カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の596件の記事

2020/04/05

【犬狼物語 其の四百七十一~四百七十二】埼玉県さいたま市 二ツ宮氷川神社の三峯・御嶽神社&島根氷川神社の三峯神社

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287a9269(二ツ宮氷川神社の三峯・御嶽神社)

287a9266(二ツ宮氷川神社の三峯・御嶽神社)

287a9253(二ツ宮氷川神社の狛犬)

287a9285(島根氷川神社の三峯神社)

287a9284(島根氷川神社)

287a9296(島根氷川神社の力石)

 

埼玉県さいたま市西区のふたつの神社を参拝しました。

二ツ宮氷川神社の三峯・御嶽神社と、島根氷川神社の三峯神社です。

二ツ宮氷川神社の方は、満開の桜の下、赤い境内社が並ぶ中に、三峯・御嶽神社が隣り合って祀られていました。

島根氷川神社では、ちょうど拝殿に鎧兜が設置作業中でした。話をうかがうと、毎年この時期になるとこれを展示しているとのことです。数十年前に造られた鎧兜で、手作りです。4体準備されていました。

ついでに、拝殿左側の三峯神社についても聞いてみましたが、すでにこのあたりでは三峯講はなくなっているそうです。

 

 

 

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2020/04/01

【犬狼物語 其の四百六十九~四百七十】東京都江東区 亀戸天神の「おいぬさま」&亀戸香取神社の三峯社

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287a8972(亀戸天神の「おいぬさま」)

287a9234(亀戸香取神社)

287a9231(亀戸香取神社の三峯社)

287a9222(亀戸香取神社の勝ち石)

亀戸天神の御嶽神社の後ろ側に、謎の石像が祀られています。 

噂では、「犬」とも「狼」とも思われているようですが、この像自体の由来ははっきりしていないようです。「おいぬさま」と言われないと、形も崩れていてよくわかりません。どこかの狛犬だったものが、戦災後ここに置かれるようになったのでは?という話もあります。

塩がかけられています。足元にも塩がたまっていました。言い伝えによると、この塩を擦り込むと、祈願が成就するらしい。

御嶽神社があるので、もしかしたら、その「おいぬさま」だった可能性はあるかも?と期待しましたが、残念ながら違うようです。大宰府御嶽山より勧請され、「亀戸妙義社」と呼ばれていました。

亀戸天神から徒歩数分。表参道の趣のある商店街を進んでいくと、亀戸香取神社があり、境内には三峯社も鎮座します。

ここは、競技・試合の勝利を願って多くの参拝者が訪れる「スポーツ振興の神様」として有名だそうです。拝殿手前には、大きな勝ち石があり、これを撫でると、勝負運アップの御利益があると言われています。

 

 

 

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2020/03/26

【犬狼物語 其の四百六十八】東京都練馬区 赤塚氷川神社の三峯社と「御嶽山座王大権現」の碑

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赤塚氷川神社の拝殿の右側には、いくつかの境内社の中に、明治25年に建てられた三峯神社の祠があります。

また、本殿の裏手には、「御嶽山座王大権現」の碑と祠が建つ木曽御嶽塚が残っています。これは、元治元年(1864)に氏子によって奉納されたもので、区登録記念物になっています。

このあたりには国指定重要無形文化財の「板橋の田遊び」が伝わっています。2月11日は徳丸北野神社、2月13日は赤塚諏訪神社で斎行されます。

また、ここ赤塚氷川神社でも2月10日に「田遊び」が斎行されていて、区登録の無形民俗文化財になっています。これらは、古くから伝承されてきた稲作に関わるもので、その年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る予祝神事です。 

昔、このあたりは東京のコメどころでした。

 

 

 

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2020/03/21

【犬狼物語 其の四百六十七】 東京都大田区 山王熊野神社の「狐碑」

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JR大森駅から徒歩20分の高台に鎮座する山王熊野神社を参拝しました。

今回は、狼像探しではないのですが、とはいえ、狼と関係なくもない話です。

というのも、江戸時代にコレラが流行ったとき、くだ狐、アメリカ狐が憑いたことでコレラになるという妄想から、狐をやっつけてくれるのは狼しかないということで、お犬さま(狼信仰・三峯信仰・御嶽信仰)に頼ったという話はすでにしました。

【犬狼物語 其の四百四十】新型コロナウイルスとお犬さま(狼)信仰 

佃島の漁師の体から出た化け狐(オサキ狐)を祀ったのが、尾崎稲荷大明神であること、そして、現在の於咲稲荷大明神が、その神社ではないかということも書きました。

佃島の於咲稲荷大明神は「尾崎大明神」のことか?

