カテゴリー「全国の犬像と狼像(お犬さま像) 【愛犬物語百景】」の242件の記事

2017/07/24

【愛犬物語百景 其の百七十五】 東京都足立区 六町神社のお犬さま像は「闘志型」

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つくばエクスプレス・六町駅の東、約300mほどのところに、玉垣に囲まれた六町地域の氏神様、新しい六町神社が鎮座します。

区画整理事業によって新築された神社だそうです。現在、周りは区画整理真っ最中で、「立ち入り禁止」の看板が立ち、フェンスが張りめぐらされています。「入れない」と思ったのですが、フェンスを回り込んだら、北側からの道が神社境内に通じていました。(駅の方から来るとすぐわかります)

山間の古社の苔むした感じとはまた違った趣があります。清潔感が漂っています。つくばエクスプレスの駅から近いということもあって、未来を感じさせる神社でもあります。

これから風雪雨晴や周辺の人々の喜怒哀楽が、毎日毎日この場に上書き保存されていくはずです。なので、あと数百年経てば、歴史を感じさせる「古社」になっているでしょう。

境内の「六町神社の由緒」の碑文によれば、神社は「三峰様」とも呼ばれ、もともと六月村の出である清水家の屋敷神だったようです。昭和8年(1933年)に近くの3つの神社を合祀して六町神社になりました。

平成21年(2009年)に700mほど離れたところから遷座し、この新らしい社殿が完成しました。地域の人たちにとっては大事な場所なので、移築して縮小しないようにと土地を寄付し合い、174坪の規模の神社になったそうです。

そして立派なお犬さま(狼)像が新社殿を護っています。三峯神社の三ツ鳥居に鎮座するお犬さまと似ている筋肉質のお犬さま像です。

現代ではあまり使われなくなりましたが(とは言え、初対面ではそんなイメージを持ってしまいますが)、クレッチマーが20世紀初頭に唱えた人格類型論があります。体形、気質、性格特徴を関連付けるものです。

たとえば、やわらかで丸い体形の「肥満型」は、陽気で快楽的であり、「細長型」の人は控えめで過敏なところがあり、筋肉の発達している「闘志型」は、自己主張的で精力的という人格類型です。

クレッチマーの類型論で言うと、六町神社のお犬さまは「闘志型」です。

クレッチマーではないですが、お犬さま(狼)像は、あきらかにタイプがあります。それがどのくらいの数に分けられるかわかりませんが、年代、場所などによって、お犬さま(狼)像のタイプ分類は調べたら面白いかもしれません。
 
 
 
 
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2017/07/23

【愛犬物語百景 其の百七十四】 東京都足立区  上谷中稲荷神社内三峯社のヨガポーズのお犬さま像

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北綾瀬駅を出て、北へ約300mほど歩くと、上谷中稲荷神社があります。社殿前には跳ねたお狐さまが鎮座する稲荷神社の世界です。

境内の右奥へ進むと、平成3年に建立された三峯社があります。台座のプレートには「三峯山氏子中」の奉納者の名前が刻んでありました。秩父・三峯神社から勧請したものではないでしょうか。

そしてヨガのポーズをしているような1対のお犬さま像が鎮座しています。これは稲荷神社の跳ねたお狐さまの影響なのでしょうか。同じようなポーズです。躍動感があり、すばらしい造形です。ただ腰痛持ちの俺には、少し辛いポーズに思えます。

今のところ、実際に拝見したのはここが初めてですが、お犬さま像を調べた中では、他にもヨガのポーズのお犬さまがいらっしゃったような気がします。どこだったか忘れましたが、そのうち巡り会えると思います。
 
 
 
 
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2017/07/21

【愛犬物語百景 其の百七十三】 東京都足立区 千住神社内の三峯神社

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北千住の駅から歩いて約25分のところ、静かな住宅街の中に千住神社があります。

ここにも冨士塚がありました。浅間神社を勧請した「千住宮元富士」です。

大正12年に築かれましたが、一度大震災で崩壊し、昭和11年に再び築かれました。

また願掛け恵比寿さんの像があり、台座が回転するようになっています。男は左回り、女は右回りで回した後、願いに応じた願掛け箇所をハンカチで撫でるのだそうです。だから俺は回した後、頭を撫でました。

恵比寿さんの隣に境内社があります。これは恵比寿神社、八幡神社、三峯神社の三社を祀る小社で、向かって右側が三峯神社です。それで両側にお犬さま像が1対鎮座しています。

