カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の685件の記事

2021/05/10

【犬狼物語 其の五百五十九】 狼の産見舞い

16287a4695_20210509075601狼の産見舞い「おぼやしねぇ」

16287a4706_20210509075601「おぼやしねぇ」のお供え物

Photo_20210509075601(横浜市 神鳥前川神社 守護犬)

Photo_20210509075602(富士宮市 杉田子安神社 母犬像)

 

ここ10年ほど、犬像の旅や狼像の旅の中で、犬や狼が子安信仰と結びついているということを知りました。

具体的には、『犬像をたずね歩く』(2018年・青弓社)で、「第25話:子安信仰の犬」として、日本全国の子安犬、撫で犬、守護犬、叶い戌、安産犬、母犬像など、子安信仰の犬像を16体ほど紹介しています。

子安信仰には、犬が登場するのですが、どうして犬なのか?というところは今一わかりません。

俗に犬は、安産・多産であること、また、生命力にあやかろうとして信仰の対象になり、戌の日に安産のお参りをするとか、妊娠五か月の戌の日に妊婦が岩田帯(腹帯)をつける信仰になったといわれています。犬張り子、犬の子などのお守りもあります。

子安信仰と犬には親和性があるのは確かですが、それじゃぁどうして他の動物ではなかったのか、という疑問が残ります。

犬像を探していたら、中には、犬と狼の区別がつかないものも出て来て、それから狼像や狼信仰に興味を持っていったわけですが、狼信仰を知るにつけ、子安信仰の犬は、もしかしたら、もともとは狼ではなかったのか、というふうにも思えるようになりました。

とくに、「狼の産見舞い」という祭りを見てからですね。狼が子供を産んだら、小豆飯などのお供えをするというものです。この話は、6月出版の『オオカミは大神 (弐)』にも書いています。

2年前、群馬県中之条町引沼集落の狼の産見舞い「おぼやしねぇ」という祭りに参加しました。もともとは狼祭だったのですが、狼は絶滅し、最近では、狼の影はまったくなく、子どもの健やかな成長を祈る祭りに変わっています。

西村敏也著『武州三峰山の歴史民俗学的研究』には狼の産見舞いについて、

「柳田國男氏は、山の神が山の中で子を産むという俗信が神としての存在である狼と結びついた儀礼、松山義雄氏は狼害の緩和策としての儀礼と位置づけている。朝日稔氏は、犬の安産の知識が狼と習合したという可能性を示唆している」

とあります。朝日稔氏の説によれば、犬の子安信仰が先にあったようですが。

また狼にお供えするもので大切なものは「小豆飯」です。小豆が山の神への供え物の特徴であること、そして小豆は産むことの呪力と結びつくという。

地元の人たちの話からも、引沼集落の「おぼやしねぇ」は、狼・山の神・産神の3つが合わさったような意味に捉えられていることがわかりました。

山の神が根源にあって、山の神の眷属である狼、そして狼と区別が付きにくかった犬へ、という、より身近なものへの流れがありそうです。

犬と狼、どっちが先かはまだわかりませんが、少なくとも、子安信仰の「犬」に、「狼」が関係しているのではないか、もし、そうなら、子安信仰として、「猫」でもなく、「狐」でもなく、「鼠」でもなく、「犬」であることの意味がなんとなくストーンと腑に落ちる感じがするのです。

 

 

 

 

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2021/05/09

【犬狼物語 其の五百五十八】『オオカミは大神(弐)』の色校正紙

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『オオカミは大神(弐)』の、色校正紙が出ました。色校を見ると、いよいよ出版が近いなという実感がわきます。あと1か月ちょっとです。

全体的に、色は良く出ていて、小さな写真もわかりやすいと思います。前回、小さな写真がなんだかわからなくなって、差し替えたということがありましたが、今回は差し替え無で済みそうです。

本文の直しは複数個所あったので、それを直してから戻します。

 

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2021/05/06

【犬狼物語 其の五百五十七】千葉県袖ケ浦市 蔵波三峯神社

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伏せの格好のお犬さまがいるというネット情報で、いつかは参拝したいなと思っていた三峯神社です。

集落の中に車で入ったのですが、神社は、道路から高い位置にあったため、行きは気がつかず、行き止まりを戻ってきたら、正面に見えて、ようやく神社を探し当てました。むしろ歩いて来た方が簡単に見つかったと思います。

道路から高さ4mほどあって、階段を上ると、鳥居が建って祠が祀られています。その両側でお犬さまが守っています。伏せをした格好のお犬さまです。

ふと、右側のお犬さまの下に、古い動物像があるのに気がつきました。1体だけで、石の表面も風化が進んでいて、細かいところはわからなくなっていますが、どうもこれもお犬さまのようです。先代のお犬さまなのかもしれません。

