カテゴリー「環境・自然」の147件の記事

2020/07/09

『中国辺境民族の旅 第二弾 : 内蒙古自治区・青海・貴州・海南・雲南編』 Kindle版

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2020年6月にkindle版として出版した『中国辺境民族の旅』の第二弾です。

今回は、内蒙古自治区・青海・貴州・海南・雲南の旅です。雲南、貴州については前回も載せていますが、今回の内容は違うものです。

中国が対外開放政策を打ち出し、外国人観光客にも大きく門戸を開いたのは1980年代のことでした。1984年に初めて中国の西域を旅し(それについては前回詳しく書いています)、前年が北だったから、今年は南にしようと単純に思いつき、85年には、中国雲南省、貴州省を旅しました。その後は中国各地、辺境に暮らす少数民族の生活文化に興味を持つようになり、ますます辺境地帯への旅を重ねていったのです。

中国の経済発展はその後目覚ましく、ここで描いているような民族文化はすでに見られなくなっているかもしれません。なので、これはひとりの日本人写真家の旅行記であると同時に、80年代から90年代にかけての中国少数民族文化や国境地帯の記録としても読んでいただけたら嬉しく思います。

文章は書き下ろしのものと、書籍や雑誌で発表したものを加筆修正したものがあります。文章の長さはまちまちですが、ご了承ください。文章は約9万文字、写真は46点掲載しています。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08CK73P2B

 

目次

草原のモンゴル大運動会「ナダム」[内蒙古自治区・青海省]

タール寺の大法会[青海省]

ミャオ族の芦笙会[貴州省]

海南宝島の夢[海南省]

コロッケからインターネットへ[雲南省]

雲の南の少数民族たち(アルカスJAS機内誌連載からペー族、チノー族)[雲南省]

ベトナムとの国境の河口と瑶山[雲南省]

三江平流と香格里拉(シャングリラ)[雲南省]

玉龍雪山と麗江[雲南省]

八十年代のバス旅[雲南・海南・甘粛・四川省]

映画『雲南の少女 ルオマの初恋』[雲南省]

映画『山の郵便配達』[湖南省]

 

 

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2020/06/24

 Kindleで『中国辺境民族の旅 / 西域・チベット・雲南・貴州編』を出版

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Kindleで『中国辺境民族の旅 / 西域・チベット・雲南・貴州編』を出版しました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08BNR4KDF 

80年代から90年代にかけて、中国辺境、少数民族地帯を旅した紀行文です。過去に雑誌などで発表したものもありますが、それを加筆修正し、写真をつけました。

コロナ禍で、2カ月外出自粛で生まれた本といってもいいものです。

 

目次

序章: シルクロード/西域

第一章: サリム湖畔のカザフ族

第二章: メコン河源流のチベット人

第三章: 貴州省の布依族的春節

第四章: 雲南省西部の旅

第五章: 貴州省トン族の餅

第六章: カラコルムハイウェイ、ロバ車で行く 

 

 

 

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2020/04/18

痼魯難(コロナ)収束祈願のお犬さま像(この30日間)

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痼魯難(コロナ)収束祈願は、今日で31日目。いつまで続くのでしょうか。


これまで30日間の、収束祈願のお犬さま像を並べてみました。


今までは、「終息祈願」としていましたが、今日からは「収束祈願」にしました。ある程度収まったら良し、という祈願です。完全に終息を願うのは、このウイルスの場合、無理そうなことがわかってきたからです。


この環境に適応すること。ウイルスとの共存。おそらくこれほど大規模な変革を求められることは、100年、いや数百年単位の出来事かもしれません。


生き残りをかけたサバイバルゲームです。


 


 


 


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2020/03/21

新型コロナウイルスとゾンビ映画『ウォーキングデッド』

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「新型」なんだから、これからコロナがどうなっていくかなんて、誰もわかってないし、わかるはずもないということですね。ある意味、みんな一人一人が自分で「解決」するしかないのだと思います。