お犬さま像は、弘化2年(1845年)に奉納されたものです。かなり古いものです。すばらしい曲線ですね。とくに後ろから見るとよくわかります。かなり洗練された造形ではないでしょうか。

残念ながら、右側の像の顔のマズル部分が欠けています。

そう言えば、全国各地のお犬さまでマズル部分が壊れていた像を何度か見ましたが、「阿吽」の「阿」像が多いような気がします。口が開いているので石材が薄くなって、壊れやすいからでしょうか。

ちなみに、本山の三峯神社には、年代が分かっている秩父で最も古い、文化7年(1810年)のお犬さま像が拝殿に上る階段の左右に奉納されていました。

また、大岳山山頂直下の大岳神社(まだ行っていません)のお犬さま像は、宝暦9年(1759年)に奉納されたもので、国内で2番目に古いそうです。
 
 
 
 
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2017/07/19

【愛犬物語百景 其の百七十二】 東京都墨田区 長命寺「六助塚」

170719_1(桜橋から望む隅田川と東京スカイツリー)

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170719_3(長命水の井戸)

170719_4(芭蕉の句碑)

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墨田区向島に桜餅で有名な長命寺(通称:風流寺)があります。

ここにユニークな犬像があるとわかったので参拝しました。

隅田川にかかる×字形の桜橋を渡ると、左岸には明治4年に建てられた墨堤常夜灯が残されていました。渡し船には灯台代わりになった常夜灯です。

その常夜灯の東側に長命寺があります。

境内には「長命水」の井戸と多くの石碑がありました。遠く空には東京スカイツリーが見えます。

長命水の由来によると、徳川三代将軍家光が御鷹狩りで当地を訪れたとき、急に腹痛をもよおし、井戸水で薬を服用したところ、傷みが止まったので、長命水と命名されたそうです。

境内に点在する30基ほどの石碑の中には、芭蕉の句碑「いささらば雪見にこ路ふ所まで」もあります。その他、歌碑、俳句碑、狂哥碑、筆塚、人物碑、墓石など様々です。

その中に明治21年4月建立された「六助塚」の碑と犬(頭)像がありました。

石碑の高さは152cmの細長いものでした。上部に「鼠取誉犬」とあります。その下には漢文で顕彰文が彫られています。この碑がユニークなのは、碑の根本に六助の頭像が転がっている点ではないでしょうか。

いや、もちろん「転がっている」わけではないのでしょうが。頭は幅20cm、長さ28cmあります。でも、どうして地面に体が埋まったような状態になっているのか、不思議です。

六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

特殊技能の持ち主ですが、慰霊碑まで建ててもらっているのだから、ネズミを捕らなくても愛されていた犬に違いありません。

ところで、首だけ地面にあるのがユニークな犬像なのですが、これを見て、あることを思い出しました。。

【愛犬物語百景 其の九十二】石原賀茂神社 例幣使一行を助けた救命犬之像」でも紹介したように、切られた犬の首が大蛇に食らいついて、下にいた人間を助けるという話です。(小白丸型伝説)

結局、首を切られてまで人間を助けた犬の忠義を称える話でもありますが、逆に言えば、人間は、吠える犬の首をはねてしまう(犬を信用していなかった)という後悔の話にもなっています。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺された。

六助は理不尽な死に方をしたということにもなるでしょう。その思いは、かわいがっていた人たちも同じだったはずです。

それであえて、首だけ(首を落とされた状態)にしたのかもしれません。つまり、六助の怨念を鎮めるためと、殺した人間への恨みも込めて。

Wikiの「犬神」には、犬の頭がどれだけ霊力が強いかという話があります。(愛犬家は卒倒しそうな内容です) 六助の飼い主たちがここまで考えていたかはわかりません。

もしかしたら、頭だけ地面から出ていて、実際は、地中に全身が埋まっているのかもしれませんが、そうなると、話はまた違ってきます。(そのうち寺で聞いてみるつもりです)

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。
 
 
 
 
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2017/07/18

【愛犬物語百景 其の百七十一】 旧2円切手のモデル秋田犬「橘号」

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これは旧2円切手の秋田犬。

よくこんな切手を持っていたなぁと思いますが、小学・中学のとき、学校で切手集めが流行って、俺も一時期集めたことがあったのです。でも子供なので、高額な切手は買えず、郵便局で普通に買えるものが中心だったと思います。

