カテゴリー「心理学の話題」の186件の記事

2019/10/02

映画『TOKYO24』完成披露舞台挨拶イベント

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こちらが、映画『TOKYO24』公式サイトです。
https://tbc-movie.com

2019年10月26日ユーロスペース渋谷他 ロードショー!
「TOKYO24」第16回モナコ国際映画祭日本映画最多5冠受賞!
監督: 寺西一浩、軽部進一、岡田主
出演: 寺西優真、キム・グァンス、葉加瀬マイ、長谷直美など
 

「人間とAIが当たり前に共存する時代が必ず来る近未来をリアルに描く。そこでAIが人間と生活や仕事を共にすることによって、次第に人間に影響されていく過程で「ココロ」が作られていく様子をAIの刑事を通して映し出す。」

「2030年-東京はオリンピック開催後、沢山の問題を抱えていた。国政は選挙制度改革の問題、政治家達の汚職や犯罪が多発、それにより地方分権推進が叫ばれる。そこに情報化社会でたくさんの物、情報がリアルタイムで輸入され、 国民の考え方、ライフスタイル、価値観の変化と共に、激動の時代に突入していた。その東京で、人気抜群の女性都知事・東條真知子が手腕を振るっていた。」(公式サイトから抜粋)

 

2019年9月23日、池袋HUMAXシネマズにて、 映画「TOKYO24」完成披露舞台挨拶イベントが開催され、寺西優真さん、キム・グァンスさん、 葉加瀬マイさん、長谷直美さんなど、共演者が多数登壇しました。俺はオフィシャルカメラマンとして記録写真を撮らせていただきました。(なので、写真の掲載は、寺西一浩監督から許可をいただいています)

日本映画で、AI刑事を演じたのは、今回の主役、AI刑事・青島役の寺西優真さんになるとのことです。初めてのことなんですねぇ。優真さんは、端正な顔立ちがAI刑事役にぴったりだと思いましたが、舞台あいさつの中で、海外のAI刑事の映画をたくさん観て、動きや表情を研究したそうです。本人はいたって明るい青年でしたが、役の上では「笑えない」と、笑っていました。優真さんは、2018年「ムスカリ」で日本武道館でデビューした歌手でもあります。

近未来映画は好きな分野のひとつですが、今回の映画の時代背景となっているのが、女性都知事が活躍する未来です。なんとなく、というか、かなり小池東京都知事を彷彿とさせる人物像でしたが、やはり、この役を演じたベテラン女優、長谷直美さんは舞台あいさつの中で、小池さんを意識していたと言っていました。映画の土台をしっかりと支えている存在感がありました。

そして脇を固めるのがキム・グァンスさんと、葉加瀬マイさん。刑事・金城蓮役のグァンスさんは、 人気韓流グループSUPERNOVA(旧・超新星) メンバーということで、ファンも多数来場していたようです。また女性刑事役の葉加瀬マイさんは、「ルパン三世」の峰富士子を連想させます。

ストーリーは、どんでん返しもあり、ここでは詳しく話せませんが、AI刑事青島と、金城蓮とのやり取りは、たぶん、人間とAIなら、こんな感じなんだろうなというリアリティを持っていました。クスッと笑えるシーンがあります。青島の無表情があってこその笑いですね。ここが人間とAIとの違いか、というところです。

AIが進化して、人間の存在が脅かされるという人もいます。ほんとにそうでしょうか。

もしかしたらAIによって、人間は犬を飼い始めたときのような大変革の時期に差し掛かっているのかもしれません。

AIによって、人間の能力を補完してくれるならば、人間は、そこはAIにお任せして、別なとこに能力を使えるようになる、とも言えるわけです。人間とAIは、犬と暮らすことで脳が専門化したように、お互いの能力を住み分けるのです。

例えば「計算」はAIには絶対かないません。「計算」でAIに勝とうとしても無理です。ここはAIに任せたほうがいいでしょう。AI刑事・青島に、人間である金城蓮は勝てない部分があるのです。

