カテゴリー「ニュース」の389件の記事

2018/10/04

富田林逃走 「ただ今、自転車で日本一周中」のニュース

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「富田林逃走 「ただ今、自転車で日本一周中」素顔で写真」(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20181001/k00/00e/040/225000c

大阪府富田林署から逃走していた樋田淳也容疑者が、約50日ぶりで山口県周南市の道の駅で捕まりました。

大阪府内に潜伏しているはずだの、もう死亡してるのでは?だのと言われていたのに、なんと容疑者は、日本一周の旅をしていたというのは、驚きです。

俺も「日本一周」界隈でうろうろしている人間なので、このニュースにはどうしても一言言いたくなってしまいます。

犯罪者は現代社会常識の盲点をつく、ということですね。誰がこの犯罪者が、堂々と素顔をさらし、記念写真に収まり、日本一周の旅人を装うと想像した人間がいたでしょうか。

それと、容疑者は、途中で同行者を見つけるのですが、おそらく相手を観察し、あまりスマホなど見ない、情報に疎そうな人物を選んだのではないでしょうか。そのあたりも抜け目がない。二人ならなおいっそう「日本一周の旅人」らしく、隠れ蓑としては理想的です。

今までも、道の駅で車中泊していると、職質を受けることが何度かありました。これからはもっと増えるかもしれません。

ところで、犬連れだと、不審者として疑われにくいということがあるようです。職質を受けた時も、犬連れのときは、どうも質問が甘くなっているのではと感じる時があります。(と言って、俺ば別に逃亡者ではありませんが)

たとえば、こういう犯罪者がそのうち出てくるのではないかと思っています。

犬連れの泥棒・空き巣です。まさか?と誰もが思うでしょう。でも、犯罪は常識の盲点を突くのです。(もういるそうです。犬散歩を装った空き巣が)

住宅街を歩いているとき、人の家の前で立ち止まっていたら不審者ですよね? すぐ通報されてしまうかもしれません。

でも、犬連れなら、その不自然さがなくなります。犬を散歩させたことがある人ならわかりますが、そう簡単に歩いてくれない犬もいて、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ、オシッコしたり、うんちしたりして、住宅街をゆっくり歩くのもありえるのです。

犬の散歩を装って、入る家を物色し、犬を電柱かどこかにちょっと繋いで(繋ぐ場所が問題ですが)、空き巣に入るという犯罪者です。
 
 
 
 
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2018/09/20

南北首脳、北朝鮮の聖地「白頭山」を訪問 のニュース

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南北首脳、北朝鮮の聖地「白頭山」を訪問のニュースがありました。

「北朝鮮を訪問中の韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長は20日午前、中朝境界にある「白頭山(ペクトゥサン、標高2744メートル)」に登った。韓国の大統領が白頭山を訪ねるのは初めてとみられる。昼食をとった後、同日午後にソウルに戻る。」(日本経済新聞より)

この山に中国側から登ったことがあります。

図們から、延吉、二道白河とバスで移動しました。二道白河に1泊し、翌日ふたたびバスに乗り、長白山へ向いました。

「長白山」とは中国での呼び方で、朝鮮名では「白頭山 백두산 ペクトゥサン」。朝鮮民族の聖地です。標高2744mの火山の頂上付近にはカルデラ湖、天池があります。平均水深は213mもあるそうです。

バスの終点からは絶壁と、67mの高さから水が落ちる長白瀑布が見えました。ポプラが黄色く色付き始め、滝から流れている川の水も澄んでいてきれいでした。

そこから200mくらい行くとガレ場になり、その急坂を登らなければなりませんでした。石が落ちてくる危険な道です。もっと楽な道もあったのですが、それは帰るときに気がつきました。

ある場所まで上ると、ようやく平地になりました。すると、目の前に天池の湖面が現われました。対岸は北朝鮮です。今回、南北首脳が訪れたのは、もちろん対岸の朝鮮側です。

当時は、監視所や国境警備の兵士などは見当たりませんでした。もっとも対岸へ渡るには、ボートなどはないので泳ぐしかなく、普通では無理です。湖の周りは想像以上に切り立った山で、一周する道などもないし。