秋田犬2円の発行日は、昭和28年(1953年)年8月25日。発行されたとき、初日カバーには、忠犬ハチ公の写真が使われていたようです。なので、この切手の秋田犬もハチ公だと思った人がいたとしても不思議ではありません。紛らわしい初日カバーですね。

実は、モデルはハチ公ではなく、「橘号」だと言われています。 「橘号」は昭和18年3月15日生まれの雌の秋田犬の純血種です。

どうしてこの犬がモデルに採用されたのか、調べてもよくわかりません。どなたか知っていましたら、教えてください。

当時、封書10円、はがき5円だったので、2円切手はそれほど使われなかったのですが、1989年の消費税導入で封書62円になったことでたくさん使われたようです。

1953年から1988年までの初代のデザインと1989年から2002年まで発行された2代目のデザインは違います。2代目には「NIPPON」の文字が入りました。これは初代の2円切手です。
 
 
 
 
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2017/07/17

【愛犬物語百景 其の百六十九~百七十】 東京都武蔵野市 狼伝説の「犬むすびの松広場」&中町三峰神社

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170718_2(犬むすびの松広場のゴヨウマツ)

170718_3(玉川上水)

170718_4(旧三鷹橋)

170718_5(中町三峰神社)

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170718_8(中町三峰神社)


JR吉祥寺駅を出て南に歩くと、そこは市民憩いの場所、井の頭公園です。江戸時代は3代将軍徳川家光が鷹狩をした森でもありました。ここを御犬が走り回ったのでしょう。

またこのあたりには狼の伝説も残っています。井の頭公園の森林は、昔の武蔵野の原野を少しだけほうふつとさせる場所です。昔は狼もいたんだろうなぁと想像させます。

公園から南に歩き、玉川上水にぶつかったら、それを遡る(三鷹駅方面)と、武蔵野市御殿山2丁目に、小さな公園(広場)があります。平成27年4月に開園した「犬むすびの松広場」です。

公園の解説看板には、

「江戸時代から厄除けの松と知られ、武蔵野市の民話に語り継がれてきた「犬むすびの松」(クロマツ・推定樹齢100年)が、平成元年、マツクイムシなどの被害を受け伐採されました。

伝承によると、近くの旧家の敷地内に当時「山犬」と呼ばれたオオカミの親子が住み着き、田畑を荒らすキツネやタヌキを退治することから、多くの農民から神様・厄除けとして崇められていました。

あるとき、そのオオカミが死んでしまったため玉川上水沿いの松の根元に葬りました。毎年命日の4月15日には握り飯(赤飯)を供え、「厄除けのお犬さまのおむすび」として農民や子供たちに配ったと伝えられています。麦や雑穀を主食にしていた地域の人たちにとって握り飯は大変なごちそうであったそうで、オオカミ信仰としてのこの習慣は昭和15年ごろまで続いたとされています。」

とあります。

「オオカミの親子」とありますが、伝説には「オオカミの夫婦」という別バージョンもあります。また、オオカミが死んだのは、野犬狩りにあったとされる伝説もあるようです。

武蔵野市役所で確認したところ、公園にはゴヨウマツが植えられていますが、看板にもあるように、オオカミが葬られたもともとの「犬松」は、ゴヨウマツではなくクロマツだったそうで、これがマツクイムシにやられてしまって、平成元年に伐採されてしまいました(その3年ほど前から枯れ始めていました)。

このオリジナルの「犬松」があった場所は、公園の150mほど上流、三鷹駅側にあったそうです。玉川上水の左岸です。

玉川上水は、承応2年(1653)年に江戸市中に飲料水を送るために43kmにわたって開削された水路です。

都会の真ん中の用水路というイメージとは違って、水面は木々に隠れて暗く、大きな木も生えています。樹齢100年の松がここに生えていても違和感はありません。

さらに進むと、JR三鷹駅に至り、ここに昭和32年(1957年)6月に架けられた旧三鷹橋の一部が保存されています。

ちなみに、これはオオカミ伝説と関係ないのですが、右岸には「玉鹿石」というものもあります。これは太宰を偲んで、故郷の青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を置いたもので、このあたりで、太宰は入水したそうです。

