カテゴリー「文化と芸術について」の109件の記事

2021/09/17

目黒不動尊の都内で一番古い狛犬 

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狼像のルーツを考えるために、狛犬も見ておこうと思ったので、目黒不動尊を参拝しました。

都内で一番古い、承応3年(1654年)奉納の狛犬です。「男坂」の石段を上ったところにあります。

保存状態も良く、これが367年前の石像だとは信じられないほどです。

顔も威厳があって邪気を払うすばらしい作品だと思いますが、お尻の丸みや、尾のデザインがまた面白い。

狼像とは直接関係はないかもしれませんが、ただ初めて狼像を造った石工も、この存在は知っていたと思うし、実際見ていたかもしれません。

それと先日紹介した、文京区・吹上稲荷神社にある全国で一番古い神使い狐像のことも知っていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

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2021/07/12

『オオカミは大神』重版決定

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『オオカミは大神』の重版が決まりました。

もちろん「弐」じゃなくて、最初に出た本の方「壱」です(「弐」ができるとは思ってなかったので、「壱」とは表記していませんが、実質「壱」になりました)。カバー写真が、埼玉県皆野町蓑山神社のお犬さまのやつです。

このようなテーマでは「発売、即重版」などはありえない話だし(夢でもありますが)、2年かけて重版になったのは、少しづつでも確実に売れ続けている証拠でもあるので、良かったと思います。これも皆さんのおかげです。

今は、写真展の準備と、次回作に向けて構想を練っている最中ですが、「参」はやっぱり「東北の狼像・狼信仰」か「西日本の狼像・狼信仰」になるんだろうなぁという気がしています。

本当は、狼のイメージを使ってもっと心理学的な方向へ行きたい気もしますが、たぶん、そんな方向では興味を持たれなくなってしまうのではと思っています。

結局、俺の役目というか、立ち位置は、それを知らなかった人に興味を持ってもらう媒介者(メディア)なのです。入り口を作る役目ですね。「メコン」や「棚田」もそうでした。

それもこれも、まずはコロナ禍が少し収まってくれて、後ろめたさなく旅行ができる状態にならないと、インタビューを依頼するにも気が引けます。狼信仰関連の祭りものきなみ中止になっているし。

 

 

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2021/06/11

産育の「石」の民俗

_87a3371(多摩川浅間神社 子産石(子宝石))

_87a0779 (神鳥前川神社 子産石)

287a4509_20210517083901(越谷香取神社 安産の石)

287a8049_20210517084101(綾瀬稲荷神社の富士塚)

287a8028_20210517084101(綾瀬稲荷神社の富士塚)

287a0621(七社神社 子宝 子の石)

287a4382 (お食い初め 歯固めの石)

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287a4513(越谷香取神社 歯固めの石)

287a0619(七社神社 歯固めの石)

 

_87a4657(さいたま市久伊豆神社 健育塚の歯固めの石)

 

先日は、NHK大河『青天を衝け』のエピソードから、医療体制が整っていなかった昔は、子どもの無事の成長を願って、子安信仰が盛んだったという話を書きました。

http://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-7c6c97.html 

ここ何年か、お宮参りとかお食い初めの写真撮影を依頼されることも多くなり、そこで、この産育に関しての「犬」と「石」の信仰というものに興味が出てきました。

「犬」に関してはすでに何度も書いているし、本にも「子安犬」として掲載しているので、今回は「石」についてです。

新谷尚紀著『生と死の民俗史』(昭和61年 木耳社)、「境界の石」「産育の石をめぐる民俗心意とその儀礼的表現のメカニズムには、

「同じく小石を身近におきながら妊娠、出産、育児の各段階でそれぞれ民俗としての意味づけが異なっているという点である。出産以前においては、子授けや安産、出産前後には産神、離乳のころには歯がため、というふうにである。」

とあります。

多摩川浅間神社境内には主祭神の木花咲耶姫が炎の中で出産したという故事にちなんで、子産石や夫婦銀杏などもあります。

子産石とは自然石で、長い年月をかけて海の波で削られて丸くなり、本体の大岩から分離してできたものだそうです。まるで子どもが産まれるように。だから「子産石」の名前が。撫でると子どもに恵まれるという言い伝えもあります。別名「子宝石」です。

