カテゴリー「環境」の23件の記事

2009/03/10

飛行機で北海道

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撮影の仕事で、北海道にやってきました。

羽田発のエアバス。定員はどのくらいでしょうか。今日の乗客は40人程度。がらがらでした。客室乗務員は、客が少ないからでしょうか、やたらサービスがよくて、それほど飲みたいと思ってなかった飲み物を2度もお代わりさせられてしまいました。(ふたりがかりできたので、断りきれなかった)

まぁ、これはいいです。サービスがいいのは大歓迎です。

窓外の空をボーっと見ていて、この巨体を飛ばすにはそうとうな燃料を使っているだろうなぁと、頭に浮かびました。環境問題からみたら、これほど無駄使いはないかもしれません。今日使った燃料を、お客の頭数、40で割ったら、そうとうな量になるのではないかなと思います。昨日、分別して出したゴミなんか、いっぺんで帳消しです。

でも、俺はこういう空いている飛行機が好きです。なにしろ、席をあちこち移動して、外の写真を撮って過ごせるのは幸せです。「あれは岩手山ですか?」と客室乗務員に聞いたり、「あっ、阿寒岳だ!」と地図と照らし合わせながら興奮する。

「定期便だから、空いているときもあるし、満席のときもあるんだから」と理屈をつければ、この無駄な燃料の使い方にも心が痛みません。

環境を良くしようとすれば、不便さを受け入れること、不快さを我慢することも必要です。でも、人間はいったん知った便利さや快適さからなかなか抜け出せません。

「そんなこと言ってる場合ではない!」と、お叱りを受けそうです。いや、実際、何が何でもCO2を減らせ、ゴミを出すな、マイハシを使え、レジ袋を断れ、と叫んでいる人たちがいます。

でもねぇ、あんまり押し付けられると、俺は反発したくなるんですよ。だいたいにして、無理強いして長く続くはずはないと思います。無理強いは迷惑です。そういう環境の過激派は「良いことをやっている」と思い込んでいるフシがあります。仮に良いことだとしても、「良いことをする」ことは、すべての人にとって、「幸せであること」あるいは「生きる意味になる」とは限らない、そこをわかってほしいものです。

とにかく、本人の気持ちがそういうふうにならなければ、意味はない、と思っています。自然に、ゆっくりと、です。環境問題なんて、そう簡単に解決なんてできません。大多数の人の、環境に対する感覚や、考え方が変わるには、それなりに時間が必要なのではないでしょうか。あまり急ぎすぎると、失敗するかも。

自分への言い訳なのでしょうか。


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2009/01/24

【ひとり会議 その二十】 地球温暖化祭り?

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ボゾルグ: 去年はエコがブームになったね。今年も続くのかな。年が明けてからも、やたらと地球環境問題がテレビ、新聞、ラジオ、インターネットで取り上げられていることに対して、いちゃもんつけたら、また「KYな人」と言われてしまうのかなぁ。

ビーノ: だと思うよ。ボゾルグは、地球温暖化してないっていう意見だったよね。

ボゾルグ: そんなことないさ。温暖化してるかもしれないけど、「100パーセントはわからない」というだけだよ。

桃: ボゾルグは、疑り深いのよねぇ。

ボゾルグ: もちろん、地球環境問題についてみんなの関心が高まって、なんとかしなければと思うことは大切なことだと考えているよ。ただ、温暖化に関しては、CO2が「原因」なのではなくて、むしろ温暖化の「結果」としてCO2が増えるという研究もあるし、それどころか、温暖化ではなくて、寒冷化しているという発表まであるので、素人の俺たちには、ほんとうは何が正しいのか、正直分からないんだよ。俺は、わからないことは、わからないって言いたいだけ。それよりも、このお祭り騒ぎ、気になるんだよなぁ。

さぶじい: 急激な地球温暖化問題の盛り上がり方に、私も懸念を感じますな。そもそも、温暖化を含む地球環境問題は、すぐに解決するものはひとつとしてありません。被害者と加害者、敵と味方、といったものも見えずらい。だから、たぶん、何年もかかって、それこそ、「持続可能な」活動で、ようやく、何年後、何十年後かに、解決する問題なのではないかと思っています。

桃: 日本人の性格として、何か話題になると、みんながいっせいにそれに飛びつき、お祭騒ぎになり、お祭が過ぎると、何もなかったように無関心になるところがあるわね。

ボゾルグ: 俺の思い過ごし? それならいいんだけど。

さぶじい: 去年の洞爺湖サミット。洞爺湖サミットの直前は盛り上がりましたなぁ。終わったら、トーンダウンしたような気がします。やっぱり、政治との関係が深い・・・。

桃: 温暖化問題は、純粋に科学の問題だけではなくて、政治問題でもあると?

ビーノ: そんなら、ただ単に、地球が、温暖化してるかどうか、論争してる科学者はばかみたいだね。

桃: なんてこと言うの? ビーノったら。純粋に科学的な論争も重要なのよ。

さぶじい: やはり、環境問題というのは、政治問題でもありますなぁ。極端なことを言いますと、私は、地球が温暖化しているかどうかというのは、どっちでもいいのかなと思うときもあります。

ビーノ: どっちでもいい? どうして?

さぶじい: そもそも、この地球上に、人間が増えてしまった。その増えた人間を減らすことはできません。もちろん、増えないようにする努力はやっています。しかし、このままこの大勢の人間が、エネルギーを大量に消費し、地球環境を汚していったら、人類が破滅するのは明らかです。そうならないためには、やっぱり、低炭素社会は、あるべき姿かなとは思います。ただ、そうなると、今までの産業の構造では立ち行かなくなります。構造を変えねばなりません。仮に温暖化してなくても、変わらなくてはならないんです。

ビーノ: チェンジ! だね。

さぶじい: その全人類的な産業構造の変化と、思想の変化は、やはり、ある程度の衝撃がないと、前には進まないと思うのですがな。

桃: 多少の脅しも必要だってこと? このままでは、地球が温暖化し、大変なことになると。

さぶじい: そうです。温暖化という全人類的な危機感は、かっこうのきっかけなんだと思いますな。

桃: 利害が一致するんだわ。CO2を減らすことは。新しい産業構造を興し、自然エネルギーに関する雇用を作り出し、みんなを幸せにする、夢を与えるという政治の目的と。だから地球温暖化問題は、政治問題でもあると。たぶん、そうかもしれない・・・。

ビーノ: 自然エネルギー100パーセントの世界。クリーンな環境のバラ色の地球。なんて人間はロマンチックなの。たぶん、社会主義思想が生まれたときや、原子爆弾が発明されたときも、人間はバラ色の夢を見たんでしょ?

ボゾルグ: なんだか俺が言いたいことを、今回は、ビーノが言っちゃったかな。

さぶじい: でも、ビーノさん、ボゾルグさん。バラ色の未来を見せなくてはならないのが政治家の仕事ですからな。今できることは、それしかないと思います。たとえ、そのバラ色の世界の先に何が来るとしても。アメリカの新大統領オバマさんも、これからのアメリカの復興のカギは、グリーン・ニューディール政策だと言っています。良くも悪くも、アメリカが動けば、世界が動きますからな。ますます環境問題が、政治的になっていくでしょう。

桃: 自然エネルギー100パーセントの世界が実現したとき起こる新しい問題って、あるのかな?

ビーノ: やっぱり、ボクがにらんだとおり、なにか問題がある?

ボゾルグ: いや、まだわからないけど、何事にも、100パーセントいいことなんてないと思っているから。この前テレビで、ある科学者が、将来、自然エネルギーに100パーセント代わりますと、笑顔で予想してたけど、俺は、あの笑顔を見て、「怪しいな」と疑ってしまったよ。なぜって、一番良く知ってる科学者がだよ、100パーセント自然エネルギーになったとき、心配事が出てくるのは、当然でしょ? それなのに、「バラ色の世界」みたいなことしか言わない。しかも笑顔で。絶対、何かあると、俺は思ったね。

桃: ボゾルグは、ホント、疑り深いよ。


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2009/01/08

にほんの里100選

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朝日新聞社と森林文化協会が発表した「にほんの里100選」。去年1年から公募していたことは、チラシを見たので知ってましたが、ようやく決まったようですね。

にほんの里100選、決まる 応募4474件から選出
(asahi.com http://www.asahi.com/national/update/0105/TKY200901050311.html

行ったことのある里が、いくつか入っています。

群馬県甘楽町 秋畑那須
埼玉県所沢市・三芳町 三富新田
新潟県十日町市 松之山・松代
富山県砺波市・南砺市 砺波平野散居村
京都県伊根町 伊根湾の舟屋群
福岡県星野村

などです。いずれも、なるほどなぁと思える美しい里です。ただ、もちろん他にもたくさん美しい里はあるのに、入っていない里は、落選したのか、そもそも応募しなかったのか。

もし応募しなかったのなら、それはそれでいいのですが。住んでいる人たちの自由です。もしかしたら、それが賢い選択なのかもしれませんし。


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2008/12/18

賞味期限切れ商品を売るスーパー 「モッタイナイ棚」

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東京都内に、賞味期限切れの商品を売っているスーパーがあるそうです。(テレビでやってました)

