カテゴリー「環境・自然」の120件の記事

2017/12/15

映画 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を観て

Aini01(中国雲南省 アイニ(ハニ)族)


昔観たかもしれないのですが、もう一度映画 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を観ました。

『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(Dances with Wolves)は監督・主演・製作はケビン・コスナー。アカデミー賞作品賞とゴールデングローブ賞 作品賞を受賞している1990年のアメリカ映画です。

どうしてまたこの映画を観ようと思ったかというと、狼が出てくる映画だからでした。人間と狼のファーストコンタクトを描いているものです。

ところが狼だけではありませんでした。もっと興味深かったのは、人間、先住民のスー族とのファーストコンタクトでした。

まったく、言葉も感覚も違う人たちが、どうやって交流を始めていくのか、雲南省で少数民族の村を訪ねたときの体験があるので、すごくリアリティを感じるものでした。

ケビン・コスナー扮する主人公、北軍の中尉だったジョン・ダンバーが「失われる前にフロンティアを見ておきたい」と田舎の砦への赴任を希望します。

そこで先住民のスー族たちに出会い、しだいに心を通わせ、やがて本当のスー族になってしまうというストーリ-です。

砦に現れた1匹の狼。この狼とも仲良くなっていきます。犬が初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表があります。

狼は、やがてジョンの手から食べ物を食べるようになり、草原で楽しそうに戯れます。狼が犬に変わった瞬間はこのような場面だったのではないでしょうか。

ある日、ジョンはスー族の名前をつけてもらいました。名前を付けられたことで、スー族になったということを実感します。それが「狼と踊る男」です。スー語では「シュグマニツトンカーオブワチ」。ジョンが狼と戯れていたところをスー族は見ていたんですね。

バッファローの狩りで、印象的で大切なシーンがありました。

ジョンは彼らといっしょに狩りに出かけますが、獲物の肝臓を取り出して食べるシーンがあります。一番栄養がある部位で、それを共に食べることで一体感というか仲間の絆を再確認する儀式にもなっています。

スー族の男は、自分が食べたあと、ジョンに差し出します。ジョンもそれを食べると、周りの人たちから歓声があがります。

20数年前になりますが、俺も雲南省で同じような体験をしています。アイニ族の結婚式では、豚の生肉・レバー料理が出ました。俺が食べるところを村人がじっと見ているのです。そして食べると歓声が上がりました。

彼らも生食をすることは気にしているらしく、「西洋人の記者から、俺たちは生肉を食べる野蛮な人たちと書かれたが、なかなかこういう習慣はなくならないよ」と言いました。

ところで、男たちが他民族との闘いに出た時、ジョンは村に残り、村の守りを任せられるのですが、外敵が襲ってきたとき、砦に隠してあった銃を、村人に配るのです、今までは弓で闘っていたのに、銃を使うことで、格段に殺傷能力が高まり、結局、女たちでさえ銃で外敵をやっつけることができました。

明らかに、ここで闘い方の変化が起きました。もしかしたら、銃を使った戦いで勝ったという成功体験は、このあと、外敵が来たら交渉ではなく、すぐ戦ってしまおうと考えるようになったのかもしれません。武器を持つと使いたくなるというのは、古今東西、例外なくみられる現象です。

自衛のための銃は必要だという感覚はアメリカ西武開拓時代を考えるとわからないでもないですが、唯一、ジョンの行動で違和感を覚えた部分です。
  
 
 
 
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2017/12/04

旧暦十月十六日 満月スーパームーンを夜光杯の水に映して鑑賞

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昨日の満月(旧暦十月十六日)は、月が地球に近づくので大きく見える「スーパームーン」でした。

夜光杯の水鏡に映して満月を鑑賞してみました。「田毎の月」と同じ鑑賞の仕方です。

Wikiの「月見」のページにはこうあります。月見の慣習自体は中国から入ってきたものらしいのですが、

「平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。」(Wiki

月は「狂気」と結びついていて、世界中で見ることを忌むところも多いらしいのです。

日本でも「『竹取物語』には、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があり、月見を忌む思想も同時にあったと推察される。」(Wiki)とあります。

「lunatic」=「狂気」。「lunatics」=「月に影響された」。「lunacy」 =「精神異常。狂気」、「moonstruck」=「心が乱れた。狂気」。

月は「映す天体」。月は見る人の心(深層心理=狂気の部分)も映してしまうからでしょうか?
 
