カテゴリー「映画・テレビ」の245件の記事

2021/04/27

NHK大河ドラマ「青天を衝け」

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今までもNHK大河ドラマを観てきましたが(つまらなくなって途中で観なくなったものも多いですが)、「青天を衝け」ほど、まじめに、積極的に、興味を持って観ることは初めてです。

なぜか、というと、たまたま執筆中だった『オオカミは大神 弐』の時代と合致するところがあったためと、有名な戦国武将とか政治家ではなくて、地方の農村の暮らしぶりが丁寧に描かれていて、その民俗が面白いと思うからです。

前々回あたりは、栄一の姉が狐憑きに罹り、修験者に祈祷してもらう話とか、江戸ではコレラが流行りましたが、それが異人がもたらした病であったことで、ますます攘夷思想に拍車をかけたこととか、『オオカミは大神 弐』にも、このような話を狼信仰とからめて書いています。

前回は、栄一と千代に生まれた初めての子どもが麻疹にかかって亡くなるというものでした。昔はそうだったんだなぁとあらためて思います。多産多死です。それと、しょっちゅう疫病が流行していたということです。この時も麻疹とコレラが同時に流行したそうで、20万人が亡くなったという。

子どもが全員すべて順調に育つという感覚は、昔はなかったのですね。だから、子安信仰というものが盛んだった理由もわかります。

かつて、栄養も医療環境も良くなかった時代は、出産・子育てはたいへんなことで、難産の末に亡くなってしまう赤ちゃんや、栄一の赤ちゃんのように病で亡くなるケースも多かったのです。このため、安産・子授け・子育てを神仏に祈願することが熱心に行われました。これが子安信仰です。全国には子安信仰の犬像がたくさんあります。(写真は、水天宮の「子宝犬」)

そして3年生きたら、とりあえずの第一関門をクリアしたなぁという安堵感が、栄一の母の言葉からも伝わってきました。だから、七五三という儀式も、意味があったわけですね。3歳を迎えることがどれだけ親たちにとって嬉しかったことか。そして、さらに5歳、7歳と生きてくれたらもう安心です。「7歳までは神の子」と言われたそうです。

そういう感覚は、現代の医療が発達した世界では、もうなくなったものです。でも「青天を衝け」は、その感覚をあらためて想像させてくれるのです。そこが積極的に関心を持って観る理由ですね。

 

 

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2021/04/26

【犬狼物語 其の五百五十四】埼玉県横瀬町 武甲山(日本近代化と狼信仰)

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先日のNHK「ブラタモリ」では、埼玉県横瀬町の武甲山が出てきました。

武甲山の石灰岩を運び出すための秩父鉄道に資金援助したのが渋沢栄一だったという。渋沢は、日本の近代化のため、コンクリートの原料となる石灰岩に目を付けたということですね。

武甲山が削られているのは北面の石灰岩ですが、南面は玄武岩だそうで、武甲山は2つの種類の岩からなっている山だということを「ブラタモリ」で知りました。

ちょうど山頂に鎮座するのが武甲山御嶽神社ですが、石灰岩と玄武岩の境目らしい。

そこであたらめて考えてみると、武甲山は、自分の身を削って日本の近代化に貢献したともいえますが、神であったはずの武甲山を削るという話が出たとき、人々はどのような反応をしたのか、興味のあるところです。

日本が近代化した明治時代は、ニホンオオカミが絶滅した時でもあります。ニホンオオカミが神から害獣へと人々の認識が変化していくことと、ご神体であった山がやがて削られることは、近代化の中では同じ流れだったのでしょう。

『オオカミは大神【弐】』のカバーで使っている写真は、武甲山御嶽神社、一の鳥居のところにいるお犬さまですが、このお犬さまも、「通行の邪魔になるから」という理由で、産業道路から、一の鳥居に移されました。

いってみれば、明治以降、狼信仰は近代化に飲み込まれてしまったのです。でも、だからといって、狼信仰がなくなったわけではありませんでした。

お犬さまたちが、「三峯講」や「御嶽講」という舟に乗って、近代化という波に押し流されながらも、静かに、したたかに、都会に浸透し、山を守っていたのと同じように、今度は、山の分身であるコンクリートでできたビル群を守っているようにも見えてきます。中には、お犬さま自身が、近代化の象徴ともいえるコンクリートに姿を変えてもいるのです。

 

 

 

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2021/03/26

渋沢栄一先生「道徳経済合一説」の講義

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深谷市の渋沢栄一記念館、 旧渋沢邸「中の家」、尾高惇忠生家、「青天を衝け」の大河ドラマ館へ行ってきました。

