カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の718件の記事

2021/09/26

犬像と狼像のカード追加

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さいたま市浦和区、日本茶喫茶・ギャラリー楽風で無料で配布していた犬像と狼像のカードは、4種類追加して、現在6種類になりました。

大きさはポストカードと同じですが、表は像の写真で、裏には解説文と書籍のPRが入ったものです。

お立ち寄りの際は、スタッフに声掛けしていただければ、カードをもらえると思います。

なお、書籍購入のお客様には、引き続き、狼像が入ったお札ふう作品(新型コロナ収束祈願&SDGs持続可能な開発目標)も差し上げています。

ギャラリー楽風
〒330-0064 埼玉県さいたま市浦和区岸町4-25-12
048-825-3910

http://rafu-urawa.com

 

 

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2021/09/25

めぐりジャパン

Japan

 

今まで「まなびジャパン」として日本の自然・文化を紹介していたサイトは、「日本の文化を日本と世界に向けて広く伝えることを目的とする」という理念で「めぐりジャパン」としてリニューアルされ、公開されています。

https://meguri-japan.com/

「まなびジャパン」で俺が連載していた「棚田を歩く」や「狼信仰」や「残しておきたい日本の風景」は、そのまま移行されます。(まだ完全に移行作業は終わっていないようです)

 

「棚田を歩く」の「白米千枚田」

 https://meguri-japan.com/exploring-the-regions/20210902_6302/

 

「狼信仰」の「七ツ石神社の再建プロジェクト01」

 https://meguri-japan.com/legacies/20210906_6584/

 

「残しておきたい日本の風景」の「大内宿」 

https://meguri-japan.com/exploring-the-regions/20210803_799/

 

 

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2021/09/24

【犬狼物語 其の五百七十七】東京都目黒区 目黒不動尊の都内で一番古い犬像

Img_4200(仁王門前の父子犬像)

Img_4204(仁王門前の母子犬像)

Img_4207(仁王門前の母子犬像の子犬像)

Img_4341(秩父三峯神社の狼像)

Img_4184(前不動堂前の犬像)

Img_4181(男坂階段の親子犬像)

_mg_0818(「独鈷の瀧」背後の親子犬像)

 

都内で一番古い犬像は、先日紹介した、都内で一番古い狛犬がある同じ東京都目黒区の目黒不動・瀧泉寺にあります。仁王門前の1対の犬像です。両方とも子犬を抱えています。文久2年(1862年)奉納。(ちなみに、全国で一番古い犬像は、成田市の成田不動妙見宮前のものだそうで、正徳元年(1711年)奉納)

顔つきが三峯神社の文化7年(1810)奉納の狼像と似ていなくもありません。耳は垂れていますが。犬像は52年後の作となります。影響はあるのでしょうか。

「独鈷の瀧」のさらに西側の前不動堂前にも、首を垂れて畏まって控える1対の犬像があります。地主神の神使といわれる和犬像ですが、じゃっかんあばらの表現もあって、狼像の影響もあるようです。これも、文久2年作という情報があります。

境内には弘法大師ゆかりの犬像、地主神の神使の犬像など、多くの犬像があることで有名です。とくに「親子」がテーマであるらしい。ただ由来がはっきりしたものではないようです。寺でもわからないようだし、ネットで調べても、「これだ」という理由は見つかりません。

「仏の慈悲・慈愛とか、子孫繁栄とかいったものを象徴しているのかも知れない」(神使の館より)という推理は納得できるものです。

日本各地には「犬」、「女」、「水」が関係する場合も多くあります。雨の予知や水場の発見など、犬の持つ鋭い嗅覚が人間には神秘的にも見えたようです。それと、犬が楽にお産をすることなどから、安産の神様になったりします。

いろんな願いが重なり結果としてここに親子の犬像が多くなったのかもしれません。

 

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2021/09/17

目黒不動尊の都内で一番古い狛犬 

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狼像のルーツを考えるために、狛犬も見ておこうと思ったので、目黒不動尊を参拝しました。

都内で一番古い、承応3年(1654年)奉納の狛犬です。「男坂」の石段を上ったところにあります。

保存状態も良く、これが367年前の石像だとは信じられないほどです。

顔も威厳があって邪気を払うすばらしい作品だと思いますが、お尻の丸みや、尾のデザインがまた面白い。

狼像とは直接関係はないかもしれませんが、ただ初めて狼像を造った石工も、この存在は知っていたと思うし、実際見ていたかもしれません。

それと先日紹介した、文京区・吹上稲荷神社にある全国で一番古い神使い狐像のことも知っていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

