カテゴリー「心理学の話題」の174件の記事

2019/06/17

マレーシア・ペナンの旅(01)「ワンダーラスト治療旅」のペナン島

「Air」が「空気」ではなくて「水」の国へやってきました。

当然ながらエアアジアを使うということになりました。

昨日、23時45分に羽田を出た飛行機は、早朝クアラルンプールの空港に着いて、トランジット2時間で、ペナン島まで。とりあえず蒸し暑いです。

5日間という短い旅ですが、海外旅と縁遠くなってしまった最近の事情からすれば、貴重な旅です。やっぱり外国旅は、ワンダーラストという病気治療には欠かせません。いや、「治療」ではないですね。ますますワンダーラストが進むということです。治療法はないです。

この病気が治らないことは、作家ジョン・スタインベック先生もおっしゃっています。

『チャーリーとの旅』(愛犬チャーリーとアメリカ一周、16000kmの旅行記)の中に、歳を取って落ち着くかと思いきや、そんなことはなく、旅人はいつまでたっても旅人だ、年齢なんて関係ないというスタインベック先生のお言葉があります。

自分が外国へ出ると生き生きしてくるのを感じます。それは今回いっしょの妻も同様のようです。(ヴィーノは置いてきました)

 

 

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2019/05/28

エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』

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2019/2/19に出版された、エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳の『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』を読みました。

エリ・H・ラディンガーは、女性弁護士から転身してオオカミの保護活動を行い、講演会・セミナーなどで「オオカミと自然や生態系についての知識」を広めている異色の作家だそうです。

彼女の「 転身」の理由そのものが、この本のテーマと言ってもいいのかもしれません。

 犬の家畜化についてはいろんな説がありますが、これは、さすがに女性の目からみた説だなぁと思います。

「オオカミを社会化するために、つまり、最初から人間に慣れさせるために、赤ちゃんを早期に母親から離す必要がある。私たち職員は赤ちゃんの乳母であり、哺乳瓶でミルクを与え、毛づくろいや添い寝をして、数週間後に家族のもとに戻す。これは家畜化ではなく(家畜化は数万年を要するプロセス)早期感化であり、こうして育ったオオカミの大人は人間を怖がることはない。(略)
 はるか昔に人間の男がこのようにしてオオカミの赤ちゃんを感化したということは考えられない。なぜなら、ミルクを与えることがそこに含まれるが、家畜のいない時代は女性の乳しかなかったからだ(牛・羊・山羊・豚の家畜化は、オオカミより遅い)。つまり大昔のある日、ある女性がオオカミの赤ちゃんを抱いて母乳を与えたということになる。母乳が余っていたのか、それとも見捨てられた無力なオオカミの赤ちゃんをかわいそうに思ったのか。何も予期せずに人類に革命をもたらしたことになる。というのも、オオカミに続いて有用動物が家畜化され、狩猟から牧畜へと移行することになったから。こうして歴史は新しい針路をとった。」

といいます。さらにこう続けるのですが、

「もしかすると、進化における特別な役割のことがいまも記憶に残っているため、私たち女性はオオカミに親近感を抱くのかもしれない。」

ちょっとここは「女性」であることを強調しすぎの感があります。女性だけがオオカミに親近感を持っているわけではないでしょうし。

まぁ違った見方は何事にも大切です。結局は「説」でしかないわけですが。犬がオオカミから家畜化されたストーリーは、証明のしようがありません。だから、我々素人が勝手に想像することも自由です。

ところで、この本で一番共感できたところは次の箇所です。

「オオカミは家族がいなくなると悲しむ。だれかが死んだり姿を消したりすると、困惑して捜索する。攻撃的になることもあり、嘆きをこめて遠吠えをくり返す。でも、やがては振り払い、立ち上がってそれまでの営みを続ける。生活のリズムに従って獲物を狩り、食べ、生殖し、家族の面倒をみる。自然界のあらゆる生物がするように、いま、ここに生きていることを祝う。この能力を失ったのは人間だけではないだろうか。将来のことを思い煩い、過去に埋もれて生活している。もっと現在を生きればいいのに。動物たちからそれを学べるので、一歩さがって観察すればいい。彼らをあるがままにさせ、彼らから学び、いっしょに成長する。」

