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2014/08/31

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (10) バリ島のコメ菓子&食品

140831_2(クエ・ラピス、バンタル、スンベン)

140831_3(ワジッ)

140831_0(タペイ、スンベン)

140831_4(クエ・ラピス、タペイ、ゴーベス、アーパム、ワジッ)

140831_8(バリライスのおこわ)

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140831_7(クトゥパッ)

ウブドゥ王宮の向かいにあるウブドゥ市場を覗いてみました。

まず見つけたのは、先日テガラランの市場で見たちまきふうお菓子の「バンタル」と「スンベン」の上にパック詰めされた緑、白、ピンク色が層をなしたコメ食品「クエ・ラピス」がありました。ヨウカンのような食感で甘いお菓子です。

さすがはバリの市場。コメ食品も豊富です。市場で買い求めたコメ食品をゲストハウスに持って帰って皿に盛りつけました。(4番目の写真)

写真左側下に見えるのが「クエ・ラピス」。最初に説明した通り、層状になったコメ食品です。

以下、時計回りに書くと、その上が「クエ・ラピス」のパックにいっしょに入っていたココナツをまぶした甘いお菓子。名前を聞きそびれました。

その上は、プラスチックの透明なカップに入った「タペイ」。「タペイ」はじゃっかん薄緑している麹を加えた発酵食品。食べる甘酒といったところでしょうか。もち米の粒粒感が残っていて、日本で飲む甘酒よりも歯ごたえありますが、甘酒独特のいい香りがしておいしいものです。

非イスラムのバリ島では問題ないと思いますが、以前、ジャワ島でもタペイを食べました。イスラム教徒にも許される食べ物なんですね。揚げ足とるつもりはなく、たぶん、この発酵食品は、イスラム教が入る以前からあった伝統のコメ食品だからなのでしょう。

次の「ゴーベス」は白とピンク色した蒸しパンのようなもので、表面はココナツを削ったものがたくさん乗っかっています。カップの底にコメの粒粒感が残っています。

次の「アーパム」はこの中では一番甘くないあっさりした味の蒸しパンふうです。ココナツ味もしません。(もしかしたらこれだけは、コメ食品ではないかもしれません)

最後「ワジッ」は、茶色をしたもち米の甘いおこわで、コーン状になっています。ココナツ汁で煮たものです。

バナナの天ぷら、バナナを甘く煮たもの、黒いもち米、白いもち米などを指さして、「これと、これ」と注文すると、おばさんがそれらを盛りつけ上からココナツを削ったものと、黒蜜をたっぷりかけた食べ物を作ってくれます。これはおいしかった。甘いもの好きな人にはたまりません。

編んだヤシの葉に包まれたものは、「クトゥパッ kutupat」といって、コメを煮て圧縮し固めたご飯でした。バリ独特というより、断食や祭りにも食べられるインドネシアのコメ食品。これは持ち運びにも便利だし、弁当代わりになるのではないでしょうか。





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2014/08/29

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (9) もう一度早朝のテガラランの棚田

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もう一度、早朝のテガラランの棚田撮影にトライ。

明け方の空にはまだ星が輝いていました。

棚田がオレンジ色になっているのは街灯の明かりのせいです。

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2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (8) グヌン・カウィ

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パクリサン川流域にあるグヌン・カウィ。

ウブドゥからバイクでテガララン経由で行きましたが、「グヌン・カウィ」という寺院はもうひとつありました。その寺院からさらに30分、目的地のグヌン・カウィ寺院は、タンパッシリンにありました。

バリでもっとも古いスバック・システムの景観が残っている寺院だそうです。入口から階段を下りてゆくと、用水路をパクリサン川からの水が勢いよく流れています。これが棚田を潤し、村人の生活用水にもなっています。

棚田は田植えが終わったばかりの状態で、水にヤシの木が映る棚田は、こじんまりしていますが、美しい棚田でした。

日陰に入るとひんやりとして気持ちがよく、境内には寺院と王家の陵墓や王妃の陵墓もあります。


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2014/08/28

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (7) バリ島の在来種、バリライス(パーディ)

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バリライス(パーディ)は、バリ島の在来種で、紫黒色や茶色をしています。宿の主人によると、普通の白いコメ(ガバ)は、収穫まで5か月かかりますが、バリライスは7か月かかります。今、棚田に植えてあるのは普通のコメですが、これが収穫し終わったら、バリライスを植えるそうです。

収穫の仕方も違います。バリライスは、20〜30cmの穂を刈ります。刈ったバリライスを天日乾燥している作業所があり、地面にそのまま広げられて干されていました。

なお、白いコメは根元から刈って打ち付けて脱穀します。

ところで、棚田(水田))のことは、バリ語で「チャーリ」というそうです。ちなみにインドネシア語では「サワ」。

棚田を見渡せる絶好のロケーションにビリーズ・テラス・カフェがありますが、昼はビュッフェをやっていて、セルフで「ナシチャンプル」を作ることができます。それが下から2番目の写真。この写真の左側に写っているのがカップに入ったデザートですが、これもまたバリライス、紫黒米のプディング「インジン」です。