でもコレラが流行る前から、元々、狼は狐憑きに効果があるとの信仰がずっとあったということです。(西日本の木野山神社の狼さんもそうでした)

このオサキ狐のことを調べていたら、「東京・湾岸「化け狐」伝説の舞台を巡ってみた!『怪談現場 東海道中』」(https://ddnavi.com/review/407100/a/)という記事を見つけました。そこで大森の「狐碑」の存在を知ったのです。

狐碑の横にあった立て札にはこのようにあります。

この狐人に害をなすこと久し
民みなこれをにくむ
今ここに文久元歳辛酉
御嶽靭矢市正埋めふせぐ
萬世掘ることなかれ

どうも、御嶽の靭矢市正という人物が、文久元年、この化け狐を退治して、ここに埋めたらしい。掘ってはダメだよとあるので、普通の狐ではなかったようです。

靭矢市正(看板:ゆきやいちのかみ、ネット:うつぼやいちまさ)とは、どんな人物か調べたら、天保5年『御嶽山道中記 御嶽菅笠(齋藤義彦作 靭矢市正刊行)』を刊行した御嶽山の神官であった人物のようです。

これで、この狐と狼がつながりました。

『怪談現場 東海道中』の著者は、

「「化け狐」伝説は、幕末期にヨーロッパからやってきた流行り病「コレラ」の恐怖から生じたのではないか、と著者は考察している。確かに細菌やウイルスの類は目には見えない。妖怪の仕業と考えられた、とすれば辻褄があう。」

と書いています。俺もそうかもしれないとも思いますが、コレラと関係なくても、少なくとも狐憑きの化け狐だったのかもしれません。どっちにしろ、狼神社の神官が狐を退治したという話なのではないでしょうか。

 

 

 

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2020/03/20

【犬狼物語 其の四百六十六】東京都品川区 大井三峯神社

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JR大森駅から徒歩20分、閑静な住宅街に鎮座する大井三峯神社。

ゴミの集積所でもあるらしい祠は道の角に建っています。祠の中を覗くと、三峯神社のお札と「御眷属守護」の箱が納められていました。

良く管理されてはいるようですが、お札や箱も古そうで、今も三峯講が存在しているかどうかはわかりません。

なお、神社から駅へ戻る途中、有名な大森貝塚遺跡があったので寄ってみました。縄文時代後期 - 末期の貝塚です。発見者のエドワード・S・モースの像が建っています。

小山になっているのが貝塚跡。モースはこの線路に面した崖を列車から見て発見しました。

今は線路、その先は住宅街になっていますが、縄文時代は海だったんでしょうね。海を見下ろす高台に貝塚は位置していたようです。

 

 

 

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2020/03/19

【犬狼物語 其の四百六十五】東京都港区 御田八幡神社の御嶽神社

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先日開業したばかりのJR高輪ゲートウェイ駅で降りてみました。明るく広々とした駅の構内です。ガラス張りなので、周辺のビル群も良く見えます。まだ周辺は工事中のところもあって、西口の階段はまだ使えません。

東京都港区の御田八幡神社は高輪ゲートウェイ駅から徒歩15分のところに鎮座します。約1300年の歴史を誇る古社です。この「新旧」のコントラストが鮮やかです。これこそが「東京狼」のイメージでもあります。(残念ながら狼像がない)

亀塚公園のある高台から下ると第一京浜(東海道)が走っていますが、ここはかつて海岸沿いだったという。なので神社は海を見下ろす崖の上に建っていたようです。

明治2年には稗田神社といいましたが、明治7年に三田八幡神社と改称しました。さらに明治30年4月、「三田」を「御田」の旧名に戻し、御田八幡神社というようになったそうです。

