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2016/06/30

【愛犬物語 其の三十三】 埼玉県秩父市 若神子神社

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秩父市荒川にある若神子神社は、シダレザクラで有名な清雲寺の隣にありました。

一の鳥居のお犬様の狛犬は、昭和16年に建立。左側の像の耳がやたら大きくて不自然だったのですが、その訳はあとでわかりました。

二の鳥居のところには、「紀元二千六百年記念」と刻まれた狛犬が奉納されています。「紀元二千六百年」とは昭和15年ですね。

普段、若神子神社に宮司さんはいませんが、前もって電話していたので、わざわざ社務所を開けていただきました。

さっそくお犬様のお札を頂戴しました。

若神子神社は、神社自体の歴史は古く、創立は天平年間(730年代)ころですが、お犬札を出すようになったのは、明治10年ころからだといいます。

関所跡が残る栃本にある両面神社の眷属信仰を取り入れたことが始まりだったらしい。なので宮司さんは、今でも両面神社の4月3日の例大祭には訪ねていくし、反対に、若神子神社の例大祭には、両面神社の関係者が訪れ、交流しているとのことでした。

お犬替えでは、頂戴したお犬様のお札ではなくて、表札のような木の板にお札を貼ったものを貸し出します。それも見せてもらいました。絵柄は同じようです。若干印刷が縮小されてはいますが。

今でも500組は貸し出すそうですが、年々少なくなっています。一番は、代変わりしたときがきっかけになって来なくなることが多いようです。

ただ、最近は、若い人がお犬札を求める人がいて、遠方の信者には、郵送もしているとのことです。

ところで一の鳥居の狛犬像の耳ですが、最近壊れたので直してもらったら、やたら耳が大きくなってしまったそうです。ムキムキ筋肉質のコミカルな姿になっています。

8月1日には、川瀬祭りが行われます。神輿が神社を出発して荒川まで降りて川に入ります。時間があったらこの祭りも見てみたいですね。
 
 
 
 
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2016/06/29

【愛犬物語 其の三十二】 埼玉県長瀞町 宝登山神社のお犬様のお札

160629_1(宝登山神社の鳥居)

160629_2(新緑の中の拝殿)

160629_3(FacebookとInstagramのQRコード)

160629_4(日本武尊が宝登山に登る前に身を清めた神聖な泉「玉の泉」)

160629_5(御眷属様【お犬様】のお札)


2代目ボンゴフレンディで、秩父に行ってきました。快調な走りなので、1代目ボンゴフレンディのことはつい忘れてしまいそうです。この変わり身の早さは、1代目に恨まれてしまうんでしょうか。

まず、長瀞町にある宝登山神社です。1代目ボンゴフレンディの供養も兼ねての参拝です。(ほんとかな?)

二の鳥居から入るとすぐ、FacebookとInstagramのQRコードの立て看板がありました。それと拝殿の御賽銭箱の横にもQRコードが表示されていました。「フォローお願いいたします」とあります。

いまどきの神社ですね。すごく古いものと、めちゃくちゃ新しいものがいっしょになっているところが面白いと思います。これもりっぱな「営業努力」と言えるのではないでしょうか。

宝登山神社は、約1900年の昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、宝登山山頂に皇祖神武天皇・山の神・火の神をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

山に登る途中で山火事になりましたが、現れた巨犬たちが火を消してくれたことから、古くは「火止山(ほどさん)」と表していましたが、後に「宝登山」と改称されました。

そしてこの時の巨犬が神様のお使い「御眷属(ごけんぞく)」です。

まだ8時でしたが、数組の参拝客がいました。社殿を囲むように、複数の社が鎮座しています。その中には稲作ゆかりの稲荷神社も。

社務所で御眷属様(お犬様)の御札を頂戴しました。黒と白のオオカミが向かい合っている絵柄です。

ここでは「オイヌゲエ」のような祭日はなく、「春先にお札を替えられる方が多いように思います」ということでした。
  
 
  
  
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2016/06/27

マツダ・ボンゴフレンディに命を助けられたのか

160627_1(北海道 美瑛町)

160627_2(青森県 大間から函館へのフェリー)

160627_3(石川県 千里浜なぎさドライブウェイ)

160627_4(岐阜県 せせらぎ街道 泥にはまってJAFを呼んだ時)

160627_6(山梨県身延町 道の駅みのぶ 富士川観光センター )

160627_7(沖縄県 東村 やんばるの森)


日本一周するために手に入れたボンゴフレンディは、まだ16万kmで、ディーラーでは、エンジンは大丈夫と太鼓判を押されてはいましたが、次のボンゴフレンディに乗り換えることにしました。

車旅(とくに車中泊旅)には理想的な車種ではないでしょうか。もう新車は作られていませんが、まだまだ中古で探すことができます。

そしてネットで探して良さそうな中古車を見つけ、買うことを決めた途端、ボンゴフレンディーは時々エンストするようになったのです。

最初に同じ症状がでたのは、4年ほど前で、2年に1度くらいだったのでそれほど深刻ではなかったのですが、ディーラーで診てもらいました。1日預けたこともあります。でも、原因は特定できませんでした。その時に限って症状が出ないからです。

そしてこの1か月半は、日に日に頻度が高まるようでした。まるで、自分の運命を悟ったように。いや、「反逆」かもしれません。なんなんでしょうか。偶然とは思えないような調子なのです。(そのことについてはあとで書きます)

だから、この前の東北撮影の旅でも、よく自宅に戻れたなぁと。今だから言えるのですが、綱渡り状態が続いていたので、内心はらはらしていたのです。ブログでは触れませんでした。触れたら現実になる(車が完全に動かなくなる)ような気がしたからです。こういう綱渡りは、車だけではなく、いろんなことで、いつものことですが。

車(機械)とは言っても、北海道から沖縄まで、日本一周をした「同士」であり、廃車にしてしまうのは、正直寂しさを感じます。よく大きなトラブルもなく走ってくれたなぁと感謝の気持ちでいっぱいです。

最後の掃除をしながら、あんなことあったなぁ、こんなことあったなぁと思い出を反芻して、柄にもなく、ちょっと感傷的になりました。

先日も、ちょっとだけ供養について触れました。動物に対してだけではなく、日本には「草木」に対する供養塔もあるし、「針」や「パソコン」など、無生物に対する供養もやります。そこにはそのモノに対する感謝の気持ちがあります。

そしてここが仏教的というか、輪廻転生ではないですが、次は「車」ではなくて「人間」に生まれてくるかもしれない、などという気持ちも少しはあるんですね。車が死んでいく(廃車になる)姿は、どこかで自分の姿に重なるのです。

今度のボンゴフレンディは、自宅から2時間離れた千葉県の販売店まで取りにいかなければならなかったので、だから最後の運転は、供養の心を持ってやろうと思いました。

ところがです。なんと、一番止まってほしくない国道16号の交通量の多い春日部付近でエンストしてしまったのです。幸いにも渋滞していたので、スピードは出していなかったので、追突されることはありませんでした。

5分くらい悪戦苦闘してエンジンをかけようとしましたが、ダメでした。今までは、何度かやっていると、またかかったのですが、今回の不具合の程度がより深刻だなと感じました。

10分ほど経ったとき、後ろからパトカーが来て、「ここで停まっちゃダメだ!」と言われたのですが、「故障で動きません」というと、警官は、「ここでは危ないから」と、車を押してくれました。

これも不幸中の幸いで、50m先まで押してもらい、空き地があったので、そこに車を入れることができました。

結局、また国道でエンストするのは事故の危険もあったので、レッカーを呼びました。だから販売店までの残り10kmはレッカー車で行くことになったのです。

それにしても、最期の最期にこんなしっぺ返しがあるとは。俺を殺す気か?

