カテゴリー「ニュース」の425件の記事

2021/07/28

今日から、二十四節気「大暑(たいしょ)」、七十二候「土潤溽暑 (つちうるおうてむしあつし)」

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今日から、二十四節気「大暑」で、次候「土潤溽暑」です。

見るからに暑い時期。今日はとくに朝から蒸し暑く感じます。台風のせいでしょうか。

オリンピックも熱いシーンがたくさん。こちらの「熱さ」は大歓迎。

オリンピック反対など、いろんな意見はありますが、とにかくいっしょうけんめいやっている姿は美しく、感動を与えてもらっています。宿敵、中国を破っての初金メダルとなった卓球など。

そして、スケートボードやサーフィンなど、日ごろは見ることのないスポーツも、知ると面白くなってきます。「やべ~」は、良いのか悪いのかさえ分からない初心者ですが。

昨日銀メダルを獲得したサーフィンの五十嵐カノア選手が、渚に跪き、海の神様に感謝している姿は、何か神事を見ているような厳粛さを感じました。

ちなみに写真はオリンピック・サーフィン会場、釣ヶ崎海岸の北側、九十九里浜です。 

 

 

 

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2021/07/27

金メダルの水谷・伊藤選手を磐田市のしっぺいも応援

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卓球男女混合ダブルスで、金メダルを獲得した水谷隼選手と伊藤美誠選手は、磐田市にある同じクラブ出身です。だから、昨日、磐田市の試合のパブリックビューの会場のニュースでは、「しっぺい」も応援していました。

 

「しっぺい」は、静岡県磐田市のイメージキャラクター。彼(?)は犬(もしかしたら狼犬)で、もともとの名前は怪物退治の伝説で有名な「悉平太郎(しっぺいたろう)」といいます。

 

しっぺい太郎は、信州赤穂村(今の駒ケ根市)光前寺に飼われていた名犬で、若い娘を人身御供に要求する怪物(一説にはヒヒ・大猿)を退治したと伝えられています。

 

しっぺいは、市のいたるところで目にすることができます。駅前には大きな像が立っているし、商店街の旗や、市のバスの車体にも描かれています。駅前の観光案内所や、ららぽーとでもいろんなグッズが販売されています。

 

 

 

 

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2021/06/08

雲南省を大移動しているアジア象たち

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昨年来、雲南省の南部シーサンパンナ州から北上を続けていた野生の象集団が、とうとう昆明市まで到達しました。

日本では猿1匹で、連日ニュースになるくらいですが、さすが中国、モノが違います。

90年代、シーサンパンナ州のモンラー県で野生の象の集団を見たことがあります。モンラー県はラオスに接し、冬でも象にとっては比較的(中国内では)過ごしやすい土地だとは思うんですが、どうして環境の厳しい北を目指したのか謎です。

もうひとつ不思議なのは、墨江から元江へ、元江から石屏へ、どうやって行ったかということ。元江(紅河)という大きな河を渡らなければなりません。まさか橋を渡った?

ただ、4月下旬だったらしいので、かろうじて雨期の直前だったし、一番水量が少ない季節でした。象たちは河を渡ったのかもしれません。そのころの元江の水量、どんなだったか記憶にありませんが。(上に掲載google map元江付近の元江(紅河))

それにしても象の移動経路がシーサンパンナ昆明間の自動車道とほぼ同じ、というのは、どう考えればいいんでしょうか。象が自動車道を歩いていったことを意味するんでしょうか。もしそうなら、これは象の意思だけではないかも。

例えば、農家の人が、象を畑から追い払った場合、畑や林をしばらく歩き回るでしょうが、やっぱり歩きやすい道路に出てくるのかもしれません。そしてまた道路を歩き始める。長距離移動には象にとっても道路なのです。ただ、どうして「北」なのかはわかりません。

動物(象)の専門家は元の場所に帰るかもと言っています。

この話を聞いて、伊勢参りしたおかげ犬や金毘羅山を参拝したこんぴら狗を連想してしまいました。

おかげ犬やこんぴら狗については、前から何度も書いているし書籍にも載せているので、詳しいことは省きますが、この象たちも自力である目的地を目指し、そこから元の場所へ戻ることになったら、まるでおかげ犬やこんぴら狗です。

犬の場合は、人の「代参」でしたが、象はどうなんでしょうか。何を訴えているんでしょうか。

これは永遠の謎です。象にしかわかりません。でも人はそうではないようです。

すでにSNSではこれをいろんな「意味」に解釈しています。200年後くらいの民話伝説に、この象たちのことがどう語られるのか、興味のあるところです。(俺は死んでいませんが)