昭和20年5月には、米軍による東京大空襲で、江戸時代に建てられた社殿を焼失してしまいました。昭和29年に、本殿権現造、幣殿・拝殿・神楽殿・社務所を再建しました。

境内には御嶽神社が鎮座します。赤いりっぱな祠の右側です。左側は五光稲荷神社でした。

また気になったのは、その奥に、扁額も読めない、朽ちかけた鳥居の、いかにも古そうな別な稲荷神社があって、たくさんの狛狐が置いてありました。一番奥の像は尻尾がお尻に回してあって、狼像に見えなくもありません。でも、今は、仮に狼だったとしてもすっかり狐の役割を果たしています。

 

 

 

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2020/03/17

【犬狼物語 其の四百六十四】岡山県高梁市 疫病除けの木野山神社の狼さん

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江戸時代、コレラ除けとして狼信仰(三峯信仰)が流行ったことを以前書きました。

【犬狼物語 其の四百四十】新型コロナウイルスとお犬さま(狼)信仰

その中で、岡山県高梁市の木野山神社についても少し触れましたが、今回は、その木野山神社の狼さま(狼さん)について、詳しくみていこうと思います。

JR伯備線・木野山駅の近く、岡山県高梁市の木野山神社を参拝した。北に中国山脈が連なり、南に高梁市街が広がる景勝の地木野山山頂には奥宮、山麓には里宮があり、昔から「木野山さん」と親しまれてきた神社です。

里宮の拝殿の「御塩 御酒 御餅 供え所」には、たくさんの塩が奉納されています。狼の伝承の中には、「狼は塩好き」という話がたくさん出てきます。送り狼に塩を与えて帰ってもらうとか、狼が獲って食べ残したもの(イヌオトシ)を頂戴するときにも塩をお礼に置いたとか・・・。

社務所で狼像の入ったお札をいただきました。向かい合っている狼の絵ですが、姿自体はかなり写実的です。聞けばここでは狼を、東日本で呼んでいる「お犬さま」ではなく、木野山の神使として「狼さま」「狼さん」と呼んでいるそうです。

木野山神社も秩父の三峯神社のように、狼信仰の神社なのです。古くから流行病、精神病に対する霊験あらたかで、江戸後期から明治中期にかけて、コレラや腸チフスなどの疫病が流行した時に、病気を退治するものとして「狼さま」が信仰されました。今でも、岡山県内にはいくつもの木野山神社の分社が鎮座しますが、コレラ平癒を祈願して勧請されたものだという。

ガラスがはめ込まれた格子状の隋神門 の左右には、1対の「あ」「うん」の狼の木像が座っています。社務所で伺うと、この格子戸は外れないということなので、その間から覗くしかありません。彩色された狼像は疫病を防いでくれそうな気迫感じる姿です。

元々、狐憑きと言われた精神病について、狼は重要な存在でした。狐憑きの狐の大敵が狼だからです。これは関東でコレラが流行ったときに狼信仰が盛んになった理由と同じです。邪悪な狐(アメリカ狐・くだ狐など)が体内に入って悪さをしているので、それを退治してくれるのが狼である、という発想です。「目に見えない何かが体内に入る」という感覚は、結果的には、コレラ菌が体内に入ることで発病することを示唆しているようで面白いですね。

木野山山頂の末社に高龗神(たかおかみのかみ)・闇龗神(くらおかみのかみ)が祀られていますが、それも龍の姿ではなく 狼の姿だそうで、かつてはここに参籠所があって、多くの狐憑きの患者が宿泊し、加持祈祷が行われていたそうです。

明治9年(1876)には木野山神社でも講社組織が作られました。明治12年にも、コレラが初夏から秋にかけて大流行しています。岡山県では、患者9,084人、死者4,949人に達しました。各地に患者を隔離するための施設「避病院」が設けられましたが、「患者やその家族は、避病院へ隔離されることを嫌い、病者の発生を隠したり、病院への収容に反抗し、警察官の説諭でやむな く収容させるという有様であった」「まだ科学的な防疫法が徹底してお らず、一般住民は薬品より「まじない」や祈祷に頼る状態であった」(篠原勇造「essay岡山あれこれ」より)という。

当時 コレラを「虎列刺」と表記したことから「狼は虎よりも強い」という理由で、狼信仰(木野山信仰)が山陽山陰四国地方に拡大していきました。。木野山神社にはコレラを免れようとする人々が昼夜の別なく参拝したとのことです。

