カテゴリー「映画・テレビ」の61件の記事

2008/05/05

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 2

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映像から伝わってくる冬の凛とした雰囲気は、思わず俺のだらけた姿勢を正してくれます。

カナダ北極圏でも、狩人は、森林の減少に伴って少なくなっているようです。

主人公のノーマンは、自然とのつながりを忘れてしまった文明人を批判します。

ノーマンは、獲物も、必要な分しか獲りません。「自然を管理するのは狩人だ」といいます。生態系のバランスが崩れた年には、増えすぎた動物を獲ることで、修復するのです。日本でも、増えた動物を駆除(殺す)するということをやっています。(駆除する人たちの高齢化が日本では問題になっているらしいですね)

ただ、一点だけ、ひっかかるところがありました。

狩人は、人口密度が低い土地でしか成立しないということです。あたりまえですが、でも、これだけ世界中人口が増えてしまうと、自然とともに生活できる、しかも、豊かな自然とともに生活できる人は、ごく限られた、恵まれた人しかいないんじゃないかなと思いました。

俺たちだって、自然を感じながら生きてみたい。でも、こんな環境で、どうやって自然を感じられるというのでしょうか。そういう人が大半なのです。都会の悪環境でも生きていかなくてはなりません。

まぁ、ぼやきはこの辺でやめておきましょう。いずれにしても、そんな些細な違和感は吹っ飛んでしまうくらい、この映画のすばらしさには変わりありません。


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2008/05/04

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 1

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映画『狩人と犬、最後の旅』を観ました。

出演: ノーマン・ウィンター、メイ・ルー
監督: ニコラス・ヴァニエ

監督のニコラス・ヴァニエは、06年、シベリア横断8000kmという偉業を成し遂げたフランスの冒険家でもあります。彼がカナダ北極圏を横断中に出会ったのが、ノーマンでした。狩人のノーマンの生き様に感動し、映画化を決めます。

映画は、ノーマンと奥さんメイと、ソリを引く、アパッシュなど犬たちとの絆が、北極圏の雄大で美しい風景の中でつづられます。特に冬のシーンは、すばらしい。

実際ノーマンがここで遭遇したエピソードを再現するという形で撮影されたということです。なので、氷の湖に落ちるシーンも、実際もう一度落ちてもらって撮影しました。ノーマンは、芝居はできないので、寒くても痛くてもいいので、もう一度落ちると言ったそうです。なので、水から上がったあとの髭から垂れ下がる氷とか、手のかじかみは、本物なので、迫力があります。

断崖絶壁から落ちそうになったときの犬たちの必死の表情も、作り物ではありません。犬にとっては、仮にそれが安全を確保した上での撮影であっても、実際の危険な出来事に変わりありませんからね。思わず、犬嫌いの俺も、この犬たちが、いとおしくなってしまいました。

マイナス50度にもなる過酷な条件で、2冬にもわたる時間をかけたこの映画は、観る者を感動させずにはおきません。

この映画の映像には圧倒されます。お勧めの映画です。


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2008/03/22

『グレートジャーニー』を観て

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昨日、関野さんの番組、『グレートジャーニー』について触れましたが、今日も続き。

「どんなに【秘境】といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか」と昨日書きました。

どんなに伝統的な生活を送っていたとしても、CO2排出が少ない生活を送っていたとしても、他の地域で出されたCO2や、汚染された大気や雨からは逃れられません。

逃げられないものは、もうひとつ、空からやってくるテレビの電波。「秘境」にテレビが入り込むことで、伝統的な文化が内側から変化していきます。

それが「良い」とか「悪い」とか単純に言える話ではありませんが、テレビを見ることで、自分たちの生活と、都会の生活とのギャップを知って、自分たちの「貧しさ」に気がつく。いや、本当は「貧しさ」ではないのですが、それを「貧しさ」と感じざるをえない現在の文明なので、「秘境」の人たちは、結局、都会にあこがれ、都会の文明にあこがれ、地元の環境・文化に不釣合いな生活を送り始めるとか、若者なら、都会に出て行ってしまうという現象が各地の「秘境」で起きています。番組でも、それらしい話が出ていました。

でも、俺は、それが悪いことばかりとも思っていません。自分たちが世界でどういう「位置」にあるのか知ることは大切だと思うし、自分の「貧しさ」を知って、なんとかしようと思い始めることは、長い時間のなかで考えれば、必要なことでもあるのではないでしょうか。

短期的には、卑屈にもなるでしょう。悲しくもなるでしょう。怒りも感じるでしょう。だから外見上は、不幸に見えるかもしれません。でも、そういった「負」であっても、大きな心のエネルギーは、その人たちを動かしていくような気がします。

日本人だって、そういう時期がありました。だから、伝統的文化を捨てた姿に「あなたたちは不幸だ」と単純に言われるのだけは心外でしょう。「捨てた」というより「変わった」と言うべきかもしれません。

でも、そうは言っても、何百年にもわたってはぐくまれてきた文化を、たかだか数十年でなくしてしまうのは、やっぱり、もったいないと思いますが。失ってみないと(体で思い知らないと)、なかなかわからないものなのかもしれません。


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『グレートジャーニー』 関野さんのメコン旅

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テレビ番組『グレートジャーニー』で、関野さんのメコン川の旅をやっていました。相変わらずタフな関野さん。

