カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の751件の記事

2022/06/27

【犬狼物語 其の六百八】鳥取県米子市 三輪神社の狼神事

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 三輪神社の狼神事の様子です。

 狼神事は大和の国、大神(おおみわ)神社から、春になると2匹の狼が来て、村の安泰を願って村々をまわるといった故事にちなんだ祭りだそうです。

内容についての詳細は、まだ調べている最中でもあり、書籍で発表するつもりですので、しばらくお待ちください。(【参】はいつになるかなぁ・・・)

 

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2022/05/30

【犬狼物語 其の六百七】兵庫県養父市 妙見尊狼御守

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石原集落を見下ろす妙見山日光院を参拝しました。

日光慶重が開いたと伝えられる真言宗の古刹で、本尊は妙見大菩薩、日本三妙見の一つとして有名だそうです。

 妙見尊狼御守は、長方形の版木から刷りだされたお札。数十年以上も途絶えていましたが、つい2、3年前、お札が復活しました。去年の祭りのときに「埋もれていたお札を復活したのでお配りします」といって檀家さんにも配ったという。

「妙見尊狼御守」と上下に並んだ狼さま。 上に立ち姿、下に伏せをした姿が配されています。このレイアウトは今まで見てきた狼のお札とは趣が違っています。

なお、妙見信仰と狼との関係については、こちらのブログに詳しいです。

http://www.raifuku.net/special/wolf/details/myoken1.htm

 

 

 

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2022/05/25

【犬狼物語 其の六百六】兵庫県養父市 山野口神社の祭り

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兵庫県養父市の養父神社・山野口神社を再参拝しました。

今回の目的は「狼の宮」として知られる山野口神社の祭りです。

山野口神社は、養父神社本殿の後ろにあり、解説看板には、

「御祭神は大山祇命であります。別称は「山の口のおおかみ」と申し上げ、流行病を退けられ、「つきもの」を落とす神として広く信仰されています」

とあります。神使が狼です。だから狼さまの像が奉納されています。

明治時代、西日本でコレラが流行ったときに、コレラ除けとして数多く各地に勧請されたのが木野山神社ですが、疫病除けは木野山神社だけではありませんでした。その一社に山野口神社があります。

養父神社社殿から右奥に進むと池があり、更に進むと、山野口神社の社殿が鎮座します。この社殿は元禄時代に建立されたと伝えられています。明治30年の「養父神社絵図」には「奥ノ宮 山ノ口社」として描かれています。

山野口神社の祭りですが、 今、コロナ禍もあり、遠方の講と近場の講、2回に分けて神事を行いました。

宮司はあいさつで、「流行病が起きたとき、山野口の大神の御霊を、各地に持ち帰って病を防いだという話があります。まさしく今の時代と同じです。直会もできませんが、来れなかった人たちにはお札を郵送しています」

講で一番遠くは淡路島から来るという(今回は郵送)。各地から代参の人が講員分だけのお札をもらって帰り、祠に祀ります。代参は、当番が順々に変わり、一回りしたら、総参講となるところもありますが、各講のやり方はそれぞれ違っているそうです。

ところで、伊能忠敬の映画『大河への道』が公開されていますが、伊能は養父神社にも立ち寄っています。文化11年(1814)のことです。伊能はこのとき70歳でした。当時、養父神社の標高372mの弥高山の山頂に上社、中腹に中社、現在の養父神社の位置には下社という3社がありましたが、そのことについても記しています。

 

 

 

 

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2022/05/22

【犬狼物語 其の六百五】岡山県高梁市 木野山神社の春祭

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4月に斎行された木野山神社春祭の一部を紹介します。

本祭の日の午後、神事、「浦安の舞」奉納のあと、福餅まきがあります。

お餅には「い」とか「ろ」とか「神酒」とか書かれていて、これらを拾った人は、あとで賞品をもらうことができます。

 なお一番下は、御朱印ですが、昨年12月に奥宮を参拝した時にはいただけなかった奥宮の御朱印を、今回はいっしょにいただきました。(日付は昨年の12月にしてもらってます)

