カテゴリー「心理学の話題」の143件の記事

2017/10/31

【夢日記】 ある動物のお腹

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形的には、マンタやカメのようでもある。

厚さが10センチほどの平べったい動物だ。

腹ばいになっていたのを、裏返して、あおむけにした。

お腹には毛が生えている。

猫? 犬? タヌキ? にも見える。

目はどこにあるんだろう?

おちんちんが付いていたので、雄なんだろう。

お腹を触ると毛が気持ちいい。

                   ☆

映画『アバター』のような風景の中、空を飛んでいた。

高いところから低いところへ一気に下る浮遊感。

「これは夢だよ」と、夢であることをちゃんと「夢の中の俺」は意識していた。

                   ☆

夜、城壁のようなレンガ積みの壁の前にいた。

一カ所だけ人が上ったような崩れたあとがあり、手すりも付いていたので、俺はそこから昇った。

手すりがぐらぐらしたので、力加減に気を使った。

城壁の上は、通路になっていて、右へ歩き、さらに角を右に回った時、人間と犬がいた。

人間が犬から襲われていたのか、飼い犬なのかわからない。

俺はびっくりして大声をあげた。

犬が俺の方に飛んできたところで目が覚めた。(自分の大声で目が覚めた)


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この3つの夢が続いていたのか、途中で目が覚めたのか、よくわかりません。ただ最終的にこの3つを覚えていました。

最初の謎の動物については、たぶんヴィーノのことだと思います。目もどこにあるかわからないけど、おちんちんだけ強調したような動物です。俺の関心はそこにあるようです。ヴィーノが病気のため飲んでいる薬のせいか、頻尿になったことが気がかりなんでしょう。だからおちんちん。オシッコが漏れていたような感覚もあります。

2番目の夢は、『ブレードランナー2049』の予告編を見たからだと思います。前作のブレードランナーの、雨降るチャイナタウンの近未来的光景は、今でも新鮮です。今回のは、映像的にさらにグレードアップしているようで、乗り物が空中を滑っていく感覚と、夢の感覚はほぼ同じでした。

「夢の中の俺」は、ちゃんとこれが夢であると意識しています。たぶん、夢の中で再構成された『ブレードランナー』を観ているのでしょう。「映画」を「夢」と言い換えているのかもしれません。

ところで、この夢を見た日の夜、「Youは何しにニッポンへ」を観ていたら、なんとあるYouが、マジンガーZに影響を受けて映画のCGを作る仕事をしているという話の中で、映画『アバター』のそのシーンが出てきたときには驚きました。これも「シンクロニシティ(共時性)」と言うんでしょうね。

最後の夢も、犬がらみなので、たぶんヴィーノの気がかりと関係しているのだと思いますが、今のところ、はっきり思いたることはありません。
 
 
 
 
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2017/10/23

【夢日記】 脚のあるバス

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印象的な夢を見たので記録しておきます。

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アジア(タイ?)を旅している。

バスツアーらしいが、俺の立場は、ツアーガイドか添乗員らしい。

バスはヤシの木などもある畑の中を進んでいたが、俺はバスの先を歩いて、道を確かめていた。

水が溜まってぬかるんだ所もあって、バスのタイヤが泥に取られそうだと心配になった。

先へ行くほど厳しくなっていた。

そこへバスがやってきたが、水に濡れた泥のところには布を敷いている。

布なんかは持ってきていたんだなと感心した。

バスには四つ脚がついていて、布の上を通ろうとしたとき、布につま先がひっかかったが、なんとか進むことができた。

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最近、外国を旅する夢を多く見ている気がするのは、実際には外国旅をしてないことの禁断症状(補償作用)だろうと思います。

先へ行くほど道のコンディションが悪くなっているのは、たぶん、今気がかりなことに対する不安かなと思います。でも、脚がついたバスはユニークです。タイヤなら泥にはまってしまいそうですが、脚がついていたなら、なるほど、泥道でも大丈夫です。

発想の転換ですね。たぶん、そのことです。この夢からのメッセージは。

タイという、明るいところが舞台であることも、この夢がけっして暗く絶望的な夢ではなく、発想の転換をして、この不安から乗り切れるのではないか、という楽天的な雰囲気を感じます。