 
 
 
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2017/11/28

神の島バリ、アグン山が噴く

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半世紀ぶりでバリ島の聖山アグンが噴火したという。

噴煙は最初バリ島東隣のロンボク島まで達したらしい。と、いうことは西風が吹いたということでしょう。アグン山は島の東側に位置しています。

以前、島を棚田を探してバイクで走ったことがありますが、島の南部は人口密度も高く、棚田も南部に多く、東にじゃっかんありますが、北はほとんどありません。

噴火のタイプが水蒸気によるものからマグマ型に変化しているそうです。「大規模な噴火が起きる可能性は間近に迫っている」と当局は警告しています。

ニュース映像では地元の人たちは「これから生活がどうなっていくんだろう」と不安を漏らしていました。

2005年のバリ島爆弾テロ事件から10年過ぎ、ようやく後遺症を克服してきたバリ島です。今後が心配です。 
 
 
 
 
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2017/11/24

「UFO」が宇宙からやってくる神なら、「狼」は深層心理に棲まう神(神使)

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犬像・狼像に魅かれるのはなぜなのか、納得できる「自分の物語」を探しています。

あくまでも「俺の」ということです。人それぞれ、犬像・狼像に魅かれる「物語」が違うのはもちろんです。まだ「これだ!」というものがありませんが。

そんな中、河合隼雄総編集「講座 心理療法2 心理療法と物語」という本には、前から気になっていたことが書いてあって、あぁそうなんだ、と思いました。

それはUFOのことですが、ユングがUFOについて言及しているそうです。

この本の中の川戸圓氏の「「モノ」の語りとしての妄想と物語」にはこういう記述があります。

「UFOの物語は、現在まさに「生きている物語」となりつつある、というのがユングの主張である。…(略)… UFO伝説は、現代の「生きている神話」であると、ユングは言うのだが、何故、今、私たちが神話を必要としているのか、何故、今、私たちが神話を語り始めているのか、その理由については、現代というこの時代が、「人間性という面では暗黒」の時代であるからだという。…(略)… だからこそ宇宙の彼方から、この危機を乗り越えさせてくれるかもしれない、特別な力がやってくる、そういう話が生成してくるというのである。…(略)… この果てしない宇宙こそが、新たな天国となっており、「モノ」の棲む場所となっているのである。」

科学的合理主義が発達し、俺たちの周りから「異界」が消えてしまいました。そこで、「異界」を求める場所として、まだ未知の宇宙の果てがあります。そこに神を見るということなのでしょう。

なるほど、江戸時代にUFOを見たという話は聞きません。それは宇宙というものを、少し知ってきた現代だからこそ、UFOが見えるようになってきたということなのでしょう。「見たいから見える」のです。

『物語という回路』の編者 赤坂憲雄氏は序文で、

「物語の背後には、きまって異界やそこに棲まうモノらが蠢いている。異界とはときには死者たちの棲む他界であり、桃源郷にも似た場所であり、日常の領域のすぐ向こうに拡がっている悪所のごときものであり、また、ときには精神の内界深くに隠されている未知なる時―空であるかもしれない。物語はそうした異界の音ずれ=訪れに耳を澄ます者らにのみ聴こえてくる、幽かな異界からの言伝てである。」

と書いています。

「桃源郷」や「精神の内界深く」というキーワードは、今まで自分が興味をひかれるものと一致していて、胸にストンと落ちてくるものです。

ひるがえって、犬像・狼像を考えてみると、特に狼像に魅かれるのは、異界が関係しているのは間違いありません。漠然としてですが、狼像にはずっと「夢」「無意識」「神話」、もちろん「自然」などのイメージを持ってきました。狼像が異界へ通じるドアのようなものかもしれません。

