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2016/09/30

2016年秋の撮影旅(13) 熊本城

160930_1(東十八間櫓・北十八間櫓)

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160930_4(熊本市 本妙寺 平和燈)


毎日、雨と蒸し暑さとの格闘になってきました。

どうしたんでしょうか。9月下旬というのに、まったく「秋」を感じません。

九州北部が大雨という天気予報を聞いて、予定を変更し、まず九州南部、熊本と鹿児島の方からまわることにしました。

熊本市では、【愛犬物語】の2ヶ所の撮影の後、熊本城に寄ってみました。駐車場から大規模な石垣の崩れが見えました。

城内への入場は制限があります。おそらく全域城内に立入できるようになるまで2年以上かかるのでは?と、駐車場管理人さんの話。

現在のところ、二の丸広場、加藤神社は見学できるようです。(「熊本市観光ガイドブック 熊本城」より)

4月に発生した熊本地震からまもなく半年が経ちます。周りを歩いてみましたが、いろんなところの石垣が崩れ、地震の爪痕は大きいと言わざるをえません。

熊本城だけではありません。【愛犬物語】で訪ねた神社と寺でも、墓石が倒れたままになっていて、「石屋さんが回りきれんのです」とのことでした。
 
 
 
 
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2016/09/29

2016年秋の撮影旅(12) 星野村鹿里の棚田「彼岸花祭り」と朝倉三連水車

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星野村に久しぶりに寄ってみたら、以前何度も訪ねていた広内棚田は、彼岸花は咲いているものの、どうも耕作されていない田んぼが多くなってしまったようで、少し荒れた感じがしました。

その代わりというか、今回初めて訪ねた鹿里(天空の里 ろくり)の棚田は、「彼岸花祭り」が行われていて、稲の黄色と、畦の緑と、彼岸花の赤が美しいコントラストを作っていました。

地元の人が通りかかり、彼岸花の盛りは過ぎたらしいことを聞いたのですが、関東から来た俺としては、これでも十分満足できる風景です。

何より稲の色づき方は、彼岸花の盛りとは微妙にずれているので、田んぼの写真を撮るという意味では、むしろ今の方がいいということもできます。

それと筑後川近くの日本最古の実働する水車「朝倉の三連水車」に寄りましたが、500mほど離れたところにそっくりな三連水車が回っていて、こちらと勘違いする人も多いらしく、「これはモニュメントです」と注意書きが書いてありました。

見たところ、ほとんど同じなので、このモニュメントを見て、満足して帰ってしまうお客さんもいるかもしれません。罪作りなモニュメントですね。
 
 
 
 
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2016/09/28

2016年秋の撮影旅(11) 九重町と玖珠町の棚田

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160928_3(玖珠町)

160928_4(玖珠町)

九重町の長者原には、「ガイド犬 平治の像」というワンちゃんの像があります。そのことについては、帰宅後あらためて書くことにします。

長者原は標高も高く、夜は涼しく寝ることができました。

この長者原へ行く途中で、偶然棚田があり、刈った稲をハサ架けにしていました。

九重町の役場の方まで降りて、日田市へむかう途中、ショートカットしようと山間の県道を通った時、不思議な光景が。

場所は玖珠町になると思いますが(GPS情報を付けたのであとで確認)、山の上に風力発電の風車が数基並んでいるのです。

棚田と風車。けっこう気に入った風景です。
 
 
 
 
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2016/09/27

2016年秋の撮影旅(10) 四国から九州へ。大分県豊後高田市 田染荘の農村景観

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それにしても雨が多いですね。台風が来る時期だからしかたないのでしょうか。それと今年は全体的に気温が高いような気も。残暑と言っていいのか。9月下旬なのに蒸し暑い。体温の高いヴィーノとの車中泊旅は、けっこうきびしいものがあります。

今回は、いろんなテーマの写真を同時に撮影していますが、【愛犬物語】に関しては、帰宅後にアップしようと思います。なかなか写真だけでは済まない、ストーリーが重要なので、旅行中に書くのは時間的に難しくなってきたからです。

なので、なるべくリアルタイムの記事に戻したいと思うので、今日からは、近畿と四国はすっ飛ばして(近畿と四国は帰宅後です)、九州です。

昨日、愛媛県の伊方町の三崎港から大分県の佐賀関港までフェリーに乗りました。ヴィーノは客席まで連れて行けないので、エアコンをかけっぱなしで車に残すしかありません。けっこうヴィーノはフェリーにも慣れているので、問題はありませんでしたが。

