カテゴリー「環境・自然」の112件の記事

2017/07/10

【愛犬物語百景 其の百六十四】 国立科学博物館 ニホンオオカミとハイイロオオカミ

170710_1(ニホンオオカミ)

170710_2(ハイイロオオカミ)


上野の国立科学博物館の地球館には、ニホンオオカミとハイイロオオカミの剥製が展示されています。

同じ狼でも、大きさも色も雰囲気も違います。ニホンオオカミはハイイロオオカミと比べると、ずっと優しい感じがします。今、山で見かけても、野犬とは区別がつかないかもしれません。それでも、怖れられていた存在には違いありませんが。

ニホンオオカミについて詳しく書かれた最初の本は、『日本動物誌』(Fauna Japonica)だそうです。イヌ科の部分は、1844年に発表されていますが、これはシーボルトが大坂で採取し、テミンクが研究したものです。

そこにはこのような記述があります。

「野生犬の新種族、すなわち、日本人がヤマイヌ Jamainu と言っているものは、形態、習性、毛質など、どの点から見ても、まったく、われわれの国の狼に比すべきである。ただ、肢が短い点が違っていて、ヨーロッパ狼 Canis Lupus と同族とは、とうてい考えられない。」(平岩米吉著『狼 その生態と歴史』)

とあります。ヨーロッパ狼と比べて、小ぶりだったということらしい。

この前も書きましたが、ニホンオオカミは絶滅したと言われています。だから、1905年1月23日、奈良の鷲家口で、アメリカ人のアンダーソンが猟師から8円50銭で買い取ったものが、最後のニホンオオカミと言われています。

ただし、まだ生存説を唱えている人もいます。目撃情報もありますが、確実に「オオカミだ」と言えるような情報は今のところありません。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は今回が初めてらしい。長年の謎の解明に一歩近づいた感じです。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

「ネパールとモンゴル」とあるので、2ヶ所、という意味なのか、それとも、チベット高原とその周辺地域という意味なのか、どちらかはわかりません。

チベット高原で家畜化され、それが同心円状に伝播していくなかで、オオカミではなく、より「イヌらしい性格」になっていったというストーリーはわかりやすいとも言えます。

こちらのHP「日本犬のルーツ」によると、日本犬は、日本人の渡来ルートと関連しているということらしい。

「北海道犬と琉球犬は遺伝的に近い関係にある。」とあって、これは人間の遺伝子と同じ状況です。

日本人の成り立ちは、現在のアイヌ族の人たちと沖縄人との間では遺伝的な特徴が似ていることがわかりました。このふたつの集団は、今は南北に分かれていますが、もともとは日本列島にかなり早い段階、約数万年前にたどり着いていた集団の末裔(縄文人)で、その後、約3000年前に別な集団(弥生人)が九州や近畿に入り、日本に拡散していって、混血を繰り返し、現在の日本人ができました。

二重構造になっています。アイヌ族の人たちと沖縄人のふたつは縄文人的DNAが比較的色濃く残っている集団で、その上に弥生人的DNAが重なっているのが今の日本人。

日本犬も、南からか、北からかはわからなくても、少なくとも、大陸から人間といっしょにやってきたということで、二重構造があることがわかったらしい。縄文人は縄文犬を、弥生人は弥生犬を伴ってきたと考えることができるようです。

ニホンオオカミとの関係でいえば、日本犬は少なくともニホンオオカミから家畜化したわけではないということですね。日本列島に来た時にはすでに「犬」だったのです。

その後、オオカミと犬を掛け合わせて強い狩猟犬を作っていったということがあったようです。それについては、明日掲載予定の「埴輪犬」で。
 
 
 
 
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2017/07/08

現代版お犬さま(狼)の物語。「自然」「安産」「絆」のシンボル

「オオカミ」を「お犬さま」と呼び替えるところは日本的だと思います。「オオカミ」よりも「お犬さま」の方が優しく感じるし、親しみがわきます。

牧畜業が盛んでオオカミ被害に悩まされた欧米で、オオカミと犬を混同することはないそうです。欧米とは違い、日本の場合、オオカミはあくまでも益獣でした(馬産地を除いて)。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

