カテゴリー「映画・テレビ」の75件の記事

2009/09/10

テレビドラマ 『北の国から』

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6月7月と北海道を旅して、後半には富良野に立ち寄りました。

俺はどちらかというと、富良野より、その北側にある美瑛の畑に興味があった(写真のために)のですが、妻が『北の国から』のロケ地に行きたいというので、富良野の麓郷というところへいったら、ドラマのことを思い出しました。

第1回目は1981年放送だったらしく、その年は、俺が大学を1年遅れて卒業したあと関東でバイトをして、またヨーロッパから、アフリカ、アジアへと、半年間の旅をした年であり、『北の国から』を断片的にしか観ていないのは、そのせいかと分かりました。

それでも、当時からなんとなく惹かれるものがあって好きなドラマだったのですが、今回、北海道から戻ってから、DVDを借りて、第1話から全部通して見たら、なんて先進的なドラマだったんだと、今観てもぜんぜん古さを感じさせないのはすごいなと思ったわけです。

「環境問題」、「エコロジー」、「モッタイナイ思想」など、今の方がむしろ理解されるテーマを内に秘めたドラマだったということを知って、原作・脚本の倉本聰さんのすごさをあらためて知ったのです。

麓郷、富良野の町、純と蛍が通っていた分校、住んでいた小屋などが出てくると、さすがに時間の流れを感じます。3軒目の小屋はかなり老朽化が進んでいました。もう30年も前なんだから、当然です。

俺が一番好きなシーンは、夜の森で純、蛍、正吉の3人がUFOと遭遇し、原田美枝子演じる分校の先生が、『365歩のマーチ』を歌いながら現れ、3人が、先生は宇宙人かもと疑い、暗い森を逃げ帰るところです。子どもの目線で語られるそのエピソードが好きです。しかも、あとで「なんだ勘違いだった」などというオチはなく、「もしかしたら宇宙人かも」という話で続いていくのがまたすばらしいところですね。

連続ドラマは24回で終わりますが、ドラマが好評だったので、その後も、、『2002遺言』まで、スペシャルドラマが8回続きました。

DVDで、連続ドラマ24話から、スペシャルドラマを続けて観ると、当然、純と蛍の成長の変化が激しいということもあるのかもしれませんが、スペシャルドラマでは、どうも登場人物のキャラクターが「おとなしくなった」と感じたのは俺ばかりでしょうか。実際、純と蛍は小学生から中学生になっていくので、当然としても、彼らの元叔母さんに当たる竹下景子演じる雪子のキャラクターは、明らかにおとなしくなりました。

音声も聞き取りやすくなり、技術的な進歩も感じますが、キャラクターがおとなしくなったというのは、より「自然な」演技が求められるようになったからか、それとも俳優たち(スタッフも)が成長して「おとなしくなった」ということなのか。連続ドラマとスペシャルドラマにちょっとした断絶を感じてしまいます。

もちろん、その断絶も気にしなければ気にならない程度なので、どうってことないのですが。ドラマ自体のすばらしさに変わりありません。


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2009/03/17

映画 『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』 を観て

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実話を基にした、2008年アカデミー賞ノミネート作品。

『イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD』
 監督・脚本 ショーン・ペン
 主演 エミール・ハーシュ

を観ました。

『イントゥ・ザ・ワイルド』オフィシャルサイト

1992年、アラスカの荒野で若者の死体が発見されました。その謎を追った本『荒野へ』が、大反響を起こしたそうです。その読者であったショーン・ペンが映画化を決めました。

なぜ、高学歴で裕福な、一見何も不自由のない若者が、アラスカの荒野で死んでしまったのか。

本当の幸福を見つけるために旅に出て、運悪く死んでしまうのですが、でも、その短すぎる人生と引き換えに、彼は、本当の幸せを見つけたと信じたい。いや、見つけられなかったかもしれない。でも、いいんです。見つけられなかったとしても。見つけたいと思いながら死んだんだから、本人にとっては本望でしょう。(家族にとってはどうだかわかりませんが)

家出同然(いや、家出そのものですが)で、彼は旅を始めます。残された家族が心配するところは身につまされました。まさに俺も家族に迷惑をかけて旅をしたからです。

ポイントはここです。つまり、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」、それとも「迷惑をかけるくらいなら旅をしないのか」の違いは重要です。そして俺は、前者を選んでしまいました。人として、間違っているかもしれません。格好いいとも思いません。ただ、旅する以外なかった、ということだけで、それ以上でも、それ以下でもありません。だから、当然、自慢話でもありません。

けっきょく彼も2年後、念願のアラスカへたどり着きます。そこで3、4ヶ月、ひとりで生活します。電気もガスも電話もペットもいない、野生の生活。話し相手は、自分だけ。

そんな文明から隔絶された世界ですが、時々、空を見上げれば、飛行機が飛んでいるのです。なんだか、妙に懐かしい。主人公は、野生を求めてアラスカで生活を始めましたが、たぶん、この飛行機は、自分と世界をつなぐ唯一の窓だったのではないでしょうか。

ところが、獲物が獲れなくて、空腹に耐えかねて食べた野草に毒があって、衰弱して死んでしまいます。

最後、死を予感した主人公は、日記に書きます。「本当の幸福は人と分かち合うこと」みたいなことを書きます。空を見上げながら息を引き取りますが、家族や世界とは、空によって繋がっている実感が持てたのでしょうか。飛行機は、そのことを象徴しているのかもしれません。

猟師によって主人公の遺体が発見されました。日記が残っていたので、主人公の生活も想像できたのでしょう。日記のほかに、カメラも残っていて、現像したら、本人がその場に座っている写真が映っていました。映画の最後に、その本人が映っている写真が出てきます。その姿は、幸福かどうかは分かりませんが、自然であり、穏やかでした。

ムチャなことをやると非難されるでしょうか。死んだのも自業自得だといわれるでしょうか。

いわれても、しかたないと思います。でも、「やらざるをえない」のです。だから、「家族に迷惑をかけても旅をしたいのか」ということがポイントになってくるのです。そこまでしてやりたくない人は、決してやらないほうがいいと思います。

旅は、副作用が強すぎます。主人公も、死んでしまうという副作用を受け入れました。そのかわり、ほんとうの幸福の意味を知ったのではないかと・・・。


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2009/02/24

『おくりびと』 米アカデミー賞受賞

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『おくりびと』が米アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。良かったですね。

一方で、SFX満載の派手でスピード感あふれるハリウッド映画に、最近は、みんな食傷気味なのかなぁとも思いました。

今まで「日本固有の文化」というものが、世界的普遍性を持つのだろうかと心配(?)するのが、奥ゆかしい(実は、日本人以外は日本文化なんか理解できないよ、という傲慢さを秘めた)日本人でしたが、まんざらそうでもないなぁと思わせてくれたのが、この映画のアカデミー賞受賞かもしれません。

人のやることには、それなりに意味があり、どんなに違った文化的背景を持った人にも、分かる可能性があるのだ、ということを照明したようです。

それから、もう一つ感じたことがあります。

「死」を扱うのは難しい。「死」というと、すぐに「暗い」「重い」と避けられるようなところがあります。その割には、「命はすばらしい」「生きることはすばらしい」ということには抵抗ありません。でも、考えてみれば、「死」がなければ、「死」を意識しなければ、ホントの「命」も、「生」もわからないはずです。

すぐにドンパチやって人が死ぬ映画はたくさんありますが、テロリストに殺されたり、刀で切り殺される人なんて、ほとんどいない現実では、映画の「死」は、自分とは直接関係を持たないファンタジーなのです。だから、安心(?)して、「死」の映画を楽しめるとも言えるわけですが。

『おくりびと』の描く「死」のほうが、より現実的で身近です。だからこそ、深刻になりやすい「死」のテーマに、ユーモアを交えた表現が必要となってくるのでしょう。1984年に公開された、伊丹十三監督の『お葬式』もそうでした。ユーモア、笑いは、「死」を描く上で、どうしても必要なのでしょう。

中高年の星、綾小路きみまろも、そうかもしれません。笑いがあるからこそ、お年寄が死ぬ話も平気ですることができる、そんな気がします。

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2009/02/02

テレビドラマ『銭ゲバ』

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『銭ゲバ』、話題になっているようですね。

なつかしい。70年代に発表されたジョージ秋山氏の漫画が原作です。俺も当時読んだような気がします。

こういった人間の深層をえぐるような内容のドラマは、当然賛否両論出るようで、スポンサーが降板したというくらい「過激な内容」だそうです。俺はそうでもないと思いますが。

「金のためなら、なんでもするズラ」という主人公。「お金がすべてではない」と、40年前学校では教えられた気がするので、この『銭ゲバ』が当時有害図書扱いをされたそうですが、当然そうだったんだろうなぁと思います。でも、「お金がすべてではない」ということを言いながらも、日本はこの40年で、お金や物を求めて突き進んできたようにも思います。

「お金で買えないものは何もない」と言ってのけた、まさに銭ゲバを地でいくようなホリエモンという道化役が、一時、世間を賑わしましたが、結局、舞台から引きずりおろされてしまいました。「お金がすべてではない」と、いいたい良識ある世間が、この道化役を野放しにしていたら、社会が乱れる、青少年に悪影響を与えるとでも思ったのでしょうか。

ホリエモンが言った「お金で買えないものは何もない」ということを否定しきれないのが現実です。お金が物を言う世の中です。ただ、仮に、そうであったとしても、それがどうした?とは、思います。何でも買えて、何でもやれることが、幸福感に繋がるのでしょうか? (俺はお金がないので、わかりませんが)

想像するに、もし、「銭ゲバ」のように殺人や詐欺までしなくても、後ろめたさを感じる方法で得たお金に対して、罪悪感や空しさを感じるようなら、その人は「銭ゲバ」にはなりきれない人ということなんでしょうね。お金を追求することは、不道徳だといって、世間から非難を受けるかもしれませんが、真理の追求、幸福の追求、という面から見ると、その非難も的外れなような気がしないでもありません。

ただ、悲しいかな、それが分かるためには、まずお金持ちにならなければ。俺には一生、「銭ゲバ」の主人公の境地はわからないかもしれません。


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2008/12/16

テレビドラマ 『TSUNAMI 津波』 を観て

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『TSUNAMI 津波』 (2006年イギリス/アメリカ)
出演: サムリット・マキエルセン、トニ・コレット
監督: バハラット・ナルルーリ

2004年12月26日、インドネシア・スマトラ島沖の地震によって津波が発生し、インド洋沿岸国では死者22万人、被災者500万人という、未曾有(下々の人間は「みぞうゆう」とは読みません)の被害が出ました。

日本でも大々的に報道され、募金活動やボランティア活動も行われました。あれから4年。被災地はどうなったでしょうか。

このテレビドラマは、タイ、カオラック・リゾートが舞台で、当時の被災者の証言や取材を元に作ったドキュメンタリーふうで、第一部と第二部で構成された185分という長時間のドラマです。劇場公開されていませんが、DVDは出ています。 

津波の混乱に乗じて、村人の土地が開発業者に奪い取られる話とか、少しだけ現地人の状況が語られていますが、ほとんどは、津波に遭遇した2組のイギリス人家族が中心に描かれています。

伝染病を防ぐという理由もあったのでしょうが、身元確認もせずに、遺体が勝手に火葬されていることに反発する欧米人たち。「葬式」と言えば「火葬」することが、何ら違和感を覚えない人たちと、「葬式」と言えば「土葬」が中心の人たちとの感覚のズレも描かれていました。

自然災害ではあっても、避難指示がなかったのは人災でもあり、娘が行方不明になった父親は、イギリス大使館員を責めます。誰かを責めるしか、自分の心を落ち着かせる方法がないといった感じです。被災者たちの心の混乱を、この父親が代弁しているようでした。

しかも、この責め合いは、夫婦にまで及びます。津波に飲み込まれたとき、父親は濁流の強さに耐え切れず、娘の手を離してしまったのでした。だから行方不明になったのだと、妻は夫を責めるのです。しかし、夫は言います。「そのとき君は、ダイビングへ行っていて、現場にさえいなかったではないか」と妻を責めます。結局、責め合ってもしかたないことに、ふたりは気がつきます。

俺は、また2002年の、バリ島の爆弾テロの現場を思い出してしまいました。人々の混乱は、実際ドラマと同じような狂気を伴っています。突然の悲劇は、人を狂わせます。俺も、こんな状況になったら、どうなるか、耐えられるのか、まったく自信がありません。


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2008/11/28

NHKの番組 『プロフェッショナル仕事の流儀スペシャル▽宮崎駿のすべて~“ポニョ”密着300日 』

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(写真は埼玉県の雑木林)

この前の月曜日、NHKで、『プロフェッショナル仕事の流儀スペシャル▽宮崎駿のすべて~“ポニョ”密着300日』をやっていました。

宮崎駿の4年ぶりの新作映画『崖の上のポニョ』が7月19日に公開されましたが(俺はまだ観ていません)、「ポニョ」の創作現場に300日にわたって密着したドキュメンタリー番組です。

インタビューの中で、友人が死んだとき、友人がまだ自分が死んだことに気がついていないと思ったので、病院の集中治療室へ行って、友人の魂(?)を連れ出し、(そのとき、自動ドアにはさまれないように、しばらく開けておいたそうです)、車の助手席に乗せて(座席のシートは沈まなかったそうです)、友人宅で停まり、「ここまで来たらもう分かるだろう」といって、友人を家に帰したといっていました。

この話を聞いて思ったのですが、一般人から見たら「まともではない行動」でも、宮崎氏にとって、自分なりの友人を送る「儀式(=葬式)」だったのでしょう。どんなに立派な葬式をしても、その人が納得できる形でなければ、意味がありません。

既存の宗教に信仰心をもてませんが、こんな俺でも、けっして「無宗教」なのではありません。自分なりの宗教は持っていると思います。それはどんなものか?と聞かれても、言葉で説明できるほど、論理的でも、具体的でもありません。「なんとなく」と言うしかない漠然としたものなのですが。

そして、この宮崎氏の友人を送る「儀式」の話を聞いて、彼の映画に、微かに漂う花の香りのような、押し付けがましくない宗教感覚がわかったような気がしました。とくに、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『もののけ姫』に漂う感覚ですね。

ストーリーや、キャラクターも、「こう作ってやる」といった能動的なものではなくて、「こうならざるをえない」といった、必然性みたいなものを、うまく取り入れることができる人なのかなと思いました。必然性があれば、形になり、そして動き出す、と言ってもいいかもしれません。「森を見てたら、トトロが浮き上がってきた。それを描いた」みたいな。もし、ならなかったら、それまでのこと。

そういうことを、ひたすら「待つ」ことができる天才なのでしょう。たいていの凡人は、すぐに決着をつけようと、自分の「腕力」でキャラクターを作り、ストーリーを作ってしまう、ということなのかもしれません。

一時期、こういった企画を持ち込んでも、相手にされないつらい時期があったといいます。「馬糞の匂いがする」(聞き違いなら、スミマセン)と酷評されたそうです。

なんとなくわかります。テーマが「地味」なのかもしれません。テーマに、「派手」も「地味」も、ホントはないと思いますが、人間の本質「生きる」ことがテーマであることは、一見「地味」に見えてしまうのはしかたないかなと思います。なぜなら「生きる」とは、地味な作業ですから。
 
でも、今では、宮崎氏のアニメーションが世界的にも受け入れられています。「環境」が人の関心を引く今の時代に合っているテーマだからかもしれません。本人は、あまりエコロジー的な観点からの評価は好まないようですが。

人間が次の時代「どう生きるべきか」というテーマでもあります。我々は、無意識にその答えを、宮崎氏の映画の中に、むさぼるように探しているのかもしれません。

『崖の上のポニョ』、そのうちぜひ観てみようと思います。


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2008/07/29

映画『雲南の花嫁』  少数民族の映画

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元陽の棚田に住むハニ族少女、ルオマの映画が日本で公開されたのは、去年。(そのときの記事はこちらです。「雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』」

今度は、イ族を主人公にした映画だそうです。観てみたい。「『雲南の少女 ルオマの初恋』のチアン・チアルイ監督。雲南三部作の第2章」だそうです。

『雲南の花嫁』オフィシャルサイト

イ続は、雲南内だけでも400万人以上住み、少数民族の中では、「多数民族」です。支系は多く、雲南北部から、南部にかけて幅広く住んでいます。

イ族の映画で思い出すのは、何年前だったでしょうか、香港・中国の合作映画『天菩薩』というのがありました。

第二次大戦中、四川省凉山の山中に不時着し、イ族に捕らえられて奴隷になったアメリカ軍パイロットの物語ですが、これは実話を元にしたもの。(この映画はビデオにもなっています) 「天菩薩」とは、頭の天辺の髪の毛だけ残すイ族男性の髪形のことを指しますが、今ではほとんど見られません。

今回の映画『雲南の花嫁』の予告編を観ると、伝統的イ族のしきたり(結婚後も3年間は同居してはならない)と、現代の若い夫婦が、どのように折り合いをつけて生きるのか?といった内容のようです。

ことさら「伝統的」と思われがちな少数民族ですが、今の若い人たちは、そうでもないかもしれません。古いものと、新しいもの。そのふたつの間で揺れる気持ちを描いている点で、『雲南の少女 ルオマの初恋』にも共通しているのではないでしょうか。

ルオマの「初恋」は、アミンという男性に対する淡い恋心と、アミンが見せてくれた「都会」というものに対する恋心と、両方あったように思います。ルオマが、棚田でウォークマンを聴くシーンは印象的でした。(音楽がエンヤだったのはどうかと思いますが) あの当時、中国では、ウォークマンが「都会」を象徴していたのかもしれません。


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2008/06/26

映画『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』を観て

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(写真は、映画とは関係ない中国貴州省黄果樹の滝です)

映画『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』を観てきました。

オフィシャルサイトはこちら

ネタバレしない程度に書くつもりですが、これから観る予定の人は、この先、読まないでください。

   ☆☆☆

最後、やっぱり「あれ」が出てきてさようなら、という話しなんだぁと思ってしまいました。「あれ」は、インディ・ジョーンズ・シリーズには、無くてもいいと思ったのですが。水戸黄門の印籠のようなものでしょ? 

古代人には、そんな高度の文明が築けるはずがないという、現代人の無意識のあらわれでしょうか? あるいは、「神」はどうしても、人間を超越したものであってほしいという宗教心のあらわれでしょうか?

ハリソン・フォードも歳だし、これが最後の『インディ・ジョーンズ』だからでしょうか。(ルーカスフィルムとパラマウントは全5作の映画化契約を交わしたそうなので、あと1本作るのかも) それならなおさらです。今までの謎が、すべて「あれ」で解決した、みたいな感じになってしまいました。

もうひとつ、違和感を覚えるシーンがありました。被爆国の日本人には特に・・・。(関係者には、強烈な、見ていられないシーンかもしれません)

もちろん、冒険活劇映画としては最高でしたよ。とくに、車が崖っぷちを走るシーンや、滝のシーンはすごかった。退屈しない、楽しませてくれる映画でした。

そして貴重な遺跡を惜しげもなく破壊する考古学者ジョーンズ博士も健在でした。いや、決して非難しているのではないんです。むしろ、逆です。あれだけひどいことをする学者に、なぜか、爽快感を覚えます。


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2008/06/22

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 2

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ちょっと時間がたってしまいましたが、前回この映画について書いた記事はこちらです。

Ya_2「映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 1 (2008/05/26)」

映画の中で、アルゼンチンからチリに抜けて、アンデスの山越えのシーンがありました。

南米では1月は夏なのに、高さがあるからでしょう、雪が積もった危険な道です。

バイクを押しながら雪道を進むふたりのシーンを見たとき、俺は、ある旅を思い出しました。

それは、中国新疆のタシュクルガンからカシュガルまで、カラコルムハイウェーを、12日間ほどかけてロバ車で旅をしたときのことです。出発して2日目、4000m以上の峠を越えることになりました。

峠手前に1軒、道路補修のための小屋があったのですが、泊まることを拒否され、しかたなく歩き始め、疲れたので寝袋に入り、野原に横になっていると、顔に冷たいものが当たりました。なんだろうと、懐中電灯で照らすと、空から降ってくる無数の雪でした。このまま寝ていたら死んでしまうと思ったので、1晩中歩き続けたのでした。

そのとき、高山病もあったのでしょう。朦朧とした意識の中で、俺は、ロバ(名前は「ドン」。ドンキーの「ドン」と、鈍足の「どん」をかけた名前です)と、一晩中日本語で会話をしていたような気がするのです。そんな馬鹿なと思うのですが。しかも、普段は言うことをきかない頑固者なのに、この夜は歩き続けてくれたのでした。

「こんな目に遭わせて申しわけないね」
「いいよ、気にしなくて」
「疲れたろ?」
「ううん、まだだいじょうぶ」

このとき、「ドン」も、生き物の本能として、ここで歩き続けなければ死んでしまうと感じたのかもしれません。

空が白みかけたとき、ようやく峠を越し、広々とした草原に、キルギス族のユルト(天幕住居)から煙が立ち昇っているのが見え、あぁ、俺は生きていると思いました。(↑の写真) そして、すぐ、道路補修の小屋で朝食を作っていたウイグル族に声をかけられ、部屋に招き入れられたのです。

そのとき食べた水餃子のおいしさと、ストーブの暖かさは、一生忘れられないものになりました。ある意味、「死と再生」を体験し、そこが俺にとっての桃源郷だったかもしれません。

チェ・ゲバラは、「国境を越えるとき、胸をよぎるのは、いつも、2つの思いです。背にする国への郷愁と、新たな国へ入る興奮です」と、母親への手紙に書きます。

たしかに、このふたつを思います。それは、過去から未来へ、既知のものから未知のものへの精神的な移動。それこそが旅と呼べるものかもしれません。


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2008/06/15

『日立 世界ふしぎ発見!』 マチュピチュ遺跡の棚田?

