カテゴリー「文化と芸術について」の56件の記事

2017/12/28

雲南省納西(ナシ)族に伝わる象形文字「トンパ文字」で「犬」(追加)

171228


そろそろ年賀状も書き終わったころでしょうか。いや、遅いくらいですね。

雲南省納西(ナシ)族に伝わる象形文字「トンパ文字」で「犬」の追加分です。砂浜をイメージしてみました。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/12/16

坂本長利さんのひとり芝居『土佐源氏』

171216_1(楽風での坂本長利資料展)

171216_2(楽風での坂本長利資料展)


埼玉県さいたま市浦和区の日本茶喫茶・楽風で、坂本さんのひとり芝居を観ました。これで3度目です。

毎回違うことを感じて、飽きるということがありません。

本当にこれは「芝居」なんだろうか?と思いました。坂本さんに元馬喰が乗り移ったように感じてしまった昨日の芝居でした。それは坂本さんの年齢も関係あるかもしれません。

昭和16年、民俗学者の宮本常一が、橋の下で暮らす元馬喰の盲目の男の話を聞き取りしたのは、元馬喰が当時80歳のときだったという。坂本さんはその年齢をとうに越えて88歳になりました。

だから元馬喰を演じているのが坂本さんなのか、坂本さんを演じさせているのが元馬喰なのか・ ・ ・

このひとり芝居の回数も1190回。これもすごいことです。ギネスに申請しているとのこと。

今流行の「不倫」の懺悔(?)もあります。

ただ、元馬喰の話を聞けば、この「不倫」を道徳的に糾弾することがどんなに不毛なことかを感じます。むしろこの場合、「不倫」することが道徳的でさえあるのではないかと、そんなふうにも思いました。

ある身分の高い家の奥さんと、牛を買うということで知り合います。身分のある奥さんが、馬喰の自分を対等に扱ってくれることに好意を持ちます。だんだん親密になっていきます。あるとき、旦那が外に妾を作っていたこともあり、奥さんは幸せではないんだなぁと知ります。それで、奥さんと納屋の藁の中で・ ・ ・

「おなごと牛には嘘はつかなんだ」

と、元馬喰は言います。おなごと牛にモテた理由は、ここにあるのでしょう。

身分があろうがなかろうが、金持ちであろうがなかろうが、どんな人間でも、精いっぱい生きた人生は美しいんだなと感じます。それに引き換え、俺は、未だに地に足が着いていないような非現実感をおぼえながら、人生を送っているような気にもなります。

そういう名もない人の話を丁寧に掬い取った宮本常一もすごい民俗学者だった、ということなのでしょうが。

なお、12月23日、NHKが坂本さんの記念公演の旅に密着取材したドキュメントが放映されます。

ETV特集「老いて一人 なお輝く~一人芝居 50年~
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/12/13

独演劇『土佐源氏』を演じ続けている坂本長利さんの公演が12月15日

160403_4

独演劇『土佐源氏』を演じ続けている坂本長利さんの公演と、資料展が開催されます。

資料展は12月14日から19日まで(15日は休み)、公演は12月15日です。

資料展では2年前の公演で撮影した坂本さんの写真も展示されます。

『土佐源氏』とはどういったものなのでしょうか。

民俗学者・宮本常一さんが、昭和16年の冬、高知県梼原村で聞き取った話で、『忘れられた日本人』に収められています。

ひとりの盲目の老人の口から語られるのは、楽しくて明るい色彩豊かな世界なのです。これには驚きます。

あまりによくできた話なので、これは宮本さんのねつ造ではないか?と疑われるほどでした。

馬喰(ばくろう)をしていた男の女性遍歴の語りですが、なぜか女にはモテた(懺悔も含まれる)、という話なんです。

結果、自慢話なのですが、自己分析も面白いのです。

「牛と女子(おなご)にだけは嘘をつかなんだ」

「牛と女子(おなご)の尻はなめる」

相手の宮本さんに、「あんたも、女子をかまったこと、ありなさるじゃろ?」と聞きます。そして、女子はどんなに身分が高かろうが、やさしさを求めているんだという意味のことを語るのでした。

何もない自分がなぜ女にだけはモテたか、真理をついていた自己分析といってもいいでしょう。
 
もうひとつ印象的なセリフがありました。

「百姓は石を金に換えてくれる」

という言葉です。

馬喰の話は牛をなんとか高値で売ろうとするので、嘘が8割くらいになってしまうのだそうです。ただ、牛を百姓に渡して育ててもらう、そうすると、百姓はいっしょうけんめいに育ててくれるので、牛の価値が実際に上がる。だから結果的に、馬喰の嘘は3割に減る。そんな内容です。

