カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の659件の記事

2021/01/18

なぜ狼祖神話・犬祖神話なのか

10_29(モンゴル)

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_(雲南省 ヤオ族)

_01(雲南省 ヤオ族)

 

「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」

これは、『元朝秘史』(Wiki 参照)にある一節です。昔、井上靖の『蒼き狼』というチンギスハーンの小説を読みましたが、モンゴル人の起源として、この一節が引用されていたような気がします。当時はまだ、「モンゴル人」も「狼」もそれほど知識もなく読んだわけですが、狼が祖先という出自に、カッコ良さ、ロマン、神秘性を感じたものです。

このような狼祖神話をもつ民族は、「烏孫・ 羌・突厥・高車・アルタイ・蒙古・ブリヤートなどのテュルク系およびモンゴル系であって、いずれも代表的な遊牧生活を営む諸族 (中略) 狼はとりわけ中央アジアで畏怖の対象となってきた。野性的で迅速に攻撃する肉食獣たる狼は、軍事的な遊牧民にとって、まさしく模範とす べき存在である。それで突厥は軍旗に黄金の狼頭を掲げただけでなく、将卒の親衛隊員を「狼」と呼びもしたのである。狼が戦士の動物とされたなら、狼に出自をたどるのは光栄なことだった。それでアルタイ諸族は狼に族祖を求めたのだ。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)

遊牧民にとっての一番の関心事は、農耕民が干ばつを恐れるように、家畜を食べる狼であったようです。勇猛果敢な狼は遊牧民の模範ともなるものですが、怖い動物でもありました。この両面を持つ存在である狼は遊牧民から神聖視され、狼祖神話が中央アジアに広まったということでしょう。

昔、中国北西部、内蒙古自治区ハイラルのナダム祭りで「蒼き狼」の末裔、あるモンゴル人と話す機会がありました。この祭りでは、モンゴル相撲(ブフ)も行われていて、「ブフ」の試合で4位になった力士、バォリタさんという青年でした。

彼は年に2、3回里帰りするそうです。この辺(ハイラル郊外)では夏だけゲル(天幕住居)に住むのとは違って、彼の実家の田舎では、夏も冬も、1年中ゲルに住む、完全な遊牧民が多いところ。草丈が高く、冬でも雪が積もることはないので、冬も放牧できます。ただし、やっぱり冬はめちゃくちゃ寒いらしい。

ゲルには、電線など来てないので、ヤマハの発動機を使って、自家発電しています。夜は(昼もそうかもしれませんが)、家畜の鳴き声意外は何も聞こえないところです。隣のゲルはとても遠いのです。遊牧をするには、かなりの面積の草原が必要です。

時々、狼が出没し、羊を食べられてしまいます。遊牧民にとって、一番怖いのが野生の狼だそうです。

からかい気味に「狼はモンゴル人の祖先でしょう?」と聞いたら、「羊を襲う狼は、やっぱり悪いやつです」とバォリタさんは笑いながら言ったのでした。

今回「ブフ」の試合で勝ち取った4位の賞品は、羊1匹と洗濯機でしたが、田舎へのいいおみやげができて喜んでいました。

 

世界には、狼祖神話と犬祖神話を持つ民族がいますが、遊牧民族が狼祖神話を伝えている一方、中国南部に住んでいるヤオ族、ミャオ族の一部には、槃瓠が自分たちの祖先だという犬祖神話が語り継がれています。

中国の史書『後漢書』列伝にでてくる槃瓠【ばんこ】という犬の話です。

昔、高辛氏【こうしんし】の時代、襲ってきた敵、犬戎【けんじゅう】の将軍の首を取ってきた飼い犬の槃瓠は褒美として帝の末娘の姫といっしょになった。槃瓠と姫は南山の石室で暮らし、6男6女をもうけた。