無くなってしまった異界を、狼信仰の場合は、宇宙ではなく、深層心理に求めるということです。「UFO」が宇宙からやってくる神なら、「狼」は深層心理に棲まう神(神の使い)ではないのでしょうか。

狼像の写真を撮って、俺は異界からの言伝てを聴こうとしているのかもしれません。
 
 
 
 
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2017/11/16

平成30年(2018)版「旧暦棚田ごよみ」発売中

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使いづらい、だけど美しい! 始めてみよう"旧暦生活"

平成30年版「旧暦棚田ごよみ」が発売中です!

壁掛型の見開きタイプ・上部がA4サイズの棚田の写真、下部がA4サイズの旧暦カレンダー
 ※ 旧暦がわかる「ミニブック」が付いてます!

「旧暦」とは、明治5年まで日本で使われ続けてきた、月の満ち欠けを1ヶ月とした、太陰太陽暦のカレンダーです。

四季折々の棚田風景と月の満ち欠け・二十四節気・七十二候・雑節まで記載しています。 新暦の日付も小さく入っているので、日常のカレンダーとしても使えます。 平成30年旧暦一月(睦月)は、新暦2月16日からはじまります。

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「旧暦棚田ごよみ」を作り始めて数年が経ちました。今まで新暦(太陽暦)を使うことに疑問を持つこともなく普通に生活してきましたが、旧暦を意識するようになったら、時々世界が違って見えるようになりました。たかが暦でそんなことがあるのか?と、思われる方もいるでしょう。

旧暦は月の満ち欠けの周期を一ヶ月とし、太陽の動きで季節を知る太陰太陽暦です。明治五年まで、約千三百年もの間日本で使われてきた先人の知恵の詰まった暦です。ただ旧暦は、年ごとに季節の日付が違うし、複雑に閏月を入れて日数の調整をしなければならないなど、正直使いづらい面もあります。

でも、人間は意識しないとわからないものがあります。使いづらいことが、かえって日付や季節や月の満ち欠けを意識させてくれるのです。

今まで新暦では普通にやり過ごしていたことが、突然やり過ごせなくなってきます。いちいち月齢や二十四節気や七十二候などを確かめる癖がつきました。棚田へ行ったときには、稲や花の微かな匂いにも敏感になった気がするし、虫の羽音や蛙の声に耳を傾けるようにもなりました。たかが暦、されど暦なのです。

昔は勝手に暦を作ることは許されませんでした。天の動きを正確に把握し暦を作ることは、人々に社会の安定を約束するものでした。暦を作ることは大切な仕事で、権力者が独占していたのです。

暦が私たちの生活に影響を与えるのは今も昔もかわりません。使いづらい「旧暦棚田ごよみ」で、より自然を意識し、日々の暮らしの中で季節感を取り戻すのはそれほど難しくはありません。

明治六年の改暦からまだ一四四回しか使っていない新暦に比べて、日本人が旧暦に親しんできた歴史はずっと長いのです。

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表紙は、_【福岡県八女市 鹿里の棚田】
旧星野村の鹿里集落は18軒・約50名の小さな集落である。秋には「彼岸花祭り」が開かれる。あぜ道に連なる彼岸花が、まるで紅いチェーンのように棚田を飾り、黄色い稲とのコントラストが美しい。

一月 【秋田県仙北市 上桧木内の棚田】
秋田県北秋田市の鷹巣駅から仙北市の角館駅に至る秋田内陸線とともに走っている国道105号線沿いで出会った棚田。春先の雪融けの棚田にフキノトウが芽吹く。雪を踏みしめながら棚田を見下ろす高台に立つ。

二月 【埼玉県東秩父村 大内沢の棚田】
埼玉県は棚田が比較的少ない県だが、秩父には何ヵ所か棚田がある。そのうちの一カ所が大内沢の棚田だ。ここはまた花桃の里でもあり、このあと、満開のピンク色をした花桃が咲き、桃源郷のように美しい集落に変わる。

