カテゴリー「ニュース」の420件の記事

2021/05/04

新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

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写真は、去年(2020年)、第1回目の緊急事態宣言下、4月19日の池袋駅前の様子です。

   ☆

3回目の緊急事態宣言が東京都などに出ていますが、去年の1回目と比べても、みんなの緊張感はなく、人出もそれほど減っていません。

1回目は緊張感がありました。また、一体感のようなものもありました。志村けんさんが亡くなったということも原因かと思われます。

とにかく、得体のしれないウイルスに対して、みんな一丸となって身構えている感じでした。そしてアマビエが流行りだしたのもそのころでしょうか。

新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司『暮らしの中の民俗学3 一生』という本を読んで、アマビエ流行と緊急事態宣言下の人々の緊張感や一体感は、偶然ではないんだなぁと思いました。

つまり、アマビエは、SNSを使った一種の祭りだったのではないかなと。

この本の立川昭二「病気・治療・健康」には、このようにあります。

「医療人類学者のマーガレット・ロックも言うように、日本人にとって「病気は元来個人に関することではなくて、家族という単位が責任を分ちあうべき事件(原文ではevent)である」。
 したがって、「治療は、家族のメンバーが皆で参加すべきものと考えられ」てきたのである。 こうした日本人のメンタリティは、たとえば病人が病院に入院した場合、その病人を家族としても社会人としても切り離そうとはしない。そのメンタリティは文化人類学者の大貫恵美子が指摘しているように、入院患者への濃密な「付き添い」と「見舞い」という日本人特有の行為となって表われる。
 「ニンギトウ」や「七人参り」にふれた波平恵美子は、「病気は、他の人によって代替され得ないものであるにもかかわらず、あたかも代替されたり分割され得るものであるかのように儀礼を通して病気に対処するものである」とし、このような考え方はバイオメディシン(生体医学)にはまったくないが、「こうした『病気を分け持つ』という考え方を現代的に読みかえて取り入れることが必要ではないだろうか」と論じている。
 「付き添い」や「見舞い」も「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティの表われであるが、最近よく言われる「病苦を共有する」とか「痛みを共感する」という考え方も、たんなるキャッチフレーズではなく、それがある現実的な相互治癒力を得るには、「ニンギトウ」や「七人参り」のような習俗が、現代的なイニシエーションのかたちをとって甦ることが求められるのではないだろうか。」

病人を「見舞う」とか「付き添う」とか、普通のことだと思っていましたが、意外とこれは日本的だったのかと、「目からうろこ」ですが、日本人は病気を個人の問題というより、家族、または社会の問題として捉えているということになるのでしょう。

そう考えると、去年、新型コロナが流行りだして、マスクを躊躇なく使い始めたのは日本人を初めとしてアジア人だったようで、マスクは、自分が罹らないということはもちろんですが、「人にうつさない」という考えがあったことは重要かと思われます。それは「人にうつさない」ことが結果として社会全体の感染者を減らし、自分が感染するリスクを軽減するということにもなります。

マスクを拒否する人たちの「俺は罹らないから大丈夫」とか「若いから重症化はしない」とか「罹ってもいいや」という言い方は、「病気は個人のもの」という考えに他ならないでしょう。

1回目の緊急事態宣言が出たときの緊張感、一体感は、アマビエというものを象徴として、みんながこぞってアマビエの絵を投稿し、アマビエの姿の和菓子を造るなど、まるでお祭りのようでしたが、あながち、これは「祭りのよう」ではなくて「祭り」そのものであった気がしますが、この「祭り」を通して生まれたのではないでしょうか。リアルな祭りは「密」になることもあってできなかったし、アマビエ流行のようにSNS上で斎行された「祭り」は、全部ではないとしても、日本人が一致団結し、緊張感をもって新型コロナと対峙したということに少しは影響があったと、今は思います。

「病気を分け持つ」というメンタリティは、特に感染症の場合、逆に言えば「人にうつさない」という考えにもつながると思うし、個人が勝手な行動をする限り、このウイルスが収束することはありえません。それをこの1年で俺たちは学んできたはずです。

もう一度、何かの「祭り」をぶち上げて、一体感、緊張感を取り戻す必要があるのではないかと思います。それが「狼信仰」だったら嬉しいというのが本音としてあります。いや、「狼信仰」以外でもいいんです。祭りになる何かがあれば。

『オオカミは大神(弐)』には、山梨県のある三峯神社で、去年、コロナ退散祈願祭が斎行されたことを書いています。もともとこの神社は、江戸時代、疫病が流行ったことがきっかけで秩父・三峯神社を勧請した経緯があり、今回、その伝承にあやかり祭りを斎行したとのことです。その結果、村人の一体感は強まったという話を聞きました。

