カテゴリー「心理学の話題」の169件の記事

2019/04/18

『オオカミは大神 狼像をめぐる旅』本日発売

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待ってました、この日を。

とは言え、amazonではkindle版が先行販売されていたようですが。

とにかく、1月下旬からの3か月間、かなり集中して今回の本を作り上げました。

先日も書きましたが、出版社の社長が言うには、最速だったということです。でしょうね。俺もこんなのは初めてです。

もちろん、ブログで記事を書き続けていたことがベースにあったので、まったくのゼロから書き上げたというわけではありません。

日々の積み重ねが大切なんだなぁとあらためて思います。速く文章を書く才能があるとは思ってないですし。

 

Amazonのページはこちらです。 

 https://www.amazon.co.jp/dp/4635821382

 

単行本(ソフトカバー): 160ページ
出版社: 天夢人 (2019/4/18)
言語: 日本語
ISBN-10: 4635821382
ISBN-13: 978-4635821384
発売日: 2019/4/18
梱包サイズ: 20.8 x 14.8 x 2 cm

 

内容紹介

オオカミに対する関心が高まる昨今、狼信仰の影響を色濃く遺す狼像を求めて、関東はもとより東北、関西など各地を訪ねて写真と文章で表現した渾身のフォト・ルポルタージュ。

各地に遍在する狼像の存在に関心を抱いた「旅する写真家」が、実際に現地を訪ね、徐々に日本人とオオカミ=大神との関わりの深さに目覚めていく体験を、読者は追体験できるだろう。

軽妙な文章と、情緒あふれる多様な狼像の写真でめぐる、失われたニホンオオカミの記憶を掘り起こすユニークな旅の記録となっており、読者が狼像を訪ねるガイドブックとしても役立つ。

 

【目次】
I オオカミとの出会い
・椋神社のオイヌゲエとは? 狼の棲む秩父桃源 オイヌゲエをハシゴする お犬さま信仰の三峯神社と武蔵御嶽神社

 

II 狼像の聖地へ
「ニホンオオカミ」から「お犬さま」へ 関東平野の狼像
・東京都渋谷区 宮益坂御嶽神社/台東区下谷三峰神社/杉並区宿町御嶽神社/足立区千住神社三峯神社/足立区上谷中稲荷神社三峯社
・荒川区三河島三峯神社/練馬区土支田八幡宮 御嶽神社/練馬区八坂神社御嶽神社/大田区多摩川浅間神社三峯神社/茨城県ひたちなか市平磯三峯神社/茨城県筑西市三峯神社
・奥多摩のユニークな狼像 東京都檜原村・あきる野市臼杵神社/東京都あきる野市小和田御嶽神社/東京都檜原村鑾野御前神社と貴布禰神社
・東京都檜原村大嶽神社の里宮と本社 七ツ石神社の再建プロジェクト

 

III 大神への祈り
・岐阜県と静岡県の狼信仰
・東北地方の狼信仰
・西日本の狼信仰
・[コラム]狼の伝説― 送り狼/狼の恩返し/鍛冶屋の婆

 

 

 

 

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2019/03/17

「ヤドカリのジレンマ」

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引っ越しすることになって、今、何かに憑かれたようにものを捨てています。気持ちいいです。ドーパミン出ているんでしょうか。

この15年間でたまったいろんなものですが、今では使わなくなってしまったフィルムやスライド、外国で買った本、パンフレットの類、日記などです。

最初は、「資料」だからと思って、捨てるのを躊躇していたのですが、この前アップした中国で買った少数民族関連の本と同じで、15年で使わなかったものは、これからの15年で使うとは思えません。

それとフィルム・スライドを保管していたロッカーや、本棚、食器棚、テーブルなども、市の粗大ごみ回収に出しました。

結局、必要なものはごく限られたものなので、たくさん捨てても、生活に支障はありません。むしろすがすがしい。身軽になった感じです。ある意味、これは「終活」の一部でもあるのかもしれないですが。

