カテゴリー「ニュース」の439件の記事

2023/05/07

Microsoft bingと、ChatGPT

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「お犬さまとは?」の質問で、Microsoft bingとChatGPTの2つを比較してみます。結果は?

この質問に関しては一目瞭然です。

Microsoft bing は、出典付。だからかなり正確。

ChatGPT は、出典無し。あくまでも「犬」で、「狼」についての言及はありません。

ついでに bing のイメージクリエーター で、「森の中の神社の前に鎮座する 狼 の石像」(上)と「お犬さま の石像」(下)で作らせてみました。

「お犬さま」の最後の画像だけは、ありそうなお犬さま像になりました。このフェイク画像には騙されるかもしれません。

こうしてAIで作られた画像に目を慣らしておくことも大切かなと思います。騙されないためです。

実は最初、「これはAIが作成した画像です。」のキャプションを入れないままSNSにもアップしてしまいました。どうみてもこれはフェイクとわかるだろうと思ったので、わざわざキャプションは入れなかったのですが、でも、周りを見渡したら、どうみてもフェイクと思われる画像がたくさん出回っているのを見て、あぁ、狼像やお犬さまを知らない人が見たら、これは本物だと思う可能性はあるなと思い直しました。

ネットでは常識は通用しません。とくに好意的常識、希望的常識は。テキストと離されて、画像だけを使われる恐れもないとは言い切れません。なので、念のためです。

 

 

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2023/05/06

WHO 新型コロナウイルス「緊急事態宣言」解除を発表

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「WHO 新型コロナウイルス「緊急事態宣言」解除を発表」のニュースがありました。

https://news.nifty.com/article/world/worldall/12198-2320352/

2020年3月19日から半年間あげ続けた「コロナ終息祈願」「コロナ収束祈願」の狼像です。

狼の強靭イメージを借りて乗り切るぞとの俺なりの狼信仰でした。(一応、コロナにはまだ罹ってません)「信仰」とはいっても、この場合は、宗教的というより心理学的な、イメージトレーニングに近かったかもしれません。

コロナに罹らなかったから成功したとか自慢したいわけではありませんので念のため。罹らなかったのは日々の手洗いマスク、それとワクチン注射のおかげ、それと一番大きいのは「偶然」のたまものです。

途中で「終息」はないなと思ったので「収束」に変更。予想通り今も「終息」はなく「収束」という性格のウイルスでした。でも「収束」までも3年も経ってしまいました。まさかこんなに長くコロナ禍が続くとは2020年には思ってもみませんでした。

しかもこれでコロナがなくなったわけではなく、さらなる「収束」を願うだけです。

 

 

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2023/04/12

今話題のチャットGPTと脳

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今話題のChatGPT。

自分のことや「オオカミ信仰」「お犬さま」などを尋ねました。

「青柳健二」は、俳優・声優で『HERO』、『相棒』にも出演しているそうです。誕生日も違うので、その日を調べても、該当する俳優どころか、日本での有名人はいません。

本当の自分にまったくかすりもしないのが少し悲しい。それだけ有名じゃない、ということの証でもあるんでしょう。ただ、俺は個人情報はあまりネットに載せないようにずっと前から注意してきました。そういうことが少し幸いしているのかもしれません。

「おいぬさま」ついて聞いてみたら、

「「おいぬさま」という言葉は、一般的には「おいしい犬」という意味ではなく、可愛らしい表現として用いられることがあります。」

だそうです。以下略します。というか、問題外な答えです。

「お犬さま」とか「オイヌサマ」と字面を変えて聞いてみても、まったく、オオカミに関係する答えは、いまのところ出ませんでした。「今のところ」と書いたのは、AIは学習していくらしいので、そのうち完璧な答えになるかもしれません。

ところで、恐竜は体を大きく(食われないように)することで生き残りをかけました。でも、大きさは限界がないかというと、そんなことはなく、物理的にも、ある程度大きくなったらそれ以上大きくなることはできません。

