カテゴリー「ニュース」の357件の記事

2017/02/17

クアラルンプールで金正男さんは本当に「暗殺」されたのか

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まるで朝鮮王朝の韓流ドラマを見ているような気がしてきます。今の時代、こんなことがまだあるのかと。

金正男さんが暗殺されたそうです。でも、ちょっと不思議なんですが、こうは考えないのでしょうか?

たとえば、正男さんは、北朝鮮からの資金を絶たれているらしく(だからLCCを利用していたんだろうし)、生活のために危ないビジネスに手を出していたかもしれません。そのトラブルで消されたということはないんだろうか?と。

マスコミも、専門家もすべて「北朝鮮の暗殺」というシナリオに沿って推理しています。その物語の方が、関係者にとってはメリットがあるからそうなんでしょうが。

真相はまだわかりません。「北朝鮮の暗殺に違いない」という眼鏡をかけて見ると、見誤ってしまうこともあるかもしれません。

もし本当に「北朝鮮の暗殺」だとすると、今度は彼の息子が危ないそうです。次のターゲットは彼ではないのかと。息子は過去メディアでも、金正恩を独裁者と呼ぶなど、かなり政権には批判的で、その心配は当然なのでしょう。

正男さんが殺されたのが、クアラルンプールLCCターミナル、セルフチェックインカウンター前でした。「あそこか」という驚きもあるし、「あそこなら」という納得できる場所でもあります。

Arr Asiaを使うようになって、時々使うようになったターミナルです。映像を見るたびに、現場の感覚がよみがえります。ざわざわした雰囲気の中、わずか5秒で終わった殺しを誰も気が付かなかったとしても不思議ではないと思います。

前も書きましたが、けっこうマレーシアというのはブラックな雰囲気があるんですよね。

『大韓航空機爆破23年目の真実』を見て、ある怪しい男女を思い出した(2010/12/15)
 
 
 
 
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2017/02/11

「犯罪」と「自己表現(アート)」は紙一重。松本伊代と早見優の場合は?

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昔、「ゴミタワー」を「創作」したオヤジという記事をアップしました。

「犯罪」と「自己表現(アート)」は紙一重のところがあるという意味で書いたものでした。

でも、これを書いたのはほぼ10年も前です。世の中変わりました。「犯罪」と「自己表現」は紙一重どころか、「犯罪」を「創作」する人間まで現れるようになっています。

昨日、あるデザイン系の学校でいっしょだった友人の絵描きと話をしていたら、当時、三越のライオン像を金色に塗った男は、俺たちの同級生だったという話を聞きました。

その男を俺は覚えていませんが、友人によるとそういうことをやった尖がった男だったというのです。この事件は新聞記事になったそうですが、たいして話題にもなっていないと思います。俺も知らなかったし。

昔の「自己表現」はそんなもんだったんですね。今ならどうでしょうか。写真がSNSにアップされて、瞬く間にトップニュースにもなった可能性があります。もしかしたら、金色に塗った男がネットに動画をアップして炎上していたということもあるでしょう。

自分の「犯罪」をアップすることは、「自己表現」の延長線上にあるのでしょうか。10年以上前なら、ある意味「YES」だったかもしれません。

最近は事情が変わって来たのです。たぶん最近自分の犯罪行為をアップしているのは、成行きで、ということもあるんでしょう。ウケるから、より刺激的なものへと変わっていくというケースもあるはずです。あまり、この行為がどういう影響を与えるのか、わからないままにアップしているのが多いのではないかなと。

若者ばかりではありません。最近は、松本伊代と早見優が線路内に立ち入って写真を撮り、自慢気にアップして問題になっています。社会的に影響力のある人間も、こんな風なことをやってしまうのが現代です。(それにしてもこの件以外でも、こういう「犯罪」を探し回っている暇なやつがいるんでしょうね。俺はむしろこっちが気持ちわるいんですが) 彼女たちを笑うことはできません。

「ネットを使いこなす」などというイメージは嘘ですね。ハサミを振り回している赤ちゃんと同じです。だから怖いとも言えるのです。怖さを知らないからです。赤ちゃんが振り回すハサミがどんなに危険か。本人を傷つけることはもちろん、他人を傷つける可能性もあります。ネットはまだ人間が管理できる完全な道具にはなっていません。

でも、ここまで書いてきて、結局、俺はどっちなんだ? と疑問に思ってしまいます。

俺も正直言えば、ぎりぎりのことはやっているし、微罪かもしれないですが、違反もしています。でも、それを「自慢」する勇気はありません。なるべくバレないようにしているつもりです。でも、自分の気が付かないところで(無意識で)、「自己表現」してしまっているのかもしれませんが。

