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2016/06/13

2016年初夏の撮影旅(17) 【愛犬物語百景 其の二十六】 山形県山形市 山寺 磐司盤三郎の愛犬マリの墓

160602_1_2(山寺 立石寺五大堂)

160602_2_2(磐司盤三郎と慈覚大師が対面した「対面石」)

160602_3_2(祠に祀られた磐司盤三郎の像)

160602_4_2(千手院への表参道と仙山線の線路)

160602_5_2(磐司盤三郎の「愛犬マリの墓」)


山形県出身者でもあるので、子どものころから山寺へ行ったことは何度もあります。

でも、今回のような視点で山寺を訪ねたことはないので、まるで初めて行ったところのように感じたのも、面白いなぁと思います。

これは、視点を変えると風景も変わってくるということでもあるんでしょうね。

山寺には「磐司盤三郎伝説」というのがあります。磐司盤三郎とはだれか?というと、山寺にとっては重要人物であったらしいのです。

マタギの元祖みたいな人物で、地元の狩猟民の首領だったそうです。山寺を開いた慈覚大師円仁に対面したという「対面石」というのが残っています。そこに、慈覚大師と磐司盤三郎の像を祀った祠がありました。

そこで、本題はこれからです。

愛犬の碑や塚をネットで探していて見つけたのがこの磐司盤三郎の愛犬「マリ」のことでした。山寺にはこのマリの墓があるそうなのです。ただネットでは、墓の場所がわかりませんでした。だから直接行って探すことにしたのです。これが面白いんですが、「探求欲」を満たしてくれます。

まず、山寺コミュニティセンターを訪ねました。職員はマリの墓についていは知りませんでしたが、地元で出版されている本を何冊か見せてくれました。

その中に『山寺百話』という本がありました。平成3年、伊澤さんという人が自費出版した本です。この中に「磐司伝説」について書かれた段があって、

「千手院部落の端に一基の古碑がある。これは磐司の犬の碑(墓)であると一般に信じられている。また、犬の碑と山王神社との間は磐司屋敷跡と伝えられている。」

と、ありました。墓は千手院地区にあるようです。

ただ、千手院地区も広いそうです。だからまず千手院で聞いた方がいいでしょうとのことだったので、最上三十三観音第二番札所の千手院に寄ることにしました。

車道から鳥居を潜って階段を上ると、突然線路が現れました。仙山線です。「踏切」などというちゃんとしたものではなく、線路をまたいで再び階段を上って行くと千手院境内にたどり着きます。

本堂の前で掃除をしていた男性がいたので挨拶して、「磐司盤三郎の愛犬の墓を探しに来たんですが、場所をご存じないでしょうか?」と聞くと、「どうぞ中へ入ってください」と言われて、屋内に入ると、もう一人男性がいました。「この人なら詳しいかもしれません」と紹介されました。

この人物は別当の後藤さんで、千手院地区に伝わる話を伺うことができました。偶然の出会いですが、面白いものですね。こういう展開が好きです。

ところで、ここを訪ねる人の中には、「どうして磐司盤三郎の墓が山寺にあるのですか?」と尋ねる人もいるそうです。というのも、盤三郎は後に山寺を離れ、秋田へ行って亡くなったという話なので、山寺に墓があるのが不思議だったようです。

盤三郎が秋田で亡くなったという話を聞いた地元の人たちは、ここに墓を作ることにしたといいます。盤三郎はそれほど山寺の人にとっては大きな存在でした。山寺を開いた慈覚大師に助力したため、地主権現として祀られたくらいでした。

「実際には"墓"ではなくて、仏さんの"仏舎利塔"みたいなものでしょう」という。

近くに「やつかれの平」という地名の場所があるそうです。ようやくここで「マリ」が登場します。

昔、磐司盤三郎が化物に出くわした場所で、矢を射てやっつけようとしましたが、なかなか倒れず、ついには矢が枯れた(無くなった)ので、「やつかれ」になったという説が。

矢が無くなった時、愛犬マリを呼びました。マリは化物と闘って倒しましたが、マリも傷つき、とうとう死んでしまいました。盤三郎はマリを背負って帰って来て丁重に葬ったということです。

ちなみに「やつかれ」にはもうひとつ説があるそうです。昔、山形で大火があり、飛んできた火の粉で焼けてしまった、だから「やつかれ(焼枯)」というようになった、という説。

「昔の話は、代々口伝えで伝承されてきたもので、紙に書いたものはありません。だから我々の世代が、そういう話をできる最後でしょうね。いなくなったら、話もわからなくなります」

確かに、こういう話に興味を持つ若い世代も少なくなっているのでしょう。話がわからなくなれば、最初から無かったことと同じです。だれか、記録に残さなくていいのでしょうか。心配になります。言い伝えや昔話を「古臭い」と言って捨てていくのはもったいないと思います。それは地元住民のこころの履歴書でもあるはずなのです。

磐司盤三郎の墓は、千手院の一の鳥居の左側にありました。

そこから何百m先の村の終わりの分岐点に古碑が何基か立っていて、その中に「愛犬の墓」はありました。ようやく見つけることができました。
 
 
 
 
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