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2015/05/31

今日5月31日は、二十四節気「小満(しょうまん)」の末候「麦秋至(むぎのときいたる)」

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今日2015年5月31日は、旧暦四月十四日、「小満」の「麦秋至」です。

七十二候「麦秋至(ばくしゅう いたる)」は「小満」の末候で、麦の収穫を迎えるころです。上に掲載の写真は北海道富良野の麦畑です。稲もそうですが、黄色は収穫時期の色です。


二十四節気「小満」の期間の七十二候は次のようになります。

初候: 蚕起食桑(かいこ おこって くわを くらう/蚕が桑を盛んに食べ始める)

次候: 紅花栄(こうか さかう/紅花が盛んに咲く)

末候: 麦秋至(ばくしゅう いたる/麦が熟し麦秋となる)
 
 
 
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2015/05/28

『トータル・リコール』で描かれた「記憶インプランテーション」

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記憶を植えつけるというSFみたいな話なんですが、『錯覚の科学』に「記憶インプランテーション」について書いてありました。

『トータル・リコール』という映画がありました。1990年、シュワルツネッガー主演のアメリカ映画ですが、2012年にはリメイク版ができています。

旧作『トータル・リコール』では、シュワルツネッガー扮する主人公クエイド(本当の名前はハウザー)が、偽りの記憶を植えつけられているという話ですが、これがSF映画だけの話ではなくて、実際こういうことができるらしいのです。しかも、映画のような大規模な機械を使う必要もありません。

1994年10月5日付けのニューズウィーク(日本語版)に「『偽りの記憶』のメカニズム」という記事が出ました。

それはワシントン大学で行われた実験です。14歳の少年クリスは、5歳のときショッピングセンターで迷子になったときのことを思い出すように兄に言われました。そのときはまったく思い出せなかったのですが、数週間後、そのときの様子を鮮明に詳細に思い出しました。

でも、ここが大切な点なのですが、クリスは、迷子になったことはなかったのです。心理学を勉強していた兄は、それをちゃんと知っていて、弟に偽りの記憶を植えつけたんですね。

人は実際に経験したときのイメージははっきりしていて、夢とか想像した経験はイメージがあいまいなので、その区別ができるわけです。

この場合、弟クリスは、自分の5歳のころを知っている兄の言うことだから完全に信じていたわけです。僕は5歳のときショッピングセンターで迷子になったはずだと。だから、無理やり思い出そうとしたために、いろんな体験の記憶をつなぎ合わせてイメージを作り何度も思い浮かべているうちに、偽りの記憶が固定されてしまった、ということらしい。

鮮明にイメージする能力が優れている人のほうが、偽りの記憶を植えつけられやすいことも研究でわかっています。

ところで最近問題になっているのが、裁判での目撃者証言。間違った証言で冤罪が増えていることです。

記憶の「誤情報効果」というものもあります。

目撃した後、誤った情報を聞いたことで、自分の記憶がゆがめられてしまうということがわかってきました。たとえば、事故現場にいたのは緑色の車でも、あとで他人から「あの青色の車のナンバーは覚えているか?」と聞かれたりすると、「緑」から「青」に記憶が変わってしまうということがあるそうなのです。

こうなってしまうと、目撃した人の証言は間違ったものになりますが、証言者自身はその間違いに気がつけません。わざと「嘘」の証言をしているのではないわけです。だから、かえってやっかいだとも言えますが。「私は確かにこの目で見た。青い車を」といった具合に。

だから最近は心理学者が司法警察と連携し、目撃証言を適切に解釈しようという取り組みが始まっているそうです。これで冤罪が減ったらいいですね。

写真家や絵描きは一般的にイメージする能力は高いと思われるので、もしかしたら、先日ブログで書いた俺の「3歳半の記憶」も偽りの記憶なのではないかと、ますます疑っています。

疑う理由は、あまりにも鮮明なイメージだということ。それと、部屋を高いところから俯瞰しているようなイメージもあります。

でも、記憶はゆがめられる、変わってしまうということをあまり悲観的に考える必要はないかもしれません。これも理由があってそうなっているのでしょうし。「ゆがめられる、変わってしまう」のが記憶だということを常に意識していれば。
 
 
 
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2015/05/26

テレビ東京の番組「Youは何しに日本へ」

150526(番組とはまったく関係ないヴィーノの写真です)


テレビ東京の「Youは何しに日本へ」という番組が好きでよく見ています。

日本に来た外国人を空港で捕まえて、そのまま密着取材してしまうという内容です。

外国人が日本の何に興味があって、どんなふうに日本を見ているのか面白いし、10年ほど前、ガイドブック「Lonry Planet」を頼りに日本を旅するという企画で俺もやろうとしていたこともあって、「やられた!」という感じもします。

この番組の何がすごいかというと、「失敗」が放映されることです。「結局撮れなかった」とか「密着できなかった」とか「Youがいなくなった」とか、平気で流れるんですね。

「行き当たりばったり」なのです。へたすると、「何も無い」でおわってしまうけど、とんでもなく面白いYouに出会うこともある。製作者側の予想を超えた面白さが発見できるのです。

この番組にとって、「失敗」というものがないんです。いや、「失敗」も番組にしてしまう。だからかえって臨場感がある。

ほかの番組だと、どうせ「仕込んであるんだろう」とか「やらせだろう」とか見ているのに、この「失敗」に関しては「失敗」より下はありえないので、そこに「本当らしさ」を見てしまうからです。

もちろん製作者側は「失敗」の中でも「面白い失敗」を選んでいるわけだし、すべての「失敗」を見せているわけではないのですが。

そして、もしその「錯覚」を利用しているのだとすると、それはそれで、人の心理をわかっているすごいスタッフだとは思いますね。
 
 
 
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2015/05/25

昨日のNHKの番組「美の壷 棚田」再放送で「田毎の月」

150525_1(長野県千曲市 姨捨棚田の「田毎の月」)

150525_2(長野県千曲市 姨捨棚田の「田毎の月」)

150525_3(長野県千曲市 姨捨棚田の「田毎の月」)


昨日23:00からEテレで、俺も出演している「美の壷 棚田」が再放送されました。

インタビューが収録されたところは、「田毎の月(たごとのつき)」で有名な、長野県千曲市姨捨の棚田。

番組では、人(カメラ)が移動すると月も移動して田毎に映り、結果「田毎の月」になることを見せてくれていました。時間を考慮すると「田毎の月」が見えてくるということは今までも何度も書いてきたことです。

光学的(科学的)には、月は1個しか映らないから、非科学的だと断じる人は、じっくり時間をかけて夜の棚田を見たことがない人なんでしょう。

もっとも、俺のように真夜中ずっと田んぼで写真を撮っている人間は怪しすぎますが。幸い、姨捨棚田は、広いし、民家からも少し離れているので、誰にも気がつかれることはなく、警察に通報されることもありませんでした。姨捨は、農家の人に迷惑をかけないで夜中写真を撮れる棚田のひとつなのです。

じっと田んぼの水に映る月を眺めていると、少し怖さを感じてぶるっと武者震いをしたり、ふっと気が遠くなるような感覚があります。

ちなみに、日本語の「つき」は、昔「つく」と発音されて、「憑く」からきているとの説もあります。

西洋でも月が人間を狂気に引き込むと考えられていたようです。「狂気」のことを英語では「lunatic ルナティック」。語源は後期ラテン語「lunatics」=「月に影響された」。「lunacy 」 =「精神異常。狂気」、「moonstruck」=「心が乱れた。狂気」という言葉もあります。

