カテゴリー「全国の犬像と狼像(お犬さま像) 【愛犬物語】」の380件の記事

2018/06/17

ハチ公像の移転話に賛否のニュース

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Yahoo NEWS 「ハチ公“全国行脚”案に賛否 都主導「五輪PR役に」 地元「ただの銅像扱い」」というニュースがありました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180614-00000144-san-l13

たしか、2年前に聞いた話では、渋谷駅開発に伴って、一時的に移転しなければならないとのことだったと思いますが、まるで小池さん発案のようになっています。また、便乗するのかなと疑ってしまいます。

ネットでは、賛否両論あるようですが、反対する人たちの理由が的を得ている気がします。「犬像」の本質を見抜いていることに共感します。

俺も「犬像がそこにある意味」が大切だと思っています。だから俺は実際に犬像を訪ね、犬像を触っています。犬像が各地を回るのではなくて、我々が各地を回ることが大切なのです。ただ見るだけなら、ネットで十分なわけで。

どうして犬像を触る必要があるのでしょうか。

それは「肌触り」なのではないかなと思います。当然、銅像や石像に柔らかさを求めているのではなく、見た目(視覚)を重視するようになった人間が、その場に来たという直接の証は、触る(触覚)しかないのです。聴覚・味覚・嗅覚もこの場合あまり役に立たないだろうし。

ごつごつしていてもかまわない、冷たくてもかまわない、私は、確かにここに来た、という実感は触ることで得られます。

ただ、当初、この移転話を聞いたときは、それもありかなと思いました。決して反対ではありませんでした。

工事でやむを得ず移転しなければならないなら、大館市に一時的に里帰りするのもありかなとは思ったのです。大館市民は大切にしてくれるだろうし。ハチ公の出身地なので、「犬像がそこにある意味」もちゃんとあります。

ただこれが政治的に使われるとしたら、戦時中に、ハチ公が「忠君愛国」のシンボルになってしまった反省が、何もいかされていないのかと、少し心配になります。犬像は、常に、誰からか利用される危険性もはらんでいます。
 
 
 
 
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2018/06/10

「紀州のドン・ファン」の愛犬イブは、主人の殺人を証明するのか

161119_2(茨城県五浦海岸 忠犬ジョン之碑)

161119_3(茨城県五浦海岸 忠犬ジョン之碑)

161119_4(茨城県五浦海岸 忠犬ジョン之碑 碑文)


愛犬が主人の殺人を証明するのでしょうか。

「紀州のドン・ファン」こと、和歌山県田辺市の実業家・野崎幸助さんが急性覚せい剤中毒で死亡した件です。

野崎さんの愛犬イブも苦しんで死んだので、その原因を探るため、イブの死骸が掘り起こされて、専門機関に運ばれたそうです。

覚せい剤反応が出るのでしょうか。それが野崎さんの体内の覚せい剤成分と一致するのでしょうか。もし一致すれば、野崎さん自身の殺人が、さらに疑われることになります。

これは、愛犬が、主人を助けたという話にもなりそうです。

すでに、イブの像が造られています。テレビのニュースで見ました。さすが、純金の犬像で、これほど高価な犬像は、日本で、いや世界でもイブの像だけかもしれません。

犬が毒殺されたという話を聞くと、茨城県北茨城市の五浦海岸の忠犬ジョンを思い出します。忠犬ジョン之碑は六角堂を見下ろす高台の松林の中にあります。

台座に刻まれた碑文を要約すると、こんな感じでしょうか。

ジョンは賢くてとてもいい番犬だったので、それをねたんだ人に農薬を盛られ、死期をさとったジョンは主人の枕元で息絶えました。

憐れに思った主人は風光明媚なこの地にジョンを葬りました。

その後、忠犬のおかげなのか、花咲か爺さんのような幸運が舞い込みました。

忠犬ジョンの勇姿に接する人には、福が訪れるとのこと。この墓地を詣でて、ジョンの加護を受けましょう。

とあります。

碑が建てられたのは昭和30年(1955年)11月です。

「いい番犬」とあるので、吠えることは吠えたんでしょう。農薬を盛った犯人は、何度も吠えられたのかもしれないですね。もしかしたら、物色していた泥棒だったかもしれません。

碑文に「花咲翁」を持ち出しているのは意味深です。

この昔話を持ち出した飼い主の思いを想像してしまいます。犯人に、報いがあると、警告しているようでもあります。
 
 
 
 
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2018/06/09

【愛犬物語 其の二百七十九】 長崎県雲仙市 名犬矢間の墓

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雲仙岳のふもと、カトリック雲仙教会のあたりを「札の原」という。国道57号線から教会へと続く脇道へ入ると斜面に高さ1mほどの自然石があり、その上に名犬矢間(やま)の墓はあった。

墓石中央に矢間の姿がレリーフされている。表面には苔が生え、損傷は激しいが、目、耳、手足、尻尾の部分は良く残っている。「天明七年十一月二四日、札之原、名犬矢間墓」の文字が刻まれている。