記念館では、アンドロイド先生による「道徳経済合一説」の講義を受けました。8分ほどの短い講義ですが、道徳と経済は反するものではなく、両方とも同時に追求できる、道徳を失わない経済活動は人々を幸せにできるという、今の時代にピッタリの講義であったと思います。

渋沢栄一の最初の奥さんであった千代は、コレラで亡くなっているんですね。先週のドラマでは、安政4、5年が舞台だったようですが、安政5年には江戸でもコレラが大流行して、コレラ除けのために「お犬さま」を求めて多くの人が三峯神社、武蔵御嶽神社へ参拝した年でもあります。このことを今、『オオカミは大神2』の原稿で書いているところなので、興味を持って観ています。今度の放送ではコレラ禍がえがかれるのかどうか。そしてお犬さまのお札が登場するのかどうか。(ただ、千代が亡くなったコレラ禍というのは、安政ではなく、明治になって流行したときのもの)

富岡製糸場に最初女工があつまらなかったのは、フランス人技師がワインを飲んでいるのを見て、「血を取られる」という噂が立っていたからだそうです。赤ワインだったのでしょうか。コレラが外国からの「悪狐」の仕業だったり、外国人が人の血を飲むといった妄想は、外国人を知らないことによる誤解からきていただろうし、外国人に対しては、「怖い」イメージがついていたのでしょう。知らない外国人には意識的無意識的な身構え(もっと極端には差別)が生まれるのは、今もまったく同じです。話してみれば、普通の人間だとわかるんですが、やっぱり「見かけ」は大きいですね。もっとも、生物としての本能で、「見かけ」で判断するからこそ、瞬間的に、身の危険を避けることができるということでもあるので、「差別反対」と念仏のように唱えて安心するだけでは解決しない問題ではあると思います。

記念館の後ろに設置されている渋沢栄一の銅像ですが、前は駅前にあったらしいのですが、評判が悪く、ここに(しかも記念館の裏側)置かれたようです。たしかに、頭がやけに大きく感じ、バランスが悪いですね。

そこから桜並木を歩いて15分のところに、 旧渋沢邸「中の家」があって、ここには若いころの栄一の銅像があります。普段「狼像」などを撮っているせいか、ここでも銅像が気になって、つい撮影してしまいます。

 尾高惇忠生家は、惇忠や栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したところだそうです。この計画は実行されませんでしたが、もし実行されていたら、栄一も惇忠も生きてはいなかっただろうし、日本の姿は、今とはだいぶ違ったものになっていたのかもしれません。

もう一か所は、NHK大河「青天を衝け」のドラマ館へ。もともと建物は体育館だったようです。入り口には、栄一が、深谷市イメージキャラクター「ふっかちゃん」に現ナマを渡しているような看板が。

さっきは、「道徳を失わない経済」と講義していた栄一が、「ふっかちゃん」にお金を見せて、何かを要求しているように見えてしかたありません。

 

 

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2021/03/06

東日本大震災から10年の記念番組

 

東日本大震災から10年の記念番組の中で、当時被災地に咲いていた桜の写真が使われます。

NHK 総合「しあわせ運べるように ~被災地をつないだ心の歌~」 16時50分~18時00分

NHK 総合「 5 0(フィフティー)ボイス〜東日本大震災 10 年の声〜」   18時05分~18時44分

 

 

 

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2020/10/26

テレビ朝日「食彩の大国」で、姨捨の棚田「田毎の月」の映像

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テレビ朝日「食彩の大国」2020年10月31日(土)午前9:30~9:55

今回、第855回< 新米 > では、長野県千曲市姨捨で、「先祖代々棚田を守ってきた名月会のみなさんを中心に、困難を乗り越え、全国からオーナーが集まる人気の棚田になるまでのストーリをが紹介」されるそうです。 

その中で、姨捨の棚田で撮った「田毎の月」の映像(動画)も使われる予定です。

「田毎の月」とは?

