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2016/11/05

【愛犬物語百景 其の五十三】 和歌山県九度山町 「高野山の案内犬ゴンの碑」

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和歌山県九度山町慈尊院には「高野山案内犬ゴンの碑」があります。

たびたびマスコミにも取り上げられて有名になったゴンでしたが、老衰のため、2002年(平成14年)6月5日息を引き取りました。

同年7月には慈尊院住職によって境内の弘法大師像の隣に、ゴンの石像が建てられました。

このゴンについて、Wikiから引用させてもらいます。

「昭和60年代(1985年 - 1988年)に、九度山駅と慈尊院を結ぶ途中にある丹生橋の近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬が、やがて慈尊院や高野山の参詣者・ハイキング客を案内するようになった。慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになった。」

というワンコだそうです。

住職にお話をうかがうことができました。

「寺に来る前は、営林署の署員たちに可愛がられていましたね」

もともとゴンは野良犬だったようですが、柳田國男も指摘している明治以前には日本では当たり前だった特定の飼い主がいない、かといって完全な野犬でもない犬、いわゆる「地域犬(里犬)」だったということですね。

地域犬だから、だれからも管理されず、自由に動き回れたということなのです。だから九度山駅と慈尊院を行き来したり、慈尊院から高野山へ人を案内したり、ということが可能だったと考えられます。

この「地域犬」という条件は大切で、三重県伊勢神宮の「おかげ犬」や、これから四国で紹介するつもりの金毘羅参りをした「こんぴら狗」なども、基本、自由に歩ける犬だからできたことでもあります。(だから現代では「おかげ犬」も「こんぴら狗」も存在できない)

「ゴンが、本当に高野山まで人を案内しているのか、疑う人もいました」

と住職は言いました。

そうなんでしょうね。片道24kmというから往復48km。それをほぼ毎日通うのだろうか?という疑問が生まれるのも当然かと思います。

でも、俺のフィリピンを初めとして、まだ地域犬がうろうろしているアジアの国々の体験から、ゴンが高野山と慈尊院を行き来していたというのは本当ではないかと直観的に思いました。

それはルソン島の世界文化遺産、イフガオ族の棚田が広がるバダッド村へ行った時のことです。

バダッド村に滞在していた俺はバナウエの町に戻るために、峠越えをして車道まで出ることになりました。その間直線距離では5kmくらいだと思います。ただ、荷物を背負っているし、途中峠を登らなければならない山道なので、3時間はかかりました。

バダッド村を出発した時、俺の後になったり先になったりしながら付いてくる1匹の子犬に気がつきました。たしか泊まっていたサイモンズ・ゲストハウスにいた子犬かなと思いましたが、そのうち、ゲストハウスに戻っていくだろうと思っていました。

ところがその子犬は、峠までいっしょに付いてきてしまったのです。だいじょうぶか?帰れるか?と心配になってしまいました。

その後も峠どころか、結局車道まで付いてきてしまいました。特別その子犬を可愛がったりもしていなかったので、どうして俺がこの子犬に好かれるのか理解できませんでした。まるで俺を車道まで案内してくれたように感じました。

ちなみに、ルソン島北部には、長者が犬を連れて狩りに出た帰り、犬が突然悲しげに鳴いて走り出したので、あとを追って行くと死者たちの村に案内されたという昔話があるそうです。(大木卓著『犬のフォークロア』)

俺に付いてきた子犬が村に帰ったのかどうかは確かめていないのでわかりませんが、どうも、これは犬の一種の習性ではないかなと、今は思います。

人間が歩いていると、何かのタイミングでいっしょに付いていくようなところがあるのではないかと。特別俺が子犬に好かれたわけではないのでは、と思うのです。(たしか仁科邦男著 『犬の伊勢参り』にもそんなことが書いてあったような)

フィリピン以外でも、たとえば、インドネシア・バリ島、スリランカ、ネパールなどでも、犬が人に付いてくることがままあったからです。

だから犬の習性としても、人間といっしょに歩くのが、ゴンにとっては嬉しいこと、気持ちの良いこと、幸せに感じることであったから続けていたのではないかと思うのです。人間に強制されたわけではないのは確かだし、ゴンの自発的な意思として。

住職はこうも言っています。

「ゴンは、繋がれるのが嫌いな犬でした。私の姿を見ると、繋がれるのでは?と、こそこそして逃げることもありましたねぇ」

ゴンの地域犬(里犬)としての感覚として、人間に管理されてしまう窮屈は理解していたのではないかな。ゴンは特別に自由に歩きたい犬。歩くことが好きだった犬のような気がします。

48kmを往復するのは大変だと考えるのは、まったく人間の感覚であって、犬がどう感じているかはわかりません。ましてや、ゴンのような歩くことが好きな犬ならば。毎日歩きすぎると早死にするかも、とか、疲れすぎると明日に差し障る、などと心配することはないからです。犬は「今」を全力で生きているだけでしょう。

本当に高野山まで案内しているのか?と疑う人もあったので、そしてここが現代的だと思うのですが、それならばと、信者の方は、ゴンについて行って証拠写真を撮ったそうです。

その数多くの証拠写真を貼ったアルバムを見せてもらいました。

それを見ると、確かにゴンは、慈尊院から高野山までの24kmを信者の方といっしょに歩き、あるときは奥の院まで行っていたようです。

あとはそれをどう解釈するかは人間側の問題です。「案内していた」と解釈するのは、約1200年前、弘法大師が高野山を開くとき、2匹の犬が道案内したという伝説があるからかもしれません。実際ゴンは「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」、「お大師さんの犬」と呼ばれていたそうです。

本堂のわきを抜けて奥へ入ると、中庭の一角に弘法大師の像と並んで「高野山案内犬ゴンの碑」はありました。

この墓には、ゴン、カイ、ピレネー犬の3頭の犬の亡骸が眠っています。カイというのは、ゴンの友達犬で、亡くなるまでいっしょに暮らしていた犬だそうです。ただ案内はしなかったそうで、やはり、犬の性格も様々なのでしょう。カイも亡くなってゴンといっしょに葬られました。

ちなみに、ゴンについては本も出版されています。関朝之著『高野山の案内犬ゴン』。それとゴンを歌ったCDも作られています。

それにしても、ゴンが亡くなってずいぶん経ちますが、ゴンのことを懐かしそうに話す住職の表情から、ほんとに地元に愛されていた犬だったんだなぁと感じます。

地域犬(里犬)冥利につきるのではないでしょうか。
 
 
 
 
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