カテゴリー「埼玉県内(秩父など)」の157件の記事

2020/08/07

新型コロナの虫送り

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10年ほど前に、埼玉県皆野町の「虫送り」を撮影したことがあります。今年は行われるでしょうか。

虫送りは、3本の「オンベイ(御幣)」を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。

オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。

害虫には、いろんなものが含まれるようです。農作物の害虫はもちろん、疫病神なども、すべて災いを招くものを「虫」として呼び寄せます。今年なら「新型コロナの虫」も含まれるかもしれません。

昔は、最後にこのオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていましたが、今は、流せなくなった(流さなくなった)とのこと。

それを聞いて、今はそんな時代なんだなぁと思ったものです。別な灯篭流しの祭りでも、下流にボランティアが待機していて、流れてきた灯篭を全部回収することをわざわざアナウンスしていました。だから流さないでと。

物を勝手に川に流せないんですね。物だけではありません。「悪霊」「災い」も流せなくなったということです。昔なら、「虫」にみたてた「悪霊」「災い」を村の外に出してしまえば、村の中の安泰は保てました。

でも、意地悪な見方をすれば、「虫」を村外に出すということは、他の村(下流の村)がその「虫」の被害に遭うかもしれないことになります。

つまり、今の時代、災いは、その村だけで解決すれば良いという問題ではなく、災いは、すべての村(あるいは物)が大なり小なり何らかの関係性を持っているということでもあります。

 村から町、県、そして国、世界へと、俺たちの生活範囲は広がっているのに、「新型コロナの虫」に関しては、まるで村の「虫送り」に逆戻りしているような感じを受けます。外からの「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)に入ってくるのを心配しています。

でも、「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)からいなくなっても、別なところにいる限り、平穏な生活は戻ってきません。つまりこの「新型コロナの虫」送りは、全地球規模で、みんなで協力してやらなければならないことです。

にもかかわらず、今は、外からの人間を「虫」扱いせざるをえない状況です。観光業で潤っていたはずの観光地が「来ないで」と言うところもあります。罹った人間に対する誹謗中傷も止まりません。人をウイルス扱いする客や店員のレジハラも起こっています。「人間」が「虫」ではなくて、「新型コロナウイルス」が「虫」なんです。

新型コロナの一番怖いところは、人間関係を分断するところにあるようです。

そこで、虫送りを復活させてみてはどうでしょうか。

オンベイをロケットに載せて宇宙に放つのが、現代版の「虫送り」としては一番の方法かもしれません。実際やるのは難しいですが、その代わり「花火」があります。その象徴的な儀式として、これを「虫送り」に見立てればいいのではないかと。

それとも秩父市・椋神社の「龍勢」でしょうか。こちらはまさに竹製の「ロケット」なので、「宇宙に放つ」イメージと合致するような気がします。

こういう儀式は象徴的なものです。これで人間が「虫=ウイルス」でないことの感覚を取り戻すことができたらこの「虫送り」という民俗も役に立つのかなと思います。

 

 

 

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2020/07/28

写真展『疫病除けの狼像たち』終了のお知らせ

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7月16日から開催していた写真展『疫病除けの狼像たち』終了のお知らせです。始まりではなく、今日で写真展が終わりましたというへんなお知らせです。

これはブログへの予約投稿(7月28日15:00)なので、今、ちょうど会場で搬出の作業をしているころだと思います。

このへんな写真展開催もコロナ禍の影響で、ネット、SNSでの宣伝、マスコミでの宣伝、DMの送付などの宣伝はやらない、俺も会場に行かない、という方針で開きました。友人、知人にも、情報はネットに上げないようにお願いしていました。

新聞に勝手に写真展情報が掲載されたという予想外のことはありました。いまだに新聞にどのように情報が流れたのかはわかりません。新聞からも確認の連絡はなかったし。本来なら情報を載せてもらったら嬉しいはずですが、関係者は戦々恐々としていました。お客さんの数が多くなると、対応が難しいからでしたが、なんとか静かに終わることができました。単なるギャラリーではなく飲食店でもあるので、そのへんは敏感にならざるを得ないのは俺も理解できました。

それで写真展情報の解禁は終了後とのことだったので、このタイミングとなりました。まるで離婚会見する芸能人の気分(?)です。

たまたまお茶を飲みに来て、写真展を見ていただいた方、書籍を購入していただいた方にはお礼申し上げます。

来年また同日から同期間、写真展は開く予定ですが、その時は「疫病除けの」というタイトルはいらない狼像の写真展になればと思っています。狼像の写真は日々増えているので、来年は今回よりも点数は増えます。コロナ禍が収まり、大々的に宣伝ができる状況になっていることを祈ります。

