カテゴリー「心理学の話題」の209件の記事

2021/05/04

新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

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写真は、去年(2020年)、第1回目の緊急事態宣言下、4月19日の池袋駅前の様子です。

   ☆

3回目の緊急事態宣言が東京都などに出ていますが、去年の1回目と比べても、みんなの緊張感はなく、人出もそれほど減っていません。

1回目は緊張感がありました。また、一体感のようなものもありました。志村けんさんが亡くなったということも原因かと思われます。

とにかく、得体のしれないウイルスに対して、みんな一丸となって身構えている感じでした。そしてアマビエが流行りだしたのもそのころでしょうか。

新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司『暮らしの中の民俗学3 一生』という本を読んで、アマビエ流行と緊急事態宣言下の人々の緊張感や一体感は、偶然ではないんだなぁと思いました。

つまり、アマビエは、SNSを使った一種の祭りだったのではないかなと。

この本の立川昭二「病気・治療・健康」には、このようにあります。

「医療人類学者のマーガレット・ロックも言うように、日本人にとって「病気は元来個人に関することではなくて、家族という単位が責任を分ちあうべき事件(原文ではevent)である」。
 したがって、「治療は、家族のメンバーが皆で参加すべきものと考えられ」てきたのである。 こうした日本人のメンタリティは、たとえば病人が病院に入院した場合、その病人を家族としても社会人としても切り離そうとはしない。そのメンタリティは文化人類学者の大貫恵美子が指摘しているように、入院患者への濃密な「付き添い」と「見舞い」という日本人特有の行為となって表われる。
 「ニンギトウ」や「七人参り」にふれた波平恵美子は、「病気は、他の人によって代替され得ないものであるにもかかわらず、あたかも代替されたり分割され得るものであるかのように儀礼を通して病気に対処するものである」とし、このような考え方はバイオメディシン(生体医学)にはまったくないが、「こうした『病気を分け持つ』という考え方を現代的に読みかえて取り入れることが必要ではないだろうか」と論じている。
 「付き添い」や「見舞い」も「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティの表われであるが、最近よく言われる「病苦を共有する」とか「痛みを共感する」という考え方も、たんなるキャッチフレーズではなく、それがある現実的な相互治癒力を得るには、「ニンギトウ」や「七人参り」のような習俗が、現代的なイニシエーションのかたちをとって甦ることが求められるのではないだろうか。」

病人を「見舞う」とか「付き添う」とか、普通のことだと思っていましたが、意外とこれは日本的だったのかと、「目からうろこ」ですが、日本人は病気を個人の問題というより、家族、または社会の問題として捉えているということになるのでしょう。

そう考えると、去年、新型コロナが流行りだして、マスクを躊躇なく使い始めたのは日本人を初めとしてアジア人だったようで、マスクは、自分が罹らないということはもちろんですが、「人にうつさない」という考えがあったことは重要かと思われます。それは「人にうつさない」ことが結果として社会全体の感染者を減らし、自分が感染するリスクを軽減するということにもなります。

マスクを拒否する人たちの「俺は罹らないから大丈夫」とか「若いから重症化はしない」とか「罹ってもいいや」という言い方は、「病気は個人のもの」という考えに他ならないでしょう。

1回目の緊急事態宣言が出たときの緊張感、一体感は、アマビエというものを象徴として、みんながこぞってアマビエの絵を投稿し、アマビエの姿の和菓子を造るなど、まるでお祭りのようでしたが、あながち、これは「祭りのよう」ではなくて「祭り」そのものであった気がしますが、この「祭り」を通して生まれたのではないでしょうか。リアルな祭りは「密」になることもあってできなかったし、アマビエ流行のようにSNS上で斎行された「祭り」は、全部ではないとしても、日本人が一致団結し、緊張感をもって新型コロナと対峙したということに少しは影響があったと、今は思います。

「病気を分け持つ」というメンタリティは、特に感染症の場合、逆に言えば「人にうつさない」という考えにもつながると思うし、個人が勝手な行動をする限り、このウイルスが収束することはありえません。それをこの1年で俺たちは学んできたはずです。

もう一度、何かの「祭り」をぶち上げて、一体感、緊張感を取り戻す必要があるのではないかと思います。それが「狼信仰」だったら嬉しいというのが本音としてあります。いや、「狼信仰」以外でもいいんです。祭りになる何かがあれば。

『オオカミは大神(弐)』には、山梨県のある三峯神社で、去年、コロナ退散祈願祭が斎行されたことを書いています。もともとこの神社は、江戸時代、疫病が流行ったことがきっかけで秩父・三峯神社を勧請した経緯があり、今回、その伝承にあやかり祭りを斎行したとのことです。その結果、村人の一体感は強まったという話を聞きました。

そう、「一体感」なのです。狼(お犬さま)が直接新型コロナウイルスをやっつけてくれるなど、誰も考えていません。病気が社会的なものならば、みんな一丸となって立ち向かわなければならない、個人がばらばらで勝手に行動していてはダメなのだ、という村人の決意表明としての祭りなのです。

祭りによって、村人の精神的な集団免疫力は確実に上がったと思います。

 

 

 

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2021/01/25

【犬狼物語 其の五百三十六】 狼報恩譚(どうして狼の口から物を取ってあげなければならないのか)

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スウェーデン生まれでオオカミ研究家のエリック・ツィーメン著『オオカミ』に、興味深い民話が載っていました。

