カテゴリー「環境」の14件の記事

2008/05/04

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 1

080427
映画『狩人と犬、最後の旅』を観ました。

出演: ノーマン・ウィンター、メイ・ルー
監督: ニコラス・ヴァニエ

監督のニコラス・ヴァニエは、06年、シベリア横断8000kmという偉業を成し遂げたフランスの冒険家でもあります。彼がカナダ北極圏を横断中に出会ったのが、ノーマンでした。狩人のノーマンの生き様に感動し、映画化を決めます。

映画は、ノーマンと奥さんメイと、ソリを引く、アパッシュなど犬たちとの絆が、北極圏の雄大で美しい風景の中でつづられます。特に冬のシーンは、すばらしい。

実際ノーマンがここで遭遇したエピソードを再現するという形で撮影されたということです。なので、氷の湖に落ちるシーンも、実際もう一度落ちてもらって撮影しました。ノーマンは、芝居はできないので、寒くても痛くてもいいので、もう一度落ちると言ったそうです。なので、水から上がったあとの髭から垂れ下がる氷とか、手のかじかみは、本物なので、迫力があります。

断崖絶壁から落ちそうになったときの犬たちの必死の表情も、作り物ではありません。犬にとっては、仮にそれが安全を確保した上での撮影であっても、実際の危険な出来事に変わりありませんからね。思わず、犬嫌いの俺も、この犬たちが、いとおしくなってしまいました。

マイナス50度にもなる過酷な条件で、2冬にもわたる時間をかけたこの映画は、観る者を感動させずにはおきません。

この映画の映像には圧倒されます。お勧めの映画です。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/05/01

どうしてガソリンは安いほうがいいのか?

080501
昨日は写真展搬出のために東京有楽町まで往復しましたが、都内のガソリンスタンドは混雑していました。

この1ヶ月間のガソリン安。

身近でわかりやすい減税は、人の支持を得やすい。でも、政治家というのは、身近な生活も大切だけど、未来を見通すことも大事です。

たしかに、地方では、車がないと生活できない社会になってしまった以上、その生活が快適に維持されるように努力するのは政治家の役目ではあります。ガソリンという目に見えるわかりやすい物価が下がることで、消費に弾みがつき、経済的にもプラスだったかもしれない。(反対に道路作る予算もなくなった)

でも、長期的に見たとき、ガソリンが安くなったことは、はたして「良い」ことなのでしょうか。少なくとも安くなることで、消費量は伸びるのだから、温室効果ガス排出問題、地球温暖化問題から見たら、「良い」とばかりも言えません。この「環境面」については、自民、民主、ともに、全く頭にはないようです。

実際、日本でのガソリン価格の引き下げを批判していた外国のメディアもあると、ラジオのニュースで報じていました。それはそうでしょうね。ただでさえ、京都議定書の合意に基づく温室効果ガス削減を本気でやろうとしたら、ガソリン価格を「下げる」というのは、世界の流れとは逆行しています。やっぱりこういう場合も、日本国内問題を優先させるのですね。

暫定税率は、道路利権の温床という問題はあるのはわかります。税金を道路にだけ使うのも、時代に逆行しているでしょう。そこまでは、俺も賛成です。でも、もっと突っ込んで「一般財源」などという曖昧なものではなく、車が温室効果ガスを排出しているという強い問題意識を示すためにも、はっきり「温暖化対策税」と言い切って、値段を据え置く、ということは、しないんでしょうか。やっぱり、無理ですかねぇ。

今の日本人には、本気で地球温暖化を止めようなどという気はないようです。だから、政治家も、そんなめんどくさい話を持ち出さなくてもいいので助かっている。言われたら、また考える、ということなんでしょう。日本の政治家は、ほんと、世界の空気を読みませんね。

俺だって車での撮影は多いし、ガソリンの値段が安いに越したことはないのです。運送業者の人たちはたいへんです。正直、またガソリンが上がるのは、頭の痛い話です。昨日は、俺もしっかりガソリンを満タンにしました。

そんな俺でも、ガソリンはどうして安いほうがいいのか?と問わなければならない時代なのです。

昨日国会では暫定税率復活に反対する民主党のパフォーマンスがありました。パフォーマンスも必要なんでしょうが、これを環境問題とのからみでも説明してほしいなと思います。でないと、次の選挙の人気取りなのかなと、疑ってしまいます。

目先のニンジンに釣られ、とんでもない崖っぷちに連れて行かれる馬には、なりたくありません。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ


| | コメント (0)

2008/04/24

コメより高い水を買う国民、日本の不思議

080424
(写真は水俣市寒川棚田)

昨日は、丸の内さえずり館で、スライド&トークショー『世界の棚田を旅しよう』をやりました。

俺のスライドショーのあと、最後に棚田ネットワーク代表でもある中島先生があいさつ。そのとき、先生の手には、330mlのペットボトル。先生はお客さんたちに聞きました。このペットボトルに詰めたコメとミネラルウォーターではどちらが高いでしょうか?と。

答え: ミネラルウォーター。

俺は、この話を聞いて、ちょっとショックでした。今まで気がつきませんでしたが、ミネラルウォーターの値段が100円(コンビにで買う場合)。ところが、コメは、50円程度。コメよりも高い水を飲むのが自然なことなのか? 水よりもコメが安いというのが異常というべきなのか? なんだか考えさせられてしまいました。