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2021/09/13

【犬狼物語 其の五百七十六】埼玉県所沢市 武蔵野坐令和神社の白狼祭と「お犬さま(狼像)巡礼88」

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武蔵野坐令和神社の白狼祭に招待されて参列しました。

神事では、神前で百合之介さんの狼舞が奉納されました。目の前で拝見することができ、感動しました。

神事後、参列者のみなさんに『オオカミは大神』の紹介と狼像や狼信仰についての話をさせていただきました。狼と犬との区別は、日本ではあまりなかった事情とか。

そして白狼祭の特別なお札をいただきました。お犬さまの姿も入っています。

秩父三峯神社、武蔵御嶽神社が、関東地方の狼信仰の総本山といえますが、享保5年(1720年)日光法印が御眷属拝借として、狼のお札の配布を始めてから狼信仰が盛んになったという事情があります。それからすでに約300年。そろそろ狼信仰に新しいエネルギーを注入してもいいのかもしれません。

そこでひらめいたのが、武蔵野坐令和神社 の「アニメ聖地88」に因んで、「お犬さま(狼像)巡礼88」を選んで、巡礼路のようなものが作れたら面白いかなと。そして両方ともここが「一番札所」ということに。武蔵野から発信する狼信仰の地として。

 狼信仰がこれからも続いていくためには、新しい仕組みが必要ではないかなと思います。日光法印も、お犬さまの効力は1年で弱くなること、また、1体のお犬さまの効力が50戸までという仕組みを作ったわけですね。

なので、令和の狼信仰では、前から言っていることですが「お犬さま」がキーワードだと思います。狼信仰について知らない人にとって「お犬さま」と聞けば「犬」を意味するだろうし、狼信仰について知っている人であれば「狼」を意味します。どちらでもウェルカムなのです。その点、武蔵御嶽神社のペット参拝にも通じる柔軟性です。

だからこの「お犬さま」の像をめぐる巡礼では、犬連れでもいいし、狼信仰をイメージしながらでもいいということです。『オオカミは大神 弐』では巻末に狼像のリストを載せていて、全部で116か所あります。関東地方でなら、88か所くらいがちょうどいいかもしれません。

理想を言えば、その巡礼地それぞれでお犬さまのお札をいただければいいのですが、神社によってはお札がなかったり、神職、管理者が不在のところも多いので、それは現時点では難しい。ところが今はほとんどの人がスマホを持っています。だからそのスマホでお犬さま像の横に設置したQRコードを読み込むことで、電子的なお犬さまのお札をいただける、という仕組み作りはできるのではなでしょうか。もちろん賛同してくれる神社のみです。

あるいは、お犬さまの写真を撮って、「お犬さま巡礼88ポータルサイト」にアップすることで「結願」できるとか。こういう仕組みですね。

そしてこれに収益性を持たせて、お犬さまのいる神社の管理費や維持費にすべて充ててもらうという仕組みです。

アイディアはあるんですが、これを実行するとなると、俺だけではできません。まずはプロジェクト実行部隊の結成でしょうね。アイディアを具体化してくれる人、だれかいませんか。

 

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2021/09/07

【犬狼物語 其の五百七十五】 東京都杉並区 下高井戸八幡神社/御嶽神社

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下高井戸八幡神社(下高井戸浜田山八幡神社)を参拝しました。

甲州街道・下高井戸宿の北側、神田川(神田上水)沿いの高台に鎮座し、一帯の鎮守として崇敬を集めました。

神社の近くから、先土器時代・古墳時代の遺跡、集落跡が発見されているそうです。古くから人々が住んでいた場所だったようです。

境内には、御嶽神社・天祖神社・稲荷神社・祖霊社があります。 御嶽神社は祠だけでした。

 

 

 

 

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2021/09/02

日本茶喫茶・ギャラリー楽風(らふ)では、犬・狼像のカード無料プレゼント

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先日まで写真展『オオカミは大神』開催していた日本茶喫茶・ギャラリー楽風。