「犬むすびの松広場」から北へ、中央線のガードをくぐってさらに1kmほど行った交差点の近くに中町三峰神社が鎮座します。ビルと駐車場に囲まれ、交通量も多い神社です。

1対のお犬さま像が守っています。

それと、何でしょうか。社にお供えしてあった2つの石は。偶然そこにあったわけではなさそうだし、何か意味がありそうです。長さ10cmほどの石自体、普通の石ではないようにも感じました。

だれか、この石の意味を知っていたら教えてください。
 
 
 
 
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2017/07/15

【愛犬物語百景 其の百六十七~百六十八】 東京都杉並区 荻窪白山神社内の三峯神社&宿町御嶽神社

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170715_2(荻窪白山神社内の三峯神社)

170715_3(荻窪白山神社内の三峯神社)

170715_4(荻窪白山神社内の三峯神社)

170715_5(荻窪白山神社の和み猫)

170715_6(荻窪白山神社の手水舎の猫像)

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荻窪駅ビルを出て、飲食店街を1、2分歩くと、荻窪白山神社の鳥居があります。木陰が嬉しい参道を100mほど進むと、神社の境内に至ります。ここは昔「歯の神様」として知られていたそうです。

社殿の右奥、玉垣で囲われた一角、後ろのビル群を背に末社の三峯神社が鎮座します。

右側に猫像がありました。ぐで~と横たわる猫です。「和(なご)み猫」というらしい。寝てる猫像は境内に2体ありました。この白山神社のマスコット的存在です。

三峯神社には猫像はあってもお犬さま(狼)像はありませんでしたが、左右に立つ柱には、かろうじてお犬さま像のレリーフがありました。

そう言えば、手水舎にももう1体。猫像が掲げ持つ白い玉から勢いよく水が流れ出ています。

何か、猫はいわれがあるのかと思ったら、特別なく、猫が好き、という理由のようです。きっと宮司さんは猫派なんでしょうね。全国的にも、猫像は犬像と比べて少ないので、「和み猫」は貴重な猫像かもしれません。
 
 
 
白山神社から青梅街道に出て西へ1.5kmほど行った消防署の先に宿町がありました。

場所がわからずうろうろし、自宅前を掃除していたおばさんに場所を尋ねたとき、スマホで調べようとしてくれたのですが、突然思い出したようで、

「そう言えば、小さな神社ならこの先にありますね」

といいました。きっとそこに違いないと、お礼を言って去ろうとしたら、

「何があるんですか?」

と聞かれたので、

「狼像があるはずなんです。全国の狼像を探してるんで」

というと、

「私、寝間着じゃなかったら、いっしょに行きたかったんですが」

といいました。これは寝間着だったんだ…

彼女の言うとおり、100mほど進むと宿町御嶽神社はありました、柵に囲われた建物は宿町集会所でもあるようです。宿町は、「上井草村宿」という江戸時代からの地名だそうです。

小さな社前には1対のお犬さま像が控えています。

像は、以前、大泉八坂神社土支田北野神社を参拝した時のお犬さまと同じタイプのようです。

明治45年(1912)に奉納されたものだそうで、かなり傷んでいて、修復された痕も見えます。

細身の体で、顔つきは鋭く、ちょっと怖い。守護像としてはふさわしいお姿です。

大都市の中に忽然と現れる狼像。面白いと思います。
 
 
 
 
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2017/07/14

【愛犬物語百景 其の百六十六】 東京都渋谷区 ビクタースタジオのニッパー像

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JR千駄ヶ谷を降り、神宮前2丁目のビクタースタジオまで歩きました。

途中、大きな工事現場を通過します。2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて工事が進んでいる新国立競技場(オリンピックスタジアム)です。

大きなクレーンが何基も立ち並び、工事車両が頻繁に出入りしています。

ビクタースタジオは、そんな工事現場の向かい側にあります。そしてニッパー像は、玄関の右側、台座に乗って首をかしげるようにしてお座りしています。

ちなみに「ニッパー」とは、「少年」とか「小僧」とかいう意味らしい。

Wikiによると、

「ニッパー (Nipper) は、絵画『His Master's Voice』のモデルとなったイヌ。蓄音機に耳を傾けるニッパーを描いたその絵画は、日本ビクター(現・JVCケンウッド)やHMV、RCAなどの企業のトレードマークとして知られる。」

