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2016/11/10

【愛犬物語 其の六十五】 香川県高松市 法然寺の白犬塚

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高松市の法然寺を訪ねた日は、台風接近の日で、大雨が降っていました。

寺自体は大きくて立派なところで、社務所へ行って白犬塚の場所を聞いてみました。

すると、境内の一番奥まった般若台にあり、安全性の問題から、今は普段、一般公開していないそうです。(命日か何か、特別の日にはお参りできるようですが)

塚がある場所は松平家歴代墓所で、門があって、そこからしか入れないそうで、しかも大雨なので足場も悪いだろうからと、やんわりと断られました。

それでもせっかく来てくれて悪いと思われたのか、白犬塚の写真が掲載されたパンフレットを奥の方から持ってきてくれました。

前もって取材申請するとか、もっと強気で粘れば、行けないここともなかったでしょうが。犬像はないことはわかっていたので、それほど法然寺が取材必須の場所ではなかったので、ここはあきらめることにしました。またの機会にしたいと思います。

と、いうわけで何だか言い訳がましいですが、塚の写真も無しで、話だけということになります。でもこれは【愛犬物語】でも例外中の例外になります。(書籍には使わないので、当ブログ限定の記事です)

法然寺のHPによると、

「般若台の松平家墓所には白犬の墓がある。九代賴恕公の奥方、倫姫の亡骸が江戸から讃岐に帰るとき、お棺の列に付き添う一匹の白犬がいた。葬式を終え一行が江戸に帰るとき、白犬は船上から瀬戸内の海に身投げしてしまう。この白犬、江戸屋敷で殺され倫姫が手厚く供養した白犬の子犬ではないか、と倫姫の墓の後ろに白犬の墓を建てた。犬好き、動物好きの方に愛される墓である」

江戸屋敷で何があったのでしょうか。詳しくは、このHP「白犬墓の話」によると、

「昔,文政12年(1829)頃,今の東京,その頃の江戸に松平賴恕(よりひろ)といわれる讃岐のお殿様がいらっしゃった。その奥方は大変な慈悲深い方であった。それは動物にいたるまで憐れみを持っておられた。
 ある日のこと,どこからとなく迷い込んで来た一匹の白犬をお屋敷の門番が見つけた。「やい,ここはお殿様のお屋敷だ。野良犬(のらいぬ)の入るべき所ではない。出ろ,出ろ!!」お屋敷の門番は荒々しくも六尺棒(ろくしゃくぼう)を振り上げたが,白犬は「門番さま,どうぞひとめ奥方様にあわせて下さいまし。」というように尻尾(しっぽ)を振り振り頼んだが聞いてくれなかった。「何んだッて出なければこうしてやるッ!」と,無惨(むざん)にも六尺棒は白犬の頭上めがけて振り下された。「キャン!」バッタリと一撃の下に倒された白犬。このことを聞いた奥方は不憫(ふびん)に思い,白犬を浅草清光寺に葬られた。」

白犬を殺してしまった門番はどうなってしまったのでしょうか。それについては何も触れられていませんが、罰せられたと考えるのが自然でしょう。最悪打ち首になったかもしれません。ここが気になります。

そんな悲しい出来事があって、奥方(倫姫)の亡骸に付いてきた犬を、その時の白犬の生まれ変わりではないかと考えてしまう家臣の心理は十分理解できます。いや、「普通に死んだ」のではないからこそ、家臣たちも犬に対して後ろめたさや憐憫の情を感じていたかもしれないのです。

だから、もちろん塚を作ったのは、奥方の動物好きの気持ちを汲んだということもあるでしょうが、白犬の祟りを恐れたのかもしれません。そもそも「供養」には後ろめたさの解消という意味もあるとのことです。

塚の写真は寺のHPで見てもらうことにして、寺の写真だけ掲載しておきます。
 
 
 
 
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