今日から二十四節気「大雪」の次候「熊蟄穴(くま あなに こもる)」
今日から二十四節気「大雪」、世間では、七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」ですが、毎年恒例となりましたが、我が家のオリジナル七十二候は「人狗蟄炬燵(ひといぬこたつにこもる)」です。
解説はいらないと思いますが、ヴィーノの様子はまさにこれ。人(俺たち)もそうです。ただ、今年は引っ越したので、炬燵を使うかどうかわからないですね。炬燵を出すほど寒くはなってないし。
今日から二十四節気「大雪」、世間では、七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」ですが、毎年恒例となりましたが、我が家のオリジナル七十二候は「人狗蟄炬燵(ひといぬこたつにこもる)」です。
解説はいらないと思いますが、ヴィーノの様子はまさにこれ。人(俺たち)もそうです。ただ、今年は引っ越したので、炬燵を使うかどうかわからないですね。炬燵を出すほど寒くはなってないし。
群馬県前橋市の産泰神社の主祭神、木花佐久夜比売命は女性の神様で、安産・子育ての守護神として信仰されています。
なので、境内にはいくつか子安信仰にまつわるものがあります。
「安産子育て戌」は可愛らしい像です。
「戌はお産が軽く、一度にたくさんの子どもを産むことから、「安産の守り神」として親しまれそれにあやかったものです。」とあります。
全国には子安信仰の犬像がたくさんありますが、産泰神社のは、犬張り子を模した像で、石像としては初めて見るものです。社務所の中にもカラフルな犬張り子が飾ってありました。
犬張り子はもともと、京都の「犬筥(ばこ)」を産室に飾る風習が江戸に伝わり、箱型でなく、犬の立ち姿の犬張り子が、江戸中期以後作られるようになりました。
犬張り子は江戸玩具になり、上方(かみがた)では東犬(あずまいぬ)と呼ばれたそうです。
産泰神社の本殿は立派な造りですが、その奥には「安産胎内くぐり」という岩があります。妊婦がくぐると安産になるというものです。
そして拝殿前には「安産抜けびしゃく」があります。
「当社には古くから底のないひしゃくを奉納する信仰がありました。このひしゃくで水を汲むと水はそのままスーッと抜けてしまいます。そのくらい楽にお産ができますようにと願ったものです。妊婦の方がより軽いお産であるよう、心をこめて抜けびしゃくで水をお汲みください。」とのことです。
(Baobab trees, Morondava, Madagascar)
「「オオカミから犬への進化途中の種」かもしれないミイラが良好な状態で永久凍土から見つかる」というニュースがありました。
2018年夏、サハ共和国の首都ヤクーツクを流れるインディギルカ川近くの永久凍土層で、1万8000年前のイヌ科の動物のミイラが見つかったそうです。
まるで生きているような子犬のミイラ。(画像は検索すれば出てきます)
いや、まだ「犬」と断定されたわけではありません。もしかしたら「オオカミ」かもしれないし、「オオカミと犬の間」かもしれません。
研究者たちはこの赤ちゃんを「ドゴール(Dogor)」と名付けました。
「Dog or ・・・(犬、あるいは・・・)」という意味かなと思ったら、そいういう意味もかけているのかもしれませんが、「ドゴール(Dogor)」はヤクート語で友人を意味するそうです。
ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。
「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか )
これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は初めてらしい。
論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。
この研究でも、オオカミから犬への家畜化は、少なくともユーラシア大陸だし、今回のドゴールの発見もユーラシア大陸ということで、ユーラシア大陸は犬誕生の最有力候補地であるのは舞違いないようです。
DNA解析が進んで、これが犬のルーツに迫ることになったら面白いと思います。ただ、このドゴールは、融け出した永久凍土から見つかったそうで、温暖化が進んだから、というのが気になります。
近年は、永久凍土から多くの動物が発見されて、中には、マンモスもあり、象牙が取引できなくなったことから、マンモスの牙が高値で取引されていて、盗掘が横行しているらしい。