ただ、その発想の転換は、そう簡単ではないのかもしれませんが。
 
 
 
 
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2017/09/22

業務連絡: 雑誌やテレビやイベント企画担当者様へ。来年は「戌(犬)年」です。

170922_1(岐阜県白川村荻町)

170922_2(長崎県南島原市の原城跡)

170922_3(愛媛県松山市の「目の見えない犬ダン」像)

170922_4(秋田県大館駅前の「忠犬ハチ公」像)


今日は、雑誌やテレビやイベント企画担当者様への業務連絡です。

大倉眞一郎さんと杏さんがナビゲーターをつとめるJ-WAVEの書評・トーク番組「BOOK BAR(ブック・バー)」で『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』が紹介される予定です。

放送予定日は23日(土) (22:00~22:54)

もし機会があったら聴いてみてください。撮影旅行中なので、俺は車中泊の車内で聴くことになるかな。予定では、福島県あたりにいると思います。

ところで、先日、ヴィーノの日本一周旅行で撮影したヴィーノのいる日本の風景写真が、雑誌で1年間連載するという嬉しい仕事が入ったので、そうかそろそろ来年用の企画を提案しなければ、そんな時期なんだなぁと思ったので、いくつか提案してみます。

来年2018年は、戌(犬)年です。犬→お犬→お犬さま→狼という連想で、犬から狼まで拡大解釈します。

そこで、雑誌やイベントの企画担当者様へ、来年戌年のこんな企画はいかがでしょうか。

● 街歩き企画 「関東のお犬像めぐり」 約50カ所のお犬像ゆかりの地を歩いてみようという企画。(以前ブログで詳しく書いています)

● 街歩き企画 「都会で狼を探してみよう」 ニホンオオカミは絶滅してしまいましたが、東京周辺には狼信仰の秩父三峯神社や武蔵御嶽神社の講の人たちが奉納した多くの狼像(お犬さま像)があります。都会のビルの中で出会う狼という意外性。

● グラビア企画 「アジアの犬たち」 中国雲南省、貴州省、広西チワン族自治区、インドネシア、スリランカ、ネパール、タイ、ラオスなどで出会った犬たちの写真で構成。

● グラビア企画 「ビーグル犬が紹介する日本の風景」 日本再発見の旅。犬が見た日本の風景ということで、ヴィーノが写りこんでいる日本全国、全都道府県の風景写真で構成。

● グラビア企画 「日本全国の犬像100景を訪ねる」 『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』をベースにして、さらに50カ所を追加して、100の犬像を紹介する。

以上、思いつく企画をあげてみました。他にも、犬・戌関係のアイディアはありますので、お気軽にお問い合わせください。
  
 
 
 
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全国の犬像と狼(お犬さま像) 【愛犬物語】, 写真, 心理学の話題, 文化と芸術について, 旅(日本), 映画・テレビ, 書籍・雑誌, 犬連れ旅や犬にまつわる話 | | コメント (0)

2017/09/02

麻生副総理「ヒトラーの動機は正しかった」発言とフランク・パブロフ著『茶色の朝』

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nifty NEWS 「麻生副総理「ヒトラーの動機は正しかった」発言」というニュースがありました。

「高須クリニックの高須克弥院長によるナチス礼賛ツイートが問題となっているが、今回はよりにもよって副総理の発言。国際的な非難を浴びるのは必至だ。」(nifty NEWSより)

フランク・パブロフ著『茶色の朝』という、約20年前、フランスでベストセラーになった物語があります。西ヨーロッパ全体に広がっていた極右運動への危機意識から書かれた物語でした。

「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、少しづつ周りが茶色に変わっていくのですが、主人公は、半分は疑いながらも、「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思い、まぁいいかとやり過ごしていると、突然、自分がその茶色にとらえられそうになって、初めて危機を理解するというもの。

「茶色」とは、フランス人にとっては、ナチスをイメージさせる色だそうです。

心理学には、「チェンジ・ブラインドネス(変化盲)」というのがあります。たまにテレビの「脳トレ」などでも行われるテスト、いわゆる「アハ体験」で、静止画の一部がだんだん色や形が変わっていくものですが、意外とそれに気が付くのは難しいというテストです。

ゆっくりした変化は気が付きにくい。でも、気が付いたときには取り返しがつかない状態になっているという怖さもあります。『茶色い朝』もその怖さの物語です。

ナチスがなぜ支持されたのか?