 

 

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2021/06/04

天安門事件から32年

Img_5615(貴州省・貴陽上空)

天安門事件の1か月前まで中国にいました。

貴州省のミャオ族祭「四月八」(農歴なので5月上旬)を撮影しているとき、群衆の「多さ」だけで、「力」になるんだという出来事を目にしました。

ミャオ族の少女3人が祭会場の広場を歩いた時、何がきっかけだったのか、祭見物の群衆が少女たちの後ろを追いかけ始めたのでした。

俺は広場に面した旅館のベランダから見ていたので、全貌がわかったのですが、群衆の後ろの方の人間は、なぜみんながこっちへわ~っと移動しているのかわからなかったはずです。

少女たちは恐怖を覚えて走って逃げましたが、群衆はますます一塊になって同じ方向へ殺到したのでした。

このあと帰国したら、北京で天安門事件が起きました。事件を思い出すとこの「四月八」の群衆のことも同時に思い出します。

群衆の多さには「力」と同時に「恐怖」も感じます。当局は、天安門広場に日々増え続ける人の多さに恐怖を感じていたのは間違いないでしょう。力によって排除してしまったのは恐怖の表われだったのかもしれません。

 

 

 

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2021/05/27

「北海道・北東北の縄文遺跡群」イコモスが「「登録が適当」の勧告

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「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されるようです。イコモスによって「登録が適当」と評価されました。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素は、津軽海海峡を挟んで、北海道と北東北にありますが、その中に三内丸山遺跡や大湯環状列石が含まれています。

三内丸山遺跡は青森市の南西部に位置します。縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,900年~2,200年頃)の、日本を代表する大規模な縄文集落遺跡です。復元された建物や、出土した土偶などの展示品を見ることができます。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、「ストーンサークル」とも呼ばれていて、ミステリアスな雰囲気があります。

後期前半(紀元前2,000年~1,500年頃)の遺跡ですが、200年以上にわたって造り続けられました。大規模な共同墓地と考えられているようです。

メインとなる環状列石は直径40m以上もあり、「日時計」といわれる石柱が立っています。実際にこれが日時計かどうかはわかりません。

 

 

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2021/05/04

新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

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写真は、去年(2020年)、第1回目の緊急事態宣言下、4月19日の池袋駅前の様子です。

   ☆

3回目の緊急事態宣言が東京都などに出ていますが、去年の1回目と比べても、みんなの緊張感はなく、人出もそれほど減っていません。

1回目は緊張感がありました。また、一体感のようなものもありました。志村けんさんが亡くなったということも原因かと思われます。

とにかく、得体のしれないウイルスに対して、みんな一丸となって身構えている感じでした。そしてアマビエが流行りだしたのもそのころでしょうか。

新谷尚紀・波平恵美子・湯川洋司『暮らしの中の民俗学3 一生』という本を読んで、アマビエ流行と緊急事態宣言下の人々の緊張感や一体感は、偶然ではないんだなぁと思いました。

つまり、アマビエは、SNSを使った一種の祭りだったのではないかなと。

この本の立川昭二「病気・治療・健康」には、このようにあります。

「医療人類学者のマーガレット・ロックも言うように、日本人にとって「病気は元来個人に関することではなくて、家族という単位が責任を分ちあうべき事件(原文ではevent)である」。
 したがって、「治療は、家族のメンバーが皆で参加すべきものと考えられ」てきたのである。 こうした日本人のメンタリティは、たとえば病人が病院に入院した場合、その病人を家族としても社会人としても切り離そうとはしない。そのメンタリティは文化人類学者の大貫恵美子が指摘しているように、入院患者への濃密な「付き添い」と「見舞い」という日本人特有の行為となって表われる。
 「ニンギトウ」や「七人参り」にふれた波平恵美子は、「病気は、他の人によって代替され得ないものであるにもかかわらず、あたかも代替されたり分割され得るものであるかのように儀礼を通して病気に対処するものである」とし、このような考え方はバイオメディシン(生体医学)にはまったくないが、「こうした『病気を分け持つ』という考え方を現代的に読みかえて取り入れることが必要ではないだろうか」と論じている。
 「付き添い」や「見舞い」も「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティの表われであるが、最近よく言われる「病苦を共有する」とか「痛みを共感する」という考え方も、たんなるキャッチフレーズではなく、それがある現実的な相互治癒力を得るには、「ニンギトウ」や「七人参り」のような習俗が、現代的なイニシエーションのかたちをとって甦ることが求められるのではないだろうか。」