ハルピンの大学生と韓国人の5人のグループと知り合いました。韓国人は、オーストリアに住むエコロジストで、中国人学生たちと共同で植物調査をしにやってきたのだといいました。

韓国人は日本語をしゃべりました。「富士山に登ったことはありますか? 丹沢には?」と聞かれ「どっちも行ったことがありません」と答えると、「珍しいですねぇ」と軽蔑したように言われました。

天池に棲む怪獣「テッシー」の噂を聞いていたので、彼らにその話をすると、「怪獣なんているはずがないですよ。第一、この天池は泉の水で、とても澄んでいるので、魚さえも棲めないんです。餌のいない湖に、どうして怪獣なんか棲めるんですか?」と言うのです。まったく理屈はその通り。でも・・・。

韓国人に、南北統一について聞いてみました。すると、韓国人は語気を強めて「とんでもない!あいつらの頭は固いんだ。統一を考えているようなジェスチャーを見せてるだけ」と言い放ちました。俺などが単純に口を挟める問題ではないなと、それ以上突っ込みませんでした。

90年代には韓国人が大勢登ってきて、韓国の国旗を掲げる輩も現れたそうです。今、そんなことはやってないと思いますが。
 
 
 
 
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2018/09/11

テニス全米オープンの女子シングルス決勝で優勝した大坂なおみ選手のアイデンティティ

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テニス の全米オープン の女子シングルス決勝で、大坂なおみ選手が優勝。おめでとう。

ところで、上に掲載の写真は、大坂選手とはまったく関係ありません。あるテニスコートのフェンスに残っているボールが気になって写真を撮ったものです。

大坂なおみ選手のスピーチで、「勝ってしまってごめんさい」と言ったときは、ちょっと違和感を覚えましたが、「日本人らしい」のかなぁとも思ったり。でも、これは日本メディアの誤訳だったようです。

大坂なおみ「勝ってしまってごめんさい」は日本メディアの誤訳(ニッポン放送)」によると、「審判のジャッジが問題となり残念だと言ったそう」です。

どうりで。あまりにも「日本人らしい」言葉だと思いました。これは、日本メディアの意識的にか無意識的にかはわかりませんが、「日本人らしい」という先入観、いや、期待感がこういう誤訳を生んだのかもしれません。

というのも、ツイート上では「大阪なおみは日本人じゃない」「日本人に見えない」とか書いている人がいることと関係しているように思います。

見た目やたどたどしい日本語で、そういうことを言っているらしいのですが、こんな人、まだいるのか?と不思議です。これだけ国際結婚、帰化する人も多くなり、見た目が「外人」、言葉もたどたどしい外国育ちの日本人がいても、まったく不思議ではない時代です。「純粋な日本人」なんて幻想です。

でも、やっぱり「見た目」が大きいのでしょうね。それは俺も認めます。

そういう「日本人ではない」という人たちがいる中で、大坂選手の、「勝ってしまってごめんさい」というのは、「日本人らしい」格好の言葉であったのではないでしょうか。「そうあってほしい」という無意識の願望ですかね、こういう誤訳をしたのは。


後日談ですが、大坂選手が日本に「帰国」して記者会見した時、自分のアイデンティティを聞かれて、「私は私」と言った言葉に納得しました。

多くの日本人が、彼女をことさら「日本人」にしようとしている(たとえば「日本選手」として東京オリンピックに出るのか、戦々恐々しているところなど)ところと、ギャップを感じました。

そんなことにこだわる俺たち日本人は、まだまだ国際派にはなれないんだろうなぁ。
 
 
 
 
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2018/08/26

アマゾン奥地の未接触部族のニュース

Img_6495(写真はマダガスカル上空からのジャングル)


こういうニュースには、敏感に反応してしまいます。

10年前もアマゾンで、「未接触部族発見」のニュースがありました。未接触部族とは現代文明といまだに接触していない部族のこと。そのときは、ヘリコプターから撮影されていて、公開された写真には、弓か槍をこちらに構えている部族の姿が映っていました。