オオカミの歯に挟まった木切れを取ってあげるとオオカミが恩返しをしたという話です。オオカミの報恩譚です。

 「オオカミは善良で、ほとんど神に似た存在であり、たしかに少々ずぼらで、性急で熟慮に欠けるところがあるが、つねに親切で、思いやりがあり、賢明であった。有名なトーテムポール、ギットラテニクスのトーテムポールには、くり返し脚色されて話される一つの物語が語られている。ある男が、臼歯の間に木切れがはさまってしまったオオカミを助けた。オオカミはのちに、男とその部族が困窮しているときにシカを殺してやることで、返礼をしたという。
 実際オオカミは歯の間にはさまった木切れのために大変苦労することがある。ネースヒェンが四か月の自由な生活をして戻ってきたとき、たしかにたくさん食べはしたが、やがて病気の兆候を示しはじめた。獣医が診察したが、何も見つからなかった。それで獣医は、ネースヒェンの衰弱は逃走期間中の食料不足が原因だろうと考えた。けれども、このオオカミの体調はますます悪くなっていった。口臭もひどかった。そしてついに私はこの口腔に病気の原因を発見した。上顎の奥歯の間にはさまっていた木切れである。これを取り除くと、数時間以内にネートスヒェン(まま)は元気になった。」

というのです。ひとつは、オオカミの報恩譚。もうひとつは、オオカミの歯に物がはさまると大変だということ。そういえば、ヴィーノもたまに歯に物が挟まるときがあり、手指の形、機能上、自分ではなかなか取れなくて苦労しているときがあります。その様子はたしかに印象に残りますねぇ。なんだか間抜けな感じで、ユーモラスで、オオカミならなおさら、普段は精悍で威厳のある姿と、そのギャップ萌えもあるかもしれません。

著者のエリック・ツィーメンは、オオカミは人の助けを借りて「イヌ」になったという犬起源譚か?とも思ったらしいのですが、残念ながらそうではなく、イヌは中央アジアでオオカミから分離したらしいし、ネイティブアメリカンの民話でも犬起源譚ではなかったそうです。

オオカミの報恩譚は日本では、いろいろパターンを変えてたくさん存在するのですが、エリック・ツィーメンは欧州人だし、報恩譚はカナダのネイティブアメリカンの話で、まったく日本とは関係ないところで、こんな話があると、報恩譚の方は、まぁオオカミと接していた人たちがオオカミと友好的な間柄であれば、恩返しの話も自然と生まれるんだろうなと想像できます。

ただ、「狼の口」と「挟まった物を取ってあげる」という組み合わせは、日本にもネイティブアメリカンにもあるとすると、オオカミの何か特徴に関わっているのかな、それともオオカミの口から物を取ってあげなければならない理由があるのかと、想像がふくらみます。それを考えてみようかなと。

 

まずは、日本での狼報恩譚を紹介します。埼玉県坂戸市の北大塚という地域に伝わる民話をテーマにした公園があります。公園に設置されている解説プレートからこの民話を要約すると、

「昔は、この辺りにもたくさんの狼がいた。その中にどん吉といういつもお腹をすかした、のろまな狼がいた。ある日、どんぐりの木に隠れて獲物をねらっているとおばあさんがやってきた。狼はおばあさんを食べずに、家まで送っていった。おばあさんは、そのお礼として魚をお供えした。狼たちは喜んで魚を食べた。どん吉はあまり急いで食べたので、骨を喉につまらせた。そこへ酔った大工さんが通りかかり骨を取ってくれた。大工さんはそこで寝てしまった。夜中、目を覚ますと周りには狼がいっぱい。食べられると思った大工さんは「わしは、一日にどんぐり5個しか食っとらんからまずいぞ」 すると狼は「さっきはありがとう。忘れた道具箱を届けにきました」 それから毎朝大工さんの家の前には、どんぐり5個がおいてあったとさ」

 

次に、東京都東大和市中北台公園にも「藤兵衛さんと狼」という話を元に平成5年に設置された長さ2.2m、黒御影石の「狼のベンチ」があります。東大和市のHP「藤兵衛さんと狼」には、その狼の伝説が掲載されています。

「今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。 -東大和のよもやまばなしから-」

これも「狼が口から骨を取ってもらって恩返しする」という話です。 

他にも、「民話 狼の恩返し」で検索すると、多くの似たような民話がたくさん出てきます。

狼の恩返し」まちづくり葛生株式会社(栃木県佐野市葛生の民話)

狼の恩返し」YAMANASHI DESIGN ARCHIVE(上野原市秋山遠所に伝わるお話)

狼(おおかみ)の恩返(おんがえ)し」フジパン株式会社(大分県の民話)

狼の恩がえし」伊豆の民話と昔話(静岡県伊豆の民話)

 

狼信仰について、しばしば参考にさせていただいているのが、菱川晶子さんの『狼の民俗学』ですが、狼の報恩譚についても論じられています。菱川さんが調べた結果、同様の民話は、北は岩手県から南は大分県まで分布しているという。

1:ある人が、口を開けた様子のおかしな狼に山で出会う。

2:みると狼の喉に骨が刺さっているので抜く。

3:狼が鹿などを礼に届ける。or それ以後山を通るたびに狼が送る。 or 山道を歩いていると狼が出てきて着物の裾を引き、藪陰に隠して狼の大群に襲われるのを防ぐ。

多くの報恩譚の1と2の部分はほとんど同じですが、「狼のお礼の仕方」の3の部分は、3パターンほどあるようです。

1と2の部分は、中国から入ってきた「虎報恩譚」が元になっているようです。日本には虎はいなかったので、虎が狼に変わった可能性が高いようです。

カナダのネイティブアメリカンの「狼」、日本では「虎」→「狼」と、じゃっかん変化はしていますが、どちらにせよ「猛獣の口から挟まったものを取る」というとんでもなく危険なことをやっているわけですね。下手したら食べられてしまうかもしれない恐れもあります。そんな危険を冒してまでも、どうして挟まってしまったものを取ってあげなくてはならないのか、ということですね。