「ニッパーの最初の飼い主は、イギリスの風景画家マーク・ヘンリー・バロウドであった。1887年にマークが病死したため、弟の画家フランシス・バロウド(英語版)がニッパーを引き取った。彼は亡き飼い主・マークの声が聴こえる蓄音機を不思議そうに覗き込むニッパーの姿を描いた。」

それが『His Master's Voice』。

主人の声に耳を傾けているところを想像すると、胸がきゅんとしてしまいます。亡くなった主人の声を覚えていて、どうしてここから聴こえてくるんだろう?と不思議に思った仕草かもしれません。

絵やロゴマークでは、ニッパーは、耳だけ黒くて、全身が白い犬ですが、像はブロンズ製なのか黒褐色です。手前に蓄音機もないので(台座には絵が描いてありますが)、今まで見てきた見慣れたニッパー像とは雰囲気が違います。この像だけでは首をかしげているのがどうしてなのかわかりません。

ヴィーノも、口笛なんか吹いたとき、何の音だ?というふうに首をかしげることがあります。犬にとって敏感な音というものがあるのでしょう。聴覚に関しても、人間は犬にはかないません。犬は、人間が聞き取れない高周波数音も聞き取っています。すばらしい能力です。

なので、今ニッパーは、新国立競技場の工事の音を聴いて、首をかしげている、というふうに見えます。

その音は、未来の輝かしい音なのか、それとも何かごたごたして雑音が多すぎる不快な音なのか。

2020年のオリンピックは、新国立競技場のデザインの問題やら、競技場の建設場所や費用の問題やら、そしてエンブレムのパクリ問題やら、雑音が多すぎるような…。

ニッパーも「なんだ? このオリンピックは」と思っているのかも。

ところで、大手レコードショップの「HMV」とは「His Master's Voice」のことだったんですね。
 
 
 
 
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2017/07/11

【愛犬物語百景 其の百六十五】 東京国立博物館 古墳時代の「埴輪犬」

170709_1(国宝 埴輪 挂甲の武人)

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170709_3(古墳時代の埴輪犬)

170709_4(古墳時代の埴輪猪[手前]と埴輪犬[奥])


昨日は、縄文時代から弥生時代にかけて日本犬がどのようにできていったか、大まかなところを書いてみました。今日は、その後の古墳時代の話です。

上野の東京国立博物館の平成館考古展示室に行くと、まず、「国宝 埴輪 挂甲の武人」がお出迎えしてくれます。「埴輪」といったらこれ、くらい有名な埴輪ですね。

昔、子供のころ特撮時代劇『大魔神』という映画がありましたが、たしか、こんな埴輪武人がモデルだったような気がします。温和な埴輪の表情から、般若の面のような怖い形相に変身するシーンが忘れられません。

展示室の中に入ると、時代順に、発掘された遺物の展示があります。物によっては撮影禁止もありますが、ほとんど、ストロボや三脚などを使わなければ写真はOKです。

今回訪れた目的は、「埴輪 犬(はにわ いぬ)」です。「古墳時代」のコーナーにありました。ただ、他の埴輪といっしょに展示されていたので、じゃっかん全体が見にくい状態でした。

この「埴輪犬」は、古墳時代(6世紀)、群馬県伊勢崎市境上武士出土で、高さが47.1cmあります。

「首に鈴を付け、飼い主と向き合った家犬の姿であろうか。少し開けた口から舌を出した様子や尻尾をくるりと巻いたしぐさなどは、人間の生活の間近にいる犬の姿を巧みに捉えている。馬・鹿・猿・鶏など、動物を写した埴輪の例は多いが、その中でもとくに優れた作品である。」(東京国立博物館 埴輪犬

そして隣には、「埴輪 猪」が立っています。この埴輪だけではなく、全国的に埴輪犬の場合、たいていは埴輪猪とセットで発掘されることが多いそうで、猟犬であることを表しているようです。犬と猪の組み合わせが狩猟儀礼の場面を構成する定型だったとのこと。

HP「狼神話」によると、朝廷には犬養部(いぬかいべ)という役職がありました。帝の御料用の狩猟犬を飼育していたところです。普通の犬ではなく、熊や猪に立ち向かう犬なので、狼を飼いならすか、もしくは狼と飼犬をかけあわせた犬もいたようです。

ちなみに、犬飼部が害獣駆除もしていたそうで、それが、例えば「しっぺい太郎」や「めっけ犬伝説」などの「猿神退治伝説」の元になっているのではないかということです。これは納得できる話ですね。