「北欧において「妊娠した女性は月を見てはいけない」、あるいは「イヌイットの娘は月を見ると妊娠するから月を見ない」、アイスランドにおいて「子供が精神障害になるから妊婦が月に顔を向けてはいけない」など、女性が月を見ることを禁忌とした伝承はいくつかある。」(Wiki参照)

こうしてみると、月は、古今東西、「神秘」「狂気」「女性」などと結びついている天体です。

月という天体は、自分からは光は出さず、「映す」天体です。もしかしたら月を見ると、普段は隠れている自分の深層心理(無意識)が映し出されてしまうからかもしれません。
 
 
 

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2015/05/24

パスポートの要らない外国旅行 (西川口の巻 1) アジアン・タウンで食べたシシカバブ

150525_2(たくさんの唐辛子が料理に)

150525_1(羊肉、豚肉のシシカバブ)


妻の妹夫婦が住んでいる西川口へ行ってきました。

このあたり、中華料理、韓国料理、タイ料理、インド料理と、さながらアジアン・タウンのようです。とくに中国系が多いんでしょうか。

「バンコク」というタイ食材店もありました。中国系タイ人が経営しているようです。中国語とタイ語が飛び交っていました。

タイに行ったときには絶対食べる大好きな豚肉の発酵食品、ちょっと酸っぱい「ネーム」も売っていました。

店主のおばさんは、「インドネシア人とフィリピン人は、ネームを食べると腹を壊す人がいる」と言っていたようです。俺も妹夫婦も壊したことありませんが、面白い観察ですね。何か理由があるんでしょうか。肉の発酵食品に慣れてないとか。

西川口のアジアン・タウンは、新大久保と似ていなくもないのですが、もっと荒々しいというか、粗野な感じがしました。

「荒々しい」「粗野」はけっしてけなしているのではなくて、俺にとっては最大限の褒め言葉ですが。つまり、西川口が気に入ったのです。

妹夫婦に案内されて入ったのは、「長安ぴかいち」という中華料理店です。ちょっとわかりにくい場所ですが、西川口駅から西へ数分のところ。人気店でいつも混んでいるらしい。

「長安」というから西安料理かなと思ったのですが、どうも、ベースは四川風らしい。とにかく辛い料理は半端なく辛い。

「麻(まー)」と「辣(らー)」という辛さがありますが、「麻(まー)」は花椒(中華山椒)の辛さ(と言うより痛さ・痺れ)、「辣(らー)」は唐辛子の辛さ。その二つが合わさった麻辣料理は「味のサディスト」ですね。

長安は昔の呼び名で、今は西安という街ですが、ここから西へ向かうと、いわゆるシルクロードがヨーロッパまで続いています。

このシルクロードの各地で食べられるのがシシカバブ(串焼肉)です。メニューにもあったので、羊肉と豚肉のシシカバブを取りました。これはビールとの相性が抜群です。

イスラム教徒は豚肉は食べないので、現地ではお目にかかれない豚肉のシシカバブもなかなかいけます。でも、羊肉のシシカバブが一番ですね。現地を思い出してしまいました。最近は外国旅行に縁遠くなってしまったので、ことさらこういうものに飢えています。それは妻も同じだったようです。
 
 
 
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2015/05/22

ドローンは、のらくらものの武器

150522(リードが、画面の上のドローンに繋がっていると想像してみてください)


ドローンが欲しいなと思ったら、最近は、いろいろとトラブルばかり報道されて、ドローンが「やっかい物」の方向へと流れているような気がするのは俺だけでしょうか。

インターネットが普及しだしたころもそうでした。危ない面が強調されて、インターネットなんかやっていると、社会に適応できない人間になるだとか、写真なんかアップしたらすべてコピーされてしまうとか。俺が写真家としてホームページを開設したのは早い時期だったので、けっこうほかの写真家からそういう心配をされました。今、そんなことを言う写真家はいなくなったでしょうが。

何でもそうですが、新しいものが出たときは、少し拒否反応から始まるというのは、人間の正常な反応(本能)ではないかなと思います。俺もそうです。(ヴィーノもそうですね。初めて見る虫なんかおっかなびっくりです) そうしておいたほうが、もし身に危険があったら、すばやく危機回避ができるでしょう。

だからマイナス面の報道を批判するわけではありません。ところで浅草の三社祭でドローンを飛ばそうとして15歳の少年が逮捕されましたが、この件は、ドローンに関係はしてますが、別問題と考えていたほうがいいと思います。ドローンを使う前から問題があったわけで。

ということで、ドローンには将来性を感じますが、それと同時に、規制は絶対必要だと思います。ある程度の大きさ以上のものは。バイクみたいなものですね。そうすると免許制かな。

ドローンの使い方は無限に広がっていくでしょう。さしあたり、犬の散歩ドローンなんかはどうですか。自分は家にいて、タブレットで様子を見守りながら、散歩させる。いいんじゃないでしょうか? なんだか犬の散歩をめんどくさがっている飼い主の姿が目に見えるようですが。

ただ一点だけ、マイナスがあるとすると音ですね。そこらじゅうでドローンの羽音を聞くことになってしまったら、うっとうしいかな。静かな環境で楽しみたい風景というのがあります。

先日、東北撮影で立派な枝垂桜がある神社へ行ったとき、おじさんがドローンを飛ばしていて、せっかくの桜鑑賞を羽音でだいなしにされたという苦い経験があります。

あの羽音なんとかならないでしょうか。ちょうど人間(俺だけ?)が不快に感じる周波数に思えるんですが。

そういえば、DRONEという英語を調べたら、オス蜂のことでした。あの羽音は蜂の羽音なんですね。

それと「のらくらもの」という意味もあります。犬の散歩なんか発想するのは、さすが「のらくらもの」らしいとは言えるかもしれません。
 
 
 
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2015/05/21

イルカの追い込み漁を誰が「残酷」と判断するのか

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イルカの追い込み漁を「伝統文化だから」という理由だけでは理解されなくなっていることはわかります。

ただ、気になるのはこの点です。

「残酷だ」と決め付けているのはいったい誰でしょうか? しかも「残酷」の基準も示せないでいます。(どこが残酷なのか?と日本側が聞いたけど回答は無かったとのこと)

「残酷」かどうか、まったく主観的な判断だったとしたら、それを決める人しだいでどうにでもなってしまうということです。ここが恐ろしい点です。

欧米(今回は主に英豪)の価値観だけで判断されたら反発も出るでしょう。たんに、イルカの問題だけではありません。この件の裏には反捕鯨キャンペーンがあったとの証言もあります。やっぱりなぁ・ ・ ・

動物保護に異議を唱えるわけではありませんが、その「主観」で物事を決めるのは、グローバル化した世界では通用しないのではないでしょうか。欧米人の価値観がいつも正しいわけではありません。

そもそも、どうして「可愛くて害が無い動物」に対しては優しいのに、「可愛くなかったり、害がある動物」と「人間」に対しては優しくないのか、という不公平感も感じます。とくに、人間には厳しい。特定の人間です。たとえば、「イスラム教徒」、「ユダヤ人」、「黒人」、「アジア人」などなど。

