カテゴリー「心理学の話題」の160件の記事

2018/10/09

玉川麻衣個展「死と乙女」と、板橋雅則展

Dn05rcqxsaabit4(玉川麻衣さんツイッターより)

Itabashi(板橋雅則展のDMより)
  
 
知り合い2人の個展をハシゴしました。両個展とも、まだ開催中ですので、ぜひ見に行ってみてください。おすすめです。
 
 
■ 玉川麻衣個展「死と乙女」
   会期: ~10月19日(金) ※15(月)休
   時間: 11時~19時
   会場: 八犬堂ギャラリー 
        世田谷区池尻2-4-5 IID-118 
        (世田谷ものづくり学校 118号室)

玉川さんの絵は、去年、オオカミ信仰を調べている中で、「狼伝承と登る七ツ石山展」で知りました。玉川さんは七ツ石神社の再建プロジェクトに協力しているので、丹波山村に玉川さんの原画を元にしたオオカミの絵の手ぬぐいがあるのですが、今回『犬像をたずね歩く』でも手ぬぐいの絵を掲載させてもらいました。
絵は、『鶴の恩返し』のツウが自分の羽をむしって布を織ったような、鬼気迫るものです。じっと見つめていると、異界に引き込まれそうになります。戻れなくなるような怖さも感じます。
 
  
 
■ 板橋雅則展
   会期: ~10月14日(日)
   時間: 12時~19時
   会場: ぎゃらりー由芽のつづき
        三鷹市下連雀4-15-2-101

板橋さん夫婦とは、昔、中国雲南省のシーサンパンナのタイ族民宿で出会って以来の付き合いです。10年前くらいまでは、板橋さんの絵には、人間の姿がありましたが、今回は、一見すると見当たりません。
でも、前より、視点が高くなったような気がします。前は、200m上空から見ているような絵だとすると、今回のは、もっと高度が高く、例えれば、Google Earthで地球のどこかを見ているような感じなのです。模様は道なのか、畑のあぜ道なのか、砂漠の遊牧民の家畜を囲っている柵にも見えます。人もいるんじゃないかとつい目を凝らして見てしまいました。
そのうち板橋さんの絵の視点は、もっと高度を上げていくのかなという個人的期待もあります。


タイプのまったく違った絵なのに、共通したものを感じます。いい絵かどうかは、どれだけ自分がその絵の中に入り込めるか、ということで、その内側の世界に共感できたということなんだと思います。
 
 
 
 
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2018/10/04

富田林逃走 「ただ今、自転車で日本一周中」のニュース

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「富田林逃走 「ただ今、自転車で日本一周中」素顔で写真」(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20181001/k00/00e/040/225000c

大阪府富田林署から逃走していた樋田淳也容疑者が、約50日ぶりで山口県周南市の道の駅で捕まりました。

大阪府内に潜伏しているはずだの、もう死亡してるのでは?だのと言われていたのに、なんと容疑者は、日本一周の旅をしていたというのは、驚きです。

俺も「日本一周」界隈でうろうろしている人間なので、このニュースにはどうしても一言言いたくなってしまいます。

犯罪者は現代社会常識の盲点をつく、ということですね。誰がこの犯罪者が、堂々と素顔をさらし、記念写真に収まり、日本一周の旅人を装うと想像した人間がいたでしょうか。

それと、容疑者は、途中で同行者を見つけるのですが、おそらく相手を観察し、あまりスマホなど見ない、情報に疎そうな人物を選んだのではないでしょうか。そのあたりも抜け目がない。二人ならなおいっそう「日本一周の旅人」らしく、隠れ蓑としては理想的です。

今までも、道の駅で車中泊していると、職質を受けることが何度かありました。これからはもっと増えるかもしれません。

ところで、犬連れだと、不審者として疑われにくいということがあるようです。職質を受けた時も、犬連れのときは、どうも質問が甘くなっているのではと感じる時があります。(と言って、俺ば別に逃亡者ではありませんが)

