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2017/07/17

【愛犬物語百景 其の百六十九~百七十】 東京都武蔵野市 狼伝説の「犬むすびの松広場」&中町三峰神社

170718_1(犬むすびの松広場)

170718_2(犬むすびの松広場のゴヨウマツ)

170718_3(玉川上水)

170718_4(旧三鷹橋)

170718_5(中町三峰神社)

170718_6(中町三峰神社)

170718_7(中町三峰神社)

170718_8(中町三峰神社)


JR吉祥寺駅を出て南に歩くと、そこは市民憩いの場所、井の頭公園です。江戸時代は3代将軍徳川家光が鷹狩をした森でもありました。ここを御犬が走り回ったのでしょう。

またこのあたりには狼の伝説も残っています。井の頭公園の森林は、昔の武蔵野の原野を少しだけほうふつとさせる場所です。昔は狼もいたんだろうなぁと想像させます。

公園から南に歩き、玉川上水にぶつかったら、それを遡る(三鷹駅方面)と、武蔵野市御殿山2丁目に、小さな公園(広場)があります。平成27年4月に開園した「犬むすびの松広場」です。

公園の解説看板には、

「江戸時代から厄除けの松と知られ、武蔵野市の民話に語り継がれてきた「犬むすびの松」(クロマツ・推定樹齢100年)が、平成元年、マツクイムシなどの被害を受け伐採されました。

伝承によると、近くの旧家の敷地内に当時「山犬」と呼ばれたオオカミの親子が住み着き、田畑を荒らすキツネやタヌキを退治することから、多くの農民から神様・厄除けとして崇められていました。

あるとき、そのオオカミが死んでしまったため玉川上水沿いの松の根元に葬りました。毎年命日の4月15日には握り飯(赤飯)を供え、「厄除けのお犬さまのおむすび」として農民や子供たちに配ったと伝えられています。麦や雑穀を主食にしていた地域の人たちにとって握り飯は大変なごちそうであったそうで、オオカミ信仰としてのこの習慣は昭和15年ごろまで続いたとされています。」

とあります。

「オオカミの親子」とありますが、伝説には「オオカミの夫婦」という別バージョンもあります。また、オオカミが死んだのは、野犬狩りにあったとされる伝説もあるようです。

武蔵野市役所で確認したところ、公園にはゴヨウマツが植えられていますが、看板にもあるように、オオカミが葬られたもともとの「犬松」は、ゴヨウマツではなくクロマツだったそうで、これがマツクイムシにやられてしまって、平成元年に伐採されてしまいました(その3年ほど前から枯れ始めていました)。

このオリジナルの「犬松」があった場所は、公園の150mほど上流、三鷹駅側にあったそうです。玉川上水の左岸です。

玉川上水は、承応2年(1653)年に江戸市中に飲料水を送るために43kmにわたって開削された水路です。

都会の真ん中の用水路というイメージとは違って、水面は木々に隠れて暗く、大きな木も生えています。樹齢100年の松がここに生えていても違和感はありません。

さらに進むと、JR三鷹駅に至り、ここに昭和32年(1957年)6月に架けられた旧三鷹橋の一部が保存されています。

ちなみに、これはオオカミ伝説と関係ないのですが、右岸には「玉鹿石」というものもあります。これは太宰を偲んで、故郷の青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を置いたもので、このあたりで、太宰は入水したそうです。

「犬むすびの松広場」から北へ、中央線のガードをくぐってさらに1kmほど行った交差点の近くに中町三峰神社が鎮座します。ビルと駐車場に囲まれ、交通量も多い神社です。

1対のお犬さま像が守っています。

それと、何でしょうか。社にお供えしてあった2つの石は。偶然そこにあったわけではなさそうだし、何か意味がありそうです。長さ10cmほどの石自体、普通の石ではないようにも感じました。

だれか、この石の意味を知っていたら教えてください。
 
 
 
 
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