いや、勝ち負けではないですね。あくまでも「補完」なのです。お互いが必要不可欠な「仲間」と言ってもいいでしょうか。

映画では、金城蓮が青島を諭すシーンがあります。青島はディープラーニングによって「人間の心」を学んでいくのでしょう。つまり、AIは、人間からも影響を受けるのです。
映画の中でクスッと笑ったと書きましたが、やっぱり、ここがAIと人間を分ける部分であり、もしかしたら、笑いが起こらなくなったとき、AIがもっと人間と近くなっているのか、はたまた、人間がAIの「心」に近づいていることになるのか、どっちでしょうか。

この笑いのシーンは、きわめて時代を意識した現代的なシーンだと思います。過渡期だからこその笑いなのです。 

 

 

 

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2019/09/06

「恋人たちの等間隔の法則」

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夕方、騒がしいなぁと思ったら、電線に多数の鳥。ムクドリでしょうか?

ここに越してきて初めてのことです。20分ほどして、鳥たちはどこかへ去りました。

鳥も、電線に止まるときは等間隔になるんですね。

日本や中国やベトナムやイランの公園へいったとき、恋人たちが等間隔で並んでいたのを思い出します。混雑したときだけなんですが、面白いくらい等間隔に並ぶんです。

これを俺は「恋人たちの等間隔の法則」と名付けています。この法則は、国籍や民族に関係なく同じだし、鳥も同じだったんですね。

と、いうことは、もしかしたら、植物も含めたすべての生物は同じ法則で並ぶのかもしれません。

これは心理学的なテーマでもあるかもしれません。なぜこうなるのか、研究したら面白いのではないでしょうか。(すでに研究済でしょうか) 

一応、俺の推理を言っておきます。あとでそこに来た人(鳥)が、すでにいる人(鳥)の、ほぼ中間に入るからこうなるんでしょう。じゃぁどうして中間に入ってしまうのか?

例えば、電車で座っているときも、詰めて座っているときは身動きできないですが、お客が下りて、席に少し余裕が出てきたとき、俺も、左右の人の中間に移動したりします。

もっとも最近の電車の横座りの席は、お尻の形に窪んでいて、位置がひとりひとり強制的に決められているものもありますが、それでも俺は、お尻に突起が当たっても、中間に座るときがありますね。

どうしてでしょうか? 両側の人に遠慮しているから? あるいは、「一番遠い位置」に移動して 「俺はあなたの敵ではないですよ」というアピールかもしれません。ただ「一番遠い位置」とは言っても、左右に人がいるから、結果、左右の人の中間の位置になってしまうということです。

 人にはテリトリー意識があって、それ以上近づくと攻撃するほど不快に感じる限界点があるので、なるべく「一番遠い位置」にいると快適になる。でも、離れすぎると、それはそれで寂しい。なので、そのバランスを取る位置かもしれません。

 

 

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2019/08/31

ゲルハチ公、9月3~9日開催の「超福祉展2019」で展示のニュース

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「軟らか「ハチ公」感情豊かに AI駆使し鳴き声変化 山形大グループが開発」のニュース。

(河北新報 https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201908/20190827_53037.html)

 

軟らかなゲル素材を活用したハチ公型ロボットを開発したそうです。開発したところが母校の山大工学部。こんな研究なら俺ももっと勉強していたでしょうが。

首から頭部にかけてと前足部分がゲル素材で作ってあります。本物の犬のように軟らかいらしい。首と頭部のセンサーが音と画像、触覚を感知して、LEDの点灯で喜怒哀楽を表現し、感情に応じて鳴き声も変化させるという。

山形県鶴岡市には、現在渋谷に立っているハチ公像の前に作られた試作品(石膏像)が残されています。周り周ってこの試作品が鶴岡市にやってきた話は、『犬像をたずね歩く』にも入れているし、当ブログでも紹介済みです。