 

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2022/05/17

【犬狼物語 其の六百四】岡山県倉敷市 木野山神社のお札

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倉敷市の美観地区を歩きました。今はコロナ禍で少ないですが、いつも観光客でごった返していたような印象があります。

でも、この観光地が意外にも、狼信仰にとっては無視できないところなのです。

高梁市の木野山神社を勧請した木野山神社があり、木野山講が3つもあります。講元を務めている人にも話を聞くことが出来ました。

街を歩いていると、木野山神社のお札を見ることもできます。玄関先に貼ってあったり、店の奥の壁に貼ってあったりします。

もともとは明治期のコレラ除けとして勧請されたものですが、倉敷は昔から交通の要衝で、人が集まるところであり、とくに疫病が流行ることには神経質になっていたのかもしれないといいます。

倉敷の美観地区といったらバリバリの観光地で、知らない人がいないくらいですが、実は、狼信仰が今でも生きているというところが、とても面白く感じます。文化が重層的なのです。だから街を歩いていても、単なる観光地という視点ではなく、人々の暮らしを新しい視点で見ることができます。 

 

 

 

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2022/05/14

【犬狼物語 其の六百三】姜戎 (著)『神なるオオカミ』牧畜民のオオカミ信仰

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姜戎 (著), 唐亜明 (翻訳), 関野喜久子 (翻訳)  

「文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣(チェンジェン)は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象であるオオカミへと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが……。」(amazon『神なるオオカミ』より

オオカミの子どもを飼いはじめますが、最後まで人間になつくことはないんですね。だからこそオオカミ、という気もします。

モンゴル人の最大の敵がオオカミです。家畜をめぐっての、オオカミたちとモンゴル人たちとの攻防戦はすさまじいものがあります。どうしてこの凶暴なオオカミを崇拝するんでしょうか?

 

メコン源流を探しに、チベット高原を旅したのは、今から30年も前のことです。

当時はまだ東西冷戦が終わって間もないころで、メコン川流域の国々も、ようやく外国人旅行者に門戸を開いたという時期でした。だからそれまでは、メコンはほとんど価値のない大河と考えられていました。中国人(漢民族)にとってさえ、黄河や揚子江と違い、メコン(瀾滄江)は異民族が住む辺境の無価値な川にすぎませんでした。だから90年代まで、源流も確定していませんでした。

俺がメコンの源流に行こうと思ったのは、そんなときで、結局、科学的・地理学的な源流はわかるはずもなく、探したのは、地元チベット人が「ここが源流だ」と思っている水溜まりでした。でも、俺の旅の目的や興味からすれば、この民俗的な源流こそ探し求めていたものかもしれません。

北京から文革時代に内モンゴルに下放された経験を基に書いたジャンロンの小説が『神なるオオカミ』という本です。読んでいるうちに、いろいろ思い出したことがあります。上下2巻の長編小説なので、遅読な俺にはけっこう時間がかかりました。

この小説の舞台は内モンゴルですが、メコン源流のある、青海省の草原も似たようなところがあります。草原が広がり、そこで牧畜民(100%の遊牧民はもういませんが)が、高原牛のヤク、羊、山羊、馬などを放牧して暮らしています。ヤクの毛は編んで黒い布の天幕住居になり、乳はバターやチーズなど乳製品に、糞は木のない草原では燃料になるなど、ヤクという動物がいなければ生活が成り立たないところです。

俺は青海省の西寧という街で、旅行社に頼んで、車をチャーターしました。源流まで、往復約2週間の旅です。そして車で行けたのは、3日間かけてたどり着いたモーユンという、役場の建物があるだけの村でした。そこからは車を使えないので、馬で行くことになりました。