「解決」と書きましたが、「コロナに罹らない」「コロナが終息する」とかいう意味ではありません。その「解決」策はひとそれぞれ違うでしょう。

だからここで書いたことがみんなに通用するとも思わないし、みんなに提言、提案するわけでもありません。俺なりの「解決」策です。

まず新型コロナ禍は、長期戦になりそうだということは素人でもわかります。このウイルスの性質上、「撲滅」は難しそうです。しいて言うなら、人類の60~80パーセントが罹って集団免疫を獲得するまでは終息はしないだろうということです。

ただ問題は、爆発的に感染者が増加し、医療体制が崩壊して多くの死者を出すことです。だから、当面は、この危機から脱しなければなりません。今、国境封鎖、外出禁止が行われていますが、割と受け入れているのは、みんなも動物としての勘が働いているのか、このままでは人類が滅亡してしまうという恐れを直感で感じているからかもしれません。

人類は、環境に慣れることによって生き延びてきたはずです。それを進化というかどうかは別として。

人類は本当に薄氷を歩いているようなところがあります。最近の温暖化を見てもそうですが、地球の平均気温が1度、2度上がっただけで、私たちは右往左往し、今までの生活を変えていかざるをえないというのは、実感としてわかります。

酸素がないところでは2分も生きていられません。数日のうちには食べ物も食べなければなりません。重力があるので飛べません。時速60kmでは走れません。110歳を越えて生きるのは難しい。こういう制約といったらいいか、環境があるわけですね。それは個人ではどうしようもないことです。でも、みんなそれを「普通」として生きています。

だから俯瞰してみると、地球上の人類というのは、いや、動物・植物全部の生物ですが、かなりこの環境次第なんだなということがわかります。

『ウォーキングデッド』というTVドラマがあります。これは突然、周りがゾンビだらけになって、そこで生き抜くというサバイバルドラマです。生きているゾンビ(ゾンビは死んでいるからゾンビなのであって、「生きている」というのは形容矛盾ですが)を倒す唯一の方法は、頭を壊す、首をはねることです。

『ウォーキングデッド』は今回の新型コロナウイルスの対処方法の参考になるのではないかと、ずっと思ってきました。

というのも、「周りにゾンビがいる」というのを新しい環境と捉えてみます。とつぜんその環境に置かれて、主人公たちは慌てふためき、絶望し、怖がります。パニックになるのは当然です。

ところが時間が経ってくると、このゾンビの特徴が分かってきます。速くは移動できない。頭は悪い。頭を切り落とすと復活しない、などなどです。

だから注意さえしていれば、なんとかゾンビに襲われずに済みます。この環境で生きていく術が分かってきます。そういう環境に慣れた人間だけが生き延びられます。(ただ、ゾンビの首を切り落とすという覚悟が必要ですが)

そしてそういう過酷な環境の中でも、幸せを感じたり、笑ったりできます。逆に過酷な環境だから、人と協力し、人への思いやりが増したりします。いつの間にかその環境は「日常」になっていきます。

まぁドラマは、ゾンビより、むしろ人間の方が怖いのだ、というテーマになっているわけですが。実際、今アメリカでは、銃がよく売れているのだそうです。それは物不足を予想して、略奪などが起こった場合の防衛策として、あるいはコロナを持ち込んだのはアジア系だということで襲われるのではないかという恐怖心から、銃を買っているらしい。こんなところはアメリカらしいと思います。

このゾンビを新型コロナウイルスに置き換えてみます。

周りに突然現れたウイルス。でも、姿が見えないところはゾンビとは違っています。ここがやっかいなところです。でも、3条件(密着する、唾を飛ばす、換気が悪い)が重なるところ以外では感染のリスクはかなり低くなる、ということがわかってきました。手洗いも有効です。

だから、周りに新型コロナが存在しても、この3条件が重ならないようにして、手洗いをこまめにすることで、「普通」に生活することはできるのではないかなと思います。もちろん、活動すればリスクゼロではありません。でも、今までだって、いつ交通事故や飛行機事故で死ぬかもしれなかったわけだし、「リスクゼロ」という呪縛からは抜け出さなければと思います。