もっとも、ミネラルウォーターの値段には、ペットボトルの値段も含まれてはいるし、コメも高いコメはもっと高いです。ミネラルウォーターも、2リットル瓶では安くなるので、単純な比較では、正確ではありませんが、でも、だいたい、「330lm瓶入りのミネラルウォーターより、同量のコメの方が安い」とは言えるようです。

俺は、日本国内を車で撮影旅行するとき以外は、ほとんどミネラルウォーターは買ったことはありません。外国では、水道水が飲めないというところもあるし(水道自体ないところもあります)、それもしかたないと思って買いますが、水道水がこれほど安全で「おいしい」日本で、大量のペットボトルのゴミ(資源?)を出すミネラルウォーターに違和感を持っていました。昨日の話を聞いて、その違和感の原因のひとつがわかったような気がします。

もちろん、お金がありあまっている人が、どんな贅沢品を買おうがその人の自由だし(去年は「何とか還元水」という1本数千円の水を飲んでいた大臣もいたっけ。亡くなりましたけどね)、俺も、車の撮影では重宝しているので、否定はしませんが、不思議ではあります。どうして、日本で水を買わなければならないのか?

ミネラルウォーターって、ホントに水道水よりもおいしいのか? ホントに体にいいのか? あらためて考えてみたいと思います。

それと引きかえ、コメがどうしてこんなに安いのか? いや、これでも、「コメが高い」といわれているんですけどね。

ますます、日本が不思議な国に思えてきました。最後の「秘境」日本!


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/03/31

棚田のイベントです。 『棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!』

080331
『棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!』
青柳の棚田写真(37点)、棚田ネットワークのパネル、農作業の道具などの展示です。また、会場では、DVDで、棚田のスライドショーを上映しています。長さは15分。このイベントのために特別に編集したオリジナルです。

期間: 2008年4月1日(木)~4月30日(水)

開館時間: 月~土 11:00~19:00
(日・祝・4月28日は休館。最終日4月30日は13:00まで)

丸の内さえずり館
千代田区有楽町1-12-1 新有楽町ビル1F
TEL/FAX: 03-3283-3536
(JR有楽町駅 日比谷口 ビックカメラの隣のビル)
http://www.m-nature.info/


期間中トークイベントがあります(18日、23日ともに、棚田米の試食付き。先着40名 参加費無料。申し込みは、丸の内さえずり館まで)

 4月18日(金) 18:30~20:30
 棚田ネットワーク
 「棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!」

 4月23日(水) 18:30~20:30
 「写真家・青柳健二と世界の棚田を旅しよう」
 (スライド&トークショーです。日本、中国、インドネシア、ベトナム、フィリピン、イラン、マダガスカルの写真と話です)


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/03/29

【ひとり会議 その十一】 『宇宙の中心で悪を叫ぶ』

080329
【ひとり会議 その十一】
『宇宙の中心で悪を叫ぶ』
(映画名など、フィクションです。写真はバリ島爆弾テロで焼け融けたビールのケース)


桃: 昔、こんな映画があったわね。地球を侵略しようとする宇宙人が現れて、それまで戦争をしていた世界中の人間は、戦争をやめて、いっしょに宇宙人と闘った。こんな話だったんじゃないかな。

ビーノ: それ知ってるよ。『宇宙の中心で悪を叫ぶ』でしょ? おもしろい映画だった。

ボゾルグ: なんで、犬が映画を観るの?

ビーノ: ボク、意外と映画やテレビは好きなの。室内で飼われていて、近くにテレビが置いてあるから。

桃: そうなんだ。とにかく、戦争してる場合じゃなくなったわけよね。外から大きな敵が来ると、団結するしかなくなるの。つまり、今の環境問題だけど、「環境破壊」というのが、「宇宙人の侵略」と考えられるかなと。

さぶじい: 敵は「環境破壊」ですか。だから、世界が団結できる機会だと。

桃: そう。ピンチはチャンスとも言うじゃない? 人間どうし、戦争している場合じゃないのよ。そんなことをしてたら、大きな敵「環境破壊」で、人類そのものが滅ぼされてしまうんだから。

さぶじい: 戦争自体、大きな環境破壊ですし。おもしろい考えではありますな。しかし桃さん、あまりにも理想論でしょうな。

ボゾルグ: 桃の考えそうなことだよ。ちょっと現実離れしてる。桜の時期で、浮かれてるのかな。桃の両親は、たしか桜だったし。

桃: 理想は理想。いいじゃない? 理想を語らなければ、未来なんかないわ。

ボゾルグ: 映画のように「敵」と「味方」がはっきりしている地球侵略と違って、環境問題は、「敵」と「味方」がはっきりしないんじゃないの。むしろ、「敵」は、環境破壊そのものじゃなくて、「先進国」かもしれないよ。環境問題が、南北問題でもあると言われているね。今までさんざん資源を取り尽し、温室効果ガスを出しておいて、発展途上国にも同じように規制しろといっても、発展途上国の人が納得しないのは当然だ。たとえば、こんな話を聞いた。日本で捨てられた家電製品や車やバイクが、海外の発展途上国に輸出されている。まぁ、これは、日本側も、発展途上国側も、双方にメリットがあるように感じる。でも、意地悪な見方をすれば、廃棄物を外国に移動しているともとれる。医療廃棄物を日本からフィリピンに不正に輸出していた事件があったけど、これなんかは論外。でも、普通の中古品だって、壊れたものは、代えの部品もなくて、結局捨てるしかなくなる。中古品を輸出するという建前の、体の良いゴミ捨てだ。

