カテゴリー「秩父(埼玉西部)」の94件の記事
2009/10/24
2009/10/23
2009/10/21
半納・堂の尾根

城峰山のふもとにある半納集落。
秩父事件の激戦地のひとつ、半納・堂の尾根には木造の火の見やぐらが残っている。
秩父事件とは、1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、「困民党(秩父困民党。秩父借金党・負債党とも)」を組織した埼玉県秩父郡の農民が政府に対して起こした武装蜂起事件。Wiki参照〉
半納では、神官の家を除いて全戸が蜂起軍に参加したということだ。
2009/10/19
秩父市 萩平歌舞伎舞台公演

昨日の日曜日、10月18日、秩父市で萩平歌舞伎舞台公演があった。
10月下旬とは思えないほどの暑さのなか、子ども歌舞伎、秩父屋台囃子、神楽、「正和会」による本格的な歌舞伎などが演じられた。
明治時代に建てられたという舞台は茅葺屋根で寄棟造りのりっぱなもので、埼玉県指定有形民俗文化財に指定されている。
子ども歌舞伎は、地元の児童たちが「正和会」の人たちの指導の下、演じたものだが、とくに、最初の白波(盗賊)五人男が、捕り手に囲まれながらも、ひとりひとり自己紹介して「捕まえられるものなら捕まえてみろ」という場面で、「・・・@@歳のときにグレて・・・」とか「・・・小娘・・・」とかいうせりふが、あまりにも本人たちに似つかわしくないので、笑いを誘う。
しかも、配役の、日本駄右衛門とか、弁天小僧菊之助とか、強そうな名前と、演じる児童の、まいかちゃんとか、くるみちゃんとか、かわいらしい名前とのギャップもまたおかしい。
「正和会」による歌舞伎は、全国の伝統芸能の最優秀賞(名前を忘れた)を獲得したと、挨拶した秩父市長から報告があったように、その質は高く、歌舞伎にあまりなじみのない俺でもおもしろいと納得できる公演だった。
2009/10/18
皆野町 日野沢大神社神楽


木漏れ日が美しい神秘的な林に、広々とした境内の皆野町日野沢大神社。
氏子さんたちが正装してぞくぞくと集まってきて、神事が執り行われる。
10月15日は神社の例大祭でもある。
神が舞い降りても不思議ではないような境内のひんやりとした空気の中で、神楽がおごそかに奉納された。
「日野沢大神社神楽は、明治14年、当時中断していた秩父神社神楽より諸道具を授かり発足。太田熊野神社から舞と演奏を伝習し、この地方の総社、秩父神社に昭和のはじめまで長く奉仕してきた、いわば秩父神社系神楽の本流中の本流。およそ130年の歴史のある太々神楽です。」(山田たかし氏「日野沢大神社神楽」より引用)
見物人は多くなかったが、こういう神楽が若い人たちを中心に伝えられているのは、とてもしばらしいことだ。
2009/10/17
2009/09/05
11月の写真展


11月の写真展の打ち合わせに行ってきました。まだ先ですが、今週からまた「犬連れ日本一周車中泊の旅」を再開し、帰りは10月末ころになってしまうので、帰ってからでは間に合わないので、DM用の写真や資料などを預けてきました。
タイトルは、雑誌連載と同じ『秩父桃源 2008-2009』。
場所は、さいたま市浦和の楽風(らふ)。お茶屋さん(旧中仙道に面した青山茶舗)の敷地内にある土蔵を改造した和風ギャラリー。1Fは喫茶店で、2Fが写真展会場です。壁面は土壁の展示スペースになっています。
こちらでは過去、「雲南」「メコン河」「棚田」のテーマで3回やらせてもらっているので、今回で4回目です。
会期は11月19日から12月1日まで。会期中の11月27日(金曜日)にはスライド&トークショーもあります。
2009/08/28
ジャランポン祭り

今、「山と渓谷」連載『秩父桃源』の原稿を書いていて、突然思い出したことがあります。
11月号は春祭りについてなので、今年3月に行われた奇祭「ジャランポン祭り」について調べていたら、この「ジャランポン」とは、葬式のときに使う鐃鈸(にょうばち 写真下)の音のことだそうです。確かに、シンバル状の鐃鈸をすり合わせると、「ジャランポン、ジャランポン」と聞こえます。
それで、思いだしたんですよ!
俺の生まれ故郷山形県河北町では、昔、葬式のことを「ザランボ」といっていたのです。今は、あまり聞かなくなりました。
河北町だけではなく、少なくとも山形県内陸部では、「ザランボ」とか「ザラブ」とか「ザラボ」とか呼んでいた(いる)ようです。(間違っていたらスミマセン)
この秩父の「ジャランポン」と山形の「ザランボ」の響きが似ているんですよね。昔、どうして葬式のことを「ザランボ」と呼ぶのか、知人から聞かれたことがありましたが、答えられなかった苦い思い出があります。
もしかしたら、同じ理由なんじゃないかと思うわけで。
でも、去年、父が亡くなったときの葬式で、鐃鈸は使っていませんでした。昔の葬式では使っていたのか、使っていた地域の呼び名が河北町に伝わったのか、どっちかわかりませんが。
鐃鈸はありませんが、「ポッポゴ(木魚)」はもちろん使いましたね。この「ポッポゴ」も、打ったときの音から来ているのは間違いないでしょう。
2009/08/24
神明社夏祭り(川瀬祭り)


7月 26日、秩父市荒川白久の神明社で夏祭り(川瀬祭り)が行われました。
このときは、ちょうど北海道の旅から戻ったばかりで、暑くて死にそうでしたが、神輿がようやく荒川の川原に下りてきたのは、暑さがピークを越えた5時ころ。
神事のあと、お供え(?)の野菜や果物を川に流すと、それを下流の子どもたちが拾っていました。そして川の中で「神輿洗い」が行われ、悪疫退散を願います。
今年の夏は、秩父の「川瀬祭り」、「虫送り」、「灯篭流し」、「百八灯」などを見てきましたが、共通しているのは、最後は川に流して祭りが終わるということでした。流すのは、悪疫だったり、悪い虫だったり、あるいは、果物や野菜だったりするわけですが、どうもバリ島の祭りを思い出してしまいます。
バリ島では、祭りや火葬式の最後は川(あるいは海)へいって、ヒンズー教の僧侶のお祈りがあり、お供えや、遺灰を流すのです。
バリ島と秩父の夏祭りは、それぞれ意味も形も違っていますが、川には浄化作用があり、「水に流してさっぱりする」という感覚は、人間に共通する感覚なのかもしれません。
2009/08/22
猪鼻の甘酒まつり

7月 26日、秩父市荒川白久猪鼻の熊野神社で「甘酒まつり」が行われました。
甘酒を掛け合う奇祭で、「甘酒こぼし」ともいわれます。昔、白久で疱瘡がはやったとき、樽に濁り酒を造ってささげたことが始まりだったようです。
米を煮てお粥を作り、人肌に冷めたとき、麦麹を入れて発酵させます。前日に仕込み、一晩中見張りをするそうです。酒のできが祭りにはとても大切らしい。
「後期高齢者が夜も番をしなければならないので、たいへんなんですよ」とおばあさんは言いました。
「飲んでみますか?」と勧められたので、もちろん、ありがたく頂戴しました。樽を開けると独特の匂いが立ち上ります。発酵した酒の匂いです。雲南省のワ族のところで飲んだ「水酒」や、チベット族のテントで飲んだ「チャン」のような甘酸っぱい味がしました。(わからない?)
男たちは、ふんどし姿になって、樽に水を足して、掛け合います。ただ、以前も来たという人の話によると、どうも観客に遠慮してか、酒の掛け具合がおとなしかったそうです。以前はもっとはちゃめちゃだったらしい。
俺も、それは想定していたので、カメラを包むビニール袋も用意していきましたが、観客に酒が掛けられるようなことはありませんでした。
一応、祭りが始まる前に、カメラを持った人に、酒が掛かるかもしれないと、注意していましたが、実際掛かったら、クレームをつけてしまう人はいるからでしょうね。
そういう祭りなんだから、酒を掛けられるのも覚悟して来るべきだと俺は思うのですが。
2009/08/20
2009/08/19
2009/08/17
立沢の虫おくり