店の奥に「モッタイナイ棚」を設けて、賞味期限が切れた(中には2年以上も前に切れた!)商品を安く売っています。ただし、店員が自分たちが試食して「大丈夫」と思った商品だけなので、店の保障付です。(筋が通っています)

以前、「【ひとり会議 その四】 「パースド・フード店」という提案」で、賞味・消費期限切れの商品を「パースド・フード」として売るシステムについて書きましたが、もう実践されているんですね。

食べられるものを平気で捨てている光景を見ていたら、胸が痛んで、当然思いつく人はいるでしょう。このスーパーの店主も、もったいないから売り始めたといっています。拍手を送りたいです。

ところが、これに異議を唱えるところがあるんですね。メーカーと保健所です。賞味期限は、おいしく食べられる期日を表しているので(消費期限とは違います)、この日が切れたからといって、急に味が落ちるわけではありません。あくまでもメーカー側で設ける目安です。なので、これを売っても法的には問題がないそうです。

ただ、メーカーは、もし賞味期限切れを食べてトラブルが出たとき、クレームがくるのはメーカーであることや、味の劣化で、商品のイメージが崩れるから反対なのでしょう。

保健所では、法的には問題ないが、人道的にどうかなと思われるので、「指導」していくとのこと。でも罰則はないので、この店主は売り続けるのではないでしょうか。がんばってほしい。

賞味期限(消費期限さえも)の切れた商品をどうしようが、消費者の勝手でしょう。お金がある人は、期限が切れていないものを買えばいいんだし、お金のない人で、多少味が落ちてもいいという人たちの選択肢を奪わないでほしい。メーカー側が責任を取りたくないからとしか思えないような、やけに短い期限設定にふりまわされたくありません。それくらいの自由はあってもいいでしょう。

ただ、「何かトラブルがあっても、自己責任で、スーパーやメーカーにはクレームをつけない」というみんなの合意ができれば、一番いいと思いますが。

特に、割り箸の使い捨てに反対している人たちに言いたいですね。環境問題に関心があるのはいいことだと思いますが、「マイ箸」を使うくらいなら、こういった賞味期限切れを積極的に買うようにしたらどうでしょうか。割り箸の使い捨てには反対するくせに、まだ食べられる食品(新品ですよ)が捨てられるのは平気だというのでは、なんだかおかしくありませんか? 

「エコ」が、お金持ちの「趣味」や「流行」だけで終わらないようにするためにも。


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2008/12/17

「生きた証し残すため」 チロちゃんの敵を討った小泉容疑者の供述から

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「生きた証し残すため」小泉容疑者が供述…強い自己顕示欲
「小泉毅容疑者(46)(さいたま市)が、埼玉県警と警視庁の合同捜査本部に、動機を「生きた証しを残したかった」と供述していることが、わかった。「自分は社会から孤立した存在だった」とも話しており、捜査本部は、孤立感を背景に「社会の注目を集めたい」との願望を膨らませ、事件を起こした可能性もあるとみている。」
( Yahooニュースより)

社会から孤立していると感じる人は多いと思います。今の時代だから? いや、いつの時代でもかな。俺だってそういうことを感じるときはあるし、たいていの人は大なり小なり感じているのではないでしょうか。

でも、だからといって、無差別に他人を(小泉容疑者の場合は、特定の人間でしたが)殺してしまうのは、特別な(極端な)人間でしょう。

例の、秋葉原の通り魔事件の犯人も「社会からの孤立感」をあげていました。彼も、「殺人」という行動を起こしてしまったところが、特別なのです。

縁もゆかりもない赤の他人から、しかも、まったくの自己中心的動機によって殺された被害者は、たまったものではありません。無念だったでしょう。彼らが社会と繋がるための道具として殺されたとあれば、なおさらです。

でも、「小泉容疑者たちは特別」と書きましたが、反対のことも思っています。つまり、彼らはぜんぜん特別ではなくて、環境によって、みんながこうなる「予備軍」でもあるのではないかと。

社会と繋がるために、犯罪を犯す。一見矛盾しています。人に迷惑をかけることによって、いや、迷惑をかけることによってしか、繋がることができない、というわけですから。現実に、こういう人はいます。みんながみんな、「好まれること」だけして、社会と繋がってはいないのです。みんながみんな、「正しいこと」をして繋がっているわけではありません。

だから、犯罪を犯すようなエネルギー(あるいは、頭脳)があったら、もっと建設的なことにエネルギー(頭脳)を使えばいい、などと、分かったようなことを言う評論家がいますが、「人間はみんな、建設的なことをして幸せ(充実感)を感じるものだ」と思い込んでいるとしたら、間違っています。

理想的には(何が理想か?と聞かれると、困りますが)、みんな「いい人」で、建設的で、迷惑をかけず、善良で、なんて・・・。ありえません。小泉容疑者のように、「生きた証し残すため」といって犯罪を犯す人が、絶対いるんだという前提で考えなければ。自己防衛の方法を考えるとか、そういう人と出会う確率を減らす努力をするとか。

俺もそうです。「予備軍」かもしれません。犯罪を犯しながら生きているわけではありませんが、人に言えないことや、恥ずかしいことや、悪いことや、人が嫌がることも、時々しながら暮らしています。自分の行動すべて、人に自慢できるなどという人は、いないのではないでしょうか。しかも、その「悪事」こそが、「生きる」実感を与えている場合も多いことに気がつくでしょう? 

「私は(僕は)そんなことない」と思ってる貴方。本当ですか? まぁ、理解はできませんが、そういう人もいるんだろうなぁと言っておきます。

そういえば、小学校のころ、同級生に好きな女の子がいると、やたらと意地悪をするやつがいました。好きな子の注目を引きたいのです。ただ、悲しいかな、そいつは、好きな子に素直に優しく接することができなくて、反対のことをしてしまうのです。スカートめくりをしてしまったり、いじめたり・・・。意地悪をすることで、「好きだよ」と訴えているのです。

でも、女の子にしてみたら、そういう意地悪が迷惑なだけで、あまりいい結果を生むことはありません。ますます嫌いになります。そいつも、そんなことは十分わかっているのです。意地悪ばかりしていたら、嫌われることを。でも、やらざるをえない。そうやるしか、女の子とのコミュニケーションが取れない。悲しいですが、こういう性質の人がいるのは現実。

この「やつ」というのは、俺も含むのかな? さぁ、どうでしょうか。でも、彼らのように、一線を越すことだけはないようにせねばと思っています。


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2008/10/09

【ひとり会議 その十七】 サル一匹とさえ共生できない都会人

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ボゾルグ: サルが東京都内に出没していたようだね。まだ捕まってないのかな。

ビーノ: サルさん1匹に大騒ぎして、右往左往してる人間は、こっけいだね。

ボゾルグ: 「自然との共生」とか言ってるわりには、サル1匹とさえ共生したくないんだな、都会人は。「共生」なんて、やたらと言いたがるのは、都会人に多いのかもね。

桃: でも、子供が噛まれたりしている事故もあるからね。心配なのよ。

ビーノ: 最初から、野生のサルさんは危ないと思われてる。動物園では、あんなにかわいがられているのに。檻の外ではどうして嫌われるの。サルさんかわいそう。

桃: しかたないよ。東京だけじゃなくて、地方でも、サルは困った問題よ。商店から物を盗んだり、ホテルに侵入しておしっこやウンチしたり、農作物を食い荒らしたり・・・。だから、そこでは害獣になってる。「駆除」されることもある。

ビーノ: 「殺される」ってことでしょ? でも、これは、サルさんのせいなの? 人間が原因を作ったんじゃないの?

桃: そうね。サルたちの住む場所が狭くなったせいね。だからどうしても、人間の生活圏とかぶってしまう。

さぶじい: サルばかりではありません。野生動物の問題は、山や森のカミを殺してしまった人間が、自分がカミになったと錯覚したところから始まっているのではないですかな。

ビーノ: さぶじい、それ、『もののけ姫』で見たよ。ウケウリだね?

さぶじい: バレましたかな。

ボゾルグ: 都会では、サルに大騒ぎだけど、その一方で、地方で作物を荒らすサルを「駆除」すると、「かわいそうだからやめろ!」なんていう苦情が殺到するらしいよ。地方のサル害なんて、関係ないからね。たいていは、都会に住んでる「自然が大好き」「動物が大好き」な人間が多いらしい。ちゃんと自然と「共生」してる人は、「かわいそう」とかいう一方的な意見は言わないもんだよ。言えるはずがない。なぜなら、みんな悩んでいることを、ちゃんと知っているからさ。駆除なんか、ほんとはしたくない。苦渋の選択をしているんだよ。

ビーノ: だったら、東京でサルさんの1匹と共生するくらい、どうってことないと思うのに。やっぱり、身近に問題が起こると、共生なんて軽々しく言えなくなるの?