捨てるものがだんだん無くなってきたのですが、捨てることの快感が忘れられず、要るものまでも捨てそうで怖いです。

行きつくところ、必要なのは、バックパック1個に収まってしまうんだろうなぁと。実際それで半年も旅できたんだから。

これは「ヤドカリのジレンマ」ですね。

ヤドカリもジレンマを抱えながら生きています。大きな家を持つほど、重たくて移動しにくくなる、ということ。快適さを追求すればするほど、不快になっていくというジレンマです。

いろんな便利なものを増やせば快適になるかというと、そうでもありませんね。要はバランスなんでしょうが、人によって最低限必要なものはかわってきます。
 
 
 
 
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2019/03/01

今日は、『オオカミは大神』のキャプションと「おわりに」

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『オオカミは大神』で使う写真は、220点ほどになりました。

このうち、195点ほどにキャプションを付けます。昨日からやっていますが、数が多いので、まだ終わっていません。

あとは「おわりに」も。

「おわりに」は、狼像に魅かれる個人的な話を書こうと思います。

犬=陽・明・意識・現実
狼=陰・暗・無意識・異界

犬と暮らしているので、犬と狼をいつも対比して見てしまうようなところがある、という話です。
 
 
 
 
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2019/02/14

旅行記・エッセイ 『ワンダーラスト : 旅と写真は私のセラピスト』

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去年末から書いてきた『ワンダーラスト : 旅と写真は私のセラピスト』を電子書籍としてKindleから出しました。


https://www.amazon.co.jp/dp/B07MZJ8KVM


この本は、旅や写真に関する旅行記とエッセイの形をとっています。

20代に旅を始めましたが、会社に就職することもなく、「写真家」という立場でずっと旅をする人生を歩んできました。

旅に出たくてたまらない病「ワンダーラスト」という病を患いながらも、旅や写真が、こころを安定させてくれるセラピーの役割を持っていて、それを知らぬ間に自分で実践してきたことに気が付きました。そのきっかけは、心理学を学び、3年前に「認定心理士」の資格を取得したことです。

ワンダーラストの他にも、棚田や雲南省に行きたくてたまらない「棚田病」や「雲南病」などの病について書いた後は、「人生最初の旅」とはどういうものだったのか? 何か旅にこだわるきっかけがあったのか? ワンダーラストになる資質はあったのか? 子どものころや20代のころは旅をどういう風に感じていたのか? 記憶を頼りに思い出しています。

とくに、大学4年のときに出た最初のヨーロッパの旅について書きました。これがその後の旅人生で、大きな転換点になったことは間違いありません。良くも悪くも、この旅で、それまでの自分の常識が覆されてしまったのです。

あとは、「ワンダーラスト」や「セルフセラピー」や「写真療法」というキーワードにした文章、犬連れ日本一周の車旅で出会った冒険家のことや中国新疆ウイグル自治区、カラコルム・ハイウェーをロバ車で旅した旅行記も書いています。

ワンダーラストじゃない人には、あまりお勧めしない旅の話です。
 
 
 
 
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2019/01/28

Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」

01_99img_9694(これはセラピー・ドッグ チロリの像)


Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」を観ました。

難病の女の子とセラピー犬・ベイリーの物語です。

ハワイで訓練を受けたベイリーはオスのゴールデンレトリーバーで11歳、日本初の大病院専属セラピー犬で、これまで3000人以上の病気に苦しむ子供に寄り添い、心を癒してきたそうです。

