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2016/06/27

マツダ・ボンゴフレンディに命を助けられたのか

160627_1(北海道 美瑛町)

160627_2(青森県 大間から函館へのフェリー)

160627_3(石川県 千里浜なぎさドライブウェイ)

160627_4(岐阜県 せせらぎ街道 泥にはまってJAFを呼んだ時)

160627_6(山梨県身延町 道の駅みのぶ 富士川観光センター )

160627_7(沖縄県 東村 やんばるの森)


日本一周するために手に入れたボンゴフレンディは、まだ16万kmで、ディーラーでは、エンジンは大丈夫と太鼓判を押されてはいましたが、次のボンゴフレンディに乗り換えることにしました。

車旅(とくに車中泊旅)には理想的な車種ではないでしょうか。もう新車は作られていませんが、まだまだ中古で探すことができます。

そしてネットで探して良さそうな中古車を見つけ、買うことを決めた途端、ボンゴフレンディーは時々エンストするようになったのです。

最初に同じ症状がでたのは、4年ほど前で、2年に1度くらいだったのでそれほど深刻ではなかったのですが、ディーラーで診てもらいました。1日預けたこともあります。でも、原因は特定できませんでした。その時に限って症状が出ないからです。

そしてこの1か月半は、日に日に頻度が高まるようでした。まるで、自分の運命を悟ったように。いや、「反逆」かもしれません。なんなんでしょうか。偶然とは思えないような調子なのです。(そのことについてはあとで書きます)

だから、この前の東北撮影の旅でも、よく自宅に戻れたなぁと。今だから言えるのですが、綱渡り状態が続いていたので、内心はらはらしていたのです。ブログでは触れませんでした。触れたら現実になる(車が完全に動かなくなる)ような気がしたからです。こういう綱渡りは、車だけではなく、いろんなことで、いつものことですが。

車(機械)とは言っても、北海道から沖縄まで、日本一周をした「同士」であり、廃車にしてしまうのは、正直寂しさを感じます。よく大きなトラブルもなく走ってくれたなぁと感謝の気持ちでいっぱいです。

最後の掃除をしながら、あんなことあったなぁ、こんなことあったなぁと思い出を反芻して、柄にもなく、ちょっと感傷的になりました。

先日も、ちょっとだけ供養について触れました。動物に対してだけではなく、日本には「草木」に対する供養塔もあるし、「針」や「パソコン」など、無生物に対する供養もやります。そこにはそのモノに対する感謝の気持ちがあります。

そしてここが仏教的というか、輪廻転生ではないですが、次は「車」ではなくて「人間」に生まれてくるかもしれない、などという気持ちも少しはあるんですね。車が死んでいく(廃車になる)姿は、どこかで自分の姿に重なるのです。

今度のボンゴフレンディは、自宅から2時間離れた千葉県の販売店まで取りにいかなければならなかったので、だから最後の運転は、供養の心を持ってやろうと思いました。

ところがです。なんと、一番止まってほしくない国道16号の交通量の多い春日部付近でエンストしてしまったのです。幸いにも渋滞していたので、スピードは出していなかったので、追突されることはありませんでした。

5分くらい悪戦苦闘してエンジンをかけようとしましたが、ダメでした。今までは、何度かやっていると、またかかったのですが、今回の不具合の程度がより深刻だなと感じました。

10分ほど経ったとき、後ろからパトカーが来て、「ここで停まっちゃダメだ!」と言われたのですが、「故障で動きません」というと、警官は、「ここでは危ないから」と、車を押してくれました。

これも不幸中の幸いで、50m先まで押してもらい、空き地があったので、そこに車を入れることができました。

結局、また国道でエンストするのは事故の危険もあったので、レッカーを呼びました。だから販売店までの残り10kmはレッカー車で行くことになったのです。

それにしても、最期の最期にこんなしっぺ返しがあるとは。俺を殺す気か?

販売店でレッカー車から下されたボンゴフレンディは満身創痍の姿。最後は気まずい関係になってしまいそうでしたが、やっぱり供養はしなければと思います。「タタリ」を鎮めないと。

人がある動物(もの)を供養するのは、もちろん感謝の気持ちもあるのですが、「「タタリ」を恐れ、それを「鎮める」という意味合いも大きかった。」と、長野浩典著『生類供養と日本人』には書いてあります。

ユングの「シンクロニシティ(共時性・同時性)」については前も書きました。偶然を単なる偶然だと気に留めずに流すのではなくて、そこに意味を考えてみるということですが、今回の件は、やっぱりこの「シンクロニシティ」と言ってもいいのではないでしょうか。

シンクロニシティは因果関係では説明できません。「俺が次のボンゴフレンディを買うと決めた」から「今のボンゴフレンディはエンストするようになった」というのは、どう考えても無理があります。そこまで擬人化してしまってはファンタジーになってしまいます。

妻からは「あなたの無意識が車に乗り移ったように見える」と言われました。俺もそう感じます。

俺の無意識内では、「16万kmも走ったし、そろそろ限界かも」とは感じていたはずなのです。そしてその「感じ」が「やっぱりそうだった」になったというわけです。

そしてこの偶然が、「いよいよ危ない」と、俺に意識させてくれて、だから今回最後の運転でも、無意識ではあっても、今までより注意して運転していたはずなのです。だからエンストしたときはすばやくハザードを出したのだろうし、それが追突事故を防いでくれたのかもしれません。

今日の「本番」に向けて、過去何度かエンストして「練習」した成果であるかもしれないとも考えられるのです。もし、今日が初めてのエンストだったら、慌ててしまい。対処が遅れて、下手したら死んでいたかもしれないのです。

だから「俺を殺す気か?」と書きましたが、そうじゃない、俺は助けられたんだなと思いますね。ボンゴフレンディに。

ボンゴフレンディの大往生です。

(合掌)
 
  
 
 
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コメント

すててこどんどんさん

車って機械ではありながら、動物の意識みたいなものを感じますね。不思議です。

車との良好な関係が安全運転につながると思うので、褒めることは大切かもしれません。

さっそく2代目ボンゴフレンディで秩父に行ってきました。

今のところ快調で。先日のトラブルの心臓ドキドキ感も忘れそうです。

でも、こんなにすぐ廃車のボンゴフレンディを忘れてしまったら、恨まれてしまうでしょうか。

ちゃんと供養塔でも建ててあげればいいんでしょうが。そんな財力もないし。心の中で「成仏して」と祈るしかありません。


投稿: あおやぎ | 2016/06/29 07:46

これよく分かります。

車にも意思があると僕も思います。

自分の車の前では、絶対に悪口を言ってはいけません。

褒めて褒めて褒めなくては、とまた青柳さんの文章を読んで思いました。
命を預ける同志ですからね、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

投稿: すててこどんどん | 2016/06/28 16:20

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