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2021/05/31

今日から、二十四節気「小満」、七十二候「麦秋至(むぎのときいたる)」

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今日からは、二十四節気「小満」、七十二候「麦秋至」です。


Wikiによれば、麦秋とは、麦が熟して、麦にとっての収穫の「秋」であることから、名づけられた季節だそうです。


写真は、北海道富良野で撮影した麦畑です。

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2021/05/28

【犬狼物語 其の五百六十】 山梨県大月市&上野原市 王勢籠神社の狼のお札

Photo_20210525164401(読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210524-OYT1T50077/より転載)

 

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読売新聞オンライン(2021年5月25日)には、

 「疫病の退散願い、江戸時代に配られた「かわいいお札」…根付いていたオオカミ信仰」という記事が出ました。(https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210524-OYT1T50077/)

こんな御札があったんですね(一番上の図)。知りませんでした。「文化十三年」(1816年)と制作年が墨書きされていたそうです。なので、かなり古いものです。逆に、今のお札よりも、デザイン性が高い感じがするくらいです。

このお札のシルエットを見て、あるお犬さまを思い出しました。

それが、上の写真、青梅市の軍畑の近くに鎮座する山の祠のお犬さま、そしてもう一か所は、あきる野市の御嶽神社のお犬さまです。

どちらも「大口」を強調したものでしょうか。意図したのかどうかわかりませんが、じゃっかんデフォルメし過ぎなのか、可愛らしくなってしまっているところが、また味があって良いかなと思います。 

日本では、名前から、狼の特徴として「口」に注目しているようですが(「大口真神」、「大咬」とか)、西洋では「目」の輝きらしい。

「狼をさす呼称は光ないし輝くことを意味する語根leuk-(そこからギリシア語のlykosやラテン語のlupusが派生)、あるいはwulk(そこからゲルマン語のwulf、のちにwolfが派生)と結びついている」(『ヨーロッパから見た狼の文化史』から)

県立博物館で学芸員を務めていた帝京大学文化財研究所の植月学・准教授(動物考古学)によると、

「王勢籠権現には『神犬』と呼ばれるオオカミをまつる信仰があり、神犬にはコレラを引き起こす悪霊を退散させる霊力があると信じられていた」と解説しています。

狼がコレラの原因になっている悪狐をやっつけてくれるという信仰が流行ったのが、安政5年のコレラパンデミックのとき。江戸だけではなく、このあたりでも、お犬さまに頼ったということのようです。

もし、この版木のことをもっと前に知っていたなら、今回の『オオカミは大神 弐』にも書いていたと思います。残念です。

本には、上野原市の王勢籠神社(王勢籠権現)についても書いてはいて、今授与されているお札の写真も載せています。通常なら5月上旬の例大祭で授与されているお札ですが、コロナ禍で、例大祭は、去年、今年となくなったと聞いています。なので、神社が鎮座する集落の民家の入り口に貼ってあるものを撮影させてもらったのでした。

記事には「この図柄を描いた絵はがきなどを作製し、広めていくことができないか検討している。」 とあります。アマビエのように有名になるのか、注目です。

 

 

 

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2021/05/27

「北海道・北東北の縄文遺跡群」イコモスが「「登録が適当」の勧告

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「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されるようです。イコモスによって「登録が適当」と評価されました。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素は、津軽海海峡を挟んで、北海道と北東北にありますが、その中に三内丸山遺跡や大湯環状列石が含まれています。

三内丸山遺跡は青森市の南西部に位置します。縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,900年~2,200年頃)の、日本を代表する大規模な縄文集落遺跡です。復元された建物や、出土した土偶などの展示品を見ることができます。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、「ストーンサークル」とも呼ばれていて、ミステリアスな雰囲気があります。

後期前半(紀元前2,000年~1,500年頃)の遺跡ですが、200年以上にわたって造り続けられました。大規模な共同墓地と考えられているようです。

メインとなる環状列石は直径40m以上もあり、「日時計」といわれる石柱が立っています。実際にこれが日時計かどうかはわかりません。

 

 

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2021/05/26

今日から二十四節気「小満(しょうまん)」、七十二候「紅花栄(べにばなさかう)」

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今日から二十四節気「小満」、七十二候「紅花栄」です。

古代エジプト時代から染料や口紅として利用されていた紅花が一面に咲く頃です。

Wiki「ベニバナ(紅花)」によると、

「江戸時代中期以降は現在の山形県最上地方や埼玉県桶川市、上尾市周辺(桶川宿の頁を参照)で盛んに栽培された。しかし、明治時代以降、中国産の紅花が盛んに輸入され次いで化学的に合成可能なアニリン染料が普及したことから、紅花生産は急速に衰退した。」