ビーノ: またまた。ボゾルグはひねくれてるなぁ。

ボゾルグ: そういう面もある、ということ。俺だって、一応それがビジネスとして成立しているんだから認めるし。発展途上国の人たちも、新品じゃ手が出なくても、中古品なら買えて、便利さを享受できるんだから、その意義は認める。

さぶじい: つまり地球温暖化を防ごうとしているのは、先進国の都合であるかもしれないということですかな。発展途上国側からすれば、先進国だけでCO2のほとんど半分も出しているんだから、自分たちで何とかしろっていう感じかもしれませんな。

ボゾルグ: でも、やっぱり、宇宙人の侵略みたいな、急激な変化がないと、地球人一致団結なんてことはないよ。桃が言うのは、単なる理想論だな。

さぶじい: 急激な変化に対しては、危機意識が出て、何とか回避しようという行動が生まれますが、環境問題のように、何年後の危機であったり、時間がかかるゆっくりとした危機であったりすると、なかなか行動がとれませんしな。しかも、環境問題というのは、どうも「大きな話」になりがちです。けきょく、自分がやった行為が、環境に負荷をかけているのは確実なんですが、あまりにも問題が大きくて、個人の責任は、逆にそれと反比例するように小さくなってしまう、ということがありますな。要するに、私一人がやっても、やらなくても今さら同じだろうという・・・。

桃: その怠慢なのよ。環境問題の一番の敵は、きっと。

ボゾルグ: 敵は、先進国でもなかったか・・・。

ビーノ: 人間は怠慢。ボクは、自分で出したものは、自分で何とかしようとしているよ。

ボゾルグ: この前の話、気にしているの? もう、その先は、言わなくていいから。

さぶじい: そうですなぁ。本来なら、自分が生産し、自分がゴミをかたづけるということだったのに、いつのまにか、それを人任せにしていった。それが、怠慢。だから、自分が見てないところなら、たとえば、発展途上国なんかに、どんなにゴミを輸出しようが、自分とは関係ないと思うことができてしまう。

ボゾルグ: そんなふうで、この環境問題に、個人としての責任、感じられる? 俺には無理だね。

ビーノ: 怠慢が人間の文明そのものだよ。「楽したい」という理由で、人間の文明は発展したといってもいいでしょ?

ボゾルグ: 怠慢と闘うって、すごく難しい。けっきょく、自分との闘いだしさ。それよりは、「環境保護、環境保護」って、お題目を唱えているほうが、楽。

桃: あるいは、戦争をしかけてしまうとか、ね? 矛盾だよね。一方では、戦争しておきながら、環境保護を訴えている国、あるじゃない? 戦争がどんなに環境を破壊しているのか、わざと見ないふりしてるとしか思えないわ。

ボゾルグ: なんだか桃のいうこと、わかる気がしてきたよ。ばかばかしいね。俺たちが、(俺はやらないけど)、いっしょうけんめい、ちまちまと、ゴミの分別したりしても、爆弾一発爆発させれば、その努力もいっぺんで吹っ飛んじゃう。

桃: 兵器産業なんて、だから、二重の環境破壊をしてるってことよ。

ボゾルグ: そうだね。なんだか、無性に腹が立ってきた。

ビーノ: ボゾルグは、単純だね。

さぶじい: 素直とも取れますなぁ。

桃: 疑り深いのにねぇ。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/03/22

『グレートジャーニー』を観て

080322
昨日、関野さんの番組、『グレートジャーニー』について触れましたが、今日も続き。

「どんなに【秘境】といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか」と昨日書きました。

どんなに伝統的な生活を送っていたとしても、CO2排出が少ない生活を送っていたとしても、他の地域で出されたCO2や、汚染された大気や雨からは逃れられません。

逃げられないものは、もうひとつ、空からやってくるテレビの電波。「秘境」にテレビが入り込むことで、伝統的な文化が内側から変化していきます。

それが「良い」とか「悪い」とか単純に言える話ではありませんが、テレビを見ることで、自分たちの生活と、都会の生活とのギャップを知って、自分たちの「貧しさ」に気がつく。いや、本当は「貧しさ」ではないのですが、それを「貧しさ」と感じざるをえない現在の文明なので、「秘境」の人たちは、結局、都会にあこがれ、都会の文明にあこがれ、地元の環境・文化に不釣合いな生活を送り始めるとか、若者なら、都会に出て行ってしまうという現象が各地の「秘境」で起きています。番組でも、それらしい話が出ていました。

でも、俺は、それが悪いことばかりとも思っていません。自分たちが世界でどういう「位置」にあるのか知ることは大切だと思うし、自分の「貧しさ」を知って、なんとかしようと思い始めることは、長い時間のなかで考えれば、必要なことでもあるのではないでしょうか。

短期的には、卑屈にもなるでしょう。悲しくもなるでしょう。怒りも感じるでしょう。だから外見上は、不幸に見えるかもしれません。でも、そういった「負」であっても、大きな心のエネルギーは、その人たちを動かしていくような気がします。

日本人だって、そういう時期がありました。だから、伝統的文化を捨てた姿に「あなたたちは不幸だ」と単純に言われるのだけは心外でしょう。「捨てた」というより「変わった」と言うべきかもしれません。

でも、そうは言っても、何百年にもわたってはぐくまれてきた文化を、たかだか数十年でなくしてしまうのは、やっぱり、もったいないと思いますが。失ってみないと(体で思い知らないと)、なかなかわからないものなのかもしれません。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