『生と死の民俗史』にも、著者の新谷氏が、神奈川県横須賀市久留和海岸へ子産石を探しに行ったことが書いてあります。今も「子産石」というバス停があるのですが、google mapで見ると、丸い石が置いてあるようです。

磯部の岩が波で削られて丸い石が分離してくるらしい。

岩に傷がつく。傷が大きくなり溝になる。溝の間に水が入って岩が割れる。割れた石が波の力で回転を始める。そして角が取れて丸くなる、ということらしい。でもかなりの時間がかかっています。

新谷氏も海岸で1個見つけています。地元の漁師に見せたら、これが子産石だといわれたそうです。今でも探すことができるのでしょうか。

今まで見た中では、他に丸い石は、神鳥前川神社の「子産石」や、越谷香取神社の「安産の石」があります。綾瀬稲荷神社に富士塚があって、そこにまん丸の石が載っていますが、これもそうなのではないかなと思います(確かめていませんが)。

川でも水流によって丸い石が分離してくるという話は、確か「ブラタモリ」でもやっていたように記憶しています。そしてツイッター上には、山梨県に丸石が「道祖神」として祀られているという例もあるようです。この道祖伸の石は、河原に落ちていたものだそうです。これはぜひ見に行ってみたいものです。

どれも、まん丸で、見た目だけでも「普通じゃない、特別の石、珍しい石」と思うのですが、大きな岩から「生み出された」という生成の経緯を聞くと、なおさら丸い石が子授け祈願と結びつくのが分かるような気がします。(七社神社の「子の石」は、まん丸ではないので、ちょっとタイプが違います)

出産のときは、石を手元に置くことがあるそうですが、そのときは、石は産神、お守りになるらしい。石のパワーをもらって、出産を無事に済まそうということ。

その後、赤ちゃんが生まれて100日後にはお食い初めの儀式です。ここで使われる石は、『生と死の民俗史』によれば、河原や海辺や雨に打たれたような石が良いのだそうです。「水」が関係する場所の石です。

栃木県のある神社で撮影した時は、お宮参りした時、神社の境内から石を拾って、それをお食い初めのときに使うと言っていた親御さんもいました。本殿により近いところに落ちている石が良いと言っていました。

だいたいは、お宮参りをしたあとお食い初めする親御さんが多く、歯固めの石は、すでに儀式を行う店で用意してあるので、どこから持ってきた石かはわかりません。だいたいは、まん丸ではないけれど角のない石が多いです。

歯固めの石については、歯が丈夫になるようにとか、骨が堅く丈夫になるようにとか、堅い(堅実な?)性格に育つようにとかいわれているようです。歯、骨、性格、いずれにしても、石の堅さをもって祈願するものです。

歯固めの石は、使用後は、神社に返すというところもあります。

このように、産育の民俗において、石はその場面場面で、いろんな役割を果たしています。

 

 

 

 

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2021/06/10

角川武蔵野ミュージアム&」武蔵野坐令和神社

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角川武蔵野ミュージアムは、 図書館・美術館・博物館が合体した複合施設です。「本」のテーマパークです。

4階は、紅白の中継で有名になった吹き抜けの高さ8メートル巨大本棚。ここで上映されるプロジェクションマッピング。夢のような世界です。

5階には武蔵野ギャラリー。武蔵野関係の本が充実しています。「江戸」や「東京」を切り口にした施設はありますが、「武蔵野」は今までなかったような。実際ここは「武蔵野」をキーワードにした文化の発信地を目指しているようです。

武蔵野台地の地形図を見て、あらためて、その特徴や神社の位置がどうして「そこ」にあるのかが少し見えてくるような気がしました。

1点だけ、宝登山神社のお犬さまのお札も展示されていました。現在神社で授与されているお札より小さいものですが、見たことがない図柄です。いつくらいのものでしょうか。「御守」とあるので、お守り用のものなのかもしれません。

ミュージアムの隣には、『オオカミは大神 弐』でも取材させていただいた、近未来的な神社、武蔵野坐令和神社が鎮座します。武蔵野コーナーには、神社のお犬さま(狛狼)像の作成者、土屋仁応氏のインタビューも見ることができます。

令和神社のお犬さまについては、後日あらためて紹介します。

 

 

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2021/06/02

水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ

130522_2(静岡県御殿場市の田んぼ)

