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2018/07/21

【愛犬物語 其の二百八十八】 鳥取県鳥取市 国分寺の犬塚と浜坂犬塚

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鳥取市の国分寺の犬塚についてはネットで知りました。犬像の情報はありませんでしたが、せっかく近くを通るので軽い気持ちで訪ねたのでした。

ここには奈良・平安時代に因幡国を治めていた役所の跡、因幡国庁跡(国指定史跡)があります。東西150m、南北200mの規模で、正殿跡なども発見されています。

ところで、肝心の犬塚の場所がわからず、近くの因幡万葉歴史館を訪ねたところ、学芸員の方から詳しい情報を得ることができました。

俺が犬像にこだわって訪ねていることを話すと、「犬の像ならここにあります」という。なんと資料館の庭園に、この伝承をモチーフにした石像があったのです。がぜん興味がわきました。

犬像は、伝承を多くの人に知ってもらうために1994年の開館に合わせて制作されたもの。子連れの犬像になっていますが、伝承には「母犬」や「子連れ」としたものはないので、アレンジした姿のようです。

因幡国庁跡の南数百メートルのところに犬塚の石碑はありました。横に立っている解説看板によると、これは哀れな犬の伝承でした。解説文を要約すると、

奈良時代に、因幡国の国分寺と国分尼寺の両寺にどちらにともなく飼われていた一匹の犬がいて、朝晩の食事どきに鳴らす鐘の早い方へ行っては残りものの飯を食べていた。
ある時、両寺の坊さんと尼さんが示し合わせて同時に鐘を鳴らしたところ、犬は国分寺に行こうか、尼寺に行こうか迷って、ついに両寺の中間で倒れて死んでしまった。哀れに想った坊さんや尼さんたちは、塚を造って犬を葬ってやったそうである。
その後、塚は荒れて弔う人もなくなってしまった。江戸時代になって法花寺の大庄屋福田彦左衛門が再び塚を造り、「犬塚」という石碑を建てて供養した。

国分寺と法花寺(国分尼寺)は、直線距離で600mくらい離れていて、犬塚はこの国分寺と法花寺の中間に位置しています。

犬は困ったのでしょうか? 両方に可愛がられていて、どちらかを選べず、ついに倒れてしまったというのです。

このあたりの犬の苦悩(?)について、1795年(寛政7年)の『因幡史』には「中途彼方此方と往返して狂い悶へけるにや遂に死しけるに」とあります。

ほかにも一カ所、犬塚を教えてもらって訪ねました。鳥取市内の犬橋のたもとに「浜坂犬塚」という石碑がありました。解説文を要約すると、

昔、浜坂の農民が旅人の難儀を見かねて、一本橋を大きな橋にかけ替えたいと考えた。そこで、橋建設の勧募趣意書の木札と竹筒を自分の飼犬の首につけて放した。旅人や村人が竹筒に銭をいれ、こうして集まった募金で新しい橋が建設され、旅人の難儀を救ったという。
この犬が死ぬと村人は、橋の近くに墓を造り犬塚として祀り、また、この橋を「犬橋」と呼びようになったという。

この話を聞いて、タイの首都バンコクでのことを思い出しました。今から20年以上前のことですが、繁華街の歩道橋に物乞いの犬がいたのです。隣には人間の物乞い(もしかしたら飼い主か?)もいたのに、通行人は、お金を入れてもらうカップを前に、お座りしている犬の物乞いの方にお金を入れていました。正直言うと、俺もついお金を入れてしまった口です。

もちろん、犬はうなだれるような恰好でお座りすることを教えられていて、カップのお金も結局は人間の手に渡ることはわかってはいても、犬の物乞いという意表を突く手法に通行人はみんな乗せられていたのでした。