そうだよなぁと、ここに共感しました。

犬恐怖症だった俺が、ヴィーノと出会い、ヴィーノと暮らすようになって思ったことは、どうしてヴィーノはこんなにふてぶてしいくらい自信に満ち溢れているのだろうか、という感覚でした。この自信はどこから来るんだろうと、ずっと考えてきました。

そして彼女が言っているようなことを俺も感じ始めているのです。

人間の不幸は、過去と未来に縛られることです。先日も少し触れましたが、犬は、いや、オオカミや他の動物も、現在をせいいっぱい生きているということなんでしょう。

昔はできたのに、今はできなくなって悲しいとか、今これを食べてしまったら、明日のごはんがなくなって困るから、残しておこうとか、過去や起こってもいない未来のことを煩い、心配し、悩む。まさにこれがマインドワンダリングで、そういう雑念を払うことで精神衛生をいい状態に保つというのは、認知行動療法でもやったことです。

養老孟司さんと池谷裕二さんの対談で、「時間」というのは人間の脳の中にしかない、といったことを話していましたが、多少の時間の観念は犬にもあるとは思います。いや、時間の観念はあるけど、それを人間のように「単位」にはしないということではないのかな。人それぞれに進んでいる時間を、同じ「単位」で測ってしまうところに人間の不幸は生まれる気がします。犬たちは、自分に流れる時間をそのまま受け入れるだけで、けっして他の人(犬)と比べたりはしていません。

こんな体験があるんじゃないでしょうか。夢中になって何かをやっていると、あっという間に時間が過ぎていること。夢中でやることで、過去も未来もなくなる、時間が無くなるという感覚ですか。たぶん、こんな感じが動物の「今をせいいっぱい生きる」ということと近いのではないかなと思うのですが。

 

 

 

 

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2019/05/20

犬は時間を気にしないのか

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「ほぼ日」から発行する絵本『生きているのはなぜだろう。』を前に行われた、養老孟司さんと池谷裕二さんの対談。

https://www.1101.com/yoro_ikegaya/2019-05-13.html

対談で、犬が時間の観念がないんじゃないかという話が出てきます。

「昨日とか一昨日という概念は、犬には絶対にないです。明日と明後日の区別つくのって、おそらく人間だけじゃないでしょうか。」

「時間が人間のようにしっかり流れてるのは人間だけ、ということは、「時間というものは、人間の脳にしか存在しない」ということです。つまり、時間は人間だけがもつ幻想である、ということになります。」

確かに科学的にはそうかもしれません。俺もそう思います。でも、一方で「日」「月」「年」単位の時間ではなく、もっと短い時間の観念はあるんじゃないかなとも思っています。

ヴィーノは、意外と「待て」が得意です。今までで一番長い「待て」は、犬のイベントで参加した「待て大会」。ボーダーコリーなど、賢い犬たちに交じって、ヴィーノも奮闘しました。惜しくも優勝とはなりませんでしたが、でも、「待て」は得意なんだなと知ったのでした。

人間は同じように「待て」を命令されたら、昔のことを思い出して、しばらく待てば、あとでこのおいしいおやつを食べられるんだ、だから我慢して待っていようと考えるでしょう。でも、「待て」がいつまでも解除されずに、5分くらい続いたらどうでしょうか? こんなに長い時間待っているのに、まだかよ!とイライラしてくるに違いありません。

このように、俺たちは時間を気にしています。ヴィーノを見ていると、同じように長い時間が経つほどイライラしているのを感じます。もし時間の観念がまったくないのなら、何分「待て」させられようが関係ないはずです。「待て」を命じられたら、「よし」をいわれるまで、ずっと待っていられるのではないでしょうか。

こうしてヴィーノを見ていると、ほんの短い時間ですが、少しは時間の観念があるようにも感じます。感じているのは飼い主だけなのかな。

どんな実験をすれば時間の観念があると証明できるのでしょうか。こいういう課題も心理学(比較行動学)で習ったはずです。考えてみます。

 

 

 