販売店でレッカー車から下されたボンゴフレンディは満身創痍の姿。最後は気まずい関係になってしまいそうでしたが、やっぱり供養はしなければと思います。「タタリ」を鎮めないと。

人がある動物(もの)を供養するのは、もちろん感謝の気持ちもあるのですが、「「タタリ」を恐れ、それを「鎮める」という意味合いも大きかった。」と、長野浩典著『生類供養と日本人』には書いてあります。

ユングの「シンクロニシティ(共時性・同時性)」については前も書きました。偶然を単なる偶然だと気に留めずに流すのではなくて、そこに意味を考えてみるということですが、今回の件は、やっぱりこの「シンクロニシティ」と言ってもいいのではないでしょうか。

シンクロニシティは因果関係では説明できません。「俺が次のボンゴフレンディを買うと決めた」から「今のボンゴフレンディはエンストするようになった」というのは、どう考えても無理があります。そこまで擬人化してしまってはファンタジーになってしまいます。

妻からは「あなたの無意識が車に乗り移ったように見える」と言われました。俺もそう感じます。

俺の無意識内では、「16万kmも走ったし、そろそろ限界かも」とは感じていたはずなのです。そしてその「感じ」が「やっぱりそうだった」になったというわけです。

そしてこの偶然が、「いよいよ危ない」と、俺に意識させてくれて、だから今回最後の運転でも、無意識ではあっても、今までより注意して運転していたはずなのです。だからエンストしたときはすばやくハザードを出したのだろうし、それが追突事故を防いでくれたのかもしれません。

今日の「本番」に向けて、過去何度かエンストして「練習」した成果であるかもしれないとも考えられるのです。もし、今日が初めてのエンストだったら、慌ててしまい。対処が遅れて、下手したら死んでいたかもしれないのです。

だから「俺を殺す気か?」と書きましたが、そうじゃない、俺は助けられたんだなと思いますね。ボンゴフレンディに。

ボンゴフレンディの大往生です。

(合掌)
 
  
 
 
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2016/06/26

今日は、二十四節気「夏至(げし)」、七十二候「菖蒲華(あやめはなさく)」

150627(「舞扇」という品種のハナショウブ)

菖蒲は「アヤメ」とも「ショウブ」とも読みますが、七十二候「菖蒲華」は「あやめはなさく」と読みます。

草地に咲くのがアヤメ、水辺や湿地に咲くのがショウブだそうです。またカキツバタというのもありますが、見た目の違いがよくわかりません。

アヤメとカキツバタはアヤメ科、ショウブはサトイモ科の植物。分類学的には違いがあっても、素人には難しいです。

先日撮影に行った岩手県平泉の世界遺産「毛越寺」では、大泉が池のあやめ園に、300種、3万株の花菖蒲が咲き誇るそうです。
 
 
 
 
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2016/06/25

沖縄県「やんばる国立公園」指定決定のニュース

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「やんばる国立公園、指定決定…絶滅危惧種が生息」
(Nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20160620-50125/1.htm参照)

対象地域は、国頭村、大宜味村、東村の3村にまたがる地域で、国内最大級の亜熱帯照葉樹林の中に「ヤンバルクイナ」や「ノグチゲラ」などの絶滅危惧種が生息しているそうです。

島の最北端、辺戸岬も国立公園の範囲に含まれています。断崖絶壁から見る海岸線は雄大な風景です。

でも、この辺りには米軍の北部訓練場があります。

東村を走っていると訓練場ではヘリコプターの離着陸訓練が何度も行われていて、あるゲートには、高江地区の住民が、ヘリパッド建設反対で座り込みをやっているテントもありました。

今回指定された「やんばる国立公園」の範囲は、この北部訓練場は含まれず、訓練場の西側に位置しています。訓練場の境界が国立公園に指定された地域の境界になっているようです。

「ヤンバルクイナ」や「ノグチゲラ」が訓練場の中にはいないのでしょうか。行き来しますよね。

いつのことかわかりませんが、北部訓練場が返還されたら指定範囲を広げるらしい。逆に言えば、訓練場でなかったら、そこも最初から指定範囲になっていたということです。

国立公園化は、ユネスコの世界自然遺産への登録を目指しているようなのですが、そうすると、素朴な疑問がわいてきます。(元)軍事訓練場が世界自然遺産になるものなのかどうか。
 
 
 
 
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2016/06/24

「福井昭夫絵画展 2016」 のお知らせ

Fukui

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福井昭夫絵画展のお知らせ

2016年6月23日(木)~7月5日(火)  ※6月29日(水)は休み
11:00~19:00 (7月2日・5日は18:00まで)

ギャラリーるなん
〒152-0035 目黒区自由が丘1-9-6
Tel: 03 3724-1785
http://ia5.com/runan/

福井昭夫の在廊予定日はHPで確認してください。

http://www.hidekiyo.sakura.ne.jp/akio/news/index.html

ギャラリーるなんは、今年5月にリニューアル・オープンしたばかりです。以前は2Fだけでしたが、今度は2Fがカフェ&ミニギャラリーるなんで、プラス、3Fが画廊るなんになりました。

3Fは完全なギャラリーですが、窓もあって明るくて、作品を観るための客にとっては、いい空間ができたと思います。
 
 
 
 
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2016/06/22

創造の原点は「神体験」

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文化人類学者の岩田慶治著『からだ・こころ・たましい』(ポプラ社)の中で、アニミズムについて、

「山や自然のなかで、出会いがしらにハッとして神を感じる。そのときに成り立つ宗教だ。とびあがるほどおどろいたかとおもった、その一瞬に、こころがスーッとおちついてすみとおった感じになる。そこに神がいたとしかいいようのない「経験」なのだ」

と書いています。

河合隼雄氏も、

「ここで大切なのは、その人が何を見たのかではなく、その人自身の「経験」なのである。森の中を歩いていて、突然、途方もなく大きい木に出会う。その一瞬に彼の感じたもの、それが神体験なのである」

と言っています。

「木」に神を見ても、「木」が神そのものではなく、木を見たときのその人自身に生まれるイメージの体験なのでしょう。

たとえば俺の場合、朝の風景を狙って暗い中でカメラを構えて立って、日の出を待ちます。

残念ながら曇っていて、朝日は望めないとあきらめかけたとき、一瞬、雲間から一筋の太陽光線が田園に差し込んだようなとき、「すごい」と思ってシャッターを切ります。抑えられない衝動が沸き起こるのです。その神々しさにたましいが震えるのです。

中国雲南省で初めて「棚田」を意識したのは、元江県のハニ族村で、雲海の上に広がる棚田を見た時ですが、それだけだったらもしかしたら強烈な印象を受けなかったかもしれません。

なんとそのとき、ちょうど真正面から太陽が昇ったのです。「こんな偶然が世の中にあるのか」という驚きというか、感謝というか、衝撃を受けたのですが、これこそ神体験なのですね。

これが「神体験」になるのは「偶然」という条件が必須なのです。「予想外」であること、前もっては知らないこと。「偶然」は俺にとっての一回限りの「体験」です。

たとえば、棚田が雲海に包まれることや太陽が真正面から上ることを知っている地元農民には、「神体験」とはなりません。だから神体験は、まったく個人的なものです。

とにかく、こういうとき、写真家だからシャッターを押すのですが、絵描きなら筆を走らせるでしょうし、彫刻家は木と格闘するだろうし、ダンサーなら踊り出すでしょうし、詩人なら詩を詠むということなのでしょう。

表現の違いはあっても、それを表現したくなる瞬間は、同じ神体験だということができるのかもしれません。

この「神体験」の衝撃は大きく、それから俺は狂ったように棚田探しの旅を続けることになってしまったのです。

「まるで何かに憑かれたようですね」と言われたことも実際にあります。そして続ける理由が正直自分でもわからないのです。いまだに。もちろんもっともらしい理由はいくらでも答えられますよ。でも、それはみな、後付けなんですよね。
 
 
 
 
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2016/06/21

今日は、二十四節気「夏至(げし)」、七十二候「乃東枯(なつかれくさかるる)」

150622(「靫草(ウツボグサ)」、別名「夏枯草(カコソウ)」)

