カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の729件の記事

2022/01/27

【犬狼物語 其の五百八十七】鳥取県琴浦町 智積寺

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豊栄神社からさらに南へ2㎞ほど南下し竹内の集落で、智積寺を探しましたが見つからなかったので、商店で場所を教えてもらいました。

智積寺は県道289号線から少し外れた小高い山にありました。

それほど深い山ではないのですが、鬱蒼とした杜の中に続く階段があり、落ち葉を踏みしめながら登っていくと、まず1対の狼さまが迎えてくれます。

境内はシーンと静まり返って、神秘的な雰囲気を漂わせています。異界との境界で、何ものかが現れるような、そんな雰囲気。昔読んだた石ノ森章太郎の竜神様のマンガを思い出しました。

狼さまの高さは約90cm。立派な石像で、右側が「あ」像、左側が「うん」像で、向かい合わせで立っています。牙の表現もあり、尾は尻から後ろ足許に添わしてあり、典型的な狼の姿です。

台座には「船」の文字が彫られています。船上山の「船」でしょうか。智積寺はもと船上山にあったといいます。

「本尊・脇立の墨書胎内記などから、室町時代後期の享禄三年(一五三〇年)に船上山頂に創建され、初めは十三の坊舎があった。しかし、その後の戦乱により何度か焼失し、尼子氏や南條氏により再建されたが、寺領の減少などにより、文禄年間(一五九二年~九五年)に船上山三所権現として本尊・脇立を山頂に残し解散した。その後、最後の寺坊の大乗坊がこの地(竹内村)に庵を構え、大雲院(鳥取)の末寺として後に智積院・法蔵院と寺号を変えて山下から船上山を守護した。明治時代初期の神仏分離により、山頂の仏像をこの地に迎え、大正八年に往時を偲ぶ船上山智積寺に改号され現在に至っている。琴浦町教育委員会」(寺の解説看板)

ここには県指定保護文化財に指定されている梵鐘があります。高さ91cmの青銅製です。この鐘も、寺の移転に伴い船上山から運ばれてきたもののようです。

 

 

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2022/01/26

【犬狼物語 其の五百八十六】鳥取県琴浦町 豊榮神社

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琴浦町の豊榮神社を参拝しました。

山陰自動車道の琴浦船上山ICで降りて、約2km南下すると社叢が見えてきて、左折して神社に近づきます。

豊榮神社は「因幡伯耆國 開運八社巡り」の巡拝地のひとつだそうで、案内板がちゃんと立っています。

神社は、広々とした田畑の中にありました。

御祭神は句句逎馳命・事代主命・倉稲魂命・素戔嗚命・品陀別命。

鳥居を入ると、左右に石灯籠、次に明治31年奉納の出雲式座型の狛犬 、そして高さ約70cmの狼像。昭和12年5月に奉納されたものですが「金婚記念」とあます。

右側の「あ」像の口には硬貨が挟まれていました。

狼の喉に挟まった棘を取ってあげたら、恩返しされたという狼報恩譚を思い出し、硬貨を取り除いてあげたほうが御利益があるのかも、などとも。でも、この場合は取らなくても大丈夫でしょう。

この狼像は来待石製だそうで、この「来待石」は、宍道湖の南岸に分布する、火山堆積物が海底に堆積してできた「凝灰質砂岩」です。だからざらざらして、脆いようにも感じます。

これを「狐像」と書いているHPやブログもありますが、倉稲魂命が祀られているからでしょうか。でも狼像に詳しい人たちのブログや、実際この石像には牙の表現があるので、狼像で間違いと思われます。

また、境内には、明治35年の自然石に彫られた双体神立像の彫刻がありました。

 

 

 

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2022/01/25

【犬狼物語 其の五百八十五】兵庫県養父市 宿南の掃部狼婦物語

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養父神社から車で約20分、宿南には「掃部之塚 」があるという情報を得て、探しに行きました。

これは文化文政期(1804~1830年)に成立したとされる「掃部狼婦(かもんろうふ)物語」という狼物語にまつわる塚です。かつて高木掃部が住んでいたという屋敷跡に石碑が立っています。

宿南の掃部狼婦物語は、こちらの養父市HP「まちの文化財(105) 宿南の掃部狼婦物語」(https://www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shakaikyoiku/1/1/2150.html)と、