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2019/05/13

芥川賞『ニムロッド』のテーマ、AIと人間について

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第160回芥川賞に『ニムロッド』が受賞しました。まだ作品は読んでいませんが、著者の上田岳弘さんがインタビューを受けているのを見て、いろいろと考えさせられました。内容はどうかわかりませんが、テーマとしては興味があることです。

AIで効率化が進むと、人間はどうなるのか? それでも人間でい続けることができるのか。

「やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して」 

どうなるかは誰もわかりませんが、個が無くなるという感覚はなんとなくわかる気がします。

以前、脳を100パーセント使う『ルーシー/LUCY』や『リミットレス』という映画について書きましたが、その映画では、脳が100パーセント使われるということは、肉体が必要なくなる、つまりは個がなくなり、「全体」に溶け合うということらしいのです。

ところで、オーストラリア先住民アボリジニーには「犬のおかげで人間になれる」ということわざがあります。気に入っていることわざで、時々引用させてもらっています。

このことわざは、テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』に載っているものです。

どういうことなのでしょうか? 本から要約します。

考古学によって、人間が飼い犬を埋葬するようになった1万年前から、人間の脳が小さくなったことがわかったというのです。(犬の脳も小さくなりました)

人間の脳のどこが小さくなったかというと、

「人間では、情動と知覚情報をつかさどる中脳と、嗅覚をつかさどる嗅球が小さくなり、一方、脳梁と前脳の大きさはほとんど変わっていない。」

だそうです。つまり、犬と暮らすようになって、こういうことが起こったようです。

「犬と人間の脳は専門化されたのだ。人間は仕事の計画と組織化を引き受け、犬は知覚の仕事を引き受けた。犬と人間はともに進化して、よき伴侶、よき仲間、よき友達になったのだ。」

犬は番犬、猟犬としての能力が重宝がられたはずなので、そういった番犬として、猟犬として、暗闇から敵を見つけたり、匂いで他の動物の接近を知ったり、獲物を探したり、という知覚能力を犬に頼ることができるようになったので、人間はその部分の能力を退化させたということのようです。

これが「犬のおかげで人間になれる」という意味のひとつです。お互いが補完しあう関係ですね。(ネアンデルタール人が滅んだのは、犬を飼わなかったからだ、という説まであります)

と、いうことは、もしかしたらAIによって、人間は犬を飼い始めたときのような大変革の時期に差し掛かっているのかもしれません。

今のAIによって、人間の能力を補完してくれるならば、人間は、そこはAIにお任せして、別なとこに能力を使えるようになる、とも言えるわけです。人間とAIは、犬と暮らすことで脳が専門化したように、お互いの能力を住み分けるのです。

例えば「計算」はAIには絶対かないません。「計算」でAIに勝とうとしても無理です。ここはAIに任せたほうがいいでしょう。

だから、たんに「AIで仕事を奪われる」などと悲観している人は、すでにAIに負けています。いや、勝ち負けではないですね。あくまでも「補完」なのです。お互いが必要不可欠な「仲間」と言ってもいいでしょうか。

どんな能力の発展が人間に可能なのかはわかりませんが、たぶん、AIには一番不得意な分野であるのは確かでしょう。じゃぁ、何が不得意かというと、「あいまいさ」ではないでしょうか。この「あいまいさ」はAIと比べて人間の得意分野だからです。「芸術」「宗教」などはその典型かもしれません。

まぁ俺は預言者でも占い師でもないので、この「あいまいさ」が、未来、どういった人間の姿を造り上げるかはわかりません。

ただし、「補完」関係ならまだ人間であることは可能でしょうが、それも進んで、もはや「補完」ではなく、すべてがAIが優先するなら、もう人間は必要ありません。まったく本末転倒な話ですが、ある意味、幸せなのかもしれないですね。今の人間の不幸は「悩む」ことにあるとも言えるだろうし、その悩みがなくなるのです。AIが答えを用意してくれるわけだから。

そういう新しい価値で生きる新しい動物が、その時代の「人間」なのでしょう。AIもまた犬と同じように「人間」を作るのではないでしょうか。

そして、その新しい価値を拒み続ける「人間」は、「旧人」として絶滅していくのかもしれません。俺も絶滅する「旧人」側になるんでしょうね。

 

