カテゴリー「環境・自然」の116件の記事

2017/11/16

平成30年(2018)版「旧暦棚田ごよみ」発売中

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使いづらい、だけど美しい! 始めてみよう"旧暦生活"

平成30年版「旧暦棚田ごよみ」が発売中です!

壁掛型の見開きタイプ・上部がA4サイズの棚田の写真、下部がA4サイズの旧暦カレンダー
 ※ 旧暦がわかる「ミニブック」が付いてます!

「旧暦」とは、明治5年まで日本で使われ続けてきた、月の満ち欠けを1ヶ月とした、太陰太陽暦のカレンダーです。

四季折々の棚田風景と月の満ち欠け・二十四節気・七十二候・雑節まで記載しています。 新暦の日付も小さく入っているので、日常のカレンダーとしても使えます。 平成30年旧暦一月(睦月)は、新暦2月16日からはじまります。

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「旧暦棚田ごよみ」を作り始めて数年が経ちました。今まで新暦(太陽暦)を使うことに疑問を持つこともなく普通に生活してきましたが、旧暦を意識するようになったら、時々世界が違って見えるようになりました。たかが暦でそんなことがあるのか?と、思われる方もいるでしょう。

旧暦は月の満ち欠けの周期を一ヶ月とし、太陽の動きで季節を知る太陰太陽暦です。明治五年まで、約千三百年もの間日本で使われてきた先人の知恵の詰まった暦です。ただ旧暦は、年ごとに季節の日付が違うし、複雑に閏月を入れて日数の調整をしなければならないなど、正直使いづらい面もあります。

でも、人間は意識しないとわからないものがあります。使いづらいことが、かえって日付や季節や月の満ち欠けを意識させてくれるのです。

今まで新暦では普通にやり過ごしていたことが、突然やり過ごせなくなってきます。いちいち月齢や二十四節気や七十二候などを確かめる癖がつきました。棚田へ行ったときには、稲や花の微かな匂いにも敏感になった気がするし、虫の羽音や蛙の声に耳を傾けるようにもなりました。たかが暦、されど暦なのです。

昔は勝手に暦を作ることは許されませんでした。天の動きを正確に把握し暦を作ることは、人々に社会の安定を約束するものでした。暦を作ることは大切な仕事で、権力者が独占していたのです。

暦が私たちの生活に影響を与えるのは今も昔もかわりません。使いづらい「旧暦棚田ごよみ」で、より自然を意識し、日々の暮らしの中で季節感を取り戻すのはそれほど難しくはありません。

明治六年の改暦からまだ一四四回しか使っていない新暦に比べて、日本人が旧暦に親しんできた歴史はずっと長いのです。

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表紙は、_【福岡県八女市 鹿里の棚田】
旧星野村の鹿里集落は18軒・約50名の小さな集落である。秋には「彼岸花祭り」が開かれる。あぜ道に連なる彼岸花が、まるで紅いチェーンのように棚田を飾り、黄色い稲とのコントラストが美しい。

一月 【秋田県仙北市 上桧木内の棚田】
秋田県北秋田市の鷹巣駅から仙北市の角館駅に至る秋田内陸線とともに走っている国道105号線沿いで出会った棚田。春先の雪融けの棚田にフキノトウが芽吹く。雪を踏みしめながら棚田を見下ろす高台に立つ。

二月 【埼玉県東秩父村 大内沢の棚田】
埼玉県は棚田が比較的少ない県だが、秩父には何ヵ所か棚田がある。そのうちの一カ所が大内沢の棚田だ。ここはまた花桃の里でもあり、このあと、満開のピンク色をした花桃が咲き、桃源郷のように美しい集落に変わる。

三月 【岩手県遠野市 撮影地不明】】
遠野盆地は民話の里でもあり、民話ゆかりの場所が点在する。また南部曲がり家の千葉家住宅などの歴史的建造物があり、近くの山際に拓かれた棚田では、水が入れられて、代掻き作業が始まっていた。

四月 【愛媛県内子町 泉谷の棚田】
内子町の中心地から車で約30分。山の中にある泉谷は標高470mあり、95枚の棚田が広がっている。夕方には夕陽が水面に映り、あぜ道はシルエットになって、棚田らしい曲線美を見せてくれる。