『グレートジャーニー』 関野さんのメコン旅

080321_2
テレビ番組『グレートジャーニー』で、関野さんのメコン川の旅をやっていました。相変わらずタフな関野さん。

懐かしい風景。俺が青海省のメコン源流域へ初めて行ったのは1992年のこと。

まだメコンの源流がどこだか誰も知らない時代でした。未調査だったのです。俺は現地のチベット人たちに「ザチュ・ザナチュ(メコン)の源流はどこですか?」と聞きながら、「文化的な源流」を探しました。昨日の番組でも、それに触れられていました。地理学的な「科学的源流」と、地元の人たちが信じている「文化的源流」があるということです。そしてそのふたつは、違った場所になっています。俺が行ったのは、「文化的源流」でした。1994年のことです。

ところで、1992年に現地のチベット族が言っていたある話は、あぁこういうことだったのかと、今になってわかりました。それは何かというと、「数十年前から、なぜか雨が降ると草地が崩れて、土砂が川に流れ込んでしまう。だんだん草地が少なくなっている気がする。どうしてなんだろうか」と。草原の沙漠化ですね。

当時はそれほど環境問題に関心はなかったので、聞き流したはずですが、なぜか妙に覚えていて、今では、それが地球規模の環境変化と何か関係はあるんだろうなと想像できます。酸性雨、気象の変化、大気汚染など考えられます。それと、家畜が増えて(人間が増えて)、放牧のし過ぎもあるのかもしれません。

メコン河が赤いのは、土砂が流れ込むからです。それがますますひどくなっているようです。昨日の番組を観ていて、そう感じました。途中のダムも、土砂がたまって長くもたないのでは?とも思います。

どんなに「秘境」といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/03/09

【ひとり会議 その十】 エコ商品て環境に優しい?

080309
【ひとり会議 その十】 エコ商品て環境に優しい?


ボゾルグ: この前、地球の「こころ」を感じるって話があったけど、その「こころ」が「地球をこれ以上壊さないで」と言っていることは、なんとなく感じるとしても、やっぱり、具体的に何をすればいいのかちょっとわからないな。

さぶじい: 地球環境を守ろう、ということは誰も異論はないでしょうが、異論がないということは、逆に言えば、「環境保護、環境保護」と、お題目のように唱えていても、何にもならない。むしろ、唱えることで安心してしまうということにもなってしまう。

ボゾルグ: 安心するという意味では、「エコ商品」も似てるよ。なんだか、この「エコ商品」というものが、信用できないんだよね。うさんくさい。「エコ商品」を使うことが、環境のことを考えていると思い込んで安心できる、一種の免罪符にもなっているんじゃないの。

桃: 私は、使うことに反対はしないけど、メーカーは、その心理をついている部分も、たしかにあるでしょうね。環境にいいことを何かしたいと思い始めている人たちが増えている。でも、何をやったらいいかわからない。そこで、手軽に、目に見える形でできるのが、エコ商品を使うこと。

ボゾルグ: だいたいにして、環境の悪化は、人間の大量生産、大量消費、大量廃棄が原因でもあるんだから、ほんとに環境を考えるなら、商品そのものを買わないということが、一番のエコだろ?

ビーノ: そしたら、ボクなんか、一番のエコだね。見て見て。服も買わないし、テレビも買わないし、携帯も買わない。電気も使わないし、グルメでもない。廃棄物はオシッコとウンコだけ。ちょっと毛が抜けるけどね。

さぶじい: 矛盾ですな。エコ商品を作るためにもエネルギーは使っているわけだし、今持っているものを、とにかく長く使うことが一番のエコのはずなのに。たしかに、ボゾルグさんが言う通りなんですが、しかし・・・。

ボゾルグ: 電化製品なんか、まだまだ使えるのに、「電気を節約できる商品ですよ。環境に優しいエコ商品ですよ。たくさん買ってください」とコマーシャルして、購買意欲を刺激する。でも、その節約分なんか、本体の値段に比べれば微々たるものだし、しかも、買い換えたら、前の商品は捨ててゴミにしてしまうわけで、結局、一番環境に優しいのは、使えるものは捨てずに使うことなんだと思うけどね。そういえば、CO2排出が少ない電車で出張しましょう、みたいなコマーシャルもあるね。たしかに電車からはCO2は出ないかもしれないけど、その電気を作るときはCO2を出しているし、車両や線路や駅舎をつくるにも、CO2を出している。

さぶじい: そんなことを言い始めたら、それこそ、「何をやっても無駄だ」ということになってしまいますな。少なくとも、自動車よりは、電車を使うほうが一人当たりのCO2排出が少ないのは事実だし、今は、比較の問題ではありませんかな。まったくCO2ゼロの乗り物が発明されるまでは、まだまだ時間はかかるし、かといって、それができるまで何もやらないというのもどうでしょうか。少しでも、少ない方法でやっていきましょうという方向性は重要なのではないですかな。

桃: あんたのように、何でもかんでも文句を言う人はいるわね。そう言う人に限って、何もやらない。でしょ?

ボゾルグ: そこをつかれると痛いなぁ。でも、なんだか、俺にはメーカーが、「売るため」にだけ、安易に「エコ」と名づけているような気がしてしかたないんだよね。信用できないのは、そこだよ。

ビーノ: ボゾルグ、ひねくれているよ。この前も、「地球温暖化は100パーセント人為的なものかどうかわからない」「温暖化で海面上昇するなんて、ほんとかわからない」なんていってたよね?