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(写真はマダガスカルの棚田)

昨日の『日立 世界ふしぎ発見!』で、ペルーの世界遺産、インカ帝国マチュピチュ遺跡をやっていました。

遺跡の周辺には、りっぱな石積みの階段状耕作地が造られています。ただ、残念ながら(?)、「棚田」ではなく、「段々畑」です。

ある人からは「南米でも棚田を見ましたよ」と、聞いたことがあるのですが、このマチュピチュの段々畑のことを、棚田だと勘違いした、ということのようです。

普通の人は(だから俺は普通ではないのでしょうが)、棚田を見るために南米くんだりまで行くわけではないので、「棚田」なのか「段々畑」なのか、わからなくて当然です。

今のところ、段々畑は世界中にありますが、棚田は、アジアが中心です。マダガスカルにも棚田があることは今までさんざん書いてきましたが、昔、マレーあたりからから移住した人たちが棚田文化(稲作文化)を伝えたわけで、だからこれも、アジア発祥の文化と言っていいでしょう。

世界的に見たら、「棚田」の稲作文化は、夏に雨が多い、アジアのモンスーン気候と、地形の斜面を利用した特殊な(?)文化なのです。その風土に合ったベターなシステム。よく、こんなことを考え付いたものだなぁと感心します。その土地で試行錯誤しながら、長い時間をかけて積み上げてきたノウハウです。

小さな沢にできた自然の棚田状の土地に、作物が育っていることに気がついたのかもしれません。周りの自然環境を注意深く見ている、感じている人たちが、思いついたに違いありません。人間の技術は、自然を模倣するところから始まっています。


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2008/06/12

映画 『イン・ディス・ワールド IN THIS WORLD』を観て (2) 

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(写真はトルコ・イスタンブール)

監督は、世界中の難民を代表させる形で、アフガン難民を取り上げ、作品にしました。難民の現状を訴えたかったのだといいます。

トラック荷台の中や、イランからトルコに抜ける山越えのシーンでは、わずかな光で登場人物を照らし、コマ送りのような画面もあり、はっきり言って見づらいし、クルクル動く光で、目が回りそうになり、吐き気さえ覚えました。でも、この感覚が、この難民たちの感覚そのものなのかもしれません。

どこへ行くかもわからない、なぜ、ここにいるかもわからない。いつ抜けられるかわからない長いトンネル・・・。彼ら難民の気持ちを象徴しているのではないでしょうか。

ただ、監督は真面目なのか、あまりにも「難民の厳しい現実」にこだわったせいか、気の抜ける部分が少なかったかなと思います。

唯一、イランとトルコ国境の、たぶん、クルド族の村でしょうか、みんな親切にしてくれて、彼らふたりも村に溶けこんでサッカーを楽しむシーンには、ホッとしましたが。

主役のジャマールは、実際のアフガン難民であることは、昨日も触れましたが、なんと、映画撮影終了後、彼は、実際にパキスタンから再びロンドンまで密航して難民申請をしたそうです。

「事実」をもとにして「映画」が作られることは多いでしょうが、これは、「映画」が「事実」になってしまったということです。ただ、ジャマールの難民申請は却下され、18歳の誕生日の前日にはイギリスを出なくてはならないそうです。またパキスタンに帰されてしまう(しまった)のでしょうか。

映画によって人生が変わるという話は聞きますが、ジャマールの場合は、文字通り、直接変わりました。しかも自分の役に影響を受けて。この話も印象的です。


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2008/06/11

映画 『イン・ディス・ワールド IN THIS WORLD』を観て (1)

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(写真はイラン・ヤズド)

『イン・ディス・ワールド IN THIS WORLD』
監督: マイケル・ウィンターボトム
出演: ジャマール・ウディン・トラビ、エナヤトゥーラ・ジュマディン

アフガン難民の少年ジャマールと、エナヤットが、パキスタン・ペシャワールの難民キャンプから、ロンドンに亡命する話です。

闇ルートでヨーロッパまで連れていくブローカーのネットワークがあるんですね。ただ、実際の旅は、自己責任で、死んでしまうかもしれない過酷な旅です。我々のような、「楽しむ旅」とはぜんぜん違います。

これは、ドキュメンタリーふうフィクションですが、主役のふたりは、実際難民キャンプにいた少年たちを抜擢したそうです。出演者の多くも現実の人たちだし、カメラもほとんど手持ちなので、言われないと、これはドキュメンタリーじゃないかと錯覚してしまいます。だから、国境越えシーンに緊迫感がありました。

パキスタンから、陸路でイラン、トルコ、イタリア、フランス、そしてイギリスへ。テヘランやイスタンブールの街の様子も映し出され、懐かしかった。と、同時に、ドキドキもしました。とくに、イランの検問所で、ふたりがアフガン人だとわかり、バスから降ろされ、荷物検査をされるシーンです。

俺も、イランに行ったとき、パトカーに(無理やり?)乗せられたときのことを思い出してしまいました。もちろん、これは、ただ警官たちの親切心だったのですが。詳しくは、過去のページでどうぞ。(「イランから (2005/06/12)」

彼らは密入国をくり返し、イスタンブールでちょっと働き、トラックの荷台に乗せられて、フェリーでイタリア・トリエステまで運ばれるのでした。そして最終的には、ジャマールはなんとかロンドンにたどり着きますが・・・。

とにかく、重いけど、いい映画だと思います。


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2008/05/26

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観て 1

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(写真は中国西域カラコルム・ハイウェー)

前から気になっていた映画ですが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観ました。

中古のバイクで雪のアンデスを越え、マチュピチュ遺跡、そして密航してアマゾン河へ・・・  伝説の革命家チェ・ゲバラの無鉄砲で情熱的な青春の日々を描くロードムービーの傑作!
公式HPはこちらで http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/m_cycle_diaries/index.shtml )

23歳の医学生エルネストは、親友アルベルトといっしょに、ブエノスアイレスから、おんぼろバイクで旅を始めます。途中でバイクが故障してからは、歩きとヒッチハイクの旅になりました。地を這うような厳しい、でも、楽しい旅です。

そういう旅だったからこそ、鉱山労働者やハンセン病患者との出会いは彼らに衝撃を与え、「人の役に立ちたい」という思いが芽生えたのでした。「この旅で自分が変わった」のだといいます。たしかに、旅には、とくに、外国の旅には、その力があります。

俺も、最初のヨーロッパ・モロッコの旅で、明らかに変わりました。もちろん、チェ・ゲバラのような「人の役に立ちたい」などという立派な思いではなく、自分の「井の中の蛙的な思い込み」です。今までの「常識」が、音を立てて崩れていきました。

でも、俺は「みんな外国を旅したほうがいい」とも思いません。むしろ、こういう旅をしてしまう、しなければならない人は、特殊なのです。しないですんだら、それに越したことがないと思っています。旅で、「変わってしまい」、人生が狂ってしまう人もいます。(俺も?)

そして、外国を旅したから、みんなが変わるかというと、当然ながらそうでもありません。変わる人もいれば、変わらない人もいます。

最近の「自分探しの旅」という言い方に、違和感を持ちます。日本での日々の生活で探せないものが、外国へ出たからといって見つかるものではありません。チェ・ゲバラのように、自分のやるべきことがはっきり見える人なんて、そういないんです。逆に言うと、そんなに簡単に見つかるような「自分」なら、たいしたことはないでしょう。

そして、「自分」なんか探す必要はないと、今はあえて言いたいですね。なぜなら、今は、猫も杓子も「自分探し」がブームで、探せない俺は(私は)ダメなんだと思い込む、強迫観念みたいなものがあるんじゃないでしょうか。あるいは、「自分探し」を隠れ蓑にして、何も行動しない人たちがいるように感じるからです。

俺は、いまだに「自分」なんかわかりませんよ。たぶん、死ぬ直前に、「あぁ、そうか。これまで何となく惰性で続けてきたことが、結果として俺がやるべきものだったんだ、『自分』とは、こういう人間だったんだ」とわかり、死んでいくのだと思います。いや、そういう死に方が理想です。

ただ、外国へ出ると、大きなきっかけにはなるかもしれません。だから、「変えよう」「探そう」と思っている人が、もしいたら、もちろん応援します。それで、変わらなくても、探せなかったとしてもいいじゃないですか。

旅に出ること自体に意義があるんです。結果なんか、期待せずに。チェゲバラたちもそうでした。予想しないからこそ、「変わる」ことができる、あたりまえの話ですよね。


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2008/05/12

映画 『マイティ・ハート/愛と絆』を観て

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(写真は、パキスタン・ラワルピンディ)

映画 『マイティ・ハート/愛と絆』を観ました。

マイティ・ハート公式サイト

原作 : マリアンヌ・パール
監督 : マイケル・ウィンターボトム
出演 : アンジェリーナ・ジョリー 、 ダン・ファターマン

2002年にパキスタン・カラチでテロリストに誘拐され、必死の捜索にもかかわらず、あと一歩で殺害された実在のジャーナリスト、ダニエル・パール。彼の妻、マリアンヌ・パールが著した手記を映画化したものだそうです。

ドキュメンタリーのようなリアリティにこだわった映画です。緊迫感がひしひしと伝わってきます。俺も、この世界とまったく無縁というわけでもないので、ただ単なる「映画」として楽しむことができず、緊張しっぱなしでした。昔観た『ミッドナイト・エクスプレス』でも、こんな緊張を感じました。

先日、イエメンでは日本人観光客が誘拐されました。政治的・金銭的など、目的はいろいろですが、最近、こういう誘拐事件が増えたような気がします。

20数年前、俺が初めてバックパッカーとして旅を始めたころも、誘拐事件はあったのかもしれませんが、それほど大きなニュースにもならなかったような気がします。

昔は、バックパッカーが行方不明になっても、2、3ヶ月たたないと、ほんとに行方不明になったかどうかわからないという事情もありました。今のようにメールもないし、毎日国際電話をかけるようなバックパッカーはいませんでした。だから、1ヶ月、2ヶ月連絡がなくても、家族も平気だったりしました。(俺の家族だけかな?)

今は、家族から身代金を取るのではなくて、国家から取れることがわかったし、大げさにすることで、政治的に利用できることがわかってしまいました。だから、旅行者は、個人的趣味で旅をしているだけなのに、こういう事件に巻き込まれると、個人の問題ではなくて、国際問題にまで発展してしまうケースがあります。

旅行者にとっては、やっかいな問題です。いくら、自分では「何かあっても、自業自得。自己責任で旅をする。」と覚悟していたとしても、誘拐されて、ニュースになったとたん、個人の問題ではなくなってしまいます。

かと言って、「だったら危険なところには行かない」と言ってみたところで、どこにいても危険はつきまとうし、あまり意味がありません。

でも、今の時代は、「個人的な旅」も、社会的・政治的情勢と無縁ではなく、否が応でも、それを意識せざるを得ないのかもしれません。自分には関係ないと思っていても、相手側(誘拐犯)から見たら、金持ちの「日本人」、敵国の「欧米人」、話題になる「外国人」などという看板を背負っているのは間違いありませんから。


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2008/05/05

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 2

080505
映像から伝わってくる冬の凛とした雰囲気は、思わず俺のだらけた姿勢を正してくれます。

カナダ北極圏でも、狩人は、森林の減少に伴って少なくなっているようです。

主人公のノーマンは、自然とのつながりを忘れてしまった文明人を批判します。

ノーマンは、獲物も、必要な分しか獲りません。「自然を管理するのは狩人だ」といいます。生態系のバランスが崩れた年には、増えすぎた動物を獲ることで、修復するのです。日本でも、増えた動物を駆除(殺す)するということをやっています。(駆除する人たちの高齢化が日本では問題になっているらしいですね)

ただ、一点だけ、ひっかかるところがありました。

狩人は、人口密度が低い土地でしか成立しないということです。あたりまえですが、でも、これだけ世界中人口が増えてしまうと、自然とともに生活できる、しかも、豊かな自然とともに生活できる人は、ごく限られた、恵まれた人しかいないんじゃないかなと思いました。

俺たちだって、自然を感じながら生きてみたい。でも、こんな環境で、どうやって自然を感じられるというのでしょうか。そういう人が大半なのです。都会の悪環境でも生きていかなくてはなりません。

まぁ、ぼやきはこの辺でやめておきましょう。いずれにしても、そんな些細な違和感は吹っ飛んでしまうくらい、この映画のすばらしさには変わりありません。


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2008/05/04

映画 『狩人と犬、最後の旅』 を観て 1

080427
映画『狩人と犬、最後の旅』を観ました。

出演: ノーマン・ウィンター、メイ・ルー
監督: ニコラス・ヴァニエ

監督のニコラス・ヴァニエは、06年、シベリア横断8000kmという偉業を成し遂げたフランスの冒険家でもあります。彼がカナダ北極圏を横断中に出会ったのが、ノーマンでした。狩人のノーマンの生き様に感動し、映画化を決めます。

映画は、ノーマンと奥さんメイと、ソリを引く、アパッシュなど犬たちとの絆が、北極圏の雄大で美しい風景の中でつづられます。特に冬のシーンは、すばらしい。

実際ノーマンがここで遭遇したエピソードを再現するという形で撮影されたということです。なので、氷の湖に落ちるシーンも、実際もう一度落ちてもらって撮影しました。ノーマンは、芝居はできないので、寒くても痛くてもいいので、もう一度落ちると言ったそうです。なので、水から上がったあとの髭から垂れ下がる氷とか、手のかじかみは、本物なので、迫力があります。

断崖絶壁から落ちそうになったときの犬たちの必死の表情も、作り物ではありません。犬にとっては、仮にそれが安全を確保した上での撮影であっても、実際の危険な出来事に変わりありませんからね。思わず、犬嫌いの俺も、この犬たちが、いとおしくなってしまいました。

マイナス50度にもなる過酷な条件で、2冬にもわたる時間をかけたこの映画は、観る者を感動させずにはおきません。

この映画の映像には圧倒されます。お勧めの映画です。


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2008/03/22

『グレートジャーニー』を観て

080322
昨日、関野さんの番組、『グレートジャーニー』について触れましたが、今日も続き。

「どんなに【秘境】といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか」と昨日書きました。

どんなに伝統的な生活を送っていたとしても、CO2排出が少ない生活を送っていたとしても、他の地域で出されたCO2や、汚染された大気や雨からは逃れられません。

逃げられないものは、もうひとつ、空からやってくるテレビの電波。「秘境」にテレビが入り込むことで、伝統的な文化が内側から変化していきます。

それが「良い」とか「悪い」とか単純に言える話ではありませんが、テレビを見ることで、自分たちの生活と、都会の生活とのギャップを知って、自分たちの「貧しさ」に気がつく。いや、本当は「貧しさ」ではないのですが、それを「貧しさ」と感じざるをえない現在の文明なので、「秘境」の人たちは、結局、都会にあこがれ、都会の文明にあこがれ、地元の環境・文化に不釣合いな生活を送り始めるとか、若者なら、都会に出て行ってしまうという現象が各地の「秘境」で起きています。番組でも、それらしい話が出ていました。

でも、俺は、それが悪いことばかりとも思っていません。自分たちが世界でどういう「位置」にあるのか知ることは大切だと思うし、自分の「貧しさ」を知って、なんとかしようと思い始めることは、長い時間のなかで考えれば、必要なことでもあるのではないでしょうか。

短期的には、卑屈にもなるでしょう。悲しくもなるでしょう。怒りも感じるでしょう。だから外見上は、不幸に見えるかもしれません。でも、そういった「負」であっても、大きな心のエネルギーは、その人たちを動かしていくような気がします。

日本人だって、そういう時期がありました。だから、伝統的文化を捨てた姿に「あなたたちは不幸だ」と単純に言われるのだけは心外でしょう。「捨てた」というより「変わった」と言うべきかもしれません。

でも、そうは言っても、何百年にもわたってはぐくまれてきた文化を、たかだか数十年でなくしてしまうのは、やっぱり、もったいないと思いますが。失ってみないと(体で思い知らないと)、なかなかわからないものなのかもしれません。


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『グレートジャーニー』 関野さんのメコン旅

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テレビ番組『グレートジャーニー』で、関野さんのメコン川の旅をやっていました。相変わらずタフな関野さん。

懐かしい風景。俺が青海省のメコン源流域へ初めて行ったのは1992年のこと。

まだメコンの源流がどこだか誰も知らない時代でした。未調査だったのです。俺は現地のチベット人たちに「ザチュ・ザナチュ(メコン)の源流はどこですか?」と聞きながら、「文化的な源流」を探しました。昨日の番組でも、それに触れられていました。地理学的な「科学的源流」と、地元の人たちが信じている「文化的源流」があるということです。そしてそのふたつは、違った場所になっています。俺が行ったのは、「文化的源流」でした。1994年のことです。

ところで、1992年に現地のチベット族が言っていたある話は、あぁこういうことだったのかと、今になってわかりました。それは何かというと、「数十年前から、なぜか雨が降ると草地が崩れて、土砂が川に流れ込んでしまう。だんだん草地が少なくなっている気がする。どうしてなんだろうか」と。草原の沙漠化ですね。

当時はそれほど環境問題に関心はなかったので、聞き流したはずですが、なぜか妙に覚えていて、今では、それが地球規模の環境変化と何か関係はあるんだろうなと想像できます。酸性雨、気象の変化、大気汚染など考えられます。それと、家畜が増えて(人間が増えて)、放牧のし過ぎもあるのかもしれません。

メコン河が赤いのは、土砂が流れ込むからです。それがますますひどくなっているようです。昨日の番組を観ていて、そう感じました。途中のダムも、土砂がたまって長くもたないのでは?とも思います。

どんなに「秘境」といっても、この地球上で、環境悪化から逃げられる場所はないということでしょうか。


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2007/12/27

テレビ番組 『ibuki~四季の瞬間~』

071227
(写真は新潟県十日町市峠の棚田)

日本各地の風景・動物を撮る写真家が出演する『ibuki~四季の瞬間~』の番組放映予定表はこちらでどうぞ。

Ya_2『ibuki~四季の瞬間~』(オリザ館)


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2007/12/26

雪華  映画『バベル』を見て

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菊地凛子が第79回アカデミー賞の最優秀助演女優賞候補にノミネートされたことで話題になった、ブラピ主演の映画『バベル』を観ました。

【ネタバレ注意】
モロッコのアトラス山脈でアメリカ人観光客が銃撃される事件が起き、世界で大きく報道されますが、それはテロリストによる事件ではなくて、少年のいたずらによるものでした。そして使われた銃が、役所広司扮する日本人の会社役員がハンティングのモロッコ現地ガイドに「お礼(善意)」としてあげたものだったという話。

こう書いてしまうと、それだけの話ですが、深読みすれば、いろんなことを考えさせる映画ではありました。

一見ばらばらのようでも、世界のあるところで起きている出来事は、世界の別なところで起きている出来事と無縁ではないということでしょうか。

日本でのシーンは、会社役員の娘、菊地凛子扮するチエコが、盛り場をうろつき、やたらと脱ぎたがる、ちょっと変った女子高生の行動がメインでした。

映画のストーリー上、日本のシーンが必要なのか?と疑問でしたが、「そうか」と気がつきました。それによって日本のシーンが必然性を帯びるからです。

金にあかして好き勝手にやっている日本人の「善意」が、こんなふうになるかもしれないんだよと、日本人を皮肉っているのかもしれません。もちろん、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の因果関係に、どこまで責任をもてるのかは疑問ですが。

ただ、この構図は、あることと似ています。日本は、自衛隊を前線に送ることはなく(憲法上しかたないですが)、お金だけ出しています。でも、銃は撃たなくても、お金を出していることによって、イラクやアフガンで人が殺されていることに日本も関係している、そういうイメージとダブるのです。

アメリカには「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担の通称。名前がステキですね)を負担しています。「アメリカの正義」をふりかざし、気に入らない国を攻撃し、民間人を殺していることに、「思いやり予算」≒「善意」が使われているとしたら・・・。

そして、この映画を観て、あらためて思いました。アメリカ人がひとりでも銃撃されたら世界中のニュースになりますが、たとえば、イラク人やアフガン人やアフリカ人は、何人殺されたらニュースになるんでしょうか。


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2007/12/08

世界・ふしぎ発見!「青海チベット鉄道」

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(↑の写真は、チベットの虹)