 

 

 

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2020/05/27

埼玉県所沢市 多聞院の虎像

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所沢市の多聞院を参拝しました。

先日紹介した『東京周辺 神社仏閣どうぶつ案内』の中にあったからですが、たまたま撮影が所沢の近くだったので、寄ってみました。

毘沙門堂の前では一対の狛虎(虎像)が護っています。虎は毘沙門天の使いとされるためです。慶応3年に奉納されました。

偶然なのですが、この半年のうちに、虎像を見たのはこれで3度目になります。しかも所沢、生越、藤岡と、関東平野の西側山際に沿った3カ所です。どの虎像も造形的に似ていると言えば似ているものです。

それと毘沙門堂の周りには、たくさんの小さくてかわいい黄色い「身がわり寅」がずらりと並んでいるのは圧巻です。身に降りかかる災いを「身がわり寅」に託して奉納されたものだという。 

虎像の近くには、「鬼の悟り」と呼ぶ印象的な石像もあります。 

また、隣の神明社には「甘藷乃神」も祀られています。「川越いも」の名で知られるサツマイモの神様です。

 

 

 

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2020/04/23

埼玉県越生町 虚空蔵尊の牛・虎像

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埼玉県越生町の三満山 虚空蔵尊には牛像と虎像が奉納されています。

虚空蔵菩薩は、丑・寅年生まれの人の「守本尊」だからですが、とくに虎像はすばらしいですね。

 これが狼像だったならもっと良かったのですが。

 

 

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2020/03/30

コロナ禍でみえてきた差別と偏見

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新型コロナは中国から始まり、日本、韓国などアジアを中心に広がったことから、今、アジア人差別が起こっているらしい。

アメリカでは、襲われるのではないかと、アジア系の人たちが武装用に銃を購入しているというニュースも入ってきました。

「差別・偏見は悪い」と誰でもがいいます。(差別主義者は言わないでしょうが) でも、平時ではそうでも、こういった有事になると、わからなくなります。

俺も意識的には人種・民族差別主義者ではないつもりです。むしろ、外国や外国人には興味津々で、好きといってもいいでしょう。ところが、最近のコロナ禍で、俺は、どうも外人が気になっていることに気が付きました。その気づきは、今までのとちょっと違います。なんとなく身構えるというか、そんな感じです。

たぶん、これも、「コロナ=外国」という無意識が働いているようなのです。このパンデミックにあって、今さら「コロナ=外国」というのは的外れであるし、むしろ、俺自身が不顕性の感染者かもしれないのですが。「悪は自分の外にある」と思いたがることも理由でしょう。

そこで思い出す映画があります。 何度か紹介したことがある『クラッシュ』(原題: Crash)というアメリカ映画です。第78回アカデミー賞作品賞を受賞しています。

ロサンゼルスで発生したある交通事故から物語は始まって、アメリカ人の中の差別、偏見、憎悪がうごめく世界を描いていますが、後半では救いのある話が描かれて、ようやくホッとできる映画でもあります。

差別や偏見はいけない、と誰もがいいます。でも、けっこう難しい。いや正直、俺の中にもあるのです。

もしかしたら、やっかいなのは、自分が差別とか偏見をいっさい持っていないと思いこんでいる人、無自覚な人なのかもしれないのです。

映画でも、それを思わせるような登場人物がいます。若い白人警官のトムです。【ここからネタバレ注意】

最初は、ベテランの白人警官ライアンの、あまりにも黒人差別的な態度に我慢ならずに、同じパトカーに乗ることを拒否したくらいでした。そして、あやうくほかの白人警官が黒人を撃ってしまうところを自分の説得で回避させたことで、彼の「無差別主義者」が証明されたような事件が起こります。たぶん、彼はそれでますます自分が無差別主義者であり、正しいのだと自覚したのでしょう。

ところが、です。ある黒人青年を車に乗せてあげたとき、彼がポケットから取り出そうとした人間のフィギュアを、てっきり拳銃と早とちりして、撃ち殺してしまうんですね。皮肉としかいいようがありません。

自分の意識できるところでは、「無差別主義者」でしたが、無意識では、どこかに差別や偏見があったのでしょう。ポケットに手を突っ込んだら「拳銃だ」と反応してしまうようなものが。白人ならこうはならなかった可能性が高い。

実際に1999年ニューヨークで起きたアマドゥ・ディアロ事件があります。ギニア人の移民であったディアロさんが、白人警官たちの発砲によって死亡しました。ディアロさんがポケットから銃を取り出すと誤解されたからでした。白人警官トムと同じような事件です。