人間に対する差別や隔離をさんざんやってきた人たちが、「免罪符」として動物を保護したがっているのかな?と邪推してしまうほどです。

とにかく今回の件で、「やっぱり欧米的価値観は正しいんだ」という歪んだメッセージは、彼らの信念をますます強化することに役立ってしまったことだけは確かです。

いっそのこと「追い込み漁」をユネスコの無形文化遺産に登録申請したらどうでしょうか。物の価値は一方向からではわかりません。「動物保護」から見た価値が絶対的ではなく、これを「伝統漁法」という視点で捉える方法だってありえるわけです。
 
 
 
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2015/05/19

交通事故で死ぬことより、外国で死ぬ確率が高いと感じる錯覚

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車免許の更新を済ませました。

今年の交通事故による累計死者数は5月14日時点で、埼玉県内で62人だそうです。けっこう多いんですね。

外国でテロに巻き込まれて死亡する確率よりかなり高い。にもかかわらず、今、「外国旅行は危険だ」というイメージのほうが強い。

不思議です。交通事故で死ぬことを予想していません。外国で死ぬことはあるかもしれないと思っているのに。

たぶん「日常」というのは良くも悪くも「慣れ」が大きくなって、リスクを低く見積もるからではないかと思います。反対に外国は「非日常」なのでリスクを高く見積もるから「危険だ」と感じやすいのではないでしょうか。

それを裏付けるように、「錯覚の科学」には「プロスペクト理論」というものが出てきますが、この中に「決定加重関数」があり、めったに起こらない確率が低いものに対しては、リスクを最大に見積もってしまう傾向があることが示されています。

それと、こういう学習もあります。

 今まで人身事故は起こしていない
    ↓
 安全運転しているから
    ↓
 運転がうまい
    ↓
 だからこれからも人身事故は起こさない

これは完全に錯覚。悲しいかな、俺もそう錯覚してしまっています。「迷信」を学習してしまったようです。

自己評価が高く、「迷信」を信じる傾向の高いのは特に、「若者」、「男性」、「高齢者」だそうです。(「交通心理学」より)

まぁ俺の場合、運が良かったと思うのは、人身事故ではなく、2年前、山道で回転し、路肩の氷雪にぶつけてバンパーを変形させたという軽い自損事故を起こしているので、多少自己評価は低くなって、「迷信」から抜け出してはいるつもりですが。

これはいいことでもありますが、反面、あのときの嫌~な「滑った感覚」がよみがえってきて、こんなに暖かくなった山道でも、また滑るのではないかと、ぞっとすることがあります。けっこうストレスですね、これは。

要するに、安全運転しろ、ということにつきるんでしょうが。
 
 
 
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2015/05/17

松江城天守(松江市)が国宝に

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「松江城天守が国宝に」というニュースがありました。現在の文化財保護法による天守の国宝指定は63年ぶりで、5例目だそうです。

松江城に寄ったのは、ヴィーノを連れて日本一周をしていた旅の最後のころ、沖縄・九州から本州に戻り、日本海側を東に進んでいたときです。

松江城は江戸時代初めの1611年に築かれた城です。懸賞金がかけられて発見された築城年を示す証拠が、今回の国宝指定の決め手だったらしい。

別名「千鳥城」。桜の名所でもあるらしく、俺たちが行ったとき、まだ桜の花が少し残っていました。

松江城北側の堀沿いが雰囲気あっていいんです。塩見縄手には武家屋敷もあって、松江市伝統美観指定地区になっています。俺たちは乗りませんでしたが、遊覧船で堀を周ることもできます。

その夜は、宍道湖湖畔の道の駅で泊まったこと、そして夕日がきれいだったことを思い出しました。
 
 
 
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2015/05/16

映画『アバター』の「魂の木」と足利フラワーパークの「藤の花」

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2014年、アメリカCNNにより、「世界の夢の旅行先9カ所」の中から日本で唯一選ばれたのが、足利フラワーパークだというニュースを聞きました。

「富士山」でも「京都」でもなくて「足利フラワーパーク」・ ・ ・ちょっと意外でした。

なんでも映画『アバター』に登場する「魂の木」と「大藤の花」が似ていると紹介されたようです。

大藤は樹齢150年にも及び、600畳敷きの藤棚を持っているそうです。たしかに満開のときは神秘的で(特に夜のライトアップ時)、「魂の木」を連想させます。と、いうより、アバターの製作スタッフが足利フラワーパークの大藤を見ていたのでは?とさえ感じてしまいました。

「ブラジルタウン」の大泉町から車で約40分。駐車場には夜のライトアップを見にきた客の車がたくさん停まっていました。

フラワーパークの入園料は当日朝7:00に決定します。「ふじのはな物語 ~大藤祭り2015~」の期間の料金設定は、大人900円~1700円です。花の咲き具合によって入園料が変動するというのは、誠実でいいかもしれません。

2日前にHPをチェックしたときは1300円だったのに、この日は1000円に下がっていたので、一抹の不安がよぎりましたが、不安は現実だったようです。

スタッフによると、

「昨日、大風が吹いて花が落ちてしまったんですよ」

という。

桜と同じで、藤の花も今年は例年よりも早く咲いて、早く散ってしまったということでした。まぁ自然のことなのでしかたありません。東北撮影をもう少し早く切り上げて帰宅していれば満開の「魂の木」も見れたかもしれませんが、楽しみは今後に取っておくことにします。

それでも、黄色い「きばな藤」は満開だったし、「大藤・むらさき藤」のほうも、まだ完全に散ってしまったわけではなかったので、ナヴィの神であるエイワの意思が宿る神聖な場所「魂の木」の雰囲気だけは感じることができました。

植物同士が交信し合い、あたかも脳細胞のような巨大なネットワークを作っているという設定で、「意識」がこの「ネットワーク」にこそ存在するという話は、映画を越えて、現実にもありえなくはないなぁと思います。
 
 
 
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2015/05/15

群馬県大泉町「ブラジルタウン」のピカーニャとブラジルコーヒー

150515_1(レストラン・ブラジルの「ピカーニャ」)

150515_2(キオスケ・シ・ブラジル大泉店)

150515_3(Do Paulo 何の店?)

150515_4(Do Pauloのファストフード&ドリンクメニュー)


「ブラジルタウン」の群馬県大泉町へ行きました。

去年は2回行っています。今回で3回目です。好きですね。あの町は。と言って、特別まとまった「ブラジルタウン」があるわけでもないんですが。

ブラジル料理のレストランは町に点在しています。今回も昼は「ブラジル」に入りました。

前回注文した豆と肉の煮込み料理「フェイジョアーダ」は今回も。それとシュラスコの定番の牛イチボの串焼き「ピカーニャ」と、ソーセージとオニオンを炒めた「リングイッサ・カラブレーザ」。

サラダ・バー、豆スープ「フェイジョン」と、ライスのセットもいっしょに注文。

ピカーニャは、串刺しでドーンと出てきます。肉の味付けはシンプルなので、特別な味がするわけではないですが、この豪快な感じが「肉の国」らしくていいですね。

食事後、スーパーマーケットの「スペールメルカド・タカラ太田店」と、「キオスケ・シ・ブラジル大泉店」が並んでいるところへ移動しました。

この一角は、ふたつのスーパーと、両サイドにカフェというか、ブラジルふうのファストフード店と、パン(お菓子)屋が向かい合っているので、ちょうど駐車場が広場になっているような感じです。ブラジルタウンらしい雰囲気と言えばここになるんでしょうか。ただ、ど真ん中にラーメン店が構えてはいるんですが。