また明治19年には、コレラによって12年に次ぐ多くの死者をだしました。木野山神社の神輿を担いでコレラ退散を祈願することが流行ったそうですが、県は、多数参拝することは、かえって病気を蔓延させるとして、多人数で同社を参拝することを禁じる布達を出しています。

島根県(現島根・鳥取県)で木野山神社の狼信仰が急速に広がったのは、明治12年のコレラの流行があったかららしい。

7月8日、「内務省衛生局報告第十一号 虎列刺病予防及消毒法心得」が配布されたり、いろんな対策が打たれました。昔も今も感染症対策は同じところがあるようです。まず、避病院と呼ばれた隔離施設(人家隔絶の空き家・寺院・掘立小屋)を作ったり、人々の濃厚接触を避けるために「群衆停止」を行なったりしています。これらが解除されたのは1か月~2か月後でした。

この年の島根県内のコレラ患者は3317人で、死者2149人を出しました。致死率は約64.8%。鳥取市街は「其残酷ヲ極ル」 だったという。

新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大が止まらず、とうとうWHOは世界的大流行を表すパンデミック宣言をし、日本では、新型コロナウイルス対策の特別措置法が可決・成立しました。アメリカも国家非常事態宣言を出しました。感染拡大の中心地は、中国からヨーロッパに移りました。どうなるか予断を許さない緊迫した状況になってきました。夏に開催予定の東京オリンピックの開催も危ぶまれます(2020年3月17日時点)。

しかし、コレラの場合、誰が感染しているかが一目でわかるし、潜伏期間も短いので、隔離しやすいとも言えますが、今回の新型コロナウイルスは、そこがなかなか難しい。致死率は高くなくても、感染拡大しやすく、人々に不安を植え付け、社会的、経済的にダメージを与える、それこそ今までになかったような「新型」の疫病です。

狼の「強さ」に対するイメージが狐憑きやコレラに効くというイメージと重なっているのはわかります。なにもこれは日本だけではなく、狼の強さを体内に取り込もうとしたり、狼で邪悪なものを防ぐといった狼信仰は西洋にもありました。地域に関係なく、狼に対して人間が持つ普遍的なイメージなのかもしれません。

 

 

参考文献:

(岡山県記録資料叢書14 岡山県明治前期資料 五(十八~二十年)(岡山県立記録資料館)より)
http://archives.pref.okayama.jp/pdf/kanko_sosyo14.pdf

篠原勇造「essay岡山あれこれ」
https://www.jdpa.gr.jp/siryou_html/32html/32_essay12.pdf

近代日本精神医療史研究会「ぼっけえ、きょうてえ岡山県の精神医療史―木野山神社調査 」
http://kenkyukaiblog.jugem.jp/?eid=414

喜多村理子「松江市史講座 伝染病の大流行と信仰」
http://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/matsueshishi/kouza26.data/kouza25-7kitamura.pdf

 

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2020/03/16

狼のイメージの変遷 『ヨーロッパから見た狼の文化史』から

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狼のイメージは、日本での対比で、西洋では牧畜が盛んで、狼によって家畜が殺されるので、狼は害獣だったが、一方、日本では、牧畜業が発達せず、農作物を荒らす猪・鹿を防いでくれるので益獣だったので、神、あるいは神の眷属として狼は崇敬された、というのが今までの理解でした。

ただ、先日も触れたミシェル・パストゥロー著 蔵持不三也訳『ヨーロッパから見た狼の文化史』を読んで、少し見方が変わったかもしれません。西洋でも、狼のイメージは、変遷してきたということなのです。

先日、ギリシアでオリンピックの採火式が無観客で行われたことがニュースになっていました。

儀式では、巫女が「アポロンよ!」と太陽神に呼びかけて、太陽光からトーチに聖火を採るシーンがありました。ギリシア神話では、狼(リュコス)は、アポロンの眷属です。ギリシア神話での狼のイメージ、すなわち家畜しか襲わず、神々の眷属や人間の守護者というイメージがあったようです。どちらかというと良いイメージですね。

「大部分のインド=ヨーロッパ語では、狼をさす呼称は光ないし輝くことを意味する語根leuk-(そこからギリシア語のlykosやラテン語のlupusが派生)、あるいはwulk(そこからゲルマン語のwulf、のちにwolfが派生)と結びついている」とのことです。 「目」「目の光」「視線」などが狼の特徴としてとらえられていたようです。「光」は、太陽と関係するイメージです。