ボゾルグ: 「共生」という言葉には、なんとなく、「仲良く暮らしてます」みたいな偽善を感じるよ。だいたいにして、農業だって、林業だって、狩猟だって、漁業だって、ある意味、自然との闘いでもあるだろ? やさしい自然なんて一面だけだ。自然は厳しいものでもあるんだよ。それをちゃんと分かっている人が、「共生」っていう言葉を使ってほしいな。田舎では、自然と「共生」するために、どれだけ苦労しているのか、都会人はわかってないよ。

さぶじい: 今回、東京に出没するサルに関しては、そんなに悪さをしているわけではありませんし、放っておいてもいいのではないか、という気がします。そのくらいの包容力をもたないのでしょうかな。あのサルが迷惑かけているとしても、その界隈で、たち小便したり、吐いたり、大声出してけんかしたりしている人間の方が、よっぽど迷惑だと思うのですがな。

ビーノ: そうだ、そうだ。そっちを「駆除」しちゃおうか。「駆除」が可愛そうなら、島流し。

桃: ビーノ、「島流し」なんて知ってるの? でも、あのサルは、やっぱり捕まえられてしまうんだろな。追い出されたサルは、田舎へ行って、けっきょく人間に害を及ぼす。都会はよくなるけど、サル害のつけは、田舎が引き受けるってこと?

ボゾルグ: だろうね。都会とは、そういう異物を排除して快適さを得ているから。その快適さを脅かすものは、たとえ、小さくても、取り除こうとする。タバコの煙を徹底排除、危なく見える人間も排除、臭いものも排除、ばい菌も排除。ぜんぶ排除しようとする。だから、サルなんてもっての他なんだろうな。

桃: そして、もし何かあったら、「誰の責任だ!」といって騒ぐ人がいるから、そうなる前に、トラブルの芽を摘み取ってしまおうということなんでしょ?

ボゾルグ: だろうね。

さぶじい: 人工的な空間、都市空間は、人間の脳が作ったパラダイスですからな。だからサルなどという異物が入り込むと、苦痛でしかたなくなる。脳は、都会でサルと共生する方法をまだ考えられず、混乱してしまう。

ボゾルグ: せいぜい、檻に入れて見てるだけ。

ビーノ: 人間の脳なんて、まだその程度。ボクのと同じレベルってこと?

桃: ちょっと違う気がするけど・・・

ボゾルグ: ビーノ、せいぜい、おとなしくして「駆除」されないようにね。おとなしくしてれば、「異物」じゃないから。

ビーノ: またボゾルグは、「異物」じゃなくて「汚物」だって言いたいんでしょ?

ボゾルグ: だれも言ってないよ、そんなこと。最近ビーノは、ひがみっぽいよ。


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2008/09/09

【ひとり会議 その十六】 エコ自慢したがる人々

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ボゾルグ: 最近、「エコ、エコ」って、エコ自慢するタレントが増えてきたね。

桃: どんな?

ボゾルグ: 「私は、割り箸を使わずに、『マイ箸』(私の箸。つまり塗箸)使ってます」だの「レジ袋の代わりに、『エコバッグ』を持ち歩いてます」だの、どうでもいいようなことを自慢して、高感度アップを狙っている一部のタレント。

ビーノ: 実際、そうやってエコに取り組んでいるからいいじゃん。ボゾルグはそうやって、すぐイチャモンつける。

ボゾルグ: 別にイチャモンでもかまわないけど。ただ、よくもまぁ、恥ずかしげもなく、そういうことを言えるもんだなと。『マイ箸』だろうが『エコバッグ』だろうが、いいよ、使っても。その人の趣味なんだから。それは俺も認めるよ。でも、それを「私は地球環境を考えてます」みたいな顔して自慢されるのが嫌なんだよね。

さぶじい: そういえば、「森林保護のために割り箸を使うな」みたいな議論がありますが、ちょっとそれは違うようですな。

ボゾルグ: タレントならまだ許せるかもしれない。この前ラジオを聴いていたら、いわゆる「自然環境保護」を訴える学者が堂々と「使い捨てにする割り箸は良くないから、私は『マイ箸』を使ってます」と真面目にいっていた。ほんとかな?と思ったね。

桃: そうね。ちょっと、違うわよね。特に、日本製の割り箸は。あれは、間伐材の真ん中から柱などを取ったあとに残った、捨てられてしまうような端材で作る。だから、森林を破壊しているわけじゃない。むしろ「山を育てる」とも言われているわ。ただ、外国産の割り箸は、割り箸のために木を切って作っているのもあるから、そこが問題なのよ。環境意識が高いことをアピールしたくて、「割り箸を使わず、『マイ箸』を持ってる」と自慢したがるタレントの気持ちはわかるわ。その学者は、外国産の割り箸の話をしたんじゃない?

ボゾルグ: そうかなぁ。だったら、「マイ箸」は、環境にいいの? マイ箸だって、ちゃんと使ったあとは洗わなくちゃならないし、水と洗剤を使って環境に負荷をかけているだろ? 「エコバッグ」だって、最近は、ブランド物まででてきた。エコバッグが大量に売れることは、はたして環境にいいことなのか?と思うよ。

ビーノ: ボゾルグ、意外と細かいね。

ボゾルグ: いやいや、「敵」も細かいところを突いてくるんだから、こっちもそれに合わせているだけだよ。割り箸・マイ箸、レジ袋・エコバッグ、どっちにしろ、環境に負荷をかけるんだから。ほんとは、そんなわずかな差を自慢しても、どうしようもない。だって、そのタレント、テレビ局には、電車と歩きで来るのかな? そうじゃないだろ? タクシー使って来てるんだよ。だから、仮にマイ箸を使うことに、多少のメリットがあっても、タクシー使った時点で、前部帳消しになっちゃうんじゃない。

ビーノ: ほんとに細かい・・・。

さぶじい: ボゾルグさんがおっしゃること、わかりますな。でも、人によって、気になるところが違うだけ、ということかもしれませんよ。ある人は、割り箸を使うことには抵抗があるけど、タクシーをばんばん使っても気にならない。ある人は、割り箸は気にならないけど、電車じゃなくて、タクシーを使うことは、環境に悪いと考えてしまう。でも、なんだか、どっちもどっちではないかなと思ってしまいますなぁ。ところで、どうして、割り箸やレジ袋が目の敵にされてしまうんでしょうな。

桃: それは「使い捨て」ということが、後ろめたいからじゃない?

さぶじい: そうかもしれませんな。「使い捨て」ということに何か罪悪感を持つからでしょうか。でも、割り箸でも、レジ袋でも、燃えるごみに混ざっていたほうが、ごみは良く燃えて、環境に良いという説もあるようですし、「捨てる」ことが即「無駄」と考えるのは、間違っているのかもしれませんな。

ボゾルグ: そうなんだよ。「使い捨て」がすべて悪いというのは、思い込みだよ。だいたいにして、「使い捨て」が悪いといったら、医療ごみなんかどうなるの? 注射器も使いまわししたほうが、環境にいいのは分かりきっている。でも、そうじゃない。それは、環境と、健康とのバランスを考えたとき、捨てたほうがいいから捨てるようになったわけだろ? だから、俺は、割り箸も、レジ袋も、環境を考えるために、ちゃんと使い捨てしたいね。

ビーノ: ボゾルグは、あいかわらず極端で単純だね。僕はそもそも、箸もレジ袋も使わないから偉いよね?

桃: 何言ってるの? ビーノもエコ自慢する気? あんたの飼い主、レジ袋、たくさん使っているじゃない。

ビーノ: えっ?

桃: 知らなかったの? あんたのウンチを入れるのに、レジ袋が重宝だって言ってたわよ。でも、1回で捨てるんじゃなくて、何度も何度も洗って使って、最後は燃えるごみで出してるの。レジ袋がないときは、食パンの空き袋を使うそうよ。涙ぐましいわ。そこまで使われるレジ袋なら、エコだと思うわ。

ビーノ: そうかぁ、僕、気がつかなかったよ。だってウンチしているときは、犬にとっては一番無防備な状態なんで、周りに敵がいないか、そればかり気になっちゃってたし。それになんだか、僕の飼い主は、ウンチしているとき、じっと目を覗き込むんで、落ち着かなくってさ。

ボゾルグ: ビーノの周りは、敵ばっかりだろうしな。でも、なんだよ、桃。けっきょく、ビーノの飼い主のエコ自慢じゃないか。みんな、そんなにエコ自慢したいかな。

桃: したいのよ。しかも、「小さいエコ自慢」をね。だって、ほんとうの環境問題は、地球規模の大問題で、一人の人間がどんなに努力したところで、どうにもならない構造的な問題よ。ただ、それでも、「何か役に立ちたい」という気持ちの表れじゃないの? ボゾルグが目くじら立てることはないと思うわ。

ボゾルグ: でも、ほんとはそうでもないのに、「環境意識が高いです」みたいに装って、人気取ってるとしたら、一種の詐欺だろ? エコ偽装タレントだよ。

桃: そこまで大げさかな? だって、「マイ箸使ってます」とか、タレントが言っても、たいていの視聴者は、気にもしないし、信じない。そんなに視聴者は馬鹿じゃないわ。

ボゾルグ: それならいいんだけど。

さぶじい: ただ、「マイ箸使ってます」「エコバッグ使ってます」ということで、安心してしまっては元も子もないですな。あるいは、それを使ってるんだから、あとは、何をやってもいい、みたいな免罪符になっているとしたら、問題ありだと思いますが。

桃: そこね。エコ自慢はいいけれど、考えなくなってしまうことが一番ダメなのよ。

ボゾルグ: それなら俺は、わざと使い捨てをして、「罪悪感」を持ち続けながら生きていくよ。

ビーノ: ボゾルグ、えらいぞ。人間は考え続けろ!