 

 

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2021/05/04

新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

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写真は、去年(2020年)、第1回目の緊急事態宣言下、4月19日の池袋駅前の様子です。

   ☆

3回目の緊急事態宣言が東京都などに出ていますが、去年の1回目と比べても、みんなの緊張感はなく、人出もそれほど減っていません。

1回目は緊張感がありました。また、一体感のようなものもありました。志村けんさんが亡くなったということも原因かと思われます。

とにかく、得体のしれないウイルスに対して、みんな一丸となって身構えている感じでした。そしてアマビエが流行りだしたのもそのころでしょうか。

新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司『暮らしの中の民俗学3 一生』という本を読んで、アマビエ流行と緊急事態宣言下の人々の緊張感や一体感は、偶然ではないんだなぁと思いました。

つまり、アマビエは、SNSを使った一種の祭りだったのではないかなと。

この本の立川昭二「病気・治療・健康」には、このようにあります。

「医療人類学者のマーガレット・ロックも言うように、日本人にとって「病気は元来個人に関することではなくて、家族という単位が責任を分ちあうべき事件(原文ではevent)である」。
 したがって、「治療は、家族のメンバーが皆で参加すべきものと考えられ」てきたのである。 こうした日本人のメンタリティは、たとえば病人が病院に入院した場合、その病人を家族としても社会人としても切り離そうとはしない。そのメンタリティは文化人類学者の大貫恵美子が指摘しているように、入院患者への濃密な「付き添い」と「見舞い」という日本人特有の行為となって表われる。
 「ニンギトウ」や「七人参り」にふれた波平恵美子は、「病気は、他の人によって代替され得ないものであるにもかかわらず、あたかも代替されたり分割され得るものであるかのように儀礼を通して病気に対処するものである」とし、このような考え方はバイオメディシン(生体医学)にはまったくないが、「こうした『病気を分け持つ』という考え方を現代的に読みかえて取り入れることが必要ではないだろうか」と論じている。
 「付き添い」や「見舞い」も「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティの表われであるが、最近よく言われる「病苦を共有する」とか「痛みを共感する」という考え方も、たんなるキャッチフレーズではなく、それがある現実的な相互治癒力を得るには、「ニンギトウ」や「七人参り」のような習俗が、現代的なイニシエーションのかたちをとって甦ることが求められるのではないだろうか。」

病人を「見舞う」とか「付き添う」とか、普通のことだと思っていましたが、意外とこれは日本的だったのかと、「目からうろこ」ですが、日本人は病気を個人の問題というより、家族、または社会の問題として捉えているということになるのでしょう。

そう考えると、去年、新型コロナが流行りだして、マスクを躊躇なく使い始めたのは日本人を初めとしてアジア人だったようで、マスクは、自分が罹らないということはもちろんですが、「人にうつさない」という考えがあったことは重要かと思われます。それは「人にうつさない」ことが結果として社会全体の感染者を減らし、自分が感染するリスクを軽減するということにもなります。

マスクを拒否する人たちの「俺は罹らないから大丈夫」とか「若いから重症化はしない」とか「罹ってもいいや」という言い方は、「病気は個人のもの」という考えに他ならないでしょう。

1回目の緊急事態宣言が出たときの緊張感、一体感は、アマビエというものを象徴として、みんながこぞってアマビエの絵を投稿し、アマビエの姿の和菓子を造るなど、まるでお祭りのようでしたが、あながち、これは「祭りのよう」ではなくて「祭り」そのものであった気がしますが、この「祭り」を通して生まれたのではないでしょうか。リアルな祭りは「密」になることもあってできなかったし、アマビエ流行のようにSNS上で斎行された「祭り」は、全部ではないとしても、日本人が一致団結し、緊張感をもって新型コロナと対峙したということに少しは影響があったと、今は思います。

「病気を分け持つ」というメンタリティは、特に感染症の場合、逆に言えば「人にうつさない」という考えにもつながると思うし、個人が勝手な行動をする限り、このウイルスが収束することはありえません。それをこの1年で俺たちは学んできたはずです。

もう一度、何かの「祭り」をぶち上げて、一体感、緊張感を取り戻す必要があるのではないかと思います。それが「狼信仰」だったら嬉しいというのが本音としてあります。いや、「狼信仰」以外でもいいんです。祭りになる何かがあれば。