田んぼの水が美しい時期です。

3年前、山形県寒河江市で、二人展『水を掬う』を開きました。

どうして「水を掬う」というタイトルを付けたかというと、高校の同級生であった松田重仁くんは「生命の大切さ」や「浮遊する水」をテーマにした彫刻作品を制作してきましたが、俺も「メコン」や「棚田」で、水の循環をテーマに写真を撮っていました。

松田くんは、

「「浮遊する」というのは、重力からの解放と同時に、事物は止まることなく常に変化し移り変わることを表しています。例えれば、山の懐に湧き出た水が川となり、やがて大海に注ぎ、それが雲になり、また雨として大地に帰るということです。」

と書いています。

なんという偶然だろうと思いました。これもユングの「共時性(シンクロニシティ)」と言っていいのかもしれませんが、松田くんも、俺も、高校を卒業してからは、まったく連絡もなく、2003年ころ、新潟県の越後妻有アートトリエンナーレのイベントで、松田くんは彫刻作品を展示し、俺は関連イベントで棚田の写真展を開催中で、このとき消息を知るまで、お互いがどんなことをやっているかさえ知らなかったのです。

それなのに、俺はメコン河を源流から河口まで旅し、山(チベット)に降った水が、大海(南シナ海)に注ぎ、ふたたび龍神となって空に舞い上がり、チベットの聖山に水を降らせるという、水の循環と人々の暮らしを写真に収めていたのです。メコン河だけではありません。棚田も水の循環において存続できる生業です。水が生命の根源という、松田くんと同じようなことをテーマにしてきました。

それで二人展の企画が出た時、タイトルは『水を掬う』にしたのです。そのとき、この言葉が頭にありました。そしてその思いを書こうとしていましたが、ずっとそのまま3年が過ぎてしまいました。

コロナ禍で、あらためて混沌とした世界になって、この言葉を思い出しました。

「掬水月在手、弄花満香衣」―水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ―

この禅語は、もともとは中唐の詩人「于良史(うりょうし)」の『春山夜月』という自然を愛でる詩の一節を引用しているものです。

いろんな解釈がありますが、禅語として用いられる場合の意味としては、両手で水を掬えば、天空の月さえも掌の中に入って自分と一緒になる。一本の菊の花でも手に持って楽しめば、その香りが衣服に染み込んでくる。自分と月、自分と花とは別物でありながら、簡単に一つになることができる、真理を手にできるという意味らしいのです。

ただし、そこにはアクションが必要です。手で水を掬わなければならないし、花を手に持たなければなりません。

つまり、真理にたどり着くには、アクションが必要だということです。でも、そのアクションは難しくありません。ただ、水を掬ったり、花を手に持つだけです。

このコロナ禍の混沌とした世界、何を信じていいのか、何を疑ったらいいのか、それが分からなくなっている今、トンネルの先に光が見えたとしたら、それに向かってひたすら進んでいけばいい、ということになります。まわりがどんなに騒いでいても。

その光が見えないのは、かえって 難しく考えているからかもしれないですね。水を両手で掬うくらいの簡単なアクションでわかるはずなのです。

今は、やらなければならないことを、毎日淡々とこなす、ということしかありません。

 

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2021/05/27

「北海道・北東北の縄文遺跡群」イコモスが「「登録が適当」の勧告

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「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されるようです。イコモスによって「登録が適当」と評価されました。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素は、津軽海海峡を挟んで、北海道と北東北にありますが、その中に三内丸山遺跡や大湯環状列石が含まれています。

三内丸山遺跡は青森市の南西部に位置します。縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,900年~2,200年頃)の、日本を代表する大規模な縄文集落遺跡です。復元された建物や、出土した土偶などの展示品を見ることができます。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、「ストーンサークル」とも呼ばれていて、ミステリアスな雰囲気があります。

後期前半(紀元前2,000年~1,500年頃)の遺跡ですが、200年以上にわたって造り続けられました。大規模な共同墓地と考えられているようです。

メインとなる環状列石は直径40m以上もあり、「日時計」といわれる石柱が立っています。実際にこれが日時計かどうかはわかりません。

 

 

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2021/04/30

【犬狼物語 其の五百五十六】山梨県丹波山村 「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録

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「狼伝承と登る七ツ石山」展の図録を送っていただきました。再建記念として発行したものです。