 【犬狼物語 其の二百三】 山形県鶴岡市 忠犬ハチ公像の石膏試作品が鶴岡市に来た奇跡話

この試作品を元にレプリカを作ったのが、初代「鶴岡ハチ公像保存会」の会長・高宮さんです。(掲載の写真がレプリカと高宮さん)今回のゲルハチ公は、このレプリカからさらに3Dプリンターで作られたようです。

 ゲルハチ公は9月3~9日開催の「超福祉展2019」で、JR渋谷駅に近いメイン会場「渋谷ヒカリエ」に展示されるとのことです。

 どういう展示の仕方をされるのかはわかりませんが、触るのOKなら、実物の犬のように柔らかいのかどうか、確かめたいと思います。今までの犬像は硬いイメージなので、もし柔らかい犬像ができたなら画期的です。

犬に癒されるのは、視覚的だけではなく、触覚的なところも大きいように思うからです。

ちなみに、「愛着」に関するこんな心理学の実験があります。アカゲザルの子ザルに、哺乳瓶をつけた針金製の母ザルと、哺乳瓶をつけてないが柔らかい布製の母ザルを与えた場合、子ザルは、空腹を満たせる針金製の母ザルよりも、空腹は満たせませんが、柔らかい肌触りの母ザルと過ごす時間が圧倒的に多いそうです。不安や恐怖を感じたときは特に、柔らかい感触の母ザルにしがみつくという。このことで、空腹を満たすことよりも、心地よいスキンシップ(感触)が重視されているらしいのです。

人間と犬もそうかもしれません。

 

 

 

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2019/08/26

最近のあおり運転報道で考えた、危ない正義感 

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最近、ドライブレコーダーで撮られた映像がニュースで流れますが、あおり運転して、最後に車から降りてくるシーンとセリフが全部似ていて、同じドライバーかと勘違いするくらいです。「オラーッ!」「降りてこい!」などなど。

それと、これって、わざと相手を怒らしているんじゃないか、といった動画もありますね。前後の経緯を見せずに、相手が車から降りてきて怒っているところだけを切り取って見せられたら、まるで「ひどい奴」に見えてしまうので。そこだけは事実ですが、全体の流れからは真実ではない、ということも十分にあり得ます。もちろん、常磐道であおり運転した宮崎文夫容疑者の動画のことを言っているのではなくて、その後、類似の動画を目にした時、違和感を覚えるものがあったので。たぶん、良く解釈すれば、これだけあおり運転が社会問題になっているんだから、あおり運転を無くす貢献をしようという正義感から動画を撮影するのかもしれません。

それにしても、宮崎文夫容疑者と犯人蔵匿・隠避容疑で逮捕された喜本奈津子容疑者の続報が続くのはどうしてでしょう? まぁ、殴ってる映像が衝撃的だというのがあるかも。でも、こんな傷害事件、日本にたくさんあるでしょうが、やっぱり「あおり運転」がセットだからみんなの関心が高いということなんでしょう。良く解釈すれば、あおり運転はやめようとの啓蒙の意味もあるんでしょうか。これもマスコミの正義感ですかね。

でも、少なくとも喜本容疑者はどうですか? 殺人犯をかばったわけでもありません。俺だって家族や友人なら、かくまうと思いますよ。

犯した罪に比べてこの社会的制裁の大きさは何だろうと思います。まるで極悪非道の罪人扱い。しかも舞い上がった人たちは、まったく関係ない女性を喜本容疑者と勘違いして、糾弾するという異常ぶりです。

血を求めた野獣のようです。こっちの方が怖い。むしろ、宮崎容疑者さえ(喜本容疑者はもちろん)可愛く見えてしまうくらいです。デマを流した人間には法的措置を取ると、喜本容疑者に間違われた女性は言っています。

「祭」、いや「血祭」を求めているんだろうなと思います。「イベント」はあっても、「祭」がなくなってきた社会では、当然のなりゆきかと。表で発散できない負のエネルギーは、裏で爆発する、ということなんでしょう。

でも、やっかいなのは、その血を求めている人たちは、自分が血を求めていることは自覚せず、むしろ社会のためと思っていて、正義感いっぱいなのです。そこですね、一番やっかいなところは。

