東日本大震災の現場 (27) 南相馬市小高地区の倒壊した文化財、織物工場
(写真は上から、小高駅前、路上に崩れたままの民家、倒壊した織物工場、小高川の水仙と桜)
小高の街中を歩くと、倒れたままの家が目立つ。
ある瓦礫の前でおじさんが作業をしていた。
原町と違って、小高は水田地帯だったので地盤が弱い。だから液状化もあった。
この崩れた建物は、明治時代から4代続く織物工場だった。最盛期のときはこの町に40数軒の工場があった。震災直前は6軒。そのうち地震で3軒が倒壊した。あとの3軒はかろうじて残ったが、跡継ぎはいないし、織物の再開はしないだろう。小高から織物業が消える。
最近ではラメ入り布を織っていた。これはアメリカなど外国へも輸出されていた。芸能人が着ている衣装のきらきらした部分は、小高の織物を使っているのもある。小高では外貨を稼ぐ産業だった。
文化財としても貴重な機械や、歴史のある織物工場の建物はなくなってしまった。
今は、原町の借り上げ住宅に住んで、ここに通っている。16日から警戒区域が解除されたが、自分は事業主なので頻繁に帰っていた。
自転車を1台盗まれたことがある。その泥棒は黒人だったが、自転車に乗っている黒人はいかにも怪しく、消防団に止められて、問いただされて、この家から盗んだことを白状したのだという。だから自転車は運よく戻ってきた。黒人は空き家を物色していたんだろう。検問をかわして警戒区域にもぐりで入ったらしい。
これからようやく片づけが始まるわけだが、ここにボランティアは来ないだろう。東北のボランティアはだんだん少なくなっているし、ボランティアの熱は冷めてしまったようだし。そしてここは特別の場所だから。
電気はすぐ来るが、水がないし、下水もだめ。当分生活するのは難しい。生活できるようになるには、1年くらいかかるのではないか。
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