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2020/03/02

佃島の於咲稲荷大明神は「尾崎大明神」のことか?

287a6462(佃天台子育地蔵尊入り口)

287a6457(地蔵堂)

287a6453(佃天台子育地蔵尊)

287a6415(於咲稲荷大明神)

287a6404(於咲稲荷大明神)

287a6394(於咲稲荷大明神)

287a6389(於咲稲荷大明神の「さし石」)

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前から気になっていた神社があり、確かめるために佃島へ行きました。

その前に、その神社の向かい側に、長さ15mほどの、人ひとり通れるくらいの細い通路があって、途中には、地蔵堂に佃天台子育地蔵尊がありました。地蔵堂は天井を貫く大きな銀杏が生えており、1畳ほどの狭いところに、地蔵菩薩の姿が刻まれた平らな黒い自然石が立っています。多くの人が撫でるからでしょうか、姿が消えかかっているので、触わってはダメらしい。

そしてその通路を反対側に抜けると、問題の神社があります。「於咲稲荷神社」です。「於咲」は「おさき」と読みます。

安政五年に日本でコレラが流行り、アメリカ狐やイギリス疫兎をやっつけるのは、狼だとのことで、三峯神社や武蔵御嶽神社でコレラ除けのため、お犬さま(狼)を借りた、という話を書きました。

その続きですが、同じく高橋敏著『幕末狂乱 コレラがやって来た!』には、江戸の様子が書かれています。

江戸のコレラ騒ぎを記録したものに江戸在住の文人、金屯道人が書いた「項痢記」があります。

安政五年7月上旬に、コレラは赤坂あたりから発生し始め、ただちに霊岸島、築地、鉄砲洲、佃島の海岸に飛び火しました。8月に入ると江戸市中一円を席巻しました。江戸は人口100万を越える巨大都市で、過密な住環境の中にコレラが襲ってきたわけです。

お棺が所狭しと積まれ山となり、焼き場はてんてこ舞いだったという。人々の間にはコレラ変じて「狐狼狸」なりの流言が飛び交い、妖怪変化の仕業と信じてパニック状態になりました。

8月中旬、佃島の漁師に野狐が取り憑いたというので、神官、修験を頼んで狐落としを行いました。ついに狐が体から抜け出したところを捕まえて打ち殺しました。町の長が、狐の死骸を焼き捨て煙とし、その近くに3尺四方の祠を建てて霊を祭り、「尾崎大明神」と崇めたという。

関東地方の山村に伝わる狐の憑き物を「オサキ」とか「オサキギツネ」といいます。この「尾崎」は、この「オサキギツネ」のことらしい。オサキギツネは、人体に侵入して悪さをする「くだ狐」と似たものと考えられるという。曲亭馬琴著『曲亭雑記』ではキツネより小さいイタチに似た獣だとあります。

コレラ患者には、瘤ができるらしく、それが何か小さな妖獣が体内に入り込んでいるというイメージを造り上げた原因の一つでもあるらしい。

この佃島の於咲稲荷神社は、「項痢記」に記されている尾崎大明神のことなのではないでしょうか。

近くの住吉神社で聞いたところ、由来ははっきりせず、「おさき」とは人の名前と聞いているとのことでした。人の名前説は、ネットにも載っていますが、出典はわかりません。

ところで、この神社境内に置いてある3つの「さし石(力石)」は中央区有形民俗文化財にもなっています。

於咲稲荷神社から30mほど離れたところに「佃小橋」が架かっています。この橋のたもとに「麗江」という店がありました。読みもアルファベットで書いてあり「RI:JAN(リージャン)」とあります(中国語ピンインでは「Li Jiang」)。となると、これは雲南省のあの都市、麗江のことなのでしょうか。

言われて見れば、水辺で橋が架かっているところなど、麗江を彷彿とさせます。ただ、料理はナシ族料理でもなく、雲南料理でもなく、普通の中華料理のようです。

そしてこのビルを回り込むと、「日の出湯」という銭湯になっていました。この先が住吉神社です。なかなか趣深い界隈ですね。

 

 

 

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