犬との雑種がいたようです。もともと、「山犬」とあいまいに呼ばれた動物は生物学的には「ニホンオオカミ」のことですが、山には、オオカミもいたし、オオカミと犬との混血もいたし、山で暮らす野犬もいたし、なかなか区別はつけにくかったのではないでしょうか。

だから「お犬さま」というのは、生物学上の「ニホンオオカミ」だけではなく、こういったいろんな「山犬」を含んだ、「お犬さま」という抽象的なイメージが、大口真神、あるいは、山の神の使いとして信仰されてきたということなのでしょう。

ただ、ニホンオオカミは、絶滅したと言われています。(生き残りを信じる人もいます)

少なくとも、害獣を防いでくれる益獣としての役割は終わっています。江戸時代には、どちらかというと、火災や盗難を防いでくれるとか、狐憑きを治すのに効果があるとか、コレラに効くとか、そういった方向に変わってきました。

物語や信仰は時代とともに変化しています。時代に合った生きた信仰であれば、これからも続いていくでしょう。この「お犬さま信仰」という文化を廃れさせてしまうのは、もったいないと思っています。

では、何か、新しい物語はできるのでしょうか。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、ニホンオオカミの絶滅原因について書かれていました。要約すると、次の5点があげられるようです。

1: 狼に対する人々の観念の変化がありました。古代から「大口の真神」とたたえられ、田畑を荒らす猪鹿を退治する農耕の守護者としてあがめられてきたニホンオオカミも、狂犬病の流行で、危険極まりない猛獣と化したのです。

2: 危険な猛獣、ニホンオオカミは銃器の対象になってしまいました。

3: 銃の威力は鹿などにも向けられ、結果的に、オオカミの食料を奪うことに繋がりました。

4: 開発で、森林が切り開かれて、縄張りを喪失することになりました。

5: オオカミの美点とされる、夫婦親子などの愛情深い集団生活のために、狂犬病は伝染しやすかったことです。

この「5」の理由ですが、皮肉なことです。家庭を大切にするオオカミが、そのために絶滅を招いてしまったとは。単独行動していたから病気があまり広がらなかった熊とは対照的です。

柳田国男は、群れの解体で絶滅したという説を主張しましたが、平岩は、習性や行動を知らないための無謀な憶測だとバッサリ切り捨てています。事実は逆で、オオカミは「群れの解体ではなく、親密な群れの生活のために滅びたのである」と言っています。

オオカミの家族愛や強い仲間意識、集団行動については、別な本でも読んだことはあるのですが、人間はオオカミからこの集団行動を学んだおかげで、生き残った、みたいな説があったような気がします。犬を飼っていなかったネアンデルタール人は、だから滅んだというのです。

このように、家族・友人など集団生活を営む「絆」の象徴として「お犬さま」の物語を作り直すことができるのかもしれません。現代の物語として、です。

もちろんパワースポットという形の新しい自然崇拝のひとつのシンボルとして、そして、もうひとつは安産・多産のシンボルとして、「お犬さま」が物語られるということは当然です。

 
 
 
 
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2017/06/30

犬とAIのおかげで「人間」になれる

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ほとんど将棋のことなど何もしらない人たち(俺も)までが、また例のごとく、お祭り騒ぎするくらい、藤井聡太四段の快進撃は止まりません。

彼も今どきの棋士らしく、AI将棋ソフトで勉強しているらしい。「AI時代の申し子」と言われているようです。

AIはどのような影響を人間に与えることになるのでしょうか。

オーストラリア先住民アボリジニーには「犬のおかげで人間になれる」ということわざがあります。気に入っていることわざで、『全国の犬像をめぐる』にも前書きで引用させてもらっています。