つまり優秀な百姓がいなかったら、馬喰としての生活は成り立たなかった。深いところで、男が百姓に感謝していたことを感じます。

そしてこの話を採取し、選択し、発表したという行為は、日本全国の百姓たちに対する、宮本さんなりの感謝や尊敬のメッセージでもあったのではないでしょうか。
 
 
 
【企画・会場】 日本茶喫茶「楽風」

さいたま市浦和区岸町4-25-12  電話 048-825-3910

http://rafu-urawa.com/
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/12/09

六本木・ストライプハウスギャラリーで開催の玉川麻衣さん個展「流転抄」

Dnb_drdvaaavdlv(『流転』 玉川さんのツイッターより)


玉川麻衣さんの狼の絵を初めて見たのは、今年7月に開催されていた「狼伝承と登る七ツ石山展」でした。

第一印象は、これはなんだ?!という驚きです。ペンで描いた細密画です。

玉川さんには怒られるかもしれませんが、あの鶴の恩返しの「つう」が、自分の羽を抜いて織物にしているような、心身を削って絵にしているような印象です。
 
 
六本木・ストライプハウスギャラリー
〒106-0032東京都港区六本木5-10-33-3F
Tel:03-3405-8108
 
 
今回のギャラリーには「野晒し」シリーズと、狼の絵が展示してありました。

玉川さんの言葉も掲げられていて、七ツ石神社や神社を護っている狼像のことに触れたあと、

  今回の狼図は、その狼たちを思って描きました。

  失われゆくもの、忘れられゆくもの

  崩れかけた狼像は大切なものを必死で守っているように見えたのです。

とありました。

「失われゆくもの、忘れられゆくもの」と聞いて、山形県高畠町にかつていたという高安犬のことを思いました。

「チンは高安犬としての純血を保っていた最後の犬だった、と私はいまもって信じている。」

という書きだしで始まる直木賞受賞作家・戸川幸夫の『高安犬物語』がありますが、高安犬に魅かれる理由を「亡びゆく種族への愛惜」と書いています。

高安犬も日本狼も滅んでしまったのですが、七ツ石神社の狼像は傷つきながらも、時代の流れに必死であらがっている姿にも見えてきます。

七ツ石神社へ向かう登山道が舞台になっているので、空間的なストーリーもあり、暗い異界へ分け入るわくわくする感じ、怖い感じ、にもかかわらず、矛盾するようですが、山の静けさの中にスーッと入っていくような心地よさも感じます。

絵に描かれた狼たちはまさに山の神の使いのようです。そして狼が玉川さんご自身の姿でもあるのでしょう。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/11/23

今日は勤労感謝の日、昔は「新嘗祭」

171123_1(檜原村 大嶽神社(里宮))

171123_2(新嘗祭にお供えする新穀)


1948年(昭和23年)に制定された勤労感謝の日、11月23日という日は、昔は「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の祭日でした。

宮中の神嘉殿では儀式が執り行われ、伊勢神宮にも天皇の勅使が派遣されいるはずです。

昨日、仕事の帰りに参拝した檜原村の大嶽神社の里宮でも、ちょうど宮司さんが、今日の新嘗祭の準備をしているところでした。

稲束や野菜や黒米や赤米など、今日の神事でお供えするものを社殿に運び入れていました。新嘗祭では、氏子が集まるわけでもなく、宮司さんが祝詞をあげるだけらしいですが。

「新嘗祭」は五穀(とくに稲)の収穫を祝う収穫祭です。飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったものでした。天皇が五穀の新穀を供え、自らもこれらを食して、その年の収穫に感謝するというものです。

旧暦11月の2回目の卯の日に行われていましたが、明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦して以降は、毎年11月23日に固定されて行われるようになりました。

それは、その年の「11月の2回目の卯の日」がたまたま11月23日だったので、翌年からもそのまま11月23日になったそうで、11月23日に特別な意味はないんですね。(もともとは旧暦だったし)

でも「新嘗祭」は、敗戦後GHQの占領政策で、天皇行事・国事行為から切り離され、一応表向きは「勤労感謝の日」になりました。天皇という精神的支柱を失わせ、日本人を団結させないためのアメリカの政策です。「勤労感謝の日」というのもアメリカから提案された名前だそうです。