今日は、二十四節気の「夏至(げし)」です。一年で最も昼が長い日です。とは言っても、雨模様で、それを感じることはできない一日になってしまいそうですが。

ヨーロッパを中心に夏至祭というものが行われます。

夏至は恋人とめぐり合える「愛の季節」でもあるそうで、ウィキペディアには、こう書いてあります。

「北半球では、性欲をかきたてる日とされており、スウェーデンの民俗学者によると、夏至を祝うミッドサマーの祝日から9ヶ月後に生まれる子どもが多いという。」(Wiki

果実もこの時期の太陽光線をいっぱい浴びて、秋には実をつけます。「愛の季節」というのは妙に納得できます。

北欧の国の「Mid Summer Day」という祝日は、高緯度にある地域はとくに太陽光線が貴重なので、嬉しさを現わす祭りでもあるのではないでしょうか。

夏至のころの満月(今年は昨日の満月)は「ストロベリームーン」と呼ばれるそうですが、これは元々はネイティブ・アメリカンの月の名前を由来としています。赤っぽい月だから「苺月」なのでしょうが、この時期の月は水平線からあまり高い位置にならないので赤っぽいということです。

また、夏至の初候は「乃東枯(なつかれくさかるる)」ですが、「乃東」というのは、「靫草(ウツボグサ)」のことで、「靫」とは武士が矢を入れて持ち歩いた用具のこと。

別名「夏枯草(カコソウ)」です。夏に花が枯れて黒褐色になるからですが、利尿剤や消炎剤として使われているそうです。

上に掲載の写真がウツボグサです。花の後ろにボケて入っているのが枯れかかっているウツボグサです。
 
 
 
 
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2016/06/20

NHKスペシャル『シリーズ キラーストレス』で推奨していたコーピングとマインドフルネス

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現代社会は、ストレスに常にさらされ続けることで、心身に悪影響を及ぼしている時代です。「キラーストレス」とは現代のストレスの危険性を表している言葉です。

人はストレスを受けたとき、ストレスホルモンが放出され、とくに、コルチゾールというホルモンは多すぎると海馬の神経細胞を破壊します。海馬が小さくなることがうつ病の原因とも考えられているようです。

それともうひとつ、「マインドワンダリング」という状態が多いということです。

「マインドワンダリング」とは過去や未来のことをあれこれと考えすぎることです。

たとえば嫌なことがあった過去を悔んだり、もしかしたら同じことが明日起こるのでは?と心配したり。思考の負のスパイラルに陥ってしまい、ストレス状態が続き、それがうつ病の原因になってしまうということです。

平均的な人でも、半分の時間は「マインドワンダリング」状態にあるという結果になっています。そういえば俺もそうですね。過去や未来をよく考えてしまいます。くよくよと過去を後悔し、未来に不安を感じます。

とくに厄介なのは、未来のことかな。起きてもいないことを先回りして心配しているんだから。まったく馬鹿げたことだとはわかっていても、ついつい考えてしまいます。

そこで、このストレスを軽減する方法として注目されているものがあります。

ひとつは「コーピング」というものです。あらかじめ、ストレスを感じたときに、解消できる気晴らしになるものをリストアップしておくという方法です。番組では100種類挙げられていましたが、些細なことでもいいようです。

たとえば俺なら、

 1:  深呼吸する
 2:  空を見上げる
 3:  棚田に立つ
 4:  ヴィーノのお腹を触る
 5:  ヴィーノの肉球をつんつんする
 6:  ヴィーノと散歩する
 7:  写真を撮る
 8:  ブログを書く
 9:  かりんとうを食べる
 10: 小豆抹茶を食べる
 11: 映画を観る
 12: 音楽をつくる
 13: 温泉につかる
 14: 音楽を聴く
 15: 大の字で寝る
 16: インドカレーを食べる
 17: ボーっとする

 ・・・・

まぁ100種類は難しいかもしれませんが、50種類くらいならリストアップできそうです。

そしてその効果を点数化してみることです。点数化することで、前頭葉で意識するということが、過敏になりすぎた偏桃体にブレーキをかけることにつながります。

そして今注目の「マインドフルネス」です。

「認知行動療法」の授業にも出てきていたので「マインドフルネス」については前も書きました。

新しい認知行動療法「マインドフルネス」と犬の散歩」(2015/12/31)

雑念を振り払い、「今、この瞬間」を意識すること。実際の瞑想では、体と呼吸とに意識を集中させるということ。

「今、この瞬間」に注意をむけることで、過去と未来に蓋をして、「マインドワンダリング」状態から抜け出します。そうすると、小さくなっていた海馬が回復し、偏桃体は小さくなる、つまり、ストレスに強くなることが期待されるというものです。

「マインドフルネス」と横文字だし、GoogleなどIT企業が採用して、最近開発された最先端の軽減法かと言えば、まったくそんなことはありません。

これは日本には昔からあった方法、座禅の瞑想、武道、芸道と似ている部分があります。形や名前が変わっただけで、方法としては、ずっと人が実践してきた歴史があります。

認知行動療法の第3世代と言われるもので、禅や仏教の瞑想法が取り入れられて、マインドフルネス認知行動療法に発展したものです。より東洋思想に近づいたわけですね。

それと、写真を撮るときは、それこそ「今、この瞬間」を意識しているわけで、これは「マインドフルネス」的な、ストレス軽減効果があるのではないかと思うので、そのことについてはあらためて後日書こうと思います。

ところで前も書きましたが、ヴィーノはまさに「今、この瞬間」を大切に生きている動物です。過去も未来もあまり考えません。だからストレスがないように見えます。そう見えるだけで、人間どもにはわからない、犬のストレスはまた別だと、ヴィーノたちは言うのでしょうが。
 
 
 
 
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2016/06/19

富田和明太鼓芸能生活39周年記念 『和太鼓トーク齊富2016』

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富田和明さんと齊藤栄一さんのミュージカルふう和太鼓公演が行われています。公演は19日(日)までです。

ところで富田さん、今回の公演前、徳島滞在中に、山から下山中に足を滑らせ岩場に右手首をぶつけ骨折してしまったそうです。全治1か月。なので、右手首は固定して叩いていました。

でも、ストーリーじたての大枠のパフォーマンスには何ら支障はなかったように思います。大いに笑わせて、楽しませてもらいました。

【ここからはネタバレ注意】

ふたりの子供が登場するのですが、彼らは富田さんと齋藤さんの孫という設定です。そして富田さんと齋藤さんはふたりとも太鼓のそばで死んでしまうのです。

富田さんの方は、お遍路さんのような恰好で息絶えます。体が動かなくなっても、最後まで太鼓を打ち続ける姿はコミカルな表現ですが感動的です。旅人の最期として、松尾芭蕉の句を思い起こさせます。

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

もう体もよぼよぼになって、太鼓道の荒野をひとり進んでいく巡礼者のイメージでした。実際、富田さんは四国巡礼を実行しています。

そして一方の齋藤さんの方はというと、なんとも笑ってしまう状況で死んでいきます。「腹上死」というのがありますが、さしずめ「太鼓上死」といったところでしょうか。撥を使わず、素手で打ちます。太皷と交わって死んでいく姿は究極の太鼓打ちの最期と言えるでしょう。

このあたりの表現はけっこう深いものがありますよ。ただ笑えるばかりではありませんでした。

『和太鼓 トーク齊富(さいと)2016』

6/17(金)暮夜7時始め

6/18(土)夕刻5時始め

6/19(日)昼3時始め

/開場30分前

出演/富田 和明 齊藤 栄一(鼓童)

会場/ティアラこうとう小ホール

東京都江東区住吉2-28-36 Tel / 03-3635-5500
 
 
 
 
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2016/06/18

2016年初夏の撮影旅(22 最終回) 探求欲と巡礼

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今日で、2016年初夏の撮影旅の連載を終わります。

探求欲については以前から気が付いていたことですが、今回ますますその欲が俺は強いんだなぁと自覚しました。

ある犬関連の本に、こんなことが書いてあります。

「犬は探すことが好きだけど、探したとたん、興味を失うことがある」

目的物そのものよりも、探す過程が面白い。たしかにそれもあります。

雲南の少数民族、メコンの源流や河口、世界の棚田、東北お遍路…。今まで取り組んできた旅のテーマをあらためて考えてみると、そこに共通するのは「探す」こと、と言うこともできます。もちろん目的物が興味深いから探そうとする動機が生まれるわけですが。

あるかないかわからないものが「あった!」と探し当てたときの喜びは何物にも換えられません。犬や人間だけじゃない、動物が本来もっている何かが刺激されるのです。「食欲」「性欲」「権力欲」がありますが、これはさしずめ「探求欲」かな。