この名犬矢間は、雲仙の湯太夫(湯元)加藤小左衛門の愛犬だった。小左衛門は、今も湯元ホテル(1821年に屋号を湯本から湯元に変更)を代々経営する加藤家の先祖だ。

ホテルの会長 加藤宗俊さんと奥さんで女将の由美さんから話を伺った。宗俊さんは小左衛門から数えて15代目に当たる人物だ。

矢間の話を宗俊さんの母・敏子さんが書いた『風 雲仙ロマン』を参考に要約する。
 
 
矢間は、五代目の加藤小左衛門正時の飼い犬で、12キロ離れた南島原市北有馬町矢櫃の親戚八木家との間を往復したお使い犬だった。

「矢間、お使いに行ってきておくれ」と言われ、主人から手紙を風呂敷に包んで首に巻き付けてもらうと、「ワン」と一声吠えて山道を走っていった。

八木家では好きな御馳走をもらい、しばらく昼寝をして、返事の手紙を風呂敷に包み首に結わえてもらって雲仙に帰って来るのだった。

ある日、矢間は八木家の五歳になる娘の上枝(ほずえ)がカラス蛇に睨まれているのをみつけ、吠えながら蛇に飛び掛かっていった。蛇は草むらに逃げていった。上枝は泣きながら矢間にしがみついた。八木家の当主は、上枝が矢間に助けられたことを感謝して手紙に書き添えた。

あるどんよりと曇った日、小左衛門正時は、法要の打ち合わせのために手紙を書き、黄色の風呂敷に包んで「矢間、八木家に行ってきておくれ」と首に巻き付けようとした。しかしどうしたことか、この日に限ってなかなか風呂敷を結ばせなかったが、甘えるように主人の目を見つめ、元気に走っていった。

矢間が雲仙の札の原で近所の住民に発見されたときにはすでに死んでいた。首の風呂敷もなくなっていた。

おそらく、八木家からの帰途、ここで風呂敷包みを奪い取ろうとした盗賊に襲われ、頭と腹に傷を受けて死んでしまったのだろう。

知らせを聞いて、小左衛門正時をはじめ、湯本の人たちも駆けつけた。みな口々に「矢間、矢間」と言って哀しんだ。矢間の亡骸は、札の原に丁寧に葬られた。
 
 
雲仙湯元ホテルでは、立ち寄り湯もやっている。露天風呂は乳白色のいい温泉だった。硫黄の成分が濃いので、古い角質を取り除き、しみや吹き出物を改善してくれる効能があるそうだ。「美肌の湯」とも称される所以だ。

湯につかりながら、矢間がいた当時を想像してみる。

全国でも史実の犬の墓は多くないが、これは犬の名、飼い主の名、碑の建立年月日が明確なので、貴重な史跡でもある。

1787年(天明7年)建立だから、1650年(慶安3年)の長崎県大村市本経寺にある義犬華丸の墓に次ぐ、日本で2番目に古い史実の犬の墓になるようだ。

なお、犬像にこだわれば、福島県須賀川市の「代参犬シロ」の像は「寛政のころ」とあるので1789年から1801年に作られたもの。だから名前を持った特定の犬の像としては、今わかっているところでは、日本で一番古いものになるということに気が付いた。

矢間の像はそういう意味で、特別な像でもあるんだなぁと、温泉ですべすべになった肌を撫でながらしみじみ思った。
 
 
 
 
 
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『犬像をめぐり歩く』出版記念写真展 2018年9月

De4xtdwu8aa3ftm(楽風の店先におかれているニッパーくんの像)


『犬像をめぐり歩く』を入校し、今日、初校ゲラが出てきました。1週間でチェックして戻します。

出版は8月の予定なので、出版記念写真展をやることが決まりました。

詳細はこれからですが、期間は2018年8月31日(金)~9月30日(日)です。(※毎週水曜日定休)

会場は、前回の犬像写真展と同じ、さいたま市浦和区ギャラリー楽風です。

詳細が決まりましたら、当ブログでお知らせします。


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2018/06/07

【愛犬物語 其の二百七十八】 北海道札幌市 西野神社の子安信仰の犬

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札幌市の西野神社は、子安信仰で知られ、境内には、母犬と子犬の石像が置かれています。

子宝を祈願するときは中央の母犬像を、安産を祈願するときは産まれてくる子どもの干支の犬像を撫でるといいそうです。

この犬像も本に載せる予定です。
 
 
 
 


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2018/06/06

「狼信仰—自然への崇拝と畏怖」の連載 第1回・オイヌゲエ祭

Shidax


SHIDAXのManabi JAPAN で、「狼信仰—自然への崇拝と畏怖」の連載が始まりました。

第1回は「オイヌゲエ祭」です。

https://manabi-japan.jp/life-event/20180531_3046/

この連載は、約1か月に1回更新、全部で8回くらいの予定です。もしかしたら、連載回数は増えていくかもしれませんが。

今回の北海道撮影旅行の帰り、東北の狼信仰ゆかりの場所を訪ねたことは、すでにブログで書いた通りです。

なかなかおもしろかったので、この部分も1回分として増えそうです。

他、棚田の連載も継続中ですので、そちらも見てみてください。
 
 
 
