カテゴリー「映画・テレビ」の228件の記事

2019/06/25

NHK「シリーズ スペース・スペクタクル 第1集 宇宙人の星を見つけ出せ」を観て

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昨日6月24日は「UFOの日」だったそうです。

UFOについては、ちょっと懐疑的なところもあって、必ずしもすべて信じるわけではありません。俺自身、高校時代に友人とUFOを目撃しているのですが。

自然現象もあるでしょうし、心理学を勉強してからは、特に、「錯覚」「記憶違い」「無意識の嘘」というふうにも考えられます。人間は過去や周辺の情報からかってに形を見てしまうこともあるのです。また、無意識の願望なんかでも見えることがあります。

だから、俺が遭遇したと「記憶」しているUFOも、今では、必ずしも宇宙人が操縦している乗り物とは思っていません。

心理学者ユングもUFOについて言っています。

川戸圓氏の「「モノ」の語りとしての妄想と物語」にはこういう記述があります。

「UFO伝説は、現代の「生きている神話」であると、ユングは言うのだが、何故、今、私たちが神話を必要としているのか、何故、今、私たちが神話を語り始めているのか、その理由については、現代というこの時代が、「人間性という面では暗黒」の時代であるからだという。…(略)… だからこそ宇宙の彼方から、この危機を乗り越えさせてくれるかもしれない、特別な力がやってくる、そういう話が生成してくるというのである。」

それと俺たちは、この無限大の宇宙に地球人だけ、という絶対的孤独に耐えられないのではないかと思っています。だから、エイリアンみたいなのでもいいから、とりあえずいてほしいというのは、人類の意識的・無意識的な願望なんだろうと。

一昔前までは、たしかにそうだったのかもしれません。UFOは新しい現代の神として地球に降臨し、人類を救ってくれるかもしれないと。でもどうなんでしょうか、昔はUFOや宇宙人は、空想の産物で、現実には「いない」ことを前提に語られているようにも思います。今は、ちょっと違います。 

宇宙人、地球外生命体は、どこかにいるというのは、まぁ科学者の間でも常識になってきているようなのです。進化の程度や環境でどんな形であるのか、という違いはあるでしょうが。必ずしもUFOを操縦できるほど進化した生命体であるとばかりは限りません。

一昨日のNHK「シリーズ スペース・スペクタクル 第1集 宇宙人の星を見つけ出せ」では、長さ400mの葉巻形UFOの話題が出ていました。このUFOは、どう見ても自然現象ではなく、自然には起こりえない軌道と速度を持っていたようです。科学者がそう証言しているんだから、かなり信憑性はあります。

ここまでくると、いるか、いないかの議論は終わり、いつ、どこで、どういうふうにファーストコンタクトを迎えるのか、関心事はそこにあるようです。

でも、時間の概念を持たない生物だったらどうしよう。

一昨日の番組を見て思いました。その赤色矮星を周る惑星は、赤色矮星に近すぎるので、いつも惑星は引力の影響を受けて、同じ面を向いています。つまり自転がないのです。赤色矮星は空から動かず、ずっと朝か夕かの「トワイライトゾーン」なのです。

人類は、地球の自転・公転があるから時間を意識するように進化したのではないか、とも思うのです。約24時間で1日、約365日で1年ということに気がつきました。そして「暦」というものを発明しました。(ついでに言えば、人それぞれに流れていたこの時間をみんなに共通の「単位」としたことで、文明の発達と、反対に不幸をもたらしたとも思いますが、そのことについては、またの機会に書きます)

もし宇宙人が、地球とは全く環境が違ったところで生まれ育って、時間の概念がないなら、どんな遠いところであっても、また何万年かかってでも平気で地球にやってきているだろうと想像します。

ただ「死」は生命体である以上避けられない区切りであるので、完全に時間の概念がないとは言い切れませんが。生命体が生まれてから死ぬまでの時間が一単位となるような時間感覚。なかなか想像できませんが、とにかく、地球人とは時間の観念は絶対違うでしょう。そこでのコミュニケーションは、かなり難しいのではないでしょうか。

俺がイランの田舎に行ったとき、「西暦」がまったく通じず、すべて「イラン暦」で言われて、話が通じなかったことを思い出します。こと、暦、日付の問題だけではありませんでした。宇宙の話と比べると、ずいぶん小さい話ですが。

