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2018/06/09

【愛犬物語 其の二百七十九】 長崎県雲仙市 名犬矢間の墓

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雲仙岳のふもと、カトリック雲仙教会のあたりを「札の原」という。国道57号線から教会へと続く脇道へ入ると斜面に高さ1mほどの自然石があり、その上に名犬矢間(やま)の墓はあった。

墓石中央に矢間の姿がレリーフされている。表面には苔が生え、損傷は激しいが、目、耳、手足、尻尾の部分は良く残っている。「天明七年十一月二四日、札之原、名犬矢間墓」の文字が刻まれている。

この名犬矢間は、雲仙の湯太夫(湯元)加藤小左衛門の愛犬だった。小左衛門は、今も湯元ホテル(1821年に屋号を湯本から湯元に変更)を代々経営する加藤家の先祖だ。

ホテルの会長 加藤宗俊さんと奥さんで女将の由美さんから話を伺った。宗俊さんは小左衛門から数えて15代目に当たる人物だ。

矢間の話を宗俊さんの母・敏子さんが書いた『風 雲仙ロマン』を参考に要約する。
 
 
矢間は、五代目の加藤小左衛門正時の飼い犬で、12キロ離れた南島原市北有馬町矢櫃の親戚八木家との間を往復したお使い犬だった。

「矢間、お使いに行ってきておくれ」と言われ、主人から手紙を風呂敷に包んで首に巻き付けてもらうと、「ワン」と一声吠えて山道を走っていった。

八木家では好きな御馳走をもらい、しばらく昼寝をして、返事の手紙を風呂敷に包み首に結わえてもらって雲仙に帰って来るのだった。

ある日、矢間は八木家の五歳になる娘の上枝(ほずえ)がカラス蛇に睨まれているのをみつけ、吠えながら蛇に飛び掛かっていった。蛇は草むらに逃げていった。上枝は泣きながら矢間にしがみついた。八木家の当主は、上枝が矢間に助けられたことを感謝して手紙に書き添えた。

あるどんよりと曇った日、小左衛門正時は、法要の打ち合わせのために手紙を書き、黄色の風呂敷に包んで「矢間、八木家に行ってきておくれ」と首に巻き付けようとした。しかしどうしたことか、この日に限ってなかなか風呂敷を結ばせなかったが、甘えるように主人の目を見つめ、元気に走っていった。

矢間が雲仙の札の原で近所の住民に発見されたときにはすでに死んでいた。首の風呂敷もなくなっていた。

おそらく、八木家からの帰途、ここで風呂敷包みを奪い取ろうとした盗賊に襲われ、頭と腹に傷を受けて死んでしまったのだろう。

知らせを聞いて、小左衛門正時をはじめ、湯本の人たちも駆けつけた。みな口々に「矢間、矢間」と言って哀しんだ。矢間の亡骸は、札の原に丁寧に葬られた。
 
 
雲仙湯元ホテルでは、立ち寄り湯もやっている。露天風呂は乳白色のいい温泉だった。硫黄の成分が濃いので、古い角質を取り除き、しみや吹き出物を改善してくれる効能があるそうだ。「美肌の湯」とも称される所以だ。

湯につかりながら、矢間がいた当時を想像してみる。

全国でも史実の犬の墓は多くないが、これは犬の名、飼い主の名、碑の建立年月日が明確なので、貴重な史跡でもある。

1787年(天明7年)建立だから、1650年(慶安3年)の長崎県大村市本経寺にある義犬華丸の墓に次ぐ、日本で2番目に古い史実の犬の墓になるようだ。

なお、犬像にこだわれば、福島県須賀川市の「代参犬シロ」の像は「寛政のころ」とあるので1789年から1801年に作られたもの。だから名前を持った特定の犬の像としては、今わかっているところでは、日本で一番古いものになるということに気が付いた。

矢間の像はそういう意味で、特別な像でもあるんだなぁと、温泉ですべすべになった肌を撫でながらしみじみ思った。
 
 
 
 
 
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