暑い中、写真展にお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

写真展は終わりましたが、青柳撮影の犬像と狼像のカード(2種類、はがき大)を無料で差し上げることになりました。表は像の写真で、裏には解説文と書籍のPRが入ったものです。

お立ち寄りの際は、スタッフに声掛けしていただければ、カードをもらえると思います。

なお、書籍購入のお客様には、引き続き、狼像が入ったお札ふう作品(新型コロナ収束祈願&SDGs持続可能な開発目標)も差し上げています。

ギャラリー楽風
〒330-0064 埼玉県さいたま市浦和区岸町4-25-12
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2021/09/01

【犬狼物語 其の五百七十四】 東京都世田谷区 代田広場の狐塚之霊碑

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先日、撮影で世田谷区へ行くことがあり、そのとき、近くに「狐塚」があることがわかりました。なんとなく、ピンとくるものがあり、知った以上は寄るしかないだろうな思い、仕事終わりに代田広場へ行ってみました。

狼信仰にゆかりの場所を調べていると、時々「狐」に行き当たります。

それは、もともと狐憑きには狼が効くといった信仰があったし、江戸時代のコレラ禍でもそうだったように、コレラの原因が、異国から来た妖狐にとりつかれたからという妄想から、狐に勝てるのは狼しかいないということになり、三峯神社など、狼信仰に頼ったという経緯がありました。そのことについては何度も書いているし、『オオカミは大神 弐』でも詳しく書いています。

それと狼信仰が盛んになった江戸時代よりずっと前は(おそらくは縄文時代から)、アニミズムとしての狼信仰だったようですが、時代が下って、狼が狐に置き換わったという説もあり、狼信仰と狐信仰は関係あるようなのです。

『日本書紀欽明天皇紀』には「秦大津父(はたのおおつち)」の話があります。

要約すると、

商人であった秦大津父は、山道で、二頭の狼が血を出して争っているのを止めました。「汝は、これ貴き神」と呼びかけ、もし猟師に見つかったら捕らえられてしまうからと、咬み合うのを止め、血に濡れた毛を洗いぬぐって、両方とも無事に放してやりました。その後、天皇が不思議な夢を見て、秦大津父を探し出し、大蔵省(おおくらのつかさ)に任じました。

と、いった話です。

そしてこの秦氏にはこんな話もあります。

伏見稲荷大社の「社伝によれば、渡来系・秦氏族の秦伊呂巨具(はたのいろこぐ)によって和銅4年(711年)創建という古社」だそうで、稲荷神社の創建にもかかわっています。狼を「貴き神」と呼びかけたのも秦氏です。ここでも狼と狐の関係がありそうです。

狼から狐に変わっていったというのは、今のところはっきりしませんが、狼に狐の影がちらちらしているのは間違いありません。

ところで、この代田広場の「狐塚之霊碑」ですが、「碑」のつくりが「界」に見えますが、「碑」なんでしょうね。Google Mapには「栗原稲荷神社跡」とあるので、昔は稲荷神社が鎮座していたらしい。今は、児童公園になっていて、真ん中にこの碑が建っているだけなので、意味を知らないと、明るい公園といった雰囲気です。

でも、碑の内容はおどろおどろしいものです。これは病気の人々に憑いた狐を行者が祓って封じ込めた記念碑のようです。もしかしたらこの塚の中にくだんの狐が封じ込められているのかもしれません。

世田谷区生活文化部文化課発行の『ふるさと世田谷を語る』には、

「この公園の中央には高さ一メートルほどの「狐塚の碑」と書かれた碑が建てられています。これは、昔この辺りが雑木林やスギ、マツ、ヒノキ、キリ、ウメなどの林、竹やぶなどの多かった所で、キツネ、タヌキ、イタチ、ノウサギなどが住みついていた場所であることと関係あるのです。
 これら小動物の中で、キツネは稲荷信仰の神使として稲荷神社では大切に祀られていましたが、その一方で悪さをしたりする動物でもありました。
 明治五年頃、この栗原では、病気になったり、不慮の事故にあったりする人が続出しました。行者にみてもらったところ、これはキツネに取りつかれたためだということになりました。そして行者の祈祷によって、人間に取りついたキツネの魂を引き離して、稲荷神社の境内に封じ込めたのです。狐塚の霊碑は、キツネの霊魂を祀った石碑なのでした。
 今でも地域の有志の人々によって、建碑の明治三十二年三月六日に因んだ毎年三月六日には、交代で供物を捧げ、お参りしているということです。」

