カテゴリー「全国の犬像と狼像(お犬さま像) 【愛犬物語】」の357件の記事

2018/04/25

【愛犬物語 其の二百五十九】 東京都田無市 田無神社の子育て犬

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田無神社に子安信仰の犬像があることは知っていたが、いつでも行けると思っていたのに、近いところに限って行かなかったりするもので、結局、最後になってしまった。これも続編の『犬像』に載せる予定。

犬像は「子育て犬」といい、子安信仰の犬像としても、それほど大きくはなく、長さ25cmくらいだろうか。木彫りなので、優しい感じがする。これも撫でると後利益があるという。

ところで、拝殿、本殿は、東京都の景観条例「特に景観上重要な歴史的建造物」に選定された。
 
 
 
 
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2018/04/23

【愛犬物語 其の二百五十八】 長野県松本市 保福寺の犬像

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松本市内から車で約30分。静かな集落の中にある。

保福寺境内の建築物としては一番古い、1759年に建てられた仁王門をくぐる。

急な石段を登ると、右手に六地蔵があり、正面には本堂、左手に地蔵と犬像が座っていた。

地蔵の台座の銘には、子どもが消化不良の病気で亡くなり、冥福を祈っておかれた地蔵尊。生前友だちだった犬のコゾ像を側に置き、イチョウの木を植えたとある。昭和8年3月21日建てられた。
 
 
 
 
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2018/04/17

【愛犬物語 其の二百五十七】兵庫県神河町 播州犬寺

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法楽寺は高野山金剛峯寺を総本山とする真言宗の古刹だが、またの名を「播州犬寺」という。どうして「犬寺」なのだろうか。

本堂前の屋根掛けされたお宮の中に本堂に向かって右側に白犬、左側に黒犬の像が控えている。金網に囲まれているが、外れないということなので、写真を撮るのは少々難しい。

本堂には黒犬・白犬が描かれている板絵が掲げられている。その伝説を本堂の前に立っている「播州犬寺縁起」から要約する。


枚夫という豪族がいた。都で戦が起こり、枚夫もその戦に従軍することになった。

枚夫には妻がいたが、留守中、妻と家来が不倫関係になった。やがて戦いが終わり、枚夫が都から帰ってきた。

家来が枚夫を猟に誘い、弓に矢をつがえて殺そうとした。

もはやこれまでと覚悟を決め、枚夫は2頭の愛犬を呼び寄せ、「よく聞け。今、家来に騙されて、むなしくこの山の中で私の命は奪われる。人々が来て、私の屍を見られることは大きな恥だ。だからお前たち、私の屍を食い尽くせ」と言いきかせた。

話が終わるやいなや、犬たちは猛然と家来に襲いかかった。一頭が家来の弓弦をかみ切り、もう一頭が家来の喉元に噛みついた。

枚夫が自分の屋敷に戻ると、親族に告げて言った。「私は、この二犬によって命を助けられた。今からこの二犬を私の子どもにする」と。

しかし犬たちは枚夫よりも先に死んだ。犬たちの死を悼み悲しみ、伽藍を建立し、千手観世音菩薩を本尊とした。


不倫がバレると悪いので、いっそ殺してしまおうというのだから、何という家来なのかと思う。それを止めなかった妻も同罪と言えるが。しかし話自体は、今もありそうな話だ。いつの時代も、痴情による事件は後を絶たないということなのだろう。

ここは真言宗の寺なので、犬像は弘法大師を高野山に案内した2匹の犬とゆかりがあるようだ。ただ伝説の筋書きは、似た話が中国の『捜神後記』にあるという。

中国の会稽郡句章県(現在の浙江省)の張然という者が賦役にかりだされて数年間家を留守にしている間、妻と下男が密通したというのだ。妻と下男が共謀して帰ってきた張然を殺そうとするが、烏竜という名の愛犬が下男に飛びついた。張然は下男を斬り、妻を官憲に突き出して死刑にしてもらったという。