『因幡史』にも「行人之を奇とし人々一文銭を彼の筒中に投せしに」とあります。やはり珍しくてついお金を出したのは、昔の人々も同じだったようです。

犬の物乞いは良い例ではないかもしれませんが、人間がやるよりも犬がやることで、自然と物事が進んでいくような魅力がやはり犬という動物にはあるようです。

一方で、国分寺の犬の例もそうですが、犬は人の命令に従順なところがあり、そこを、良いようにも悪いようにも、人間が利用してしまうという面もあるということでしょう。

救われるのは、伝承の坊さんや尼さんたちは、そのことを反省して犬を丁寧に葬っていることではないでしょうか。
 
 
 
 
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2018/07/20

【愛犬物語 其の二百八十七】 鳥取県三朝町 三朝温泉の白狼伝説

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三朝温泉公式サイトには、温泉の由来が載っています。

「三朝温泉の由来は、およそ八百五十年以上も昔のこと。大久保左馬之祐というお侍さんが、年老いた白い狼に出会い、一度は弓で射ようとしますが、思いとどまり見逃してあげることに。その夜、左馬之祐の夢に妙見大菩薩が現れて、白い狼を助けたお礼に温泉の場所を教えてくれたのです。以後、救いのお湯として、村人たちの病を治したと伝わります。」

三朝温泉の起源でもある「株湯」は温泉街の東にあり、別名「元湯」とも呼ばれています。ここが三朝温泉の歴史の始まりで、伝説の白狼像が建っています。

また、温泉街から約1.5km、山の中には白狼神社が鎮座します。三朝町遊歩道駐車場から階段を上っていくと社と碑が見えてきます。

「白狼神社と碑」には、

「三朝温泉の発祥伝説によれば、長寛二年(1164)のこと、白狼が温泉の所在を教えたことに始まるといわれる。大正五年ラジウムの含有量世界一と発表されて以来、温泉街は急激な発展をたどって今日に至った。よっ白狼に報いるため、小祠を建てて祀り、また温泉の由来を刻んで白狼碑を建立し、長くその徳を偲んでいる。」

と、あります。
 
 
 
 
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2018/07/16

『犬像をたずね歩く  あんな犬、こんな犬32話』 カバー決まりました

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書籍のカバーができました。デザイナーさん、ありがとうございます。

前著のカバーは、日本地図上に犬像の切り抜きを数点置いたデザインでしたが、今回は、この犬像1点で代表させています。(裏表紙には、別な犬像が数点入っていますが)

これは、明恵上人ゆかりの犬像です。オリジナルは明恵上人終焉の地、京都の高山寺にある明恵の愛した子犬の像です。それを模した像が明恵上人生誕の地・和歌山県有田川町の明恵大橋の欄干に置かれています。

明恵上人は、個人的に興味を持っていた坊さんなので、明恵上人の犬像があると分かった時は、絶対これを次回の書籍に載せようと決めていました。

明恵上人は生涯自分の夢をつづって『夢記』を著した人です。夢に興味がない人には、「それがどうした?」というだけでしょうが、俺も夢日記をつけているので、親近感を覚えるのです。

ところで書籍には、1話として、とうぜんこの明恵上人の犬像が出てきますが、例によって1話を数点の写真と文章で構成しています。最後まで、高山寺のオリジナルの犬像の写真を使うべきか否か迷いましたが、結局いろいろあって使わないことにしました。(オリジナルの犬像はネット検索すればすぐ出てきます)

ところで、この写真を撮影したのは、2月だったと思いますが、快晴で、けっこう暑かった日です。犬像全般に言えることですが、外に置かれている犬像は鳥の止まり木に使われていて、鳥の糞で汚れていることもあります。

この犬像もそうでした。だからまず、雑巾できれいにしてから撮影しました。暑かったので、水がすぐに蒸発してくれたのはよかったですね。よく見ると、完全にはきれいになっていませんが、その汚れをあえて残したほうが、「この犬像がここにある理由」がはっきり見えてくるのではないかなと考えています。
 
 
 
 
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2018/07/15

タイ13人が奇跡の生還で注目される瞑想(マインドフルネス)

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タイ北部チェンライ県、13人が洞窟から奇跡の生還で、発見されるまで彼らは瞑想して時間を過ごしていたそうです。