碑の後ろ、碑文の写真でも確かめてみましたが、「馬込」「御嶽」と書いてありました。こちらのHP「武蔵野・多摩MTB散歩」の「狐塚之霊碑」(http://nobish.html.xdomain.jp/2669fox.html)

にも、「馬込村の御嶽神社から人を呼んで御祓いをしてもらった記念碑」とあって、「行者」は、御嶽神社の関係者だったらしいです。つまり、お犬さま(狼)で、狐を祓ったようです。

だからここも狼信仰由来の場所といってもいいでしょう。

 

 

 

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2021/08/29

【犬狼物語 其の五百七十三】 東京都あきる野市 正勝神社/大口真神社

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東京都あきる野市の正勝神社を参拝しました。

隣には東海大菅生高校があります。境内の「サカキ」は、あきるの市の天然記念物に指定されています。

御祭神は大山祇命で、明治2年(1869)、旧称山ノ神を正勝神社と改称したようです。

この境内には大口真神社の祠があり、御嶽神社の大口真神のお札が祀られています。

高さ60センチほどの立派なお犬さまがいて、台座には「天保十」との銘があります。

天保十年といえば1839年です。東京都内のお犬さま(狼)像の中でも古いものです。奥多摩の丸っこい、はじめ狛犬のようなお犬さまの系統は宝暦年間で古いものですが、その後のもっとリアルなお犬さま像では、これが東京都内では一番古いものになるかもしれません。先日紹介した24区内で一番古い足立区千住神社/三峯神社のお犬さまは、弘化2年(1845年)なので、それよりも6年ほど古いものです。

『多摩のあゆみ 第38号』( 昭和60)の「山上茂樹翁ききがきノート 第五十一話 管生のお犬さま」には、正勝神社のお犬さまと狼に関する話が載っています。

「正勝神社からさらに奥に入った大沢にはオオカミクボという地名さえ残っている。今、細谷花火工場の倉庫のあるところで、明治のはじめのころ、元多西村々長であった村木鉄蔵さんの父文吉さんと弟久太さんが、このオオカミクボへ草かりに出かけた。狼などいるわけがないと、たかをくくっていたところ、穴の中から、太鼓をたたくような音がする。突如、その穴から狼が 飛び出し、北の方を向いて、ひとうなりうなって谷を飛び越えて、北に向かって飛び去った。ふたりはあまりの恐ろしさに、ほうほうのていで逃げ帰ったという。」

明治初めころはあきる野市でも狼が目撃されていたようです。

「これは私の祖々父がつたえた話。祖々父が御嶽山へ講中で行く途中、大沢のオオカミクボ付近まで歩いて 行ったとき、狼が祖々父の前に立ち、口を開けてこちらを向いている。見ると、のどへ骨がつかえている。祖々父は喰いつかなければ骨をとってやるといってと り除いてやったところ、喜びいさんで、どこかへ消えさったという。翌々日、その狼が家の庭先へやってきて、ひとうなりうなったあと、縁側へ「ドタン!」と いう大きな音を残し去った。出てみると、ウサギが縁側に置かれていたというのだ。」

これは先日、山梨県富士河口湖町善応寺の「狼塚」でも触れた狼報恩譚とほぼ同じです。だからこれは事実というより、この民話がこのあたりでも伝えられてきたということでしょう。

「むかしはどこの村にも村境ちかくに馬捨場などとよばれる動物の死骸を埋めた場所があった。牛や馬などが死ぬと、捨場に埋める。数日後、その場へ行ってみると、狼か犬か知らぬが、大きな穴が掘られ、死骸はむさんにも喰いあらされていたなどという光景はしばしばで、私も子供のころ実際に目撃したこともある。 人もまた土葬であったので、こうした被害から守るため、「狼除け」とよぶ仕かけがつくられた。今でも秋川流域一帯にかけて行なわれている。葬儀のときの四本旗の竹を三本切り、ゆわいて石を吊す。三本以外は穴の中へ放り込んで狼や犬などが死者に近づかぬようにする。瑞穂町長岡では、もっと丁寧に、四、五本まるいて真中に石を吊す。古くは西多摩全域の習俗だったらしい。」