大分市、別府市を経由し、国道10号線を北上し、山香町から県道を北上。途中、熊野磨崖仏、真木大堂を通って、大分県豊後高田市の田染荘小崎へ。ここの農村景観は、重要文化的景観に選ばれているところで、10年くらい前、一度訪ねていますが、今回は稲刈り前に合わせての再訪です。

記憶を頼りに夕陽観音の上り口を探しました。10分くらい上ると田染荘が見渡せる展望台(夕陽観音)に着きます。あぜ道には彼岸花も咲き、昔ながらの柔らかな曲線の黄色い田んぼが広がる風景はしばらしいものです。

山香に戻る手前に「風の郷」の温泉がありました。湯の華なのでしょうか、浴槽が白っぽくて、まるで白い大理石の風呂のようでもあり、いい温泉でした。
 
 
 
 
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2016/09/25

2016年秋の撮影旅(09) 【愛犬物語百景 其の四十八】 三重県伊勢市 おかげ犬

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「おかげ犬」とは、お伊勢参りをした犬のことで、江戸時代にはけっこうな数の犬が、飼い主の代わりにお伊勢参りをしたという話が伝わっています。

犬がひとりでやってきて、飼い主のもとに帰って行ったという話です。「そんなバカな」と俺も最初は思ったのです。きっとフィクションだろうと。

でも、調べてみると、どうもこういう犬がいたことは事実だったようなのです。もちろん犬の意志ではありませんが。そのことについては、以前の記事に詳しく書いているので、こちらでどうぞ。

犬がお伊勢参りをした話は本当か? 仁科邦男著 『犬の伊勢参り』

また、谷口研語著『犬の日本史』によると、

「お伊勢参り犬の話は、幕末の多くの書物に書かれており、名札などの遺物もあちこちにのこされているようである。『耳囊』には安芸(広島県)から伊勢参宮をした豚の話までおさめられているが、「犬に伊勢参宮のこと毎々聞きおよびしが、豚の参宮は珍しきことと、ここに記す」とある。」

豚のお伊勢参りまであったというのは驚きですが、犬の伊勢参りは珍しくなかったというのも、現代人には驚きです。

さて今回は、飼い主(俺)といっしょにやってきたヴィーノなので、代参犬の「おかげ犬」とは言えないかもしれません。

守衛さんに確かめたところ、鳥居手前までは犬もOKというので、とりあえず、外宮と内宮の鳥居手前広場でヴィーノの記念写真を撮りました。

どうして江戸時代は犬も参拝が許されていたのに、今はダメなのでしょうか? いや、江戸時代も犬が宮城内に入ることは許されていませんでした。なぜか、「おかげ犬」だけは許された、ということなのでしょうか。そのあたり、まだよくわかりません。

ヴィーノは車に残し、俺はヴィーノの代わりにお参りしました。俺がヴィーノの代参です。ここでも主従逆転です。

こちらWikiに「おかげ犬」の絵があります。歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」です。

絵の左下にしめ縄をした白い犬が描かれていますが、これが「おかげ犬」です。

玉砂利を踏む音を聞きながら杜の中を進んでいきます。まだ早い時間帯ということもありましたが、厳かな気持ちになって、魂が引き締まります。

内宮を出たところにはあの「赤福」の本店もあるおかげ横丁が続いていますが、ここは「招き猫」など、猫の存在感が大きいところで、おかげ犬関連グッズを販売しているのは俺の知る限り2店舗だけのようでした。

そこで、「おかげ犬」の人形と、おかげ犬をデザインしたポーチを購入。

外宮の近くには「柄杓童子」の像がありました。おかげ犬関連の像といったらこれくらいでしょうか。(以前、おかげ横丁に犬の像もあったという話も聞きましたが。「おさん」という名の犬だったという)

「古来より、神宮参詣は人々の憧れでしたが、実際にお詣りができないひとたちの願いを叶えたのが、犬の代参でした。柄杓を背にした犬が、たくさんの善意に守られながら道中を続けたといいます。犬に跨っている童子は、優しい心の象徴です。藪内佐斗司」

とあります。

また通りを渡った商店では「おかげ犬サブレ」を販売していました。

伊勢神宮で「おかげ犬」の存在が薄いのは、これを大々的に認めてしまうと、犬連れの参拝客を受け入れざるを得なくなるから、などと、邪推するヴィーノでした。
 
 
 