まぁこんなこと言えるのも、今の日本だからで、パンデミックの中心地ヨーロッパではそれどころではないでしょう。とにかく、当面の危機、急激な感染拡大は、世界中協力して何とか止めるしか方法はないかなと思います。

大阪がどうの、兵庫がどうのと言っている場合ではないのだけ確かです。

 

 

 

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2020/03/01

昨日から二十四節気「雨水」、オリジナル七十二候「箇労亡猛威(ころな もういをふるう)」

Photo_20200229141501(元画像:NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200228/k10012306811000.html)

 

2020年2月29日から二十四節気「雨水」、七十二候「草木萌動そうもく めばえいずる)」です。

草木の芽が出てきて、春を感じる季節のはずです。でも、今はオリジナル七十二候「箇労亡猛威(ころな もういをふるう)」の気分です。

「コロナ」に、どんな当て字がいいかなと、いろいろ遊んでみました。

安政五年、江戸でもコレラが流行ったとき、コレラは「箇労痢(ころり)」「狐狼狸(ころり)」「項痢(こうり)」などと表記されました。なので、「ころ」を「箇労」として、「な」を「亡」にしました。「亡」にしたのは存亡の危機感の表れです。

「狐狼亡」は、狼を汚すようでちょっと抵抗があります。

他にもいろいろ考えたのですが、ある特定の国や地域を意味するのはまずいと思うので、このくらいにしておきます。

(「箇労難」の方がいいかな。2020/3/4)

1月までは、COVID-19 新型箇労亡ウイルスによる肺炎は、ほとんどが軽症で、罹ったことさえ気が付かずに済む、みたいな専門家の話に、そうか、そんなに深刻ではないんだなと思っていた俺はバカでした。

こうなってくると、ウイルスに感染しなくても、干上がってしまいます。仕事に大きな影響が出ています。軒並み撮影のキャンセルが相次いでいます。「中国」「イベント」「集会」というキーワードにした仕事は、とうぶんできなさそうです。

そしてちょっとでも熱っぽかったりすると、戦々恐々としている自分がいます。

先行きが見通せないというのが不安の種です。学校閉鎖、イベントなどの自粛で、2週間~1か月たてば、元通りになるわけではなく、さらにそれが続く可能性もあります。

とはいえ、不安がってばかりでも仕方ありません。テロと同じで、恐怖心や不安感をあおるだけなら、すでに新型箇労亡に負けてしまうことになります。

 安政五年にコレラが流行ったときも、庶民の間には、コレラをネタにして様々な刷り物が作らればらまかれたという。落ち込むどころか、笑いとしゃれで沸いたそうです。どんな状況でも、笑いは必要で、笑うことは免疫力を上げ、結果的に新型箇労亡ウイルスに勝つ、ということにもつながるんじゃないでしょうか。

 

 

 

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2020/01/29

「田園風景に癒される」のはどうしてか?

160108(ミュラー・リヤー錯視)

 

160108_2(富岡製糸場 ミュラー・リヤー錯視のaに相当)

 

160108_3(富岡製糸場資料館 ミュラー・リヤー錯視のbに相当)

 

07__mg_5436(ミュラー・リヤー錯視が働かない棚田の風景)

04__20200118062401(ミュラー・リヤー錯視が働かない棚田の風景)

 「田園風景に癒される」とは、よく聞くことだし、俺自身もそう感じています。どうしてなんでしょうか?