12年前もここにカフェはありましたが、そのときもバリライスのナシチャンプルを食べた記憶があります。

宿泊していたゲストハウスの朝食にもバリライスが出ました。一番下の写真。

なお日本では、バリライス(在来の紫黒米)に由来する品種が栽培されているようです。
 
 
 
 
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2014/08/26

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (6) ジャティルイ棚田の朝

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写真がメインの旅だと、どうしても天気待ちの時間が必要になってきますが、結局3日目の朝まで待って、ようなく爽やかな晴れ間も見えて、それなりに写真を撮ることができました。

東の空を見ながら日の出を待っていると、三角形の山影が浮き上がってきます。これは聖なる山、アグン山です。太陽は、この左隣から出ました。そのあと太陽は左上に移動していきますが、日本とは逆です。日本では、太陽は右上に移動していきます。ここは南半球なので、太陽は東から出て、北に移動するのです。

太陽が出た瞬間、強烈な光で、山も見えなくなってしまいました。

広々とした棚田はいいですね。開けた地形なので解放感があります。

トレッキングのコースもいくつかあるようです。南へ歩いていくと、棚田の下の方のジャングルにヒンズー寺院がありました。棚田の中にある幽玄な雰囲気の寺院です。有名ではなくても、こういう寺院は何かを語りかけてきます。「鎮守の森」ですね。
 
 
 
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2014/08/25

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (5) 世界遺産「ジャティルイ棚田」

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ウブドゥからバイクでジャティルイ棚田に移動しました。

島の南側タバナンから島の北側シンガラジャへ抜けるルートの分岐点から狭い道を西に入っていきますが、ちょうど観光客がジャティルイで昼食を取った帰りの時間帯だったらしく、車の渋滞に巻き込まれてしまいました。

分岐点からジャティルイまで意外に時間がかかってしまい、ちょうど村に着いて通行料を払ったとき、雨が降り出しました。

急いでゲストハウスに入って雨宿り。間一髪でセーフ。

天気が回復することを願うしかありません。夜も雨が降ったりやんだり。次の日も、曇り時々晴れですっきりしません。歩くにはいい天気でしたが。

2012年にはバリ島初の世界遺産「トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」ができました。メインの棚田はここですが、棚田を歩いてみるとわかるように、豊富な水が流れていて、このスバック・システムがうまく機能しているのがわかります。
 
 
 
 
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2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (4) 「バビグリン」とテガララン市場のコメ食品

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イブオカは、空港からのタクシードライバーも勧めていた「バビグリン」の店です。ネットで店を調べたら、ゲストハウスからもほど近い王宮の入口の斜め向かいにありました。

昼の混雑を避けて、早めに店へ行きました。2階の座敷席は気持ちがいい。ベランダからは王宮の入口の観光客の姿が見えます。

メニューはいくつかありましたが、「ご飯もの」として写真に撮りたかったので、ご飯の上にバビグリンを載せた料理を注文しました。45000R。

豚肉、飴色になったパリパリの豚の皮、辛い血入りのソーセージ、モツの空揚げ、インゲンの和え物、そしてごはん。上からソースがかかっています。このソースがカレーではないけれどエスニックな味です。

ここが「おいしい店」といわれれば、これがバビグリンの最高だと信じるしかないわけですが。12年前はそれほど好きではなかったので、食べた回数が少なく、どういう味だと「おいしい」といえるのか、まだわからないからです。

ただこの豚の皮のパリッとした感じは病みつきになるかもしれません。

バリといったらバビグリンというくらいの名物らしく、どんなガイドブックでも紹介されている料理ですが、このイスラム教徒が多いインドネシアで、豚肉料理が名物というのは、けっこうインパクトがありますね。

バリ人がインドネシアというイスラム国内での少数民族、非イスラム教徒であることを。バビグリンで静かに主張しているようです。

テガララン棚田の撮影のあと、小さな村の市場に寄って、コメ食品を探してみました。

白いちまきは、バンタル。後で食べてみたら、バンタルは、もち米のちまきで、ココナツを削ったものが混ぜてあり、中心部にはバナナの塊がはいったものでした。

もう一種類は、スンベン。スンベンは、バナナの葉に包んで煮たもので、こちらにもバナナが入っています。ウイロウふうのちまきでした。舌触りはなめらかなので、うるち米を使っているのではないでしょうか。

ポン菓子もありました。茶色と、白赤があります。
 
 
 
 
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2014/08/24

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (3) テガラランの棚田

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朝5:30に起きて、ベランダに出て表を見たら、東の空に舟型の有明の月が浮かんでいて、雨は降っていないとわかったので、急いで身支度をしてテガラランへ向かいました。