「日本伝承大観」(https://japanmystery.com/hyogo/kamon.html)から、要約してみます。

高木掃部(かもん)という人物には、綾という妻がいましたが、ある日、綾が三谷の山に桜の花見に出かけたとき、落とし穴にいた2匹の子連れの狼を発見して助けてやりました。 その後、綾が病気で亡くなります。綾が助けた狼が人間の女性に化身して、高木掃部の妻となって高木掃部を守って恩返しするのです。

また、物語の中に、修験者・威妙院という人物が出てきますが、夜道で狼の群に襲われ、木に登ったとき、狼は梯子のように肩車をして威妙院のそばまで襲いかかり、持っていた宝剣で狼の頭目を切りつけたという描写があります。翌日、威妙院が掃部の屋敷を訪ね、妻の額の傷から昨晩の狼の頭目であったことがわかるのです。ただし、妻は、この宝剣がもともとは掃部の家宝であったので、奪い返したのでした。
結局、掃部は狼とわかっても追い出したりしなかったのですが、狼は姿を消してしまいました。すると、床下から額に一太刀浴びた大きな狼の遺骸を発見し、この遺骸を棺に納め葬ったという。そしてその後、嫡男は近くの養父神社に狼を祀る社を建立し、“天国の短刀”を妙見山にある日光院に奉納したとされます。

掃部狼婦物語は、史実と虚構が組み合わされていて、現代風にいうと歴史小説だそうです。

確かに、狼を助けて、恩返しを受けるというところは狼報恩譚だし、狼が人間の妻になるというところは異類婚姻譚、それと狼が肩車するというところは「千疋狼」「鍛冶屋の婆」の要素もあります。いろんな狼にまつわる昔話や伝説を組み合わせ書いた小説だということがわかります。主な狼の昔話・伝説はすべて含まれているのでは、と思えるほどです。

ところで、宿南地区自治協議会のHP(http://www.eonet.ne.jp/~syukunamikyo/mati_syoukai/kawahigasi.html)には、

今から580年くらい昔の話です。川東の館(たち)の上に高木掃部(たかきかもん)と言う武士が住んでいました。春の花見に一家で三谷に出かけたところ、深い落し穴に狼の親子が落とされていました。心やさしい掃部の夫人牧(まき)さんは生き物殺しを見るにみかね、親子を助けて、放してやりました。
それからの狼の恩返し、牧さんの実子=継子(ままこ)を邪魔にして呪い殺そうとした邪悪な後妻の企みに・・・・川西区上流部あたりに在った諏訪大明神での真夜中の「祈り釘」打ちを身をもって止めさせ、高木家代々の宝剣を取り返した。狼の恩返しの物語です。屋敷跡には「掃部の塚」の石碑があり、恩返しの三谷川対岸諏訪には大明神の神社跡の礎石群が出ています。
物語の詳しいことは「八鹿のむかし話」にあります

とあり、まだ確認していませんが、この物語はいくつか種類があるようです。

宿南に着いたのは夕方でした。ただ詳しい場所がわからなかったので、適当に車を走らせていると、史跡 青谿書院というところに到着。意外と見つからないので、ここの戸口に記されてあった地元の観光ボランティアの人に電話しました。

道案内というのが、電話では難しいという経験は何度もあります。地元の人の目と、初めて来た俺の目とは、同じものを目にしたとしても、それを意識するかどうかは別の話で、結局、その人の行き方ではまた迷ってしまい、宿南小学校のあたりをうろうろし、道を歩いていた人たちに「掃部之塚」を聞くのですが、みんな知らないという。
そしてあるおばあさんに聞いたとき、地元の集会所のようなところ (宿南地区自治協議会)に詳しい人がいると言って、その建物まで案内してくれたのでした。そしてそこで尋ねたら「さきほど電話くれたかたですか?」と。なんと、青谿書院から電話したボランティアの人でした。

もう一度道を聞いて、ようやく見つけることが出来ました。

害獣除けのフェンスの内側に「掃部之塚」は立っていました。金網の門を開けて中に入れることはさっき聞いて知っていたので、近づくことができました。古い石碑です。石碑の表面には「掃部之塚」、裏面には「明治廿二年十一月建立」の文字が彫られています。

掃部屋敷には、明治の初めまで神社があり、祭日には、出店も出て賑わったそうです。流行り病が起こった時には、養父神社にある山野口神社から神社を分社してきました。

 

 

 

 