そういえば、前、ボルネオで野生の像が見つかったのは、ジャングルがなくなったから、というのがありました。
こういうのを「森の皮肉」と言っていました。
昔ジャングルだったところは、ラワン材を取るために森が伐採され、その後に植えられたのがアブラヤシだそうです。パーム油の輸出のためです。
それで何が「森の皮肉」かというと、ボルネオにゾウはいないと考えられていたのが、ジャングルが伐採されて少なくなったことが、ゾウの発見に繋がったというのです。
また、バオバブの木の独特の姿が分かるのは、周りの木を焼いた(切った)から、というのもありました。
今回の永久凍土からの発見もこれと似ているところがあります。温暖化が進んで貴重なミイラが見つかる、これも「森の皮肉」なのかもしれません。
中国雲南省麗江周辺に住むナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。とくに、この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写 するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。ナシ語では「ソチォ・ルチォ」(樹の記録・石の記録)と呼び、千数百種類(1200~1300とも言われる)の文字があります。
トンパ(東巴)教は、ナシ族の原始宗教で、太陽、月、星、山、水、風、火などの自然物を崇拝し、万物に霊魂がやどると信じられていました。 唐の時代から、ナシ族とチベット高原の吐蕃とは頻繁に接触があり、トンパ教は、チベットのボン教の影響、および仏教、道教の影響も受けているといわれます。冠婚葬祭や、病気の時や、邪気払いの時は、トンパを呼んで儀式を行ってもらっていました。トンパは、宗教儀式を司る「智者」を意味します。しかしこの宗教も、1950年代からだんだん廃れていきました。
トンパ文字で著したトンパ経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。
しかし宗教儀式同様、今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われているところです。
現在のナシ族はナシ語という言語を使っていますが、元、明朝以来、漢族との接触が進み、ほとんどのナシ族は漢語(北京語)を話すことができます。しかもトンパ文字は、昔からトンパだけが使っていた文字なので、 現在の一般的ナシ族にとって、生活とはまったく関係がない過去の遺物です。ナシ族がトンパ文字を使って手紙のやり取りをしたり、学校で教えられたりということもありませんでした。トンパ文字が「生きた象形文字」と紹介されることもありましたが、宗教儀式も廃れ、トンパもほとんどいなくなってしまった現在では、正しい表現とは言えないのではないかと、ずっと思っていました。
ところが、80年代後半から、トンパ文字だけが、宗教から切り離されて一人歩きを始め、現在では、麗江の街興しに一役買っています。そういう意味でなら「生きている象形文字」という表現も正しいのでしょう。街では、トンパ文字を判子に作ってくれるみやげ物屋があったり、ろうけつ染めのデザインに使われています。学校でも教えられているという話も聞いています。
麗江が世界遺産に登録されて一躍有名になり、トンパ文字が「おもしろい文字」として、日本人の一部にも知られているようです。トンパ文字は、デザイン、絵柄の面 白さでうけています。
この文字を日本に広めた人物のひとりである、アートディレクターの浅葉克己さんは、「デザインの原点のような素朴な美があり、アイコンが好きな若者にうけるのでしょう」と、以前、朝日新聞のインタビューで語っていました。
何百年か何千年かのち、雲南ナシ族のトンパ文字が日本に残っていた、などという話になったとしても不思議ではないのかもしれません。
今日(2019年12月7日)から二十四節気「大雪」、初候「閉塞成冬」です。
「大雪」は、雪が激しく降り始めるころです。今年、暖冬だという予報もありますが、どうなるかわかりません。北日本ではすでに大雪が降っています。
関東地方でも、今日は一段と寒くて、雪のちらつくところもあるかもしれません。「閉塞成冬」そのものの空模様です。
今日は、前橋まで撮影に行かなければならないので、雪道にならないことだけを祈ります。
「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュースがありました。