ボゾルグ: 俺は疑り深いだけだよ。

さぶじい: 疑うのは大切です。しかし、疑ってばかりいても、環境問題はなかなか前に進まないのではないですかな。何が原因か、将来どうなるのか、今どうすればベストなのか、などと、誰にもわからないのですからな。なにしろ、人類誕生してから、これほど大きな試練は初めてなんです。疑わしくても、手探りで行くしかないと思いますよ。何もしないよりましです。仮に温暖化して大きな被害が出なかったとしても、それはそれでいいでしょう? そして、メーカーも、商品を売らなければ、つぶれてしまうので、売るしかないわけです。社員には家族もあるし、メーカーがつぶれていったら、日本経済がどうなるか。それこそ、ボゾルグさんが恐れるように、生活水準を落とさなければならなくなるかもしれないですよ。

ビーノ: ボクから言わせてもらえば、生活水準を今のままで、CO2を減らそうということじたい、間違っているんじゃないの? ボクのような生活をすれば、いっぺんでCO2は減るよ。

ボゾルグ: はいはい、その通り。でも、申し訳ありませんが、俺たちは、ビーノ様みたいな生活は無理なんだよ。犬とは違うんだ。

ビーノ: 犬って、またボクをバカにしてるだろ?

ボゾルグ: 犬は、廃棄物も食べちゃうくらいだからなぁ。「廃棄物ゼロ」って、スバラシイね。ビーノたちは、りっぱなエコ動物だよ。

ビーノ: ひど~い! ボク、ウンコなんか食べないよ。ボゾルグは、犬差別主義者なんだよ。

桃: まぁ、まぁ、ふたりともやめなさいよ。たしかにボゾルグがいうように、「エコ」と名前を付けさえすれば売れるという、エコ偽装みたいなものもあるわ。それは注意しないとね。古紙を使ってないのに、「古紙何パーセント」と、だまして売った製紙会社のニュースがあったばかりだし。とにかく、人間はエネルギーを使いすぎ。それを抑える方向はまちがってないはずよ。「地球のこころ」と同じ方向だと思うわ。ところでビーノ、あんた、口もと黄色いわよ。

ビーノ: ドキッ!

Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/02/25

【ひとり会議 その九】 地球の「こころ」は怒っている?

080225
【ひとり会議 その九】 地球の「こころ」は怒っている?


桃: なんだか、最近の地球は、悲鳴を上げているように感じるわね。私自身、酸性雨はきついから。

さぶじい: 地球の反乱は、すでに始まっている。最近の地球温暖化や異常気象などを見てますと、そう思ってしまいますな。

桃: 人間の環境破壊で、これ以上黙っていたら、地球そのものが危ういから、地球は、自分の「こころ」を示した、「意思」を示したということかな。

ボゾルグ: でも、待ってよ。たとえば、温暖化が100パーセント人為的なものなのかどうかは、まだ疑問を持たれているわけだし、この温暖化は何億年も続いてきた地球の歴史から見たら、「異常」でもなんでもない「普通の」出来事かもしれないよ。そもそも、温暖化がすべて悪いことばかりかというとそうでもないしね。そして、地球を擬人化するのは、どうかと思う。かりに、地球の「こころ」があったとしても、それは、人間が理解できるような「こころ」じゃないし、「意思」じゃない。もしそんな単純なものだったら、むしろ俺はがっかりだね。

桃: 擬人化じゃないの。でも、その地球の「こころ」を、地球の「こころ」で考えることは、しょせん人間には無理な話なのよ。レベルが違っていて。だから、ここでは、人間にもわかるレベルで「翻訳」しないとだめなの。たとえば、犬に、「○○しても良いよ」「××してはダメだよ」と言葉で言ってもわからないときは、「エサをあげる」「ケージに戻す」ってことで犬はわかるでしょ? 触ってあげたり、抱いてあげたりすれば、好かれているんだなぁと感じるだろうし、きつくしかられれば、「これはだめなんだ」と感じる。

ビーノ: ボクを馬鹿にしてるの? 

桃: ビーノ、ばかにしてるんじゃないわよ。「翻訳する」とは「感じる」ことだと、人間に教えるための例えよ。

ボゾルグ: 「地球温暖化」や「異常気象」というものに翻訳されて、ようやく地球の「こころ」が人間にもわかる、いや感じるということだね。それならなんとなく・・・。

桃: 地球の「こころ」は、人間に「これ以上地球を壊さないで」といってるんじゃないかしら。

ボゾルグ: 人間やインターネットの「こころ」の場合、一つ一つの神経細胞ニューロンやパソコンに「こころ」はない。ただ、それがたくさん集まったとき、関係性を持つシステムに「こころ」が生まれるはずだったろ? でも、地球の個々のものに「こころ」はあるじゃない? 少なくとも、60億人もいる人間ひとりひとりに、「こころ」も「意思」もあるよ。

桃: どうかな。レベルが違いすぎる。地球にしたら、人間だって、蚊やミジンコと区別できないほどのレベルだってことよ。人間には、地球レベルの「こころ」はないわ。

ボゾルグ: なんだか悲しい話だね。

桃: しかたないわよ。地球と人間の差なんて。現実はそうでしょう? しょせん、地球を救おうなんて気持ち自体がおこがましい。地球は人間しだいでどうにでもできるといって、資源を使い放題、開発をやり放題やってきたわよね。でも、今度は一転して、地球環境を守ろうというけど、「人間は何でもできる」という考え方自体は、何も変わってないわ。

さぶじい: さすが、桃さんは地球の代弁者ですな。

ビーノ: ボク知ってるよ。桃の両親は、桜の木でしょ?