稲に宿る精霊のようなもの「稲魂(いなだま)」を信仰する習慣とともに、収穫祭という意味で、中国南部に住んでいるミャオ族など少数民族にも初穂を捧げる儀礼のような、似た祭りは多くあります。カミに感謝し、収穫を祝うという農業民にはごく自然な行為なのですが…

(参考: wiki新嘗祭勤労感謝の日)
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/11/18

戌年イベントのDM。写真展『全国の犬像をめぐる』とスライドトークショー

Inuzou_dm

Inuzou_dm_ura


来年2018年は戌年です。なので、正月開け1月4日から30日まで戌年イベントをやります(DMには16日までとありますが延長されました)。

写真展『全国の犬像をめぐる』とスライドトークショー『全国の犬像をめぐったお話』です。

そのDMとチラシができました。

上に掲載したのがDMです。

チラシは、ギャラリー 楽風(らふ)のHP内にあります。こちらからpdfファイルをダウンロードできます。

まだ少し先の話なので、プリント作業には入っていません。もっと具体的になったら詳しく告知ページを作ります。

なお、このDMを置いてもいい、配ってもいいというギャラリーや施設関係者などいらっしゃいましたら、お送りしますので、メールください。

【企画】 日本茶喫茶・ギャラリー 楽風(らふ)
      さいたま市浦和区岸町4-25-12 電話048-825-3910
      http://rafu-urawa.com/pdf/s_aoyagi.pdf
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/11/04

【愛犬物語 其の二百四】 東京都立川市 もしダース・ベイダーが犬を飼っていたら?

171105_1_2

171105_2_2

171105_3_2


フロム中武での「七ツ石山展」を見た後、高島屋の方まで行ってみました。

このあたりに犬像があると、前から気になっていた情報があるからです。

立川駅北口、高島屋の駐車場への入口に犬像があります。他にもファーレ立川周辺には野外彫刻がたくさんありました。

調べたら、この犬像は、「ファーレ立川アート作品」の1作品だとわかりました。

作品紹介のページはこちらに載っています。

『無題』 ゲオルギー・チャプカノフ (ブルガリア)

犬像は、ブルガリア人の作家の作品だそうです。

ゲオルギー・チャプカノフは、社会主義リアリズムを代表するアーティストの一人で、いろんなものを造っていますが、工業廃棄物を利用したスクラップのオブジェなども造っているそうです。

解説文を読む限りでは、立川の鉄屑屋から、昔使われた農機具の残骸を集めて造ったものらしい。犬のフォルムは犬らしいのですが、金属の尖った部分が気になります。黒いので、もしダース・ベイダーが犬を飼っていたらこんな犬だったと思えるような犬像です。

田町のビル前に置いてあるフェルナンド・ボテロの「DOG」、グランちゃんとは違います。こちらは丸々としていて、対照的な犬像です。

このダース・ベイダーの犬像だけでこのアーティストの評価をしてはいけないのでしょう。彼の作品は他にもあります。「羊」です。

犬像と同じように黒い像で、同じく、鉄屑で造ってあるようです。ダース・ベイダーが飼っていた羊、といった像です。

1体だけではよくわかりませんでしたが、何体か見ているうちに、アーティストの「味」が感じられるようになりますね。嫌いではありません。

ファーレ立川周辺は、野外作品の置いていある空間を楽しむには、いいところです。アート作品の横で、親子がベンチに座ってお弁当を食べていたりしました。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/10/29

【愛犬物語 其の二百三】 山形県鶴岡市 忠犬ハチ公像の石膏試作品が鶴岡市に来た奇跡話

171029_1(JR鶴岡駅)

171029_2(鶴岡駅内、忠犬ハチ公石膏像の展示)

171029_3(忠犬ハチ公石膏像)

171029_4(斎藤弘吉さんの肖像写真)

171029_5(三條美紀さんの肖像写真)

171029_6(藤島ふれあい広場の忠犬ハチ公像)


渋谷の忠犬ハチ公を有名にしたのは、斎藤弘吉さんでした。斎藤さんが昭和7年10月4日、東京朝日新聞に寄稿した「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる7年間」という記事が反響を呼び、無名の犬は、一躍有名犬になり銅像にまでなったのでした。

そして、この斎藤さんの故郷が山形県鶴岡市なのです。

明治32年生まれの斎藤さんは東京美術学校(現東京芸術大学)に進学しました。昭和3年、日本犬が絶滅の危機にあることを知って日本犬保存会を創立、昭和23年には日本動物愛護協会を設立し理事長として活躍しました。

現在鶴岡市のJR鶴岡駅の構内に忠犬ハチ公の石膏像と、藤島城址そばの藤島ふれあい広場には、忠犬ハチ公像が置かれています。

なぜでしょうか?