そこで、巡礼について考えてみると、日本では、もともと巡礼は修行の一種で、即身成仏を果たすという仏教思想からきていて、ある祈願を持って定まった場所を定まった経路で参拝するというものでした。だから巡礼はある期間が必要です。1日で終わってはいけないのです。

四国八十八ヵ所霊場のような既に定まった場所を巡る巡礼も面白いのですが、雲南の少数民族、メコンの源流や河口、世界の棚田、東北お遍路、そして今回の「忠犬の物語(義犬[忠犬]の像・碑・墓)」など、今まであまり知られていなかったものを探しながら歩くのは、俺にとってはもっと刺激的な「巡礼」と言えるのです。

消えてなくなりそうなものを見つけて、それを手のひらで掬い取るような感覚もあります。宝物探しですね。

しかも巡礼中は、あまり余計なことを考えなくて済みます。「次へ移動する」ことだけ考えること、迷いがないというのは楽なのです。体が自然に動き、考えることが少ないというのは、脳細胞の負荷を減らすことになります。リラックス状態と言ってもいいのかもしれません。

巡礼はこころをリラックスさせ、おまけに探求欲も満たしてくれます。
 
 
 
 
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2016/06/17

2016年初夏の撮影旅(21) 山形県米沢市田沢地区 「草木塔」の現代的な意味

160617_2「道の駅 田沢なごみの郷」の平成9年に建立された草木塔)

160616_2(道の駅でもらった田沢地区にある草木塔の地図)


今回の撮影旅の直前、偶然ですが、長野浩典著『生類供養と日本人』という本を読んでいました。

この中には、クジラ、ウミガメ、サカナ、イノシシ、クマ、ウシ、ウマなど、それともちろんイヌの供養塔について書いてあります。

どうして生類(動物)の供養塔を建てるのか、供養塔とは日本人にとってどんな意味があるのか、日本と西洋の生類(動物)に関しての考え方の違いなど、いろいろと面白い本です。

供養塔については、

「生類を供養する意味は、その生命を絶っていただくことについての罪悪感を消去することにある。と同時に生類の「タタリ」を恐れ、それを「鎮める」という意味合いも大きかった。」

「もうひとつ、輪廻転生という、仏教的観念の精神への浸透も生類供養という習俗を拡散させた。」

とあります。

そして草木供養塔についても書いてありました。

「当初は仏教思想にそって、草木を供養するという意味で建てられたものが、現在では「花々や木々に感謝する」「草木を大切にして環境を守りましょう」というような意味に変化してきているという。」

それで今回、福島県から山形県に入った時、国道121号線にある「道の駅 田沢なごみの郷」に偶然トイレ休憩で立ち寄ったのですが、観光案内板に「草木塔」を見つけたのです。

この道は昔から何度も行き来していますが、途中の米沢市田沢地区が、草木塔の密集した地域だと知ったのは今回が初めてでした。

道の駅のスタッフに聞いてみると、草木塔の場所を示した地図をくれました。

道の駅にも1基あります。それが上に掲載した高さ4.2mの平成9年に建立された草木塔です。

解説文には、最後の方に、

「この草木塔は草木塔の持つ自然保護環境保全の思想を全国に向け発信するシンボルとして建立したものです。」

と、あります。現代的な意味付けがなされているようです。

ただ、ほかの塔は道沿いに少なく、探さないとわからないところにあるらしいので、今回はあきらめます。いずれ探してみたいと思いました。

帰宅後調べてみると、この草木塔について研究されていることがわかりました。

やまがた草木塔ネットワークのHPによると、

「草木塔(そうもくとう)とは、「草木塔」、「草木供養塔」、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」などという碑文が刻まれている塔です。・ ・ ・(略)・ ・ ・国内に160基以上の存在が確認されていますが、建立されている地域は本州の一部に限局しております。さらに草木塔の約9割は山形県内に分布し、4つの地方に分かれる山形県内でも、特に、置賜地方と呼ばれる地域に集中して存在する独特な石造物文化遺産です。」

とあります。

動物、植物、岩、山、洞窟、川など、日本人の生物、無生物にかかわらず、すべてのものに霊が宿るという観念は、日本人のアニミズムの痕跡だそうです。

そして面白いと思うのは、これだけ「近代化」した日本なのに、そういった霊的なものが宿るところは、現在「パワースポット」という新しい言葉とともに形を変えて信仰されています。
 
 
 
 
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2016/06/16

2016年初夏の撮影旅(20) 【愛犬物語 其の三十一】 福島県会津若松市 飯盛山 酒井隊士と愛犬クマの像

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福島県会津若松市の飯盛山は、鶴ヶ城が燃えていたので(実際は周りが燃えていただけでしたが)落城・敗戦したと思い、白虎隊が自決した場所です。

急な階段を自力で上るのか、それとも250円払って『動く坂道』(スロープコンベア)で行くのか、選択を迫られるところの少し先に、白虎隊士のひとり、酒井峰治さんと愛犬クマの像があります。

16歳の酒井さんは、隊からはぐれて山中を彷徨い、自刃も考えたましたが、偶然愛犬のクマに出会い生きる気力を取り戻したそうです。

像は、そのシーンを再現したものです。説明看板には、

「戸ノ口原の生存白虎隊士22人のひとり、酒井峰治が、鶴ヶ城に入城するため一人山間を退却中愛犬クマが飯盛山の裏手に出迎えた時の銅像です」

とあります。

酒井さんは鶴ヶ城に戻り、落城まで戦いました。明治時代になってからは開拓使として北海道へ渡り生涯を閉じます。白虎隊士としての過去は一度も語らなかったそうです。その後1993年に手記が発見され、この逸話が知られることになりました。

会津藩の上級武士は、トラブルを避けて普通犬を飼かわなかったそうですが(新潟県長岡市の「白狗の塚」のようなトラブルもあるし)、酒井さんが住んでいたのは行人街というところで、一般の町人が沢山暮らしていて、武家屋敷街と比べると、犬を飼いやすい場所だったようです。当然犬は、繋がれるようなこともなく自由に走りまわっている「里犬」だったろうし。

もちろんクマと再会したのは偶然なのですが、酒井さんには、自刃するのをあきらめ、生きることを決意する出来事になりました。だから酒井さんには単なる「偶然」とは思えなかったのではないでしょうか。「クマに助けられた」と思っても不思議ではないと思います。もちろん、その時ではなく、あとになってからですが。

酒井さんとクマとの絆の深さを感じます。クマとの日常生活がどんなだったかしのばれます。

これだけの深い絆で結びついた犬の存在はうらやましい限りですね。
 
 
 
 
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2016/06/15

2016年初夏の撮影旅(19) 【愛犬物語 其の三十】 新潟県長岡市 悠久山公園 「白狗の塚」と蒼柴神社

160615_1(長岡市 悠久山 「白狗の塚」の碑)

160615_2(長岡市 悠久山 「白狗之碑」)

160615_3(長岡市 悠久山 長岡市郷土資料館)

160615_4(長岡市 蒼柴神社 牧野家霊廟)

160615_5(長岡市 蒼柴神社 「一心泣き相撲」のポスター)


長岡市の悠久山公園に行きました。

駐車場近くの道をさんだ反対側にある高さ1mくらいのこんもりとした小山の上に、目的の「白狗の塚」はありました。

立て看板には、

「貞享(1684-1687)のころ、三代藩主牧野忠辰(ただとき)は中沢の農家から白い犬をもらいうけて愛育していた。参府した主を慕ってこの犬は江戸に行き、ある日、尾張候の唐犬にかみついて傷を負わせた。忠辰がしかったところ、長岡の旧飼い主の家へ戻ってきたが追い出され、ここで息絶えた。のちの人々が、この白犬を義狗と称し、塚をもり、碑をたてた。」

とあります。

なんだか悲しい話です。犬にとっては主人を守ろうとして戦ったのでしょう。その相手が将軍家の親戚の尾張候の犬だなんて、関係ない話ですからね。

ところが主人のためにやったことが、逆に怒られてしまいました。殿様は「長岡に戻っていたらいたわってやれ」といなくなった白犬について家臣に命じ、探しもしたそうです。殿様も自分の立場があるので、白犬を叱ったことは、仕方なかったでしょう。でも内心は心配していたということですね。