皆野町上日野沢立沢地区で虫おくりが行われました。
虫おくりは、3本のオンベイ(御幣)を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。現在は、毎年8月16日に行われています。(以前は17日)
オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。
害虫には、いろんなものが含まれるようです。農作物の害虫はもちろん、疫病神なども、すべて災いを招くものを「虫」として呼び寄せます。今年は、特に「新型インフルエンザの虫」もありました。
昔は、最後にこのオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていましたが、今は、流せなくなった(流さなくなった)とのこと。
それを聞いて、今はそんな時代なんだなぁとあらためて思いました。土曜日の「船玉祭り」でも、灯篭流しでは、下流にボランティアが待機していて、流れてきた灯篭を全部回収することをわざわざアナウンスしていました。
物を勝手に川に流せないんですね。物だけではありません。「悪霊」「災い」も流せなくなったということです。昔なら、「虫」にみたてた「悪霊」「災い」を村の外に出してしまえば、村の中の安泰は保てました。
でも、意地悪な見方をすれば、「虫」を村外に出すということは、他の村(下流の村)がその「虫」の被害に遭うかもしれないことになります。
つまり、今の時代、災いは、その村だけで解決すれば良いという問題ではなく、災いは、すべての村(あるいは物)が大なり小なり何らかの関係性を持っているということでもあります。
2009/08/15
2009/07/23
2009/06/01
2009/05/31
2009/05/28
2009/04/23
美の山公園からの「山通り」

写真は、美の山公園から見た「山通り」です。「山通り」は、昔、巡礼者たちが頻繁に往来していたメインの峠越えの道でした。この道を上っていくと釜伏峠になり、山を越えると寄居の町があります。
先週土曜日、美の山公園は、桜祭りでした。でも、ほとんど桜は散ってしまったあと。
どうも、予定より早く咲いてしまったようです。こればかりはどうしようもありません。直前に日程を変更するわけにもいかないし。
ところで、今回は撮影の他、犬連れ日本一周の旅の予行演習もかねていました。
1泊目、龍勢会館で、車中泊の準備をしていると、パトカーがやってきました。いきなりの職務質問。
どうも、「一家心中の疑いあり」ということで声をかけたらしい。犬といっしょに心中か・・・。ペットブームの世の中です。ないことではない、かもしれませんが・・。
2009/04/22
2009/04/20
2009/04/18
2009/04/16
2009/04/07
2009/04/06
2009/04/05
2009/04/04
2009/04/01
2009/03/31
2009/03/30
東秩父村大内沢 「花桃の里」 (5)

ピンク色の花は花桃、黄色い花はサンシュユです。漢字で書くと「山茱萸」になります。
日本には、江戸時代、中国大陸 or 朝鮮半島から薬用として入ってきたそうです。
地元の人が教えてくれましたが、秋には赤い実をつけます。その実は強精薬、止血、解熱作用があるそうです。
2009/03/29
2009/03/27
2009/03/26
2009/03/25
東秩父村大内沢 「花桃の里」 (1)

東秩父村大内沢は、「花桃の里」として知られています。
今、濃いピンクの花桃、淡いピンクの桜、黄色のサンシュユ(山茱萸)が見ごろを迎えています。
昔、大内沢でも、養蚕が営まれていました。ある民家の前には、捨てられたように「カイコ篭」が置いてありました。カイコを飼っていた篭です。
養蚕がだめになった後、小麦やこんにゃくを植えましたが、中国産の安い輸入品に対抗できず、10年前からは、花桃。もともと観光客のために植えたのではなくて、観賞用切花として出荷するためでした。でも、いつのまにか、多くの観光客が花桃を見にやってくるようになりました。
今度、3月 29日 (日曜日)に「花桃祭り」が開かれるとのことです。花桃の販売や地場産野菜や手作り加工品の販売もあります。
2009/03/20
秩父市下久那地区 「ジャランポン祭り」

この前の日曜日、秩父市下久那地区で、「ジャランポン祭り(葬式祭り)」が行われました。
昔、疫病がはやったとき、病人を、あらかじめ「死人」にすることで、これ以上、疫病がはやらないことを願って行われたものが始まりらしい。(他にも諸説あり、詳しいことは分かりません) 災いを笑いとばすという意味もあるようです。少なくとも、100年以上は続いているのではないかとのこと。
39年前に見たことがあるというアマチュアカメラマンによると、当時から、祭りの様子は変わっていないといいます。「奇祭」と言われるこういう行事が100年も続いてきたことに驚きます。(あとで、それなりの努力をしていることを教えてもらいましたが) 葬式祭りというのは、全国でも珍しいのではないでしょうか。(もしかしたら、ここだけ?)
60年くらい前、地元のおばさんが10代の少女だったころ、ジャランポン祭りでは、子どもたちがお芝居したり、歌を歌ったりしたそうです。モチ、オハギ、スシなども作りました。集会場(場所は今と違う)には、おじいさん、おばあさんが、ムシロを敷いて見物しました。楽しかったそうです。「昔は、それくらいしか楽しみがなかったからねぇ」と言います。
酒が入って、だんだん場が盛り上がっていきます。祭りのメインは、死人役の人が、棺おけにみたてた大きな茶箱に入って一升瓶の酒をラッパ飲みし、僧侶役の人は、いいかげんなお経をあげて、みんなを笑わします。
葬式の真似をするのですが、みんな酒を飲みながらやるので、笑いがたえません。昔疫病がはやったときも、この笑いで、深刻さを避けて、なんとか乗り切ったのではないか、と想像します。
葬式というと、日本では、神妙な顔をして、「笑う」というのはある意味不謹慎に取られてしまいますが、アジアの葬式では、そんなことはありません。もちろん親族は泣いています。でも、どちらかというと、にぎやかで明るい雰囲気です。(そのうち、「アジアのおくりびと」というテーマで、書くつもりなので、詳しいことは省略します)
だから、今回の「ジャランポン祭り」を見て、あらためてアジアの葬式を思い出してしまいました。
2009/03/04
2009/03/01
両神山の夕景

「日本百名山」のひとつ、標高1,723mの両神山の夕景。
ウィキペディアの「両神山」によると、
「山名は、イザナギ、イザナミの神を祀っていることから両神と呼ぶという説、日本武尊の東征のおりこの山を八日間見ながら通過していったので八日見山と名づけられた説、「龍神を祭る山」が転じて両神山となったという説など、諸説ある。」
とのこと。
写真は、美の山公園から見た両神山ですが、このギザギザが特徴的で目立ちます。チャート質の硬い岩が、ギザギザの山容を作っているようです。
2009/02/27
2009/02/26
小鹿野町 「出原の天気占い」 (2)

昨日「天気占い」が行われた出原集落は、両神山のふもとにあります。(写真は出原から見た両神山)
300年以上前、村人の先祖が、山を越え谷を渡って、ここにたどり着いたとき、「原っぱ」があったので、ここを「山から原っぱに出た」という意味で、「出原」という地名になったそうです。
最初は原始林が生い茂り、けっして住みやすいところではなかったはずです。それを何年もかけて集落を作り、耕作地を拓きました。
昨日、占いの後もらった「しとぎ」が、昔は、稗や粟で作っていたということを書きましたが、耕作地といっても、肥沃な土地ではなく、山の斜面で焼畑をしていました。
天気が、作物の出来不出来、ということはつまり、生死に大きく関わっていたのです。だから天気が一番の気がかりでした。
その年、占いでもし「日照り」になったら、雨乞いの祭りもやっていたそうです。「台風が来る」と出たら、背の低いそばを作ったり、「秋晴れが続く」と出たら、とうもろこしを植えるなど、作物の種類を変えていました。天気予報も何もない昔は、この「天気占い」はとても大切な行事だったんですね。
ところが、今は、「風雨」よりは、「スギ花粉」の方が、気になるようです。昨日の占いでも、「スギ花粉が良く飛ぶ」と出ました。占いも現代的に変化しました。
2009/02/25
小鹿野町 「出原の天気占い」 (1)