ナチズムは大量虐殺で「極悪」のイメージですが、当初ナチズムは、人間の理想形を求める思想でもありました。理想形を隠れ蓑にしているからやっかいなのです。

タバコやアルコールの害について啓蒙し、健康増進運動を展開、菜食主義や自然に親しむこと、子供を母乳で育てることの勧めなど、これだけ聞けば、なんて理想的な社会を目指しているんだろうと思ってしまいます。

だったら、これは良いことなのではないかと思うようになります。徐々に、徐々に。でも、それとセットになっているのが理想形から外れたものの排除です。

ところで、アメリカのトランプを筆頭に、世界的に、排外主義、民族主義、差別主義などが台頭しています。

何か不満があるときは、悪いのは「あいつのせいだ」とか「あいつらが悪かったからだ」と言って、責任は自分にあるのではなくて、外部に原因を作って攻撃し、留飲を下げるということは俺もあります。ちょっと気を抜くと、楽な方へ流されやすいというのが俺たちなんでしょう。

だからこそ、今周りが茶色になっていることに気が付き、流されないように、ふんばらないといけないのかもしれません。「茶色の朝」を迎えないために。

これらの思想に共通するのは、行きつく先は、自分が抹殺されるということなのでしょう。なぜなら、みんな、誰ひとりとして「理想形」ではないからです。そもそも人間の「理想形」などというものはないのです。
 
 
 
 
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2017/08/29

【愛犬物語 其の百八十六】 神奈川県川崎市 元住吉の「ブレーメンの音楽隊」像

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神奈川県川崎市の元住吉駅西口を出たところの商店街は、「モトスミ・ブレーメン通り商店街」といいます。

「ブレーメン」と聞けば、「ブレーメンの音楽隊」の童話が思い浮かびます。そして「ブレーメンの音楽隊」と言えば、ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリの動物たちです。「犬像」に関係するということで、訪ねました。

駅の入り口に、この「ブレーメンの音楽隊」像が立っています。台座の説明プレートにはこうあります。

「グリム童話で有名な『ブレーメンの音楽隊』をもとに、1952年、ドイツ・ブレーメン市庁舎の西側に、彫刻家ゲルハルト・マルクスによってこの像が建てられました。年老いた動物たちが、ハンザ同盟の貿易港であるブレーメンに職を求めて向かうという物語は、当時のブレーメンの繁栄とあこがれがよく伝わってきます。この像のロバの両足を両手でさわると、幸せがおとずれるという言い伝えがあります。」

また、裏側の説明プレートによると、

この像は、北海道中札内村の農村休暇村フェーリエンドルフの代表取締役 西惇夫氏が、2012年に寄贈したもの。ちなみに、1989年、ドイツにある像の型を採って制作したものだそうです。

ドイツ・ブレーメン市の像と同じものらしい。でもなぜ、ここがブレーメンと関係があるのか、調べてみたら、意外なことが…

1988年、元住吉商店街をリニューアルしたそうですが、そのときに、テーマを「中世ヨーロッパ風」として商店街の新しい名前を公募したそうです。それで採用されたのが「ブレーメン」なのです。だから「ブレーメン」が先にあったわけではないのですね。

1990年には「元住吉西口商店街」から「モトスミ・ブレーメン通り商店街振興組合」に名前が変わりました。

1991年3月には、ブレーメン旧市街のロイドパサージュ(商店街)と友好提携を結び、以来、長年交流が続けられてきました。

また、駅前の像とは別に、駅から200mほどいった商店街インフォメーションセンター前にも、「ブレーメンの音楽隊」像が飾られていますが、これは1998年、ブレーメン通り商店街の10周年記念に、ドイツ・ブレーメン市とロイドパサージュから贈られたものです。