その行程で、案内人のチベット人は、銃を持参しました。それはオオカミ対策です。オオカミに襲われたときに使うのだと教わりました。

あるとき、「あそこ、見てみな」と言われて草原を見渡しましたが、何を言っているのかわからず「何?」と聞き返すと、「狼(ラン/漢語)」というではないですか。チベット人の視力はかなり良いらしく、おそらく2~3kmくらい離れたところに2匹のオオカミが走っているらしいのですが、俺にはまったくわかりませんでした。牧畜民にとってはオオカミが一番怖い動物なので、彼らはオオカミに敏感です。オオカミを見つける能力も日々の生活から研ぎ澄まされていたんだろうなと今となってはわかります。

そして、「これ撃ってみな」といって、銃を手渡されたのでした。実弾の入った本物の銃です。そして空缶を20mほど離れたところに置いて、練習させてもらいました。俺も2発撃たせてもらいました。もちろん当たりませんでした。幸い、この銃をオオカミに向ける機会がなくて幸いでした。

ある地元牧畜民の天幕住居のそばにテントを張らせてもらいました。食事も彼らから買ったものでした。俺は何でも食べられるので、街から特別の「文明食」を持っていく必要はまったくありませんでした。ヨーグルトも好きだし、ヤクの干し肉もおいしく食べられます。バター茶とツァンパという麦焦がしも大丈夫です。ただ、干し肉がガムのように固いのは閉口しました。

そのテントは普通の登山用のテントなので、夜、寝ているとき、外で音がするとビクッと身構えてしまいます。さんざんオオカミについて脅かされていたので、風の音さえ敏感になっていました。ところが、オオカミ以上に怖いのはチベット犬だということがわかり、俺は、テントをうろつく犬たちの鼻息に熟睡できないし、明るくなるまで小便を我慢する羽目になったのでした。

でも、この犬も、小説を読むとわかるのですが、オオカミと戦えるほどの犬じゃないと役に立たないし、獰猛な犬はある意味、牧畜民には大切な相棒なのです。

と、ここまで書くと、オオカミは敵か?という感じですが、モンゴルもチベットも、草原には黄羊などの野生の草食動物がいて、彼らが草原の牧草を食べつくすと、砂漠化が進んでしまい、いずれは草原がなくなるのです。この黄羊を食べてくれるのがオオカミです。オオカミは怖いし、家畜の敵でもあるんですが、いなくなるとまた困る。つまり、人間も、草原も、黄羊も、オオカミも、絶妙なバランスを取って存在しているということです。

オオカミは、人間を襲うといよりは家畜を襲ったときに、人間と戦うことになってしまうのが真相らしい。そして家畜を襲うのも、草食動物が少なくなったときです。めたらやったら家畜と人間を襲うわけではありません。

小説では、すさまじいのです。オオカミと遊牧民との関係が。それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、人間はオオカミと同等なのではないかと思えます。このオオカミがモンゴル人のトーテムとして、かつて、ヨーロッパまで征服したモンゴル人の崇敬する動物であるということです。敵でもあり、神でもある。このあたりは、日本のオオカミがどちらかというと抽象的なイメージになったのとは違い、ずっと具体的です。日々の暮らしの中で、オオカミは人間と戦い、かつ、草原を守ってくれている目に見える動物です。モンゴル人がいう、人間も、犬も、家畜も、草原さえも、オオカミに鍛えられてきた、という言葉は印象的です。

日本では牧畜が発達しなかったから、家畜を殺される(人間の敵)ことがなかったオオカミは益獣だった、だから神にもなったというのは、モンゴル遊牧民だったら鼻で笑うのかもしれません。