 

 

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2019/04/27

時間的ヒューマンサイズ

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引っ越してきて、市で公開しているハザードマップを見ました。一応、住んでいる周辺で土砂崩れや水害はなさそうです。

地震ばかりはわかりません。令和になってすぐ地震なんてことはないと信じたいところです。でも、さいたま直下型地震もありえるようです。断層があるようなのです。

若いころ、ビルの窓拭きのバイトをしていたという話は以前も書きましたが、今日はある感覚の違いについて書いてみます。

ビルの窓拭きは命がけの仕事でした。でも、このアルバイトは性に合っていたらしく、ずいぶん長く続けていました。いや、このバイトがなかったら、旅をして写真を撮るということはできなかったでしょう。2ヶ月休んで旅に出ても、また帰国したら雇ってくれたし。

このバイトでとくに好きだったのは、品川駅前のパシフィックホテルの屋上36階から眺める「下界」の現実感のなさでした。こういうバイトしていると、「怖くないんですか?」とよく聞かれました。でも、36階になると、かえって怖くなかったですね。下に見える車や人が、玩具や蟻ん子に感じます。自分と彼らはどこかで断絶していて、違う世界に感じるのです。むしろ、10階くらいが一番怖い。

そこに俺はあることと似ているなぁと感じてきました。

関東でもいつか巨大地震は起こるとずっと言われています。ただ、「今じゃない」、「今日じゃない」、「たぶん明日でもない」と思っていますよね。でも、「いつやって来てもおかしくない。今、来るかもしれない」という反対のことも、ちゃんと頭ではわかっているのです。

10年後にはすでに起こっているかもしれないと思うでしょ? 100年後ならもっと確実でしょう。でも、明日くらいまでは「ない」と信じてしまう。どうしてなんだろう?

「未来」に対するふたつの違う感覚が、共存しているような気がします。そこがどうも、高層ビルで眺める下界に現実感がなくなる感覚と俺には同じなのです。高層ビルは「空間」で、地震の方は「時間」という違いはあるけれど。自分の手で触れられそうな「未来」と、触れられない「未来」とでも言うんでしょうか。

人間は飛行機やロケット、電話やインターネットで、活動範囲が「広くなった」と感じていますが、実際の生活では、どんなに遠くのことを想像しても、手で触れられる「ヒューマンサイズ」の範囲のことしか本当はわかっていないのかもしれません。

このブログが、地球の反対側のブラジルで見ることができて、実際見ている人がいると知っても、あまり現実感はないし、この部屋で、このキーボードを打っていることしか俺の体は知らないんです。これは空間の話ですが、時間に関してならなおのこと。「過去」はわかるけど「未来」はだれにもわかりません。

たぶん、手で触れられそうな「未来」には責任を持たなきゃならないことを気がついているから「地震はない」ということにしておかないと、とんでもないパニックに陥ってしまう。でも、触れられない「未来」には、責任も感じなくてすむので、「地震は確実に来る」と断言することができる。

俺たちは、ある範囲、つまり「ヒューマンサイズ」を越えたものに対して、現実感をあえて持たないようになっているのかもしれないですね。じゃないと、頭がおかしくなってしまいます。飛行機になんか乗れなくなってしまいます。一種の心の自己防衛手段ではないかなと思っているんですが。

だから、いつか巨大地震は来るとわかっていても、俺は平気で生活できるんでしょうね。

 

 

 

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2019/04/18

『オオカミは大神 狼像をめぐる旅』本日発売

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待ってました、この日を。

とは言え、amazonではkindle版が先行販売されていたようですが。

とにかく、1月下旬からの3か月間、かなり集中して今回の本を作り上げました。

先日も書きましたが、出版社の社長が言うには、最速だったということです。でしょうね。俺もこんなのは初めてです。

もちろん、ブログで記事を書き続けていたことがベースにあったので、まったくのゼロから書き上げたというわけではありません。

日々の積み重ねが大切なんだなぁとあらためて思います。速く文章を書く才能があるとは思ってないですし。

 

Amazonのページはこちらです。 

 https://www.amazon.co.jp/dp/4635821382

 

