カテゴリー「日本最古シリーズ」の26件の記事

2019/12/04

大嘗宮

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287a7209_20191203171201(南神門)

287a7252(主基殿とビル)

287a7265(主基殿)

287a7280(主基殿)

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287a7267(廻立殿の方から見た大嘗宮) 

 

大嘗宮は、天皇陛下の国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念する大嘗祭の中心的儀式「大嘗宮の儀」のために造営されたものです。11月14日の夕方から夜にかけて「悠紀殿供饌の儀」、15日の晩前に「主基殿供饌の儀」が行われたところです。

12月8日まで一般公開されています。これまで棚田や稲作文化をテーマに写真を撮ってきたので、いつかは、稲作文化の儀式の中でも最も重要な儀式の場所の写真が必要になるときがくるのではないかと思って、撮影してきました。

今は、乾通りの紅葉と重なり、たくさんの人出です。俺が行った12月3日は、昼12時ころに荷物検査場の前から並び始め、大嘗宮にたどりつくまで2時間かかりました。

そして大嘗宮前はまるで戦場のような賑やかさでした。今はみんなスマホを持って写真を撮るので、人の流れが止まってしまうのです。それに殺気立った警備の警官やスタッフの荒っぽい対応は、みんなの不評を買っているようでした。と、いうのも、そもそも人の流れを妨げているのは、彼ら自身でもあったからです。

みんな写真を撮るために警官たちが自分の前からどくのを待っているのでした。もう少し、なぜ人がとどまってしまうかを考えて警備をした方がいいのでは?と思いました。昔とは違うのです。

まぁ混雑はしかたありません。でも、建物自体はそれなりにすばらしいものです。

印象的だったのは、その大嘗宮の背景に高層ビル群が見えることでした。これぞ現代の大嘗祭という光景でしょうか。このコントラストにはめまいがしそうでした。

 

 

 

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2019/05/07

【犬狼物語 其の三百十八】 千葉県佐倉市 国立歴史民俗博物館のオオカミ頭蓋骨化石

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佐倉市の武家屋敷街に隣接した ひよどり坂から、日本の歴史、民俗学、考古学について総合的に研究・展示する国立歴史民俗博物館へ行きました。博物館は佐倉城趾の一角に位置し、「歴博」の愛称で親しまれています。連休ということで、昼には駐車場がいっぱいになりました。

展示は広範囲にわたって、質量ともに見ごたえ十分、いや十二分です。

とくに興味を引かれのは、やっぱり古代です。栃木県の藤岡神社遺跡(縄文時代)から出土した犬形土製品のレプリカも展示されていました。懐かしい。オリジナルは実際手に持たせてもらい写真に撮った資料です。これは『犬像をたずね歩く』に収録しています。

オオカミの頭蓋骨もありました。「直良信夫コレクション」の後期更新世のオオカミ化石です。(放射性炭素年代測定を実施した結果、オオカミの頭蓋骨は約3万6千~3万3千年前頃の化石であることがわかった)

直良信夫は、オオカミの生態や人間との関係、信仰などをまとめた『日本産狼の研究』を著した、考古学・古生物学・古植物学・動物生態学などの分野で数多くの業績を残した人物です。

展示の解説ボードにはこのようにあります。

「頭蓋骨は26cmあり、超巨大なオオカミである。ニホンオオカミの約1.3倍の大きさで、シベリアのオオカミよりも大きい。ヒトがわたってきたころの日本列島にはこのような動物が普通に棲息していた」

このオオカミの頭蓋骨は、栃木県葛生で発見されたものですが、ニホンオオカミが、大陸のオオカミよりも小さかったことは、このような大きなオオカミが日本列島に閉じ込められ、だんだん小さくなっていったという説を支持するのでしょうか。

「歴史系総合誌「歴博」第195号」(https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/195/witness.html)にはこのようにあります。

「ニホンオオカミの系統については、近年の分子系統学的研究によればタイリクオオカミの中の一亜種を形成すると考えられている。一方、形態学的にはタイリクオオカミとは異なった特徴をもつことから、日本列島における遺存固有種とする考えとタイリクオオカミが小型化した島嶼(とうしょ)型亜種とする考えとが対立している。」