 
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2016/09/24

2016年秋の撮影旅(08) 【愛犬物語百景 其の四十七】 三重県津市 近鉄・久居駅前の上野英三郎博士とハチ公像

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三重県津市の久居駅前,にハチ公像があります。いや、ここでは「ハチ公像」というより「上野英三郎博士像」がメインなのです。なぜここにあるかというと、長野博士の出身地だからです。

平成24年10月20日、除幕式が行われました。

像の台座にある上野英三郎博士と八の銅像を建てる会の碑文によると、

「上野英三郎は、明治4(1872)年、現津市元町に生まれた農学博士です。明治から大正期に日本農業の基盤となる水田の耕地整理を指導し大学はもとより全国各地で数多くの技術者を育成した農業土木分野の先駆け者でした。東京帝国大学で教鞭をとった博士は54歳の若さで亡くなりました。博士の飼い犬「ハチ・秋田犬」との生活は1年5か月と短い間でしたが、人としての愛を注ぐことにより動物との「絆」が生まれました。(以下略)」

そして忠犬ハチの物語はすでに知られている通りです。

上野博士は、棚田にも関わりがあった人物だったのですね。縁を感じます。

ハチ公が有名になったので上野博士も有名になった感じもしますが、もともと日本近代農業では大きな業績をあげた人物で、ここに博士の銅像が立つのはあたりまえかなと思います。それにハチ公まで付いているとなれば、地元の人にとっては誇らしいのではないでしょうか。

東京大学農学部にあるハチ公と上野博士の像の、ハチ公の大きさ(割合)を比べると、久居の像は、ハチ公が小さく表現されているようです。秋田犬にしてはじゃっかん小ぶりな感じかなと。ケチをつけるつもりはありませんが、つまり、久居の像は上野博士が強調されているためだろうと思いました。

像があるところは、久居駅の東口です。緑の風公園になっていますが、その入口の目立つところにあります。夕方だったので帰りがけの学生が公園でスマホを見てたりしました。
 
 
 
 
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2016/09/23

2016年秋の撮影旅(07) 【愛犬物語百景 其の四十六】 名古屋港のジロ、タロ像

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名古屋港の公園に、南極観測船「ふじ」が展示されています。初代観測船の「宗谷」は、東京の海の科学館にあって、中に、タロとジロの像がある話は以前書きました。詳しくは、こちらでどうぞ。

【愛犬物語百景 其の三十六】 東京都「船の科学館」  初代南極観測船「宗谷」のタロとジロ

「ふじ」の前の広場にも、タロとジロの像がありました。「宗谷」のタロ、ジロは、可愛らしいぬいぐるみだったのですが、こちらはたくましい姿で、実物とより似ている像だと思います。

「タロ、ジロは、昭和31年の第一次南極地域観測隊のソリ犬として活躍し、第二次隊の越冬中止で昭和基地にやむなく残されたが、極寒の地で一年間見事に生き抜き、我々に夢と希望と勇気を与えてくれた。南極観測船「ふじ」が名古屋港に係留保存されたのを機会にこの地に像を建立し、永くその功績を称えるものである。」

と、日本語と英語で刻まれています。
 
 
 
 
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2016/09/22

今日は二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」

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今日から二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声」です。雷が鳴り響かなくなる(遠雷の)季節です。

一昨日の台風はすごかった。九州から四国、ほとんど直撃でした。

香川県と徳島県の境にいたのですが(ブログ上ではまだ愛知県ですが)、前日から雨が激しくなり、一昨日は午後3時まで水がたまらないところでじっとしていて、車の中で過ごしました。雨の音がずっと続いて怖くなるほど。雷の声はしませんでしたが、場所によっては被害があったようです。

ヴィーノの散歩が難しくなるのが雨が降った時の一番の困りごとです。そのせいか、昨日の朝の散歩では、1日車の中にいたせいか、走りまわってストレス発散しているようでした。

写真は、そろそろ稲刈りの時期を迎える静岡県の上倉沢棚田「せんがまち」です。数日前に撮影した写真になります。

ところで、「稲妻」ということば、雷が落ちた田んぼの稲はよく育つところから生まれたそうです。
 
 
 
 
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2016/09/21

2016年秋の撮影旅(06) 名古屋市 三越名古屋栄本店「屋上観覧車」

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盲導犬サーブの像と、もうひとつ見てみたいものがありました。名古屋市の三越デパートの屋上に、高さ12mの「屋上観覧車」があります。かわいらしい感じの観覧車です。

