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2020/08/08

山の神

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最近、「山の神」に関する本を読んでいて、あらためて「山の神」について忘れないように書いておきます。

自分の奥さんのことを「うちの、かみさん」「やまのかみ」と呼ぶ人がいます。俺は使ったことはありませんが、「かみさん」「やまのかみ」は本当の「山の神」から来ているようです。

春には山の神が里に下りて田の神となり、秋の収穫後に、ふたたび山へと帰るという交代説はよく聞く話だし、何度か原稿で書いたことがあります。狼像を探して歩いていると、よく「山の神」の石碑や祠に出会いますが、運が良ければ、そこに狼像が伴います。

大護八郎著『山の神の像と祭り』には「人類の信仰の発達史からいえば、山の神こそその原初のもの」とあります。山の獣や鳥を狩り、山草や木の実などを採り、山から流れる水が生活に欠かせないものだった太古の時代から、山に対する感謝が生まれ、いつしか信仰になった。山の神に対する信仰は、山自体をご神体に感じていたという。

町田宗鳳著『山の霊力』には「 人間がこれらの動物の肉を口にするとき、それは山という巨大な動物の分身の肉にほかならなかった。 古代人の眼には、山は決して無機質な物体ではなく、切れば真っ赤な血が吹きでるほど、肉感をそなえていたのではないか。それは、人間と山が同じ〈いのち〉で繋がる生き物だという感覚でもある。」とあります。

山に対する信仰は、人間に命の糧を与えてくれる山に対する感謝に他なりません。山の獣の王者であった狼が山の神を守る神使になったというのも、自然な成り行きだったのかもしれません。

ネリー・ナウマン著『山の神』では、熊野の山詞では狼そのものを「山の神」と呼んだり、中部地方の山地では、「山の主(あるじ)」と呼ぶことを紹介しています。また、鎌倉時代に狼を山の神とする伝承もありました。

山の神は豊穣の神、お産の神でもありました。狼や犬の多産・安産のイメージとも相まって、山の神と狼との親和性が生まれたとの指摘もあります。だから、山の神を守っている狼像を見ることも多いのです。

ただ山の神像の多くは、仏教伝来以降、仏像などの影響を受けて造られるようになったらしい。だから、地方によって、山の神の像は千差万別です。男の神像だったり、女の神像だったり、男女の神像だったり。中には鳥の形をした山の神像もあります。

山で失くしものをしたときは、山の神の前で、オチンチンを見せると、失くしたものが見つかる、などという話もありました。この場合、山の神は女神ということです。また、マタギは、山の神にオコゼの干物をお供えしたというのがあり、これも、女神である山の神が「自分よりも醜いものがある」と喜ぶからだそうです。ただ、オコゼの干物が男根と似ているためだという説もあり、こちらほ方が有力らしい。オコゼの干物の実物を見たことはないので、本当に似ているのかどうか、そのうち自分のと比べてみたいと思います。

とにかく、山の神を怒らせない、喜ばせることが大切で、そうしないと獲物も得られないし、命の危険さえあると信じられていたのです。

ただし、オチンチンを見せれば山の女神が喜ぶというこの発想は、男性のものでしょうね。昔の山仕事は主に男性のものだったろうから、仕方ないかもしれませんが。今、この通りにやったら、変質者です。

『山の霊力』にはこうあります。

「修験者が山中での荒行終えてから、精進落としといって、淫蕩にふけることも、よくあった話だ。峰入りを済ませた山伏が集結する大峰の洞川にも、江戸時代には遊郭ができていた。」

埼玉県上尾市ですが、江戸時代から明治時代にかけて大山講(石尊講)がたくさん組織され、大山詣りをする人がたくさんいました。信仰心もあったようですが、娯楽的意味合いが多かったようです。大山と江の島観光がセットだったらしい。(阿夫利神社の下社からは江の島が見えます)

『大宮市史』『上尾市史』によると、大山は出世神でもあったそうです。上尾では、14、5歳になると、男子は大山詣りをしました。これが一種の大人の儀式のようで、借金してまでも大山詣りをしないと、一人前として認められなかったといいます。初めての登拝を「初山」といいました。

上尾から行く場合は、平塚まで汽車で行き、そこからは遠い距離を歩きでした。そのため下駄では大変なので、草鞋や地下足袋で行きました。でも、帰り、江の島、鎌倉、東京を通るとき草鞋ばきは恥ずかしいので、せめて地下足袋をはいて行きたいと言って買ってもらった人もいたそうです。いつの時代も同じですね。ちなみに境内に立っている「大山詣り」の像は、裸足ですけどね。

この「初山」は、山の神に会いに行く、山の神との合体(童貞を捨てる)する旅でもあったようです。「男」としての通過儀礼です。たぶん、大山に参ったあとの、江の島、鎌倉、東京の花街が本当の「初山」の場所だったのではないかなと勝手に想像しています。(今のところその資料は見ていません)

 こういうふうに、山の神が女神であることと関係あるそうですが、たとえば、大相撲での女人禁制、山の女人禁制が、進歩的なある種の人たちにとっては、女性差別だ、男尊女卑だ、時代遅れだ、と映るかもしれません。

でも、どうなんでしょうか。男女が、何事においてもすべて同じでなくてはならないと考えるのは、むしろ、「男性が子供を産めない」という決定的な欠点を、サラ~ッと無視することにつながらないでしょうか。この山の神を考えた時、男性はすでに女性には勝てないことを自覚しているのではなかと思います。だから、せめて山の神の歓心を買おうと男性はやっきになるのではないかと。

そして、こういう健気な話もあります。

昔、妊婦が出産する産屋には山の神の画像をかけていたそうです。『山の霊力』には、「新しい生命が誕生するのには、どうしても山の神の応援が必要とされたのである。その証拠に、妊婦が産気づくと、山の神を迎えにいく儀式を営んでいた地域も、岩手県遠野市をはじめ全国的に多い。ふつうは夫が里から馬を連れ出して、山の方に向かって歩き、たまたま馬が立ち止まったところで、山の神が馬の背に乗ったとみなし、ふたたび産屋に戻ってくるのである。(略)難産だと、それは山の神の到着が遅れたためだとし、死産だったりすると、とうとう山の神が来てくれなかったと考える。」

なかなか馬が止まってくれないと、止まってくれるまで歩き続けた、とかいう夫の話を別な本で読んだ気がするのですが、とにかく、夫は妻と生まれてくる子のために必死で山の神を頼ったわけですね。

 

 

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