五月 【岐阜県飛騨市 種蔵の棚田】
種蔵は、国道からは上の方にあるので、車の騒音も聞こえない静かな集落である。石積棚田の中に、穀物を貯蔵する「板倉」と呼ばれる倉庫が点在する。昔は各家1棟を持っていたというが、今集落内に残っているのは20棟。

六月 【大阪府能勢町 長谷の棚田】
三草山のふもとの斜面が棚田になっている。ここで特徴的なのは「ガマ」という、横穴式の石組みのトンネルを用いた水路があること。美しい里山の風景の中に、「ガマ」の技術が隠されていることを知ると、また違った風景に見えてくる。

七月 【新潟県十日町市 留守原の棚田】
国道405号線にある留守原の棚田は、作業小屋が建っていることで格好の写真撮影ポイントになる。夏の日差しの中訪ねると、稲は緑色からじゃっかん黄色みが増していて、もうすぐ収穫時期であることを思わせる。

八月 【愛媛県西予市 遊子谷の棚田】
旧城川町には昔お遍路さんの休憩場所としても使われた「茶堂」が多く残っているが、たまたまある茶堂へ向かっていたときに偶然に出会った棚田。黄金に色着いた田んぼを背景に、黒アゲハが彼岸花を飛びまわっていた。

九月 【大分県玖珠町 戸畑の棚田】
県道54号線を走っていた時、山の稜線に数基の風力発電のプロペラが並んだ風景を写真に撮ろうと思って止まったら、そこは玖珠川の支流に沿って広がる棚田でもあった。集落の周りは細長い盆地で、すべて階段状の棚田になっている。

十月 【新潟県小千谷市 川井の棚田】
すがすがしい秋日。ハザ木に架けられた稲束から漂う稲の匂いが懐かしさを倍増する。新潟ではこういった何段か横に稲を架けるハザ木が使われる。日本一の米どころである越後平野の秋の風物詩だ。

十一月 【愛知県新城市 四谷の棚田】
駐車場のある南側に立つと、山の斜面の下から上へ向かって続くダイナミックな棚田が俯瞰できる。一方、県道を登っていき上部から見ると、かなり急斜面に石を積んで作られた棚田であることがわかる。

十二月 【長野県長野市 栃倉の棚田】
「棚田百選」にも選ばれている北アルプスが一望できる棚田は虫倉山のふもとに位置する。棚田オーナー制度も取り入れて、耕作放棄が少ない地区だ。前日の夜降った雪でうっすらと雪化粧をした風景にハッと息を呑む。
 
 
 
【平成30年版「旧暦棚田ごよみ」特設サイト】
https://tanada.or.jp/tanada_goyomi/

【ご購入はこちらから(クレジットカード・コンビニ・銀行振込・携帯キャリア・後支払い 決済対応)】
https://tanadanet.buyshop.jp/

【Amazonでも購入できます!】
https://www.amazon.co.jp/dp/B076MGG6BP/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_v6T.zb8GNQDTT
 
 
 
 
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2017/09/04

目黒寄生虫館の展示物

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目黒不動尊の犬像撮影のついでに、近くの、目黒寄生虫館に寄りました。不動尊から歩いて数分のところにありました。

こういう博物館があることは知っていて、前から行こう行こうと気にしていたところです。

1953年に医学博士亀谷了氏の私財投入により設立された私立の研究博物館です。世界でただひとつの寄生虫の博物館です。

入場無料で、私的使用に限って写真ビデオ撮影はOKです。ちょうど夏休みの自由研究のためか、小学生なども多かったですね。お父さんが熱心にメモしていて、そうだよなぁ、自由研究って、家族でやるものなんだなぁとあらためて思いました。

いろいろな寄生虫があります。自然界・生物界に「善悪」はないのですが、「すばらしい」と思わず言葉が出てしまいそうです。どうしてこんな形をしているのか。生き残るため必死になって代々造り上げてきた形です。