三月 【岩手県遠野市 撮影地不明】】
遠野盆地は民話の里でもあり、民話ゆかりの場所が点在する。また南部曲がり家の千葉家住宅などの歴史的建造物があり、近くの山際に拓かれた棚田では、水が入れられて、代掻き作業が始まっていた。

四月 【愛媛県内子町 泉谷の棚田】
内子町の中心地から車で約30分。山の中にある泉谷は標高470mあり、95枚の棚田が広がっている。夕方には夕陽が水面に映り、あぜ道はシルエットになって、棚田らしい曲線美を見せてくれる。

五月 【岐阜県飛騨市 種蔵の棚田】
種蔵は、国道からは上の方にあるので、車の騒音も聞こえない静かな集落である。石積棚田の中に、穀物を貯蔵する「板倉」と呼ばれる倉庫が点在する。昔は各家1棟を持っていたというが、今集落内に残っているのは20棟。

六月 【大阪府能勢町 長谷の棚田】
三草山のふもとの斜面が棚田になっている。ここで特徴的なのは「ガマ」という、横穴式の石組みのトンネルを用いた水路があること。美しい里山の風景の中に、「ガマ」の技術が隠されていることを知ると、また違った風景に見えてくる。

七月 【新潟県十日町市 留守原の棚田】
国道405号線にある留守原の棚田は、作業小屋が建っていることで格好の写真撮影ポイントになる。夏の日差しの中訪ねると、稲は緑色からじゃっかん黄色みが増していて、もうすぐ収穫時期であることを思わせる。

八月 【愛媛県西予市 遊子谷の棚田】
旧城川町には昔お遍路さんの休憩場所としても使われた「茶堂」が多く残っているが、たまたまある茶堂へ向かっていたときに偶然に出会った棚田。黄金に色着いた田んぼを背景に、黒アゲハが彼岸花を飛びまわっていた。

九月 【大分県玖珠町 戸畑の棚田】
県道54号線を走っていた時、山の稜線に数基の風力発電のプロペラが並んだ風景を写真に撮ろうと思って止まったら、そこは玖珠川の支流に沿って広がる棚田でもあった。集落の周りは細長い盆地で、すべて階段状の棚田になっている。

十月 【新潟県小千谷市 川井の棚田】
すがすがしい秋日。ハザ木に架けられた稲束から漂う稲の匂いが懐かしさを倍増する。新潟ではこういった何段か横に稲を架けるハザ木が使われる。日本一の米どころである越後平野の秋の風物詩だ。

十一月 【愛知県新城市 四谷の棚田】
駐車場のある南側に立つと、山の斜面の下から上へ向かって続くダイナミックな棚田が俯瞰できる。一方、県道を登っていき上部から見ると、かなり急斜面に石を積んで作られた棚田であることがわかる。

十二月 【長野県長野市 栃倉の棚田】
「棚田百選」にも選ばれている北アルプスが一望できる棚田は虫倉山のふもとに位置する。棚田オーナー制度も取り入れて、耕作放棄が少ない地区だ。前日の夜降った雪でうっすらと雪化粧をした風景にハッと息を呑む。
 
 
 
【平成30年版「旧暦棚田ごよみ」特設サイト】
https://tanada.or.jp/tanada_goyomi/

【ご購入はこちらから(クレジットカード・コンビニ・銀行振込・携帯キャリア・後支払い 決済対応)】
https://tanadanet.buyshop.jp/

【Amazonでも購入できます!】
https://www.amazon.co.jp/dp/B076MGG6BP/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_v6T.zb8GNQDTT
 
 
 
 
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2017/09/04

目黒寄生虫館の展示物

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目黒不動尊の犬像撮影のついでに、近くの、目黒寄生虫館に寄りました。不動尊から歩いて数分のところにありました。