そう、「一体感」なのです。狼(お犬さま)が直接新型コロナウイルスをやっつけてくれるなど、誰も考えていません。病気が社会的なものならば、みんな一丸となって立ち向かわなければならない、個人がばらばらで勝手に行動していてはダメなのだ、という村人の決意表明としての祭りなのです。

祭りによって、村人の精神的な集団免疫力は確実に上がったと思います。

 

 

 

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2020/08/07

新型コロナの虫送り

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10年ほど前に、埼玉県皆野町の「虫送り」を撮影したことがあります。今年は行われるでしょうか。

虫送りは、3本の「オンベイ(御幣)」を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。

オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。

害虫には、いろんなものが含まれるようです。農作物の害虫はもちろん、疫病神なども、すべて災いを招くものを「虫」として呼び寄せます。今年なら「新型コロナの虫」も含まれるかもしれません。

昔は、最後にこのオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていましたが、今は、流せなくなった(流さなくなった)とのこと。

それを聞いて、今はそんな時代なんだなぁと思ったものです。別な灯篭流しの祭りでも、下流にボランティアが待機していて、流れてきた灯篭を全部回収することをわざわざアナウンスしていました。だから流さないでと。

物を勝手に川に流せないんですね。物だけではありません。「悪霊」「災い」も流せなくなったということです。昔なら、「虫」にみたてた「悪霊」「災い」を村の外に出してしまえば、村の中の安泰は保てました。

でも、意地悪な見方をすれば、「虫」を村外に出すということは、他の村(下流の村)がその「虫」の被害に遭うかもしれないことになります。

つまり、今の時代、災いは、その村だけで解決すれば良いという問題ではなく、災いは、すべての村(あるいは物)が大なり小なり何らかの関係性を持っているということでもあります。

 村から町、県、そして国、世界へと、俺たちの生活範囲は広がっているのに、「新型コロナの虫」に関しては、まるで村の「虫送り」に逆戻りしているような感じを受けます。外からの「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)に入ってくるのを心配しています。

でも、「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)からいなくなっても、別なところにいる限り、平穏な生活は戻ってきません。つまりこの「新型コロナの虫」送りは、全地球規模で、みんなで協力してやらなければならないことです。

にもかかわらず、今は、外からの人間を「虫」扱いせざるをえない状況です。観光業で潤っていたはずの観光地が「来ないで」と言うところもあります。罹った人間に対する誹謗中傷も止まりません。人をウイルス扱いする客や店員のレジハラも起こっています。「人間」が「虫」ではなくて、「新型コロナウイルス」が「虫」なんです。

新型コロナの一番怖いところは、人間関係を分断するところにあるようです。

そこで、虫送りを復活させてみてはどうでしょうか。

オンベイをロケットに載せて宇宙に放つのが、現代版の「虫送り」としては一番の方法かもしれません。実際やるのは難しいですが、その代わり「花火」があります。その象徴的な儀式として、これを「虫送り」に見立てればいいのではないかと。

それとも秩父市・椋神社の「龍勢」でしょうか。こちらはまさに竹製の「ロケット」なので、「宇宙に放つ」イメージと合致するような気がします。

こういう儀式は象徴的なものです。これで人間が「虫=ウイルス」でないことの感覚を取り戻すことができたらこの「虫送り」という民俗も役に立つのかなと思います。

 

 

 

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2020/06/04

六四天安門事件とアメリカのデモ

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1989年6月4日は、六四天安門事件の日です。

俺はあの年の5月は貴州省でミャオ族「四月八」の祭りを撮影していました。(上に掲載の写真は「四月八」の祭りではなく、その前に行われた凱里ミャオ族の「芦笙会」の写真)

そのころから、ホテルで見るテレビなどでは、天安門に学生たちがたくさん集まっているニュースがあったように記憶しています。

その後帰国しましたが、ほどなくして天安門事件が起こりました。貴州省で知り合った日本人留学生(当時北京で留学中)が、急きょ帰国して、事件について話すためにワイドショーに出演したことも覚えています。

今だにこの事件について中国ではタブーですが、毎年香港で開かれていた六四追悼集会が、今年は当局に許可されなかったという。表向きはコロナ感染拡大防止のためと言っていますが、中国の、反体制活動を禁じる「香港国家安全法」制定方針を全人代で採択したことと関係があるのではないでしょうか。