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2022/01/24

【犬狼物語 其の五百八十四】兵庫県養父市 養父神社と山野口神社

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兵庫県養父市の養父神社を再参拝しました。

養父神社には独特の姿をした明治26年の狼像が奉納されています。『オオカミは大神』でも紹介したユニークな狼像です。

今回も養父神社は大切な神社で、とくに「狼の宮」として知られる境内の山野口神社ははずせません。

山野口神社は、養父神社本殿の後ろにあり、解説看板によれば、

「御祭神は大山祇命であります。別称は「山の口のおおかみ」と申し上げ、流行病を退けられ、「つきもの」を落とす神として広く信仰されています」

とあります。神使が狼です。だから狼さまの像が奉納されました。

ここには狼さまの伝説があり、NHK大河『鎌倉殿の13人』の源頼朝にも関係しているようです。

「養父郡朝倉庄に本拠をおいた朝倉高清は、その初代(※越前朝倉氏の初代)広景の祖父にあたる人物で、鎌倉幕府の源頼朝に仕えました。伝説では、当時、鎌倉では大きくなると210㎝になる一方で、逃げる時には鼠ほどに小さくなる白猪が暴れていました。そこで源頼朝は、朝倉高清にこの白猪退治を命じました。高清は但馬に帰って7日間、養父神社にこもって祈願し、神前から鏑矢をもらい受けました。この矢で白猪を退治して、源頼朝に仕官がかないました。養父神社は朝倉高清が武功を挙げるための一世一代の祈願所となっています。暴れまわる白猪は、狼が守護するという養父神社から授かった神矢の霊力によって退治できたと伝えています。」(養父神社リーフレット)

大河に高清や白猪退治のエピソードが登場するのかどうかわかりませんが、狼信仰と源頼朝が関わっていていたというのは面白いですね。

さて、山野口神社の話です。

明治時代、西日本でコレラが流行ったときに、コレラ除けとして数多く各地に勧請されたのが木野山神社ですが、疫病除けは木野山神社だけではありませんでした。その一社に山野口神社があります。

鳥取市丸山町にも山野口神社があります。地元では「山野口神社」よりも「狼さん」が通じるようです。ここでは明治30年ころ疫病が猛威をふるったので、兵庫県の養父神社の奥の宮、山野口神社から分祠してもらい祀ったそうです。それで疫病が収まったという。

養父神社社殿から右奥に進むと池があり、更に進むと、山野口神社の社殿が鎮座します。この社殿は元禄時代に建立されたと伝えられています。明治30年の「養父神社絵図」には「奥ノ宮 山ノ口社」として描かれています。

社殿の右下には川が流れ、高さ5mほどの神の滝があります。参拝したのは12月中旬でいたが、少しだけ紅葉が残っていました。

社務所では、山野口神社の御朱印をいただきましたが、それにも「あ」「うん」の狼さまが配されています。また「疫病退散」のお守りにも狼さまが使われています。

 

 

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2022/01/23

【犬狼物語 其の五百八十三】1月23日は、「最後」に捕獲されたニホンオオカミの日

 

_87a0735(東吉野村 ニホンオオカミの像)

 

170710_1(国立科学博物館 ニホンオオカミの剥製)

 

明治38年(1905年)の今日、1月23日は、米国人マルコム・アンダーセンが、東吉野村鷲家口の芳月楼という宿屋で地元の猟師から獲物の若い雄オオカミを8円50銭で買取った日です。その後、有力な目撃情報がないので、ニホンオオカミの最後の捕獲例とされているものです。

でも、「ゼロ」であることを証明するのは難しく、今もニホンオオカミが生きていると信じて探している人もいます。 

国立科学博物館では、2月27日まで「発見!日本の生物多様性 ~標本から読み解く、未来への光~」が開催中です。この中にニホンオオカミ、二ホンカワウソなども入っているようです。

 国立科学博物館HP

https://www.kahaku.go.jp/event/2021/12biodiversity/

 

 

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2022/01/19

【犬狼物語 其の五百八十二】京都府福知山市 田ノ谷八幡神社の狼さま

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大原神社の宮司さんから耳寄りな情報を聞きました。

田ノ谷という集落に八幡神社があるのですが、宮司さんはそこも兼務しているそうです。

「この八幡神社には狼像があります。谷の一番どん尽きです。ここから14,5kmくらいでしょうか」

そんな情報を聞いてしまっては、行ってみないわけにはいかず、さっそく出かけました。

国道9号線に出て、福知山市三和支所を過ぎたら県道に入りました。田ノ谷まで日本家屋がちらほら見られ、隠れ里のような雰囲気の中、細見川に沿った緩い谷を遡っていきます。ススキが午後の陽に当たって揺れて美しい。