これが犬祖神話です。『南総里見八犬伝』にはこの神話が生かされています。

「犬は、偉大な神話を形成するだけの刺激を与えることはできない。犬は自然界ではな く、人間界に属するからである。狼が荒野の支配者なのに対し、犬は人間の守護者だ。狼は人間より前から存在 したが、犬は人間が造り上げたものである。よって人間は犬に対して距離を置かない。狼は、男性的で戦士的な 動物であるのみならず、破滅と死をもたらす存在でもあるから、その姿は戦慄と賛嘆とを同時に引きおこす。し たがって、犬祖神話よりも前に狼神話が先行したはずであり、その起源地は中央アジアに違いない。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)

犬は狼に比べてより人に身近な動物なので、畏怖する存在までにはならないという話はわかるし、犬を悪く言う諺は世界中にたくさんあるし、「あいつらは犬の末裔だ」と、どちらかというと蔑んでいわれることもあるのが犬祖神話ですが、それでもなぜ「犬」なのでしょうか。

実はモンゴル族が狼の末裔という有名な話のほかに、犬の末裔という話もあるらしいのです。

獣祖神話と北アジア 古沢襄」にはこのようにあります。 

 「ポルテ・チノの狼血が、ジンギス汗に流れ、殺戮の征服欲の根源になったという説は「モンゴルの秘められた史(ふみ)」という歴史書に依拠している。井上靖は小説を書くに当たって、この狼始祖史料を使っていた。実は、もう一つの犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だという。
 ジンギス汗はモンゴル族の中でボルジギン氏族に属していたが、この氏族に伝わったのは犬の始祖神話。蒼き狼のポルテ・チノから十二代目の子孫にドブン・メルゲンという人物がでる。妻のアラン・コアとの間に二人の男子を生んだが、ドブン・メルゲンの死後、もう一人の男の子が生まれている。この子は狼始祖を持つドブン・メルゲンの血を受け継いでいない。
 アラン・コアは、男の子の父親は黄色い犬だといった。そして犬の子・ボドンチャルがボルジギン氏族の始祖となった。ジンギス汗は狼の血統ではなく、犬の血統だったことになる。腹心の功臣であるジュベ、フビライ、ジュルメ、スペエデイの四人も「狗(いぬ)」に比せられている。」(「獣祖神話と北アジア古沢襄」より)

モンゴルにも犬祖神話があるようです。モンゴル人は狼の末裔だという「蒼き狼」のイメージが強いのは、もしかしたら井上靖の小説の影響かなと思うくらいですが、犬か狼かは別にして、「獣祖神話」が遊牧民に多いのは確かなようです。

でも一番知りたいところ、どうしてある民族は「狼」を選び、ある民族は「犬」を選ぶのか、まだまだ分かりません。

 

 

 

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2021/01/15

1月14日は、タロ・ジロの日

161130_2(東京都立川市の国立極地研究所の樺太犬のブロンズ像)

_mg_0012(愛知県名古屋港のタロ・ジロ像)

161106_6(大阪府堺市の大浜公園の樺太犬の慰霊碑)

160809_1(東京都「船の科学館」の「宗谷」)

160809_3(「船の科学館」の「宗谷」のタロ、ジロ像)

160809_4(「船の科学館」の「宗谷」 タロ、ジロと犬係だった北村さん)

160809_6(「宗谷」の記念カード)

 

昨日1月14日は、タロ・ジロの日でした。すっかり忘れていました。

東京都「船の科学館」に展示してある初代南極観測船「宗谷」は、1956年(昭和31)11月からは日本初の「南極観測船」として活躍しました。操舵室の各計器なども歴史を感じさせます。

船内の一部屋が樺太犬たちの部屋で、当時は暑さに弱い犬たちのために冷房も完備していたようです。そこに、タロ、ジロの可愛らしいぬいぐるみが展示されています。

タロ、ジロの話は有名ですね。置き去りにされたタロ、ジロは南極で1年後生きていることがわかった奇跡の話です。映画にもテレビドラマにもなりました。これはこれですごい話なのですが、興味をひかれた次のような不思議なエピソードがあります。