ところで、今、アメリカでもデモが拡大しています。白人警官が黒人男性を死なせたことをきっかけに広がった抗議デモが暴力的になってきました。

朝日新聞DIGITALによると、

トランプは「抗議デモを「終結させなければならない」と宣言した。州知事らに、州兵を動員して「警察当局の圧倒的な存在感」を作るよう求め、そのような行動を取らない場合は米軍を派遣する意向を表明した。」

トランプは軍隊をちらつかせてデモの拡大を押さえようとしています。デモの首謀者が問題あるとしても、六四天安門事件のような自国民に自国の軍隊が発砲するというとんでもない事件を糾弾しておきながら、同じような「六四」がアメリカでも起こってしまうなら、なんだアメリカ、お前もか、です。

人権、民主、自由を標榜しておきながら、結局は、国家というものは、個人を犠牲にしても生き延びたいんだなと幻滅するしかなくなります。いったい個人を犠牲にして成り立つ国家とは何なのでしょうか。

アメリカで「六四」が起こらないことを祈ります。

 

 

 

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2020/05/28

大宮のタイ料理「マリタイ」

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(食い終わりの写真をアップするのも珍しいかな)

 

このコロナ禍が収束するまで、しばらくはマイクロツーリズム(近距離旅行)が主になるだろうという星野リゾート代表、星野佳路氏の言葉。だろうなと俺も思います。マイクロツーリズムとは、自宅から車で1時間程度のところまでの旅をいうらしい。

でもこれは地元の再発見にもつながっていいことかもしれません。

ここ1年やってきた関東地方の狼信仰を訪ねる旅も、方向性としてはマイクロツーリズムと合致しています。ただ、車で1時間とすると「関東地方」でも広すぎるかもしれませんが。

とりあえずその範囲の中でも、まだ参拝していない三峯・御嶽神社はたくさんあります。そこからやるしかないかなと思っています。

そしてもうひとつの「マイクロツーリズム」。

海外旅行には当分行けないし、行く気分でもありませんが、その代用として考えられるのは、各国料理を出すレストラン・食堂巡りをすることです。今までもこういった食べ歩きはやってきたわけですが、コロナ以降は、違った意味を持ってきます。これも「マイクロツーリズム」で「外国旅行」です。

さっそく家族で、大宮のタイ料理店へ行きました。妻がネットで探した店です。

東口から徒歩5分にあるマリタイという店。故国王の肖像画も飾ってあったので、これは日本人の舌に媚びた「おいしい」タイ料理ではなく、タイ人も認めるタイ料理だなと期待したのです。じゃっかん日本人を意識した部分も感じられましたが、まぁ悪くない味と雰囲気。このタイ料理は当たりです。

タイふうサラミの「ネーム」。空心菜炒め「パップンファイデーン」。海老の湯葉巻き揚げ。チャーハン「カオパッ」。レモングラス風味鶏のから揚げ「ガイタカイ」。ライスヌードルの「クイッティオ」。春雨サラダ「ヤムウンセン」。デザートにはタロイモのカスタードプリン「カノムモーケン」。

ご主人一人で切り盛りしていましたが、このご時世なので、従業員を雇えなくなったとかそんな事情もあるのかもしれません。注文してから料理が出てくるまで時間がかかったことはしかたないことだし、俺たちも久しぶりの外食でビールを飲み(3カ月ぶりくらい)、待ち時間も楽しいくらいでした。

 

 

 

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2020/05/26

「ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で」というニュース

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 「ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で」
(毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200525/k00/00m/010/214000c)

最近は、ますますネットでの誹謗中傷が問題になっています。木村花さんはそのことが原因で自ら死を選んでしまったらしい。痛ましい話です。

おそらく、誹謗中傷した人は、現実社会では、ごく普通の善良な市民だと思いますよ。もしかしたら、本人は「善意」や「正義感」でやっているのかもしれない。「自粛警察」と似た臭いを感じます。

俺も誹謗中傷は受けたことはないですが、絡まれそうになったことはあります。ネットで見ず知らずの匿名者からコメントがきたときは、少し身構えますね。なんといっても、誰だかわからない人からのコメントなので、慎重に回答しています。

例えていうなら、暗闇から突然声を掛けられて、いきなり「おまえ。何か返事しろ!」と言われているような、恐怖感までは行かなくても、圧迫感というか、そんなものを感じます。

