カテゴリー「全国の犬像と狼像(お犬さま像) 【犬狼物語】」の436件の記事

2018/12/13

【犬狼物語 其の三百十二】 香川県丸亀市 「警察犬きな子の銅像」のニュース


(「ずっこけ警察犬「きな子」が銅像に!丸亀駅前に完成 香川」 YouTube KSB瀬戸内海放送より)


日本で一番新しい犬像です。(9日時点)

香川県丸亀駅前に「きな子」の銅像ができたというニュースがありました。

「ずっこけ警察犬「きな子」が銅像に!丸亀駅前に完成 香川」
(瀬戸内海放送 https://www.ksb.co.jp/newsweb/index/11932 )

「子や孫も仰ぎ見る? 警察犬きな子、銅像で「復活」」
(朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASLD94RSMLD9PLXB005.html )

きな子については、ずっこけても頑張る姿が愛らしく、映画のモデルにもなった有名犬です。2017年3月に息を引き取ったそうです。

「警察犬きな子銅像建立の会」が発足しましたが、クラウドファンディングで約468万円が集り、12月9日に除幕式が行われました。

銅像は実物大で、頭を撫でやすいように、台座は低く作ったそうです。やっぱり犬像の頭は撫でるものなんですね。

日本で犬像はお地蔵さん化するようです。どこの犬像も頭がてかてか光っていました。みんな頭をなでるからです。

岐阜県大垣市の八幡神社の子安犬も、撫でられることを前提に、怪我をしないように尖ったところをなるべくなくして造ってあり、また、子供が撫でやすいように、台座を低くしたと言っていました。

除幕式には、きな子の子どもや孫も出席しました。

そのうち会いに行く機会はあると思います。
 
 
 
 
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2018/12/11

Manabi JAPAN 狼信仰 第4回: 七ツ石神社の再建プロジェクト(Vo.1)

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Manabi JAPANで連載の狼信仰の第4回です。

七ツ石神社の再建プロジェクト(V.01)
 
 
 
 
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2018/12/05

【犬狼物語 其の三百十一】 山梨県丹波山村 『七ツ石神社 お犬さまが還る日』(YouTube)


『七ツ石神社 お犬さまが還る日』をYouTubeにアップしました。

2018年11月7日、七ツ石神社の公開日については、こちらにアップしてあります。

【犬狼物語 其の三百一】 山梨県丹波山村 七ツ石神社のお犬さま

霧が出て、お犬さまを迎える最高の天候の中、お犬さまは、尾根の峰谷登山道上まではモノレールで、その後神社まで運び上げられました。

修復されたお犬さまが、新しい社殿に無事に還りました。
 
 
 
 
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2018/12/04

【犬狼物語 其の三百十】 埼玉県鴻巣市 氷川神社の狼像

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ちょっと間が開いてしまいましたが、【犬狼物語】の続きです。

東北からの帰り、埼玉県の鴻巣市・氷川神社に寄ろうと思って、車のナビを頼りに行くと、狭い住宅街の道を通って、社殿の裏側に到着しました。

神社の由緒書きの看板が立っています。社殿を右に見て、境内の奥に進むと、境内は高台に位置していることが分かりました地図を調べて見たら、ここは荒川の河岸段丘になっているようです。

そして、ここには今年の1月にも来ていることを思い出しました。ブログにもアップしなかったので、すっかり忘れていましたが、その日、長竹遺跡・縄文時代の犬形土製品を撮影した帰りで、ついでだったので忘れてしまったようです。だから掲載の最後の2点は1月の写真です。背景が白いのは雪です。

一の鳥居が下の方に見えます。鳥居の先は、30mほどの田んぼ(畑)の中をまっすぐに貫いている表参道です。その先、300mほどで荒川に至ります。

昔はこちらから上ってきたのですね。神社は河岸段丘の縁に位置しています。

1対の狼像が、階段の途中にあります。体形はフェルナンド・ボテロの作品のように丸いもので、痩せた狼像とは違ったタイプです。 狼というより、豚や猪にも見えてしまいます。
 
  
 