そんなことを考えているとき、この一文が目に入りました。

オオカミという生き方」という平沼直人氏(弁護士,医学博士)のコラムです。

「◆医療の本質
送り狼の民話には,医療の本質を見て取ることができる。
本来,治療行為は,生命に対する畏れなくして行えるものではない。
患者はただ医師に身をゆだねているだけなのだろうか。感染は医師の専横に対する患者の無言の抑止力ではあるまいか。
傷つきあるいは弱った人がいれば助け,助けられた人は感謝する。
そんな当たり前のことが忘れられている。」

なるほどなぁと思います。

平沼さんは医師なので、治療行為はどうあるべきかを言っていますが、人によって、この民話をどのように受け取るかは、それぞれ違ってもいいのでしょう。

そこでここからは俺個人のとらえ方です。

平沼さんの一文にヒントを得て、狼のイメージをもっと大きくとらえ、「自然」を象徴するものと考えると、自然に対する接し方ととらえることはできないでしょうか。自然との緊張関係を感じさせます。下手したら死んでしまう(殺されてしまう)かもしれない、命をかけた関係を表現しているのかなと。

つまりそれなりの危険を冒さなければ、自然の中では獲物は得られないと取ることもできるのではないかということです。あるいは、命あるものを獲物として得るためには、こちらも命をかける必要があるということです。

 獲物だけではありません。農作物だってそうでしょう。時に自然は、風水害などで田畑をダメにしてしまうこともあります。自然は恵みをもたらしてくれるだけではなく、半面、恐ろしいものでもあるという両面性の表現であるかもしれません。

でも、それでも人はその自然の恐ろしさに打ち勝って生きていかなければならない。そういった人間の覚悟の物語なのかもしれません。

 

 

 

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2021/01/15

1月14日は、タロ・ジロの日

161130_2(東京都立川市の国立極地研究所の樺太犬のブロンズ像)

_mg_0012(愛知県名古屋港のタロ・ジロ像)

161106_6(大阪府堺市の大浜公園の樺太犬の慰霊碑)

160809_1(東京都「船の科学館」の「宗谷」)

160809_3(「船の科学館」の「宗谷」のタロ、ジロ像)

160809_4(「船の科学館」の「宗谷」 タロ、ジロと犬係だった北村さん)

160809_6(「宗谷」の記念カード)

 

昨日1月14日は、タロ・ジロの日でした。すっかり忘れていました。

東京都「船の科学館」に展示してある初代南極観測船「宗谷」は、1956年(昭和31)11月からは日本初の「南極観測船」として活躍しました。操舵室の各計器なども歴史を感じさせます。

船内の一部屋が樺太犬たちの部屋で、当時は暑さに弱い犬たちのために冷房も完備していたようです。そこに、タロ、ジロの可愛らしいぬいぐるみが展示されています。

タロ、ジロの話は有名ですね。置き去りにされたタロ、ジロは南極で1年後生きていることがわかった奇跡の話です。映画にもテレビドラマにもなりました。これはこれですごい話なのですが、興味をひかれた次のような不思議なエピソードがあります。

昭和33年2月、宗谷が流氷に阻まれて、動きが取れなくなりそうになり、ヘリで、昭和基地の隊員を救出することになりました。この時点では、すぐに第二次観測隊が来ることになっていたので、昭和基地にいた犬係の北村泰一さんは、犬ぞり用の樺太犬15頭の首輪をきつく締め、鎖につなぎ直しました。

でも悪天候によって、交替の第二次観測隊は来ないことが決定。残された犬について、隊員は、連れてこれないなら、いっそ殺しに行かせてほしいと頼みましたが、事態は深刻で、それもかないませんでした。北村さんたちは泣く泣く犬を置き去りにせざるをえなかったのです。

日本に帰った彼らは、「なぜ犬を見殺しにしたのか!」と大バッシングを受けます。北村さんも自責の念にかられて精神的にも肉体的にもかなり参ったといいます。

何も知らない人に限って言いたい放題ですね。それは今も変わりません。北村さんたちの気持ちを考えると胸が締め付けられます。「いっそ殺しに行かせてほしい」という切羽詰った気持ち、よくわかります。

そんなある夜、北村さんは夢を見ます。

南極大陸を走っている2頭の犬の夢です。それを見て「生きていたんだなぁ」と夢の中で思ったそうです。

そしてもうひとり、犬係だった菊池徹さんも不思議な体験をしています。

全国に樺太犬たちの記念像が建てられて、そのひとつ(大阪府堺市の大浜公園の樺太犬の慰霊碑)で弔辞を読むことになりました。

犬たちの名前を1頭づつ読み上げていきましたが、13頭までは名前が出たのに、14頭、15頭目の犬の名前が出ません。どうしても思い出せなくて、そのまま弔辞を終わりました。その2頭がタロとジロだったのです。

そして昭和34年1月、北村さんは第3次観測隊に参加して、南極で生き残っていたタロとジロに再会したのでした。

感動的な話であると同時に、不思議な話です。

ユングに言わせれば、北村さんの場合は「予知夢」というわけですね。

でも、ユングと違ってフロイトは予知夢には懐疑的だったそうで、フロイトだったらこう解釈するのでは?ということです。

北村さんは犬係だったので、15頭のそれぞれについては熟知していた。だから意識していないところで、タロとジロの生命力がほかの犬より強いことを把握していた可能性がある。加えて、タロ、ジロは首輪の潜り抜けが上手だったらしい。だから夢で見た、と。