https://www.afpbb.com/articles/-/3257590
壁画が見つかったということよりも、俺は「 瀾滄江水源地区」という文字に反応しました。瀾滄江(ランツァンジャン)とは、メコン上流、中国語の名前です。
本当の源流域は、中国青海省(チベット)の玉樹の雑多にあります。
チベット人は「ザーチュ」「ザナチュ」と呼んでいます。
俺がメコン源流(瀾滄江水源)を探しに行ったのは、1992年と94年です。当時はまだ、メコンの源流がどこか、学術的(地理学的)にわかっていなかった時です。
長江や黄河の源流はすでに探されていたのに、メコンの源流は1990年代まで謎のままでした。どうしてかというと、長江や黄河は中国人(漢民族)にとっては重要な川でしたが、メコン(瀾滄江)は、チベット人のような他民族が住む辺境の地で、経済的、文化的に関心がなかったからです。しかも、チベット高原から雲南省を通り、ミャンマー、ラオス、タイの国境を流れ、カンボジア、ベトナムの南シナ海に流れるという国際河川にもかかわらず、政治的な国際環境で、メコンは統合の川としては見られずに、分断の川であり続けたからです。今では考えられません。
とにかく、俺は一人でメコンの源流を探しに行きました。まぁ、一人と言っても、当時もこのあたりを旅するには、中国旅行社を通していく必要があり、車とガイドを雇ってですが。
そしたら、同じことを考える人たちはいるもので、ちょうど源流から雑多の街まで戻ったとき、日中合同調査隊が、これから探検するのだと言って滞在していました。
でも、この規模の違いに驚きました。彼らは20人くらいはいたでしょうか。いろんな機材も持って、ちゃんとした学術調査隊です。一方の俺は、チベット人の案内人に引かれた馬に乗って、カメラ2台だけの、ほとんど気軽なバックパッカーでした。食料もテントもありません。現地のチベット人のバー(天幕住居・テント)に泊めてもらい、いっしょの食事をとりながらでした。掲載の写真の、バーやチベット人たちは、現地で泊めてもらった時のものです。
だからなのか、俺は彼らには良く思われなかったようです。なにしろ、「世界で初めての調査隊」の前にバックパッカーが来ていたんだから。
その後彼らが帰国した後、ある週刊誌に「私たちが来る前に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価を押し上げた」と批判というか、嫌みを書かれたのですが、でも考えてもみてください。総勢20人の調査隊と、俺とガイド2人のどちらが影響力があるのか。
別に、源流の発見者を名乗るわけでもなく、というか、そもそもGPSなどもないし、学術的な目的ではなくて、あくまでも俺は文化的な源流(現地の人間が、ここが源流だと信じている泉)を探したに過ぎないし、彼らのその後の発表がどんなものだったかにも関心はありませんでした。ただ、ほぼ同時に入ったフランス隊とどっちが先に源流を見つけたかの論争があった、みたいなニュースは聞いたような気がします。
そんなことよりも、メコンの源流探しの旅は面白かったですね。自分も遊牧民になったような気分でした。
その後、妻とヴィーノといっしょに日本一周の車旅をすることになるわけですが、この旅が影響したのは間違いありません。遊牧民の真似事に過ぎませんが。
日本犬保存会の会誌「日本犬」がリニューアルしました。
表紙は柴犬のイラストですが、この会誌に俺が撮影した全国の「犬像」の写真が連載されることになりました。初回は、東京都中野区「中野犬屋敷跡の群像」です。
そしてもう一つの「犬像」、会誌には「日本犬の故郷を訪ねて① 柴犬 島根県益田市」の記事があり、柴犬「石号」ことが載っています。これは知りませんでした。
今年11月2日にこの犬像の除幕式が行われたそうで、ということは、今現在日本で一番新しい(公共の場に建てられた)犬像かもしれません。
石号は、昭和5年生まれで、日本犬保存会に血統登録されたのは昭和11年。
「日本犬保存会で、毎年新たに登録を受け付けている3万頭弱の柴犬はすべて、「父系の血統を遡ると石号にいき着く」ことになる。国内外60万頭いるとされる柴犬、血統上その始まりは、石号なのである。」とのこと。すごい話です。
柴犬は、DNA的には一番狼に近い犬種と言われているので、ニホンオオカミの血の痕跡も、日本では石号にたどり着くということになるのかもしれません。これはぜひ、石号の石像を見に行かなくては。
石像は、石号の生誕地、益田市美都町、益田市市街地から東の山間部にあるようです。