こういう博物館があることは知っていて、前から行こう行こうと気にしていたところです。

1953年に医学博士亀谷了氏の私財投入により設立された私立の研究博物館です。世界でただひとつの寄生虫の博物館です。

入場無料で、私的使用に限って写真ビデオ撮影はOKです。ちょうど夏休みの自由研究のためか、小学生なども多かったですね。お父さんが熱心にメモしていて、そうだよなぁ、自由研究って、家族でやるものなんだなぁとあらためて思いました。

いろいろな寄生虫があります。自然界・生物界に「善悪」はないのですが、「すばらしい」と思わず言葉が出てしまいそうです。どうしてこんな形をしているのか。生き残るため必死になって代々造り上げてきた形です。

犬猫に着く寄生虫で、北海道旅行の時、ヴィーノに着くのではと怖れていたエスのコックも展示してありました。顕微鏡で覗けます。

また、人体に着く寄生虫もたくさん展示してあります。

友人の名誉のために名前は伏せますが、昔F君が、サナダムシの寄贈を頼まれたというは、たしかここだったような気がします。

結局、どうした理由なのか、実際にF君は寄贈はしなかったようですが。世界の寄生虫学に寄与するチャンスだったのに。

亀谷博士の記録した寄生虫のイラストはすばらしいです。研究資料としてももちろんなのですが、これにはアートとしての興味もわきます。
 
 
 
 
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2017/08/11

今日「山の日」は、山の恩恵に感謝する日

170811_1_2(秩父盆地の日の出)

170811_2_2(奥秩父の山並み)

170811_3_2(両神御嶽神社のお犬さま像)

160507_7(両神御嶽神社のおもてなし山菜料理)

160507_8(両神御嶽神社のオオカミの護符)


「山の日」は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているそうです。

「山の恩恵に感謝」と聞いて、どうしても「お犬さま」と関連付けてしまうのも、「犬像病」だからでしょう。それは自覚しています。

去年5月、お犬さまのお札を頂きに、両神御嶽神社の例大祭に伺ったときのことです。予想もしなかった宮司さんのおもてなしには感動しました。

お札は、宮司さん自らが手で刷って作っているという。中には業者に頼んで印刷してもらっている犬札があるなか、手作りのお札は貴重なものです。

宮司さんが、「お茶、どうぞ」と、俺たちを縁側に招いてくれました。連れて行ったヴィーノは、境内の端っこにつなぎ、俺と妻は縁側に座りました。

「何もないですが、良かったら食べてください」と言って、出してくれたのは、フキ、タケノコ、シイタケ、コンニャクの煮物、フキノトウやゼンマイの和え物、キュウリの漬物。

ほとんど全部、山に自然に生えていたものです。こんなにおいしい煮物を食べたのは初めてです。山に暮らす人たちが、山から受けてきた恵みの数々です。

暑い日差しの中、涼しい縁側でごちそうになるお茶と、山菜の料理のおもてなしに、思わず感謝。

このとき、お犬さま(オオカミ)信仰とは、山への感謝の表現のひとつなんだなぁと感じたのでした。
 
 
 
 
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2017/08/10

東京の水源と狼信仰 奥多摩湖(小河内ダム)

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山梨県丹波山村まで行きました。「オオカミ信仰」についての雑誌インタビューです。先日の「七ツ石山展」がきっかけで知った七ツ石神社の再建計画を聞くためです。

七ツ石神社を文化財として登録し、将門伝承とオオカミ信仰の文化的財産を活生かし、丹波山村の村おこしにつなげていこうという計画のようでした。

早ければ、今月末にでも、神社が文化財(旧神社跡)として登録されるかもしれないとのこと。

途中立ち寄った「都民の水ガメ」の東京都奥多摩町の奥多摩湖(小河内ダム)。この水とオオカミ信仰は関係しているのです。

ダムは標高530mに位置しています。多摩川上流域を水源とするこのダムの集水域は、東京都奥多摩町、山梨県丹波山村、小菅村、甲州市にまたがります。

先日の川の博物館「ニホンオオカミと三峯」での講師を務めた三峰山博物館名誉館長 山口民弥さんの話と関係してきますが、江戸の人たちも盛んに三峯講を組織して参拝に来ていたという話がありました。