小鹿野町の「出原の天気占い」に行ってきました。
矢で的を射て、その当たり具合によって、今年一年の天候を占うというものです。
TBSとNHKのテレビ局も来ていて、TBSの方は、夕方6時半、森田さんのお天気情報のコーナーで放映されました。俺も、写真を撮ってる姿が映ってました。NHKの方は、午後9時のニュース前に放映されたそうです。
占いによると、「今年前半は雨が多く、台風も1,2個来る。でも、秋は晴れる日が続く。スギ花粉も良く飛ぶので、マスクで身を守るように」 以上が、「神の御告げ」です。
占いの後は、「しとぎ」が振舞われました。「しとぎ」というのは、大豆粉と、米粉を固めたものです。昔は稗とか、粟で作っていたらしい。これを食べると、病気をしないそうです。
村の人は、ちゃんと「お持ち帰り」用の袋まで用意してくれていました。来た人みんな、袋に詰めてもらいます。俺もありがたく、いただきました。
2009/02/22
2009/02/20
2009/02/19
2009/02/15
秩父市荒川は、そばの里

秩父市荒川で、小学生の、そば打ち体験学習を取材させてもらいました。
去年生徒たちが、学校の隣に借りた畑で収穫したそば粉を使ったもので、地元の伝承師さんという先生たちから、そば打ちを習いました。
そばを打ったあとは、すぐに隣の厨房でゆでて、できたてをいただきました。生徒たちのは、幅が広く、やわらかかったですが、伝承師さんのそばはコシがあり、山形の田舎そばに慣れている俺でさえ、おいしいと感じるものでした。でも、生徒たちも、初めて自分で打ったそばに満足しているようでした。
終わったあと、生徒たちが伝承師さんたちにお礼の挨拶をしたとき、俺は、どうしても生徒たちに聞いてみたいことがありました。
それは何かというと、家庭内でどのくらいそば打ちをやっているのか?という疑問です。結果は? 40人の生徒のうち、3分の2程度が、「家でやってます」と手を挙げました。そのほとんどは、おばあさんがやるそうです。荒川は、そば打ち頻度がやっぱり高い。
昔は、そば打ちができないと、嫁に行けないとまで言われていたそうです。荒川ではコメが作れなかったので、うどんとそば打ちは必須だったのでしょうが。
でも、さすが「そばの里」ですね。
2009/02/14
2009/02/10
2009/02/07
2009/02/05
2009/02/04
秩父神社 節分「鬼やらい」

昨日は、節分。秩父各地で、節分行事がありました。
夜、秩父神社へ。午後6時半ころ境内で、豆まき用の枡を写真に撮っていると、かがり火がたかれ、裸の男たちがやってきました。
地元の素人力士の人たちで、社殿前で組み手の奉納がありました。代表の挨拶の中で、今、話題になっている相撲界の不祥事について触れ、我々はまじめにやっていますと。もちろん信じます。
午後7時半ころからは、1時間ほど神事が行われました。
そのあと、赤鬼青鬼が現れました。「人の苦しみ、われらの楽しみ」などと叫びながら本殿前で踊ります。確かになぁ。人の不幸は蜜の味とも言うし、本音を叫ぶ鬼は、はたして「悪者」なのかな?
最後豆まきが行われ、おひらき。俺も、「御供物」と書いた袋を拾いました。中には、福豆が入っていました。
2009/01/18
2009/01/15
江戸巡礼古道 (5) 江戸巡礼古道「久那みち」

札所24番の法泉寺の入り口から2分ほど南に歩くと、右に入る小道がありますが、それが、江戸巡礼古道「久那みち」です。
竹林のそばを通り、右手の大きな建物の壁を回りこんで進むと、それが、「酒づくりの森」の建物だったことがわかります。昔の酒づくりの様子がわかる資料館や物産館もありますが、今回は割愛。先に進みます。
「酒づくりの森」から5分ほど歩いた村で、たぶん昔の消防小屋でしょうか、「消防信号」というものが壁に貼り付けられていました。半鐘のたたき方で、意味を表していたのですね。モールス信号のようなものかもしれません。
寛政7年の弁財天の碑があるところからも、武甲山が見えます。パンフレットに登場するポイントです。
五百沢という小さな川を渡り、雑木林の中を進みます。このあたりも、江戸時代の雰囲気を感じさせるところです。
10分ほど歩くと、開けた場所に出ます。近くを県道が走っています。その一本西側の旧道が巡礼古道です。
道しるべがふたつあり、その先が、札所25番の久昌寺です。
2009/01/14
江戸巡礼古道 (4) 江戸巡礼古道「長尾根みち」で、札所24番【法泉寺】へ

音楽寺からは、梅園の駐車場を通り、小さなダムまで降りて、小道を進みます。古道は、林の中を通ったり、開けたところを通ったりしながらの変化にとんだルートです。
ところどころで、左手に武甲山が見えます。昔も、巡礼者はずっと武甲山を見ながら歩いたのでしょう。秩父にとって、武甲山は特別な山であったのです。今も、「現代的な山の姿」は、特別ですが。それこそ、武甲山は、おのれの身を削って、現代人の役に立ってくれているという意味で。
水の少ない桜久保沢を渡り、念仏坂を上り、村を過ぎると、石仏群があります。8体ほどの石仏が残っています。そこが、永源寺という寺があった跡でもあるらしい。
県道に出ると、すぐ法泉寺。本堂に至る長い階段の上り口にも、江戸元禄15年の道しるべ石が鎮座しています。
2009/01/12
江戸巡礼古道 (3) 十三地蔵と、札所23番【音楽寺】

薄暗い山道から、車の道に出ますが、そこに江戸元禄時代から明治末期まであったという22番の童子堂跡があり、看板が立っています。
「直坂」を上っていくと、明るい尾根道になります。雑木林の中を歩いていくと、明治時代の巡礼古道「中山みち」との分岐点に至ります。道案内の標識が目立つところに立っているのですぐわかります。
その「中山みち」を左に下りていけば、現在の、童子堂へ通じています。
まっすぐ進むと、開けたところに出ますが、そこに十三地蔵があります。今の時期、訪ねる人も少なく、正月飾りの形が崩れはじめています。
ネットを検索してみると、桜が入った十三地蔵の写真を載せているブログが多いですね。桜の時期は、にぎやかそうです。
そこから音楽寺まではすぐです。
本堂では、お遍路さんが静かにお経を唱えていました。歌手たちがヒット祈願したものか、たくさんのポスターや、歌詞が書いた紙などが貼られていました。
ここには、秩父困民党無名戦士の墓があります。(秩父事件については後日書きます)
ベンチで昼食のおにぎりを食べて、しばし休憩。
2009/01/11
江戸巡礼古道 (2) 札所21番【観音寺】から江戸巡礼古道「長尾根みち」に入る

札所21番の観音寺から、順番通りならば、次、22番の童子堂へ行くところですが、江戸元禄から明治末期まで、童子堂は、今のところではなくて、山の中にありました。なので、巡礼道も山道になります。
観音寺から県道72号線を南に5分ほど歩くと、右手に薬師堂がありますが、その手前の分岐点から右折して山へ入っていきます。それが、江戸巡礼古道の「長尾根みち」です。
民家の間を抜けて進んでいくと、ほんとにこの道?という、突然獣道みたいな狭い道になります。でも、「巡礼道」という札が下がっていて、かろうじて、ここでいいんだと分かります。
この感じ、いいですね。必要最低限の迷わない程度の道案内。ちょっと油断すると、迷ってしまうかもしれない、小さいスリル。ここだけではなくて、秩父のどこでも感じる心地よさです。「行きたければ自己責任でどうぞ」という感じの、一見、不親切ととれる道案内が、逆に、整備されつくした他の観光地との違いですが、俺は、こういうところが好きです。
「秩父が雲南省と似ている」と、以前ブログにも書きましたが、祭りの様子が似ているというだけではなくて、この未整備なところが、小さな冒険心を刺激する、そこが似ているためかもしれません。
人から、「ここはこう歩くべきだ」とか「ここはこう見るべきだ」といった、今の有名観光地にありがちな、「過剰な親切心」は、かえって押し付けがましく感じるし、自由を感じません。(俺だけかもしれませんが)
その点、秩父の観光地は、まだ、「放っておいてくれる自由」と、「自分で考える楽しさ」もあります。もしかしたら、そういった観光地のあり方は、秩父人の性格そのものなのかもしれません。
2009/01/09
江戸巡礼古道 (1) 札所20番【岩之上堂】から札所21番【観音寺】