このことわざは、テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』に載っているものです。

どういうことなのでしょうか? 本から要約します。

考古学によって、人間が飼い犬を埋葬するようになった1万年前から、人間の脳が小さくなったことがわかったというのです。(犬の脳も小さくなりました)

人間の脳のどこが小さくなったかというと、

「人間では、情動と知覚情報をつかさどる中脳と、嗅覚をつかさどる嗅球が小さくなり、一方、脳梁と前脳の大きさはほとんど変わっていない。」

だそうです。つまり、犬と暮らすようになって、こういうことが起こったようです。

「犬と人間の脳は専門化されたのだ。人間は仕事の計画と組織化を引き受け、犬は知覚の仕事を引き受けた。犬と人間はともに進化して、よき伴侶、よき仲間、よき友達になったのだ。」

なるほど。

昔は犬は番犬、猟犬としての能力が重宝がられたはずなので、そういった番犬として、猟犬として、暗闇から敵を見つけたり、匂いで他の動物の接近を知ったり、獲物を探したり、という知覚能力を犬に頼ることができるようになったので、人間はその部分の能力を退化させたということのようです。

これが「犬のおかげで人間になれる」という意味のひとつです。お互いが補完しあう関係ですね。(ネアンデルタール人が滅んだのは、犬を飼わなかったからだ、という説まであります)

と、いうことは、今、AIが話題になっていますが、もしかしたら、AIによって、人間は犬を飼い始めたときのような大変革の時期に差し掛かっているのかもしれません。

今のAIによって、人間の能力を補完してくれるならば、人間は、そこはAIにお任せして、別なとこに能力を使えるようになる、とも言えるわけです。人間とAIは、犬と暮らすことで脳が専門化したように、お互いの能力を住み分けるのです。

例えば「計算」はAIには絶対かないません。「計算」でAIに勝とうとしても無理です。ここはAIに任せたほうがいいでしょう。

だから、たんに「AIで仕事を奪われる」などと悲観している人は、もっと大きな人間の未来予想図を思い描けない人、ということなのでしょう。悲観すること自体、すでにAIに負けています。いや、勝ち負けではないですね。あくまでも「補完」なのです。お互いが必要不可欠な「仲間」と言ってもいいでしょうか。

どんな能力の発展が人間に可能なのかはわかりませんが、たぶん、AIには一番不得意な分野であるのは確かでしょう。じゃぁ、何が不得意かというと、「あいまいさ」ではないでしょうか。この「あいまいさ」はAIと比べて人間の得意分野だからです。「芸術」などはその典型かも。

まぁ俺は預言者でも占い師でもないので、この「あいまいさ」が、遠い未来、どういった能力につながるのかわかりませんが。

藤井聡太四段などが使うAI将棋ソフトでは、最適な手を教えてもらうことができます。じゃぁ、最適な手は、もう考える必要がなくなったとして、その先、人間がやるべきことは何なんでしょうか。そもそも将棋をやる意味は?

そこがたぶん、将棋の新時代の価値に関わってくるのでしょうが、それが何かは俺にはまだわかりません。

もしかしたら「勝負に勝つ」ということ以外に価値が新しく生まれるのかもしれません。「勝たなくてどうするんだ?」と思うのは、今の俺たちの頭脳の限界でもあるのかも。

そういう新しい価値で生きる新しい動物が、その時代の「人間」なのでしょう。AIもまた犬と同じように「人間」を作るのです。
 
 
 
 
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2017/06/03

NHK「歴史秘話ヒストリア」で、綱吉の「生類憐みの令」の再評価

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昨日、NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」で、徳川5代将軍、綱吉の「生類憐みの令」をやっていました。

時代は違いますが、伊勢神宮を代参したおかげ犬も出てきました。おかげ犬の最初の記録は1771年、徳川家治の時代です。

現在中野区役所のそばに置かれている犬の群像も登場しました。この群像はとくに、夜になると色が目立たなくなるので、本物の犬たちがたむろしているように見えます。臨場感のある犬の群像です。

