カテゴリー「全国の犬像と狼像(お犬さま像) 【愛犬物語】」の420件の記事

2018/10/20

遠藤公男著 『ニホンオオカミの最後』

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著者の遠藤さんは、岩手県山間部の分校に教師として勤めるかたわら、コウモリと野ネズミの新種を発見した人だそうです。退職後は作家として多くの動物文学を執筆しました。

この本は、東北、とくに岩手県の狼(ニホンオオカミ)がどのように絶滅したのかを追ったノンフィクションです。

古い資料を探し出し、そこに載っていた住所や名前をたよりに、狼捕獲の痕跡を聞き周ります。そのエネルギーには感服します。俺も見習わなければ、と思います。

「狼酒」というものもあったんですね。岩手の北上高地に狼で作った酒があったという。でも、昔野生動物はすべて殿様のものだったので、勝手に狼を獲って酒に漬けたものは、ごく近いしい人とだけ飲んでいたようで、ほとんど世の中には知られていなかったようです。これを遠藤さんは発見しました。

大槌町の狼祭り(オイノ祭り)についても書かれています。著者が祭りに参加したのは、昭和63年だそうで、残念ながら今はもうやっていません。

俺は今年5月に訪ねましたが、住民によると、祭りはもうやっていませんでしたが、「山の神」と「三嶺山」の碑、「三峯大権現」の碑は残っていました。

その時の記事はこちらです。

【愛犬物語 其の二百六十七】 岩手県大槌町&遠野市 オイノ祭りと三峯神社

狼は、北海道のエゾオオカミが絶滅した後、ニホンオオカミも絶滅しますが、本州でも最後まで残っていたのが、奈良県や岩手県であったらしい。一応、ニホンオオカミは、1905年(明治38年)、奈良県でアンダーソンに売られた雄を最後に絶滅したといわれています。

岩手県民には失礼な話ですが、昔は「日本のチベット」などとも言われていたように、狼が最後まで生き残っていた可能性はありそうです。

明治40年10月13日の巌手日報に「狼を捕獲す」と題した記事があります。

岩手郡中野村(現盛岡市)西安庭というところで、狼3頭を捕獲したというニュースです。

アンダーソンが奈良県で狼を買ってから2年9か月後で、これが本物の狼だったとしたら、奈良県の狼よりも新しいので、日本最後の狼になりますが、残念ながら狼がどうなったかは不明だそうです。

明治になり、狼と人間の関係は徐々に変化していきました。狼は「神・神使い」から目の前で人間を襲う「害獣」となり、狼に賞金がかけられたことで、人間はこぞって狼を撃ち、乱獲が進んでいきました。

また、土地の開発で野生動物の生息地は狭まってきて、狼の食糧である鹿や猪も少なくなりました。

そこへジステンバーが襲いました。狼にも伝染し、群れが崩壊し、狼は絶滅することになりました。

著者はあとがきでこのように書いています。

「人々が狼に素朴な信仰を捧げていたことは美しい。狼は恐ろしいものだったが、自然や田畑の守り神でもあった。私はノンフィクションの動物文学を生きがいとしてきた。八十五歳までかかったが、ふるさとの狼がどのように生きたかを伝えることができたのは、本当にうれしい。」
 
 
 
 
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2018/10/17

Manabi JAPAN 第3回:武蔵御嶽神社の犬同伴参拝

Ookamisihnkou

Manabi JAPANで連載中の「狼信仰」の第3回は、「武蔵御嶽神社の犬同伴参拝」です。

狼信仰は時代とともに変化してきて、今、東京都青梅市の武蔵御嶽神社は、「お犬さま」にちなんで、犬の健康祈願をする犬同伴参拝者が増えてきました。

本文はこちらでお読みください。

https://manabi-japan.jp/life-event/20181015_5236/
 
 
 
 
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2018/10/14

平岩米吉著『犬と狼』に出てくる狼の伝説いろいろ

_mg_2635(「狼目」ではなく、これは山梨県上野原市「犬目」宿)


犬科生態研究所を創設した平岩米吉著『犬と狼』に、狼に関するいろいろな話があります。

まず、狼の最古の記録としては『日本書紀』に、大和武尊が東征の折、信濃坂において路に迷った尊を導いた白狗があったというもの。これは一説には狼だともいわれています。

次は『欽明天皇紀』(540年)に、秦大津父が喧嘩をしていた二頭の狼の仲裁をしてやったところ、その狼が天皇の夢に現れて秦大津父が大蔵大臣に出世をする糸口を作って、お礼をしたという話。