秩父札所20番の岩之上堂から、25番九昌寺まで「江戸巡礼古道」というものがあります。
車の道を外れた山道も残っているので、江戸時代の巡礼道の面影を残しています。トレッキングにはいい道ではないでしょうか。江戸時代は、秩父札所巡りがブームになったそうですが、純粋な観音信仰のほかに、現代のトレッキングやスタンプラリーに通じる、娯楽の意味合いもあったようです。
しかも、札所の番号が、何度か変更されたとのこと。江戸から来る巡礼者の便宜を考えてのことだったらしいのですが、営業努力もあったわけですね。
21番の観音寺(写真上)は、県道72号線にありますが、県道に上がる直前に、ふたつの道しるべ石(写真下)がありました。どちらも江戸時代に設置されたものだそうです。
道しるべ石は、風雨にさらされて、趣があります。「江戸巡礼古道」の途中、ところどころに、こういった道しるべ石、庚申塔、弁財天碑などが点在しています。
2009/01/05
2009/01/01
2008/12/30
秩父往還 (4) 江戸から秩父への峠道「山通り」

江戸から、川越、熊谷を経由して、秩父へ入る秩父往還のひとつとして、現在の寄居から釜伏峠を越える峠道「山通り」も、多くの人たちに使われていました。
今でも、峠を越えて三沢側に下ると、一里塚跡が3ヶ所残っています。峠から500mほど下ったところには、「平草の一里塚」があり、こんもりとした塚の天辺には、「大黒天」が祀られています。(写真・上) 他に、庚申塔と勢至菩薩塔もあります。
下三沢には「小平の一里塚」があります。(写真・下) 昔は、樹齢300年もの榎の古木が立っていたそうです。
庚申塔や道標もあったのですが、昭和43年、悲しいことに、何者かによって持ち去られてしまったとのこと。ただ、県道から中に入った、この一里塚がある長さ400mほどの旧道は、当時の面影が残っています。(写真・中)
広町には、「曽根坂の一里塚」があります。ここは、秩父大宮へ向かう曽根坂峠への登り口で、秩父巡礼一番四万部寺へ行く「志まんぶ道」との分岐点でもあったそうです。
一里塚は、当時の道しるべで、往来する人たちにとって、休憩場所でもありました。旅人が、ここで休んでいたんだろうなぁと、当時の一里塚に思いをはせ、俺も、缶コーヒーで、一休み。
2008/12/29
秩父往還 (3) 宮平からコショウ坂へ

秩父甲州往還道は、おおむね現在の国道140号線沿いですが、国道からはずれた旧道も、ところどころ残っています。
秩父市大滝の宮平から大久保のコショウ坂という峠まで、山の中を通る旧道(直線距離で1500mほど)があるようなので、探してみました。
宮平の老人福祉センターの向かい側にあるバスの発着所から杉林へ向かって上っていくような坂がありました。朝は冷え込んで、霜が下りて、落ち葉が白くなっています。
ここだなと思って上りましたが、杉林に入ったとたん、道はわからなくなってしまいました。もう、使われていないので、なくなってしまったのかなとあきらめました。
でも、あとで、反対側、コショウ坂へ行ったとき、ちょうど地元の人がいて、旧秩父往還道のことを聞いたら、宮平までは、まだ道が残っているといいました。一ヶ所、崩れているところはあるらしいですが。
入り口には、当然ながら、看板など立ってないし、知らないと見過ごしてしまうような山道です。昔は、こんな道を大量の荷物を背負った馬や、旅人や、出稼ぎへ行く人や、巡礼者が、往来していたんでしょうね。この峠には、馬の休息所があったらしい。
今は、車道ができてしまって、地元の人がこの旧道を使うことはなくなりましたが、ときどき、トレッキングの人は通っているそうです。
コショウ坂からは下りになるので、30分ほどで着いてしまうらしい。2km弱だと思うので、そんなものでしょうか。その地元の人に、「宮平から上ろうとして、杉林に入ったら、道を見失いました」といったら、「杉林の中に入らずに、杉林のヘリを進むんです」と教えてくれました。
地元の人さえも、時々道を見失うことがあるそうです。それは、シカやイノシシが獣道を作ってしまうから。道を知ってるはずなのに、見失うくらい「立派な道」を作ってしまうという話にびっくり。
この日は、もう夕暮れだったので、200mくらいためしに下ってみて、引き返しました。落ち葉が敷き詰められた杉林の中を行く道でした。旧街道の面影が残っています。
日を改めて、この旧道を歩いてみることにします。
2008/12/27
秩父往還 (2) 右ハ信州道 左ハ川又ヲ経テ甲州

栃本の集落を、関所跡から西に200mほど進んでいくと、右手に木造の建物が見えてきます。この広瀬商店の先に、狭い上り階段がありますが、ここが、信州への分岐点。
大正時代に立てられた道標も残っています。(写真右下)
「右ハ信州道 左ハ川又ヲ経テ甲州」
右は、信州へ向かう信州往還道。そして左は、次の集落、川又や、雁坂峠を経由して、甲州へ続く秩父甲州往還道です。
この幅1mくらいの信州往還道を登っていくと、すぐ茶畑の中を通りますが、下の方に、栃本の集落が見えてきます。道は石垣で補強されています。ここは江戸時代の道の姿が残っている所らしい。まるで、ネパールをトレッキングしているような気分になりました。
200mくらい上ると、また栃本広場へ通じる車道へでました。地図で確かめると、この車道をずっと西へ進んでいくと、やがて1kmほど先で、車道は地図から消えています。そして、長野県との国境、十文字峠へ至る徒歩道が続いています。
この峠道は、昔は、交易、信仰の道として、多くの人々の往来があったといいます。今は、登山客が通るだけになってしまいました。
2008/12/26
秩父往還 (1) 「桃源郷」の栃本宿

秩父往還とは、秩父大宮(秩父市)から荒川渓谷沿いに、雁坂峠を越えて甲州へ向かう昔の街道です。中山道と甲州街道との間道でもありました。
その秩父往還・栃本には、関所跡(国史跡)があります。
関所跡もさることながら、栃本集落のロケーションがすばらしいですね。斜面には民家が寄り添うように建ち並び、この季節には珍しく、青々とした麦畑も広がっています。何軒か民宿もあります。
中国雲南省、世界遺産の麗江の北部、金沙江(長江の上流部)に虎跳峡という渓谷があり、その途中に、トレッキング客が宿泊する核桃園という村がありますが、そこと似ています。
生活するには厳しくて、「桃源郷」などと言ったら地元の人にしかられるかもしれませんが、でも、そう言ってしまいたくなる山村です。(「桃源郷」は、外部の人間から見た理想郷という意味なので許してください)
2008/12/08
2008/12/06
城峯山の展望台から (1) 笠山と朝日

秩父夜祭をあとにして、吉田の道の駅、龍勢会館へ向かいました。2週間ほど前、1度登っていますが、翌朝、また城峯山の展望台に登るつもりで、龍勢会館で車中泊。
朝5時に出て、展望台に立ったのが、日の出前の6時15分ころ。
6時40分、シルエットになった笠山の隣から朝日が昇りました。前回は、あまりにも空気が澄んでいて雲もなく、太陽は顔を出したとたん、強烈な光を放ったのですが、今回は、うっすらと靄もかかっていたので、朝日を直視することができました。
南には、武川岳、武甲山、大持山、南西には、雁坂嶺、破風山、木賊山、三宝山、両神山など、西の一番奥の方、御座山の後ろには雪をかぶった八ヶ岳。
累々と連なる山。あらためて秩父は山に囲まれているのが手に取るようにわかりました。まだ紅葉も残っていてスゴイ風景です。
2008/12/05
秩父夜祭 (2) 笠鉾と屋台の行列