ここは「お囲い御用屋敷」、犬の住居(保護施設)があったところです。当ブログでも、すでに紹介しています。

【愛犬物語百景 其の百十二】 綱吉時代の「お囲い御用屋敷」跡の犬像

綱吉の「生類憐みの令」は有名で、綱吉は「犬公方」と呼ばれるほどの犬への偏愛があったことで有名ですが、それが強調されて、とんでもない将軍だと誤解もされてきました。

「生類憐みの令」は「天下の悪法」と言われてきましたが、最近は、再評価されているらしいのです。

日本獣医史学会理事長の小佐々学氏も、「生類憐みの令」の再評価について、

「旧弊である武断政治を文治政治に変えるために、命の大切さを理解させる手段であったとも考えられる。人と動物の命を同等視して、人も動物の一員であると考えていた可能性があるのは注目されていいだろう。動物のみならず人の保護まで含んだ世界最初の動物保護法として極めて重要であり、今後は動物愛護やヒューマン・アニマル・ボンド(略してHAB)の視点から再評価されるべきだろう」

と述べています。

ヒューマン・アニマル・ボンドとは「人と動物の絆」のことで、最近の研究によって「人と動物とのふれあいが、人と動物双方に精神的・身体的にいい効果をもたらす」ということが示されています。

「生類憐みの令」は、すべての生き物の命を大切にするという綱吉の先進的な考えでもあったようです。犬だけではないのです。捨て子が多かったことで、捨て子を取り締まったり、罪人の牢屋内の待遇改善までやりました。

それは綱吉のお母さんが庶民の出で、幼いころから庶民についても聞いていて、人が生きる上で、何が大切かをわかっていたということも、理由だったようです。

でも、綱吉は完璧主義者でもあったので、厳しすぎることで、世間から段々受け入れられなくなっていきました。崇高な考えをストレートに推し進めようとしても、周りが付いてこないというのは、この件に限ったことではなく、いろんなところで目にします。

ただ、「生類憐みの令」は破たんしましたが、でも、その元の思想は十分現代にも通じるし、何しろ、西洋の動物保護の考えが生まれるずっと前にこの思想が生まれていたというのは、誇ってもいいのではないでしょうか。

綱吉によって「令」という形になりましたが、もともと日本の中で、生き物との関係性に育まれてきた「生き物はみな平等」という感覚が、庶民の間にもあったので、、「生類憐みの令」も最初は庶民にも受け入れられたのではないかなと思います。

マハトマ・ガンディーは次のように言っているそうです。

「国家の偉大さや道徳的な進化の度合いはその国が動物をどのように扱っているかで判断できる」

と。
 
 
 
 
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2017/05/29

【愛犬物語百景 其の百三十四】 東京都練馬区 八坂神社のお犬さま像

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練馬区の八坂神社を参拝しました。

階段を上って行くと社殿が現れますが、境内の社務所横には、目立つ巨木2本、「練馬の名木」が立っています。

1本は銀杏で、高さ26.5m、幹の太さ3.7m。練馬区内では銀杏としては有数の大きさを誇るという。もう1本はカヤです。高さ25m、幹の太さ2.7m。これも区内有数のカヤの木で、「練馬の名木」に指定されました。境内の樹木を折ると熱病にかかるという言い伝えがあるそうです。

この練馬の名木に見守られながら、御嶽神社は、拝殿の左手に鎮座しています。大口真神社の御札が納められていました。

1対のお犬さまがいます。大きくはないですが、鋭い目つきで、何かを守っているような威厳と存在感があります。シルエットだけ見ると、「ゴジラ」のようにも見えます。

冗談ではなく、意外と「お犬さま」と「ゴジラ」には共通性があるのかもしれません。自然と人間の仲立ちをする「神使い」として、あるいは「神」そのものとして。

「お犬さま」はもともとオオカミ信仰ですが、農作物を害獣から守ってくれるという感謝の思いだけではなく、山に棲む得体のしれないものに対する畏れもあったような気がします。つまりそれは、自然そのものに対する感謝と、畏れそのもの、ということなのでしょう。自然を象徴する存在としての「お犬さま」。そんな風に見えます。