 これには「西多摩全域の習俗」とありますが、平岩米吉著『狼 その生態と歴史』を見ると、この風習はもっと全国的な広がりがあったようです。

「秋田県仙北郡中川村や雲沢村(現、角館町)の辺では、狼が新しい墓を掘りかえすのを防ぐのに、土饅頭の上へ鎌を立てておく風習があったというし、また、それより南の方の豊川村(現名不詳)では、夜は太い藁松明に火をつけたり、弾力のある小枝を籠目に刺しておいて、狼が掘ると、強く弾ける仕掛けをしておいたりしたという。(武藤鉄城氏記載)
栃木でも、これに似たやり方があり、孟宗竹の三尺(約一m)ぐらいのを割って墓にたて、その一片を曲げて地に刺しておく。すると、狼がきて墓を掘ると、それがはねて目をつぶし仕掛けであった。この風習は明治の末頃まで残っていたという。(高久平四郎氏・日本犬の飼い方)
東京都西多摩郡秋多町では、新墓の土饅頭の上に、青竹を三本組合せ、そこから、荒縄で大きな石をつるした。(甲野勇氏・東京の秘境、秋川渓谷)」

 

 

 

 

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2021/08/26

【犬狼物語 其の五百七十二】山梨県富士河口湖町 善応寺の狼塚:狼報恩譚について

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287a52(塚石の一番上の文字)

 

河口湖の北東に位置する善応寺の狼塚も、書籍にはまだ載せていない話です。

塚は寺の境内の入り口にあります。よく石碑を見ると、「狐塚」の上に、読めない一文字も刻んであります。

これは、解説看板によると、

「塚石の頭文字は犬(いぬ)と読む。辞書にも無いが、此の文字が通用していた時代があった事も想像される。河口に古くからの言い伝えによれば、此の寺の坊さんが朝まだき薄暗い頃、裏山で狼の苦しむ声を聞きつけ、そばに行ってみると、骨がノドにささり、苦しんでいたので、衣の袖を手に巻いて抜いてやったのを、狼が恩義に思って、数日後寺の庫裡に兎を置いて行ったとの事。其の後も時々山鳥を咬えて来ては、坊さんに御恩を報じたということです。何年かの後その狼が年老いて死ぬるとき、庫裡に来て、一声呼んで死んだので、恩義を忘れぬ狼の心情を哀れに思い、此の地に埋葬、狼塚を建て、供養したと言い伝えられております。
何故狼塚の表題に此の文字を使ったのは定かでないが、塚を地蔵堂の傍に建てたというから、寛永年間以後の事でしょう。村では子供の遺体を埋めた上に、棒を三本打って、上を縄で縛り石をつるして狼よけにした風習が、大正の初め頃迄ありました。此の話は村の古老本庄魁平(九十歳)さんのお話です。  昭和五十七年四月一日建之  河口 善応寺運営委員会」

この伝説も「狼の喉から異物を取ってあげると、お礼に獣肉が届けられる」という狼報恩譚です。このパターンの話は全国的に多く存在します。

スウェーデン生まれでオオカミ研究家のエリック・ツィーメン著『オオカミ』に、興味深い民話が載っていました。

オオカミの歯に挟まった木切れを取ってあげるとオオカミが恩返しをしたという話です。オオカミの報恩譚です。

 「オオカミは善良で、ほとんど神に似た存在であり、たしかに少々ずぼらで、性急で熟慮に欠けるところがあるが、つねに親切で、思いやりがあり、賢明であった。有名なトーテムポール、ギットラテニクスのトーテムポールには、くり返し脚色されて話される一つの物語が語られている。ある男が、臼歯の間に木切れがはさまってしまったオオカミを助けた。オオカミはのちに、男とその部族が困窮しているときにシカを殺してやることで、返礼をしたという。
 実際オオカミは歯の間にはさまった木切れのために大変苦労することがある。ネースヒェンが四か月の自由な生活をして戻ってきたとき、たしかにたくさん食べはしたが、やがて病気の兆候を示しはじめた。獣医が診察したが、何も見つからなかった。それで獣医は、ネースヒェンの衰弱は逃走期間中の食料不足が原因だろうと考えた。けれども、このオオカミの体調はますます悪くなっていった。口臭もひどかった。そしてついに私はこの口腔に病気の原因を発見した。上顎の奥歯の間にはさまっていた木切れである。これを取り除くと、数時間以内にネートスヒェン(まま)は元気になった。」