社会状況、ネット環境が違ってきたので、一概には言えませんが、やっぱり、「自己表現」へ向かうパッションの源泉は昔と何も変わっていないんだろうなと思います。

「やりたくなる」気持ちは同じなのです、昔と。道徳や慣習や法律や倫理にとらわれずに行なうこと。その破壊力が、世の中を変え、前進させていることもあるからです。

逆に言えば、道徳や慣習や法律や倫理に囚われ(それが正しいと信じて)、そこから一歩も出ないとしたら、それこそ問題なのではないかと(まぁ、そんな人間いないでしょうけど)。そんな世の中は、窮屈で生きている実感がわきません。微妙なところがわくわくするんですよね。
 
 
 
 
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2017/02/08

岡山市の桃太郎像にニット帽やマフラーが物議?

170208(岡山駅前の桃太郎像 これは問題の像ではありません)

170208_2(東京都麹町 甲斐犬像)


岡山県の桃太郎像が、ある騒動に巻き込まれています。

Yahoo ニュース:
冬のももたろう像に衣類 賛否は 岡山市「何もせず見守って」

それは市内にある桃太郎像に、ニット帽やマフラーが巻かれることがあり、それが許されるか、許されないか、というものです。一応、市の対応として、通報があったら、取るようにしているようですが。

俺も『愛犬物語』のために岡山市へ行きました。桃太郎に従っている犬像があるからで、今準備中の書籍でも桃太郎と犬像は取り上げています。だから一言、思いを書いてみます。

この問題は、像をどう考えるかで変わってくるのではないでしょうか。

「アート」と考える人は、作品のオリジナル性や芸術性から、よろしくないと考えるだろうし、一方、「現代版お地蔵さん」と考える人は、寒そうだからニット帽やマフラーを巻いてあげようという気持ちの問題があります。

ただ、誰でも見れる、触れる公共の場所に立っている像は、すでに製作者や設置者の思いを離れ、みんなのものと考えた方がいいのではないかと個人的には思います。

「これをアートとみるべきだ」とか「お地蔵さんとみるべきだ」というのは、それこそおせっかいなことで、みんなそれぞれ自由に接すればいいことでしょう。俺はどちらかというと、問題の像に関しては、「お地蔵さん派」ですが。

東京都麹町に「甲斐犬像」があります。こちらも、時々、お金がお供えされたり、ネックレスを掛けられているそうで、みんな頭を撫でるのでてかてかに光っています。でも、この像を見て、そして、像を建てた関係者に話を聞くうちに、現代版のお地蔵さんだなと思ったのです。

犬像が地域の人たちを見守り、また、地域の人たちから犬像が見守られ、お互いに育っている感覚が、いいなぁと思いました。

アートって、そんなかしこまって、崇高で、敷居が高いものなんでしょうか。違うと思うんですけどね。もっと身近でいいと思います。

ただ、以前、明らかにいたずらされたという経緯を考えれば、桃太郎像の管理者として、ニット帽もマフラーも取らざるを得ないのもわかります。

だからニット帽やマフラーも、心の中でかけてあげればいいのではないでしょうか。それで思いは伝わると思います。
 
 
 
 
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2016/12/13

北方領土に最も近い「本土最東端の地」納沙布岬

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根室半島の先端で、日本の「本土最東端」にあたります。

望郷の岬公園、納沙布岬灯台、北方館、望郷の家、望郷の塔などが置かれています。

訪ねたのは6月でしたが、雨の多い年で、この日もあまり天気は良くなくて、数キロ先にあるという歯舞群島も見えませんでした。

ここは「日本最東端」ではありません、公式には。

でも、今のところ一般人が訪問可能な日本最東端地点であることはまぎれもない事実で、思わず、「ここは日本最東端だ」と言ったとしても「非国民だ」とののしられることはないでしょう。

そういう状況になってしまったのは、ロシア(ソ連)だけではなく、日本にも問題はあったのかもしれません。

この状況が、変わっていくのかどうか、今度のプーチンと安倍さんの会談が注目されます。
 
 
 