一方の「ゴジラ」も、アメリカ映画が描く、ただ単に人間に害を与える怪獣とは、ちょっと感覚が違うような気もします。

たしかに日本の都市は何度も破壊されました。でも、それは台風や、地震や、津波と同じような、たとえて言えば、「ゴジラ」が日本で暴れるのは、自然災害のようなところも感じます。

だから単に、「ゴジラ」を殺せばハッピーエンドか、というと、そうでもなく、来てはほしくないけど、いなくなったら嫌だ、みたいな。ということは、「ゴジラ」も自然を象徴しているのかなとも思ったりします。
 
 
 
 
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2017/03/25

今日は、二十四節気「春分」、七十二候「桜始開(さくらはじめてひらく)」

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今日は、二十四節気「春分」、七十二候「桜始開(さくらはじめてひらく)」です。

今年、一番初めに桜の開花宣言したのは、東京都でした。3月21日の肌寒い小雨の日でしたが、靖国神社の標本木、数輪咲いていました。

今年はゆっくりと満開になるので、長く桜を愛でることができそうです。

写真は以前撮影した茨城県の浅畑の棚田を見下ろす場所にある桜の花です。
 
 
 
 
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2016/10/24

2016年秋の撮影旅(34) 山形県米沢市田沢 「草木塔の里」

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天童市のイエローハットでつるつるになってしまったタイヤを新品に交換してもらって、一路、埼玉を目指して南下します。

米沢市から喜多方市へ抜けるとき、田沢地区を通りましたが、今年6月来た時に知った「草木塔」を探してみようと思っていました。

草木塔とは、江戸時代中期から米沢市田沢地区に建てられた「草木供養塔」「一佛成道観見法界草木国土悉皆成佛」「草木塔」などと刻まれた石碑の総称です。

江戸期の草木塔が確認されているのは全国で34基ですが、そのうちなんと32基が山形県置賜地方に分布し、中でも米沢市田沢地区には10基が集中していて、「草木塔の里」と呼ばれています。

草木塔が建てられた理由ははっきりしていませんが、山林伐採や「木流し(川を利用した木材・薪の流送)」に関わった山里の人々の畏れや感謝や祈りが込められているのではということです。(道の駅「なごみの郷」リーフレット参照)

解説看板によると、安永年間の江戸大火や米沢城下の大火で、大量の木材が伐採され、その供養のため、という説もあるそうです。

草木塔だけに限らず、動物や海産物などの供養塔もあり、それは「命を奪う」ことに対する罪悪感を薄める効果もある、「命を奪う」ことで人間が生きていけることへの感謝を表すのが供養塔だという話は本で読んだ気がします。

草木塔は、自然保護などの世界的流れと合致する部分もあって、自然を考えるきっかけになることは間違いないのではないでしょうか。地味な存在ですが、その意味は大きくて、現代的だと思います。

と、いうことで、今回は一番古い草木塔を探してみました。ここから全国に草木塔が広がっていった可能性もあるとのことで、ここが発祥の地になるわけですね。「日本最古の草木塔」かも。

上に掲載した写真の草木塔が、一番古い1780年(安永9年)に建てられた「塩地平草木塔」です。

国道から少し奥に入った墓地の一角にありました。(昭和初期に移設されたそうです)保護のために屋根がかけられています。表面は風化していますが、かろうじて「供養塔」と読めます。(養の字は昔の字ですが)
 
 
 
 
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2016/08/29

レオナルド・ディカプリオの映画 『レヴェナント 蘇えりし者』は西部劇の進化形

160829_1(根室市 ミズナラの風衝林)

160829_2(札幌市 アイヌ文化交流センター「サッポロピリカコタン」)