今回は、Do Pauloというファストフード店に入りました。一見すると何の店かわかりません。「パウロの(店)」と訳せばいいのでしょうか。サンドイッチやハンバーガー、そしてブラジル風のスナックなども食べられますが、俺たちはコーヒーを頼みました。

もちろんブラジルコーヒーです。大きなカップ1杯100円というコーヒーは、やっぱりブラジルらしくて(と言いながら俺はブラジルに行ったこともないし、何も知らないんですが)、すごく濃いコーヒーです。日本人には馴染みのないアニス味のビスケットをつまみながら飲むブラジルコーヒーのうまさ。

店内の真ん中のカウンター、椅子やテーブルの置き方も、やっぱり日本人的感性とは違っていて面白い。

向かいのお菓子屋TOMIの「年中無休」「オープン中」という電飾看板が流れているんですが、その日、月曜日はしっかり店の休日でした。

こんなゆるい雰囲気だからでしょうか、俺はとてもリラックスできます。ブラジル人もそうなんじゃないでしょうか。

時間が秒単位で区切られたような日本ふうの仕事のしかたに「きつい」と感じているのでは?と想像してしまいます。それを癒してくれるのは、ブラジルふうの時間を取り戻せる、こういったアバウトな雰囲気の店の数々。

ところで、スーパー「キオスケ・シ・ブラジル」に入った時、チラシをもらいました。それによると、5月23日「リオ・トーキョー・カフェ」という店がこの中にオープンするらしい。この店では、コーヒーや軽食のほか、サンバの衣装を試着して写真を撮ることもできるそうです。(男性でもOKなのか聞き漏らしました。試着したい人は自分で確かめてください)

なお、5月24日には大泉町で「活きな世界のグルメ横丁」というイベントが開催されるようです。
 
 
 
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2015/05/14

2015年春、東北撮影の旅(09 最終回) 宮城県丸森町沢尻の棚田

150511_2(丸森町 沢尻棚田)

150511_3(丸森町 沢尻棚田)

150511_4(丸森町 沢尻棚田)


宮城県丸森町の沢尻の棚田へ行きました。(4月下旬です)

阿武隈川沿いの国道349号線から山側へ1.2kmほど入ると、沢尻の棚田が左手に見えてきます。「日本の棚田百選」を初めてまわったとき以来なので十数年ぶりです。

車4台ほど停まれる駐車スペースと東屋ができていました。看板が立っていて、棚田の総面積は4.1ヘクタール、平均勾配8分の1と書いてあります。石積みの棚田は東北では珍しいものです。

山は霧がたちこめていて、雨の匂いも残っています。しっとりした雰囲気がいいですね。

写真を撮っていると、おじいさんが電動カートで集落の方から上って来たので挨拶したら、「どこから?」と聞かれたので「埼玉から」と答えると、

「この田んぼは全部俺が作ったもの。ゆっくり見てって」

といって坂を上がっていきました。車に三脚をしまって、話を聞かせてもらいたくて追いかけましたが、見当たりません。どこかに脇道でもあるのでしょうが、消えてしまいました。

この棚田は、江戸時代から昭和21年ころまで、地元の人たちが手作業で石垣を積んできたそうです。「世界遺産」に劣らない貴重な文化財ですね。
 
 
 
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2015/05/13

2015年春、東北撮影の旅(08) 岩手県 遠野の棚田

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柳田國男の『遠野物語』で知られる遠野ですが、春に訪ねたのは今回が初めてです。

東北全般に例年よりも桜が早く咲いて早く散ってしまった今年の春ですが、遠野ではまだ桜の花が残っているところがありました。

それと、畔に生えているツクシが春らしい風景でした。

(今朝地震があり、遠野は震度5弱だったようですが、被害はなかったでしょうか)
 
 
 
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2015/05/12

2015年春、東北撮影の旅(07) 福島県昭和村の「旧喰丸小学校」

150512_1(昭和村 早朝の集落)

150512_2(昭和村 旧喰丸小学校とイチョウの木)

150512_3(昭和村 旧喰丸小学校)

150512_4(昭和村 旧喰丸小学校の校歌の碑)

150512_5(昭和村)

150512_6(昭和村 田園)


西島秀俊さん主演の映画『ハーメルン』を観た話は、以前書きましたが、今回ロケ地である昭和村に行きました。

いや、以前から行ってはいたんです。でも、こんないいところだとは、映画を観るまでは知らなかったので、素通りしていたのでした。

昭和村は「苧麻(からむし)織りの里」。

からむしは、伝統織物の上布の原料で、昭和村は唯一本州で栽培生産している村だそうです。

そんな昭和村の喰丸地区にあるのが映画の舞台になった「旧喰丸小学校」です。監督・脚本の坪川拓史氏は、イメージに合う廃校をずいぶん探し回ってここを見つけたそうです。

映画の公式HPはこちら。

http://www.hameln-film.jp/

廃校はまだありましたが、痛みが激しいようで、片側にはブルーシートがかけられていました。解体されてしまうんでしょうか。

映画でも大きなイチョウの木が印象的ですが、その木もありました。秋になったらまっ黄色になるんでしょうね。それも見てみたい。去年落ちた葉っぱと銀杏が地面に残っていました。

映画の中で、この廃校に住んでいたのが、坂本長利さん演じる元校長先生。

独特の時間の流れ方と、静かさは、実際昭和村に来てみると、それは演出以前の、この土地が持っている個性であることを強く感じました。

時代の流れにあらがうような村のたたずまいと、校長先生の頑固な性格が、重なって見えてくるようです。
 
 
 
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2015/05/11

2015年春、東北撮影の旅(06) 福島県の棚田(柳津町久保田&西山温泉&下郷町芦ノ原など)

150511_1(柳津町 久保田)

150511_3(柳津町 久保田)

150511_4(柳津町 久保田)

150511_5(柳津町 西山温泉)

150511_6(下郷町 大内宿)

150511_7(下郷町 芦ノ原)


福島県柳津町久保田地区へ行きました。

村に看板が立っていました。なんでもここは映画のロケ地にもなったようです。

その映画は『ジヌよさらば~かむろば村へ~』というものです。予告編か何かを見た気がするのですが、実際に映画は観ていないので、ここがロケ地であるのも、来てみて初めて知りました。

内容についてはこちらの公式HPでどうぞ。

http://www.jinuyo-saraba.com/

松田龍平が主人公「タケ」を演じています。

写真を撮っていると、トラクターに乗ったおじさんが声をかけてくれました。

「タケの家、もうわかった?」

「いえ、まだです」

と、俺は思わず答えてしまいました。別にそれほど主人公タケの家に興味が出たわけではなかったのですが。

「ここをずっと行って、T字路があるから、そこを左に曲がれば見えてくるよ。俺はこれからそこで田起こしだ」

というので、

「そうですか。俺も行きます」

といって、数分後、後を追いました。すぐ「タケの家」はわりました。さっきのおじさんは、その前の田んぼで田起こしをしています。「これはいい」と、写真を撮り始めました。映画のロケ地うんぬんではなくて、そこのロケーション自体良かったのです。 


久保田から数km離れたところに、西山温泉があります。数件の旅館がありますが、その中の「せいざん荘」というところに入りました。入浴料はなんと300円。今回入った数々の温泉の中で一番安いところですが、シャンプー、ボディソープなどもあったし、温泉自体ゆっくりできていいところです。