今日、世界・ふしぎ発見!で 「天空5000メートル列車チベット絶景紀行」 をやっていましたね。

中国・青海省の西寧とチベットのラサをつなぐ青海チベット鉄道。世界で最も高い場所を走る鉄道です。この鉄道敷設のために立ち退いた民家は、1軒だけだったそうです。そりゃそうでしょ。遊牧民ならテントを移動してもらうだけだろうからねぇ、なんて・・・。

NHKの番組が放映されたときに書いた記事は。
Ya_2NHKの番組 『青海チベット鉄道』(2007/01/10)

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2007/11/25

映画 『サン・ジャックへの道』を観て (2) 巡礼で身体感覚を回復

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『サン・ジャックへの道』で監督・脚本を手掛けたコリーヌ・セローはインタビューでこう言っています。(公式サイトから)

「巡礼というのはまた、自分探しと同時にもうひとつの生活様式を発見する行為だと思います。この車社会のなかで自分の足だけを使って大自然のなかをひたすら歩く、とてもエコロジカルな行為で、それもわたしが興味を引かれた点です。甘やかされた人間たちがいきなり何もない大自然のなかに放り込まれたらどうなるか、現代社会の問題を浮き彫りにするのにぴったりだと思ったのです。」

日本では、もともと巡礼は修行の一種で、即身成仏を果たすという仏教思想からきていて、ある祈願を持って定まった場所を定まった経路で参拝するというものでした。

たとえば、四国八十八ヵ所霊場を巡ったことはまだありませんが、巡礼というのは過程が大切なのだと言えます。1ヶ所では1日で終わってしまいますが、88ヶ所あれば、ある日数が必要になります。その期間、自分の生活をじっくりと振り返り、人生や幸福について考えながら歩く。そういうことを考えるには、88ヶ所くらいがちょうどいい数なのかもしれません。(もちろん「歩き」での巡礼の場合ですが)

巡礼は、移り変わる景色を見て、いろんな人間に出会うことで、脳は刺激を受け、しかも自分の足で歩くわけだから、体も丈夫になるはずです。巡礼というと、宗教的な、精神的な面がイメージされますが、もっと身体的な面も大きいのではないかと思います。

ヨーロッパでも、日本でも、巡礼の歩き旅がブームになっているのは、身体感覚を忘れてしまったことに対する危機感があり、だからそれを回復したいということがあるのかもしれません。コリーヌ・セロー監督の言っている「現代社会の問題」ですね。


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映画 『サン・ジャックへの道』を観て (1) 歩く旅

071125
映画 『サン・ジャックへの道』を観ました。

公式サイト

亡き母親の遺産を相続するため、遺言によって、険悪な仲の兄姉弟が、フランスのル・ピュイからスペインの聖地サンティアゴ(サン・ジャック)まで1500kmの巡礼路を徒歩で旅をするという話です。

ネタバレというほどのこともないと思いますが、映画の展開は予想したとおり、兄姉弟はこの巡礼の旅で、仲良くなります。

歩いて旅して、人間関係を修復するという話は、他の映画やテレビドラマでもあります。四国巡礼を舞台にしたNHKのドラマ『ウォーカーズ』というのもありましたね。

この「歩きの旅」が何か人間を変えるんでしょう。途中で、兄のピエールが荷物を捨てるシーンがあります。無駄な荷物を持ってきたことを、実際に歩くことで、頭ではなくて、体でわかるのです。

最初から荷物を持ってこなかったのは、弟のクロードでした。アルコール漬けで家族にも見捨てられ、一文無しのどうしようもない人間として兄姉から嫌われています。

途中でいなくなったクロードを探してガイドが向かったのは、町のバー(一杯飲み屋)でした。相変わらず酒を飲んでいたクロードはガイドに言います。「バーとセックス、それが人生だ」と。

彼が一番身軽で、もとからの巡礼者であったということでしょうか。だから、この巡礼で何も変わらなかったのは彼だけだったようです。ということは、彼は、彼のままでいいということでもあるのかもしれません。


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2007/11/21

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観て (2) 写真家もホラ吹き

071121
昨日、『ビッグ・フィッシュ』について書きましたが、今日も続き。

「嘘」を書いている小説で、「真実」を伝えると書きましたが、写真もそうですね。ある意味、写真家は「嘘つき」「ホラ吹き」です。

写真は、カメラという機械を使って事実を写しているんだから、真実を伝えるのは簡単でしょ?と言われるかもしれませんが、そうでしょうか。むしろ、その思い込みがある分、難しいかもしれません。

最近ではデジカメが普及し、パソコンでどんな画像も「事実」らしく作ることができるようになりました。だから、かえって、写真は「作られたものかもしれない」という疑いを持って見られるようになったので、むしろ、いい傾向だと思います。写真がすべて「事実」だという思い込みから開放されるという意味で。

まぁ、その問題は別な機会にということで、写真家は、たしかに「あること」「見えること」を写し撮ります。でも、写真家は「写さないこと」も意識してやっています。周りに「都合の悪いもの」があったら、それを「写さない」のです。「都合の悪いもの」などと書くと、ちょっと犯罪的なので、「表現したいことを伝えるためには、ない方がいいもの」と言い直すことにしましょうか。「写さないこと」で隠します。

まぁ、大げさに言うと、「嘘をつく」「ホラを吹く」のです。(言いすぎなら「誇張」≒「表現」です) そこに「都合の悪いもの」があったことは、写真家は知っているはずですが、その事実は隠されることになります。

写真家は意識して、何かを写し、何かを写さないのです。むしろ「何を写さないか」の方が重要なのでは?と、思うくらいです。それが写真家の「感性」とか「個性」とかに関わっていますが、「嘘」「ホラ」によって、写真家の内なる「真実」に迫るのです。


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2007/11/20

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観て (1) せいぜいホラを吹きたい

071120
(写真は、カンボジア・トンレサップ川の魚)

映画 『ビッグ・フィッシュ』を観ました。2003年のアメリカ映画です。

オフィシャルサイト
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/bigfish/index.html

【注意:ネタバレです】
エドワード・ブルームが語るお伽話でみんな幸せな気分になるのですが、彼の息子だけは、単なるホラ吹きだと思って嫌っていました。でも、父親の余命わずかとなったとき、ホラじゃなくて事実もたくさんあったんだ、そして父親の生涯が幸せなものだったんだと知り和解する話。父親が家を留守にしがちだったのは、母親のほかに、外に別な女がいるからだろうという誤解も解けるのでした。いい映画でしたよ。

それにしても、エドワード・ブルームの、話を大きくして語る性格は、とってもわかります。事実を事実としてだけ話をしても、つまらないと俺も思うようなところがあります。教科書じゃないんだから、多少の誇張はあってもいいと思うし。ただ、行き過ぎると、「嘘」になってしまうので、そこのバランスは難しい。どれくらいまでが「ビッグ・フィッシュ(大きな魚)」と言っていいものか。

正直言うと、俺も、ノッテくると、「おおげさな話」から「嘘の話」になっていく微妙なところがあります。言ったあとに「おおげさだったな」と内心後悔しながらも、相手が信じてしまっているのを、今さら否定するのもなんだなぁと考えて、そのままにしておくと、聞いた人の誇張なども追加されて、話に尾ひれが付き(それこそビッグ・フィッシュですね)、そのことが俺を縛ってしまって、辛くなるという悲劇も起きます。

ただ思うんですよね、というか、半分言い訳ですが、物事の真実を伝えたいと思ったとき、嘘を言ったほうがいいときもあると。たとえば、小説なんかも、考えてみれば「嘘」なわけで。そういう「嘘」でしか伝えられない「真実」というものもあるような気が・・・・。

同じことなら、楽しく、面白く生きたいなと思っているだけです。現実は、ドラマチックでもありません。その淡々とした日常に耐えられない「弱さ」といったらいいか、それもないと言ったら嘘になるかもしれませんが。

でも、これもマイナスに考えてしまうと、つまらないので、せいぜいホラを吹きたいと思いますよ。

と、いうことは、このブログで語られていることも、もしかして・・・


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2007/11/17

トンネルを抜けると、桃源郷だった (2) 桃源郷はどこにある?

071117
「桃源郷」は、ほんとにあるのでしょうか。

などと、子どもじみたことを言ってるオヤジは、傍から見たらキモチ悪いのは重々承知の上で、あえて書きます。今までも何度か「桃源郷」については書いていますが。

「桃源郷」というのは、「ある」と信じる人にしか「ない」というのは当然としても、「ある」と信じる人にとっても、「桃源郷」にたどり着いたとたん、「桃源郷」ではなくなる矛盾したものをはらんでいる気がします。

だったら結局ないんじゃないかと言われれば、たしかにそうです。でも、俺はこの「矛盾」こそ、「桃源郷」の本質なのではないかなと思うのです。

「ない」と頭ではわかっていて、「ある」と心が信じている状態、と言ったらいいでしょうか。過程にこそ「桃源郷」を探す意味が隠されているのではないか、ということなのです。旅の過程と、ちょっと似ているかもしれません。旅先を想像して幸せになり、実際行ってみたらたいしたところではなかったと幻滅することもあります。そもそも旅に、目的地がなくてもかまいません。

映画 『トンマッコルへようこそ』でも、「闘わない」人たちのいる「桃源郷」を守るために「闘ってしまう」という矛盾がおきますが、でも、その矛盾を抱えていくしかないというのが生き物の宿命なのかな、なんて思いますけどね。どうなんでしょうか。


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2007/11/16

トンネルを抜けると、桃源郷だった (1) 映画 『トンマッコルへようこそ』

071116
桃の花が咲く峡谷をどこまでも進んでいくと、そこには平和に暮らす人々の村があったというのは、「桃源郷」の話。

「桃源郷」に限らず、「理想郷」や「シャングリラ」に辿りつくには、かならず、飛行機が墜落したり、険しい山越えをしたり、暗くて狭い場所を通過しなければならないようです。

韓国映画 『トンマッコルへようこそ』を観ました。この映画でも、桃源郷に辿りつくまで、みんな死ぬ思いをしています。いや、死ぬ思いをするから桃源郷が現れるといってもいいでしょう。そこにはやっぱり「死と再生の儀式」が必要なのかもしれないですね。俺にとってのトンネルのように。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

巨大イノシシが出たところは『もののけ姫』、村を守るところは『七人の侍』を思わせました。いろんな映画の要素は感じましたが、村人や兵士たちのユーモラスな描写に暖かい気持ちになり、好きな映画ですね。

ただ、最後、村を守るために、やっぱり兵士たちが闘ってしまうのは、しかたないことなのでしょうか。


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2007/10/04

映画 『それでもボクはやってない』 怖い映画です

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とうとう観てしまいました。映画 『それでもボクはやってない』です。観たくもあり、観たくなくもあり、といった気持ちでずっといたのですが・・・。

ある青年が電車で痴漢に間違われる冤罪事件の話です。日本の刑事裁判制度の問題点を明らかにする、あの『Shall we ダンス?』の周防正行監督の社会派作品です。

とくに、これは痴漢冤罪の話なので、男性にとっては身につまされるのではないでしょうか。そして、俺たちは、こんな危ういところで、日々暮らしているのかと、あらためて思います。ちょっとでも誤解や勘違いされたら、一生を狂わしてしまうようなきっかけが、日常の満員電車の中にあるということに愕然とします。いつ、自分が無実の罪で裁かれることになるかわからないのです。

もちろん、痴漢は犯罪で、許されません。ただ、裁判官は判決でこういったことを言います。正確な言い回しではありませんが、つまり、女子中学生の言い分は信用できて、青年の言い分は信用できない、というのです。女子中学生が嘘をつくはずがない、というのが何の疑いも持たれないのが不思議でした。

彼女は実際痴漢されたのでしょう。それは本当だと思うし、嘘をついているとも思いませんが、「勘違い」ということはあるはずです。彼女の周りには、他の男性もいて、この青年じゃない可能性は大きかったんだし。

彼女の苦痛と恐怖は理解できるとしても(俺も痴漢されたのでわかります。「された」んですよ、あくまでも。しつこいようですが、もう一度言います。「した」んじゃありませんから)、最初の出発点から、警察の捜査、そして裁判も公平さを欠いていたと思うんですよね。

たしか、「御殿場事件」という2002年に起きた集団暴行事件もそうですよね。証言が2転3転しているのにもかかわらず、被害者の女の子の証言は信用できて、加害者にされた青年たちの証言は信用できない、という話を覚えています。いくら青年たちが、証拠を出しても判決が覆らなかったと記憶しているんですが・・・。(最近の詳しい経緯はわかりません)

冤罪は、出発段階で、間違った道をひたすら進むようです。それに気がついたとしても、なぜか修正されないんですね。いったん捕まえたら、有罪にする、何が何でも有罪にする。そうしないと、警察の汚点になるとでもいうように。

家宅捜索で押収された、青年のエッチなビデオなども、証拠とされます。エッチなDVDとか画像をぜんぜん観たことのない男とかいるのでしょうか。自慢じゃないけど、俺もエッチな画像をパソコンに大切に保存しています。家宅捜索されたら、これも犯罪者らしい証拠とされてしまうんでしょうか。たまったもんじゃないですね。(でも、削除なんかしないよー)

「この人痴漢です」と、言われたらアウトなのです。やってないことを証明するのは至難の業です。くれぐれも用心しましょう。

痴漢冤罪だけではありません。記憶に新しいところでは、鹿児島選挙違反事件(志布志事件)。これは全員無罪になりました。警察のでっち上げが明らかにされたのですが、こんなことが続くと、警察も信用できなくなってしまいます。


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2007/10/03

映画『ブラッド・ダイアモンド』 (3) 自分がイメージする「自分」

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(写真はマダガスカル・アンタナナリヴ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』から思いついたことですが、今日も続けます。

子供のころから高校生くらいまで、自分の2面性というか、多面性というものに悩んでいました。

ある人の前では、こういう感じの態度なのに、他のある人の前では別の態度になってしまう。いったい俺はどっちが「本当の自分」なんだろう?と悩んだのでした。俺の評価は人によって極端だなと思ったこともあります。ある人は、「まじめで、無口な人」と言い、またある人は、「よくしゃべる、おもしろい人」。

2面性・多面性が気にならなくなったのは、いつからだったか。よく覚えていませんが、たぶん、海外旅行へ出て、「何でもありなんだ」と思って楽になった時期と同時だったのだろうと思います。

若い時期は、少なからずこの悩みは持っていると思います。友人と話をしていたら、その友人もまったく同じように悩んでいたと知って、俺だけではなかったんだぁと、安心したのでした。

2面性・多面性に悩むということは、自分というのは、1面だけが「正しく」て、他の面は、「演じている。だから正直ではない」という、青年特有の潔癖症という意味もあったのでしょう。でも、今では、自分でも、この2面性・多面性を自覚しているし、むしろ、使い分けている自分を感じます。

それが「大人になった」と言おうが、「ずるくなった」と言おうがかまいませんが、俺としては、「人間が深くなった」と言っておきます。(ずいぶん前向きだ)

映画『ブラッド・ダイアモンド』でも、人間は、ただ人間。悪くも善くもない。ただ、そのときの行動が、悪いか善いか、ということです。しょせん、人間はだれでも多面性を持っているのかもしれません。

自分がイメージする「自分」と、他人がイメージする「自分」は違います。「自分」というのは、その両端の中間のどこかなのでしょう。

「自分」は、他人との関係性の中で、生かされているものです。ある友人は言っていました。他人が思う「自分」が、自分にとって「ちょっと誤解されているなぁ」と思っても、たぶん、それも「自分」の1面であることは間違いないし、それも認めざるをえないと。俺もそう思います。

その時々の行動によって、あっちにいったり、こっちに来たりしているのではないですかね。固定されたイメージというものが、そもそもない、とも考えられます。そして、他人から見たら、自分が思っているほど違っていないのかもしれないし。

そう考えると、少し楽になるかな。まぁ、ほとんどの人は、こんなこと気にしてないのでしょうか。


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2007/10/01

映画 『ブラッド・ダイアモンド』 (2) 「悪い人ね」といわれると無性にうれしい

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(写真はマダガスカル)

昨日、映画『ブラッド・ダイアモンド』のことを書きました。今日は、その続きです。

人間は、「善」でも、「悪」でもない。そのときの行動が、「善」か「悪」かだけだと、映画の中では語られていました。でも、俺には、行動の「善」「悪」さえも、時々わからなくなることがあります。

ディカプリオ扮するダイヤモンドの密売人アーチャーは、元傭兵で、人殺しを躊躇しません。それは、突き詰めると、「自分が生きるため」ということもできるでしょう。

人間も「生き物」である以上、たぶん、人間にとって究極の「善」は、「生きる」ことではないかと思います。何としてでも生きる。どんな手段を使っても生きるということです。そういう意味で、自殺は、明らかに「善」ではありませんが、アーチャーの行動は?

難しいのは、この部分です。自分が生きることは「善」なのに、それで他人(他の生き物)が死ぬことになっても、「善」と呼べるのか、あるいは、やっぱり「悪」なのか。

自分は生きたい、だから他人が生きることも認めなければならない。なので、正当防衛ではない殺人はやっぱり「悪」でしょう。そこまではわかります。でも、殺人のような、直接的手段ではなくて、見えないところで、人を殺す原因のひとつを、自分が作り出しているとしたら?

たとえば、映画のタイトルにもなっている「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤ)」。昨日も触れましたが、ダイヤモンドが先進国で必要とされることが、まわりまわってアフリカの紛争を作り出し、殺し合いが行われているとしたら?

地球に、一人で生きているなら、問題なく「生きること」は「善」であるはずです。でも、実際は、そうではありません。何十億人の人間、そして、もっと何倍もの生き物が生きています。自分が生きることによって、ある生き物は死んでいるかもしれません。

それを考えると(気にしだすと)、単純に「生きる」ことが「善」とは言えなくなるような、なんとも居心地の悪い気持ちに陥ってしまいます。

とは言え、べつに、俺は、いちいち、蟻を踏み潰すことに恐れをなし、蚊を殺すことに「悪」を感じながら生きているわけではありません。自分が欲しいと思ったものが原因で、まわりまわって誰かを殺しているなどと考え始めたら、夜も眠れなくなってしまいます。

じゃぁ、どう考えれば、この問題が自分の心の中で落ち着くのだろうか?と頭をめぐらしても、俺はバカなので、その答えが未だに見つけられないのです。そこが、ふがいない。ただ、もしかしたら、「悪」を抱えたままで(「悪」を拒否しないで、自分の「悪」を意識しながら)生きることが「善」なのかも、とは思いますけど、わかりません。


ところで俺は、「いい人ね」と言われると、後ろめたさを感じながら、うれしくありません。とくに女性に言われた場合ですね。

自分で「善人」でないことを知っているし、というより、女性が男性に対して言う「いい人」には、「いても、害にはならない人」という意味を含んでいる、あるいは、「あなたは、今の位置なら許すけど、これ以上は絶対入ってこないで」という、ちょっとした拒否を含んでいると考えるのは、俺のひがみでしょうか。

だから、俺はむしろ「悪い人ね」といわれると無性にうれしくなってしまうのです、はい。(映画の話から、へんな方向にいってしまいました。すみません)


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2007/09/30

映画 『ブラッド・ダイアモンド』 (1) 映画を観て泣いた理由

070930
(↑の写真はマダガスカル)

映画 『ブラッド・ダイヤモンド』 (Blood Diamond) をDVDで観ました。お勧めの映画ですよ。

アフリカのシエラレオネ共和国での内戦(1991-2000年)での、「ブラッド・ダイヤモンド」(紛争の資金調達のため不法に取引されるダイヤモンド、いわゆる紛争ダイヤモンド)を巡るサスペンス映画。(Wiki参照

ストーリーなどは、公式ホームページでどうぞ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/blooddiamond/

俺が一番この映画で気になったのは、「善悪」の問題です。

ディカプリオ扮する、主人公のダイヤ密売人アーチャー、家族と引き裂かれ、大粒のダイヤを見つけたソロモン、そして紛争ダイヤモンドの真実を暴こうとするジャーナリストのマディーが、RUF(革命統一戦線)という反政府勢力の襲撃から逃れた先が、ベンジャミンという元先生の施設でした。RUFに捕らえられて、少年兵士にしたて上げられていた子どもたちを取り戻し、普通の子どもに戻す活動をしている元先生です。

そこでの、ベンジャミンと、アーチャーとの会話が印象的です。

(ベンジャミン) 「私は性善説を信じたいが、現実を見ると違う。君はどう思う? 多くの人間は善だと思う?」
(アーチャー)  「いや、ただの人間だ」
(ベンジャミン) 「その通り。善悪は行動で決まるんだ。悪人でさえ、一瞬の愛情があれば、人生に意味を与えられる」

アフリカで生まれた白人の苦悩を、ディカプリオは見事に演じていたのではないでしょうか。軍隊では白人と黒人がいっしょに戦いました。敵は、共産主義のはずだったのに、実は、象牙、金、石油、そしてダイヤモンド、つまりアフリカ外の外国人たちの利権と戦っていたわけです。