今回の発見は、ドローンでの撮影です。なるべく彼らに影響を与えない方法というなら、威圧感や恐怖感を与えるヘリコプターよりは、ドローンの方がいいでしょう。

でも、今回の部族もドローンには気が付いたようで、上の方(ドローン)を見ています。ただ、弓を構えたりはしていなかったようです。

10年前も、今回も、これを見たとき、俺は、彼らの方から見たらどうみえるのだろうか?と想像しました。

空を飛行する得たいの知れない鳥のようなもの。うるさい羽音。何をされるかわからない。少なくとも、仲間には見えない。魔物かもしれない。恐怖を感じる。だから弓を構えた。

飛行物体は、彼らにとって、UFO(未確認飛行物体)そのものですね。

映画や小説で、宇宙人(地球外知的生物)と最初に接触するとき、だいたい宇宙人は怖いもの、というふうに描かれるのもわかります。未知のものに危険を感じるのは、生物が生き残るために必要なものでしょう。

「宇宙人がUFOに乗って地球を観察しているんだ」などという話がありますが、このニュースを聞いて、ほんとにあるかもしれないなぁと思いました。「未接触部族を見ている俺たち」を見ている宇宙人がいると。

ネットでも、そう思う人たちはたくさんいるようです。この未接触部族のニュースを聞いて、UFOと結びつけるつぶやきがたくさんあります。

宇宙人は、こんな状況にある人類と地球環境を、どういうふうに見ているのでしょうか。

もし、「未接触部族を見ている俺たち」を見ている宇宙人がいるとしたら、「未接触部族を見ている俺たちを見ている宇宙人」を見ている別な宇宙人がいる、と考えるのが自然ですよねぇ。

人類は、「宇宙は広い」ということを想像できるようになった段階です。ただ、その「広さ」はまだわかっていないですが。
 
 
 
 
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2018/08/18

スーパーボランティア・尾畠春夫さん

180818(これは内容と関係ありません)


今や時の人、2歳の男の子を発見した尾畠春夫さん。

すごいとしか言いようがありません。車中泊しながら、現場では何ももらわない、自己完結のボランティア。言うだけではなく、実際に実践しているところがすばらしい。

そして尾畠さんが発する言葉には、実践に裏打ちされた説得力があります。

「子どもは下には行かず上に行くという習性」だとか「赤い服を着ているのは被災者が元気になるように」という、尾畠さんがボランティアなどの活動を通して、実地に学んできた言葉は、本人は「学歴がない」といっていますが、まるで心理学者のようです。

それから、前々から気になっていたことも、改めて思いおこさせます。それは何の分野でも、プロとアマチュアの垣根がなくなりつつあることです。

行く方不明者を探すことも、アマチュアが活躍する時代になってきたか、という思いです。

だからこの流れは、政治家にも当てはまる、そういう時代がきっと来るでしょう。仕事としてやっている「政治屋」ではなくて、本当にやりたくてやるアマチュア精神の政治家が活躍する時代が。

「職業」という概念の転換点です。

そしてもう一つ、気になることがありました。

子どもが無事に見つかったというのに、批判する人はいるもんだなぁ、ということです。尾畠さんが幼い子に飴をあげた行為を非難する人たちです。喉に詰まらせる危険があるということらしい。母親が抱く感想としてわからないでもありません。

でも、そもそも飴は小さなものだったようだし、この話の本質は、子どもが無事に見つかったということで、そりゃぁ、多少の不手際はあるでしょうが、そこを上げ足取ってどうするんでしょうか。

非難する人って、けっきょく、尾畠さんのように「探してあげよう」とは思わないんですよね。

今回のことばかりではなく、何に対しても批判ばかりする人たちは、自分は快適なエアコンの部屋でスマホのこっち側にいて、傷つかないことを十分わかっているから好き勝手に言える。そこが実際に行動する人と違うところでしょうね。

行動には危険も責任も伴うのです。リスクがあるのです。でも、そんなこと百も承知です。それでも「助けたい」という尾畠さんの思いの尊さに敬意を払うべきだと思います。
 
 
 