デマを拡散させた人の中には、子煩悩なお父さんや、SNSでは可愛い赤ちゃんを自慢するお母さんもいるそうです。表では善良な市民なんですよ。「裏」は「無意識」でもあり、よほどのことがないかぎり、自分で気が付くのは難しいということもあります。

正直、俺も負のエネルギーはあります。それを「正義感」を御旗にして発散させることはないように注意はしていますが、たまに、「正義感」を振りかざして発散させてしまいますね。「正義感」を振りかざすのは、気持ちがいいからです。「正しい」ことに反対するのは「正しくない」と単純に思い込むことができるからです。

普段から俺は自分を「良い人間」や「善良な市民」とも思ってないのに。どうして時々「正義感」が襲ってくるのでしょうか。自分が正しいと思う瞬間です。でも、その正しさは、自分中心主義なのです。自分の中での正しさを、他人もそうだと思い込む、ということ。社会は、そう単純に「善悪」に分けられることがないと、頭ではわかっているんですが、面倒くさいので、物事を単純化して見てしまうのです。

「正義感」はけっこう危なくて、快感が伴っているので、なおさら扱いはやっかいなものだと思いますよ。

 

 

 

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2019/08/12

マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』

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マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』を読みました。

「イヌのことなら狐(フォックス)に訊け」(デズモンドモリス)という言葉があるそうで、フォックスはイヌ科動物の権威。心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。

この本は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」

「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

フォックスはイヌの研究もやっていて、飼いイヌが野生の動物から家畜化したとき、どういうことが起こったか、という興味深い観察を述べています。家畜化は、オオカミの行動の儀式的な側面を薄め、単純化するというのです。そのため人間に懐くようになりました。イヌは、儀式を捨てて、フレンドリーになった。逆に言えば、だれにでも懐くフレンドリーさを獲得したから、人間の伴侶動物として生き延びることができたということなのでしょう。

これは人間の文化にも言えるようです。

「行動の点でいうと、現代人の行動・文化の伝統の多くからしだいに儀式の要素が失われつつあり、この現象にはファッションから社会的な役割にまで及んでいます。」 

「文化化も似たような影響を及ぼし、さまざまな儀式の効果を弱めることで、人間の行動の幼形成熟をさらに強化させるのかもしれません。疎外と社会の不安定さといった問題はありますが、利点としては、人間の態度が柔軟性を増し、もはや規定された儀式やタブーに束縛されずにすみ、将来、異なる文化間での争いの可能性が少なくなる、ということがあげられるでしょう。」

いいとか、悪いとか言っているわけではありません。生き延びる術を獲得したことを「進化」というなら、飼いイヌも、人間も進化していると言えるのでしょうね。

だからこそ、オオカミに魅力を感じるわけです。人間が失ってしまった儀式を重んじる野生動物としてのオオカミ。自然の一部として存在するオオカミです。

 「先住民を「高貴な野蛮人」とみなしたルソーの視点は、野生動物、とくに、人間と同様ハンターであるオオカミなどに対するわたしたちの文化的な認識や理解といくぶん関連があります。「高貴な野蛮人」という言葉には、ある種神聖な神秘的な雰囲気、存在感、気品があり、「文明化した」人間に、再び自然と一体になりたいとか、文明化しすぎた科学技術の世界が生み出した付属物を捨てて自由な精神状態で暮らせたら、といったあこがれを生み出します。」

「高貴な野蛮人」と「オオカミ」は、社会的な儀式の点で高度に洗練されていて、自然と一体になって生きているという意味で、同じような存在です。そこにあこがれている現代人という構図でしょうか。 

 それと関係があるのか、今までの反動なのか、最近の若い世代は、けっこう儀式好きなのではないかと、最近ある写真を撮るようになって思っています。

 

 

 

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2019/08/11

10個の太陽と12個の月

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来年2020年(令和2年)版「旧暦棚田ごよみ」のあいさつ文を考えているところです。 今回は中国の神話を引用しようかなと。