アーチャーは、さんざん人を殺し、金のためなら何でもするような男で、ソロモンからダイヤをねこばばしようとさえしていたのに、最後の最後、ある「善いこと」をするのです。結局、アーチャーは、ベンジャミンが言ったような人生の意味を得たのでした。そしてもうひとつ、ジャーナリスト、マディーという女性に出会ったことも、人生の大きな意味になりえたのです。

人を「善人」「悪人」というふたつの言葉で判断することの無意味さ・・・。まさにアーチャーのような人間を、「善人」「悪人」と分けることはできません。いや、人間だけではありません。何が「善」で何が「悪」か、この映画を観ているとわからなくなります。

ダイヤモンドを密輸すること、それは「悪」?それとも「善」? ダイヤモンドが、闇取引され、いろんな場所を経由して、正規のダイヤに化けて加工され、各国で売られ、それを結婚指輪として買うことは「悪」?それとも「善」? 俺にはわかりません。

そのわからなさが俺自身ふがいなく、また、このやるせなさをどこにぶつけていいのかわりませんでした。そして人生の意味は、最後の最後までわからないものなんだなぁと思ったり、いろんな物が頭を渦巻いて、泣いてしまいました。泣く以外、この気持ちの収まりどころを探せなかったのです。

ただ、誤解して欲しくないので、わざわざ書き足しますが、人が殺されて可愛そうとかいう「同情心」とか「人道主義的な気持ち」で泣いたのではありません。


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2007/09/20

映画『ウルガ』のオリジナルサウンドトラックCD

070920
欲しい、欲しいと思っていた映画『ウルガ』のオリジナルサウンドトラックCDを、先日、ある人から、手に入れることができました。

その人の奥さんが当時、『ウルガ』の配給会社に勤めていたらしく、そんな偶然から、また『ウルガ』の音楽に再会することができました。ありがとうございました。

音楽を担当したのは、エドワルド・アルテミエフ。『ウルガ』の映画監督ミハルコフや、タルコフスキーの映画作品の音楽を担当してきた作曲家で、1980年モスクワオリンピックの開会式でのカンタータも彼の作品だそうです。

モンゴル国へ出発する前日、映画について書いているので、こちらでどうぞ。

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』」(2007/08/14)

音楽を聴いて、当時のことが懐かしく思い出されました。映画『ウルガ』のこともそうですが、撮影に熱中していたメコン河のことなど、もろもろです。

どことなく切なくなる音楽です。泣いてもいいんだよ、と言われている、みたいな・・・。柄にもない? 気持ちワリい? (ですよね・・・) でも、何と陰口をたたかれてもかまいません。ホントウに、泣けてきます。

音は、心に訴えかけるのが、直接的です。空気の振動という物理的な力が、直接耳の中の敏感な部分を刺激するのだから、エネルギー量がそもそも大きいためかもしれませんが。(適当に言ってるだけですよ。信じないでください)

あのゆったりとした時間の流れ方は、モンゴルの大草原と大河メコンで、共通するものがあるようです。音楽を聴くと、メコン河の風景が思い浮かぶのも、俺にとっては自然なことなのでしょう。


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2007/09/02

モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について

070902
モンゴルへ出かける前、映画『ウルガ』について、(今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』2007/08/14)のなかで、「ウルガとは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。」と書きましたが、どうも、訂正しなければならないようです。

ガイドさんに、ウルガの話をしたら、モンゴル国にはそんな意味はない、慣習はないというのです。それは中国の内蒙古だけの意味・慣習ではないでしょうか?といわれました。つまり、フィクションなのかもしれないことがわかりました。あくまでも映画なので、それはありえる話です。

映画の中では、ウルガが象徴的に扱われていましたが、この意味・慣習がフィクションだとしても、映画の良さに変わりはありません。

ところで、俺たちも、ツェンケル温泉の草原で、乗馬を体験しました。女性のガイドさんは、普段は優しい顔なのに、馬に乗ったときだけは、表情が厳しくなりました。そのりりしい姿に、さすが騎馬民族だなぁと思いました。

俺たちが落馬して怪我でもされないようにと緊張していただけかもしれませんが、そのギャップにちょっとびっくりしました。


Ya_2「モンゴル国に行ってきました (8) モンゴルの幽霊?」

Ya_2「モンゴル国に行ってきました (6) 朝青龍、ドリームランドに滞在か?」


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2007/08/14

今、何かと話題のモンゴル(8) モンゴルの草原といえば、映画『ウルガ』

070814
明日からブログは10日間ほど休みます。もし、現地からブログを更新する時間があれば、してみますが。

なお、いただいたコメントとトラックバックは、帰国後の公開になります。

            ●●●

この前、中国内蒙古自治区ハイラル郊外のハムスロンさんといっしょに草原に遊びにいったことを書きましたが、村を出たところで、ある出会いがありました。

バスに乗るために自動車道路まで出ると、1台のトラックが止まっていました。ハムスロンさんは、「あの車に乗せてもらおう」と、ふたりで近づいてみると、トラックはロシア人たちの車で、レストランとは反対方向へ行くことがわかりました。しかも車は故障中。

彼らロシア人たちは、チタからきて、中国の農場で働いて2年経つといいました。農業の合弁事業らしい。リーダー格の男が、住所と名前を書いた紙をくれましたが、さっぱり読めません。ロシア語でした。かろうじて、名前は、ガルマーユ何とかさんだとわかりましたが。中国語はまったくしゃべりませんでした。

ボンネットに座っていた男たちが、写真を撮れというので、2、3枚写真を撮りました。すると、油で揚げたようなパンと、ビールをくれました。それと、不要になったロシア語の雑誌も。もちろん、くれるというものを拒否したりしません。ありがたく全部もらい、その場で食べ、飲みました。そして分かれました。ロシア人と話をしたのは、このときが初めてでした。

この一件があって2年ほどたったとき、日本で、ある映画が公開されました。それが『ウルガ』という映画です。

原題 URGA/CLOSE TO EDEN
製作年度 1991年
製作国 フランス
監督 ニキータ・ミハルコフ
ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞

内容は、内モンゴルの草原で、ロシア人、セルゲイの運転するトラックが故障してしまい、近くのゲル(天幕住居)に住んでいたモンゴル族のゴンボ一家にお世話になり、遊牧民の生活を知っていくという話なのです。(このハイラル郊外の一件と共通する導入部です。それだけ、ロシア人のトラックは故障するということかもしれませんが)

当時、けっこう話題になった映画なので、覚えている人も多いのではないでしょうか。いい映画でした。

映画のタイトルになっている「ウルガ」とは、先に輪が付いた馬を捕まえるための竿のことです。これが草原に立ててあれば、そこで男女が仲良くしてますよ、というサインにもなるらしい。つまり、草原にウルガを見つけたら、近寄らないことが遊牧民のエチケットらしいのです。粋なサインですね。(これはフィクションかもしれないことがわかりました。「モンゴル国に行ってきました (7) 映画『ウルガ』について(2007/09/02)」を参照

淡々とつづられるユーモアを交えたゴンボ一家の生活も良かったのですが、俺はとくに、音楽に魅せられてしまいました。その後、この映画のオリジナルサウンドトラック CDを買おうとしたのですが、ちょっと遅れてしまい、もう売ってないと言われて、諦めてしまったのでした。

今回モンゴルの話を書くために、当時の日記を読んで、このトラックのロシア人たちとの出会いを思い出したのでした。そして、この映画『ウルガ』のこと、その音楽CDが欲しかったことも。誰か持っていたら譲ってください。

『ウルガ』のラストシーン(記憶違いでなければ)がまた、印象的なんです。草原に立つウルガが、時代が変わって○○○○に変わっていくのでした・・・

Ya_2「今、何かと話題のモンゴル(7) 「蒼き狼」の末裔、モンゴル相撲の力士」


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2007/07/17

テレビ東京 『ibuki(いぶき)』で棚田の写真

070717
テレビの情報です。

テレビ東京系列局の、自然をテーマにした番組『ibuki(いぶき)』で棚田をやります。棚田のスチール写真とムービーのコラボレーションです。

テレビ東京(関東)では、
7月21日(土) 17:15~17:20

各都道府県で、放送局・時間が違います。

ちなみに、山形県は、
山形放送 7月28日(土) 11:45~11:50

番組内容は、旭化成建材のホームページでどうぞ
http://www.asahikasei-kenzai.com/akk/neo/

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2007/07/11

映画 『ユナイテッド 93』を観て (2)

070711
昨日に続いて、映画 『ユナイテッド 93』 についてです。

安全でなければならない空のシステムが、予想もしない自爆テロによって、もろくも崩れ去っていく様子が、映画では描かれていました。俺たちは、世界貿易センタービルを見て、「資本主義」「欧米主義」を象徴するような「物」の崩壊を目の当たりにしたわけですが、映画を観ると、「物」ばかりではなくて、「システム」(つまりは思想)も崩壊していたんだなということがよくわかります。

ビルに突っ込んだ飛行機を見る管制官や軍人たち。目の前で起こっていることが、今までの常識(思想)では理解できず、ただ見つめるだけ・・・。(実際の管制官・軍人が出演しています)

それにしても、システムから見放され、孤立無援の飛行機が、こういう状況になった場合、俺は、何ができるのだろうか?と思います。乗客たちがテロリストに立ち向かっていったのは、情報が得られたからです。システムに頼らない、自分で手に入れた情報です。

外部との電話で、航空機2機が世界貿易センタービルに突っ込んだこと。5機(本当は4機だった)がハイジャックされて、その1機がこの飛行機であること。そして、パイロットが殺されたこと。この情報があって、テロリストは死ぬつもりであることを判断し、飛行機を奪い返すことを決心するのです。

映画は、9.11のユナイテッド93便の話だけれど、「テロリストに立ち向かった英雄たちの話」といった単純なものではなくて、人が死ぬか生きるかのぎりぎりの状況に陥ったときの、「命のせめぎあい」を見ました。例えは悪いかもしれませんが、黴菌と白血球の闘いと同じものを見ているように感じたのです。

「生きるとは、こういうことなのだ」といったことを見せ付けられたような気がします。

『ユナイテッド 93』を観て(1)

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2007/07/10

映画 『ユナイテッド 93』を観て (1)

070710
この映画、DVDで続けて4回も観てしまいました。

同時多発テロ事件、9.11のとき、ハイジャックされた航空機4機のうち、1機だけは、目標まで到達できなくて、途中で墜落しました。それがユナイテッド93便でした。

ユナイテッド93便で何が起こったのか。乗客と乗務員がテロリストに立ち向かい、飛行機を奪い返そうとしたことがわかりました。

映画の最後、乗客たちはコックピットまでたどり着き、テロリストから操縦桿を奪おうとして争いながら墜落してしまいます。実際は、コックピットまで達していたかどうかはわからないらしいのですが。

操縦桿を誰が握るか、それが監督のイメージでもあったらしい。次の時代、世界の舵取りをだれがするのか?という、現代人のイメージであるのかもしれません。

テロリストは彼ら自身の神を、乗客も彼ら自身の神を信じています。そのお互いの神が排他的なのは、一神教ゆえでしょうか。いや、一神教が問題なのではないでしょう。

それぞれの宗教に妥協や協調の精神があるはずなのに、それを「解釈」する一部の人間が、都合のいい「解釈」に変え、「信仰心」を凶器として利用しています。

テロリストにも愛する家族がいるし、テロ実行を躊躇する心の動揺もあったようです。だからなおさら「あなたを信じます」と神に祈って飛行機を墜落させようとする姿が、とても腹立たしく、そして痛々しい。単純にテロリスト個人を「悪人」として切り捨てていない監督に、深い物の見方を感じました。

乗客の遺族にとっては、「ただ黙って殺されたのではない」という姿を見て、少しは慰めになっているようです。あまりにも理不尽な死に方に、どう向き合っていいかわからない遺族たちの悲痛な叫びが聞こえてきます。

(つづく)

『ユナイテッド 93』を観て (2)

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2007/06/21

東京MXテレビの番組 「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」

070621
先月、東京MXテレビで、棚田の番組をやる話は書きましたが、放送日が近づいてきたので、もう一度お知らせします。

Tokyo MXテレビ(地上デジタル9ch/UHF14CH)

ガリレオチャンネル

「よみがえる棚田~美しき日本の原風景~」

6月24日(日)朝8:00~8:30
7月 1日(日)朝8:00~8:30(再放送)

日本の棚田の現状や、棚田の活動を紹介する30分番組ですが、俺も棚田の写真(↑に掲載の写真は、三重県丸山千枚田です。この写真も登場するかもしれません)とともに、少しだけ出演します。どうぞご覧ください。

番組内容については、こちらでどうぞ。

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2007/05/17

東京MXテレビ 棚田の番組

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(写真は長崎県の土谷棚田)

今日、東京MXテレビ「ガリレオチャンネル」のインタビューを受けました。6月24日(日)放送予定だそうです。

棚田ネットワークの人たちが中心となり、都市部と棚田地域とを結び、棚田の保全活動が盛んになっている現状を紹介する番組内容です。今度の週末は、伊豆半島の松崎町の棚田を取材するそうです。

俺も少しだけ登場しますが、今日の、有楽町国際フォーラム・ごはんミュージアムでのインタビューとともに、撮影した全国の棚田の写真や写真集の紹介もしてくれるとのこと。↑に掲載の土谷棚田の写真も出てくると思います。

終わってから、スタッフの人たちと、中にある「ごはんCafé」で昼食をとりましたが、満席でした。我々が出るときは、10人くらいが椅子に座って待ってました。人気があるんですね。おこげの混ざったおいしいごはん。ごちそうさま。

情報は、また日時が近づいたら、あらためてお知らせします。

Tokyo MXテレビ(地上デジタル9ch/UHF14CH)
毎月第2・4日曜日 朝8:00~8:30放送(再放送:本放送翌週の朝8:00~8:30)

番組ホームページ


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2007/04/23

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (3)

070423
今日も、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の話です。

映画に出ているハニ族の人たちは、ちゃんとハ二語をしゃべっていました。素人さんなんでしょうか。それもあって村の中のシーンは、リアリティがあります。

ルオマのおばあさんが、また、いい感じなんです。多くを語りませんが、ちゃんとルオマのことを心配しています。大都会、昆明に行きたいと言い出したルオマに対して、おばあさんは、無言で機織の仕事を続けます。だから、ルオマは、おばあさんが怒っているんだろうと思います。でも、その翌日、出て行こうとしたとき、机の上に卵と小銭が置いてあるのを見つけます。おばあさんがルオマのために用意してくれたものでした。

俺のばあちゃんを思い出しました。ばあちゃんは、「外国へ行く」ことがどういうことかあまりわからなかったかもしれません。外国旅行が一般的ではなかったし、外国はまだまだ遠い存在でした。何度も外国旅行することに、両親はあまりいい顔をしませんでしたが(とくに20代後半は)、ばあちゃんは、特別何も言いませんでした。ただ見守ってくれてるなぁとは感じてました。

とにかく、言葉で多くを語らないおばあさん、おじいさんというのは、その存在そのもので語っているように感じます。生きてきた年数の重さとでも言うんでしょうか。でも、今は言葉をしゃべる人が(しかも大声でしゃべる人が)力を持つ世の中なので、おばあさん、おじいさんは軽んじられてしまうのでしょう。

棚田が圧倒的な美しさで迫ってきます。棚田や雲南に興味がある人にはお勧めですね。

『雲南の少女 ルオマの初恋』公式サイト

Ya_2 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)


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2007/04/22

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)

070422

昨日に続いて、映画『雲南の少女 ルオマの初恋』についてです。

主人公のルオマは、毎日元陽の町(新街鎮)に出て、トウモロコシを焼いて売っている女の子です。

元陽県の新街鎮は、昔、行政の中心地でしたが、今は、紅河沿いの南沙鎮に移っています。ただ90年代半ばから元陽県が棚田で有名になったので、新街鎮はすたれるどころか、いっそう発展しています。広場から続く坂道は、マーケット日になると、たくさんの人でごったがえします。

ルオマは、「こんなハニ族の女の子がいるなぁ」という感じで、リアリティがありました。映画では、外国人観光客が、かわいい彼女を写真に撮りたがりますが、彼女はそっぽを向いてあまり気安く写真を撮らせてくれません。

そんな様子を見ていた一人の青年がいました。昆明から来たアミンです。彼は新街鎮に写真館を開業していますが、お金がなく、大家さんから立ち退きを迫られている青年です。

アミンは、ルオマを見て、ある商売を思いつきます。観光客に彼女といっしょに写真を撮らせる商売です。よく中国の観光地に行くと、こういう人たちがいます。元陽にも登場しました。写真だけでなくて、歌まで歌います。映画では、ルオマと写真を撮る日本人観光客たちも登場します。

ルオマは、このアミンという都会から来た青年に恋をするのです。彼女の恋は、「都会」というものに対するあこがれ、という面もあったようですが。

さて、ふたりの恋の行方は・・・。

Ya_2『雲南の少女 ルオマの初恋』 (1)

Ya_2『雲南の少女 ルオマの初恋』 (3)

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2007/04/21

雲南省元陽の棚田を舞台にした映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (1)

070421

『雲南の少女 ルオマの初恋』公式サイト

中国映画『雲南の少女 ルオマの初恋』の公開が、6月16日(土)からに決まったそうです。

中国雲南省元陽の棚田を舞台にした、ルオマというハニ族少女の初恋の物語です。

監督は、四川省成都生まれの章家瑞(チアン・チアルイ)、主人公は、当時雲南の高校に通 うハニ族の李敏(リ-・ミン)。2002年モントリオール国際映画祭正式出品作品で、李敏は2003年金鶏奨最優秀新人賞を受賞しました。

ルオマの初恋も切ないですが、雄大な棚田の村で、たんたんと続けられるハニ族の生活そのものが、胸がキュンとなるような切なさがありますね。なんででしょうか。

20代のころから行き始めた雲南省ですが、まだ写真もどうやって撮るかわからない状態で、雲南の方々を旅した思い出が重なるからでしょうか。

とにかく、もう一度観たい映画のひとつです。公開が楽しみです。

Ya_2 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (2)

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2007/04/17

映画 『ホテル・ルワンダ』

070417_1
(ルワンダは行ったことないので、写真はマダガスカルの草原です)

『ホテル・ルワンダ』を観ました。

衝撃的な内容ですが、映画としてもよくできた作品だと思います。ルワンダのツチ族、フツ族の問題は、正直、遠い話でしかありませんでした。(言い訳すると、当時の俺にはメコン川しか頭になかったし)

「虐殺」を「客観的」にではなく、主人公ポールの目を通した話になっているところと、虐殺のシーンが少ないことに共感を覚えるし、だからかえってより「虐殺」の問題が、身近に感じられました。(虐殺シーンが多すぎると、たぶん、とくに日本人は拒絶してしまうでしょ)

主人公のポールは、1994年、ベルギー系の高級ホテル、ミル・コリンで働く有能な支配人です。ホテルに避難民をかくまい、なんとか虐殺の悲劇から逃れるため、時には嘘をつき、ワイロを払うなど、いろんな手を使って、家族や避難民を守り通します。今まで、政治には関心を示さなかったホテルマンが、だんだんと、混乱を生きぬく「戦士」になってゆきます。

虐殺が始まったとき、その虐殺シーンの報道を見れば世界の人が助けに来てくれるはずですよね、とポールは、外人記者に同意を求めます。でも、外人記者は言います。「世界の人たちは、『怖いね』とは思うが、ディナーを続けるんだ」というのです。

滞在していた外国人はみんなルワンダを後にしますが、別れ際、外人記者は、ドアボーイが差し出す傘に対して「傘などいい。恥ずかしいから」と言いました。「世界の人たちは、『怖いね』とは思うが、ディナーを続けるんだ」と言ったとおりになってしまったのです。何も力になれなかった外人記者の気持ちが痛いほどわかりました。世界の人たちは、ルワンダを見捨てたのです。こうして、100日間で100万人(少なくとも50万人とも言われる)の大虐殺が行われてしまいました。

「虐殺はいけない」と、言葉では簡単に言えますが、いつ俺たちもそんな狂気に走らないという保障はありません。ルワンダのような悲劇は日本では起こらないなどと言い切ることはできません。

心の闇は、みんなが抱えているものです。だからこの悲劇も人ごとはありません。俺自身が、どうしようもなく暴力をふるいたくなってしまうような、危ない瞬間を何度か経験しているので、そう思います。その一線を越してしまったら、100万人まではすぐです。だから、この一線はなんとしてでも越えてはいけないのです。

『ホテル・ルワンダ』公式サイトはこちら


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2007/03/23

美しいもの。高橋大輔、キムヨナ、安藤美姫、ビルジニー・ドデュ

070323
美しいものよっつ。

フィギュアスケート世界選手権、昨日銀メダルを取った高橋大輔のステップ。

フィギュアスケート世界選手権、今日23日現在トップのキムヨナと、2位の安藤美姫の演技。

世界水泳シンクロ・ソロで金メダル取ったフランス人ビルジニー・ドデュの昨日の演技。

ドデュが優勝、原田は4位 世界水泳シンクロ・ソロFR
asahi.com http://www.asahi.com/sports/spo/TKY200703220420.html 参照

