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2016/11/12

【愛犬物語 其の七十一〜七十三】 福岡県筑後市 羽犬の像

161112_1(JR九州鹿児島本線「羽犬塚駅」の羽犬像)

161112_2(山の井交差点の羽犬像)

161112_3(羽犬塚小学校正門南の羽犬像)


福岡県筑後市には羽犬の像があります。

「羽犬(はいぬ)」とは何なのか?

ネットで調べて前もって見てはいたのですが、羽犬はユニークでカッコいいですね。羽の生えた犬の姿なのです。いっぺんで魅了されてしまいました。

翼のある馬ペガサスを思い出してしまうのですが、もちろん羽犬も伝説上の動物です。

筑後市のキャラクター「チク号」は、羽の生えた犬が飛んでいる姿で、「はね丸」の着ぐるみも天使のような羽がある犬の姿をしています。どちらも「羽犬」をモデルにしています。

「羽犬塚」は古くから宿場町として栄え、その地名の由来は400年前から続くふたつの伝説にあるそうです。

どちらも犬を塚に葬ったというのが由来ですが、ひとつは、天下統一を目指す豊臣秀吉の行く手を阻んだ羽犬が仕留められたという説と、秀吉の病死した愛犬が羽が生えたように素早かったという説です。

久留米市と高田市を結ぶ国道209号線と、大川市と大分市を結ぶ国道442号線が交差する山の井交差点と、羽犬塚小学校正門南にある羽犬のブロンズ像は、今にも飛んでいきそうな躍動感があって、羽が生えたように素早かったという伝説に沿ったデザインなのでしょうか。

JR九州鹿児島本線に「羽犬塚駅」という駅があり、この駅前広場にも羽犬の像があります。ここの羽犬は駅ビルを向いていて、あまり動きは感じられないのですが、どっしりと安定感のある像です。

筑後市のHPには、このふたつの羽犬の伝説について書いてあります。

ひとつは、昔この地に羽の生えたどう猛な犬がいたというものです。「羽犬は旅人を襲ったり家畜を食い殺したりして住民から恐れられていた。天正15年(1587年)4月、天下統一をめざす豊臣秀吉は薩摩の島津氏討伐のため九州に遠征、この時羽犬によって行く手を阻まれた。大軍を繰り出しやっとの思いでそれを退治した秀吉は、羽犬の賢さと強さに感心し、この犬のために塚をつくり丁寧に葬った」

もうひとつは、九州遠征に羽が生えたように跳び回る犬を秀吉が連れて来たというものです。「その犬は、この地で病気にかかり死んでしまった。大変かわいがっていた秀吉は悲しみに暮れ、それを見かねた家来たちは、その犬のために塚をつくり葬った」

小学校の隣の宗岳寺に残されている石塔には、「犬之塚」と彫られています。犬に名前がないことから、秀吉の愛犬説はむずかしいかなと思います。どうして愛犬に名前がないのか不思議です。だから不特定の犬の供養塔だったと考える方が自然でしょう。

羽の生えた犬を探して」というHPでも、こんな推測をしていて、なるほどなぁと思います。
 
「この「塚」は一体何なのか? これについては、昔このあたりで殿様が狩りの練習のため「犬追い」をしていて、その際に追われた多くの野犬の霊を弔うために立てられた犬塚が地名として残ったのではないかという推測を見つけました。」

秀吉も信長同様、鷹狩りを好んだそうで、鷹狩用の犬である「鷹犬」は「御犬」と呼んで大事にされましたが、反対に、野犬は鷹の餌にされて殺されたという話もあり、この犬之塚も、そんな犬たちの供養のためのものだったのかもしれません。

そして「羽犬」についても、

「「はいぬ」という音から「羽犬」に転じて、そこから逆に意味が作られたのではないかという推理を私も推します。その線では、「駅馬(はゆま)塚」、「駿馬(はやま)塚」、「端犬(はいぬ)塚」、「灰塚」などから「羽犬塚」に転じたという説が有るそうです。」

伝説は過去の事実がそのまま伝わることもあるでしょうが、その話が地元の人にとって何か有益なことがあれば、尾ひれがついて、変わっていくということは考えられることです。

心理学者・大場登著『精神分析とユング心理学』には、神話について、

「その国・その文化圏の人々の心が一致して「受け入れてきた」、その意味で個人を超えた、文化的、あるいは普遍的な「世界観」の表現とみることもできる。人々の心によって受容されないものが歴史を超えて残り続けることはほほとんどありえない」

と言っています。伝説は神話より、もっと具体的な物語ですが、残り方としては同じでしょう。

そう考えると羽犬塚の伝説も、多くの野犬を殺してしまった事実は、そのままでは辛すぎるので、暴犬の話になってしまったり、豊臣秀吉の島津氏討伐という大きな歴史的な出来事に便乗して、愛犬の話に変わっていったという可能性もゼロではないのではないでしょうか。

そして、たとえば愛犬の死因についても、市のHPでは「その犬は、この地で病気にかかり死んでしまった」とありますが、羽犬塚小学校前の像の碑文には「この地で敵の矢にあたり死にました」とあります。

微妙な違いですが、物語の受け取り方が変わってきます。「病死」の方が、誰かを傷つけることは少ないのではないでしょうか。

このように現在でも物語は刻々と変化しています。良し悪しは別として、物語も生きているのだから時代とともに、人が望むように、変わっていくのは自然なことなのでしょう。

伝説に、「暴犬」と「愛犬」という一見矛盾するような2つの伝説が同時に伝わっていることも、心理学的な面から見たら、人間の心の葛藤をそのまま表しているような気がします。「野犬」と「鷹犬」の、あまりにも両極端な2つの犬の立場そのものが伝わった結果なのかもしれません。

個人的には、秀吉の羽が生えたように跳び回る愛犬の話に魅かれます。たぶん、ネットで初めて羽の生えた犬の像を見てしまったので、自分の中では、像と伝説がリンクして、最初にイメージが固まってしまったということなのでしょう。第一印象を崩すのはけっこう難しいのです。

とにかく史実はどうであれ、羽の生えた犬というユニークな動物を生み出した人々の発想に驚くし、面白いなぁと思うのです。この点が、一番「羽犬」というものに魅かれる理由です。

古くは鷹狩自体を「鷹犬」と呼んでいるケースも多くあるそうで、鷹狩では「鷹」と「犬」は切り離せないものだったようです。

空に飛び上がるような犬の像はまさに羽の生えた鳥と犬が合体したような姿です。「羽犬」はまさに「鷹犬」そのままではないかと思うのですが。
 
 
 
 
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