懐かしい風景。俺が青海省のメコン源流域へ初めて行ったのは1992年のこと。

まだメコンの源流がどこだか誰も知らない時代でした。未調査だったのです。俺は現地のチベット人たちに「ザチュ・ザナチュ(メコン)の源流はどこですか?」と聞きながら、「文化的な源流」を探しました。昨日の番組でも、それに触れられていました。地理学的な「科学的源流」と、地元の人たちが信じている「文化的源流」があるということです。そしてそのふたつは、違った場所になっています。俺が行ったのは、「文化的源流」でした。1994年のことです。

ところで、1992年に現地のチベット族が言っていたある話は、あぁこういうことだったのかと、今になってわかりました。それは何かというと、「数十年前から、なぜか雨が降ると草地が崩れて、土砂が川に流れ込んでしまう。だんだん草地が少なくなっている気がする。どうしてなんだろうか」と。草原の沙漠化ですね。

当時はそれほど環境問題に関心はなかったので、聞き流したはずですが、なぜか妙に覚えていて、今では、それが地球規模の環境変化と何か関係はあるんだろうなと想像できます。酸性雨、気象の変化、大気汚染など考えられます。それと、家畜が増えて(人間が増えて)、放牧のし過ぎもあるのかもしれません。

メコン河が赤いのは、土砂が流れ込むからです。それがますますひどくなっているようです。昨日の番組を観ていて、そう感じました。途中のダムも、土砂がたまって長くもたないのでは?とも思います。

どんなに「秘境」といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか。


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2007/12/27

テレビ番組 『ibuki~四季の瞬間~』

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(写真は新潟県十日町市峠の棚田)

日本各地の風景・動物を撮る写真家が出演する『ibuki~四季の瞬間~』の番組放映予定表はこちらでどうぞ。

Ya_2『ibuki~四季の瞬間~』(オリザ館)


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2007/12/26

雪華  映画『バベル』を見て

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菊地凛子が第79回アカデミー賞の最優秀助演女優賞候補にノミネートされたことで話題になった、ブラピ主演の映画『バベル』を観ました。

【ネタバレ注意】
モロッコのアトラス山脈でアメリカ人観光客が銃撃される事件が起き、世界で大きく報道されますが、それはテロリストによる事件ではなくて、少年のいたずらによるものでした。そして使われた銃が、役所広司扮する日本人の会社役員がハンティングのモロッコ現地ガイドに「お礼(善意)」としてあげたものだったという話。

こう書いてしまうと、それだけの話ですが、深読みすれば、いろんなことを考えさせる映画ではありました。

一見ばらばらのようでも、世界のあるところで起きている出来事は、世界の別なところで起きている出来事と無縁ではないということでしょうか。

日本でのシーンは、会社役員の娘、菊地凛子扮するチエコが、盛り場をうろつき、やたらと脱ぎたがる、ちょっと変った女子高生の行動がメインでした。

映画のストーリー上、日本のシーンが必要なのか?と疑問でしたが、「そうか」と気がつきました。それによって日本のシーンが必然性を帯びるからです。

金にあかして好き勝手にやっている日本人の「善意」が、こんなふうになるかもしれないんだよと、日本人を皮肉っているのかもしれません。もちろん、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の因果関係に、どこまで責任をもてるのかは疑問ですが。

ただ、この構図は、あることと似ています。日本は、自衛隊を前線に送ることはなく(憲法上しかたないですが)、お金だけ出しています。でも、銃は撃たなくても、お金を出していることによって、イラクやアフガンで人が殺されていることに日本も関係している、そういうイメージとダブるのです。

アメリカには「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担の通称。名前がステキですね)を負担しています。「アメリカの正義」をふりかざし、気に入らない国を攻撃し、民間人を殺していることに、「思いやり予算」≒「善意」が使われているとしたら・・・。

そして、この映画を観て、あらためて思いました。アメリカ人がひとりでも銃撃されたら世界中のニュースになりますが、たとえば、イラク人やアフガン人やアフリカ人は、何人殺されたらニュースになるんでしょうか。


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2007/12/08

世界・ふしぎ発見!「青海チベット鉄道」

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(↑の写真は、チベットの虹)

今日、世界・ふしぎ発見!で 「天空5000メートル列車チベット絶景紀行」 をやっていましたね。

中国・青海省の西寧とチベットのラサをつなぐ青海チベット鉄道。世界で最も高い場所を走る鉄道です。この鉄道敷設のために立ち退いた民家は、1軒だけだったそうです。そりゃそうでしょ。遊牧民ならテントを移動してもらうだけだろうからねぇ、なんて・・・。

NHKの番組が放映されたときに書いた記事は。
Ya_2NHKの番組 『青海チベット鉄道』(2007/01/10)

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2007/11/25

映画 『サン・ジャックへの道』を観て (2) 巡礼で身体感覚を回復

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『サン・ジャックへの道』で監督・脚本を手掛けたコリーヌ・セローはインタビューでこう言っています。(公式サイトから)

「巡礼というのはまた、自分探しと同時にもうひとつの生活様式を発見する行為だと思います。この車社会のなかで自分の足だけを使って大自然のなかをひたすら歩く、とてもエコロジカルな行為で、それもわたしが興味を引かれた点です。甘やかされた人間たちがいきなり何もない大自然のなかに放り込まれたらどうなるか、現代社会の問題を浮き彫りにするのにぴったりだと思ったのです。」

日本では、もともと巡礼は修行の一種で、即身成仏を果たすという仏教思想からきていて、ある祈願を持って定まった場所を定まった経路で参拝するというものでした。

たとえば、四国八十八ヵ所霊場を巡ったことはまだありませんが、巡礼というのは過程が大切なのだと言えます。1ヶ所では1日で終わってしまいますが、88ヶ所あれば、ある日数が必要になります。その期間、自分の生活をじっくりと振り返り、人生や幸福について考えながら歩く。そういうことを考えるには、88ヶ所くらいがちょうどいい数なのかもしれません。(もちろん「歩き」での巡礼の場合ですが)