八幡神社は、細見川の支流、東田ノ谷川という小川に架かった赤い欄干の宮前橋を渡ったところにありました。右側に公民館、正面に石作りの鳥居、赤い屋根の社殿も見えます。

鳥居をくぐり石段を上ると、正面に高さ6mくらいの石垣が目の前に現れ、圧倒されます。

さらに、その石垣の石段を上っていきます。数えたら33段ありました。石垣の上は、けっこう広い境内になっています。

社殿の両側に狼さまの像が向かい合って立っています。狼さまの像の高さは約1mくらい。右側が口を開いた「あ」、左側が口を閉じた「うん」。損傷がけっこう激しく、内側の材料もボロボロで崩れてきそうです。怖くて触れません。外に塗ってあるものもはげ落ちています。見た目ほど古い像ではないようです。

でもこのままではいずれ形はわからなくなってしまうでしょう。どういう形で修復すればベストなのか、その知識はないので、なんとも言えないですが。

 『三和町史』に「慶応四年六月の改帳には、「八幡宮・吉田家霊・末社厄神社・山神社・稲荷社があり、社内地に観音堂有之候」」とあって、山神社も祀られているようです。

 

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2022/01/13

【犬狼物語 其の五百八十一】京都府福知山市 大原神社と産屋(狼と犬の子安信仰)

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川合川に沿った道から階段を上り大原神社の境内に入りました。

鳥居をくぐると、右側に茅葺の建物、絵馬殿がありました。これは京都府有数の絵馬を所蔵する絵馬殿だそうで、「神馬図」「四季耕作図」などが奉納されています。

拝殿前の黒灰色のブロンズ像は、狼を模した狛犬と聞いてきました。威厳のある立派な像です。拝殿の左側に社務所がありましたがシーンと静まり返って留守のようでした。

狼さまの姿が印刷された絵馬が置いていあったので、貯金箱のような箱に初穂料を入れて1枚いただきました。絵馬には、「安産祈願」とあり、「大原大神」の両側に、向かい合った狼像が配されています。右側は若干口を開け、左側は閉じている。「あ」「うん」の狼像です。

拝殿の向かいには、石造りの犬像が2体置いてありました。可愛らしい。これはどう見ても狼ではなく犬のようです。

社務所にインターホーンがあったので、試しに押したら、返事があって、お札を戴きたいというと、そこへ行きますから少しお待ちくださいとの声。その5分後、宮司さんが車で現れました。

拝殿の向かいに置いている2体の犬像が気になっていたので、さっそくそのことについて伺うと、「七五三やお宮参りで来る参拝者も多く、犬は安産の守り神で、可愛らしい犬は、お子さんを和ませるために置いているんです」

 狼信仰の神社に犬像。どっちもイヌ科なんだから別にいいだろうと思うかもしれませんが、意外とこういったちゃんとした犬像を設置している狼信仰の神社は少ないのです。(「少ない」というか、今、思いつかないほどです)

ここは綾部藩の領地になります。綾部藩主九鬼侯の信仰が厚く、江戸時代には、安産・万物生産の神として信仰を集め公卿諸侯の参拝も多かったようです。社記には、

安永年中 丹波園部藩主小出美濃守の代参
寛政二年 公家清水谷家の代参
寛政三年 公家北大路弾正少弼の代参祈祷
寛政七年 日野大納言家の代参安産祈祷
寛政十二年 伊豫国宇和島藩主世子夫人代参安産祈願
嘉永二年 丹後国宮津藩主本庄侯夫人御供田四畝六歩寄進

など、安産祈願をしたことが記されています。

俺が埼玉県から来たと知ると、宮司さんは、

「埼玉と言えば、深谷の岡部藩。岡部藩主の奥さんなどもお参りしたようですよ」

という。もちろん代参だったのでしょうが。西日本だけではなく、全国的にここは安産祈願としては有名だったようです。

 
産屋の里」によると、

 

