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2016/06/14

2016年初夏の撮影旅(18) 【愛犬物語 其の二十七~二十九】 新潟県新潟市・五泉市 忠犬タマ公像と小泉家の関係

160615_1(新潟駅南口の忠犬タマ公像)

160615_2(新潟市 白山公園の忠犬タマ公像)

160615_3(五泉市 村松公園の忠犬タマ公像)

160615_4(五泉市 村松公園の小泉元総理書「忠犬タマ公の像」の碑)


忠犬タマ公については、当ブログでも何度か触れていますが、あらためて、「忠犬タマ公」とはどんなワンコだったのか書いておきます。

タマ公は、新潟県川内村(現五泉市)の刈田吉太郎さんが飼っていた雌の6歳になる越後柴犬で、昭和9年2月5日、刈田さんは仲間とともにタマ公を連れて猟に出かけましたが、雪崩が発生して埋められてしまいました。タマ公は前足から血を流しながらも雪を掘って刈田さんを助け出しました。

それから2年後の昭和11年1月10日に、再び雪崩が発生、タマ公はそのときも刈田さんの命を救ったのでした。

2度の人命救助は、新聞やラジオで全国に知られることになりました。その功績を称え、小学校や公園、新潟駅にタマ公の像が建てられました。主人を救ったタマ公は、忠犬としてアメリカでも表彰されました。

以前、日本一周の旅のときには、そのひとつ、白山公園のタマ公像を訪ねましたが、今回、新潟駅、五泉市の村松公園、旧川内小学校も訪ねました。

新潟駅の南口2階にあります。1m40cmほどの台座に載ったブロンズ像です。リアルな造りです。おっぱいもあって、タマ公が雌犬だったことがはっきりわかります。

今まで越後柴犬の実物を見たことがないのですが、胴が長めなので一見すると「柴犬」には見えませんでした。

五泉市の村松公園にも、これと同じブロンズ像があります。

横には、「内閣総理大臣 小泉純一郎書」と「忠犬タマ公の像」の文字が刻まれた碑も立っています。

どうしてここに横須賀出身の小泉元総理の揮毫した碑があるのかと思ったら、タマ公の碑は横須賀市の衣笠山公園にもあるそうです。

当時横須賀市に住んでいた新潟県出身の退役将兵が、タマ公の話に感動し、昭和11年、衣笠山の登山道に石碑を建立したのだそうです。そして碑の題字は、横須賀市長だった小泉又次郎氏が揮毫しました。つまり小泉元総理のおじいさんですね。

タマ公がとりもつ縁で、横須賀市と五泉市の交流ができて、平成15年、村松公園に碑が建立されました。

忠犬タマ公は小泉家と代々関係があったというのは驚きですね。

さらに小泉進次郎氏もブログでタマ公のことを書いています。

小泉進次郎 Official Blog 「忠犬タマ公」

そしてもう一カ所、村松公園から約2km、さらに東へ行くと、旧川内小学校があります。

ここにも像があったのですが、地元の人に尋ねたら、タマ公像は、新しくできた愛宕小学校に移されて、ここにはもうないとのことでした。

タマ公は新潟県では、人命救助した忠犬であったがゆえに、教育的な逸話として語り継がれているようです。昔、多くの小学校でも見かけた「二宮金次郎の像」と似たような「教育的な像」なのかもしれません。

ひとつ、ひっかかるところもあります。タマ公像が最初に作られたころは、日本が戦争に突入していく時代でもありました。

タマ公もその「忠犬」ぶりが評価されたわけですが、犬の忠誠心が、日本国民の国家に対する忠誠心の模範になる、といった意味も、時代背景としてあったかもしれません。タマ公自身には関係ないことですが。
 
 
 
 
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