まだ定説はないようです。

 

 

 

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2018/11/19

山形県山形市  成沢・八幡神社の石鳥居と長栄稲荷神社の狛狐像

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上山市の「狼石」を見たついでに、前から気になっていた山形市成沢の八幡神社を参拝しました。

神社には国指定重要文化財に指定されている石鳥居があります。

どっしりとした重量感のあるフォルム。どこかクメールの石造にもつながる原始的な印象に、心の深いところを揺さぶられるようです。

この石鳥居は、凝灰岩製、総高436cm、柱は直径99.5cmで、平安時代末期の造立と推定されています。元木地区の石鳥居も同時代と推定され、2鳥居とも、日本で最古に属する貴重な石鳥居です。

以前訪ねた時の元木の石鳥居の写真はこちらです。

元木の石鳥居

なお、八幡神社の横に長栄稲荷神社がありました。神社前に控えている1対の狐像は欠けた部分もあって、かなり古そうに見えます。写真はその狐像です。
 
 
 
 
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2017/09/25

福島県白河市 日本最古の公園「南湖公園」

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白河市の南湖公園は、1924年(大正13年)に、国の史跡・名勝に指定された、「日本最古の公園」といわれています。

早朝は靄が立ち込めて幻想的な風景になりました。
 
 
 
 
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2017/06/06

山梨県山梨市 窪八幡神社の日本最古の現存する木造鳥居 

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山梨市の窪八幡神社の鳥居は、日本最古の現存する木造鳥居として知られています。

解説看板によると、

「天文4年(1535)、武田信虎によって42才の厄攘祈願のため鳥居と石橋が建立されたとあり、現在の鳥居はこのときに再建されたものと考えられる。」

とあります。
高さは約7.41m、横幅が広く約5.91m。親柱は太い円柱で、直径が約55cm。

窪八幡の本殿脇には、鐘楼が建っていて、これも立派です。
 
 
 
 
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2016/11/28

2016年初冬撮影旅(04) 静岡県熱海市から函南町、そして三島市へ

161128_1_2(熱海市 市外通話発祥の地)

161128_0(函南町 畑毛温泉 富士見館)

161129_1(三島市 楽寿園)

161129_2(三島市 楽寿園)

161129_3(三島市 楽寿園)


天気予報では「晴れ」だったはずですが、熱海は小雨交じりの雨が降っていました。

今回の熱海の一番の目的は、大湯間欠泉跡に建つオールコック(イギリスの初代駐日総領事)の愛犬「トビー」の墓碑です。

その隣に建つのが、この電話ボックス。「市外通話発祥の地」だそうで、せっかくなので「日本最古シリーズ」に入れようと思います。

政治家や政府高官など熱海に保養や会談にきていたため(前都知事舛添氏を思い出してしまいますが)、東京ー熱海間に電話線が敷かれ、明治22年1月1日に開通しました。

これは日本最古のボックス公衆電話を模して復元したものだそうです。

ネットで調べたら朝風呂もやっていたので、熱海から山越えして函南町の畑毛温泉「富士見館」へ。湯船は3つあり、ぬるめ、中間、熱めがあります。午前9時でしたが俺ひとりだけ。のびのびできて良かったです。

そして三島市へ。

圓明寺にある「孝行犬の像と墓」。これは日をあらためてブログに書きます。

三島は富士山からの湧水が潤す美しい街です。楽寿園は菊祭りの最中でした。

三嶋大社にも行きましたが、ここは「旧暦」と大いに関係のあるところだということを、ここに来て気が付きました。なので、三嶋暦について、明日あらためて書きます。
 
 
 
 
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2016/11/05

【犬狼物語 其の五十四】 大阪府堺市 樺太犬の慰霊碑

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大阪府堺市の海に近い大浜公園を訪ねました。めちゃくちゃ暑い日でした。

