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2019/05/28

エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』

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2019/2/19に出版された、エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳の『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』を読みました。

エリ・H・ラディンガーは、女性弁護士から転身してオオカミの保護活動を行い、講演会・セミナーなどで「オオカミと自然や生態系についての知識」を広めている異色の作家だそうです。

彼女の「 転身」の理由そのものが、この本のテーマと言ってもいいのかもしれません。

 犬の家畜化についてはいろんな説がありますが、これは、さすがに女性の目からみた説だなぁと思います。

「オオカミを社会化するために、つまり、最初から人間に慣れさせるために、赤ちゃんを早期に母親から離す必要がある。私たち職員は赤ちゃんの乳母であり、哺乳瓶でミルクを与え、毛づくろいや添い寝をして、数週間後に家族のもとに戻す。これは家畜化ではなく(家畜化は数万年を要するプロセス)早期感化であり、こうして育ったオオカミの大人は人間を怖がることはない。(略)
 はるか昔に人間の男がこのようにしてオオカミの赤ちゃんを感化したということは考えられない。なぜなら、ミルクを与えることがそこに含まれるが、家畜のいない時代は女性の乳しかなかったからだ(牛・羊・山羊・豚の家畜化は、オオカミより遅い)。つまり大昔のある日、ある女性がオオカミの赤ちゃんを抱いて母乳を与えたということになる。母乳が余っていたのか、それとも見捨てられた無力なオオカミの赤ちゃんをかわいそうに思ったのか。何も予期せずに人類に革命をもたらしたことになる。というのも、オオカミに続いて有用動物が家畜化され、狩猟から牧畜へと移行することになったから。こうして歴史は新しい針路をとった。」

といいます。さらにこう続けるのですが、

「もしかすると、進化における特別な役割のことがいまも記憶に残っているため、私たち女性はオオカミに親近感を抱くのかもしれない。」

ちょっとここは「女性」であることを強調しすぎの感があります。女性だけがオオカミに親近感を持っているわけではないでしょうし。

まぁ違った見方は何事にも大切です。結局は「説」でしかないわけですが。犬がオオカミから家畜化されたストーリーは、証明のしようがありません。だから、我々素人が勝手に想像することも自由です。

ところで、この本で一番共感できたところは次の箇所です。

「オオカミは家族がいなくなると悲しむ。だれかが死んだり姿を消したりすると、困惑して捜索する。攻撃的になることもあり、嘆きをこめて遠吠えをくり返す。でも、やがては振り払い、立ち上がってそれまでの営みを続ける。生活のリズムに従って獲物を狩り、食べ、生殖し、家族の面倒をみる。自然界のあらゆる生物がするように、いま、ここに生きていることを祝う。この能力を失ったのは人間だけではないだろうか。将来のことを思い煩い、過去に埋もれて生活している。もっと現在を生きればいいのに。動物たちからそれを学べるので、一歩さがって観察すればいい。彼らをあるがままにさせ、彼らから学び、いっしょに成長する。」

そうだよなぁと、ここに共感しました。

犬恐怖症だった俺が、ヴィーノと出会い、ヴィーノと暮らすようになって思ったことは、どうしてヴィーノはこんなにふてぶてしいくらい自信に満ち溢れているのだろうか、という感覚でした。この自信はどこから来るんだろうと、ずっと考えてきました。

そして彼女が言っているようなことを俺も感じ始めているのです。

人間の不幸は、過去と未来に縛られることです。先日も少し触れましたが、犬は、いや、オオカミや他の動物も、現在をせいいっぱい生きているということなんでしょう。

昔はできたのに、今はできなくなって悲しいとか、今これを食べてしまったら、明日のごはんがなくなって困るから、残しておこうとか、過去や起こってもいない未来のことを煩い、心配し、悩む。まさにこれがマインドワンダリングで、そういう雑念を払うことで精神衛生をいい状態に保つというのは、認知行動療法でもやったことです。

養老孟司さんと池谷裕二さんの対談で、「時間」というのは人間の脳の中にしかない、といったことを話していましたが、多少の時間の観念は犬にもあるとは思います。いや、時間の観念はあるけど、それを人間のように「単位」にはしないということではないのかな。人それぞれに進んでいる時間を、同じ「単位」で測ってしまうところに人間の不幸は生まれる気がします。犬たちは、自分に流れる時間をそのまま受け入れるだけで、けっして他の人(犬)と比べたりはしていません。

こんな体験があるんじゃないでしょうか。夢中になって何かをやっていると、あっという間に時間が過ぎていること。夢中でやることで、過去も未来もなくなる、時間が無くなるという感覚ですか。たぶん、こんな感じが動物の「今をせいいっぱい生きる」ということと近いのではないかなと思うのですが。

 

 

 

 

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