たとえば、こういう犯罪者がそのうち出てくるのではないかと思っています。

犬連れの泥棒・空き巣です。まさか?と誰もが思うでしょう。でも、犯罪は常識の盲点を突くのです。(もういるそうです。犬散歩を装った空き巣が)

住宅街を歩いているとき、人の家の前で立ち止まっていたら不審者ですよね? すぐ通報されてしまうかもしれません。

でも、犬連れなら、その不自然さがなくなります。犬を散歩させたことがある人ならわかりますが、そう簡単に歩いてくれない犬もいて、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ、オシッコしたり、うんちしたりして、住宅街をゆっくり歩くのもありえるのです。

犬の散歩を装って、入る家を物色し、犬を電柱かどこかにちょっと繋いで(繋ぐ場所が問題ですが)、空き巣に入るという犯罪者です。
 
 
 
 
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2018/09/11

テニス全米オープンの女子シングルス決勝で優勝した大坂なおみ選手のアイデンティティ

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テニス の全米オープン の女子シングルス決勝で、大坂なおみ選手が優勝。おめでとう。

ところで、上に掲載の写真は、大坂選手とはまったく関係ありません。あるテニスコートのフェンスに残っているボールが気になって写真を撮ったものです。

大坂なおみ選手のスピーチで、「勝ってしまってごめんさい」と言ったときは、ちょっと違和感を覚えましたが、「日本人らしい」のかなぁとも思ったり。でも、これは日本メディアの誤訳だったようです。

大坂なおみ「勝ってしまってごめんさい」は日本メディアの誤訳(ニッポン放送)」によると、「審判のジャッジが問題となり残念だと言ったそう」です。

どうりで。あまりにも「日本人らしい」言葉だと思いました。これは、日本メディアの意識的にか無意識的にかはわかりませんが、「日本人らしい」という先入観、いや、期待感がこういう誤訳を生んだのかもしれません。

というのも、ツイート上では「大阪なおみは日本人じゃない」「日本人に見えない」とか書いている人がいることと関係しているように思います。

見た目やたどたどしい日本語で、そういうことを言っているらしいのですが、こんな人、まだいるのか?と不思議です。これだけ国際結婚、帰化する人も多くなり、見た目が「外人」、言葉もたどたどしい外国育ちの日本人がいても、まったく不思議ではない時代です。「純粋な日本人」なんて幻想です。

でも、やっぱり「見た目」が大きいのでしょうね。それは俺も認めます。

そういう「日本人ではない」という人たちがいる中で、大坂選手の、「勝ってしまってごめんさい」というのは、「日本人らしい」格好の言葉であったのではないでしょうか。「そうあってほしい」という無意識の願望ですかね、こういう誤訳をしたのは。


後日談ですが、大坂選手が日本に「帰国」して記者会見した時、自分のアイデンティティを聞かれて、「私は私」と言った言葉に納得しました。

多くの日本人が、彼女をことさら「日本人」にしようとしている(たとえば「日本選手」として東京オリンピックに出るのか、戦々恐々しているところなど)ところと、ギャップを感じました。

そんなことにこだわる俺たち日本人は、まだまだ国際派にはなれないんだろうなぁ。
 
 
 
 
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2018/09/05

韓国映画『トンネル 闇に鎖された男』を観て

_mg_9165(天城隧道)


韓国映画『トンネル 闇に鎖された男』を観ました。

ある極限状態の場所に閉じ込められて、そこから脱出するサバイバルの映画は多いと思いますが、ジャンルとすればそれに含まれます。(脱出できなかった、という映画はないと思うので、これはネタバレとは言わないでしょう)

映画以外にも、実際に先日は、北タイでサッカーチームの少年たちが洞窟に閉じ込められて、脱出したというニュースもあったし、以前チリの鉱山に閉じ込められた鉱員たちの脱出劇もありました。