なんという表紙なんでしょうか。玉川麻衣さんのお犬さま。お犬さまの世界に引き込まれてしまいそうです。

いったんこの世界に入ったら出てこれなくなってしまうような怖さを感じます。でも、矛盾するようですが、怖さと同時に、その世界が自分の居場所であるような安らぎも感じます。

1回目の展示で、写真の佐治田さんに会い、七ツ石神社の存在を知りました。崩れてしまいそうな神社の様子に衝撃を受けました。そしてこの神社の再建プロジェクトの話を聞いた時、ピンとくるものがあり、プロジェクトのリーダー・寺崎さんを取材をさせていただきました。それまでも狼信仰の取材を続けていましたが、昔の民俗としての狼信仰ではなくて、「現代に生きる狼信仰」というものがずっと頭にあったからです。

再建プロジェクトが進み、2018年11月7日には、七ツ石山で、「七ツ石権現社旧社地」のお披露目の会に立ち会うことができました。プロジェクトの様子は、前著『オオカミは大神』にも書かせていただきました。

なので、この図録は、個人的にも思い出の品だし、またプロジェクトの記録として、将来的には貴重な資料にもなると確信しています。

 

 

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2021/04/15

『オオカミは大神(弐)狼像をめぐる旅』の予約PV

 

音楽は、インドネシア・バリ島のガムランふうのオリジナル音楽です。現地バリ島での儀式での歌をミックスしています。

どうしてBGMをこれにしたかというと、日本の狼神社と、バリ島のヒンズー寺院の雰囲気が似ていると思っているからです。

どちらもアニミズム的なカミを敬い、自然に感謝する姿に共通するものを感じています。

だから言葉はバリ語ですが、そんなに違和感がないと思うのは、俺だけでしょうか。

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2021/04/05

『オオカミは大神 弐  狼像を巡る旅 』の予約ページ

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amazonに、予約ページできています。 

今回の表紙の写真は、武甲山御嶽神社の一の鳥居に建つ狼像です。

これはもともと別なところ(産業道路)に建っていましたが、大型車が通りづらいということで、こちらに移されたそうです。

苔がまるで体毛のようでもあり、長い時間を感じさせるすばらしい狼像だと思います。

 

オオカミは大神 弐 狼像を巡る旅 – 2021/6/14

 

 

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2021/01/18

【犬狼物語 其の五百三十五】 なぜ狼祖神話・犬祖神話なのか

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「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」

これは、『元朝秘史』(Wiki 参照)にある一節です。昔、井上靖の『蒼き狼』というチンギスハーンの小説を読みましたが、モンゴル人の起源として、この一節が引用されていたような気がします。当時はまだ、「モンゴル人」も「狼」もそれほど知識もなく読んだわけですが、狼が祖先という出自に、カッコ良さ、ロマン、神秘性を感じたものです。

このような狼祖神話をもつ民族は、「烏孫・ 羌・突厥・高車・アルタイ・蒙古・ブリヤートなどのテュルク系およびモンゴル系であって、いずれも代表的な遊牧生活を営む諸族 (中略) 狼はとりわけ中央アジアで畏怖の対象となってきた。野性的で迅速に攻撃する肉食獣たる狼は、軍事的な遊牧民にとって、まさしく模範とす べき存在である。それで突厥は軍旗に黄金の狼頭を掲げただけでなく、将卒の親衛隊員を「狼」と呼びもしたのである。狼が戦士の動物とされたなら、狼に出自をたどるのは光栄なことだった。それでアルタイ諸族は狼に族祖を求めたのだ。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)

遊牧民にとっての一番の関心事は、農耕民が干ばつを恐れるように、家畜を食べる狼であったようです。勇猛果敢な狼は遊牧民の模範ともなるものですが、怖い動物でもありました。この両面を持つ存在である狼は遊牧民から神聖視され、狼祖神話が中央アジアに広まったということでしょう。

昔、中国北西部、内蒙古自治区ハイラルのナダム祭りで「蒼き狼」の末裔、あるモンゴル人と話す機会がありました。この祭りでは、モンゴル相撲(ブフ)も行われていて、「ブフ」の試合で4位になった力士、バォリタさんという青年でした。

彼は年に2、3回里帰りするそうです。この辺(ハイラル郊外)では夏だけゲル(天幕住居)に住むのとは違って、彼の実家の田舎では、夏も冬も、1年中ゲルに住む、完全な遊牧民が多いところ。草丈が高く、冬でも雪が積もることはないので、冬も放牧できます。ただし、やっぱり冬はめちゃくちゃ寒いらしい。