デパートの屋上の遊園地というものにノスタルジーも感じますが、一時代のレジャーを象徴するような文化財ではないでしょうか。

解説文の看板によると、

昭和31年(1956)12月、ビルが7階まで増設され、8階屋上に新しい遊園地がオープンし、観覧車が営業開始となりました。それから平成17年(2005)7月まで営業しました。

この屋上観覧車は、平成19年(2007)3月16日、国の文化審議会で、登録文化財に答申されたものです。また、この観覧車は、国内に現存する屋上観覧車として日本最古のものです。

「日本最古の屋上観覧車」だそうですが、「日本最古の観覧車」ではない、ということなのでしょう。微妙な表現ですね。

ネットで検索すると、「日本最古の観覧車」は北海道の函館公園にある遊園地「こどものくに」にあるという情報が出てきます。こちらは現役で動いているそうです。できたのは昭和25年だそうなので、古さではこちらが一番かなと。

北海道にはけっこう「日本最古」のものが多いような気がします。
 
 
 
 
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2016/09/20

2016年秋の撮影旅(05) 【愛犬物語百景 其の四十三〜四十五】 愛知県名古屋市 盲導犬サーブ

160920_1(久屋大通公園のエンゼルパークのサーブ像)

160920_2(盲導犬総合訓練センターのサーブ像)

160920_3(盲導犬総合訓練センター内部)

160920_4(長楽寺 サーブの墓)

160920_5(長楽寺 ペット霊園)

160920_6(長楽寺 ペット霊園)


先日も、視覚障害者の線路への転落事故のニュースがあり、駅のホームの改善が急がれるところです。いくら盲導犬が着いていても、駅のホームの狭さや柱の位置など、物理的な危険さはどうしようもありません。

視覚障害者にとって、盲導犬の存在は大きいものと想像できます。

1988年にはNHKでテレビアニメ『がんばれ!盲導犬サーブ』が放送され、1989年にはテレビ朝日の「火曜スーパーワイド」の枠で『三本足の名盲導犬サーブ・愛の物語』としてテレビドラマにもなったそうです。

でも、盲導犬サーブについては、名前を聞いたことがあるくらいで、正直、「愛犬物語」を撮影するまで詳しくはわかりませんでした。

今回は、名古屋の中心部、久屋大通公園のエンゼルパークに設置されているサーブ像、中部盲導犬協会、盲導犬総合訓練センター正面入り口のサーブ像、そしてお墓のある長楽寺を訪ねました。左前足を失った姿は痛々しくもあり、それでも何か前向きさを感じさせる姿が印象的です。

サーブについて、wikiに次のようにあります。(抜粋)

「雌のシェパードで、日本で最も知られたイヌの内の一頭である。サーブは名古屋市の中部盲導犬協会で訓練を受けた後、岐阜県のマッサージ治療院を営む男性を主人とした。1982年(昭和57年)1月25日、岐阜県郡上郡美並村(現・郡上市)の国道156号での誘導中に、雪でスリップして突っ込んできた車から主人を庇って重傷を負い、その傷が原因で左前脚を切断。この事故がきっかけとなって「盲導犬は視覚障害者の身体の一部」であるとの認識が広がり、事故にあった盲導犬にも自賠責保険が支払われるように法律が改正された。」

「海外でもサーブの事が知られるようになり、1985年(昭和60年)にアメリカ・テキサス州知事から主人ともども招待を受けたサーブは「テキサス名誉州犬」の称号を受け、また同年9月には内閣総理大臣中曽根康弘から功労賞を受賞。1986年(昭和61年)には、サーブを讃えるとともに交通安全の願いを込めて、国鉄(当時)名古屋駅前にブロンズ像が設置された。1988年(昭和63年)6月13日未明、老衰のため11歳で永眠。墓は名古屋市南区の長楽寺動物霊園にある。」

長楽寺ではペット霊園もあり、訪ねた時も、飼い主さんがペットの亡骸を持って、葬儀をあげているところでした。

サーブの墓には盲導犬たちへの感謝の言葉があり、点字のプレートも掲げられていています。

「盲導犬たちよ。天国で遊んでください。盲人の目となり最良の友となり、明日への光となって愛と献身に生きたあなたたちの日々は私たちの心に生き続けています。盲導犬たちよハーネスを外して飛び跳ねてください。」

合掌。
 
 
 
