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2016/11/11

【愛犬物語 其の六十九〜七十】 熊本県熊本市 桜山神社と本妙寺雲晴院 小篠源三の愛犬虎(とら)の墓

161111_11_3(桜山神社 神風連の烈士123士の墓)

161111_12_3(桜山神社 義犬の墓)

161111_13_3(桜山神社 虎(とら)の墓)

161111_14_3(本妙寺雲晴院)

161111_15_3(本妙寺雲晴院 小篠四兄弟と「虎」の墓)


熊本県熊本市へ入りました。地震の爪痕は大きく、熊本城も一部を除いて、入城は規制されていました。

熊本市には、神風連の志士のひとり、小篠源三(おざさげんぞう)の愛犬「虎(とら)」の碑と墓があります。

「虎」の墓があるのは桜山神社の、神風連の烈士123士の墓です。

入口を入ってすぐ右側に「義犬の墓」とあったので、すぐわかりました。

墓石の前面には「義犬之墓」、裏面には「明治九年十一月十一日殉死」と刻まれています。

神風連の乱とは、1876年(明治9)に熊本市で起こった、明治政府に対する士族反乱のひとつで、敬神党の乱とも言われます。

2003年のアメリカ映画『ラストサムライ』(The Last Samurai )は、明治初頭の日本を舞台に、時代から取り残された侍たちの生き様を描いたものです。

「勝元」役を演じた渡辺謙さんの力強い姿が、今でも印象に残っています。

この映画はこの神風連の乱や、翌年に起こる西南戦争をモデルにしたそうです。

神風連は国粋保存を主張し、急激な文明開化を推進する明治政府の廃刀令や散髪令などの欧化政策を激しく非難して反対し、志士170人あまりが決起した乱です。

翌日鎮圧されて志士の多くが戦死あるいは自刃しました。小篠四兄弟も神風連に身を投じて出陣しましたが、敗戦後に四兄弟は自刃して果てました。

この時、四男の源三はまだ18歳でした。源三の愛犬「虎」は、源三の死を悲しんで墓前に座り続けて動かず、食餌を与えても何も食べず、ついに餓死してしまったそうです。

それで義犬(忠犬)としていっしょに葬られることになったわけです。

「小篠源三の義犬「虎」の墓は、欧米の教育法や思考法、とりわけ動物愛護思想の影響が一般民衆には及んでいない時代である維新期最後の犬塚として意義があろう」

と小佐々学氏は、「日本愛犬史」の中で書いています。
 
 
また市内から西へ行ったところにある本妙寺雲晴院にも小篠四兄弟と「虎」の墓があります。

雲晴院の本堂の裏側に、長男(一三)の墓、次男(彦四郎)の墓、三男(清四郎)と四男(源三)との合葬墓、「虎」の墓の4基が並んでいました。

四兄弟の3基の墓碑は全高約90cmで、正面には実名、裏面には自刃の日付、側面には辞世歌が刻まれています。

「虎」の墓碑は高さが約75cmの自然石で、前面に「殉死犬虎墓」とあります。(「日本愛犬史」参照)
 
 
 
 
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