街灯も少しはあるし空も明るくなりかけていましたが、道のところどころに穴があって危ない。こんな道だったかなと思います。早朝なのにバイクや車の往来も多かったです。

10kmほど走り、テガラランの市場を通り過ぎて、しばらく北上すると、右側に棚田が見えてきます。カフェやお土産屋がびっしりです。ただ、まだ6:30なので、観光客もいないし、店も閉まったままで、静かな中で早朝の棚田を歩くことができました。

寒さ対策をしてきたのですが、その心配はまったくなく、日の出前にはTシャツ1枚になったくらい暖かです。それでも東京よりは涼しいかもしれません。

水が流れる音と鳥の声。

世界遺産になったジャティルイ棚田は広大ですが、ヤシの木も点在しているし、形の面白さからいうと、ここテガララン棚田の方が箱庭的な美しさがあります。狭くても心に訴えかけてくるものがあるというのは、日本の狭い棚田も同じです。
 
 
 
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2014/08/22

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (2) バリ・ウブドゥでバイクを借りる

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バリ島の空港に着いたのは、昨日の午後。

空港タクシーでウブドゥへ、ジンバラン出身のドライバーに、12年前の爆弾テロからの復興など、話を聞きたかったのですが、そういう話には全然興味を示さず、「女とホテルのセットで400。行く?」というのを、何度も断って約40分。ウブドゥに到着。たくさんの観光客があるいていました。

すぐ、レンタルバイク屋でバイクを借りました。交渉の結果4日間で20万Rに。1日当たり450円くらいでしょうか。

バイクに乗って宿探しをしましたが、けっきょく、20年前に泊まっていた王宮裏のホームステーにしました。部屋は昔泊まっていたところが空いていて、2階のベランダは相変わらず気持ちいい。当時3歳だったという女性が受け付け。赤ちゃんがいたように思うので、たぶんその赤ちゃんなんでしょうね、彼女は。もう子供もいました。

日中晴れると暑いですが、夕方から涼しくなって、ちょうどいい気温です。バイクで少し郊外に出ましたが、以前ならすぐ田んぼだったのが、いつまでたっても田んぼになりません。暗くなってきたので、今日は撮影をあきらめて戻りました。

夕食も以前通っていた食堂ですが、少しこぎれいになったかんじでした。

バリらしいものといって「Siap Base Bali」というチキン料理を頼みました。「バセ」はスパイスのことだそうです。だから「バリ・スパイスで煮込んだチキン」といった料理でした。ジャガイモとニンジンもいっしょに煮込んでありました。カレーというほどスパイスが強くなく、あっさりとしています。どちらかというと素朴な味わいです。

もちろん「コメ食品」として頼んだので、ご飯もいしょに。ご飯はインディカ米をお椀型に盛ったものでした。
 
 
 
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2014/08/21

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (1) Air Asia でバリへ クアラルンプールは新ターミナル(KLIA2)

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マレーシア・クアラルンプールのLCC空港ターミナルは、今年2月に来たときと大きく変わっていて、LCCらしく飛行機の巨体を見上げながら滑走路を歩くこともなくなっていました。ブリッジに着いて、そのまま屋内だけ歩くようになっています。

あまりにも突然新しくなったので、ネットで確かめたら、5月9日に移転したんですね。どうりで。前のターミナルではなかったわけです。

エアアジア、クアラルンプール国際空港ターミナル移転(KLIA2)を告知 5月9日から
http://dsk.ne.jp/news/airasia_klia2_2014.html

手続で長時間並ばされることもなりました。トランジットのスペースも広くなっていて、いろんなカフェがあるので時間つぶしも楽になりました。

館内はどこでもだいたいWiFiが使えます。(1時間だけ?) 仮眠できるような快適な大きな椅子もあるのでトランジットは楽になったと言えるでしょう。

マレーシア航空は、行方不明や撃墜されるなど、災難続きで大変ですが、エアアジアは順調であるように見えます。
 
 
 
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2014/08/18

昨日は立秋の末候、七十二候の「蒙霧升降(ふかききりまとう」

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昨日2014年8月17日、七十二候の「蒙霧升降(ふかききりまとう)」。「深い霧が立ち込める」などといった意味です。

写真は12年前に撮影した熊本県八代市 日光(にちこう)の棚田です。

棚田は急坂を上った日光集落の、さらに上のほうにありました。周辺の山林を背景にして石積みの棚田が雛壇状に続いています。

雨上がりの霧が収穫前の棚田に漂い、夏でもひんやりとして高所であることを感じさせました。

当時、耕作者のおじいさんからこんな話を聞きました。

このあたりで「棚田」は「千枚田」と呼ばれている。千枚田は昭和33年から36年ころ自分で開田した。子供7人いたから、自家消費のためにコメを作った。あまった分は、親戚にやった。当時は、どこの家庭も子供が多かった。7、8人は普通だった。でも、コメを食べるのは、盆と正月だけ。普段の日は、イモ、ムギ、アワを食べていた。穀類とコメを合わせたご飯は「三穀メシ」と呼んでいた。当時村の人口も300人、400人はいた。今は100人しかいない。千枚田はここ数年でなくなる。10年は難しい。みんな60を越えているから。でも、希望者があれば、田んぼは貸すよ。

