カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の646件の記事

2020/09/23

【犬狼物語 其の五百二十二】 痼魯難(コロナ)収束祈願のお犬さま(狼)、183体

183

 

「痼魯難(コロナ)収束祈願のお犬さま(狼)」 として、全国の狼像をアップしてきましたが、半年(183日)経ったので、ここで区切りをつけたいと思います。

この半年で新型コロナウイルスの性質もわかってきて、ウィズ・コロナの新生活をしていかなければならないことを悟りました。

つまり「終息」はないということです。そして、ワクチンなり特効薬が開発されて、普通のインフルエンザや風邪のように、みんなが気にしなくなった時点で「収束」するウイルスのようです。

昨日までの4連休の全国各地の様子を見ていると、「収束」と言ってもいいような雰囲気ですが、内実は、ウィズ・コロナの新様式を守っていて、まだ完全な「収束」とはいきません。

これはもはや「災害」ではなく「環境」と言ってもいいようなものです。コロナが日本でも流行り出したころ、俺は『ウォーキングデッド』状態と書きましたが、やっぱりそうなりましたね。周りにゾンビがいても、ゾンビの性質を知り、近づかなければ、何とか生き残れます。(ゾンビの首を落とすという行為は必須ですが) 『ウォーキングデッド』でのゾンビが周りにいるのは「環境」です。その「環境」に適応できる人間だけが生き延びることができます。それが新型コロナの蔓延する世界では、ウィズ・コロナ。

これからまた波が来ることが予想されます。だから「コロナ収束祈願のお犬さま」を再開することもあるかもしれません。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/09/15

【犬狼物語 其の五百二十一】東京都葛飾区 葛西神社の犬の群像

287a2560

287a2563

287a2574

287a2569

287a2564

287a2599

葛西神社をふたたび参拝する機会がありました。

前回は富士塚を見たのですが、今回はたまたま境内に犬の群像があることに気が付きました。

神社の人に伺ったところ、犬好きの氏子の方が奉納した石像だそうです。「親子」と言ったので、よく見たら、たしかに5匹のうち、右2匹は大きく作ってあり、左3匹は小さい子犬のようです。

「狼」ではないということでした。そうです、どう見ても犬像です。(念のため確かめただけです)

でも、横一列に並ぶ親子犬像を見たのは初めてです。犬に対する思いが伝わってきます。そのうち、詳しい話を聞いてみたいと思います。

ところで、前回書くのを忘れましたが、葛西神社は、葛飾地方に古くから伝わる郷土芸能のひとつ、葛西囃子の発祥の地だそうで、境内には石碑も建っています。 

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/09/08

【犬狼物語 其の五百十九~五百二十】埼玉県春日部市 春日部八幡神社の御嶽社&粕壁神明社の三峰神社

287a1033_20200908074801(春日部八幡内 御嶽社)

287a1036(春日部八幡内 御嶽大神の石碑)

287a1035(春日部八幡内 御嶽社)

287a1220(春日部神明社内 三峰神社)

287a1227(春日部神明社)

 

春日部の総鎮守の神社、春日部八幡神社を参拝しました。

境内社も多く、稲荷神社、氷川社、天神社などといっしょに御嶽社も鎮座します。社の手前に「御嶽大神」の石碑もありました。神社のHPによると、御嶽社は、火災・盗難除けの神さまとして信仰されているとのことです。

この一帯は、春日部市八幡公園になっていて、遊歩道やちょっとした広場、遊具なども点在し、市民憩いの場でもあるようです。

そのあとは、春日部駅にもほど近い、粕壁神明社の三峰神社を参拝しました。

春日部は、三峯信仰の痕跡として、市内には複数の江戸時代の「三峯」の石碑や石祠が残されていて、以前それを撮影してブログにアップしていますが、ここにはそういったものはなさそうで、ただ社が建っているだけです。講があるのかどうか。

解説看板によると、神明社は天明年間に、竹藪から出てきた厨子に入った神体と鏡を祀ったのが始まりとのことです。神明社の例祭は年2回行われていますが、もともとは伝染病が恐れられていたときに「疫病封じ」として始められたようです。

境内には、じっとして動かない白いお猫様が・・・。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/31

【犬狼物語 其の五百十八】埼玉県羽生市 長良神社内の三峯石祠

287a9309

287a9303

287a9295

 

埼玉県羽生市の長良神社を参拝しました。

ここに三峯大権現の石祠があるという情報を得たからですが、本当にあるかどうかは、写真もなかったし半信半疑でした。

でも、本殿の左側にたくさんの祠が並んでいて。その奥の方に、それほど大きくはない石祠があって、それが三峯大権現でした。

石祠横にうっすらと「天明二」の銘が見えました。1782年の石祠らしい。

埼玉県東部には、狼像は多くないですが、三峯の祠や石碑はたくさん残っていますね。数えてないですが、これまでもけっこう周りました。

旧中山道や旧日光街道に沿って、三峯神社の分社や三峯講があった名残でしょうか。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/19