「大原神社には『大原神社本紀』という大原神社の縁起を書き綴ったものが5点残されており、大原神社が安産の神として信仰を集める所以として、 「邪那岐と伊邪那美の神は天下万民を生み出した父母であるのだから、天下太平・国土安隠・宝祚長久・五穀能成・万民豊饒を守護すること、 他所の神社に勝り、天下万民を生み出した神なので、ことに婦人の安産を守る神なのである」と記されて」

 

いるそうです。

 

「本殿内には、非公開の狼の狛犬がありますが、お札の絵柄がこのご神体の狼さんの姿を象って記したものです」

と、宮司さんは教えてくれました。お札や車のステッカーもいただきましたが、狼の意匠はどれも同じようです。

 

川合川に橋が架かっていますが、西へ50mほど行くと、産屋があります。

京都府有形民俗文化財に指定されている産屋の解説看板には、このようにあります。

「この産屋と親しく呼ばれる建物は、大原神社の対岸にあり、茅葺、切妻屋根、それをそのまま地面に伏せたような天地根本造(てんちこんげんづくり)という、古い建築形式で造られています。屋根の合わさる「妻」の方向から出入りします。古くは古事記・日本書紀にも著されており、日本の産育の習俗として古くより使われていました。
大原では、出産の折、十二把のワラ(閏年は十三把)を持ち込み、出入口に魔除けとして古鎌を吊り、七日籠って出産していました。この習俗は大正年間まで続き、また産後三日三夜籠る(一日一夜と変遷するも)習慣は、昭和23年ごろまで続いていました。
現在は利用されなくなりましたが、産後に身体を休めた安息の場所であろうこの産屋を、地元の方々は大切に守っています。
全国に残る数少ない産育習俗を伝える文化財として、また安産の神、大原神社の信仰の源として多くの人々に愛されています。福知山市教育委員会」

産屋の入口が本殿に向いているのも、偶然ではないらしい。大原神社の狼さまの霊験をうけるためのようです。そして土間の砂は「子安砂」とよばれ大原神社の安産の神符として授けられたという。

狼と犬。

期せずして、子安信仰で有名な大原神社で、狼と犬の両方を見たわけですが、この偶然は、ある思いを抱かせました。

俗に犬は、安産・多産であること、また、生命力にあやかろうとして子安信仰の対象になりました。今でも、戌の日に安産のお参りをするとか、妊娠5か月の戌の日に妊婦が岩田帯(腹帯)をつける習俗は残っています。犬張り子、犬の子のお守りもあります。これについては何度も書いてきました。

子安信仰と犬には親和性があるのは確かですが、それじゃぁどうして他の動物ではなかったのか、という疑問が残ります。

犬像を探していたら、中には、犬と狼の区別がつかないものも出てきて、それから狼像や狼信仰に興味を持っていったわけですが、狼信仰を知るにつけ、狼もまた子安信仰と関わりがあることがわかってきました。

とくに、前著『オオカミは大神 弐』でも書いた「狼の産見舞い」という祭りを見てからですね。狼が子供を産んだら、小豆飯などのお供えするというものです。もともとは狼祭りだったのですが、群馬県六合の祭りは、狼は絶滅したし、最近では、狼の影はまったくなく、子どもの健やかな成長を祈る祭りに変わっていますが。

西村敏也著『武州三峰山の歴史民俗学的研究』には狼の産見舞いについて、

「柳田國男氏は、山の神が山の中で子を産むという俗信が神としての存在である狼と結びついた儀礼、松山義雄氏は狼害の緩和策としての儀礼と位置づけている。朝日稔氏は、犬の安産の知識が狼と習合したという可能性を示唆している」

とあります。朝日稔氏の説によれば、犬の子安信仰が先にあったようです。

そもそも狼と犬の区別はついていなかったというか、区別する必要があったのだろうか?とさえ思います。里にいるのが「犬」、山にいるから「山犬」という呼び名にも、それが表れているような気がします。

犬と狼、どっちが先かはわかりませんが、少なくとも、「犬」と「狼」がとくに動物の中では、子安信仰に関係しています。どうも同じイヌ科の「狐」も関係するようですが。

犬、狼の鋭い嗅覚が関係するという話、水との関係もあるかもしれません。

少なくとも、大原神社は、狼と犬が両方とも子安信仰と関係することが目に見える形で機能している神社で、俺の「物語」の中では、大切な神社になりました。

 

 

 