 
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2016/11/13

トランプ次期大統領の差別発言

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トランプ氏が次期大統領に決まりました。

みんな衝撃を受けています。専門家は予想を外し、面目を失っています。

だいたいにして、専門家と言われる人たちは、過去のデータの蓄積があるので、それに縛られてしまうからでしょう。新しいことに対応できないのです。

ここ数年、専門家の「想定外」に、何度煮え湯を飲まされてきたか。俺たちは「専門家」と言われる人々に対して警戒しなければなりません。

さて、トランプ氏と言えば、暴言の数々。大統領と決まった途端、借りて着た猫状態になった感じがして、早くも投票した人には失望感が漂っているのかもしれませんが、とくに彼の差別発言は、これからもあとを引くようです。

トランプ氏にお墨付きをもらったかのごとく、移民やマイノリティーに対する差別はエスカレートしています。

でも「トランプ氏が差別発言をしている」と批判している人の心の中はどうなのでしょうか。本当に差別をしない人たちなんでしょうか。

社会心理学者のゴードン・オルポートの心理学実験があります。スーツを着た黒人と、手にナイフを持った作業着の白人が、地下鉄車内でもめているような絵を見せます。

それを「どんな絵だったか?」と伝言ゲームのように伝達してもらう実験をすると、黒人と白人が入れ替わってしまうというものです。ナイフを持っているのは黒人に違いないという思い込みというか偏見が、白人の心の底辺にしみこんでいます。

「白人」とか「黒人」とか、「見かけ」が偏見や差別の原因の大きなポイントであるらしい。

「見かけ」というのが大きいのです。でもこれは、人間が生物として生き残るために獲得してきた、瞬間的に敵か味方を判断する方法でもあって、かならずしも「見かけ」で判断することが悪いわけではないところが、やっかいなところでもあるわけです。

見かけが「違う」と判断するだけなら「区別」ですが、「差別」は根拠のない理由で不当な扱いをすることです。

「いや、私は人を差別しません」と断言する人ほど、無自覚な、無意識的な差別には鈍感だったりするんですよね。「差別したくありません」ならわかるのですが。

以前書いた映画『クラッシュ』の登場人物はそんな無自覚な、だからこそ悲劇的な結末を迎える青年でした。

「イケメン」とか「美人」とかも、見かけによる判断をしているという意味では同じ差別、偏見につながっているということでしょうし。「私はいっさい差別したことがありません」などという人を、俺は信用しません。(と、いう俺もそういう人たちを差別しているんですが)

ありとあらゆるところで、人間は見かけだけで判断し、そして過去の情報を基にして、その判断をそのときも使っています。差別は、だからその人の「判断するときの偏った癖」と言ってもいいかもしれません。幼児は、差別しないというのはここからもわかります。

「差別はある」ということを前提に、それでも「なるべくなくしていこう」と行動するしかないのでは。自分の心の中にある差別をちゃんと意識して、それをコントロールするしかありません。無意識では、コントロールはできないのです。

トランプ氏の差別発言は、どこまで社会を混乱させるかわかりませんが、あらためて差別を意識化させたという意味はあるのかと思います。
 
 
 
 
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2016/08/18

豊洲市場移転に対する新都知事小池さんの対応

160818(ゆりかもめの車内から撮影した新市場)


新東京都知事の小池さんの豊洲新市場移転に関する判断が注目されます。

新市場に予定通り移転するのか、それともここで立ち止まって移転時期を遅らせるのか、それとも白紙撤回してしまうのか。

小池さんも選挙前は、市場の豊洲移転についても、「ちゃんと情報公開します」と明言していましたが、おとといの視察風景を見ると、「あれっ?」と思うこともありました。取材陣をずっと遠くからしか取材させないのです。

移転反対派の業者のおじさんは、視察当日の今回の小池さんについて、

「選挙期間に来てくれたときの表情とは違う」

という言葉が印象的です。

市場に入っている業者の半数近くが反対する中での移転計画というのも、常識的に考えればなんだかおかしな話です。老朽化というのも確かにあるのでしょうが、安く建て替えするには豊洲の方がいいという、大家である東京都の財政事情のための移転であるらしく(ただ現在は移転したほうが費用が髙くなってしまいましたが)、関係者を無視して話が進むというのは、役所仕事では他でもままあることです。

豊洲市場移転問題だけではなく、そういった「ブラックボックス」で物事が決まることに切り込んでくれるのが小池さんだと思ったから投票した人も多かったのではないでしょうか。

おとといの取材の様子から、どうも「そうではないようだ」と見えてしまうのは俺だけではないと思います。都民のみなさんは「ブラックボックス」の解体のための情報公開を期待していると思います。小池さんの手腕が問われるところです。
 
 
 
 
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2016/08/13

今は「四年一昔」

160813(タイ南部のリゾート海岸)