 
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2018/11/28

依田賢太郎著『いきものをとむらう歴史-供養・慰霊の動物塚を巡る』

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これは面白いなぁと思いました。

こんなにいろんな動物の塚が日本には存在するんだなぁと。もちろん犬像・狼像を探して歩いている身なので、前から、多いとは感じていました。それ以外も含めれば、日本全国動物の塚だらけです。

「おわりに」には、次のように書かれています。

「私が調査した動物塚の数はわずか五百数十基に過ぎませんが、対象となる動物はすでに百数十種に及んでいます。このような文化は世界に類例がありません。」

500数十基というのはすごいですね。

こんなに塚があるのは日本だけらしい。著者は外国の塚も調べています。

どうして塚を作るのか?というのは素朴に思います。

著者は、

「私は人間が生きものである人や動物の死に直面した時の衝撃は人種によって変わることはないと思っています。 (略) そして、その衝撃への対応の仕方には文化が大きく影響します。日本人は動物の死への対応の一つのあり方として動物塚を選びました。」

と書いています。「塚」に走るのが日本的ともいえるわけですね。感謝や思い出などプラスの気持ちと反対に、後ろめたさや祟りを鎮める装置として「塚」を作っているということらしい。

本では犬塚についても触れています。俺は主要な犬塚は訪ねたと思っていましたが、本にはそれがすべて載っていたので、やっぱりこれ以上の主要な犬塚は、現時点ではなさそうです。

「現時点」と書いたのは、これから新しい塚が造られるかもしれないからです。時代が下るにしたがって、塚の建立件数は増えているそうなので。

これには、今まで知らなかった狼塚の情報も載っていました。そのうち訪ねようと思います。
 
 
 
 
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2018/11/18

【犬狼物語 其の三百九】 山形県上山市 狼石と斎藤茂吉

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山形県の狼信仰(と、いうより狼伝説)、今回は、上山市の「狼石」です。

ちょっとびっくりするような石です。アダムスキー型のUFOにも似ています。「何かある」と思わせる雰囲気を持っています。噴石なのでしょうか。ここを昔の人が特別な場所と考えたのもわかるような気がします。

「パワースポット」や「磐座」と言ってもいいのかもしれません。

石の表面に、雨で穿たれた穴なんでしょうが、狼の足跡にも見えてしまいます。

「南山形自然・歴史野外ミュージアム」の開設看板によると、

上山市金瓶地区にある東西12m、南北7m、高さ約3.3mの巨石は「狼石」「大石」と呼ばれています。

昔、ここに狼の巣穴があったのでこの名が付けられました。また石の下は洞窟になっていて、狼の子が生まれると、村人はそこに食べ物を届けました。

また、この金瓶出身の歌人・斎藤茂吉は狼石のことを歌に詠んでいます。

 金瓶の向ひ山なる大石の狼石を来つつ見て居り
 (昭和22年作 歌集『白き山』)

 山のうへに狼石と言ひつぎし石は木立のかげになりぬる
 (昭和17年作 歌集『霜』)
 
 
また、ふるさと塾アーカイブスの「おおかみ石(上山)」には、伝説を元にした切り絵風紙芝居が掲載されています。

http://www.yamagata-furusatojuku.jp/material/654/

その内容を要約すると、

蔵王が噴火して大きな石が飛んできました。その中のひとつ、大きな石の根元には穴が開いていて、狼の親子が棲んでいました。

父狼が穴から出た時、人の行列を見ました。それは庄内のお殿様の行列でした。行列の家来は、籠から下りたお殿様に「殿、だいぶ歩きましたので、ここで一休みしてください。この石に腰を下ろしてください」と言いました。

お殿様は、石に腰かけ「今日は、蔵王の山がきれいに見えるのう」といって山の景色を眺めました。

父狼は、この石を「殿様石」と呼んでいると、子狼に教えました。

ある日のこと、最上義光公の行列が近くにやってきました。義光公は、お城の庭に置く石を探したら、みごとな石を見つけました。それは狼親子が棲んでいる狼石でした。

お城に帰った義光公は、「あそこにあった一番大きな石を置けば、立派なおつぼ(中庭)になるから運んでくるように」と言いました。

家来たちが石のところへ行くと、穴から顔を出したのは、狼の子どもでした。父狼は、石の上に立って、家来たちをにらみつけていました。

家来は、「殿がみつけた石は、狼の親子が棲んでいる石でした」と報告すると、義光公は「う~む。狼の親子が棲む石であったか。それを城に持ってくるのは、狼の家を取り上げることになるなぁ。あのような立派な石はふたつとはないが、しかたない、あきらめよう」と言いました。

