« エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』 | トップページ | 話題の「かぶる傘」のルーツは? »

2019/05/29

【犬狼物語 其の三百三十二】埼玉県浦和市 常盤・三峰神社の事情

Img_3912

Img_3917

Img_3921

Img_3926

 

『新編埼玉県史 別編2 民俗2』(昭和61年)では「三峰講」について、

「御眷属信仰の御利益については、一般に山地の農民は、猪鹿の害から田畑を守護してもらうことを期待し、町場や平野部の人々は盗賊除け・火防の神として考えている。その信仰圏は、(略)、関東全域から長野・山梨・静岡の各県にも及び、このほか宮城・福島・新潟などにも、わずかであるが講社が存在する。」

三峰講の分布の講数(昭和15年)を見ると、長野が一番多く1410、次に埼玉県914、千葉県636、茨城県550、群馬540、栃木県393、東京都182講となっています。

講数では埼玉県が2番目に多いところです。三峯神社の鎮座する県なので、1番かと思いきや、1番は長野県というのはちょっと意外ですが。

さいたま市浦和区に三峯神社が複数社あることがわかりました。

その1社を訪ねました。常盤1丁目に鎮座する三峯神社です。

旧中山道沿いには「浦和二七市場跡」がありました。

「二七市」というのは、毎月の二、七、十二、十七、二十二、二十七日の六回、市(六斎市)が開かれていたからです。ここに「御免毎月二七市場定杭」と大きく刻まれた石柱があります。高さ139センチで、左側面に「天正十八年七月日」、裏面に「足立郡之内、浦和宿」と刻まれています。浦和周辺には、大宮の五十市、蕨の四九市、川越の三六九市、与野の四九市、岩槻の一六市、鳩ヶ谷の三八市などがあって、いつもどこかで市が開かれていたような感じです。

そういえば、昔中国雲南省の大理に滞在中、郊外の少数民族村でも、月曜市、10日毎の市、6日毎の市などが開かれていて、毎日どこかの村で開かれている市へ写真を撮りにでかけていました。人や物や情報が集まり、賑やかで楽しかったですね。

このあたりも昔、市が立つ日にはにぎわっていたのではないでしょうか。ついでに三峯神社でお参りする人もいたかもしれません。

その三峯神社は、市場跡の向かいの路地に鎮座します。うっそうとした印象です。狭い境内には不釣り合いなほどの高さの杉の木が立っていました。

路地に面して石の鳥居があって、境内に入ると、杉の大木の隣に溶岩のような台座の上に社が祀ってあります。よく見ると、例の、狼が息ができるようにと三つ穴が開けられた御眷属守護の箱が祀られています。だれかまだちゃんと祀っているんだなと思いました。もしかしたら、三峯講もあるのではないかと期待が膨らみます。

でもあとで、この三峯神社がここに残っている理由が、きわめて現代的な事情によるものとわかってきたのです。

隣の店舗から奥さんが出てきたので尋ねると、すでに40年ほど前からこの三峯神社の土地を持っている人がだれだかわからなくなっていて、困っているというのです。

杉の葉が大量に落ちてくるので、枝を切りたいのですが、持ち主に許可を得てからではないと切ることができないそうで、かろうじて電線に引っかかる部分だけは、東電が切っているらしい。そのうちこの杉の木が倒れるのでは、という心配もあるそうです。

奥さんたち町内会では何とかしてほしいと、役所にも頼みましたが、とにかく持ち主がわからないのでどうしようもないらしい。個人情報保護のためでしょうか。名前だけはわかっていますが、連絡しようにも住んでいる場所もわからないという。だから、しかたないので、掃除は近所の人たちが自発的にやっているし、正月のしめ縄は町内会で変えているそうです。

「神社ですからねぇ」と奥さんがいいました。持ち主が分からなくて困っているという話は、空き家問題でも聞くことですが、そこに「神社」ということが付け加えられると、杉の木を撤去してほしいと言い出すにも気が引けるということらしい。とたんに無理は言えなくなるようです。そこが日本人の宗教心というか、心情らしいところでもあるでしょう。普通の空き家とは違います。

だれか昔のことを知っている人はいないかと思い、寺や店を聞きまわり探したところ、三峯神社へ参拝していたグループの一員だった人がいることがわかりました。

三峯山に参拝していたのは、地縁で組まれる三峯講というのとはちょっと違い、ある組合のグループだったそうです。代表が参拝する「代参講」ではなく、全員で参拝する「総参講」だったようです。

先代の人たちも三峯山に行っていたので、神社に参拝するのは悪い話じゃないし、じゃぁ行ってみましょうかといった程度。特別何かお願いがあって行っていたわけではありませんでした。行楽気分での参拝といったところでしょうか。そしてその習慣も十数年前くらいで終わってしまいました。

だから今、グループで参拝することはないので、社に祀られていた御眷属守護の箱もその時のものでは?というのですが、十数年前のものには見えません。そう言うと、だれか、個人的に参拝をしていて、社に祀っている可能性はあるかもしれないとのことでした。神社も、いつできたかは、先代からも聞いていないそうです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』 | トップページ | 話題の「かぶる傘」のルーツは? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』 | トップページ | 話題の「かぶる傘」のルーツは? »