だからこいういう状況は、絵空事ではなくて、けっこうあるということなんでしょう。

映画『トンネル』では、工事の手抜きが原因だったようですが、日本でもトンネル崩落事故があるし、これから耐用年数を超えて、次々に起こる恐れもあります。

『トンネル』では、スマホで外部と繋がることができて、他の車に乗っていた犬が傍にいたということが、主人公が生き抜くことができた要因でもあったでしょう。バッテリー(スマホや車)がそんなに持つのか?という心配をしながら見てしまいましたが。

でも、世間は冷たいものです。救出作業が長引き、「彼はもう生きていないだろう」という空気が漂い、第二トンネルの工事再開を望む声が大きくなって、救出作戦をあきらめようとするわけです。つまり、世間は、彼を見捨てるのでした。

ところで、「トンネル恐怖症」というのがあります。俺もそうです。とくに大きいトンネルではなくて、伊豆半島の旧天城隧道などの暗くて狭いトンネルは怖いものです。

もともと狭いところが怖いので、その流れからの怖さもあります。でも、トンネルの場合、ただ怖いというだけではないようにも感じます。矛盾するようですが、トンネルを抜けた時のスッキリ感・安堵感というものもあり、それが同時に持っているのがトンネルというものらしい。

狭いところを抜けるというと、「桃源郷」を思ってしまいます。「桃源郷」というのは、狭いところを通る・死ぬような思いをする、ということで到達できるものらしいのです。だからトンネルは、死と再生の儀式を行う装置にもなります。一度死んで、新しくなった自分の目の前に現れる新世界、それが「桃源郷」と言ってもいいかもしれません。

『トンネル』の主人公も、トンネル事故から生還して、新しい視点(考え)を持った人間に生まれ変わっていたようです。そのことがわかるのは、マスコミに発した第一声です。

主人公は「くそったれ!」と言うんですね。
 
 
 
 
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2018/07/25

映画『沈黙 -サイレンス-』2016年を観て

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『沈黙 -サイレンス-』(原題:Silence)は、遠藤周作の小説『沈黙』を映画化したアメリカ・2016年の作品です。

公式HPはこちら。

http://chinmoku.jp/

映画の冒頭のシーンは、雲仙の「地獄」から始まります。

ポルトガルから派遣されてきた神父たちは、雲仙地獄の熱湯をかけられ拷問を受けます。棄教を迫られるのです。でも、棄教しなかった神父たちは熱湯の拷問の末、死んでいきます。

それを見ているひとりの神父がいます。クリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)です。この神父は映画の後半で再登場します。

遠藤周作自身をモデルにしたといわれる登場人物、窪塚洋介扮するキチジローは、家族を裏切り、神父を裏切り、踏み絵も躊躇なく何度でも踏むのですが、でも、彼は生涯クリスチャンであったようです。

信仰とは何か?どういうことなのか?を一番わかっているのは、このキチジローではなかったのかと思うくらいです。いや、実際そうなんでしょう。

形はどうであれ、信仰とは心の問題で、誰からも犯されないということを、彼は意識なく実践している、そんな人物に見えました。

行方不明になったフェレイラ神父を探しに来たふたりの若い神父たち。セバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)と、フランシス・ガルペ神父 (アダム・ドライヴァー)。

【ここからネタバレ注意】

ロドリゴ神父は、隠れキリシタンたちにかくまわれ、村々で活動をしますが、とうとう捕まってしまいます。これもキチジローが裏切ったためでした。

役人たちは、ロドリゴ神父に棄教を迫ります。

そこに、フェレイラ神父が再登場します。実は彼はすでに「転んで(棄教して)」、日本人の妻も持ち、日本名を名乗る人物になっていました。

彼を探しにやってきたロドリゴ神父に対面します。ロドリゴ神父から見れば、裏切り者です。

フェレイラ神父は、ロドリゴ神父にも「転ぶ」ように説得します。ロドリゴ神父は、信者たちの拷問を見させられ、苦悩します。「なぜ神は我々にこんなにも苦しい試練を与えながら、沈黙したままなのか?」と。