病人を「見舞う」とか「付き添う」とか、普通のことだと思っていましたが、意外とこれは日本的だったのかと、「目からうろこ」ですが、日本人は病気を個人の問題というより、家族、または社会の問題として捉えているということになるのでしょう。

そう考えると、去年、新型コロナが流行りだして、マスクを躊躇なく使い始めたのは日本人を初めとしてアジア人だったようで、マスクは、自分が罹らないということはもちろんですが、「人にうつさない」という考えがあったことは重要かと思われます。それは「人にうつさない」ことが結果として社会全体の感染者を減らし、自分が感染するリスクを軽減するということにもなります。

マスクを拒否する人たちの「俺は罹らないから大丈夫」とか「若いから重症化はしない」とか「罹ってもいいや」という言い方は、「病気は個人のもの」という考えに他ならないでしょう。

1回目の緊急事態宣言が出たときの緊張感、一体感は、アマビエというものを象徴として、みんながこぞってアマビエの絵を投稿し、アマビエの姿の和菓子を造るなど、まるでお祭りのようでしたが、あながち、これは「祭りのよう」ではなくて「祭り」そのものであった気がしますが、この「祭り」を通して生まれたのではないでしょうか。リアルな祭りは「密」になることもあってできなかったし、アマビエ流行のようにSNS上で斎行された「祭り」は、全部ではないとしても、日本人が一致団結し、緊張感をもって新型コロナと対峙したということに少しは影響があったと、今は思います。

「病気を分け持つ」というメンタリティは、特に感染症の場合、逆に言えば「人にうつさない」という考えにもつながると思うし、個人が勝手な行動をする限り、このウイルスが収束することはありえません。それをこの1年で俺たちは学んできたはずです。

もう一度、何かの「祭り」をぶち上げて、一体感、緊張感を取り戻す必要があるのではないかと思います。それが「狼信仰」だったら嬉しいというのが本音としてあります。いや、「狼信仰」以外でもいいんです。祭りになる何かがあれば。

『オオカミは大神(弐)』には、山梨県のある三峯神社で、去年、コロナ退散祈願祭が斎行されたことを書いています。もともとこの神社は、江戸時代、疫病が流行ったことがきっかけで秩父・三峯神社を勧請した経緯があり、今回、その伝承にあやかり祭りを斎行したとのことです。その結果、村人の一体感は強まったという話を聞きました。

そう、「一体感」なのです。狼(お犬さま)が直接新型コロナウイルスをやっつけてくれるなど、誰も考えていません。病気が社会的なものならば、みんな一丸となって立ち向かわなければならない、個人がばらばらで勝手に行動していてはダメなのだ、という村人の決意表明としての祭りなのです。

祭りによって、村人の精神的な集団免疫力は確実に上がったと思います。

 

 

 

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2020/08/07

新型コロナの虫送り

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10年ほど前に、埼玉県皆野町の「虫送り」を撮影したことがあります。今年は行われるでしょうか。

虫送りは、3本の「オンベイ(御幣)」を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。

オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。

害虫には、いろんなものが含まれるようです。農作物の害虫はもちろん、疫病神なども、すべて災いを招くものを「虫」として呼び寄せます。今年なら「新型コロナの虫」も含まれるかもしれません。

昔は、最後にこのオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていましたが、今は、流せなくなった(流さなくなった)とのこと。

それを聞いて、今はそんな時代なんだなぁと思ったものです。別な灯篭流しの祭りでも、下流にボランティアが待機していて、流れてきた灯篭を全部回収することをわざわざアナウンスしていました。だから流さないでと。

物を勝手に川に流せないんですね。物だけではありません。「悪霊」「災い」も流せなくなったということです。昔なら、「虫」にみたてた「悪霊」「災い」を村の外に出してしまえば、村の中の安泰は保てました。

でも、意地悪な見方をすれば、「虫」を村外に出すということは、他の村(下流の村)がその「虫」の被害に遭うかもしれないことになります。

つまり、今の時代、災いは、その村だけで解決すれば良いという問題ではなく、災いは、すべての村(あるいは物)が大なり小なり何らかの関係性を持っているということでもあります。

 村から町、県、そして国、世界へと、俺たちの生活範囲は広がっているのに、「新型コロナの虫」に関しては、まるで村の「虫送り」に逆戻りしているような感じを受けます。外からの「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)に入ってくるのを心配しています。

