カテゴリー「映画・テレビ」の232件の記事

2019/10/26

NHK「ごごナマ」の「にっぽんコレに夢中」のコーナーにヴィーノといっしょに生出演

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2019年10月24日 NHK「ごごナマ」の「にっぽんコレに夢中」のコーナーにヴィーノといっしょに生出演し、全国の犬像を6体ほど紹介しました。

● 消防犬ぶん公

● おかげ犬・こんぴら狗

● めっけ犬伝説の大山犬祭り

● 羽犬の像各種

● 犬・猪・狸を同時に育てた母犬モスカ

 

ヴィーノといっしょに生出演するのは、排泄物、セットを壊す、吠えて騒ぐなどのリスクもありましたが、結果的には良かったと思います。打ち合わせでヴィーノ出演の話が出た時、少し考えました。一番怖かったのは、俳優・タレントさんを咬んでしまうことです。

今まで俺たち夫婦以外を咬んだことはないですが、環境が変わってどうなるかはわかりません。ヴィーノもテレビの生出演は初めてです。そこは犬に咬まれたことから犬を飼うようになった俺には特に気になるところです。

犬も自然物です。いつも人間の思う通りにはならないのが自然物。「想定外」が起こるのも自然物。ちょっとしたことで(人間がわからない変化で)ガブッといってしまいます。

結果、放送上という意味だけではなく、スタッフや俳優・タレントさんたちがみんなヴィーノを可愛がってくれたおかげで(このスタジオに犬が来たのは初めてだということです)、スタジオの雰囲気が和み、俺自身の緊張感がなくなったことです。リハーサルでは言葉が出なくなったりと緊張したところもありましたが、本番ではまったくありませんでした。あらためて、ヴィーノに限らず犬(動物)の力はすごいなぁと感心しました。それとスタッフさんたちの俺とヴィーノに対する気づかいにも感謝したいと思います。

俳優・タレントさんにはヴィーノに近づかないようにお願いしていましたが、みなさん動物好きで、平気でヴィーノを撫でていました。特に美保純さんは動物好きらしく、頬ずりまでしてくれたのでびっくりです。俺がしてほしかったくらいで、ヴィーノに嫉妬しました。

そして本番中おとなしかったのは、本番直前に40分ほど、代々木公園を散歩したことかもしれません。ここでオシッコとウンチを済ませ、歩いたので疲れてしまったということがあったようです。それが「おとなしい犬」のように見えました。上に掲載の写真は、散歩から帰り、本番前の控室でのヴィーノですが、すっかり寝ています。

 

 

 

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2019/10/20

NHK「ごごナマ」【にっぽんコレに夢中】は犬像

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(これは東大農学部 忠犬ハチ公と上野博士の像)

 

2019年10月24日(木)、NHKの番組「ごごナマ」に生出演します。

【にっぽんコレに夢中】ハチ公だけじゃない!全国各地・犬像の知られざる物語。

https://www4.nhk.or.jp/gogonama/x/2019-10-24/21/20284/2710474/

登場時間は、14:18ころから約12分間です。

今のところヴィーノといっしょに出るつもりですが、ヴィーノの当日の調子によっては俺だけになるかもしれません。ヴィーノを期待されている方、その時は申し訳ありません。

どうして犬像にはまったのかとか、犬像とヴィーノの関係などを話した後、全国の犬像を6体ほど紹介します。どの犬像になるかは、お楽しみに。

なお、上に掲載の写真はオープニングで使われるかもしれません。

 

 

 

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2019/10/02

映画『TOKYO24』完成披露舞台挨拶イベント

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こちらが、映画『TOKYO24』公式サイトです。
https://tbc-movie.com

2019年10月26日ユーロスペース渋谷他 ロードショー!
「TOKYO24」第16回モナコ国際映画祭日本映画最多5冠受賞!
監督: 寺西一浩、軽部進一、岡田主
出演: 寺西優真、キム・グァンス、葉加瀬マイ、長谷直美など
 

「人間とAIが当たり前に共存する時代が必ず来る近未来をリアルに描く。そこでAIが人間と生活や仕事を共にすることによって、次第に人間に影響されていく過程で「ココロ」が作られていく様子をAIの刑事を通して映し出す。」