完成された美しさに息をのみます。

ドデュの演技中、波紋が美しいことに気がつきました。無駄な波を立てていないということでしょうか。水しぶきが派手に上がると、迫力を感じてしまいますが、ドデュの演技は、それとは違った静かな迫力がありましたね。


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2007/03/21

植村直己 冒険家は究極のエゴイスト (2)

070321
(写真は中国青海省・メコン源流)

昨日の続きです。

植村直己は偉大な冒険家でした。

究極のエゴイストとして生きてきたはずでしたが、でも、そのうち、スポンサーなどとのしがらみができて、エゴイストであり続けられなくなったとき、偶然にも(もしかしたら、必然的に)、マッキンリーの山で行方不明になってしまいました。

まぁ、それでも、彼は普通の人にはできない、やりたいことをやって死んだのだから、幸せだったでしょう。自分のやりたいことをわかっている人は幸せです。たいていの人は、わかったつもりになっているだけです。

俺も、「本当に」やりたいことというのがわかっていません。とりあえず「やりたくないこと」の方がわかるので、なるべくやらなくてすむことなら、やらずにすましています。それでいいのかもしれません。

最近は、やたらと「やりたいこと」を探そうとしていて、それを「自分探し」などと言っている人たちもいますが、なんだか強迫観念にとらわれている気がしてなりません。そんなに「やりたいこと」を見つけなければならないんでしょうか。最近のリクルートのコマーシャルでもあるじゃないですか。「自分探し」を50年やっても見つからなくて、爺さんになってしまったという・・・。

これも前に書いたような気がしますが、また書きます。

メコン河の写真集、写真展のあと、「燃え尽き症候群」に陥り、一時は何もやる気が起こらなくて、半引きこもり状態になったことがありました。いまからちょうど10年ほど前です。

なんとかせねばとあせるのですが、どうも駄目。こういうとき、サラリーマンなら、とりあえず会社に行くこともできますが、フリーは、すべてにおいてフリーなので、やらなくても、誰も文句は言いません。そのかわり、やらなければ、確実に死んでしまいます。

そこで俺は考えたんです。ここで荒療治をしなければと。それは、カメラを持たないで旅にでることでした。そしたら、写真が撮りたくてしかたなくなるに違いないともくろんだのでした。

ところが、1週間、2週間、3週間たっても、いっこうに写真を撮りたいと思わなかったのです。ただ、旅していることだけで満足でした。それで俺は悟りましたね。あぁ、俺は写真撮らなくても平気な人間なんだと。荒療治は失敗に終わったのでした。

ただ、だからと言って、俺がやりたいことは、写真ではないなどと結論するのは、ちょっと違います。事はそう簡単ではないのです。

撮りたいと思わないときは、撮らずにすむということは、いいことでもあるし、また、悪いことでもあります。写真はなんだかんだ言っても、行為がすべてです。カメラを持ってシャッターを切るという行為がなくては写真になりません。頭で想像して「念写」でもできれば別ですけどね。それは冗談としても、とにかく、動かなければ駄目なのです。だから、無理してでも、撮り続けることは、スランプからの脱出につながるでしょう。

でも、一方では、やりたくないなら、徹底的にやらずにおこうとも思います。一番底まで行ったら、あとは上に登るしかない。俺はこの方法を取ったような気がします。「気がします」とは、あいまいですが、実際、どうやって、「メコン河燃え尽き症候群」から脱出したのか、俺もよくわからないのです。気がついたら棚田の写真を撮っていた、あれ、いつの間にか、また写真を撮っているなぁ、という感じなんです。

なんだかんだ言いながらも、かれこれ20年ほど写真は撮っているし、まだ飽きないし、だから、未だにほんとにやりたいことかどうかはわかりませんが、というより、そんなことを言ってもしかたないことで、写真は続けます。続いたことが、けっきょく「やりたいこと」なんではないでしょうか。


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2007/03/20

植村直己 冒険家は究極のエゴイスト (1)

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(写真は中国青海省・メコン源流)

この前の日曜日、NHKスペシャルで『ラストメッセージ(4) 植村直己』(☆山岳部落ちこぼれからの出発 ☆五大陸最高峰登頂 ☆夢を追い続ける)をやってました。

植村直己の4歳上の奥さんの一言は胸にしみました。「冒険家は、究極のエゴイストです」と。俺もそう思います。誰もが自分のやりたいことをやりたいんです。あこがれます。でも、いろんな事情でできません。あきらめます。

冒険家は、それでもやってしまうエゴイストなんです。でも、奥さんが言った「エゴイスト」という言葉に、植村直己を認めている優しい包容力を感じたのは言うまでもありませんが。

それでもやってしまう、それでもやらざるをえない、究極のエゴイスト。エベレスト登頂成功しようが、南極大陸走破しようが、そんなこと(すごいことではありますが)よりも、この社会の中でエゴイストであり続けることが、冒険的といってもいいかもしれません。エゴイストであり続ける精神力に、人とは違っているという英雄の姿を見るのではないでしょうか。勇気づけられます。

彼は言っています。やったことがすごいんではない。それをやり遂げるための過程がもっと大切だと。俺もそう思います。「旅」は目的地に着くことではなくて、その過程そのものであること。

植村直己が書いた本は俺も読んで影響を受けました。彼は大学卒業しますが、就職できずに、世界放浪の旅に出ます。俺の記憶違いでないならば、たしかアメリカでは綿花畑で働きましたが、不法就労だったので、イミグレに捕まり、留置場にも入れられたのではなかったでしょうか。留置場の快適さに、アメリカの物の豊かさを思い知ったということを書いてあったような、なかったような・・・。

俺が、パリでギャルソンのアルバイトをしようと思ったのも、彼の本の影響があったのかもしれません。番組を観るまで、すっかり忘れていましたが。


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2007/03/14

『LOST シーズン2』を観て (3)

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『LOST』でまだ引っ張るぞー。

昨日、嘘でもいいから、「助かる」という希望を語る人が必要だなどと書きましたが、もしかしたら、ふたつの方向に分かれるのかもしれません。

と、言うのは、元の世界に執着し、あくまでも「助かる」ことを前提に生きる人たち。そして、もう一方は、新しく生まれ変わったつもりで、島でずっと生きていくことを決意する人たち。

俺はどっちだろう? たぶん、後者かもしれません。こう見えても、いや、見るからにと言ったほうがいいかもしれませんが、環境に順応しやすいことは自覚しています。だから、自分の運命を受け入れて、島で生きていくことを決意するかもしれません。

ある程度の気温、水、食糧、寝るスペース、排泄できるところがあれば、けっこう生きていけるような気がします。あとは精神的にどうかという問題です。他に仲間がいればいいですが、もし、ひとりになってしまったとしても、昨日書いたように、俺は嘘をつくことができるし、それは自分自身に対してもそうで、「ここは、住みやすい」という嘘を頭の中にでっち上げ、生きていけるように思うのです。

でも、こんなこと書いている俺ですが、実際、ほんとに絶海の孤島に取り残されてしまったら、気が狂ってしまうかもしれません。意外ともろいモンです。

そう考えると、『LOST』の人たちはタフですね。あまり「帰りたい」と言わない。もっとも、このドラマは、「遭難」がテーマというわけではなくて、むしろサスペンスドラマなので、そのあたり、リアルに描く必要もないからでしょう。

登場人物の過去が明らかになるにつれて「元の世界」に執着する必要のない、「不幸だった人たち」の寄せ集めであることがわかってきました。どうしてこの島に「来た」のか?という、このドラマの最大の謎は、そのことと関係すると、俺は予想しているのですが。


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2007/03/13

『LOST シーズン2』を観て (2)

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(写真はタイ・プーケット島のジャングル)

昨日、『LOST』のような状況に置かれたとき、俺のようなヤツは、ブタの解体しかできないなどと書きましたが、実際、何かできるでしょうか。

飛行機が墜落して、パニックになっているとき、まず必要とされるのは、医者かもしれません。怪我人を治してくれる人です。そしてドラマでは、不幸にして亡くなった人たちをそのままにはできないので、死体を適当な場所に運び穴を掘り、埋葬しました。だから、穴をほれる人、体力がある人が必要です。お祈りできる人もかな。

食糧をなんとかしなければならなくなるので、海に近ければ、魚を獲る人が必要です。小動物を獲る人も必要です。あるいは、バナナや椰子を集める人。ドラマでは1ヶ月すると、畑で菜園を作り始めていたので、栽培の知識を持った人が必要になります。

問題はそのあとですね。もちろん、俺は島に取り残されてサバイバルをやったことがないので、想像するしかないのですが、1ヶ月くらいは、慣れない環境に精一杯適応しようとしているので、あまりゆっくり考えることもなく、あっという間に時間が過ぎていくような気がします。だから気が張っているので、かえって元気でいられるかもしれない。

ところが、1ヶ月たっても救助隊は来ないとなると、もう捜索は打ち切られたのだろうか?と考えるだろうし、食糧を調達することにも慣れて、時間的に余裕ができてくると、かえって不安感が増すのではないかと思うのです。いつまでこの生活を続けなくてはいけないのか?と。期限付きのサバイバルなら気が楽です。でもこの場合、いつになるか全くわからないという状況なので、不安感は倍増するでしょう。

当面の危機から脱すると、数十人の中には、嫌いなヤツ、そりが合わないヤツも出てくるだろうから、その人間関係も気になってくると思います。嫌いなヤツらと分かれて危険な状態を受け入れるか、それとも我慢していっしょにいて安全を得るか、葛藤に悩むかもしれません。精神的にきつくなってくるのではと想像します。ドラマでも、その微妙な駆け引きが描かれています。

そんなとき、何とか仲間割れしないような調整役と、「いつかは助かる」という希望を与えてくれる人が必要でしょう。それはどんな人なのかなぁと思うわけです。想像をたくましくして、シミュレーションしてみるんです。

調整役、つまりリーダーは、やっぱり腕っぷしの強いヤツかな。そして希望を与えてくれる人は、ある意味、嘘つきがいいのかもしれません。嘘でもいい、助かるんだという希望が欲しい。その希望さえ失わなければ、生きていけるような気がします。未来を語る嘘つきが。その役目、俺にふさわしいような気がしないでもない・・・・。


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2007/03/12

『LOST シーズン2』を観て (1)

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(写真はタイ・プーケット島のジャングルの青い湖)

『LOST シーズン2』の4巻まで見ました。飛行機が墜落し、南海の孤島で生活することになった人たちのサバイバル・サスペンスドラマです。

『LOST』オフィシャルサイトはこちら

ああいう状況の中で、どういう人がリーダーになっていくのか、どういう人がどういう役割を担っていくようになるのか、という興味を持って観ているのも面白いですね。その人の過去が生かされるんです。

俺なんか、「写真を撮れる」という技術を持っていても、こういうサバイバル状態の、生きるか死ぬかの場面ではさっぱり役に立たないようです。医者とか、警官とか、魚釣の技術とか、農業技術とかが重宝されます。

しいてできると言えるのは、ブタの解体ですかね。ただ、実際はやったことはないですよ。でも、アジアを旅していて、冠婚葬祭で解体されるブタは何度も見ています。見たからできるというものではないかもしれませんが、でも、まったく知らない人よりはできるでしょう。まぁ、その前に、獲物を獲る技術がないとだめですが。

獲物(いのししなど)の頚動脈にナイフを入れて、血を抜きます。この血はバケツなどの器に取っておきます。血もりっぱな食糧になるので無駄にできません。周りに燃えやすい藁や小枝を集めて火をつけて表面を焼きます。毛を焼くわけです。そのあと熱湯をかけながら、包丁(鉈の方がベター)で毛を剃り落とし、表面をつるつるにします。そして喉から腹の方を切っていきます。開きのようにして各内臓を切り取り、取り出します・・・。

10年以上前ですが、中国で知り合った旅行者たち数人が、東京で再会したことがありました。店で食事をしながら話は盛り上がっていき、なぜかブタの解体の話になって、こんな解体の仕方を得意になってしゃべっていたら、隣のテーブルにいたおばさんから、「あんたたち、そんな話、ここでしないでちょうだい」と怒られてしまいました。

「あっ、そうか」と俺たちは気がつきました。そこはトンカツ屋だったのです。「すみません」と俺たちは恐縮し、別な話題にしましたが、数分後、今度は中国の汚いトイレの話で盛り上がったのは、言うまでもありません。


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2007/03/01

ドキュメント72時間『バックパッカーたちの東京』

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(写真はバンコク・カオサン)

ドキュメント72時間 「バックパッカーたちの東京」というNHKの番組が、おとといの夜、再放送(再々放送?)されました。この番組のことを知ったのは、放映されたあとだったので、今回の再放送を楽しみにしていました。

東京山谷という日雇い労働者が住むところ。そこに集まってくる外国人バックパッカーたち。欧米系旅行者のバイブルとも言えるガイドブック「Lonely Planet」に、山谷のゲストハウスが載っているからだそうです。

思い出します。いろんな国の、外国人がたまっている安宿。山谷のゲストハウスは、タイあたりのゲストハウスと雰囲気がそっくりです。外国のゲストハウスに泊まったとき、表へ出ると、怪しいおっさんが声をかけてきたりしますが、山谷でも同じようなおっさんがやっぱりいるんですね。バックパッカーは、こんなおっさんと仲良くなります。

安宿は、その町の治安が悪かったり汚かったりする地域で、現地の人間でも、あまり近づかないようなところにあったりします。だから安いのですが。それで現地の人間は、びっくりするわけですね。どうしてこんなところに外国人が泊まっているのかと。でも、そういうところが面白い。

治安が悪いホテルではありませんが、雲南省昆明の茶花賓館(カメリアホテル)のドミトリーに、現地の中国人を連れて行ったことがありました。当時、20人部屋があったので、中国人はびっくりしてました。どうして金持ちの外国人が、こんな狭いところに、たくさんの見知らぬ他人といっしょに泊まっているのかと。しばらく、唖然としていたのを覚えています。

番組の話に戻ります。

アフリカ系フランス人のアマーは写真家を目指してる青年です。フランスでアルバイトして、お金をためて、何度も日本にやってきています。「将来は、いろんな国で撮った写真が新聞などに掲載されるのが夢です」と語りました。まるで、昔の俺を見ているようです。

最後にどうして、日本に何度もくるのか?という質問に、「日本人はほんとに優しくて、すばらしいからだよ」と言いました。深読みすれば、フランスでは、肌の色や出身地で差別を感じる彼でも、日本ではむしろモテたりするのではないでしょうか。だから居心地がいいのでしょう。でも、それは「日本人が優しいから」とは単純に言えないところがあります。なぜなら、同じ外国人でも、アジア系の人には厳しい日本人ですからね。

自分で癒されない部分を求めて、外国へ行こうと思うのは自然な成り行きです。彼の気持ちはわかる気がします。

3年間そのゲストハウスに住んでいるポーランド系イギリス人の青年も登場しました。日本語もぺらぺらです。もともと写真やデザインの勉強をしていましたが、今は、英語の先生をしながら暮らしています。無断外泊をしたり、生活は、ちょっと荒れた感じです。彼はどうしたいのかよくわかりません。イギリスに帰っても、また日本に戻ってきているようです。

フランス人のアマーも、このイギリス人も、「自分探しをしているのでしょうか」などと、吹石一恵さんのナレーションが入っていましたが、そんなかっこいいものではないかもしれませんよ。彼らは、自分の国では、「主流」とか「エリート」とかいうものから外れたところにいる人間です。そういった彼らが、居心地の良さを感じるのは、外国にいるときだから、ということかもしれません。自分の国で見つけられない「自分」が、外国に出たからといって簡単に見つかるわけではありません。俺も、「主流」とか「エリート」から外れた人間なので、そう思うのかもしれませんが。

ただ、だからこそ見えている風景があるのです。彼らにしか見えない特別な風景が。


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2007/02/18

映画『ニューワールド』を観て

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『ニューワールド』という映画をDVDで観ました。

17世紀に、イギリス人が「新大陸」アメリカに入植したときの話です。監督は『シン・レッド・ライン』を撮ったテレンス・マリックで、この映画は戦争映画でしたが、自然の美しさを静かに描写していた部分が好きでした。『ニューワールド』にも同じような美しさを感じました。

ところで、こういった異民族が遭遇する瞬間(ファーストコンタクト。この場合は、イギリス人と先住民族)に興味を持っているので、どんなコミュニケーションを取るのか、ファーストコンタクトをどんなふうに描くのかということに興味を持ちながら観ました。

映画のテーマは、イギリス人男性と先住民族女性との「愛」だったので、それほどファーストコンタクトに力を入れて描いてはいませんでしたが。

言葉もわからない人たちに対して、こちらが「敵意がない」ことを示すにはどうすればいいんでしょうか。やっぱり、ニコニコ笑顔を作り、物をあげるということなんでしょうね。

中国では、よくタバコを差し出されることがありました。(今はどうでしょうか。タバコを吸わない人も多くなったので、こういう習慣は廃れつつあるのかも) こちらから差し出すこともあります。これも「私はあなたに敵意はない」という表現が発展していって習慣化したもののひとつでしょう。タバコを自分で吸わない人も、タバコは持ち歩いていて、周りの人たちにあいさつ代りによくあげていましたね。

そういえば、雲南では、なるほど、こういうふうにして始まるんだぁと思わせる場面を目撃したことがあります。

それは、ある西双版納タイ族自治州の日曜マーケットでのことです。ハニ族のおばさんたちが、外人に追いかけられて逃げ回っていたのです。

なぜかというと、外人は彼女たちが被っている頭飾りや、身に着けている民族衣装が欲しくて、それらを指差して「ハウマッチ?(いくらで売る?)」と聞いていたのですが、今まで外人など見たことがなく、英語など聞いたことのないハニ族のおばさんたちは、どうしてあの白い鬼たちは私たちを追いかけるのか?と、怖くて逃げていたのでした。そもそも自分たちが身に付けているものを欲しがられるとは想像もできなかったでしょう。まさか自分たちが身に付けていたものが、お金になるとは。

ところが、それから1年経つか経たないかで、彼女たちは、外人が近づいてくる意味を完全に理解し、それどころか、彼女たちは、むしろ積極的に物を売るようになっていったのでした。今度は、外人が彼女たちから頭飾りや民族衣装を見せられて「ハウマッチ?(いくらで買う?)」と、しつこく追いかけられることになったのでした。そして彼女たちから民族衣装が消えていったのでした。

異民族間で、どうやって交易が始まっていくのかを見ているようで、妙な感動を覚えたものです。


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2007/01/24

ビルの窓拭きしながら英語をしゃべるコマーシャル (2)

070124
昨日、パイロットのサインペン「ボードマスター」のコマーシャルについて書きました。

でも、ひっかかるところもあります。このコマーシャルは、最初「なんで、ビルの窓拭きの人がそんなに流暢に英語を話すの?」という疑問から、「なぁんだ、書かれた英語を読んでいただけだ」とわかり、安心するのです。つまり、窓拭きする人は、英語が流暢にしゃべれるはずがないという前提、というか思い込みがあるから成立するコマーシャルです。この意外性が面白いと思わせるのでしょう?