とあります。

上尾でも栽培されていたというのは初耳です。紅花畑など周辺では見かけないし、もう作ってないのでしょうか。それで調べてみました。

『広報あげお946』の「上尾市域の紅花商人」には、

「紅花の栽培は江戸商人の柳屋五郎三郎の手代が、上村(上尾市)の七五郎に種を遺して栽培させたのが始まりと言われる。」

とあります。

武州に広がった紅花栽培ですが、山形産よりも1か月ほど早く収穫できて、品質も良かったので、京都では武州産の紅花を「早場」「早庭」と称し、高値で取引されたという。安政5年の相場表を見ると、山形産よりも約1.5倍ほどの値段で取引されていたようです。

NHK『青天を衝け』で、深谷の血洗島では藍の栽培が盛んだったということが描かれていました。同じころ、桶川、上尾周辺では紅花だったんですね。

ちなみに安政5年は、何度も書いていますが、江戸ではコレラが猛威をふるった年です。

桶川の稲荷神社には、安政4年に近在の紅花商人が寄進した「紅花商人寄進の石燈籠」があります。これは桶川市指定文化財になっています。

「かつて中山道の宿場町だった桶川宿は、染物や紅の原料となる紅花の生産地としても栄えました。この石燈籠は、桶川宿とその周辺の紅花商人たちが、桶川宿浜井場にあった不動堂へ安政4年(1857)に寄進したものでした。明治時代となり、神仏分離策などの動きの中で、やがてこの稲荷神社へ移されました。また、不動堂は現在浄念寺境内へ移築されています。燈籠には計24人の紅花商人の名が刻まれており、桶川のほか、上尾や菖蒲の商人の名前もあります。かつての紅花商人たちの繁栄を伝える貴重な文化財です。(桶川市教育委員会)」

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災で石灯籠は倒壊したようです。これは、昭和2年4月に再建されたものです。

また境内には、日本一の力石といわれる「大盤石」があります。力石でも特に重たいものを「大盤石」というそうですが、大盤石は全国に4個ほどだけ。これは610kgあります。嘉永5年、岩槻の三ノ宮卯之助が持ち上げたということです。

人が仰向けに寝て、両足で持ち上げる「足指し」という方法で持ち上げたと推定されています。

卯之助は江戸一番の力持ちと評判になりましたが、卯之助は、この大盤石を持ち上げた3年後、48歳のとき不慮の死をとげました。

 

 

 

 

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2021/05/21

今日から二十四節気「小満(しょうまん)」、七十二候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」 ◆世界遺産「富岡製糸場」

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_mg_4400(富岡製糸場 フランス製の機械)

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_mg_4343(富岡製糸場 寄宿舎)

_mg_4446(桑畑)

_mg_4104(荒船)

_mg_4131_20210517063501(荒船風穴)

_mg_3996(高山社跡)

_mg_4041(高山社跡)

_mg_4056(高山社跡)

_mg_4469(田島弥平旧宅)

 

今日(2021年5月21日)から二十四節気「小満」、初候「蚕起食桑」です。

 木々が青々とし命輝き、蚕が桑の葉をいっぱい食べて成長する季節です。

蚕といえば絹です。

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成要素4ヶ所は「富岡製糸場」、「荒船風穴」、「高山社跡」、「田島弥平旧宅」の4ヶ所です。

 明治政府は、生糸の品質を向上させるため、洋式の繰糸器械を備えた官営模範工場を建設することになり、このとき大蔵省租税正であった渋沢栄一は、養蚕にも詳しかったので、富岡製糸場設置主任に任命されました。

フランスの技術を導入した富岡製糸場は明治5年(1872年)に設立され、国内養蚕・製糸業を牽引しました。 初代場長を務めたのが、栄一のいとこ、尾高惇忠です。フランス人技師が飲んでいるワインを見た人たちが、人の生き血を飲んでいると噂をし、女工が集まらなかったといいます。そこで、惇忠の娘のゆうが伝習工女第1号になり、その誤解を解いたというエピソードがあります。赤ワインだったんでしょうね。

資料棟には当時使われていたフランス製の機械も展示され、入り口の正面のレンガ壁には「明治五年」のプレートも見えます。

製糸工場の南側には川が流れていますが、この川は利根川水系の鏑(かぶら)川で、上流に「荒船風穴」があります。

「荒船風穴」は自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種(蚕の卵)貯蔵施設です。それまで年1回だった養蚕を複数回可能にしました。取引先は全国各地、朝鮮半島にまで及びました。