普通に考えれば、「忠犬ハチ公を有名にした斎藤さんの故郷だから」とj答えるのは自然のことでしょう。俺もそうだと思っていました。

ところが、答えはブブーッです。違っていました。

これがまったく不思議な話なのです。偶然が偶然を引き寄せ、斎藤さんと忠犬ハチ公の石膏像が奇跡的に鶴岡市で出会うことになったのです。

「奇跡的に」と書きましたが、すべては偶然です。でも、この偶然に意味を見出し、そして面白いと思った人物がいます。その人物が「奇跡」を生み出したと言ってもいいのかもしれません。

この奇跡に気が付いた人物は、市内で薬屋を営む薬剤師 高宮宏さんです。高宮さんを訪ね、石膏像が鶴岡にやってきた経緯を伺いました。

話は敗戦直後にさかのぼります。

渋谷駅前の忠犬ハチ公像は、戦時中金属供出されたので、今あるのは2代目です。1代目を造ったのは安藤照さん。そしてその息子である安藤士さんが今の2代目を造ることになりました。

士さんの自宅は空襲で焼失したので、被害を免れた別の家を借りて造ったのが試作品の石膏像です。1947年(昭和22年)のことです。

でも、士さんは気に入らなかったので、それはそのままにして、再建された自宅アトリエで、少し大きめの次の試作品を造りました。これが現在の渋谷の像の元になりました。

その後、この借家を買ったのが女優 三條美紀(本名 佐藤幹子)さんです。残されていた家財道具の中にこの試作品の石膏像もありました。

石膏像はそのまましばらく三條美紀さんの家に置いてありましたが、東栄村(藤島町を経た後に鶴岡市)出身の、俳優で大映の部長も務めた彼女のお父さん、佐藤圓治さんがこれを譲り受け、今度は彼の同級生であった湯野浜の佐藤新五郎さんが譲り受け、冨士屋旅館のマスコットとして大切にされました。

そして20数年、月日は流れ、冨士屋旅館が廃業することになりました。藤島町に住んでいた土建会社の会長 太田角之助さんには骨董趣味があり、廃業した冨士屋旅館からこの石膏像を譲り受けました。

太田さんが保管していましたが、1985年(昭和60年)、藤島町役場竣工記念として、太田さんはこれを町に寄贈したのでした。なので、しばらく藤島町役場庁舎に展示されていました。

2005年10月1日に、合併によって藤島町は鶴岡市になりました。このことも大きな偶然と言えるでしょう。合併がなかったら、「鶴岡市」ではありませんでした。

像の台座に「士1947」と刻んであるのに気付いた高宮宏さん。「これは忠犬ハチ公の試作品ではないか」と思い、実際、安藤士さんにも連絡し確認したところ、士さんが造った石膏像であることがわかったということです。

2006年(平成18年)11月3日には、「鶴岡ハチ公像保存会」が設立されました。初代会長が高宮さんです。

藤島ふれあい広場の忠犬ハチ公像の除幕式には、作者の安藤士さんも招待されて出席したそうです。

このようにして石膏像が鶴岡市にやってきた、という話です。偶然て、面白いですね。
  
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/10/25

【愛犬物語 其の二百】 福島県飯舘村 山津見神社の狼の天井画

171025_1

171025_2

171025_3

171025_4

171025_5

171025_6

171025_8

171025_7

171025_9

171025_0


この【愛犬物語】のシリーズも200ヵ所を迎えました。これからもしばらくはシリーズは続きます。犬像・狼像の情報は、日々増えていて、最終的にどのくらいの数になるか想像できません。

それにしても、これだけ犬像・狼像がある国も珍しいのではないでしょうか。

犬像・狼像の背後にある物語・伝説に興味がわいてきました。ユング心理学の深層心理(無意識)としての解釈が、自分がなぜ魅かれるのかという問いの答えとしてしっくりきます。
 
 
 
浄土平天文台のチロ像から福島市内を経由して、飯舘村の山津見神社へ向かいました。

飯舘村は、阿武隈山系北部の高原に開けた自然に恵まれた村で、2010年9月に「日本で最も美しい村」連合に加盟しました。畜産業に力を入れ、黒毛和牛の「飯舘牛」はブランド牛として高い評価を得ていました。

