「黒子のバスケ事件、被告に懲役4年6カ月を求刑」のニュース
黒子のバスケ事件、被告に懲役4年6カ月を求刑
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASG7L5Q7CG7LUTIL046.html)
初公判の意見陳述では、渡辺博史被告は、まるで独演会のように雄弁に語りだしたそうです。劇場型犯罪のクライマックスとしてふさわしい、渡辺被告がイメージしていたシーンだったのでしょう。
渡辺被告は、藤巻氏の学歴やバスケ漫画での成功について触れて、「手に入れたくて入れられなかったものを全て持っている作者のことを知り、人生があまりにも違うと思った」とターゲットにした理由を述べていて、「人生があまりに違いすぎることから、事件を『人生格差犯罪』と命名していた」と説明しました。
でも渡辺被告は、藤巻氏という漫画家に嫉妬し、恨みを持ったというきわめて個人的な狭い動機だったということなんでしょう。
それなのに、それをあたかも、「社会の格差が自分の犯罪を生んだ」みたいに自分を大きく見せようとしているのが陳腐であって、犯罪者でなかったら、まったくつまらないストーリーで誰も耳を傾けません。マスコミが大きく取上げたことで図に乗ったということなのかもしれません。
しかも今回の最終の意見陳述では数10枚のメモを準備してきていて、今までの恨み節とは一転し、改心したような、あまりにも「漫画チック」なストーリー展開は、へたな作文を聞かされているようで気恥ずかしさが漂います。
こういった劇場型犯罪の犯人は、だいたいにして、大勢を巻き込んでいくのが特徴だそうです。そう言われてみれば、秋葉原の無差別殺傷事件の加藤被告もそうでした。「社会が犯罪を生んだ」みたいなふうに世論を持っていく癖があるんでしょう。そしてそこに同調してしまうバカがいるんだから、世の中は恐ろしい。
渡辺被告は年収が200万を越えたことはないといっていて、仮に4年刑務所に入ったら、200×4=800万円で、自分を有名にするプロモーション代としては安いくらいに思っているのではないでしょうか。渡辺被告が言うように「無敵の人」」が増えるなら、犯罪がプローモーションの手段として使われる怖さも増えるということかもしれません。
「表現」と「犯罪」は紙一重のようです。
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