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2008/07/07

北海道洞爺湖サミットが始まる

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「地球温暖化ガス排出量を現状から2050年までに半減する」という目標に合意するのは、まだまだ先になりそうです。

各国のいろんな利害がからんでなかなかまとまらない模様。

そんな中、アメリカはここに来て、温暖化ガス削減に積極的になってきたそうです。それは、裏に、原子力発電の推進という、次のエネルギー戦略があるから、とも言われているようです。

何だか日本だけ取り残されているような印象は、温暖化ガス半減のことだけではなく、今日の、首脳たちとの懇談している様子からも感じました。

欧米人たちの仲間に入りきれず、ひとりだけ取り残されている日本人、という図は、外国のゲストハウスでよく見る光景でもありました。

それは、言葉と習慣の違いがあるから、ある意味しかたのないことかもしれませんが。福田さんにそれを求めてもしかたないので、せめて、議長として何らかの成果があれば、とは思います。


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2008/06/06

ローカル文化の復権が、日本の食糧自給率を上げる

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(写真は佐賀県の浜野浦棚田)

昨日、報道番組で、日本の食糧自給率が40パーセントを切っている問題をやっていました。

その中で、減反政策に反対してコメを作り続けてきた農家の人が紹介されていました。

「どうしたら自給率を上げることができるでしょうか?」と尋ねると、「政府が何か決めることではない」、「日本人は主食を捨てた。そんな国は日本だけじゃないのか」、「消費者の食生活が変わらなければ」、「農家もコメの消費拡大のために、いろいろ努力しないとダメだ」という意味のことを言っていて、そうだなぁと納得させられる部分がありました。

とくに「消費者の食生活が変わらなければ」とは、俺も思います。戦後、「コメを食べるとバカになる」とか言われて、アメリカから小麦を買わされ、学校給食でもまずいパンを食べさせられ(強烈な思い出として残っているんですよね。これがうまいとみんな感じているんだろうか?と思ってました)、食文化は一気に欧米化してしまいました。

それと同時に「安いほうが良い」ということで、どんどん世界中から食糧を買いあさるようになってしまいました。あげくの果ては、日本の農業がダメになってしまいました。

イランの棚田地帯に行ったとき、ある30代の女性が、「太るからといって、コメを食べなくなっている人は増えています」と言ったことばに、ちょっとショックでした。この地方は、ひとり当たりの年間コメ消費量が90kgで、日本人の1.5倍コメを食べています。それでも、若い世代は、コメを食べなくなっているようです。

欧米とは敵対しているようなイメージのあるイランも、結局同じなのか。そういえば、マックやケンタッキーはないけれど、欧米ふうを真似たファーストフード店は多く、若者でにぎわってます。

アジアでは、経済成長とともに、コメ離れが進み、食生活が欧米化する傾向があるようで、イランもそうだし、日本も韓国も中国もそうです。どうして、欧米文化の真似をしたがるのでしょうか。もちろん、そこには「心地よさ」があるからです。だから、完全に否定することはできません。俺だって、欧米文化の恩恵は受けています。でも・・・。

「地産地消」といわれます。(80年代の「地産地消」の意味とは違うようです) 旅行者の立場からしても、その土地に合った作物を、その土地で食べたいとは思います。どこへ行っても同じ風景、同じ食事というのではなくて、土地の独自性が復活し、地方それぞれの違いを体験できるようになったほうが、おもしろい。

ローカル文化(とくに伝統食)の復権が、日本の食糧自給率を上げることにもつながっていくような気がします。


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2008/06/05

食糧サミットで、非難されるバイオ燃料政策

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イタリアのローマで開催中の国連食糧農業機関(FAO)の食糧サミット。

地球温暖化対策にどれだけ効果があるのかわかりませんが、俺個人の感覚としては、食糧をバイオエタノールという車の燃料にすることに違和感を持っています。

俺の感覚は「古い」のでしょうか。「食べ物を粗末にすると、罰が当たるぞ」と教育されてきたせいかもしれません。車の燃料にするんだから、「粗末」にするわけではない、と反論されると困ってしまいますが。

もともとCO2を吸収した植物で作ったものを燃やすだけだから、CO2は新しく増えない、温暖化に関係ない、だから、京都議定書でもCO2削減対象にはならない、らしい。

これも、なんだか屁理屈に聞こえます。バイオ燃料生産には、熱源や化学肥料など、化石燃料を大量に使うらしいし、できたバイオ燃料を、たとえば、ブラジルやアメリカから地球の反対側、日本まで運ぶというときも、化石燃料は使われるわけで、けっして胸を張って「環境に正しい」とは言えないのでは?と感じます。世界的な穀物値上がりの原因のひとつにもなっているのです。

穀物輸入国の反発は理解できます。とくに貧しい国は。俺たちの食糧を削ってまで、車の燃料が欲しいのか? そういうふうに思うでしょう。

食糧サミットの演説で、福田首相も食糧を使わないバイオ燃料を提言しました。「稲わらなど食料と競合しない原料」で作るバイオ燃料の開発が進められていくようです。これなら「罰は当たらない」と思います。

バイオ燃料を批判するなら、日本にも、考えなければならない問題があります。作れるのに作らない、日本の「減反政策」のことです。これも世界の食糧危機から見ると、胸を張れない政策なのではないかと思うのですが。

問題は、米価でしょうか。ちゃんと価格が安定する保障があれば、なるべく多くコメを作りたいと思っている農家の人は多いと思います。


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2008/05/18

ミャンマーの穀倉地帯/エーヤワディー・デルタ 2

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ミャンマーの首都、ヤンゴンから、エーヤワディー川をフェリーで渡り、対岸の農村地帯を訪ねたとき、ある地主のおじさんと知り合いました。

おじさんは、自分の水田を案内してくれ、彼が雇っている農家を訪ねました。ある一家は、1ヶ月たった10ドルの小作料で生活していました。(下の写真)

おじさんは言いました。デルタとはいっても、ここは乾季は水がないので、1年に1回しかコメが取れない、と。意外でした。

暖かいデルタ地帯なら、1年に何度もコメを作っているのではないかというのは、俺の思い込みでした。やっぱり、水がないとどうしようもないわけです。それは、メコン河流域でも同じでした。そばに流れている大河の水も、ポンプがないときは、水を上げられなくて、稲作ができないという話を聞いたのでした。

サイクロンによる大量の水は、稲作地帯にダメージを与えてしまいました。水は人間にとっては、多くてもいけない、少なくてもいけない。この絶妙な自然のバランスは、「普通」に続いてきたので、人間がどんなことをやっても大丈夫だと思ってきましたが、これはたいへん脆いものであったことがわかってきました。

今回のサイクロンのコースが外れたというのも、近年、日本での台風の時期とコースが変わってきたのと同じように、地球温暖化が原因しているのではないか、とも言われています。

温暖化は、単純に気温が、2、3度上がるだけではなくて、一番問題なのは、気候が極端に変わってしまうことです。今回のサイクロンが、まさにそうだと思います。


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2008/04/24

コメより高い水を買う国民、日本の不思議

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(写真は水俣市寒川棚田)

昨日は、丸の内さえずり館で、スライド&トークショー『世界の棚田を旅しよう』をやりました。

俺のスライドショーのあと、最後に棚田ネットワーク代表でもある中島先生があいさつ。そのとき、先生の手には、330mlのペットボトル。先生はお客さんたちに聞きました。このペットボトルに詰めたコメとミネラルウォーターではどちらが高いでしょうか?と。

答え: ミネラルウォーター。

俺は、この話を聞いて、ちょっとショックでした。今まで気がつきませんでしたが、ミネラルウォーターの値段が100円(コンビにで買う場合)。ところが、コメは、50円程度。コメよりも高い水を飲むのが自然なことなのか? 水よりもコメが安いというのが異常というべきなのか? なんだか考えさせられてしまいました。

もっとも、ミネラルウォーターの値段には、ペットボトルの値段も含まれてはいるし、コメも高いコメはもっと高いです。ミネラルウォーターも、2リットル瓶では安くなるので、単純な比較では、正確ではありませんが、でも、だいたい、「330lm瓶入りのミネラルウォーターより、同量のコメの方が安い」とは言えるようです。

俺は、日本国内を車で撮影旅行するとき以外は、ほとんどミネラルウォーターは買ったことはありません。外国では、水道水が飲めないというところもあるし(水道自体ないところもあります)、それもしかたないと思って買いますが、水道水がこれほど安全で「おいしい」日本で、大量のペットボトルのゴミ(資源?)を出すミネラルウォーターに違和感を持っていました。昨日の話を聞いて、その違和感の原因のひとつがわかったような気がします。

もちろん、お金がありあまっている人が、どんな贅沢品を買おうがその人の自由だし(去年は「何とか還元水」という1本数千円の水を飲んでいた大臣もいたっけ。亡くなりましたけどね)、俺も、車の撮影では重宝しているので、否定はしませんが、不思議ではあります。どうして、日本で水を買わなければならないのか?