「2030年-東京はオリンピック開催後、沢山の問題を抱えていた。国政は選挙制度改革の問題、政治家達の汚職や犯罪が多発、それにより地方分権推進が叫ばれる。そこに情報化社会でたくさんの物、情報がリアルタイムで輸入され、 国民の考え方、ライフスタイル、価値観の変化と共に、激動の時代に突入していた。その東京で、人気抜群の女性都知事・東條真知子が手腕を振るっていた。」(公式サイトから抜粋)

 

2019年9月23日、池袋HUMAXシネマズにて、 映画「TOKYO24」完成披露舞台挨拶イベントが開催され、寺西優真さん、キム・グァンスさん、 葉加瀬マイさん、長谷直美さんなど、共演者が多数登壇しました。俺はオフィシャルカメラマンとして記録写真を撮らせていただきました。(なので、写真の掲載は、寺西一浩監督から許可をいただいています)

日本映画で、AI刑事を演じたのは、今回の主役、AI刑事・青島役の寺西優真さんになるとのことです。初めてのことなんですねぇ。優真さんは、端正な顔立ちがAI刑事役にぴったりだと思いましたが、舞台あいさつの中で、海外のAI刑事の映画をたくさん観て、動きや表情を研究したそうです。本人はいたって明るい青年でしたが、役の上では「笑えない」と、笑っていました。優真さんは、2018年「ムスカリ」で日本武道館でデビューした歌手でもあります。

近未来映画は好きな分野のひとつですが、今回の映画の時代背景となっているのが、女性都知事が活躍する未来です。なんとなく、というか、かなり小池東京都知事を彷彿とさせる人物像でしたが、やはり、この役を演じたベテラン女優、長谷直美さんは舞台あいさつの中で、小池さんを意識していたと言っていました。映画の土台をしっかりと支えている存在感がありました。

そして脇を固めるのがキム・グァンスさんと、葉加瀬マイさん。刑事・金城蓮役のグァンスさんは、 人気韓流グループSUPERNOVA(旧・超新星) メンバーということで、ファンも多数来場していたようです。また女性刑事役の葉加瀬マイさんは、「ルパン三世」の峰富士子を連想させます。

ストーリーは、どんでん返しもあり、ここでは詳しく話せませんが、AI刑事青島と、金城蓮とのやり取りは、たぶん、人間とAIなら、こんな感じなんだろうなというリアリティを持っていました。クスッと笑えるシーンがあります。青島の無表情があってこその笑いですね。ここが人間とAIとの違いか、というところです。

AIが進化して、人間の存在が脅かされるという人もいます。ほんとにそうでしょうか。

もしかしたらAIによって、人間は犬を飼い始めたときのような大変革の時期に差し掛かっているのかもしれません。

AIによって、人間の能力を補完してくれるならば、人間は、そこはAIにお任せして、別なとこに能力を使えるようになる、とも言えるわけです。人間とAIは、犬と暮らすことで脳が専門化したように、お互いの能力を住み分けるのです。

例えば「計算」はAIには絶対かないません。「計算」でAIに勝とうとしても無理です。ここはAIに任せたほうがいいでしょう。AI刑事・青島に、人間である金城蓮は勝てない部分があるのです。

いや、勝ち負けではないですね。あくまでも「補完」なのです。お互いが必要不可欠な「仲間」と言ってもいいでしょうか。

映画では、金城蓮が青島を諭すシーンがあります。青島はディープラーニングによって「人間の心」を学んでいくのでしょう。つまり、AIは、人間からも影響を受けるのです。
映画の中でクスッと笑ったと書きましたが、やっぱり、ここがAIと人間を分ける部分であり、もしかしたら、笑いが起こらなくなったとき、AIがもっと人間と近くなっているのか、はたまた、人間がAIの「心」に近づいていることになるのか、どっちでしょうか。

この笑いのシーンは、きわめて時代を意識した現代的なシーンだと思います。過渡期だからこその笑いなのです。 

 

 

 

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2019/08/25

イラン映画『彼女が消えた浜辺』

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イラン映画というと、今まで『運動靴と赤い金魚』(1997年)、『マリアの息子』(1999年)、『ボーダレス ぼくの船の国境線』(2014年)など、子どもが主人公の映画を多く観てきました。

政治的メッセージが難しいイラン映画では、そうならざるを得ないところもあり、子供が主人公の映画が多い、ということがあったようです。

でも、今回観た 『彼女が消えた浜辺』(2009年)は大人たちが主人公のサスペンス映画です。2009年、ベルリン国際映画祭で監督賞に輝きました。心理サスペンスがすばらしい。