それが震災後、住民は移住を余儀なくされてしまいました。未曽有の災害に巻き込まれてしまうとは、誰が想像したでしょうか。今も、住民の多くは戻っていません。

神社の手前で、左手前方に切り立った岩山がちらりと見えました。スリランカのシーギリヤ岩山ほどではありませんが、これは何かあるなと思えるような特徴的な岩山で、案の定、神社はその直下に鎮座していました。神社は大きな敷地で、由緒ある神社だと推察できます。

鳥居を入り参道を進み、階段を上り切ると、1対の狼像、さらに拝殿前にも1対の狼像と、左側にはヤマトタケルの像が置かれています。山津見神社の神の使いは狼で、お札も授与されています。

2013年4月1日に火災が発生し、社殿と宮司宅が焼失しました。拝殿は2015年6月に再建されたものです。だから新しい。何と、拝殿の入口は自動ドアです。

拝殿に入ると、狼が描かれている天井画が目に飛び込んできました。山津見神社と言えば、これが有名な天井画(眷属絵画)です。231枚、どれひとつとして同じ姿はない、親子、夫婦、単独の狼の画で天井が埋め尽くされています。

この神社が焼失する2か月前、たまたま研究用に天井画が1枚1枚記録写真に撮られていたのだといいいます。だから写真をもとに天井画を復元することができました。画の位置は同じではないそうですが、すべての画は復元されています。復元したのは東京芸術大学の学生たちです。

ところで、さっき車から見えた特徴のある、あの岩山の頂上付近に本殿が鎮座し、最後のところは梯子を上っていくという切り立った岩山です。

この山は「虎捕山」と呼ばれます。約900年前、橘墨虎という凶賊がいました。永承6年、人々が墨虎を退治してほしいと訴えたことで、源頼義は部下に命じて、墨虎を討たせました。だから「虎捕山」。

てっぺんからは晴れたら浪江町の海まで見えるそうです。虎捕山は、海が見える神の山として崇められ親しまれてきました。山の神は、はるかな洋上で働く人々を見守り、豊漁と海上の安全を導いてくれるという信仰は年々盛んになっているそうです。

山の神が海とつながっている話は、秩父市の三峯神社でも聞いいたことを思い出しました。

地元では原発の放射能を山津見神社で食い止めた、という話(噂)があるそうです。科学的にどうかはわかりませんが、原発に対して、そんな話(噂)が広がっていることが、山津見神社らしいのかもしれません。

自然を畏れなくなった人間へ警告するものとして、狼が再び姿を現わすことは不思議ではないような気がします。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2017/10/17

富田和明太鼓芸能生活40周年記念コンサート『太鼓打ち誕生』

171016_1

171016_2

171016_3

171016_4

171016_5

171016_6

171016_7

171016_9

171016_8


友人の和太鼓奏者、富田和明さんのコンサートが行われました。太鼓芸能生活40周年だそうです。すごいことです。

いろんな人が駆けつけて、40周年記念コンサートを盛り上げました。

冒頭、成田山深川不動堂から出発した『浜から島へ~富田歓暦歩き打ち2017』と銘打って、東京から自身の故郷、淡路島まで約635kmを歩いたときの映像が流されました。

富田さんとは中国貴州省で、旅人同士として出会っているので、富田さんの旅のパフォーマンスにはいつも特別に共感をおぼえるところです。

歩くことは、地球(地面)の太鼓を2本の足で叩いていることではないか、という話は面白いなぁと思いました。富田さんにとっては、「旅=歩く」は「太鼓を叩く」と同じことになるわけですね。

そしてもうひとつ、富田さんのコンサートに身を置いて気が付いたことがあります。音楽を「聴く」と表現しますが、太鼓の音は特に、耳だけで聴いているのではないんだなということです。

鼓膜はもちろん皮膚が音を聴いているのです。直接来る振動。反響して来る振動。人々の雑音。俺のカメラの音など、雑多な音と振動が、皮膚を刺激することで、隠し味のようになって深みを感じさせているようです。

皮膚で聴く音と振動が気持ちよいのです。だから、音楽は「その場にいる」という体験なんですね。


富田さんのHPはこちらです。


富田和明太鼓芸能生活40周年記念コンサート 『太鼓打ち誕生』

10月15日(日)

出演/富田 和明 

特別ゲスト/藤本 吉利 藤本 容子(鼓童名誉団員)

友情出演/近藤 克次

賛助出演/どんどこ座 和太鼓 MIKAWA

太鼓アイランド オールスターズ

会場/亀戸文化センター・カメリアホール
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