【犬狼物語 其の五百十六~五百十七】東京都足立区 綾瀬稲荷神社&綾瀬神社の三峯神社

287a8040_20200819061801(綾瀬稲荷神社の三峯神社)

287a8037(綾瀬稲荷神社の三峯神社)

287a8049_20200819061801(綾瀬稲荷神社の富士塚)

287a8024(綾瀬稲荷神社の富士塚)

287a8028_20200819061801(綾瀬稲荷神社の富士塚)

287a8055(綾瀬稲荷神社)

287a8071(綾瀬神社の三峯神社)

 

東京都足立区、綾瀬駅から徒歩5分の綾瀬稲荷神社を参拝しました。

境内には、三峯神社があります。社殿の前に1対の狛犬が護っていますが、これはどう見ても普通の狛犬で、狼像ではありませんでした。

社務所で尋ねたところ、三峯神社の祠の中に昭和時代に奉納された黒い山犬面があるそうですが、今は、三峯講もなくなり、御開帳する日もなくなったので、お見せすることはできませんとのこと。本人も、昔見たっきりで、ずっと見ていないそうです。

ここにはまた立派な富士塚があります。登ることはできませんが、「登山道」や「合目石」を置いています。また頂上付近に謎の球体があります。これは「御座石」と呼ばれるもので、富士山にある「御座石浅間神社」のことだそうです。

神社を去ろうとしたら鳥居のそばにセミが落ちていました。この暑さで落ちたのか、夏の終わりを感じさせます。

今度は、線路の南側に鎮座する綾瀬神社(第六天社と氷川社を合祀)を参拝しました。こちらにも三峰社の祠があります。

この三峰社は、伊藤谷村では、名主の吉田家の分家である吉田四郎吉家を世話人として三峰講が結成されました。幕末期から続く三峰講の記録が残っているそうです。

三峰講の講員は基本的に綾瀬神社の氏子で、3 月15日の例大祭のときにくじ引きで三峯神社への代参者を決めていました。現在も講の活動が続いているのかどうかはわかりません。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/17

【犬狼物語 其の五百十五】埼玉県さいたま市 氷川神社の御嶽神社

287a7539(神池に架かる橋と楼門)

287a7545_20200815100801(御嶽神社)

287a7548(ふくろ絵馬掛け)

287a7760(夫婦楠)

 

埼玉県さいたま市、氷川神社の御嶽神社を参拝しました。

氷川神社へは何度も参拝・撮影に行っていますが、灯台下暗しで、ここの御嶽神社の写真は今まであげていませんでした。

あらためて、氷川神社の御嶽神社です。氷川神社の拝殿で参拝した後、「東門」をくぐると、そこに二社が並んでいますが、左側が門客人神社、右側が御嶽神社です。

氷川神社境内にある3棟の建物が、市指定有形文化財になっていますが、この御嶽神社本殿、門客人神社本殿もその3棟のうちの2棟です。

三間社流造の建物で、江戸時代、4代将軍徳川家綱の命によって、寛文7年に造営されました。何度か修理されていますが、17世紀後半の特徴を持つ彫刻が彫られていて、その時代の建築的特徴を良く残しているそうです。

その向かいには、今、ふくろ絵馬が掛けられていて、カラフルなので、カメラ女子が写真を撮っています。ここも営業努力をしているようです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/10

今日は、山の日

131008(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々)

 

130925_1(カトマンズ スワヤンブナート)

 

130925_3(カトンマンズ スワヤンブナートから見た旧市街)

 

131011_4(カトマンズ タメル地区)
130927_1(伝統的なネワール料理)

 

131018_8(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々と棚田)

 

131002_1(ポカラ郊外 棚田)

 

 

今日は「山の日」だそうです。写真は数年前に行ったネパールの写真です。

神々しく輝く早朝のヒマラヤ山脈。ふもとまで続く波打つ棚田。ヒンズー教、チベット仏教などの宗教が息づく町や村々のたたずまい。すばらしいところです。

エベレストは、サンスクリット語で「サガルマータ」、「大空の女神」という意味です。アンナプルナは「豊穣の女神」という意味だそうです。ネパールでも、山は女神だったようです。日本でも山の神が女神(が多い)だったことは、先日「山の神」にも書いた通りです。

最近、狼信仰を調べていて、だんだん山への関心が高まってきました。と言っても「登山」ではありません。基本的に、俺は山登りがそれほど好きではありません。ただ、目的があって、山に登らざるをえないから登っているだけです。