ところで、「ブレーメンの音楽隊」の童話もいろいろと解釈されますが、心理学的にはどうなんでしょうか。

「高齢者の生き方やリハビリテーションを描いた物語という側面もある」というのは、精神医学の高橋正雄氏です。(『中高年の心理臨床』 p181)

動物たちは、結局、ブレーメンで音楽隊に入ることはやめて、途中の泥棒の家に住み始めますが、高齢者同士で助け合いながらいっしょに暮らすというグループホームに安住の地を見つけます。邪魔者扱いされた高齢者の話で、切なくなりますが。

彼らの中で、とくにロバが中心的な役割を果たしていますが、「専門家」としてではなく、同じ立場としての「ピア(仲間)・カウンセラー」的な支援をしています。他のメンバーに、魅力的な課題を与えて、新たな生きがいや生きる張り合いを感じてもらえるようなケアです。

そう言えば、像の説明には、「この像のロバの両足を両手でさわると、幸せがおとずれるという言い伝えがあります」という一文がありますが、まさに、ロバがセラピストであることを示唆しているということではないでしょうか。

いや、実際ドイツでは、ロバの臨床心理的な役割がちゃんと意識されているのかもしれません。

偶然なのですが、ロバには特別な思い出と感情があります。俺もロバに助けられたことがあるのです。あの小雪降る峠越えの夜、ロバ(名前は「ドン」)と俺は日本語で会話した記憶がある(頭が高山病と寒さと疲れでもうろうとしていた)のですが、確かにロバはピア・カウンセラーだったかもしれません。

「こんな目に遭わせて申しわけないね」
「いいよ、気にしなくて」
「疲れたろ?」
「ううん、まだだいじょうぶ」

ところで、これは【愛犬物語】なので、最後に犬の話を。

駅前の犬像を見て、あばら骨が浮いているので狼を連想してしまいました。痩せた猟犬というイメージでしょうか。越後柴犬の「忠犬タマ公」と似ていなくもないかな。

商店街のプレートの絵姿も、歯が強調されて、まるで狼のようにも見えます。でも、西洋では「犬」と「狼」は混同しないということなので、やっぱり、これは「犬」なのでしょう。

犬も、老いぼれてきて猟に出れなくなり、飼い主に殺されそうになった時、ロバにブレーメンに行こうと誘われます。

泥棒の家では、泥棒の足に噛みついたのが犬でした。犬は、「噛みつく」ことで、仲間の役に立つことができて、自分の存在意義を再確認したともいえるでしょう。

歯が強調されているのは、そのあたりが意識されているのかな。

若者と比べてもしかたない。歳はとっても、自分にできることをやれば、それでいいという自己肯定にもつながります。

それを気づかせてくれたのがロバ、というピア・カウンセラーだったようです。
 
 
 
 
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2017/08/20

大混乱のアメリカ

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アメリカは大混乱です。

大統領によって、こんなにも国が変わるのか、と驚きます。

「人は見かけが大事」というのを、負の面から示しているのがトランプと言えるでしょう。白人至上主義、人種差別はまさにこれです。

必ずしも見かけで判断することが悪いことではないし、いや、これがあるからこそ、瞬時に敵か味方かを判断することができる、動物が生き残るために獲得した術だったということでもあります。

日常的に、俺たちは人を見かけで判断します。「男か女か」とか「白人か有色人か」とか、または「ハゲか、ハゲでないか」などなど。見かけが似ている者同士は親近感・安心感を覚えます。反対に見かけが違うと恐怖感・不信感が生まれます。

見かけは目立つのです。わかりやすいのです。たとえば、「思想」や「思考」などは、その人の行動をしばらく見てみないと、外見から判断するのは難しい。時間がかかります。

にもかかわらず、見かけによってその「思想」や「思考」も推理して判断してしまおうとします。まぁ、ぼやぼやしてたら、こちらの身に危険が及ぶかもしれないので、しかたない面もあります。そのとき、その人が持っている判断の偏りが差別につながります。