「田毎の月」という日本人の心象風景(2013/05/22) 

 

 

 

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2020/10/17

【犬狼物語 其の五百三十一】映画『石岡タロー』

170514_0(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

170514_2(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

茨城県のJR石岡駅西口前の広場で新しい犬像の除幕式が行われたのは、2017年4月15日のことでした。

「みんなのタロー」という犬像です。以前から駅の待合室には忠犬タローを紹介する写真パネルが掲げられていましたが、この物語を語り継ごうと、犬と子どもたちのブロンズ像が建てられたのでした。

あれから3年、今度は映画化の話が進んでいます。

9月29日に石岡市で映画『石岡タロー』の制作発表会がありました。石坂アツシ監督や、出演者の菊池均也さん、グレート義太夫さんも来場し、山口良一さんはビデオメッセージだったそうです。

公式HPはこちらです。

ishiokataro.com

昭和39年、石岡市立東小学校に保護された雑種犬。
「タロー」と名付けられたその犬は、午前と午後の決まった時間に
東小学校から石岡駅までの2キロの道のりを17年間毎日通い続けました。
タローは誰を迎えに石岡駅に通っていたのでしょうか?
本作は茨城県石岡市で実際にあった感動的ストーリーを映画化したものです。 

 

残念ながら静岡県松崎町の石部の棚田撮影をすることになっていたので、制作発表会へはいけませんでした。

エキストラの募集もしています。ヴィーノの容姿からタロー役は無理だけど、俺といっしょに通行人ならどうでしょうか。どうせ出るならヴィーノといっしょだろうし。でも、昭和30年代にビーグル犬はペットとして珍しかったかなとも思います。ヴィーノ連れだと、通行人としては浮いてしまうかもしれません。

 ヴィーノに柴犬の着ぐるみを着せるとか、方法はないことはありません。

 

 

 

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2020/10/12

映画『星の子』を観たくなった理由

Img_7139 (マダガスカル ムルンダヴァの星空)

 

つい先日、映画『星の子』の舞台あいさつのとき「信じるとは?」ということについて持論を展開した芦田愛菜に賞賛の声があがりました。

その持ち上げ方になんだか俺はもやもやを感じて、この違和感はなんだろう?とずっと考えていました。

16歳の子がこんなに持論を持っていてすごいという賞賛なんでしょうか。「16歳」だからなのかな。たぶんそう。この大人の持ち上げ方を見ると。

でも、50歳になっても、60歳になっても、こんなに深く考えている(哲学している)大人はむしろ少ないと言わざるをえません。だからこれは年齢ではないのでしょう。考えない人はいくつになっても考えず、「ぼーっと生きている」だけです。もちろんその中には俺も含みます。

その考えていない大人が、考えている16歳を誉めている図は、こっけいとも言えます。

「誉め殺し」という言葉がありますが、深層心理では、誉めながらその実、相手を否定するこざかしさを持っています。そのこざかしさが「大人」であるともいえるかもしれません。

「どうせ大人になったら、そんな理想論じゃすまないんだよ」など、無意識ではそう思っているからこそ、やたら16歳を誉める。

こういうのは努力とかではなくて、一種の性質(性格)であって、彼女だけが考えているのではなく、考えている青少年はたくさんいます。でも、彼女のように外へ自分の思いを出しずらい。哲学しているなどと思われると、暗いだの、面倒だのと言われてしまう。だからそういう人は隠れています。それがバレると生きづらくなることを知っているからです。むしろ人以上にバカになり、ピエロを演じたりすることもあります。 

その点、 芦田愛菜は超有名人だから(しかも秀才と世間でも認知されているので)、哲学していることを堂々と口に出しても、周りに押しつぶされる心配はないと言えるでしょう。

ところで、この発言で関心を引かれた映画『星の子』の方も、がぜん興味がわいてきました。ぜひ観たいと思います。芦田愛菜の発言が映画の最高のプロモーションになったというのも、してやられたなぁという感じですね。

公式HPはこちらです。

 https://hoshi-no-ko.jp/

 内容にも興味があって、「あやしい宗教」を信じている両親との間で揺れる少女の愛情・葛藤の物語らしいです。

 

 

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2020/08/01

昨日の「チコちゃんに叱られる! 」歳をとると若者の顔の区別がつきにくくなる

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昨日のNHK「チコちゃんに叱られる! 」では、歳をとると、若者の顔の区別がつきにくくなるという話題がありました。「どうして?」ということなんですが、若い世代と付き合うことが少なくなって、若者が外国人のようになっているからというものです。

これは心理学で習った「平均顔」説ですね。

人間はとくに人の顔に敏感だそうです。逆三角形の位置にある3点を見ると、「顔」を連想するらしい。生まれたばかりの乳児も、母親とそうでない人の顔の区別はついているらしい。

考えてみれば不思議です。人の顔は千差万別ありますが、そんなに変わりはないはずで、その微妙な差で、それが誰なのか、どういう感情なのかを、瞬時に判断しているわけです。それは神業といってもいいでしょう。

顔の判断は「平均顔」説というのがあります。たとえば日本人なら日本人の顔の平均を知っているので、そこからどれだけ外れているかの「差」で判断しているという。外国人が日本人の顔がみな同じに見えるというのは、日本人の「平均顔」を知らないからで、反対に、日本人は外国人の「平均顔」を知らないので、みな同じに見えます。