犬猫に着く寄生虫で、北海道旅行の時、ヴィーノに着くのではと怖れていたエスのコックも展示してありました。顕微鏡で覗けます。

また、人体に着く寄生虫もたくさん展示してあります。

友人の名誉のために名前は伏せますが、昔F君が、サナダムシの寄贈を頼まれたというは、たしかここだったような気がします。

結局、どうした理由なのか、実際にF君は寄贈はしなかったようですが。世界の寄生虫学に寄与するチャンスだったのに。

亀谷博士の記録した寄生虫のイラストはすばらしいです。研究資料としてももちろんなのですが、これにはアートとしての興味もわきます。
 
 
 
 
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2017/08/11

今日「山の日」は、山の恩恵に感謝する日

170811_1_2(秩父盆地の日の出)

170811_2_2(奥秩父の山並み)

170811_3_2(両神御嶽神社のお犬さま像)

160507_7(両神御嶽神社のおもてなし山菜料理)

160507_8(両神御嶽神社のオオカミの護符)


「山の日」は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているそうです。

「山の恩恵に感謝」と聞いて、どうしても「お犬さま」と関連付けてしまうのも、「犬像病」だからでしょう。それは自覚しています。

去年5月、お犬さまのお札を頂きに、両神御嶽神社の例大祭に伺ったときのことです。予想もしなかった宮司さんのおもてなしには感動しました。

お札は、宮司さん自らが手で刷って作っているという。中には業者に頼んで印刷してもらっている犬札があるなか、手作りのお札は貴重なものです。

宮司さんが、「お茶、どうぞ」と、俺たちを縁側に招いてくれました。連れて行ったヴィーノは、境内の端っこにつなぎ、俺と妻は縁側に座りました。

「何もないですが、良かったら食べてください」と言って、出してくれたのは、フキ、タケノコ、シイタケ、コンニャクの煮物、フキノトウやゼンマイの和え物、キュウリの漬物。

ほとんど全部、山に自然に生えていたものです。こんなにおいしい煮物を食べたのは初めてです。山に暮らす人たちが、山から受けてきた恵みの数々です。

暑い日差しの中、涼しい縁側でごちそうになるお茶と、山菜の料理のおもてなしに、思わず感謝。

このとき、お犬さま(オオカミ)信仰とは、山への感謝の表現のひとつなんだなぁと感じたのでした。
 
 
 
 
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2017/08/10

東京の水源と狼信仰 奥多摩湖(小河内ダム)

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山梨県丹波山村まで行きました。「オオカミ信仰」についての雑誌インタビューです。先日の「七ツ石山展」がきっかけで知った七ツ石神社の再建計画を聞くためです。

七ツ石神社を文化財として登録し、将門伝承とオオカミ信仰の文化的財産を活生かし、丹波山村の村おこしにつなげていこうという計画のようでした。

早ければ、今月末にでも、神社が文化財(旧神社跡)として登録されるかもしれないとのこと。

途中立ち寄った「都民の水ガメ」の東京都奥多摩町の奥多摩湖(小河内ダム)。この水とオオカミ信仰は関係しているのです。

ダムは標高530mに位置しています。多摩川上流域を水源とするこのダムの集水域は、東京都奥多摩町、山梨県丹波山村、小菅村、甲州市にまたがります。

先日の川の博物館「ニホンオオカミと三峯」での講師を務めた三峰山博物館名誉館長 山口民弥さんの話と関係してきますが、江戸の人たちも盛んに三峯講を組織して参拝に来ていたという話がありました。

お犬さまが火防の守り神として崇められましたが、江戸の水源地に鎮座する三峯神社である立地も重要な要因だったのではないでしょうか。(ここの水系には武蔵御嶽神社があります)

水(海) → 里(水田・畑) → 森 → 山

下流と源流をつなぐ信仰の流れがあります。江戸には6000もの講が組織されたそうです。

当ブログでは、関東地方の三峯神社、御嶽神社など、オオカミ像(お犬さま像)のある神社だけ主に紹介していますが、それ以外も含めたらどれだけの数になるかと、驚くばかりです。

それだけ江戸庶民は、農業被害に悩まされ、大火の怖さ、疫病の怖さを感じていたことにもなるのでしょう。
 
  
 
 
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2017/07/10

【愛犬物語 其の百六十四】 国立科学博物館 ニホンオオカミとハイイロオオカミ

170710_1(ニホンオオカミ)

170710_2(ハイイロオオカミ)