その犬が人々に塚を作らせたのもわかるような気がします。この犬の姿に、自分たちの姿も重ね合わせたのかもしれません。自分が仕えている主人から、ときには理不尽な扱いを受けている人もいたでしょう。自分の忠誠心が主人に伝わらないということもあったかもしれません。でも、そんなことを口にできる身分ではなかったのです。

人々のこころの奥底に抱えた問題を白狗の塚で表現していたとも考えられるのではないでしょうか。

それと、哀れな犬に対する同情心や、成仏してほしいと願う気持ちもあったはずです。もっと言えば、「恨まないでね」という気持ちもあったのではないでしょうか。

近くには蒼柴神社があって、かつての殿様、牧野氏を弔った霊廟があります。また1km先には、お城をかたどった長岡市郷土資料館があるというので行ったのですが、その日、月曜日で休館でした。

それで蒼柴神社に引き返し、何か「白狗の塚」について資料がないだろうかと思い聞いてみました。

宮司さんに話を伺うことができました。看板とほぼ同じ内容の話ですが、尾張候の犬とは土佐犬だったという話も伝わっているようです。

「あくまでも伝説ですからね。だからほんとうの話だったかなんて、あまり詮索しても意味がないのではないでしょうか」

俺もそう思います。

伝説や昔話は、それがその形で残っていることで意味があるはずで、内容を科学的に検証してもあまり意味はないのではないでしょうか。むしろ伝説や昔話は地元の人たちの「欲する物語」なのだと思います。

現在、白狗の塚の掃除などの管理は蒼柴神社でやっています。それと、特別供養祭などは行っていないということでした。

ところで、この前の日曜日、神社では赤ちゃんの元気な泣き声を競う「一心泣き相撲」が行われたようです。
 
 
 
 
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2016/06/14

2016年初夏の撮影旅(18) 【愛犬物語 其の二十七~二十九】 新潟県新潟市・五泉市 忠犬タマ公像と小泉家の関係

160615_1(新潟駅南口の忠犬タマ公像)

160615_2(新潟市 白山公園の忠犬タマ公像)

160615_3(五泉市 村松公園の忠犬タマ公像)

160615_4(五泉市 村松公園の小泉元総理書「忠犬タマ公の像」の碑)


忠犬タマ公については、当ブログでも何度か触れていますが、あらためて、「忠犬タマ公」とはどんなワンコだったのか書いておきます。

タマ公は、新潟県川内村(現五泉市)の刈田吉太郎さんが飼っていた雌の6歳になる越後柴犬で、昭和9年2月5日、刈田さんは仲間とともにタマ公を連れて猟に出かけましたが、雪崩が発生して埋められてしまいました。タマ公は前足から血を流しながらも雪を掘って刈田さんを助け出しました。

それから2年後の昭和11年1月10日に、再び雪崩が発生、タマ公はそのときも刈田さんの命を救ったのでした。

2度の人命救助は、新聞やラジオで全国に知られることになりました。その功績を称え、小学校や公園、新潟駅にタマ公の像が建てられました。主人を救ったタマ公は、忠犬としてアメリカでも表彰されました。

以前、日本一周の旅のときには、そのひとつ、白山公園のタマ公像を訪ねましたが、今回、新潟駅、五泉市の村松公園、旧川内小学校も訪ねました。

新潟駅の南口2階にあります。1m40cmほどの台座に載ったブロンズ像です。リアルな造りです。おっぱいもあって、タマ公が雌犬だったことがはっきりわかります。

今まで越後柴犬の実物を見たことがないのですが、胴が長めなので一見すると「柴犬」には見えませんでした。

五泉市の村松公園にも、これと同じブロンズ像があります。

横には、「内閣総理大臣 小泉純一郎書」と「忠犬タマ公の像」の文字が刻まれた碑も立っています。

どうしてここに横須賀出身の小泉元総理の揮毫した碑があるのかと思ったら、タマ公の碑は横須賀市の衣笠山公園にもあるそうです。

当時横須賀市に住んでいた新潟県出身の退役将兵が、タマ公の話に感動し、昭和11年、衣笠山の登山道に石碑を建立したのだそうです。そして碑の題字は、横須賀市長だった小泉又次郎氏が揮毫しました。つまり小泉元総理のおじいさんですね。

タマ公がとりもつ縁で、横須賀市と五泉市の交流ができて、平成15年、村松公園に碑が建立されました。

忠犬タマ公は小泉家と代々関係があったというのは驚きですね。

さらに小泉進次郎氏もブログでタマ公のことを書いています。

小泉進次郎 Official Blog 「忠犬タマ公」

そしてもう一カ所、村松公園から約2km、さらに東へ行くと、旧川内小学校があります。

ここにも像があったのですが、地元の人に尋ねたら、タマ公像は、新しくできた愛宕小学校に移されて、ここにはもうないとのことでした。

タマ公は新潟県では、人命救助した忠犬であったがゆえに、教育的な逸話として語り継がれているようです。昔、多くの小学校でも見かけた「二宮金次郎の像」と似たような「教育的な像」なのかもしれません。

ひとつ、ひっかかるところもあります。タマ公像が最初に作られたころは、日本が戦争に突入していく時代でもありました。

タマ公もその「忠犬」ぶりが評価されたわけですが、犬の忠誠心が、日本国民の国家に対する忠誠心の模範になる、といった意味も、時代背景としてあったかもしれません。タマ公自身には関係ないことですが。
 
 
 
 
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2016/06/13

2016年初夏の撮影旅(17) 【愛犬物語 其の二十六】 山形県山形市 山寺 磐司盤三郎の愛犬マリの墓

160602_1_2(山寺 立石寺五大堂)

160602_2_2(磐司盤三郎と慈覚大師が対面した「対面石」)

160602_3_2(祠に祀られた磐司盤三郎の像)

160602_4_2(千手院への表参道と仙山線の線路)

160602_5_2(磐司盤三郎の「愛犬マリの墓」)


山形県出身者でもあるので、子どものころから山寺へ行ったことは何度もあります。

でも、今回のような視点で山寺を訪ねたことはないので、まるで初めて行ったところのように感じたのも、面白いなぁと思います。

これは、視点を変えると風景も変わってくるということでもあるんでしょうね。

山寺には「磐司盤三郎伝説」というのがあります。磐司盤三郎とはだれか?というと、山寺にとっては重要人物であったらしいのです。

マタギの元祖みたいな人物で、地元の狩猟民の首領だったそうです。山寺を開いた慈覚大師円仁に対面したという「対面石」というのが残っています。そこに、慈覚大師と磐司盤三郎の像を祀った祠がありました。

そこで、本題はこれからです。

愛犬の碑や塚をネットで探していて見つけたのがこの磐司盤三郎の愛犬「マリ」のことでした。山寺にはこのマリの墓があるそうなのです。ただネットでは、墓の場所がわかりませんでした。だから直接行って探すことにしたのです。これが面白いんですが、「探求欲」を満たしてくれます。

まず、山寺コミュニティセンターを訪ねました。職員はマリの墓についていは知りませんでしたが、地元で出版されている本を何冊か見せてくれました。

その中に『山寺百話』という本がありました。平成3年、伊澤さんという人が自費出版した本です。この中に「磐司伝説」について書かれた段があって、

「千手院部落の端に一基の古碑がある。これは磐司の犬の碑(墓)であると一般に信じられている。また、犬の碑と山王神社との間は磐司屋敷跡と伝えられている。」

と、ありました。墓は千手院地区にあるようです。

ただ、千手院地区も広いそうです。だからまず千手院で聞いた方がいいでしょうとのことだったので、最上三十三観音第二番札所の千手院に寄ることにしました。

車道から鳥居を潜って階段を上ると、突然線路が現れました。仙山線です。「踏切」などというちゃんとしたものではなく、線路をまたいで再び階段を上って行くと千手院境内にたどり着きます。

本堂の前で掃除をしていた男性がいたので挨拶して、「磐司盤三郎の愛犬の墓を探しに来たんですが、場所をご存じないでしょうか?」と聞くと、「どうぞ中へ入ってください」と言われて、屋内に入ると、もう一人男性がいました。「この人なら詳しいかもしれません」と紹介されました。