 若い世代との付き合いが減った人は、だから若者の「平均顔」がわからず、同じに見えてしまいます。

外国旅行すると、その国の滞在が長くなるにしたがって、その国の人の顔の区別がつきやすくなるという体験は俺にもあるので、この説は説得力があります。

反対の体験もあります。フランス・パリでアルバイトをしながら長期滞在しているとき、普段は鏡を見ない屋根裏部屋に住んでいたせいもあって、街のショーウィンドウに映った自分の姿がよりアジア人的で、自分だとは気が付かず、中国人だと思ってしまったという、逆の体験もあります。

これは人間の顔だけではなく、いろんなことに言えそうです。たとえば、お犬さま(狼)像にはバリエーションを感じて、細かい区別はつくのに、いわゆる狛犬はどれも同じに見えるのも、この「平均顔」説で説明できるでしょう。

よりたくさんのお犬さまを見ることで、お犬さまの「平均顔」がわかってくると、それぞれの微妙な差異にも気が付けるようになる、ということです。

 

 

 

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2020/07/30

映画『パラサイト 半地下の家族』、「格差」を「臭い」で表現【ネタバレ注意】

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映画『パラサイト 半地下の家族』を観ました。2019年公開の韓国のブラック・コメディスリラー映画です。強烈で面白い映画でした。最後は、じゃっかんもやもやが残りましたが。

公式HPは、
http://www.parasite-mv.jp/

「監督はポン・ジュノ。第72回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールの受賞。第92回アカデミー賞で作品賞を含む6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞。」(wikiより)

「パラサイト」とは「寄生生物・居候・厄介者」といった意味です。 

半地下に暮らす貧しい一家が、ある高台に建つ金持ちの豪邸に、家庭教師(息子と娘)、運転手(父親 ソン・ガンホ)、家政婦(母親)として職を得て入り込み、いつか乗っ取ってしまおうとたくらむのですが、もともといた運転手や、家政婦を追い出す手段に笑ってしまいました。

【ここからはネタバレ注意】 

ある日、金持ち一家は、息子の誕生日祝いでキャンプ場に外泊することになったのです。主のいなくなった豪邸では、半地下家族がまるで自分の家でくつろぐように酒盛りを始めます。

そこで事件が。なんと解雇された前の家政婦が訪ねてきて「忘れたものがある」と言って、豪邸の地下へ行くんですね。するそこには家政婦の夫が住んでいるのです。彼らも半地下(いや、そこは完璧に地下ですが)家族だったんですね。素性がバレたお互いの家族のバトルが始まります。主人にバラせば、即解雇になるのはわかりきっています。家政婦の夫もそこに住み続けるのは不可能でしょう。

と、そこに、主人家族が帰ってくるんです。当然バタバタになります。それでもなんとかバレずに済みます。

そして最後は、息子の誕生日パーティが庭で開かれるのですが、そこに家政婦の夫が包丁を持って現れて・・・

「無計画」であることが信条であった父親は、突発的に主人(社長)を刺してしまいます。そのきっかけというのが「臭い」なんですね。社長が半地下人間の独特の臭いについて好ましく思ってないことを知っていた父親は、このときキレたのです。

このあたりは象徴的かなと思いました。人間の五感で「臭い」「嗅覚」は、本能に近い感覚であること。「格差」を「臭い」で表現した監督の着眼点に感服します。

五感の中で嗅覚だけが、本能や情動を担当する「大脳辺縁系」の扁桃体や海馬に直接情報を送ります。嗅覚以外はいったん、思考を担当する理性的な「大脳新皮質」に情報が送られますが、嗅覚情報は大脳新皮質を介さないのです。だから本能的です。理性が通用しません。

そして臭いが記憶と強く結びついています。臭いで、あることを思い出すことを、プルースト効果というそうです。フランス人作家マルセル・プルーストの作品『失われた時を求めて』の中で、主人公が紅茶にマドレーヌを浸したときの香りで幼少時代の記憶を思い出す描写からきているそうです。( https://studyhacker.net/columns/aroma-brain 参照)

見た目や頭の良し悪しではないということです。格差は臭いであり、また、臭いは容易に取れないもの。文字通りの「臭い」もありますが、「この人、俺と同じ臭いがする」といった場合の「感覚」といったらいいか「感性」といったらいいか、そんな直感的な感覚で使う「臭い」もまた「格差」と結びついていることを映画では意識させます。