 
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2016/09/19

2016年秋の撮影旅(04) 静岡県磐田市 日本最古の木造擬洋風小学校校舎「旧見付学校」

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静岡県磐田市には、「しっぺい」と、もうひとつ「旧見付学校」があります。

旧見付学校は、明治8年に開校式をあげた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎です。明治16年に3階部分を増築し5階建てとなりました。

白亜の校舎は現在、教育関係の資料館として開放されています。受付で記入し、入場は無料です。

当時は最上階に三方原のの合戦の際に浜松城で酒井忠次が打ち鳴らしたと伝えられる「伝酒井之太鼓」が置かれて、時を告げていたそうです。

校舎の北側には「岩田文庫」の御蔵のような建物があります。これは現在の図書館のようなもので、一般にも開放されていました。旧見付学校とともに国の史跡に指定されています。

資料室には珍しいものがたくさん展示されていますが、とくに教育関係の展示物は貴重なものもあるのではないでしょうか。

その中に、昭和の時代まで使われていた謄写版、ガリ版の道具を見つけて学校時代を懐かしく思い出しました。

俺と同じ年代の人は、このガリ版での印刷をよく使っていたと思います。クラスのお知らせとか、文集作りとか。

中学だったか、このガリ版で作った偽札でひと悶着起こした話は前にも書いています。

それと、高校時代には、『毎夜新聞』という壁新聞を作りました。これには先生の悪口やなにやら、どちらかというと「反体制的」な記事を書いたような気がします。

「偽札」も今から見たらまるで幼稚で「偽札」とも呼べないお粗末なものでしたが、でも、これもれっきとした「反体制的」なものだったに違いありません。
 
 
  
 
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2016/09/18

昨日から、二十四節気「白露」、七十二候「曼珠沙華咲(まんじゅしゃげさく)」

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これは先日訪ねた山梨県上野原市の神社で、1輪だけ咲いていた曼珠沙華です。

「曼珠沙華咲(まんじゅしゃげさく)」などという七十二候はありません。オリジナル(と言うか、勝手な)七十二候です。略本暦では、七十二候「玄鳥去(つばめさる) 燕が南へ帰って行く」になっています。

でも、田園風景の写真を撮っている俺からすると曼珠沙華(彼岸花)が目立つので、このオリジナル七十二候の方が季節を感じるからです。

二十四節気は観念的な言葉ですが、七十二候の方はより具象的事物の表現で、言ってみれば「季節あるある」なのです。だから遊んでみてもいいのではないでしょうか。俺の場合は、「曼珠沙華咲」がぴったりくるかなぁと。

ところで、埼玉県日高市の巾着田は曼珠沙華で有名な場所ですが、このパンプレットには英語名が「Red Spider Lily」となっていました。これをそのまま和訳すると「紅蜘蛛百合」。たしかにそんな名前もぴったりします。

同じものなのに、名前の付け方でより妖しさが増します。危険な香りが漂ってきます。
 
 
 
 
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2016/09/17

2016年秋の撮影旅(03)  【愛犬物語百景 其の四十〜四十二】 静岡県磐田市 イメージキャラクター「しっぺい」とは?

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静岡県磐田市のイメージキャラクターは「しっぺい」。彼(?)は犬で、もともとの名前は怪物退治の伝説で有名な「悉平太郎(しっぺいたろう)」といいます。

しっぺい太郎は、信州赤穂村(今の駒ケ根市)光前寺に飼われていた名犬で、若い娘を人身御供に要求する怪物(一説にはヒヒ・大猿)を退治したと伝えられています。

市役所で話を聞いてみました。

しっぺいは、市のいたるところで目にすることができます。駅前には大きな像が立っているし、商店街の旗や、市のバスの車体にも描かれています。駅前の観光案内所や、ららぽーとでもいろんなグッズが販売されています。

ところで、しっぺいの旗と同じように、オリンピックで活躍した卓球の水谷隼選手と伊藤美誠選手の旗も掲げてありました。そうか、彼らも関係者だったのかと気が付きました。ふたりは磐田市にある同じクラブだったそうです。

しっぺいが磐田市のキャラクターとして活躍するようになったのは数年前からだそうです。伝説の犬が町興しに一役買うことになったわけです。

今は、しっぺいのデザインの物品は、一応市の審査を受けて出していいかどうか決まるようです。ある程度の統一性を持たせるには必要かもしれません。ひとりでやっている、しかも市非公認のふなっしーとは事情が違います。