巡礼は、移り変わる景色を見て、いろんな人間に出会うことで、脳は刺激を受け、しかも自分の足で歩くわけだから、体も丈夫になるはずです。巡礼というと、宗教的な、精神的な面がイメージされますが、もっと身体的な面も大きいのではないかと思います。

ヨーロッパでも、日本でも、巡礼の歩き旅がブームになっているのは、身体感覚を忘れてしまったことに対する危機感があり、だからそれを回復したいということがあるのかもしれません。コリーヌ・セロー監督の言っている「現代社会の問題」ですね。


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映画 『サン・ジャックへの道』を観て (1) 歩く旅

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映画 『サン・ジャックへの道』を観ました。

公式サイト

亡き母親の遺産を相続するため、遺言によって、険悪な仲の兄姉弟が、フランスのル・ピュイからスペインの聖地サンティアゴ(サン・ジャック)まで1500kmの巡礼路を徒歩で旅をするという話です。

ネタバレというほどのこともないと思いますが、映画の展開は予想したとおり、兄姉弟はこの巡礼の旅で、仲良くなります。

歩いて旅して、人間関係を修復するという話は、他の映画やテレビドラマでもあります。四国巡礼を舞台にしたNHKのドラマ『ウォーカーズ』というのもありましたね。

この「歩きの旅」が何か人間を変えるんでしょう。途中で、兄のピエールが荷物を捨てるシーンがあります。無駄な荷物を持ってきたことを、実際に歩くことで、頭ではなくて、体でわかるのです。

最初から荷物を持ってこなかったのは、弟のクロードでした。アルコール漬けで家族にも見捨てられ、一文無しのどうしようもない人間として兄姉から嫌われています。

途中でいなくなったクロードを探してガイドが向かったのは、町のバー(一杯飲み屋)でした。相変わらず酒を飲んでいたクロードはガイドに言います。「バーとセックス、それが人生だ」と。

彼が一番身軽で、もとからの巡礼者であったということでしょうか。だから、この巡礼で何も変わらなかったのは彼だけだったようです。ということは、彼は、彼のままでいいということでもあるのかもしれません。


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2007/11/21

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観て (2) 写真家もホラ吹き

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昨日、『ビッグ・フィッシュ』について書きましたが、今日も続き。

「嘘」を書いている小説で、「真実」を伝えると書きましたが、写真もそうですね。ある意味、写真家は「嘘つき」「ホラ吹き」です。

写真は、カメラという機械を使って事実を写しているんだから、真実を伝えるのは簡単でしょ?と言われるかもしれませんが、そうでしょうか。むしろ、その思い込みがある分、難しいかもしれません。

最近ではデジカメが普及し、パソコンでどんな画像も「事実」らしく作ることができるようになりました。だから、かえって、写真は「作られたものかもしれない」という疑いを持って見られるようになったので、むしろ、いい傾向だと思います。写真がすべて「事実」だという思い込みから開放されるという意味で。

まぁ、その問題は別な機会にということで、写真家は、たしかに「あること」「見えること」を写し撮ります。でも、写真家は「写さないこと」も意識してやっています。周りに「都合の悪いもの」があったら、それを「写さない」のです。「都合の悪いもの」などと書くと、ちょっと犯罪的なので、「表現したいことを伝えるためには、ない方がいいもの」と言い直すことにしましょうか。「写さないこと」で隠します。

まぁ、大げさに言うと、「嘘をつく」「ホラを吹く」のです。(言いすぎなら「誇張」≒「表現」です) そこに「都合の悪いもの」があったことは、写真家は知っているはずですが、その事実は隠されることになります。

写真家は意識して、何かを写し、何かを写さないのです。むしろ「何を写さないか」の方が重要なのでは?と、思うくらいです。それが写真家の「感性」とか「個性」とかに関わっていますが、「嘘」「ホラ」によって、写真家の内なる「真実」に迫るのです。


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2007/11/20

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観て (1) せいぜいホラを吹きたい

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(写真は、カンボジア・トンレサップ川の魚)

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観ました。2003年のアメリカ映画です。

オフィシャルサイト
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/bigfish/index.html

【注意:ネタバレです】
エドワード・ブルームが語るお伽話でみんな幸せな気分になるのですが、彼の息子だけは、単なるホラ吹きだと思って嫌っていました。でも、父親の余命わずかとなったとき、ホラじゃなくて事実もたくさんあったんだ、そして父親の生涯が幸せなものだったんだと知り和解する話。父親が家を留守にしがちだったのは、母親のほかに、外に別な女がいるからだろうという誤解も解けるのでした。いい映画でしたよ。

それにしても、エドワード・ブルームの、話を大きくして語る性格は、とってもわかります。事実を事実としてだけ話をしても、つまらないと俺も思うようなところがあります。教科書じゃないんだから、多少の誇張はあってもいいと思うし。ただ、行き過ぎると、「嘘」になってしまうので、そこのバランスは難しい。どれくらいまでが「ビッグ・フィッシュ(大きな魚)」と言っていいものか。

正直言うと、俺も、ノッテくると、「おおげさな話」から「嘘の話」になっていく微妙なところがあります。言ったあとに「おおげさだったな」と内心後悔しながらも、相手が信じてしまっているのを、今さら否定するのもなんだなぁと考えて、そのままにしておくと、聞いた人の誇張なども追加されて、話に尾ひれが付き(それこそビッグ・フィッシュですね)、そのことが俺を縛ってしまって、辛くなるという悲劇も起きます。