昔の人は、毎日変化する月の満ち欠けに規則性を見出しました。しかし月の満ち欠けだけでは、季節がずれていきます。そこで太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

中国の創世神話では、五代目皇帝・帝俊の義和夫人は太陽を10個、嫦娥夫人は月を12個を産みました。ところが堯帝の時代に、10個の太陽がいっせいに輝き、大地は灼熱地獄になりました。堯帝は弓の名手・羿(げい)に、9個の太陽を射落とさせました。太陽はひとつとなり、元の世界に戻りました。日本にもこれと似た射日神話が伝わっています。

中国古代の地理書である『山海経』にも、10個の太陽や12個の月が水浴するという話が出てきます。これは1年間が12カ月からなる考えを反映したものだそうです。

また、月はもともと複数ある太陽のひとつでしたが、弓の名人に射られ、怖ろしさのあまり血の気を失って光が薄れ、月になったという話もあります。(伊藤清司著『中国の神話・伝説』)

太陽が多すぎる混沌とした世界も月の存在で秩序を保てると解釈できるかもしれません。この「太陽」とは「支配者」という意味でもあるようです。

また、10個の太陽と12個の月は、十干十二支や太陰太陽暦を連想させます。

 日本に伝わった射日神話ですが、関東を中心に「おびしゃ(お日射)」という祭りも行われています。

そこで、思い出したのは、秩父の小鹿野町に「出原の天気占い」という行事があります。的を射て、その年の天候や作物の出来などを占うものですが、詳しくは調べてないのでわかりませんが、これも「お日射」と同じ祭りかもしれません。

掲載の写真は、10年前に撮影したこの「出原の天気占い」です。

 

 

 

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2019/08/09

犬笛戦術

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犬笛とは、人間が聞くことのできない高周波数の音を出すことのできる笛のことです。

写真のタイプの犬笛は「Shepherd's Whistle(羊飼いの笛)」とあり、 牧畜を補助する牧羊犬に命令を出すための可変ピッチの笛だそうです。半円形の部分をマウスピースのように口にくわえて息を出すと、ピーーーーーという高音が出ます。

犬笛が発するのは、16000Hzから22000Hzの音ですが、20000Hzの音までしか聞き取ることができない人間とは違って、犬には聞こえる範囲です。だから犬笛。実際には、犬以外にも猫の訓練などにも使われているそうです。

でも、ここで話題になっている「犬笛」は、ちょっと危ない話題です。

「政治家が特定の有権者を意識して暗号のような表現を使い、「人心を操る」政治手法のことを、「犬笛」戦術と呼ぶ。犬にしか聞こえない周波数で鳴る笛と同じように、その意味が分かる人にだけ分かるように工夫された、多くの場合は人種差別的なメッセージのことだ。」

というのです。(BBC NEWS JAPAN  https://www.bbc.com/japanese/video-47025445)

本当の意味は特定の層にしか伝わらないという暗号のようなものらしい。これは何もアメリカだけの話ではないのではないかと思います。今まで気が付いていないだけで、いや、気にしていなかっただけで、裏に隠された本当のメッセージがあるんだろうなぁと想像することはできます。あるいは、みんな薄々気が付いていたのかもしれませんが。 

 このBBC NEWSによれば、選挙戦のとき敵陣営は、オバマ氏のことも、「外国人である」イメージを植え付けるためこの手法が取られました。オバマ氏のアフリカの民族衣装を着ているときの写真を意図的に使ったり、オバマ氏の名前を、「バラク・フセイン・オバマ」と呼ぶだけで、「フセイン」はイラクの「サダム・フセイン」を暗にイメージさせ、オバマ氏の異国性や非白人を強調したというのです。

 いつからこの「犬笛」戦術が取られるようになったかというと、公民権運動前までのアメリカでは、堂々と人種隔離を訴えて選挙戦を行なっていましたが、その後、こういう直接的表現が許されなくなって、犬笛戦術が取られるようになったらしい。でも、「差別はいけない」と言いながら、内容は変わっていません。

