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2019/12/06

「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュース

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「瀾滄江水源地区で13世紀の仏教壁画見つかる 中国・青海省」のニュースがありました。 

https://www.afpbb.com/articles/-/3257590

壁画が見つかったということよりも、俺は「 瀾滄江水源地区」という文字に反応しました。瀾滄江(ランツァンジャン)とは、メコン上流、中国語の名前です。

 本当の源流域は、中国青海省(チベット)の玉樹の雑多にあります。

チベット人は「ザーチュ」「ザナチュ」と呼んでいます。

俺がメコン源流(瀾滄江水源)を探しに行ったのは、1992年と94年です。当時はまだ、メコンの源流がどこか、学術的(地理学的)にわかっていなかった時です。

長江や黄河の源流はすでに探されていたのに、メコンの源流は1990年代まで謎のままでした。どうしてかというと、長江や黄河は中国人(漢民族)にとっては重要な川でしたが、メコン(瀾滄江)は、チベット人のような他民族が住む辺境の地で、経済的、文化的に関心がなかったからです。しかも、チベット高原から雲南省を通り、ミャンマー、ラオス、タイの国境を流れ、カンボジア、ベトナムの南シナ海に流れるという国際河川にもかかわらず、政治的な国際環境で、メコンは統合の川としては見られずに、分断の川であり続けたからです。今では考えられません。

とにかく、俺は一人でメコンの源流を探しに行きました。まぁ、一人と言っても、当時もこのあたりを旅するには、中国旅行社を通していく必要があり、車とガイドを雇ってですが。

そしたら、同じことを考える人たちはいるもので、ちょうど源流から雑多の街まで戻ったとき、日中合同調査隊が、これから探検するのだと言って滞在していました。

でも、この規模の違いに驚きました。彼らは20人くらいはいたでしょうか。いろんな機材も持って、ちゃんとした学術調査隊です。一方の俺は、チベット人の案内人に引かれた馬に乗って、カメラ2台だけの、ほとんど気軽なバックパッカーでした。食料もテントもありません。現地のチベット人のバー(天幕住居・テント)に泊めてもらい、いっしょの食事をとりながらでした。掲載の写真の、バーやチベット人たちは、現地で泊めてもらった時のものです。

だからなのか、俺は彼らには良く思われなかったようです。なにしろ、「世界で初めての調査隊」の前にバックパッカーが来ていたんだから。

その後彼らが帰国した後、ある週刊誌に「私たちが来る前に来ていた日本人(俺のこと)が現地の物価を押し上げた」と批判というか、嫌みを書かれたのですが、でも考えてもみてください。総勢20人の調査隊と、俺とガイド2人のどちらが影響力があるのか。

別に、源流の発見者を名乗るわけでもなく、というか、そもそもGPSなどもないし、学術的な目的ではなくて、あくまでも俺は文化的な源流(現地の人間が、ここが源流だと信じている泉)を探したに過ぎないし、彼らのその後の発表がどんなものだったかにも関心はありませんでした。ただ、ほぼ同時に入ったフランス隊とどっちが先に源流を見つけたかの論争があった、みたいなニュースは聞いたような気がします。

そんなことよりも、メコンの源流探しの旅は面白かったですね。自分も遊牧民になったような気分でした。

その後、妻とヴィーノといっしょに日本一周の車旅をすることになるわけですが、この旅が影響したのは間違いありません。遊牧民の真似事に過ぎませんが。

 

 

 

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