でも、「新型コロナの虫」が自分の村(町・県・国)からいなくなっても、別なところにいる限り、平穏な生活は戻ってきません。つまりこの「新型コロナの虫」送りは、全地球規模で、みんなで協力してやらなければならないことです。

にもかかわらず、今は、外からの人間を「虫」扱いせざるをえない状況です。観光業で潤っていたはずの観光地が「来ないで」と言うところもあります。罹った人間に対する誹謗中傷も止まりません。人をウイルス扱いする客や店員のレジハラも起こっています。「人間」が「虫」ではなくて、「新型コロナウイルス」が「虫」なんです。

新型コロナの一番怖いところは、人間関係を分断するところにあるようです。

そこで、虫送りを復活させてみてはどうでしょうか。

オンベイをロケットに載せて宇宙に放つのが、現代版の「虫送り」としては一番の方法かもしれません。実際やるのは難しいですが、その代わり「花火」があります。その象徴的な儀式として、これを「虫送り」に見立てればいいのではないかと。

それとも秩父市・椋神社の「龍勢」でしょうか。こちらはまさに竹製の「ロケット」なので、「宇宙に放つ」イメージと合致するような気がします。

こういう儀式は象徴的なものです。これで人間が「虫=ウイルス」でないことの感覚を取り戻すことができたらこの「虫送り」という民俗も役に立つのかなと思います。

 

 

 

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2020/06/04

六四天安門事件とアメリカのデモ

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1989年6月4日は、六四天安門事件の日です。

俺はあの年の5月は貴州省でミャオ族「四月八」の祭りを撮影していました。(上に掲載の写真は「四月八」の祭りではなく、その前に行われた凱里ミャオ族の「芦笙会」の写真)

そのころから、ホテルで見るテレビなどでは、天安門に学生たちがたくさん集まっているニュースがあったように記憶しています。

その後帰国しましたが、ほどなくして天安門事件が起こりました。貴州省で知り合った日本人留学生(当時北京で留学中)が、急きょ帰国して、事件について話すためにワイドショーに出演したことも覚えています。

今だにこの事件について中国ではタブーですが、毎年香港で開かれていた六四追悼集会が、今年は当局に許可されなかったという。表向きはコロナ感染拡大防止のためと言っていますが、中国の、反体制活動を禁じる「香港国家安全法」制定方針を全人代で採択したことと関係があるのではないでしょうか。

ところで、今、アメリカでもデモが拡大しています。白人警官が黒人男性を死なせたことをきっかけに広がった抗議デモが暴力的になってきました。

朝日新聞DIGITALによると、

トランプは「抗議デモを「終結させなければならない」と宣言した。州知事らに、州兵を動員して「警察当局の圧倒的な存在感」を作るよう求め、そのような行動を取らない場合は米軍を派遣する意向を表明した。」

トランプは軍隊をちらつかせてデモの拡大を押さえようとしています。デモの首謀者が問題あるとしても、六四天安門事件のような自国民に自国の軍隊が発砲するというとんでもない事件を糾弾しておきながら、同じような「六四」がアメリカでも起こってしまうなら、なんだアメリカ、お前もか、です。

人権、民主、自由を標榜しておきながら、結局は、国家というものは、個人を犠牲にしても生き延びたいんだなと幻滅するしかなくなります。いったい個人を犠牲にして成り立つ国家とは何なのでしょうか。

アメリカで「六四」が起こらないことを祈ります。

 

 

 

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2020/05/28

大宮のタイ料理「マリタイ」

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(食い終わりの写真をアップするのも珍しいかな)

 

このコロナ禍が収束するまで、しばらくはマイクロツーリズム(近距離旅行)が主になるだろうという星野リゾート代表、星野佳路氏の言葉。だろうなと俺も思います。マイクロツーリズムとは、自宅から車で1時間程度のところまでの旅をいうらしい。

でもこれは地元の再発見にもつながっていいことかもしれません。

ここ1年やってきた関東地方の狼信仰を訪ねる旅も、方向性としてはマイクロツーリズムと合致しています。ただ、車で1時間とすると「関東地方」でも広すぎるかもしれませんが。

とりあえずその範囲の中でも、まだ参拝していない三峯・御嶽神社はたくさんあります。そこからやるしかないかなと思っています。

そしてもうひとつの「マイクロツーリズム」。

海外旅行には当分行けないし、行く気分でもありませんが、その代用として考えられるのは、各国料理を出すレストラン・食堂巡りをすることです。今までもこういった食べ歩きはやってきたわけですが、コロナ以降は、違った意味を持ってきます。これも「マイクロツーリズム」で「外国旅行」です。