女の子は、ベイリーがそばにいることで、痛さや苦しさを癒され、退院することができました。ベイリーは、女の子の退院と同時に引退することになりました。

番組では、なぜ、犬と人は互いに愛情を感じ合い、心を癒やし合うのかという理由を最新科学で解き明かしています。

犬は、人間と同じ喜怒哀楽を読み取る脳の部位が活性化するらしい。

以前、「愛犬と見つめ合ったら…… 愛情ホルモンで絆が深まる」(Nifty News)というニュースがありました。

「一般的に動物のアイコンタクトは「威嚇」のサインであるのに対し、ヒトと犬の見つめ合いは「愛情」のサインだ。お互いが相手の目に浮かぶ感情に応えることで、一方的な支配-被支配関係とは違う双方向の絆を生みだす。」

だそうです。俺も、ヴィーノと見つめあって、威嚇の感情は感じていなかったので、この記事を読んで、「やっぱりなぁ」と納得できたのです。

見つめあうと、オキシトシンというホルモンが出ることは知られていますが、それが人間側だけではなく、犬側でも出ているということがわかったのです。

犬も人間で癒されているわけですね。だから寄り添う。別に、人間だけのためではなかったというところが興味深いところです。

犬は、犬自身で、人間のそばにいたいからいるらしいということです。これは重要ではないでしょうか。より自然な関係です。

ロシアの研究所も紹介されました。ここで飼われているのが狐。狐も何代にもわたって飼育し、より穏やかな個体を交配するとまるで犬のような動物になっていくそうです。

どうも、脳の海馬が大きくなり、攻撃性のホルモンが減っていくということらしいのですが、これは狐だけではなく、狼がどのように犬に変わっていったのか、ということも示唆しているようです。
 
 
 
 
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2019/01/05

インスタ映えと写真療法

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1月3日は、妻の知り合いの香港人を案内して川越を歩きました。喜多院でだるま市が開かれていて賑やかでした。

いつもの正月3日は、妻の実家から自宅に戻る途中、川越を通過しているので、だるま市が開かれているのは知っていましたが、実際に行ったのは初めてです。

香港のナイトマーケットのような雰囲気もありました。香港人は気にいってくれたのかどうか。香港人のおみくじは「吉」、「待ち人来ず」でした。初詣やおみくじの体験は新鮮だったかもしれません。

インスタ映えするだるまを写真に収めました。

ますます写真は写真療法(アートセラピー)としての役割が大きくなっていくような気がします。

昔は、「フォトジニック」とか「絵になる」とか呼んでいたことは、最近「インスタ映え」という言葉で表されていますが、外食産業にまで影響を及ぼしていて、「味」よりも「形・色」なのかと、ちょっと違和感を覚えるところもあります。

写真は、スマホ、携帯電話で撮る人が多く、今までのようにわざわざカメラを出して撮るというわずらわしさがないぶん、手軽に表現できる手段になりました。写真は「特権階級」のものではなくなりました。

写真療法では、作品の上手、下手は関係ありません。アートはその行為自体に癒しや心の活性化をはかる効果があって、写真を評価することは、セラピーという点からはむしろ害があるようです。

ただ、いい評価は、嬉しいことでもあり、たとえば、写真をSNSにアップして、「いいね!」をもらうことなどは、写真を撮り続ける動機付けにはなるので、悪いことではないと思います。

表現には、絵やコラージュや粘土や詩やダンスやいろんな表現が含まれます。いや、表現できる手段なら、すべて使えるということでもあるようです。

大人が行うプレイセラピー(遊戯療法)とも呼べるもので、すべての表現は遊びに通じ、どんな手段を使うかは、その時々で変わってくるのも自然なことだといいます。

同感です。俺も、結果としてアートセラピーを自分で実践していたことが、今になってわかったのですが、やっていると、写真だけではなく、時には作曲もしたくなるし、文章で表現したくなる時もあるし、また、旅に出たくなることもあります。

それは子供の遊びを見ていてもわかります。手段はまったく気にせず、楽しいことをやろうとしているだけです。それが本来の「遊び」というものでしょう。

こういう表現を「職業」ととらえてしまうと、「どれかひとつに絞りなさい」ということなのでしょうが、「療法」と言う面から見たら、その制約は百害あって一利なし、ということなのでしょう。(ただ、俺の場合結果として、一部は「職業」にもなっているのですが)