昭和33年2月、宗谷が流氷に阻まれて、動きが取れなくなりそうになり、ヘリで、昭和基地の隊員を救出することになりました。この時点では、すぐに第二次観測隊が来ることになっていたので、昭和基地にいた犬係の北村泰一さんは、犬ぞり用の樺太犬15頭の首輪をきつく締め、鎖につなぎ直しました。

でも悪天候によって、交替の第二次観測隊は来ないことが決定。残された犬について、隊員は、連れてこれないなら、いっそ殺しに行かせてほしいと頼みましたが、事態は深刻で、それもかないませんでした。北村さんたちは泣く泣く犬を置き去りにせざるをえなかったのです。

日本に帰った彼らは、「なぜ犬を見殺しにしたのか!」と大バッシングを受けます。北村さんも自責の念にかられて精神的にも肉体的にもかなり参ったといいます。

何も知らない人に限って言いたい放題ですね。それは今も変わりません。北村さんたちの気持ちを考えると胸が締め付けられます。「いっそ殺しに行かせてほしい」という切羽詰った気持ち、よくわかります。

そんなある夜、北村さんは夢を見ます。

南極大陸を走っている2頭の犬の夢です。それを見て「生きていたんだなぁ」と夢の中で思ったそうです。

そしてもうひとり、犬係だった菊池徹さんも不思議な体験をしています。

全国に樺太犬たちの記念像が建てられて、そのひとつ(大阪府堺市の大浜公園の樺太犬の慰霊碑)で弔辞を読むことになりました。

犬たちの名前を1頭づつ読み上げていきましたが、13頭までは名前が出たのに、14頭、15頭目の犬の名前が出ません。どうしても思い出せなくて、そのまま弔辞を終わりました。その2頭がタロとジロだったのです。

そして昭和34年1月、北村さんは第3次観測隊に参加して、南極で生き残っていたタロとジロに再会したのでした。

感動的な話であると同時に、不思議な話です。

ユングに言わせれば、北村さんの場合は「予知夢」というわけですね。

でも、ユングと違ってフロイトは予知夢には懐疑的だったそうで、フロイトだったらこう解釈するのでは?ということです。

北村さんは犬係だったので、15頭のそれぞれについては熟知していた。だから意識していないところで、タロとジロの生命力がほかの犬より強いことを把握していた可能性がある。加えて、タロ、ジロは首輪の潜り抜けが上手だったらしい。だから夢で見た、と。

それと罪悪感や、何匹かは生き残っていてほしいという願望なども、意識的無意識的に、北村さんの心に日々わいていただろうということは想像できます。夢は欲望の充足であるともいわれるので、世間から追い詰められた北村さんが、夢で生きている犬の夢を見たとしても不思議ではありません。

でも、もしかしたら、北村さんが南極で生きている犬の夢を見たのは本当かもしれませんが、それがタロ・ジロの2頭だったのかどうか、どうだったのでしょうか。

1年後、実際にタロ・ジロと再会して、あとで、北村さんが見た夢に出てきたのがタロとジロだったに違いないと思ったのかもしれません。北村さんだけではなく、周りの人たちも。もしかしたら日本全国民も。これを悲劇で語りたくない気持ちは、北村さんだけではなく、日本全国民にあったのではないでしょうか。人間の記憶は都合のいいように作り変えられるので、可能性はあるでしょう。

とはいっても、何も俺はこの不思議な話を「勘違いだ」「噓だ」などと言いたいわけではありません。「夢でタロ・ジロを見た」という話は、北村さんや周りの人たちの「物語」になったわけで、その「物語」によって、ようやく精神的重圧から逃れることができたのではないかと想像します。

一方の菊池さんの場合も、2頭の生命力の強さをわかっていたので、「死んだはずがない」という気持ちが、名前を忘れさせた(名前を言いたくなかった)ということのようです。