 
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2018/06/05

【愛犬物語 其の二百七十七】 北海道札幌市 幌西ほうおん園の「忠犬ポチ」像

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郵便犬ポチが、遭難した局長の体を一晩中温めていたという話には、続きがあります。

1919年、亡くなった局長の長男のもとに1通の手紙が届きました。札幌に感化教育施設「札幌報恩学園」を創設していた小池九一氏でした。

家庭的に恵まれない子供たちや社会からはみ出した子供たちのすさんだ心に思いやりを育みたいので、ぜひポチを学園にゆずってもらえないかという依頼でした。そういうことならと、ポチは札幌報恩学園にゆずられることになりました。

ポチは報恩学園に迎えられ、朝は始まりの鐘を鳴らし、夜は学園の見張りをして、子供たちに愛されました。7年半の月日を学園で過ごし、1927年12月4日に17歳でその生涯を終えました。

小池氏は、ポチを剥製にし、像も建立しました。

現在、幌西ほうおん園の隣の公園に立つ犬像は、幌西ほうおん園の開設を機に、「忠犬ポチ」の像として復刻されたものです。
 
 
 
 
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2018/06/04

【愛犬物語 其の二百七十六】 北海道真狩村 郵便犬ポチの剥製

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真狩村は、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山のふもとにあります。

この村の真狩村公民館にポチという名前の犬の剥製が展示されています。実はこのポチ、今から100年前には、真狩村で知らない人はいないほどの有名な犬でした。

日本の家庭にまだネットどころか電話もなかった、一番速い通信手段が電報だった時代。その電報を届ける郵便配達員は、危険を冒して届けることもありました。

これは電報を届けに出かけて吹雪に遭遇してしまい、倒れてしまった局長を、一晩中温め続けた愛犬ポチの物語です。

真狩村公民館には、ポチの剥製が展示されています。これは一度逓信総合博物館で展示されていましたが、地元真狩高校の生徒たちがポチの紙芝居を作ったことがきっかけで、真狩村に里帰りしたものです。

なお、羊蹄山を望む写真の場所は、見晴地区の畑ですが、このあたりで局長は遭難したそうです。郵便局まで、あと2kmという高台で倒れてしまいました。
 
 
 
 
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2018/06/03

【愛犬物語 其の二百七十五】 北海道札幌市 校犬クロ

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「学校犬」のカテゴリーに入れたのは、長野県松本市の「学校犬クロ」と、先日再アップした石岡市の「みんなのタロー」と、この札幌市の「校犬クロ」の3体です。

盤渓小学校は、札幌市の南西に位置する有名な盤渓スキー場の傍にあります。学校の玄関先に、横たわっている犬像が置かれています。この犬の名前はクロ。物語の主人公です。クロはここが一番のお気に入りの場所だったそうです。

クロの像の隣に肉球の足形で飾られている碑があって、そこにはこのように記されています。
 
校犬クロ 1989年 ― 1999年・4

ある日
学校にきて
その日から
ともにしたしみ
みんなに愛され
多くの子どもの心を
ささえた 黒い犬

この物語の子犬を最初に見つけた、当時小学生だった女性に札幌市でお会いし、インタビューすることができました。本に掲載するため生前のクロの写真もお借りしました。

出し惜しみして申し訳ないですが、その詳しい話は『犬像をめぐり歩く(仮タイトル)』で発表します。
 
 
 
 
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2018/05/30

【愛犬物語 其の二百七十四】 茨城県石岡市 みんなのタローのオリジナル石膏像

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8月出版予定の『犬像をめぐりあるく(仮タイトル)』では、犬像をカテゴリー分けしていますが、その中に「学校犬」があります。

北海道札幌市の「校犬クロ」、長野県松本市の「学校犬クロ」、そしてこの茨城県石岡市の「みんなのタロー」の3体です。

なので、北海道取材の帰り、石岡市に寄り、みんなのタロー顕彰会の人と会いました。

みんなのタロー像の元になった石膏像は、タローが住んでいた東小学校で保管・展示されています。石膏に色を塗っているので、黒い像です。

学校を出ると、すぐ国道6号線に出ますが、タローは、この歩道橋をほぼ毎日2往復渡っていたそうです。そのあと踏切もあります。毎日2km石岡駅まで通っていて、事故にも遭わなかったというのは、奇跡と言ってもいいのかもしれません。

今、タローが通っていた道沿い、駅から300m手前の角にある、ホテル・グランマリアージュのロビーには、タローのコーナーが設けられています。『みんなのタロー いしおかタローちゃん音頭』を作詞作曲したのもホテルの社長さんです。

顕彰会の人に案内されて、駅前の食事処に入りました。ここには、「タローちゃんラーメン」があります。タロー像顕彰会に賛同している店主が、タローちゃんラーメンを始めました。

なお、9月中旬には石岡で祭りがあるそうです。そのとき、俺も犬像の写真を展示することになるかもしれなせん。
 
 
 
 
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