 
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2018/08/02

東京五輪・パラ 式典統括に狂言師の野村萬斎さん

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_mg_0743(震災前の2009年5月10日、岩手県陸前高田市の図書館前広場で披露された伝統芸能「根岬梯子虎舞」)


「東京五輪・パラ 式典統括に狂言師の野村萬斎さん」のニュース。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180730/k10011556361000.html

このニュースを聞いて、最初は意外な人選だと思ったのでしたが、でも、よく考えたら、適任なんだなぁと思い直しました。

萬斎さんのインタビューでは、こんなキーワードが出てきました。「鎮魂と再生」です。そしてそれは芸能の一つの役割りでもあるという話です。

以前、「東北お遍路」のフォーラムで、民俗学者・福島県立博物館館長の赤坂憲雄さんの講演「震災と宗教」を聴く機会がありました。

赤坂さんは震災後の被災地を周り、それは「巡礼」でもあった、という話が印象的でしたが、震災後「シシ踊り」などの芸能や祭りが一早く復活したことを見て、日本人ほど宗教を大事にしている民族はいないのではないかと感じるようになったそうです。

東北の芸能、祭りは死者に対する鎮魂供養の意味があり、こんな大災害のときにこそ、やらなければならないものだというのです。

芸能は、鎮魂と再生には必要なもの。東北の復興というだけではなく、先日には西日本の豪雨災害もあったし、日本は災害から逃れることはできません。

日本人は、自然というものの恩恵を受けるなら、その負の面である災害も、ある意味受け入れなくてはならない、ということなのでしょう。自然とともに生きていく日本が災害からどのように復興するのか、その役割として芸能の力は大きいのかもしれません。

そういう意味で、萬斎さんに期待できるのではないでしょうか。

ニュースでは「今後、野村萬斎さんたちは4つの式典に共通する基本理念を設けたうえで、それぞれの式典で独自性のある物語や演出、それに聖火台のデザインや開会式で聖火をどのようにともすのかなどを検討していくことになります。」とあります。

聖火台は、もちろん縄文の火焔式土器でしょうね。
 
 
 
 
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2018/07/30

日本の死刑制度と杉田水脈議員の「生産性」発言

170902(フランク・パブロフ著『茶色の朝』。20年前西ヨーロッパ全体に広がっていた極右運動への危機意識から書かれた物語)

最近のニュースから、2つについて。

駐日欧州連合(EU)代表部およびEU加盟国の駐日大使ならびにアイスランド、ノルウェー、スイスの駐日大使が、「日本で死刑が執行されたことを受けた、現地共同声明」を出しました。

https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48869/node/48869_ja

確かにこの声明にあるように「死刑は残忍で冷酷」かもしれないですが、日本人が感じる死刑というものとは、なんとなく違う感覚を覚えます。

その違和感は何なのか。

「切腹」などのように(腹を割って身の潔白を示すという意味もあるでしょうが)、失敗や罪を死をもって償う(償わなければならない)というメンタリティが、死刑制度の廃止に後ろ向きな日本人が多い理由ではないのかとも思うのです。

ヨーロッパ人が主張する「死刑は残忍で冷酷」というのは、執行する側から見た感覚なのではないでしょうか。日本人は(少なくとも俺は)、死刑制度を、犯罪を犯した犯人側から見ているところがあります。それだけのことをしたんだから、死をもって償わなくてはならない、ということです。それが残忍に見えようが、冷酷に見えようが、関係ないのです。

それと、突っ込みを入れてしまいたくなりますが、ヨーロッパでテロが起こった時、テロリストと銃撃戦になってテロリストをその場で殺してしまうのは「残忍で冷酷」ではないのか?という疑問がわきます。「絶対生きたまま捕らえて裁判にかける」という意思は感じません。テロリストはその場で殺されてもかまわないという感じです。