狼は犬くらいの大きさで、人が飼っているニワトリやヤギなど、何でも食べてしまうので、人に恐れられていました。

しかし、この狼石に棲んでいた狼の親子だけは、人懐こくて、金瓶の人たちは可愛がっていました。

村人は、狼の子どもが生まれると、じょぶに育つようにと、うまいものを持って行って狼にあげていました。

以上、こんな伝説です。
 
 
現在、狼石の近くまで開発の手が迫っています。巨大な太陽光発電所も建設中です。「狼石」と名付けられた物語が石を守っているようです。

撤去されることは当分ないと思いますが、この場所にあるから価値があると思うので、移動した時点で、「狼石」は物語を失い、単なる「石」に変わってしまうかもしれません。

単なる「石」なら、砕いて道路の材料にしようが、どうしようが気にならなくなります。
 
 
 
 
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2018/11/16

【犬狼物語 其の三百八】 山形県高畠町 柏木目・熊野神社内 「山津見神社」の碑

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宮城県村田町歴史みらい館の「オオカミ展」では、東北地方の狼信仰には、三峯神社、山津見神社、その他の山神信仰の3系統があるそうですが、山形県に山津見神社や碑が、3カ所ほど紹介されていました。

その中の1カ所は、先日書いた高畠町の「山津見神社(和田遥拝所)」で、もう1カ所は柏木目・熊野神社内の「山津見神社」の碑です。

熊野神社は、主祭神が伊弊諾尊(いざなぎのみこと)と伊弊再命(いざなみのみこと)の二柱で、例祭は4月15日です。創建は定かではありません。

小さな神社ですが、苔むした古碑が10基ほど並び、古さを感じさせます。

「山津見神社」の碑は2基立っていますが、右側には「古峯神社」とも刻まれています。

山津見神社の本社は、福島県飯舘村佐須の虎捕山に鎮座しています。狼の天井画で有名ですが、平成25年の火災で神社は全焼してしまいました。

平成27年11月に神社が再建され、現在の狼の天井画は、東京藝術大学の大学院生たちが描いて再奉納されたものです。

以前参拝した時の記事はこちらです。

【犬狼物語 其の二百】 福島県飯舘村 山津見神社の狼の天井画

また境内には、珍しい板碑があります。高畠町のHPによると、

「本神社境内にある板碑は型の種類ある中で、龕殿型板碑(がんでんがたいたひ)として高1m15cm、巾1m、厚さ15cmの碑に棟(むね)を作り、内側に高さ85㎝、巾75cm、深さ10cmの室を彫り、奥壁に高さ85cm、巾35㎝、額部突起5cmの双式板碑を陽刻している。文献によると種子は釈迦、左は阿弥陀らしく見えるとあり。」

とあります。
 
 
 
 
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2018/11/15

【犬狼物語 其の三百七】 山形県尾花沢市 「三峯山神社」の碑

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山形県尾花沢市の細野・三峯神社を探しました。

先日、村田町歴史みらい館の「オオカミ展」で展示されていた、山形県で唯一の「三峯神社」です。

まず市役所を訪ねて狼信仰の情報を聞きました。

職員に細野出身者の人がいるというので、違う課でしたが、その人に引き合わせてくれて、三峯神社のことを聞いてもらいましたが、その人は40代くらいの人で、三峯神社につきては知りませんでした。当然狼信仰についても聞いたことはないといいます。

地元の詳しい人に電話して聞いてくれて、たしかに碑が立っていることが分かりました。住宅地図にも「三峯神社」と載っていたので、そのコピーをもらったのですが、あとでgoogleの地図を見たら、googleにもちゃんと出ていました。場所は意外とあっさりとわかりました。

細野地区は、市役所から南になります。こんなところがあったのかと思うほどの、紅葉が美しい谷沿いに進む道を南下します。かつてこういうところにも狼が棲んでいたんですね。