瞑想していると、邪念は払われ、空腹感や体力の消耗も抑えられたということが、生還につながったとの報道もあります。

瞑想はマインドフルネスとは必ずしもイコールではありませんが、西洋風に言えば、マインドフルネスという最近はやりの言葉になるのでしょう。

「マインドフルネス」とは「一切の評価や判断を挟まない気づき」のこと。「今この瞬間」に意識を集中することで、過去の失敗や将来への不安がもたらすネガティブな感情に気づき、それらと距離を置き、やり過ごすことができるようにするストレス低減法で、自分でもやれる方法です。

心理学を学ぶ中で、認知行動療法の中に、このマインドフルネスが出てきます。「認知行動療法」の教科書には、

「不適切な思考の変化を強調せず、非判断的で、受容的な注意の配り方を習得できるように援助するもの。…(略)…習慣的となって凝り固まっていた不適切な認知から自由になることが目指される」

とあります。

認知行動療法の第3世代と言われるもので、「禅」や「仏教」にも通じるところがあります。瞑想法が取り入れられて、マインドフルネス認知行動療法に発展したものです。より東洋思想に近づいたそうです。

日本でも去年の12月から従業員50人以上の事業所ではストレスチェックが義務つけられました。

それもあって、この新しい認知行動療法の「マインドフルネス」も注目されているようです。グーグル、アップルなどアメリカのIT企業も研修プログラムに採用しているものです。

俺も最近は呼吸を意識するようになりました。短い時間で吸って、長い時間をかけて息を吐くことが基本です。

空気が鼻孔を通るときの感覚、吐き出したときの唇内側の感覚など、「今この瞬間」を意識することで、考えなくてもいいことを意識から排除します。

まだ俺のマインドフルネスは発展途上なので、まだまだ過去の後悔や将来の不安からは解放されません。前よりは、マシかなぁという程度ですが。
 
 
 
 
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2018/07/13

【愛犬物語 其の二百八十六】  鳥取県倉吉市 大岳院「南総里見八犬伝」ゆかりの犬像

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鳥取県倉吉市の観光スポット赤瓦土蔵群の近くに大岳院があります。

ここは『南総里見八犬伝』のモデルといわれる安房国(千葉県)館山城最後の城主・里見安房守忠義公と8人の家臣の供養塔があるお寺です。

墓は鐘楼門を入ってすぐ右手にあります。そして境内にはかわいらしい子犬像が8体置かれています。

元和8(1622)年、忠義公は29歳で病死し、3ヶ月後、家臣8人も殉死したという。

忠義の法名は「雲晴院殿心叟賢凉大居士」で、殉死した8人の法名にもすべて「賢」の字を与えられ、彼らは「八賢士」と呼ばれるようになりました。

曲亭馬琴(滝沢馬琴)作『南総里見八犬伝』は、この里見家断絶と家臣たちがモデルとなったのではないかといわれているそうです。
 
 
 
 
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2018/07/11

【愛犬物語 其の二百八十五】 鳥取県鳥取市 鷲峯神社の狆形狛犬

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鳥取県鳥取市の鷲峯神社に置かれている狛犬が、最近かわいいと評判ですが、この犬像が狆を象ったものではないかと言われています。

台座を含まない犬像自体の高さは「あ形」は100.5cm、「うん形」は102cmあります。

幕末に活躍した名石工・川六の作です。
 
 
 
 
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2018/07/10

『犬像をたずね歩く あんな犬、こんな犬32話』 ただいま校正中

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写真も組み込んだゲラがあがってきて、今、写真のキャプション書きと、文章の再チェックをしています。

いよいよほんの全貌が見えてきました。前著より10ページ多いページ数です。

予定では今月末が校了となりそうです。なので、出版は8月中旬から下旬にかけてになりそうです。
 
 
 