こんなことと比べるのも不謹慎かもしれないですが、「エビを生きたまま熱湯で茹でるのは残酷だ」というのと、似た匂いを感じます。これも食べる人間側からの見方です。

ただ、冤罪には注意しないといけないとは思います。少なくとも「犯人の確実な自白」は必要かなと。

余談ですが、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演した『トゥルー・クライム』という映画がありました。死刑執行直前、最後のインタビュー取材を行ったジャーナリストが、死刑囚が無実であることを確信し、奔走するという話です。この死刑囚も死刑になることはあきらめてはいても、最後まで無実を訴えていました。、

それと、今回のオウム死刑囚の大量同時死刑執行には、なんとなく国家というものの怖さを感じます。見せしめですかね。これは死刑制度とは別の問題ですが。

国家を守るため、国家存続に障害になる「毒」は徹底的に排除する。根絶やしにするというような怖さです。

国家に「毒」と思われたら、俺も排除されかねません。

実際、杉田水脈議員のLGTBに関する発言にもあるように、俺たちには子供もないし、ただ旅をして、写真を撮っているだけで、「生産性」はないので。杉田水脈議員の理想とする国にはあまり必要ない人間でしょうね。

なんだか最近の日本はナチスと似てきたのでは?

ナチスによるホロコースト(大量虐殺)は、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、同性愛者、精神・身体障害者、重病者、反ナチス派など約500万人もの人間がターゲットになりました。(大山泰宏著『人格心理学』参照)

これは何度も書いてきたことですが、ナチズムはこのホロコーストで批判されますが、ナチズムは、ある意味人間の理想形を求める思想でもあったのです。

タバコやアルコールの害について啓蒙し、健康増進運動を展開、菜食主義や自然に親しむこと、子供を母乳で育てることの勧めなど、これだけ聞けば、なんて理想的な社会を目指しているんだろうと思ってしまいます。でも、それとセットになっているのが理想形から外れたものの排除です。

つまり杉田水脈議員の「生産性」発言は、まさにこの思想と同一線上にあるものではないでしょうか。しかも今の自民党の一部には、彼女の発言を容認するような雰囲気があるということでしょうね。二階幹事長の「いろんな考えがありますから」で済まされたら、なんでもいいということになってしまいます。
 
 
 
 
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2018/07/22

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産推薦候補に選定

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7月19日に開催された文化審議会世界文化遺産部会で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が平成30年度の世界文化遺産推薦候補に選定されたというニュースが入りました。

これは2020年登録を目指す候補です。あくまでも今の段階では、「候補」で、他に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」があります。政府がどちらを推薦するかについて文化庁は「未定」と言っています。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素は、津軽海海峡を挟んで、北海道と北東北にありますが、その中に三内丸山遺跡や大湯環状列石が含まれています。

三内丸山遺跡は青森市の南西部に位置します。縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,900年~2,200年頃)の、日本を代表する大規模な縄文集落遺跡です。復元された建物や、出土した土偶などの展示品を見ることができます。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、「ストーンサークル」とも呼ばれていて、ミステリアスな雰囲気があります。

後期前半(紀元前2,000年~1,500年頃)の遺跡ですが、200年以上にわたって造り続けられました。大規模な共同墓地と考えられているようです。

メインとなる環状列石は直径40m以上もあり、「日時計」といわれる石柱が立っています。
  
  
 
 
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2018/07/15

タイ13人が奇跡の生還で注目される瞑想(マインドフルネス)

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タイ北部チェンライ県、13人が洞窟から奇跡の生還で、発見されるまで彼らは瞑想して時間を過ごしていたそうです。

瞑想していると、邪念は払われ、空腹感や体力の消耗も抑えられたということが、生還につながったとの報道もあります。

瞑想はマインドフルネスとは必ずしもイコールではありませんが、西洋風に言えば、マインドフルネスという最近はやりの言葉になるのでしょう。

「マインドフルネス」とは「一切の評価や判断を挟まない気づき」のこと。「今この瞬間」に意識を集中することで、過去の失敗や将来への不安がもたらすネガティブな感情に気づき、それらと距離を置き、やり過ごすことができるようにするストレス低減法で、自分でもやれる方法です。