ただ思うんですよね、というか、半分言い訳ですが、物事の真実を伝えたいと思ったとき、嘘を言ったほうがいいときもあると。たとえば、小説なんかも、考えてみれば「嘘」なわけで。そういう「嘘」でしか伝えられない「真実」というものもあるような気が・・・・。

同じことなら、楽しく、面白く生きたいなと思っているだけです。現実は、ドラマチックでもありません。その淡々とした日常に耐えられない「弱さ」といったらいいか、それもないと言ったら嘘になるかもしれませんが。

でも、これもマイナスに考えてしまうと、つまらないので、せいぜいホラを吹きたいと思いますよ。

と、いうことは、このブログで語られていることも、もしかして・・・


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2007/11/17

トンネルを抜けると、桃源郷だった (2) 桃源郷はどこにある?

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「桃源郷」は、ほんとにあるのでしょうか。

などと、子どもじみたことを言ってるオヤジは、傍から見たらキモチ悪いのは重々承知の上で、あえて書きます。今までも何度か「桃源郷」については書いていますが。

「桃源郷」というのは、「ある」と信じる人にしか「ない」というのは当然としても、「ある」と信じる人にとっても、「桃源郷」にたどり着いたとたん、「桃源郷」ではなくなる矛盾したものをはらんでいる気がします。

だったら結局ないんじゃないかと言われれば、たしかにそうです。でも、俺はこの「矛盾」こそ、「桃源郷」の本質なのではないかなと思うのです。

「ない」と頭ではわかっていて、「ある」と心が信じている状態、と言ったらいいでしょうか。過程にこそ「桃源郷」を探す意味が隠されているのではないか、ということなのです。旅の過程と、ちょっと似ているかもしれません。旅先を想像して幸せになり、実際行ってみたらたいしたところではなかったと幻滅することもあります。そもそも旅に、目的地がなくてもかまいません。

映画 『トンマッコルへようこそ』でも、「闘わない」人たちのいる「桃源郷」を守るために「闘ってしまう」という矛盾がおきますが、でも、その矛盾を抱えていくしかないというのが生き物の宿命なのかな、なんて思いますけどね。どうなんでしょうか。


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2007/11/16

トンネルを抜けると、桃源郷だった (1) 映画 『トンマッコルへようこそ』

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桃の花が咲く峡谷をどこまでも進んでいくと、そこには平和に暮らす人々の村があったというのは、「桃源郷」の話。

「桃源郷」に限らず、「理想郷」や「シャングリラ」に辿りつくには、かならず、飛行機が墜落したり、険しい山越えをしたり、暗くて狭い場所を通過しなければならないようです。

韓国映画 『トンマッコルへようこそ』を観ました。この映画でも、桃源郷に辿りつくまで、みんな死ぬ思いをしています。いや、死ぬ思いをするから桃源郷が現れるといってもいいでしょう。そこにはやっぱり「死と再生の儀式」が必要なのかもしれないですね。俺にとってのトンネルのように。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

巨大イノシシが出たところは『もののけ姫』、村を守るところは『七人の侍』を思わせました。いろんな映画の要素は感じましたが、村人や兵士たちのユーモラスな描写に暖かい気持ちになり、好きな映画ですね。

ただ、最後、村を守るために、やっぱり兵士たちが闘ってしまうのは、しかたないことなのでしょうか。


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2007/10/04

映画 『それでもボクはやってない』 怖い映画です

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とうとう観てしまいました。映画 『それでもボクはやってない』です。観たくもあり、観たくなくもあり、といった気持ちでずっといたのですが・・・。

ある青年が電車で痴漢に間違われる冤罪事件の話です。日本の刑事裁判制度の問題点を明らかにする、あの『Shall we ダンス?』の周防正行監督の社会派作品です。

とくに、これは痴漢冤罪の話なので、男性にとっては身につまされるのではないでしょうか。そして、俺たちは、こんな危ういところで、日々暮らしているのかと、あらためて思います。ちょっとでも誤解や勘違いされたら、一生を狂わしてしまうようなきっかけが、日常の満員電車の中にあるということに愕然とします。いつ、自分が無実の罪で裁かれることになるかわからないのです。

もちろん、痴漢は犯罪で、許されません。ただ、裁判官は判決でこういったことを言います。正確な言い回しではありませんが、つまり、女子中学生の言い分は信用できて、青年の言い分は信用できない、というのです。女子中学生が嘘をつくはずがない、というのが何の疑いも持たれないのが不思議でした。

彼女は実際痴漢されたのでしょう。それは本当だと思うし、嘘をついているとも思いませんが、「勘違い」ということはあるはずです。彼女の周りには、他の男性もいて、この青年じゃない可能性は大きかったんだし。

彼女の苦痛と恐怖は理解できるとしても(俺も痴漢されたのでわかります。「された」んですよ、あくまでも。しつこいようですが、もう一度言います。「した」んじゃありませんから)、最初の出発点から、警察の捜査、そして裁判も公平さを欠いていたと思うんですよね。

たしか、「御殿場事件」という2002年に起きた集団暴行事件もそうですよね。証言が2転3転しているのにもかかわらず、被害者の女の子の証言は信用できて、加害者にされた青年たちの証言は信用できない、という話を覚えています。いくら青年たちが、証拠を出しても判決が覆らなかったと記憶しているんですが・・・。(最近の詳しい経緯はわかりません)