社会心理学者のゴードン・オルポートの心理学実験があります。スーツを着た黒人と、手にナイフを持った作業着の白人が、地下鉄車内でもめているような絵を見せます。

それを「どんな絵だったか?」と伝言ゲームのように伝達してもらう実験をすると、黒人と白人が入れ替わってしまうというものです。ナイフを持っているのは黒人に違いないという思い込みというか偏見が、白人の心の底辺にしみこんでいます。

これほどやっかいなものです。「白人」とか「黒人」とか、見かけが偏見や差別の原因の大きなポイントであるらしい。見かけが大きいのです。「イケメン」とか「美人」とかも、見かけによる判断をしているという意味では同じ差別、偏見につながっているということなのでしょう。

トムと対照的に、差別主義者と自覚している、まるでトランプ氏のようなライアンなのに、ガソリンで爆発しそうになった事故車から、黒人女性を命がけで助けたりもします。

わからないんですよ、人間は。普段言っていることと違うことをやってしまう人間は、いくらでもいます。俺もそうかもしれません。

そして見かけで人を判断することが必ずしも悪いことではなく、むしろ、生き抜くうえでは必要なことでもあって、だからこそ俺は簡単に「差別・偏見は悪い」と言うような人間は信用できないと。でも、これも俺の偏見であるには違いないのです。

無意識の「差別・偏見」が誰にでもあるからこそ、「俺にもあるんだ、だからそれを無くそう」という「意識化」がだいじなんだろうなと思います。

 

 

 

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2020/01/22

楽風の瓦屋根葺き替え工事(02)北面の屋根

 

先日は、埼玉県さいたま市浦和区にある 日本茶喫茶・ギャラリー楽風の瓦屋根葺き替え工事(01)南面をアップしましたが、今日は(02)北面の屋根の作業様子です。

1/14(火)~24(金) 、工事に伴い休業中。(天候により変更の可能性あり)

 

 

 

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2020/01/17

日本茶喫茶・ギャラリー楽風の屋根瓦の葺き替え工事始まる

 

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埼玉県さいたま市浦和区にある 日本茶喫茶・ギャラリー楽風は、2020年1月14日(火)~24日(金)まで休業中です。(天候により変更の可能性あり) 

楽風の建物は旧中仙に面した青山茶舗のお茶の保管倉庫として使われていたもので、1階を喫茶、2階をギャラリーとして1991年にオープンしました。ここで俺は過去数回写真展を開かせてもらっています。

ギャラリー部分の壁が土壁で畳敷き、アジア・日本の風景の写真展が多かったので相性は良かったのです。俺の写真よりも、この土壁を誉めるお客さんも少なくありませんでした。いや、実際建物自体の価値は高いのです。

そして今回、2階の瓦屋根葺き替え工事を行うことになりました。

1月14日には足場が組まれ、16日からは、実際に瓦や瓦の下の土を下ろす作業が始まりました。楽風の建物は貴重な文化遺産なので、昔の瓦葺の屋根がどうなっているのか、そしてそれをどのように新しいものにしていくのか興味があったし、青山さんの希望もあって一連の工事を記録することにしました。

とりあえずは、16日の南面の屋根の作業の様子をアップします。

 

(2020年1月22日、(02)北面の屋根の作業をアップしました)

 

 

 

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2019/08/24

【犬狼物語 其の三百九十~三百九十二】 埼玉県川越市 川越八幡内の三峰社&六塚稲荷神社内の三峰社&広済寺内の三峰社

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(川越八幡の三峯社)

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(川越八幡の目の神様)

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(広済寺の三峯社)

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(広済寺のしわぶきさま)

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(六塚稲荷神社三峯社

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(六塚稲荷神社の狛狐

 

以前、川越市の氷川神社内の三峯社について書いたことがありましたが、川越市内には、たくさんの三峯信仰の祠や三峯講があることがわかりました。

『埼玉民俗 第35号』(平成22年)に西村敏也氏の「川越の三峰講」が掲載されています。それを参考に書いてみます。

川越も大火を経験してきて、その結果として、今では観光客で大賑わいの「蔵造りの町並み」ができたと言ってもいいようです。

寛永15年(1638)には、町の約半分や、川越城、喜多院も焼き尽くしました。明治26年(1893)の大火では、全戸の3割が消失しました。この大火で焼け残ったのが土蔵でした。防火の観点からも、川越では土蔵建造が推し進められました。土蔵を倉庫ではなく、店舗そのものに利用しているのが川越の特徴で、明治時代末期には、現在のような「蔵造りの町並み」になっていたとのことです。