上野の国立科学博物館の地球館には、ニホンオオカミとハイイロオオカミの剥製が展示されています。

同じ狼でも、大きさも色も雰囲気も違います。ニホンオオカミはハイイロオオカミと比べると、ずっと優しい感じがします。今、山で見かけても、野犬とは区別がつかないかもしれません。それでも、怖れられていた存在には違いありませんが。

ニホンオオカミについて詳しく書かれた最初の本は、『日本動物誌』(Fauna Japonica)だそうです。イヌ科の部分は、1844年に発表されていますが、これはシーボルトが大坂で採取し、テミンクが研究したものです。

そこにはこのような記述があります。

「野生犬の新種族、すなわち、日本人がヤマイヌ Jamainu と言っているものは、形態、習性、毛質など、どの点から見ても、まったく、われわれの国の狼に比すべきである。ただ、肢が短い点が違っていて、ヨーロッパ狼 Canis Lupus と同族とは、とうてい考えられない。」(平岩米吉著『狼 その生態と歴史』)

とあります。ヨーロッパ狼と比べて、小ぶりだったということらしい。

この前も書きましたが、ニホンオオカミは絶滅したと言われています。だから、1905年1月23日、奈良の鷲家口で、アメリカ人のアンダーソンが猟師から8円50銭で買い取ったものが、最後のニホンオオカミと言われています。

ただし、まだ生存説を唱えている人もいます。目撃情報もありますが、確実に「オオカミだ」と言えるような情報は今のところありません。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は今回が初めてらしい。長年の謎の解明に一歩近づいた感じです。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

「ネパールとモンゴル」とあるので、2ヶ所、という意味なのか、それとも、チベット高原とその周辺地域という意味なのか、どちらかはわかりません。

チベット高原で家畜化され、それが同心円状に伝播していくなかで、オオカミではなく、より「イヌらしい性格」になっていったというストーリーはわかりやすいとも言えます。

こちらのHP「日本犬のルーツ」によると、日本犬は、日本人の渡来ルートと関連しているということらしい。

「北海道犬と琉球犬は遺伝的に近い関係にある。」とあって、これは人間の遺伝子と同じ状況です。

日本人の成り立ちは、現在のアイヌ族の人たちと沖縄人との間では遺伝的な特徴が似ていることがわかりました。このふたつの集団は、今は南北に分かれていますが、もともとは日本列島にかなり早い段階、約数万年前にたどり着いていた集団の末裔(縄文人)で、その後、約3000年前に別な集団(弥生人)が九州や近畿に入り、日本に拡散していって、混血を繰り返し、現在の日本人ができました。

二重構造になっています。アイヌ族の人たちと沖縄人のふたつは縄文人的DNAが比較的色濃く残っている集団で、その上に弥生人的DNAが重なっているのが今の日本人。

日本犬も、南からか、北からかはわからなくても、少なくとも、大陸から人間といっしょにやってきたということで、二重構造があることがわかったらしい。縄文人は縄文犬を、弥生人は弥生犬を伴ってきたと考えることができるようです。

ニホンオオカミとの関係でいえば、日本犬は少なくともニホンオオカミから家畜化したわけではないということですね。日本列島に来た時にはすでに「犬」だったのです。

その後、オオカミと犬を掛け合わせて強い狩猟犬を作っていったということがあったようです。それについては、明日掲載予定の「埴輪犬」で。
 
 
 
 
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2017/07/08

現代版お犬さま(狼)の物語。「自然」「安産」「絆」のシンボル

「オオカミ」を「お犬さま」と呼び替えるところは日本的だと思います。「オオカミ」よりも「お犬さま」の方が優しく感じるし、親しみがわきます。

牧畜業が盛んでオオカミ被害に悩まされた欧米で、オオカミと犬を混同することはないそうです。欧米とは違い、日本の場合、オオカミはあくまでも益獣でした(馬産地を除いて)。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

犬との雑種がいたようです。もともと、「山犬」とあいまいに呼ばれた動物は生物学的には「ニホンオオカミ」のことですが、山には、オオカミもいたし、オオカミと犬との混血もいたし、山で暮らす野犬もいたし、なかなか区別はつけにくかったのではないでしょうか。