この人物は別当の後藤さんで、千手院地区に伝わる話を伺うことができました。偶然の出会いですが、面白いものですね。こういう展開が好きです。

ところで、ここを訪ねる人の中には、「どうして磐司盤三郎の墓が山寺にあるのですか?」と尋ねる人もいるそうです。というのも、盤三郎は後に山寺を離れ、秋田へ行って亡くなったという話なので、山寺に墓があるのが不思議だったようです。

盤三郎が秋田で亡くなったという話を聞いた地元の人たちは、ここに墓を作ることにしたといいます。盤三郎はそれほど山寺の人にとっては大きな存在でした。山寺を開いた慈覚大師に助力したため、地主権現として祀られたくらいでした。

「実際には"墓"ではなくて、仏さんの"仏舎利塔"みたいなものでしょう」という。

近くに「やつかれの平」という地名の場所があるそうです。ようやくここで「マリ」が登場します。

昔、磐司盤三郎が化物に出くわした場所で、矢を射てやっつけようとしましたが、なかなか倒れず、ついには矢が枯れた(無くなった)ので、「やつかれ」になったという説が。

矢が無くなった時、愛犬マリを呼びました。マリは化物と闘って倒しましたが、マリも傷つき、とうとう死んでしまいました。盤三郎はマリを背負って帰って来て丁重に葬ったということです。

ちなみに「やつかれ」にはもうひとつ説があるそうです。昔、山形で大火があり、飛んできた火の粉で焼けてしまった、だから「やつかれ(焼枯)」というようになった、という説。

「昔の話は、代々口伝えで伝承されてきたもので、紙に書いたものはありません。だから我々の世代が、そういう話をできる最後でしょうね。いなくなったら、話もわからなくなります」

確かに、こういう話に興味を持つ若い世代も少なくなっているのでしょう。話がわからなくなれば、最初から無かったことと同じです。だれか、記録に残さなくていいのでしょうか。心配になります。言い伝えや昔話を「古臭い」と言って捨てていくのはもったいないと思います。それは地元住民のこころの履歴書でもあるはずなのです。

磐司盤三郎の墓は、千手院の一の鳥居の左側にありました。

そこから何百m先の村の終わりの分岐点に古碑が何基か立っていて、その中に「愛犬の墓」はありました。ようやく見つけることができました。
 
 
 
 
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2016/06/12

2016年初夏の撮影旅(16) 山形県最上町 『おくのほそ道』最大の難所「山刀伐峠」

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岩手県の撮影を終えて宮城県から、再び、山形県に入り、最上町の山刀伐峠(なたぎりとうげ)に寄りました。

みなさんご存知のように、『おくのほそ道』とは俳人松尾芭蕉による、元禄15年(1702年)に刊行された紀行文です。

山刀伐峠は、『おくのほそ道』で、芭蕉と曾良が歩いたとされる峠道で、ここが最も難所だと言われたところだそうです。

今は、県道28号線が下を走っていて、最上町側の山刀伐トンネル手前から、峠に向かって車道が通っていますが、この車道自体、北側から上るとけっこう狭くて、カーブも急でたいへんな道です。

でも、峠にある駐車スペースから、今度は尾花沢市側に下る道は、比較的広くて、急カーブもなく、楽な車道になっていました。全長約3.5kmです。

車道は、当時の峠道を何度も横切るようなかっこうで続いています。二十七曲りと呼ばれるほど曲がりくねった峠道は、うっそうとしたブナやナラの原生林に覆われていますが、太陽光線を透かして見る新緑の美しさと、ひんやりとした空気がこの時期、最高に気持ちいいですね。

苔むした石の階段が続いていて、実際芭蕉も歩いたんだなぁと思うと、旅人の先輩としての芭蕉の姿がありありと目に浮かぶようになります。

芭蕉の旅も、行程が大切だったのでしょう。ある意味「巡礼」と似たところもあるのではないでしょうか。

俺自身は、行程を大切にする旅は「巡礼」と同じです。
 
 
 
 
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2016/06/11

2016年初夏の撮影旅(15) 【愛犬物語 其の二十五】 宮城県栗原市 龍国寺の「参宮犬石碑」

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宮城県栗原市金成町の龍国寺を訪ねてみようと思ったのは、こんなニュースを見たからでした。

「伊勢神宮の参宮犬石碑 宮城で発見」
(河北新報 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150804_15005.html)

記事によると、

「三重県の伊勢神宮に参拝した犬の石碑が宮城県栗原市金成の寺院、龍国寺の参道にあるのを、動物信仰などを調べている宮城県村田町歴史みらい館副参事の石黒伸一朗さん(57)が見つけた。明治初期に建立された可能性がある。参宮犬の石碑は全国でも珍しく、東北地方で唯一とみられる。」

東北地方からも伊勢参りの犬が送り出されていたわけですね。ずいぶん遠いところです。

参道の入り口に10数基立っている古碑の中にありました。周りは馬頭観世音の碑が目につき、立てられたのも昭和、大正が多い中、この「白毛犬参宮」と彫られた石碑は、「明治六酉年」とあります。明治6年は西暦1873年で酉年です。

明治6年と言えば、ちょうど旧暦から新暦へと改暦した年でもありますね。文明開化の時代です。そんな時代に、まだ、「まだ」という言い方は適切ではないかもしれませんが、ワンコがお伊勢参りをしていたとは。

また碑には「飼人菊池新●」とあります。飼い主は菊池さんだったようです。

「菊池家で飼っていた白い毛の犬が伊勢神宮まで行き、戻った記念に石碑を建てた」と発見者の石黒さんは推測しているそうです。たぶんそうなんでしょう。

お寺の人に尋ねると、菊池家の人は、金成にはもう住んでいないということです。だから参宮犬についての情報はありませんでした。参宮犬を出すくらいなので、当時は裕福な家だったのではないかと想像できます。

それで、何かないだろうかと思い、今は歴史民俗資料館として公開されている旧金成小学校の校舎を訪ねました。明治期に建てられた和洋折衷様式の貴重な建物です。近くには、金成ハリストス正教会の建物もあります。以前も、この建物を撮影に、金成町にやってきたことがありました。すばらしい建物なのです、ふたつとも。

館長さんが親切に、栗原市に合併する以前の金成町史など調べてくれましたが、残念ながら龍国寺の文化財・古碑リストにも載っていませんでした。

ところで館長さんが面白い指摘をされました。伊勢神宮に近いなら人間が行けるけど、遠いところは難しいので、かえって遠いところから代参犬を送り出す意味はあるということ。それと、伊勢参り犬が「流行」していたとしても、その「流行」が地方に伝わる時間差があって遅い時期になったのではないか、ということ。そうかもしれないですね。

とにかく、こんな遠くから犬が伊勢神宮を目指して、無事に戻ってきたということに、江戸・明治時代のロマンを感じてしまうのは俺だけでしょうか。

まだ日本の犬が、西洋から入ってきた「犬を管理する」という考え方以前の状態でなければありえないできごとです。自由な犬が人と気ままに暮らしていた時代でした。
 
 
 
 
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2016/06/10

「東北お遍路写真コンテスト」 応募締め切りまで、あと1か月

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「東北お遍路写真コンテスト」、再度の写真募集のお知らせです。

締め切りまであと1か月になりました。もうすでに応募作品が事務局に届き始めていますが、締め切り間近になって、さらに応募作品は増えていくことを期待しています。

応募要項などはこちらで。PDFファイルも用意してあります。

Ya_2 「東北お遍路写真コンテスト」 作品募集のお知らせ


ところで、写真展についてもちゃくちゃくと準備中です。

コンテストで入賞した作品を展示する写真展は、東北地方を中心に数回予定しています。

写真撮影にはいい季節です。俺も東北地方を写真を撮りながら旅をしていることは、毎日ブログで更新している通りです。(でも、もうリアルタイムではないですが)

東北地方(今回のコンテストは、青森、岩手、宮城、福島の被災4県に限定ですが)の美しさ、素晴らしさ、面白さを、写真で表現してみてください。

と、言っても、今回のコンテストは、「写真のクオリティ」をことさら追求するコンテストではなく、お祭り的なイベントでもあるので、けっして下手な写真だからダメだというわけではありません。スマホや携帯で撮った何気ない写真でも、コンテストの趣旨に合えば、入賞することはあると思います。むしろ、普段写真コンテストなどに応募したことのない人が、応募してもらえたら、よりうれしいかなと思います。

