カテゴリー「ニュース」の385件の記事

2018/08/18

スーパーボランティア・尾畠春夫さん

180818(これは内容と関係ありません)


今や時の人、2歳の男の子を発見した尾畠春夫さん。

すごいとしか言いようがありません。車中泊しながら、現場では何ももらわない、自己完結のボランティア。言うだけではなく、実際に実践しているところがすばらしい。

そして尾畠さんが発する言葉には、実践に裏打ちされた説得力があります。

「子どもは下には行かず上に行くという習性」だとか「赤い服を着ているのは被災者が元気になるように」という、尾畠さんがボランティアなどの活動を通して、実地に学んできた言葉は、本人は「学歴がない」といっていますが、まるで心理学者のようです。

それから、前々から気になっていたことも、改めて思いおこさせます。それは何の分野でも、プロとアマチュアの垣根がなくなりつつあることです。

行く方不明者を探すことも、アマチュアが活躍する時代になってきたか、という思いです。

だからこの流れは、政治家にも当てはまる、そういう時代がきっと来るでしょう。仕事としてやっている「政治屋」ではなくて、本当にやりたくてやるアマチュア精神の政治家が活躍する時代が。

「職業」という概念の転換点です。

そしてもう一つ、気になることがありました。

子どもが無事に見つかったというのに、批判する人はいるもんだなぁ、ということです。尾畠さんが幼い子に飴をあげた行為を非難する人たちです。喉に詰まらせる危険があるということらしい。母親が抱く感想としてわからないでもありません。

でも、そもそも飴は小さなものだったようだし、この話の本質は、子どもが無事に見つかったということで、そりゃぁ、多少の不手際はあるでしょうが、そこを上げ足取ってどうするんでしょうか。

非難する人って、けっきょく、尾畠さんのように「探してあげよう」とは思わないんですよね。

今回のことばかりではなく、何に対しても批判ばかりする人たちは、自分は快適なエアコンの部屋でスマホのこっち側にいて、傷つかないことを十分わかっているから好き勝手に言える。そこが実際に行動する人と違うところでしょうね。

行動には危険も責任も伴うのです。リスクがあるのです。でも、そんなこと百も承知です。それでも「助けたい」という尾畠さんの思いの尊さに敬意を払うべきだと思います。
 
 
 
 
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2018/08/02

東京五輪・パラ 式典統括に狂言師の野村萬斎さん

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_mg_0743(震災前の2009年5月10日、岩手県陸前高田市の図書館前広場で披露された伝統芸能「根岬梯子虎舞」)


「東京五輪・パラ 式典統括に狂言師の野村萬斎さん」のニュース。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180730/k10011556361000.html

このニュースを聞いて、最初は意外な人選だと思ったのでしたが、でも、よく考えたら、適任なんだなぁと思い直しました。

萬斎さんのインタビューでは、こんなキーワードが出てきました。「鎮魂と再生」です。そしてそれは芸能の一つの役割りでもあるという話です。

以前、「東北お遍路」のフォーラムで、民俗学者・福島県立博物館館長の赤坂憲雄さんの講演「震災と宗教」を聴く機会がありました。

赤坂さんは震災後の被災地を周り、それは「巡礼」でもあった、という話が印象的でしたが、震災後「シシ踊り」などの芸能や祭りが一早く復活したことを見て、日本人ほど宗教を大事にしている民族はいないのではないかと感じるようになったそうです。

東北の芸能、祭りは死者に対する鎮魂供養の意味があり、こんな大災害のときにこそ、やらなければならないものだというのです。

芸能は、鎮魂と再生には必要なもの。東北の復興というだけではなく、先日には西日本の豪雨災害もあったし、日本は災害から逃れることはできません。

日本人は、自然というものの恩恵を受けるなら、その負の面である災害も、ある意味受け入れなくてはならない、ということなのでしょう。自然とともに生きていく日本が災害からどのように復興するのか、その役割として芸能の力は大きいのかもしれません。

そういう意味で、萬斎さんに期待できるのではないでしょうか。

ニュースでは「今後、野村萬斎さんたちは4つの式典に共通する基本理念を設けたうえで、それぞれの式典で独自性のある物語や演出、それに聖火台のデザインや開会式で聖火をどのようにともすのかなどを検討していくことになります。」とあります。

聖火台は、もちろん縄文の火焔式土器でしょうね。
 
 
 
 
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2018/07/30

日本の死刑制度と杉田水脈議員の「生産性」発言

170902(フランク・パブロフ著『茶色の朝』。20年前西ヨーロッパ全体に広がっていた極右運動への危機意識から書かれた物語)