細野に着きましたが、地図の場所に神社が見当たりません。山を回り込むと、小川が流れ、橋があり、民家が1軒ありました。近づくと民家の脇の山道から入って行くらしいことがわかりました。道標と階段が見えたのです。

このお宅前に人がいたので神社のことを聞いてみると、上には3つのお堂(資料では、阿弥陀堂と地蔵堂)があって、「3つあるうち、1つはお堂が崩れていますが、その脇に石碑がいくつか立っています」と教えてくれたので、それかもしれないと思って、上がって行きました。

奥の崩れたお堂のそばまで行くと、確かに古碑が数基並んでいましたが、どれも「三峯山」ではありませんでした。

最初のお堂に引き返し、今度は反対の方へ進むと、別なお堂の前にポツンと碑が1基立っています。近づいて見ると、これが「三峯山神社」の碑でした。

昭和17年建立の碑です。今まで見てきた碑は、江戸末期とか明治時代のものが多かったので、逆に、どうしてこんなに新しいんだろう?と不思議に思って興味が出たというのは、先日触れたとおりです。

村田町歴史みらい館の専門員・石黒さんによると、日露戦争の時(記憶が不確かですが)にも、三峯の碑を建てたものがあるそうで、この昭和17年の碑も、戦争がらみではないかというのです。

昭和17年というのは、1月には日本軍がマニラを占領、2月にはシンガポールを陥落させ、5月にはビルマのマンダレーを占領するなどした年です。戦争に突き進んでいた時期です。

だから、三峯信仰(狼信仰)には、武運長久の祈願もあったのではないかというのです。それならわかります。今さら狼の被害はないし、猪鹿除けでもないでしょう。

安政5年に大流行したコレラに効くといって、三峰山のお犬さま信仰が流行りました。コレラは、「コロリ」と呼ばれ、この世のものではない異界の魔物の仕業だと考えられたようです。

魔物は、根源にいる悪狐・アメリカ狐で、それを退治してくれるのは狐の天敵の狼しかいないということになりました。そして狼を眷属として祀る秩父の三峯神社に着目したのは自然の成り行きだったろうというのです。(高橋敏著『幕末狂乱 コレラがやって来た!』参照)

このようにコレラが発生した時、アメリカ狐除けとして信仰されたことから推測すると、狼が持っている「強い」「勇敢」などのイメージともあいまって、戦争での敵除けや弾除け、武運長久の祈願で碑が立てられた可能性はあるのかもしれません。

ただ今のところ、資料もないので、本当のところはわからないというのが実情です。これからの研究で明らかにされるかもしれません。
 
 
 
 
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2018/11/14

【犬狼物語 其の三百六】 山形県鮭川村 山の神神社付近の狼穴

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山形県の狼信仰について調べてみましたが、最上町に引き続き、今回は、鮭川村です。こちらも出典とともに、記録しておきます。

山形県北部、鮭川村にある山の神神社が鎮座する集落は小舟山だと聞いていて、「山」という地名から山の中を想像していたら、意外にも開けた水田地帯でした。

小舟山は、鮭川村の東端に位置し、北側は真室川町、東側は新庄市に繋がっています。

『鮭川村史 集落編』(昭和61年)には、小舟山が大草原であったことが記されています。

「牛潜川北東部に広がる大地は塩野といわれ、広漠たる原野と雑木林がつらなる土地であった。そこは村域である水野新田・小舟山の集落がある。さらに、新庄市昭和地区へとつながっている。

・・・略・・・

この地区に本格的な開発がはいるのは、明治期から大正期になってからである。明治三十三年(一九〇〇)軍馬補充部が設置され、馬の飼育にあたったので、輪耕による焼畑や萱刈場としての活用が停止された。