 
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2018/07/09

【愛犬物語 其の二百八十四】 島根県松江市 売豆紀神社の子宝いぬ

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島根県松江市・売豆紀神社には「子宝いぬ」がいます。

自分の干支の前に立って、親子の犬像を撫でて、安産・無事成長・子授けを祈念するそうです。

またここには銀紙が貼られた珍しい唐獅子燈籠が立っています。

四頭の唐獅子 ( 狛犬 ) が支える燈籠は、古くから、病気や災いに霊験あらたかであると伝えられています。

祈願する時には銀紙を貼り、成就した時には金紙を貼って感謝する習わしだそうです。
 
 
 
 
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2018/07/08

【愛犬物語 其の二百八十三】 島根県松江市 石宮神社の犬と猪が石になった伝説

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松江市宍道町にある石宮神社には、大国主命が犬とともに猪を追いかけたとき、犬と猪が石になったという伝説が伝わっています。

猪(しし)の道を意味する「宍道(ししぢ)」と呼ぶようになったのが地名の由来になったとか。

鳥居の両脇にあるのが「猪石」で、拝殿の後ろ、石の柵で囲われた2メートルほどの巨石が、ご神体の「犬石」。

形は、まったく犬にも猪にも見えませんが。

だれもいない静かな神社です。拝殿の正面が狭くて、崖になって道路に面しています。だからむしろ後ろの方が正面のようにも思えてきます。

ところで、近くにある「女夫岩」が「猪石」と比定される説もあるそうです。
 
 
 
 
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2018/07/07

オウムの死刑囚たちの死刑が執行

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麻原彰晃らオウムの死刑囚たちの死刑が執行されました。

突然、という印象がありますが、当局も熟慮した結果、「7人同時にこの日に」というふうになったのだと想像します。

なにしろ、麻原は黙して語らず、こういった事件の再発防止の手がかりを残さなかったところが、歯がゆいところです。

彼らはもともと「極悪非道な人間」なのでしょうか? そうではないでしょう。むしろ「普通の人間」だったはずです。

だから逆に怖いのです。「普通の人間」がある条件で変わってしまうというのは。

俺も他人事だとは思いません。年代も近く、実際、ある教団(オウムだったか覚えていませんが)の誘いで、事務所のようなところでビデオを見せられたことが2回あります。幸い、その時、俺の頭の中は「外国旅行したい」という思いが強く、この教団との関係もそれっきりで助かったのでしたが。

こんなことがあったので、俺も少しでも変な方向に転んだら、彼らと同じようなことにならなかったとは言えません。

どうしてこういったカルト教団や、最近では、ISなどのテロ集団に入ってしまうのでしょうか。

当然その人の内面の問題があります。

内面の問題とは、「普通」から外れた人のこころを受け入れてくれる「もの」あるいは「場所」あるいは「団体」あるいは「つながり」という解決策がないことです。

「どうしてISへ行こうとするのかわからない」という言葉は、俺の耳にも違和感がありました。これが一般日本人の感覚なんでしょう。この言葉の中には「この幸せな日本に住んでいるのに何が不満なのだ?」という裏の意味を感じます。

オウムの幹部も高学歴で、どうしてオウムなんかに?と思われていました。

ここです。問題は。

今の社会について疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的多数派の人々。

むしろこの多数派の人間が本当は病的で、社会になじめない少数派の人間がまともにさえ見える社会です。そして「平和で、自由で、安全で、平等な国」というのも、しょせんは「他人の理想郷」であるし、また、建前(もっと言うなら「嘘」)であることをみんな薄々感じながらも、それを意識してしまうと生き辛くなるので、無意識に押し込めているというのが現状ではないでしょうか? だから圧倒的多数派と言っても、いつでも少数派になりえるということでもあり、結局みんな同じです。

こういう建前社会に、ついていけない人は正直なのかもしれません。建前社会になじめない少数派の人間の方が、本当はまともな人間なのではないかとさえ見えてしまうのです。

とにかく、今の社会に生き辛さを感じる少数派の人は、なかなか行き場所がありません。この内面の問題を解決しない限り、若者(若者ばかりではないですが)が、ISやオウムなどカルト集団に向かってしまう怖れは続きます。

この「内面の問題解決」こそ、これからの「テロとの戦い」でもあるのでしょう。
 

 
 