最近のニュースから、2つについて。

駐日欧州連合(EU)代表部およびEU加盟国の駐日大使ならびにアイスランド、ノルウェー、スイスの駐日大使が、「日本で死刑が執行されたことを受けた、現地共同声明」を出しました。

https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48869/node/48869_ja

確かにこの声明にあるように「死刑は残忍で冷酷」かもしれないですが、日本人が感じる死刑というものとは、なんとなく違う感覚を覚えます。

その違和感は何なのか。

「切腹」などのように(腹を割って身の潔白を示すという意味もあるでしょうが)、失敗や罪を死をもって償う(償わなければならない)というメンタリティが、死刑制度の廃止に後ろ向きな日本人が多い理由ではないのかとも思うのです。

ヨーロッパ人が主張する「死刑は残忍で冷酷」というのは、執行する側から見た感覚なのではないでしょうか。日本人は(少なくとも俺は)、死刑制度を、犯罪を犯した犯人側から見ているところがあります。それだけのことをしたんだから、死をもって償わなくてはならない、ということです。それが残忍に見えようが、冷酷に見えようが、関係ないのです。

それと、突っ込みを入れてしまいたくなりますが、ヨーロッパでテロが起こった時、テロリストと銃撃戦になってテロリストをその場で殺してしまうのは「残忍で冷酷」ではないのか?という疑問がわきます。「絶対生きたまま捕らえて裁判にかける」という意思は感じません。テロリストはその場で殺されてもかまわないという感じです。

こんなことと比べるのも不謹慎かもしれないですが、「エビを生きたまま熱湯で茹でるのは残酷だ」というのと、似た匂いを感じます。これも食べる人間側からの見方です。

ただ、冤罪には注意しないといけないとは思います。少なくとも「犯人の確実な自白」は必要かなと。

余談ですが、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演した『トゥルー・クライム』という映画がありました。死刑執行直前、最後のインタビュー取材を行ったジャーナリストが、死刑囚が無実であることを確信し、奔走するという話です。この死刑囚も死刑になることはあきらめてはいても、最後まで無実を訴えていました。、

それと、今回のオウム死刑囚の大量同時死刑執行には、なんとなく国家というものの怖さを感じます。見せしめですかね。これは死刑制度とは別の問題ですが。

国家を守るため、国家存続に障害になる「毒」は徹底的に排除する。根絶やしにするというような怖さです。

国家に「毒」と思われたら、俺も排除されかねません。

実際、杉田水脈議員のLGTBに関する発言にもあるように、俺たちには子供もないし、ただ旅をして、写真を撮っているだけで、「生産性」はないので。杉田水脈議員の理想とする国にはあまり必要ない人間でしょうね。

なんだか最近の日本はナチスと似てきたのでは?

ナチスによるホロコースト(大量虐殺)は、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、同性愛者、精神・身体障害者、重病者、反ナチス派など約500万人もの人間がターゲットになりました。(大山泰宏著『人格心理学』参照)

これは何度も書いてきたことですが、ナチズムはこのホロコーストで批判されますが、ナチズムは、ある意味人間の理想形を求める思想でもあったのです。

タバコやアルコールの害について啓蒙し、健康増進運動を展開、菜食主義や自然に親しむこと、子供を母乳で育てることの勧めなど、これだけ聞けば、なんて理想的な社会を目指しているんだろうと思ってしまいます。でも、それとセットになっているのが理想形から外れたものの排除です。

つまり杉田水脈議員の「生産性」発言は、まさにこの思想と同一線上にあるものではないでしょうか。しかも今の自民党の一部には、彼女の発言を容認するような雰囲気があるということでしょうね。二階幹事長の「いろんな考えがありますから」で済まされたら、なんでもいいということになってしまいます。
 
 
 
 
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2018/07/22

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産推薦候補に選定

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7月19日に開催された文化審議会世界文化遺産部会で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が平成30年度の世界文化遺産推薦候補に選定されたというニュースが入りました。

これは2020年登録を目指す候補です。あくまでも今の段階では、「候補」で、他に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」があります。政府がどちらを推薦するかについて文化庁は「未定」と言っています。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素は、津軽海海峡を挟んで、北海道と北東北にありますが、その中に三内丸山遺跡や大湯環状列石が含まれています。

三内丸山遺跡は青森市の南西部に位置します。縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,900年~2,200年頃)の、日本を代表する大規模な縄文集落遺跡です。復元された建物や、出土した土偶などの展示品を見ることができます。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、「ストーンサークル」とも呼ばれていて、ミステリアスな雰囲気があります。