だから「お犬さま」というのは、生物学上の「ニホンオオカミ」だけではなく、こういったいろんな「山犬」を含んだ、「お犬さま」という抽象的なイメージが、大口真神、あるいは、山の神の使いとして信仰されてきたということなのでしょう。

ただ、ニホンオオカミは、絶滅したと言われています。(生き残りを信じる人もいます)

少なくとも、害獣を防いでくれる益獣としての役割は終わっています。江戸時代には、どちらかというと、火災や盗難を防いでくれるとか、狐憑きを治すのに効果があるとか、コレラに効くとか、そういった方向に変わってきました。

物語や信仰は時代とともに変化しています。時代に合った生きた信仰であれば、これからも続いていくでしょう。この「お犬さま信仰」という文化を廃れさせてしまうのは、もったいないと思っています。

では、何か、新しい物語はできるのでしょうか。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、ニホンオオカミの絶滅原因について書かれていました。要約すると、次の5点があげられるようです。

1: 狼に対する人々の観念の変化がありました。古代から「大口の真神」とたたえられ、田畑を荒らす猪鹿を退治する農耕の守護者としてあがめられてきたニホンオオカミも、狂犬病の流行で、危険極まりない猛獣と化したのです。

2: 危険な猛獣、ニホンオオカミは銃器の対象になってしまいました。

3: 銃の威力は鹿などにも向けられ、結果的に、オオカミの食料を奪うことに繋がりました。

4: 開発で、森林が切り開かれて、縄張りを喪失することになりました。

5: オオカミの美点とされる、夫婦親子などの愛情深い集団生活のために、狂犬病は伝染しやすかったことです。

この「5」の理由ですが、皮肉なことです。家庭を大切にするオオカミが、そのために絶滅を招いてしまったとは。単独行動していたから病気があまり広がらなかった熊とは対照的です。

柳田国男は、群れの解体で絶滅したという説を主張しましたが、平岩は、習性や行動を知らないための無謀な憶測だとバッサリ切り捨てています。事実は逆で、オオカミは「群れの解体ではなく、親密な群れの生活のために滅びたのである」と言っています。

オオカミの家族愛や強い仲間意識、集団行動については、別な本でも読んだことはあるのですが、人間はオオカミからこの集団行動を学んだおかげで、生き残った、みたいな説があったような気がします。犬を飼っていなかったネアンデルタール人は、だから滅んだというのです。

このように、家族・友人など集団生活を営む「絆」の象徴として「お犬さま」の物語を作り直すことができるのかもしれません。現代の物語として、です。

もちろんパワースポットという形の新しい自然崇拝のひとつのシンボルとして、そして、もうひとつは安産・多産のシンボルとして、「お犬さま」が物語られるということは当然です。

 
 
 
 
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2017/06/30

犬とAIのおかげで「人間」になれる

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ほとんど将棋のことなど何もしらない人たち(俺も)までが、また例のごとく、お祭り騒ぎするくらい、藤井聡太四段の快進撃は止まりません。

彼も今どきの棋士らしく、AI将棋ソフトで勉強しているらしい。「AI時代の申し子」と言われているようです。

AIはどのような影響を人間に与えることになるのでしょうか。

オーストラリア先住民アボリジニーには「犬のおかげで人間になれる」ということわざがあります。気に入っていることわざで、『全国の犬像をめぐる』にも前書きで引用させてもらっています。

このことわざは、テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』に載っているものです。

どういうことなのでしょうか? 本から要約します。

考古学によって、人間が飼い犬を埋葬するようになった1万年前から、人間の脳が小さくなったことがわかったというのです。(犬の脳も小さくなりました)

人間の脳のどこが小さくなったかというと、

「人間では、情動と知覚情報をつかさどる中脳と、嗅覚をつかさどる嗅球が小さくなり、一方、脳梁と前脳の大きさはほとんど変わっていない。」

だそうです。つまり、犬と暮らすようになって、こういうことが起こったようです。

「犬と人間の脳は専門化されたのだ。人間は仕事の計画と組織化を引き受け、犬は知覚の仕事を引き受けた。犬と人間はともに進化して、よき伴侶、よき仲間、よき友達になったのだ。」