というのです。ひとつは、オオカミの報恩譚。もうひとつは、オオカミの歯に物がはさまると大変だということ。そういえば、ヴィーノもたまに歯に物が挟まるときがあり、手指の形、機能上、自分ではなかなか取れなくて苦労しているときがあります。その様子はたしかに印象に残りますねぇ。なんだか間抜けな感じで、ユーモラスで、オオカミならなおさら、普段は精悍で威厳のある姿と、そのギャップ萌えもあるかもしれません。

著者のエリック・ツィーメンは、オオカミは人の助けを借りて「イヌ」になったという犬起源譚か?とも思ったらしいのですが、残念ながらそうではなく、イヌは中央アジアでオオカミから分離したらしいし、ネイティブアメリカンの民話でも犬起源譚ではなかったそうです。

 

オオカミの報恩譚は日本では、いろいろパターンを変えてたくさん存在するのですが、エリック・ツィーメンは欧州人だし、報恩譚はカナダのネイティブアメリカンの話で、まったく日本とは関係ないところで、こんな話があると、報恩譚の方は、まぁオオカミと接していた人たちがオオカミと友好的な間柄であれば、恩返しの話も自然と生まれるんだろうなと想像できます。

ただ、「狼の口」と「挟まった物を取ってあげる」という組み合わせは、日本にもネイティブアメリカンにもあるとすると、オオカミの何か特徴に関わっているのかな、それともオオカミの口から物を取ってあげなければならない理由があるのかと、想像がふくらみます。それを考えてみようかなと。

 

まずは、日本での狼報恩譚を紹介します。埼玉県坂戸市の北大塚という地域に伝わる民話をテーマにした公園があります。公園に設置されている解説プレートからこの民話を要約すると、

「昔は、この辺りにもたくさんの狼がいた。その中にどん吉といういつもお腹をすかした、のろまな狼がいた。ある日、どんぐりの木に隠れて獲物をねらっているとおばあさんがやってきた。狼はおばあさんを食べずに、家まで送っていった。おばあさんは、そのお礼として魚をお供えした。狼たちは喜んで魚を食べた。どん吉はあまり急いで食べたので、骨を喉につまらせた。そこへ酔った大工さんが通りかかり骨を取ってくれた。大工さんはそこで寝てしまった。夜中、目を覚ますと周りには狼がいっぱい。食べられると思った大工さんは「わしは、一日にどんぐり5個しか食っとらんからまずいぞ」 すると狼は「さっきはありがとう。忘れた道具箱を届けにきました」 それから毎朝大工さんの家の前には、どんぐり5個がおいてあったとさ」

 

次に、東京都東大和市中北台公園にも「藤兵衛さんと狼」という話を元に平成5年に設置された長さ2.2m、黒御影石の「狼のベンチ」があります。東大和市のHP「藤兵衛さんと狼」には、その狼の伝説が掲載されています。

「今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。 -東大和のよもやまばなしから-」

これも「狼が口から骨を取ってもらって恩返しする」という話です。 

他にも、「民話 狼の恩返し」で検索すると、多くの似たような民話がたくさん出てきます。

狼の恩返し」まちづくり葛生株式会社(栃木県佐野市葛生の民話)

狼の恩返し」YAMANASHI DESIGN ARCHIVE(上野原市秋山遠所に伝わるお話)

狼(おおかみ)の恩返(おんがえ)し」フジパン株式会社(大分県の民話)

狼の恩がえし」伊豆の民話と昔話(静岡県伊豆の民話)

 

狼信仰について、しばしば参考にさせていただいているのが、菱川晶子さんの『狼の民俗学』ですが、狼の報恩譚についても論じられています。菱川さんが調べた結果、同様の民話は、北は岩手県から南は大分県まで分布しているという。