ロドリゴ神父は耐えられなくなり、とうとう「転ぶ」のですが、その時、踏み絵のイエスは彼に語りかけるのでした。

「苦しいのは私が一番よく知っている、踏むがいい」と。

この映画は、神父側から言えば、日本のキリスト教弾圧は「悪」なのかもしれませんが、フェレイラ神父の言葉を借りるなら、この日本にキリスト教は根付かないという確信でした。隠れキリシタンの信仰もキリスト教の原理ではなく、来世への幸福を願っているだけというキリスト教の日本化というものに気が付き、布教をあきらめたのでした。

でも、フェレイラ神父は悟るのです。たとえキリスト教はダメでも、この国(日本)には、素晴らしい知恵があると。

弾圧する側の役人である、井上筑後守(イッセー尾形)と、通辞(浅野忠信)も、キリスト教だけが正しいという西洋の傲慢な考えを批判します。その点は、俺もその通りだと思います。

その癖は、今でも治っていないようで、最近のことで言えば、イスラム教徒たちが不満を持っている点でもあります。

多様なものを認める、その心の余裕こそが「愛」で、それこそキリストが説く一番大切なものなのではないのでしょうか。

人の心を一つの価値観で強制してはいけないのです。また、そんなのは無理なのです。そういう意味で、キリスト教の弾圧をしていた当時の幕府も同罪と言わざるを得ないでしょう。

キチジローのように生きるのが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、俺は拷問されたら痛いのが耐えられないと思うので、すぐ「転ぶ」だろうし、信仰のために命を捧げる純粋さもありません。キチジローに共感します。
 
 
 
 
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2018/07/15

タイ13人が奇跡の生還で注目される瞑想(マインドフルネス)

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タイ北部チェンライ県、13人が洞窟から奇跡の生還で、発見されるまで彼らは瞑想して時間を過ごしていたそうです。

瞑想していると、邪念は払われ、空腹感や体力の消耗も抑えられたということが、生還につながったとの報道もあります。

瞑想はマインドフルネスとは必ずしもイコールではありませんが、西洋風に言えば、マインドフルネスという最近はやりの言葉になるのでしょう。

「マインドフルネス」とは「一切の評価や判断を挟まない気づき」のこと。「今この瞬間」に意識を集中することで、過去の失敗や将来への不安がもたらすネガティブな感情に気づき、それらと距離を置き、やり過ごすことができるようにするストレス低減法で、自分でもやれる方法です。

心理学を学ぶ中で、認知行動療法の中に、このマインドフルネスが出てきます。「認知行動療法」の教科書には、

「不適切な思考の変化を強調せず、非判断的で、受容的な注意の配り方を習得できるように援助するもの。…(略)…習慣的となって凝り固まっていた不適切な認知から自由になることが目指される」

とあります。

認知行動療法の第3世代と言われるもので、「禅」や「仏教」にも通じるところがあります。瞑想法が取り入れられて、マインドフルネス認知行動療法に発展したものです。より東洋思想に近づいたそうです。

日本でも去年の12月から従業員50人以上の事業所ではストレスチェックが義務つけられました。

それもあって、この新しい認知行動療法の「マインドフルネス」も注目されているようです。グーグル、アップルなどアメリカのIT企業も研修プログラムに採用しているものです。

俺も最近は呼吸を意識するようになりました。短い時間で吸って、長い時間をかけて息を吐くことが基本です。

空気が鼻孔を通るときの感覚、吐き出したときの唇内側の感覚など、「今この瞬間」を意識することで、考えなくてもいいことを意識から排除します。

まだ俺のマインドフルネスは発展途上なので、まだまだ過去の後悔や将来の不安からは解放されません。前よりは、マシかなぁという程度ですが。
 
 
 