三峯信仰は、農村部では、害獣除けとして、また作神として信仰されましたが、都市部では、火災・盗難除けとして信仰されたという経緯があります。このようなことから想像すると、川越の街も、大火があったことが三峯信仰を広げた要因の一つであったかもしれません。江戸と同じように。

川越八幡神社内にも、境内社として三峯の祠がありました。社殿の左側です。隣には「目の神様」というのがあって、シュールな碑が建っています。

また、「川越の三峰講」には、喜多町、元町、幸町などの三峯講の事例も紹介されていて、川越の人たちはどのように三峯を信仰してきたのか、おぼろげながらその概観が見えてきます。

「蔵造りの町並み」の北側、喜多町の広済寺を訪ねました。境内には三峯の祠があります。

喜多町には自治会による三峯講があるそうです。広済寺には借地金を支払い、三峰の祠を置かせてもらっています。ただ管理などは喜多町自治会が行っているそうです。

祠には三峯神社のお札が納められています。これは「講社御中」とあったので、講としてもらい受けたお札のようです。

ちなみに、この祠の隣には、百日咳や風邪を治してくれる、ちょっと変わった荒縄で縛った石仏、咳地蔵尊(しわぶきさま)などが祀ってあります。

次に元町にも三峯講があります。いや「あった」といった方がいいでしょうか。

というのも、三峯代参講は60年ほど前までは機能していましたが、今はないそうです。たまたま六塚稲荷神社にいた地元の人にも確かめたところ、三峯講はもうないとのことでした。ただ、個人的に仲間とお札をもらいに行ってくるというのは続けられているようです。

お札は、六塚稲荷神社内の三峯社の祠に納められます。このお札は、「元町2丁目」としてもらい受けてきます。集団としての講はなくなっていますが、一軒の家によって、三峯信仰がかろうじて守られているのが現状です。

なお、幸町の講については、氏神である雪塚稲荷神社の氏子会が元になった「雪塚会」の管轄で、三社講と呼ばれる三峯・古峰・妙義の講が江戸時代から続いています。毎年、いずれかの1社に代参し、残りは郵便でお札をもらっているそうです。

 

 

 

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2019/07/31

【犬狼物語 其の三百七十六】「東京狼」

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『オオカミは大神』第二弾の「東京狼」の企画については、前に書きました。

「東京」とは言っても、実際は関東圏の狼像と狼信仰についてです。「大都会」と「狼」というギャップが面白いかなと思っています。

原稿を少しづつ書き始めていますが、そのために現在の三峯・御嶽神社の位置と、江戸時代の三峯社の位置を地図で合わせてみました。

グーグルマップに赤や黄の狼マークをプロットしたのが現在の三峯・御嶽神社、プラス狼像のある寺社の位置で、黒丸が三木一彦氏「関東平野における三峰信仰の展開 ―武蔵国東部を中心に―」の「武蔵国における三峰末社の分布 -文化・文政年間(1804~30」から引用したものです。

おおざっぱな地図で、正確なものではないので、傾向を読み取るしかできないのですが、これを見て気がつくのは、文化・文政年間には、かなりの数の三峯社が江戸にあったこということです。しかも、今はあまりないところにです。たとえば、墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区あたりでしょうか。

単純に想像すると、関東大震災や戦時中の空襲によって、また、戦後は都市の再開発で、無くなってしまったのか?ということです。

その代わり、今は、都内でも西側に多く残っているように見えます。ただし、これは三峯神社と御嶽神社です。しかも、東京都三鷹市の東牟礼御嶽神社のように、今、まさに消滅している神社もあります。たしか、東牟礼御嶽神社も、道路拡張に伴って壊されていたと思います。

これからも、増えることはもうなく、減るだけかもしれませんが、何とか、都会の狼が残ることを期待しています。狼が鎮座するところには杜も残っています。そういう意味で、狼が杜を守っているともいえるかもしれません。

あとはこの地図を見て気づくのは、俺が住んでいる中山道沿いについて言えば、さいたま市周辺にも黒丸の比較的集中しているところがありましたが、今は、それほど残っていません。

 

 

 

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2019/05/29

【犬狼物語 其の三百三十二】埼玉県浦和市 常盤・三峰神社の事情

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『新編埼玉県史 別編2 民俗2』(昭和61年)では「三峰講」について、

「御眷属信仰の御利益については、一般に山地の農民は、猪鹿の害から田畑を守護してもらうことを期待し、町場や平野部の人々は盗賊除け・火防の神として考えている。その信仰圏は、(略)、関東全域から長野・山梨・静岡の各県にも及び、このほか宮城・福島・新潟などにも、わずかであるが講社が存在する。」