ローマ時代ではどうかというと、ローマ建設のロムルスとレムスの雌狼の乳で育てられた伝承から、狼は聖獣であり、神殿、墓碑、モニュメント、貨幣にその姿が使われていました。これも良いイメージです。

その後、西洋では狼は負のイメージで語られるようになるのですが、それはどうしてなのでしょうか。本ではこのように説明されています。

「ひとつの説は、狂犬病が西洋で猛威をふるっていた期間が長かったため、それによって狼たちの行動が変化し、より危険なものになったとする。(略) 5世紀から10世紀にかけて気候が変動して飢餓や疫病が増し、人口も減り、耕作地の大部分が荒廃し、林や森、荒地が増加した。その結果、野生動物も飢えをおぼえ、村の周囲を徘徊して、人間界により近く、より脅威的なものとなった。狼に対するこうした新たな、だが如実な不安や怖れは人間の態度や考えを変えた」

それで狼は負のイメージをもたれることになったらしいのです。典型的なイメージが「赤ずきんちゃん」の狼像ではないでしょうか? こうして負のイメージは21世紀まで受け継がれました。

現在では、エコロジー、自然環境、生物多様性の観点からも、狼に対するイメージも良いほうに変わってきています。

ここで面白いと思うのは、牧畜・遊牧民には「人間の敵」でも、農耕民だったローマ人には「神」になったということです。日本でも同じように、馬産地の東北では「敵」でしたが、農耕が主だったところでは「神」「守護動物」になっています。

掲載の写真は、『ヨーロッパから見た狼の文化史』の第4章、1180~1200年ころの「動物医薬論」の中の狼像。武蔵御嶽神社のブロンズ製狼像と似ていると個人的には思っています。もうひとつは、味の素スタジアムにある「カピトリーノの雌狼」です。ローマ建国の祖ロムルスと双子の弟レムスが雌狼の乳を飲んで育ったというエピソードを表しています。

 

 

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2020/03/13

史上6回目のパンデミック宣言(新型・痼魯難/コロナ)

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部屋の壁に貼ってあるバティックに、新型・痼魯難/コロナ終息祈願で、この前いただいた宝登山神社のお犬さまのお札を追加しました。

WHOは、史上6回目となるパンデミック宣言を出しました。ようやくか?といった印象です。

どうも今のWHOは動きが鈍いようです。中国からの圧力なども噂されていますが、まぁそれを今追及しても、このパンデミックが収まるわけではありません。

誰が感染者であるかわからない、しかもほとんどは軽症、あるいは無症状という新型コロナウイルスの性質を考えると、感染拡大はこれからもしばらくは続いていくだろうし、これを短期間で「克服」するのは難しく、専門家も言っているように、いかに重症者を出さないか、出ても助けるか、という病気になっていくだろうと。

俺もいつかは罹るだろうとは覚悟しています。いや、すでに罹っているのかもしれないし、罹って治っているのかもしれません。この性質がやっかいなのです。

ウイルス自体の致死率が高くないことがかえってウイルスを蔓延させることにつながっています。そのかわり、ウイルスでは死ななくても、社会的、経済的に死んでしまうというということです。どっちにしろやっかいです。

今は「克服」に努力するのはもちろんですが、「共存」を考えるしかないときがいつかは来るのかも、とも思います。

問題は、爆発的な感染拡大で、医療がパンクすることです。中国やイタリアなどで死者数が多くなっているのはそのためでしょう。

だから、急激な患者増加を起こさないためのイベント自粛であり、学校の休校だと理解しています。ゆるやかな感染拡大なら、重症者を助けられるし、他の病気の患者も助けられる、ということなのでしょう。

ドイツのメルケル首相も「こうした状況が続けばドイツ人口の60─70%が感染するだろう。(略)医療システムに過度の負担を掛けるのではなく、感染を遅らせることに軸足を置くべき」と言っています。

でも、こんな自粛が半年も1年も続けられるかと言えば、できません。学校が休みになった子どもたちも、ずっと家にいるなんていうことは不可能で、実際町にあふれています。

と、いうことは、感染をなるべく広げないように気をつけながら、学校を再開し、ライブもやり、屋形船やクルーズ船に乗るなど、日常を取りもどすしかありません。どういうところが感染リスクが高いのか、ということもだんだん見えてきています。そういうことを避けながら生活するというふうに、ウイルスに合わせて人間のライフスタイルを変えるしかありません。