単行本(ソフトカバー): 160ページ
出版社: 天夢人 (2019/4/18)
言語: 日本語
ISBN-10: 4635821382
ISBN-13: 978-4635821384
発売日: 2019/4/18
梱包サイズ: 20.8 x 14.8 x 2 cm

 

内容紹介

オオカミに対する関心が高まる昨今、狼信仰の影響を色濃く遺す狼像を求めて、関東はもとより東北、関西など各地を訪ねて写真と文章で表現した渾身のフォト・ルポルタージュ。

各地に遍在する狼像の存在に関心を抱いた「旅する写真家」が、実際に現地を訪ね、徐々に日本人とオオカミ=大神との関わりの深さに目覚めていく体験を、読者は追体験できるだろう。

軽妙な文章と、情緒あふれる多様な狼像の写真でめぐる、失われたニホンオオカミの記憶を掘り起こすユニークな旅の記録となっており、読者が狼像を訪ねるガイドブックとしても役立つ。

 

【目次】
I オオカミとの出会い
・椋神社のオイヌゲエとは? 狼の棲む秩父桃源 オイヌゲエをハシゴする お犬さま信仰の三峯神社と武蔵御嶽神社

 

II 狼像の聖地へ
「ニホンオオカミ」から「お犬さま」へ 関東平野の狼像
・東京都渋谷区 宮益坂御嶽神社/台東区下谷三峰神社/杉並区宿町御嶽神社/足立区千住神社三峯神社/足立区上谷中稲荷神社三峯社
・荒川区三河島三峯神社/練馬区土支田八幡宮 御嶽神社/練馬区八坂神社御嶽神社/大田区多摩川浅間神社三峯神社/茨城県ひたちなか市平磯三峯神社/茨城県筑西市三峯神社
・奥多摩のユニークな狼像 東京都檜原村・あきる野市臼杵神社/東京都あきる野市小和田御嶽神社/東京都檜原村鑾野御前神社と貴布禰神社
・東京都檜原村大嶽神社の里宮と本社 七ツ石神社の再建プロジェクト

 

III 大神への祈り
・岐阜県と静岡県の狼信仰
・東北地方の狼信仰
・西日本の狼信仰
・[コラム]狼の伝説― 送り狼/狼の恩返し/鍛冶屋の婆

 

 

 

 

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2019/03/17

「ヤドカリのジレンマ」

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引っ越しすることになって、今、何かに憑かれたようにものを捨てています。気持ちいいです。ドーパミン出ているんでしょうか。

この15年間でたまったいろんなものですが、今では使わなくなってしまったフィルムやスライド、外国で買った本、パンフレットの類、日記などです。

最初は、「資料」だからと思って、捨てるのを躊躇していたのですが、この前アップした中国で買った少数民族関連の本と同じで、15年で使わなかったものは、これからの15年で使うとは思えません。

それとフィルム・スライドを保管していたロッカーや、本棚、食器棚、テーブルなども、市の粗大ごみ回収に出しました。

結局、必要なものはごく限られたものなので、たくさん捨てても、生活に支障はありません。むしろすがすがしい。身軽になった感じです。ある意味、これは「終活」の一部でもあるのかもしれないですが。

捨てるものがだんだん無くなってきたのですが、捨てることの快感が忘れられず、要るものまでも捨てそうで怖いです。

行きつくところ、必要なのは、バックパック1個に収まってしまうんだろうなぁと。実際それで半年も旅できたんだから。

これは「ヤドカリのジレンマ」ですね。

ヤドカリもジレンマを抱えながら生きています。大きな家を持つほど、重たくて移動しにくくなる、ということ。快適さを追求すればするほど、不快になっていくというジレンマです。

いろんな便利なものを増やせば快適になるかというと、そうでもありませんね。要はバランスなんでしょうが、人によって最低限必要なものはかわってきます。
 
 
 
 
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2019/03/01

今日は、『オオカミは大神』のキャプションと「おわりに」

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『オオカミは大神』で使う写真は、220点ほどになりました。

このうち、195点ほどにキャプションを付けます。昨日からやっていますが、数が多いので、まだ終わっていません。

あとは「おわりに」も。

「おわりに」は、狼像に魅かれる個人的な話を書こうと思います。

犬=陽・明・意識・現実
狼=陰・暗・無意識・異界

犬と暮らしているので、犬と狼をいつも対比して見てしまうようなところがある、という話です。
 
 
 