「週末旅行を楽しもうと、テヘランからカスピ海沿岸の避暑地にやってきた男女のグループ。そのひとりであるエリという若い女性が浜辺から幻のように姿を消したのは、ヴァカンスの2日目のことだった。海で溺れたのか、何らかの事件に巻き込まれたのか、それとも、別れも告げずにテヘランに帰ってしまったのか・・・パニックの中で様々な可能性を論じながら彼らはある事実に気付かされる。新たな友人として受け入れたはずの彼女について、エリという愛称以外、その正式な名前でさえ、何一つ知らなかったということに・・・3日目、エリの秘密を握るある人物の登場でドラマは大きく動き出す。エリとはいったい、誰だったのか?」
(amazonの『彼女が消えた浜辺』DVDページより)

大人たちがお互い疑心暗鬼になり、右往左往しますが、その一番の原因が、男女関係にあったわけですが、さすがにここは男女関係に厳しいイランだなぁ思わすところです。それ以外は、別に「イラン」とか「イスラム」とかの色眼鏡をかけて観なくても、普通に楽しめる映画になっています。

大仕掛けではなくとも(たぶん、低予算)、じゅうぶん、いい映画が作れるということが評価されての「監督賞」受賞でもあったのでしょう。

ところで、映画の舞台になっているカスピ海沿岸は、映画の画面からも知れるように、「イラン」に対する日本人一般のイメージ、「砂漠」「乾燥地帯」とはちょっと違う風土です。曇り空が広がっています。

言ってみれば、アルボルズ山脈を越えた塩湖のカスピ海沿いの土地は、日本海側の新潟県みたいなところです。冬には雪も降り、夏は高温多湿で、大稲作地帯です。山間部には美しい棚田もあります。

そしてカスピ海沿いにはリゾート地も点在しています。「ラムサール条約」のラムサールは、ここイランのカスピ海沿いの街です。。

 

 

 

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2019/06/25

NHK「シリーズ スペース・スペクタクル 第1集 宇宙人の星を見つけ出せ」を観て

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昨日6月24日は「UFOの日」だったそうです。

UFOについては、ちょっと懐疑的なところもあって、必ずしもすべて信じるわけではありません。俺自身、高校時代に友人とUFOを目撃しているのですが。

自然現象もあるでしょうし、心理学を勉強してからは、特に、「錯覚」「記憶違い」「無意識の嘘」というふうにも考えられます。人間は過去や周辺の情報からかってに形を見てしまうこともあるのです。また、無意識の願望なんかでも見えることがあります。

だから、俺が遭遇したと「記憶」しているUFOも、今では、必ずしも宇宙人が操縦している乗り物とは思っていません。

心理学者ユングもUFOについて言っています。

川戸圓氏の「「モノ」の語りとしての妄想と物語」にはこういう記述があります。

「UFO伝説は、現代の「生きている神話」であると、ユングは言うのだが、何故、今、私たちが神話を必要としているのか、何故、今、私たちが神話を語り始めているのか、その理由については、現代というこの時代が、「人間性という面では暗黒」の時代であるからだという。…(略)… だからこそ宇宙の彼方から、この危機を乗り越えさせてくれるかもしれない、特別な力がやってくる、そういう話が生成してくるというのである。」

それと俺たちは、この無限大の宇宙に地球人だけ、という絶対的孤独に耐えられないのではないかと思っています。だから、エイリアンみたいなのでもいいから、とりあえずいてほしいというのは、人類の意識的・無意識的な願望なんだろうと。

一昔前までは、たしかにそうだったのかもしれません。UFOは新しい現代の神として地球に降臨し、人類を救ってくれるかもしれないと。でもどうなんでしょうか、昔はUFOや宇宙人は、空想の産物で、現実には「いない」ことを前提に語られているようにも思います。今は、ちょっと違います。 

宇宙人、地球外生命体は、どこかにいるというのは、まぁ科学者の間でも常識になってきているようなのです。進化の程度や環境でどんな形であるのか、という違いはあるでしょうが。必ずしもUFOを操縦できるほど進化した生命体であるとばかりは限りません。

一昨日のNHK「シリーズ スペース・スペクタクル 第1集 宇宙人の星を見つけ出せ」では、長さ400mの葉巻形UFOの話題が出ていました。このUFOは、どう見ても自然現象ではなく、自然には起こりえない軌道と速度を持っていたようです。科学者がそう証言しているんだから、かなり信憑性はあります。