人間の脳がほかの動物と比べて体重の割には巨大なのは、複雑な社会生活での問題を解決するためだとする説があります。これを「社会的知性仮説」と呼びます。

哺乳類は、脳を大きくすることで生き残ってきました。究極はこのように人間の脳ですが、脳についても、恐竜の体と同じように、大きさに限界があるようです。

本など、アナログなものも昔からありましたが、コンピュータが出て来て依頼、脳の機能は急速に自分の外部ににも置かれ始めました。そしてChatGPTなどが出てくると、今が、脳の大きさの限界点かなとも思います。

これからは人間の脳は少しづつ小さく「進化」していかざるをえないのかもしれません。つくづく、ヴィーノを見て、「ヴィーノは幸せだなぁ」とか言ってきましたが、われわれ人間も、ヴィーノくらいの脳に戻っていくのかもしれません。 

ChatGPTは、今のところ日本語では、抽象的なものなどは得意らしいですが、「青柳健二」「お犬さま」など、具体的情報にはまだまだ弱い部分があって使えないですね。 

 でもこれもだんだん学習していって、完璧なものになっていくんでしょう。そのとき、人間の存在意義はどこにあるのか。

人間が得意なのは、失敗、思い込み、嫉妬、妬み、不公平さ、差別、先入観、騙しなどでしょうか。今まで「負」とされていた人間の性質が、一番人間らしさに変わる日も近いのかもしれません。 

 

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2023/03/21

ヌートバー選手で盛り上がる埼玉県東松山市の箭弓(やきゅう)稲荷神社

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今年の初詣で参拝したのが東松山市の箭弓稲荷神社。

今、ヌートバー選手の祖父母(タツジさん)が住んでいる東松山市が熱いらしい。

そして偶然にも、この街には箭弓(やきゅう)稲荷神社があって、「やきゅう」ということで、以前から野球関係者が参拝し、バット絵馬なども奉納されている神社です。

日本三大稲荷や日本五大稲荷にも数えられることがあるほど、稲荷神社としてもたいへん有名で、境内にはいくつもの美しい狐像がいますが、今は、やっぱりヌートバー選手で盛り上がる「野球の神社」ですかね。

 

 

 

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2022/11/30

上下逆のモンドリアンの絵画

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先日、オランダの抽象画家、モンドリアンの絵画が、75年以上も逆さまに展示され続けていたことで話題になってましたね。

モンドリアンの絵画は、不規則な黒い格子の線と、赤、青、黄の原色の面が特徴的です。この特徴は一度見たらわすれません。

そんなモンドリアンの絵画「New York City I」が上下逆になっていても気がつかれなかったというのはよくわかります。そもそも、こういう絵画に「正しい上下」というものがあるのかどうか。あったとしたら主張できるのは作者だけでしょう。

なぜ逆だとわかったのかというと、モンドリアン自身のアトリエにこの作品が置かれた昔の写真があって、それが上下逆の状態になっていたというのです。

俺だったら、ちゃめっけだして、わざと上下逆にして飾ったりするし(実際学生のころ風景画を逆にして飾ったことがある)、本当のところは分からないんじゃないでしょうか。世間を右往左往させるのも、また芸術作品の役割なのかもしれないし。

ところで上に掲載の写真を見て、違和感を覚えた人がいたなら、鋭い人です。写真の加工はしていません。何が違和感なのか、よく見てみてください。

「Aoyagi Kenji」はわざと入れています。この情報が、この場合、人をだます大きな要素です。

そういえば、ある写真家の先生が、こんなことを言っていました。逆にして見てもいい写真はいい写真だと。コンテストの審査では、逆にして見て判断したこともあったそうです。

つまり、「常識」の中で写真を見続けていると、いいのか悪いのか、わからなくなる。だから逆にするのは「常識」から逃れるひとつの方法ではないかと思いました。逆にすることで、写真を抽象絵画のような感覚で選ぶ、ということです。 

 

 