それともっと大切なのは、こういう複数の表現を遊びながら楽しみながらやるということで、バラバラになってしまった自己を統合して「自分というもの」を実感するためには、必要なことだと思うし。

今年も実践あるのみ。
 
 
 
 
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2019/01/03

乃木坂46とユングの「シンクロニシティ」

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年明け早々、こんな話題ですみません。

これぞ「シンクロニシティ」かなと思う出来事がありました。しかも二重のシンクロニシティが。

ちょうど今、「ワンダーラストとセルフセラピー」という文章の中で、「シンクロニシティ」について書いているところでした。だからこの「シンクロニシティ」という言葉自体に、「シンクロニシティ」を感じるという、複雑な思いに捕らわれます。

年末、乃木坂46の、2018年レコード大賞受賞曲が「シンクロニシティ」と聞いたからです。

シンクロニシティとは、もともとはユングが提唱したもので、日本語では「共時性」、「同時発生」とも訳されます。

意味のある偶然の一致です。単なる偶然として見過ごしてしまうのか、それとも、この偶然の一致に意味を見出し、何かに気が付くきっかけにするかは、当事者本人の考え次第と言えるでしょうが。

だから、普段から乃木坂46を聴いている人にとっては、「シンクロニシティ」という言葉は日常的に耳にしているのかもしれないので、偶然の一致は感じないかもしれませんが、俺は違います。

そういうタイトルの曲があることは知っていましたが、受賞のニュースで、あらためて聞いたのです。だから、俺にはシンクロニシティなのです。

では、何を書いていたかというと、ヴィーノのことを原稿で書いていた時、スペインでボランティアしていた時の学生が、30年ぶりに俺を探し出してメールをくれたという話です。

ここで何がシンクロニシティかというと、ヴィーノという名前は、「VINO」というスペイン語で、「ワイン」という意味なのです。ボランティアで滞在中は、スペイン人学生たちとこのVINO(ワイン)を飲んでいたというもので、ヴィーノには地中海の明るいイメージがあって、それで犬にヴィーノという名前を付けたという文章を書いていたのでした。

そこに突然のスペインからのメール。しかも30年も経ってから。これをシンクロニシティと呼んでも罰は当たらないでしょう。

と、いう話。

そういうシンクロニシティの話を書いているとき、聞いたシンクロニシティという曲名。これは「シンクロニシティの入れ子状態」で、分かりにくく、複雑な思いがしますが、でも、この二重になった偶然の一致は、単なる偶然というよりは、「何かある」と考えた方が面白いのではないか、という気持ちもあります。

すべてを因果関係だけで理解することもないだろうと。世界はもっと俺たちが分かっている以上のもので動かされているのかもしれないのです。その可能性を認めること。その謙虚さはあってもいいのかなと思いますね。
 
 
 
 
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2018/12/26

『ワンダーラストとセルフセラピー』(仮題)執筆中

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『ワンダーラストとセルフセラピー』(仮題)を執筆中です。なぜ「執筆中」とわざわざ書いたのかというと、こうして公に宣言することで、途中で書くのを諦めたりしないようにするためです。

旅をしたくてたまらない病を「ワンダーラスト」といいますが、実は、旅は病であると同時に薬でもあって、自分自身のセラピーの役も果たしていたという内容です。

「ワンダーラスト」は、「DRD4-7R」という遺伝子に左右されるそうです。人類の20パーセントがこの遺伝子を持っているらしいのですが、ただ、この遺伝子を持っている人全員がワンダーラストになるのではないようです。