160829_3(松前城 シャクシャインの耳を埋めた「耳塚」)


レオナルド・ディカプリオが、ついに悲願のアカデミー賞主演男優賞に輝いた映画『レヴェナント 蘇えりし者』を観ました。音楽は坂本龍一が担当しています。

「レヴェナント(Revenant)」とはどういう意味か調べたら、「帰ってきたもの」「亡霊」などという意味だそうです。

【ここからネタバレ注意】

映像はすばらしいと思うし、とくに熊との格闘シーンはすごかった。それと雪の大自然。朝夕の時間帯だけで撮影した「暗さ」が独特の雰囲気を醸し出しています。これだけでも観る価値はあると思いますが、ストーリー自体は単純で、要するにこれは「西部劇」ですね。

息子ホークを殺された主人公グラスが執念で復讐を果たすというもの。これを「ネタバレ」とも言わないほど、ストーリー展開は予想通りで、結果もその通りになったので「西部劇」という感想になったのですが。

唯一「西部劇」の進化形だと思われる部分は、先住民族、ネイティブ・アメリカンの描き方が、単なる「野蛮人の敵」といった単純なものから、むしろ白人側の蛮行を描いたり、先住民族に人間味を持たせた部分(公平さ)にあると言えるかもしれません。

主人公の立ち位置がまさにこの部分に関わるもので、先住民族、ポーニー族の中で生活をして妻と息子と暮らしていたグラスは、だから白人と先住民族との懸け橋になっている人物なのです。

熊に襲われることを含めて数多くのトラブルに見舞われるグラスですが、その度になんとか生きのびます。驚異的なサバイバル術です。普通の人間なら完全に死んでいたでしょう。

「生」に対する執念はすさまじいものでした。これは「息子を殺されたことへの復讐心」が支えていたのかもしれませんが。「生」に特化した動物に成り切ったグラスの姿は神々しくもあります。

「西部劇」のような単純なストーリーだからこそ、主人公グラスの動物的な美しさが強調されているのかもしれません。

それにしても、いつも映画を観ると、その中の印象的なセリフを思い出すのですが、今回はまず、グラスの息子を殺した裏切者ジョンが言ったセリフを思い出しました。

それは自分がグラスを助けなかった裏切り行為を、「神が決めたことだ」と言うのです。これは自分の行為を正当化するための方便なのでしょうか。とするならば、ジョンも、少しは良心の呵責は感じているということなのでしょう。

「神」は、ずいぶん便利なものなんだなと思います。(皮肉を込めてですが)「神の御意志だ」と思えば、このようにすべての行為も正当化できてしまうんだなと。

そういえば、最後のシーンでも「神」が登場します。今度はグラスが言うセリフです。ジョンと闘ってとどめを刺そうとしたとき、「これは神に任せる」といったことを言い、自分では最後の最期、ジョンを殺さず「神に任せた」のです。結果的にジョンは他の先住民族に殺されてしまうのですが。「神が決めたことだ」と言ったジョンのセリフは、ブーメランのように自分の運命に帰って来たということでもあります。

ところで、この映画の舞台は1820年代初頭のアメリカですが、たぶん北海道でもこんなことが起きていたのではないだろうかと想像しました。先住民族のアイヌと和人の争いです。

舞台が寒いところなので、余計北海道を連想させたのかもしれません。実際1669年6月には、松前藩に対するシャクシャインを中心として起きたアイヌの大規模な蜂起「シャクシャインの戦い」というものもありました。
 
 
 
 
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2016/07/02

【愛犬物語百景 其の三十四】 埼玉県秩父市 三峯神社の「パワースポット」という「営業努力」

160701_1(三峯神社の「三ツ鳥居」とオオカミ像の狛犬)

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160701_3(文化7年(1810年))のお犬様(オオカミ)像とご神木)

160701_4(文化7年(1810年))のお犬様(オオカミ)像)

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160701_7(平成24年、辰年に現れた龍)