弔辞を読むことになった慰霊碑は大阪府堺市の大浜公園にあるものですが、数頭が遠吠えをする姿は、悲しみに満ちています。このときはまだ南極で2頭が生きていることは誰も知りませんでした。いや、日本人全員が、全頭死んでいるに違いないと思っていた時期なのです。そんな中で読む弔辞なので、菊池さんの心は緊張感や罪悪感が入り混じった極限状態だったのではないでしょうか。

これも、証拠があるわけではありませんが、菊池さんが全部の犬の名前を言えなくなったのは事実かもしれませんが、それがタロ・ジロだったのかどうか。タロ・ジロが見つかったあとで、そういう記憶が作られた可能性もあるのではないか、というふうに思います。

これも北村さんと同じように、菊池さんの「物語」になり、精神的ストレスから解放されたのではないか。いずれも想像でしかないのですが。

このふたりのエピソードは、それだけ北村さんや菊池さんの犬たちに対する愛情の深さを表すものであるのは間違いないでしょう。

 

 

 

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2021/01/13

文明と野生、意識と無意識の境界を行き来するオオカミやイヌのイメージ

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『犬からみた人類史』の中のコラム、石倉敏明氏「文明と野生の境界を行き来するイヌのイメージ」には、オオカミとイヌのイメージの連続性が語られています。俺もこの連続性にひかれているようなところがあります。

とくに日本では、オオカミとイヌの区別がはっきりしていないことがあります。それは、もともと大陸のオオカミと違って小型であること、牧畜業が盛んではなかったのでオオカミの被害が少なかったこと、そして実際、オオカミとイヌとの交配も起こっていたことなどから、見かけ上も、生物学的にも、オオカミとイヌを完全に分けることが難しいことがあります。

先日も書きましたが、上野の国立科学博物館に展示されているニホンオオカミの剥製を見て、これをオオカミだとすぐに判断できる人はそれほどいないと思います。イヌだと思うでしょう。もっとも剥製の製作者が「可愛らしく」作ってしまったということも原因かもしれませんが。

ここにオオカミからイヌへのイメージの連続性が見て取れます。オオカミが「ヤマイヌ」「オイヌサマ」と呼ばれることにもそれが表れているのではないでしょうか。

石倉氏はこう書いています。

「オオカミ、ヤマイヌ、イヌといった動物は、奥山、里山、人間界(里・町)という大きく三つに分割された地理的な文化コードを行き来することによって、人間の生活圏の境界を超えた穢れや聖性といった性格を獲得している。現代、日本のアーティストが作り出す豊かなイヌのイメージも、こうした異種間の想像力と無縁ではありえない。イヌは神話的な動物素として、多種多様な方法でイメージ化されてきたのだ。」

文明と野生を行き来するのがイヌとオオカミのイメージというのに加え、俺にはもうひとつ、心理学的な面からのオオカミとイヌの連続性が感じられます。

これは前から何度か書いていることですが、オオカミとイヌを対比すると、

オオカミ:無意識・夢・裏・陰・闇・夜・死などなど

イヌ:意識・現実・表・陽・光・昼・生などなど

といったイメージです。境界を超えて向こう側へ行ったものがオオカミ、境界のこちら側にいるのがイヌ。そして両者は、区別されるものではなく、境界を行ったり来たりしている「何ものか」なのです。俺にはそう感じられます。

実際、イヌは現実の動物として存在していますが、ニホンオオカミは明治時代に絶滅し(まだ生存を信じる人たちもいますが)、あちら側へ行ってしまいました。いなくなってしまったからこそ、オオカミはよりカミへ近づいたと思います。オオカミがカミの眷属であることは自然なことのようにも思えるし、オオカミによって人は向こう側へ連れていってもらえるということです。

それは普段は意識していない、自分の内面に残っている野生性に気が付かせてもらうことでもあります。

 

 

 

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2021/01/07

『犬からみた人類史』の今野晃嗣氏「イヌとヒトをつなぐ眼」

_mg_9987(国立科学博物館 ハイイロオオカミの眼)