 

 

 

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2019/01/28

Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」

01_99img_9694(これはセラピー・ドッグ チロリの像)


Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」を観ました。

難病の女の子とセラピー犬・ベイリーの物語です。

ハワイで訓練を受けたベイリーはオスのゴールデンレトリーバーで11歳、日本初の大病院専属セラピー犬で、これまで3000人以上の病気に苦しむ子供に寄り添い、心を癒してきたそうです。

女の子は、ベイリーがそばにいることで、痛さや苦しさを癒され、退院することができました。ベイリーは、女の子の退院と同時に引退することになりました。

番組では、なぜ、犬と人は互いに愛情を感じ合い、心を癒やし合うのかという理由を最新科学で解き明かしています。

犬は、人間と同じ喜怒哀楽を読み取る脳の部位が活性化するらしい。

以前、「愛犬と見つめ合ったら…… 愛情ホルモンで絆が深まる」(Nifty News)というニュースがありました。

「一般的に動物のアイコンタクトは「威嚇」のサインであるのに対し、ヒトと犬の見つめ合いは「愛情」のサインだ。お互いが相手の目に浮かぶ感情に応えることで、一方的な支配-被支配関係とは違う双方向の絆を生みだす。」

だそうです。俺も、ヴィーノと見つめあって、威嚇の感情は感じていなかったので、この記事を読んで、「やっぱりなぁ」と納得できたのです。

見つめあうと、オキシトシンというホルモンが出ることは知られていますが、それが人間側だけではなく、犬側でも出ているということがわかったのです。

犬も人間で癒されているわけですね。だから寄り添う。別に、人間だけのためではなかったというところが興味深いところです。

犬は、犬自身で、人間のそばにいたいからいるらしいということです。これは重要ではないでしょうか。より自然な関係です。

ロシアの研究所も紹介されました。ここで飼われているのが狐。狐も何代にもわたって飼育し、より穏やかな個体を交配するとまるで犬のような動物になっていくそうです。

どうも、脳の海馬が大きくなり、攻撃性のホルモンが減っていくということらしいのですが、これは狐だけではなく、狼がどのように犬に変わっていったのか、ということも示唆しているようです。
 
 
 
 
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2019/01/26

映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』を観て

Korea01(韓国 南海島の棚田)

Korea02(韓国 聞慶の棚田)


韓国で1980年5月に起こった光州事件を世界に伝えたドイツ人ジャーナリストと、彼を事件のあった光州まで送り届け、取材を助けたタクシードライバーの実話を基にした映画です。

簡単に言うと、普通のおっさんが、義憤にかられて、英雄になるという話、と言ってもいいのかもしれません。英雄はすぐ近くにいるのです。

ソン・ガンホ扮する主人公のマンソプは、タクシードライバーで、最初は単なる仕事として10万ウォンのためにドイツ人を光州まで乗せただけでした。全国で勃発している民主化のデモに対しても、どちらかというと迷惑な学生たちと思っているような、普通の一般市民でした。

ところが、光州に入り、様々な人に出会い、実際、軍隊がデモ隊に発砲してるのを見て、徐々に、国に対する疑いを持ち始めます。

そして、その暴動を鎮圧する軍隊の無差別虐殺をレポートするドイツ人ジャーナリストを助け始めるのです。

最後は名乗りもしませんでした。タクシーは人を乗せるのが仕事だから当然、というのです。カッコ良すぎです。

実際、ドイツ人ジャーナリストは、後日、韓国でこのドライバーを探すのですが、だれも名乗ってこなくて、再会していません。

一説では、このドライバーは、北の工作員だったのではないか、だから、名乗らなかったのではないか、という話もあるようです。真偽のほどはわかりませんが、少なくとも、この映画では、ドライバーは市井の英雄の話になっています。

映画の最後、タクシーが集結してドイツ人ジャーナリストを守るカーチェイス的なシーンは、いらない気がしました。これがなかったら、もっとよかったのにと思います。

ジャーナリストやカメラマンが、現地の案内人と仲良くなるという話は、カンボジアのポルポト政権下を取材したジャーナリストの映画『キリングフィールド』というのも覚えています。確かこの映画では、何年か後に再会していたと思います。