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2022/11/23

「勤労感謝の日」は「新嘗祭」

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1948年((昭和23年)に制定された勤労感謝の日、11月23日という日は、昔は「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の祭日でした。

「新嘗祭」は五穀(とくに稲)の収穫を祝う収穫祭です。飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったものでした。天皇が五穀の新穀を供え、自らもこれらを食して、その年の収穫に感謝するというものです。

旧暦11月の2回目の卯の日に行われていましたが、明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦して以降は、毎年11月23日に固定されて行われるようになりました。

それは、その年の「11月の2回目の卯の日」がたまたま11月23日だったので、翌年からもそのまま11月23日になったそうで、11月23日に特別な意味はないんですね。もともとは旧暦だったし。ちなみに今日は旧暦で十月三十日です。

でも「新嘗祭」は、敗戦後GHQの占領政策で、天皇行事・国事行為から切り離され、一応表向きは「勤労感謝の日」になりました。天皇という精神的支柱を失わせ、日本人を団結させないためのアメリカの政策です。「勤労感謝の日」というのもアメリカから提案された名前だそうです。なるほどね。

稲に宿る精霊のようなもの「稲魂(いなだま)」を信仰する習慣とともに、収穫祭という意味で、中国南部に住んでいるミャオ族など少数民族にも初穂を捧げる儀礼のような、似た祭りは多くあります。神に感謝し、収穫を祝うという農業民族にはごく自然な行為なのですが…

 

(参考: wiki新嘗祭勤労感謝の日)
 
 

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2022/11/06

韓国、梨泰院の事故で思い出したミャオ族の祭

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韓国、梨泰院の事故を聞いて、群集心理の怖さをつくづく感じます。そしてあるお祭りをまた思い出しました。

前にもブログで書いたことですが、天安門事件の直前だったと思います。貴州省の省都、貴陽で見たミャオ族の祭り「四月八」です。「四月八」というくらいなので4月8日の祭りですが、これは「西暦」ではなくて「農暦」なので、だいたい5月中旬だったのではないでしょうか。

当時の写真はどこかにあるはずですが、探すのが面倒なので、イメージとしてミャオ族の別の祭り「芦笙会」の写真を掲載しました。

そこでこの「四月八」なのですが、今はどうか知りませんが、1989年は貴陽の街中で大々的に行われました。

俺は事前にこの祭りがあることは知っていたので、1~2日前から、お祭りが行われる大きな交差点広場に面したホテルに泊まっていました。そこからは広場が全部見渡せるからです。

当時の中国の祭りは、「その日ある」とわかっていても、いつからなのか、情報はなく、だんだんと人が集まってきて、自然に始まるみたいな感じだったので、人が集まり始めている様子を午前中からずっとホテルのベランダで見ていました。

午後2時くらいでしょうか。だいぶ人が集まってきて、いよいよ始まるかなと思ったとき、民族衣装のミャオ族の女の子2、3人、広場の真ん中を突っ切るように歩いていったのです。

そのときでした。その女の子たちに誘われるように何人かの青年たちが動いたことで、別の見物人たちも「何か始まったようだ」という感じで、青年たちのほうへ動いたのです。それをきっかけにして群集全体が女の子たちをめがけて移動を始め、ざわつきだしました。そしてあっという間に、女の子たちに広場全部の群集が押しよせました。

群集が混乱して、彼女たちがいる場所に殺到します。彼女たちは群集が迫ってきて、恐怖だったでしょう。

でも、一番外側にいる人たちは、何をやっているかはまったくわからないのです。たまたま俺は上から見ていたのでその様子がわかったのですが、真ん中に女の子たちがいることも見えないし、知りません。ただ、人が動くから、自分も動く。それだけです。

このときは下に居なくてよかったと正直思いました。身の危険さえ感じる混乱になったのでした。もちろん当時は外国人も少なく、俺が仮に下にいても、だれも日本人だとは気がつくことはなかったでしょう。だから「日本人だから」怖かったわけではありません。あの群集の盲目的な動きなのです。