ボゾルグ: 桃の家系は樹木だったのか? 桜の木から生まれて、名前は「桃」。ややこしい・・・。

桃: ボゾルグ、何ぶつぶつ言ってるの? つまり、私が言いたいのは、もっと、地球の大きさを知ったほうがいいと思うの。逆に言えば、謙虚さね、必要なのは。そこからしか、地球の「きもち」は感じ取れないわ。

さぶじい: 昔の人間は、その謙虚さは持っていましたけどねぇ。だんだん、「自分が一番」と思い込むようになってしまったんですな。そのしっぺ返しでしょうか? 

ビーノ: ボクら、「理解」はできないけど、「感じる」ことはできるんだよね。地球の「こころ」も、人間の「こころ」も。人間以外の生き物、全部そうなんだよ。言葉を持った人間だけは、「感じる」ことを忘れて「理解」したがるってこと。

さぶじい: 地球環境がだんだんおかしくなっていることに、人間がどれだけ関与しているのか、それこそ地球の「こころ」がわからない人間にはわからないですが、しかし、「何か変だ」「これではいけない」と感じているのは確かなんですから、その感覚は大切にしないといけない。ビーノさん、桃さん、こういうことでしょうかな?

ビーノ: まぁね。

ボゾルグ: 地球の「こころ」を感じる大切さはわかるけど、環境問題が、けっこう政治問題だってことは、別だよね。「温暖化が悪い」「リサイクルは良い」「温暖化で海面上昇する」とか、ほんとかな?と「感じる」ことも多いよ。

さぶじい: 地球の「こころ」がわかっても、じゃぁ、個人的にどうするか?という問題がありますな。「環境保護」と唱えているだけでは、何も変わりませんしな。難しいところです。

ボゾルグ: そうなんだよ。地球環境保護のために、俺は今の自分の生活レベルを下げる気はないよ。あまり「地球のこころ」ばかり考えると、個人の自由は制限されるということにもなっていく。それは嫌だね。

桃: ただ、大きな理想は必要でしょう? 方向性といったらいいかな。そもそも、地球環境が壊れて、人間が死んでしまったら、個人の自由なんていうのも、なくなってしまうのよ。

ボゾルグ: ・・・

さぶじい: 地球環境問題では、被害者が加害者でもあるということ。そこが難しいところでもありますな。


Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/02/10

【ひとり会議 その七】 14歳少女の「無邪気な」反捕鯨活動

080210
【ひとり会議 その七】 14歳少女の「無邪気な」反捕鯨活動 (団体名など、フィクションです)


さぶじい: またクジラをめぐってのニュースがありましたな。イギリスで、14歳の少女が父親と日本大使館に座り込み、「クジラはとても素晴らしい生き物で、権利や愛が与えられてしかるべき」と、捕鯨反対を訴えて騒ぎ、不法侵入で拘束され、警察署に留置されたらしいですな。

ボゾルグ: あの、無邪気さが怖いね。この前も、過激な環境保護団体「海のドーベルマン」について話したけど、この少女も同じ匂いがするよ。「捕鯨は残酷だからイケナイ」という一方的な主張を、相手の権利を侵してまでするわがまま・・・。

ビーノ: 14歳の少女は、かわいいの。ボクと同じ。あんな、いたいけな少女の気持ちは、大切にしないとイケナイでしょ。日本側が「悪者」に見えてしまうのはしかたないよ。

ボゾルグ: しかたないじゃすまないよ。それこそ危ない。少女が何で「捕鯨反対」を訴えているかというと、具体的な理由はなくて、子どものときに見た絵本にクジラが描かれていたことや、イギリスでは、動物保護のキャンペーンでクジラの写真を使っているということ。「クジラがかわいそう」という、ほんとに「純粋で無邪気な」理由だけなんだ。

ビーノ: でも、そいういう子どもたちの純粋さは大切なの。大人になると、それがなくなっていくでしょ。不純な大人が、世界をわるくしているの。

ボゾルグ: 子どもは純粋ねぇ。それはどうかなぁ? 無邪気だとは思うけど・・・。そして、父親がいっしょだったということも、なんか引っかかるねぇ。

さぶじい: これは子どもだけではなくて、反捕鯨国、一般の人たちの、正直で素直な感情・感覚だと思いますな。反捕鯨国では、「反捕鯨」を訴えても、当然ながら誰も傷つかないですし。言いたい放題できるということでもあるんでしょうな。

桃: 「捕鯨反対」という問題と、不法侵入の問題は、分けて考えなきゃね。もちろん、どんな人も、どんな意見を言おうが自由だけど、一線を越してはいけないということ。それはルールでしょ? だって、少女が座り込みしたのは、日本大使館だから、まだいいようなものの、これが個人の家、例えばロンドンに住んでる日本人宅だったら? やっぱり怖いわよね。そして逮捕されて当然だし。

さぶじい: 目的のために手段を選ばないという典型が爆弾テロですし。純粋な思いを持った子どもが、テロの訓練を受たりしています。しかし、子どもたちの「純粋さ」を、利用しているのは大人です。

ボゾルグ: 今回の件で言えば、「捕鯨反対」を訴えるには、14歳の少女は、かっこうの広告塔なんだね。少女がかわいくて純粋であればあるほど、捕鯨が、残酷であることを印象づけられる。この対比を利用している大人が影にいるってことだよ。父親といっしょに逮捕されたのに、少女だけがクローズアップされているのが何よりの証拠。

