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2017/03/21

石原慎太郎氏、証人喚問での「科学信仰」

160322(東京都庁展望台から西側の街並を望む)


百条委員会で、石原慎太郎元都知事の証人喚問が行われました。

「侍」とか「闘う」とか言っている割には、弱弱しい発言の連発でした。

最後に、文明論を持ち出すところは、さすが「作家」ですね。

科学は「安全」を担保すると盛んに言っているのですが、科学が万能かと言えば、科学も一種の信仰ではないのかと思うんですよね。

いろんな例がありますが、たとえば、19世紀前半、「骨相学」というのが欧米で大いに流行しました。頭蓋骨(アタマの形)で、人間の気質や精神といったものが判断できるという説です。

いまでは、何を馬鹿なと思うでしょうが、たぶんみんなまじめに信じていたんだと思います。「骨相学」は当時は最先端の「科学」だったのだから。

今もてはやされているDNAも、今は最先端の科学ですが、これだって将来どうかはわかりません。

人間は何かを信じないと生きていけません。「神」が死んだ現代では、代わりに「科学」を信じるしかないのかもしれません。

でも、豊洲の問題が難しいのは、この科学信仰さえ越えてしまっていることです。「安心」は、心の問題です。いくら科学を信じて「安全」だと言われても。

最近、豊洲の地下水問題だけがクローズアップされると、まるで「豊洲だけ」地下水に問題あるように感じる、というのも、科学信仰の弊害(錯覚)ではないかなとも思います。

たとえば、地下水が汚れてるのが、豊洲だけではなく、築地も汚れているし、さらに、都内すべての土地が汚れているとわかったならば、じゃぁ豊洲でもいいかとなるでしょう。もしかしたら、本当にそうなのかもしれないし。(「科学的」というなら、都内すべての土地の地下水との比較が必要なのでは?)

ところで、石原さんがさかんに言っていた「記憶にない」という表現は、作家としてはどうかなと思います。不正確ではないのでしょうか? 科学がそんなに大事ならば。

記憶に「ある」のか「ない」のかは石原さんにはわからないはず。(本人が「わからない」と言っていることを信じるならば) 正確に言うなら「思い出せない」でしょう。
 
 
 
 
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