冤罪は、出発段階で、間違った道をひたすら進むようです。それに気がついたとしても、なぜか修正されないんですね。いったん捕まえたら、有罪にする、何が何でも有罪にする。そうしないと、警察の汚点になるとでもいうように。

家宅捜索で押収された、青年のエッチなビデオなども、証拠とされます。エッチなDVDとか画像をぜんぜん観たことのない男とかいるのでしょうか。自慢じゃないけど、俺もエッチな画像をパソコンに大切に保存しています。家宅捜索されたら、これも犯罪者らしい証拠とされてしまうんでしょうか。たまったもんじゃないですね。(でも、削除なんかしないよー)

「この人痴漢です」と、言われたらアウトなのです。やってないことを証明するのは至難の業です。くれぐれも用心しましょう。

痴漢冤罪だけではありません。記憶に新しいところでは、鹿児島選挙違反事件(志布志事件)。これは全員無罪になりました。警察のでっち上げが明らかにされたのですが、こんなことが続くと、警察も信用できなくなってしまいます。


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2007/10/03

映画『ブラッド・ダイアモンド』 (3) 自分がイメージする「自分」

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(写真はマダガスカル・アンタナナリヴ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』から思いついたことですが、今日も続けます。

子供のころから高校生くらいまで、自分の2面性というか、多面性というものに悩んでいました。

ある人の前では、こういう感じの態度なのに、他のある人の前では別の態度になってしまう。いったい俺はどっちが「本当の自分」なんだろう?と悩んだのでした。俺の評価は人によって極端だなと思ったこともあります。ある人は、「まじめで、無口な人」と言い、またある人は、「よくしゃべる、おもしろい人」。

2面性・多面性が気にならなくなったのは、いつからだったか。よく覚えていませんが、たぶん、海外旅行へ出て、「何でもありなんだ」と思って楽になった時期と同時だったのだろうと思います。

若い時期は、少なからずこの悩みは持っていると思います。友人と話をしていたら、その友人もまったく同じように悩んでいたと知って、俺だけではなかったんだぁと、安心したのでした。

2面性・多面性に悩むということは、自分というのは、1面だけが「正しく」て、他の面は、「演じている。だから正直ではない」という、青年特有の潔癖症という意味もあったのでしょう。でも、今では、自分でも、この2面性・多面性を自覚しているし、むしろ、使い分けている自分を感じます。

それが「大人になった」と言おうが、「ずるくなった」と言おうがかまいませんが、俺としては、「人間が深くなった」と言っておきます。(ずいぶん前向きだ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』でも、人間は、ただ人間。悪くも善くもない。ただ、そのときの行動が、悪いか善いか、ということです。しょせん、人間はだれでも多面性を持っているのかもしれません。

自分がイメージする「自分」と、他人がイメージする「自分」は違います。「自分」というのは、その両端の中間のどこかなのでしょう。

「自分」は、他人との関係性の中で、生かされているものです。ある友人は言っていました。他人が思う「自分」が、自分にとって「ちょっと誤解されているなぁ」と思っても、たぶん、それも「自分」の1面であることは間違いないし、それも認めざるをえないと。俺もそう思います。

その時々の行動によって、あっちにいったり、こっちに来たりしているのではないですかね。固定されたイメージというものが、そもそもない、とも考えられます。そして、他人から見たら、自分が思っているほど違っていないのかもしれないし。

そう考えると、少し楽になるかな。まぁ、ほとんどの人は、こんなこと気にしてないのでしょうか。


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2007/10/01

映画 『ブラッド・ダイアモンド』 (2) 「悪い人ね」といわれると無性にうれしい

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(写真はマダガスカル)

昨日、映画『ブラッド・ダイアモンド』のことを書きました。今日は、その続きです。

人間は、「善」でも、「悪」でもない。そのときの行動が、「善」か「悪」かだけだと、映画の中では語られていました。でも、俺には、行動の「善」「悪」さえも、時々わからなくなることがあります。

ディカプリオ扮するダイヤモンドの密売人アーチャーは、元傭兵で、人殺しを躊躇しません。それは、突き詰めると、「自分が生きるため」ということもできるでしょう。

人間も「生き物」である以上、たぶん、人間にとって究極の「善」は、「生きる」ことではないかと思います。何としてでも生きる。どんな手段を使っても生きるということです。そういう意味で、自殺は、明らかに「善」ではありませんが、アーチャーの行動は?

難しいのは、この部分です。自分が生きることは「善」なのに、それで他人(他の生き物)が死ぬことになっても、「善」と呼べるのか、あるいは、やっぱり「悪」なのか。

自分は生きたい、だから他人が生きることも認めなければならない。なので、正当防衛ではない殺人はやっぱり「悪」でしょう。そこまではわかります。でも、殺人のような、直接的手段ではなくて、見えないところで、人を殺す原因のひとつを、自分が作り出しているとしたら?

たとえば、映画のタイトルにもなっている「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤ)」。昨日も触れましたが、ダイヤモンドが先進国で必要とされることが、まわりまわってアフリカの紛争を作り出し、殺し合いが行われているとしたら?