下仁田の街を過ぎ、神津牧場を経由した、かなり山の中です。今は建屋はなく石垣が残っているだけですが、温度計も設置されていて、外気温と石垣の下から出ている冷気の温度が示されています。手をかざすと冷たいのがわかりました。

「高山社跡」は日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した養蚕教育機関です。2階に上がると蚕棚が並んでいました。

「田島弥平旧宅」は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島与平の旧宅です。瓦屋根に喚起設備を取り入れた近代養蚕農家の原型です。

 

 

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2021/05/14

東北お遍路写真コンテスト2021の作品募集

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東北お遍路写真コンテスト2021の作品を募集中です。

締め切りは2021年12月15日です。

公式HPをはこちらです。

 https://touhoku-ohenro.jp/activity_detail.php?id=102

 

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2021/05/13

2021年5月14日放送予定 NHK「チコちゃんに叱られる!」西郷さんと犬像のクイズ

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明日のNHK「チコちゃんに叱られる」では、西郷さんと犬像のクイズがでるそうです。

「なぜ西郷隆盛像は犬を連れているの?」という問題らしい。

明治22年、大赦によって西郷さんの「逆徒」の汚名が解かれ、薩摩藩出身者が中心となって建設計画が始まったという。銅像の除幕式は、明治31年でした。西郷さんの方は、高村光雲作、犬の方は後藤貞行作。

西郷さんが愛犬家で、飼い犬の1匹であった雌の薩摩犬ツン(モデルは雄犬で、ちゃんとおちんちんもついています)を侍らして、軍人から単なる兎狩りを好むおじさんにイメージを変えて、西郷の影響の無害化を明治政府が図った(明治政府の意向を忖度した)ためとか、そんな常識では番組にならないでしょうから、どんな答えなのかなぁと。

実際、鹿児島市(地元)に西郷像が立っていますが、こちらは直立不動の軍服姿なのです。

意外な答えを期待したいと思います。

 

 

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2021/05/10

【犬狼物語 其の五百五十九】 狼の産見舞い

16287a4695_20210509075601狼の産見舞い「おぼやしねぇ」

16287a4706_20210509075601「おぼやしねぇ」のお供え物

Photo_20210509075601(横浜市 神鳥前川神社 守護犬)

Photo_20210509075602(富士宮市 杉田子安神社 母犬像)

 

ここ10年ほど、犬像の旅や狼像の旅の中で、犬や狼が子安信仰と結びついているということを知りました。

具体的には、『犬像をたずね歩く』(2018年・青弓社)で、「第25話:子安信仰の犬」として、日本全国の子安犬、撫で犬、守護犬、叶い戌、安産犬、母犬像など、子安信仰の犬像を16体ほど紹介しています。

子安信仰には、犬が登場するのですが、どうして犬なのか?というところは今一わかりません。

俗に犬は、安産・多産であること、また、生命力にあやかろうとして信仰の対象になり、戌の日に安産のお参りをするとか、妊娠五か月の戌の日に妊婦が岩田帯(腹帯)をつける信仰になったといわれています。犬張り子、犬の子などのお守りもあります。

子安信仰と犬には親和性があるのは確かですが、それじゃぁどうして他の動物ではなかったのか、という疑問が残ります。

犬像を探していたら、中には、犬と狼の区別がつかないものも出て来て、それから狼像や狼信仰に興味を持っていったわけですが、狼信仰を知るにつけ、子安信仰の犬は、もしかしたら、もともとは狼ではなかったのか、というふうにも思えるようになりました。

とくに、「狼の産見舞い」という祭りを見てからですね。狼が子供を産んだら、小豆飯などのお供えをするというものです。この話は、6月出版の『オオカミは大神 (弐)』にも書いています。

2年前、群馬県中之条町引沼集落の狼の産見舞い「おぼやしねぇ」という祭りに参加しました。もともとは狼祭だったのですが、狼は絶滅し、最近では、狼の影はまったくなく、子どもの健やかな成長を祈る祭りに変わっています。

西村敏也著『武州三峰山の歴史民俗学的研究』には狼の産見舞いについて、

「柳田國男氏は、山の神が山の中で子を産むという俗信が神としての存在である狼と結びついた儀礼、松山義雄氏は狼害の緩和策としての儀礼と位置づけている。朝日稔氏は、犬の安産の知識が狼と習合したという可能性を示唆している」

