カテゴリー「旧暦(太陰太陽暦)と宇宙」の299件の記事

2019/10/03

令和2年版「旧暦棚田ごよみ」入稿しました

1_20191001165101

03

 

令和2年版「旧暦棚田ごよみ」入稿しました。発売開始は、今月末ころになるでしょうか。

これが「令和」と印刷される初めての旧暦棚田ごよみになります。

旧暦は、公式には使われなくなっていますが、天気の話題では、いまだに「二十四節気」や「七十二候」が話題になるし、「中秋の名月」は、旧暦でないと意味がありません。

「棚田」も「旧暦」も、効率の悪さで見捨てられようとしてきました。でも、無くなりそうになって、その価値に気が付くということはたくさんあって、「棚田」も「旧暦」も、それに含まれるかもしれません。

「令和」という新しい時代に、新しいカレンダーを使ってみるというのもいいかもしれません。自分で言うのもなんですが、かなり使いづらいこよみです。でも、「使いづらい」「効率の悪さ」というのも、こんな便利な世の中では、ひとつの価値なんですね。今は、やたらと「効率の良い」「便利」「快適」なものが当たり前となっています。意外と「使いやすい」というのは、人間の脳を退化させているかもしれません。そして、使いづらいと「注意」が向くのです。意識するのです。

しかも、来年は閏年です。だから13カ月あります。頭が混乱してきます。ますます使いづらくなっています。掲載したのが表紙(京都府伊根町・新井の棚田)と、「閏卯月(閏4月)」(島根県益田市・中垣内の棚田)のページです。

どうでしょうか。 季節感を取りもどすには、優れたカレンダーではないかと思うんですが。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/09/03

今日から二十四節気「処暑」、七十二候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」

_87a2251
(愛媛県城川町の棚田)

 

今日から二十四節気「処暑」の末候「禾乃登」です。

田んぼは黄色くなって収穫の喜びの時期を迎えます。

「禾(いね・のぎ)」は稲やアワなどの穀物のことです。

漢字の「年」は、元々は「秊」(禾 / 千)と表記された字です。「禾」は「稲魂(いなだま)」の象徴を表したものです。

「禾(いね・のぎ)」が入っているところから、稲やアワを栽培する周期が1年と考えられていたようです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/08/28

今日から二十四節気「処暑」、七十二候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」

170828a

 

今日から二十四節気「処暑」、次候「天地始粛」です。

「天地始粛」とは、ようやく暑さが鎮まるといった意味です。暑さのピークは過ぎてひと段落付けたかなと思っていたのですが、全国で大雨による災害が心配されています。

 今朝には、福岡県、佐賀県、長崎県に大雨特別警報が出されました。厳重な警戒が必要です。

10日ほど前、ここでも1時間ほどの大雨が降って、家の前の道路が冠水しました。ずぶ濡れになって外出から帰ったら深さ20cmほど冠水していたのですが、20cmだけでも、足が取られて危ないなと感じました。水で道路の状態も見えません。浸水してからの非難はじゅうぶんに注意する必要があります。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/08/23

今日から、二十四節気「処暑」、七十二候「綿柎開(わたのはなしべひらく)」

08ja0102
(大分県緒方町軸丸北の棚田)

 

今日からは、二十四節気「処暑」の初候「綿柎開」です。

「処暑」は、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、「綿柎開」は綿を包む萼(がく)が開くといった意味です。

夜はだいぶ涼しくなって、エアコンなしでも大丈夫になってきました。

そのかわり、朝は明るくなるのが遅くなり、4時ではまだ暗いですが、ヴィーノは相変わらず4時ころ起きて、散歩をせがみます。

さすがに4時に犬と散歩している人はいませんねぇ。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/08/19

昨日から二十四節気「立秋」、七十二候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

170817_3

 

昨日から、「立秋」の末候「蒙霧升降」。「深い霧が立ち込める」などといった意味です。

ようやく暑さのピークは越したかなといった感じですね。去年よりだいぶ暑い日が少なかったので今年の夏は楽でした。

写真は、何年か前の9月上旬に撮影した新潟県十日町市星峠の棚田の写真です。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/08/13

今日からは二十四節気「立秋」、七十二候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」

08ja2000006
(熊本県球磨村 鬼の口の棚田)

 

今日からは二十四節気「立秋」、七十二候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」です。

「寒蝉鳴」は、七十二候のひとつ。二十四節気の立秋の次候です。

「ひぐらしなく」と読まれていますが、もともと中国から入ってきた「寒蝉(かんせん)」は秋の訪れを告げる蝉といった意味らしい。

田んぼは青々としていた稲が、じゃっかん黄色くなりつつあります。確実に季節が移っています。

今年は、去年ほどの極暑がなく、ちょっと余裕を持ってこの季節を迎えられていることは、良かったかなぁと個人的には思います。ただこのまま涼しくなっていくことはなさそうですが。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/08/11

10個の太陽と12個の月

090225

来年2020年(令和2年)版「旧暦棚田ごよみ」のあいさつ文を考えているところです。 今回は中国の神話を引用しようかなと。

昔の人は、毎日変化する月の満ち欠けに規則性を見出しました。しかし月の満ち欠けだけでは、季節がずれていきます。そこで太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

中国の創世神話では、五代目皇帝・帝俊の義和夫人は太陽を10個、嫦娥夫人は月を12個を産みました。ところが堯帝の時代に、10個の太陽がいっせいに輝き、大地は灼熱地獄になりました。堯帝は弓の名手・羿(げい)に、9個の太陽を射落とさせました。太陽はひとつとなり、元の世界に戻りました。日本にもこれと似た射日神話が伝わっています。