 
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2018/07/07

オウムの死刑囚たちの死刑が執行

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麻原彰晃らオウムの死刑囚たちの死刑が執行されました。

突然、という印象がありますが、当局も熟慮した結果、「7人同時にこの日に」というふうになったのだと想像します。

なにしろ、麻原は黙して語らず、こういった事件の再発防止の手がかりを残さなかったところが、歯がゆいところです。

彼らはもともと「極悪非道な人間」なのでしょうか? そうではないでしょう。むしろ「普通の人間」だったはずです。

だから逆に怖いのです。「普通の人間」がある条件で変わってしまうというのは。

俺も他人事だとは思いません。年代も近く、実際、ある教団(オウムだったか覚えていませんが)の誘いで、事務所のようなところでビデオを見せられたことが2回あります。幸い、その時、俺の頭の中は「外国旅行したい」という思いが強く、この教団との関係もそれっきりで助かったのでしたが。

こんなことがあったので、俺も少しでも変な方向に転んだら、彼らと同じようなことにならなかったとは言えません。

どうしてこういったカルト教団や、最近では、ISなどのテロ集団に入ってしまうのでしょうか。

当然その人の内面の問題があります。

内面の問題とは、「普通」から外れた人のこころを受け入れてくれる「もの」あるいは「場所」あるいは「団体」あるいは「つながり」という解決策がないことです。

「どうしてISへ行こうとするのかわからない」という言葉は、俺の耳にも違和感がありました。これが一般日本人の感覚なんでしょう。この言葉の中には「この幸せな日本に住んでいるのに何が不満なのだ?」という裏の意味を感じます。

オウムの幹部も高学歴で、どうしてオウムなんかに?と思われていました。

ここです。問題は。

今の社会について疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的多数派の人々。

むしろこの多数派の人間が本当は病的で、社会になじめない少数派の人間がまともにさえ見える社会です。そして「平和で、自由で、安全で、平等な国」というのも、しょせんは「他人の理想郷」であるし、また、建前(もっと言うなら「嘘」)であることをみんな薄々感じながらも、それを意識してしまうと生き辛くなるので、無意識に押し込めているというのが現状ではないでしょうか? だから圧倒的多数派と言っても、いつでも少数派になりえるということでもあり、結局みんな同じです。

こういう建前社会に、ついていけない人は正直なのかもしれません。建前社会になじめない少数派の人間の方が、本当はまともな人間なのではないかとさえ見えてしまうのです。

とにかく、今の社会に生き辛さを感じる少数派の人は、なかなか行き場所がありません。この内面の問題を解決しない限り、若者(若者ばかりではないですが)が、ISやオウムなどカルト集団に向かってしまう怖れは続きます。

この「内面の問題解決」こそ、これからの「テロとの戦い」でもあるのでしょう。
 

 
 
 
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2018/06/26

映画『LION ライオン 25年目のただいま』を観て

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Google Earthが活躍する映画かなと思って観ましたが、そのことは大きなポイントにはなっていませんでした。

むしろ、20数年間引き裂かれた家族との再会が感動的な映画です。実話だそうですが、まぁ、Google Earthで過去を再発見することは、大きい小さいはあるにしても、みんなあるのかもしれません。

1986年、インドの話です。ちょうど俺が中国→ネパール→インドに入って旅した年です。

スラム街で暮らす5歳の少年サルーが、兄と仕事を探しにでかけた街で、停車中の電車で眠り込んでしまいます。その電車は回送電車で、サルーはひとり閉じ込められたまま、千数百キロ離れた土地に運ばれてしまいます。そこは大都市カルカッタ(コルカタ)でした。