でも、これって、失礼かもね。俺がバイトしていた当時(今もそうでしょうが)、意外と英語をしゃべる人もいたんです。お金をためて外国を旅する人(俺もそうですが)、登山家、ミュージシャンや俳優や作家や漫画家のたまご。

中でもRさん(名前、忘れてしまいました)は、国際色豊かなJ大学を出ていて(在学中だったかな)、もちろん外国にも行っていたし英語はぺらぺら。お金のためにバイトしているわけではなくて、体を鍛えるためにバイトしていると言っていました。空手かなんか武術も得意だったと思います。かっこよかったですね。あこがれました。

でも、そういう人に限ってというか、天は二物を与えずというのか、ちょっと危ういところもある人でした。ある日、ビルの屋上に結びつけたはずだったロープが、ほんとは結び付けられていなくて、彼が、ブランコに乗って、ビルから降りようとしたとき、そのロープが外れて、落下してしまったのです。

もう一本の命綱を必死でつかんで助かりましたが、手は綱との摩擦でやけどをし、地面に着く直前ブランコが止まったので、その衝撃で腰を打って大きな怪我をしてしまいました。普通の人なら死んでいたような状況で助かったのは、日ごろから体を鍛えていたからだろうと、俺たちはうわさしていました。

結局、自分の不注意で招いた事故で、バイトは辞めてしまいました。当然ですよね。さすがのRさんも、もう怖くてできなかったんじゃないですかね。

何日かあと、病院に見舞いに行ったとき、Rさんは意外と元気でした。笑いながら話をしたことを覚えています。その病室にはRさんの彼女が来て世話をしていましたが、それがまた美しい人で、まったくRさんにはかなわないなと思ったのでした。

ビルの窓拭きの職場は、かなり個性的な人たちが多く、おもしろいところでした。いろんな人から刺激を受け、今、こうやって写真を撮るようになったのも、このバイトで出会った人たちの影響も間接的にあったのではないかなと思っています。


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2007/01/23

ビルの窓拭きしながら英語をしゃべるコマーシャル (1)

070123
パイロットのサインペン「ボードマスター」のコマーシャル。(パイロットTV-CF http://www.pilot.co.jp/tvcm/tvcm9.html#TOP 参照

高層ビルから吊るされたゴンドラに乗って窓拭きの作業をしているふたりの男。突然、男たちが、シャンプーとスクイジーを動かして窓拭きをしながら、けっこう流暢な英語をしゃべるというもの。なんだろうな?という驚きがあります。窓の中は、ある塾(英語塾?)で、ボードに書かれた英語を読んでた、というオチなのですが。このペンで書いた文字は「遠くからでも良く見える」というコマーシャルとしても、なかなかよくできていると思います。

俺は昔、ビルの窓拭きのバイトをしていた話は前に書きましたが(「手で触れられるボクの居場所 」 06/9/24)、こういう場面はよくあって、リアリティーを感じました。だから特に「おもしろい」と思わせるのでしょうか。

有楽町にある帝国ホテルも現場のひとつでした。コマーシャルのようなゴンドラで下りていると、いろんな場面に出くわすんですよね。

たぶん、「今日、窓拭きの作業が入ります」と、事前に各部屋にお知らせしているのでしょうが、すっかり忘れているお客さんもいて、突然降りてきたゴンドラにびっくりしてカーテンを閉めたり、欧米人カップルが●●●●の最中だったり、イスラム教徒が西を向いてお祈りの最中だったり、「Wait !(待って)」と言われて止まると、カメラを出して記念写真を撮られたりしました。

ところで、最上階にはレストランがありますが、ここを下りるときは、注文がありました。失礼に当たるので、「お客さんにお尻を向けないこと」かつ「お客さんを見てはいけない」という注文なのでした。中を向いても駄目、外を向いても駄目。どうすりゃいいんだ?と俺たちは悩んだ末、ある結論に達したのでした。それは横を向きながらゴンドラで下りるということでした。これでクレームはきませんでしたので、これが正解だったのでしょう。

ホテルに宿泊しているお客さんたちの人生が垣間見えて、面白かったですね、窓拭きは。


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2007/01/22

「発掘!あるある大事典」 納豆ダイエットの嘘 (2)

070122
昨日、「あるある大事典」の納豆ダイエットの嘘について書きましたが、なんだか気持ちの中に、妙な腹だたしさが残ります。

Ya_2「発掘!あるある大事典」 納豆ダイエットの嘘 (1)(2007/1/21)

なんででしょうか? データをねつ造した関西テレビに対してでしょうか? 普通に納豆を好きで食べていた人たちが、このブームのおかげで納豆を食べられなくなって迷惑をこうむりました。それはそう。でも、そのことに対してではありません。こういうことに踊らされてしまう人たちに対して、というのともちょっと違うけど、近いかな。それよりは、みんなといっしょに「踊れない自分」に対してかもしれません。

それにしても、ブームに乗っかる人って幸せですよ。いろんなブログでは、今回ブームに乗った人たちをバカにしたり、同情するような記事もありますが、俺は、ちょっと違った見方をしています。

例えば、この納豆の件にしても、真面目にこれを実践するような人だったら、結果的に体を壊していたかもしれないでしょ? (納豆などに含まれるイソフラボンは、過剰摂取すると健康被害をもたらす可能性があるそうです)

ところが、ブームに乗るだけの人たちは、すぐに飽きてやめてたじゃないですか。どうせ効果はないんだし、長くとも、2週間でやめてたはずです。そうやって、1年間にいくつものブームに乗っていろんな食材を摂っていたら(しかも普段は嫌いで食べないものも、ブームだといって食べるわけだから、ますますいろんなものを体内に入れていることになるし)、それこそ健康になりますよね。

いろんなものを、適量食べる、これこそが健康の秘訣です。だから、ブームに流される人の方が、丈夫で長生きしてしまうかもしれません。

例えば、ミジンコたちは、わずかな餌を「感じて」、そっちの方に集団で寄っていくわけです。生き残るために。これに乗り遅れることは、「死」を意味します。これが今回のブームと重なって見えてしまいます。

今回の納豆は「自然発生的なブーム」ではなくて、業者やテレビ局が「意図的に作ったブーム」のようだし、生き残るどころか、逆に危ないところへ導くブームだったのですが。「生」か「死」か。どちらへ導くブームなのかを見極めるためには、やっぱり自分の生き物としての勘を働かせるしかないようです。


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2007/01/21

「発掘!あるある大事典」 納豆ダイエットの嘘 (1)

070121
やっぱり嘘でしたね。納豆をかき混ぜたはずなのに、逆に、日本人が納豆にかき回されてしまいました。

フジ系列 「発掘!あるある大事典II」を製作した関西テレビが、納豆ダイエットのデータをねつ造したと認め、謝罪しました。

毎日納豆2パック食べてダイエットなんて、あやしいと思ったのです。少なくとも千年以上も納豆を食べ続けてきて、ダイエットの効果が、今までわからなかったなんて、不自然です。ご先祖たちをバカにしちゃぁいけません。

Ya_2「発掘!あるある大事典」が引き起こした納豆パニック(2007/01/12)

TV製作者と、製造業者と、流通業者が結託し、大げさな情報を流して、まんまと儲けたのか?と疑われかねない話です。俺も情報に踊らされることはあるし、今回、納豆を買いに走った人たちを笑ってばかりもいれないのですが。

続・フジ『発掘!あるある大事典II』の納豆特集でねつ造
livedoorNEWS http://news.livedoor.com/article/detail/2988217/ 参照
放映前に内容が大手に漏洩
livedoorNEWS http://news.livedoor.com/article/detail/2977621/ 参照

それにしても、おかしいと普通は思うでしょ? 「食べる」ことだけで「減量」できるなんて。冷静に考えればすぐわかるのに、それでも、納豆に走ってしまうところには、何か、理屈ではない他の力が働いているとしか考えられません。

そこで考えてみました。その力とは「信仰心」と呼んでもいいような、今の日本人に染み付いている思い込みではないでしょうか。

5つあると思います。

まず、ひとつ目は、「ダイエットは良い」という信仰です。前にも書きましたが「ダイエット脅迫教」です。

これも程度問題だと思うんですが。たしかに体に負担をかける肥満は、解消すべきでしょうが、最近ダイエット、ダイエットと言っている中には、見かけ重視だなと思うものもあります。とくに女性は、痩せてるのが良いという信仰が、なぜか強いですよね。男性は、それが、それほどいいとは思ってないんですが。ということは、つまり、女性が女性の目を気にしているということなんでしょうか? 不思議です。女性のみなさん、教えてください。

ふたつ目は、「テレビでやることは正しい」という信仰です。

たしかに、インタ-ネットにあふれる、どうでもいいような情報と比べれば、ちゃんとお金もかけているし、複数の人間の目を通過しているし、匿名ではないし、間違ったときには責任を取らされるし、情報の信憑性という面ではまだ信頼がおけます。

でも、最近のテレビを見ていて気がついたんですよね。たとえば、タレントが出てきて「私はこれでダイエットしました」といって紹介された器具や食品。あとでしっかりと、お問い合わせ先が出ていました。また、たとえば、ある温泉はいいといって、女優お勧めの温泉宿が紹介されて、それもしっかりお問い合わせ先が出てきます。(ほんとに泊まったのかな?と疑うときもあります)

報道番組・情報番組なのか、テレビショッピングなのか、その境があいまいになっています。宣伝をまったく含まない番組はない、といってもいいくらいかもしれません。だからこちらは混乱してしまうんです。ただこれは、「情報」の性質上、「宣伝」にもなってしまうのは避けられないでしょうが。

そして、みっつ目は、「みんながやることは、やらなければ」という信仰です。

これは日本人的な信仰心と言えるかもしれません。人と同じことをやる安心感。みんなとワーッとやる楽しさ。ブームに乗っている私が好き、みたいな。裏を返せば、人と違うことをやっている不安感。「えーっ? まだ納豆食べてないんだぁ~」と軽蔑の目で見られるつらさ。はみ出し者は、目立つし、いじめられるし、とにかくいっしょでさえあれば、なんとか生き残れるという信仰心。

非難しているのではないですよ。俺も日本人なんだから、当然、この3つを持っています。ただ、「信仰心」とまではいっていないかな?とは思いますけど。

何でも疑ってしまうのも、つまらない人生ですが、ここまで悪人や悪情報が巷にあふれるようになってくると、自己防衛に走ってもしかたないかもしれませんね。悲しいことですが。

そして、4つ目、これは信仰心と言うよりも日本人の共同幻想とでも言うんですか、日本の文化です。意外と大きな理由かもしれません。納豆という、見慣れた日常食品で、しかも、栄養的に優れているというイメージを日本人はみんなで共有しているからです。(だから、このダイエット法、アメリカ人にはウケないはずです)

5つ目、「安あがり」。これ、大切です。大きな理由じゃないですか。だって、これがたとえば、毎日2回金箔を食べると痩せるなどというダイエット法を紹介しても、みんな飛びつかないでしょ? 

でも、お金持ちは、金箔に走ってしまうんですかねぇ。人間の欲望にはキリがありませんから。


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2007/01/12

「発掘!あるある大事典」が引き起こした納豆パニック

070112
昨日あるスーパーに行ったら、納豆が消えていました。それで、別なスーパーへ行ったら1種類だけ、かろうじて置いてありました。

これはテレビ番組「発掘!あるある大事典II」で、「朝晩1パックの納豆を食べると2週間で体重が減る」などという納豆ダイエットが紹介されたからだそうです。あまりにも極端だと感じてしまうのは、俺だけでしょうか。

納豆、品薄状態 テレビ番組でダイエット効果紹介後
asahi.com http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200701110377.html 参照

一種の宗教ですね。ダイエット脅迫教。ご神体は「納豆様」か。

「納豆は体に良い」と昔からいわれてきました。俺も大好きです。でも、「体に悪い食べ物」ってあるんでしょうか。悪いなら、人間は食べていません。納豆が体に良いのはあたりまえ。でも、食べ物は、なんでもほどほどが良いんです。万能食なんてありません。

番組を見ていないので、正確にはわかりませんが、たまたまその人だったからということもあるし、他の要素をあえて見ないようにして、納豆だけがダイエットの原因と結論付けたのかもしれません。(よくある手ですよね) だいたいにして、納豆を毎日2パックも食べていたら気持ち悪くなって食欲がなくなり、結果として減量できるかもしれませんがね。

生き物としての自分の勘をもっと信じてもいいのではないでしょうか。情報に頼りすぎで行動が極端です。もっとも、日本人はすぐに飽きる民族でもあるので、納豆はすぐに店頭に戻るでしょうが。

やっぱりこのダイエット嘘でしたね。最新記事は、こちら。
Ya_2「発掘!あるある大事典」 納豆ダイエットの嘘 (2007/1/21)


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2007/01/10

NHKの番組 『青海チベット鉄道』

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この前の月曜日、NHKで『青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~』(内容についてはNHK http://www.nhk.or.jp/winter/gtv/gtv_61.html 参照)という番組(再放送)をやっていましたね。西寧からゴルムド経由でラサまでの鉄道の旅。俺は昔、このルートをバスで旅をしました。

たまたま年末『ココシリ』という映画について3日間にわたりブログで書いたこともあって、興味を持って観ました。鉄道はココシリ自然保護区も通ります。映画で密猟されたチルー(チベットカモシカ)もいましたね。動物の移動を妨げないように、線路は地面から高く、橋のようになっていました。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)

鉄道でラサへ巡礼に行くというチベット人家族も登場。一方、鉄道と並んで走っている道では、五体投地で進む敬虔な巡礼者たち。この方法だと1日5kmしか進まないのだそうです。

彼らのわきを列車が通り過ぎていきました。「あれを見てどう思いますか?」と聞いたら、彼らの中のひとりが「よくわかりません」「変な感じがします」と答えました。

たぶん、この巡礼者の「変な感じ」というのは実感でしょう。違和感です。それまでなかったものができた風景として、列車が視界に飛び込んでくる、どことなく居心地の悪さというものを感じているのではないでしょうか。でも、この違和感も、慣れとともに、日常の風景へと変わっていくのでしょうか。日本でも、車で四国八十八ヶ所巡礼する人たちに、最初は違和感を持っていただろうということは想像できますからね。


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2007/01/04

NHK紅白歌合戦 DJ OZMAの「裸スーツ」に抗議

070104
DJ OZMA。

ファンというわけでもないし、「K―1プレミアム2006」の合間、紅白歌合戦にチャンネルを合わせたら、たまたまDJ OZMAが歌っていたのでぼーっとしていると、「あれっ?」という感じで、バックダンサーが裸に見えて、思わず身を乗り出し、テレビにかぶりつきました。

彼は「脱ぐ」と宣言していたので「やっぱりやったのかぁ。でも、よくNHKは許したもんだ。NHKも変わったなぁ」と思ったのでしたが、あとで、これに抗議が殺到していたことを知り、びっくり。司会者は、あれは裸ではなくて、ボディー・スーツだと説明したそうですが、その場面は観ていません。

NHKは、「知らなかった」と言っていますが、そんなことありえますか。確信犯でしょう。カメラも動揺していなかったし、場面が切り替わることもなく、放映を続けていたし。

いや、百歩譲ってほんとに知らなかったとしても、「何かやる(いや、何かやってくれる)」キャラクターであることは誰でもわかっていたはずで、素人の俺さえ予想はついたことです。もし、それも予想しなかったとしたら、放送機関として、あまりにも危機管理が甘すぎます。そのうち、放送のテロリストが現れますよ。

ただ、俺は、驚いただけで、これはたいした問題には感じません。NHK自身もそうだし、歌手たちも言っているじゃないですか。紅白は「お祭」だと。「お祭」というならば、ハチャメチャで、危ないのは当然なわけです。何が起こるかわからないから、ワクワクして面白い、と俺は思うんですが。「お祭」も生真面目に見てなきゃならないんですか。息が詰まってしまいそう・・・。

品がないでしょうか? 確かにやり過ぎの感もあります。下品かもしれません。でも、職員が俺たちの受信料を私的に流用してたりする放送局ですから。おっぱい出すより、もっと品がないと言えなくもない。

いずれにせよ、DJ OZMAを非難するのはおかしい。そういうアーティストなんですから。非難するなら、出演依頼したNHKでしょう。(もちろん、抗議した人は、受信料は納めていると信じてます。納めてない人が、抗議するのも品がないですからねぇ。そして今回の件を逆手にとって、受信料拒否する人もいるらしいですが、それもまた品のない話ですよね)

「子供が見ていたら教育上良くない」という意見もあるようですが、そもそも紅白歌合戦を夜遅くまで見ているような子供は、それほど「いい子」とも思えないし(ほめ言葉ですよ。俺も子供のとき見ていたし)、たまにはショックなもの(おっぱいは美しい。実際は偽物だったわけですが)を見せて、免疫をつけておいたほうが、「正しい大人」になるのではないでしょうか。

だいたいにして、子供があの画面を観て、裸だと気がつくのかどうか、俺にはわかりません。観てた子供に聞いてみたい。でも、観てた子供いたのかな? あんな視聴率で。そうか、これで来年の紅白の視聴率は上がるわけで、NHKは陰でにんまりしているかもね。


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2006/12/31

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (3)

061231
『ココシリ』の映画の中で、北京から来た記者が、山岳パトロール隊と、ウサギのモモ肉を食するシーンがありますが、とても印象的でした。俺にも似たような体験があったからです。

昨日のブログにも書いたチベット人のガッデさんは、メコン源流から村へ帰る途中、友人の天幕住居に寄っていこうと誘いました。少しの時間ならいいだろうと、お邪魔しました。でも、なかなかガッデさんは腰を上げようとしませんでした。

村に帰りつくのが夜になってしまわないかと心配になって、俺が「時間がないよ」と腕時計を指さすと、「いい時計だね。いくらした?」と、彼はまったく時間など気にしてないようで、ヨーグルトやヤク肉を、他人の家とは思えないほど遠慮なくたらふく食っていました。

これがチベット人の習慣なのでしょう。いらいらしても仕方ないと、俺もついに諦めて、ガッデさんといっしょになって、ゴム・タイヤのようなヤクの干し肉をナイフで一口大に切り、チューインガムのようにクチャクチャとしばらく噛み続けても柔らかくならないので、結局は飲み込んでしまうということを、何度か繰り返しました。

映画でも食事のシーンが何度か出てきます。チベット人たちは、北京の記者のナイフの使い方を注意します。「ナイフの歯は自分の方に向けるんだ」と。たぶん、食事以外でも、人に歯を向けないというのが彼らの礼儀なのでしょう。だから向けるときは、よほどのときで、「敵意」を表すということではないでしょうか。

密猟者を何日も追いかけて、食料がなくなったとき、ウサギを獲って食べるのですが、皮を剥いだだけのモモ肉が記者に渡されます。生肉を食べるのです。最初、躊躇しますが、結局食べます。チベット人たちの中で記者が「お客」から「仲間」に変わった瞬間です。

「仲間」などというのは、こちらの勝手な思い込みなのかもしれませんが、でも、少なくともこういうとき食べ物を断らないほうが、彼らに近づきやすいとは言えるでしょう。(もちろん、食べられなかったら、断わりますが)

雲南や貴州では「ブタの生肉」がごちそうで、冠婚葬祭でだされます。そのとき、村人は、じっと俺の様子を観察しているのがわかります。食べると、嬉しそうです。拍手されることもあります。反対に、日本に来た外国人がナットウをおいしく食べるのを見ると、少し嬉しくなります。彼らと同じものを食べるのは、「腹を満たす」という実質的な意味ばかりではなくて、精神的な、一種「村入りの儀式」でもあるようです。

メコン源流の話に戻ります。

思わぬところで時間を食ってしまい、夕方になってしまいました。ガッデさんの友人宅を出て、ザナチュの川床を渡り向こう側の岸に上る。そこで俺が写真を撮っている間、10m離れたところでガッデさんはウンコをしていました。食い過ぎでしょうか。

また雲行きが怪しくなった空を忌ま忌ましく見上げ、再び馬にまたがりました。ガッデさんは、馬の脇腹を両足で思いっきり蹴ると、勢いよく走り出しました。彼からロープで引かれた俺の馬も走り出します。カメラは背負ったバッグの中でガタガタと踊りだし、俺の体の中は胃も腸もいっしょに混ざってしまうほど揺れました。

前日だったか、ヒツジの胃袋に詰めた牛乳を長時間コロコロ転がしていると、牛乳が分離してバターができると聞きましたが、まさにそのとき俺はバター製造器になっていたのです。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)


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2006/12/29

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)

061229
『ココシリ』の映画の中で、山岳パトロールの隊員たちは、骨太な男臭いチベット人として描かれていました。俺もメコン源流を探して馬で旅したときも、こんな感じの現地チベット人にお世話になりました。

8月下旬でしたが、標高4200mほどの高原には雪が降り、馬は穴に足を取られないように、ゆっくりと注意深く歩いていました。ふと気がつくと、2人のガイドたちは俺の存在など忘れてしまったように、スタスタと馬を飛ばしていつの間にか視界から消えてしまい、残ったのは馬を引いてくれているガッデさんという男とふたりだけになってしまいました。

近道をするために一端ザナチュ(メコン川源流のチベット名)から外れて湿地帯を突っ切り、再びザナチュに出ると、源流を目指した時は全くの清水だった川の水が、見事な赤茶色の水に変わっていました。一日雨や雪が降っただけで、これだけはっきり水の色が変わってしまうのもすごいものです。

地元の人民政府で、数十年前から草地が減少していて、それが家畜を放牧するのに大変深刻な問題になっているんだと教えられました。草地がはがれて保水能力を失った赤い土は、雪解けの水や雨に打たれて流れだし、ザナチュの色を変えるのです。

いったいどうして草地がはがれていくのか、現地チベット人たちは、地球全体の環境変化についてはあまり知らないようで、不思議がっていました。地球の環境汚染とも関係するのでしょう。近代文明を拒むような厳しい環境のチベット高原ですが、文明は空からもやってくるのです。逃れられる土地はもうこの地球上にはありません。

地元の牧畜民が、こうして草原を失い、非合法と知りながらチベットカモシカの密猟に手を染めるということは、映画でも語られていたことです。

ところで、ガッデさんは、あるところで、馬を止めて、「俺の写真を撮ってくれ」と言いました。記念写真をくれとおねだりしているのかな?と思ったら、彼はこう言ったのです。

「あんたの家族に、俺の写真を見せてくれ。この場所にガッデという男がいて、いっしょにザナチュの源流に行ったと伝えてくれ」

その言い方が、頼もしく清々しかったのです。カッコよかったのです。俺はちょっと恥ずかしくなりました。この40歳ほどの、人民帽を被った大柄なガッデさんを眺め、ほんとにこんな人が世の中にいるんだなぁとうれしくなりました。そしてこんな人に会いたいために旅をしているのだと、あらためて実感したのでした。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (3)

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)


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2006/12/28

チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (1)