俺も、韓国では、棚田を探すために田舎町でタクシーを使ったことがあります。棚田の写真を見せ、こんなところに連れて行ってほしいと頼んだのです。やっぱり現地の人に聞くのが一番ですね。とくに聞慶へ行った時は情報もなかったので、ドライバーが知っている山村へ行った時は、感動しました。まるで日本と同じような棚田地帯だったのです。

タクシードライバーには、各国でいろいろと助けられています。

それと、メコン河源流を探して青海省のチベット高原を馬で訪ねた時の案内人ガッデさんなど印象に残っている人は多く、彼らの協力なしで目的地に行くことはできなかったでしょう。

難しい旅をともにしたということもあり、特別の友情を感じるというのは、俺もわかります。
 
 
 
 
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2018/10/02

映画『15時17分、パリ行き』 災害や危機に備える大切さ

150202_2(2002年インドネシア・バリ島爆弾テロの追悼集会)


どういう映画かというと、パリ行列車の中でテロリストと戦い、テロを防いだ3人の若者の話です。

危機(テロ)や災害に直面した時、どういう行動をとるか、日々、シミュレーションしておくことの大切さを教えてくれる映画、という面もあります。

「『15時17分、パリ行き』(The 15:17 to Paris)は、2018年のアメリカ合衆国の伝記映画。2015年8月21日に高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件と事件に立ち向かった3人の若者を描く。監督は、クリント・イーストウッド。主演の3人は、実際にタリス銃乱射事件に巻き込まれた3人を本人役として起用している。」(Wiki参照)

出演している3人の若者が、本人というのは驚きます。他にも乗客の何人かは本人出演だったようです。意外とみんな自然な演技でした。(この場合「演ずる」ではないのかな。彼らにとっては「再現する」なので)

とにかく、こういう突発的な出来事にすぐに対処できるのは、日頃の訓練やシミュレーション(イメージトレーニング)なんだろうなと思います。

軍人なので、こういうテロリストの存在は身近だろうし、常に、対処の仕方をシミュレーションしていたと思います。俺だったら、目の前で起こっていることが、どういう事態なのか把握する時間が必要だし、とっさに行動することはできないんじゃないかなと思います。

先日、元モー娘。の吉沢被告が酒気帯び運転、しかもひき逃げで逮捕された件で、その瞬間をとらえたドライブレコーダーの映像が公開されたとき、近くにいた人たちが、車に飛ばされた怪我人を助けようとせずに立ち去ったとしてバッシングされましたが、バッシングした人は、あらかじめ、ここで事故が起こると知っているからどうすればいいかわかることで、現場にいた人は、突然目の前で起こったことを、一瞬で理解して、怪我人を介抱するなんてできっこないんです。まぁできる人もいるかもしれないですが、できないからと言って非難はできないでしょう。

それと、ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー 著『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』にもありますが、緊急事態に対する人間の「傍観者効果」と呼ぶ心理的効果もあります。

多くの人がその現場にいると、助ける人間が少なるというものです。その訳は、2つあります。

【責任の分散】 人数が多いほど、自分よりも援助に適した人がいるはずだ、自分がやらなくてもいい、ほかの人にも責任はあると考えてしまう。

【集合的無知】 みんな同じことを考えていることを知らず、自分の考えはほかの人とは違うのではないか。自分では緊急事態なのかもと思っても、周りの反応を見ると、他の人たちは何もしようとしていないのをみて、緊急事態ではないんだと思い込んでしまう。みんながそう考えてしまうので、誰も助けなくなってしまう。 

これを知ってなるほどと思いました。以前、俺も2回の「緊急事態」に遭遇しました。火事と、発作を起こした男です。そのとき、この「傍観者効果」を体験しました。緊急事態で、即、行動できるというのはなかなか難しいということを身をもって知りました。

だから、この映画のように、銃を持った男に列車の中で突然遭遇したとしても、彼らのように即、これはテロリストだと判断し、男に向かっていくというのは難しいでしょう。日々のシミュレーションが必要なのではないでしょうか。これは災害の時にも役立つことだと思います。
 
 
 
 
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2018/09/05

韓国映画『トンネル 闇に鎖された男』を観て

_mg_9165(天城隧道)