このおじいさんの予想通り、最近はとうとう耕作者がひとりになってしまったようです。
 
 
 
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2014/08/17

近々未来予想ショートストーリー 『人類みな兄弟』

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タイの代理出産の問題で、父親とされる日本人男性の目的は何なのでしょうか? 最初は「人身売買か?」と思われましたが、そうではないらしい。では税金対策なのでしょうか? ある報道では、男性は毎年10人から15人の子供を死ぬまで作り続けたいと代理出産仲介業者に話していたといいます。

この近々未来予想ショートストーリー『人類みな兄弟』は、そんな疑問と不安から発想したまったく架空の物語です。こういう物語を語らないと、今の俺にはこの日本人男性の目的のわからなさからくる不安や怖さを解消できないのです。

        ☆☆☆


アキラは喜びに沸く支援者たちから離れた場所へ移動し電話した。

「父さん。やりましたよ。都知事選、勝ちました」

「そうか、アキラ。よくやった」

重畠光利(しげはたみつとし)は満足だった。

光利は深々と椅子に座り、壁に架けてあるタイ人画家バウスックの「世界」という名画を愛おしむように眺めながら、日本の行く末を思った。

「これで私の理想とする社会が一歩近づいたかな」

今から30年前の2013年ころ、光利は幾度となくタイに渡航し、代理出産を頼んで、自分の子供を作っていた。卵子は世界各国から集めてもらい、自分の精子と人工授精させ、現地タイ人女性を代理母とした。こういったことを商売とする病院がたくさんあった。当時タイでは代理出産に関する法律はなく、金さえ積めば自分の子供を作ることが可能だったのだ。

光利の父親は事業で成功した資産家、重畠家を興した人物だったので、光利は子供のころから金に苦労することはなかった。「やりたい」と思ったことはすべてやれる境遇の人間だった。

光利は30年前、自分が世界に貢献できることは何だろうと考えていた。

光利は自分が「平和主義者で善良な人間」だと思っていた。実際、青年時代も、資産家の御曹司であったがどちらかといえば質素で、あまり派手なことは好きではなかった。喧嘩もしたことがないし、人には親切だった。勉学にもまじめに取り組み、父親に反発した記憶もない。いってみれば典型的な優等生だった。

そんな光利の行き着いた思想は、自分のDNAを持った子供が日本を、そして将来は全世界を支配すれば、喧嘩も争いもない平和なすばらしい世界になるはずだと信じていることだった。

光利は2013年から14年にかけて、タイで1002人の子供を作った。そしてすべて自分の子として認知し、秘密裏に日本に入国させ、全国都道府県に約20人づつ割り振り、養父母を雇って育てさせた。表向きは養父母たちの子供として暮らしていたが、戸籍上はすべて重畠光利の子供であった。教育費も惜しまず、子供たちには最高の教育を受けさせた。

成人した彼らは、ある者は政治家を目指し、あるものは医者になり、ある者は企業家として成功し、ある者は教職を続け、ある者は自衛隊幹部に就いていた。

長男であるアキラは東京都議会議員から今回都知事選に出馬し当選したのだった。

アキラの卵子提供者はブルボン王朝の血を引くフランス人女性で、アキラの目も青く澄んでいて、甘いマスクをしていた。政治家としても優秀だったが、また、タイミングもよかった。

というのも、前都知事の猪野川は、ある企業から闇献金を受け取ったのではないかという疑惑が浮上し、弁明の会見が開かれたが、そのとき激昂してしまい、号泣会見となって世間をアッといわせた。

子供のように泣きじゃくり、言っていることが半分もわからないような猪野川の記者会見の様子は、海外にも配信された。闇献金の真相より、この号泣会見が話題となったきらいもあるが、嘲笑の的になったのがよほど猪野川のプライドを傷つけたのか、自分から都知事を辞めていった。

長男のアキラだけは、他の1001人の兄弟姉妹と違い、父、光利の子として同じ家で育てられた。だから資産家の御曹司であることは有権者も知っていて、金に執着しない候補者だと判断された。今回の知事選は、とくに金にきれいな候補者を選んだ結果だったのだ。

それと、青い目の候補者に、見かけだけが理由で投票した年配の女性票の獲得に成功したことも大きな要因だった。「何も考えない人たち」をいかに取り込むか、そして、そんな「何も考えない人たち」の数さえ集めれば大きな力になってしまう民主主義というものの弱点をうまく利用して、アキラは都知事選に勝利したのだった。