オリンピックのさ中でも、世界各地でテロが起こっています。今度はタイです。

11日午後10時ころ、中部ホアヒンの路上で爆弾が爆発したそうです。ホアヒンはバンコクの南約200kmに位置した外国人も多い街で、タイ王室ゆかりの保養地でもあります。

今回のテロに日本人は巻き込まれていないようですが、タイ人・外国人が死傷しています。そのほかタイ南部で11日から12日にかけて、9件の爆発事件と5件の不審火が相次いだもよう。(当局は国際テロ組織との関連は否定しています)

俺も昔行ったことがあります。当時はバンコクの華やかな街から行くと、南部の街はイスラム教徒も多く、漁村などを歩くと貧しさを感じました。今はどうなのでしょうか。

この前も書いたのですが、4年前のロンドンオリンピックのときは「男女平等」がテーマで、イスラム教徒の女性選手参加が話題になりました。

その後世界の状況は変わりました。これだけテロが頻発する中でのオリンピックになるとは考えられませんでした。

結局爆発物ではなかったようですが、11日、オリンピックメイン会場のバスケットボール競技場内で不審物が見つかり、爆破処理されるという物騒なことも起こったようです。

4年というのは1時代の区切りになっているんですね。「十年一昔」とは言われましたが、もう今は「四年一昔」であるようです。オリンピックのテーマが時代を映し出しています。

ところで、平和のお祭りを象徴する今回の難民五輪選手団のひとり、シリア難民のユスラ・マルディニさんはどうなったかというと、女子100mバタフライで41位、女子100m自由形で45位でした。

一方、女子100mバタフライで4位に入賞した陳欣怡(チェン・シンイー)選手からはドーピングの陽性反応が出たそうです。ドーピングの問題も今回大きくクローズアップされたばかりなのに。

方や、出るだけで幸せな選手と、薬を使ってまでメダルを手に入れたい選手。あまりにも違った立場の両選手が同じプールで同じ100mバタフライで闘っているのも、また世界の縮図を見るようです。
 
 
 
 
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2016/08/11

尖閣沖・魚釣島沖の領海、中国公船が侵入のニュース

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最近は、尖閣沖・魚釣島沖の領海に中国公船が侵入するニュースが多いですね。

少しづつ少しづつ、じわりじわりと日本に近づいて来る中国公船の不気味さを感じます。

南シナ海での中国の海洋進出を巡って、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は中国が主権を主張する独自の境界線「九段線」に国際法上の根拠がないと認定したこでメンツを失った中国。今度は尖閣諸島周辺で活動を活発化するのでしょうか。

宗谷のタロ、ジロの話は先日書きましたが、宗谷の隣に船の科学館別館があって、そこには「にっぽんの海」の紹介コーナーがあります。尖閣諸島や竹島の地図やジオラマが展示してあります。

たまたまなのか、いつもなのか(休日だったからか)、見学者の半分以上が中国人だったので、宗谷の操舵室で子供に舵を握らせてスマホで写真を撮っていた家族に話しかけました。

「旅行ですか?」

あまり日本語はできませんでした。それで中国語で、

「どうしてこちらに見学に来たんですか? ここはそんなに有名な観光地ではないと思うので」

と言うと、

「日本で働いていて、このあたりに来たので覗いてみました」

とのこと。それほど目的があって来たというのではなく、たまたまらしいのですが、「何だろう?」と思うくらい数が多いのです。じゃなければ俺もわざわざ聞いてみたりしませんでした。

どうも、日本で働いて住んでいる中国人家族らしいのですが、ゆりかもめの車内でも、同じ様な年代の中国人家族が、子供を連れて乗り込んできました。もしかしたら、休日にはこのあたりに遊びに来て、情報交換するのが流行っているのかもしれません。

ただ中国人たちは、この尖閣諸島の展示物にはまったく関心を示していないようでした。尖閣問題はどうでもいいというのが日本に住んでいる中国人たちの本音でしょう。

問題が大きくなって「中国人排斥運動」など起こったら最悪だと思っているでしょうし。いや、その前に中国でまた「反日運動」が起こるでしょうが。
 
 
 
 
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2016/08/07

平和の祭典、オリンピック。史上初めて結成された「難民選手団」

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リオデジャネイロ・オリンピックが開幕しました。サンバのリズムと鮮やかな色彩が楽しかった開会式。

なんだかんだ言っても、「本番に間に合えばいいじゃないか」と言っていたブラジル人の言う通りかな。

ところで、オリンピックのことを「平和の祭典」と呼んでいましたが、今もそうなのでしょうか。

ジカ熱媒介する蚊はいる、テロに警戒しなければならない、警官と消防士がストをして治安は悪いと、これほど「行きたくない」イメージを与えられた大会もめずらしいと思います。