 
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2019/02/14

旅行記・エッセイ 『ワンダーラスト : 旅と写真は私のセラピスト』

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去年末から書いてきた『ワンダーラスト : 旅と写真は私のセラピスト』を電子書籍としてKindleから出しました。


https://www.amazon.co.jp/dp/B07MZJ8KVM


この本は、旅や写真に関する旅行記とエッセイの形をとっています。

20代に旅を始めましたが、会社に就職することもなく、「写真家」という立場でずっと旅をする人生を歩んできました。

旅に出たくてたまらない病「ワンダーラスト」という病を患いながらも、旅や写真が、こころを安定させてくれるセラピーの役割を持っていて、それを知らぬ間に自分で実践してきたことに気が付きました。そのきっかけは、心理学を学び、3年前に「認定心理士」の資格を取得したことです。

ワンダーラストの他にも、棚田や雲南省に行きたくてたまらない「棚田病」や「雲南病」などの病について書いた後は、「人生最初の旅」とはどういうものだったのか? 何か旅にこだわるきっかけがあったのか? ワンダーラストになる資質はあったのか? 子どものころや20代のころは旅をどういう風に感じていたのか? 記憶を頼りに思い出しています。

とくに、大学4年のときに出た最初のヨーロッパの旅について書きました。これがその後の旅人生で、大きな転換点になったことは間違いありません。良くも悪くも、この旅で、それまでの自分の常識が覆されてしまったのです。

あとは、「ワンダーラスト」や「セルフセラピー」や「写真療法」というキーワードにした文章、犬連れ日本一周の車旅で出会った冒険家のことや中国新疆ウイグル自治区、カラコルム・ハイウェーをロバ車で旅した旅行記も書いています。

ワンダーラストじゃない人には、あまりお勧めしない旅の話です。
 
 
 
 
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2019/01/28

Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」

01_99img_9694(これはセラピー・ドッグ チロリの像)


Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」を観ました。

難病の女の子とセラピー犬・ベイリーの物語です。

ハワイで訓練を受けたベイリーはオスのゴールデンレトリーバーで11歳、日本初の大病院専属セラピー犬で、これまで3000人以上の病気に苦しむ子供に寄り添い、心を癒してきたそうです。

女の子は、ベイリーがそばにいることで、痛さや苦しさを癒され、退院することができました。ベイリーは、女の子の退院と同時に引退することになりました。

番組では、なぜ、犬と人は互いに愛情を感じ合い、心を癒やし合うのかという理由を最新科学で解き明かしています。

犬は、人間と同じ喜怒哀楽を読み取る脳の部位が活性化するらしい。

以前、「愛犬と見つめ合ったら…… 愛情ホルモンで絆が深まる」(Nifty News)というニュースがありました。

「一般的に動物のアイコンタクトは「威嚇」のサインであるのに対し、ヒトと犬の見つめ合いは「愛情」のサインだ。お互いが相手の目に浮かぶ感情に応えることで、一方的な支配-被支配関係とは違う双方向の絆を生みだす。」

だそうです。俺も、ヴィーノと見つめあって、威嚇の感情は感じていなかったので、この記事を読んで、「やっぱりなぁ」と納得できたのです。

見つめあうと、オキシトシンというホルモンが出ることは知られていますが、それが人間側だけではなく、犬側でも出ているということがわかったのです。

犬も人間で癒されているわけですね。だから寄り添う。別に、人間だけのためではなかったというところが興味深いところです。

犬は、犬自身で、人間のそばにいたいからいるらしいということです。これは重要ではないでしょうか。より自然な関係です。

ロシアの研究所も紹介されました。ここで飼われているのが狐。狐も何代にもわたって飼育し、より穏やかな個体を交配するとまるで犬のような動物になっていくそうです。

どうも、脳の海馬が大きくなり、攻撃性のホルモンが減っていくということらしいのですが、これは狐だけではなく、狼がどのように犬に変わっていったのか、ということも示唆しているようです。
 
 
 
 
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