・・・略・・・

小舟山は、水野新田の北東に位置し、同じ続きにある。明治時代は五戸であったという。・・・略・・・現在二二戸の集落となっている。」

また『真室川町史』(昭和44年)の「狼穴 小舟山」という項目(原典は『豊里村誌』)には、

「旧藩時代には小舟山方面の一大平原は草原であり狼のすみ家で、里の馬や犬、鶏などがたびたび食い殺され、子どもでも食われることがあった。村人は、狼群を”千匹群”といって、旅するものの最も警戒するところであった。里人は之を恐れ、中には神として祭る者もあった。小舟山の東、山の神神社の北に狼穴というのがある。穴の中が二メートルの大きさで付近には大小十余の抜け穴がある。文久年間ごろから、この穴にすんでいた狼が子を産んだ時近郷の人は、「狼さまのお坊子なし見舞」といって、握り飯などを持って行っては、恐る恐る穴の中に置いてきたという。」

とあります。

小舟山の集落に着いたとき、特別養護老人ホームがあり、職員らしい人が駐車場にいたので、「このあたりに山の神神社があるそうですが、知りませんか?」と聞いてみましたが「知りませんねぇ」とのこと。

適当に周っていると、こんもりとした杜があって、そこに白木の鳥居の先に社殿が見えました。ここではないかなと検討をつけて上ってみました。

社殿の戸は閉められていましたが、左右に引き戸を引いたら開いて、ご神体なのか、左側に丸い石と、右側には陶器製らしい像、それとお賽銭箱が置かれてありました。

その下には「山の神様 建立 昭和貮拾九年八月吉日 屋根替 平成八年八月吉日」と書いた札が置いてあります。

『鮭川村史』や『真室川町史』によると、この近くにかつて、狼の穴があったらしいのですが、それはわかりませんでした。

というより、自分で探すのは至難の業です。また、集落には廃屋も多いようで、まったく人の気配がなく、地元の話を聞けないし、たとえ聞けたとしても、笹森集落のことから推測すると、狼の穴を知っている人はもういないかもしれません。

役場でも聞いてみましたが、史料以上のことはわかりませんでした。狼信仰があったことさえ、初めて聞いたとのことです。

かつてここは狼が棲んでいた草原で、「狼さまのお坊子なし見舞」という祭りも行われていました。当時を想像しながら風景を眺めてみます。

旅人として一人で歩いていたら寂しいところではあったかもしれません。特に夜は怖かったでしょう。

現在は、神社の周辺には棚田が広がっていて、今の時期、稲はすでに刈り取られ、切り株が残っている状態です。

あぜ道を狐が一匹歩いていたので急いで写真に撮ろうとしましたが、こちらを伺いながら森の中へ入っていってしまいました。
 
 
 
 
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2018/11/13

【犬狼物語 其の三百四~三百五】 山形県最上町 笹森と本城の「三峯山」の碑

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287a0460z(最上町 本城の三峯山の碑)

287a0469z(最上町 本城の三峯山の碑)

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287a0474z(最上町 本城の三峯山の碑向かいの稲杭の立つ田んぼ)


せっかく山形県に滞在しているんだからと、地元の狼信仰を調べてみました。

村田町歴史みらい館のオオカミ展で、あまり山形県に狼信仰の神社がないことがわかったので、逆に、探求欲が刺激されてしまいました。

すると、いくつか見つかりました。山形県北部の最上町や鮭川村では、「狼穴」や「おいの祭り(狼祭り)」が行われていたという資料を見つけました。

少し長くなりますが、いずれ本の原稿にするつもりなので、忘れないうちに出典とともに書いておきます。

『最上町文化財資料第十一集 小国(最上町)の年中行事と祭事』(最上町教育委員会)や、『最上町史 下巻』には、笹森の自然石の「おいのさま」の写真や、おいの祭りの記述があります。

「この祭りは馬産にまつわる習俗の一つで、「おいの」とは「おいぬ」のことつまり狼のことである。その昔「庄屋の馬が狼に食い殺された」とか「馬捨馬(死馬を埋める場所)の馬が食い荒らされた」というそんな伝えが残っているのを見ると、狼はたいへん恐ろしいものと受けとめていたにちがいない。ともあれ村人はその難を逃れようと、荒れる霊を祭り鎮魂したのである。その行事が習俗となって、長く伝承されてきた。」(『小国(最上町)の年中行事と祭事』より)