さっそく家族で、大宮のタイ料理店へ行きました。妻がネットで探した店です。

東口から徒歩5分にあるマリタイという店。故国王の肖像画も飾ってあったので、これは日本人の舌に媚びた「おいしい」タイ料理ではなく、タイ人も認めるタイ料理だなと期待したのです。じゃっかん日本人を意識した部分も感じられましたが、まぁ悪くない味と雰囲気。このタイ料理は当たりです。

タイふうサラミの「ネーム」。空心菜炒め「パップンファイデーン」。海老の湯葉巻き揚げ。チャーハン「カオパッ」。レモングラス風味鶏のから揚げ「ガイタカイ」。ライスヌードルの「クイッティオ」。春雨サラダ「ヤムウンセン」。デザートにはタロイモのカスタードプリン「カノムモーケン」。

ご主人一人で切り盛りしていましたが、このご時世なので、従業員を雇えなくなったとかそんな事情もあるのかもしれません。注文してから料理が出てくるまで時間がかかったことはしかたないことだし、俺たちも久しぶりの外食でビールを飲み(3カ月ぶりくらい)、待ち時間も楽しいくらいでした。

 

 

 

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2020/05/26

「ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で」というニュース

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 「ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で」
(毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200525/k00/00m/010/214000c)

最近は、ますますネットでの誹謗中傷が問題になっています。木村花さんはそのことが原因で自ら死を選んでしまったらしい。痛ましい話です。

おそらく、誹謗中傷した人は、現実社会では、ごく普通の善良な市民だと思いますよ。もしかしたら、本人は「善意」や「正義感」でやっているのかもしれない。「自粛警察」と似た臭いを感じます。

俺も誹謗中傷は受けたことはないですが、絡まれそうになったことはあります。ネットで見ず知らずの匿名者からコメントがきたときは、少し身構えますね。なんといっても、誰だかわからない人からのコメントなので、慎重に回答しています。

例えていうなら、暗闇から突然声を掛けられて、いきなり「おまえ。何か返事しろ!」と言われているような、恐怖感までは行かなくても、圧迫感というか、そんなものを感じます。

どんな信条、どんな年齢で、どこに住んでいるのかもわかりません。たぶん、相手は俺のことを知っているんだろうな、と思うと、ますます不気味さが増します。

だからなるべくコメントが来た初回は、あたりさわりのない答えをします。そのうち人となりが分かってくれば、匿名者でも、普通に会話できるようになります。

そっけない俺のコメント返しが災いし、このブログにもコメントがほとんど来なくなりました。前は来てたのに。適当に答えているのが見透かされるんでしょうね。あるいは「コメント来るな」オーラが出ているのかもしれません。もちろん、まじめに質問してきた人には、ちゃんと答えているつもりですが。決してコメント来ない方がいいとは思ってませんので、ぜひ、匿名者でもコメントください。

アップルトンの「隠れ家理論」というのがあります。

大雑把に(俺が理解した範囲で)言うと、「眺望が良いところで、しかも近くに隠れるところがある場所というのは、生物学的に、人間が好ましいと思う空間である」ということらしい。(間違っていたらすみません)

つまり、これは動物である人間が、自分の身を隠しながら、敵を観察できるところでもあるらしいのです。なんとなくわかります。確かに落ち着けます。

これが、ネット上の「匿名」というものなのかなと思います。

ネット上に氾濫しているおびただしい数の情報。見たいと思えば簡単に見れる。意見を言おうと思えば簡単に言える。しかも、自分の身は隠してそれができるのです。これは、「隠れ家理論」で「好ましいと思う空間」そのものではないかと思うわけです。ネットがこれだけ発展したのは、この人間の「好ましいと思う空間」が、自宅にいても提供されるようになったからではないでしょうか。この「匿名性」が快感なのです。自分の身は安全なところにいて、誹謗中傷もやり放題です。

それと、やっぱり「数」ですかね。みんながやっていると、つい自分のやっていることが「良い」と強化されてしまうということがあります。

俺は匿名がすべて悪いとも思っていません。ただし、人に意見を言うとか、非難するとかの時は、実名を出してほしいですね。誹謗中傷も、実名でならいいのではないでしょうか? 捕まりますが。でも、捕まってもいいと思うくらいの信念が無ければ、誹謗中傷はしないことですね。

「ルール化必要」には全面的に賛成です。ルールは、押し付けられるものとは違います。お互いの利のためです。たとえば、ルールがないところで車の運転ができるでしょうか。できません。交通ルールは、反社会勢力の方々さえ、ちゃんと守っています。

 

 

 

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