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2022/01/09

【犬狼物語 其の五百八十】鳥取県境港市 水木しげるロードの「鍛冶媼」

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鳥取県境港市、水木しげるロードの「鍛冶媼(かじばば)」像を見に行きました。

鍛冶媼(かじばば)は、別名「鍛冶が嬶」とか「鍛冶屋の婆」とか「千疋狼」として、全国各地に残る狼の説話です。

ここの「鍛冶媼」像は、高知県室戸市に残る説話を基にしているそうです。その室戸市佐喜浜には「鍛冶ヶ嬶供養碑」も立っています。

どういう話かというと、wikiを引用すると、

ある身重の女が奈半利(現・安芸郡奈半利町)へ向かうために峠を歩いていた。夜になる頃に陣痛が起き、運悪くオオカミが襲って来たが、そこへ通りかかった飛脚に助けられ、木の上へ逃げることができた。オオカミたちは木の上へは爪が届かないので、梯子状に肩車を組んで木の上へ襲いかかろうとし、飛脚は脇差で必死に応戦した。
その内にオオカミたちは「佐喜浜の鍛冶嬶を呼べ」と言い出した。しばらくすると、白毛に覆われた一際大きいオオカミが鍋をかぶった姿で現れ、飛脚に襲い掛かった。飛脚は渾身の力で脇差しを振り下ろすと、鍋が割れると共に人の叫びのような声が響き、オオカミたちは一斉に姿を消した。
夜が明けて峠に人通りが出始めたので、飛脚は女を通行人に任せ、自分は血痕を辿って佐喜浜の鍛冶屋へ辿り着いた。お宅に嬶はいないかと尋ねると、頭に傷を負って寝込んでいるということだった。飛脚は屋内に入り込み、中で寝ていた嬶を斬り倒した。嬶の姿をしていたのはあの白毛のオオカミであり、床下には多くの人骨、そして本物の嬶の骨も転がっていたという。

 

稲田浩二著『日本昔話通観 第28巻 昔話タイプ・インデックス』には、「鍛冶屋の婆」として載っています。話のパターンはこのようになります。

1:旅人が木の上で寝ていると、たくさんの狼が肩車をして迫ってくるが、あと少しで届かない。
2:狼たちに呼ばれ、鍛冶屋の婆という大きな狼が、肩車の先頭になって旅人を襲うが、旅人はその狼を切り落とす。
3:旅人は翌朝麓の村の鍛冶屋を訪ね、昨夜けがおしたという婆の刀傷を確かめて切り殺す。
4:日に照らされて婆は狼の姿となり、床下からその家の婆たちの骨が見つかる。

 

注釈に、「四国では伝説の形をとるものが多く、また発端部で、産気づいた妊婦を道連れの旅人が樹上へ運び上げて狼の危害から守る、という特徴的モチーフを備える」とあります。まさに室戸市に伝わる話は伝説の類で、松谷みよ子他著『土佐の伝説』には「佐喜浜を訪れた郷土史家・寺石正路によると、明治時代には鍛冶が嬶の墓石もあったとされ、鍛冶屋の子孫といわれる人々には必ず逆毛が生えていたという」とあります。

墓があったり子孫がいたり、 この話がこれほど伝説化しているのは全国でもめずらしいと思います。

 

「鍛冶」「千匹狼」伝説は日本各地にありますが、この話の特徴は、刀傷から狼(あるいは猫)の正体が暴かれるという結末です。こういった悪者が正体を暴かれる話はヨーロッパにもあるそうで、魔女が妻になっていたりするそうです。

 

最初この話を聞いたのは愛媛県の犬寄峠で、現地に伝わる「飛脚が山犬に襲われた話」」でしたが、個人的に面白いと思ったところは、「悪者の正体が暴かれる」ことではなくて、山犬(狼)が次から次へと繋がって、肩車しながら、木の上に逃れた飛脚に迫ってくるところです。狼が「肩車する」という部分は本当に面白いイメージですね。「馬乗りになる」とか「犬梯子」などとも表現されています。

柳田国男監修『日本昔話名彙』にも、山梨県に伝わる「千疋狼」として取り上げています。この話では、「婆」は、狼ではなくて年取った虎猫です。でも、「犬梯」のエピソードはちゃんと残っています。

まず一匹がしゃがみ、その上へ上へと山犬が登り商人のすぐ足許まで届くほどになった。

元々この伝説は中国大陸から伝わったようで、大陸では、狼ではなくて虎が梯子状になるという話だったようです。それが日本に入ってきたとき、虎はいないので、狼に置き換わったらしいという説があります。