群衆が何かを期待(あるいは警戒)しているとき(この場合は祭りがいつ始まるんだろうという期待)、何かがきっかけで「それが起こった」と思ってしまう。間違いであっても、いったん火が着いた群集心理を修正することはほぼ不可能。そこには「正しいかどうか」とか冷静に判断する回路はもうありません。とにかく、隣の人間がやっているから自分もやる。その連鎖が広がってとんでもないことになってしまう。

この群集の恐ろしさを間近に見たので、祭りの内容そのものはほとんど記憶がありません。

祭りが終わってすぐ帰国しました。そしたら1ヶ月たたないうちに天安門事件がおきました。ニュース映像を見て、「四月八」の祭りを思い出しました。たぶん、群集の端っこにいる人たちは何が起こっているかわからない。だけど参加している。そしてあれよあれよという間に撃たれて死んだ参加者もいたのではないでしょうか。結局、何をやっていたか、何が起こったかわからないままに、です。たぶんそんな感じなんだろうなと。

これは何も中国人だけの話ではありません。群集心理の怖さを言いたいだけです。日本人にも起こりえます。きっかけはなんでもいい。集団としてまとまる事は諸刃の剣です。つくづくそう感じます。

 

 

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2022/05/16

「ゼロコロナ政策」

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北朝鮮で初のコロナ患者が見つかったと思ったら、あっという間に蔓延したらしく、さすがのジョンウンも、マスク姿を見せなければならないほどの「建国以来の大動乱」のようです。

まるで、2年前のニュースを見ているようです。いまさら?という、既視感しかありません。

今まで「コロナ患者がゼロ」と主張してきたこと自体、本当かなぁ?と疑わしいのですが、さすがにここに至っては「ゼロ」と言い張ることもできず、暗に「ワクチン欲しい」アピールかなとも思います。

ところで、ジョンウンは、その防疫政策として「中国を見習え」と言っているらしい。中国といえば「ゼロコロナ政策」。中国のお友達、WHOのテドロス事務局長さえも、「ゼロコロナ政策は持続可能ではない」と指摘しているものです。

中国はドツボにはまってしまったようです。今さら中国も「ゼロコロナ政策」を変更することもできないのでしょう。さんざん国民を移動制限・外出制限で縛っておいて、「間違いでした」などとは言えない。下手したら一党独裁が崩れてしまうかもしれません。

新型コロナは、「新型」というくらいだから、誰にも正しい解決策などはわかりません。でも、状況を見て、政策を変えていくしかないというのが大方の国の方針です。間違ったと気がついたら、軌道修正するしかない。初期はそれで成功したのかもしれませんが、もはや、コロナは進化しているのです。

どうも、中国の「ゼロコロナ政策」には、コロナウイルスだけではなく、「異物は完全排除する」という一党独裁の中国の思想を感じないわけにはいきません。偶然なんでしょうが、この期に及んでも「ゼロコロナ政策」を続ける中国(それを真似しようとする北朝鮮も)は、中国(&北朝鮮)らしいな、と感じてしまいます。

 

 

 

 

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2022/05/11

【犬狼物語 其の六百一】「ニホンオオカミの起源を解明」のニュース

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1_20220511075601(出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000431.000047048.html)

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「ニホンオオカミの起源を解明」の話題が駆け巡っています。今朝のNHKニュースにも出ました。

「従来のニホンオオカミの起源に関する定説を覆し、更新世(1)の日本列島にはこれまで知られていない古い系統の大型オオカミが生息していたこと、またニホンオオカミの祖先は、更新世の古い系統のオオカミと最終氷期の後期に日本列島に入ってきた新しい系統の交雑により成立したことを初めて明らかにしました。」

詳しくはこちらの記事で。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000431.000047048.html