韓国映画『トンネル 闇に鎖された男』を観ました。

ある極限状態の場所に閉じ込められて、そこから脱出するサバイバルの映画は多いと思いますが、ジャンルとすればそれに含まれます。(脱出できなかった、という映画はないと思うので、これはネタバレとは言わないでしょう)

映画以外にも、実際に先日は、北タイでサッカーチームの少年たちが洞窟に閉じ込められて、脱出したというニュースもあったし、以前チリの鉱山に閉じ込められた鉱員たちの脱出劇もありました。

だからこいういう状況は、絵空事ではなくて、けっこうあるということなんでしょう。

映画『トンネル』では、工事の手抜きが原因だったようですが、日本でもトンネル崩落事故があるし、これから耐用年数を超えて、次々に起こる恐れもあります。

『トンネル』では、スマホで外部と繋がることができて、他の車に乗っていた犬が傍にいたということが、主人公が生き抜くことができた要因でもあったでしょう。バッテリー(スマホや車)がそんなに持つのか?という心配をしながら見てしまいましたが。

でも、世間は冷たいものです。救出作業が長引き、「彼はもう生きていないだろう」という空気が漂い、第二トンネルの工事再開を望む声が大きくなって、救出作戦をあきらめようとするわけです。つまり、世間は、彼を見捨てるのでした。

ところで、「トンネル恐怖症」というのがあります。俺もそうです。とくに大きいトンネルではなくて、伊豆半島の旧天城隧道などの暗くて狭いトンネルは怖いものです。

もともと狭いところが怖いので、その流れからの怖さもあります。でも、トンネルの場合、ただ怖いというだけではないようにも感じます。矛盾するようですが、トンネルを抜けた時のスッキリ感・安堵感というものもあり、それが同時に持っているのがトンネルというものらしい。

狭いところを抜けるというと、「桃源郷」を思ってしまいます。「桃源郷」というのは、狭いところを通る・死ぬような思いをする、ということで到達できるものらしいのです。だからトンネルは、死と再生の儀式を行う装置にもなります。一度死んで、新しくなった自分の目の前に現れる新世界、それが「桃源郷」と言ってもいいかもしれません。

『トンネル』の主人公も、トンネル事故から生還して、新しい視点(考え)を持った人間に生まれ変わっていたようです。そのことがわかるのは、マスコミに発した第一声です。

主人公は「くそったれ!」と言うんですね。
 
 
 
 
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2018/08/06

映画『クーデター』を観て

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『クーデター』の原題は 『No Escape』。2015年のアメリカ映画で、監督・脚本は、ジョン・エリック・ドゥードルです。

怖いといったらいいか、ハラハラするといったらいいか、たんなるエンターテインメントとして映画を楽しむことが難しいと思えるほどです。それだけリアリティがあり、映画的には、いい作品なのでしょう。

俺にとっても、これはある意味、こういう事態が起こった時のシミュレーションとして(サバイバルの教材として)見てしまうようなところがありました。

映画のストーリーは、それほど複雑ではありません。東南アジアのある国で、赴任してきた家族が、突然起こったクーデーターに巻き込まれ、家族を守りながら、必死に逃げるというストーリーです。

このクーデーターが起こった翌朝のシーンがまたリアリティがあったのです。ホテルに新聞が届かないので、主人公は売店に買いに行くのですが、町が妙に静かなのです。

そして「静」から「騒」への転換。突然暴動が起こることで、主人公は何かが起こったことを悟るのです。たぶん、実際もこんな感じなのでしょう。何が起こったか把握できるのは、少し時間が経ってからです。その瞬間は、動物的な勘を頼りに、「そこにある危機」を、とにかく逃れるということが一番です。

主人公の家族を助ける謎の男(CIA?)がいるのですが、主人公は、家族を守るために、クーデーターを起こした側の民兵を殺したことを彼に告白します。彼は言います。

「ここには善悪はない。あるのは、家族を守るかどうかだけ」

舞台は「ある国」なのですが、撮影が行われたのはタイだそうで、「タイ」とわからないようにという条件でロケが許されたそうなのですが、タイに行ったことがある人なら市場の様子からすぐわかるし(だからタイで上映禁止になったのかも)、家族が国境の川を渡って逃げる先が「ベトナム」で、クメール文字のような文字も出ていたので、舞台はカンボジアかなと想像させてしまいます。