ミネラルウォーターって、ホントに水道水よりもおいしいのか? ホントに体にいいのか? あらためて考えてみたいと思います。

それと引きかえ、コメがどうしてこんなに安いのか? いや、これでも、「コメが高い」といわれているんですけどね。

ますます、日本が不思議な国に思えてきました。最後の「秘境」日本!


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2008/03/31

棚田のイベントです。 『棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!』

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『棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!』
青柳の棚田写真(37点)、棚田ネットワークのパネル、農作業の道具などの展示です。また、会場では、DVDで、棚田のスライドショーを上映しています。長さは15分。このイベントのために特別に編集したオリジナルです。

期間: 2008年4月1日(木)~4月30日(水)

開館時間: 月~土 11:00~19:00
(日・祝・4月28日は休館。最終日4月30日は13:00まで)

丸の内さえずり館
千代田区有楽町1-12-1 新有楽町ビル1F
TEL/FAX: 03-3283-3536
(JR有楽町駅 日比谷口 ビックカメラの隣のビル)
http://www.m-nature.info/


期間中トークイベントがあります(18日、23日ともに、棚田米の試食付き。先着40名 参加費無料。申し込みは、丸の内さえずり館まで)

 4月18日(金) 18:30~20:30
 棚田ネットワーク
 「棚田~知ろう、食べよう、行ってみよう!」

 4月23日(水) 18:30~20:30
 「写真家・青柳健二と世界の棚田を旅しよう」
 (スライド&トークショーです。日本、中国、インドネシア、ベトナム、フィリピン、イラン、マダガスカルの写真と話です)


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2008/03/29

【ひとり会議 その十一】 『宇宙の中心で悪を叫ぶ』

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【ひとり会議 その十一】
『宇宙の中心で悪を叫ぶ』
(映画名など、フィクションです。写真はバリ島爆弾テロで焼け融けたビールのケース)


桃: 昔、こんな映画があったわね。地球を侵略しようとする宇宙人が現れて、それまで戦争をしていた世界中の人間は、戦争をやめて、いっしょに宇宙人と闘った。こんな話だったんじゃないかな。

ビーノ: それ知ってるよ。『宇宙の中心で悪を叫ぶ』でしょ? おもしろい映画だった。

ボゾルグ: なんで、犬が映画を観るの?

ビーノ: ボク、意外と映画やテレビは好きなの。室内で飼われていて、近くにテレビが置いてあるから。

桃: そうなんだ。とにかく、戦争してる場合じゃなくなったわけよね。外から大きな敵が来ると、団結するしかなくなるの。つまり、今の環境問題だけど、「環境破壊」というのが、「宇宙人の侵略」と考えられるかなと。

さぶじい: 敵は「環境破壊」ですか。だから、世界が団結できる機会だと。

桃: そう。ピンチはチャンスとも言うじゃない? 人間どうし、戦争している場合じゃないのよ。そんなことをしてたら、大きな敵「環境破壊」で、人類そのものが滅ぼされてしまうんだから。

さぶじい: 戦争自体、大きな環境破壊ですし。おもしろい考えではありますな。しかし桃さん、あまりにも理想論でしょうな。

ボゾルグ: 桃の考えそうなことだよ。ちょっと現実離れしてる。桜の時期で、浮かれてるのかな。桃の両親は、たしか桜だったし。

桃: 理想は理想。いいじゃない? 理想を語らなければ、未来なんかないわ。

ボゾルグ: 映画のように「敵」と「味方」がはっきりしている地球侵略と違って、環境問題は、「敵」と「味方」がはっきりしないんじゃないの。むしろ、「敵」は、環境破壊そのものじゃなくて、「先進国」かもしれないよ。環境問題が、南北問題でもあると言われているね。今までさんざん資源を取り尽し、温室効果ガスを出しておいて、発展途上国にも同じように規制しろといっても、発展途上国の人が納得しないのは当然だ。たとえば、こんな話を聞いた。日本で捨てられた家電製品や車やバイクが、海外の発展途上国に輸出されている。まぁ、これは、日本側も、発展途上国側も、双方にメリットがあるように感じる。でも、意地悪な見方をすれば、廃棄物を外国に移動しているともとれる。医療廃棄物を日本からフィリピンに不正に輸出していた事件があったけど、これなんかは論外。でも、普通の中古品だって、壊れたものは、代えの部品もなくて、結局捨てるしかなくなる。中古品を輸出するという建前の、体の良いゴミ捨てだ。

ビーノ: またまた。ボゾルグはひねくれてるなぁ。

ボゾルグ: そういう面もある、ということ。俺だって、一応それがビジネスとして成立しているんだから認めるし。発展途上国の人たちも、新品じゃ手が出なくても、中古品なら買えて、便利さを享受できるんだから、その意義は認める。

さぶじい: つまり地球温暖化を防ごうとしているのは、先進国の都合であるかもしれないということですかな。発展途上国側からすれば、先進国だけでCO2のほとんど半分も出しているんだから、自分たちで何とかしろっていう感じかもしれませんな。

ボゾルグ: でも、やっぱり、宇宙人の侵略みたいな、急激な変化がないと、地球人一致団結なんてことはないよ。桃が言うのは、単なる理想論だな。

さぶじい: 急激な変化に対しては、危機意識が出て、何とか回避しようという行動が生まれますが、環境問題のように、何年後の危機であったり、時間がかかるゆっくりとした危機であったりすると、なかなか行動がとれませんしな。しかも、環境問題というのは、どうも「大きな話」になりがちです。けきょく、自分がやった行為が、環境に負荷をかけているのは確実なんですが、あまりにも問題が大きくて、個人の責任は、逆にそれと反比例するように小さくなってしまう、ということがありますな。要するに、私一人がやっても、やらなくても今さら同じだろうという・・・。

桃: その怠慢なのよ。環境問題の一番の敵は、きっと。

ボゾルグ: 敵は、先進国でもなかったか・・・。

ビーノ: 人間は怠慢。ボクは、自分で出したものは、自分で何とかしようとしているよ。

ボゾルグ: この前の話、気にしているの? もう、その先は、言わなくていいから。

さぶじい: そうですなぁ。本来なら、自分が生産し、自分がゴミをかたづけるということだったのに、いつのまにか、それを人任せにしていった。それが、怠慢。だから、自分が見てないところなら、たとえば、発展途上国なんかに、どんなにゴミを輸出しようが、自分とは関係ないと思うことができてしまう。

ボゾルグ: そんなふうで、この環境問題に、個人としての責任、感じられる? 俺には無理だね。

ビーノ: 怠慢が人間の文明そのものだよ。「楽したい」という理由で、人間の文明は発展したといってもいいでしょ?

ボゾルグ: 怠慢と闘うって、すごく難しい。けっきょく、自分との闘いだしさ。それよりは、「環境保護、環境保護」って、お題目を唱えているほうが、楽。

桃: あるいは、戦争をしかけてしまうとか、ね? 矛盾だよね。一方では、戦争しておきながら、環境保護を訴えている国、あるじゃない? 戦争がどんなに環境を破壊しているのか、わざと見ないふりしてるとしか思えないわ。

ボゾルグ: なんだか桃のいうこと、わかる気がしてきたよ。ばかばかしいね。俺たちが、(俺はやらないけど)、いっしょうけんめい、ちまちまと、ゴミの分別したりしても、爆弾一発爆発させれば、その努力もいっぺんで吹っ飛んじゃう。

桃: 兵器産業なんて、だから、二重の環境破壊をしてるってことよ。

ボゾルグ: そうだね。なんだか、無性に腹が立ってきた。

ビーノ: ボゾルグは、単純だね。

さぶじい: 素直とも取れますなぁ。

桃: 疑り深いのにねぇ。


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2008/03/22

『グレートジャーニー』を観て

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昨日、関野さんの番組、『グレートジャーニー』について触れましたが、今日も続き。

「どんなに【秘境】といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか」と昨日書きました。

どんなに伝統的な生活を送っていたとしても、CO2排出が少ない生活を送っていたとしても、他の地域で出されたCO2や、汚染された大気や雨からは逃れられません。

逃げられないものは、もうひとつ、空からやってくるテレビの電波。「秘境」にテレビが入り込むことで、伝統的な文化が内側から変化していきます。

それが「良い」とか「悪い」とか単純に言える話ではありませんが、テレビを見ることで、自分たちの生活と、都会の生活とのギャップを知って、自分たちの「貧しさ」に気がつく。いや、本当は「貧しさ」ではないのですが、それを「貧しさ」と感じざるをえない現在の文明なので、「秘境」の人たちは、結局、都会にあこがれ、都会の文明にあこがれ、地元の環境・文化に不釣合いな生活を送り始めるとか、若者なら、都会に出て行ってしまうという現象が各地の「秘境」で起きています。番組でも、それらしい話が出ていました。

でも、俺は、それが悪いことばかりとも思っていません。自分たちが世界でどういう「位置」にあるのか知ることは大切だと思うし、自分の「貧しさ」を知って、なんとかしようと思い始めることは、長い時間のなかで考えれば、必要なことでもあるのではないでしょうか。

短期的には、卑屈にもなるでしょう。悲しくもなるでしょう。怒りも感じるでしょう。だから外見上は、不幸に見えるかもしれません。でも、そういった「負」であっても、大きな心のエネルギーは、その人たちを動かしていくような気がします。