お犬さまが火防の守り神として崇められましたが、江戸の水源地に鎮座する三峯神社である立地も重要な要因だったのではないでしょうか。(ここの水系には武蔵御嶽神社があります)

水(海) → 里(水田・畑) → 森 → 山

下流と源流をつなぐ信仰の流れがあります。江戸には6000もの講が組織されたそうです。

当ブログでは、関東地方の三峯神社、御嶽神社など、オオカミ像(お犬さま像)のある神社だけ主に紹介していますが、それ以外も含めたらどれだけの数になるかと、驚くばかりです。

それだけ江戸庶民は、農業被害に悩まされ、大火の怖さ、疫病の怖さを感じていたことにもなるのでしょう。
 
  
 
 
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2017/07/10

【愛犬物語 其の百六十四】 国立科学博物館 ニホンオオカミとハイイロオオカミ

170710_1(ニホンオオカミ)

170710_2(ハイイロオオカミ)


上野の国立科学博物館の地球館には、ニホンオオカミとハイイロオオカミの剥製が展示されています。

同じ狼でも、大きさも色も雰囲気も違います。ニホンオオカミはハイイロオオカミと比べると、ずっと優しい感じがします。今、山で見かけても、野犬とは区別がつかないかもしれません。それでも、怖れられていた存在には違いありませんが。

ニホンオオカミについて詳しく書かれた最初の本は、『日本動物誌』(Fauna Japonica)だそうです。イヌ科の部分は、1844年に発表されていますが、これはシーボルトが大坂で採取し、テミンクが研究したものです。

そこにはこのような記述があります。

「野生犬の新種族、すなわち、日本人がヤマイヌ Jamainu と言っているものは、形態、習性、毛質など、どの点から見ても、まったく、われわれの国の狼に比すべきである。ただ、肢が短い点が違っていて、ヨーロッパ狼 Canis Lupus と同族とは、とうてい考えられない。」(平岩米吉著『狼 その生態と歴史』)

とあります。ヨーロッパ狼と比べて、小ぶりだったということらしい。

この前も書きましたが、ニホンオオカミは絶滅したと言われています。だから、1905年1月23日、奈良の鷲家口で、アメリカ人のアンダーソンが猟師から8円50銭で買い取ったものが、最後のニホンオオカミと言われています。

ただし、まだ生存説を唱えている人もいます。目撃情報もありますが、確実に「オオカミだ」と言えるような情報は今のところありません。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は今回が初めてらしい。長年の謎の解明に一歩近づいた感じです。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

「ネパールとモンゴル」とあるので、2ヶ所、という意味なのか、それとも、チベット高原とその周辺地域という意味なのか、どちらかはわかりません。

チベット高原で家畜化され、それが同心円状に伝播していくなかで、オオカミではなく、より「イヌらしい性格」になっていったというストーリーはわかりやすいとも言えます。

こちらのHP「日本犬のルーツ」によると、日本犬は、日本人の渡来ルートと関連しているということらしい。

「北海道犬と琉球犬は遺伝的に近い関係にある。」とあって、これは人間の遺伝子と同じ状況です。

日本人の成り立ちは、現在のアイヌ族の人たちと沖縄人との間では遺伝的な特徴が似ていることがわかりました。このふたつの集団は、今は南北に分かれていますが、もともとは日本列島にかなり早い段階、約数万年前にたどり着いていた集団の末裔(縄文人)で、その後、約3000年前に別な集団(弥生人)が九州や近畿に入り、日本に拡散していって、混血を繰り返し、現在の日本人ができました。