とあります。朝日稔氏の説によれば、犬の子安信仰が先にあったようですが。

また狼にお供えするもので大切なものは「小豆飯」です。小豆が山の神への供え物の特徴であること、そして小豆は産むことの呪力と結びつくという。

地元の人たちの話からも、引沼集落の「おぼやしねぇ」は、狼・山の神・産神の3つが合わさったような意味に捉えられていることがわかりました。

山の神が根源にあって、山の神の眷属である狼、そして狼と区別が付きにくかった犬へ、という、より身近なものへの流れがありそうです。

犬と狼、どっちが先かはまだわかりませんが、少なくとも、子安信仰の「犬」に、「狼」が関係しているのではないか、もし、そうなら、子安信仰として、「猫」でもなく、「狐」でもなく、「鼠」でもなく、「犬」であることの意味がなんとなくストーンと腑に落ちる感じがするのです。

 

 

 

 

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2021/05/09

【犬狼物語 其の五百五十八】『オオカミは大神(弐)』の色校正紙

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『オオカミは大神(弐)』の、色校正紙が出ました。色校を見ると、いよいよ出版が近いなという実感がわきます。あと1か月ちょっとです。

全体的に、色は良く出ていて、小さな写真もわかりやすいと思います。前回、小さな写真がなんだかわからなくなって、差し替えたということがありましたが、今回は差し替え無で済みそうです。

本文の直しは複数個所あったので、それを直してから戻します。

 

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2021/05/07

Ngaben (ミュージックビデオ)

 

Ngabenは、オリジナルのバリ・ガムランふうの音楽に、バリ島の葬式Ngabenで録音した女性たちの歌をミックスした曲です。あらためて、ミュージックビデオとして残しておきます。

この曲は、『オオカミは大神(弐)』のPVでも後半部分を使用しています。

https://youtu.be/NMbB80ygamE

 

 

 

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2021/05/06

【犬狼物語 其の五百五十七】千葉県袖ケ浦市 蔵波三峯神社

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伏せの格好のお犬さまがいるというネット情報で、いつかは参拝したいなと思っていた三峯神社です。

集落の中に車で入ったのですが、神社は、道路から高い位置にあったため、行きは気がつかず、行き止まりを戻ってきたら、正面に見えて、ようやく神社を探し当てました。むしろ歩いて来た方が簡単に見つかったと思います。

道路から高さ4mほどあって、階段を上ると、鳥居が建って祠が祀られています。その両側でお犬さまが守っています。伏せをした格好のお犬さまです。

ふと、右側のお犬さまの下に、古い動物像があるのに気がつきました。1体だけで、石の表面も風化が進んでいて、細かいところはわからなくなっていますが、どうもこれもお犬さまのようです。先代のお犬さまなのかもしれません。

 

 

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2021/05/05

今日から二十四節気の「立夏」、七十二候の「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」

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もう「立夏」なんですね。この前までこたつを出していたのが噓のようです。

いい季節になりました。と言いたいところですが、去年、今年と、「立夏」の嬉しさが半減しているのは悲しいですね。インド変異種の流行などの懸念もあって、この夏が思いやられます。

せっかく来月には本が出版されて、7月には写真展を開こうと思っていますが、また、去年の写真展と同じように、宣伝できないという状況になってしまうのではないかと心配です。

来年の「立夏」こそ、100パーセント喜べる二十四節気になっていてほしいと思います。

写真は、令和2年版「旧暦棚田ごよみ」で使った千曲市・姨捨の棚田です。これは明け方の写真ですが、この前の夕方、暗くなりかけるといっせいに蛙が鳴き始めます。1匹が鳴き始めると次々に鳴いて、いつのまにか大合唱になっているのですが、不思議に思うのは、一番最初に鳴く蛙は、どういった立場の蛙なんでしょうか。ボスなのか、あるいは単なる指揮者なのか。

 

 

 

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2021/05/04

新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

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写真は、去年(2020年)、第1回目の緊急事態宣言下、4月19日の池袋駅前の様子です。

   ☆

3回目の緊急事態宣言が東京都などに出ていますが、去年の1回目と比べても、みんなの緊張感はなく、人出もそれほど減っていません。

1回目は緊張感がありました。また、一体感のようなものもありました。志村けんさんが亡くなったということも原因かと思われます。

とにかく、得体のしれないウイルスに対して、みんな一丸となって身構えている感じでした。そしてアマビエが流行りだしたのもそのころでしょうか。

新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司『暮らしの中の民俗学3 一生』という本を読んで、アマビエ流行と緊急事態宣言下の人々の緊張感や一体感は、偶然ではないんだなぁと思いました。