日本人だって、そういう時期がありました。だから、伝統的文化を捨てた姿に「あなたたちは不幸だ」と単純に言われるのだけは心外でしょう。「捨てた」というより「変わった」と言うべきかもしれません。

でも、そうは言っても、何百年にもわたってはぐくまれてきた文化を、たかだか数十年でなくしてしまうのは、やっぱり、もったいないと思いますが。失ってみないと(体で思い知らないと)、なかなかわからないものなのかもしれません。


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『グレートジャーニー』 関野さんのメコン旅

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テレビ番組『グレートジャーニー』で、関野さんのメコン川の旅をやっていました。相変わらずタフな関野さん。

懐かしい風景。俺が青海省のメコン源流域へ初めて行ったのは1992年のこと。

まだメコンの源流がどこだか誰も知らない時代でした。未調査だったのです。俺は現地のチベット人たちに「ザチュ・ザナチュ(メコン)の源流はどこですか?」と聞きながら、「文化的な源流」を探しました。昨日の番組でも、それに触れられていました。地理学的な「科学的源流」と、地元の人たちが信じている「文化的源流」があるということです。そしてそのふたつは、違った場所になっています。俺が行ったのは、「文化的源流」でした。1994年のことです。

ところで、1992年に現地のチベット族が言っていたある話は、あぁこういうことだったのかと、今になってわかりました。それは何かというと、「数十年前から、なぜか雨が降ると草地が崩れて、土砂が川に流れ込んでしまう。だんだん草地が少なくなっている気がする。どうしてなんだろうか」と。草原の沙漠化ですね。

当時はそれほど環境問題に関心はなかったので、聞き流したはずですが、なぜか妙に覚えていて、今では、それが地球規模の環境変化と何か関係はあるんだろうなと想像できます。酸性雨、気象の変化、大気汚染など考えられます。それと、家畜が増えて(人間が増えて)、放牧のし過ぎもあるのかもしれません。

メコン河が赤いのは、土砂が流れ込むからです。それがますますひどくなっているようです。昨日の番組を観ていて、そう感じました。途中のダムも、土砂がたまって長くもたないのでは?とも思います。

どんなに「秘境」といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか。


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2008/03/09

【ひとり会議 その十】 エコ商品て環境に優しい?

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【ひとり会議 その十】 エコ商品て環境に優しい?


ボゾルグ: この前、地球の「こころ」を感じるって話があったけど、その「こころ」が「地球をこれ以上壊さないで」と言っていることは、なんとなく感じるとしても、やっぱり、具体的に何をすればいいのかちょっとわからないな。

さぶじい: 地球環境を守ろう、ということは誰も異論はないでしょうが、異論がないということは、逆に言えば、「環境保護、環境保護」と、お題目のように唱えていても、何にもならない。むしろ、唱えることで安心してしまうということにもなってしまう。

ボゾルグ: 安心するという意味では、「エコ商品」も似てるよ。なんだか、この「エコ商品」というものが、信用できないんだよね。うさんくさい。「エコ商品」を使うことが、環境のことを考えていると思い込んで安心できる、一種の免罪符にもなっているんじゃないの。

桃: 私は、使うことに反対はしないけど、メーカーは、その心理をついている部分も、たしかにあるでしょうね。環境にいいことを何かしたいと思い始めている人たちが増えている。でも、何をやったらいいかわからない。そこで、手軽に、目に見える形でできるのが、エコ商品を使うこと。

ボゾルグ: だいたいにして、環境の悪化は、人間の大量生産、大量消費、大量廃棄が原因でもあるんだから、ほんとに環境を考えるなら、商品そのものを買わないということが、一番のエコだろ?

ビーノ: そしたら、ボクなんか、一番のエコだね。見て見て。服も買わないし、テレビも買わないし、携帯も買わない。電気も使わないし、グルメでもない。廃棄物はオシッコとウンコとCO2と熱だけ。ちょっと毛が抜けるけどね。

さぶじい: 矛盾ですな。エコ商品を作るためにもエネルギーは使っているわけだし、今持っているものを、とにかく長く使うことが一番のエコのはずなのに。たしかに、ボゾルグさんが言う通りなんですが、しかし・・・。

ボゾルグ: 電化製品なんか、まだまだ使えるのに、「電気を節約できる商品ですよ。環境に優しいエコ商品ですよ。たくさん買ってください」とコマーシャルして、購買意欲を刺激する。でも、その節約分なんか、本体の値段に比べれば微々たるものだし、しかも、買い換えたら、前の商品は捨ててゴミにしてしまうわけで、結局、一番環境に優しいのは、使えるものは捨てずに使うことなんだと思うけどね。そういえば、CO2排出が少ない電車で出張しましょう、みたいなコマーシャルもあるね。たしかに電車からはCO2は出ないかもしれないけど、その電気を作るときはCO2を出しているし、車両や線路や駅舎をつくるにも、CO2を出している。

さぶじい: そんなことを言い始めたら、それこそ、「何をやっても無駄だ」ということになってしまいますな。少なくとも、自動車よりは、電車を使うほうが一人当たりのCO2排出が少ないのは事実だし、今は、比較の問題ではありませんかな。まったくCO2ゼロの乗り物が発明されるまでは、まだまだ時間はかかるし、かといって、それができるまで何もやらないというのもどうでしょうか。少しでも、少ない方法でやっていきましょうという方向性は重要なのではないですかな。

桃: あんたのように、何でもかんでも文句を言う人はいるわね。そう言う人に限って、何もやらない。でしょ?

ボゾルグ: そこをつかれると痛いなぁ。でも、なんだか、俺にはメーカーが、「売るため」にだけ、安易に「エコ」と名づけているような気がしてしかたないんだよね。信用できないのは、そこだよ。

ビーノ: ボゾルグ、ひねくれているよ。この前も、「地球温暖化は100パーセント人為的なものかどうかわからない」「温暖化で海面上昇するなんて、ほんとかわからない」なんていってたよね?

ボゾルグ: 俺は疑り深いだけだよ。

さぶじい: 疑うのは大切です。しかし、疑ってばかりいても、環境問題はなかなか前に進まないのではないですかな。何が原因か、将来どうなるのか、今どうすればベストなのか、などと、誰にもわからないのですからな。なにしろ、人類誕生してから、これほど大きな試練は初めてなんです。疑わしくても、手探りで行くしかないと思いますよ。何もしないよりましです。仮に温暖化して大きな被害が出なかったとしても、それはそれでいいでしょう? そして、メーカーも、商品を売らなければ、つぶれてしまうので、売るしかないわけです。社員には家族もあるし、メーカーがつぶれていったら、日本経済がどうなるか。それこそ、ボゾルグさんが恐れるように、生活水準を落とさなければならなくなるかもしれないですよ。

ビーノ: ボクから言わせてもらえば、生活水準を今のままで、CO2を減らそうということじたい、間違っているんじゃないの? ボクのような生活をすれば、いっぺんでCO2は減るよ。

ボゾルグ: はいはい、その通り。でも、申し訳ありませんが、俺たちは、ビーノ様みたいな生活は無理なんだよ。犬とは違うんだ。

ビーノ: 犬って、またボクをバカにしてるだろ?

ボゾルグ: 犬は、廃棄物も食べちゃうくらいだからなぁ。「廃棄物ゼロ」って、スバラシイね。ビーノたちは、りっぱなエコ動物だよ。

ビーノ: ひど~い! ボク、ウンコなんか食べないよ。ボゾルグは、犬差別主義者なんだよ。

桃: まぁ、まぁ、ふたりともやめなさいよ。たしかにボゾルグがいうように、「エコ」と名前を付けさえすれば売れるという、エコ偽装みたいなものもあるわ。それは注意しないとね。古紙を使ってないのに、「古紙何パーセント」と、だまして売った製紙会社のニュースがあったばかりだし。とにかく、人間はエネルギーを使いすぎ。それを抑える方向はまちがってないはずよ。「地球のこころ」と同じ方向だと思うわ。ところでビーノ、あんた、口もと黄色いわよ。

ビーノ: ドキッ!

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2008/02/25

【ひとり会議 その九】 地球の「こころ」は怒っている?

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【ひとり会議 その九】 地球の「こころ」は怒っている?


桃: なんだか、最近の地球は、悲鳴を上げているように感じるわね。私自身、酸性雨はきついから。

さぶじい: 地球の反乱は、すでに始まっている。最近の地球温暖化や異常気象などを見てますと、そう思ってしまいますな。

桃: 人間の環境破壊で、これ以上黙っていたら、地球そのものが危ういから、地球は、自分の「こころ」を示した、「意思」を示したということかな。

ボゾルグ: でも、待ってよ。たとえば、温暖化が100パーセント人為的なものなのかどうかは、まだ疑問を持たれているわけだし、この温暖化は何億年も続いてきた地球の歴史から見たら、「異常」でもなんでもない「普通の」出来事かもしれないよ。そもそも、温暖化がすべて悪いことばかりかというとそうでもないしね。そして、地球を擬人化するのは、どうかと思う。かりに、地球の「こころ」があったとしても、それは、人間が理解できるような「こころ」じゃないし、「意思」じゃない。もしそんな単純なものだったら、むしろ俺はがっかりだね。

桃: 擬人化じゃないの。でも、その地球の「こころ」を、地球の「こころ」で考えることは、しょせん人間には無理な話なのよ。レベルが違っていて。だから、ここでは、人間にもわかるレベルで「翻訳」しないとだめなの。たとえば、犬に、「○○しても良いよ」「××してはダメだよ」と言葉で言ってもわからないときは、「エサをあげる」「ケージに戻す」ってことで犬はわかるでしょ? 触ってあげたり、抱いてあげたりすれば、好かれているんだなぁと感じるだろうし、きつくしかられれば、「これはだめなんだ」と感じる。

ビーノ: ボクを馬鹿にしてるの? 