後期前半(紀元前2,000年~1,500年頃)の遺跡ですが、200年以上にわたって造り続けられました。大規模な共同墓地と考えられているようです。

メインとなる環状列石は直径40m以上もあり、「日時計」といわれる石柱が立っています。
  
  
 
 
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2018/07/15

タイ13人が奇跡の生還で注目される瞑想(マインドフルネス)

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タイ北部チェンライ県、13人が洞窟から奇跡の生還で、発見されるまで彼らは瞑想して時間を過ごしていたそうです。

瞑想していると、邪念は払われ、空腹感や体力の消耗も抑えられたということが、生還につながったとの報道もあります。

瞑想はマインドフルネスとは必ずしもイコールではありませんが、西洋風に言えば、マインドフルネスという最近はやりの言葉になるのでしょう。

「マインドフルネス」とは「一切の評価や判断を挟まない気づき」のこと。「今この瞬間」に意識を集中することで、過去の失敗や将来への不安がもたらすネガティブな感情に気づき、それらと距離を置き、やり過ごすことができるようにするストレス低減法で、自分でもやれる方法です。

心理学を学ぶ中で、認知行動療法の中に、このマインドフルネスが出てきます。「認知行動療法」の教科書には、

「不適切な思考の変化を強調せず、非判断的で、受容的な注意の配り方を習得できるように援助するもの。…(略)…習慣的となって凝り固まっていた不適切な認知から自由になることが目指される」

とあります。

認知行動療法の第3世代と言われるもので、「禅」や「仏教」にも通じるところがあります。瞑想法が取り入れられて、マインドフルネス認知行動療法に発展したものです。より東洋思想に近づいたそうです。

日本でも去年の12月から従業員50人以上の事業所ではストレスチェックが義務つけられました。

それもあって、この新しい認知行動療法の「マインドフルネス」も注目されているようです。グーグル、アップルなどアメリカのIT企業も研修プログラムに採用しているものです。

俺も最近は呼吸を意識するようになりました。短い時間で吸って、長い時間をかけて息を吐くことが基本です。

空気が鼻孔を通るときの感覚、吐き出したときの唇内側の感覚など、「今この瞬間」を意識することで、考えなくてもいいことを意識から排除します。

まだ俺のマインドフルネスは発展途上なので、まだまだ過去の後悔や将来の不安からは解放されません。前よりは、マシかなぁという程度ですが。
 
 
 
 
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2018/07/07

オウムの死刑囚たちの死刑が執行

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麻原彰晃らオウムの死刑囚たちの死刑が執行されました。

突然、という印象がありますが、当局も熟慮した結果、「7人同時にこの日に」というふうになったのだと想像します。

なにしろ、麻原は黙して語らず、こういった事件の再発防止の手がかりを残さなかったところが、歯がゆいところです。

彼らはもともと「極悪非道な人間」なのでしょうか? そうではないでしょう。むしろ「普通の人間」だったはずです。

だから逆に怖いのです。「普通の人間」がある条件で変わってしまうというのは。

俺も他人事だとは思いません。年代も近く、実際、ある教団(オウムだったか覚えていませんが)の誘いで、事務所のようなところでビデオを見せられたことが2回あります。幸い、その時、俺の頭の中は「外国旅行したい」という思いが強く、この教団との関係もそれっきりで助かったのでしたが。

こんなことがあったので、俺も少しでも変な方向に転んだら、彼らと同じようなことにならなかったとは言えません。

どうしてこういったカルト教団や、最近では、ISなどのテロ集団に入ってしまうのでしょうか。

当然その人の内面の問題があります。

内面の問題とは、「普通」から外れた人のこころを受け入れてくれる「もの」あるいは「場所」あるいは「団体」あるいは「つながり」という解決策がないことです。

「どうしてISへ行こうとするのかわからない」という言葉は、俺の耳にも違和感がありました。これが一般日本人の感覚なんでしょう。この言葉の中には「この幸せな日本に住んでいるのに何が不満なのだ?」という裏の意味を感じます。

オウムの幹部も高学歴で、どうしてオウムなんかに?と思われていました。

ここです。問題は。

今の社会について疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的多数派の人々。

むしろこの多数派の人間が本当は病的で、社会になじめない少数派の人間がまともにさえ見える社会です。そして「平和で、自由で、安全で、平等な国」というのも、しょせんは「他人の理想郷」であるし、また、建前(もっと言うなら「嘘」)であることをみんな薄々感じながらも、それを意識してしまうと生き辛くなるので、無意識に押し込めているというのが現状ではないでしょうか? だから圧倒的多数派と言っても、いつでも少数派になりえるということでもあり、結局みんな同じです。