この偏りがない子供は、だから、差別はしません。差別は、学習です。あとで大人から学びます。大人がその判断の偏りを教えているのです。とくに悪い方への偏りが問題です。

でも、人類はもっと賢くなりました。同じ見かけの人間が必ずしも同じ思想・思考を持っているわけではないのは当然だし、見かけだけではなく、いろんな種類の人間がいた方が、人類が生き残れるのだということを学んできたはずなのです。

なぜアメリカが世界一番になれたのか。それはいろんな人間たちがいたからということではなかったのでしょうか。アメリカがアメリカである一番大切な部分を否定しているトランプです。

白人至上主義的、人種・宗教差別的発言をずっと繰り返してきたトランプですが、今回のことは決定的かなと思います。経済界からも匙を投げられたことは、雇用を守ると言ってきたトランプには致命的でしょう。「弾劾」の可能性が高まってきました。

トランプは、支持者さえつなぎとめておけばいいと考えているんでしょうが、雇用がうまくいかなくなったら、その支持者さえも反旗を翻すでしょう。たぶん、それは「倍返し」です。恐ろしいことが起こるかもしれません。

ただ、支持者のなかでも、コアな支持者は、トランプを非難することはなく、むしろ逆で、ますます団結し、白人至上主義、人種・宗教差別主義などの正当化を進めるのかもしれません。

トランプ支持者をカルト集団と比べるのはどうかと思いますが、こんな研究があります。

それは、オウム真理教でもそうでしたが、カルトなどの集団は、外側からの圧力が強まるほど、内側の団結力が強まるという心理学的研究です。

トップがだめだとわかっても、コアな支持者は、トップを否定することは自分のすべてを否定することになってしまうので、かえってトップをほめたたえ、熱狂するということがあるようなのです。

この研究は、新興宗教内部に潜入し調査したレオン・フェスティンガーらによる『予言がはずれるとき』というもので、「認知的不協和理論」を唱えました。現実は変わらない、なら、自分の認知の方を変えてしまって、心の安定を求めるという理論です。
 
 
 
 
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2017/07/17

夢日記 「人型の光」

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久しぶりで印象的な夢を見ました。

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同心円状に後光を発している人型をした光が見えた。

男の上半身らしい。

それを見て、俺は「この人は知っている」と思った。

神々しい感じで、胸が苦しくなる。

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この神々しく光る人型を見て、俺は「知っている」と思っています。そこには、何か物語があって、それが救いになっている(知っている)、といった意味ではないかなと、解釈します。

最近は、オオカミ伝説や犬の忠犬物語を探していますが、あまりそれが史実かどうか、ということにはこだわらなくなりました。

ただ、それが語られている、ということが何らかの意味があり、その語る人たちにとっては大切なのです。きっと心の現実を表しているからでしょう。

昔話だけではありません。たとえそれが幻想であっても、ある物語を信じることは、生きる希望を持つためには必要とも言えます。
 
 
 
 
 
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2017/07/08

現代版お犬さま(狼)の物語。「自然」「安産」「絆」のシンボル

「オオカミ」を「お犬さま」と呼び替えるところは日本的だと思います。「オオカミ」よりも「お犬さま」の方が優しく感じるし、親しみがわきます。

牧畜業が盛んでオオカミ被害に悩まされた欧米で、オオカミと犬を混同することはないそうです。欧米とは違い、日本の場合、オオカミはあくまでも益獣でした(馬産地を除いて)。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

犬との雑種がいたようです。もともと、「山犬」とあいまいに呼ばれた動物は生物学的には「ニホンオオカミ」のことですが、山には、オオカミもいたし、オオカミと犬との混血もいたし、山で暮らす野犬もいたし、なかなか区別はつけにくかったのではないでしょうか。

だから「お犬さま」というのは、生物学上の「ニホンオオカミ」だけではなく、こういったいろんな「山犬」を含んだ、「お犬さま」という抽象的なイメージが、大口真神、あるいは、山の神の使いとして信仰されてきたということなのでしょう。

ただ、ニホンオオカミは、絶滅したと言われています。(生き残りを信じる人もいます)

少なくとも、害獣を防いでくれる益獣としての役割は終わっています。江戸時代には、どちらかというと、火災や盗難を防いでくれるとか、狐憑きを治すのに効果があるとか、コレラに効くとか、そういった方向に変わってきました。