だから、この埴輪犬は可愛らしく見えますが、これが猟犬だとすると、実際はもっと獰猛・精悍な姿をした犬、狼に限りなく近い犬だったかもしれません。

じゃ、なんでこんな可愛らしい姿に作ったのか?という疑問は、たぶん、俺たちの価値観・美意識にすぎず、当時の人たちは「可愛らしさ」という観点からはあまり見ていないのではないでしょうか。

埴輪をよく見ると、強調されているのは、足の大きさ・太さですよね。当時犬に求められていた「強さ」はこれでよく表現されているのではないでしょうか。可愛く見えてしまうのは、今の俺たちが「可愛らしさ」を犬に求めているということも関係しているのかもしれません。
 
 
 
 
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2017/07/10

【愛犬物語百景 其の百六十四】 国立科学博物館 ニホンオオカミとハイイロオオカミ

170710_1(ニホンオオカミ)

170710_2(ハイイロオオカミ)


上野の国立科学博物館の地球館には、ニホンオオカミとハイイロオオカミの剥製が展示されています。

同じ狼でも、大きさも色も雰囲気も違います。ニホンオオカミはハイイロオオカミと比べると、ずっと優しい感じがします。今、山で見かけても、野犬とは区別がつかないかもしれません。それでも、怖れられていた存在には違いありませんが。

ニホンオオカミについて詳しく書かれた最初の本は、『日本動物誌』(Fauna Japonica)だそうです。イヌ科の部分は、1844年に発表されていますが、これはシーボルトが大坂で採取し、テミンクが研究したものです。

そこにはこのような記述があります。

「野生犬の新種族、すなわち、日本人がヤマイヌ Jamainu と言っているものは、形態、習性、毛質など、どの点から見ても、まったく、われわれの国の狼に比すべきである。ただ、肢が短い点が違っていて、ヨーロッパ狼 Canis Lupus と同族とは、とうてい考えられない。」(平岩米吉著『狼 その生態と歴史』)

とあります。ヨーロッパ狼と比べて、小ぶりだったということらしい。

この前も書きましたが、ニホンオオカミは絶滅したと言われています。だから、1905年1月23日、奈良の鷲家口で、アメリカ人のアンダーソンが猟師から8円50銭で買い取ったものが、最後のニホンオオカミと言われています。

ただし、まだ生存説を唱えている人もいます。目撃情報もありますが、確実に「オオカミだ」と言えるような情報は今のところありません。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は今回が初めてらしい。長年の謎の解明に一歩近づいた感じです。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

「ネパールとモンゴル」とあるので、2ヶ所、という意味なのか、それとも、チベット高原とその周辺地域という意味なのか、どちらかはわかりません。

チベット高原で家畜化され、それが同心円状に伝播していくなかで、オオカミではなく、より「イヌらしい性格」になっていったというストーリーはわかりやすいとも言えます。

こちらのHP「日本犬のルーツ」によると、日本犬は、日本人の渡来ルートと関連しているということらしい。

「北海道犬と琉球犬は遺伝的に近い関係にある。」とあって、これは人間の遺伝子と同じ状況です。

日本人の成り立ちは、現在のアイヌ族の人たちと沖縄人との間では遺伝的な特徴が似ていることがわかりました。このふたつの集団は、今は南北に分かれていますが、もともとは日本列島にかなり早い段階、約数万年前にたどり着いていた集団の末裔(縄文人)で、その後、約3000年前に別な集団(弥生人)が九州や近畿に入り、日本に拡散していって、混血を繰り返し、現在の日本人ができました。

二重構造になっています。アイヌ族の人たちと沖縄人のふたつは縄文人的DNAが比較的色濃く残っている集団で、その上に弥生人的DNAが重なっているのが今の日本人。

日本犬も、南からか、北からかはわからなくても、少なくとも、大陸から人間といっしょにやってきたということで、二重構造があることがわかったらしい。縄文人は縄文犬を、弥生人は弥生犬を伴ってきたと考えることができるようです。

ニホンオオカミとの関係でいえば、日本犬は少なくともニホンオオカミから家畜化したわけではないということですね。日本列島に来た時にはすでに「犬」だったのです。

その後、オオカミと犬を掛け合わせて強い狩猟犬を作っていったということがあったようです。それについては、明日掲載予定の「埴輪犬」で。
 
 
 
 
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