下郷町と言えば「大内宿」が有名な観光地です。大内宿は、何度もたずねていますが、ヴィーノを連れて行ったこともあります。

ちょうど連休中だったので、混雑ぶりは尋常ではなかったですが、俺は神社の境内から俯瞰する写真だけ撮って、そそくさと大内宿を後にし、そこから10kmほど離れた芦ノ原へ向かいました。

ここは国道沿いに民家が並んでいて、その北側の広い斜面がすべて棚田になっています。かなり大きな棚田です。何人かトラクターで田起こしの作業をしていました。

南側にあるこんもりとした山が、この芦ノ原の風景の特徴になっているようです。

ここは「棚田オーナー制度」を行っています。

http://www.ashinohara.com/index.html
 
 
 
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2015/05/10

2015年春、東北撮影の旅(05) 山形県河北町「自分遺産」と「冷たい肉そば」

150510_1(河北町 児童動物園)

150510_2(河北町 三社宮)

150510_5(最上川沿いの果樹園 りんご(ふじ)の剪定)

150510_3(河北町 冷たい肉そば)

150510_4(かほく冷たい肉そば研究会の口コミサポータのバッジ)

一昨年は富士山、去年は富岡製糸場、今年は(まだ正式ではないですが)明治の産業革命遺産群と、立て続けに世界遺産に登録されています。

どれも世界の遺産として貴重なもので、俺も見に行っていますが、どうでしょうか、こんなにすばらしいものだけではなくて、きわめてプライベートなものでも「遺産」にはなるのではないかと思います。

そこで「自分遺産」というものを考えてみました。決して自分以外からは興味も持たれず、価値も認められないものですが、自分にとっては、すごく大切で、意味や思い出がある遺産です。

雑誌に連載中の記事で、最後はこの「自分遺産」で終わろうかなと思っています。俺の場合、それは生まれ育った河北町にあります。

「自分遺産」は俺の生家です。街の中心部、内楯というところでしたが、大学1年のとき、2kmほど離れた今の実家がある場所に引っ越しました。だからしばらく生家がどうなっているか、見に行ったこともありませんでした。

今回は、久しぶりで内楯を訪ねました。そしたら生家の木造2階建ての建物は今でもあったのです。当時すでにかなりボロい家で、子供心にも恥ずかしかったくらいですが、今でも車庫として使われていました。

あれから30年も経っていて、「すごい」と思わずつぶやいてしまったほど、いっそう「ボロい小屋」になっていました。よくこんなところで暮らしていたなぁと思います。これが偉人の生家だったらそれなりに感動もするんでしょうが。

でも、そんな「ボロい小屋」でも、俺にとっては子供のころは、まだ素直に育っていた時期でもあったし、楽しい思いでもたくさんあって、貴重な文化遺産です。

この生家の写真は雑誌で出したいので、ここではアップしないことにします。(雑誌で出した後アップします)

その代わり、俺の「原風景」を紹介しておきます。

役場の隣には児童動物園がありますが、いつもここを通って通学していました。友だちとは動物園内にあった小山を駆けて遊んでいましたね。

それと内楯の小さな神社「三社宮」も、学校が終わったあとの遊び場だったし、ふくらはぎに農機具の部品が刺さって大怪我をした場所(社殿の右奥)でもあるし、祭りの楽しい思いでもあります。

果樹園も俺の原風景ですね。マラソン大会では、果樹園のリンゴを食べながら走ったこともあります。掲載の写真はリンゴですが、サクランボの時期になると親戚の農家は忙しくなります。そしてサクランボが手元に届く嬉しい季節です。

ところですでに何度も書いていますが、最後に、河北町の「冷たい肉そば」について。

「肉そば」が食べ始められたのは大正時代とも言われているそうですが、鶏と鰹のスープの日本そばで、あまり塩辛くはなくて、むしろ甘めです。具として入っている鶏肉のスライスが堅めでコリコリしています。当時、河北町にはたくさんの養鶏場があったようです。

地元の人間は、真冬でもこの「冷たい方」を食べます。どうしてかというと、そばのコシを生かすためだそうですが、たしかに、暖かい部屋で、雪を見ながら食べるコシのある冷たいそばは格別です。暖かいと、どうしても、そばが柔らかくなってしまうからです。

そもそも俺はこの町を「捨てた」とも言えるわけで、今さら、地元を自慢するのも偽善者っぽくて好きではないのですが、こと「冷たい肉そば」に関してだけは、いろんなところで、いろんな物を食べている俺も、客観的に「うまい」と思えるもののひとつとして自信を持って紹介できる名物です。決して「かほく冷たい肉そば研究会」の口コミサポーターになったからではありません。

「名物に旨い物なし」と言われたのは昔のこと。今、まずい名物で満足するほど、舌の肥えた旅行者は甘くないですよね。だから何も言わなくても、「冷たい肉そば」は、確実に認知度が上がっているようです。

ちなみに、正確に発音するならば、「つったえにぐそば」です。

かほく冷たい肉そば研究会のHP
 
 
 
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2015/05/09

2015年春、東北撮影の旅(04) 山形県の棚田(大蔵村四ヶ村&大石田町大浦&山形市蔵王駒鳴など)

150509_1(大蔵村 四ヶ村の棚田 4月16日)

150509_2(大蔵村 四ヶ村の棚田 5月1日)

150509_3(大蔵村 四ヶ村の棚田)

150509_4(大蔵村 四ヶ村の棚田)

150509_5(大蔵村 平林の棚田 4月16日)

150509_6(大石田町 大浦の棚田)

150509_7(山形市 蔵王上野の棚田)

150509_8(山形市 蔵王駒鳴の棚田)

150509_9(上山市 小倉の棚田 石積みの蛇)


秋田県から山形県に入りました。

大蔵村は、2週間前も一度立ち寄っていたのですが、この間で、すっかり雪が無くなっていました。予想はしてましたが、この暑さでは当然でしょう。冬から初夏へ駆け足で季節が変わっているように感じます。

山形市の棚田に寄りました。

「山形の棚田20選」というのがあって、ほとんどは訪ねていたのですが、「蔵王上野」と「蔵王駒鳴」はまだだったので、今回初めて行ってみました。

蔵王上野は、整然とした棚田が斜面に広がっていて、広々とした印象です。東側は山形市街地になっていて、下のほうに見えます。棚田の碑も立っていました。

蔵王駒鳴は、西蔵王高原ラインの入り口の手前で、県道から800mほど入った奥まったところです。まだ田起こしは始まっていませんでした。

なかなかこういう「中途半端な季節」の棚田の写真を撮る機会は多くありません。ただ、「棚田ごよみ」を作る点から言うと、たとえば「田植え」や「稲刈り」時期の、いわゆる「写真的な季節」だけでは1年間の暦の場合、写真構成できないので、あらゆる季節を満遍なく撮影しておかなければならないという事情もあります。

そして実際、どんな季節に訪れても、棚田には何かあるわけで、それを発見するのもまた面白い。最初から「何も無い」と思っていたら、それは「何も無い」のです。世界は、頭で考えていることの外に存在する、ということなんですね。
 
 
 
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2015/05/08

2015年春、東北撮影の旅(03) 秋田県角館市 武家屋敷街

150508_1(北秋田市 阿仁付近)

150508_2(仙北市 西木町付近)

150508_3(角館市 武家屋敷街)

150508_4(角館市 小田野家)