こういう建前社会に、ついていけない人は正直なのかもしれません。建前社会になじめない少数派の人間の方が、本当はまともな人間なのではないかとさえ見えてしまうのです。

とにかく、今の社会に生き辛さを感じる少数派の人は、なかなか行き場所がありません。この内面の問題を解決しない限り、若者(若者ばかりではないですが)が、ISやオウムなどカルト集団に向かってしまう怖れは続きます。

この「内面の問題解決」こそ、これからの「テロとの戦い」でもあるのでしょう。
 

 
 
 
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2018/07/01

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録

_87a3651(大浦天主堂)

Img_6064(大浦天主堂)

_87a3822(出津教会堂)

140926_1(崎津協会)

_87a4012(春日集落と棚田)

_87a4092(安満岳北麓の山野教会)

_mg_7330(原城跡)


先月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、国際記念物遺跡会議(イコモス)によって「登録が適当」とユネスコに勧告されたニュースはすでに書きましたが、6月30日、中東バーレーンで開催のユネスコ第42回世界遺産委員会でで正式に世界文化遺産に登録されました。

これで、日本国内の世界遺産は、昨年登録された「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」に続き22件目になります。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素は12カ所ありますが、その中で次の5カ所を訪ねています。

大浦天主堂: ゴシック調の国内現存最古の教会堂

外海の出津集落: ド・ロ神父が私財を投じて建てた出津教会堂

天草の﨑津集落: 潜伏キリシタンがカトリックに復活した地、畳敷きの崎津教会

平戸島の聖地と集落(春日集落と安満岳): 潜伏キリシタンの様相をとどめる集落

原城跡: 島原・天草一揆の舞台
 
 
そしてたまたま偶然なのですが、今年連載中の「旅するヴィーノ」7月号は、この崎津教会でした。ヴィーノは、やっぱり、もってるなぁ。

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2018/06/23

「犬形土製品 縄文の犬像、パリでお披露目 栃木・藤岡神社遺跡出土の国重文 10月の日本博で」のニュース

Img_6757(渡良瀬遊水地)
 
 
「犬形土製品 縄文の犬像、パリでお披露目 栃木・藤岡神社遺跡出土の国重文 10月の日本博で」のニュースがありました。

https://mainichi.jp/articles/20180613/ddl/k09/040/183000c

「栃木市の藤岡神社遺跡から出土した縄文時代の犬の像「犬形土製品」=国重要文化財=が今年10月、フランス・パリで開かれる日本博「ジャポニズム2018」に出品される。東京国立博物館(東博)で7月に始まる特別展「縄文 1万年の美の鼓動」での展示も決まっており、戌(いぬ)年の今年、国内外で脚光を浴びることになる。」

と、いうものです。

ようやく情報解禁ですね。このことについては知っていました。栃木県立博物館で4月に撮影させてもらった「犬形土製品」がついにパリでお披露目です。

縄文時代の犬形土製品は全国から約10体出土していますが(多くは猪形)、その中で代表的なものが、この藤岡神社遺跡から出土したものです。

前足をふんばって、大きな口を開けているものです。おそらく吠えている瞬間をかたどったものだと思われます。そのユニークな姿に一目ぼれしました。

土製品の写真については『犬像』の続編、現在編集作業中の『犬像をたずね歩く』に掲載するので、ここではアップできませんが、ネットで検索すればすぐ見つかります。

撮影したとき、係の人から「触ってもいいですよ」と言われたので、持ってみたら、意外とずしりと重かった。中は空洞ではないということです。

それと、面白いと思ったのは、肛門と、腹に「×」印がありました。これとは別の埼玉県加須市で出土した犬形土製品にも、肛門がありました。そこは共通しています。どうして「肛門」なのかはわかりませんが。

出土した藤岡神社遺跡は、渡良瀬遊水地の近くで、掲載の写真は、その遊水地の明け方の写真ですが、遠くには筑波山も見える広々とした場所です。縄文時代人も、こんな風景の中、犬と暮らしていたのかなぁと想像するとわくわくしてきます。

きっと、犬をよく観察している人たちだったからこそ、あんな素晴らしい犬像を作れたのだろうと想像します。日本文化紹介の展示で、犬形土製品が出品されることは、別に俺が犬像を作ったわけではありませんが、妙にうれしく感じます。あの犬像に「日本文化」を感じる人がやっぱりいるんだなぁと。