地球に、一人で生きているなら、問題なく「生きること」は「善」であるはずです。でも、実際は、そうではありません。何十億人の人間、そして、もっと何倍もの生き物が生きています。自分が生きることによって、ある生き物は死んでいるかもしれません。

それを考えると(気にしだすと)、単純に「生きる」ことが「善」とは言えなくなるような、なんとも居心地の悪い気持ちに陥ってしまいます。

とは言え、べつに、俺は、いちいち、蟻を踏み潰すことに恐れをなし、蚊を殺すことに「悪」を感じながら生きているわけではありません。自分が欲しいと思ったものが原因で、まわりまわって誰かを殺しているなどと考え始めたら、夜も眠れなくなってしまいます。

じゃぁ、どう考えれば、この問題が自分の心の中で落ち着くのだろうか?と頭をめぐらしても、俺はバカなので、その答えが未だに見つけられないのです。そこが、ふがいない。ただ、もしかしたら、「悪」を抱えたままで(「悪」を拒否しないで、自分の「悪」を意識しながら)生きることが「善」なのかも、とは思いますけど、わかりません。


ところで俺は、「いい人ね」と言われると、後ろめたさを感じながら、うれしくありません。とくに女性に言われた場合ですね。

自分で「善人」でないことを知っているし、というより、女性が男性に対して言う「いい人」には、「いても、害にはならない人」という意味を含んでいる、あるいは、「あなたは、今の位置なら許すけど、これ以上は絶対入ってこないで」という、ちょっとした拒否を含んでいると考えるのは、俺のひがみでしょうか。

だから、俺はむしろ「悪い人ね」といわれると無性にうれしくなってしまうのです、はい。(映画の話から、へんな方向にいってしまいました。すみません)


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2007/09/30

映画 『ブラッド・ダイアモンド』 (1) 映画を観て泣いた理由

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(↑の写真はマダガスカル)

映画 『ブラッド・ダイヤモンド』 (Blood Diamond) をDVDで観ました。お勧めの映画ですよ。

アフリカのシエラレオネ共和国での内戦(1991-2000年)での、「ブラッド・ダイヤモンド」(紛争の資金調達のため不法に取引されるダイヤモンド、いわゆる紛争ダイヤモンド)を巡るサスペンス映画。(Wiki参照

ストーリーなどは、公式ホームページでどうぞ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/blooddiamond/

俺が一番この映画で気になったのは、「善悪」の問題です。

ディカプリオ扮する、主人公のダイヤ密売人アーチャー、家族と引き裂かれ、大粒のダイヤを見つけたソロモン、そして紛争ダイヤモンドの真実を暴こうとするジャーナリストのマディーが、RUF(革命統一戦線)という反政府勢力の襲撃から逃れた先が、ベンジャミンという元先生の施設でした。RUFに捕らえられて、少年兵士にしたて上げられていた子どもたちを取り戻し、普通の子どもに戻す活動をしている元先生です。

そこでの、ベンジャミンと、アーチャーとの会話が印象的です。

(ベンジャミン) 「私は性善説を信じたいが、現実を見ると違う。君はどう思う? 多くの人間は善だと思う?」
(アーチャー)  「いや、ただの人間だ」
(ベンジャミン) 「その通り。善悪は行動で決まるんだ。悪人でさえ、一瞬の愛情があれば、人生に意味を与えられる」

アフリカで生まれた白人の苦悩を、ディカプリオは見事に演じていたのではないでしょうか。軍隊では白人と黒人がいっしょに戦いました。敵は、共産主義のはずだったのに、実は、象牙、金、石油、そしてダイヤモンド、つまりアフリカ外の外国人たちの利権と戦っていたわけです。

アーチャーは、さんざん人を殺し、金のためなら何でもするような男で、ソロモンからダイヤをねこばばしようとさえしていたのに、最後の最後、ある「善いこと」をするのです。結局、アーチャーは、ベンジャミンが言ったような人生の意味を得たのでした。そしてもうひとつ、ジャーナリスト、マディーという女性に出会ったことも、人生の大きな意味になりえたのです。

人を「善人」「悪人」というふたつの言葉で判断することの無意味さ・・・。まさにアーチャーのような人間を、「善人」「悪人」と分けることはできません。いや、人間だけではありません。何が「善」で何が「悪」か、この映画を観ているとわからなくなります。

ダイヤモンドを密輸すること、それは「悪」?それとも「善」? ダイヤモンドが、闇取引され、いろんな場所を経由して、正規のダイヤに化けて加工され、各国で売られ、それを結婚指輪として買うことは「悪」?それとも「善」? 俺にはわかりません。

そのわからなさが俺自身ふがいなく、また、このやるせなさをどこにぶつけていいのかわりませんでした。そして人生の意味は、最後の最後までわからないものなんだなぁと思ったり、いろんな物が頭を渦巻いて、泣いてしまいました。泣く以外、この気持ちの収まりどころを探せなかったのです。

ただ、誤解して欲しくないので、わざわざ書き足しますが、人が殺されて可愛そうとかいう「同情心」とか「人道主義的な気持ち」で泣いたのではありません。


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2007/09/20

映画『ウルガ』のオリジナルサウンドトラックCD

070920
欲しい、欲しいと思っていた映画『ウルガ』のオリジナルサウンドトラックCDを、先日、ある人から、手に入れることができました。

その人の奥さんが当時、『ウルガ』の配給会社に勤めていたらしく、そんな偶然から、また『ウルガ』の音楽に再会することができました。ありがとうございました。

音楽を担当したのは、エドワルド・アルテミエフ。『ウルガ』の映画監督ミハルコフや、タルコフスキーの映画作品の音楽を担当してきた作曲家で、1980年モスクワオリンピックの開会式でのカンタータも彼の作品だそうです。

モンゴル国へ出発する前日、映画について書いているので、こちらでどうぞ。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』」(2007/08/14)