祭りは1年に3回行われていましたが、決まった日ではなく、村々でまちまちだったようです。

「この信仰の源は秩父の三峯山であるといわれるが、その流れを汲んで、遠い昔からどの村でも、「みつみね山」あるいは「三峯神社」と称して、祀ってきたのである。その場所は、放牧地または採草地への登り口とか、その道筋である。またお宮の建物とてなく、自然石や「三峯山」、「三峯神社」などと刻んだ切石の碑を立てているに過ぎない。

・・・略・・・

当番が立てられ、例によって餅米五合ずつを集め赤飯をつくり、組中の人たちがここにお詣りする。時には前森原(放牧場)を通り抜けししどの沢までお詣りにいく。この「しし」は獣を意味し、この場合は狼と考えられる。「ど」は閉ざす「戸」のこととすれば、昔、このあたりから狼が襲ってきたものだ。だから「おの原」の狼を、ここで祀らなければならない。いわばこの沢から出てこないように祀るのである。そこはかなりの山奥で、その沢いり(奥)に、ほら穴のようなところがあり、そこに赤飯をあげて拝むのであった。もちろん誰でもが行くわけではなく、元気な若者たちが何人か代表してのことだったそうである。」(『最上町史 下巻』より)

いつの時代の情報かわからないので、たぶん、祭りはもう行われていないだろうとは思いましたが、その痕跡を訪ねてみることにしました。

まず、自然石の「おいのさま」の写真が載っていた最上町の笹森集落を訪ねました。

80歳くらいのおじいさんがいたので話を伺ってみましたが、狼信仰・おいの祭りなど、聞いたことがないという。碑なども見たことはないそうです。

川向の人が昔の古いことを知っているかもと紹介されて、その家を訪ねました。

対応してくれた人は昭和29年生まれだそうで、

「昔この村で、おいの祭りという狼信仰の祭りが行われていたようなんですが、聞いたことないでしょうか?」

「狐に化かされた話は聞いたことはありますが、狼は知らないですね」

「お犬さま」「おいの」などの言葉も聞いたことはないという。彼のおじいさんからもそんな話は聞いたことはないし、知らないという。「三峯山」の碑も見たことないという。念のために、奥の部屋にいた彼のお父さん(90歳くらい)にも確かめてもらいましたが、お父さんでさえ、「お爺さんからも聞いてない」とのこと。

まぁそんなものだろうと予想はしていましたが、碑くらいは見つかるのでは?と期待していたので、正直がっかりです。

でも、「ここは東京オリンピックのころまで馬を飼っていたんです」という。俺はピクッと反応しました。もともとここは馬産地だったというのは本当だったようです。だから狼祭りが行われていたのでしょう。

この近くには奥の細道も通っているらしく、今まで何度か、奥の細道について聞きに来た人はいたが、狼信仰については初めてらしい。

次は最上町本城に向かいました。

三峯神社を探して集落を周っていると、ある民家におばあさんがいたのであいさつしました。そして三峯神社を聞いたら、「私はよそからきたので、お父さんに聞いてみます」と言って、彼女の旦那さんを呼んでくれました。

おじいさんに三峯神社のことを聞いたら、「三峯山のことか?」というので、そうですと言いました。お祭りはやっていないが、ちゃんと注連縄もかけて、碑は祭ってあるということでした。

おじいさんから教えられたとおり、集落を抜け、ずっと田んぼの横の農道を進んでいくと、杭架けの稲が残る田んぼの近くで作業をしていたおじさんがいたので尋ねると、「三峯山」の碑は、その田んぼの真向かい側にありました。

木の鳥居の奥、1mほど高くなったところに大きな岩があり、その上、右側に「三峯山」の碑と、左側に石祠が鎮座しています。年代はわかりませんが、祠の側面には人の名前らしいのが読み取れました。

祭りの場であった碑についてはこう書いてあります。

「いたって粗末な碑で、自然石の場合が多い。なかには本城村の「三峯神社」と切石に刻んだ立派なものも残っている。」(『小国(最上町)の年中行事と祭事』より)

本城の「三峯山」の碑は、最上町では立派なものであるようです。

狼信仰はまた、狼の多産のイメージから豊作のイメージにつながったようで、稲作の豊作祈願にもなっているそうです。この田んぼの真ん前に「三峯山」の碑があるのは、なんだか象徴的な光景です。
 
 
 
 
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