日もとっぷりと暮れ、暗くなると、ますます夜祭りの熱気を感じてきます。
午後7時ころ、秩父神社から1kmはなれた御旅所に向けて、6台の笠鉾と屋台の行列が出発します。
昼の屋台・笠鉾も色彩鮮やかで、「非日常」を演出するに十分ですが、夜、ちょうちんの明りで飾られた屋台・笠鉾は、黄泉の世界に迷い込んだような雰囲気があります。祭りの本来の姿は、やっぱり「夜」なのかもしれません。
沿道には、たくさんの見物人。交差点にさしかかり、屋台を90度に回転させるのは、見せ場のひとつです。男たちは長い棒で、てこの原理を使って屋台の片側を持ち上げ、回転させます。屋台がギシギシときしむ音が響きます。
無事に回転が済むと、「すごい! すごい!」と拍手が沸き起こり、大興奮でした。
花火も打ち上げられて、秩父市全体が、幻想的な光の世界になるのでした。
2008/12/04
秩父夜祭 (1) 「屋台曳き踊り」と「屋台芝居(歌舞伎)」

秩父夜祭にいってきました。
2日(宵宮)、3日(大祭)と続きましたが、今回は、大祭だけ。
3日の11時半ころ秩父市内に着き、交通規制を迂回して、町の西側に位置する花の木小グラウンドの臨時駐車場にスペースを見つけたので車を停めました。
市内のメインストリートへ行くと、ある屋台の会所前で、無料の甘酒が振舞われていたので、ごちそうになりました。まだ、このあたりは閑散としています。
東京電力前まで行くと、人だかり。屋台曳き踊りをやっていました。豪華絢爛な屋台が、会所前や辻に止まり、長唄にあわせて踊ります。
見物人が多くて、時々人の流れが止まります。先を読んで(予想して)移動しないと、身動きが取れなくなりそうです。特に夜の部は。
秩父神社境内では、昼12:30から、屋台芝居(歌舞伎)が行われました。『白浪五人男』では、子どもたちの熱演に拍手喝さい。たくさんのおひねりが舞いました。
天気がよくて、寒いことを予想して冬装備をしてきたのが、まったくの無駄。写真を撮るために、あっちへ移動、こっちへ歩いていると暑いくらいでした。
4時ころ、いったん車に戻り、夜の部を待ちます。
(つづく)
2008/11/27
秩父市荒川 「神明社神楽」

秩父市荒川白久の神明社で行われた神楽を観てきました。
神明社は、この前「原の天狗まつり」が行われた場所から、1kmほど西にいったところにあります。神楽殿は、幅7m、奥行き3.5mほど。
境内に立っていた看板によると、「神明社神楽は安政年間(1854年~1859年)上州新町の水車大工徳丸が白久の人達に伝授したものといわれる。徳丸流神楽は、従来の伊勢神楽に加え、歌舞伎の所作を多く取り入れて一つの形として出来上がったものである」 神楽は、3月15日、7月28日、11月23日に演じられます。
午後演じられた『蛇打座』では、鬚面の男(写真)が登場しますが、この男が手を前に出して小刻みに動かしながら歩く姿が、インドネシア・バリ島で観たガムランの『バリス』の踊りとそっくりでした。『バリス』 は男の舞踏で戦士の姿をしています。
『蛇打座』のこの男も、たぶん(詳しいことは聞いていないのですが)、蛇を退治する戦士のようです。どこかで共通するものがあるのかもしれません。
今まで秩父の神楽を観て、インドネシア・ガムランの舞踏と似ていると思ったことはなかったので、先日は、新鮮な驚きでした。
最後には、ヒョットコたちが、モチやリンゴを紐にくくりつけ、子どもたちを釣ろうとします。子どもたちは歓声を上げながら、モチやリンゴを取ろうとします。
子どもたちがモチやお菓子を取ろうとする姿は、先月観た東秩父村の「神代里神楽」でも共通するものでした。
ところで、神楽殿のまん前には、野菜売り場が設けられていました。名札と値段が付いています。名前はこの神社の氏子さんたち。
「野菜が売れたお金は、神社のものになるから「奉納」されたものといってもいいでしょうね」と、係りの人は言っていました。
白菜3個200円、柚子5個200円、馬鈴薯8個150円などです。昔は、野菜の出来を競っていたそうです。いい出来のものは、表彰されたようです。俺は馬鈴薯を買ってみました。
神楽を観に来たおばあさんによると、前は、棚が2段になるほど、野菜が多かったとのこと。子どもの数も、野菜の数も、年々少なくなっているのかもしれません。
2008/11/24
2008/11/18
2008/11/17
秩父市荒川 「白久のテンゴウ(天狗)祭り」 (2)

昨日の続きです。
午後6時ころ、子どもたちが、「天狗小屋」に戻ってきました。太鼓をたたいて、「菓子をくれるぞ~!」と、声を枯らさんばかりに何度も何度も大声で叫びます。
そして、ふもとからは、懐中電灯を手にした見物人たちが集ってきます。暗闇の中、蛍のように、いくつもの明りがゆらゆら動いているのを見て、雲南省の剣川県で行われた山寺の「歌会」の祭りを思い出しました。
見物人の子どもたちには、お菓子が配られます。
しばらくすると、消防団の人たちも上ってきました。
「もう火をつけるぞー」と叫んだあと、いよいよ「天狗小屋」が燃やされます。
小屋の内側に火が付けられると、最初、白い煙が小屋全体の隙間からもうもうと立ち昇りました。瞬く間に火が全体に回り、真っ赤な炎が子供や見物人の姿を照らし出します。竹も使っているので、パチパチとはじけて、威勢良く燃えます。高く上った炎は、周りの木の葉まで焼いてしまいました。想像以上に大きな火です。
熱で暑いくらいです。俺も、汗だくで写真を撮りました。
それにしても不思議な空間です。当然街灯もない真っ暗な山の中で、炎を中心に人が立って、なにかを待っているようです。たしかに、お天狗様が現れても不思議ではないような、宗教的空間になっているなぁと感じました。
ところで、午後白久に着いて、村の人に祭りの場所を聞いたら、丁寧に教えてくれ、「車では行けないから、ここに停めていいよ」と言ってもらったのでした。
今年から、秩父を周るようになりましたが、どこへいっても、こんなふうに、すぐ声をかけられるし、ものを聞いても親切に教えてくれます。秩父の魅力は、こんなところにもあるのかな。
2008/11/16
秩父市荒川 「白久のテンゴウ(天狗)祭り」 (1)

秩父市荒川の「白久のテンゴウ祭り」に行ってきました。「テンゴウ」とは、「天狗」のことです。
テンゴウ祭りは、昔から秩父各地で行われていた、お天狗様(山の神)、塞の神をまつる子供中心の行事でしたが、今は、ここでしか継承されていないそうです。11月の第3土曜に行われています。
今から30年ほど前は、15人以上の子供が参加して、見物人も多かったといいます。今年、参加した子供は5人でした。これからますます少なくなると地元の人は言っていました。
三角錐のやぐらを立て、木、竹、桧、藁を使って周りを囲み、5畳ほどの広さの「天狗小屋」(写真上)を作ります。天辺には、「天狗の枕」と呼ばれる俵状のもの(写真中)を下げ、祭神を迎えます。
午後、子供たちは、藁を敷いた部屋の中で、お菓子を食べたり、話をしをしながらすごします(写真下)。
「秘密基地」のようです。昔、俺たちが子供のころ、夏休みになると、ダンボールで作った「秘密基地」に寝泊りしたことがありました。大人は入れない、子供たちだけの「秘密基地」。楽しい思い出です。それと雰囲気が似ています。
昔は、近隣の村と「天狗小屋」の出来を張り合っていたそうで、祭りの日の前日に、他の村へ「焼き討ちしにいった」という荒っぽい話も聞きました。今では、ありえない話です。
「安全第一」「危険回避」の風潮の中で、それだけハチャメチャなことはやれなくなってしまいました。もしかしたら、良かれと思って子供たちを危険から守っていることが、実は、子供の内面に滓を溜め込んでしまい、変な場面でそれが突然爆発してしまっているのでは?などとも思います。最近の日本全体の子供の話です。余談ですが・・・。
午後4時ころ、いったん子供たちは全員「天狗小屋」を出て、村へ帰ります。そして暗くなった6時ころ、再びこの場所に戻ってきました。
(つづく)
2008/11/09
2008/11/08
2008/11/07
2008/11/06
東秩父村。萩平の笠鉾