たしかにそっくりな筋書きだ。

ところで、長谷は犬寺から車で約30分ほどの静かな集落で、ここに犬塚の碑とお堂があった。

これは播州犬寺の伝説の後日談と言えるもので、枚夫の2頭の犬のうち、1頭が老いてこの地に来て死んだので、事情を知っていた村人が哀れんで墓を建てて祀った。一方枚夫の妻は、家来に味方したことを恥じて出家し、この地に清水寺を建てて隠棲したという。
 
 
 
 
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2018/04/16

【愛犬物語 其の二百五十六】兵庫県西脇市 犬次神社のマナシロ(麻奈志漏)

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犬次神社の起源は古く、『播磨風土記』にも記されている。

その昔、第15代・応神天皇がシカ狩りにこの地を訪れたとき、猟犬・マナシロ(麻奈志漏)がイノシシと戦って死んだのを哀れみ、この地に葬った。

「マナシロ(麻奈志漏)」とは、「真白」のことで、毛色は白だったらしい。

NHK総合で2017年8月24日放送された「人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」で、最も古いペットの名前のひとつとしてこの「マナシロ(麻奈志漏)」が紹介されていた。

「犬次」の名前の神社は、全国にここだけで、犬を葬った「犬塚」が転訛したものと考えられている。

神社は地元の住民が代々守ってきた。この日も月一の掃除の日で、住民が1時間ほどかけて、境内を丁寧に掃除していた。

田畑を荒らすイノシシを退治してくれた犬をお祀りしていくうちに、犬の安産・多産にあやかって、現在は子安信仰の神社になっている。

参詣者は本殿裏側の夫婦岩の間にある「砂受場」から砂を一握りもらって持ち帰り、安産を祈願して、無事出産が済んだら、その砂を持ってお礼参りをする慣習があるそうだ。

神社にマナシロ(麻奈志漏)の像や墓はないが、奉納された絵がある。
 
 
 
 
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2018/04/15

【愛犬物語 其の二百五十五】兵庫県宝塚市 介助犬シンシア像

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JR宝塚駅構内に「シンシア像」が置かれたのは、2015年3月14日のこと。

シンシアの像は、JR宝塚駅の2階コンコースにあります。メスのラブラドールレトリバーです。

シンシアは、「身体障害者補助犬法」の成立に尽力した介助犬です。

2016年に訪ねていましたが、事情により、『全国の犬像をめぐる』では掲載しませんでした。続編では掲載することになって、ちょうどシンシア像の一部が新しいものに変わったと聞いたので、今回再訪し、撮影し直しました。

どこが変わったでしょうか? 像の性質からいって、けっこう重要なポイントです。

以前の記事はこちらです。

【愛犬物語 其の五十七】 兵庫県宝塚市 介助犬シンシアの像(2016/11/6)
 
 
 
 
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2018/04/13

【愛犬物語 其の二百五十四】大阪府大阪市 犬形の土人形

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大阪城公園に隣接する大阪歴史博物館。

ここに豊臣期の犬形の土人形が展示されている。

なにこれ?と衝撃を受けるほどの可愛さ。

体長5cm、高さ3cmくらいの小さな像だが、大坂城築城開始の1583年から秀吉が没した1598年までの地層から出土したものだそうだ。

大阪で作られた土人形は全国に伝わった。各地から出土している。

何の目的で作られたかは諸説あってはっきりわからないが、玩具や土産品や安産などのお守りだったのかもしれない。
 
 
 
 
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2018/04/12

【愛犬物語 其の二百五十三】京都府亀岡市 犬飼天満宮 甕襲の足往

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亀岡市郊外、犬飼川のほとりに鎮座する犬飼天満宮を参拝した。

『日本書紀』「垂仁紀」に、丹波国桑田村に甕襲(みかそ)という人物がいて、犬の「足往(あゆき)」が山の獣の牟士那(むじな)を食い殺した。すると、獣の腹から八尺瓊の勾玉が出てきたので、甕襲はこれを朝廷に献上した、という話が載っていて、これがしっぺい太郎型伝説や犬を使った害獣駆除の最古の記録ではないかとも言われる。

残念ながら犬の像とか絵はないようだ。
 
 
 
