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2019/10/06

【犬狼物語 其の三百九十七】東京都世田谷区 砧・三峯神社の例大祭

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世田谷区の砧・三峯神社の例大祭がありました。

ここの住民で砧三峯神社の「広報部長」Tさんによると、以前は10月1日に行われていたそうですが、現在は、10月の第一日曜に変わっています。どこもそうですが、祭りが平日に当たってしまうと、人が集まらないということです。

神輿の渡御は12時からです。砧地区を周って、夕方宮入りです。夜は神楽ではなく、素人演芸大会が開かれます。

秩父市の三峯神社を勧請した各地の三峯神社や三峯社は、他の大きな神社の境内社として祀られていることが多いのですが、ここの三峯神社はその中では大きい方です。

Tさんによると、江戸時代、祠を担いできた御師(行者か?)がいて、ここにその祠を置いていってしまいました。祠を粗末にはできないので、それを祀り始めました。実は、世田谷ではこのあたりが一番高い土地で、「ここは山なんです」というTさんの言葉は印象的でした。

あとで、地形図で確かめたら、多摩川と神田川の間の丘陵地帯は、三鷹市に近づくにつれて高くなっているようで、現在は市街地になり建物が多くてよくわかりませんが、少しは高い土地であるようです。昔の人が歩いてきた感覚から言えば、多摩川から上ってくると、たしかに「山」に感じたかもしれません。

そこに山岳信仰の祠を祀ったということでしょうか。実際に、三峯神社を勧請したのは後の時代らしく、安政七年三峯山に参籠・寄進した記録はあるようです。昭和29年境内地を拡張し、昭和37年に社殿を改築し、砧町の鎮守として多くの崇敬を集めて現在に至っています。そのあたりの詳しい話は、後日、Tさんにインタビュー予定です。

現在も講中は機能していて、40数軒が講員になっています。しかも、新しい住民も講員になり、徐々に世代交代もできていて、しばらくはここの講中は続いていくようです。だから昔から講員数は変わらないという。

昔は代参講でしたが、今はだれでも参加でき、バスで60人くらいが登拝するという(実際は、三峯・御嶽・榛名講)。祭りの準備も講中のボランティアです。「じゃないと、こんな祭りはできないですよ」という。なんだか、この講中は結束力が強いらしく、神社の敷地を拡張するときも、ほとんどの講員が寄付をしています。

「今時、神社が広がっているのは珍しいでしょう?」とTさんは自慢げに言いました。それはそのまま、地域のコミュニティーがうまくいっている証拠でもあるでしょう。自慢するだけのことはあると思います。

今、神社には2対の狼像が鎮座しますが、もともとは、道路側にある古い狼像だったらしいのですが、社殿が改築されたときに、新しい狼像がいっしょに作られ奉納されたという。そして古い像は現在の位置に移されたそうです。なぜか、古い狼像の方が写実的です。

 

 

 

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