それと罪悪感や、何匹かは生き残っていてほしいという願望なども、意識的無意識的に、北村さんの心に日々わいていただろうということは想像できます。夢は欲望の充足であるともいわれるので、世間から追い詰められた北村さんが、夢で生きている犬の夢を見たとしても不思議ではありません。

でも、もしかしたら、北村さんが南極で生きている犬の夢を見たのは本当かもしれませんが、それがタロ・ジロの2頭だったのかどうか、どうだったのでしょうか。

1年後、実際にタロ・ジロと再会して、あとで、北村さんが見た夢に出てきたのがタロとジロだったに違いないと思ったのかもしれません。北村さんだけではなく、周りの人たちも。もしかしたら日本全国民も。これを悲劇で語りたくない気持ちは、北村さんだけではなく、日本全国民にあったのではないでしょうか。人間の記憶は都合のいいように作り変えられるので、可能性はあるでしょう。

とはいっても、何も俺はこの不思議な話を「勘違いだ」「噓だ」などと言いたいわけではありません。「夢でタロ・ジロを見た」という話は、北村さんや周りの人たちの「物語」になったわけで、その「物語」によって、ようやく精神的重圧から逃れることができたのではないかと想像します。

一方の菊池さんの場合も、2頭の生命力の強さをわかっていたので、「死んだはずがない」という気持ちが、名前を忘れさせた(名前を言いたくなかった)ということのようです。

弔辞を読むことになった慰霊碑は大阪府堺市の大浜公園にあるものですが、数頭が遠吠えをする姿は、悲しみに満ちています。このときはまだ南極で2頭が生きていることは誰も知りませんでした。いや、日本人全員が、全頭死んでいるに違いないと思っていた時期なのです。そんな中で読む弔辞なので、菊池さんの心は緊張感や罪悪感が入り混じった極限状態だったのではないでしょうか。

これも、証拠があるわけではありませんが、菊池さんが全部の犬の名前を言えなくなったのは事実かもしれませんが、それがタロ・ジロだったのかどうか。タロ・ジロが見つかったあとで、そういう記憶が作られた可能性もあるのではないか、というふうに思います。

これも北村さんと同じように、菊池さんの「物語」になり、精神的ストレスから解放されたのではないか。いずれも想像でしかないのですが。

このふたりのエピソードは、それだけ北村さんや菊池さんの犬たちに対する愛情の深さを表すものであるのは間違いないでしょう。

 

 

 

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2021/01/07

『犬からみた人類史』の今野晃嗣氏「イヌとヒトをつなぐ眼」

_mg_9987(国立科学博物館 ハイイロオオカミの眼)

_mg_2636(山梨県上野原市犬目宿 ヴィーノの眼)

 

『犬からみた人類史』の第5章に今野晃嗣氏の「イヌとヒトをつなぐ眼」があります。

オオカミとイヌは、「眼」に関して何が違うのかが書いてあり、非常に興味深く読みました。

著者はこう書いています。

「イヌとヒトの距離を近づけた要因の一つは互いの「眼」を介した視覚情報のやりとりであり、それがひいてはイヌとヒトの稀有な共生関係を形作ったりつなぎとめたりする役割を果たしてきたと考えている。」

この前は、イヌの嗅覚のすごさを書きましたが、今回は視覚です。イヌとヒトが同等の嗅覚能力があったら、また別な交流史が描けたかもしれませんが、残念ながら、ヒトの嗅覚はイヌとは比較にならないので、視覚がカギを握ったということではないでしょうか。

オオカミとイヌの眼の違いで一番大きいのは、瞳孔と虹彩のコントラストがあげられます。オオカミの眼は、光彩が明るく、瞳孔が黒いので、どこを見ているかがはっきりわかる眼をしています。これは人間でもそうで、白目と黒目がはっきりしているのは霊長目でもヒトだけで、視線がどこを向いているのかがわかります。(視線強調型の眼)

これは諸刃の剣でもあります。視線を悟られると、獲物を逃したり、他者に威嚇を与えてしまうことがある一方、利害が一致する集団においては、「好意」や「愛着」を表すことになります。デメリットがありながらも、ヒトは、目立つ眼を持つことを選択し、それが功を奏し、地球上で繁栄することができたと言えるかもしれません。

「ヒトの目立つ眼は、同種他個体と「うまくやる」ための交流能力を促進する器官として進化してきたのかもしれない。」と著者も言います。その証拠に、目立つ眼を持つ種ほど集団は大きく、大脳新皮質が発達しているとのこと。これは「社会的知性仮説」として、ヒトの大脳新皮質がどうして大きくなったかを説明しているものがあり、大きな集団を維持するためには、複雑な社会情報を処理する必要があったから、ということと矛盾しません。

でも、イヌは違います。黒目がちな眼で、視線強調型ではなく黒目強調型です。ヒトとオオカミが出会ったときには、お互いが視線強調型の眼をしていましたが、イヌに変わっていった過程でも、黒目強調型に変わったのは後で起こった変化であるらしい。

オオカミとイヌでは何が一番の違いなのかを調べた比較研究があるそうです。

フタを開ければ容器の中の食べ物を取り出せることを学習させたあと、フタを開かないようにする。すると、オオカミはひたすら自分で開けようとするのですが、イヌは、ヒトの顔を見るというんですね。容器とヒトの顔を交互に見るイヌもいたそうです。オオカミはヒトの顔を見ません。