 
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2018/07/05

【愛犬物語 其の二百八十二】 島根県浜田市 畳ケ浦の犬島・猫島

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トンネルを抜けると千畳敷が広がる別世界でした。

島根県浜田市の石見畳ヶ浦は国の天然記念物に指定され、1600万年前の地層に多くの貝の化石や「ノジュール」と呼ばれる腰かけ状の丸い奇岩が並んでいます。

車は通れない狭いトンネルを行くしかないのですが、これがけっこう舞台装置としては優れているのではないかと思いました。

というのも、理想郷という意味で使われる「桃源郷」という言葉がありますが、中国の詩人 陶淵明の『桃花源記』が元になっていて、ある漁師が川をさかのぼり、狭い洞窟を抜けると、そこには戦乱を逃れた平和な暮らしの村があったという話です。

桃源郷に至るには、狭いところを抜けて行ったり、死ぬような思いをしてたどり着くというのが相場のようですが、まさに、この畳ヶ浦で似た感覚を味わえます。

しかも、途中に波の浸食によってできた洞窟があり、彼岸を感じさせる地蔵菩薩が置かれた賽の河原と呼ばれる場所まであってますます異界へ向かうにふさわしい。

石見畳ヶ浦の犬島・猫島には伝説があります。(資料館のパネルより)

昔、聖武天皇の命により国分寺(五重塔)が建立された。立派な塔だったので、その甍の影が、唐土(中国)まで達した。そのため日当たりが悪くなり、農耕に害を与えた。そこで唐土より一匹の赤猫が国分寺の焼き払いをねらって渡海した。それを知った日本の忠犬が、その猫をみつけ、かみ殺そうとした。猫は逃げ海中に飛び込んだ。犬もあとに続いた。
その様子を見ていた神様は、五重塔を小さくし、猫と犬がいつまでも仲良くするよう猫島・犬島とした。

犬が猫を追いかけて岩(島)になったという伝説は、先日アップした北海道の「セタカムイ岩」の伝説と似ています。あくまでも、犬は、人間を助ける忠犬として登場します。

また、面白いと思ったのは、「甍の影」ではなくて、もうひとつ、参拝者が多く来たので、その線香の煙が唐土に達して迷惑した、という説もあるそうです。まるでPM2.5が飛来して迷惑している話の逆バージョンです。

ここの地名が「唐鐘」といって、昔、中国から渡ってきて住み着いたのではないかとか、この伝説との関連も想像されますが、資料がないので、わからないとのことです。

国分寺はすでにありませんが(現在は金蔵寺)、国分寺跡の碑が建っています。その100mほど離れたところには、こんもりとした小山があって、平安時代に国分寺の瓦を焼いた窯の跡・石見国分寺瓦窯跡も残っていました。

地質学的にも貴重な景観の中、石見の歴史を語る上で重要な地域で、時空をさかのぼるような旅ができます。国分寺という史実と、犬島・猫島という伝説が混然一体となった、旅としては理想的な、まさに桃源郷ともいえる場所ではないでしょうか。

ひとつだけ違っていることがあるとすれば、『桃花源記』では、漁師が役人を連れて再びその理想郷を探したが、ついに発見できませんでいた。でも、ここはいつでも何度でも訪ねることができる開かれた桃源郷だ、ということでしょう。
 
 
 
 
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2018/07/03

【愛犬物語 其の二百八十一】 熊本県熊本市 光琳寺通りの犬像

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犬像をめぐる旅は、今年西日本から始めて、5月は北海道まで行きましたが、まだ西日本の分が残っているので、時間はさかのぼりますが、それを少しづつアップしていきます。