堺旧港南波止場には日本最古の木造洋式灯台である「旧堺燈台」があります。明治10年に築造された高さ11.3mの六角錘形の白亜の灯台です。国指定史跡になっています。

またこの公園には、「樺太犬の慰霊碑」があります。

「南極物語」について簡単に説明すると、

昭和33年2月、初代南極観測船「宗谷」が流氷に阻まれて、動きが取れなくなりそうになり、ヘリで、昭和基地の隊員を救出することになりました。この時点では、すぐに第二次観測隊が来ることになっていたので、昭和基地にいた犬係の北村泰一さんは、犬ぞり用の樺太犬15頭の首輪をきつく締め、鎖につなぎ直しました。

でも悪天候によって、交替の第二次観測隊は来ないことが決定。残された犬について、隊員は、連れてこれないなら、いっそ殺しに行かせてほしいと頼みましたが、事態は深刻で、それもかないませんでした。北村さんたちは泣く泣く犬を置き去りにせざるをえなかったのです。

日本に帰った彼らは、「なぜ犬を見殺しにしたのか!」と大バッシングを受けます。北村さんも自責の念にかられて精神的にも肉体的にもかなり参ったといいます。

「樺太犬の慰霊碑」は、このとき南極に置き去りにされた犬たちを慰霊するために建てられたものです。

15頭の群像ですが、第一印象は、悲しい群像だなと思いました。とくに後姿には悲しさがあふれています。説明書きを読んでなるほどと思いましたが。

昭和33年に設置されたときに埋め込まれたプレートには、

「昭和三十二年二月十五日より昭和三十三年二月十一日まで南極観測隊 第一次越冬隊に協力した樺太犬の霊の為に 昭和三十三年七月六日 第一次越冬隊 隊長 西堀榮三郎」

そして、コンクリート像から、現在のこのブロンズ像に作り代えられたのが昭和62年のことです。

「このカラフト犬慰霊像は昭和33年7月に南極地域観測隊の第一次越冬隊(S 32.2.15~S 33.2.11)に協力した15頭のカラフト犬の霊を慰めるため堺市在住の獣医で彫刻家岩田千虎氏が別れを惜しみながら立去って行く越冬隊員に向かって遠吠えを続けている姿をコンクリートの像に仕上げ 市に寄贈され 当時水族館の南側遊園地に設置されたものですが 像の風化が著しくなったので このたび原型像に忠実にブロンズの像に復元制作したものです 昭和62年3月31日 堺市公園部」

犬たちの姿は「別れを惜しみながら立去って行く越冬隊員に向かって遠吠えを続けている姿」なのですね。だから悲しいのです。

昭和33年7月ということは、第3次南極観測隊がタロ、ジロと再会するのは昭和34年なので、まだタロ、ジロが生きていることはわからなかった時です。だから、全頭亡くなったと思って、この慰霊碑は作られたのです。「どうして犬たちを置き去りにしたんだ?!」と、日本中から大バッシングを受けていた、その抗議の嵐の真っただ中で建てられた慰霊碑であったようです。

そういえば、慰霊碑の除幕式の時、犬係のひとりであった菊池徹さんが、犬たちの名前を1頭づつ読み上げていったとき、最後の2頭だけは、どうしても名前が思い出せなかった、その2頭がタロとジロだったというエピソードがありますが、もしかしたら、この慰霊碑のことだったのではないでしょうか。

と、思って調べてみました。するとやはりこの慰霊碑の除幕式での出来事だったようです。

この除幕式に参列した第1次越冬隊員は、西堀栄三郎氏、菊池徹氏、藤井恒男氏の3名だったとのことです。

菊池さんは13頭の犬の名前を読み上げましたが、突然絶句してしまいました。どうしてもあと2頭の名前がでなかったのです。それで「やすらかに眠れ」と結んだそうです。

このエピソードは、心理学の教材にもなっているという話は以前書きました。

フロイト的に解釈すると、菊池さんは犬係として15頭の犬たちの微妙な違いを意識的にも、無意識的にも把握していて、「特別生命力が強かったタロ、ジロが死ぬはずがない」という気持ちが、名前を忘れさせた(名前を言いたくなかった)ということのようです。