11月3日は、東秩父村萩平の獅子舞の日。
午前中は、萩平八幡山神社まで、笠鉾が曳行されます。
笠鉾を引っぱる子供たちの声、笛や太鼓のお囃子が山の間に響きます。カーブを曲がるときは、木製の車輪がきしむ音がします。
総勢40人ほどのこじんまりしたお祭りですが、なかなか情緒がありました。ますます雲南省のお祭りと似ているなぁと思ったものです。
神社に近づくと、境内の方から、会場を準備していたらしい奥さんたちが迎えにきました。
最後の急坂の手前で、笠鉾は休憩です。男たちはコンニャク、白菜の漬物、鶏のから揚げなどをつまみに酒を飲んでいます。楽しそうです。
午後からが獅子舞ですが、昨日載せた「神代里神楽」も見たかったので、割愛しました。ちなみに獅子舞は、村指定無形民俗文化財に指定されています。
「萩平の常光寺に年代不明であるが、地区に悪病が流行した。当時の住職が悪病を退散させるために獅子舞を奉納したと伝えられていたが、その後200年前に山神社を創建したので、神社として獅子舞を奉納したのがはじめてである。」
と、あります
2008/11/05
東秩父村。「神代里神楽」

東秩父村の坂本集落にある八幡神社で、11月3日行われた「神代里神楽」。
神楽を舞うための、4m四方の屋根つき舞台があって、天井には、ウマ、タヌキ、ツル、ヒツジ、サル、コイ、フクロウなどの動物の絵が描いてありました。
おどけた感じで、ひょっとこが観客に向かって、ときどき何かを投げました。子どもたちが「お餅ちょうだい!」「お菓子ちょうだい!」と手を出します。あとで、拾ったものを女の子に見せてもらったら、紅白の三角餅や、鼈甲飴でした。
餅の写真を撮らせてもらったら、女の子のお母さんが「これどうぞ」といって、その紅白餅を俺にくれました。「大人も拾っていいんですか?」と聞くと「縁起物なので、誰が拾ってもいいんですよ」という答え。
笛や太鼓の音が山里にやさしく鳴り渡ります。この雰囲気、たまらなくいいですね。
昔からこの神楽を見ている地元のおじいさんの話。
「昔は子供もたくさんいて賑やかだったんだがねぇ。今日はどれだけ子供が出てくるか・・・」
神楽そのものも良かったですが、やっぱり、この子どもたちの「お餅ちょうだい!」という声が賑やかに響くことが、おじいさんに「祭りだなぁ」と実感させるんでしょうね。
村人がのんびり神楽を楽しんでいる様子は、時間帯は違いますが、インドネシアの影絵「ワヤン」を見ているような感じでした。
2008/11/04
出雲伊波比神社の流鏑馬


昨日、11月3日は、埼玉県毛呂山町、出雲伊波比(いずもいわい)神社の流鏑馬(やぶさめ)の日でした。
本当は、別な祭りに行くつもりで毛呂山を通過中、たまたま馬3頭の、出雲伊波比神社への移動に出くわしてしまい、ちょっとだけ見るかと、会場に寄ってみたのでした。
すごい人出でした。いい写真を撮るためには、かなり早くから場所取りをしないといけないようです。
と、いっても、みんなと同じような写真にならないというメリットもあるわけですが。
そういう言い訳をして、今日の写真を載せます。
30分だけですが、午前9時から始まった「朝的(あさまとう)行事。1回だけ的を射ました。メインは、午後に行われる「夕的行事」らしい。
乗り子が町内の小中学生がつとめますが、それがここの特徴です。まだあどけない少年たちが、馬にまたがり弓を持つと、とたんに凛々しさを増しました。的を射たあと、たぶん友人なのでしょうか、名前を呼ばれて「良かったよ」などと声をかけられると、また普通の少年の顔に戻りました。
いつか、もっとしっかりとこの流鏑馬を見物したいと思います。
2008/11/03
東秩父村。浄蓮寺の「お会式」

昨日、11月2日に行われた東秩父村の浄蓮寺の「お会式(おえしき)」。「お会式」とは、日蓮上人の命日の供養のこと。
別名「万灯まつり」とも。表参道には屋台が立って、境内では、植木の競り市が行われていました。
竹ひごを傘の骨のように垂らして花を飾り、真ん中には、紙を張った四角い箱を内側からロウソクなどで灯すことができるものが、「万灯(まんどう)」です。
暗くなりかけたころ、万灯に明りが灯されました。日中見るよりも、華やかな感じがします。夜桜見物しているようでした。
写真を撮っていると、ある女性が声をかけてきました。彼女は旦那さんとふたりで、目の前の万灯を作った人でした。他の万灯は隣組など、複数の人たちが協力して作りますが、彼女の万灯は、ご主人と二人だけで作ったもの。それだけ大変だということでしょう。
毎年、お会式が近づくと、竹を割り、花を飾って準備をします。作った万灯は車で運んできます。分解できるので、大きな骨組みは、来年も使えるそうです。花火が終わったら、すぐに持ち帰るそうです。
2008/11/02
東秩父村の「朝日根の獅子舞」

東秩父村皆谷の八幡神社で舞われる「朝日根の獅子舞」です。村指定無形民俗文化財になっています。
「朝日根のあばれ獅子」といわれるほどで、たしかに荒々しい舞でした。とくに、「白刃」。1mほどの真剣を口にくわえての舞は、迫力がありました。今まで見た獅子舞の真剣の中では、一番長かった。
また獅子舞は、「鎌形流ささら」といわれるものです。
「花笠」が演奏する竹の楽器が、「ささら」ですが、もともと「ささら」とは、「秋の稲穂が擦れあう擬音のこと」だそうです。(Wiki 参照)
「ささら」をすり合わせるリズムと笛の音にあわせて踊る獅子舞のことを「ささら獅子舞」と呼ぶようです。だんだん埼玉県の獅子舞のことがわかってきました。
獅子舞の内容は、だいたい、雄獅子が力比べをして、雌獅子を奪うという、言うならば、「獅子たちの三角関係」がテーマ。
演目「花割り」の舞子は、20代の青年たちです。昔は長男だけでした。でも、今の時代、そういうわけにもいかないので、長男ではない男の子、女の子も参加します。小学校3、4年生ころから舞やささらの練習を始めます。1週間に2度ほど。獅子舞は、かなり体力を使うものなので、話を聞いたお父さんは引退して、息子さんが舞うようになったといいます。
昔は、旧暦9月15日でしたが、それが新暦の10月15日になり、さらに、30年ほど前に11月3日に変わり、今年は、いろんな事情から11月2日。
昔はにぎやかだったといいます。神社の前には、出店も立ったらしい。それと、「祭りの時期は、かなり寒かった。こんな薄着じゃいられなかった」といいます。昔は冬、雪も積もったことがあったらしい。今はほとんどないそうです。温暖化のせいでしょうか。今日も、ぽかぽかと暖かでした。
何人かのおばあさんたちが、車椅子に乗せられて、見物に連れてきてもらっていました。おそらく、昔からずっと、毎年獅子舞を楽しみにしているのでしょうね。
ところで、境内では、村の婦人会(?)の女性たちが、サトイモ汁や甘酒を無料で配っていました。サトイモ汁はあったかくて、イモもやわらかくておいしかった。ごちそうさまです。
こうやって、村々の小さな祭りを訪ね歩くのが、中国雲南省で少数民族の村々を周っていたときと、同じ感じがしてきました。
2008/11/01
2008/10/31
2008/10/29
横瀬祭り (2) 横瀬の人形芝居