熊本市の光琳寺通りに犬像があるとのネット情報を得て、熊本城を訪ねたついでにその犬像を探してみました。

市役所の駐車場にいったん車を停めて、表に出たら、市役所前に案内地図があり、そこに光琳寺通りが書いてありました。

犬像は、繁華街というか、歓楽街にある馬肉の店の前に、堂々と座っていました。

通りで掃除をしていたおばあさんたちに、寺のことを聞いたら、昭和40年代、おばあさんがここに来た時には、すでに寺はなかったという。通りの名前だけが残っています。

像の台座に記されている「光琳寺通りのお話」によると、こんな話です。

昔、光琳寺(高琳寺)というお寺があった。寛永十六年、肥後細川藩初代・細川忠利公が没し、殉死が相次いだ。

犬曳き役だった津崎五助は、犬を連れて寺に行き、犬の前に握り飯を置き、「自分と一緒に殉死したければ食べるな。野良犬になっても生きたければ食べよ」と言った。犬は食べようとしなかった。そこで互助は五助と一緒に殉死したという。

津崎家歴代の墓は、光琳寺にあり、天保十一年津崎家六代目の当主がこの犬のために霊犬の墓を建てた。

また、夏目漱石は熊本に赴任してこの寺の裏に住んだという。

涼しさや 裏は鐘打つ 光琳寺

の句を残しているそうです。

ただ、市役所にも聞いてみましたが、こんな像があること自体、把握されていないようで、これ以上の詳しい情報は得られませんでした。なので、今回の『犬像』の本には入れることができませんでした。

ここからは想像というか、連想してしまうのですが…

この犬像といい、以前にアップした松浦市の「人柱観音供養塔と白犬」、大村市の「義犬華丸」など、物語には「殉死」「主人と死ぬ」というキーワードが出てきます。

この範囲と、先日世界遺産に登録された「潜伏キリシタン関連遺産」の範囲が重なっているように感じるのです。もちろん時代もばらばらなので、偶然なのでしょう。でも、犬の物語に潜伏キリシタンの話の影響はないのでしょうか。気になります。
 
 
 
 
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2018/07/02

今日は、二十四節気「夏至」、七十二候「半夏生(はんげしょうず)」

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今日7月2日から、二十四節気「夏至」の末候「半夏生(はんげしょうず)」です。

略本暦(日本)での意味は、「サトイモ科である半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃」だそうです。ということは、このドクダミ科である「半夏生(カタシログサ)」のことではないのでしょうか?

むしろ「半夏生(カタシログサ)」は、半夏生のころに咲くから「半夏生」と呼ばれるようになったというふうに解釈できそうですが、この解釈でいいのでしょうか。もし知っている方がいたら教えてください。

葉の裏側は緑色していて、白いのは上だけ。だから「半化粧」と呼ばれるという説もあります。

白く変色するのは虫をおびき寄せるためのもの。たいていの植物は、もちろん人間に癒しを与えたり生活に潤いを与えるためではなく、虫を呼び寄せるために様々な色を使った生き残り作戦ですが、その中には、人間には見えない紫外線もあります。
 
 
 
 
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2018/07/01

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録

_87a3651(大浦天主堂)

Img_6064(大浦天主堂)

_87a3822(出津教会堂)

140926_1(崎津協会)

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_87a4092(安満岳北麓の山野教会)

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先月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、国際記念物遺跡会議(イコモス)によって「登録が適当」とユネスコに勧告されたニュースはすでに書きましたが、6月30日、中東バーレーンで開催のユネスコ第42回世界遺産委員会でで正式に世界文化遺産に登録されました。

これで、日本国内の世界遺産は、昨年登録された「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」に続き22件目になります。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素は12カ所ありますが、その中で次の5カ所を訪ねています。

大浦天主堂: ゴシック調の国内現存最古の教会堂

外海の出津集落: ド・ロ神父が私財を投じて建てた出津教会堂

天草の﨑津集落: 潜伏キリシタンがカトリックに復活した地、畳敷きの崎津教会

平戸島の聖地と集落(春日集落と安満岳): 潜伏キリシタンの様相をとどめる集落

原城跡: 島原・天草一揆の舞台
 
 
そしてたまたま偶然なのですが、今年連載中の「旅するヴィーノ」7月号は、この崎津教会でした。ヴィーノは、やっぱり、もってるなぁ。

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