狼(虎)が「怖い」「悪い」ものとして描かれる話は、やはり、大陸から入ってきた狼(虎)観が反映しているのでしょうか。「送り狼」や「狼のまつげ」など、狼が「いい」ものとして描かれる話とはちょっと違っているようです。ただ、神性を帯びるのは、この「怖い」「悪い」というのも半面持っているから、とも言えます。狼についても同じでしょう。

ただし、虎から狼に変わっても、「肩車」とか「犬梯子」というモチーフは残っているし、俺も、この話で一番好きで印象深いのが、この 「肩車」とか「犬梯子」のイメージです。

 これはどういうことを表しているのでしょうか。

動物学者・平岩米吉著『狼 その生態と歴史』によると、夜に活動する習性や集団で行動する習性を意味するとし、狼の肩車は、狼の高く飛び上がる身の軽さを表現したものと指摘しているが、どうなんでしょうか。虎も木に登ったりするので、身軽なのはわかるので、大陸では「虎」だったことと矛盾はしないですが、集団で行動するという習性は虎にもあるのでしょうか。

いずれにしても、虎(狼)の動きを、まるで最新のスポーツ番組で見られるモーション画像のように表現したことも、「動き」に対する人間のイメージにも「元型」がありそうだということを示唆しているのかもしれません。

 

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2022/01/02

初夢と昔話

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今日は新暦では正月二日ですが、旧暦では霜月三十日です。明日から師走(十二月)に入ります。旧暦の正月まで、あと30日。

写真は所沢市の多門院の虎像です。

 

ところで、初夢ですが、よく覚えていません。初夢を覚えていないとは、残念です。俺にとっての初夢本番は旧暦正月二日なので、問題ないと言えば問題ないのですが。1年を占うにも、初夢は昔から一つの指標で大切なものでした。

昨日(とはいっても深夜0時を回っていたので、今朝?)、義理の妹夫婦が来ているので、セブンブリッジをやって睡眠時間が短くなってしまいました。そのせいかもしれません。

ところで、妹の旦那さんからいい話を聞きました。山登りする人なんですが、昔、山で道に迷ったとき、鹿に出会って、本来の登山道にもどることができたというエピソードを聞いて、あぁ、こういうふうに伝説・昔話ができていくんだなぁとしみじみ思いました。残念ながらその鹿は白くはなかったそうですが。

西日本の狼信仰について、少しづつ書き始めているところですが、今回は、狼に関する物語がどうして生まれるのか、あるいは、残っているのか、ということも書きたいなと思っているので、彼の体験にすごく興味をひかれたのです。

もちろん、「鹿が道案内した」と考えるのは、個人の解釈で、「それは勘違いだよ」という人もいるでしょう。でも、昔話の場合は、そんなことはどうでもいいんです。客観的な事実なんていうのは。

昔話には当てはまりません。たとえば、「桃から生まれる男の子」とか「月に帰るお姫様」なんて、客観的事実からは、ありえないでしょう。でも、夢の中であれば、こういった話を「これは嘘だ」「ありえない」とか思わず、疑問を持たずすべてを受け入れているはずなのです。

そこが夢と昔話の似ている点でもあって、どうしてその昔話が残り、語り継がれていくか、ということはすごく、その人が生きて上では大切なものなんだ、ということに気がついてきました。

個人的なものであれば、昔話、もっと実在の土地や人に寄ったものは、伝説、国家や民族に関わる語ならば神話と呼ばれます。

 

 

 

 

 

 

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2021/12/23

【犬狼物語 其の五百七十九】大阪府能勢町 慈眼寺の狼像

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大阪府能勢町に慈眼寺の狼像です。

関東地では三峯信仰、御嶽信仰の影響が強いですが、この狼像は「娘とオオカミ」というオリジナルの物語を持っていて新鮮な感じです。

先に、隣村の長谷の棚田の写真を撮ってから慈眼寺を参拝したので、夕方になってしまい薄暗くなりかかっていました。長谷の棚田については、先日書いた通りで、「棚田」をテーマに撮影していたときから何度も訪ねていて、今回「狼像」と近い場所にあることを知って、不思議な縁を感じているところです。