こういう記録があるんですね。昔から狼とは交流がありました。

また狼に関するまことしやかな説がいろいろとあって、有名なところでは、送り狼があります。

送り狼というのは、現代では、「親切らしく送って行って、途中で女をねらう男」という悪い意味がありますが、もともとは、狼の習性からきた言葉です。

著者によると、狼が人の後をつけるというのは実際にそのとおりだそうです。ただ、それは人を襲うという目的からではありません。おもに、好奇心、珍しいものを知りたいという気持ちからつけて来るのだそうです。

次は、狼の尾についての話です。

「狼は柄にもなく、気まりを悪がる性なので、いつも尾を股の間に引き入れてはずかしいところを隠しているという説であります。しかも、この説はだんだん発展しまして、ついには恋愛の季節の狼のいるところを通りかかった者は、こちらも衣服を脱いで狼のはずかしい気持ちをやわらげてやらないと、後で害を受けるという、まことに奇妙な考え方とさえなってしまったのであります。そして、この事は『煙霞綺談』と申す本などに堂々と、まことしやかに記してあるのですから、なおさら、驚くほかはありません。
 ところで、こういう説がどうして起こったかと申しますと、それは狼は犬とちがいまして、いつでも尾をさげて歩いていて、どんな場合でも決して尾を高く上げるということがないからであります。」

笑ってしまいます。狼の近くで服を脱いだら、その不審な動きで狼を刺激して襲われてしまいそうです。

もっとも、こういう説が出てくるのは、「衣服を脱ぐ」機会はほぼゼロであることをわかっている人たち、つまりは、狼の実物を見たこともなければ、見る機会もない人たち、ということでしょう。

狼に限らず、人間でも、知らない外国人に対して、とんでもない話が生まれるのと同じです。

次は、狼の目の光は火のようだという話です。

例として炭焼きの話が出てきます。炭焼きが暗くなってから、炭俵を背負って山から帰ってきました。

途中で、誰か道の端で休んでいるらしく、煙草の火が見えました。これを見て、炭焼きも急に煙草をのみたくなって、「火をひとつ貸して下さい」といったら、その火がウーッという唸り声を出したというんですね。つまり、この煙草の火に見えたのは、狼の目の光だったというのです。

これを読んで俺も同じような体験があったのを思い出しました。

話は狼のテーマから離れてしまいますが、中国雲南省での出来事を書いてみます。

イ族の祭り「挿花節」を見ようと大姚県を目指していましたが、当時、まだ外国人には未開放の町だったので、公安に通報されないように、宿には泊まらないつもりで、ちゃんとテントも用意してきていたので、それを張って寝ることにしました。

町の中はまずいと思い、家並を抜けて適当な場所を探しましたが、どこにも人の気配があったので、ソラマメ畑へ行ってみました。

畑の畦道を進んでいくと、暗闇の中に、赤い小さな火がポツンと見えました。蛍のようにも見えたので、なんだろう?と目をこらしてそばへ近づきました。50センチほど顔を近づけたとき、その赤い火が突然左右に揺れ、そしてオホン!と咳払いの声がしたので、俺は「アッ!」と驚いて、畦道から足を踏み外し、畑の中にあやうく転びそうになったのでした。

男がタバコをくわえ、畦道に座り、用を足していたのです。俺も驚いたが、男も驚いたのではないでしょうか。

中国って、どこへいっても人だらけだなぁという話です。

狼とは関係ない話になってしまいました。
 
 
 
 
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2018/10/11

『オオカミと神話・伝承』 (02) 千匹狼の伝説

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『オオカミと神話・伝承』 の中にある「老婆とオオカミ人間(日本)」というコラムで、南方熊楠が多くの地方から集めた「千匹狼」の伝説を読んで、愛媛県の「犬寄峠」を思い出しました。