心理学を学ぶ中で、認知行動療法の中に、このマインドフルネスが出てきます。「認知行動療法」の教科書には、

「不適切な思考の変化を強調せず、非判断的で、受容的な注意の配り方を習得できるように援助するもの。…(略)…習慣的となって凝り固まっていた不適切な認知から自由になることが目指される」

とあります。

認知行動療法の第3世代と言われるもので、「禅」や「仏教」にも通じるところがあります。瞑想法が取り入れられて、マインドフルネス認知行動療法に発展したものです。より東洋思想に近づいたそうです。

日本でも去年の12月から従業員50人以上の事業所ではストレスチェックが義務つけられました。

それもあって、この新しい認知行動療法の「マインドフルネス」も注目されているようです。グーグル、アップルなどアメリカのIT企業も研修プログラムに採用しているものです。

俺も最近は呼吸を意識するようになりました。短い時間で吸って、長い時間をかけて息を吐くことが基本です。

空気が鼻孔を通るときの感覚、吐き出したときの唇内側の感覚など、「今この瞬間」を意識することで、考えなくてもいいことを意識から排除します。

まだ俺のマインドフルネスは発展途上なので、まだまだ過去の後悔や将来の不安からは解放されません。前よりは、マシかなぁという程度ですが。
 
 
 
 
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2018/07/07

オウムの死刑囚たちの死刑が執行

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麻原彰晃らオウムの死刑囚たちの死刑が執行されました。

突然、という印象がありますが、当局も熟慮した結果、「7人同時にこの日に」というふうになったのだと想像します。

なにしろ、麻原は黙して語らず、こういった事件の再発防止の手がかりを残さなかったところが、歯がゆいところです。

彼らはもともと「極悪非道な人間」なのでしょうか? そうではないでしょう。むしろ「普通の人間」だったはずです。

だから逆に怖いのです。「普通の人間」がある条件で変わってしまうというのは。

俺も他人事だとは思いません。年代も近く、実際、ある教団(オウムだったか覚えていませんが)の誘いで、事務所のようなところでビデオを見せられたことが2回あります。幸い、その時、俺の頭の中は「外国旅行したい」という思いが強く、この教団との関係もそれっきりで助かったのでしたが。

こんなことがあったので、俺も少しでも変な方向に転んだら、彼らと同じようなことにならなかったとは言えません。

どうしてこういったカルト教団や、最近では、ISなどのテロ集団に入ってしまうのでしょうか。

当然その人の内面の問題があります。

内面の問題とは、「普通」から外れた人のこころを受け入れてくれる「もの」あるいは「場所」あるいは「団体」あるいは「つながり」という解決策がないことです。

「どうしてISへ行こうとするのかわからない」という言葉は、俺の耳にも違和感がありました。これが一般日本人の感覚なんでしょう。この言葉の中には「この幸せな日本に住んでいるのに何が不満なのだ?」という裏の意味を感じます。

オウムの幹部も高学歴で、どうしてオウムなんかに?と思われていました。

ここです。問題は。

今の社会について疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的多数派の人々。

むしろこの多数派の人間が本当は病的で、社会になじめない少数派の人間がまともにさえ見える社会です。そして「平和で、自由で、安全で、平等な国」というのも、しょせんは「他人の理想郷」であるし、また、建前(もっと言うなら「嘘」)であることをみんな薄々感じながらも、それを意識してしまうと生き辛くなるので、無意識に押し込めているというのが現状ではないでしょうか? だから圧倒的多数派と言っても、いつでも少数派になりえるということでもあり、結局みんな同じです。

こういう建前社会に、ついていけない人は正直なのかもしれません。建前社会になじめない少数派の人間の方が、本当はまともな人間なのではないかとさえ見えてしまうのです。

とにかく、今の社会に生き辛さを感じる少数派の人は、なかなか行き場所がありません。この内面の問題を解決しない限り、若者(若者ばかりではないですが)が、ISやオウムなどカルト集団に向かってしまう怖れは続きます。

この「内面の問題解決」こそ、これからの「テロとの戦い」でもあるのでしょう。
 

 
 
 
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