『オオカミは大神(弐)』には、山梨県のある三峯神社で、去年、コロナ退散祈願祭が斎行されたことを書いています。もともとこの神社は、江戸時代、疫病が流行ったことがきっかけで秩父・三峯神社を勧請した経緯があり、今回、その伝承にあやかり祭りを斎行したとのことです。その結果、村人の一体感は強まったという話を聞きました。

そう、「一体感」なのです。狼(お犬さま)が直接新型コロナウイルスをやっつけてくれるなど、誰も考えていません。病気が社会的なものならば、みんな一丸となって立ち向かわなければならない、個人がばらばらで勝手に行動していてはダメなのだ、という村人の決意表明としての祭りなのです。

祭りによって、村人の精神的な集団免疫力は確実に上がったと思います。

 

 

 

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2021/04/30

【犬狼物語 其の五百五十六】山梨県丹波山村 「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録

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「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録を送っていただきました。再建記念として発行したものです。

なんという表紙なんでしょうか。玉川麻衣さんのお犬さま。お犬さまの世界に引き込まれてしまいそうです。

いったんこの世界に入ったら出てこれなくなってしまうような怖さを感じます。でも、矛盾するようですが、怖さと同時に、その世界が自分の居場所であるような安らぎも感じます。

1回目の展示で、写真の佐治田さんに会い、七ツ石神社の存在を知りました。崩れてしまいそうな神社の様子に衝撃を受けました。そしてこの神社の再建プロジェクトの話を聞いた時、ピンとくるものがあり、プロジェクトのリーダー・寺崎さんを取材をさせていただきました。それまでも狼信仰の取材を続けていましたが、昔の民俗としての狼信仰ではなくて、「現代に生きる狼信仰」というものがずっと頭にあったからです。

再建プロジェクトが進み、2018年11月7日には、七ツ石山で、「七ツ石権現社旧社地」のお披露目の会に立ち会うことができました。プロジェクトの様子は、前著『オオカミは大神』にも書かせていただきました。

なので、この図録は、個人的にも思い出の品だし、またプロジェクトの記録として、将来的には貴重な資料にもなると確信しています。

 

 

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2021/04/29

【犬狼物語 其の五百五十五】千葉県千葉市 花見川区長作町の三峯神社

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長作町の三峯神社は、花見川の右岸、住宅街の中に鎮座します。車の駐車スペースに困ってしまうような、けっこう込み入った路地です。

でも意外と開けた感じがするのは、それほど高いビルが周辺にないからでしょうか。それと清潔感がありますね。ちゃんと管理されているようです。講も存続しているかもしれません。

なぜか祠の中ではなくて、外に三峯神社のお札が祀られていました。

 

 

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2021/04/27

NHK大河ドラマ「青天を衝け」

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今までもNHK大河ドラマを観てきましたが(つまらなくなって途中で観なくなったものも多いですが)、「青天を衝け」ほど、まじめに、積極的に、興味を持って観ることは初めてです。

なぜか、というと、たまたま執筆中だった『オオカミは大神 弐』の時代と合致するところがあったためと、有名な戦国武将とか政治家ではなくて、地方の農村の暮らしぶりが丁寧に描かれていて、その民俗が面白いと思うからです。

前々回あたりは、栄一の姉が狐憑きに罹り、修験者に祈祷してもらう話とか、江戸ではコレラが流行りましたが、それが異人がもたらした病であったことで、ますます攘夷思想に拍車をかけたこととか、『オオカミは大神 弐』にも、このような話を狼信仰とからめて書いています。

前回は、栄一と千代に生まれた初めての子どもが麻疹にかかって亡くなるというものでした。昔はそうだったんだなぁとあらためて思います。多産多死です。それと、しょっちゅう疫病が流行していたということです。この時も麻疹とコレラが同時に流行したそうで、20万人が亡くなったという。

子どもが全員すべて順調に育つという感覚は、昔はなかったのですね。だから、子安信仰というものが盛んだった理由もわかります。

かつて、栄養も医療環境も良くなかった時代は、出産・子育てはたいへんなことで、難産の末に亡くなってしまう赤ちゃんや、栄一の赤ちゃんのように病で亡くなるケースも多かったのです。このため、安産・子授け・子育てを神仏に祈願することが熱心に行われました。これが子安信仰です。全国には子安信仰の犬像がたくさんあります。(写真は、水天宮の「子宝犬」)

そして3年生きたら、とりあえずの第一関門をクリアしたなぁという安堵感が、栄一の母の言葉からも伝わってきました。だから、七五三という儀式も、意味があったわけですね。3歳を迎えることがどれだけ親たちにとって嬉しかったことか。そして、さらに5歳、7歳と生きてくれたらもう安心です。「7歳までは神の子」と言われたそうです。

