カテゴリー「旧暦(太陰太陽暦)と宇宙」の234件の記事

2017/09/23

今日、二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」

170922


今日、二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声」です。

秋分の日は、春分の日と同じで、昼と夜の長さが同じです。

「雷乃収声」は、雷が鳴り響かなくなる(遠雷の)季節という意味ですが、今年の夏は雷被害も多く出ました。もう大雨といい、雷といい、異常が異常ではない状況になっていますが、どうなっていくんでしょうか。

雷に関しては、とりあえず、今年のシーズンは終わったということなのでしょうが、来年から心配です。

ところで「稲妻」ということば、雷が落ちた田んぼの稲はよく育つところから生まれたそうです。

写真は愛媛県西予市城川町の棚田で、ちょうど彼岸花が咲いていました。
 
 
 
 
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2017/09/07

今日は、二十四節気「白露」、七十二候「草露白(くさのつゆしろし)」

160907(新潟県長岡市塩新町の水田)


今日から二十四節気「白露」、七十二候「草露白」です。

「露が白し」という表現が秋の気配を感じさせるもので、写真を撮っていると納得できる表現です。それで調べてみました。

「草露白」は、朝夕気温が下がり、草の上に結んだ露が白くみえるようになる状態だそうです。

また和泉式部が詠んだ句には、「白露も夢もこの世のまぼろしも たとへていえばひさしかりけり」があり、白露は、夢・この世・まぼろしと同義語として括られています。(びお・七十二候より)

朝夕の白く見える露も長い時間ではなく、夢のようにすぐに消えてなくなってしまうものなのですね。
 
 
 
 
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2017/08/28

今日は旧暦「七夕」、二十四節気「処暑」、七十二候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」

170828a


今日は旧暦の七月七日です。旧暦の七夕です。「伝統的七夕」とも呼ばれます。

旧暦の七夕は天の川が見やすいといわれていますが、新月から6日が経過していて、月齢が必ず6前後になります。本来、七夕は月齢6とセットになる日でした。なので、新暦の七夕は、月との関係がなくなってしまい本来の意味とはだいぶ違ってしまったと言えるでしょう。

この時期は、梅雨は明けているので、晴れになる可能性が高く、天の川が見えやすいということもあります。でも、今年はちょっと違うようですが。


そして今日から二十四節気「処暑」、七十二「天地始粛」です。こちらは新暦の日付とほぼ固定しているので、「七夕」と「天地始粛」が重なる今年は特別です。

「天地始粛」とは、ようやく暑さが鎮まるといった意味です。暑さのピークは過ぎたようですが、今度は台風シーズンに入ります。
 
 
 
 
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2017/08/23

今日は、二十四節気「処暑」、七十二候「綿柎開(わたのはなしべひらく)」

170823(長野県 赤塩の棚田)


今日からは、二十四節気「処暑」の初候「綿柎開」です。

「処暑」は、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、「綿柎開」は綿を包む萼(がく)が開くといった意味です。

暑さの峠とはいったいいつなのでしょうか。これから峠が来るのか、それとも、7月中だったのか。7月が暑かったなという印象が強いです。

今年の夏は異常です。いえ、毎日が異常です。異常が毎日なので、異常ではなくなりつつあります。
 
 
 
 
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2017/08/17

今日は、二十四節気「立秋」、七十二候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

170817_3

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今日は、二十四節気「立秋」、七十二候の「蒙霧升降」。「深い霧が立ち込める」などといった意味です。

今年関東では連日雨が降っています。東北でも日照時間が例年の半分くらいで、稲にいもち病なども現れて、コメの収穫が心配な状況だそうです。

写真は、2年前の9月上旬に撮影した新潟県十日町市星峠の棚田の写真です。
 
 
 
 
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2017/08/13

2017/8/12は、二十四節気「立秋」、七十二候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」

140812(これはミンミンゼミ)


2017年8月12日、七十二候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」です。

「ひぐらしなく」と読まれていますが、時期的には8月中旬だと、「ヒグラシ」ではなくて「ツクツクボウシ」ではないかという説もあるようです。広辞苑では、

「秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か。」

と書かれています。実はよくわかってないのですね。

ところで、昔タイのプーケット島へ取材に行ったとき、「キーン」という音がずっと聞こえていて、何だろうとガイドに聞いたら、蝉の声だったんですね。まるでチェーンソーか何かかなと思ったくらいな金属的な音、はっきり言って不快な音で、日本の蝉のイメージからは程遠いものでした。

詩人の伊東静雄著『羨望』には、

「蝉の声がやかましいやうでは 所詮日本の詩人にはなれまいよ」

とあるらしいのですが、これも「日本の蝉」の話ということになるでしょうね。とてもじゃないけど、プーケットの蝉の声に情緒を感じることはできませんでした。

情緒を感じる蝉の声と「雑音」との違いはなんでしょうか? 単なるその人の感性の問題なのか、文化の問題なのか、音の問題も不思議です。

プーケットの人間は、この蝉の声に季節を感じるのか、聞いてみればよかったと思います。
  
 
 
 
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2017/07/13

2018年(平成30年)版「旧暦棚田ごよみ」の準備

170713_2

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例年より早く、来年(2018年、平成30年)版の「旧暦棚田ごよみ」の準備を始めています。

第23回全国棚田サミットは、2017年9月28日~29日開催で、これに合わせる意味もあります。

今年のサミットは、長崎県波佐見町で、テーマは「棚田は21世紀の社交場」です。

来年の春節(旧正月)は2018年2月16日です。まずは、日付と季節、それから地域的なばらつきを考えながら、暦用の写真を13点選びました。

例によって、毎年、2月、3月とか、11月、12月とかいう月の棚田は、なかなか写真的には「中途半端」で、撮影点数が少ないということがあって、選ぶには苦労する月です。(初夏や秋の写真は多いのですが)

