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2016/11/18

【愛犬物語百景 其の九十四】 北海道小樽市 消防犬ぶん公 「犬はパンのみにて生きるものにあらず」

161118_11(北海道小樽市 運河と倉庫群)

161118_12(北海道小樽市 「消防犬ぶん公」像)

161118_13(北海道小樽市 「消防犬ぶん公」像)

161118_14(北海道小樽市 「消防犬ぶん公」像のプレート写真)
 
 
北海道小樽市を訪ねたのも日本一周した2009年のことです。

小樽市といえば、運河の街として有名で、俺たちも運河のレトロな石造りの倉庫群などを観光していました。

犬連れだと特にですが、「犬」に関するものが目につきます。いや、「犬」に関するものを嗅ぎ分ける感覚が発達するのかと思うほどで、この小樽市観光物産運河プラザ前広場に立つぶん公記念碑を見つけたのも偶然でした。

犬像の碑文を確かめると、この犬は「消防犬ぶん公」という犬だとわかりました。像の台座にはありし日の消防車のサイドステップに乗るぶん公の写真プレートがはめ込められていました。

さっそくヴィーノを像の前に座らせて記念写真を撮りました。

さて、このぶん公の伝説とはどういったものなのでしょうか。調べてみました。

小樽市のHPに、「消防犬ぶん公」の紹介が載っています。

また、関西学院大学社会学部島村恭則ゼミのHPにも、「「火災都市」小樽と「ブン公」伝説」という詳しい記事もあります。

これらと像の碑文を参考にして概略を書いておきます。

「ぶん公」は火事の焼け跡で泣いていたところを助けられ、大正から昭和の初めころまで小樽消防署で大切に飼われていた犬です。白とコゲ茶のまだらの秋田犬に似た雑種の雄犬(最初は雌犬と誤解されていたようですが)でした。

ぶん公は火災が発生すると消防車に飛び乗って現場まで出動し、火事場では集まってくる野次馬の整理や、水を掛けるホースのもつれを直したりして大活躍しました。その活躍で子供たちの人気者になり、ラジオ・新聞でぶん公は消防犬として知られるようになりました。

また、火災報知機のベルの音が鳴るとぶん公は消防士たちに吠えて火事を知らせ、一番先にポンプ車のサイドステップに乗って出動を待っていたという話や、気をつけの号令のときに「ワン」と一番に吠え、隊員が「2」と号令したという、ホントかいな?と笑ってしまうようなエピソードも残っています。

ぶん公の出動回数は1000回にも及びました。

歳をとってからは、出動のベルが鳴っても消防車に乗ることができなくなりました。そして昭和13年(1938年)2月3日、たくさんの人々にみとられて亡くなりました。

翌日には葬儀が営まれましたが、棺の前には「小樽消防犬文公之霊」という塔婆が建てられました。ぶん公の功績を記念するために剥製にされ、しばらくは小樽市消防団本部に飾られていましたが、後に小樽市立博物館に保存されるようになりました。

24年間生きたといわれる「ぶん公」は、人間の年でいえば100歳まで生きたことになります。

それにしても1000回も出動したというのはすごいですね。

逆に言うと、ぶん公の出動回数からみて、かつて小樽は大火が発生しやすい火災都市だったということでもあったようですが。

ぶん公自身は火事の深刻な状況をわかっていなかったかもしれませんが、消防隊員といっしょに活動するのが嬉しかったのでしょうね。生き生きと動き回わるぶん公の姿が目に浮かぶようです。

自分のやることが人からも受け入れられるのは嬉しいものです。仕事をしたいのです。「自己表現」といってもいいかもしれません。動物は活動してこそ動物です。

「犬はパンのみにて生きるものにあらず」

なのです。「生きている」ことを実感したいから活動するのは人間も同じです。

ぶん公には、子孫がいたという話もあります。

1958(昭和33)年1月4日の北海道新聞では、ぶん公は雌犬で子犬を生んだという間違った情報も出たらしいですが、ぶん公の子どもと思われていた子犬がいたのは事実らしく、北海道新聞(小樽版)2006年(平成18年)年3月10日版にはこうあります。

新井田さん(父親が小樽消防署で働いていた)は子犬を飼ったそうですが、父親から「ぶん公の子どもだから賢いよ」と言われ、家族で親と同じ「ぶん公」と呼んでかわいがっていたそうです。

その二代目ぶん公の「子ぶん」は、昭和14年(1939年)(初代ぶん公の死後1年)、新井田さんが引っ越ししたとき、行方不明になってしまいました。

ところで、初代ぶん公は雄犬だったので(雌犬と誤解されていましたが)、「子ぶん」がぶん公の子どもかどうかは今となってはわからないそうです。雄犬ならとくにそうでしょう。

新聞でも「雌犬」と誤って書かれるほどなので、雄雌がわからない何か特別の理由はあったのでしょうが。たとえば、事故か何かでオチンチンがなかったとか。(この件に関しての情報はまだ探せていません)

「消防犬ぶん公記念碑」建設の中心になったのはかつて消防団副団長として活躍されていた木下合金の木下会長でした。「お世話になった小樽市に何か恩返しをしたい」と考えていたとき、ぶん公の存在を思い出し、消防・防火の意識を多くの人に感じてもらうためにぶん公の銅像を造ろうと決めたそうです。

平成18年2月、ぶん公の死後68年目の命日に、元小樽市消防団在籍の人たちが中心となり、「消防犬ぶん公記念碑建設期成会」を発足させました。多くの人から募金が集まりました。そして同年7月21日にぶん公記念碑の除幕式が行われました。

なお余談ですが、昭和36年、消防署に一匹の犬が迷い込んできたので飼うことになりました。ゴローと名づけられた犬は、二代目消防犬として可愛がられたそうです。
 
 
 
 
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