三峰講の分布の講数(昭和15年)を見ると、長野が一番多く1410、次に埼玉県914、千葉県636、茨城県550、群馬540、栃木県393、東京都182講となっています。

講数では埼玉県が2番目に多いところです。三峯神社の鎮座する県なので、1番かと思いきや、1番は長野県というのはちょっと意外ですが。

さいたま市浦和区に三峯神社が複数社あることがわかりました。

その1社を訪ねました。常盤1丁目に鎮座する三峯神社です。

旧中山道沿いには「浦和二七市場跡」がありました。

「二七市」というのは、毎月の二、七、十二、十七、二十二、二十七日の六回、市(六斎市)が開かれていたからです。ここに「御免毎月二七市場定杭」と大きく刻まれた石柱があります。高さ139センチで、左側面に「天正十八年七月日」、裏面に「足立郡之内、浦和宿」と刻まれています。浦和周辺には、大宮の五十市、蕨の四九市、川越の三六九市、与野の四九市、岩槻の一六市、鳩ヶ谷の三八市などがあって、いつもどこかで市が開かれていたような感じです。

そういえば、昔中国雲南省の大理に滞在中、郊外の少数民族村でも、月曜市、10日毎の市、6日毎の市などが開かれていて、毎日どこかの村で開かれている市へ写真を撮りにでかけていました。人や物や情報が集まり、賑やかで楽しかったですね。

このあたりも昔、市が立つ日にはにぎわっていたのではないでしょうか。ついでに三峯神社でお参りする人もいたかもしれません。

その三峯神社は、市場跡の向かいの路地に鎮座します。うっそうとした印象です。狭い境内には不釣り合いなほどの高さの杉の木が立っていました。

路地に面して石の鳥居があって、境内に入ると、杉の大木の隣に溶岩のような台座の上に社が祀ってあります。よく見ると、例の、狼が息ができるようにと三つ穴が開けられた御眷属守護の箱が祀られています。だれかまだちゃんと祀っているんだなと思いました。もしかしたら、三峯講もあるのではないかと期待が膨らみます。

でもあとで、この三峯神社がここに残っている理由が、きわめて現代的な事情によるものとわかってきたのです。

隣の店舗から奥さんが出てきたので尋ねると、すでに40年ほど前からこの三峯神社の土地を持っている人がだれだかわからなくなっていて、困っているというのです。

杉の葉が大量に落ちてくるので、枝を切りたいのですが、持ち主に許可を得てからではないと切ることができないそうで、かろうじて電線に引っかかる部分だけは、東電が切っているらしい。そのうちこの杉の木が倒れるのでは、という心配もあるそうです。

奥さんたち町内会では何とかしてほしいと、役所にも頼みましたが、とにかく持ち主がわからないのでどうしようもないらしい。個人情報保護のためでしょうか。名前だけはわかっていますが、連絡しようにも住んでいる場所もわからないという。だから、しかたないので、掃除は近所の人たちが自発的にやっているし、正月のしめ縄は町内会で変えているそうです。

「神社ですからねぇ」と奥さんがいいました。持ち主が分からなくて困っているという話は、空き家問題でも聞くことですが、そこに「神社」ということが付け加えられると、杉の木を撤去してほしいと言い出すにも気が引けるということらしい。とたんに無理は言えなくなるようです。そこが日本人の宗教心というか、心情らしいところでもあるでしょう。普通の空き家とは違います。

だれか昔のことを知っている人はいないかと思い、寺や店を聞きまわり探したところ、三峯神社へ参拝していたグループの一員だった人がいることがわかりました。

三峯山に参拝していたのは、地縁で組まれる三峯講というのとはちょっと違い、ある組合のグループだったそうです。代表が参拝する「代参講」ではなく、全員で参拝する「総参講」だったようです。

先代の人たちも三峯山に行っていたので、神社に参拝するのは悪い話じゃないし、じゃぁ行ってみましょうかといった程度。特別何かお願いがあって行っていたわけではありませんでした。行楽気分での参拝といったところでしょうか。そしてその習慣も十数年前くらいで終わってしまいました。

だから今、グループで参拝することはないので、社に祀られていた御眷属守護の箱もその時のものでは?というのですが、十数年前のものには見えません。そう言うと、だれか、個人的に参拝をしていて、社に祀っている可能性はあるかもしれないとのことでした。神社も、いつできたかは、先代からも聞いていないそうです。

 

 

 

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