ここまでくると、いるか、いないかの議論は終わり、いつ、どこで、どういうふうにファーストコンタクトを迎えるのか、関心事はそこにあるようです。

でも、時間の概念を持たない生物だったらどうしよう。

一昨日の番組を見て思いました。その赤色矮星を周る惑星は、赤色矮星に近すぎるので、いつも惑星は引力の影響を受けて、同じ面を向いています。つまり自転がないのです。赤色矮星は空から動かず、ずっと朝か夕かの「トワイライトゾーン」なのです。

人類は、地球の自転・公転があるから時間を意識するように進化したのではないか、とも思うのです。約24時間で1日、約365日で1年ということに気がつきました。そして「暦」というものを発明しました。(ついでに言えば、人それぞれに流れていたこの時間をみんなに共通の「単位」としたことで、文明の発達と、反対に不幸をもたらしたとも思いますが、そのことについては、またの機会に書きます)

もし宇宙人が、地球とは全く環境が違ったところで生まれ育って、時間の概念がないなら、どんな遠いところであっても、また何万年かかってでも平気で地球にやってきているだろうと想像します。

ただ「死」は生命体である以上避けられない区切りであるので、完全に時間の概念がないとは言い切れませんが。生命体が生まれてから死ぬまでの時間が一単位となるような時間感覚。なかなか想像できませんが、とにかく、地球人とは時間の観念は絶対違うでしょう。そこでのコミュニケーションは、かなり難しいのではないでしょうか。

俺がイランの田舎に行ったとき、「西暦」がまったく通じず、すべて「イラン暦」で言われて、話が通じなかったことを思い出します。こと、暦、日付の問題だけではありませんでした。宇宙の話と比べると、ずいぶん小さい話ですが。

 

 

 

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2019/01/28

Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」

01_99img_9694(これはセラピー・ドッグ チロリの像)


Nスペ「病気に苦しむ子どもを支える セラピー犬・ベイリー」を観ました。

難病の女の子とセラピー犬・ベイリーの物語です。

ハワイで訓練を受けたベイリーはオスのゴールデンレトリーバーで11歳、日本初の大病院専属セラピー犬で、これまで3000人以上の病気に苦しむ子供に寄り添い、心を癒してきたそうです。

女の子は、ベイリーがそばにいることで、痛さや苦しさを癒され、退院することができました。ベイリーは、女の子の退院と同時に引退することになりました。

番組では、なぜ、犬と人は互いに愛情を感じ合い、心を癒やし合うのかという理由を最新科学で解き明かしています。

犬は、人間と同じ喜怒哀楽を読み取る脳の部位が活性化するらしい。

以前、「愛犬と見つめ合ったら…… 愛情ホルモンで絆が深まる」(Nifty News)というニュースがありました。

「一般的に動物のアイコンタクトは「威嚇」のサインであるのに対し、ヒトと犬の見つめ合いは「愛情」のサインだ。お互いが相手の目に浮かぶ感情に応えることで、一方的な支配-被支配関係とは違う双方向の絆を生みだす。」

だそうです。俺も、ヴィーノと見つめあって、威嚇の感情は感じていなかったので、この記事を読んで、「やっぱりなぁ」と納得できたのです。

見つめあうと、オキシトシンというホルモンが出ることは知られていますが、それが人間側だけではなく、犬側でも出ているということがわかったのです。

犬も人間で癒されているわけですね。だから寄り添う。別に、人間だけのためではなかったというところが興味深いところです。

犬は、犬自身で、人間のそばにいたいからいるらしいということです。これは重要ではないでしょうか。より自然な関係です。

ロシアの研究所も紹介されました。ここで飼われているのが狐。狐も何代にもわたって飼育し、より穏やかな個体を交配するとまるで犬のような動物になっていくそうです。

どうも、脳の海馬が大きくなり、攻撃性のホルモンが減っていくということらしいのですが、これは狐だけではなく、狼がどのように犬に変わっていったのか、ということも示唆しているようです。
 
 
 
 
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2019/01/26

映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』を観て

Korea01(韓国 南海島の棚田)

Korea02(韓国 聞慶の棚田)


韓国で1980年5月に起こった光州事件を世界に伝えたドイツ人ジャーナリストと、彼を事件のあった光州まで送り届け、取材を助けたタクシードライバーの実話を基にした映画です。