物語や信仰は時代とともに変化しています。時代に合った生きた信仰であれば、これからも続いていくでしょう。この「お犬さま信仰」という文化を廃れさせてしまうのは、もったいないと思っています。

では、何か、新しい物語はできるのでしょうか。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、ニホンオオカミの絶滅原因について書かれていました。要約すると、次の5点があげられるようです。

1: 狼に対する人々の観念の変化がありました。古代から「大口の真神」とたたえられ、田畑を荒らす猪鹿を退治する農耕の守護者としてあがめられてきたニホンオオカミも、狂犬病の流行で、危険極まりない猛獣と化したのです。

2: 危険な猛獣、ニホンオオカミは銃器の対象になってしまいました。

3: 銃の威力は鹿などにも向けられ、結果的に、オオカミの食料を奪うことに繋がりました。

4: 開発で、森林が切り開かれて、縄張りを喪失することになりました。

5: オオカミの美点とされる、夫婦親子などの愛情深い集団生活のために、狂犬病は伝染しやすかったことです。

この「5」の理由ですが、皮肉なことです。家庭を大切にするオオカミが、そのために絶滅を招いてしまったとは。単独行動していたから病気があまり広がらなかった熊とは対照的です。

柳田国男は、群れの解体で絶滅したという説を主張しましたが、平岩は、習性や行動を知らないための無謀な憶測だとバッサリ切り捨てています。事実は逆で、オオカミは「群れの解体ではなく、親密な群れの生活のために滅びたのである」と言っています。

オオカミの家族愛や強い仲間意識、集団行動については、別な本でも読んだことはあるのですが、人間はオオカミからこの集団行動を学んだおかげで、生き残った、みたいな説があったような気がします。犬を飼っていなかったネアンデルタール人は、だから滅んだというのです。

このように、家族・友人など集団生活を営む「絆」の象徴として「お犬さま」の物語を作り直すことができるのかもしれません。現代の物語として、です。

もちろんパワースポットという形の新しい自然崇拝のひとつのシンボルとして、そして、もうひとつは安産・多産のシンボルとして、「お犬さま」が物語られるということは当然です。

 
 
 
 
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2017/07/02

【愛犬物語 其の百五十六】 埼玉県川口市 「土下座犬」と誤解された東川口駅前の親子犬像

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東川口駅前に、犬像があります。

ネットでも話題になったらしく、検索すると画像はたくさん出てきます。話題になったのは「土下座犬」と呼ばれるようになったかららしいのですが…。

そこで、2冊目の『犬像』の本で取り上げる可能性もあるので、きちんと像のことを知っておきたいと思い、川口市市役所で聞いたところ、2、3年前に「土下座犬」として話題になったようですが、あれは子供を見守る親犬の像です、とのこと。

ただ詳しい資料なども残ってないし、設置当時の関係者ももういないということで、ネット以上の情報はいまのところありません。

子ども犬の方をよく見ると、チョークのような棒を手にして地面に何かを描いています。(左利きのようです) 地面に絵を描く子どもを優しく見守る父親犬というテーマなのだそうですが、ネットでは、これを「土下座犬」と呼んでいて、「資本主義の縮図」とまで言っている人もいます。

たしかに、小さい犬が大きい犬に土下座をして謝っているふうにも見えてきます。

ただ、その土地の文化や人々の無意識があるものを、そう見せるということは明らかで、これを「土下座」と見るのは日本人的だなぁと思いました。なぜなら、土下座がない欧米人がこれを見たら、これを「土下座犬」とは見ないからです。

おそらくこれを最初に「土下座犬」と表現した人は、土下座に対して敏感な人、あるいは実際に、土下座をさせられたり、土下座を見たことがある人なのかもしれないですね。(テレビドラマではよくありますが、現実で見る機会は普通ないでしょう)

せっかくのほのぼのとした像を「土下座犬」に曲解するなんて、と、そう思うかもしれません。

ところがです。

実際、この像を見に行って気が付きました。見守っているはずの父親犬の視線は、子犬には注がれていなかったのです。父親犬の視線は、子犬を通り越して、ずっと遠く、植え込みあたりを見ているのでした。