こうして全国津々浦々に重畠家のネットワークができていった。全国都道府県の首長7人、国会議員も18人はすでに光利の息子や娘たちだった。

アキラが日本の首都東京の都知事になったことは、重畠家支配の、第一段階が終わった象徴的な出来事だったのである。

子供は1002人だったが、この子供たちも人工授精と代理出産を利用し、光利の孫は約30万人になっていた。2014年にタイでは代理出産が規制されるようになって、アキラたち息子と娘たちは、アフリカのズワンベ国や、中東のサイラム国で代理出産を頼むようになった。

その後20年で、日本の人口は少子化で5000万人になっていた。光利のひ孫の代になると、人口の半分は光利のDNAを持った子孫で占められていた。そしてとうとうアキラは総理大臣になり、大臣の半数、官僚の主要なポストは重畠家の人間が牛耳っていた。

光利の3男、28男、94女、179男、350女、502男が組織する自衛隊の一部精鋭が、クーデターを決行し、アキラを元首とする独裁国家を宣言した。

国名を「日本」から「シゲハタ国」と変更したのもこのころだった。光利のDNAを持った人間以外、子供を作ることは許されなくなった。全国の役所、学校、駅など主要な建物には、重畠光利とアキラの肖像画が並べて掲げられ始めた。この肖像画の前で一礼しないと不敬罪として捕まってしまう、文字通りの重畠家独裁国家になった。

それから300年。地球の人類はすべて光利の子孫だけになった。光利が描いていた理想の社会は、一応形の上では完成したといってもよかったのかもしれない。

しかしだからといって戦争も争いもなくなったかというとそんなことはなかった。血のつながった肉親の争いはむしろ以前よりも熾烈をきわめていた。世界のあちこちでは戦争が起き、テロ事件が多発し、殺人事件においては日常茶飯事だった。

そんな混沌とした世界で、光利の墓は聖地となっていた。墓碑にはこの言葉が刻まれている。

「人類みな兄弟」
 
 
 
 
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2014/08/16

『福井昭夫 絵画展』 2014年8月21日~ 自由が丘「るなん」で

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展覧会の案内です。

自由が丘駅近くのCOFFEE&GALLERY「るなん」で、今年も福井昭夫絵画展があります。お近くの方は、お立ち寄りください。

『福井昭夫 絵画展』2014

期間: 2014年8月21日(木)~9月2日(火)【8月27日休み】
     12:00~20:00 【8/30(土)17:00 最終日19:00】

場所: COFFEE & GALLERY るなん
     〒152-0035 目黒区自由ヶ丘1-9-6
     Phone: 03-3724-1785

Runan_map
 
 
 
 
 
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2014/08/15

タイの代理出産。「人身売買」から「新興宗教」?

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最初「人身売買」と思われたのが、次に「税金対策」だと思われ、そして「新興宗教」ふうに、あらぬ方向に変わってきました。

金持ちの発想はすさまじいですね。俺たち貧乏人の発想では、こういった形での「世界征服」あるいは「究極の成金趣味」はとうてい理解できなかったということでしょう。だから「なぜなんだ?」と目的がわからず、右往左往し、不安なのです。

「100~1000人の子」計画=邦人男性が代理出産で-「世界への善行」・タイ
(NIFTY NEWS http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/jiji-2014081400809/1.htm

これは「技術」が生んだ欲望といえるのではないでしょうか。自分の子供を1000人作るなんて、昔の王様でも難しかったでしょう。それができるようになったのです。金さえあれば。

ここで渦中の日本人男性が記者会見でもして考えを聞かないと、はっきりしたことはいえませんが、もし、この目的が事実だとすれば、これはちょっと怖い。しかも、「世界のために私ができる最善のことは、たくさん子供を残すことだ」といっていることがますます怖さを増幅します。

「世界のために」って、これは新手の新興宗教ではないのでしょうか。しかも、今までこういうことで自分の妄想を実現しようとした人間はいませんでした。

 ☆

そんな疑問と不安から発想したまったく架空の物語。こういう物語を語らないと、今の俺にはこの日本人男性の目的のわからなさからくる不安や怖さを解消できません。

Ya_2近々未来予想ショートストーリー『人類みな兄弟』
 
 
 
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2014/08/14

棚田特集の『東北学04』が刊行

140814_1(インドネシア・バリ島・テガラランの棚田)

140814_2(ネパール・ポカラ郊外ダンプスの棚田)

140814_3(イラン・マーザンダラーン州の棚田)

『東北学04』が刊行されました。

Touhokugaku04

単行本: 261ページ
出版社: はる書房 (2014/8/8)
言語: 日本語
ISBN-10: 4899841426
ISBN-13: 978-4899841425
発売日: 2014/8/8


特集「棚田のアジア」に、『アジアの棚田(インドネシア・イラン・ネパールの棚田)』を寄稿しています。関連写真も数点掲載。

amazonでも購入できます。

 
 
 
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2014/08/13

安心と同時に畏れを感じる緑色について

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山脇恵子著『色彩心理のすべてがわかる本』に緑色について書いてあって、そういうこと?と少し納得できるものが・・・。