そこで「田園風景」とは真逆の都会の風景と比較してみます。何が違うのか。その違いが癒されるかどうかの違いではないかと考えてみるのです。

 

「ミュラー・リヤー錯視」というのがあります。「錯視」というのは視覚の錯覚のことです。

矢印みたいな図、見たことあるのではないでしょうか。aとb、軸の長さは同じなのですが、俺には明らかに右の方、bが長く見えます。

心理学実験に参加して、俺も自分の錯視量(実際の長さと、自分が同じだと感じた長さとの差)を測ったことがあります。個人的には、錯視量は少ないだろうと予想していましたが、なんと実験参加者16人の平均値よりも大きくなったのです。

一応俺も映像の仕事をしていて「見る」ことには自信があったし、ミュラー・リヤー錯視についても、あらかじめ知っていたので、この結果に驚きました。

と、言っても、錯視量が大きいからダメだという単純な話ではなく、錯視とはある意味、物を見るとき頭を働かせすぎている、脳が「忖度」しているともとれるわけで、そうしたほうが生き残る可能性が高くなる、環境に適応するための仕組みでもあるのだそうです。

ミャラー・リヤー錯視がなぜ起こるのか、今のところ定説がないとのことですが、ある研究者がやった実験で、都市に暮らしている人間ほど錯視量が多くなるというデータがあります。

人間が物を見るとき、同じものが奥にあってもそれほど小さく感じないということがあります。奥にあるなら小さく見えているはずだと無意識に判断して、だから実際よりも大きく感じさせてしまう。このように奥行の手がかりが多いほど、つまり遠近感が掴みやすい四角い建物に囲まれた人間ほどこの錯視を起こしやすいということは言えそうです。

建物外壁の写真が、「a」に当たり、建物内部の写真が「b」に当たります。

そう考えると、地方に行ってなく、町の中で撮影することが多かったので錯視量が多くなったのかもしれません。むしろ写真を撮るというのはファインダー越しにビルや建物を「良く見る」ことでもあるので、普通の人より錯視量が増えたと考えれば、納得できます。

もしそうなら、町に住んでいる人間を広々とした田園風景に連れていったとき、錯視量が変化するのかどうか、変化するとしたら、どれくらいの時間で、どのくらい変化するのか、興味がありますね。

「田園風景に癒される」と言われますが、どうして癒されるのか、という問題ともからんできそうな気がします。

錯視は人間が環境に適応するために脳で行っている活動であるなら、その活動が少なくて済むというのは脳の負担が減ることでしょう。脳があきらかに休めるのです。そういうことが「癒される」ことなのかもしれません。

 

 

 

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2019/12/10

【犬狼物語 其の四百八】 見つかった犬(狼)のミイラは「ドゴール(Dogor)」

150302(Baobab trees, Morondava, Madagascar)

 

「「オオカミから犬への進化途中の種」かもしれないミイラが良好な状態で永久凍土から見つかる」というニュースがありました。

2018年夏、サハ共和国の首都ヤクーツクを流れるインディギルカ川近くの永久凍土層で、1万8000年前のイヌ科の動物のミイラが見つかったそうです。

まるで生きているような子犬のミイラ。(画像は検索すれば出てきます)

いや、まだ「犬」と断定されたわけではありません。もしかしたら「オオカミ」かもしれないし、「オオカミと犬の間」かもしれません。

研究者たちはこの赤ちゃんを「ドゴール(Dogor)」と名付けました。

「Dog or ・・・(犬、あるいは・・・)」という意味かなと思ったら、そいういう意味もかけているのかもしれませんが、「ドゴール(Dogor)」はヤクート語で友人を意味するそうです。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は初めてらしい。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

この研究でも、オオカミから犬への家畜化は、少なくともユーラシア大陸だし、今回のドゴールの発見もユーラシア大陸ということで、ユーラシア大陸は犬誕生の最有力候補地であるのは舞違いないようです。

DNA解析が進んで、これが犬のルーツに迫ることになったら面白いと思います。ただ、このドゴールは、融け出した永久凍土から見つかったそうで、温暖化が進んだから、というのが気になります。

近年は、永久凍土から多くの動物が発見されて、中には、マンモスもあり、象牙が取引できなくなったことから、マンモスの牙が高値で取引されていて、盗掘が横行しているらしい。