ちょうどカンボジアで総選挙が行われましたが、日本政府も民主的な選挙を求めていたくらいで、最近は独裁的な匂いがしてきたところです。だからなおさら、クーデターはありえるなと。

どこの国もクーデターがありそうなので、フィクションに徹するなら、「ベトナム」という実在の国名や、クメール文字なども、架空のものにしたほうが良かったのではないかとも思いますが。
 
 
 
 
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2018/07/25

映画『沈黙 -サイレンス-』2016年を観て

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『沈黙 -サイレンス-』(原題:Silence)は、遠藤周作の小説『沈黙』を映画化したアメリカ・2016年の作品です。

公式HPはこちら。

http://chinmoku.jp/

映画の冒頭のシーンは、雲仙の「地獄」から始まります。

ポルトガルから派遣されてきた神父たちは、雲仙地獄の熱湯をかけられ拷問を受けます。棄教を迫られるのです。でも、棄教しなかった神父たちは熱湯の拷問の末、死んでいきます。

それを見ているひとりの神父がいます。クリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)です。この神父は映画の後半で再登場します。

遠藤周作自身をモデルにしたといわれる登場人物、窪塚洋介扮するキチジローは、家族を裏切り、神父を裏切り、踏み絵も躊躇なく何度でも踏むのですが、でも、彼は生涯クリスチャンであったようです。

信仰とは何か?どういうことなのか?を一番わかっているのは、このキチジローではなかったのかと思うくらいです。いや、実際そうなんでしょう。

形はどうであれ、信仰とは心の問題で、誰からも犯されないということを、彼は意識なく実践している、そんな人物に見えました。

行方不明になったフェレイラ神父を探しに来たふたりの若い神父たち。セバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)と、フランシス・ガルペ神父 (アダム・ドライヴァー)。

【ここからネタバレ注意】

ロドリゴ神父は、隠れキリシタンたちにかくまわれ、村々で活動をしますが、とうとう捕まってしまいます。これもキチジローが裏切ったためでした。

役人たちは、ロドリゴ神父に棄教を迫ります。

そこに、フェレイラ神父が再登場します。実は彼はすでに「転んで(棄教して)」、日本人の妻も持ち、日本名を名乗る人物になっていました。

彼を探しにやってきたロドリゴ神父に対面します。ロドリゴ神父から見れば、裏切り者です。

フェレイラ神父は、ロドリゴ神父にも「転ぶ」ように説得します。ロドリゴ神父は、信者たちの拷問を見させられ、苦悩します。「なぜ神は我々にこんなにも苦しい試練を与えながら、沈黙したままなのか?」と。

ロドリゴ神父は耐えられなくなり、とうとう「転ぶ」のですが、その時、踏み絵のイエスは彼に語りかけるのでした。

「苦しいのは私が一番よく知っている、踏むがいい」と。

この映画は、神父側から言えば、日本のキリスト教弾圧は「悪」なのかもしれませんが、フェレイラ神父の言葉を借りるなら、この日本にキリスト教は根付かないという確信でした。隠れキリシタンの信仰もキリスト教の原理ではなく、来世への幸福を願っているだけというキリスト教の日本化というものに気が付き、布教をあきらめたのでした。

でも、フェレイラ神父は悟るのです。たとえキリスト教はダメでも、この国(日本)には、素晴らしい知恵があると。

弾圧する側の役人である、井上筑後守(イッセー尾形)と、通辞(浅野忠信)も、キリスト教だけが正しいという西洋の傲慢な考えを批判します。その点は、俺もその通りだと思います。

その癖は、今でも治っていないようで、最近のことで言えば、イスラム教徒たちが不満を持っている点でもあります。

多様なものを認める、その心の余裕こそが「愛」で、それこそキリストが説く一番大切なものなのではないのでしょうか。

人の心を一つの価値観で強制してはいけないのです。また、そんなのは無理なのです。そういう意味で、キリスト教の弾圧をしていた当時の幕府も同罪と言わざるを得ないでしょう。

キチジローのように生きるのが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、俺は拷問されたら痛いのが耐えられないと思うので、すぐ「転ぶ」だろうし、信仰のために命を捧げる純粋さもありません。キチジローに共感します。
 