ネパールでも、棚田が目的だったので、稲作の高度限界、ダンプス村あたりまでしか上りませんでした。チベット高原の5000メートルに近い山に登ったときも、メコン源流を探すためであって、登山がしたかったわけではありません。

俺にとっては、「山」は、むしろ下から見上げて満足するものです。これは山への信仰心のあり方と関係するのかもしれません。人によっては、もちろん頂上を征服することが山への信仰心なのかもしれないし。

山は狼の生息場所でもあったので、「山」と「狼」は、切っても切れない関係ですが、どうして日本に狼信仰が生まれたかを考えると、山への感謝=信仰抜きにしては成り立たないことをあらためて知ることになりました。

今までの俺の理解では、狼は、田畑を荒らす鹿や猪から守ってくれる益獣であることから、つまり「農耕の守り神」として狼信仰は始まったという説は、いろんな本に書いてあることだし、俺も、その説に従って、いろんなところに書いてきたのですが、そうすると、狼信仰は人々が定住して農作物を作るようになった後に始まったことになります。

秩父でお犬さま(御眷属様)信仰が始まったのは、享保5(1720)年、三峯神社に入山した大僧都「日光法印」が、境内に狼が満ちたことに神託を感じ、「御眷属拝借」と称して、山犬の神札の配布を始めたのが最初だと言われています。もちろん、このときはすでにそうだったのでしょう。

でも、狼信仰のルーツは、太古の昔にさかのぼるらしいのです。まだ日本列島に住む人たちが山で主に狩猟採取をしていた縄文時代、あるいは、もっと昔まで。

国や民族を越え、ある意味、人間の根源に迫った狼信仰のルーツを求めることは、意外にも、自分の内なる宇宙、深層心理につながるという予感がします。 

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/08

山の神

_87a3595

Img_5743

最近、「山の神」に関する本を読んでいて、あらためて「山の神」について忘れないように書いておきます。

自分の奥さんのことを「うちの、かみさん」「やまのかみ」と呼ぶ人がいます。俺は使ったことはありませんが、「かみさん」「やまのかみ」は本当の「山の神」から来ているようです。

春には山の神が里に下りて田の神となり、秋の収穫後に、ふたたび山へと帰るという交代説はよく聞く話だし、何度か原稿で書いたことがあります。狼像を探して歩いていると、よく「山の神」の石碑や祠に出会いますが、運が良ければ、そこに狼像が伴います。

大護八郎著『山の神の像と祭り』には「人類の信仰の発達史からいえば、山の神こそその原初のもの」とあります。山の獣や鳥を狩り、山草や木の実などを採り、山から流れる水が生活に欠かせないものだった太古の時代から、山に対する感謝が生まれ、いつしか信仰になった。山の神に対する信仰は、山自体をご神体に感じていたという。

町田宗鳳著『山の霊力』には「 人間がこれらの動物の肉を口にするとき、それは山という巨大な動物の分身の肉にほかならなかった。 古代人の眼には、山は決して無機質な物体ではなく、切れば真っ赤な血が吹きでるほど、肉感をそなえていたのではないか。それは、人間と山が同じ〈いのち〉で繋がる生き物だという感覚でもある。」とあります。

山に対する信仰は、人間に命の糧を与えてくれる山に対する感謝に他なりません。山の獣の王者であった狼が山の神を守る神使になったというのも、自然な成り行きだったのかもしれません。

ネリー・ナウマン著『山の神』では、熊野の山詞では狼そのものを「山の神」と呼んだり、中部地方の山地では、「山の主(あるじ)」と呼ぶことを紹介しています。また、鎌倉時代に狼を山の神とする伝承もありました。

山の神は豊穣の神、お産の神でもありました。狼や犬の多産・安産のイメージとも相まって、山の神と狼との親和性が生まれたとの指摘もあります。だから、山の神を守っている狼像を見ることも多いのです。

ただ山の神像の多くは、仏教伝来以降、仏像などの影響を受けて造られるようになったらしい。だから、地方によって、山の神の像は千差万別です。男の神像だったり、女の神像だったり、男女の神像だったり。中には鳥の形をした山の神像もあります。

山で失くしものをしたときは、山の神の前で、オチンチンを見せると、失くしたものが見つかる、などという話もありました。この場合、山の神は女神ということです。また、マタギは、山の神にオコゼの干物をお供えしたというのがあり、これも、女神である山の神が「自分よりも醜いものがある」と喜ぶからだそうです。ただ、オコゼの干物が男根と似ているためだという説もあり、こちらほ方が有力らしい。オコゼの干物の実物を見たことはないので、本当に似ているのかどうか、そのうち自分のと比べてみたいと思います。