二重構造になっています。アイヌ族の人たちと沖縄人のふたつは縄文人的DNAが比較的色濃く残っている集団で、その上に弥生人的DNAが重なっているのが今の日本人。

日本犬も、南からか、北からかはわからなくても、少なくとも、大陸から人間といっしょにやってきたということで、二重構造があることがわかったらしい。縄文人は縄文犬を、弥生人は弥生犬を伴ってきたと考えることができるようです。

ニホンオオカミとの関係でいえば、日本犬は少なくともニホンオオカミから家畜化したわけではないということですね。日本列島に来た時にはすでに「犬」だったのです。

その後、オオカミと犬を掛け合わせて強い狩猟犬を作っていったということがあったようです。それについては、明日掲載予定の「埴輪犬」で。
 
 
 
 
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2017/07/08

現代版お犬さま(狼)の物語。「自然」「安産」「絆」のシンボル

牧畜業が盛んでオオカミ被害に悩まされた欧米で、オオカミと犬を混同することはないそうです。欧米とは違い、日本の場合、オオカミはあくまでも益獣でした(馬産地を除いて)。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

犬との雑種がいたようです。もともと、「山犬」とあいまいに呼ばれた動物は生物学的には「ニホンオオカミ」のことですが、山には、オオカミもいたし、オオカミと犬との混血もいたし、山で暮らす野犬もいたし、なかなか区別はつけにくかったのではないでしょうか。

だから「お犬さま」というのは、生物学上の「ニホンオオカミ」だけではなく、こういったいろんな「もの」を含んだ、「お犬さま」という抽象的なイメージが、大口真神、あるいは、山の神の使いとして信仰されてきたということなのでしょう。

ただ、ニホンオオカミは、絶滅したと言われています。(生き残りを信じる人もいます)

少なくとも、害獣を防いでくれる益獣としての役割は終わっています。江戸時代には、どちらかというと、火災や盗難を防いでくれるとか、狐憑きを治すのに効果があるとか、コレラに効くとか、そういった方向に変わってきました。

物語や信仰は時代とともに変化しています。時代に合った生きた信仰であれば、これからも続いていくでしょう。この「お犬さま信仰」という文化を廃れさせてしまうのは、もったいないと思っています。

では、何か、新しい物語はできるのでしょうか。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、ニホンオオカミの絶滅原因について書かれていました。要約すると、次の5点があげられるようです。

1: 狼に対する人々の観念の変化がありました。古代から「大口の真神」とたたえられ、田畑を荒らす猪鹿を退治する農耕の守護者としてあがめられてきたニホンオオカミも、狂犬病の流行で、危険極まりない猛獣と化したのです。

2: 危険な猛獣、ニホンオオカミは銃器の対象になってしまいました。

3: 銃の威力は鹿などにも向けられ、結果的に、オオカミの食料を奪うことに繋がりました。

4: 開発で、森林が切り開かれて、縄張りを喪失することになりました。

5: オオカミの美点とされる、夫婦親子などの愛情深い集団生活のために、狂犬病は伝染しやすかったことです。

この「5」の理由ですが、皮肉なことです。家庭を大切にするオオカミが、そのために絶滅を招いてしまったとは。単独行動していたから病気があまり広がらなかった熊とは対照的です。

柳田国男は、群れの解体で絶滅したという説を主張しましたが、平岩は、習性や行動を知らないための無謀な憶測だとバッサリ切り捨てています。事実は逆で、オオカミは「群れの解体ではなく、親密な群れの生活のために滅びたのである」と言っています。

オオカミの家族愛や強い仲間意識、集団行動については、別な本でも読んだことはあるのですが、人間はオオカミからこの集団行動を学んだおかげで、生き残った、みたいな説があったような気がします。犬を飼っていなかったネアンデルタール人は、だから滅んだというのです。

このように、家族・友人など集団生活を営む「絆」の象徴として「お犬さま」の物語を作り直すことができるのかもしれません。現代の物語として、です。

もちろんパワースポットという形の新しい自然崇拝のひとつのシンボルとして、そして、もうひとつは安産・多産のシンボルとして、「お犬さま」が物語られるということは当然です。

 
 
 
 
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