風(嵐)に見舞われて、びしょぬれになってしまいました。意外と、西風を避ける場所がなかったためです。

それも10分もすると、嘘のように再び晴れました。強風は変わりませんが、陽が出ると、少しは暖かさも感じるし、過ごしやすい。その中でヴィーノの写真です。

外国人が、鳥居を背景に、変なポーズを取って写真を撮っているのを不思議そうに眺めるヴィーノがまた面白い。

ヴィーノの写真が目的だったので、1時間ほどで本州側に戻りましたが、帰りのフェリーはもろに西風の影響を受け、寒いのなんの。ヴィーノよりも俺の方が寒がっているような状態でした。

 

 

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2022/12/23

阿蘇山を見るヴィーノ

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阿蘇スカイライン展望所と、大観峰 展望所のヴィーノ。 

前日雪が降りましたが、翌日は晴れたので、なんとか道は通れそうだと判断して展望所に寄ってみました。(産山村・扇の棚田の途中です)

雪があるとかえって元気なヴィーノです。子どものころから雪が好きな犬ですね。

 

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2022/12/13

きなこ像

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丸亀駅前に「きなこ」像が建っています。この「きなこ」像は、前著『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』を書いたときにはまだ建っていなかったものです。

いつものことですが、ヴィーノは名犬と比べられてしまいますが、迷惑なんでしょうね。

 

 

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2022/12/10

ヴィーノ連れの車旅

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ヴィーノは15歳。ヴィーノを連れての車旅は最後かもしれないと思いながら、西日本の車旅を始めています。今日で4日目。

これは2日目の朝、瀬戸内市のある公園で撮影したもの。

 

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2022/09/30

【犬狼物語 其の六百二十四】何の音?

 

『日本民俗文化大系1 風土と文化』千葉徳爾「第一章 日本の民俗と自然条件」には、このようにあります。

「イヌが遠吠えするのをタチナキといって、これをしているのは何か人の目にみえぬ精霊の姿をみて吠えているのだとして警戒心を強めるのである。タチナキのタチは夢枕にタツとか落雷をカンダチというのと同じく、霊が出現する場合をいう言葉である。」

イヌは音や匂いに敏感であることはヴィーノを見ていて、常に感じていることです。これまでも、イヌはあの世とこの世を行き来する存在、「自然への窓」とも表現してきました。

イヌを飼っている人は「家族」とは言っていますが、家畜化されたとはいえ、完全に人側にいるわけではなく、やはりどこかわからない部分があります。野生が残っています。異界と人間界を行ったり来たりしているのではないか、そんな神秘的な存在にも思えます。

家畜化されていないオオカミならなおさらです。山に棲むイヌ(ヤマイヌ=オオカミ)は、それこそ山の神さまの使い、という地位を与えられても不思議ではないでしょう。山の神さまは見えないものですが、オオカミの姿を通して、神さまの存在を感じることができたのではないか、と思います。

マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』には、 

 「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」

「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

「元型」とあるのは、フォックスの心理学的な考察からきた言葉でしょう。たしかに、西洋でも、現在では(昔は違ってました)、オオカミは自然に対する「元型」というのはわかるし、日本での原初の狼信仰も、もともとは「元型」であることから生まれたのではないかと思われます。

 「元型」とは、心理学者ユングが提唱した概念。「集合的無意識で働く人類に共通する心の動き方のパターン」といった意味。代表的なものに「太母」「老賢者」などがありますが、「オオカミ」もそうなのではないか、ということです。

西洋でも、モンゴルでも、日本でも、さかのぼればさかのぼるほど、狼信仰に共通したイメージを感じられますが、そこが「元型」といわれる所以でしょう。人間に共通の「元型」なのではないかと思います。

 

 

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