石段を上っていくと、山門の手前に、能勢町観光協会が設置した解説看板があります。

もと兵火により焼亡した三草山清山寺の一坊自雲庵であったが、延徳二年(1490)芳寿和尚が再興して師の永琛和尚(曹洞宗洞雲寺二世)を開祖とした寺である。境内の観音堂並びに宝篋印塔は清山寺から移したものでこの塔は概ね完存にして町内最大級の優作で、刻銘によれば、文和三年(1354)大乗妙典を法界衆生の平等利益のため、作善供養した証として造立したものである。

山門を入ると、正面に本堂、左側には観音堂、看板にあった宝篋印塔もありました。宝篋印塔は、花崗岩製で高さ206.7cmあり、基壇に文和三年(1354)の銘があります。

 

慈眼寺のHPから引用すると、

今をさかのぼること、およそ1400年前三草山清山寺を取り囲む

四十九院の一坊としてこの地に自雲庵という宿坊があった。

この宿坊こそ現在の慈眼寺である。

大いなる暦の流れにより、三草山清山寺は焼失(織田の戦火による)してしまったが

神山村の村民の手により、ご本尊(千手観音)は当寺の境内に観音堂としてまつられている。

又、この観音様は「娘とオオカミ」というはなし(「まんが日本昔ばなし」)にあるように

願掛観音としても知られている。 

 

どういった物語でしょうか。少し詳しい話は慈眼寺HPの「娘とオオカミ」に載っているので、興味のある方はご覧ください。

 http://www.eonet.ne.jp/~jigen/mesume.html

 

ところで、狼像が見当たりません。どこなんでしょうか。観音堂の裏側や境内を探しましたがわかりません。ふと、不安がよぎります。

そこで寺にいた奥さん(住職のお母さん?)に狼像の場所を尋ねると、大きな木の傍にあることを教えてくれました。予想外に大きな狼像です。前足をあげた堂々とした姿です。もちろん関東の「お犬さま」や中国地方の「狼さん」とも違います。

住職がちょうど帰宅したというので、いろんな話をお聞きすることが出来ました。

 狼の伝説を世間に知ってほしくて、住職が自ら依頼してこの狼像を設置したという。20年ぐらい前です。

「村で管理している観音さんなんですけど、あちらに山があるでしょ。三草山です。もともとは三草山の山頂にお寺があったんです。1430年ほど前のことです」

観音堂のちょうど後ろには、おわん型の山影が見えて、月が昇っていました。それが標高563mの三草山です。

「仏教伝来当初、この辺は仏教都市だったんです。聖徳太子の教育係をしていた日羅というお坊さんが、朝鮮の百済出身でしたが、百済から九州の熊本の方から渡って、こっちの方にきはった。その人が建てたお寺がこの三草山と、剣尾山の山頂にあった。三草山のご本尊が、織田信長の焼き討ちで、このお寺も焼かれているんです。そのときにお坊さんが持って逃げて、最終的にここに降りてきて、今もそのときのご本尊はちゃんと残っています」

聖徳太子、織田信長も出てくるかぁ。いろんな有名人の名前がたくさん出てくるところは、さすが歴史があるところだなぁと思います。

「あの物語に石段が出てくるんですよ。観音堂をお参りするのに、娘が毎日毎日、21日間願掛けに行って、満願の日に、一番下から上を眺めると、上から狼がにらんでいた。登って上まで行ったら狼が見えなくなって、願がかなったと。狼が千手観音の化身ではないかという話です」

父の盗人としての濡れ衣を晴らしたい一心で願掛けを続けた娘の目の前に現れた1匹の狼。決心した娘は目をつむり、観音経を唱えながら石段を登っていきました。すると、無事に観音堂の前に辿り着いたので目を開くと、狼はいなくなっていました。その後盗人も捕まり、父の無罪が証明されました。狼は観音様の化身に映ったという話です。

ここで狼は怖い存在です。怖いからこそ、それでもお参りした娘の一途さが心を打つのでしょう。娘の覚悟を試した観音様が遣わした狼だったのかもしれません。

翌朝、もう一度慈眼寺を参拝して、あらためて狼像の写真を撮りに行きました。すると、昨日の夕方には気がつかなかったのですが、神山集落にも棚田があって、棚田の先に、慈眼寺の屋根が見えます。

そして狼像が鮮やかな紅葉の中にたたずんでいることがわかりました。まるで娘が狼を見た場面を再現しているようでした。

 

 

 

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