061228
いい映画をDVDで観ました。

『ココシリ (原題「可可西里」)』
監督  ルー・チュァン(陸川)
脚本  ルー・チュァン(陸川)
出演  ドゥォ・ブージェ(多布傑)、チャン・レイ 他

中国青海省でチベットカモシカ(チルー)の密猟者を追う山岳パトロール隊の攻防。実話に基づいた映画です。2004年東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。最後の結末で、なんだか割り切れないもやもやしたものが残りますが、それも事実だとすればしかたないことだし、実際、現実というのは、不条理そのものなのでしょう。

100万頭いたチベットカモシカも、この物語のころの1996年には、わずか1万頭に減っていたそうです。彼らに同行取材した北京から来た記者の記事によって、その事実が明かされ、後の保護活動によって3万頭までに回復しました。

過酷で美しい大自然には圧倒されます。その中で、山岳パトロールのチベット人の男たちは、どうしてあれほどまでに密猟者を執拗に追い続けたのでしょうか。報酬もなく、仕事でもないのに、です。それは、この映画の背景にある事情を抜きにしては語れないのではないでしょうか。チベット人と漢民族との確執です。

この映画を観て思い出しました。実は、俺も縁あって青海省には、過去8回ほど行きました。そのうち2回は『メコン河』撮影のためです。映画のロケ地にもなっている歇武、玉樹、メコン源流の雑多にも行っています。そのとき、俺もチベットカモシカの群れに遭遇しました。

それと、チベットマーモットをたくさん草原で見かけましたが、チベット人のガイドは「街から来た漢民族が獲って毛皮を剥いでいく」と憤慨していたのです。穴の前で焚き火をし、反対側の穴から逃げようとするマーモットを捕まえるのです。それらしき漢民族にも出会いましたが、そのときは、それほど深刻な問題だとは思っていませんでした。いや、正直言えば、メコン源流がどこにあるか探すことしか頭になかったのでした。

今から思えば、あのチベット人ガイドの怒り方は尋常じゃありませんでした。チベット人にしてみたら、自分たちの土地が、よそ者に侵略され、荒らされると感じていたのではないかと思います。(その感覚は今も変わらないかもしれませんが) チベットの歴史的背景があります。

密猟者を取り締まり罰金を徴収し、皮を没収するパトロール隊員も、時々そのお金を生活費に当てています。もちろん非合法です。矛盾を抱えながら行っているのは、彼ら自身がよくわかっていることです。でも、ここを守るためには、それしか方法がないのだと記者に訴えます。

一方の、密猟者も、それしか生活する手段がないのです。草原は砂漠化して、牧畜業ができなくなった人たちが、密漁に手を染めていきます。皮剥ぎ職人のおじいさんは言いました。「人間より、カモシカが大事か?」と。この言葉に反論できません。重い問いです。

彼らの行動を高みの見物で覗き「それはいけない」と、何の躊躇もなしに言えるとしたら、よっぽどの幸せ者です。あるいは、おろか者です。こういう状況を作っている原因のひとつは、チルーの毛皮が高値で取引され、毛を加工した織物やショールを買っていた日本人などの外国人でもあったわけです。

青蔵(青海チベット)鉄道が開通し、チベットは、ますます中国化されていきます。生き残った山岳パトロール隊だった人間は、今、どのように感じているのでしょうか。

Ya_2チベット高原を舞台にした映画 『ココシリ』 (2)

ところで、このルー・チュアン監督の、すごく気になる記事がありました。

「南京大虐殺」をテーマにした映画で、日本人の俳優募集ー中国
Yahooニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061223-00000015-rcdc-cn 参照)


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2006/10/16

イタリア映画 『苦い米』 2

061016

以前、イタリア映画『苦い米』について書いてから、観たい観たいと思っていましたが、ようやくビデオを借りて観ることができました。

『苦い米(Riso Amaro)』 1949年度作品
監督:ジュゼッペ・デ・サンテス。
出演:シルヴァーナ・マンガーノ。ヴィットリオ・ガスマン。

イタリア北部ポー川流域の水田地帯が舞台の季節労働者「田植え女」たちの映画です。イタリアはヨーロッパでの米どころ。FAOの資料(2004年)によると、コメ生産量は世界で27番目です。ちなみに、第1位は中国ですが、日本は11位です。

こういう「田植え女」は、機械化と除草剤の発達で、すでに過去のものになりました。だから、この映画は当時の様子を知る貴重な資料でもあるようです。最近はエジプトあたりから安いコメが入ってくるようになって、水田自体が減っているようです。

イタリア北部各地から集まった女性たちが、列車に乗って水田地帯へ向かうところから映画は始まります。

ワルターとフランチェスカは刑事に追われる泥棒カップルです。刑事に見つかった彼らは、ばらばらになって逃げます。フランチェスカは「田植え女」たちに紛れ込み、そこで、シルバーナ(シルヴァーナ・マンガーノ)と知り合い、彼女の口利きで、いっしょに働くことになります。ワルターも、あとで同じ水田地帯へ逃げてきます。

たくさんの女性たちがいっせいに田んぼで田植えをするシーンは圧巻です。そして歌をみんなで歌うんです。田植えの仕事の辛さを少しでも和らげようと、やっぱりアジア同様、田植え歌はあったのですね。

細かいことですが、苗をまっすぐにするために、田植え枠を転がすとか、縄や棒を使って、それに沿って植えるということは、映画の中では見当たりませんでした。大雑把な田植えという感じでした。

フランチェスカは、改心し、警察に行こうとします。一方、シルバーナはワルターに惹かれて、いっしょになることを決心します。ワルターは倉庫から米を盗もうと計画しますが、シルバーナはそれに加担してしまいます。祭の準備でみんな忙しくしている裏で、シルバーナはワルターの指示で水路の堰の板をはずして大量の水を引き入れ、田んぼを水浸しにしてしまいます。

それまでいっしょに何十日も働いてきた仲間を裏切ってまで、愛する男に従ってしまう女の性を見た気がします。俺が男だからでしょうか。正直、ここまでやってしまうシルバーナに違和感を持ちました。男女逆なら、こうはしなかったでしょう。男は、つい、社会的なことを気にしてしまい、あれほどまで「完璧」に水浸しにしない、と思うのです。だからといって、女はどうの、男はどうの、という話をしたいわけではないのですが。シルバーナが特別だったのかもしれないし、反対に俺の感性が変わっているのかもしれません。

みんな、たいへんだーッ!ということで、田んぼに行って排水しようとします。悪事に気が付いた、フランチェスカと仕事を監督する軍曹は、ワルターとシルバーナを探して追い詰めますが・・・。ここから先は語らないことにします。結末は意外な展開です。

この映画はドキュメンタリータッチということも相まって、シルバーナやフランチェスカという「田植え女」を通して人間を描いているいい映画だと思います。

ところで、『Riso Amaro』は『苦い米』という邦題になってなっていますが、「悲しい笑い」という意味もあるという情報を見つけました。参考までに。

「苦い」という形容詞 "amaro" を「笑い」の意味を持つ名詞 "riso" につけて "riso amaro" という熟語を作ると『直訳』の「苦笑い」ではなく「悲しい笑い」って意味になるんですよ
(http://www.juno.dti.ne.jp/~shuyo/italiano/totsugeki/it0033.txt 参照


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2006/09/23

「フラニーニャ」

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(写真は、雲南省大理の虹)

「フラニーニャ」って知ってますか? (『フラガール』という映画とは違います。本日公開だそうです。この映画、面白そうです)

フラダンスを踊りながら天気を解説する気象予報士のユニット。フラダンスの振りは、気象を表しているのがあるらしく、まさに気象予報のための踊りらしい。テレビで紹介されていました。

天気予報ができるフラダンサーか、フラダンスもできる気象予報士か。どっちだろう。いや、どっちでもない、「フラニーニャ」なんだろうと思います。ふたつのものをひとつにして、新しいところを狙っているようです。これから有名になっていくかもしれません。個人的にはフラダンスと気象予報は、別々に見てみたい気がしましたが。

俺も、昔は、「窓拭きもできる写真家」でした。30代半ばまで、アルバイトで高層ビルの窓拭きをやっていました。今はどうでしょうか。高いところは無理かも。歳とともに反応が鈍くなっていると思うので、高いところの作業は危険なんですよね。

この窓拭きの仕事って、俺の性分に合うのか、好きだったし、長く続きました。36階のビルの屋上から眺める「下界」の現実感のなさが特に好きでした。(このことについては明日書くつもりです)

でも、「窓拭きもできる写真家」、だからどうした?って感じですかね。「フラニーニャ」とは違います。残念ながら需要はないかもしれません。


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2006/09/17

コマーシャル「こんな平和見たことがない」

060917
(写真は、青海省のサーカス)

おととい、「谷地どんが祭」について記事を書いて、どんな写真を使おうかなぁと考えたとき、中国ではよく祭りになると、サーカスがやってきていたなと思い出し、ファイルをあさっていると、青海省ウーランという町で行われた「ナーダム祭」の写真を見つけました。それが、おとといと今日の写真です。

「ナーダム祭」はモンゴル族の夏の祭ですが、大草原に会場が作られ、いろんな屋台、見世物小屋、サーカス小屋などが立ち並びます。おとといの写真は、そのサーカス団の呼込み嬢ですが、スピーカーから中国製のディスコ音楽が流され、若いお姉さんが、腰をくねらせて壇上で踊ってみせていました。

そのお姉さんの妖しい踊りに釣られて中に入ったのですが、普通のサーカスでした。(俺は何を期待していたんだぁ?)

出し物はいくつもありましたが、すごいと思ったのは、今日の写真の「馬乗りする虎」でした。「馬乗りするライオン」というのもありました。かなり訓練されているんでしょうね。

そして、これからが今日の本題なのですが、この写真を見て、あるテレビ・コマーシャルを思い出したのです。

ライオンとシマウマが抱き合い、ガゼル、アフリカ象、マサイ族が 涙を浮かべながら眺めているというもの。「こんな平和見たことがない」というキャッチコピーの「パチンコ・スロットの平和」のコマーシャルです。知らないですか?

「でも、待てよ」と、ひねくれ者の俺は思いました。このライオンは、友だちを装って食べる隙を狙っているんだろう。シマウマはライオンの顔色を伺って、逃げる隙を狙っているんだろうとしか思えません。だから、このシーンを見ると、俺は緊張します。いつ、この均衡が破られるのだろうかと。

もし仮に、ライオンが本心からシマウマと抱き合って餌にしなくなったとしたら、そんな動物界は「平和」なんでしょうか?

いや、制作者の意図は、こういうことかもしれないですね。このシーンに「平和」だと感じる日本人自身が平和なんだよと、強烈に皮肉っているのかもしれません。きっと、そうです。


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2006/08/27

謎の円盤UFO

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(これも昨日と同じ中国雲南省のタイ族仏塔と星の軌跡の写真です)

今日も「空」関連の話です。夏だから、話題としてはいいでしょ?

『謎の円盤UFO』というテレビドラマについては、以前の記事『サイン(兆候)』(06/08/20)でも触れましたが、この影響だったのか、当時は「UFO」という雑誌も発行されていたと思います。(月刊誌だったかなぁ)

その雑誌の中に、「UFO発見器」なるものの作り方が紹介されていて、実際作ってみました。名前ほど大げさな機械ではなく、その雑誌によると、近くにUFOが近づくと磁場が乱れる、だから、磁石が揺れる、その磁石が、電線に触れて、それがスイッチになりブザーが鳴る、という簡単なものでした。もちろん、そのブザーが鳴ったことはありませんでした。(映画『サイン』でも、エイリアンが近づくとトランシーバが雑音出してましたね。なんか似てなくない?)

ところが・・・。

高校時代、部活動が終わって暗くなりかけた道を、学校のあった寒河江市から8kmはなれたウチまで、親友といっしょに帰っていましたが、ある晴れた夕方、太陽が山に沈み、空はぐんじょう色に変わって、1等星が瞬き始めるころです。
 「あれ、なんだべ?」(あれ、なんだろう?)
親友が突然いうので、彼が指差す東南の空を見ると、山の稜線の上を光がひとつ、スーッと水平方向に飛んでいました。初めは飛行機か人工衛星かなと思いました。しかし人工衛星にしては、高度が低すぎる。そしたら飛行機だろうか? でも光が点滅していない。

すると、今度は反対の方から同じような光がやってきて、ふたつが擦れ違いざま、光がひとつにくっついたのです。そしてまたふたつに分かれて飛び去りました。
 「なんだべね?」(なんだろう?)
 「UFOだべが?」(UFOだろうか?)
 「んだがもすんね」(そうかもしれない)
俺たちは自転車を止め、東の空を眺めながら、ボーッと立っていました。なにかとんでもないものを見てしまったような気がしました。いつのまにか、山の稜線はぼんやりとわかりますが、空はすっかり暗くなっていました。

俺は宇宙や円盤には興味はあったし、もし宇宙人の円盤がほんとにいるなら見てみたいと思ってもいました。でも、このとき見たものを宇宙人の円盤だというふうに思っているわけではありません。

今でも、これはなんだったのだろう?と思っています。まぁ、不思議なことはあるものなので、無理やり「宇宙人の円盤」だとか「霊」だとかに結論付けることはしなくてもいいことではないでしょうか。もちろん「UFO(未確認飛行物体)」であるには違いありませんが。

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2006/08/20

『サイン(兆候)』

060820
昨日テレビで『サイン』をやっていたので久しぶりに観ました。

監督/脚本/レイ・レディ役 M.ナイト・シャマラン
主演 メル・ギブソン

『シックス・センス』や『ヴィレッジ』の監督でもあるM.ナイト・シャマラン監督の2002年に公開された作品です。好きな映画でした。

ある朝、突然トウモロコシ畑に巨大な「ミステリーサークル」が現われました。それが「サイン(兆候)」でした。その後怪奇現象が起きて、世界中パニックになっていくのですが、正体が知れないものに対しての恐怖はよく分かります。だから前半はとてもドキドキしてよかったのです。

でも、「結局宇宙人か!」とわかってしまったとたん、恐怖は薄らぎ、「宇宙人」の姿が実際に出できたときは、失笑ものでした。(当時映画館で観たときはもっと真剣に見ていたと思いますが)

「恐怖心」がテーマというわけではなくて、「信仰心の回復」にあるようなので、この映画はこれでいいのでしょう。ただ、もし俺が監督だったら、最後まで正体を明かさなかったですね。少なくとも「宇宙人」は登場させません。もちろん、その場合、ストーリー展開も変わってきていたでしょうが。

昔子どものとき、「謎の円盤UFO」というテレビドラマが日本でも放映されていました。あれも、宇宙人が出てくるのですが、姿がわからない。その恐怖心は今でも覚えています。確か、宇宙人も「宇宙服」を着ていて、中の姿が見えなかったように思います。へたにグロテスクな怪物ふう宇宙人が出てくるよりも、よっぽどリアリティーがあって怖かったですね。

ところで、東北地方の撮影旅行から戻った一昨日、昨日と、冷蔵庫とクーラーが冷えなくなっていました。これは何かの「サイン」かな? 電気を使いすぎるな、ということか? いや、古くなったから買い換えろというサインかもしれませんね。

                      ☆☆☆

上の写真の丸い空き地のような土地は、「ミステリーサークル」ではありません。マダガスカルのジャングルに点々と作られた畑です。今年3月、首都アンタナナリヴからムルンダヴァに飛んだとき、飛行機の窓から撮影しました。

マダガスカルでは次々とジャングルがつぶされて耕作地になっているそうです。貧しい事情を考えると、「ジャングルをつぶすな」と単純に非難できるものではありません。

よく「農業は自然破壊だ」と言う人がいますが、俺は反対です。人間も生き物である以上、必要最低限の自然破壊は必ずしてしまうからです。そしてその言い方には、他の生き物を食べながら生きている自分を棚に上げて、まるで自分も「自然」側に立ったような、被害者を装う言い方が好きではないからです。

みなさんは、この緑の絨毯に空いた穴をどのように見るでしょうか。それこそ、何かの「サイン(兆候)」を感じると思うのですが。

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2006/02/08

イラン映画『マリアの息子(Pesar'e Maryam)』

在日イラン大使館では、月の初めにイラン映画上映会を開いています。

俺は今回で2回目です。それにしてもイラン大使館の建物は立派ですね。地下に100人ほど入れるホールがあります。映画が終わったあとは、カステラ、ナツメヤシ、ギャズ(ピスタチオが入った甘い菓子。エスファハーンの名物)と、お茶やジュースがサービスされます。これがまたイラン風でいいんですよね。

ところで、今回の映画ですが、『マリアの息子(Pesar'e Maryam)』というタイトルです。監督は、ハミド・ジェベリ、出演は、モフセン・ファルサフィン、ラーフィク・デルガーブリリヤーン、ハーディ・ナーイーニーザーデなど。日本でも、数年前東京国際映画祭で公開されたことがあるそうです。

[あらすじ]
敬虔なムスリムの少年ラフマンは、村のカトリック教会でマリア(ペルシア語ではマルヤム)像を見て、同じマルヤムという名前の、顔も知らない亡き母を想う。村人から慕われる穏やかな神父は、まもなく数年ぶりにこの教会で行われる儀式の準備を着々と進めていたが、ある日、高所から落ちて体を痛めてしまう。ラフマンは、神父に頼まれて、神父の弟を探すために街に行き、街の教会でクリスチャンの少年と出会う・・・。(もらったチラシ「第8回 イラン映画上映会」より)
その少年の助けがあって、なんとか神父の弟を探し出すことができ、ラフマンは弟とふたりで村の教会へ戻る。弟は兄(怪我をした神父)の様子をみて、これは病院へ行かなければだめだと説得し、連れて行く。神父は教会の鍵をラフマンに預けた。ところがすぐ、神父が亡くなってしまう。

という、淡々とした映画。おそらく登場人物のほとんどは素人さんでしょう。ラフマンもそんな感じがしたけど。何もドラマチックなことは起こらない、静かな映画でした。イラン映画らしいと言えば、イラン映画らしい。(それほどイラン映画を知っているわけでもないですが)

以前、第6回東京フィルメックス映画祭のアボルファズル・ジャリリ監督のトークショーを聞きにいった話はブログでも書きましたが、そのとき、監督は、イランでは子供を使った映画が多いという話をしていました。それは、いろんな制約があるらしくて、政治的でも宗教的でもない子供を主人公にした映画は作りやすいという理由もあるようです。

ya第6回東京フィルメックス映画祭

060206
国民のほとんどがイスラム教徒なので、こういうカトリック教徒とイスラム教徒が共存している村があるということが新鮮でした。アルメニア系の教会でしょう。でも、「平和共存」が、とくに強調されているように感じました。まるで教科書のように。

ただ、この映画はラフマン少年の純粋な心がテーマです。ラフマンは、偏見も先入観もなく、神父と心の交流を続けます。少年が教会でマリア像を見たときのシーンは、『フランダースの犬』でネロがルーベンスの絵「キリストの降架」を見るシーンを彷彿とさせました

(掲載の写真は、2005年6月に撮影したエスファハーン・ジョルファー地区(アルメニア人街)にあるヴァーンク教会です)

去年6月イランに行ったとき、ちょうど大統領選挙があって、保守強硬派のアフマディネジャド氏が勝利しました。イランは、今、核問題で揺れています。

これからどうなっていくのでしょう。イラクのように、アメリカや、あるいは国連が攻撃するなどという事態になってしまうのでしょうか。そのとき日本はどうするのでしょうか。人事ではない問題です。イランの石油を買っている日本人にも大きな影響が出てくることは確実です。

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2006/02/02

『単騎、千里を走る。』 中国雲南省(その2)

『単騎、千里を走る。』を観てきました。映画のストーリーは、公式サイト他でご覧ください。

 公式サイト:http://www.tanki-senri.com/

多少、設定に無理を感じたところもありますが(主人公「高田(高倉健)」が雲南へ行く動機に唐突さを感じたこと、中国の刑務所に外国人が入る許可が簡単に下りたことなど)、「映画だから」と割り切れば、全体的なテーマや情感などは、良かったと思います。雲南らしい「匂い」も感じさせました。素人の人たちの演技と思わせない自然な感じは、さすが、チャン・イーモウ監督です。

そして「高田」と少年ヤンヤンとのふれあい。言葉ができなくてコミュニケーションがうまくいかないことは外国を旅するとよくあることですが、もしかしたら、この場合、言葉が通じないからこそ、「高田」と少年ヤンヤンとは、心が通じ合ったのかな?とも思います。どんなに通信手段が発達しても、直接出会って、目と目を見て、体温体臭を感じることの意味は大きいでしょう。言葉(理屈)ではなく、体(感覚)で分かることの大切さみたいなことを、監督は表現したかったのではないか、とも思うのです。言葉が通じなくても、心は通い合うということは、俺も、外国を旅してたまに実感します。

そう考えると、「高田」が、仮面劇の撮影はしなくても良くなったのに、あえてまた刑務所へいって少年の父親に会う意味もわかります。写真だけなら、あとでプリントでもして渡してもらえばすむのに、「高田」は、直接彼に会いたかったのでしょう。いや、会う必要があったのです。直接会って、ヤンヤンを思う父親の気持ちを感じることで、「高田」自身もそこに自分を投影し、自分の息子との距離を縮めることができると考えたのかもしれません。ただ悲しいことに、そのとき、すでに「高田」の息子は亡くなっていたのですが。