ワクチンができるまでの時間稼ぎができるか、ということでもあると思います。それがコロナとの共存です。

 

 

 

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2020/03/12

【犬狼物語 其の四百六十三】東京都板橋区 桜川御嶽神社の毘射祭(オビシャ)

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桜川御嶽神社の毘射(びしゃ)祭。

本来は3月8日なのですが、今年は防災訓練が予定されたので7日に変更になりました。ところが、新型コロナ禍で防災訓練は無くなったのですが、祭りは変更した7日に、そのまま斎行となったようです。だから今年は例外です。

その日、阿佐ヶ谷の撮影の仕事が終わってからすぐ神社へ行ったのですが、着いたのは12時50分ころになりました。すでに神事は終わった後でした。ただ、鶴亀の飾りはまだあるとのことで社務所で見せていただくことができました。

「毘射祭」では、大根で作った鶴亀や大盛飯の膳を神前に供えます。

元御嶽講の講員だったKさんによると、例年はもっと大きい大根で作るのだそうですが、今年の大根は小さいとのこと。過去の飾りの写真が額にかけてあったので見たら、さすがに大きい。立派な鶴亀です。

この飾りは、当日の朝9時から作り始め、神前に供え、神事の後、社務所に持ってきたという。

毘射祭(オビシャ)は他のところにもあります。

「柳田國男は、関東のオビシャについて、「農作業の始まりに先立って年を祈り、弓を射て神意を伺う式である」と述べ、「歩射(ぶしゃ)」という武芸を奉納したのが元の形である、としました。」(「千葉の県立博物館」より)

中国の創世神話では、五代目皇帝・帝俊の義和夫人は太陽を10個、嫦娥夫人は月を12個を産みました。ところが堯帝の時代に、10個の太陽がいっせいに輝き、大地は灼熱地獄になりました。堯帝は弓の名手・羿(げい)に、9個の太陽を射落とさせました。太陽はひとつとなり、元の世界に戻りました。日本にもこれと似た射日神話が伝わっていて、オビシャが行われています。

特に千葉県各地や利根川・江戸川・荒川流域の農村部で盛んにおこなわれています。弓で的を射る儀式をやるところもあります。以前参拝した中井御霊神社の備射祭でも弓で的を射る儀式はあるようです。でも、この桜川御嶽神社ではやっていません。

関東地方のオビシャについて、

「関東のオビシャは、実は弓射を行なわないもののほうが多数です。(略) オビシャの供物は、祝いの場を演出し、宴席に臨む人々がめでたさを共有できるように、村人達が自分たちの手で工夫して作る造形物が多いようです。」(「千葉の県立博物館」より)とあります。

御嶽神社の大根の鶴亀も、めでたさを表現しているようです。

ところで、この御嶽(みたけ)神社は、Kさんの話では、最初はどうも甲州市の金櫻神社を勧請したものではないかという。神社の内部から金櫻のお札か何かが見つかっているそうです。そして金櫻神社へ行ったとき、この御嶽神社に関する資料も残っていると聞いたそうです。でも、なかなか機会がなくて、その資料をまだ見ていないそうですが。

その後木曽の御嶽山の信仰が重なったのではないかというのですが、なんだか、これは大田区の御嶽神社と似ているようです。木曽の御嶽山信仰にあまりお犬さまは出てこないので、ここにお犬さまがいるのも、そう考えると自然です。

Kさんの家は、代々、御嶽講の講元ではなく、会計をやっていた家だそうで、村には江戸時代から付き合いのある御嶽神社の御師が来たとき泊まる家が4軒あったそうですが、Kさんの家も、その中の1軒でした。だから若いころから御師との付き合いがありました。御師は、2月の節分が終わると青梅市の武蔵御嶽神社からやってきて、お札を配りながら講中の家々をまわったそうです。

Kさんは代参で武蔵御嶽神社へ参詣したことがあります。その時は、7人で行って、御師のところに泊まりました。昭和53年のことです。そしてこれが御嶽講の最後の代参になりました。Kさんは代参をした最後の講員。代参講の生きた証人で、貴重な存在と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

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