7月3日~9月2日には東京国立博物館でも展示されるということなので、今から楽しみです。しかも、ちょうど『犬像をたずね歩く』の出版が8月なので、展示と出版が重なります。
 
 
 
 
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2018/06/17

ハチ公像の移転話に賛否のニュース

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Yahoo NEWS 「ハチ公“全国行脚”案に賛否 都主導「五輪PR役に」 地元「ただの銅像扱い」」というニュースがありました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180614-00000144-san-l13

たしか、2年前に聞いた話では、渋谷駅開発に伴って、一時的に移転しなければならないとのことだったと思いますが、まるで小池さん発案のようになっています。また、便乗するのかなと疑ってしまいます。

ネットでは、賛否両論あるようですが、反対する人たちの理由が的を得ている気がします。「犬像」の本質を見抜いていることに共感します。

俺も「犬像がそこにある意味」が大切だと思っています。だから俺は実際に犬像を訪ね、犬像を触っています。犬像が各地を回るのではなくて、我々が各地を回ることが大切なのです。ただ見るだけなら、ネットで十分なわけで。

どうして犬像を触る必要があるのでしょうか。

それは「肌触り」なのではないかなと思います。当然、銅像や石像に柔らかさを求めているのではなく、見た目(視覚)を重視するようになった人間が、その場に来たという直接の証は、触る(触覚)しかないのです。聴覚・味覚・嗅覚もこの場合あまり役に立たないだろうし。

ごつごつしていてもかまわない、冷たくてもかまわない、私は、確かにここに来た、という実感は触ることで得られます。

ただ、当初、この移転話を聞いたときは、それもありかなと思いました。決して反対ではありませんでした。

工事でやむを得ず移転しなければならないなら、大館市に一時的に里帰りするのもありかなとは思ったのです。大館市民は大切にしてくれるだろうし。ハチ公の出身地なので、「犬像がそこにある意味」もちゃんとあります。

ただこれが政治的に使われるとしたら、戦時中に、ハチ公が「忠君愛国」のシンボルになってしまった反省が、何もいかされていないのかと、少し心配になります。犬像は、常に、誰からか利用される危険性もはらんでいます。
 
 
 
 
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2018/06/10

「紀州のドン・ファン」の愛犬イブは、主人の殺人を証明するのか

161119_2(茨城県五浦海岸 忠犬ジョン之碑)

161119_3(茨城県五浦海岸 忠犬ジョン之碑)

161119_4(茨城県五浦海岸 忠犬ジョン之碑 碑文)


愛犬が主人の殺人を証明するのでしょうか。

「紀州のドン・ファン」こと、和歌山県田辺市の実業家・野崎幸助さんが急性覚せい剤中毒で死亡した件です。

野崎さんの愛犬イブも苦しんで死んだので、その原因を探るため、イブの死骸が掘り起こされて、専門機関に運ばれたそうです。

覚せい剤反応が出るのでしょうか。それが野崎さんの体内の覚せい剤成分と一致するのでしょうか。もし一致すれば、野崎さん自身の殺人が、さらに疑われることになります。

これは、愛犬が、主人を助けたという話にもなりそうです。

すでに、イブの像が造られています。テレビのニュースで見ました。さすが、純金の犬像で、これほど高価な犬像は、日本で、いや世界でもイブの像だけかもしれません。

犬が毒殺されたという話を聞くと、茨城県北茨城市の五浦海岸の忠犬ジョンを思い出します。忠犬ジョン之碑は六角堂を見下ろす高台の松林の中にあります。

台座に刻まれた碑文を要約すると、こんな感じでしょうか。

ジョンは賢くてとてもいい番犬だったので、それをねたんだ人に農薬を盛られ、死期をさとったジョンは主人の枕元で息絶えました。

憐れに思った主人は風光明媚なこの地にジョンを葬りました。

その後、忠犬のおかげなのか、花咲か爺さんのような幸運が舞い込みました。

忠犬ジョンの勇姿に接する人には、福が訪れるとのこと。この墓地を詣でて、ジョンの加護を受けましょう。

とあります。

碑が建てられたのは昭和30年(1955年)11月です。

「いい番犬」とあるので、吠えることは吠えたんでしょう。農薬を盛った犯人は、何度も吠えられたのかもしれないですね。もしかしたら、物色していた泥棒だったかもしれません。

碑文に「花咲翁」を持ち出しているのは意味深です。

この昔話を持ち出した飼い主の思いを想像してしまいます。犯人に、報いがあると、警告しているようでもあります。
 
 
 
 
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