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2018/02/03

【愛犬物語 其の二百二十八】 埼玉県加須市 長竹遺跡の縄文時代「犬形土製品」

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全国の犬像をめぐるようになって数年以上になるが、犬像のルーツはどこまでさかのぼれるのだろう?と考えた。埴輪に犬がいたというのは、おぼろげながら知っていた。それ以前の犬像はあるのだろうか?

そう思って調べてみると、縄文・弥生時代にも犬像はあったということがわかった。土で作ったものだが、埴輪犬と違って、用途は今のところわかっていない。

平成22年度から埼玉県加須市で発掘調査が行われている長竹遺跡からも、これまでに縄文時代・晩期(約3500〜3000年前)の動物形土製品が複数出土している。その中に犬形土製品もある。

遺物が展示されているのは熊谷市の埼玉県立埋蔵文化財センターだが、正面入り口にガラスケースがあって、縄文時代集落の絵の中に縄文犬像は立っていた。

犬像に一目惚れしたのは初めてだ。ちょこんと立っている姿にいっぺんで虜になってしまった。

頭から尾までは長さ7.3cm、足から耳の先端までの高さが4.9cm、、重さ40.5gの小さな土製品だ。立った耳と巻尾が特徴的で、目・鼻・口の表現はない。その代わり尾の付け根下に肛門のような穴がある。

それにしても、この造形感覚は何だろうか? 現代にも引けを取らないデフォルメと愛らしさの表現、そして左右対称ではなく、微妙に腰が曲がっているところなどは、当時の縄文人が犬をよく観察していた証拠だろう。

縄文時代の犬は、狩猟に使われ大事にされたようだ。優れた嗅覚と聴覚で人間をサポートしてくれる、狩猟には欠かせない伴侶だった。狩猟が盛んになる後期から晩期には丁寧に埋葬された例が多いという。

名古屋市の縄文時代・大曲輪遺跡から、犬を抱えた人骨が発見されている。犬好きだったら究極の葬られ方かもしれない。しかしよくよく考えてみると、人と犬、同時に死んだ確率は低く、そうなると、犬はいっしょに埋められたと考えられなくもないが。関係者に聞いたら、人骨と犬の骨が状態よく発見された事実はあるが、それがどういった意味を持つのか、たとえば、飼い主だったかとかは憶測になってしまうという。たしかにそうだ。想像の世界だ。

犬自体の埋葬例はどうだろうか。wiki「日本犬」によると、

愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡・夏島貝塚出土の骨が、放射性炭素を使った年代測定で、縄文時代早期末から前期初頭(7200~7300年前)の国内最古の埋葬犬と結論づけられた。(山崎京美「イヌ」『縄文時代の考古学5 なりわい 食料生産の技術』)

千葉県船橋市の藤原観音堂貝塚からは、縄文後期の犬骨が発掘された。これをもとに縄文犬の復元が試みられ、「飛丸」と名付けられた。「飛丸」は体高40センチメートルから42センチメートルの小型犬で立ち耳、巻き尾といった柴犬に似た特徴を持っていた。(山梨県立考古博物館(編) 『縄文時代の暮らし 山の民と海の民』)

長竹遺跡の犬形土製品の特徴と符合しているようだ。

長竹遺跡はスーパー堤防造成に伴って発見された。現在の地図で見ると、利根川河畔だが、今のように川に土手もないし、流れも変わっただろうから、縄文時代後晩期、遺跡が川に面していたかはわからないが、4~6kmごとに集落が点在していたのではないかという。

犬型土製品は、「包含層」という遺物を含んだ土の層から出土したそうで、遺構などもないところなので、犬像が(置かれた)あったところが、当時どういった場所かもわからない。どんな目的で作られたかもわからない。

すべてがわからないので、想像するしかないのだが、しかし、素人にとってはこれがむしろ想像できる自由があるので、楽しいとも言える。縄文人にはなれないが、犬の像から、犬との関わりを感じ取ってみたい。

中学時代、近くの山際に発掘調査済みの縄文時代の遺跡があって、矢じりや縄文土器の破片を拾うことができた。今もその「コレクション」を持っているが、子ども心にも、その遺物を手に取ったとき、当時の人間も同じように触っていたことを想像すると、遺物は、文字ではないが心や思いを伝える、ある意味手紙なんだと思ってぞくぞくっとした。

この犬形土製品も、縄文人の犬に対する愛情が感じられる手紙になっている。

動かしたり置いたりして遊ぶ玩具だったのだろうか。呪術的な道具、安産のお守りなどということも考えられる。

それともアート作品だったのだろうか。多種多様なスケール感の面白さを追求するBIG ART、SMALL ARTというのがある。実物より、大きかったり、小さかったりするだけで、面白さを感じるのだ。特に小さいものに対しては、可愛らしさや、「守ってあげたい」的な母性本能をくすぐられる。

現代でも、ジオラマなど眺めているだけで楽しくなるし、心理臨床の分野では箱庭療法として、砂場にミニチュアの人形や動物を置いて表現することで、精神的な安定や安らぎを得る、ということも行われている。

これはミニチュア玩具、フィギュアのルーツ、そして日本の(というものの、当時は「日本」ではなかったが)犬像のルーツのひとつと言っていいのかもしれない。

発掘に関わった研究者によると、これは玩具でははなく、宗教的な祭祀に使われたと考える方が自然ではないかという。古墳時代の埴輪犬のように、何か儀式のときに置いたりしたのではないか。どこに置いて何をしたのかはわかっていないが、少なくとも、犬が用いられたのは身近にいた存在だった、犬を大事にしていたことは間違いないのだ。

犬形土製品は、埼玉県志木市の西原大塚遺跡からも出土しているが、こちらは弥生時代の犬像。正確には「犬」と確定していないので「動物形土製品」と呼んでいる。

 
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