要約するとこんな伝説です。


ある旅人が身重の妻と山奥を歩いていると、オオカミの群れに襲われた。木の枝に逃れたが、オオカミたちは、馬乗りになりピラミッドを作って迫ってきた。男は小刀で切り殺したが、次から次へと迫ってきた。やがて一頭のオオカミが「鍛冶屋の婆さんを呼んでこよう」と言った。
オオカミは去ったが、今度は大きな雌オオカミを先頭に戻ってきた。こうして攻撃がまた始まった。男が刀を振り下ろすと老オオカミの頭に傷を負わすことができた。オオカミのピラミッドは崩れ落ちた。
恐ろしい夜を過ごした旅人は、村にたどり着き「鍛冶屋の婆さん」が気になり、鍛冶屋を訪ねると、老婆がいて、昨日頭を打ったといって床に伏せっていた。傷が昨晩の雌オオカミと同じ位置にあった。見破られたと思った老婆は、逃げようとした。しかし旅人は、一瞬速く刀で切りつけると、老婆は死んだ。すると年老いたオオカミに変わった。


これと似たような「千匹狼」伝説は日本各地にあるようですが、興味をひかれるポイントは、オオカミが次から次へと繋がって、木の上に逃れた人間に迫ってくるという「馬乗りになる」という部分です。「肩車する」とか「犬梯子」などとも表現されているようです。狼たちが繋がって上に伸びていくって、本当に面白いイメージですね。

別な本には、たしか、元々この伝説は中国大陸から来たようで、大陸では、オオカミではなくてトラが梯子状になるという話があったようですが。正確には忘れてしまいました。

梯子状になったオオカミの伝説を初めて知ったのは、愛媛県の「犬寄峠」を訪ねた時でした。

「犬寄峠」は伊予市の南にあり、峠には、うち捨てられたような錆びたプレート「犬寄峠 標高306m」とありました。

地元の人にもらった史料「飛脚が山犬に襲われた話」によると、


この辺りの峠は、昔は強盗が出たり猛獣が出る難所でありました。ある時、一人の飛脚が松山を出て大洲に向かい、夜中に峠を通りかかりました。すると眼光鋭い山犬が一匹現われ、飛脚に飛び掛ろうとしたので、飛脚は抜き打ちに山犬に斬りつけました。山犬が死ぬとき一声高く叫ぶと、その声に応えてどこからともなく沢山の山犬がやってきて飛脚に詰め寄ったので、飛脚は傍らの大きな木によじ登ったが、大木の下にはますます多くの山犬が集まって、肩車を作って登ってきて飛脚にかみつこうとしました。
その時ふと、自分の持つ刀の目抜きが鶏の名作で、血潮を得ると精を得て鳴く、ということを思い出し、「この鶏の名作がまこと精あるものなら、見事一声鳴いてみよ」と大声で呼ばわると、刀は「コケコッコー」と鳴きました。この鳴き声に驚いた山犬どもは、木の上の飛脚をにらみながら、あきらめて帰っていきましたとさ。


この伝説では「山犬」とあるので、たぶんオオカミのこと、そして梯子のことは「肩車」と表現しています。

犬(狼)や虎が、肩車して梯子のようになって人間に迫ってくるイメージは、何を表しているのでしょうか? こういうのは、実際の動物の習性ではなく、人間がその動物に対するイメージを持っているからだろうと思います。一説には、跳躍能力の高さを表しているのでは、とも言われているようです。

 
 
 
 
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2018/10/10

『オオカミと神話・伝承』 (01) 古代ローマと日本のオオカミ

171130_1(味の素スタジアム)

171218_2(日比谷公園)


『オオカミと神話・伝承』(ジル・ラガッシュ著/高橋正男訳)は、世界のオオカミにまつわる神話や伝説を紹介した本で、古代ローマの狼信仰や、「蒼きオオカミ」の子孫たち、日本のオオカミについても触れられています。

ローマの建国者ロムルスと弟レムスとともに、雌オオカミに育てられ、このオオカミと兄弟の銅像はローマの守護神になりました。

紀元前1世紀ころ、雷がこの銅像を直撃しました。その結果、破壊され、寺院の地下室にかたづけられて人々から忘れ去られました。15世紀、像はカピトリウム丘に移されましたが、トスカナの芸術家が、あらためて双子の兄弟の像を造ったそうです。