とにかく、山の神を怒らせない、喜ばせることが大切で、そうしないと獲物も得られないし、命の危険さえあると信じられていたのです。

ただし、オチンチンを見せれば山の女神が喜ぶというこの発想は、男性のものでしょうね。昔の山仕事は主に男性のものだったろうから、仕方ないかもしれませんが。今、この通りにやったら、変質者です。

『山の霊力』にはこうあります。

「修験者が山中での荒行終えてから、精進落としといって、淫蕩にふけることも、よくあった話だ。峰入りを済ませた山伏が集結する大峰の洞川にも、江戸時代には遊郭ができていた。」

埼玉県上尾市ですが、江戸時代から明治時代にかけて大山講(石尊講)がたくさん組織され、大山詣りをする人がたくさんいました。信仰心もあったようですが、娯楽的意味合いが多かったようです。大山と江の島観光がセットだったらしい。(阿夫利神社の下社からは江の島が見えます)

『大宮市史』『上尾市史』によると、大山は出世神でもあったそうです。上尾では、14、5歳になると、男子は大山詣りをしました。これが一種の大人の儀式のようで、借金してまでも大山詣りをしないと、一人前として認められなかったといいます。初めての登拝を「初山」といいました。

上尾から行く場合は、平塚まで汽車で行き、そこからは遠い距離を歩きでした。そのため下駄では大変なので、草鞋や地下足袋で行きました。でも、帰り、江の島、鎌倉、東京を通るとき草鞋ばきは恥ずかしいので、せめて地下足袋をはいて行きたいと言って買ってもらった人もいたそうです。いつの時代も同じですね。ちなみに境内に立っている「大山詣り」の像は、裸足ですけどね。

この「初山」は、山の神に会いに行く、山の神との合体(童貞を捨てる)する旅でもあったようです。「男」としての通過儀礼です。たぶん、大山に参ったあとの、江の島、鎌倉、東京の花街が本当の「初山」の場所だったのではないかなと勝手に想像しています。(今のところその資料は見ていません)

 こういうふうに、山の神が女神であることと関係あるそうですが、たとえば、大相撲での女人禁制、山の女人禁制が、進歩的なある種の人たちにとっては、女性差別だ、男尊女卑だ、時代遅れだ、と映るかもしれません。

でも、どうなんでしょうか。男女が、何事においてもすべて同じでなくてはならないと考えるのは、むしろ、「男性が子供を産めない」という決定的な欠点を、サラ~ッと無視することにつながらないでしょうか。この山の神を考えた時、男性はすでに女性には勝てないことを自覚しているのではなかと思います。だから、せめて山の神の歓心を買おうと男性はやっきになるのではないかと。

そして、こういう健気な話もあります。

昔、妊婦が出産する産屋には山の神の画像をかけていたそうです。『山の霊力』には、「新しい生命が誕生するのには、どうしても山の神の応援が必要とされたのである。その証拠に、妊婦が産気づくと、山の神を迎えにいく儀式を営んでいた地域も、岩手県遠野市をはじめ全国的に多い。ふつうは夫が里から馬を連れ出して、山の方に向かって歩き、たまたま馬が立ち止まったところで、山の神が馬の背に乗ったとみなし、ふたたび産屋に戻ってくるのである。(略)難産だと、それは山の神の到着が遅れたためだとし、死産だったりすると、とうとう山の神が来てくれなかったと考える。」

なかなか馬が止まってくれないと、止まってくれるまで歩き続けた、とかいう夫の話を別な本で読んだ気がするのですが、とにかく、夫は妻と生まれてくる子のために必死で山の神を頼ったわけですね。

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/06

【犬狼物語 其の五百十四】埼玉県春日部市 建御雷神社内の三峯神社

Img_0270

Img_0276

Img_0262

 

建御雷神社(たけみかづちじんじゃ)に参拝しました。境内に三峯神社が鎮座します。

三峯神社の横には、小山とも呼べないような土の盛り上がったところに、冨士淺間宮大権現の碑が立っていました。これも「富士塚」なんでしょうね。

「山」と「里」の相似形のような神社の配置にも心動かされます。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2020/08/05

【犬狼物語 其の五百十二~五百十三】埼玉県川越市 的場御嶽神社2社

287a7017

287a7031

287a7035_20200804080401

 

埼玉県川越市的場に鎮座する御嶽神社2社を参拝しました。

コンビニの横の狭い道路を入っていくのですが、行き止まりになっていて、民家の庭のようなところに続いていました。

その道の小山のてっぺんに御嶽神社の碑が立っています。もともとはこの小山(岩?)が磐座だったんですかね。

もう一社は、川越中心へ向かうバス通りに面していて、やはり同じように小山(岩?)のてっぺんに碑がありました。

どちらの碑にも「三笠山」と「八海山」ともあるので、これは御嶽(おんたけ)信仰の神社のようです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