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2016/12/27

羽田圭介著『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』と、ドラマ『ウォーキングデッド』のゾンビ

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芥川賞作家の「又吉じゃない方の」羽田圭介氏が受賞後初めての作品を発表しました。

『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』というタイトルですが、日本にゾンビが現れたら?といった内容らしく(まだ読んでいませんが)、ちょっとだけTVで紹介されていて、それがちょうど今観ているテレビドラマの『ウォーキングデッド』と繋がるので、思いを書いてみようかと。

日本でゾンビが現れたら、怖がられるよりも、むしろ気持ち悪るがられるか、笑われるか、という羽田圭介氏の指摘は、まったく俺も同感です。

どうも、俺はだめですね。この「ゾンビ」という存在は。

ダメというのは、怖いとかいう意味ではなく、むしろ、笑ってしまうし、リアリティを感じないのです。気持ちは悪いけれど、怖くはないのです。

だからゾンビが出たとたんに、映画やドラマには、入り込めなくなってしまう。だったらなぜ、今『ウォーキングデッド』というゾンビ・ドラマを見ているかという理由は、あとで書くことにして、まず、どうしてゾンビにリアリティを感じないのでしょうか。

日本はだいぶ昔に土葬は行われなくなり、火葬になって、「死体」がそのまま存在している状況がなくなったことも関係していると思います。

火葬してしまうので、死体そのものがまずないし、それが生き返るという状況はありえないのです。

だから死体を伴わない、幽霊は怖いです。怖いのは「物」に対してではなく、「心」のありようなのです。幽霊を見るから怖いのではなくて、怖いから何でも幽霊に見えてしまうということでもあります。極端に言えば、「幽霊に見たいから見えてしまう」と言ってもいいかもしれません。

だから怖いものは、すごく文化に関わっていて、国や民族によって違ってきます。日本でならそれは幽霊、そして土葬の国ではゾンビ。

ゾンビは、死体です。動いてはいますが、もう死んでいます。死んでいるから「人間」ではありません。人間ではないから、ゾンビを殺しても罪悪感は生まれません。「ゾンビを殺す」という表現もおかしな話ですが。死んでいるものは、もう殺せないはずなのに。

そしてゾンビが出てきてしまうと、物語がすごく単純化してしまうということもあります。

でも、『ウォーキングデッド』を観続けているうちに、このドラマになぜ「ゾンビ」なのか、だんだん分かってきました。

宇宙人やエイリアンではなく、また、危険な猛獣でもなく、また、目に見えない細菌やウイルスで人が死ぬパンデミックでもない、ゾンビ。

ゾンビは、見た目が「怖そう」ですが、動きが緩慢です。走ったりできません。このスピードがちょうどいいという点。ヤラれそうになっても、ぎりぎり助かるスピードです。気を抜くとヤラれてしまいますが、いっしょうけんめいやれば、生き抜けるという、ちょうど良い「障害」になっています。

そういう「障害」がある世界で、どうやって生き抜くかというサバイバルドラマでもあるし、夫婦、親子、友人関係の人間ドラマにもなっています。一番怖いのは、人間でした。

ゾンビのほど良い「障害」にはまってしまったのです。
 
 
 
 
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