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2016/11/13

【愛犬物語 其の七十五〜七十六】 京都府宮津市「犬の堂」と与謝野町「麻呂子親王の白犬」

161113_1(宮津市 「犬の堂の碑」)

161113_2(与謝野町 大虫神社)

161113_3(大虫神社 手前が昭和6年奉納、奥が明治19年奉納の犬像)

161113_4(大虫神社 鏡を掛けた昭和6年奉納の犬像)

161113_5(大虫神社 明治19年奉納の犬像)

161113_6(大虫神社 明治19年奉納の犬像)

161113_7(大虫神社 明治19年奉納の犬像)


京都府宮津市に「犬の堂の碑」があります。東が宮津湾に面した「与謝の荘」の近くです。

宮津市教育委員会が立てた看板の解説文を参考にすると、このような内容の話です。

延宝6年(1678年)時の宮津城主永井尚長(なおなが)によって建てられたもので、碑文は江戸の林春斎(羅山の子)の作です。(「天橋立」を日本三景のひとつに選んだ人)

昔、波路村戒岩寺が九世戸文殊堂を兼官していたころ、一匹の賢い犬が毎日両寺の間を往来して寺用をたしていました。ところが年老いてその犬が死んでしまったので、僧は犬を憐れんでここに堂を建てて弔い、犬の堂と呼びました。以来、年が経ち堂も壊れたので修復してこの碑を建てました。

賢い犬は昔からいました。千葉県匝瑳市の円静寺の「愛犬之墓」の犬も、そんな賢い犬でした。寺の用事で江戸に行った犬・・・。それと聖徳太子の愛犬「雪丸」も人間の言葉が分かって、お経まで唱えていたとか。

昭和の初期ころまでは、犬の買い物などあったようで(実際には見たことありませんが)、お金と必要なものを書いたメモを入れた買い物かごをくわえて、近所の商店にお使いに行く犬が漫画に出てきたりしていました。

お使いする犬は、珍しくなかったのかもしれません。

「与謝の荘」の背後の丘は「虎ヶ鼻」といい、宮津から文珠方面への通り道で、天橋立の眺望ポイントでもあったそうです。碑も昔は丘の上にありました。明治16年、道路改修にともなって海岸道路わきの現在地に移されました。

「犬の堂」という呼称は近世初頭には既にあって、細川時代(1580~1600)の記録類にも散見するそうです。「細川家記」によれば細川幽斎がここに小亭をいとなみ、犬の堂と名づけて、

   犬堂の 海渺々と ながむれば かすみは舟の 帆へかかるなり

と詠んだといい、その子忠興は慶長5年(1600年)12月、九州への途中、宮津を去るときに、ここを通って、

   立別れ まつに名残は をしけれど 思ひきれとの 天の橋立

と詠んだそうです。
 
 
 
もう一カ所は、与謝野町の大虫神社です。

ここには「麻呂子親王の鬼退治と白犬」伝説があります。

「犬~イヌ(7)  麻呂子親王の鬼退治と白犬」のHP、「丹後の歴史と伝説」のHPなどによると、伝説は次のようなものです。

「与謝郡河守荘三上山(現在の京都府与謝郡・大江山)に、栄胡、足軽(軽足?)、土熊(土蜘蛛)の三鬼が棲み、朝廷の命に服さず、人々を苦しめていた。
鬼賊征伐を命じられると、用明天皇の第三皇子、麻呂子親王(聖徳太子の異母兄弟)は、自ら薬師如来像を刻み、神徳の加護を祈願したのち、征伐に向かった。
丹後におもむく途中、額に鏡をつけた(一説には、首に鏡を掛けた)白い犬が現れて、親王にその鏡を献上し、鬼賊の住む岩窟までの道案内を申し出た。これこそ神仏のご加護と感じた麻呂子親王は、喜び勇んで進み、鬼の窟に着くや、栄胡、足軽の二鬼を首尾よく退治することが出来た。
しかし、土熊には逃げられてしまった。親王は、逃げた土熊を追って竹野郡の岩窟に至ったが、土熊の姿はかき消えてしまった。
このとき、白犬から献上された宝鏡を松の枝に掛けたところ、肉眼では見えない土熊の姿が歴然とその鏡に映ったのでこれも退治できた。
鬼賊征伐成功の後、麻呂子親王は、この宝鏡を、三上山(大江山)の麓の大虫神社に納めた。
大虫神社には、この白い犬が付けていた宝鏡が祀られていたが、火災で焼失してしまったという。
(参照資料:加悦町誌1974年12月など)」

大虫神社は幽玄な雰囲気の境内です。杉の古木が強烈な太陽の日差しを遮り、涼しいくらいです。

階段を上って行くと「麻呂子親王の鬼退治伝説」に因んで奉納された2対の狛犬があります。

一対は、首に鏡を掛けた阿吽の和犬像です。和犬というより、これは山犬(狼)だろうということです。奉納されたのは昭和6年(1931年)です。

拝殿寄りのもう一対も、鏡は付けていないものの伝説の犬に因んで奉納されたようです。

ただ鏡を付けた犬像よりも、形がデフォルメされているからなのか、現代的な造形に見えたので、てっきり新しいものだと思ったら、明治19年8月奉納とあります。こちらの方が古いと分かって、「へぇ〜」となりました。

とにかく、この丸っこい犬像が気に入って、写真を撮りまくりました。

とくに後姿。背中からお尻にかけての曲線はとても美しい。

顔のアップを撮ろうとしたら、右目にハエが止まって、まるで黒目のように見えるのは奇跡というもんでしょう。

なお、この伝説にも、いろんな推理があって、そのひとつは、「鬼」とは製鉄民族のことではないかというものです。

「麻呂子親王伝説」のHPによると、

「丹後には沢山のタタラ場がありました。鉱物資源と優れた技術を押さえることは、古代に於いても現代に於いても、戦略上極めて重要な事です。丹後の鬼と官軍との戦いは、丹後の地方勢力と大和朝廷の、鉱物資源争奪戦だったのです。」

「タタラ」と「白い犬」と聞くと、宮崎駿監督の『もののけ姫』をすぐ結びついてしまうのは、悪い癖かもしれません。

伝説にはこのHPのように、犬だけが自分で現れたのではなく、老人(神の化身)が差し出したものというバージョンもあります。

「その道中、戦勝祈願のため大社に立ち寄ると、伊勢の神の化身である老人がどこからともなく現れて、「この犬が道案内をいたします」と白い犬を差し出しました。」

犬の色が「白」という点が重要で、「白」は神性に結びついているようです。

「羽犬」のところでも書きましたが、神話や伝説や昔話というのは、人々のこころの奥底、深層心理を反映していると考えられます。
 
 
 
 
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