【犬狼物語 其の六百六】兵庫県養父市 山野口神社の祭り
兵庫県養父市の養父神社・山野口神社を再参拝しました。
今回の目的は「狼の宮」として知られる山野口神社の祭りです。
山野口神社は、養父神社本殿の後ろにあり、解説看板には、
「御祭神は大山祇命であります。別称は「山の口のおおかみ」と申し上げ、流行病を退けられ、「つきもの」を落とす神として広く信仰されています」
とあります。神使が狼です。だから狼さまの像が奉納されています。
明治時代、西日本でコレラが流行ったときに、コレラ除けとして数多く各地に勧請されたのが木野山神社ですが、疫病除けは木野山神社だけではありませんでした。その一社に山野口神社があります。
養父神社社殿から右奥に進むと池があり、更に進むと、山野口神社の社殿が鎮座します。この社殿は元禄時代に建立されたと伝えられています。明治30年の「養父神社絵図」には「奥ノ宮 山ノ口社」として描かれています。
山野口神社の祭りですが、 今、コロナ禍もあり、遠方の講と近場の講、2回に分けて神事を行いました。
宮司はあいさつで、「流行病が起きたとき、山野口の大神の御霊を、各地に持ち帰って病を防いだという話があります。まさしく今の時代と同じです。直会もできませんが、来れなかった人たちにはお札を郵送しています」
講で一番遠くは淡路島から来るという(今回は郵送)。各地から代参の人が講員分だけのお札をもらって帰り、祠に祀ります。代参は、当番が順々に変わり、一回りしたら、総参講となるところもありますが、各講のやり方はそれぞれ違っているそうです。
ところで、伊能忠敬の映画『大河への道』が公開されていますが、伊能は養父神社にも立ち寄っています。文化11年(1814)のことです。伊能はこのとき70歳でした。当時、養父神社の標高372mの弥高山の山頂に上社、中腹に中社、現在の養父神社の位置には下社という3社がありましたが、そのことについても記しています。
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