「ワンダーラスト」という言葉を知ったのは数年前、ネットのニュースでした。それまでは、棚田が好きでたまらない「棚田病」とか、雲南省が好きでたまらない「雲南病」とか、あとは、南極に足を踏み入れた人が陥る「白い病」とか、ゲゲゲの水木しげるさんの「南方病」とか、そういった病の名前で呼んできました。いずれも症状は似ています。

単なる「旅好き」でなないところが病=ワンダーラストなのですが、これが、病であると同時に、薬にもなっています。俺も、旅(と写真)がなければ、精神的にどうにかなっていたかもしれません。

でも、それを意識していたわけではなく、やらざるをえないからやっていただけです。それが結果的に自分自身のセラピーにもなっていたということが、今になって分かったということなのです。

だからこれを「セルフセラピー(自己心理療法)」と呼んでもいいのではないかなと思います。

俺にはもともとワンダーラストになる条件や素質はあったのでしょうか? それを探るべく、子どものころを思い出しました。あとは、旅人生の大きな転換点になった、大学4年の時に行ったヨーロッパの旅について。

ジェームズ・ペネベーカー著『オープニングアップ:秘密の告白と心身の健康』という本があります。個人的な情報を打ち明ける「自己開示」やもっと内面を語る「告白」というものが、心身の健康や社会適応にいい影響を及ぼすという研究を扱った本です。

だから、過去を思い出し、それを人に語ること自体、癒しになるということも心理学で学んだことです。これを書くこと自体が、俺のセルフセラピーになっています。
 
 
 
 
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2018/11/04

『水を掬う』で、松田くんとふたりのギャラリートーク

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昨日は『水を掬う』の会場で、松田くんと俺で、ギャラリートークを行いました。

お越し下さった方々(遠くは埼玉県からも)にはお礼を申し上げます。

メコンの源流から河口までの水や、棚田の水の循環は、松田くんのテーマ「浮遊する水」と共通したものです。

それと、松田くんが話したのは、日本の美と西洋の美の違いで、西洋の美はシンメトリーをもって表現しますが、日本の美は不完全の美であること。

それで思い出した話は、ある小僧さんが、高僧から庭の掃除を命じられたので、落ち葉をすべてきれいに掃いたら、褒められるどころか渋い顔をされた。そこで、木の枝を揺らせて葉っぱを少し散らせたら、満足されたという話をしました。

また、西洋の科学的合理主義の下、夜の暗闇を無くし、曖昧さを無くし、白か黒に区切りをつけ、すべて白日の下にさらそうとしてきましたが、でも、それは限界であることも。

一方、古来から日本の美意識は、闇の世界をめでることにあること。闇の世界は、曖昧模糊としたもので、科学的には割り切れない部分を持っています。闇の世界は、無意識が活性化する世界でもあるのです。

「闇=無意識=異界」については、最近取材中の「狼信仰」が関わってくるのですが、「話は長くなるので」と言って、割愛しました。

松田くんの壁に架けた作品にはところどころ穴が開いています。この説明を聞くまで、正直、俺は気が付きませんでした。

完成した後に、あえて壊す作業を行っているのです。最初、穴を開けるのは勇気がいることでしたと、松田くんは言いました。

裏にも色彩を施してあります。そして、その穴を通して裏の色彩が少し見えるのです。裏の世界、無意識の世界をのぞいています。表と裏の世界はこの穴でつながっています。意識と無意識、すべて包含したもの、それはすなわち「自己表現」などではなく、世界・宇宙の表現と言ってもいいでしょう。

暗闇の美について俺は、「田毎の月」の話をしました。写真では、月はひとつしか映りませんが、真夜中の田んぼを月明かりを頼りに、自分自身が歩き回ることや、時間の経過とともに、月が移動をし、結果、すべての田んぼに月が映りこむのです。そのイメージが、広重などの浮世絵に描かれた「田毎の月」です。

多方向の顔が1枚の絵に描かれるピカソの絵を「嘘だ」と言わないのと同じように、「田毎の月」の絵も、時間を考慮した多視点の絵であり、絵師にとっての内的な現実の表現なのです。そしてすべての田んぼには、それぞれの宇宙が表現されています。