それでも、数年前から旧暦棚田ごよみを作るようになって、どこか地方へ行ったときは、ぜんぜんきれいではなくても棚田写真を撮るようにはしているつもりです。

それと最近は、春に東日本方面、秋に西日本方面に行くことが多く、地域と季節の偏りができてしまっているという事情も少しあります。

そんな中でも、去年秋から今年春までに撮影した新作、撮りおろし写真も含む棚田14点(表紙写真と、あいさつ文のカット写真も含めて)で構成します。

表紙は、福岡県八女市の「鹿里棚田」の、彼岸花祭りのころの秋の写真に決まりました。

「旧暦棚田ごよみ」の詳細が決まりましたら、お知らせします。
 
 
 
 
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2017/07/12

今日は二十四節気「小暑」、次候「蓮始開(はすはじめてひらく)」

150712_1(長野県松本市 松本城のハス)

150712_2(埼玉県加須市 オニバス)


今日から二十四節気「小暑」の次候「蓮始開(はすはじめてひらく)」です。

ハスの花が開き始める季節。上の写真は、長野県松本市松本城の池(堀?)で撮影したハスの花です。

ハスといえば、実が、ベトナムなど東南アジアでは砂糖漬け(甘納豆)や甘いデザートの具として食べられています。大好きです、ハスの実が。

下の写真はオニバスです。ハスはヤマモガシ目ハス科の植物ですが、オニバスというので「ハス科」だと思ったら、オニバスはスイレン目スイレン科に属し、系統が違うようです。蓮始開(はすはじめてひらく)とは関係なかったかな。

ちなみに、オニバスは埼玉県レッドデータブックで「絶滅危惧1A類」に指定されています。
 
 
 
 
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2017/07/07

今日は、二十四節気「小暑」、初候「温風至(あつかぜいたる)」。

07_mg_0721

今日は、七夕。これは新暦。

旧暦の七夕(七月七日)は、今年は8月28日です。まだ1か月半先です。

そして二十四節気「小暑」、初候「温風至」です。

「暖い風が吹いて来る」などといった意味です。今日も関東地方はその通りの天気になりそうです。

先日は暑い日に撮影していたら、あやうく熱中症で倒れそうになりましたが、こまめな水分補給が必要なことを実感しました。
 
 
 
 
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2017/06/26

山梨県忍野村 真夜中の「田毎の月」と「妖怪」

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富士山が見える棚田の一ヵ所、忍野村の内野の棚田は、何度も訪れていますが、通過した日、ちょうど満月だったので、夜中「田毎の月」を鑑賞することにしました。

残念ながら、午前3時ころから雲が出てしまい、月も隠れてしまいました。なので、明け方の富士山は見えませんでしたが、「田毎の月」は、美しくもあり、怖くもあり、ということをまたひしひしと感じる場になりました。

内野の棚田は民家からは離れているので、夜中は真っ暗です。平らなところなので、日中来れば、明るく開放的なのですが、さすがに夜中は少し怖い。

実際、何かが鳴くのです。そしてバサーッという空中を行き交う羽のような音が。しかも巨大な羽の音です。

月明かりを頼りに暗闇に目をこらしてみてもわかりません。そして聴こえたことも、ほんとうだったのか?と、だんだん自信がなくなってきます。俺自身が怖がっているので、そんな音を聴いてしまうのではないかと。

暗闇は、人間を無意識の世界へと導いてくれるようです。

今、なかなかこういう体験ができなくなっています。たとえば、コンビニは24時間煌々と明かりがついて、暗闇を無くします。夜がない、闇がない世界なのです。

ゲゲゲの水木しげるさんも言っていました。

「最近の日本では闇がなくなり、妖怪は見られなくなりました」

妖怪は想像と現実の狭間にいるものなのでしょう。

人間の心は、意識している部分はほんのわずかで、もっと大きな無意識の世界があるというふうに言われています。無意識からのメッセージが「妖怪」という形になって現れるのかなと。

水木さんの「ぬりかべ」誕生のエピソードは面白い。戦地で逃げていたとき、突然コールタールのような壁にぶつかったそうです。しばらくそのままでいて、気が付くと、その先は断崖絶壁でした。

「ぬりかべ」が水木さんを助けてくれたのです。「目に見えないもの」を信じる水木さんには、それが妖怪に思えましたが、これは無意識の内なる声とも解釈できるのではないでしょうか。

怖い存在なんだけど、実は人間を救ってくれる存在でもある、その微妙な感じ。水木さんの妖怪漫画は、その微妙なところをキャラクター化していたからこそ、多くの人に受け入れられたということではないでしょうか。「怖いんだけど、愛らしい」というのがまた妖怪です。

その妖怪がいなくなったのは、「闇」が失われたから。真夜中でも煌々と照らされた明かりの中で妖怪が生きていくことはできず、それは「便利」なのかもしれませんが、別な見方をすれば「現代文明が抱える病」でもあるかもしれません。

「闇」を遠ざけようとしても、やっぱり人間の心には意識できない部分があって、それが時々襲ってくるのです。それを解放してやる場がない。闇の澱は心に溜まっていくばかりです。そして突然びゃーッと吹き出します。

内野の棚田で聴いた何かの鳴き声と羽音は、きっと俺の無意識が生んだ、何かの表現だったのではないでしょうか。これを「妖怪」と呼んでも、それほど間違ってはいないのでは。

月を見ると精神的におかしくなるという世界的な言い伝えは、こういう体験をすると、なんとなくわかるような気がします。
 
  
 
 
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