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2017/01/30

伝説は過去の遺物ではなく、刻々と変化する心の処方箋

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イメージの活用を目的に心理学を始めたのでしたが、「精神分析とユング心理学」を勉強していて、偶然なのですが、今回『愛犬物語』の原稿を書くにあたって、全国の犬像にまつわる伝説、神話が、残るべくして残ったという視点を与えてもらったのは良かったと思います。

犬の首が宙を飛び大蛇に嚙みついて殺したとか、犬が少女の身代わりで怪物と闘ったとか、これを「史実」と考えたら、単なる荒唐無稽な「嘘」になってしまいます。

ところが視点を変えて、この「嘘」こそが、人間の心が生み出した、何物かの表現であると考えるわけですね。「夢と似ている」と言えば納得してもらえるのではないでしょうか。俺たちが観ている夢も、覚醒時の現実世界では、「嘘」になってしまいますが、「夢は嘘だ」なんて言っても、まったく意味がないのと同じです。

伝説、神話は、夢と似ているのです。人間が共通して持っている集合的無意識の反映とも言えます。しかも、これはある時期から固定してしまった「化石」ではなく、今現在も刻々と変化している「生もの」だということがわかってきました。

伝説は過去の事実がそのまま伝わることもあるでしょうが、その話が地元の人にとって何か有益なことがあれば、尾ひれがついて、変わっていくということは考えられることです。反対に不利益があったら削られていくということも同様です。

心理学者・大場登著『精神分析とユング心理学』には、神話について、

「その国・その文化圏の人々の心が一致して「受け入れてきた」、その意味で個人を超えた、文化的、あるいは普遍的な「世界観」の表現とみることもできる。人々の心によって受容されないものが歴史を超えて残り続けることはほほとんどありえない」

と言っています。伝説は神話より、もっと具体的な物語ですが、残り方としては同じでしょう。

今も、刻々と伝説が変わっている現場を目撃しました。筑後市の「羽犬」の伝説のところでも書きましたが、伝説をしらべてみると、羽犬が死んだ原因が、「病死」と「弓で射られた」とふたつあったのです。

微妙な違いかもしれませんが、「病死」の方が加害者を作らず穏便に済むからかなぁと思うんですよね。物事にはかならず両面性があり、それをどっち側から見るかで、物語も変わってきます。

それと、こういうこともあります。最近は、桃太郎の「鬼退治」も「不公平で、可哀そうだ」との意見が出てきて物語が変わってきているという話も聞きます。

伝説が、別の話に突然変わったというようなこともあったようです。どうしてなんだろう?と思ったら、ちょうど今、高崎市のだるま市のことが話題になっていて、だるま市を開いていた少林山達磨寺と、業者の方でトラブルがあり、それと連動するように、市のHPから、今まで達磨寺に伝わっていた伝説が消え、「新説」に置き換わってしまったというのです。あぁ、こういうことで伝説がひっくり返されるんだなと妙に納得です。

だから「オリジナルの伝説」なんてないんでしょうね。伝説とは流動的なものなのではないでしょうか。

伝説は、化石のような過去の遺物ではけっしてないということ。伝説は刻々と変化して、必要な人にとっての、心の処方箋になっているのかもしれません。人間には物語が必要なようです。
 
 
 
 
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