最後に質問に答えて、自分にとっての「写真」について話しました。基本、俺は「媒介者=メディア」です。だから、いい被写体があれば、それを変なテクニックを労せずとも、いい写真になると思っています。

ただし問題があります。その「いい被写体」に出会うことは難しいのです。じっくり観察して、その被写体が、一番輝く瞬間を待っているのです。

それには村人といっしょに暮らすこともそうだし、夜の田んぼで1晩中待っているのも必要です。どんなものでも食べ、どこでも寝れることも大切です。そうやって探し出して、辛抱強く待って映した写真は、ただし「事実」しか映っていません。(キャプションを変えるだけで、写真の意味が変わってしまうことを考えてもらえばわかると思います。「真実」はまた別です)

それでは「真実」はどこにあるかというと、「写真(被写体)+俺自身」なのです。「あの青柳さん」がそれを撮ったことを担保に、「事実」は「真実」になる、と俺は信じています。だから、当然、俺が撮った写真は、「俺の真実」であり、松田くんが撮ったら「松田くんの真実」です。人それぞれの「真実」があります。だからこそそこに「個性」というものが出てきます。

と、いった話です。

松田くんとは表現が違っても、求める方向性がいっしょだなと、昨日話をして、ますます確信しました。また機会があれば「二人展」をやりたいと思います。
 
 
 
 
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2018/10/09

玉川麻衣個展「死と乙女」と、板橋雅則展

Dn05rcqxsaabit4(玉川麻衣さんツイッターより)

Itabashi(板橋雅則展のDMより)
  
 
知り合い2人の個展をハシゴしました。両個展とも、まだ開催中ですので、ぜひ見に行ってみてください。おすすめです。
 
 
■ 玉川麻衣個展「死と乙女」
   会期: ~10月19日(金) ※15(月)休
   時間: 11時~19時
   会場: 八犬堂ギャラリー 
        世田谷区池尻2-4-5 IID-118 
        (世田谷ものづくり学校 118号室)

玉川さんの絵は、去年、オオカミ信仰を調べている中で、「狼伝承と登る七ツ石山展」で知りました。玉川さんは七ツ石神社の再建プロジェクトに協力しているので、丹波山村に玉川さんの原画を元にしたオオカミの絵の手ぬぐいがあるのですが、今回『犬像をたずね歩く』でも手ぬぐいの絵を掲載させてもらいました。
絵は、『鶴の恩返し』のツウが自分の羽をむしって布を織ったような、鬼気迫るものです。じっと見つめていると、異界に引き込まれそうになります。戻れなくなるような怖さも感じます。
 
  
 
■ 板橋雅則展
   会期: ~10月14日(日)
   時間: 12時~19時
   会場: ぎゃらりー由芽のつづき
        三鷹市下連雀4-15-2-101

板橋さん夫婦とは、昔、中国雲南省のシーサンパンナのタイ族民宿で出会って以来の付き合いです。10年前くらいまでは、板橋さんの絵には、人間の姿がありましたが、今回は、一見すると見当たりません。
でも、前より、視点が高くなったような気がします。前は、200m上空から見ているような絵だとすると、今回のは、もっと高度が高く、例えれば、Google Earthで地球のどこかを見ているような感じなのです。模様は道なのか、畑のあぜ道なのか、砂漠の遊牧民の家畜を囲っている柵にも見えます。人もいるんじゃないかとつい目を凝らして見てしまいました。
そのうち板橋さんの絵の視点は、もっと高度を上げていくのかなという個人的期待もあります。


タイプのまったく違った絵なのに、共通したものを感じます。いい絵かどうかは、どれだけ自分がその絵の中に入り込めるか、ということで、その内側の世界に共感できたということなんだと思います。
 
 
 
 
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