サルーはストリートチルドレンになり、人買にさらわれそうになったりします。そして孤児の収容所で紹介されたオーストラリアの里親の夫婦に引き取られます。

そこで幸せに暮らすのですが、ふと、インド系の人たちのパーティ会場で目にしたインドの揚げ菓子で、突然、兄のこと、母のこと、故郷のことを思い出すのです。

サルーは、幼いころの記憶とGoogle Earthで、本当の母や兄が暮らす故郷を探しはじめるのでした。そして何日かして「鉄塔が立っていた駅」を探し当てます。

サルーは、20年ぶりに故郷の村に帰ります。そこで母と再会します。(兄は死んでいました) そして、ここでなぜ映画のタイトルが『LION ライオン』なのか明かされます。ここは子供のころの記憶違いと関係しているのですが、ここにリアリティを感じました。

なるほどなぁと思いました。たしかに子供のころの記憶は、後で作られた記憶もあるし、子供の知識や常識で覚える記憶なので、大人の記憶とはまた違ったものになるわけですね。

記憶の問題として、心理学的な興味を持って観るのもまた面白いかなと思う映画でした。
 
 
 
 
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2018/04/06

【愛犬物語 其の二百四十七】 和歌山県有田川町  明恵上人と子犬像

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有田川に架かる明恵大橋の欄干の両端には、像が据えられている。明恵上人の座像と、向かい合っているのは、明恵上人の愛犬がモデルとされる犬像だ。

この犬像は、京都の高山寺にある木彫の子犬の像を模したもの。明恵上人はこの像を座右に置いて時々撫でていたのかもしれない。垂れた耳で、少し体を傾けてちょこんと座っている姿がとても愛らしい。

志賀直哉も、そばにおいて可愛がりたいくらい優れた作品だと語ったそうだ。運慶の長男・湛慶の作ではないかと伝わっている。

しかし、外に飾ってある犬像全般に言えるが、鳥の止まり木に利用されることも多く、この明恵大橋の犬像にも鳥の糞が付いて涙のように見えたので、まず、雑巾で拭いてからの撮影になった。

明恵上人について、個人的には生涯夢日記をつけていたお坊さん、ということで興味をもっていた。

明恵上人は19歳から、死ぬ一年前の59歳まで夢を記録し続け『夢記(ゆめのき)』を書いた。

明恵上人には、動物を慈しんだというエピソードも数多い。『夢記』には、自然や動物などが多く登場する。その中でも犬は頻度が高いそうだ。また、伝記によると、子犬を不用意にまたいでしまった後、もしかしたら亡くなった父や母ではないかと思い、引き返して子犬を拝んだという逸話も残っている。
 
明恵は有田川町で承安3年(1173)に生まれた華厳宗に属する僧侶だ。8歳の時、両親と死別し、16歳で僧侶になり、世俗化した仏教を避けて、山に引きこもりひとりで暮らした。34歳の時、後鳥羽上皇から高山寺を賜ることになった。

明恵は,一途なあまり狼に食われて死のうとしたり、耳を切ってしまったり,テレパシー(透視)が使えるようになったりと,一言で言えばかなり変わったお坊さんだったようだ。確かに「宗教家というより芸術家」という印象も受ける。

明恵が説く「あるべきようわ」は、『明恵上人』の著者・白洲正子氏は「それぞれの天性を知り、その天性に忠実であるべきだ、それが生きることである」と解釈している。現代風に言えば、自己発見だったのでは、という。

夢を重要視した心理学者ユングも、フロイトとの決別の後、6年間、方向喪失の時期があり、この間自分の夢を記録しイメージを絵に残している。偶然にも自分が描いた幾何学模様が、チベット密教の曼荼羅と似ていたということも知る。

ただ、ユングの方向喪失時代は、心理的な危機でもあったが、同時に、「創造の病」と呼ばれるような、次の段階に成長する時期でもあったのだ。まさに夢を使って自己発見した明恵と共通するものがあるのではないだろうか。

昔、夢は「神様のお告げ」だと思われていた。『日本書紀』にも、天皇が後継者を決めるために、息子である兄弟の見た夢によって判断したことが記されている。長谷寺や清水寺などでは、人は篭って夢のお告げを待って病を治療していた。