また同じ犬係であった北村さんが見たのは南極大陸を走っている2頭の樺太犬の夢で、それは翌年正夢になったわけです。

両方とも不思議な話です。それだけ菊池さんや北村さんの犬たちに対する愛情の深さを表すエピソードでもあるし、追い詰められた人間心理のエピソードでもあると思います。

ところで、現在では生態系保護のため、南極には、外来の生物(犬など)を持ち込むことはできないそうです。
 
 
 
 
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2016/10/31

日本最古の高架橋「紅梅河岸高架橋」と日本最古の交番「西仲通り交番」

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日本最古シリーズ。今日は、「高架橋」と「交番」です。

まず高架橋から。

それは住所で言うと、東京都千代田区神田淡路町にあります。JR御茶ノ水駅と、神田駅の間ですが、「紅梅河岸高架橋」と名前がありました。昌平橋のところです。

高架橋の下は、すべて飲食店になっていました。おしゃれな感じでいいですね。ちゃんと数分おきにこの上を電車が通過していきます。電車が通るときはうるさいかもしれませんが。

レンガ造りの壁面はかなり老朽化しているようですが、上の方を見ると、装飾が残っていて、なかなか味があります。補強はされているんでしょうが、このままの形で残してほしいですね。個人的には。


日本最古と言われる交番は、月島のもんじゃストリートの中ほどにありました。レトロなデザインなのですぐわかりました。道の中に建っているので、電車のようにも見えます。

現在は、「月島警察署 西仲通地域安全センター」となっています。今は交番ではないようです。ただ警察OBの方がちゃんと常駐していて、地域の治安を守ってくれています。

中には、解説文が掲げられていました。

「みなさま方へ  月島警察署の前身である「京橋月島警察署」に、大正10年(1921年)頃には5つの巡査派出所が設置されていましたが、この「西仲通り交番」はその中の1つとして最も繁華な場所の守りを担当していた交番です。しかし、その構えが木造の簡素な建物であったことから、大正15年7月15日(1926年)に現在の鉄筋コンクリート造りに改築されたものであり、警視庁最古の現役交番です。」

と書いてあります。

「大正15年7月15日(1926年)」と「警視庁最古の現役交番です」の部分が大きく赤字になっています。「日本最古」とは書いてなく「警視庁最古」とあります。

OBの方に「警視庁最古ってありますが、日本最古ではないんですか?」と聞いてみました。すると「わかりません。私は警視庁外で勤務したことがないもので」という、かなりまじめで正確な答えでした。

ネットで「日本最古の交番」と検索すると、やっぱりこれが出てきます。

「大正15年に作られ、平成19年に交番が廃止されるまで、日本最古の交番であった」というのは間違いなさそうです。

もんじゃ焼きを食べに来た客なのか、70歳くらいのおじさんが、俺が写真を撮っていると話しかけてきました。

おじさんは五反田の人でした。五反田は、五反田という地名からもわかるように、昔は田んぼだったそうです。人が集まり出したのは、特に関東大震災以降。だから五反田は新しい街ですとおじさんは言いました。土門拳の助手だったか人と知り合いだとかなんとか。だから写真に興味があるようでした。

「これは日本最古の交番らしいですよ」と教えたら、「いいことを聞いた」と言って、自分でも写真を撮り始めました。
 
 
 
 
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2016/10/26

2016年秋の撮影旅(36) 日光金谷ホテルと四万温泉積善館

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栃木県の日光金谷ホテルは、現存する日本最古のリゾートクラシックホテルで、群馬県の四万温泉積善館は、日本最古の木造温泉建築です。

今回の撮影旅はいくつかのテーマを同時進行でやっていました。「犬像にまつわる犬狼物語」、「棚田を含む文化的景観」、そして「日本最古シリーズ」です。

金谷ホテルと積善館もそれに含まれるからですが、意外と「日本最古」という言い方は難しいのです。たとえば「灯台」を例にとると「日本最古の灯台」と「日本最古の和式灯台」と「日本最古の木造の灯台」は微妙に違っているからです。形容詞を付ければ、どんなものも「日本最古」になってしまうということでもあります。曖昧さが残るのです。