 
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2018/04/11

【愛犬物語 其の二百五十二】大阪府高槻市 今城塚古墳の犬形埴輪

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大阪府高槻市には、淀川流域では最大級の前方後円墳・今城塚古墳があって、隣接する今城塚古代歴史館にも、犬形埴輪が展示されていた。

しかし今城塚古墳から犬形は見つかっておらず、展示されていたのは、市内にある別の昼神車塚古墳で出土した埴輪だった。犬形の隣に猪形も展示されていて、やはりここでも、犬と猪はセットで発見されている。

昼神車塚古墳は、古墳時代後期の6世紀中ごろの築造と推定される前方後円墳で、全長60メートルある。前方部中段に猪1頭を犬2頭で追う形で置かれていたという。猪猟を再現したシーンだ。
 
 
 
 
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2018/04/10

【愛犬物語 其の二百五十一】大阪府岸和田市 大山大塚遺跡公園 捕鳥部萬の白犬墓 

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大山大塚遺跡公園は、場所がなかなかわかりづらく、地元の人に「犬の墓(実際は捕鳥部萬の墓)があるところ」と聞いて、ようやくたどり着いた。

大山大塚古墳は天神山二号墳とも呼ばれ、直径約20m、高さ約3mの円墳で、頂上に捕鳥部萬の墓石と顕彰碑が建てられている。

また、義犬塚古墳(天神山一号墳)は、200m離れていて、頂上に「萬家犬塚」銘の墓碑があるそうだ。しかし、こちらは私有地で普段は立ちることができないようだ。

「日本獣医史学雑誌」(2001)の小佐々学氏「日本書記の捕鳥部萬の白犬墓」によると、

捕鳥部萬の白犬墓は、日本書紀に記載されているため、犬の墓を作った史料としては昔から知られた話だった。

蘇我氏が物部氏を滅ぼした戦争で、捕鳥部萬は物部守屋の近侍者だったが、戦って自刃した。萬の愛犬だった白犬が萬の首を奪って持ち去り、古い塚にその首を埋めた。白犬は首を守ってその場を動かず、そのまま餓死したという。

小佐々氏は、

「現存する大山大塚古墳と義犬塚古墳にある墓石は、江戸時代後半の国学の興隆により日本書紀という古代史料の記載を知った地元の有力者が、有真香邑に比定されるこの地の古墳を、萬と義犬の墓所に見立てて建立した墓碑と解釈するのが妥当ではないかと考えられる」

と結論付けている。

歴史的には、ここがそうだったかどうかはわからないが、古代や近世に犬の墓を作ったということ自体が、日本人の動物観を知る史料として高く評価されるものだという。

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2018/04/09

【愛犬物語 其の二百五十】大阪府泉佐野市 犬鳴山七宝龍寺 義犬塚

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大阪府泉佐野市犬鳴山七宝滝寺の義犬塚を訪ねた。

犬鳴山の中腹に建つ真言宗犬鳴派の本山だ。うっそうとした森の中にある寺で、護摩壇の正面に立つ高さ7mの身代わり不動に圧倒される。

義犬塚は、本堂とは離れた渓谷沿いにあった。「犬鳴山」という名の由来もこの義犬の伝承に由来する。

その伝承を犬鳴山七宝滝寺のHPから要約すると、

紀伊の猟師が犬を連れて一匹の鹿を弓で狙っているとき、急にけたたましく吠えだしました。犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。犬は切られながらも飛び上がり、木の上にいた大蛇の頭に噛みつき、猟師を助けて大蛇と共に倒れました。
猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り、七宝瀧寺に入って僧となり、永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。

伝承は小白丸型。犬塚は、急な壊れかけた階段があるが、崩れるのが怖いので、脇の方から登った。落ち葉を踏みしめ、斜面に陣取りながら犬像を撮影した。

犬像は立派で独特な姿だ。空を見上げている。無念さの表現なのだろうか。筋骨隆々とした体つきで狼のようでもある。それにしてもかなりインパクトある犬像だ。
 
 
 
 
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