「なんて非科学的な」と思われるかもしれないが、夢(無意識)と現実を切り離すことなく、自然に生きていたことが感じられる。

白洲氏は、明恵の夢は「信仰を深めるための原動力であって、夢と日常の生活が、不思議な形で交じり合い、絡まり合っていく様は、複雑な唐草文様でも見るようです」と書いている。

明恵は黒い犬の夢を見ている。一匹の黒い犬が足にまとわりついてきたときに、明恵は「この犬を年来飼っていたのだ」と思う夢だ。

子犬の像がこの夢と関係あるのかわからないが、子犬には固有の名前がないようだ。これは明恵が夢や現実で愛した犬(動物)全般のイメージであるのかもしれない。
 
 
 
 
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2017/12/31

ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』は神隠しの映画

171229(異界への入り口、水に映る満月)


ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』は、昔2度ほど、映画館で観ました。

主人公アナが、フランケンシュタインと遭遇したときの表情には、ぞくぞくっとしますね。これ、芝居でしょうか。

見るのは20年ぶりですが、なぜもう一度観ようと思ったかというと、「物語」を調べている中で、赤坂憲雄編『物語という回路』の中の「龍潭譚考 神隠しをめぐる精神史的考察」に、こう書いてあったからでした。

「神隠しは天狗・鬼・山男など隠し神にバリエーションはあれ、ある超自然」的なモノによってどこか異世界へと子どもや女が連れ去られる、不思議な現象として体験されてきた。」「鏡花の「「龍潭譚」という短編小説は、神隠しを主題とした傑作として知られる。小さな、しかし、まさに傑作である。すくなくとも、これほどに生きられた神隠し体験をみごとに描き切った小説を、私は知らない。映像の世界における、ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』に匹敵するとでもいえようか。ジャンルこそ異なれ、この『ミツバチのささやき』と「龍潭譚」は神隠しを描いた傑作として、双璧をなすはず」

そうか、『ミツバチのささやき』は、「神隠しの話」という観方もあったのかと。

映画では子どもたちの遊びの様子が描かれています。

焚火の火の上を飛び越したり、線路に耳を当てて列車が来るのを待ったり、危険なことをやるのが子供たち。

俺も小学生のころ、放課後、小川に笹舟を浮かべて流し、それを追って、遠くまで行ってしまい、気が付いたら真っ暗になって怖かったことを思い出します。

もちろん、この時、遅くなってから家に帰りついているのですが、こういう状態を「プチ神隠し」と言ってもいいかもしれません。子どもの頃こんな体験は、みんなあるのではないでしょうか。

同じような感覚はTVドラマ『北の国から』にもあります。覚えているのはこのシーンです。

夜の森で純、蛍、正吉の3人がUFOと遭遇し、分校の先生が「365歩のマーチ」を歌いながら現れ、先生は宇宙人かもと疑い、暗い森を逃げ帰るシーンがあります。子どもの目線で語られるそのエピソードが好きです。不思議な話のままで終わるのがまたいいですね。怖いけど魅かれる感じが良く出ているシーンだと思います。

「危険」と思うのは、やっぱり経験や知恵がついて大人になってしまったからで、子供にとって、危なさや、危なさに通じる向こう側の世界は、こっち側とはつながっている世界であるのでしょう。

大人になるとそのふたつの世界が断絶してしまうのかもしれません。

子どもはフランケンシュタインが現れても、それなりに受け入れてしまう。異界のものに無防備です。だから『ミツバチのささやき』でも、主人公アナは逃亡者に対しても、恐れることもなく近づき、親切にします。それはお母さんの教えでもありました。

精霊は、良い人には良いもので、悪い人には悪いものと、お母さんはアナに教えるのです。逃亡者はアナにとっては異界から訪れた精霊なのでしょう。そして精霊は、自分自身の心のありようでもあるのですね。「良いもの」であろうとするところに、子どもの純真さを感じます。
 
 
 
 
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