矢奈比賣神社(見付天神)の鳥居の前には凛々しい姿のしっぺい太郎像が立っています。細身の体でオオカミのようにも見えます。

社務所では、いろんなしっぺい太郎にちなんだお守りや絵馬が並んでいます。俺はしっぺい太郎の絵が入った御札と、おみくじが中に入っているかわいらしい人形を頂戴しました。

見付天神のさらに奥には、こじんまりとした霊犬神社が鎮座しています。ここにはしっぺい太郎の墓碑がありました。
 
 
 
 
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2016/09/15

2016年秋の撮影旅(02)  【愛犬物語百景 其の三十九】 静岡県藤枝市 黒犬神社

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「黒犬神社」は藤枝市の鬼岩寺(きがんじ)というお寺の境内にあります。

鳥居を潜ると、真新しい「あうん」の犬の狛犬が対座しています。

慰霊塔と本殿があって、本殿を覗いたら、黒犬の像と、多くの奉納されたぬいぐるみが見えました。

看板の解説文によると、

その一話:

「昔、鬼岩寺にクロというとても強い犬がおいました。それを聞いた田中城のお殿様は、自分の自慢の犬シロと噛み合いをさせてみると、あっという間に勝負が付きました。愛犬の負けた悔しさに、お殿様はクロを捕まえて打ち首にするように、家来たちに命じました。追い詰められたクロは、逃げ場を失って近くにあった井戸に身を投げてしまいました。その時、井戸の中から黒い煙がもうもうと立ち上り、それが何百何千という黒犬となって、いっせいに吠えたてました。お殿様はびっくりし、やと自分の身勝手に気付き、深くクロに詫び、クロの霊を慰めるために、黒犬神社を造ってまつりました。」

その二話:

「土佐守は東海道一と恐れられているクロと、自分の土佐犬をぜひ勝負させたいと、参勤交代を楽しみにしていました。噛み合いになる直前に、遠州の春野からたくさんの犬たちが、クロを、助けようと、鬼岩寺に集まって吠えたてたので、土佐守の土佐犬は、しょんぼりしてしまって、闘いにならなかったということです。」

「神犬クロの「死して尚負けず」のご利益を!」とあります。

撮影旅行中は時間がないので、内容については、帰宅後、詳しくしらべます。

犬連れで来たので、ここで犬の写真撮ってもいいでしょうか?と聞いたら、どうぞということで、ヴィーノを車から降ろし、黒犬神社のところで記念写真を。

ヴィーノはクロの神力にあやかれるのか。この旅を無事に終わることを祈念して黒犬神社をあとにしました。
 
 
 
 
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2016/09/14

2016年秋の撮影旅(01)  【愛犬物語百景 其の三十八】 山梨県上野原市 お伊勢参りをした犬の碑

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山梨県上野原市新井に、お伊勢参りをした犬の碑があると知って行ってみました。

お伊勢参りの犬と言えば、先日訪ねた群馬県長野原町の「犬塚」、福島県須賀川市「代参犬シロ」、宮城県栗原市の「龍国寺の参宮犬の碑」があります。

犬がひとりで(飼い主が連れて行ったという話ではなく)お伊勢参りをしてお札をもらって帰ってくるという犬が江戸時代にはたくさんいたという話は以前も書きました。

「まさか、そんな馬鹿な」と俺も初めは疑っていたのですが、よくよく調べてみると、これはフィクションではないということがわかってきました。もちろん「犬の意志」ではありませんが。いろんな当時の状況があって、結果としてこういう犬が生まれたということのようです。詳しくは「犬がお伊勢参りをした話は本当か?」を読んでください。

山梨県からも参拝した犬がいたんですね。とにかくこういう犬がいたということに、俺は妙に魅かれます。日本がどんなふうに犬(動物)と暮らしてきたかがわかるからでもあります。

犬の碑は、上野原市市役所から山の方へ1.5kmくらい入ったところの「神明社」にありました。小雨降る中、拝殿の脇にある古い碑を見つけました。これが伊勢参り犬の碑でしょうか。文字が刻まれていますが、はっきりとは読めません。

日本犬研究家の斉藤弘吉氏の『日本の犬と狼』にも、この犬について紹介されているそうです。代参犬は「伊勢」という名前らしい。1859年のことで、50日あまりで帰ってきたそうですが、けっこう速いですね。

甲州街道をひたすら西へ進んだのでしょうか。今回の撮影旅行はでは伊勢神宮にも寄るつもりで、しかも今回はヴィーノ連れなので、ヴィーノが新井の犬の足跡を訪ねる旅にもなりそうです。