簡単に言うと、普通のおっさんが、義憤にかられて、英雄になるという話、と言ってもいいのかもしれません。英雄はすぐ近くにいるのです。

ソン・ガンホ扮する主人公のマンソプは、タクシードライバーで、最初は単なる仕事として10万ウォンのためにドイツ人を光州まで乗せただけでした。全国で勃発している民主化のデモに対しても、どちらかというと迷惑な学生たちと思っているような、普通の一般市民でした。

ところが、光州に入り、様々な人に出会い、実際、軍隊がデモ隊に発砲してるのを見て、徐々に、国に対する疑いを持ち始めます。

そして、その暴動を鎮圧する軍隊の無差別虐殺をレポートするドイツ人ジャーナリストを助け始めるのです。

最後は名乗りもしませんでした。タクシーは人を乗せるのが仕事だから当然、というのです。カッコ良すぎです。

実際、ドイツ人ジャーナリストは、後日、韓国でこのドライバーを探すのですが、だれも名乗ってこなくて、再会していません。

一説では、このドライバーは、北の工作員だったのではないか、だから、名乗らなかったのではないか、という話もあるようです。真偽のほどはわかりませんが、少なくとも、この映画では、ドライバーは市井の英雄の話になっています。

映画の最後、タクシーが集結してドイツ人ジャーナリストを守るカーチェイス的なシーンは、いらない気がしました。これがなかったら、もっとよかったのにと思います。

ジャーナリストやカメラマンが、現地の案内人と仲良くなるという話は、カンボジアのポルポト政権下を取材したジャーナリストの映画『キリングフィールド』というのも覚えています。確かこの映画では、何年か後に再会していたと思います。

俺も、韓国では、棚田を探すために田舎町でタクシーを使ったことがあります。棚田の写真を見せ、こんなところに連れて行ってほしいと頼んだのです。やっぱり現地の人に聞くのが一番ですね。とくに聞慶へ行った時は情報もなかったので、ドライバーが知っている山村へ行った時は、感動しました。まるで日本と同じような棚田地帯だったのです。

タクシードライバーには、各国でいろいろと助けられています。

それと、メコン河源流を探して青海省のチベット高原を馬で訪ねた時の案内人ガッデさんなど印象に残っている人は多く、彼らの協力なしで目的地に行くことはできなかったでしょう。

難しい旅をともにしたということもあり、特別の友情を感じるというのは、俺もわかります。
 
 
 
 
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2018/10/02

映画『15時17分、パリ行き』 災害や危機に備える大切さ

150202_2(2002年インドネシア・バリ島爆弾テロの追悼集会)


どういう映画かというと、パリ行列車の中でテロリストと戦い、テロを防いだ3人の若者の話です。

危機(テロ)や災害に直面した時、どういう行動をとるか、日々、シミュレーションしておくことの大切さを教えてくれる映画、という面もあります。

「『15時17分、パリ行き』(The 15:17 to Paris)は、2018年のアメリカ合衆国の伝記映画。2015年8月21日に高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件と事件に立ち向かった3人の若者を描く。監督は、クリント・イーストウッド。主演の3人は、実際にタリス銃乱射事件に巻き込まれた3人を本人役として起用している。」(Wiki参照)

出演している3人の若者が、本人というのは驚きます。他にも乗客の何人かは本人出演だったようです。意外とみんな自然な演技でした。(この場合「演ずる」ではないのかな。彼らにとっては「再現する」なので)

とにかく、こういう突発的な出来事にすぐに対処できるのは、日頃の訓練やシミュレーション(イメージトレーニング)なんだろうなと思います。

軍人なので、こういうテロリストの存在は身近だろうし、常に、対処の仕方をシミュレーションしていたと思います。俺だったら、目の前で起こっていることが、どういう事態なのか把握する時間が必要だし、とっさに行動することはできないんじゃないかなと思います。

先日、元モー娘。の吉沢被告が酒気帯び運転、しかもひき逃げで逮捕された件で、その瞬間をとらえたドライブレコーダーの映像が公開されたとき、近くにいた人たちが、車に飛ばされた怪我人を助けようとせずに立ち去ったとしてバッシングされましたが、バッシングした人は、あらかじめ、ここで事故が起こると知っているからどうすればいいかわかることで、現場にいた人は、突然目の前で起こったことを、一瞬で理解して、怪我人を介抱するなんてできっこないんです。まぁできる人もいるかもしれないですが、できないからと言って非難はできないでしょう。

それと、ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー 著『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』にもありますが、緊急事態に対する人間の「傍観者効果」と呼ぶ心理的効果もあります。