150508_5(角館市 石黒家)

150508_6(角館市 太巻き寿司)

150508_7(角館市 雅楽演奏)


秋田県北秋田市から国道105号線で角館市へ。

途中の阿仁あたりの朝の風景はよかったですね。その日も日中は29度くらいまで上がりましたが、朝はまだ肌寒いくらいで、気持ちがいい。

道路わきにはところどころ雪も残っています。フキノトウがあぜ道に生えていて、いかにも「早春」の棚田がありました。

秋田県の棚田は「日本の棚田百選」にはまったく入っていませんが、それだけに、先入観無しに、美しい棚田を探す楽しみは何物にも変えられません。

先日、「俺にとっての「巡礼」は「探す」ことと同じ意味です」と、東北お遍路結願(ゴール)のときも書きましたが、動物には「探索欲」というのがあるそうで、俺は、この欲が人一倍強いのではないかなと感じています。

山道を抜け、角館に近づくと、広々とした水田地帯を走ります。

角館市の武家屋敷通りは、黒板塀が続いて独特の雰囲気があります。幅11mほどありますが、昔からこの広い通りだったというから驚きます。

殿様は3本の道路を引いて、街造りをしたようです。なんでしょうか、この余裕を持った街造りは。

朝9時に開放している武家屋敷もあったので、いくつか見学して、最後は西宮家に入りました。

蔵の前では、いぶりがっこなどを販売していて、そのなかに寿司があったので買ってたべました。

「昔は、運動会などがあると、作って持って行ったもんですよ」

と、地元のおばさんは言いました。

西宮家を出ると、広場では、ちょうど雅楽の演奏が始まったところでした。しばし雅な演奏に耳を傾けます。
 
 
 
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2015/05/07

2015年春、東北撮影の旅(02) 青森県弘前市 弘前城さくら祭り&仲町武家屋敷街

150507_1(八甲田山)

150507_2(酸ヶ湯 駐車場の雪)

150507_3(八甲田山麓の「あらぎ島型」棚田)

150507_4(弘前市 弘前城)

150507_5(弘前市 弘前城)

150507_10(弘前市 弘前城)

150507_11(弘前市 弘前城)

150507_6(仲町伝統的建造物群保存地区 旧梅田家)

150507_7(仲町伝統的建造物群保存地区 旧岩田家)


十和田市から、八甲田山のふもとを南側から西へ抜けて、弘前へ向かっているとき、川の湾曲したところに棚田を見つけました。自分で言うのもなんですが、よく見つけるね。

3枚だけですが「あらぎ島型」の棚田です。また田起こしも行われていないし、今でもここが耕作されているのかどうかわかりませんが、もし6~9月に再び訪ねる機会があれば、ぜひ確かめたいですね。

弘前城ではさくら祭りでした。例年ならゴールデンウィーク中にソメイヨシノが満開になるらしいのですが、行ったのは4月29日で、すでに遅く。

城内には日本一のソメイヨシノの大木がありましたが、もちろん散ったあとです。ただ、城内のシダレザクラが満開でよかったですね。天気もいいし、花見には最高です。屋台もたくさん出て、どこも混雑していました。

城を出て、北側の仲町伝統的建造物群保存地区を歩きました。

旧笹森家住宅、旧伊藤家住宅、旧梅田家住宅、最後に旧岩田家住宅を訪ねました。祭りの期間だけなのかどうかわかりませんが、全部無料開放されていました。
 
 
 
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2015/05/06

2015年春、東北撮影の旅(01) 岩手県釜石市 橋野鉄鉱山・高炉跡&石積畦畔

150506_0(釜石市 橋野鉄鉱山)

150506_1(釜石市 橋野鉄鉱山)

150506_2(橋野鉄鉱山 一番高炉跡)

150506_3(橋野鉄鉱山 二番高炉跡)

150506_4(橋野鉄鉱山 三番高炉跡)

150506_5(橋野鉄鉱山 三番高炉跡)

150506_6(橋野鉄鉱山 山神社跡)

150506_7(橋野 石積畦畔)

150506_8(橋野 石積畦畔)


昨日までは「東北お遍路(こころのみち)巡礼」の旅でしたが、一応、結願(ゴール)を果たしたので、ここで巡礼に区切りを付けるためにも、今日からはタイトルを「2015年春、東北撮影の旅」に替えます。

今度は、青森から埼玉まで南下しながらの撮影記にしたいと思います。

記事はリアルタイムではないのはバレているでしょうし、時間的なズレは許してしてください。

という言訳から始まりましたが、タイムリーな写真として、岩手県釜石市の橋野鉄鉱山から。

「明治日本の産業革命遺産」について、ユネスコの諮問機関が世界遺産に「記載すべき」と勧告したというニュースを聞いたのがおとといのこと。

この「明治日本の産業革命遺産」の構成資産は23で、福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、山口、岩手、静岡の8県11市にまたがっています。有名なところでは、長崎県の「軍艦島」や、山口県の「松下村塾」などとともに、岩手県釜石市の橋野鉄鉱山・高炉跡も含まれています。

釜石市に立ち寄り、巡礼地のひとつ、鵜住居のメモリアルパークの情報を聞くため市役所を訪ねたとき、「橋野高炉跡を世界遺産へ」という幟が立っていて、何だろう?と興味が出たので、実際に行ってみました。世界遺産になったら観光客が増えるだろうし、その前に見ておこうと考えたのでした。

釜石市街地からだと40分ほどかかるはずですが、俺は遠野の方から峠越えをしていきました。

ここには大島高任築造による、現存する日本最古の洋式高炉跡がありました。国内で初めて、ここで採掘された鉄鉱石を用い、高炉で製鉄に成功したところです。一番高炉、二番高炉、三番高炉跡が残っています。

三番高炉は、花崗岩の基壇2段の上に、高さが2.8m(5段)、広さが約5.4m四方の石組みがあり、四隅には縦長の花崗岩が配置されています。当時の高さは7mあったという。この石組み形式は、初期の高炉の基本形であったと考えられているそうです。鉄の塊らしいものが残っていました。

ところで、今回の「明治日本の産業革命遺産」の登録申請に関しては、安部総理肝いりだったらしいことが、昨日のニュース番組で知りました。

なるほどね。安部さんの出身地、山口県にも「萩反射炉」「恵美須ヶ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」「萩城下町」「松下村塾」の5つの資産があるのです。しかも「強い日本」の考え方とも合致する、きわめて安部さん好みの世界遺産でもあるようです。

ところで、ついでにと言ってはなんですが、いや、俺にとってはむしろこっちの方が重要かもしれないのですが、橋野にはもうひとつ見所があります。

石積みの畦畔(田んぼのあぜ)を持った棚田があるのです。岩手県内では、これだけの石積みは他にはないとのこと。大雑把に言えば、石積みは西日本には多いですが、東日本はそもそも少ないのです。(あとで宮城県丸森町沢尻の棚田にも触れる予定)

石積に適した石が出たとこと、橋野高炉で培った石積みの熟練工がいたこと、などが理由らしい。ここだけに限りませんが、石積みにすることで、畦畔は強くなるし、耕作面積は増えるメリットがあります。

ここに石積みの棚田があることと、高炉があったことと、無関係ではなかったのですね。
 
 
 
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2015/05/05

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (24 結願[ゴール]) 青森県八戸市「蕪島」

150505_1(八戸市 種差天然芝生地)