緑というのは、初期の哺乳類が樹上で生活するようになって初めて獲得した色覚ではないかという説があるそうです。それは緑の木と、背景の空の青とを区別できないと、木から木へ移動するのも大変だったからみたいな話です。

哺乳類が獲得してきた色への反応は、だから、次の様になるそうです。

緑→青→赤

哺乳類にとって緑は生活の場の色であった、だから落ち着くのではないかという。緑色の田んぼの風景や、森の緑を見ると落ち着くし、緑色は目に優しい感じがします。

ただ、反対の話もあります。

日本映画の『ゴジラ』が昔アメリカで公開されたとき、日本人がアメリカのポスターをみてびっくりしたという話があって、なぜかといったら、ゴジラが緑色していたというのです。日本映画はモノクロだったので、色はなかったのでしょうが、カラー作品になっても、緑色したゴジラは想像できません。(日本では、黒かこげ茶色?)

じゃぁどうして勝手にゴジラを緑色にしてしまったのか?

欧米では、「怪物は緑」という伝統があるかららしい。たしかにハルクやシュレックなどはそうですね。またロビンフッド、ピーターパンの衣装が緑色なのは、つかみどころのない「不思議さ」、自然のように「人の支配を拒む力」などの象徴としての緑色であるらしい。

そういえば、あの『マスク』の仮面も鮮やかな緑色だったし、レディー・ガガが全身緑色の姿で来日したときもありましたが、印象に残っています。

こうみてくると、緑色に対しては、相反するようなものが同居していることが分かります。ひとつは「安心感」、それと「不思議さ」「怖さ」みたいなもの。

でも、考えてみれば、「畏怖」という言葉がありますが、まさに自然に対して絶対的な安心と同時に畏れを感じるように、緑色は、自然そのものであると解釈することもできそうなので、矛盾する話ではないのかもしれません。

レディー・ガガも「どうして緑色の衣装?」と聞いたら、「自然環境のため」と答えていました。今回はビーナスをイメージしたというシースルーの大胆衣装。レディー・ガガは緑色じゃなくても不思議な存在ですが。
 
 
 
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2014/08/12

今日は立秋の次候、七十二候の「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」

140812_1(アブラゼミ)

140812(ミンミンゼミ)

「寒蝉鳴」は、七十二候のひとつ。二十四節気の立秋の次候です。

「ひぐらしなく」と読まれていますが、もともと中国から入ってきた「寒蝉(かんせん)」は秋の訪れを告げる蝉といった意味らしい。

だから時期的に、8月中旬は、「ヒグラシ」ではなくて「ツクツクボウシ」ではないかという説もあるようです。広辞苑では、

「秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か。」

と書かれています。

ところで掲載した蝉の写真ですが、残念ながらこれは、ヒグラシでもツクツクボウシでもなく、アブラゼミとミンミンゼミのようです。(ネットの画像検索で調べました)

ふたつとも、ヴィーノの散歩中、道に落ちていたものを拾ってきたものです。これほどちゃんと蝉の姿を見たことは今までありませんでした。

これも「旧暦」の「二十四節気・七十二候」を意識するようになったおかげですね。より季節に敏感になってきたような気がします。
 
 
 
 
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2014/08/10

今日は旧暦七月十五日、盂蘭盆と自動社会社「MAZDA」との意外な関係

130821_1(ゾロアスター教寺院「アーテシュキャデ」のアフラ・マズダ像(or フラワシ像))

130821_2(ゾロアスター教徒の聖なる火)

今日2014年8月10日は、旧暦七月十五日、盂蘭盆です。

明治6年の改暦前は、旧暦七月十五日の今日がお盆でした。沖縄県では今でも旧暦の盆が主流だそうです。明治6年の新暦に合わせる苦肉の策だったのですが(旧暦の日付はほぼ新暦から1ヶ月遅れだったため)、いまでは全国的に、新暦8月15日(月遅れの盆)が主流になってきました。

「盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、・・・(中略)・・・近年、古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が出ている。」
Wiki参照)

去年も書いたのですが、お盆のルーツが古代イランにつながるというのは面白いです。イランにイスラム教が入る前は、ゾロアスター教が信仰されていましたが、ゾロアスター教における霊的存在の「フラワシ」信仰が祖霊信仰と結びついたということらしいのです。

イランのヤズドにあるのが、ゾロアスター教寺院「アーテシュキャデ」。入り口には、アフラ・マズダ像(or フラワシ像)が見えます。(上写真)

「アーテシュキャデ」とは「火の家」という意味で、中には1000年以上も燃え続ける神聖な火が祀られています。(下写真)

ところで、自動車会社のマツダは、「MATSUDA」ではなくて、「MAZDA」となっていることに疑問を持っている人もいるでしょう。俺もそのひとりでした。

マツダのHPに「マツダの由来と意味」という文章が掲載されていて、その中に「社名「マツダ」は、西アジアでの人類文明発祥とともに誕生した神、アフラ・マズダー(Ahura Mazda)に由来する。」とあります。これで納得。

http://www.mazda.co.jp/corporate/profile/vision/index.html
 
 
 