なるほど。

昔は犬は番犬、猟犬としての能力が重宝がられたはずなので、そういった番犬として、猟犬として、暗闇から敵を見つけたり、匂いで他の動物の接近を知ったり、獲物を探したり、という知覚能力を犬に頼ることができるようになったので、人間はその部分の能力を退化させたということのようです。

これが「犬のおかげで人間になれる」という意味のひとつです。お互いが補完しあう関係ですね。(ネアンデルタール人が滅んだのは、犬を飼わなかったからだ、という説まであります)

と、いうことは、今、AIが話題になっていますが、もしかしたら、AIによって、人間は犬を飼い始めたときのような大変革の時期に差し掛かっているのかもしれません。

今のAIによって、人間の能力を補完してくれるならば、人間は、そこはAIにお任せして、別なとこに能力を使えるようになる、とも言えるわけです。人間とAIは、犬と暮らすことで脳が専門化したように、お互いの能力を住み分けるのです。

例えば「計算」はAIには絶対かないません。「計算」でAIに勝とうとしても無理です。ここはAIに任せたほうがいいでしょう。

だから、たんに「AIで仕事を奪われる」などと悲観している人は、もっと大きな人間の未来予想図を思い描けない人、ということなのでしょう。悲観すること自体、すでにAIに負けています。いや、勝ち負けではないですね。あくまでも「補完」なのです。お互いが必要不可欠な「仲間」と言ってもいいでしょうか。

どんな能力の発展が人間に可能なのかはわかりませんが、たぶん、AIには一番不得意な分野であるのは確かでしょう。じゃぁ、何が不得意かというと、「あいまいさ」ではないでしょうか。この「あいまいさ」はAIと比べて人間の得意分野だからです。「芸術」などはその典型かも。

まぁ俺は預言者でも占い師でもないので、この「あいまいさ」が、遠い未来、どういった能力につながるのかわかりませんが。

藤井聡太四段などが使うAI将棋ソフトでは、最適な手を教えてもらうことができます。じゃぁ、最適な手は、もう考える必要がなくなったとして、その先、人間がやるべきことは何なんでしょうか。そもそも将棋をやる意味は?

そこがたぶん、将棋の新時代の価値に関わってくるのでしょうが、それが何かは俺にはまだわかりません。

もしかしたら「勝負に勝つ」ということ以外に価値が新しく生まれるのかもしれません。「勝たなくてどうするんだ?」と思うのは、今の俺たちの頭脳の限界でもあるのかも。

そういう新しい価値で生きる新しい動物が、その時代の「人間」なのでしょう。AIもまた犬と同じように「人間」を作るのです。
 
 
 
 
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2017/06/03

NHK「歴史秘話ヒストリア」で、綱吉の「生類憐みの令」の再評価

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昨日、NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」で、徳川5代将軍、綱吉の「生類憐みの令」をやっていました。

時代は違いますが、伊勢神宮を代参したおかげ犬も出てきました。おかげ犬の最初の記録は1771年、徳川家治の時代です。

現在中野区役所のそばに置かれている犬の群像も登場しました。この群像はとくに、夜になると色が目立たなくなるので、本物の犬たちがたむろしているように見えます。臨場感のある犬の群像です。

ここは「お囲い御用屋敷」、犬の住居(保護施設)があったところです。当ブログでも、すでに紹介しています。

【愛犬物語 其の百十二】 綱吉時代の「お囲い御用屋敷」跡の犬像

綱吉の「生類憐みの令」は有名で、綱吉は「犬公方」と呼ばれるほどの犬への偏愛があったことで有名ですが、それが強調されて、とんでもない将軍だと誤解もされてきました。

「生類憐みの令」は「天下の悪法」と言われてきましたが、最近は、再評価されているらしいのです。

日本獣医史学会理事長の小佐々学氏も、「生類憐みの令」の再評価について、

「旧弊である武断政治を文治政治に変えるために、命の大切さを理解させる手段であったとも考えられる。人と動物の命を同等視して、人も動物の一員であると考えていた可能性があるのは注目されていいだろう。動物のみならず人の保護まで含んだ世界最初の動物保護法として極めて重要であり、今後は動物愛護やヒューマン・アニマル・ボンド(略してHAB)の視点から再評価されるべきだろう」