中国古代の地理書である『山海経』にも、10個の太陽や12個の月が水浴するという話が出てきます。これは1年間が12カ月からなる考えを反映したものだそうです。

また、月はもともと複数ある太陽のひとつでしたが、弓の名人に射られ、怖ろしさのあまり血の気を失って光が薄れ、月になったという話もあります。(伊藤清司著『中国の神話・伝説』)

太陽が多すぎる混沌とした世界も月の存在で秩序を保てると解釈できるかもしれません。この「太陽」とは「支配者」という意味でもあるようです。

また、10個の太陽と12個の月は、十干十二支や太陰太陽暦を連想させます。

 日本に伝わった射日神話ですが、関東を中心に「おびしゃ(お日射)」という祭りも行われています。

そこで、思い出したのは、秩父の小鹿野町に「出原の天気占い」という行事があります。的を射て、その年の天候や作物の出来などを占うものですが、詳しくは調べてないのでわかりませんが、これも「お日射」と同じ祭りかもしれません。

掲載の写真は、10年前に撮影したこの「出原の天気占い」です。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/08/08

今日は、二十四節気「立秋」、七十二候「涼風至(すずかぜいたる)」

Mg_0090

 

今日から二十四節気「立秋」、七十二候「涼風至(すずかぜいたる)」。

暦の上では「秋」の始まりです。でも、どこが「涼風至」だと思ってしまいます。朝から湿気があって暑く感じます。ただ、去年の暑さと比べたらマシかなとも思います。 

台風10号が近づいています。来週、関東地方に台風の影響が出て来るようです。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/07/30

「何ちんたらやっているんだ!」は、「時間」を信じて発する暴言

87a0280

 

“時間”はあと50億年で終わる?
(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20101029003&source=mm125d  ナショナルジオグラフィック ニュースより)

読みましたが、よくわかりません。

と、いうか、そもそも時間というのはあるのかな?という疑問もあります。いや、時間はあるんでしょう。ただし、それを「単位」にしてしまったところに人間の不幸がうまれたのではないかとも思います。

どういうことかというと、例えば、無我夢中で何かに没頭して作業しているときは、時間があっという間に過ぎた感じがします。そうじゃなくて、イライラして人を待っているときなどは、時間が長く感じます。嫌な仕事をしているときも長く感じます。

実際、感覚としての時間と、物理世界の時間は、違うのではないか、ということなんです。それを一律に物理世界の時間を単位にしてしまったことで、人と比べることになってしまう。

同じ物理的時間内に、ある人は仕事が終わり、ある人は仕事の途中だとすると、「どうして遅いんだ? どうしてもっと速くできないんだ?」と怒られる。俺の体験ですが、昔、若いころ工場のラインに入って、ある製品の組み立てをしていたとき、どうも俺は仕事が遅いらしく、何度か注意されました。

でも、その時、意外な感じがしたのです。自分では速くやっているつもりだったからです。むしろ、速くやりすぎているのではないかとさえ感じていました。でも、俺の外側の世界は違いました。俺の仕事は遅いのでした。少し愕然としました。これ以上速くはやれないとも思い、絶望的な気持ちになりました。このとき、人とは時間感覚が違うんだなぁと思いました。

だから、物理的時間を単位としてやる仕事は俺にはむいていないとはっきりわかりました。人と協力してやるとか、人といっしょにやるには、どうしても物理的時間を単位として、合わせなければなりません。それが苦手なのです。

もちろん、だからと言って、物理的時間を否定するのではありません。それによって、俺も恩恵は受けているので。電車や飛行機の時間が、個人的感覚時間だけで運用されていたら(そんなことは不可能ですが)、大混乱です。

養老孟司先生は、こう言っていました。

「時間というものは、人間の脳にしか存在しないということです。つまり、時間は人間だけがもつ幻想である、ということになります。」(https://www.1101.com/yoro_ikegaya/2019-05-13.html)

 と、いうことは、「幻想」を「単位」にしているわけですね。これはおかしな話です。俺は「物理的時間」なんて書きましたが、「幻想」だとすると、ほんとにそんなものあるのかな?という感じです。

人間どおしでさえこうなんだから、種が違えばもっと時間の感覚は違っているのでしょう。ある人がこんな言葉を言っていた気がします。「かたつむりは、自分では走っているつもりなのかもしれない」というのです。

たぶん、これは「かたつむり」ではなくて「高齢者」に置き換えてもいい。

「何ちんたらやっているんだよ!」と高齢者に対する暴言は、この「物理的時間」を信じている(当たり前だと思っている)から発する言葉でしょう。

人間の脳内にある「幻想」なら、人間が滅んだら、50億年も待たずに、時間は消滅してしまうのではないでしょうか? 

はっきり言葉では表現できないんですが、「時間」を単位にするというのは、何か、大きな勘違いを犯しているような気がしてなりません。

俺が普通の人より遅いことに対する言い訳でもある、というのは自覚していますが。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2019/07/12

令和2(2020)年版「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせ

Img_20190711_130730727

 

来年は、東京オリンピックの年、令和2年、2020年版の「旧暦棚田ごよみ」の打ち合わせがありました。

去年よりも早めの打ち合わせです。

来年は閏年にあたり、旧暦のカレンダーは13ヶ月あります。(1ヶ月多いので、お得感がある?)

季節と地域があるので、選ぶのは難しいですが、そこが棚田ごよみ作りの醍醐味でもあります。

13ヶ月の棚田写真の流れがスムーズにおさまるまで、入れ替え、差し替えを繰り返しました。

そして、ようやく落ち着くところに落ち着きました。ただ、表紙は今日決まりませんでしたが。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