150505_2(八戸市 大須賀海岸)

150505_4(八戸市 蕪島)

150505_6(八戸市 蕪島神社)

150505_5(八戸市 蕪島 ウミネコも喧嘩はする)

150505_6(八戸市 蕪島 狛犬も・ ・ ・)

岩手県洋野町から青森県八戸市に入りました。

自然の芝生が海際まで覆っていて、どこか外国の海岸のような種差海岸、2、3km白い砂浜が続く美しい大須賀海岸を経由し葦毛崎展望台に。

ラブラドールのジョン君を連れた地元の人に出会いました。「所沢」ナンバーを見て声をかけてくれたのですが、今は展望台周辺もきれいに整備されましたが、震災前までは草ぼうぼうだったのだという。このあたりは津波の被害はありませんでしたが、八戸港は被害がありました。

その蕪島はすごかった。葦毛崎から八戸に向かってくると、突然前方に島が見えますが、遠くからでも島がウミネコに覆われているのがわかります。

とうとう最後の、結願(けちがん)の巡礼地です。でも、この東北お遍路は、宗教色をなるべく出さない、という趣旨でもあるようなので、「ゴール」と呼んだほうがいいかもしれませんが。

「結願(ゴール)」と書きましたが、実際はここが「一番」にはなっているんですが。俺は逆からたどってきたのです。ただ、関東の方から来ると、ここが「一番」というのはちょっと違和感があります。

東北を巡礼するなら、最初に厳しいところを見る、現状を見る、つまり原発の被災地のことですが、そこから始めて、徐々に気持ちが楽になる、という方がいいような気がするのです。あくまでも関東に住む人間の感じ方ですが。

ブログ上では24回(24日)目ですが、実際は20日かかっています。長かったといえば長かったし、あっという間といえばあっという間。興味のあることをやっているときは、時間は短く感じるものです。棚田百選のときもそうでしたが、何かを「探す」ことが好きなんですね。いまさらですが。俺にとっての「巡礼」は「探す」ことと同じ意味です。

それにしても最後の巡礼地は強烈なインパクトがあります。

ウミネコ繁殖地である蕪島は、国指定天然記念物に指定されています。3月上旬から8月上旬まで、約4万羽のウミネコが乱舞する様は、さながらヒッチコックの『鳥』です。いや、蕪島神社の境内に上ったら、もっと『鳥』を実感します。人間が近づいても逃げないのです。それどころか、こっちの頭上を舞って糞まで落とします。傘をさして上ってくる観光客もいるほどです。俺も帽子はかぶっていたのですが、カメラにしずく(小便? ウミネコは小便するのだろうか?)をたらされました。

震災では島が津波に飲み込まれ、防波堤は決壊し、観光案内所なども使用できなくなりました。周辺一帯がガレキの山となりましたが、復興支援活動が行われ、観光地として再出発を果たしているところです。
 
             ☆
 
巡礼中に各地で見た津波の碑。ただ、記憶が語り継がれていないところもありました。碑は遺跡になってないけないのですね。それがよくわかりました。

地震があったら津波から逃げる。言うのは簡単ですが、いざ、その場になった時、ちゃんと逃げる行動を起こすのかどうか、自分でも自信がありません。

そんなことじゃぁだめなんですけどね。いっそ「逃げる」行動を、遺伝子的に組み込まれればいいのにと思います。

でもそうなるためには、何万年、何十万年かかるかわかりません。人間は他人の体験からでも学習することができます。それが「記憶の共有」。

生き延びるために、人間が獲得した能力。それを使わない手はありません。みんなで津波の記憶を共有するのです。巡礼という枠組みを使えば、いつまでもその記憶が生のままで語り継がれるということに役立つ、この巡礼地の意義のひとつはこんなところにもあるのではないでしょうか。

それと東北を理解するガイドとしての巡礼地であってもいいのかなと思いました。ただ「被災地を観光する」なんて不謹慎な、と思う人も実際いるでしょう。現実問題として、原発周辺は立ち入ることさえできないところがあります。

でも「不謹慎な観光客」がたくさん足を運んでくれることで、東北の復興の速度が上がるという側面もあるのは事実です。

とは言え、「不謹慎な観光客」から、人が亡くなった現場や慰霊碑の前で、ピースサインをされるのを見るのは耐えられないと、巡礼地になることを拒否する人たちもいます。もちろんそういった人たちの気持ちは察してあげなくてはなりません。

だからこの「東北お遍路」の場合は、同意を得たものだけです。ただし、1ヶ所、実際に訪ねて住職さんと話をしたら問題があったので、そこは割愛しました。それと「福島第一原発」も巡礼地ですが同意を得ていないそうですが。

津波で破壊され、放射能に汚染され、すべてを失ってしまったことは耐え難い苦痛です。でも、前には戻らない。辛いですが、それが現実です。

ならば、被災者に寄り添うにはどうしたらいいのか、今の現状をどんな風に良いほうに持っていったらいいか、そもそも東北とは「何」なのか、巡礼しながら少しでも考えることができるなら、巡礼する価値はあるのではないでしょうか。

個人的なことを言えば、被災地から見ると、オリンピックという国家的イベントが違って見えてきました。(それについては後日書きます)

こういう災害や不幸は、いつ自分に降りかかるかわかりません。東北を考えることは、「同情」ではなくて、自分の問題でもあるんじゃないかなと思います。

東北を巡礼しながら、俺はおかしな既視感にとらわれました。それは「沖縄」です。福島の原発と、沖縄の米軍基地。ふたつは似ているような気がします。

沖縄で聞いたこんな言葉は、東北(福島)にも言えるのかもしれません。

「私たちが米軍基地の県外移設を主張しているからといって、県外の人に嫌なものを押し付けるつもりはありません。ただ、あまりにも基地問題に無関心なので、県外の人に腹が立つときもあるんです」

自分の問題であれば、関心はなくならないと思うのです。

 
 
 
Tohoku_ohenro
 
 
 
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2015/05/04

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (23) 岩手県野田村「大鳥居と楓の木」&久慈市小袖海岸&洋野町「津波慰霊碑」

150504_1(野田村 大鳥居)

150504_2(野田村 大鳥居と楓の木)

150504_3(久慈市 小袖海岸 海女センターの屋上から)

150504_4(久慈市 小袖海岸の「津波襲来の地」の碑)

150504_5(久慈市 あまちゃん?)