 
 
 
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2018/06/26

映画『LION ライオン 25年目のただいま』を観て

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Google Earthが活躍する映画かなと思って観ましたが、そのことは大きなポイントにはなっていませんでした。

むしろ、20数年間引き裂かれた家族との再会が感動的な映画です。実話だそうですが、まぁ、Google Earthで過去を再発見することは、大きい小さいはあるにしても、みんなあるのかもしれません。

1986年、インドの話です。ちょうど俺が中国→ネパール→インドに入って旅した年です。

スラム街で暮らす5歳の少年サルーが、兄と仕事を探しにでかけた街で、停車中の電車で眠り込んでしまいます。その電車は回送電車で、サルーはひとり閉じ込められたまま、千数百キロ離れた土地に運ばれてしまいます。そこは大都市カルカッタ(コルカタ)でした。

サルーはストリートチルドレンになり、人買にさらわれそうになったりします。そして孤児の収容所で紹介されたオーストラリアの里親の夫婦に引き取られます。

そこで幸せに暮らすのですが、ふと、インド系の人たちのパーティ会場で目にしたインドの揚げ菓子で、突然、兄のこと、母のこと、故郷のことを思い出すのです。

サルーは、幼いころの記憶とGoogle Earthで、本当の母や兄が暮らす故郷を探しはじめるのでした。そして何日かして「鉄塔が立っていた駅」を探し当てます。

サルーは、20年ぶりに故郷の村に帰ります。そこで母と再会します。(兄は死んでいました) そして、ここでなぜ映画のタイトルが『LION ライオン』なのか明かされます。ここは子供のころの記憶違いと関係しているのですが、ここにリアリティを感じました。

なるほどなぁと思いました。たしかに子供のころの記憶は、後で作られた記憶もあるし、子供の知識や常識で覚える記憶なので、大人の記憶とはまた違ったものになるわけですね。

記憶の問題として、心理学的な興味を持って観るのもまた面白いかなと思う映画でした。
 
 
 
 
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2018/04/08

高畑勲監督がなくなりました。ご冥福をお祈りします。

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「火垂るの墓」や「アルプスの少女ハイジ」などの名作を手掛けたアニメーション映画監督の高畑勲さんが亡くなりました。

2013年の『かぐや姫の物語』 は監督の好きな作品でした。

不老不死の月の世界が、けっして「生きる」ことを実感させない世界として匂わせている、と感じました。

だから月(理想郷)に生きる人(神?仏? 完全なる者)たちとの対比として、かぐや姫は、地上(現実世界)に生きる生々しい人間(不完全なる者)として描かれていました。

月に生まれたかぐや姫が、月からすればどうしようもない地上に「生きる」ことを見つけ、ここに残りたくなった、でも残れないという葛藤は切なくなりますね。

とくに、その内面が現れていたのは、屋敷から抜け出すシーンです。まるで殴り描きのような絵が画面を疾走する感じが、とてもよかった。「なんだこれはー!」という斬新な表現。「生きる」を感じさせます。

高畑勲監督は、肺がんだったそうです。享年82歳でした。

ご冥福をお祈りします。
 
 
 
 
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2018/03/14

音楽ドキュメンタリー映画『チョーミン楽団が行く!』の上映会

(YouTubeより)


ミャンマーに住む友人のフォトグラファー後藤修身さんが関係している音楽ドキュメンタリー映画『チョーミン楽団が行く!』と写真展の情報です。

後藤さんたちの写真展は3月21日から4月22日まで開かれています。


上映会『チョーミン楽団が行く!』
日時:2018年3月21日(水祝) 15:00~17:00 
   ※30分前開場 上映後トークあり
場所:横浜市栄区小菅ケ谷1-2-1
   神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)5階 映像ホール
   JR根岸線 本郷台駅すぐ近く
参加費:大人400円、小中学生100円
定員:当日先着120名の定員に達した場合、入場はできませんので、あらかじめご了承ください

※写真展は3月21日から4月22日まで行ってます。

詳しくは、こちらをご覧ください。

http://enjoy-yangon.com/ja/enyanblog/302-kyaw-min-hsaing-movie-and-photo
 
 
 
 
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