桃: ビーノ、ばかにしてるんじゃないわよ。「翻訳する」とは「感じる」ことだと、人間に教えるための例えよ。

ボゾルグ: 「地球温暖化」や「異常気象」というものに翻訳されて、ようやく地球の「こころ」が人間にもわかる、いや感じるということだね。それならなんとなく・・・。

桃: 地球の「こころ」は、人間に「これ以上地球を壊さないで」といってるんじゃないかしら。

ボゾルグ: 人間やインターネットの「こころ」の場合、一つ一つの神経細胞ニューロンやパソコンに「こころ」はない。ただ、それがたくさん集まったとき、関係性を持つシステムに「こころ」が生まれるはずだったろ? でも、地球の個々のものに「こころ」はあるじゃない? 少なくとも、60億人もいる人間ひとりひとりに、「こころ」も「意思」もあるよ。

桃: どうかな。レベルが違いすぎる。地球にしたら、人間だって、蚊やミジンコと区別できないほどのレベルだってことよ。人間には、地球レベルの「こころ」はないわ。

ボゾルグ: なんだか悲しい話だね。

桃: しかたないわよ。地球と人間の差なんて。現実はそうでしょう? しょせん、地球を救おうなんて気持ち自体がおこがましい。地球は人間しだいでどうにでもできるといって、資源を使い放題、開発をやり放題やってきたわよね。でも、今度は一転して、地球環境を守ろうというけど、「人間は何でもできる」という考え方自体は、何も変わってないわ。

さぶじい: さすが、桃さんは地球の代弁者ですな。

ビーノ: ボク知ってるよ。桃の両親は、桜の木でしょ?

ボゾルグ: 桃の家系は樹木だったのか? 桜の木から生まれて、名前は「桃」。ややこしい・・・。

桃: ボゾルグ、何ぶつぶつ言ってるの? つまり、私が言いたいのは、もっと、地球の大きさを知ったほうがいいと思うの。逆に言えば、謙虚さね、必要なのは。そこからしか、地球の「きもち」は感じ取れないわ。

さぶじい: 昔の人間は、その謙虚さは持っていましたけどねぇ。だんだん、「自分が一番」と思い込むようになってしまったんですな。そのしっぺ返しでしょうか? 

ビーノ: ボクら、「理解」はできないけど、「感じる」ことはできるんだよね。地球の「こころ」も、人間の「こころ」も。人間以外の生き物、全部そうなんだよ。言葉を持った人間だけは、「感じる」ことを忘れて「理解」したがるってこと。

さぶじい: 地球環境がだんだんおかしくなっていることに、人間がどれだけ関与しているのか、それこそ地球の「こころ」がわからない人間にはわからないですが、しかし、「何か変だ」「これではいけない」と感じているのは確かなんですから、その感覚は大切にしないといけない。ビーノさん、桃さん、こういうことでしょうかな?

ビーノ: まぁね。

ボゾルグ: 地球の「こころ」を感じる大切さはわかるけど、環境問題が、けっこう政治問題だってことは、別だよね。「温暖化が悪い」「リサイクルは良い」「温暖化で海面上昇する」とか、ほんとかな?と「感じる」ことも多いよ。

さぶじい: 地球の「こころ」がわかっても、じゃぁ、個人的にどうするか?という問題がありますな。「環境保護」と唱えているだけでは、何も変わりませんしな。難しいところです。

ボゾルグ: そうなんだよ。地球環境保護のために、俺は今の自分の生活レベルを下げる気はないよ。あまり「地球のこころ」ばかり考えると、個人の自由は制限されるということにもなっていく。それは嫌だね。

桃: ただ、大きな理想は必要でしょう? 方向性といったらいいかな。そもそも、地球環境が壊れて、人間が死んでしまったら、個人の自由なんていうのも、なくなってしまうのよ。

ボゾルグ: ・・・

さぶじい: 地球環境問題では、被害者が加害者でもあるということ。そこが難しいところでもありますな。


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2008/02/10

【ひとり会議 その七】 14歳少女の「無邪気な」反捕鯨活動

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【ひとり会議 その七】 14歳少女の「無邪気な」反捕鯨活動 (団体名など、フィクションです)


さぶじい: またクジラをめぐってのニュースがありましたな。イギリスで、14歳の少女が父親と日本大使館に座り込み、「クジラはとても素晴らしい生き物で、権利や愛が与えられてしかるべき」と、捕鯨反対を訴えて騒ぎ、不法侵入で拘束され、警察署に留置されたらしいですな。

ボゾルグ: あの、無邪気さが怖いね。この前も、過激な環境保護団体「海のドーベルマン」について話したけど、この少女も同じ匂いがするよ。「捕鯨は残酷だからイケナイ」という一方的な主張を、相手の権利を侵してまでするわがまま・・・。

ビーノ: 14歳の少女は、かわいいの。ボクと同じ。あんな、いたいけな少女の気持ちは、大切にしないとイケナイでしょ。日本側が「悪者」に見えてしまうのはしかたないよ。

ボゾルグ: しかたないじゃすまないよ。それこそ危ない。少女が何で「捕鯨反対」を訴えているかというと、具体的な理由はなくて、子どものときに見た絵本にクジラが描かれていたことや、イギリスでは、動物保護のキャンペーンでクジラの写真を使っているということ。「クジラがかわいそう」という、ほんとに「純粋で無邪気な」理由だけなんだ。

ビーノ: でも、そいういう子どもたちの純粋さは大切なの。大人になると、それがなくなっていくでしょ。不純な大人が、世界をわるくしているの。

ボゾルグ: 子どもは純粋ねぇ。それはどうかなぁ? 無邪気だとは思うけど・・・。そして、父親がいっしょだったということも、なんか引っかかるねぇ。

さぶじい: これは子どもだけではなくて、反捕鯨国、一般の人たちの、正直で素直な感情・感覚だと思いますな。反捕鯨国では、「反捕鯨」を訴えても、当然ながら誰も傷つかないですし。言いたい放題できるということでもあるんでしょうな。

桃: 「捕鯨反対」という問題と、不法侵入の問題は、分けて考えなきゃね。もちろん、どんな人も、どんな意見を言おうが自由だけど、一線を越してはいけないということ。それはルールでしょ? だって、少女が座り込みしたのは、日本大使館だから、まだいいようなものの、これが個人の家、例えばロンドンに住んでる日本人宅だったら? やっぱり怖いわよね。そして逮捕されて当然だし。

さぶじい: 目的のために手段を選ばないという典型が爆弾テロですし。純粋な思いを持った子どもが、テロの訓練を受たりしています。しかし、子どもたちの「純粋さ」を、利用しているのは大人です。

ボゾルグ: 今回の件で言えば、「捕鯨反対」を訴えるには、14歳の少女は、かっこうの広告塔なんだね。少女がかわいくて純粋であればあるほど、捕鯨が、残酷であることを印象づけられる。この対比を利用している大人が影にいるってことだよ。父親といっしょに逮捕されたのに、少女だけがクローズアップされているのが何よりの証拠。

さぶじい: 「捕鯨反対」というスローガンを唱えている人たちは、たぶんイギリスでは好意的に見られているのでしょうな。もっと言えば、「捕鯨反対」や「動物保護」を訴えれば、ちょっとした「暴挙」も許されるという雰囲気があるのではないでしょうか。しかも、今回は、14歳の少女ですからなぁ。捕鯨が必要なのか、どうなのかという、本当に大切な問題は隠されてしまいます。

ボゾルグ: だから、そこが狙いなんじゃないの? 科学的に捕鯨を議論なんかしなくていい、ただ感情論で行け!っていう過激な反捕鯨主義者には。攻撃する対象がなくなると困るのも彼ら自身だからさ。

桃: 今、ロンドンの日本食レストランを経営している日本人には、脅迫電話がかかってくるらしいわ。在英日本人には、とばっちりね。今回、イギリスの警察が、少女たちを逮捕したのは、えらいと思うわ。

ボゾルグ: えらいわけじゃない。当然の仕事だよ。日本はイギリスに、クジラ肉を無償で輸出したら? そして実際に食べてもらう。クジラ肉を食べもしないで、クジラを語るなんて、100年早いよ。日本人は、クジラを愛しているからこそ、クジラを、ありがたくいただいてきたんだよ。それと、イギリスは、世界中を植民地化して、先住民族を痛めつけてきたことはすっかり忘れているようだしね。クジラだけじゃなくて、イギリスに住んでるアラブ系やアフリカ系やアジア系の人間にも「権利や愛が与えられてしかるべき」だと思うけどね。

桃: だめよ。そんなこと言ったら、過激な反捕鯨主義者の思うツボよ。敵が現れるのを、てぐすね引いて待ってるんだから。そして日本も、「捕鯨は文化だ」というだけでは、反捕鯨国の人たちを説得できない状況と時代になったということじゃない?