他の実験からも、イヌの方が、オオカミより、ヒトに視線を向けることが多く、解決策をヒトに「頼む(命令する?)」ようです。

これはよくわかります。うちのヴィーノも、水が入ったボウルや、オシッコシートは、居間の隣の和室に置いてあって、戸が閉まっていると、ヴィーノが、じっとこちらの顔を凝視することがあります。明らかに、「この戸を開けて」と言っているのだとわかります。開けてやると、ヴィーノは水を飲んだり、オシッコしたりします。

そして明け方、と言っても早い時は午前3時半、遅くても午前5時ですが、ハッとして目が覚めると、枕元でヴィーノが伏せの格好で、俺の顔をじっと見ています。それでも無視して寝続けていると「散歩に連れていけ」と、顔をひっかくのです。妻はこの前目をやられたので、急遽、枕を覆うように金網のフェンスを作り、ヴィーノの不意打ちを防ぐことにしました。これはまた別な問題、ヴィーノ固有の問題ですが。

視線信号の送信能力に長けているのがオオカミよりもイヌだという考えを補強する神経内分泌的証拠もあります。最近話題の、オキシトシンです。「愛情ホルモン」などとも俗に呼ばれていますね。

ヒトとイヌが見つめ合うとオキシトシン濃度が上昇するというものです。これについては、前にブログでも書いています。

犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース(2015/06/01) 

オオカミはイヌになってから、もっとヒトに気にいられるため、ヒトを利用しやすくするため、眼は視線強調型ではなくて、黒目が多い黒目強調型の眼に変化させてきたということらしい。これによってますます「幼さ」を強調することができ、見つめることで、ヒトにかわいがられたり、守られたりする存在になったという。

「利用しやすく」などと表現すると、ちょっとイヌがあざといように受け取られてしまうかもしれませんが、種が生き残るために「良い」も「悪い」もないし、仮にそうだとしても、ヒトはイヌからそれ以上のものを与えてもらっているし、種が違っても「最良の伴侶・家族」になっているので、双方がwin-winの関係で結果オーライでしょう。

 

 

 

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2021/01/01

2021年、あけましたが、おめでとうは先延ばし

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本日、西暦(新暦)2021年元日です。

去年1年間はあっという間でした。コロナに明け暮れた年になりました。

それで、去年の元旦は、どういうことを書いていたんだろう?と読み返しましたが、もちろんコロナについての言及はまだありません。「物語」について書いていました。

 

>最近、ますます「物語」の大切さを思います。個人的な「自分なりの物語」と、もっと広い「その土地の物語」とでもいうんでしょうか。
「自分なりの物語」では、過去の物語は「思い出」で、未来の物語は「希望」と言い換えることができるかもしれません。思い出と希望で生きていけるという話は、極限状態に陥った人たちの話にもよく出てきます。<

http://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-57fac1.html

 

コロナ禍を経験して、この「思い出」と「希望」が、なおさら大切に思えるようになりました。とくに「希望」ですね。

いつかコロナは収束して、前のような生活を取りもどせる、という希望です。ワクチンも開発されて、外国では接種が始まっているので、半年前よりもその希望の光が見えてきたことは事実です。

ただ、「前のような生活」と書きましたが、実際はもう「前のような生活」はあり得ないでしょう。確実に変わりました。コロナが収束してもです。社会システムもそうですが、心理的な面も大きいようです。いつまでも「前のような生活」を願っていては生き残れないということです。新しい環境に慣れるしかない。

たまたま今放映中の『ミッドナイト・スカイ』という映画を観ました。ジョージ・クルーニーが監督・製作・主演を務めたSF映画です。放映中なので、詳しいストーリーは伏せておきますが、地球が滅亡する中で、ある人を救うために主人公は危険を冒すわけです。余命いくばくもないことを知っている主人公が最後にやり遂げるミッションです。それはやっぱり希望です。その人たちを救うことで、人類を生き延びさせることができる、という希望です。その希望はかなったのかどうなのか、それは映画を観て判断してほしいと思いますが、少なくとも、主人公の行動力は希望にありました。

主人公の場合は、「人類」(結果的にはちょっと違うんですが)という大きなものですが、たぶん、俺たちも、日々、希望を持ちながら生きているし、もし絶望したら、死んでしまうでしょう。

個人的なことをいえば、「前のような生活」を懐かしむんじゃなくて、この新しい世界にどのように適応していくか、という試行錯誤も面白いんじゃないか、ということです。

2021年は、それが俺にとっての希望になっているかもしれません。

 

 

 

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2020/10/12

映画『星の子』を観たくなった理由

Img_7139 (マダガスカル ムルンダヴァの星空)

 

つい先日、映画『星の子』の舞台あいさつのとき「信じるとは?」ということについて持論を展開した芦田愛菜に賞賛の声があがりました。

その持ち上げ方になんだか俺はもやもやを感じて、この違和感はなんだろう?とずっと考えていました。

16歳の子がこんなに持論を持っていてすごいという賞賛なんでしょうか。「16歳」だからなのかな。たぶんそう。この大人の持ち上げ方を見ると。

でも、50歳になっても、60歳になっても、こんなに深く考えている(哲学している)大人はむしろ少ないと言わざるをえません。だからこれは年齢ではないのでしょう。考えない人はいくつになっても考えず、「ぼーっと生きている」だけです。もちろんその中には俺も含みます。

その考えていない大人が、考えている16歳を誉めている図は、こっけいとも言えます。

「誉め殺し」という言葉がありますが、深層心理では、誉めながらその実、相手を否定するこざかしさを持っています。そのこざかしさが「大人」であるともいえるかもしれません。