写真を撮るということは、そんな難しい話ではなくなってきていて、今はスマホでも携帯でも簡単に撮れるわけで、撮ることで「意識」することがもっと大切だと思っています。今回の目的は、写真を撮ることで、東北をより意識してもらうこと。そのことが被災地の間接的な応援にもなると思っているからです。

どうぞ、敷居は低いので、初めての方は特に、コンテストに応募してみてください。

締め切りまで、まだ1か月あります。
 
 
 
 
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2016年初夏の撮影旅(14) 岩手県奥州市 国立天文台水沢VLBI観測所

160610_1(旧本館の「奥州宇宙遊学館」)

160610_2(旧・眼視天頂儀室と3.3mパラボラアンテナ)

160610_3(VERA20m電波望遠鏡と10mパラボラアンテナ)

160610_4(地面に向かっての「ブラジルの人、元気ですか~」は正しい方向)

160610_5(道の駅みずさわで撮影した、地球最接近中の火星「スーパーマーズ」 一番明るい星)


水沢VLBI観測所は、岩手県奥州市水沢区にある国立天文台の観測所です。

ここを訪ねようと思ったのは、国立天文台の中では、現存する一番古い観測所のひとつ、つまり「日本最古」だからです。

国立天文台水沢は、1899年に設立された臨時緯度観測所が母体で、1902年、木村榮初代所長が発見した「Z項」によって世界的に有名になりました。

「Z項」とは何か? 「自転軸の傾きに関する式に加えられた項のこと」だそうですが、難しくてわかりません。地球の自転軸の誤差を修正する項らしいのですが、詳しくはWikiでどうぞ。

敷地内の旧本館は1921年に建設され、1966年まで観測所として使われてきました。現在の本館ができて、取り壊しの話もあったそうですが、保存されることになり、2008年「奥州宇宙遊学館」として開館しました。

それと、直径20mもある巨大な電波望遠鏡は見ごたえがあります。

20m電波望遠鏡の手前には、以前使用していた旧・眼視天頂儀室と、3.3mパラボラアンテナが残されています。

旧・眼視天頂儀室は、1899年から1927年まで緯度観測が行われた建物です。観測時には屋根が東西に移動して開きました。

その隣にあるのが、3.3mのパラボラアンテナで、1987年にはじめて電波天文観測基礎実験を行った際に使われたものです。

それまでは、星を目で見て観測する光学観測が行われていましたが、星からの電波をパラボラアンテナで受信するVLBI観測により高い観測精度を得ることができるようになったのだそうです。

これが「日本最古のVLBI観測パラボラアンテナ」ということになるのでしょうか。

このあと、6m、10m、そして現在のVERA20m電波望遠鏡観測へと研究がすすめられてきました。
 
 
 
 
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2016/06/09

2016年初夏の撮影旅(13) 岩手県一関市 金山棚田

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金山棚田は、一関市の中心部から車で40分くらい、東の方向に走った山の中にあります。

沢沿いに登っていくと、駐車スペースがあり、そこから徒歩で3分ほどで、棚田の上部に作られた展望台に到着します。静かな中で、昔ながらの小さな田んぼが緩やかな斜面に広がっている風景を見るのは気持ちがいいものです。

田植えはすでに終わり、稲が映りこんだ水面をミズスマシが忙しく動き回っていました。

ため池のそばに「未来に残したい一関の原風景」という看板が立っていました。

この看板によると、面積は42アールの中に百数枚の田があります。水源は、沢水、天水、ため池で、上の段から下の段に水が落とされる田越灌漑がおこなわれています。古老の話では、開拓されたのは江戸時代後期とのこと。

各地の棚田が抱える問題は、金山棚田でも深刻で、条件の悪さや、耕作者の高齢化で、この景観を維持していくのが難しい状況です。

金山棚田を守る会では、食を考えるとともに、この棚田を地域の宝として守る活動に取り組んでいるそうです。
 
 
 
 
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2016/06/08

2016年初夏の撮影旅(12) 岩手県一関市 骨寺村荘園遺跡

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骨寺村荘園遺跡は、一関市の本寺地区で、昔は「骨寺村」と呼ばれた荘園です。重要文化財「陸奥国骨寺絵図」にほぼ近い形を残し、中世の風景を今に伝える美しい水田です。

何度も訪ねていますが、この時期は初めてです。

ここは2008年「一関本寺の農村景観」として重要文化的景観に選定されていますが、世界文化遺産の構成要素にはなっていないません。

2012年、再び暫定リストに記載されたそうなので、将来的には、追加登録されるかもしれません。

旅行者の立場からいうと、寺や庭園もいいのですが、水田も世界遺産になれば風景にバリエーションが増えていいと思います。
 
 
 
 
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2016/06/07

2016年初夏の撮影旅(11) 【愛犬物語 其の二十四】 山形県鶴岡市 「めっけ犬」伝説の大山犬祭り

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山形県鶴岡市大山にある椙尾神社には「めっけ犬伝説」があり参道の階段途中には、この「めっけ犬」の像が奉納されています。

椙尾神社のめっけ犬伝説は、大山観光協会のHPに紹介されています。

HPの伝説内容を抜粋すると、

「昔、椙尾神社の裏山に化け物がいて、田畑を荒らされないように毎年、美しい娘を人身御供として差し上げなければならなかった。ある年、大山を通りかかった一人の修験者がこのことを聞いて、丹波の国で「めっけ犬」を探し出し、大山に帰ってきた。祭りの日、娘の代わり「めっけ犬」を供えた。やがて夜中になって「めっけ犬」は化け物にとびかかり化け物をかみ殺したが、自分も倒れてしまった。以来、毎年この「めっけ犬」が人々を救った伝説をなぞらえて人身御供をかたどった「仮女房」や「犬ひき」を交えた行列が町を練り歩き、犬祭りになった。」

こういう話は類型があり、借りてきた犬が化け物(猿神)を退治する話で、「しっぺい太郎伝説」ということは、先日の栃木県佐野市、犬伏の里(鷲宮神社)でも触れました。

そして6月5日は、この「めっけ犬(=しっぺい太郎)」にまつわる「大山犬祭り」の日でした。山形県出身者なのに、こんな面白い祭りがあることを最近まで知りませんでした。

大山犬祭りは、椙尾神社の例大祭として、300年以上もの昔から続いているそうです。高校の吹奏楽部の演奏を先頭に、子供会の犬御輿や、「仮女房」、犬の乗り物に乗った子供たち「犬曳き」、馬に乗った「奥家老」、勇壮な山車「からぐり」、「奴振り」、御輿などが練り歩き、屋台も出て、たいへんにぎやかで楽しい祭りでした。

行列は午後3時ころに終わり、夕方4時過ぎには、メインイベントでもある御輿の椙尾神社階段駆け上がりや、三頭宮巡りなどが威勢よく行われ、暗くなりかけたころ御輿が拝殿に収められて祭りが終わります。
 
 
 
 
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2016/06/06

2016年初夏の撮影旅(10) 【愛犬物語 其の二十三】 岩手県奥州市 衣川三峯神社

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世界遺産の中尊寺や毛越寺の撮影を終えて、近くに「お犬様」の神社があることを調べてきていたので、参拝しました。

中尊寺から衣川を渡り、高速道路のそばの道を山の方へと入ったところにありました。ここは東北のオオカミ信仰の中心地だったらしい。

「お犬札を頂きたい」と頼むと、「ここはオオカミですが、いいですか?」と聞かれました。もちろん「お犬様」と呼んでいても、実際は犬ではなくオオカミであることはわかっているので、もちろん「いいです」と答えました。

秩父では「お犬様」と呼んでいますというと、ここでは「大口真神。オオカミですね」といわれました。

昔、秩父の三峯神社の御分霊をこの地に勧請したのがはじまりとされているそうです。秩父と関係はあったのですが、「お犬様」という呼び名はいっしょに伝わらなかったようです。