ゲルには、電線など来てないので、ヤマハの発動機を使って、自家発電しています。夜は(昼もそうかもしれませんが)、家畜の鳴き声意外は何も聞こえないところです。隣のゲルはとても遠いのです。遊牧をするには、かなりの面積の草原が必要です。

時々、狼が出没し、羊を食べられてしまいます。遊牧民にとって、一番怖いのが野生の狼だそうです。

からかい気味に「狼はモンゴル人の祖先でしょう?」と聞いたら、「羊を襲う狼は、やっぱり悪いやつです」とバォリタさんは笑いながら言ったのでした。

今回「ブフ」の試合で勝ち取った4位の賞品は、羊1匹と洗濯機でしたが、田舎へのいいおみやげができて喜んでいました。

 

世界には、狼祖神話と犬祖神話を持つ民族がいますが、遊牧民族が狼祖神話を伝えている一方、中国南部に住んでいるヤオ族、ミャオ族の一部には、槃瓠が自分たちの祖先だという犬祖神話が語り継がれています。

中国の史書『後漢書』列伝にでてくる槃瓠【ばんこ】という犬の話です。

昔、高辛氏【こうしんし】の時代、襲ってきた敵、犬戎【けんじゅう】の将軍の首を取ってきた飼い犬の槃瓠は褒美として帝の末娘の姫といっしょになった。槃瓠と姫は南山の石室で暮らし、6男6女をもうけた。

これが犬祖神話です。『南総里見八犬伝』にはこの神話が生かされています。

「犬は、偉大な神話を形成するだけの刺激を与えることはできない。犬は自然界ではな く、人間界に属するからである。狼が荒野の支配者なのに対し、犬は人間の守護者だ。狼は人間より前から存在 したが、犬は人間が造り上げたものである。よって人間は犬に対して距離を置かない。狼は、男性的で戦士的な 動物であるのみならず、破滅と死をもたらす存在でもあるから、その姿は戦慄と賛嘆とを同時に引きおこす。し たがって、犬祖神話よりも前に狼神話が先行したはずであり、その起源地は中央アジアに違いない。」(『犬からみた人類史』山田仁史氏「犬祖神話と動物観」より)

犬は狼に比べてより人に身近な動物なので、畏怖する存在までにはならないという話はわかるし、犬を悪く言う諺は世界中にたくさんあるし、「あいつらは犬の末裔だ」と、どちらかというと蔑んでいわれることもあるのが犬祖神話ですが、それでもなぜ「犬」なのでしょうか。

実はモンゴル族が狼の末裔という有名な話のほかに、犬の末裔という話もあるらしいのです。

獣祖神話と北アジア 古沢襄」にはこのようにあります。 

 「ポルテ・チノの狼血が、ジンギス汗に流れ、殺戮の征服欲の根源になったという説は「モンゴルの秘められた史(ふみ)」という歴史書に依拠している。井上靖は小説を書くに当たって、この狼始祖史料を使っていた。実は、もう一つの犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だという。
 ジンギス汗はモンゴル族の中でボルジギン氏族に属していたが、この氏族に伝わったのは犬の始祖神話。蒼き狼のポルテ・チノから十二代目の子孫にドブン・メルゲンという人物がでる。妻のアラン・コアとの間に二人の男子を生んだが、ドブン・メルゲンの死後、もう一人の男の子が生まれている。この子は狼始祖を持つドブン・メルゲンの血を受け継いでいない。
 アラン・コアは、男の子の父親は黄色い犬だといった。そして犬の子・ボドンチャルがボルジギン氏族の始祖となった。ジンギス汗は狼の血統ではなく、犬の血統だったことになる。腹心の功臣であるジュベ、フビライ、ジュルメ、スペエデイの四人も「狗(いぬ)」に比せられている。」(「獣祖神話と北アジア古沢襄」より)

モンゴルにも犬祖神話があるようです。モンゴル人は狼の末裔だという「蒼き狼」のイメージが強いのは、もしかしたら井上靖の小説の影響かなと思うくらいですが、犬か狼かは別にして、「獣祖神話」が遊牧民に多いのは確かなようです。

でも一番知りたいところ、どうしてある民族は「狼」を選び、ある民族は「犬」を選ぶのか、まだまだ分かりません。

 

 

 

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