「平和」を維持するためには、かなりの労力が必要になってきました。

ものものしい警備体制の中を軍隊?に守られての聖火リレーには驚きます。聖火リレーは1936年、ナチス党が大会のPRと国威発揚を狙ってベルリン大会で行われたのが初めてでした。むしろナチス政権下での聖火リレーの方が平和に見えるというのも皮肉な話ですが。

こんな時代だからこそ、オリンピックを開催する意義があるのでしょう。

世界各地で戦争や紛争やテロが頻発し、病気や飢えで人が死に、地球環境が破壊され、いろんな混乱がありますが、オリンピックは「平和」を演じる祭りです。スポーツを通して、選手も観客もみんなで「平和」を積極的に演じてみようというわけです。

その象徴的なものは、史上初めて結成された「難民選手団」ではないでしょうか。そのひとり、18歳のシリア人、競泳女子のユスラ・マルディニ選手には注目したいと思います。

ちなみに4年前のロンドン五輪のときは「男女平等」がテーマでした。サウジの女性選手が注目されたことを覚えています。
 
 
 
 
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2016/08/06

8月6日、ヒロシマ 

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イランへいったとき、よく「ヒロシマ、ナガサキ」のことが話題に出ました。俺から触れたわけではありません。イラン人の方から原爆の話をしてくるんです。そして、一様に、原爆を落とされた側の人間(つまり俺、日本人)なんだから、落とした側のアメリカは当然嫌いだろう、という感じで「反米」への同意を求める雰囲気がありました。

「原爆が落とされた」という理由で、「アメリカが嫌いだ」という日本人は関係者を除いて多くはないかもしれません。俺は、こういう日本人の事情をイラン人の前では言えませんでした。なぜか恥ずかしかったからです。原爆でたくさんの人間が殺されたんだから、怒って当然だ、というのが彼らの常識でしょう。

でも、オバマ大統領が今年5月27日、広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花したとき、被爆者に直接会いましたが、被爆者の方が言っていたのは、憎しみは憎しみを生むだけ、許しが必要だと言っていたのが印象的でした。そうか、憎しみの連鎖は、結局現代社会でも問題になっているイスラム過激思想のテロや、核兵器の開発につながるんだなということです。だから日本人が、原爆を憎みこそすれ、アメリカ人を憎んでもあまり意味はないということなのでしょう。

でも、そこをわかってもです。この原爆投下について、アメリカ人は戦争を終結させたから正しかったと主張しているのを聞くと、やっぱり心穏やかではありません。これはアメリカ政府公式の説明でもあります。最近の若いアメリカ人の考えは変わってきているようですが。

まぁアメリカ人だって、原爆投下で大量に人を殺しておいて、平気な顔をしていられるはずがなかった。その罪悪感を抱えながら生きることなんてできなかったはずです。だから、「これ以上犠牲者を出さずに済んだので原爆投下は正しかった」と思い込むことが罪悪感から逃れる方法でもあったし、政府の説明は都合が良かったと言えるでしょう。

そもそも原爆なんか使わなくても、日本は戦争に負けていたし、戦争は終わっていたでしょう。だから原爆が唯一戦争終結のための必要条件だったわけではありません。原爆は「絶対的悪」なのです。

そして原爆はアジアの国だから落とせたということもあるでしょう。アメリカ本土からの距離(遠さ)もそうですが、「人種」の違う国だからです。

あのタイミングを逃せば原爆を実際に使ってみる機会を失うと恐れた、はっきり言って関係者の中には、「使ってみたい」と考えていた人間はいたでしょう。これからのソ連との戦争を想定して、原爆の被害がどうなるか知りたかったのかもしれません。実際アメリカは広島と長崎で原爆被害の詳細なデータを取っていました。

一方のソ連も9月ごろ広島を訪れ、原爆の被害を記録しています。最近その映像が公開されました。米ソが日本を舞台に、核爆弾の実験をやっていたのかと疑ってしまいます。

オバマ大統領は核兵器のない世界を目指すことを宣言しましたが、そもそも、「相手から襲われる」という恐怖の連鎖が核兵器拡大に繋がるわけで、それはまさにアメリカが現在抱える問題、銃社会と同じ精神構造にあると思わざるを得ません。

「相手から撃たれないために、銃を持つ」という発想です。この恐怖の連鎖を断ち切らない限り、銃も、原爆もなくならないでしょう。
 
 
 
 
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