_mg_2636(山梨県上野原市犬目宿 ヴィーノの眼)

 

『犬からみた人類史』の第5章に今野晃嗣氏の「イヌとヒトをつなぐ眼」があります。

オオカミとイヌは、「眼」に関して何が違うのかが書いてあり、非常に興味深く読みました。

著者はこう書いています。

「イヌとヒトの距離を近づけた要因の一つは互いの「眼」を介した視覚情報のやりとりであり、それがひいてはイヌとヒトの稀有な共生関係を形作ったりつなぎとめたりする役割を果たしてきたと考えている。」

この前は、イヌの嗅覚のすごさを書きましたが、今回は視覚です。イヌとヒトが同等の嗅覚能力があったら、また別な交流史が描けたかもしれませんが、残念ながら、ヒトの嗅覚はイヌとは比較にならないので、視覚がカギを握ったということではないでしょうか。

オオカミとイヌの眼の違いで一番大きいのは、瞳孔と虹彩のコントラストがあげられます。オオカミの眼は、光彩が明るく、瞳孔が黒いので、どこを見ているかがはっきりわかる眼をしています。これは人間でもそうで、白目と黒目がはっきりしているのは霊長目でもヒトだけで、視線がどこを向いているのかがわかります。(視線強調型の眼)

これは諸刃の剣でもあります。視線を悟られると、獲物を逃したり、他者に威嚇を与えてしまうことがある一方、利害が一致する集団においては、「好意」や「愛着」を表すことになります。デメリットがありながらも、ヒトは、目立つ眼を持つことを選択し、それが功を奏し、地球上で繁栄することができたと言えるかもしれません。

「ヒトの目立つ眼は、同種他個体と「うまくやる」ための交流能力を促進する器官として進化してきたのかもしれない。」と著者も言います。その証拠に、目立つ眼を持つ種ほど集団は大きく、大脳新皮質が発達しているとのこと。これは「社会的知性仮説」として、ヒトの大脳新皮質がどうして大きくなったかを説明しているものがあり、大きな集団を維持するためには、複雑な社会情報を処理する必要があったから、ということと矛盾しません。

でも、イヌは違います。黒目がちな眼で、視線強調型ではなく黒目強調型です。ヒトとオオカミが出会ったときには、お互いが視線強調型の眼をしていましたが、イヌに変わっていった過程でも、黒目強調型に変わったのは後で起こった変化であるらしい。

オオカミとイヌでは何が一番の違いなのかを調べた比較研究があるそうです。

フタを開ければ容器の中の食べ物を取り出せることを学習させたあと、フタを開かないようにする。すると、オオカミはひたすら自分で開けようとするのですが、イヌは、ヒトの顔を見るというんですね。容器とヒトの顔を交互に見るイヌもいたそうです。オオカミはヒトの顔を見ません。

他の実験からも、イヌの方が、オオカミより、ヒトに視線を向けることが多く、解決策をヒトに「頼む(命令する?)」ようです。

これはよくわかります。うちのヴィーノも、水が入ったボウルや、オシッコシートは、居間の隣の和室に置いてあって、戸が閉まっていると、ヴィーノが、じっとこちらの顔を凝視することがあります。明らかに、「この戸を開けて」と言っているのだとわかります。開けてやると、ヴィーノは水を飲んだり、オシッコしたりします。

そして明け方、と言っても早い時は午前3時半、遅くても午前5時ですが、ハッとして目が覚めると、枕元でヴィーノが伏せの格好で、俺の顔をじっと見ています。それでも無視して寝続けていると「散歩に連れていけ」と、顔をひっかくのです。妻はこの前目をやられたので、急遽、枕を覆うように金網のフェンスを作り、ヴィーノの不意打ちを防ぐことにしました。これはまた別な問題、ヴィーノ固有の問題ですが。

視線信号の送信能力に長けているのがオオカミよりもイヌだという考えを補強する神経内分泌的証拠もあります。最近話題の、オキシトシンです。「愛情ホルモン」などとも俗に呼ばれていますね。