どんな信条、どんな年齢で、どこに住んでいるのかもわかりません。たぶん、相手は俺のことを知っているんだろうな、と思うと、ますます不気味さが増します。

だからなるべくコメントが来た初回は、あたりさわりのない答えをします。そのうち人となりが分かってくれば、匿名者でも、普通に会話できるようになります。

そっけない俺のコメント返しが災いし、このブログにもコメントがほとんど来なくなりました。前は来てたのに。適当に答えているのが見透かされるんでしょうね。あるいは「コメント来るな」オーラが出ているのかもしれません。もちろん、まじめに質問してきた人には、ちゃんと答えているつもりですが。決してコメント来ない方がいいとは思ってませんので、ぜひ、匿名者でもコメントください。

アップルトンの「隠れ家理論」というのがあります。

大雑把に(俺が理解した範囲で)言うと、「眺望が良いところで、しかも近くに隠れるところがある場所というのは、生物学的に、人間が好ましいと思う空間である」ということらしい。(間違っていたらすみません)

つまり、これは動物である人間が、自分の身を隠しながら、敵を観察できるところでもあるらしいのです。なんとなくわかります。確かに落ち着けます。

これが、ネット上の「匿名」というものなのかなと思います。

ネット上に氾濫しているおびただしい数の情報。見たいと思えば簡単に見れる。意見を言おうと思えば簡単に言える。しかも、自分の身は隠してそれができるのです。これは、「隠れ家理論」で「好ましいと思う空間」そのものではないかと思うわけです。ネットがこれだけ発展したのは、この人間の「好ましいと思う空間」が、自宅にいても提供されるようになったからではないでしょうか。この「匿名性」が快感なのです。自分の身は安全なところにいて、誹謗中傷もやり放題です。

それと、やっぱり「数」ですかね。みんながやっていると、つい自分のやっていることが「良い」と強化されてしまうということがあります。

俺は匿名がすべて悪いとも思っていません。ただし、人に意見を言うとか、非難するとかの時は、実名を出してほしいですね。誹謗中傷も、実名でならいいのではないでしょうか? 捕まりますが。でも、捕まってもいいと思うくらいの信念が無ければ、誹謗中傷はしないことですね。

「ルール化必要」には全面的に賛成です。ルールは、押し付けられるものとは違います。お互いの利のためです。たとえば、ルールがないところで車の運転ができるでしょうか。できません。交通ルールは、反社会勢力の方々さえ、ちゃんと守っています。

 

 

 

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2020/05/08

緊急事態宣言の延長

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5月6日までだった緊急事態宣言は延長されました。

いったいいつまで続くのでしょうか。当然ながら宣言が解除されないと、撮影の依頼はほとんどないという深刻な状況です。病気では死ななくても、経済的に殺されてしまいます。一刻も早い宣言解除を望みます。

ところで、活動自粛の効果がそれほど現れているようにもみえませんが、当初恐れられていたニューヨークのような感染爆発は今のところ起きていず、新規感染者も横ばいだし、緊急事態宣言の延長もやむなしと思う一方、ロックダウンもなしでここまで感染拡大を抑え込んだ日本は、外国から「どうして?」と不思議がられるほど、成功しているともいえるかもしれません。

欧米からは、さんざん日本の対応は甘いと批判されていましたが、「おまえが言うか?」という感じですね。やっぱりこの期に及んでも、「欧米は一番」なのでしょう。あとで触れますが、もしかしたら、この欧米のメンタリティ自体が、今回のウイルスには「マイナス」に作用しているのかもしれません。

日本での感染拡大が抑えられた理由は、いろいろ説が出されていますが、俺は、やっぱり生活習慣とメンタリティではないかなと思っています。

まず物理的に、他人との接触、たとえば、あいさつはお辞儀で、握手やキスはむやみにしない、家に入るときは靴を脱ぐ、すぐマスクを使用する、手洗いうがいはたくさんする、といったところでしょうか。

それとこれはメンタリティなんですが、とにかく、今回のウイルスのやっかいなところは、症状がない人がうつす、潜伏期間が長い、致死率がそれほど高くない、という性質です。

これによって、周りの人すべてが感染者じゃないか、あるいは、自分も感染しているのじゃないか、と疑心暗鬼になり、ボディブローのように徐々に俺たちの心にストレスを与え続けます。身体的には弱いウイルスですが、精神的なダメージを与えるウイルスです。

日本人(アジア人)は、どちらかというと村社会で、他人に迷惑をかけてはいかん、といったメンタリティが強く、だから今回のウイルスの性質では、「自分が罹らないようにする」ということ以上に、「他人にうつさない」ということが大切で、結果、日本人のメンタリティが功を奏したのではないかと考えています。

もちろん、BCG説などもあるので、本当はどうなのかはわかりませんよ。

そして、もともと遺伝子的なものが関係しているのではとか、12月にはすでにフランスでかなり感染が拡大していたのではないかということが言われてもいて、日本でも12月には、初期の弱い新型コロナが流行って、あるていどの抗体を持った人がいて、欧米から入って来たウイルスの感染拡大を防いだといった説もあります。