この草原の論理がわからない漢民族が草原を農地に変えれば生産性が上がるという考えを、モンゴル人たちは批判します。

モンゴル老人はいうのです。

「もしオオカミが絶滅したら、草原も生きられない。草原が死んだら、人間と家畜が生きられるか。おまえら漢人はこの道理をわかってない亅

と。 

オオカミ狩りが大勝利を収めた時、老人はこういいます。

「戦果が大きければ大きいほど、わしの罪が深い。これから、こんなふうにオオカミを狩ってはいけないんだ。こういうことばかりしてたら、オオカミがいなくなって、黄羊とか野ネズミとか、野ウサギやタルバガンがのさばってくる。そうなったら、草原はおしまいよ。天が怒りだして、牛や羊や馬、そしてわしら人間は、報いをうけるにちがいない」

結局、何年か経ち、草原は開墾され、結果、砂漠化が進んでしまったことは、歴史は必ずしも人間は「進化」しているわけではないということを証明しているようです。オオカミの生態学的意義を無視して、危険だからといって全部狩ってしまえという考えが、やがて草原までも失い、黄砂が吹き荒れる砂漠化を進めてしまいました。モンゴル老人が言ったとおりになってしまったのです。日本に飛んでくる黄砂が、オオカミがいなくなったことと関係があったと知って悲しくなります。

モンゴルの草原だけではありません。日本でも、ニホンオオカミが絶滅してしまったことで、鹿や猪の害に悩まされるようになりました。モンゴルやチベットと日本の自然環境や歴史は違い、比べてもしかたないことかもしれませんが、ただ、どちらも、バランスが崩れれば、すべては狂ってくるというのは真理でしょう。

そのバランスは、誰かが頭で考えたことではなく、何年、何百年、何千年にもわたって、日々の暮らしの中で試行錯誤しながら学んできた知恵なのです。その民衆の知恵を無視して、「科学」だとか「近代化」だとか「経済効率」で突き進んだ先にあるのは、モンゴルの草原と同じ、「死んだ山」ということになるのでしょう。

 そしてもちろん、モンゴル人にとって神になるオオカミは、草原を守る動物というだけではなく、その圧倒的な強さです。狩の仕方もモンゴル人はオオカミから学びました。

「西北部とモンゴル草原の地で、オオカミトーテムが、無数の遊牧民族にとって、トーテムになりえたのは、草原オオカミがもっている崇拝せざるをえない、拒否できない魅力、勇敢な知恵といった精神的な征服力によるものだ」

オオカミの強さは、強くなりたい人間にとっては、神なる存在となります。これは万国共通の狼信仰です。

「モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。」

モンゴル老人はこのように下放青年に言います。

「草原の人間は生涯、たくさんの命を殺して、たくさんの肉を食ったから、罪深いのじゃ。死んだら、自分の肉を草原に返すのが公平で、魂も苦しまずに、天に昇れるんだ」

 

ところで『神なるオオカミ』の最後の方に、面白いことが書いてありました。

 「一九七一年に内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるもので、新石器時期の紅山文化に属している。その頃、中華の先祖は、狩猟、採集、遊牧、あるいは半農半牧の状態で、農耕民族にはなっていなかった。龍トーテムははじめ、華夏の原始人のトーテムであったが、変化しながら農耕民族のトーテムとなっていった。翁牛特旗三星他拉の玉龍注意深くみて、ぼくが驚いたのは、その原始の玉龍は中国人が普通にみなれている龍の姿ではなく、オオカミの顔をした龍であったことだ。」

龍は、空想上の動物と言われていますが、もしかしたらもともとは「オオカミ」を象ったものだったのではないか、などと俺の妄想は膨らみます。

 

 

 

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2022/05/13

【犬狼物語 其の六百二】愛知県の狼像

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 愛知県内にも個性的な狼像がありますね。

 中山神社由来の御仮屋に鎮座するお犬さま像や、前足が失われて、斜めに立っているような狼像など。

 

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2022/05/11

【犬狼物語 其の六百一】「ニホンオオカミの起源を解明」のニュース

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1_20220511075601(出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000431.000047048.html)