ヒトとイヌが見つめ合うとオキシトシン濃度が上昇するというものです。これについては、前にブログでも書いています。

犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース(2015/06/01) 

オオカミはイヌになってから、もっとヒトに気にいられるため、ヒトを利用しやすくするため、眼は視線強調型ではなくて、黒目が多い黒目強調型の眼に変化させてきたということらしい。これによってますます「幼さ」を強調することができ、見つめることで、ヒトにかわいがられたり、守られたりする存在になったという。

「利用しやすく」などと表現すると、ちょっとイヌがあざといように受け取られてしまうかもしれませんが、種が生き残るために「良い」も「悪い」もないし、仮にそうだとしても、ヒトはイヌからそれ以上のものを与えてもらっているし、種が違っても「最良の伴侶・家族」になっているので、双方がwin-winの関係で結果オーライでしょう。

 

 

 

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2021/01/04

連載14回目『狼信仰』は「山形県の狼信仰 (1)」

Manabi

 

まなびJAPAN 連載14回目の『狼信仰』は「山形県の狼信仰 (1)」です。

狼信仰の痕跡は、東北の太平洋側に多く、日本海側には少ないという傾向があって、それは狼像がほとんどない、というところからも実感します。

それでも、昔は狼祭りも行われていたし、石碑はいくつか残っています。

2回に分けて「山形県の狼信仰」を書きますが、第1回目は、尾花沢市の「三峯山神社」の石碑と、最上町の「おいの祭り」の痕跡や、「三峯山」の石碑についてです。

詳しくは、まなびJAPANの方でお読みください。

https://manabi-japan.jp/culture/20201229_23676/ 

 

 

 

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2020/12/18

藤川馬頭観音の牛のお札

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来年の牛・丑年にちなんで、牛の話題を続けようと思います。

西郷隆盛の愛犬「ツンの像」を探しに鹿児島県薩摩川内市の藤川天神を参拝した時です。牛の姿が入った馬頭観音のお札をいただきました。

駐車場から境内に入る参道脇にツンの像はありました。上野の西郷さんの像からの思い込みで、てっきりここも西郷さんといっしょのツンを想像していたのですが、像はツン単独の像です。

どうしてここにツンの像が建てられたのかというと、ツンの元々の飼い主だった前田善兵衛の家が、ここから4kmほどのところにあるからです。いわば、ツンの生まれ故郷に、錦を飾ったというかっこうでしょうか。

平成2年(1980年)のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の放映を機に、制作を彫刻家・中村晋也氏に依頼し、ツンの像が建立されたとのことです。

宮司さんは、

「上野のときには、ツンは死んでいて、雄犬をモデルにしたのですが、ここのツンの像はちゃんと薩摩犬の雌犬をモデルにしています」

といいました。上野の銅像を造ることになったときには、ツンは既に死んでいたので、別の薩摩犬の雄犬をモデルにして造られたという話は聞いていました。

こっちの方が実物に似ているということになるのでしょう。地元ではちょっとした自慢なのかもしれません。

社務所には御札やお守りがあって、中に動物が2頭刷ってあるお札があって、小さいほうがチベット犬の子犬の姿にも似ていました。

確認のために「これは犬ですか?」と聞いたら、馬頭観音の御札で、これは子牛の像なのだという。残念ながらやはり犬の姿ではありませんでした。

牛のお札をいただいたのは、ここが最初で最後です。

 

 

 

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2020/11/13

【犬狼物語 其の五百三十三】東京都板橋区 常盤台天祖神社

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東京都板橋区のときわ台駅近く、常盤台天祖神社で七五三の撮影でした。

こちらには、「お犬さま」がいます。どうして?