そういえば、前、ボルネオで野生のゾウが見つかったのは、ジャングルがなくなったから、というのがありました。

こういうのを「森の皮肉」と言っていました。

昔ジャングルだったところは、ラワン材を取るために森が伐採され、その後に植えられたのがアブラヤシだそうです。パーム油の輸出のためです。

それで何が「森の皮肉」かというと、ボルネオにゾウはいないと考えられていたのが、ジャングルが伐採されて少なくなったことが、ゾウの発見に繋がったというのです。

また、バオバブの木の独特の姿が分かるのは、周りの木を焼いた(切った)から、というのもありました。

今回の永久凍土からの発見もこれと似ているところがあります。温暖化が進んで貴重なミイラが見つかる、これも「森の皮肉」なのかもしれません。

 

 

 

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2019/11/12

令和二年(2020年)版 「旧暦棚田ごよみ」ネット販売中

Tanadagoyomi

 

NPO棚田ネットワークのHPで、令和二年(2020年)版 「旧暦棚田ごよみ」販売中です。

https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/

平成25年版から発行している「旧暦棚田ごよみ」も、今回で8年目を迎えます。新天皇が5月1日に即位して令和の時代がスタートしました。だからこれが「令和」と印刷された最初の「旧暦棚田ごよみ」になります。時代の変わり目に、使う暦も変えてみてはいかがでしょうか。

昔の人は、毎日変化する月の満ち欠けに規則性を見出しました。でも、月の満ち欠けだけでは、季節がずれていきます。それで太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

中国の創世神話では、五代目皇帝・帝俊の義和夫人は太陽である息子を10人、嫦娥夫人は月である娘を12人産みました。ところが堯帝の時代に、10人の太陽がいっせいに輝き、大地は灼熱地獄になりました。堯帝は弓の名手・羿(げい)に、9個の太陽を射落とさせました。太陽は一つとなり、元の世界に戻りました。日本にもこれと似た射日神話が伝わっています。

中国古代の地理書である『山海経』にも、10個の太陽や12個の月が水浴するという話が出てきます。これは1年間が12か月からなる考えを反映したものだそうです。

太陽が多すぎる混沌とした世界を月の存在で秩序を保つと解釈できるかもしれません。また、10個の太陽や12個の月は、十干十二支や太陰太陽暦を連想させます。

日本では中国由来の太陰太陽暦を日本風に改良して使ってきましたが、明治5年に太陽暦(新暦)に変更され、それまで使っていた暦は「旧暦」と呼ばれることになりました。

人が生活していくうえで、季節や月日の区切りというのは、大切なものです。自分がどこにいるかわからないと不安を覚えるのと同じように、時間的にも自分の現在の位置が分からないと不安になるからです。だから暦の大切さを実感するし、どのような暦を使うかで、その人のライフスタイルが決まるといってもいいでしょう。

明治以降、近代文明は、夏は涼しく、冬は暖かく、という人間にとっては住みやすい環境を作ってきたわけで、それはそれで悪いことではありませんが、それに伴って、季節感を失っていきました。何かを得れば、何かを失うのは、仕方ありません。

「旧暦棚田ごよみ」は太陽暦(新暦)に慣れている人にとっては、正直使いづらいものです。でも、使いづらいことが、かえって日付や季節や月の満ち欠けを意識させてくれます。

旧暦をあえて令和の時代に使うことは、大げさにいうと、季節感を取り戻す意識革命なのです。

 

 来年は閏年なので、13カ月あるので、表紙と合わせて14カ所の棚田で構成されます。

京都府伊根町 新井の棚田

長野県長野市 大岡乙の棚田

熊本県上天草市 大作山の千枚田

新潟県十日町市 星峠の棚田

長野県千曲市 姨捨棚田

島根県益田市 中内垣の棚田

群馬県中之条町 上沢渡の棚田 

福岡県東峰村 竹の棚田

三重県熊野市 丸山千枚田

山形県大蔵村 南山の棚田

長崎県長崎市 大中尾の棚田

埼玉県横瀬町 寺坂の棚田

栃木県茂木町 石畑の棚田

山形県山辺町 大蕨の棚田

 

 

 

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2019/07/31

【犬狼物語 其の三百七十六】「東京狼」

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『オオカミは大神』第二弾の「東京狼」の企画については、前に書きました。