音楽を聴いて、当時のことが懐かしく思い出されました。映画『ウルガ』のこともそうですが、撮影に熱中していたメコン河のことなど、もろもろです。

どことなく切なくなる音楽です。泣いてもいいんだよ、と言われている、みたいな・・・。柄にもない? 気持ちワリい? (ですよね・・・) でも、何と陰口をたたかれてもかまいません。ホントウに、泣けてきます。

音は、心に訴えかけるのが、直接的です。空気の振動という物理的な力が、直接耳の中の敏感な部分を刺激するのだから、エネルギー量がそもそも大きいためかもしれませんが。(適当に言ってるだけですよ。信じないでください)

あのゆったりとした時間の流れ方は、モンゴルの大草原と大河メコンで、共通するものがあるようです。音楽を聴くと、メコン河の風景が思い浮かぶのも、俺にとっては自然なことなのでしょう。


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2007/09/02

モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について

070902
モンゴルへ出かける前、映画『ウルガ』について、(今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』2007/08/14)のなかで、「ウルガとは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。」と書きましたが、どうも、訂正しなければならないようです。

ガイドさんに、ウルガの話をしたら、モンゴル国にはそんな意味はない、慣習はないというのです。それは中国の内蒙古だけの意味・慣習ではないでしょうか?といわれました。つまり、フィクションなのかもしれないことがわかりました。あくまでも映画なので、それはありえる話です。

映画の中では、ウルガが象徴的に扱われていましたが、この意味・慣習がフィクションだとしても、映画の良さに変わりはありません。

ところで、俺たちも、ツェンケル温泉の草原で、乗馬を体験しました。女性のガイドさんは、普段は優しい顔なのに、馬に乗ったときだけは、表情が厳しくなりました。そのりりしい姿に、さすが騎馬民族だなぁと思いました。

俺たちが落馬して怪我でもされないようにと緊張していただけかもしれませんが、そのギャップにちょっとびっくりしました。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (8) モンゴルの幽霊?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (6) 朝青龍、ドリームランドに滞在か?」


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2007/08/14

今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』

070814
明日からブログは10日間ほど休みます。もし、現地からブログを更新する時間があれば、してみますが。

なお、いただいたコメントとトラックバックは、帰国後の公開になります。

            ●●●

この前、中国内蒙古自治区ハイラル郊外のハムスロンさんといっしょに草原に遊びにいったことを書きましたが、村を出たところで、ある出会いがありました。

バスに乗るために自動車道路まで出ると、1台のトラックが止まっていました。ハムスロンさんは、「あの車に乗せてもらおう」と、ふたりで近づいてみると、トラックはロシア人たちの車で、レストランとは反対方向へ行くことがわかりました。しかも車は故障中。

彼らロシア人たちは、チタからきて、中国の農場で働いて2年経つといいました。農業の合弁事業らしい。リーダー格の男が、住所と名前を書いた紙をくれましたが、さっぱり読めません。ロシア語でした。かろうじて、名前は、ガルマーユ何とかさんだとわかりましたが。中国語はまったくしゃべりませんでした。

ボンネットに座っていた男たちが、写真を撮れというので、2、3枚写真を撮りました。すると、油で揚げたようなパンと、ビールをくれました。それと、不要になったロシア語の雑誌も。もちろん、くれるというものを拒否したりしません。ありがたく全部もらい、その場で食べ、飲みました。そして分かれました。ロシア人と話をしたのは、このときが初めてでした。

この一件があって2年ほどたったとき、日本で、ある映画が公開されました。それが『ウルガ』という映画です。

原題 URGA/CLOSE TO EDEN
製作年度 1991年
製作国 フランス
監督 ニキータ・ミハルコフ
ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞

内容は、内モンゴルの草原で、ロシア人、セルゲイの運転するトラックが故障してしまい、近くのゲル(天幕住居)に住んでいたモンゴル族のゴンボ一家にお世話になり、遊牧民の生活を知っていくという話なのです。(このハイラル郊外の一件と共通する導入部です。それだけ、ロシア人のトラックは故障するということかもしれませんが)

当時、けっこう話題になった映画なので、覚えている人も多いのではないでしょうか。いい映画でした。

映画のタイトルになっている「ウルガ」とは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。(これはフィクションかもしれないことがわかりました。「モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について(2007/09/02)」を参照

淡々とつづられるユーモアを交えたゴンボ一家の生活も良かったのですが、俺はとくに、音楽に魅せられてしまいました。その後、この映画のオリジナルサウンドトラック CDを買おうとしたのですが、ちょっと遅れてしまい、もう売ってないと言われて、諦めてしまったのでした。

今回モンゴルの話を書くために、当時の日記を読んで、このトラックのロシア人たちとの出会いを思い出したのでした。そして、この映画『ウルガ』のこと、その音楽CDが欲しかったことも。誰か持っていたら譲ってください。

『ウルガ』のラストシーン(記憶違いでなければ)がまた、印象的なんです。草原に立つウルガが、時代が変わって○○○○に変わっていくのでした・・・

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士」


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2007/07/17

テレビ東京 『ibuki(いぶき)』で棚田の写真

070717
テレビの情報です。

テレビ東京系列局の、自然をテーマにした番組『ibuki(いぶき)』で棚田をやります。棚田のスチール写真とムービーのコラボレーションです。

テレビ東京(関東)では、
7月21日(土) 17:15~17:20

各都道府県で、放送局・時間が違います。

ちなみに、山形県は、
山形放送 7月28日(土) 11:45~11:50

番組内容は、旭化成建材のホームページでどうぞ
http://www.asahikasei-kenzai.com/akk/neo/

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2007/07/11

映画 『ユナイテッド 93』を観て (2)