ボゾルグ: はいはい、反省します。でも、今回、桃は、俺の見方? もしかしたら、俺に惚れた?

桃: ばか! 私、「形容詞」に惚れたりなんかしないわ。

ボゾルグ: ????

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2008/01/20

【ひとり会議 その二】 過激な環境保護団体「海のドーベルマン」

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【ひとり会議 その二】 過激な環境保護団体「海のドーベルマン」 (団体名など、フィクションです)


ボゾルグ: 日本の調査捕鯨船に乗り込んだ反捕鯨の環境保護団体「海のドーベルマン」のニュース、聴いた?

桃: あれはね。捕鯨国と、反捕鯨国じゃ、受け取り方が違うんだろうな。

ボゾルグ: やつらは、騒ぎたいだけなんだよ。自分が正義の味方にでもなったつもりで。地球環境の警察きどりが、鼻につくなぁ。

桃: 日本にも問題はあるんじゃないかしら? 何でも食べちゃうから。今じゃ、日本人ほど世界中の食糧を食べ散らかしている国民もないしね。

さぶじい: 日本人のように、クジラに文化的関わりを持っていると、単純に、「クジラがかわいい」とばかりは思っていませんしね。「クジラはおいしい」でもあるんですね。わたしらが若い時分は、学校の給食によくクジラが出たものです。「イルカ」って呼んでましたけど。

ビーノ: 「幸せのバブル・リング」を出す、あんなカワイイ動物食べちゃうの? だから日本人は残酷だって思われてしまうの。

さぶじい: いえ、いえ、イルカじゃありませんでした。実際はクジラです。

ボゾルグ: 結局は同じだけどな。

ビーノ: ボクは、クジラなんか食べなくても平気だよ。捕鯨なんかやめちゃえばいいじゃん。

ボゾルグ: 調査捕鯨はちゃんと認められているんだよ。調査もしないで、感情論だけで動物保護を訴えてもねぇ。

ビーノ: そうか・・・。

ボゾルグ: でも、やつらが気に食わないのは、世界的に見て今、面と向かって反対できない「錦の御旗」を手に入れたってこと。「環境保護」「動物保護」っていうのは、今はやりだから。

さぶじい: たしかに、この「環境保護」「動物保護」というお題目さえ唱えていれば、何でも許されるような空気になっていますね。反捕鯨国の、クジラに縁もゆかりもない人たちは「クジラがかわいそう」という感情に流されやすいですからね。

ビーノ: ボクみたいに?

ボゾルグ: ビーノ、そうだよ。そこからは文化的な側面が、スッポリと抜け落ちている。だから「海のドーベルマン」の行動は、たんなる嫌がらせさ。動物には優しくて、人間には厳しい、環境保護、動物保護って、なんだか矛盾してるんだよね。

桃: 私は、今回の件は、クジラだけが理由じゃないと思うわ。反捕鯨国のクジラに対する一方的な「かわいそう」という感情もどうかと思うけど、世界から見たときの日本人の非常識が背景としてあるから非難されるんじゃないかしら。

さぶじい: 先進国の中では、日本の食糧自給率が一番低いといってもいいくらいですし。そこがまた、外国人から見たら、お金で世界中の食糧を買っている日本人の節操のなさに映るんでしょうな。そこまでして、まだクジラまで獲ろうというのか、なんという国民なんだ、日本人は、という・・・。

ボゾルグ: 江戸時代だったらね、俺は「あんなにカワイイ牛なんか食べる人間は野蛮人だ!」って非難してやったんだけど。

ビーノ: それは無理だよ。ボク、クジラはいらないけど、牛丼は大好き。

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2007/02/23

地球の環境

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まだ2月だというのに、この暖かさはどうしたことでしょうか。

昨日書いた、「環境保護を御旗に掲げた暴力集団」は別としても、みんなの環境についての関心が高まってきたのは確かでしょう。とくに、地球温暖化や異常気象の問題ですね。こう「異常」な暖かさが続くと、否が応でも考えてしまいます。

俺が小学生の頃(そんなカワイイ時もあったね)、山形県の内陸盆地ですが、冬はスキーをはいて学校まで通ったことや、家の1階部分は雪が積もって、中が真っ暗だったことを覚えています。それがここ何十年かで、すっかり暖かくなって、あまり雪が積もらなくなってきました。

10数年前、ラオス南部・コーン島のあるゲストハウスで、俺と、スイス人と、ラオス人が話をしているとき、3人とも、「俺の国では最近気温が上がっている」と言ったのです。俺からみれば、ラオスはいつも暑くて、そんなことあるのかと思ったのでしたが、暑い中でも、さらに気温の上昇を感じているらしいのです。スイスでも雪は少なくなっていると言っていたし、これは世界中の傾向なんだなぁと漠然と思ったのを覚えています。

地球温暖化の原因は「温室効果ガス説」が有力だそうです。ただ、地球そのものは、太古の昔から、暖かくなったり、冷たくなったりを繰り返してきました。そういう「異常とはいえない」いくつもの自然の原因があって、その上に、人間が作った原因が重なっているということなのでしょう。

人間は、地球を覆う、薄皮のような大気の中で、温度が1度、2度上がっただけで大騒ぎしている生き物なんですね。そして、偶然の重なりで、こんなラッキーな環境が、何万年も続いてきたことに驚くのです。地球環境は、「普通に周りにある」ので、未来永劫続くような気がしていましたが、とてもデリケートで、吹けば飛んで消えてしまうようなものなんだということに、俺たちはようやく気がついたのです。


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2006/09/14

山形は、もっとも進んだ環境県民

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(写真は山形県大石田町)

山形県出身者の俺には、耳ざわりのいいニュースがありました。山形県の一人一日当たりのごみ排出量が2004年度、884グラムで、全国で一番少ないそうです。こちらのブログで知りました。

Ya_2「天使のたまご」

昔は、紙などの燃えるゴミは、庭のドラム缶で燃やしていましたね。今はどうでしょうか。いろいろと問題があるので、禁止されているかもしれないですが。

ごみが少ない要因について、

(1)集団回収の徹底やマイバッグ運動の推進など地道な取り組みの成果
(2)モノを大事にする県民性
(3)ごみを土に還元しやすい農村部が多いこと

をあげています。俺がうなずけるのは、(2)ですね。モノを大切にする、つまり、なんでも「もったいない」と思ってしまうのです。もともと貧しいところだったからかもしれません。

少し前まで、これは「ケチ」と言われた性質です。実際今でも「もったいないなぁ」と内心思っても「ケチって言われると嫌だなぁ」と考えてしまい、黙っていることも多いですよ。

でも、ますますこれが「トレンド」になっていけば、大いばりで「もったいない」と言えるわけです。世の中変われば変わるもんです。

そういえば、最近「もったいない」運動がトレンドになりつつあります。ケニア出身の環境保護活動家であり、ノーベル平和賞受賞経験者のワンガリ・マータイさんが、日本人の「もったいない」の考え方こそ、環境問題を考えるにふさわしい精神として、世界へこの言葉「MOTTAINAI」を広めようとしているらしい。みなさんも聞いたことあるのではないでしょうか。
ウィキペディア参照)

ということはですよ、この「もったいない」精神を一番理解して実践しているのが山形県民だと言っても過言ではないでしょう。そして山形県民の中でも貧乏な我が家(物の消費が少ない)が、さらに「進んだ」家族だと・・・。

ただ、俺はひねくれ者なので、みんなが「もったいない」と言い始めたら、言わなくなるかもしれません。さんざん消費文化を謳歌しておいて、何を今さら・・・、と思う気持ちもあるしね。そして、田舎が嫌いで飛び出したはずの俺が、今さら山形県民と名乗るのも、なんだかヘンだよなぁ。


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2005/09/03

最近の自然災害

アメリカ南部のハリケーンの被害。信じられないひどさです。

最近の自然災害は、局地化、巨大化しているように見えます。ハリケーンや台風は、海面温度上昇によって巨大になるとのこと。地球的規模で問題になっている森林破壊や温暖化と無関係ではなさそうです。

近代文明は、自然を破壊し、物の豊かさを追求し、それが人間の幸せだと思ってきました。(いまだにそうかな? 物の豊かさが必ずしも悪いと言っているわけではありませんが。偏っているのでは?) 何万年何千年とかけて、徐々に作り上げてきた自然との付き合い方を捨て、たかだかここ2、3百年の浅知恵でもって、自然を人間の思いのままに支配しようとすることは、少し冷静になって考えれば、無理なのは明らかです。

近代文明は、自然から許される改造の限界点を越えてしまったのかもしれません。その限界内でうまくやることが、生き物が生き続けられる唯一の方法ではなかったのでしょうか。

そして話は強引に棚田にもっていくのですが(すみません)、棚田の曲線は、近代文明の対極にあるものであり、その「ぎりぎりの限界線」「自然との最後の妥協点」の目に見える形、とでもいったらいいでしょうか、そんなふうに感じられるのです。俺にとって棚田は、欧米主導型の文明に対する「ささやかな反抗」を象徴するものであるのかもしれません。

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