「東京」とは言っても、実際は関東圏の狼像と狼信仰についてです。「大都会」と「狼」というギャップが面白いかなと思っています。

原稿を少しづつ書き始めていますが、そのために現在の三峯・御嶽神社の位置と、江戸時代の三峯社の位置を地図で合わせてみました。

グーグルマップに赤や黄の狼マークをプロットしたのが現在の三峯・御嶽神社、プラス狼像のある寺社の位置で、黒丸が三木一彦氏「関東平野における三峰信仰の展開 ―武蔵国東部を中心に―」の「武蔵国における三峰末社の分布 -文化・文政年間(1804~30」から引用したものです。

おおざっぱな地図で、正確なものではないので、傾向を読み取るしかできないのですが、これを見て気がつくのは、文化・文政年間には、かなりの数の三峯社が江戸にあったこということです。しかも、今はあまりないところにです。たとえば、墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区あたりでしょうか。

単純に想像すると、関東大震災や戦時中の空襲によって、また、戦後は都市の再開発で、無くなってしまったのか?ということです。

その代わり、今は、都内でも西側に多く残っているように見えます。ただし、これは三峯神社と御嶽神社です。しかも、東京都三鷹市の東牟礼御嶽神社のように、今、まさに消滅している神社もあります。たしか、東牟礼御嶽神社も、道路拡張に伴って壊されていたと思います。

これからも、増えることはもうなく、減るだけかもしれませんが、何とか、都会の狼が残ることを期待しています。狼が鎮座するところには杜も残っています。そういう意味で、狼が杜を守っているともいえるかもしれません。

あとはこの地図を見て気づくのは、俺が住んでいる中山道沿いについて言えば、さいたま市周辺にも黒丸の比較的集中しているところがありましたが、今は、それほど残っていません。

 

 

 

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2019/07/06

ヴィーノが空を飛ぶ~

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「羽犬」をイメージした ヴィーノです。こんなふうに空を飛んでいたら、気持ちいいだろうなぁと思って描いた団扇絵です。

最近は、梅雨で蒸し暑いときもありますが、寝苦しいほどの暑さはまだなく、これからの本格的な暑さ襲来を恐れている段階、「戦いの前夜」の心境です。

以前は、東南アジアを旅行することが多く(たまたま先日はペナン島に行きましたが)、自分でも暑さには強い方だと思っていましたが、ここ何年か、炎天下を歩いていて頭痛がしたり、帰宅後ぐったりすることがあって、歳のせいかなぁと思っていたのですが、もちろんそれもあるでしょうが、やっぱり異常気象というか、年々気温が上がっているようにも感じられます。

ラオスのゲストハウスで会ったスイス人旅行者と、最近、自国が暑くなっているという話をしていたら、地元のラオス人も、最近は暑くなったといったときには驚きました。こんなに暑い国でもさらに暑さを感じるのかと。

日本の最近の大雨も「異常」ではなくなりつつあるのを感じます。毎年大雨の被害が出るようになってきました。理由はよくわかりませんが、気象の専門家がいうように、大気中の水蒸気が多くなり、雨が多くなったということなんでしょうか。結局、地球温暖化が理由になるのでしょう。

これ以上地球の平均気温が上がっていくと、生物が住めない環境になってしまいます。徐々になら(何万年もかけてなら)「進化」という方法で、環境に合わせた生物が生まれても行くでしょうが、数十年単位では、この「進化」という方法は使えないので、じゃぁどうするか、となったときには、環境の方を元に戻すことしか方法はない、ということなんでしょう。

とはいえ、数十億の人間の活動を、今さら昔に戻すと言っても至難の業で、現実的には簡単ではありません。でも、方法がそれしかないのなら、その方向をみんなで向いて進むしかないわけです。

誰かのように(確か、「宇宙人」と呼ばれていたな)、「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」みたいなことを言うのも、自分が人間であることを棚上げにした、まったく意味のない発言を聞くと、ますますイラつくだけです。

もっとも彼が本当に宇宙人だったら、話は別ですが。 

 

 

 

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