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埼玉県秩父市の三峯神社です。

駐車場から階段を上り、坂道を50mほど進むと一の鳥居が現れ、筋肉質のオオカミ像の狛犬に出迎えられます。この3連の「三ツ鳥居」は全国的にも珍しいそうで独特の雰囲気があります。

三峯神社は、秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社で、狛犬の代わりにオオカミの像が複数鎮座していますが、この中に、秩父で年代が分かっている最も古い、文化7年(1810年))の像があります。拝殿に上る階段の左右に鎮座しています。

細身の体形で、一見すると、キツネのようにも見えます。

秩父で「お犬様信仰」が始まったのは三峯神社で、山犬(ニホンオオカミ)の神札を信者に授けたことに始まるといいます。「お犬様信仰」の仕組みは神社経営の方策でもあったそうで、ここにも「営業努力」があったわけですね。

そしてその「営業努力」は、現代では「パワースポット」という意味付けも付け加えられているようです。

「パワースポット」というのは現代版の自然崇拝とも言えるようで、その中のお犬様(オオカミ)は、自然を象徴とする存在ではないでしょうか。

宮崎駿監督の『もののけ姫』にもオオカミが登場します。白く大きな三百歳の犬神、モロの君です。もののけ姫のサンがモロの君に育てられたという設定でした。

日本ではオオカミは絶滅してしまいました。森のカミが消える(カミを殺す)ということの意味は、文字通りオオカミを殺すこと以上に、自然との繋がりを断つものなのだなぁと思います。都会化した人たちの自然回帰で「パワースポット」が人気になっているのは、自然の成り行きではないかと思います。

境内のうっそうとした森の中を歩き、ひんやりとした空気に緊張感を覚えます。こころが引き締まるようです。

秩父一古い狛犬のそばには、推定樹齢800年の杉の巨木、ご神木がそびえたっていますが、参拝客は、ご神木に体を預け、自然からの氣を受けています。

なお、拝殿前、お賽銭箱の手前の床には龍の模様が。これは平成24年現れた模様だそうです。その年、干支は辰年でした。
 
 
 
 
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2016/07/01

今日は、七十二候「半夏生(はんげしょうず)」。富士山の山梨県側、山開きのニュース

140716_3(山梨県南アルプス市 中野の棚田 7月中旬撮影)

140716_1(山梨県南アルプス市 中野の棚田 7月中旬撮影)

140716_2(山梨県南アルプス市 中野の棚田 7月中旬撮影)

16(山梨県南アルプス市 中野の棚田 5月上旬撮影)

160701_0(山梨県忍野村 富士山と水田 5月撮影)

140701(ドクダミ科の「半夏生(カタシログサ)」)


今日は、二十四節気「夏至」の七十二候「半夏生(はんげしょうず)」。「サトイモ科である半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃」です。

棚田の稲が夏に向かって元気に育つ季節を迎えています。風に揺れる青々とした稲やカエルやトンボやクモなどの小動物が動き回り、棚田は命に満ち溢れています。

富士山は7月1日、山梨県側の吉田口登山道が山開きを迎えました。今年は雪がなく除雪作業をしなかったそうです。静岡県側の3登山道は10日に開山になる予定です。

「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」という名称で世界文化遺産に登録されて4年目になります。

富士山は聖なる信仰の山であると同時に、ふもとの人にとっては日常的に見ている身近な山でもあります。

とくに農民は春に現れる富士山の残雪の形「雪形」を見て農作業を行っていました。有名なところでは富士北麓から見える「農鳥」があります。富士山は「自然暦」の役目も持っていました。

最近の雪の少なさで、この「雪形」も現れなくなっているかもしれません。

世界の「文化遺産」である富士山、そして先祖代々、自然とともに作り上げてきた農民の「文化遺産」である棚田。ふたつの「文化遺産」の競演、棚田ごしに見る富士山は、瑞穂の国、日本らしい風景といえるのではないでしょうか。
 
 

 
 
 
 
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