耳障りの良い話になっただけで、実は、聞こえていないところにこそ本音がある、という話です。逆に耳障りの良い話には注意が必要だ、ということにもなるのでしょう。

 日本は今、韓国との関係が悪くなっているように見える状況ですが、ここにも「犬笛」が潜んでいるのかもしれません。でも、やっかいなのは、「犬笛」を吹いている人間は、表向きには「嫌韓」を叫んでいない、ということなんでしょう。

他人がそれを見破るのは難しいこともありますが、実は、犬笛を吹いている人間自身が、無意識で吹いている可能性があります。「自分は差別主義ではない」と思っているかもしれないのです。

最後、BBCの記事では、みんなが犬笛に気が付けば、犬笛戦略の効果はなくなるだろうと言っています。 

 

 

 

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2019/07/30

「何ちんたらやっているんだ!」は、「時間」を信じて発する暴言

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“時間”はあと50億年で終わる?
(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20101029003&source=mm125d  ナショナルジオグラフィック ニュースより)

読みましたが、よくわかりません。

と、いうか、そもそも時間というのはあるのかな?という疑問もあります。いや、時間はあるんでしょう。ただし、それを「単位」にしてしまったところに人間の不幸がうまれたのではないかとも思います。

どういうことかというと、例えば、無我夢中で何かに没頭して作業しているときは、時間があっという間に過ぎた感じがします。そうじゃなくて、イライラして人を待っているときなどは、時間が長く感じます。嫌な仕事をしているときも長く感じます。

実際、感覚としての時間と、物理世界の時間は、違うのではないか、ということなんです。それを一律に物理世界の時間を単位にしてしまったことで、人と比べることになってしまう。

同じ物理的時間内に、ある人は仕事が終わり、ある人は仕事の途中だとすると、「どうして遅いんだ? どうしてもっと速くできないんだ?」と怒られる。俺の体験ですが、昔、若いころ工場のラインに入って、ある製品の組み立てをしていたとき、どうも俺は仕事が遅いらしく、何度か注意されました。

でも、その時、意外な感じがしたのです。自分では速くやっているつもりだったからです。むしろ、速くやりすぎているのではないかとさえ感じていました。でも、俺の外側の世界は違いました。俺の仕事は遅いのでした。少し愕然としました。これ以上速くはやれないとも思い、絶望的な気持ちになりました。このとき、人とは時間感覚が違うんだなぁと思いました。

だから、物理的時間を単位としてやる仕事は俺にはむいていないとはっきりわかりました。人と協力してやるとか、人といっしょにやるには、どうしても物理的時間を単位として、合わせなければなりません。それが苦手なのです。

もちろん、だからと言って、物理的時間を否定するのではありません。それによって、俺も恩恵は受けているので。電車や飛行機の時間が、個人的感覚時間だけで運用されていたら(そんなことは不可能ですが)、大混乱です。

養老孟司先生は、こう言っていました。

「時間というものは、人間の脳にしか存在しないということです。つまり、時間は人間だけがもつ幻想である、ということになります。」(https://www.1101.com/yoro_ikegaya/2019-05-13.html)

 と、いうことは、「幻想」を「単位」にしているわけですね。これはおかしな話です。俺は「物理的時間」なんて書きましたが、「幻想」だとすると、ほんとにそんなものあるのかな?という感じです。

人間どおしでさえこうなんだから、種が違えばもっと時間の感覚は違っているのでしょう。ある人がこんな言葉を言っていた気がします。「かたつむりは、自分では走っているつもりなのかもしれない」というのです。

たぶん、これは「かたつむり」ではなくて「高齢者」に置き換えてもいい。

「何ちんたらやっているんだよ!」と高齢者に対する暴言は、この「物理的時間」を信じている(当たり前だと思っている)から発する言葉でしょう。

人間の脳内にある「幻想」なら、人間が滅んだら、50億年も待たずに、時間は消滅してしまうのではないでしょうか? 