さぶじい: 「捕鯨反対」というスローガンを唱えている人たちは、たぶんイギリスでは好意的に見られているのでしょうな。もっと言えば、「捕鯨反対」や「動物保護」を訴えれば、ちょっとした「暴挙」も許されるという雰囲気があるのではないでしょうか。しかも、今回は、14歳の少女ですからなぁ。捕鯨が必要なのか、どうなのかという、本当に大切な問題は隠されてしまいます。

ボゾルグ: だから、そこが狙いなんじゃないの? 科学的に捕鯨を議論なんかしなくていい、ただ感情論で行け!っていう過激な反捕鯨主義者には。攻撃する対象がなくなると困るのも彼ら自身だからさ。

桃: 今、ロンドンの日本食レストランを経営している日本人には、脅迫電話がかかってくるらしいわ。在英日本人には、とばっちりね。今回、イギリスの警察が、少女たちを逮捕したのは、えらいと思うわ。

ボゾルグ: えらいわけじゃない。当然の仕事だよ。日本はイギリスに、クジラ肉を無償で輸出したら? そして実際に食べてもらう。クジラ肉を食べもしないで、クジラを語るなんて、100年早いよ。日本人は、クジラを愛しているからこそ、クジラを、ありがたくいただいてきたんだよ。それと、イギリスは、世界中を植民地化して、先住民族を痛めつけてきたことはすっかり忘れているようだしね。クジラだけじゃなくて、イギリスに住んでるアラブ系やアフリカ系やアジア系の人間にも「権利や愛が与えられてしかるべき」だと思うけどね。

桃: だめよ。そんなこと言ったら、過激な反捕鯨主義者の思うツボよ。敵が現れるのを、てぐすね引いて待ってるんだから。そして日本も、「捕鯨は文化だ」というだけでは、反捕鯨国の人たちを説得できない状況と時代になったということじゃない?

ボゾルグ: はいはい、反省します。でも、今回、桃は、俺の見方? もしかしたら、俺に惚れた?

桃: ばか! 私、「形容詞」に惚れたりなんかしないわ。

ボゾルグ: ????

Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2008/01/20

【ひとり会議 その二】 過激な環境保護団体「海のドーベルマン」

080120
【ひとり会議 その二】 過激な環境保護団体「海のドーベルマン」 (団体名など、フィクションです)


ボゾルグ: 日本の調査捕鯨船に乗り込んだ反捕鯨の環境保護団体「海のドーベルマン」のニュース、聴いた?

桃: あれはね。捕鯨国と、反捕鯨国じゃ、受け取り方が違うんだろうな。

ボゾルグ: やつらは、騒ぎたいだけなんだよ。自分が正義の味方にでもなったつもりで。地球環境の警察きどりが、鼻につくなぁ。

桃: 日本にも問題はあるんじゃないかしら? 何でも食べちゃうから。今じゃ、日本人ほど世界中の食糧を食べ散らかしている国民もないしね。

さぶじい: 日本人のように、クジラに文化的関わりを持っていると、単純に、「クジラがかわいい」とばかりは思っていませんしね。「クジラはおいしい」でもあるんですね。わたしらが若い時分は、学校の給食によくクジラが出たものです。「イルカ」って呼んでましたけど。

ビーノ: 「幸せのバブル・リング」を出す、あんなカワイイ動物食べちゃうの? だから日本人は残酷だって思われてしまうの。

さぶじい: いえ、いえ、イルカじゃありませんでした。実際はクジラです。

ボゾルグ: 結局は同じだけどな。

ビーノ: ボクは、クジラなんか食べなくても平気だよ。捕鯨なんかやめちゃえばいいじゃん。

ボゾルグ: 調査捕鯨はちゃんと認められているんだよ。調査もしないで、感情論だけで動物保護を訴えてもねぇ。

ビーノ: そうか・・・。

ボゾルグ: でも、やつらが気に食わないのは、世界的に見て今、面と向かって反対できない「錦の御旗」を手に入れたってこと。「環境保護」「動物保護」っていうのは、今はやりだから。

さぶじい: たしかに、この「環境保護」「動物保護」というお題目さえ唱えていれば、何でも許されるような空気になっていますね。反捕鯨国の、クジラに縁もゆかりもない人たちは「クジラがかわいそう」という感情に流されやすいですからね。

ビーノ: ボクみたいに?

ボゾルグ: ビーノ、そうだよ。そこからは文化的な側面が、スッポリと抜け落ちている。だから「海のドーベルマン」の行動は、たんなる嫌がらせさ。動物には優しくて、人間には厳しい、環境保護、動物保護って、なんだか矛盾してるんだよね。

桃: 私は、今回の件は、クジラだけが理由じゃないと思うわ。反捕鯨国のクジラに対する一方的な「かわいそう」という感情もどうかと思うけど、世界から見たときの日本人の非常識が背景としてあるから非難されるんじゃないかしら。

さぶじい: 先進国の中では、日本の食糧自給率が一番低いといってもいいくらいですし。そこがまた、外国人から見たら、お金で世界中の食糧を買っている日本人の節操のなさに映るんでしょうな。そこまでして、まだクジラまで獲ろうというのか、なんという国民なんだ、日本人は、という・・・。

ボゾルグ: 江戸時代だったらね、俺は「あんなにカワイイ牛なんか食べる人間は野蛮人だ!」って非難してやったんだけど。

ビーノ: それは無理だよ。ボク、クジラはいらないけど、牛丼は大好き。

Banner_01にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ

| | コメント (0)

