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2019/09/04

香港の混迷

 

香港へ頻繁に行っていたのは、80年代から90年代にかけてです。1989年には天安門事件がありました。あの時をきっかけにして、香港人には中国に対する不信感・危機感・恐怖感が生まれていたかもしれません。実際外国へ逃げた人々もいます。

そしてついに1997年には、香港はイギリスから中国へ返還されました。香港は50年間「一国二制度」でこのままだと言われていましたが、おそらく、中国の影響は強くなっていくだろうことは想像できました。

そして実際に香港の中国化が着々と進んできました。はたから見ていても、中国の圧力を感じていたのですが、当の香港人にしてみれば、その危機感・恐怖感は日増しに強くなっていたんだろうと想像できます。

中国の経済成長によって、相対的に香港の地位は軽くなり、香港が経済的にも中国に飲み込まれそうになっています。

前回の「雨傘革命」は民主的な選挙を求めたこと、今回のデモの発端となったのも「逃亡犯条例」改正案ですが、これはきっかけにすぎません。全体的に、体制も、経済も、文化も飲み込まれそうになっている危機感、それと経済格差に対する不満もあるでしょう。

そして、これは対岸の火事ではありません。これを「民主主義」「自由主義」というキーワードではなく、もっと別な見方もできると思っています。DNAレベルの話です。

このDNAについては、以前、こちらに書きました。

中国が尖閣列島を取りに来る理由 ---- 日本人とチベット人のDNA的つながりから考える(2012/11/09)

アジア大陸に住んでいたのは、D系統(古モンゴロイド系、縄文系)で、数千年の間で、漢民族を中心にしたアジア系O系統が広がってきて、古モンゴロイドのDNAは、「辺境の土地」であるチベットと日本列島などに残ったという。だからDNA的には、日本人(特に縄文系)は、漢民族よりもチベット人により近いということがわかったという話でした.

O系統の膨張に対する危機感をD系統の人たちは潜在的に持っているのではないか、ということなのです。DNAレベルの話ですが、現実問題として、今、アジア系O系統は、この数千年膨張し続けているのは事実です。

香港も、この流れからいうと「辺境の地」になるかもしれません。香港人の場合、すでに「中国人」ではないか、と言われるかもしれません。でも、香港人は、もともとは、中国南部に住んでいた「百越」の末裔(+他民族との混血)だったということを考えれば、必ずしもDNAレベルで、香港人=中国人とはいえないところもあります。少なくとも歴史も言葉も体つきも違う香港人が、漢民族と同じには見えません。実際に、香港人の中には「香港民族」という意識も芽生えているらしいのです。そして漢民族の方も、「野蛮な百越」と見ているむきがあり、もともと同じ民族としては思っていないのかもしれません。

O系統とD系統のせめぎ合いの最先端が、チベット問題、ウイグル問題、香港のデモ、そして日本人にも関係してくる南沙諸島問題、尖閣諸島問題として表れているのかもしれないのです。

 

 

 

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