横瀬祭りで上演された「横瀬の人形芝居」は、安政年間(1854~1860)に始まったもので、人形を一人で操る「一人遣い」と、回り舞台を持つというのが特徴だそうです。「横瀬ふくさ人形」とも呼ばれています。
今回は、『八百屋お七忍の場 江戸紫恋緋鹿子』という演目でした。
八百屋九兵衛の娘お七が、学山という坊主に言い寄られるシーン(写真・中)には、笑ってしまいました。学山が抱きつくのを振りほどいて逃れるところや、学山のいやらしいしつこさが、人形とは思えないほど、リアリティーを感じさせたからです。いや、人形だからこそ、その「感じ」が、よく伝わるのかもしれませんが。
人形遣いも良かったですが、1時間ほどひとりで勤めた語りのすばらしさには感心しました。
2008/10/28
横瀬祭り (1) 芦ヶ久保の獅子舞

10月26日(日)に、横瀬祭りが開催されました。
会場では、神輿や獅子舞など伝統芸能の他、子供向けアトラクションの「ゴーオンジャーショー」、芸能ショーなどでにぎやかでした。ふるさとの味コーナーでは、手打ちうどんや餅や「たらし焼き」(↑写真一番下)が食べられます。
その「たらし焼き」を1枚100円で買ってみました。「たらし焼き」というのは、秩父の昔ながらのスナックだそうで、小麦粉のクレープの中に、ねぎやオオバやゴマが入っています。味は、ソースとマヨネーズがありました。ほんとに素朴な食べ物です。昔からお祭りの屋台では食べられていたのでしょう。
出店で、町の人が打つうどんを食べたあと、会場で披露された「芦ヶ久保の獅子舞」を見ました。
県指定無形民俗文化財に指定されています。会場でもらったチラシによると、
「一般にササラといわれる獅子舞は、古く江戸の頃宝暦2年(1752)・・・(略)・・・僧、生阿蓮心比丘が、かつて習い覚えた獅子舞を土地の人に伝授したのが始まりといわれ・・・(略)・・・例年、8月16日の白鬚神社の例大祭に奉納され、現在、曲目は8庭が伝承されている」
とのことです。
最近、獅子舞をよく見ていますが、「入曽の獅子舞」もそうでしたが、「花笠」と呼ばれる華やかな女性(中に入っているのは男性の場合も)がいるのが特徴ですね。今まで見たことありませんでした。これは、秩父や奥武蔵の特徴なのか、埼玉の特徴なのか、日本全国の獅子舞を見たわけではないのでわかりませんが、おもしろいなぁと思っています。
彼女(?)たちが持っているのが、「ささら」という楽器らしい。
2008/10/27
浦山の獅子舞(3) 悪魔祓い

2日目に行われた浦山の獅子舞は、夕方クライマックスを迎えます。
大日如来堂で最後に3頭の獅子舞が終わると、悪魔祓いの行列が集落をめざします。
希望する家におもむいて、その家の不幸災いをお祓いします。今年は4軒。3人の若者が悪魔に扮しました。
悪魔は、家の中に上がりこんで、「悪魔祓い~~」と大声を上げながら、竹の棒で畳をたたきます。家族は、部屋の真ん中に固まってじっと座り、悪魔が去っていくのを待ちます。
秋田の「なまはげ」のようでした。
最後、集落のはずれで、350年以上前の、浦山の獅子舞の由来が書いてある巻物の入った箱を中心に、3頭の獅子が舞い納め。
獅子や悪魔が身につけているワラジ、飾り物には悪霊が取り憑いているそうです。なので、ワラジの縄も真剣で切って、悪霊を祓ったあと、みんな村に帰っていきました。
2008/10/26
浦山の獅子舞(2) 大日如来堂

正午前、もう一方の会場である大日如来堂で踊っていた獅子が、昌安寺からの獅子を迎え、全部で6頭になった獅子、花笠、笛太鼓の行列が、紅葉が始まりかけた峡谷の道を、大日如来堂へ向かいます。
笛と太鼓の音が峡谷に響き、なんともいえない「山の祭り」の情緒を感じます。
薄暗い木立の中にある大日堂の境内で披露される獅子舞は、口に刀をくわえた勇壮なもので、獅子の間を通ろうとした参拝者のおばさんが、関係者から「ダメ!」と激しく怒られていました。刀は真剣なので、ケガをするからです。
この「危なさ」は良いですね。緊張感があります。わくわくします。
参拝者は「願旗」という幟旗を手に持ち、獅子といっしょにお堂を回りながら、家内安全、交通安全などを祈願します。
お堂では、「御夢想」と書いた白い袋を売っていました。中には、稗玉が3個入っていました。縁起物です。昔は浦山でも稗を作っていたので、よく食べていたそうです。
中国青海省玉樹へいったとき診てもらったチベット医が処方してくれた丸薬そっくりでした。ご利益ありそうです。
2008/10/25
浦山の獅子舞(1) 昌安寺


浦山の獅子舞(県指定無形民俗文化財)は、10月第4土・日曜日、今年は、25日と26日の二日にわたって行われます。
秩父市から、浦山ダムを過ぎて、細い山道を進むと、浦山に到着。
川原に臨時駐車場が作られていました。駐車場の上が、昌安寺。
午前9時をまわっていましたが、ちょうど獅子舞が始まったところでした。
真剣をくわえた3頭の獅子が激しく勇壮に舞います。
途中、休憩を挟んで、別の舞が披露されました。
獅子舞の奉納が終わると、太鼓、笛、花笠、獅子が、行列を作って、大日如来堂の方へ向かいます。まだ観光客も多くなく、気持ちの良い空気の中、行列に着いていくのは楽しいですね。「山の祭り」という感じがします。
2008/10/20
埼玉県狭山市 「入曽の獅子舞」


埼玉県指定、無形民俗文化財である、「入曽の獅子舞」というものがあります。
実は、昨日、川越祭りの帰り、入間野神社を通りかかり、偶然見たのですが、瞬間、その土俗的な雰囲気に魅了されました。観光客がたくさんやってくる川越祭りを見た後だったので、なおさら、小さな神社で奉納されている獅子舞に宗教性を感じたのかもしれません。
とくに、4人の「花笠」は、ちょっと変わっています。顔を筒状の布ですっぽり覆った女の子(?)の頭上には、大きな花笠が載っていますが、この花笠が大きいので、そのままでは倒れてしまうようで、それを支える介添え人がいます。この姿に、なぜか宗教性を感じました。
狭山市公式ホームページによると、「この獅子舞の歴史は古く、・・・(略)・・・その起源は少なくとも江戸時代中期までさかのぼることができます。・・・(略)・・・かつては豊作や悪疫(あくえき)退散を願って村内を舞って歩き、日照りつづきには雨乞(あまご)い祈願で舞ったこともあるといわれています。」とあります。
由緒ある獅子舞だったんですね。
2008/10/19
小江戸の「川越祭り」


慶安元年(1648年)から続く川越祭り。
平成17年2月「川越氷川祭の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。
今年は、昨日(18日)と今日の、2日間にわたって行われました。
お囃子と踊る人を乗せた山車が、市内を練り歩きます。
川越は江戸との交易で商業が発達した街で、今でも江戸の風情を残す古い街並みが残っていて、「小江戸」と呼ばれています。
来年は、NHK連続テレビ小説『つばさ』の舞台になるそうで、ますます観光客は増えそうです。でも、昔から川越を知っている人によると、「最近は、きれいになりすぎ」という話も聞きます。
「きれいに」と思ってやりすぎると、微妙なモノを失って、結局陳腐な映画セットふう街並みに成り下がってしまうという悲劇は、雲南省北西部、世界遺産の麗江の旧市街でも目の当たりにしました。
川越がそうならないことを祈りつつ・・・。
2008/10/14
埼玉県秩父市吉田町 椋神社の龍勢祭り (3) 「龍勢」の見方