はっきり言葉では表現できないんですが、「時間」を単位にするというのは、何か、大きな勘違いを犯しているような気がしてなりません。

俺が普通の人より遅いことに対する言い訳でもある、というのは自覚していますが。

 

 

 

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2019/07/28

「悪夢」とはなんなのか

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「悪夢に苦しむ犬は起こした方が良いのか?」

(the WOOF :https://woofoo.jp/editors_desk/should-you-wake-a-sleeping-dog/)

という記事が目にとまりました。

前から、ヴィーノも夢を見ているのではないかとは思っていました。寝ているとき、声を出したり、手足を動かしたり、瞼がぴくぴく動くことがあって、それが人間の夢を見ている様子と同じだったからです。

「意外と」というのも、犬に失礼な話かもしれませんが、犬の精神活動も、それほど単純ではなく、意外と複雑で、犬にも意識があるはずだから、無意識もあるはずで、夢を見ることもあるだろうと考えた方が自然な気がします。

そこで、「悪夢」を見ているときにどうすればいいのでしょうか。

自分で夢日記をつけていて思うのですが、そもそも「悪夢」というのは何なのかはっきりした定義はないし、仮に「怖い夢」「うなされる夢」が「悪夢」としても、それは意識側から見た話で、無意識にとっては、その人にその夢が必要だから見ているのだろうということなのです。

たとえ、殺されるような夢を見ているとしても、実際に死ぬわけではなく、無意識内での「死」は、何か意識側で、今の自分を否定し(殺し)、新しく変わらなければならない、あるいは、新しく変わりたいという願望かもしれないのです。

だから意識側の人間が、勝手に「悪夢」と判断して、夢にうなされている人や犬を起こすのは、けっしていいことではないような気がします。そのままにしておく。

でも、そのままにしておくのは、意外と難しいものです。辛そうにしている人や動物を「助けてあげたい」という気持ちは大切かもしれませんが、それは、そうしない自分に対する後ろめたさであるかもしれません。

体と同じように、心にも自然治癒力はあると思っています。

 

 

 

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2019/07/14

【夢日記】希少生物を調べている人

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ここ最近、まともに夢を覚えていることが少なく、夢日記は、4月から更新されていませんでした。

 

    ☆

どこか事務所から出た俺は、自宅に帰るためにバス停へ行った。

バスに乗り込んだとき、ポケットに事務所の鍵が残っているのに気が付いた。

返さなければならない。

事務所に戻ろうと思った。

そのときバスに乗っていた青年がいて、どこか登山でもするのかという格好をしていた。

彼は俺に登山の地図かガイドブックのようなものを出して、あげましょうか?といった。

俺は、登山はしないので、と断った。

俺も登山客だと思われたらしい。

彼はどうしてか聞きたがっているようだったが、この公園には希少生物もたくさんいて、俺はそれを調べている仕事をしているようだった。

    ☆

 

夢の舞台の事務所やバス停は、感覚からいうと寒い山村のような感じでした。だから、スイス人家族と出会ったマッターホルンのイメージが混ざっているようです。それと最近の「トライ」のCMでアルプスが出てくるところも。

そして夢を見るきっかけになった、もっとも関係ある舞台は、ペナン島の北西端、ペナン国立公園のことではないかと思います。ここで軽くジャングルトレッキングができます。「登山」とありますがこの「トレッキング」のことでしょう。

 この夢の「希少な生物を調べている人」というのは、現地で会った日本人のことなのではないか、と思います。

その人は、貝の研究のために、そのジャングルの研究所に勤めているといい、昼飯を食べるために、ちょうど俺たちが食べている食堂にやってきて、日本人ではないかと声をかけた人でした。

その人の話を聞き、ペナンに住んでいるのが、うらやましかったことを覚えています。

 こうしてみると、「夢」は、いろんな思い出、イメージを合成して造り上げられているんですね。そして問題は、なぜこのタイミングでこれを見たか、ということが、俺に何かあるんだろうと思います。

 やっぱり「ペナン島・ロス」の症状ですね、これは。

 

 

 

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