 
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2014/08/09

童謡のふる里おおとねのホテイアオイ

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埼玉県加須市の「オニバス自生地」から車で数分のところに道の駅 童謡のふる里おおとねがあります。

隣接する休耕田ではホテイアオイの群落が広がっています。ちょうど薄紫色の花が満開でした。7月から10月にかけて見れるそうです。

ヴィーノ連れだったので、ヴィーノの記念写真もついでに。
 
 
 
 
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2014/08/08

昨日は二十四節気の「立秋」 加須市のオニバス自生地

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昨日から二十四節気の「立秋」です。

「秋」という感じではなく、関東地方は厳しい暑さの一日でしたが、加須市にある埼玉県内で唯一の貴重なオニバス自生地へ行ってきました。

いや、正確には「寄ってきました」ですが。おととい山形県を目指したんですが、事情があって、急遽帰ることになったので、ついでにこの自生地に寄り道したということなんです。

「オニバスはスイレン科の巨大な浮葉の一年草です。やや富栄養化した池や沼に生える水草で、毎年5月頃から水底の種子が発芽し、6月頃から矢じり型の幼葉をのばします。7月頃にはとげのある丸い葉を拡げるようになり、浮葉の直径は条件がよければ2mにも成長します。 7月下旬頃~9月上旬頃まで、早朝に赤紫色の可憐な花を咲かせますが、午後には閉じてしまいます。花は2~3日開花した後、水中に沈み種子を作ります。」
加須市役所のHP http://www.city.kazo.lg.jp/cont/s552000/d058100/hpg000006236.html 参照

行ったのは午前9時ころで、たまたまオニバス自生地の管理をしている地元の人がいて、話を聞くことができました。花を見るにはちょうどいい時間だったようです。オニバスは、あまりに早朝だと咲いていないし、午後には閉じてしまいます。

オニバスの葉っぱはトゲが出ているし、恐竜の皮膚のような質感をしていて独特です。管理人さんは、オニバスの葉っぱを裏返して見せてくれました。裏にもトゲがあって、危なそうです。それに比べて花はそれほど大きくなく、可憐さがあり、そのギャップも面白いですね。

オニバスは埼玉県レッドデータブックで「絶滅危惧1A類」に指定されているそうです。管理人さんからパンフレットをもらいました。

雑草が増えたので採らなくてはならないといっていました。この暑い中、ボランティア何人かで作業をするらしい。

ここはもともと昭和32年まで「越中沼」という沼があって、オニバスや、マコモやヒシなどの水生植物の宝庫だったらしい。現在は「越中沼」が埋められて水田になっていますが、もうコメができつつあり、稲穂は頭を垂れていました。

この水田の真ん中に休耕田を利用したオニバス自生地があるのです。休憩できる東屋もあります。隣の小さな池では、スイレンの花も見ることができました。

 
 
 
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2014/08/04

2015年(平成27年)版「旧暦棚田ごよみ」プロジェクト、3年目始動

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来年用、2015年(平成27年)版「旧暦棚田ごよみ」プロジェクトは今回で3年目です。速いものです。

初回は、何もわからないところから出発して、なんとかぎりぎり出版にこぎつけましたが、正直余裕がなかったですね。でもこれで3回目なので、スタッフ一同、多少は余裕が出てきたようです。

今日のミーティングで表紙と12回分の写真がほぼ(90パーセント)決まりました。

去年は(今年度版は)、富士山が世界遺産になったということもあり、暦の表紙に富士山が見える棚田のひとつ、山梨県南アルプス市の棚田の写真を使いました。もちろん便乗したわけですが。

来年用の表紙は、福岡県星野村の棚田になりそうです。それと新しい付録も考えています。

デザインが完成したら、お知らせします。
 
 
  
 
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2014/08/03

雑誌「婦人之友」座談会のテーマは「季節感のある暮らし」

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昨日は、旧暦七月七日、七夕の節句でした。七十二候は「大雨時行(たいうときどきふる)」です。

運転して帰宅中、午後8時ころ、西の空に七日月が見えましたが、ちょうど横に流れる筋状の雲に重なり、「十」の形に見えたので、信号待ちしているとき、スマホで写真を撮ろうとしたのですが、すぐに雲に隠れて結局撮れませんでした。残念。


先日、雑誌「婦人之友」の10月号のための座談会に呼ばれていってきました。

こちらはそのときの記事です。

婦人之友 blog

園芸研究家の山田幸子さん、気象予報士の江花純さん、俺の3人の座談会でした。

「季節」「自然」を意識する生活というものを、3人3様それぞれの立場から話をしました。

最近は特に異常気象とか、温暖化といわれる気候になっただけに、とくに季節をどんなふうに感じて、どんなふうに日常生活に生かしていくか、ということが大切な時代になってきたのでしょう。