150504_6(久慈市 「まめぶ汁」と豆腐田楽)

150504_7(洋野町 津波慰霊碑)


東北お遍(こころのみち)路巡礼も、あと3カ所になりました。

そのうち2カ所は、岩手県野田村の「大鳥居と楓の木」と、洋野町の「津波慰霊碑」です。

「大鳥居と楓の木」の「大鳥居」はすぐにわかりました。国道から左折して役場の方へ入っていくと愛宕神社に続く参道に見えてきます。間違えようがありません。

楓の木は一応確認しておこうと思って、役場に聞きに行きました。でも、わかる人がなかなかいません。親切にも職員が付いてきてくれることになりました。

結果的には、楓の木は、鳥居のそばにあって、その大木しかなったのですが。葉っぱも手のひら状で間違いありません。

この楓の木には、明治の津波のときに、枝にぶら下がって人が助かったという話があります。その後切られずに鳥居のそばに移植されていたものです。今回も多くの人が楓を目指して逃げて助かったといいます。

津波の記憶を継承するにふさわしいと、巡礼地に選ばれました。

NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でロケ地になった久慈市の小袖海岸に寄りました。ここは巡礼地には選ばれていませんが、津波の被害があり、海女センターの建物は新しく再建されたものです。「津波襲来の地」の碑も立っています。

「まめぶ汁」と豆腐田楽を買って、港を見ながら昼食。「まめぶ」とは、中にクルミやゴマが入った団子のことで、キノコ、豆腐、ニンジン、ゴボウ、油揚げが入ったあんかけ風の汁に入っています。懐かしい味です。

次の巡礼地、洋野町で津波の被害か最も大きかったのが八木地区です。

港の方に降りていくと、おじさんが散歩していたので声をかけました。

おじさんによると、津波は国道に遮られましたが、一部は川をさかのぼっていって、周辺の住宅を浸水させました。港を見下ろす高さ15mほどの丘があり、そこに多くの人が逃げて、津波が押し寄せてくるのを見ていたという。

昭和八年のときには、鉄道工事関係者を中心に多くの人が津波で亡くなりました。だから「地震が来たら逃げろ」とは思っていたので、ここでは人的な犠牲者は出なかったそうです。

慰霊碑は郵便局の隣に立っていましたが、今回の津波で流され、今は200mほど離れた国道下に移動しています。碑は土台から外れて、そのままでは立っていられないのか、鉄パイプで固定されていました。

碑があるだけではだめで、大切なのは、津波の記憶が語り継がれていること。それを教えられる八木地区の津波慰霊碑でした。碑の表には、こう刻んであります。

「想へ惨禍の三月三日」

残るはあと1か所。青森県に入ります。
 
 
 
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2015/05/02

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (22) 岩手県田野畑村「しまのこし駅」&「宝福寺」&北山崎&番屋群

150502_1(宮古市 小田代冷泉)

150502_2(田野畑村 カルホナード しまのこし駅)

150502_3(田野畑村 宝福寺)

150502_5(田野畑村 北山崎)

150502_4(田野畑村 机浜番屋群)

150502_6(田野畑村 かつての番屋群のジオラマ展示)


宮古市の田老の山の中に小田代冷泉というところがありました。

こんな先に温泉なんかあるんだろうかと思える山道を行くと、途中桃源郷のような、花がきれいに咲いている集落を越えていくと、ありました。秘湯と言えばここも秘湯です。

風呂場を覗いたら、石鹸やシャンプーといった備え付けのものがないらしく、持参しなければならないことがわかりました。シャンプーを取に戻ろうと服を着始めたら、風呂上がりのおじいさんが「これ使っていいよ」と自分の石鹸箱を差し出しました。「でも、もう出るんでしょ?」と聞いたら、「使い終わったら、そこへ置いてくれればいいから」と言いました。せっかくなので借りることにしました。地元の人で常連さんらしい。

湯船は5人が入れるかどうかといった感じでしたが、つるつるした泉質は肌に良さそう。久しぶりで石鹸で髪を洗う経験もすることができました。おじいさんありがとう。

田野畑村の「カルホナード しまのこし駅(三陸鉄道)」は新しくなって再オープンしています。駅舎の中には、復興関連の展示室と、反対側には土産物屋があります。田野畑アイスもなかを買いました。

駅員のおばさんは「寒いから待合室で待っててください。電車が来れば合図が鳴るから」といいました。待合室には暖房が入っていました。そこでアイスもなかを食べ終わった時、ちょうど1両編成の宮古行がやってきました。住民が再開を喜んだ鉄道は復興のシンボル的存在です。

田野畑村のもう一つの巡礼地「宝福寺」も、海そばにあると思い込んでいて、探し回って見つからず、ある駅で尋ねたら、寺は役場の隣にあることがわかりました。海から一気に山へ上っていきます。このあたり起伏がはげしいですね。

北山崎は巡礼地には入っていませんが、三陸観光のハイライトです。荒々しい断崖絶壁は、三陸リアス式海岸の代表的風景です。日本離れした(いや、本州離れした?)雄大さがあります。

北山崎の南4kmのところ、机浜に番屋群があります。妙にこの番屋群にひかれました。

インフォセンターには、番屋群の歴史やジオラマなどが飾ってあります。「机」は、アイヌ語で、「ツク・エツ」(小山の・岬)というのが由来。昭和4、50年代になると、車道が整備され、納屋としての機能が失われ、廃屋化も進んでいきました。

2006年、水産庁の「未来に残したい漁業漁村歴史文化財産百選」に選ばれ、保存も順調に進んでいたと思ったら、今回の津波で失われてしまいました。また番屋が再建されたのは去年のことです。

なるべく、形、配置を同じに再建したそうです。体験学習なども行われる施設になりました。

事務所の人に、東北お遍路(こころのみち)巡礼地のことを話しました。ぜひ巡礼地になってほしいと、個人的には思います。
 
 
 
Tohoku_ohenro
 
 
 
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2015/05/01

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (21) 岩手県山田町「鎮魂の鐘」&宮古市「浄土ヶ浜」

150501_1(山田町 鎮魂の鐘)

150501_3(宮古市 浄土ヶ浜)

150501_4(宮古市 閉伊川の桜)

山田町の御蔵山にある東北お遍路の巡礼地「鎮魂の鐘」は以前も訪ねたのですぐわかりましたが、隣の温泉施設は閉鎖されていました。

近くに住む飯岡さんを訪ねました。写真集に登場してもらった人で、2年ぶりの再会です。

飯岡さんは、津波で残ったこの家に住んでもいいと言われているそうですが、奥さんは今でも地震があると怖くなって、とてもじゃないが、ここで暮らすことはできないので、仕事場として通っているだけで、住んでいるのは別のところだそうです。

とにかく、かさ上げや国道の位置がどうなるかによっても変わるので、まだこの店舗兼住宅をどうするか最終的は判断はできずにいるといいます。

ところで、「温泉が閉鎖されてますね?」と言ったら、「あぁ、あれね。例の北海道のNPOが作ったやつだったんだよね」

なるほど。ニュースで見た気がするが、このNPOは補助金をネコババした団体だったのではないでしょうか。問題ある温泉だったんですね。2年前入りましたが、いい温泉だったのに。

今度は、同じく写真集に登場してもらった福士さんの家に寄りました。福士さんは元気でした。

なんでも貝の養殖業は、来年から、自分で揚げた分は自分の稼ぎになるかもしれないという。今までは共同だったので、給料をもらっている感じ。だからあまり働かない人と給料は同じで、やる気が起きないが、今度は自分で稼げるとなれば、みんなやる気も出るでしょうとのこと。

ところで今年の桜は、早く咲き始めましたが、まばらな感じがしたという。年によって桜の咲き方も同じではありません。かろうじて、福士さんといっしょに撮ったシダレザクラは津波で枯れもせず、今年も咲いたということです。

夕方、宮古市の浄土ヶ浜(ここは巡礼地には入っていません)に行きました。

若いカップルが数組。彼らの(今だけ?)幸せそうな、はしゃぐ声が響いています。6時になってようやく陽が沈み、7時ころ暗くなりました。誰もいなくなった浄土ヶ浜。街灯もなく怖い。

ここは浄土か? 地獄か?

翌朝、閉伊川の河川敷公園の桜は満開でした。この桜は津波をかぶった直後にも撮影しています。今年も元気に花を咲かせました。
 
 
 
Tohoku_ohenro
 
 
 
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