070711
昨日に続いて、映画 『ユナイテッド 93』 についてです。

安全でなければならない空のシステムが、予想もしない自爆テロによって、もろくも崩れ去っていく様子が、映画では描かれていました。俺たちは、世界貿易センタービルを見て、「資本主義」「欧米主義」を象徴するような「物」の崩壊を目の当たりにしたわけですが、映画を観ると、「物」ばかりではなくて、「システム」(つまりは思想)も崩壊していたんだなということがよくわかります。

ビルに突っ込んだ飛行機を見る管制官や軍人たち。目の前で起こっていることが、今までの常識(思想)では理解できず、ただ見つめるだけ・・・。(実際の管制官・軍人が出演しています)

それにしても、システムから見放され、孤立無援の飛行機が、こういう状況になった場合、俺は、何ができるのだろうか?と思います。乗客たちがテロリストに立ち向かっていったのは、情報が得られたからです。システムに頼らない、自分で手に入れた情報です。

外部との電話で、航空機2機が世界貿易センタービルに突っ込んだこと。5機(本当は4機だった)がハイジャックされて、その1機がこの飛行機であること。そして、パイロットが殺されたこと。この情報があって、テロリストは死ぬつもりであることを判断し、飛行機を奪い返すことを決心するのです。

映画は、9.11のユナイテッド93便の話だけれど、「テロリストに立ち向かった英雄たちの話」といった単純なものではなくて、人が死ぬか生きるかのぎりぎりの状況に陥ったときの、「命のせめぎあい」を見ました。例えは悪いかもしれませんが、黴菌と白血球の闘いと同じものを見ているように感じたのです。

「生きるとは、こういうことなのだ」といったことを見せ付けられたような気がします。

『ユナイテッド 93』を観て(1)

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2007/07/10

映画 『ユナイテッド 93』を観て (1)

070710
この映画、DVDで続けて4回も観てしまいました。

同時多発テロ事件、9.11のとき、ハイジャックされた航空機4機のうち、1機だけは、目標まで到達できなくて、途中で墜落しました。それがユナイテッド93便でした。

ユナイテッド93便で何が起こったのか。乗客と乗務員がテロリストに立ち向かい、飛行機を奪い返そうとしたことがわかりました。

映画の最後、乗客たちはコックピットまでたどり着き、テロリストから操縦桿を奪おうとして争いながら墜落してしまいます。実際は、コックピットまで達していたかどうかはわからないらしいのですが。

操縦桿を誰が握るか、それが監督のイメージでもあったらしい。次の時代、世界の舵取りをだれがするのか?という、現代人のイメージであるのかもしれません。

テロリストは彼ら自身の神を、乗客も彼ら自身の神を信じています。そのお互いの神が排他的なのは、一神教ゆえでしょうか。いや、一神教が問題なのではないでしょう。

それぞれの宗教に妥協や協調の精神があるはずなのに、それを「解釈」する一部の人間が、都合のいい「解釈」に変え、「信仰心」を凶器として利用しています。

テロリストにも愛する家族がいるし、テロ実行を躊躇する心の動揺もあったようです。だからなおさら「あなたを信じます」と神に祈って飛行機を墜落させようとする姿が、とても腹立たしく、そして痛々しい。単純にテロリスト個人を「悪人」として切り捨てていない監督に、深い物の見方を感じました。

乗客の遺族にとっては、「ただ黙って殺されたのではない」という姿を見て、少しは慰めになっているようです。あまりにも理不尽な死に方に、どう向き合っていいかわからない遺族たちの悲痛な叫びが聞こえてきます。

(つづく)

『ユナイテッド 93』を観て (2)

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2007/06/21

東京MXテレビの番組 「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」

070621
先月、東京MXテレビで、棚田の番組をやる話は書きましたが、放送日が近づいてきたので、もう一度お知らせします。

Tokyo MXテレビ(地上デジタル9ch/UHF14CH)

ガリレオチャンネル

「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」

6月24日(日)朝8:00~8:30
7月 1日(日)朝8:00~8:30(再放送)

日本の棚田の現状や、棚田の活動を紹介する30分番組ですが、俺も棚田の写真(↑に掲載の写真は、三重県丸山千枚田です。この写真も登場するかもしれません)とともに、少しだけ出演します。どうぞご覧ください。

番組内容については、こちらでどうぞ。

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2007/05/17

東京MXテレビ 棚田の番組

070517
(写真は長崎県の土谷棚田)

今日、東京MXテレビ「ガリレオチャンネル」のインタビューを受けました。6月24日(日)放送予定だそうです。

棚田ネットワークの人たちが中心となり、都市部と棚田地域とを結び、棚田の保全活動が盛んになっている現状を紹介する番組内容です。今度の週末は、伊豆半島の松崎町の棚田を取材するそうです。

俺も少しだけ登場しますが、今日の、有楽町国際フォーラム・ごはんミュージアムでのインタビューとともに、撮影した全国の棚田の写真や写真集の紹介もしてくれるとのこと。↑に掲載の土谷棚田の写真も出てくると思います。

終わってから、スタッフの人たちと、中にある「ごはんCafé」で昼食をとりましたが、満席でした。我々が出るときは、10人くらいが椅子に座って待ってました。人気があるんですね。おこげの混ざったおいしいごはん。ごちそうさま。

情報は、また日時が近づいたら、あらためてお知らせします。

Tokyo MXテレビ(地上デジタル9ch/UHF14CH)
毎月第2・4日曜日 朝8:00~8:30放送(再放送:本放送翌週の朝8:00~8:30)

番組ホームページ


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