1:ある人が、口を開けた様子のおかしな狼に山で出会う。

2:みると狼の喉に骨が刺さっているので抜く。

3:狼が鹿などを礼に届ける。or それ以後山を通るたびに狼が送る。 or 山道を歩いていると狼が出てきて着物の裾を引き、藪陰に隠して狼の大群に襲われるのを防ぐ。

多くの報恩譚の1と2の部分はほとんど同じですが、「狼のお礼の仕方」の3の部分は、3パターンほどあるようです。

1と2の部分は、中国から入ってきた「虎報恩譚」が元になっているようです。日本には虎はいなかったので、虎が狼に変わった可能性が高いようです。

カナダのネイティブアメリカンの「狼」、日本では「虎」→「狼」と、じゃっかん変化はしていますが、どちらにせよ「猛獣の口から挟まったものを取る」というとんでもなく危険なことをやっているわけですね。下手したら食べられてしまうかもしれない恐れもあります。そんな危険を冒してまでも、どうして挟まってしまったものを取ってあげなくてはならないのか、ということですね。

そんなことを考えているとき、この一文が目に入りました。

オオカミという生き方」という平沼直人氏(弁護士,医学博士)のコラムです。

「◆医療の本質
送り狼の民話には,医療の本質を見て取ることができる。
本来,治療行為は,生命に対する畏れなくして行えるものではない。
患者はただ医師に身をゆだねているだけなのだろうか。感染は医師の専横に対する患者の無言の抑止力ではあるまいか。
傷つきあるいは弱った人がいれば助け,助けられた人は感謝する。
そんな当たり前のことが忘れられている。」

なるほどなぁと思います。

平沼さんは医師なので、治療行為はどうあるべきかを言っていますが、人によって、この民話をどのように受け取るかは、それぞれ違ってもいいのでしょう。

そこでここからは俺個人のとらえ方です。

平沼さんの一文にヒントを得て、狼のイメージをもっと大きくとらえ、「自然」を象徴するものと考えると、自然に対する接し方ととらえることはできないでしょうか。自然との緊張関係を感じさせます。下手したら死んでしまう(殺されてしまう)かもしれない、命をかけた関係を表現しているのかなと。

つまりそれなりの危険を冒さなければ、自然の中では獲物は得られないと取ることもできるのではないかということです。あるいは、命あるものを獲物として得るためには、こちらも命をかける必要があるということです。

 獲物だけではありません。農作物だってそうでしょう。時に自然は、風水害などで田畑をダメにしてしまうこともあります。自然は恵みをもたらしてくれるだけではなく、半面、恐ろしいものでもあるという両面性の表現であるかもしれません。

それでも人はその自然の恐ろしさに打ち勝って生きていかなければならない。そういった人間の覚悟の物語なのかもしれません。

ところで、この狼の報恩譚は、狼に対する相反する人間の気持ちの一面ではないかという気がしてきました。「狼の口に手を突っ込む」ということは、 「狼を助ける」とまったく反対のことも意味していたようなのです。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、次のような話が載っていました。 

それは狼を殺す方法です。「付記 狼の口に手を突っこむ」には、

「このようにして、狼の口に手を突っこんで殺したという話は、この他にもいくつもある。前述(八)信州佐久の少年、亀松の話をはじめ、(一一)信州上諏訪の次郎兵衛の話などもそうだし、さらに「遠野物語」には同村飯豊(現在、遠野市の一部)の鉄という若者の話があげられている。(略)ある年の秋、飯豊のものが、六角牛山(一二九四m)の麓の岩穴で狼の子を見つけ、二匹を殺し、一匹を持ち帰ったところ、その日から、狼が馬をおそうようになった。そこで、狼狩をすることになり、なかでも力自慢の鉄という男がひとりで野に出かけて行った。すると雌狼がいきなり飛びかかってきたので、鉄はワッポロ(上羽織)をぬいで腕に巻き、狼の口の中に突っこんだ。それを狼が荒れ狂って咬むので、人を呼んでも、誰も恐れて近よらず、鉄はとうとう腕を狼の腹まで押し込んで殺した。しかし、鉄も腕の骨を咬み砕かれ、助けられて帰ってから間もなく死んだ。(略)なお、手拭いなどを腕に巻いて狼の喉へ突っこみ殺したという同じような話は羽前(山形県)や丹波(京都府)にも伝えられているという。」