龍勢祭りに行ったのは、今回が初めてだったので、発射台の手前に、高いフェンスがあっても、「こういうものなんだろうな。でも、見づらいなぁ」と、最初は思っただけでした。
でも、発射台まで近づけるとはさすがに期待しませんでしたが、立ち入り禁止にしても、数メートルもの高さのフェンスが必要なのだろうか?と不思議になりました。このフェンスが邪魔をして、写真を撮るのが大変なのです。(撮る位置が制限されてしまう)
フェンスに関して、今日、他のブログを見てわかりました。去年事故があったらしいですね。竹ロケットが客席に飛んできて、ケガ人を出してしまったそうなのです。なので、この高さのフェンスが必要だったようです。警官が多かったのも、事故を警戒してかな?
もちろん、祭りを続けるために、事故がないことは、今の時代必須条件かもしれません。勝手に祭り見物に来てケガしても、やっぱり祭りの主催者側に責任が及んでしまうんでしょうね。「危ない」ということで中止に追い込まれてしまうこともあるのではないでしょうか。
でも、なんだか違和感を覚えます。まず、祭りは、「何が起こるかわからない」という前提があります。「何」というのは、ケガや、最悪死んでしまうかもしれないことです。だからこそ、「祭り」本来の意味があるのだと思うのですが。
祭りは、日常生活で、魂のエネルギーが衰えたのを復活させるのが目的です。そのためには、多少危険を伴うのはしかたないのです。とくに、こういう祭りは。と、言うより、危険は龍勢祭りの一部でもあるでしょう。ケガするかもしれない状況に身を置くことで、気持ちがワクワクします。だから魂が元気になるのです。
絶対安全が保障される中で「龍勢」をやっても、それはテレビ画面で観ているのと同じ、「娯楽」ではあっても、「祭り」とは言えません。(もっともフェンスが事故を防げるかはわかりませんが。実験なんてやってないでしょ?)
自己責任で、発射台の近くまでいけたら、もっと面白いのに。その点、雲南省の「高昇」では、どこで見てもOKでした。「ケガしてもいい」というリスクを受け入れて発射台の近くで見ることもOKだし、あるいは、娯楽に徹して、離れて見物するのもOK。観客の自由でした。
「龍勢」は、「こう見るべき」「こう見なさい」「こっちから見てはいけない」と、見方を決め付けられる不自由さを感じます。そうは言っても、このたくさんの見物人が、俺のように、みな好き勝手にやり始めたら収拾つかないし、今の時代に祭りの形を合わせていくことも分かります。無くなってしまっては、元も子もないので、しかたないのでしょうねぇ。
以上、俺の個人的な要望というか、愚痴に過ぎませんので、関係者の方々、気にしないでください。祭り自体は面白かったです。
埼玉県秩父市吉田町 椋神社の龍勢祭り (2) 秩父の「龍勢」と、雲南省の「高昇」

昨日、秩父市吉田町の「龍勢」について書いた中で、雲南省でも見たといいましたが、この写真がそうです。
西双版納タイ族自治州の、タイ族村で行われたものです。乾季である1月から4月まで、各村で、頻繁に行われていました。中国語では、この竹製ロケットのことを「高昇」といいます。(タイ族語で何と言うか忘れました)
秩父の「龍勢」の由来はよくわかりませんが、このロケット飛ばしの慣習があるのは、中国のタイ族、タイ国、ラオスなどなので、たぶん、タイ系文化と関係あるのかもしれません。水を司る龍の姿にも似せているので、もともとは雨乞いや五穀豊穣を祈願する農耕の神事と考えられます。
この「龍勢」のおかげで、旧吉田町(秩父市)は、タイのヤソトン県ヤソトンと姉妹都市関係にあるそうです。
ヤソトンから来た人なのか、会場を、民族衣装のタイ人が歩きながら、みんなにキーホールダーをプレゼントしていました。俺ももらいました。「コップンカー」とお礼を言いましたが、きょとんとしていました。残念ながら俺のタイ語は通じなかったようです。
2008/10/13
埼玉県秩父市吉田町 椋神社の龍勢祭り (1) 竹製ロケット飛ばし大会

埼玉県指定無形民俗文化財になっている、秩父吉田町の「龍勢祭り」が、昨日(10月12日)行われました。
「龍勢」は、黒色火薬を詰めた松の木の筒に、10m以上もある竹の尻尾が付いたロケットです。これをお囃子を奏でる中、口上を述べた後、点火して飛ばします。空中高く上ったロケットからは落下傘・花火・色の付いた煙が出てきます。
竹製ロケット飛ばし大会は、雲南省西双版納タイ族自治州のタイ族村、タイ国のノンカイでも見たことがあります。ペーロン競漕などと同じく、大陸から伝わったものでしょうか。雲南のタイ族の場合、どれだけ遠くに飛ばすかを競うものでした。
今回の椋神社の龍勢は、高さと、どれだけきれいに落下傘や煙を出すかということを競っていたようです。中には飛ばずに爆発してしまうロケットもあって、これは失敗です。「すみませんでした。来年がんばります」というアナウンスがあったりしました。
神社では神楽が奉奏されて、なかなか楽しい祭りでした。
2008/08/03
埼玉県寄居玉淀水天宮祭花火大会


昨日(8月2日)の夜、寄居玉淀水天宮祭花火大会を見に行きました。
船山車が浮かぶ川原での花火は、幻想的でした。
カンボジア・プノンペンの「水祭り」や、町中の電気を消してちょうちんを飾るベトナム・ホイアンの「満月祭り」を思い出します。
「関東一の水祭り」とのことですが、寄居町観光協会のHPによると、もともとは、水神様と水天宮様のお祭りで、花火大会は、昭和6年に始まったようです。
プノンペンの水祭りは、乾季の始まりの11月に行われます。ちょうどそのころは、メコン川の水も少なくなって、支流のトンレサップ川で魚を獲るシーズンでもあります。乾季になって水が順調に少なくなってくれることが、大漁にもつながります。
東南アジア一帯では、「ナーガ」と呼ばれる「蛇神」を祭ります。プノンペンの水祭りでは、このナーガをかたどった船で競漕をやります。そして夜には、船山車が行きかい、花火が打ち上げられます。なので、寄居の水祭りと似ているなぁと感じたのでした。どちらも、水をつかさどる神様を祭るものです。
いい祭りでした。
2007/04/01
2006/10/15
秋晴れの川越祭り

川越祭りへいってきました。久しぶりの外出です。
1648年(江戸時代)から続く伝統的な祭りだそうです。お囃子と踊る人を乗せた山車がにぎやかに街中を練り歩きます。川越は江戸との交易で商業が発達した街で、今でも江戸の風情を残す古い街並みが残っています。なので、「小江戸」と呼ばれています。
今日は、秋晴れということもあって、すごい人出でしたね。(110万人。過去最高だったそうです) 食べ物の露店が並ぶ通りは身動き取れないところもありました。中国雲南や貴州の祭りを思い出しました。昔は、よくこういう人ごみにはまりながら写真を撮っていたものです。
韓国の「トッポキ」というコチュジャンで甘辛く煮た餅も売っていました。これは2年前韓国へ行ったときよく食べたスナックです。ソウルの街角でも売られていて、OLたちが昼食代わりに食べていました。今日の「トッポキ」には、ウズラの玉子と魚から作ったさつま揚げみたいなものも入っていて、一皿400円。
つたない日本語を話す韓国人(たぶん)のおばさんが売っていました。おばさんは味見をするのですが、直接指を入れてソースの味を何度か確かめました。指のソースを舐めて「ん?」といって砂糖か何かを追加したあと、また同じ指を突っ込んで味見をしました。俺はあまり気にしませんが、気にする日本人は多いと思います。たぶん、まだ日本に来て日が浅いんですねぇ、きっと。
それとトルコの「ドネルケバブ」が多いのはびっくりです。牛肉を回転させて焼き、その表面をナイフでそぎ落とした肉片を、トルコふうパンに詰めてサンドイッチにして売っています。カセットデッキからは、トルコ音楽がかかっていて、不思議な雰囲気です。1個500円。
そのほか、タイふうラーメン、中国のシャオビン(焼き餅)などもありました。伝統的な「小江戸」の祭りも、だいぶ国際的になってきたようです。
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