それと関係するのか、ここは馬産地で、狼の被害がありました。だから秩父とは違い、ここで狼は益獣ではなくて「害獣」だったのです、それどころか恐ろしい祟り神でした。

岩手の方言で狼を「おいぬ」と呼んでいたという話があって(平岩米吉著『狼』)、だから、「さま」という敬語は付けなかったのでは?と、勝手に想像してみたりするのですが。どうなんでしょうか。

ところで、例祭日が、旧正月19日、旧3月19日、旧9月19日と書いてあったので、そのことについて尋ねると、この3祭日ともに、今も旧暦でやっているそうです。

この前の山形市の講演会のとき、神社関係の人に教えてもらったことがあります。

明治6年に新暦に改暦しましたが、主な神社には官軍の役人が派遣されて、祭りごとも新暦に直したようですが、地方の神社では最近まで旧暦で行われていたそうです。それが新暦になってしまったのは、大正・昭和にかけて行われた「生活改善運動」が大きかったということです。

もともと神事や祭りは、月の満ち欠けに関係した旧暦で行っていたのに、新暦に直して、その意味の半分が失われてしまったとも言えるのかもしれません。
 
 
 
 
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2016/06/05

2016年初夏の撮影旅(09) 岩手県平泉町 柳之御所遺跡 「ちゅう木」

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160604_1(平泉町 柳之御所遺跡)

160605_2(平泉町 柳之御所遺跡)

160604_3(柳之御所遺跡資料館で展示されていた顔の絵が描いてある「かわらけ」)

160604_2(柳之御所遺跡資料館で展示されていた「ちゅう木」)

160604_3(平泉文化遺産センターで展示されていた「ちゅう木」)


岩手県平泉町は、世界文化遺産の撮影です。

遺産の構成要素である中尊寺、毛越寺(日本最古の浄土式庭園)、金鶏山、無量光院跡、観自在王院跡については雑誌用なのでアップできませんが、構成要素に入っていない柳之御所遺跡を紹介します。

平安時代末期の遺跡で、奥州藤原氏の政庁・平泉館(ひらいずみのたち)跡と推定されているところです。

発掘調査は終わり、現在、柳之御所史跡公園の整備が進んでいます。今後は政務を執り行った建物なども復元される予定だそうです。

なので、まだ原っぱで、ほとんど何もない状態ですが、一角に資料館があって見学できます。

この中に、発掘された顔の絵が描かれた「かわらけ」や、「ちゅう木」の展示に興味が引かれました。

「ちゅう木」とは、「トイレットペーパー代わり」と説明が書いてあって、これが噂で聞いていた棒かと思ったわけですが、あとで平泉の歴史や文化を、わかりやすく紹介している、歴史と文化のミュージアム施設「平泉文化遺産センター」へ行ったとき、これまた「ちゅう木」の展示が目に留まり、ますます興味を引かれたわけです。

こちらの方には、子供が「ちゅう木」を持って、お尻を出してしゃがんでいる絵も付いています。

使うのは難しそうです。「ぬぐう」というより、アイスクリームのように「すくい取る」という感じで使うのではないでしょうか。

それにしても、この「ちゅう木」、使用前なのか、後なのか、ちょっと気になりました。
 
 
 
 
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2016/06/03

2016年初夏の撮影旅(08) 宮城県大崎市 日本最古の寺子屋校舎 有備館

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山形県から岩手県の世界遺産、平泉を目指している途中、宮城県大崎市にある、日本最古の寺子屋校舎「有備館」に寄りました。

残念ながらここは犬連れNOです。

有備館は、2棟くっついた造りになっていて、1棟は東日本大震災で倒壊したそうで、使える梁などは再利用しましたが、新しく再建されたものだそうです。

窓が全開で、風の通りも良く、気持ちがいい。池があって緑も多く、勉強がはかどる環境です。

入口の建物には、修復中の様子がパネル展示されていました。
 
 
 
 
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2016/06/02

2016年初夏の撮影旅(07) 山形県高畠町 歴史公園&安久津八幡神社・三重の塔

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山形市での講演「旧暦のリズムで棚田を味わう」の仕事も無事に終わり、岩手県に来たところです。

これは講演会前日の話になります。(ブログはもうリアルタイムではなくなっています)

山形県高畠町、安久津八幡神社の三重の塔は寛政9年(1797年)に再建されたもので、初建は寛永2年(1625年)といわれているそうです。

周りには水田があり、今は三重の塔が田んぼに映る初夏の風景です。

鳥居の横には大きな石柱が参道に平行に置いてあります。「じじばば石」というものです。

ここから十数キロはなれた場所から運ばれてきたらしい。古い鳥居の柱にも見えるので、鳥居のために運ばれたのかも、と思ったら、昔、老夫婦が鳥居を奉納しようとしたら、鬼に邪魔されたので、そのままにしたといわれる石なのだそうです。だから「じじばば石」なんですね。

山形市には日本最古の神社があって、その鳥居の石柱の雰囲気がそっくりだったのです。荒々しいけど、神々しさも感じる、鳥居にふさわしい石柱ではないでしょうか。

あたりは安久津古墳群が点在していて、歴史公園として整備されています。縄文時代の竪穴式住居も復元されています。
 
 
 
 
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2016/06/01

2016年初夏の撮影旅(06) 【愛犬物語 其の二十二】 山形県高畠町 犬の宮、猫の宮

160601_1(犬の宮、猫の宮がある杜)

160601_2(犬の宮 一の鳥居から参道)

160601_3(犬の宮 左側の犬の狛犬)

160601_4(犬の宮 右側の犬の狛犬)

160601_7(犬の宮 亡くなった愛犬の写真やリードが奉納されている)

160601_5(犬の宮 古い犬の像)

160601_6(猫の宮)


山形県高畠町に「犬の宮」と「猫の宮」というふたつの社があります。ここは7月第4土曜日に行われるペット供養祭でも有名です。

犬について、こんな伝説が残っています。

高畠町観光協会のHPによると、

【犬の宮】
和銅年間(708~711)のころ、都の役人になりすまして村人から年貢を取り立てていた古狸がいた。二匹の犬によって倒されるが、犬も死んでしまう。「村の大難を救ったこの犬を村の鎮守とせよ」という座頭のお告げにより、崇め祀ったものが犬の宮の由来とされている。

【猫の宮】
延暦年間(782~806)のころ、犬に退治された古狸の怨念が大蛇になってあらわれた。観音様の化身である猫はその大蛇を倒したが、自身も死んでしまう。猫を飼っていた夫婦は猫をねんごろに葬り、観音堂を建て供養を行った。

とあります。村人の災難を救ってくれた犬と猫を祭っているんですね。犬については、鶴岡市の大山犬祭り、栃木県佐野市の犬伏の里同様に、「しっぺい太郎伝説」ですね。名前は「三毛」「四毛」で、「めっけ」とは若干違いますが。

駐車場から犬の宮に上って行く参道には、一の鳥居、二の鳥居がありますが、妙に小さく感じます。高さが2.3mくらで、背の高い人は頭をぶつけてしまいそうです。

階段を上りきると、左右に犬の狛犬が。これが伝説で村の大難を救った、甲斐の国から借りてきた三毛犬と四毛犬だそうです。

社には、亡くなった犬の写真や、使っていたリード、おもちゃなどが奉納されています。飼い主にみんな愛された犬だったんだなぁとわかります。

ところで、5体の犬の像があるなかで、一番気に行ったのが、頭の部分が壊れてしまったのか、まるでスターウォーズに出てきたロボット軍団のような姿をした犬の像で、けっこう古いらしい。像の周りを見てみましたが、文字などもなく、いつの時代かはわかりません。

これもまたアート作品と見ると、すばらしい作品に思えてきます。

なお、一の鳥居の横には、戸川幸夫の「高安犬物語」の文学碑があります。この地に生息した高安犬(こうやすいぬ)というのは、強い耐久力と激しい闘魂を持つ優秀な狩猟犬(またぎいぬ)として有名だそうです。

一方の、猫の宮は、犬の宮から100mも離れていないところにあります。こちらの方が明るく、あっさりした印象です。やっぱり犬の宮の方が、何か得体のしれない凄みを感じますね。
 
 
 
 
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