ところで、つい最近発売されたばかりのCanon EOS 5D Mark IVを使っての撮影旅行です。最初に撮るのが犬像だというのはどうかと思いますが。
  
 
 
 
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2016/09/12

今日は「白露」、「鶺鴒鳴(せきれいなく)」 2017年版「旧暦棚田ごよみ」打ち合わせ

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今日は「白露」、次候は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」です。

来年に向けて、「旧暦棚田ごよみ」の制作が始動しました。

まだ全国には知られていない、しかも美しい棚田が数多く存在しますね。こよみを作っていて、毎年そう思います。

これも入れたい、あれも入れたいとなってきますが、毎年不採用になってしまういい棚田もあります。そこがこよみ作りの難しさでもあります。ある月の写真だけが飛び抜けて良くても、全体的なイメージとはそぐわないこともあるわけです。

それと地域の問題もあります。どこかの棚田だけに集中しないように、全国まんべんなく選ぶようにしています。

「季節」と「地域」と「写真の質」のバランスが難しいのです。

春夏秋冬1年間を網羅する全国の棚田の写真のレベルを維持するの正直大変です。かといって、複数の人の写真を寄せ集めで作ることも(たとえば写真コンテストなどで募集して)将来的には考えなくもないけど、できれば、しばらくは棚田や旧暦に対する個人的な思い入れもあるので、なんとか続けたいと思っています。

とにかく、来年度版、写真的なバリエーションもあり、いい感じにまとまったのではないでしょうか。

発売は11月上旬をめざしています。完成までしばらくお待ちください。
 
 
 
 
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2016/09/10

【愛犬物語百景 其の三十七】 東京都 上野公園 西郷隆盛と愛犬の像

160910_2_2(東京上野 西郷隆盛と愛犬の像)

160910_1_2(東京上野 西郷隆盛と愛犬の像)


2018年のNHK大河ドラマは『西郷(せご)どん』になるそうですが、あらためて上野の西郷隆盛と愛犬の像にも注目が集まるでしょうか。

除幕式は、西郷さんの死後21年後の1898年(明治31年)12月18日に行われました。西郷さんの像は高村光雲作、愛犬の像は後藤貞行作。

この上野の西郷さんといっしょにいるのが、愛犬の「ツン」だといわれていますが、正確にいえば「ツン」ではないようです。

西郷さんのツンは、薩摩犬の雌犬でしたが、銅像を造ることになったときには、ツンはすでに死んでいたので、どの犬をモデルにしようか検討した結果、薩摩出身の海軍中将、仁礼景範が飼っている雄の薩摩犬と、桜島まで赴き現地の薩摩犬の写真を撮って参考にしたという。

犬好きだった西郷さんは、兎狩りをするために複数の犬を飼っていたそうで、ツンのほかに、カヤという犬もいました。

像は、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿です。愛犬には、いとこの大山弥助から贈られた首環(くびたま)と首綱もついていますが、これは考証と写実にこだわった後藤貞行が実物を見ながら作ったのではないかといわれています。

後日、犬の像が小さいと批判もあったようです。たしかに犬の姿は小さいかもしれません。何も知らなければ、犬を小さくすることで、より西郷さんを大きく見せているんだろうと考えてしまう人もいたでしょう。

像の制作中、高村光雲は大きさのバランスを考え、犬は実物より大きくしようと提案しましたが、もともと兎狩りで使う薩摩犬は小さい犬なので、写実にこだわった後藤は反対し、西郷像との実物大の比のまま作ったという。

ただ、俺たちは西郷さんの像の下から見上げるとき、犬が近くに見えるので、遠くから眺めない限り、そのアンバランスともいえる犬の小ささは気にならないとは思いますが。

それと西郷さんの像自体も頭が大きく造られているのは、ミケランジェロのダビデ像と同じく、下から見上げた時に自然に見えるように、ということのようです。

愛犬の像が、ツンと似ていたかどうかはさだかではありません。お尻の匂いで判断するのではなく、視覚重視の人間には、違いが判らないかもしれません。

いや、少なくともツンではないですね。と、いうのも犬の像をよく観察すると、おちんちんが付いているので雄なのです。モデルが仁礼景範が飼っていた雄の薩摩犬なので当然なのですが。