「旧暦(太陰太陽暦)」を切り捨て、「新暦(グレゴリオ暦、太陽暦)」を採用し、西欧に追いつけ追い越せで、近代化にまい進してきたのが日本でした。ある意味、他の東アジアの国々が今もって旧暦を使っているのと違って、潔きよくすっぱりと旧暦を捨てた日本(沖縄などを除いて)は、東アジアの中では一番初めに近代化に成功したと言えるでしょう。

ただ、西欧近代化で季節感を失ってきたのも事実です。とくに都市化が季節をわかりにくくしてしまったということは言えるのではないでしょうか。

たかが暦を変えただけじゃないか、というかもしれません。でも、暦というものは、大切なインフラのひとつで、これは昔から権力者が独占してきたことでもわかるように、人々の生活を大きく変えてしまうものでもあるのです。

ただ、「潔きよくすっぱりと旧暦を捨てた」と言いましたが、実は、明治6年、新暦に改暦したのは、「近代化のために」などという日本の将来を見越した上での改暦というよりは、きわめて経済的理由が大きかったようですが。

その年、旧暦ではうるう年で、1ヶ月多い年でした。そこで12月に改暦したことで、逼迫した政府の財政を救ったという側面があるのです。当時は役人の給料は、月給制だったので、改暦することで2か月分の給料を払わなくてすんだのでした。

昔、権力者が暦出版を独占していたのは、日食月食などで象徴されるように、天の運行を予想し、的中させることは、社会を安定させる源だったからです。正確な暦を作ることは、権力者の特権でもあると同時に、義務でもありました。そのあたりのことは『天地明察』にも描かれていましたね。

気象予報士の江花さんの話を聞いて、「そうか!」と気がつきました。天気予報も許可や認可が必要で、誰もが勝手にできるわけではないそうです。お上が管理する昔の暦作りと同じです。

天気を予報し、的中させないと、社会が混乱するということなのでしょう。現代における気象予報士は、昔の暦師と同じように、大切な仕事なのです。

それと園芸研究家の山田幸子さんの話の中で、植物が気候(気温)を微妙に感じ取って成長するので、たとえば桜や藤など、その年の季節の進み具合の目安になる植物の生育具合を見て、農作業を始めることは理にかなっていることなんだとあらためて思いました。
 
 
 
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2014/08/01

山脇恵子氏の『色彩心理のすべてがわかる本』

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心理カウンセラー・芸術療法講師の山脇恵子氏の『色彩心理のすべてがわかる本』(ナツメ社 2010年)という色に関する本の中に、興味深い記述がありました。

色はどうして見えるのか、というところからはじまり、色と心理との関係ということを分かりやすく解説した本です。色彩学や心理学の初心者にとっての入門書です。ファッションや広告など、色彩を使った応用編もあります。

ユング心理学(分析心理学)のカール・グスタフ・ユングは、

「彼自身が一時期、統合失調症のような状態に陥り、絵画などの創作活動を続けることで治癒していった」

ということだそうです。やはり自分の体験から導き出された療法であるわけですね。だから実践的です。しかも、ユングは、無意識のエネルギーを肯定する考え方なので、すごく気持ちが楽になるのです。たぶん、無意識のエネルギーが、「芸術」での表現に昇華されることを自らの体験として感じていたからではないかと想像するのですが。

芸術療法については、

「「表現すること」は、それだけでも抑圧されていた感情を解放することになり、心の状態が変わると考えられている。治療という場だけではなく、個人的に行うことで危機を乗り越えてきた人も実際に多いのだ。」

と書いてあります。まったく納得です。

「病気」というほど深刻ではなくても、いや、今の時代、病気かそうでないかは微妙だということは前にも書いたとおりで、そこは何と表現したらいいかはペンディングということで、今は深く触れずにおきますが、心を穏やかに保つためには、芸術療法がひとつの解決策であることを強調したいのです。自分自身の経験からも。知らず知らずに芸術療法を実践してきたということは前回も書きましたが。

もし、「旅」や「写真」をやっていなかったら、俺はもっと深刻な精神状態になっていただろうとは思います。今もって、ちょっと普通とは違うなぁという自覚はあるので。詳しいことを告白する時期では今はまだないと思うのでここでは公にしませんが。(なんだかもったいぶった言い方ですみません。でも今はまだ正直、抵抗があります。そのうちに公にするかもしれません)

ところで、前回「棚田」が普遍的無意識の「元型」かも、などと大した知識もないのに、勘だけで先走って書いてしまいましたが、そうであるかどうか、科学的であるためには、万人に共通することを証明しなければなりません。今のところ、少なくとも俺自身の「元型」なのかもしれませんが、他の人に当てはまるかはわからないので、単なる「思い」です。

この半年、世間を騒がせている「STAP細胞はあります!」とか「200回以上はSTAP細胞を作りました」というのと同じで、誰もができるようなものでなければ科学ではなく、単なる「思い」の域を出ません。
 
 
 
 
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