「どうせ大人になったら、そんな理想論じゃすまないんだよ」など、無意識ではそう思っているからこそ、やたら16歳を誉める。

こういうのは努力とかではなくて、一種の性質(性格)であって、彼女だけが考えているのではなく、考えている青少年はたくさんいます。でも、彼女のように外へ自分の思いを出しずらい。哲学しているなどと思われると、暗いだの、面倒だのと言われてしまう。だからそういう人は隠れています。それがバレると生きづらくなることを知っているからです。むしろ人以上にバカになり、ピエロを演じたりすることもあります。 

その点、 芦田愛菜は超有名人だから(しかも秀才と世間でも認知されているので)、哲学していることを堂々と口に出しても、周りに押しつぶされる心配はないと言えるでしょう。

ところで、この発言で関心を引かれた映画『星の子』の方も、がぜん興味がわいてきました。ぜひ観たいと思います。芦田愛菜の発言が映画の最高のプロモーションになったというのも、してやられたなぁという感じですね。

公式HPはこちらです。

 https://hoshi-no-ko.jp/

 内容にも興味があって、「あやしい宗教」を信じている両親との間で揺れる少女の愛情・葛藤の物語らしいです。

 

 

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2020/09/04

「思い出」は「物語」

03_20200822074101 (タイ・パーテム Pha Taem 壁画の魚)

 

『中国辺境民族の旅』など、今年になってから昔の日記や原稿を読み返しましたが、人の記憶は当てにならないなぁとつくづく思います。記憶のいい加減さについては、心理学でも勉強したので、今さら驚きもないのですが、けっこう自分の都合のいいように変わっているのを感じます。

つまり、思い出というのは、けっしてその人の「客観的史実」ではなくて、どちらかというと「物語」に近いのではないでしょうか。すでに何度か書いていますが、「物語」が人の心には必要なのだということでもあるのでしょう。

昔、アメリカ映画で『ビッグ・フィッシュ』(2003年)というのがありました。

エドワード・ブルームが語るお伽話でみんな幸せな気分になるのですが、彼の息子だけは、単なるホラ吹きだと思って嫌っていました。でも、父親の余命わずかとなったとき、ホラじゃなくて事実もたくさんあったんだ、そして父親の生涯が幸せなものだったんだと知り和解する話。父親が家を留守にしがちだったのは、母親のほかに、外に女がいるからだろうという誤解も解けるのでした。いい映画でした。

それにしても、エドワード・ブルームの、話を大きくして語る性格は、とってもわかります。事実を事実としてだけ話をしても、つまらないと俺も思うようなところがあります。教科書じゃないんだから、多少の誇張はあってもいいと思うし。ただ、行き過ぎると、「嘘」になってしまうので、そこのバランスは難しい。どれくらいまでが「ビッグ・フィッシュ(大きな魚)」と言っていいものか。

タイのパーテム国立公園には、古代の壁画があります。ここに大きな魚の絵もあります。人型と比べると、かなり大きな比率で描かれています。「ビッグ・フィッシュ」です。(海ではないのでクジラではなく、せいぜい河イルカかもしれませんが) でも、たぶんこれを描いた古代人のイメージとしては、こういう感じだったのでしょう。「大きいなぁ」というイメージ。比率的には「嘘」かもしれませんが、古代人の心の中では真実です。

正直言うと、俺もノッテくると、「おおげさな話」から「嘘の話」になっていく微妙なところがあります。言ったあとに「おおげさだったな」と内心後悔しながらも、相手が信じてしまっているのを、今さら否定するのもなんだなぁと考えて、そのままにしておくと、聞いた人の誇張なども追加されて、話に尾ひれが付き(それこそビッグ・フィッシュですね)、そのことが俺を縛ってしまって、辛くなるという悲劇も起きます。

ただ思うんですよね、というか、半分言い訳ですが、物事の真実を伝えたいと思ったとき、嘘を言ったほうがいいときもあると。たとえば、小説なんかも、考えてみれば「嘘」なわけで。そういう「嘘」でしか伝えられない「真実」というものもあるような気が・・・・。

同じことなら、楽しく、面白く生きたいなと思っているだけです。現実は、ドラマチックでもありません。その淡々とした日常に耐えられない「弱さ」といったらいいか、それもないと言ったら嘘になるかもしれませんが。

俺たちは日々物語を生み、それを蓄積しながら生きているんだなぁと思います。 都合の悪い部分は忘れ、都合のいい部分は強調して、話を自分の中で構成し直し、新しい物語を作っています。楽しい思い出だけじゃなくて、辛い思い出、悲しい思い出も、たぶん、自分にとっては大切な物語なのだと思います。

 

 

 

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2020/08/10

今日は、山の日

131008(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々)

 

130925_1(カトマンズ スワヤンブナート)

 

130925_3(カトンマンズ スワヤンブナートから見た旧市街)

 

131011_4(カトマンズ タメル地区)
130927_1(伝統的なネワール料理)

 

131018_8(ポカラ郊外ダンプス ヒマラヤの山々と棚田)

 

131002_1(ポカラ郊外 棚田)

 

 

今日は「山の日」だそうです。写真は数年前に行ったネパールの写真です。

神々しく輝く早朝のヒマラヤ山脈。ふもとまで続く波打つ棚田。ヒンズー教、チベット仏教などの宗教が息づく町や村々のたたずまい。すばらしいところです。

エベレストは、サンスクリット語で「サガルマータ」、「大空の女神」という意味です。アンナプルナは「豊穣の女神」という意味だそうです。ネパールでも、山は女神だったようです。日本でも山の神が女神(が多い)だったことは、先日「山の神」にも書いた通りです。

最近、狼信仰を調べていて、だんだん山への関心が高まってきました。と言っても「登山」ではありません。基本的に、俺は山登りがそれほど好きではありません。ただ、目的があって、山に登らざるをえないから登っているだけです。