どうやら、同じ区内の桜川御嶽神社のお犬さまの影響らしいのですが、お守りとして使われています。天祖神社の宮司が桜川御嶽神社の宮司も務めているそうで、それを聞いて納得しました。桜川御嶽神社のお犬さまは、3対ありますが、一番古いものは文化財に指定されていて、天祖神社のお犬さまはその姿を模したらしい。

お犬さまの解説や、撮影用のお犬さまのパネルなども用意されています。どうせなら、だれか石像でも奉納してくれたらなぁと思いますが。

そして、神社の弘化三年の狛犬の台座には丸い窪みがありますが、これは、昭和20年6月10日の空襲でできたものだそうで、空襲被害の遺構になっています。

 

 

 

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2020/11/10

【犬狼物語 其の五百三十二】埼玉県和光市 新倉氷川八幡神社

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埼玉県和光市の新倉氷川八幡神社です。七五三&お宮参りの撮影で参拝しました。

ここには、境内社として御嶽神社が鎮座するという情報があったのですが、他には見当たらず、「富士嶽浅間大神」の石碑と狛猿の像はあって、この浅間神社のことだったのかもしれません。

そしてこれは前情報になかったのですが、拝殿前左に子宝犬の石像、右に福招猫の石像がありました。どちらも現代的意匠で新しいものです。

子宝犬は、3匹の子犬を抱っこした母犬が横たわっている像です。だいたい子宝犬は、撫でられるので、ここの子宝犬も、ちょうどいい高さ(腰の位置)の台座に置かれていました。

ところで、この神社での儀式ですが、拝殿でご祈願をしたあと、本殿を3周し、本殿裏側の板塀に榊を差し込むというのが昔からの習わしだそうです。意外とこのあたりには古い伝統が残っているようです。

 

 

 

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2020/10/17

【犬狼物語 其の五百三十一】映画『石岡タロー』

170514_0(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

170514_2(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

茨城県のJR石岡駅西口前の広場で新しい犬像の除幕式が行われたのは、2017年4月15日のことでした。

「みんなのタロー」という犬像です。以前から駅の待合室には忠犬タローを紹介する写真パネルが掲げられていましたが、この物語を語り継ごうと、犬と子どもたちのブロンズ像が建てられたのでした。

あれから3年、今度は映画化の話が進んでいます。

9月29日に石岡市で映画『石岡タロー』の制作発表会がありました。石坂アツシ監督や、出演者の菊池均也さん、グレート義太夫さんも来場し、山口良一さんはビデオメッセージだったそうです。

公式HPはこちらです。

ishiokataro.com

昭和39年、石岡市立東小学校に保護された雑種犬。
「タロー」と名付けられたその犬は、午前と午後の決まった時間に
東小学校から石岡駅までの2キロの道のりを17年間毎日通い続けました。
タローは誰を迎えに石岡駅に通っていたのでしょうか?
本作は茨城県石岡市で実際にあった感動的ストーリーを映画化したものです。 

 

残念ながら静岡県松崎町の石部の棚田撮影をすることになっていたので、制作発表会へはいけませんでした。

エキストラの募集もしています。ヴィーノの容姿からタロー役は無理だけど、俺といっしょに通行人ならどうでしょうか。どうせ出るならヴィーノといっしょだろうし。でも、昭和30年代にビーグル犬はペットとして珍しかったかなとも思います。ヴィーノ連れだと、通行人としては浮いてしまうかもしれません。

 ヴィーノに柴犬の着ぐるみを着せるとか、方法はないことはありません。

 

 

 

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2020/10/15

【犬狼物語 其の五百三十】山梨県韮崎市 神明山法泉院のはじめ狛犬

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山梨県韮崎市の神明山法泉院を参拝しました。

階段の右側に、目的の石造はありました。高さは20cmくらいのものです。3体あって、左の2体は、はじめ狛犬ふうです。でもそんなに古いものではないかもしれません。

右の1体は顔が無くなりよくわかりません。でも、どこかで見たフォルムだなぁと思い出してみたら、山形県高畠町、犬の宮で見た謎の石造と似ている気がします。

 

 

 

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