半地下家族は、しみじみと言うんですね。お金持ちというのは純粋で、騙されやすいんだなぁと。金持ちの独特の「臭い」もあるわけです。

でも、この臭いも、その中で暮らしていると、いつしかその臭いを感じなくなるというのは、俺の体験からもわかります。臭いは本能的であるのに、いや、本能的であるからこそ、その中に入ると、それがわからなくなる。だから、違う臭いの人間と出会ったときに、その違いが強烈に意識されるということなんでしょう。理性では抑えられない行動に走ってしまいます。

父親の主人(社長)殺し、というのは、ちょっと突飛な印象もあったのですが、でも、この嗅覚による殺人は、起こるべくして起こったということなんでしょう。そして自分は、半地下の臭いから、ずっと逃れられないことを悟ります。 

 

 

 

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2020/07/15

韓国ドラマ『愛の不時着』の第5話のエピソード

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 韓国ドラマ『愛の不時着』が話題ですが、妻に誘われて観始めたらけっこうおもしろい。今、12話くらいなので、もう少しで完結します。

パラグライダー中、竜巻のアクシデントによって北朝鮮に不時着した韓国の財閥令嬢ユン・セリが、北朝鮮の堅物の将校リ・ジョンヒョクと恋に落ちるという話なのですが、今日は、このドラマの第5話に出てくるエピソードについてです。

彼らふたりがピョンヤンに列車で行くことになって乗り込んだのですが、途中、停電で荒野の真ん中で止まってしまうんですね。そして韓国人のユン・セリは、長時間止まると知って、食べ物や飲み物を心配します。ところが、どこからともなく、大勢の村人たちが列車に向かって走ってくるのです。何事?

これを見た瞬間、俺は中国のバス旅で、崖崩れで立ち往生していた時を思い出し、彼らがどうして走ってくるのかを瞬時に理解しました。

つまり彼らは、周辺に住む村人で、彼らにとって、列車がそこで止まることは、一大商機なのです。食べ物や毛布や薪を売りに殺到したのです。中国でもこういう体験が俺にもあったからすぐ分かりました。

80年代のバス旅でよく起こったトラブルは、崖崩れで長時間止まってしまうということでした。とくに、雲南省、四川省では、ほとんどの道が山間部を走っているので、特に雨の多い雨季は、崖崩れの頻度が高くなります。そしてよく、崖下に転落した車を目撃しました。

短ければ1~2時間で通れるようになりますが、重機が遠いところからやってくるしかない、山奥で崖崩れがあると、半日、一日、バスはそこで止まったままになるのです。

そこで、乗客は、いつ開通するかわからないので、まず最初にすることは、村が近かったら、村の雑貨屋に走り、食べ物を確保するのです。俺なんか、事情がわからない人間は、だから、空っぽになった雑貨屋を目の当たりにして呆然と立ち尽くすことになります。

でも、ここが中国の辺境地帯の面白いところですが、もし、食べ物を確保しそこなっても、全然心配は無用なのだということがだんだんわかってきました。

とんでもない山奥で、人っ子ひとりいないと思われるような場所でも、必ずどこからか、物売りの村人が現れます。たいていは食べものです。天秤棒を担いでやってきて、ゆで卵だったり、ご飯と漬物だったりを売り歩きました。

四川省・昌都で、イ族の祭り「火把節(松明祭り)」を見た後、成都へ向かうバスに乗ったときのことです。その時もまだ雨季の真っ最中で、毎日雨が降り続き、一抹の不安を抱きながらのバス旅でしたが、案の定、途中の山の中でバスが止まってしまいました。前方に車がたくさん止まっていて、先に進めません。この先で崖崩れが起こったようでした。

さて、今回は何時間で脱出できるだろうと心配になりましたが、さっそく乗客たちはバスを降り、方々に走っていったので、俺も降りて売店を探しましたが、もうほとんどの売店は、イナゴの大群が去ったあとのように、すっかり食料品がなくなっていました。俺は何も買えずにバスに戻りました。

すると、ものの一時間で道は開通したのです。良かったぁと思いました。なんだ食料を買い占めした人間はバカをみたなと内心、彼らを軽蔑しました。

ところが、買い占めした乗客たちが、危機は去ったと思ったのか、食料品を他の乗客たちにあげ始めたのです。俺もお菓子を袋ごともらいました。そしてバスの中は、なんだか和気あいあいとした雰囲気になってきて、それからの道中、みんな仲間のようないい雰囲気で旅をすることができたのです。

崖崩れなど多かったですが、今から思えば、それこそ中国のバス旅の面白さでした。『愛の不時着』を観て、こんなバス旅も思い出し、すごく懐かしい思いにとらわれています。

 

 

 

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