とにかく、第一波はなんとかしのぐことができそうです。

でも、これからも大変なことには変わりありません。気になる情報として、「中国、退院患者の5~15%再陽性」ということです。つまり、1回罹ってもそれで終わりではなく、また感染する可能性があるということで、これが本当だとすると、ワクチンが開発されない限り、コロナ禍は続いていくということになってしまうかもしれません。

 

 

 

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2020/04/22

遅ればせながら、アマビエチャレンジ

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遅ればせながら、俺もアマビエチャレンジしてみます。背景は過去の年賀状を転用しました。

 

 

 

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2020/04/20

都心はガラガラ、郊外はガヤガヤ

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今朝の緊急地震速報には「とうとうきたか!」と思いました。東北で最大震度4だったようですが、ここも揺れました。

というのも、最近のコロナ禍中で、大地震が来て、避難所へ行くことになった場合、コロナ感染拡大は避けられないのではと思っていたからです。それとヴィーノがいるので、結局避難所には行かず(行けず)、車中泊するしかないかなと妻と相談していたところでの緊急地震速報だったので、「とうとうきたか!」と身構えたわけです。

ところで、昨日、久しぶりの撮影の仕事(ほとんどキャンセルされたので)があって、池袋に行きましたが、ついでに駅前を撮影したものです。

午前9時ころの池袋東口と、南へ300mほど行った歩道橋から駅方向をみたところです。車や人がまったく無いということではありませんが、やっぱりガラガラですね。非常事態宣言が効いているのだと思います。

ただ逆に、住宅街へ入ったところにある公園などは、子ども連れの家族でガヤガヤしていたりします。それこそ郊外の山(奥多摩など)や海(湘南葉山など)には人がたくさん行ったようです。

俺も旅行したいですが、ここは我慢時なんでしょうね。いや、俺は撮影・取材しないとどうしようもないので、「仕事」と言えばできないことはないですが、我慢しています。この感染拡大の第一波はなんとか押さえたいと。

 

 

 

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2020/04/18

痼魯難(コロナ)収束祈願のお犬さま像(この30日間)

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痼魯難(コロナ)収束祈願は、今日で31日目。いつまで続くのでしょうか。


これまで30日間の、収束祈願のお犬さま像を並べてみました。


今までは、「終息祈願」としていましたが、今日からは「収束祈願」にしました。ある程度収まったら良し、という祈願です。完全に終息を願うのは、このウイルスの場合、無理そうなことがわかってきたからです。


この環境に適応すること。ウイルスとの共存。おそらくこれほど大規模な変革を求められることは、100年、いや数百年単位の出来事かもしれません。


生き残りをかけたサバイバルゲームです。


 


 


 


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2020/04/14

疫病除けのアマビエ(アマビコ)やお犬さま

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痼魯難(コロナ)終息祈願でお犬さまをアップしてもう27日経ちましたが、よくなるどころかますます悪くなっています。

何をもって「終息」というか、このウイルスの場合、難しいかもしれないなぁと感じています。全人類の6~7割が罹って集団免疫を獲得するか、ワクチンや治療薬ができるか、それまでは、人の動きを緩めたり、厳しくしたりをくり返して、新型コロナウイルスと「共存」しながら生活するしかないということなんでしょう。

「共存」というとウイルスに「負けた」印象があるかもしれませんが、そんなことはありません。そもそも人類は、いろんな菌やウイルスと共存しています。ある程度落ち着くまで、1年、2年は覚悟しないといけないかもしれません。

 ところで、疫病除けのアマビエですが、どうももともとはアマビコで「コ」を「エ」に誤記した結果のようです。こちらに詳しい話がアップされました。

Manabi JAPAN 「新型コロナウイルスと「アマビエ」」

https://manabi-japan.jp/culture/20200414_20405/

アマビエやお犬さまが本当に疫病(新型コロナウイルス)除けなるなどとは思っていませんが、お犬さまに祈願するのは、自分の中にあるお犬さまのイメージ(例えば強さ)を借りて、このウイルス禍を乗り越えるぞという、自分の覚悟の確認なのです。

これはオリンピック選手が、自分が優勝することをイメージする、イメージトレーニングと同じようなものです。

また、アマビエなどの流行り物は、このイメージトレーニングを集団でやることでもあるでしょう。ウイルスに負けないぞという覚悟と、みんなで頑張ろうという連帯感の表明なのです。

 

 

 

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