ネパールでも、棚田が目的だったので、稲作の高度限界、ダンプス村あたりまでしか上りませんでした。チベット高原の5000メートルに近い山に登ったときも、メコン源流を探すためであって、登山がしたかったわけではありません。

俺にとっては、「山」は、むしろ下から見上げて満足するものです。これは山への信仰心のあり方と関係するのかもしれません。人によっては、もちろん頂上を征服することが山への信仰心なのかもしれないし。

山は狼の生息場所でもあったので、「山」と「狼」は、切っても切れない関係ですが、どうして日本に狼信仰が生まれたかを考えると、山への感謝=信仰抜きにしては成り立たないことをあらためて知ることになりました。

今までの俺の理解では、狼は、田畑を荒らす鹿や猪から守ってくれる益獣であることから、つまり「農耕の守り神」として狼信仰は始まったという説は、いろんな本に書いてあることだし、俺も、その説に従って、いろんなところに書いてきたのですが、そうすると、狼信仰は人々が定住して農作物を作るようになった後に始まったことになります。

秩父でお犬さま(御眷属様)信仰が始まったのは、享保5(1720)年、三峯神社に入山した大僧都「日光法印」が、境内に狼が満ちたことに神託を感じ、「御眷属拝借」と称して、山犬の神札の配布を始めたのが最初だと言われています。もちろん、このときはすでにそうだったのでしょう。

でも、狼信仰のルーツは、太古の昔にさかのぼるらしいのです。まだ日本列島に住む人たちが山で主に狩猟採取をしていた縄文時代、あるいは、もっと昔まで。

国や民族を越え、ある意味、人間の根源に迫った狼信仰のルーツを求めることは、意外にも、自分の内なる宇宙、深層心理につながるという予感がします。 

 

 

 

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2020/08/08

山の神

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最近、「山の神」に関する本を読んでいて、あらためて「山の神」について忘れないように書いておきます。

自分の奥さんのことを「うちの、かみさん」「やまのかみ」と呼ぶ人がいます。俺は使ったことはありませんが、「かみさん」「やまのかみ」は本当の「山の神」から来ているようです。

春には山の神が里に下りて田の神となり、秋の収穫後に、ふたたび山へと帰るという交代説はよく聞く話だし、何度か原稿で書いたことがあります。狼像を探して歩いていると、よく「山の神」の石碑や祠に出会いますが、運が良ければ、そこに狼像が伴います。

大護八郎著『山の神の像と祭り』には「人類の信仰の発達史からいえば、山の神こそその原初のもの」とあります。山の獣や鳥を狩り、山草や木の実などを採り、山から流れる水が生活に欠かせないものだった太古の時代から、山に対する感謝が生まれ、いつしか信仰になった。山の神に対する信仰は、山自体をご神体に感じていたという。

町田宗鳳著『山の霊力』には「 人間がこれらの動物の肉を口にするとき、それは山という巨大な動物の分身の肉にほかならなかった。 古代人の眼には、山は決して無機質な物体ではなく、切れば真っ赤な血が吹きでるほど、肉感をそなえていたのではないか。それは、人間と山が同じ〈いのち〉で繋がる生き物だという感覚でもある。」とあります。

山に対する信仰は、人間に命の糧を与えてくれる山に対する感謝に他なりません。山の獣の王者であった狼が山の神を守る神使になったというのも、自然な成り行きだったのかもしれません。

ネリー・ナウマン著『山の神』では、熊野の山詞では狼そのものを「山の神」と呼んだり、中部地方の山地では、「山の主(あるじ)」と呼ぶことを紹介しています。また、鎌倉時代に狼を山の神とする伝承もありました。

山の神は豊穣の神、お産の神でもありました。狼や犬の多産・安産のイメージとも相まって、山の神と狼との親和性が生まれたとの指摘もあります。だから、山の神を守っている狼像を見ることも多いのです。

ただ山の神像の多くは、仏教伝来以降、仏像などの影響を受けて造られるようになったらしい。だから、地方によって、山の神の像は千差万別です。男の神像だったり、女の神像だったり、男女の神像だったり。中には鳥の形をした山の神像もあります。

山で失くしものをしたときは、山の神の前で、オチンチンを見せると、失くしたものが見つかる、などという話もありました。この場合、山の神は女神ということです。また、マタギは、山の神にオコゼの干物をお供えしたというのがあり、これも、女神である山の神が「自分よりも醜いものがある」と喜ぶからだそうです。ただ、オコゼの干物が男根と似ているためだという説もあり、こちらほ方が有力らしい。オコゼの干物の実物を見たことはないので、本当に似ているのかどうか、そのうち自分のと比べてみたいと思います。

とにかく、山の神を怒らせない、喜ばせることが大切で、そうしないと獲物も得られないし、命の危険さえあると信じられていたのです。

ただし、オチンチンを見せれば山の女神が喜ぶというこの発想は、男性のものでしょうね。昔の山仕事は主に男性のものだったろうから、仕方ないかもしれませんが。今、この通りにやったら、変質者です。

『山の霊力』にはこうあります。

「修験者が山中での荒行終えてから、精進落としといって、淫蕩にふけることも、よくあった話だ。峰入りを済ませた山伏が集結する大峰の洞川にも、江戸時代には遊郭ができていた。」

埼玉県上尾市ですが、江戸時代から明治時代にかけて大山講(石尊講)がたくさん組織され、大山詣りをする人がたくさんいました。信仰心もあったようですが、娯楽的意味合いが多かったようです。大山と江の島観光がセットだったらしい。(阿夫利神社の下社からは江の島が見えます)