この像のレプリカが、日本にもあります。日比谷公園と味の素スタジアムです。

以前、このオオカミ像の右足に怪我状の穴があることに気が付き、調てみましたが(イタリア文化会館でも聞いてみました)、依然その理由はわからず謎のままです。

ただ、世界のオオカミについての話をみてみると、だいたいは、「恐ろしい野獣」、あるいは、「強い戦士」、「崇められる神」というイメージで語られるようです。そのことと関係ありそうな気もするのですがわかりません。まだまだ謎です。だれか知っていたら教えてください。

日本のオオカミについては、すでに書いていますが、この本のコラムを要約すると、

日本には2種類のオオカミがいました。北海道のエゾオオカミと本州以南のニホンオオカミです。エゾオオカミは1889年ころ、ニホンオオカミは1905年ころ絶滅しました。

日本人とオオカミとの関係は、ヨーロッパとは違い緊張感が少なかった。その理由は、日本人の伝統的な食糧が肉ではなく、農民は家畜を飼わず、田んぼや畑に囲まれた村に住んでいました。そういうところは、オオカミには魅力はなかったので、山の中に住んで、めったに里に下りることもありませんでした。

時々山でオオカミに襲われることもありましたが、おおむね人間とオオカミは平和的に、お互いの領分を尊重して暮らしていました。農民が害獣とみなしていたシカやイノシシやウサギを食べてくれてもいました。

1732年に、本州で狂犬病が発生しました。もっとあとになって、ふたたび狂犬病が発生しました。そのたびに狩りが行われましたが、ヨーロッパと比べると小規模なものでした。

1743年に、日本を旅行したスエーデン人植物学者ツーンベリは、「日本には、オオカミはまれになってしまった。今や、もっと北に行かないといない」と断言しました。

という内容です。

西洋では、家畜が食べられてしまうことで、オオカミは害獣と考えられていたのとは違い、日本では逆にシカやイノシシを食べてくれる益獣でした。そこからオオカミが神や神の使いとして崇められる動物になりました。
 
 
 
 
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2018/10/09

玉川麻衣個展「死と乙女」と、板橋雅則展

Dn05rcqxsaabit4(玉川麻衣さんツイッターより)

Itabashi(板橋雅則展のDMより)
  
 
知り合い2人の個展をハシゴしました。両個展とも、まだ開催中ですので、ぜひ見に行ってみてください。おすすめです。
 
 
■ 玉川麻衣個展「死と乙女」
   会期: ~10月19日(金) ※15(月)休
   時間: 11時~19時
   会場: 八犬堂ギャラリー 
        世田谷区池尻2-4-5 IID-118 
        (世田谷ものづくり学校 118号室)

玉川さんの絵は、去年、オオカミ信仰を調べている中で、「狼伝承と登る七ツ石山展」で知りました。玉川さんは七ツ石神社の再建プロジェクトに協力しているので、丹波山村に玉川さんの原画を元にしたオオカミの絵の手ぬぐいがあるのですが、今回『犬像をたずね歩く』でも手ぬぐいの絵を掲載させてもらいました。
絵は、『鶴の恩返し』のツウが自分の羽をむしって布を織ったような、鬼気迫るものです。じっと見つめていると、異界に引き込まれそうになります。戻れなくなるような怖さも感じます。
 
  
 
■ 板橋雅則展
   会期: ~10月14日(日)
   時間: 12時~19時
   会場: ぎゃらりー由芽のつづき
        三鷹市下連雀4-15-2-101

板橋さん夫婦とは、昔、中国雲南省のシーサンパンナのタイ族民宿で出会って以来の付き合いです。10年前くらいまでは、板橋さんの絵には、人間の姿がありましたが、今回は、一見すると見当たりません。
でも、前より、視点が高くなったような気がします。前は、200m上空から見ているような絵だとすると、今回のは、もっと高度が高く、例えれば、Google Earthで地球のどこかを見ているような感じなのです。模様は道なのか、畑のあぜ道なのか、砂漠の遊牧民の家畜を囲っている柵にも見えます。人もいるんじゃないかとつい目を凝らして見てしまいました。
そのうち板橋さんの絵の視点は、もっと高度を上げていくのかなという個人的期待もあります。


タイプのまったく違った絵なのに、共通したものを感じます。いい絵かどうかは、どれだけ自分がその絵の中に入り込めるか、ということで、その内側の世界に共感できたということなんだと思います。
 
 
 
 
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2018/10/07

『絶滅した日本のオオカミ』 (02) アイヌの「イヌ」と「オオカミ」

_87a2715(セタカムイ岩とヴィーノ)