健さん(高倉健)はかっこ良かった。いや、ちょっと良すぎたかな。チャン・イーモウ監督の思い入れなのでしょう。全体的には「遠くから来た日本人を助ける親切な中国人たち」という仕上がりにもなっているので、中国人にも評判はいいでしょう。

上に掲載の写真(スライドショー)は、今から16年ほど前に、貴州省鎮寧郊外の村で俺が撮影した「ディーシー」です。

映画の中で実際に『単騎、千里を走る』を踊っていた人たちは、貴州省西部、安順市の人たちだったようです。(エンドロールにも、そう出ていました) 雲南にも仮面劇がありますが、貴州の方が昔のまま良く保存されていることで有名でした。だから俺もそれを見たくて、春節の時期、安順付近に滞在していたことがあります。

これを「地戲(ディーシー)」といいます。安順市、鎮寧県近郊の村々に伝わる仮面劇で、春節期間中それを見ることができました。

「地戲」は、明朝時代にこの地方に移り住んだ漢族の兵隊たちが娯楽としてやっていたものを、地元の農民が真似てやり始めたのが発端だと言われています。そういうわけで、「地戲」の演目は漢族の物語からとったものが多いのです。『千里走単騎』もそのひとつ。ところで、「地戲」と呼ぶのは、特別のステージを使わないで、地面の上でやるからです。写真を見てもらえれば、わかりますよね。演者と観客が同じ地面にいます。観客は周りを囲んで見物するのです。

俺がいった村では、春節の五日目から十五日目まで毎日行われるそうで、その期間、「地戲」を見物に方々から人が集まってきていました。「地戲」は午後3時ころから始まって約3時間続きました。これと平行して、隣のグラウンドではバスケットボールの村対抗戦が行われていたり、ビデオ館ではスピーカーで放映中のビデオの音を流し若い人たちを呼び込んでいて、たいてい「地戲」を熱心に見物しているのは老人たちでした。

060202_3
ヤンヤンがいた村は、映画では「石頭村」と言ったと思いますが、これは、麗江郊外の「石鼓鎮」と「土林」とその他を組み合わせたものでした。「石鼓鎮」の入口には、実際門付きの吊橋が架かっています。「石鼓鎮」はまた「長江第一湾」といって、金沙江(長江の上流)が、大きく方向を変えるところとしても有名です。

そして、土林の夕暮れは美しかったですね。土林は元謀県にあります。堆積した土が長年の雨によって浸食されて、まるで林のようになっているので、土林と呼んでいます。元謀県では、170万年前といわれる「元謀猿人」の化石も発見されています。

この土林の中を、健さんも、小型トラクターの荷台に乗っていましたね。ヤンヤンを連れて、ヤンヤンの父親のいる刑務所へ向かうシーンです。このトラクターは「トラジー」といって、雲南の田舎に行くとお世話になる乗り物です。バスが走っていない村に行くときなどに使います。どんな辺鄙な村にも、この「トラジー」は1台くらいあるので、これをチャーターすることもできます。10年くらい前ですが、1kmあたり1~2元くらいだったと思います。

060202_02ただ、これに乗るには、あるコツがいります。人や物が落ちないように、荷台の枠に鉄棒が張られていていますが、これを揺れるからといって力を入れて握っていると駄目なんです。緩く握ることが肝心です。それと、膝ですね。ぴんと伸ばすのではなくて、少し曲げて、中腰状態になるのが楽です。道が悪いので、あまり手や膝を緊張させておくと、間接をすぐ痛めてしまいます。(なかなか役に立つトリビアでしょ?) 俺は昔、山のイ族の祭を見に行くために、片道4時間乗ったこともあります。

それと「長卓宴」という、村人全員がテーブルを長くつなげて食事をするシーンがあるのですが、これはやはり、ハニ族の「長街宴」をイメージさせるものでした。ナシ族(ナシ族という民族名も映画では出なかったようですが)に、こういった習俗があると聞いたことはなかったし、俺も今まで見たことはありません。これは、映画のためのものなのかもしれません。

もうひとつ、九十九折の道が出てきたとき、観客から溜息が漏れましたが、あそこは、麗江から瀘沽湖へ向かう、金沙江の谷を降りていく道だと思います。ああいう道だらけなんですね、雲南は。逆に言うとまっすぐな道がない。それでも、十数年前と比べれば、主要な幹線には高速道路もできたし、田舎の道も作り直されて、幅も広い、だいぶ直線の多い道に変わってきています。

ところで、「高田」の息子が、雲南に6ヶ月滞在し仮面劇を撮っていたことといい、その息子が麗江の玉流雪山をボーっと長時間眺めていたことがあったことといい、「高田」と息子の会話があまりないことといい、「まるで俺の話しだな」と、観ていて思いました。しかも、この息子は「健一」という名前でした。

以前観た『山の郵便配達』でも、父親と息子の関係修復のドラマでした。今回の映画もそうです。父親と息子って、難しい関係ですよね。(俺だけかな?)


ya『単騎、千里を走る。』 (以前、ブログで書いた記事)

ya『山の郵便配達』を観た感想(以前、エッセイで書いた記事)

ya麗江の写真

ya麗江ナシ族の写真

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2006/01/25

イタリア映画 「苦い米」 1

060125
最近、人から聞いて知ったのですが「苦い米」というイタリア映画があるそうです。インターネットで調べたら、次のようなことがわかりました。

「苦い米(Riso Amaro)」
1949年度作品。
監督ジュゼッペ・デ・サンテス。
出演シルヴァーナ・マンガーノ。

イタリア北部ポー川流域の水田地帯が舞台で、季節労働者たちの映画らしい。ホームページではみなさん「いい映画だった」と書いているので、たぶんそうだと期待します。

イタリアはヨーロッパでの米どころ。FAOの資料(2004年)によると、コメ生産量は世界で27番目です。ちなみに、第1位は中国ですが、日本は11位、イランは19位です。最近はエジプトあたりから安いコメが入ってくるようになって、水田が減っているようです。棚田は本当にあるんでしょうか?

また、棚田か?と、あきれないでください。ベトナム北部サパの棚田にいたとき、ゲストハウスで知り合ったドイツ人女性が、俺がアジアの棚田を撮っていることを知って、「そういうライステラスなら、イタリアでも見た気がしますよ」と教えてくれたのでした。それからいろいろ調べてみると、たしかに北部イタリアでは稲作をやっていることがわかりました。

イタリア人が棚田でカンツォーネなど歌いながら田植えをしているんだろうか?と、想像だけは膨らんでいます。そんなとき、この「苦い米」という名作の話を聞いたので、ぜひ観てみたいと思っています。

だれか、どのかのレンタルビデオ屋で見かけた人はいないでしょうか? 古い映画なので、大手のレンタルビデオ屋では置いていないとは思うんですが。VHS中古ビデオが売られているのは、インターネットで見つけました。

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ようやくビデオを探して観ることができました。その記事はこちらで。(2006/10/16)
Ya_2イタリア映画 「苦い米」 2


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2006/01/21

『単騎、千里を走る。』 中国雲南省(その1)

060121
『単騎、千里を走る。』 (千里走単騎)が、1月28日(土)から全国東宝邦画系で公開されます。内容については、こちら公式サイトでどうぞ。

 公式サイト:http://www.tanki-senri.com/

チャン・イーモウ(張芸謀)氏が監督し、健さん(高倉健)が出演します。(日本でのシーンでは、降旗康男氏が監督) チャン・イーモウ監督は、健さんのファンでした。いつかいっしょに映画を作りたいと考えていたようです。

この前テレビで、この映画のメイキング映像をやっていました。それを見ると、雲南省麗江の他、麗江郊外の石鼓の村、元謀の土林などでも撮られているらしい。「長卓宴」という、ハニ族の「長街宴」と似た大人数の食卓風景も出てきますが、これはどこで撮られたのでしょうか。出演者(中国人)は素人だそうで、しかも実名で登場するらしい。チャン・イーモウ監督らしい映画になっているのか、まあ、いずれにしても、雲南の匂いを感じさせる、いい映画になっていればいいなと期待しています。

ya映画を観ての感想

ya麗江の写真

ya麗江ナシ族の写真

健さんは、中国人にはよく知られた俳優です。俺が初めて中国へいったのは1984年。その当時、長距離列車に乗ると、外国人はまだ珍しく、周りの中国人の乗客から質問攻めにあうのでした。「中国にいつ来た?」から始まって、「中国料理はおいしいか?」「仕事は何?」「給料はいくらか?」「この靴はいくらか?」「この旅行は、自費で来たか、それとも公費か?」「父親の仕事は何か?」「父親の給料はいくらか?」といった質問のあと、「ガォ・ツァン・ジェン」の「ツィ・ブー」がどうのこうのというのです。

まだ中国語がわからなかったので、「ガォ・ツァン・ジェン」も「ツィ・ブー」も何のことやらわからず、紙に書いてもらうと、「ガォ・ツァン・ジェン」とは「高倉健」のことで、「ツィ・ブー」とは「追捕」のことだと判明。もちろん健さんのことはわかりました。でも、日本では「ガォ・ツァン・ジェン」ではなくて「タカクラケン」ですと教えても、中国人は、漢字を中国語以外で発音する(読む)人たちがいることをなかなか理解してくれませんでした。

同じ理由で困惑したことがあります。「シャン・コウ・バイ・ホェイ」なんて知らないと答えたら、ほんとに日本人か?あんなに有名な歌手なのにと言われて漢字を書いてもらったら「山口百恵」のことでした。「ヤマグチモモエ」と教えても「違う。シャン・コウ・バイ・ホェイだ」と言い張りました。

ところで、この「追捕」とは、いったい何なのか? 漢字を書いてもらっても、まだわかりませんでした。それで、「知らない」と答えると、「お前、日本人のくせに『追捕』も知らないのか?」と軽蔑されるしまつです。

あとでわかったことですが「追捕」とは、映画「君よ憤怒の河を渉れ」の中国でのタイトルだったので、俺が知らないのも仕方のないことだったのですが。この映画によって健さんが中国で人気を博したとのことです。公式サイトによると、チャン・イーモウ監督は27年前にこの映画を観たと答えています。ということは、1979年ころですか。(日本では1976年に公開されたそうです) 健さんは昔から中国人にも憧れの俳優だったんですね。

 

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2006/01/17

心霊写真

「TVのチカラ」という番組を見ていたら、「心霊写真」が出てきました。ある少女が行方不明になっている事件を、外国の何とかいう女性超能力者が「透視」して手がかりを探すというものでした。(この件は、ここ何週か続いています) その中で、番組スタッフ(あるいは、家族)が、「透視」されて、ここではないかと見当つけられた現場の写真を撮影したら、光やら、影やらが映っていて、それを超能力者は、「少女の霊」だといっていました。

別にこの番組だけではなく、心霊写真が登場する番組は今までもたくさんあり、そのたびに不思議に思っていたのは、写真に何か光やら影が映っていたら、まず、専門家の写真家、あるいは写真関係者(カメラメーカー、フィルムメーカー)に見て貰おうと考えないのだろうか?ということです。

写真関係者が見たらすぐわかるでしょう。超能力者の手を煩わせることはありません。今回の写真の一枚は、空中に漂っていたゴミにフラッシュの光が当たって、それがぼけた感じで映っているように見えました。(詳しく鑑定させてくれればもっとはっきりしますが。まあ、絶対やらせてくれないでしょうが)

また、林の中で撮影した写真に写っていた「人」のように見える影については、風が吹けば木の枝なども移動するし、それほどふしぎな写真ではありません。現に、そのくらいの「心霊写真」もどきは、俺は日常茶飯に撮っています。ロールシャッハテストのようなもので、「人」に見たい人には「人」に見えるし、「木の枝」に見たい人には「木の枝」に見える、あいまいさを持った写真です。

買ったばかりのデジカメで撮影したら、影のようなものが映りこみ、それがセンサーに付着したゴミだとわかったのは、つい先日のことです。ゴミ対策に写真家たちは頭を悩ませているというのに、ゴミが写りこんだものを「少女の霊」と言い切るのに、なにか根拠があるんでしょうか。

ひとつこういう理由が考えられます。「手がかりがまったくない」とは言わず、「霊がいる」と言ってあげることで、家族も癒されるのかもしれない、ということです。そういうことなら俺もわかります。

たかだか「心霊写真」に、こんなにむきになることもないのかもしれません。テレビ局にも、超能力者にも、俺は利害関係ないし、たんなる番組として見ていればいいのでしょう。でも、少女がいなくなっているのは事実です。家族にしたら、何にでもすがりたい気持ちでしょう。だからこそ番組にも出演したはずです。そんなとき「少女の霊」だと言っていることに、どうしても違和感を覚えます。俺が写真家だからでしょうか。

もしかしたら、みんな番組の娯楽性を了解済みで、「心霊写真」など、ほんとは信じてないのでしょうか? むきになっているのは俺ばかりでしょうか。それならそれでかまわないのですが。

俺は、すべての「心霊写真」や超能力、超常現象を信じないわけではありません。現段階の科学なんて、宇宙の真理からみれば、ミジンコが餌をあさっている程度にもなっていないでしょう。だからむしろ、俺は、超能力や超常現象も、あると信じています。ただし、「本物」をです。

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2006/01/02

素敵な宇宙船地球号。ハニ族「長街宴」

060108
遅れましたが、今年もよろしくお願いいたします。
2006年はどんな年になるでしょうか。いい年になってほしいものです。

さて、情報です。
今晩のテレビ朝日23:30からの「素敵な宇宙船地球号」で、「絶景雲南省世界最大の棚田に竜が舞う!! 長さ1キロ天空へ連なる大宴卓」をやるそうです。

ハニ族の棚田と祭り「アンマトゥ」で行われる「長街宴(または、長竜宴)」です。村のメインストリートに食卓が並べられ、村人全員で会食しますが、そのテーブルの長さが200m以上にも及びます。元陽県で撮影した俺の写真も出演します。

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2005/11/28

第6回東京フィルメックス イラン映画

昨日、第6回東京フィルメックス映画祭のクロージング作品「フル・オア・エンプティ」を観にいきました。

この映画祭のコンペティション部門の審査委員長が、この作品を作ったイラン人のアボルファズル・ジャリリ監督。「フル・オア・エンプティ」は、ペルシャ湾岸の港町を舞台にした若者の話です。

若者が村から教師になろうと街へ出てきましたが、教師になるにも、いろんな手続きが必要で、なかなか採用されない。そんなとき、ある娘に一目惚れし、いろんな仕事をして結婚資金をためようとするのですが、ことごとく失敗してしまいます。ところが、鏡ひとつ置いての理髪業を始めたところ、その才能があったようで、「カットが上手」という評判が立ち、連日お客がたくさん来るようになり、お金がたまりました。それで仲人を立てて娘の家に行くのですが、なんと娘は離婚歴があり、子供もいました。しかも、再婚相手(すごい年寄り)もすでに決まっていて、失恋してしまう。
051127

監督のトークショーもありましたが、映画に漂うコミカルさは監督の性格によるものでしょうか。写真の右側の男性がアボルファズル・ジャリリ監督。(左側の男性は、アミール・ナデリ監督。今はニューヨークに住む有名な監督らしい) 監督の家は信仰心が篤く、子供のころはテレビがなく、映画を観たのは革命後だったそうです。

ちなみに映画のタイトル「フル・オア・エンプティ」とは。若者がようやく教師採用の通知が来たのですが、結局採用枠はひとりしかなく、もう一人の女性とどちらかが採用されることになり、役所の人の提案で、ひとつの物を、握ったふたつの手のどちらに入っているかを当てるゲームで決めようということになりました。よく手品でもありますよね? 「入っているのは、どっちの手の中?」というやつです。

結局これでも負けて教師にはなれなかったのですが、「あの女性が教師になれるんだから」といってお祝いし、街の人にお菓子を振舞うという若者なのでした。(イランでは、こういうやり方で物事を決めることがあるんですか?という質問が観客からあり、監督は「ジュークです」と笑っていました)

最後も船の上で女の子に声をかけ、その家族らしい男に「勝手に声を掛けるな!」と、海に投げ込まれてしまって(これはイスラムの国イランではありえる話ですね)エンディング。ハッピーエンドではないのですが、全体的に漂うこの若者のコミカルさや、失敗しても失敗してもめげずにやる姿を見ていると、妙に元気をもらえるような映画なのでした。

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2005/10/05

やってみたいこと。「ターミナル」を観て

トムハンクス主演の「ターミナル」を観ました。

何ヶ月も空港ターミナルに住んで、仕事も、恋愛までもしてますね。ありえない話だけど、面白い映画でした。

観てない人のためにあらすじを書くと、クラコージアだっけ? 東欧の架空の国からアメリカへやってきた主人公が、空港ターミナルに着いたとき、祖国クラコージアがクーデターかなんかで国自体がなくなり、彼が持っていたビザが無効になり、アメリカに入国できなくなり、ターミナルにずっといるという話。

どうしてアメリカに来たか?という理由は、俺には説得力がなかったので、それは省略することにします。俺が興味を持ったのは、こういう状況になったとき、ターミナルで暮らしていけるのか?ということでした。

実は、今から10数年前、まだ写真だけでは食ってなくて、いろんなバイトをしているとき、新幹線の清掃のバイトをやったことがありました。夜中です。だからバイトを終えて帰る早朝、駅の売店から出た前日の大量の売れ残り弁当が山積みされていました。捨てられるんだろうか? なんて日本は裕福な国なんだ、もったいないなあと思いながら、それを横目で見て帰宅したのを覚えています。

これを食糧にすれば、駅で生きていけるかもと、ひらめいたのです。たぶん、ホームレスの人たちは、やっていることなんでしょう。ただそれだけでは面白くないので、いろいろ考えました。実際やるのは面倒くさいし、その実行力もないので、あくまでも想像の世界で、ある「男」を作り上げました。当時は安部公房をよく読んでいたので、「箱男」などから連想したのかもしれませんが、「山手線の内側で生きている男」です。

切符を買って一度改札を入った男は、一生改札を出ないんです。でも、改札の内側には、トイレもあるし、水場もあるし、今では、シャワーも、ヘアーカットの店さえあるので、基本的な生活はできます。旅行したかったら、電車に乗ってけっこう遠くまで行けます。改札さえ出なかったら、ただですから。

ただ、問題は、夜になると駅員から表に出されてしまうでしょう。それをどうするか。どこかに隠れるしかないんでしょうね。それをうまくクリアーできれば、ずっと暮らせるはずです。

映画の中では、主人公は頭を使って小銭を稼ぎました。主食は、売店の売れ残り弁当でいいですが、やっぱりたまにはコーヒーも飲みたいし、暖かいそばも食べたい。そして服もたまには着替えなきゃ。そのための小遣い稼ぎをどうやるか。きっと何かあるはずです。もっと、考えてみます。

ところで、暮らせはするけど、いったいそれは何のためなの?と聞かれると、ちょっと困るな。毎日ひたすら駅を行きかう人間を見てすごす男。人々の服装の違いで季節を感じ、顔の表情で景気がいいのか悪いのかを知る。

どうですか、こんな男。哲学的な人間が生まれそうです。そういえば、「箱男」は元カメラマンという設定でした。見ることと、見られることとの関係。箱をかぶることで、男は匿名性を得るのですが、「山手線の内側で生きている男」も似ているかもしれません。

なぜかわからないけど、いまだにやってみたい気がします。匿名で生きることは、気持ちよさがあるからかな。映画を観て、思い出してしまいました。


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2005/01/29

だれか、こんな映画を知っていますか?

昔、子供のころ、たぶん小学生だったと思うんですが、ある映画のことを今でも覚えています。「文部省推薦」とかいうものだったのでしょう、先生に連れられて集団で鑑賞したように記憶しています。
タイトルも忘れたし、詳しいストーリーも忘れてしまいました。でも、今でも主人公の「放浪」する感覚だけははっきり覚えています。どういう事情だったのか、ある日本人の少年が、ロシア(当時はソ連かな)を放浪し、いろんな人に出会い、助けられたり騙されたりしながら、最後はモスクワにたどり着き、バイオリニスト(あるいは音楽家)になったか、ならなかったか、というものだったようです。どうして日本人の少年がロシアでバイオリニストになれるのか、不思議なんですが、子供ながらも、この少年の放浪する姿が妙に心に残りました。まだ「放浪」という言葉も知らなかったころですから、それが即、憧れになったわけではなかったのですが。
ただ、だんだん大人になって旅を続けることが自分にとって気持ちいいことだと知っていくに従って、この映画がもしかしたら、俺の方向性に少しでも影響を与えたのではないかとも思うのです。たぶん、1966年から1970年ころでしょう。俺と同年代の人で、この映画を知っている人がいたら、ぜひ教えてください。「私も観た」と。
実は最近、この映画がほんとうに観た映画なのか、ほんとうに存在したものなのか、わからなくなっているんです。もしかしたら、夢で観たものをほんとにあった映画だと思い込んでいるだけではないか、記憶を自分勝手に造り上げているんじゃないかと、だんだん自信がなくなっています。

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