『大宮市史』『上尾市史』によると、大山は出世神でもあったそうです。上尾では、14、5歳になると、男子は大山詣りをしました。これが一種の大人の儀式のようで、借金してまでも大山詣りをしないと、一人前として認められなかったといいます。初めての登拝を「初山」といいました。

上尾から行く場合は、平塚まで汽車で行き、そこからは遠い距離を歩きでした。そのため下駄では大変なので、草鞋や地下足袋で行きました。でも、帰り、江の島、鎌倉、東京を通るとき草鞋ばきは恥ずかしいので、せめて地下足袋をはいて行きたいと言って買ってもらった人もいたそうです。いつの時代も同じですね。ちなみに境内に立っている「大山詣り」の像は、裸足ですけどね。

この「初山」は、山の神に会いに行く、山の神との合体(童貞を捨てる)する旅でもあったようです。「男」としての通過儀礼です。たぶん、大山に参ったあとの、江の島、鎌倉、東京の花街が本当の「初山」の場所だったのではないかなと勝手に想像しています。(今のところその資料は見ていません)

 こういうふうに、山の神が女神であることと関係あるそうですが、たとえば、大相撲での女人禁制、山の女人禁制が、進歩的なある種の人たちにとっては、女性差別だ、男尊女卑だ、時代遅れだ、と映るかもしれません。

でも、どうなんでしょうか。男女が、何事においてもすべて同じでなくてはならないと考えるのは、むしろ、「男性が子供を産めない」という決定的な欠点を、サラ~ッと無視することにつながらないでしょうか。この山の神を考えた時、男性はすでに女性には勝てないことを自覚しているのではなかと思います。だから、せめて山の神の歓心を買おうと男性はやっきになるのではないかと。

そして、こういう健気な話もあります。

昔、妊婦が出産する産屋には山の神の画像をかけていたそうです。『山の霊力』には、「新しい生命が誕生するのには、どうしても山の神の応援が必要とされたのである。その証拠に、妊婦が産気づくと、山の神を迎えにいく儀式を営んでいた地域も、岩手県遠野市をはじめ全国的に多い。ふつうは夫が里から馬を連れ出して、山の方に向かって歩き、たまたま馬が立ち止まったところで、山の神が馬の背に乗ったとみなし、ふたたび産屋に戻ってくるのである。(略)難産だと、それは山の神の到着が遅れたためだとし、死産だったりすると、とうとう山の神が来てくれなかったと考える。」

なかなか馬が止まってくれないと、止まってくれるまで歩き続けた、とかいう夫の話を別な本で読んだ気がするのですが、とにかく、夫は妻と生まれてくる子のために必死で山の神を頼ったわけですね。

 

 

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2020/08/07

新型コロナの虫送り

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10年ほど前に、埼玉県皆野町の「虫送り」を撮影したことがあります。今年は行われるでしょうか。

虫送りは、3本の「オンベイ(御幣)」を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。

オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。

害虫には、いろんなものが含まれるようです。農作物の害虫はもちろん、疫病神なども、すべて災いを招くものを「虫」として呼び寄せます。今年なら「新型コロナの虫」も含まれるかもしれません。

昔は、最後にこのオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていましたが、今は、流せなくなった(流さなくなった)とのこと。

それを聞いて、今はそんな時代なんだなぁと思ったものです。別な灯篭流しの祭りでも、下流にボランティアが待機していて、流れてきた灯篭を全部回収することをわざわざアナウンスしていました。だから流さないでと。

物を勝手に川に流せないんですね。物だけではありません。「悪霊」「災い」も流せなくなったということです。昔なら、「虫」にみたてた「悪霊」「災い」を村の外に出してしまえば、村の中の安泰は保てました。

でも、意地悪な見方をすれば、「虫」を村外に出すということは、他の村(下流の村)がその「虫」の被害に遭うかもしれないことになります。

つまり、今の時代、災いは、その村だけで解決すれば良いという問題ではなく、災いは、すべての村(あるいは物)が大なり小なり何らかの関係性を持っているということでもあります。

 村から町、県、そして国、世界へと、俺たちの生活範囲は広がっているのに、「新型コロナの虫」に関しては、まるで村の「虫送り」に逆戻りしているような感じを受けます。外からの「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)に入ってくるのを心配しています。

でも、「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)からいなくなっても、別なところにいる限り、平穏な生活は戻ってきません。つまりこの「新型コロナの虫」送りは、全地球規模で、みんなで協力してやらなければならないことです。

にもかかわらず、今は、外からの人間を「虫」扱いせざるをえない状況です。観光業で潤っていたはずの観光地が「来ないで」と言うところもあります。罹った人間に対する誹謗中傷も止まりません。人をウイルス扱いする客や店員のレジハラも起こっています。「人間」が「虫」ではなくて、「新型コロナウイルス」が「虫」なんです。

新型コロナの一番怖いところは、人間関係を分断するところにあるようです。

そこで、虫送りを復活させてみてはどうでしょうか。

オンベイをロケットに載せて宇宙に放つのが、現代版の「虫送り」としては一番の方法かもしれません。実際やるのは難しいですが、その代わり「花火」があります。その象徴的な儀式として、これを「虫送り」に見立てればいいのではないかと。

それとも秩父市・椋神社の「龍勢」でしょうか。こちらはまさに竹製の「ロケット」なので、「宇宙に放つ」イメージと合致するような気がします。

こういう儀式は象徴的なものです。これで人間が「虫=ウイルス」でないことの感覚を取り戻すことができたらこの「虫送り」という民俗も役に立つのかなと思います。

 

 

 

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