つまり、アマビエは、SNSを使った一種の祭りだったのではないかなと。

この本の立川昭二「病気・治療・健康」には、このようにあります。

「医療人類学者のマーガレット・ロックも言うように、日本人にとって「病気は元来個人に関することではなくて、家族という単位が責任を分ちあうべき事件(原文ではevent)である」。
 したがって、「治療は、家族のメンバーが皆で参加すべきものと考えられ」てきたのである。 こうした日本人のメンタリティは、たとえば病人が病院に入院した場合、その病人を家族としても社会人としても切り離そうとはしない。そのメンタリティは文化人類学者の大貫恵美子が指摘しているように、入院患者への濃密な「付き添い」と「見舞い」という日本人特有の行為となって表われる。
 「ニンギトウ」や「七人参り」にふれた波平恵美子は、「病気は、他の人によって代替され得ないものであるにもかかわらず、あたかも代替されたり分割され得るものであるかのように儀礼を通して病気に対処するものである」とし、このような考え方はバイオメディシン(生体医学)にはまったくないが、「こうした『病気を分け持つ』という考え方を現代的に読みかえて取り入れることが必要ではないだろうか」と論じている。
 「付き添い」や「見舞い」も「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティの表われであるが、最近よく言われる「病苦を共有する」とか「痛みを共感する」という考え方も、たんなるキャッチフレーズではなく、それがある現実的な相互治癒力を得るには、「ニンギトウ」や「七人参り」のような習俗が、現代的なイニシエーションのかたちをとって甦ることが求められるのではないだろうか。」

病人を「見舞う」とか「付き添う」とか、普通のことだと思っていましたが、意外とこれは日本的だったのかと、「目からうろこ」ですが、日本人は病気を個人の問題というより、家族、または社会の問題として捉えているということになるのでしょう。

そう考えると、去年、新型コロナが流行りだして、マスクを躊躇なく使い始めたのは日本人を初めとしてアジア人だったようで、マスクは、自分が罹らないということはもちろんですが、「人にうつさない」という考えがあったことは重要かと思われます。それは「人にうつさない」ことが結果として社会全体の感染者を減らし、自分が感染するリスクを軽減するということにもなります。

マスクを拒否する人たちの「俺は罹らないから大丈夫」とか「若いから重症化はしない」とか「罹ってもいいや」という言い方は、「病気は個人のもの」という考えに他ならないでしょう。

1回目の緊急事態宣言が出たときの緊張感、一体感は、アマビエというものを象徴として、みんながこぞってアマビエの絵を投稿し、アマビエの姿の和菓子を造るなど、まるでお祭りのようでしたが、あながち、これは「祭りのよう」ではなくて「祭り」そのものであった気がしますが、この「祭り」を通して生まれたのではないでしょうか。リアルな祭りは「密」になることもあってできなかったし、アマビエ流行のようにSNS上で斎行された「祭り」は、全部ではないとしても、日本人が一致団結し、緊張感をもって新型コロナと対峙したということに少しは影響があったと、今は思います。

「病気を分け持つ」というメンタリティは、特に感染症の場合、逆に言えば「人にうつさない」という考えにもつながると思うし、個人が勝手な行動をする限り、このウイルスが収束することはありえません。それをこの1年で俺たちは学んできたはずです。

もう一度、何かの「祭り」をぶち上げて、一体感、緊張感を取り戻す必要があるのではないかと思います。それが「狼信仰」だったら嬉しいというのが本音としてあります。いや、「狼信仰」以外でもいいんです。祭りになる何かがあれば。

『オオカミは大神(弐)』には、山梨県のある三峯神社で、去年、コロナ退散祈願祭が斎行されたことを書いています。もともとこの神社は、江戸時代、疫病が流行ったことがきっかけで秩父・三峯神社を勧請した経緯があり、今回、その伝承にあやかり祭りを斎行したとのことです。その結果、村人の一体感は強まったという話を聞きました。

そう、「一体感」なのです。狼(お犬さま)が直接新型コロナウイルスをやっつけてくれるなど、誰も考えていません。病気が社会的なものならば、みんな一丸となって立ち向かわなければならない、個人がばらばらで勝手に行動していてはダメなのだ、という村人の決意表明としての祭りなのです。

祭りによって、村人の精神的な集団免疫力は確実に上がったと思います。

 

 

 

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