だから俺には、父子家庭の父親が、子供を見守りながら、別れた奥さんのことをボーッと思い出しているシーンに見えてきました。

これもまた、俺の無意識が、そう見せる、ということなのでしょう。

人によって、これは「親子愛の像だ」とか「ほのぼのとした日常風景を表現した像だ」とか、それこそ「資本主義の縮図の土下座犬だ」とか、アート作品の見方がそれぞれ違うのは当然のことなのでしょう。

アートが人々の生活に潤いを与えることも必要ですが、それと同時に、社会に風を吹かせ、ざわつかせる、もっと言えば、社会を壊すこともアートの役割ではないのでしょうか。

そういう意味で、誤解を生むほど話題になったこの像の作者の意図がどこにあったかわかりませんが、アートの存在意義としては十分大きなものがある像だと言えるのかもしれません。
 
 
 
 
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2017/06/26

山梨県忍野村 真夜中の「田毎の月」と「妖怪」

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富士山が見える棚田の一ヵ所、忍野村の内野の棚田は、何度も訪れていますが、通過した日、ちょうど満月だったので、夜中「田毎の月」を鑑賞することにしました。

残念ながら、午前3時ころから雲が出てしまい、月も隠れてしまいました。なので、明け方の富士山は見えませんでしたが、「田毎の月」は、美しくもあり、怖くもあり、ということをまたひしひしと感じる場になりました。

内野の棚田は民家からは離れているので、夜中は真っ暗です。平らなところなので、日中来れば、明るく開放的なのですが、さすがに夜中は少し怖い。

実際、何かが鳴くのです。そしてバサーッという空中を行き交う羽のような音が。しかも巨大な羽の音です。

月明かりを頼りに暗闇に目をこらしてみてもわかりません。そして聴こえたことも、ほんとうだったのか?と、だんだん自信がなくなってきます。俺自身が怖がっているので、そんな音を聴いてしまうのではないかと。

暗闇は、人間を無意識の世界へと導いてくれるようです。

今、なかなかこういう体験ができなくなっています。たとえば、コンビニは24時間煌々と明かりがついて、暗闇を無くします。夜がない、闇がない世界なのです。

ゲゲゲの水木しげるさんも言っていました。

「最近の日本では闇がなくなり、妖怪は見られなくなりました」

妖怪は想像と現実の狭間にいるものなのでしょう。

人間の心は、意識している部分はほんのわずかで、もっと大きな無意識の世界があるというふうに言われています。無意識からのメッセージが「妖怪」という形になって現れるのかなと。

水木さんの「ぬりかべ」誕生のエピソードは面白い。戦地で逃げていたとき、突然コールタールのような壁にぶつかったそうです。しばらくそのままでいて、気が付くと、その先は断崖絶壁でした。

「ぬりかべ」が水木さんを助けてくれたのです。「目に見えないもの」を信じる水木さんには、それが妖怪に思えましたが、これは無意識の内なる声とも解釈できるのではないでしょうか。

怖い存在なんだけど、実は人間を救ってくれる存在でもある、その微妙な感じ。水木さんの妖怪漫画は、その微妙なところをキャラクター化していたからこそ、多くの人に受け入れられたということではないでしょうか。「怖いんだけど、愛らしい」というのがまた妖怪です。

その妖怪がいなくなったのは、「闇」が失われたから。真夜中でも煌々と照らされた明かりの中で妖怪が生きていくことはできず、それは「便利」なのかもしれませんが、別な見方をすれば「現代文明が抱える病」でもあるかもしれません。

「闇」を遠ざけようとしても、やっぱり人間の心には意識できない部分があって、それが時々襲ってくるのです。それを解放してやる場がない。闇の澱は心に溜まっていくばかりです。そして突然びゃーッと吹き出します。

内野の棚田で聴いた何かの鳴き声と羽音は、きっと俺の無意識が生んだ、何かの表現だったのではないでしょうか。これを「妖怪」と呼んでも、それほど間違ってはいないのでは。

月を見ると精神的におかしくなるという世界的な言い伝えは、こういう体験をすると、なんとなくわかるような気がします。
 
  
 
 
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