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「ニホンオオカミの起源を解明」の話題が駆け巡っています。今朝のNHKニュースにも出ました。

「従来のニホンオオカミの起源に関する定説を覆し、更新世(1)の日本列島にはこれまで知られていない古い系統の大型オオカミが生息していたこと、またニホンオオカミの祖先は、更新世の古い系統のオオカミと最終氷期の後期に日本列島に入ってきた新しい系統の交雑により成立したことを初めて明らかにしました。」

詳しくはこちらの記事で。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000431.000047048.html

最新科学技術で、このようなことが解明されるのは素晴らしいことだと思います。

ただ、一方で、何かがわかったら、次にわからないことが出てくるというのが常識で、日本の場合、「イヌ」との交雑はどうなんだろうか? とか。紀州犬や四国犬や甲斐犬には、オオカミの血が混じっていると言われています。逆にオオカミにイエイヌの血が混じっていたとしても不思議ではないような気がします。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

 

それと、中国から「豺狼」という漢字が輸入されたとき、「豺」を「山犬」と訳したことで混乱が生じたことがあります。このとき、中国では「豺」は「ドール」のことだったらしいのですが、日本にはいなかったので「山犬」と訳したのだったと記憶しています。

でも、前々から大型のニホンオオカミ(エゾオオカミのことではなく)と小型のニホンオオカミがいるような話が各地のオオカミ目撃談の中に出て来ていました。もちろん個体差はあるでしょうから、この大小がどこまで「系統」の違いを表しているのかわかりませんが、今回の説で、大型のオオカミの系統はDNAという形で受け継がれてきたことを考えると、まんざら2種類のオオカミがいるといった目撃談は勘違いなどではなく、むしろ信ぴょう性が増したたのではないかとさえ感じます。

「豺」「狼」をふたつに分けるとき、2種類のオオカミを意識していたとしたら、結果的に「ドール」はいませんでしたが、日本で「山犬」と「狼」の二つを区別したことはそれなりに理由があったのではないか、と思います。これからの研究で明らかにされることでしょう。

ところで、一番下に掲載の写真は、奈良県上北山村で明治16年ころ(記憶あいまいだという)捕獲されたとされるオオカミの頭骨です。今回の西日本の取材で撮影させてもらいました。

 

 

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2022/05/06

【犬狼物語 其の六百】京都府の狼像

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京都府の北部、舞鶴市の大川神社は狼大明神として知られています。

狛犬の形は普通の狛犬に近いものでしたが、これも代々狼像だと言われてきたそうです。

ここから勧請された大川神社は、宮津市にも鎮座します。

 

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2022/05/01

【犬狼物語 其の五百九十九】「大口の 真神の原に 降る雪は」

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「大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに」(舎人娘子)
(大口の真神が原に降る雪はひどく降らないでほしい。家もないというのに)

この万葉集の歌碑が奈良県立万葉文化館にあります。狼を「大口の真神」と呼んだ最古の文献の一つとされているものです。「大口」は「真神」の枕詞です。真神(狼)の口が大きいので枕詞になったようです。

また『大和国風土記逸文』には、昔、明日香の地に老いた狼がいて人を食べた。土地の人は恐れて大口神と言ったとあります。 

「真神が(の)原」は、『万葉集事典』(中西進編)によれば、

「明日香村飛鳥の飛鳥寺(安居院・飛鳥大仏)を中心とした一帯の地。甘橿丘陵の東方、飛鳥川に沿う南北にわたる平地」

だそうです。

飛鳥寺の周辺には田畑が広がっています。一番上に掲載の夕暮れの写真は、川原寺跡付近で撮影した「真神の原」です。

なお、「真神の原」から少し山へ入った飛鳥川の上流には、日本の棚田百選にも選ばれている「稲淵の棚田」があります。

稲淵の棚田は、何度も訪ねているところです。ここでまた、「狼」と「棚田」が交差しました。

 

 

 

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