と述べています。

ヒューマン・アニマル・ボンドとは「人と動物の絆」のことで、最近の研究によって「人と動物とのふれあいが、人と動物双方に精神的・身体的にいい効果をもたらす」ということが示されています。

「生類憐みの令」は、すべての生き物の命を大切にするという綱吉の先進的な考えでもあったようです。犬だけではないのです。捨て子が多かったことで、捨て子を取り締まったり、罪人の牢屋内の待遇改善までやりました。

それは綱吉のお母さんが庶民の出で、幼いころから庶民についても聞いていて、人が生きる上で、何が大切かをわかっていたということも、理由だったようです。

でも、綱吉は完璧主義者でもあったので、厳しすぎることで、世間から段々受け入れられなくなっていきました。崇高な考えをストレートに推し進めようとしても、周りが付いてこないというのは、この件に限ったことではなく、いろんなところで目にします。

ただ、「生類憐みの令」は破たんしましたが、でも、その元の思想は十分現代にも通じるし、何しろ、西洋の動物保護の考えが生まれるずっと前にこの思想が生まれていたというのは、誇ってもいいのではないでしょうか。

綱吉によって「令」という形になりましたが、もともと日本の中で、生き物との関係性に育まれてきた「生き物はみな平等」という感覚が、庶民の間にもあったので、、「生類憐みの令」も最初は庶民にも受け入れられたのではないかなと思います。

マハトマ・ガンディーは次のように言っているそうです。

「国家の偉大さや道徳的な進化の度合いはその国が動物をどのように扱っているかで判断できる」

と。
 
 
 
 
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2017/05/29

【愛犬物語 其の百三十四】 東京都練馬区 八坂神社のお犬さま像

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練馬区の八坂神社を参拝しました。

階段を上って行くと社殿が現れますが、境内の社務所横には、目立つ巨木2本、「練馬の名木」が立っています。

1本は銀杏で、高さ26.5m、幹の太さ3.7m。練馬区内では銀杏としては有数の大きさを誇るという。もう1本はカヤです。高さ25m、幹の太さ2.7m。これも区内有数のカヤの木で、「練馬の名木」に指定されました。境内の樹木を折ると熱病にかかるという言い伝えがあるそうです。

この練馬の名木に見守られながら、御嶽神社は、拝殿の左手に鎮座しています。大口真神社の御札が納められていました。

1対のお犬さまがいます。大きくはないですが、鋭い目つきで、何かを守っているような威厳と存在感があります。シルエットだけ見ると、「ゴジラ」のようにも見えます。

冗談ではなく、意外と「お犬さま」と「ゴジラ」には共通性があるのかもしれません。自然と人間の仲立ちをする「神使い」として、あるいは「神」そのものとして。

「お犬さま」はもともとオオカミ信仰ですが、農作物を害獣から守ってくれるという感謝の思いだけではなく、山に棲む得体のしれないものに対する畏れもあったような気がします。つまりそれは、自然そのものに対する感謝と、畏れそのもの、ということなのでしょう。自然を象徴する存在としての「お犬さま」。そんな風に見えます。

一方の「ゴジラ」も、アメリカ映画が描く、ただ単に人間に害を与える怪獣とは、ちょっと感覚が違うような気もします。

たしかに日本の都市は何度も破壊されました。でも、それは台風や、地震や、津波と同じような、たとえて言えば、「ゴジラ」が日本で暴れるのは、自然災害のようなところも感じます。

だから単に、「ゴジラ」を殺せばハッピーエンドか、というと、そうでもなく、来てはほしくないけど、いなくなったら嫌だ、みたいな。ということは、「ゴジラ」も自然を象徴しているのかなとも思ったりします。
 
 
 
 
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2017/03/25

今日は、二十四節気「春分」、七十二候「桜始開(さくらはじめてひらく)」

170325


今日は、二十四節気「春分」、七十二候「桜始開(さくらはじめてひらく)」です。

今年、一番初めに桜の開花宣言したのは、東京都でした。3月21日の肌寒い小雨の日でしたが、靖国神社の標本木、数輪咲いていました。

今年はゆっくりと満開になるので、長く桜を愛でることができそうです。

写真は以前撮影した茨城県の浅畑の棚田を見下ろす場所にある桜の花です。
 
 
 
 
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