「アメリカにも同じような話がある。一九〇〇年ごろ、グレッグGreggという男がミズーリ州の僻地で大きな灰色狼に出会ったとき、何も武器を持っていなかったので、棍棒で狼をなぐったところ棍棒が折れてしまった。そこで、すぐに大きな黒い帽子を取って、それを大きく開いた狼の口の中に突っこんだら、狼はぐるぐるまわって後退した。それでグレッグも助かったのである。(略) 猟師は狼を見つけると、馬で追い詰め、棍棒で背骨を打ち砕くのが普通だが、時には勇敢な男があって、馬から狼の体の上に飛びおり、手袋をはめた手を狼の口の中に突っこみ、その舌の根元を押さえてしまうのである。すると、狼は咬みつくことができず、そこを素早く、太い短い棒を口にかませて両顎といっしょに縛りあげてしまうのだそうだ。こうして、生捕りにした狼は家に持ち帰って、犬の闘争の稽古台にして殺すのである。(ウィニペグの辺で狼を犬の喧嘩の稽古台につかったことはシートンも描いている。)」

なんだかすさまじい話です。実際、狼に襲われたときは程度の差こそあれ、日本でもすさまじい、凄惨な場面になったことは想像にかたくありません。

「狼の口に手を突っこむ」ことの二面性。一方は狼と人間の良い関係を語り、もう一方は狼との緊張関係、殺し殺されるという壮絶な関係。 

同じことでも、見方によって相反する話として伝わっている例は、九州筑後市の「羽犬塚伝説」でもそうでした。「愛犬」と「暴犬」という相反する伝説が同じ「羽犬塚」に伝わっているのです。

「羽犬塚」は古くから宿場町として栄え、その地名の由来は400年前から続くふたつの伝説にあるそうです。

どちらも犬を塚に葬ったというのが由来ですが、ひとつは、天下統一を目指す豊臣秀吉の行く手を阻んだ羽犬が仕留められたという説と、秀吉の病死した愛犬が羽が生えたように素早かったという説です。

小学校の隣の宗岳寺に残されている石塔には、「犬之塚」と彫られています。犬に名前がないことから、秀吉の愛犬説はむずかしいかなと思います。どうして愛犬に名前がないのか不思議です。だから不特定の犬の供養塔だったと考える方が自然でしょう。

羽の生えた犬を探して」というHPでも、こんな推測をしていて、なるほどなぁと思います。
 
「この「塚」は一体何なのか? これについては、昔このあたりで殿様が狩りの練習のため「犬追い」をしていて、その際に追われた多くの野犬の霊を弔うために立てられた犬塚が地名として残ったのではないかという推測を見つけました。」

秀吉も信長同様、鷹狩りを好んだそうで、鷹狩用の犬である「鷹犬」は「御犬」と呼んで大事にされましたが、反対に、野犬は鷹の餌にされて殺されたという話もあり、この犬之塚も、そんな犬たちの供養のためのものだったのかもしれません。

伝説は過去の事実がそのまま伝わることもあるでしょうが、その話が地元の人にとって何か有益なことがあれば、尾ひれがついて、変わっていくということは考えられることです。

心理学者・大場登著『精神分析とユング心理学』には、神話について、

「その国・その文化圏の人々の心が一致して「受け入れてきた」、その意味で個人を超えた、文化的、あるいは普遍的な「世界観」の表現とみることもできる。人々の心によって受容されないものが歴史を超えて残り続けることはほほとんどありえない」

と言っています。伝説は神話より、もっと具体的な物語ですが、残り方としては同じでしょう。

そう考えると羽犬塚の伝説も、多くの野犬を殺してしまった事実は、そのままでは辛すぎるので、暴犬の話になってしまったり、豊臣秀吉の島津氏討伐という大きな歴史的な出来事に便乗して、愛犬の話に変わっていったという可能性もゼロではないのではないでしょうか。

現在でも物語は刻々と変化しています。良し悪しは別として、物語も生きているのだから時代とともに、人が望むように、変わっていくのは自然なことなのでしょう。

伝説に、「暴犬」と「愛犬」という一見矛盾するような2つの伝説が同時に伝わっていることも、心理学的な面から見たら、人間の心の葛藤をそのまま表しているような気がします。「野犬」と「鷹犬」の、あまりにも両極端な2つの犬の立場そのものが伝わった結果なのかもしれません。

この羽犬塚の例のように、「狼の口に手を突っこむ」ということに関しても、ふたつの伝説があること自体、人間の狼に対する相反する「人間を守ってくれる山ノ神の神使」「恐ろしい動物」という気持ちが表れているのではないかなと思います。このふたつがあるからこそ、また畏敬の念もわき、神や神使として崇めることにもつながっているのだと思います。

 

 

 

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