_87a2825(セタカムイ岩と日の出)

_87a3203(新ひだか町アイヌ民俗資料館の北海道犬(アイヌ犬)の剥製)


前回に引き続き、『絶滅した日本のオオカミ』 の内容からですが、アイヌにとっても日本人にとってもオオカミは神、あるいは神の使いとして崇められていたという話は書きました。

でも、アイヌと日本人では、オオカミに対する認識の違いもあるという話です。

「恐らくもっとも基本的な違いは、日本人が低地の「現世の」農村と異なり、山をはっきりと他界とみなしたことだ。」と著者はいう。

日本人は、オオカミを山=他界に棲む生き物と考えたということでしょうか。

「韓国、中国から渡来した宗教の伝統(仏教が最有力)は、日本人のオオカミに対する態度にも影響し、絵馬・お札・石像などに見られるように、貴いオオカミを図像的な型の中に住まわせた。農村の「現世」確立と同じように、やがて、仏教の理論はオオカミを実体とはかけ離れた姿に遠く追いやった。」

とあります。

また、野生動物に対する人間の態度について、米・日・独の比較をした調査があり、その中で、「日本人は動物や自然に関する実体験よりも人工的、かつ高度に抽象化された象徴的なものを好む」と答えた。」とのことです。

確かに、お犬さま像やお犬さまのお札で表現されたオオカミ像は、実態とはかなり違う姿をしたものもあります。各地のお犬さま像はバリエーションがあり、そこが想像力の豊かさと言えるわけですが、あくまでも「お犬さま」のイメージです。

それとは対照的だったのが、アイヌの世界観です。

「アイヌにとって唯一の別世界はカムイモシリ「神々の地」だった。そこは人々も住むことができた形而上の世界だった。つまり、日本人と違ってアイヌは地の全ての生き物と分かちあう一つの世界の一員だった。アイヌにとって、動物と人間は同じ地球の生き物仲間として同じ存在空間を共有した。」

日本人が、オオカミを他界の動物ととらえたのとは違い、アイヌにとって、オオカミは、もっと近い関係だったということでしょう。

それとアイヌは「イヌ」と「オオカミ」をはっきりとは区別しなかったという話がありますが、同じ理由かもしれません。

『犬像をたずね歩く』に、北海道古平町の「セタカムイ岩」を入れたのですが、この「セタカムイ」とは、「セタ=犬」、「カムイ=神」なので、「犬の神」という意味だと書きました。

でも、地元にある資料には、「犬」ではなくて「オオカミ」という説もあるとのことでした。どうしてだろう?と思ったのですが、その理由らしきものがこの本に書いてあります。

アイヌは特定の場所をオオカミに結びつく名前を付けました。たとえば、三石と静内の間にある山を「セタウシヌプリ(オオカミが棲んでいた神の山)」、然別湖にある一つの山を「セタマシヌプリ(オオカミが天から降ってきた山)」と呼びました。

これらの山名の「セタ」をここでは「オオカミ」と訳しています。でも、「セタ」はアイヌ語で実際には「イヌ」を意味します。

「アイヌは意識のなかでいずれにしろ両者をほとんど区別していなかった。自然を識別し分類する際に、アイヌはイヌとオオカミの違いをあまり重要視しなかった。」

とあります。

村で人を助けるのが「イヌ」で、山でシカを狩るときは「オオカミ」になる。アイヌは二種類のイヌ科動物を同じように見ていて、どちらか区別が必要とされるとき、その状況次第で変わったようです。

イヌとオオカミの区別に鈍感ということは、区別する必要がなかったからで、元々アイヌは馬を飼っていなかったので、馬が食べられて、犬とは違った厄介な動物としてオオカミを意識することがなかったということでしょう。

あらためて「セタカムイ」の「セタ」はどっちだろう?と考えると、飼い主を待って、あるいは飼い主を慕って、あるいは猫を追って岩になった伝説なので、ここは「イヌ」でいいのかもしれません。
 
 
 
 
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2018/10/06

『絶滅した日本のオオカミ』  (01) 神から害獣に変わったオオカミ

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_87a3185(イヨマンテで使用されたエゾオオカミの頭骨)

_87a2924(エゾオオカミの剥製)