そういう感覚は、現代の医療が発達した世界では、もうなくなったものです。でも「青天を衝け」は、その感覚をあらためて想像させてくれるのです。そこが積極的に関心を持って観る理由ですね。

 

 

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2021/04/26

【犬狼物語 其の五百五十四】埼玉県横瀬町 武甲山(日本近代化と狼信仰)

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先日のNHK「ブラタモリ」では、埼玉県横瀬町の武甲山が出てきました。

武甲山の石灰岩を運び出すための秩父鉄道に資金援助したのが渋沢栄一だったという。渋沢は、日本の近代化のため、コンクリートの原料となる石灰岩に目を付けたということですね。

武甲山が削られているのは北面の石灰岩ですが、南面は玄武岩だそうで、武甲山は2つの種類の岩からなっている山だということを「ブラタモリ」で知りました。

ちょうど山頂に鎮座するのが武甲山御嶽神社ですが、石灰岩と玄武岩の境目らしい。

そこであたらめて考えてみると、武甲山は、自分の身を削って日本の近代化に貢献したともいえますが、神であったはずの武甲山を削るという話が出たとき、人々はどのような反応をしたのか、興味のあるところです。

日本が近代化した明治時代は、ニホンオオカミが絶滅した時でもあります。ニホンオオカミが神から害獣へと人々の認識が変化していくことと、ご神体であった山がやがて削られることは、近代化の中では同じ流れだったのでしょう。

『オオカミは大神【弐】』のカバーで使っている写真は、武甲山御嶽神社、一の鳥居のところにいるお犬さまですが、このお犬さまも、「通行の邪魔になるから」という理由で、産業道路から、一の鳥居に移されました。

いってみれば、明治以降、狼信仰は近代化に飲み込まれてしまったのです。でも、だからといって、狼信仰がなくなったわけではありませんでした。

お犬さまたちが、「三峯講」や「御嶽講」という舟に乗って、近代化という波に押し流されながらも、静かに、したたかに、都会に浸透し、山を守っていたのと同じように、今度は、山の分身であるコンクリートでできたビル群を守っているようにも見えてきます。中には、お犬さま自身が、近代化の象徴ともいえるコンクリートに姿を変えてもいるのです。

 

 

 

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2021/04/25

【犬狼物語 其の五百五十三】千葉県船橋市 秋葉神社

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船橋市の秋葉神社を参拝しました。

社殿に向かう階段の両脇に狼か狐と思われるレリーフが施された柱が立っています。境内には稲荷神社もあるし、直立した尻尾から狐のレリーフかもしれません。

階段を6段ほど上ると、正面に社殿があり、両脇に台座に載った地面からの高さ1.4mほどのお犬さま像がいます。

右が足元に子どもらしい像を伴った子連れの像、左は、巻物を持った像です。

台座には明治三十年九月の銘がありました。

光が差し込むのを待ちます。お犬さまが息をする瞬間です。

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2021/04/22

【犬狼物語 其の五百五十二】千葉県千葉市 千葉寺前の三峯神社

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千葉市の千葉寺を参拝しました。

千葉寺は和銅2年(709)に創建された市内最古の寺院です。山門を入ると、本堂前の大イチョウが目に飛び込んできます。高さ約30メートル、幹の太さ8mあり千葉県の天然記念物に指定されています。

バス通りに面した山門の向かい側には細い下り坂があります。どうやらこれが昔の表参道のようです。これを下っていくと京成千原線の千葉寺駅に至ります。

その坂の右側に広さ15畳くらいの境内の三峯神社が鎮座します。

石の鳥居は平成23年11月吉日とあります。奥に祠が立ち、その手前では一対のお犬さまが守っています。けっこう姿はリアルです。が、狼というより、鬣が豊富なジャーマンシェパードのようです。

体の毛の表現がはっきりしています。ここまで毛を深い刻みで表現したお犬さまはなかったように思います。右が「あ」で、左が「うん」。お犬さま像に文字などは見えません。

祠の左側には、「御眷属の由来」と書いた碑が立っていて、秩父・三峯神社との関係が書いてありました。

「(略)当社ではこれを大口真神(おおぐちのまがみ)と敬いお犬様とたたえて尊崇して居ります。この素晴らしい御威力にすがって火防盗難除諸災消除を祈願する 慶応四年五月千葉寺表方秋元與惣兵衛は表方の丘陵地高台に三峯神社の社を建て表方の守護神とした 平成二十三年此の社も永年の風雨に朽ち新に改築する 平成二十三年十二月吉日 表方氏子一同」

とあります。

 

 

 

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