最新科学技術で、このようなことが解明されるのは素晴らしいことだと思います。

ただ、一方で、何かがわかったら、次にわからないことが出てくるというのが常識で、日本の場合、「イヌ」との交雑はどうなんだろうか? とか。紀州犬や四国犬や甲斐犬には、オオカミの血が混じっていると言われています。逆にオオカミにイエイヌの血が混じっていたとしても不思議ではないような気がします。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

 

それと、中国から「豺狼」という漢字が輸入されたとき、「豺」を「山犬」と訳したことで混乱が生じたことがあります。このとき、中国では「豺」は「ドール」のことだったらしいのですが、日本にはいなかったので「山犬」と訳したのだったと記憶しています。

でも、前々から大型のニホンオオカミ(エゾオオカミのことではなく)と小型のニホンオオカミがいるような話が各地のオオカミ目撃談の中に出て来ていました。もちろん個体差はあるでしょうから、この大小がどこまで「系統」の違いを表しているのかわかりませんが、今回の説で、大型のオオカミの系統はDNAという形で受け継がれてきたことを考えると、まんざら2種類のオオカミがいるといった目撃談は勘違いなどではなく、むしろ信ぴょう性が増したたのではないかとさえ感じます。

「豺」「狼」をふたつに分けるとき、2種類のオオカミを意識していたとしたら、結果的に「ドール」はいませんでしたが、日本で「山犬」と「狼」の二つを区別したことはそれなりに理由があったのではないか、と思います。これからの研究で明らかにされることでしょう。

ところで、一番下に掲載の写真は、奈良県上北山村で明治16年ころ(記憶あいまいだという)捕獲されたとされるオオカミの頭骨です。今回の西日本の取材で撮影させてもらいました。

 

 

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2022/03/16

物価上昇とウクライナ支援

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連日、ロシアのウクライナ侵略戦争がニュースになっています。それにともなってウクライナ支援は広がりを見せています。

どうしてこれほど盛り上がるのか?

先日、これは「白人の戦争」だから世界中の関心を集めているといったことを書きました。それもあるかもしれませんが、それよりも、やっぱりネット上の映像が影響しているのではないでしょうか。

泣き叫ぶウクライナ人難民、とくに女性や子供の姿。爆撃される民間施設。病院に運び込まれる負傷者。道端に放置される遺体。それが流れてきます。こういった映像を見ていると、理屈ではなく、感情が揺さぶられます。

確かに中東やアフリカでも戦争、虐殺、難民は日常茶飯ですが、こういった多量の映像が流れることはありません。インフラや技術や言葉の問題で、こういう戦禍は表に出にくいのです。だから日本人はあまり知りません。

でも今回のウクライナの場合、日常的にネットに多量の画像が上げられていて、生々しく、身近です。それが俺たちの感情に影響しています。「こんなことが許されていいのか?」と。

将来の日本をウクライナに見ている、といったら言い過ぎかもしれませんが。他人事ではない感じがするのです。戦争が市井の人々にとってどういうものかよくわかり、リアリティを感じます。軍隊がドンパチやっているニュース映像ではわからない感覚です。

日本政府も、珍しく、今回の戦争に関しては、立場をはっきりさせました。岸田さんもこれを「侵略」と呼んでいるし。ウクライナ支持を表明したことから、間接的に日本もこの戦争に参戦していることになるのでしょう。

ウクライナ支援の輪が盛り上がっていますが、小麦や原油などの物価が上昇し始めています。ウクライナ支援と、物価上昇は連動しています。

この物価上昇に耐えることがウクライナを支えることにもなるので、銃を持って戦わなくても、大丈夫です。貧乏な俺ですが、我慢することにします。そのくらいしか、今のところ俺にはできません。

 それと気になるのがロシア人バッシングです。ある意味、ロシアの一般市民も、プーチン政権の犠牲者でしょう。いや、でも、それはわからないわけではありません。わからないのは、ロシア料理に対するバッシングです。はぁ?という感じですね。

 ボルシチは? ロシア料理の定番ですが、もともとはウクライナ発祥らしいし。

 

 

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