ただ目的は歴史学的な研究ではないし、ある程度古いものは、歴史と人に磨かれ、それなりに美しい存在です。そしてそこに写真の意味もあります。だから一応正確には「最古と言われている××××」と言ったほうがいいのかもしれませんが。

金谷ホテルの開業は1873年です。登録有形文化財、近代化産業遺産に指定されています。(Wiki参照)建物の裏側に周ると、庭園があって、山も見えます。客室からは何人もの宿泊客が、朝の風景を撮っていました。

ホテルから国道に降りたところに、世界遺産に含まれる赤い「神橋」があります。

日光から四万温泉には、いろは坂、中禅寺湖を通って、沼田市へ抜けたのですが、平日にもかかわらず、紅葉がすばらしい季節なので、たくさんの観光客がいました。

ヴィーノが突然騒ぎ出したので何かな?と思ったら、日光では有名な野生の猿たち。匂いでわかるんですね。見えてないはずだから。

四万温泉積善館本館は、現在修復中で、玄関を含めた外観の写真は撮れませんでしたが、中を見学できました。

各部屋は4畳くらいでしょうか。今の宿泊施設を考えると狭いなぁというのがありますが、でも、レトロな雰囲気がステキです。トンネル状の廊下もありました。まるで坑道のような不思議な廊下です。

温泉の商店街を歩いていると、「焼きまんじゅう1串200円」の文字が。おばさんが炭火で焼いてくれます。味噌を塗って焼いてあるものです。「焼きまんじゅう」は初めて食べました。

有名人も多く来店しているらしく、写真やサインがたくさん飾ってありました。
 
 
 
 
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2016/10/24

2016年秋の撮影旅(34) 山形県米沢市田沢 「草木塔の里」

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天童市のイエローハットでつるつるになってしまったタイヤを新品に交換してもらって、一路、埼玉を目指して南下します。

米沢市から喜多方市へ抜けるとき、田沢地区を通りましたが、今年6月来た時に知った「草木塔」を探してみようと思っていました。

草木塔とは、江戸時代中期から米沢市田沢地区に建てられた「草木供養塔」「一佛成道観見法界草木国土悉皆成佛」「草木塔」などと刻まれた石碑の総称です。

江戸期の草木塔が確認されているのは全国で34基ですが、そのうちなんと32基が山形県置賜地方に分布し、中でも米沢市田沢地区には10基が集中していて、「草木塔の里」と呼ばれています。

草木塔が建てられた理由ははっきりしていませんが、山林伐採や「木流し(川を利用した木材・薪の流送)」に関わった山里の人々の畏れや感謝や祈りが込められているのではということです。(道の駅「なごみの郷」リーフレット参照)

解説看板によると、安永年間の江戸大火や米沢城下の大火で、大量の木材が伐採され、その供養のため、という説もあるそうです。

草木塔だけに限らず、動物や海産物などの供養塔もあり、それは「命を奪う」ことに対する罪悪感を薄める効果もある、「命を奪う」ことで人間が生きていけることへの感謝を表すのが供養塔だという話は本で読んだ気がします。

草木塔は、自然保護などの世界的流れと合致する部分もあって、自然を考えるきっかけになることは間違いないのではないでしょうか。地味な存在ですが、その意味は大きくて、現代的だと思います。

と、いうことで、今回は一番古い草木塔を探してみました。ここから全国に草木塔が広がっていった可能性もあるとのことで、ここが発祥の地になるわけですね。「日本最古の草木塔」かも。

上に掲載した写真の草木塔が、一番古い1780年(安永9年)に建てられた「塩地平草木塔」です。

国道から少し奥に入った墓地の一角にありました。(昭和初期に移設されたそうです)保護のために屋根がかけられています。表面は風化していますが、かろうじて「供養塔」と読めます。(養の字は昔の字ですが)
 
 
 
 
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