犬像・狼像はこれからも新しいものが建てられていくことでしょう。そのうち、「全国犬像狼像サミット」を企画してみたいと思います。ただ俺の力だけではどうしようもありませんので、どなたか、興味のある方のお力を貸していただきたく思います。
犬像狼像で町おこしをしている人たちが一堂に会したら、さぞ楽しい祭り・イベントになるのでは?と勝手に妄想している段階です。
大嘗宮は、天皇陛下の国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念する大嘗祭の中心的儀式「大嘗宮の儀」のために造営されたものです。11月14日の夕方から夜にかけて「悠紀殿供饌の儀」、15日の晩前に「主基殿供饌の儀」が行われたところです。
12月8日まで一般公開されています。これまで棚田や稲作文化をテーマに写真を撮ってきたので、いつかは、稲作文化の儀式の中でも最も重要な儀式の場所の写真が必要になるときがくるのではないかと思って、撮影してきました。
今は、乾通りの紅葉と重なり、たくさんの人出です。俺が行った12月3日は、昼12時ころに荷物検査場の前から並び始め、大嘗宮にたどりつくまで2時間かかりました。
そして大嘗宮前はまるで戦場のような賑やかさでした。今はみんなスマホを持って写真を撮るので、人の流れが止まってしまうのです。それに殺気立った警備の警官やスタッフの荒っぽい対応は、みんなの不評を買っているようでした。と、いうのも、そもそも人の流れを妨げているのは、彼ら自身でもあったからです。
みんな写真を撮るために警官たちが自分の前からどくのを待っているのでした。もう少し、なぜ人がとどまってしまうかを考えて警備をした方がいいのでは?と思いました。昔とは違うのです。
まぁ混雑はしかたありません。でも、建物自体はそれなりにすばらしいものです。
印象的だったのは、その大嘗宮の背景に高層ビル群が見えることでした。これぞ現代の大嘗祭という光景でしょうか。このコントラストにはめまいがしそうでした。
令和2年(2020年)の干支「子・ネズミ」のトンパ文字です。
最近、みんな年賀状を出さなくなっているので、このデザインも必要なくなっているのかもしれませんが、毎年恒例にしてきたので、来年分も続けます。年末にかけて、2~3のデザインを考えてみます。
トンパ文字(東巴文)は中国雲南省北西部、麗江を中心に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字です。
文字は、納西象形文字譜(雲南人民出版社 1981年)を参考にしました。
今日はから二十四節気「小雪」、七十二候「橘始黄」です。
コタツに入ってみかんを食べる季節になりました。
「橘」は、食用柑橘類の総称で、不老長寿の象徴「常世草(とこよぐさ)」でもあるそうです。常世(とこよ)の国は、永久不変不老不死の理想郷と言われます。
個人的には、不老不死が理想とは思えず、ある程度の年齢を健康に過ごせて、死ぬときはバッサリというのが理想ですね。もし不老不死の世界が実現したら、この地球上に人間があふれてしまうことになります。
まぁ、柑橘類は好きですよ。体にいいイメージはあるし、それが不老長寿のイメージともつながっているようです。
柑橘類と言えば、2回目のヨーロッパ旅行で、ギリシャ・ペロポネソス半島をヒッチで回っていた時、オレンジ畑に迷い込んだことを思い出します。
農家の人がオレンジを数個取ってくれました。その喉の渇きをいやしてくれたオレンジは忘れられない旅の思い出です。
岩槻区の久伊豆神社には「叶い戌(子育て戌)」の像があります。再再訪しました。
『犬像をたずね歩く』でも紹介していますが、これは犬の安産・多産にあやかる子安信仰の母子犬像です。
像をなでると子宝・安産に恵まれるということですが、「叶い戌」は秋田犬のメスだそうです。具体的ですね。
戌の周りには、子、丑、寅・ ・ ・といった干支の刻印が右回りに配されていて、自分自身あるいは赤ちゃんの干支をなでるのが良いようです。
また今は、七五三のシーズンで、「碁盤の儀」の碁盤が置いてありました。
これは解説看板によると、碁盤の上に乗り、南の方向へ「エイ」のかけ声とともに飛び降りるもので、皇室に古くから伝わる七五三儀式「着袴の儀」「深曽木の儀」が元になっているそうです。
「碁盤(世界)の上にしっかりと立ち、地面に向かって飛び降りると碁盤の目のように節目正しく美しく、また立派な勝負運の強い子どもに育つといわれています。」とありました。
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