2007/02/23

地球の環境

070223
まだ2月だというのに、この暖かさはどうしたことでしょうか。

昨日書いた、「環境保護を御旗に掲げた暴力集団」は別としても、みんなの環境についての関心が高まってきたのは確かでしょう。とくに、地球温暖化や異常気象の問題ですね。こう「異常」な暖かさが続くと、否が応でも考えてしまいます。

俺が小学生の頃(そんなカワイイ時もあったね)、山形県の内陸盆地ですが、冬はスキーをはいて学校まで通ったことや、家の1階部分は雪が積もって、中が真っ暗だったことを覚えています。それがここ何十年かで、すっかり暖かくなって、あまり雪が積もらなくなってきました。

10数年前、ラオス南部・コーン島のあるゲストハウスで、俺と、スイス人と、ラオス人が話をしているとき、3人とも、「俺の国では最近気温が上がっている」と言ったのです。俺からみれば、ラオスはいつも暑くて、そんなことあるのかと思ったのでしたが、暑い中でも、さらに気温の上昇を感じているらしいのです。スイスでも雪は少なくなっていると言っていたし、これは世界中の傾向なんだなぁと漠然と思ったのを覚えています。

地球温暖化の原因は「温室効果ガス説」が有力だそうです。ただ、地球そのものは、太古の昔から、暖かくなったり、冷たくなったりを繰り返してきました。そういう「異常とはいえない」いくつもの自然の原因があって、その上に、人間が作った原因が重なっているということなのでしょう。

人間は、地球を覆う、薄皮のような大気の中で、温度が1度、2度上がっただけで大騒ぎしている生き物なんですね。そして、偶然の重なりで、こんなラッキーな環境が、何万年も続いてきたことに驚くのです。地球環境は、「普通に周りにある」ので、未来永劫続くような気がしていましたが、とてもデリケートで、吹けば飛んで消えてしまうようなものなんだということに、俺たちはようやく気がついたのです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。
Banner_01にほんブログ村 写真ブログへF_02人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (2)

2006/09/14

山形は、もっとも進んだ環境県民

060914
(写真は山形県大石田町)

山形県出身者の俺には、耳ざわりのいいニュースがありました。山形県の一人一日当たりのごみ排出量が2004年度、884グラムで、全国で一番少ないそうです。こちらのブログで知りました。

Ya_2「天使のたまご」

昔は、紙などの燃えるゴミは、庭のドラム缶で燃やしていましたね。今はどうでしょうか。いろいろと問題があるので、禁止されているかもしれないですが。

ごみが少ない要因について、

(1)集団回収の徹底やマイバッグ運動の推進など地道な取り組みの成果
(2)モノを大事にする県民性
(3)ごみを土に還元しやすい農村部が多いこと

をあげています。俺がうなずけるのは、(2)ですね。モノを大切にする、つまり、なんでも「もったいない」と思ってしまうのです。もともと貧しいところだったからかもしれません。

少し前まで、これは「ケチ」と言われた性質です。実際今でも「もったいないなぁ」と内心思っても「ケチって言われると嫌だなぁ」と考えてしまい、黙っていることも多いですよ。

でも、ますますこれが「トレンド」になっていけば、大いばりで「もったいない」と言えるわけです。世の中変われば変わるもんです。

そういえば、最近「もったいない」運動がトレンドになりつつあります。ケニア出身の環境保護活動家であり、ノーベル平和賞受賞経験者のワンガリ・マータイさんが、日本人の「もったいない」の考え方こそ、環境問題を考えるにふさわしい精神として、世界へこの言葉「MOTTAINAI」を広めようとしているらしい。みなさんも聞いたことあるのではないでしょうか。
ウィキペディア参照)

ということはですよ、この「もったいない」精神を一番理解して実践しているのが山形県民だと言っても過言ではないでしょう。そして山形県民の中でも貧乏な我が家(物の消費が少ない)が、さらに「進んだ」家族だと・・・。

ただ、俺はひねくれ者なので、みんなが「もったいない」と言い始めたら、言わなくなるかもしれません。さんざん消費文化を謳歌しておいて、何を今さら・・・、と思う気持ちもあるしね。そして、田舎が嫌いで飛び出したはずの俺が、今さら山形県民と名乗るのも、なんだかヘンだよなぁ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ランキング参加中。クリックして1票お願いします。Banner_01
にほんブログ村 写真ブログへ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/09/03

最近の自然災害

アメリカ南部のハリケーンの被害。信じられないひどさです。

最近の自然災害は、局地化、巨大化しているように見えます。ハリケーンや台風は、海面温度上昇によって巨大になるとのこと。地球的規模で問題になっている森林破壊や温暖化と無関係ではなさそうです。

近代文明は、自然を破壊し、物の豊かさを追求し、それが人間の幸せだと思ってきました。(いまだにそうかな? 物の豊かさが必ずしも悪いと言っているわけではありませんが。偏っているのでは?) 何万年何千年とかけて、徐々に作り上げてきた自然との付き合い方を捨て、たかだかここ2、3百年の浅知恵でもって、自然を人間の思いのままに支配しようとすることは、少し冷静になって考えれば、無理なのは明らかです。

近代文明は、自然から許される改造の限界点を越えてしまったのかもしれません。その限界内でうまくやることが、生き物が生き続けられる唯一の方法ではなかったのでしょうか。

そして話は強引に棚田にもっていくのですが(すみません)、棚田の曲線は、近代文明の対極にあるものであり、その「ぎりぎりの限界線」「自然との最後の妥協点」の目に見える形、とでもいったらいいでしょうか、そんなふうに感じられるのです。俺にとって棚田は、欧米主導型の文明に対する「ささやかな反抗」を象徴するものであるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)