だから、犬の像は、「ツン」という特定の犬ではなく、「西郷さんの愛犬」ということなのでしょう。

ところで、犬の話以上に、西郷さんの像が、実際の西郷さんと似ている、似ていないで、いろんな話があることはよく知られています。

西郷さんは肖像画や写真が好きではなかったらしいので(暗殺を恐れたから、という説もある)、この混乱が生まれているのでしょうが、もう一件誤解が生まれた出来事があるようです。

それは銅像の除幕式の時、式に招待された西郷夫人は「あれは、主人ではない」と言ったそうで、そこから「似ていない」説が出てきたのでは?というのです。

でも、調べてみるとこれは、「着流しでうろつくだらしないおっさんじゃない」という意味で、「うちの人はこんな人じゃない」と言ったという話が、いつの間にか「こんな顔じゃない」になってしまったというのです。

当時西郷さんに関わった多くの人が顔は似ていると証言しているそうなので、「似ていない」というのは俗説だという話も。

こうなってくると、似ているのか、似ていないのか、俺にはわかりません。西郷さんが愛犬家だったということがわかればそれで満足です。

軍服姿ではなくて着流しの西郷像になったのは、「西郷から武人としての牙を抜き、犬を連れて歩く人畜無害な人物というイメージを民衆に定着させようとする、政治的意図が働いていた」という理由もあるようです。(「Wiki」参照)


写真を撮っていると、熱心に碑の「西郷隆盛の銅像の由来」を読んでいたおじいさんがいて、声をかけられました。

「日本のために闘っても逆賊となってしまう人たちはたくさんいる」

88歳になるというおじいさんは言いました。出身を聴いたら、福島県会津若松出身者でした。会津藩ゆかりの人なのでしょうか。

「勝てば官軍」と言われるわけですが、逆賊もまた日本を造ってきた人たちに違いないし、そういう人たちに思いをはせることも大切でしょう。

そして今、福島県の農産品が5年経ってもまだ、まるで汚いもののように(逆賊のように)一部が扱われることにも我慢がならないようでした。
 
 
 
 
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2016/09/07

今日から二十四節気「白露」、七十二候「草露白(くさのつゆしろし)」

160907(新潟県長岡市 CANON EOS 5Ds  EF16-35mm f/4L IS USM 16.0mm Tv 1/60 Av 5.6)


今日から二十四節気「白露」、七十二候「草露白(くさのつゆしろし)」です。

「露が白し」という表現が秋の気配を感じさせるもので、写真を撮っていると納得できる表現です。それで調べてみました。

「草露白」は、朝夕気温が下がり、草の上に結んだ露が白くみえるようになる状態だそうです。

また和泉式部が詠んだ句には、「白露も夢もこの世のまぼろしも たとへていえばひさしかりけり」があり、白露は、夢・この世・まぼろしと同義語として括られています。(びお・七十二候より)

朝夕の白く見える露も長い時間ではなく、夢のようにすぐに消えてなくなってしまうものなのですね。
  
 
 
 
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2016/09/04

こころを空に放り上げてみる

160903_2


3週間ほど前でしょうか、こんな夢を見ました。

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隣の人といっしょに、「こころを空に放り上げる」と念じて、両手を上に振り上げた。

意識を自分のずっと上に持っていく。

こころが実際に軽くなった気がした。

これはこころを軽くする認知行動療法なんだなと思った。

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認知行動療法に、本当にこういう方法があるのか知りませんが、夢の中の「私」はそう思いました。

夢の中の話ではありますが、実際にやってみると、効果があるような気がしたので、時々やるようになっています。

手を上げる動作が良いのかもしれません。そして高いところへ上ったように想像して、自分の姿を俯瞰してみる。

ドローンを飛ばしてカメラで自分を見るイメージですかね。自分を客観的に見ると、まんざら悪くないぞと、悩みも軽くなるようなのです。

これは夢日記を付けるようになって初めて「役に立った」ことではないのかな。

みんなに効果があるのかはわかりませんが、試してみてください。
 
 
 
 
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2016/09/02

今日から二十四節気「処暑」、七十二候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」

160902


今日から二十四節気「処暑」の末候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」です。

田んぼは黄色くなって収穫の喜びの時期を迎えます。

「禾(いね・のぎ)」は稲やアワなどの穀物のことです。

漢字の「年」は、元々は「秊」(禾 / 千)と表記された字です。「禾」は「稲魂(いなだま)」の象徴を表したものです。

「禾(いね・のぎ)」が入っているところから、稲やアワを栽培する周期が1年と考えられていたようです。
 
 
 
 
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