『絶滅した日本のオオカミ』 (ブレット・ウォーカー著/浜健二訳)を読みました。

日本のオオカミ(北海道ではエゾオオカミ、本州以南ではニホンオオカミ)が絶滅した経緯について書かれたものです。

1873年に外国人顧問として来日した米国人エドウィン・ダンはストリキニーネ入りの毒餌を用いて、北海道南部のオオカミや野犬を撲滅するために働いたという。当時の日本は、新天地北海道で牧場経営を始めていました。アメリカでやった方法を北海道でも実践したということのようです。

でも、アイヌにとっても和人にとっても、オオカミは神・神の使いとして崇められる存在でした。それがどうして撲滅の対象になったかというと、直接には、馬や人が襲われること、そして狂犬病が流行ったことが理由ですが、日本人の「オオカミ」に対する認識の変化があったようです。それは日本の近代化というのが背景にあり、その方向性と合致していました。

アイヌにとってもオオカミ(エゾオオカミ)は、高位の神「ホロケウカムイ」として崇められていました。アイヌは自分たちの狩りが、エゾオオカミの狩りと似ているという思いが、エゾオオカミに対する敬意を育てました。

十勝や日高地方には、白いオオカミが女神と結婚し、その子孫がアイヌの祖先だという起源神話があるそうです。

アイヌはイヨマンテと呼ばれる「送り」の儀式で、ヒグマ、フクロウなどと同様に、オオカミを生贄にしました。

イヨマンテで使われたオオカミの頭骨が、シャクシャイン記念館の隣、新ひだか町アイヌ民俗資料館に展示されています。

この標本は明治初期に殺された六、七歳のオオカミです。頭骨の左側に孔が開けられていますが、これはアイヌは、動物の魂、カムイの本体は頭骨の両耳の間に潜むと信じていて、儀式で開けられたものです。雄なら左側、雌なら右側に孔を開けます。なので、この頭骨は雄であることを示すそうです。


山に住む人や、山越えする旅人や、猟師以外の日本人はほとんど本物のオオカミを見たことはなかったでしょうから、日本人にとってオオカミは、山の中(他界)に住む神・神の使いという象徴的なものでした。

その神・神の使いとして崇められていた象徴的なオオカミが、今度は、馬や人を襲ったり、狂犬病に冒された現実的な動物になったことで、害獣というレッテルを貼られてしまいました。だからオオカミは殺しても許される動物になってしまいました。

でも皮肉なことに、オオカミは絶滅したことで、ふたたび神・神の使いになったということではないでしょうか。いや、もっと強力な魅力を持つ象徴となったのです。
 
 
 
 
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2018/09/30

【愛犬物語 其の二百九十九】 東京都あきる野市 御嶽神社のお犬さま(狼)像

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東京都あきる野市、小和田 御嶽神社を参拝しました。

ちょうど1年前も阿伎留神社の例大祭の日に参拝しています。

御嶽神社は武蔵五日市駅から徒歩30分ほどの、秋川の南側、小高い山の上に鎮座します。境内からは街並が見渡せます。どこからともなく囃子の音が聞こえ、お祭り気分が盛り上がります。

社殿前には、1対のお犬さま像が鎮座しています。比較的新しいものです。台座を確かめると昭和49年(1974)4月に奉納されたようです。

お犬さま(狼)像なのでしょうか、どうも、犬像のように見えてしまいます。とくに、向かって左側の像は、ジャックラッセルテリアのように見えます。

それともう一対、お犬さま(狼)像があります。社殿の右奥の祠の両脇に控えている像です。

こちらは古そうです。左側のは胴体に修復の跡が残り、右側のは前足が折れてしまったようで、針金で固定されています。

まるでアヒルのくちばしのようです。今まで出会ったお犬さま像の中でも、かなりユニークな姿です。
 
 
 
 
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2018/09/12

「犬像」2冊のチラシができました

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『全国の犬像をめぐる 忠犬物語45話』と『犬像をたずね歩く あんな犬、こんな犬32話』を紹介するチラシができました。大きさはA4で、表フルカラーです。

これは今写真展を開催中の、さいたま市浦和区 ギャラリー楽風をはじめとして、写真展やギャラリーなどに置いてもらうものです。

もし、置いてもいいというところがありましたら、お送りしますので、ご連絡ください。現物でも、データでもOKです。
 
 
 
 
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