多くの人がその現場にいると、助ける人間が少なるというものです。その訳は、2つあります。

【責任の分散】 人数が多いほど、自分よりも援助に適した人がいるはずだ、自分がやらなくてもいい、ほかの人にも責任はあると考えてしまう。

【集合的無知】 みんな同じことを考えていることを知らず、自分の考えはほかの人とは違うのではないか。自分では緊急事態なのかもと思っても、周りの反応を見ると、他の人たちは何もしようとしていないのをみて、緊急事態ではないんだと思い込んでしまう。みんながそう考えてしまうので、誰も助けなくなってしまう。 

これを知ってなるほどと思いました。以前、俺も2回の「緊急事態」に遭遇しました。火事と、発作を起こした男です。そのとき、この「傍観者効果」を体験しました。緊急事態で、即、行動できるというのはなかなか難しいということを身をもって知りました。

だから、この映画のように、銃を持った男に列車の中で突然遭遇したとしても、彼らのように即、これはテロリストだと判断し、男に向かっていくというのは難しいでしょう。日々のシミュレーションが必要なのではないでしょうか。これは災害の時にも役立つことだと思います。
 
 
 
 
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2018/09/05

韓国映画『トンネル 闇に鎖された男』を観て

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韓国映画『トンネル 闇に鎖された男』を観ました。

ある極限状態の場所に閉じ込められて、そこから脱出するサバイバルの映画は多いと思いますが、ジャンルとすればそれに含まれます。(脱出できなかった、という映画はないと思うので、これはネタバレとは言わないでしょう)

映画以外にも、実際に先日は、北タイでサッカーチームの少年たちが洞窟に閉じ込められて、脱出したというニュースもあったし、以前チリの鉱山に閉じ込められた鉱員たちの脱出劇もありました。

だからこいういう状況は、絵空事ではなくて、けっこうあるということなんでしょう。

映画『トンネル』では、工事の手抜きが原因だったようですが、日本でもトンネル崩落事故があるし、これから耐用年数を超えて、次々に起こる恐れもあります。

『トンネル』では、スマホで外部と繋がることができて、他の車に乗っていた犬が傍にいたということが、主人公が生き抜くことができた要因でもあったでしょう。バッテリー(スマホや車)がそんなに持つのか?という心配をしながら見てしまいましたが。

でも、世間は冷たいものです。救出作業が長引き、「彼はもう生きていないだろう」という空気が漂い、第二トンネルの工事再開を望む声が大きくなって、救出作戦をあきらめようとするわけです。つまり、世間は、彼を見捨てるのでした。

ところで、「トンネル恐怖症」というのがあります。俺もそうです。とくに大きいトンネルではなくて、伊豆半島の旧天城隧道などの暗くて狭いトンネルは怖いものです。

もともと狭いところが怖いので、その流れからの怖さもあります。でも、トンネルの場合、ただ怖いというだけではないようにも感じます。矛盾するようですが、トンネルを抜けた時のスッキリ感・安堵感というものもあり、それが同時に持っているのがトンネルというものらしい。

狭いところを抜けるというと、「桃源郷」を思ってしまいます。「桃源郷」というのは、狭いところを通る・死ぬような思いをする、ということで到達できるものらしいのです。だからトンネルは、死と再生の儀式を行う装置にもなります。一度死んで、新しくなった自分の目の前に現れる新世界、それが「桃源郷」と言ってもいいかもしれません。

『トンネル』の主人公も、トンネル事故から生還して、新しい視点(考え)を持った人間に生まれ変わっていたようです。そのことがわかるのは、マスコミに発した第一声です。

主人公は「くそったれ!」と言うんですね。
 
 
 
 
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2018/08/06

映画『クーデター』を観て

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『クーデター』の原題は 『No Escape』。2015年のアメリカ映画で、監督・脚本は、ジョン・エリック・ドゥードルです。

怖いといったらいいか、ハラハラするといったらいいか、たんなるエンターテインメントとして映画を楽しむことが難しいと思えるほどです。それだけリアリティがあり、映画的には、いい作品なのでしょう。

俺にとっても、これはある意味、こういう事態が起こった時のシミュレーションとして(サバイバルの教材として)見てしまうようなところがありました。

映画のストーリーは、それほど複雑ではありません。東南アジアのある国で、赴任してきた家族が、突然起こったクーデーターに巻き込まれ、家族を守りながら、必死に逃げるというストーリーです。

このクーデーターが起こった翌朝のシーンがまたリアリティがあったのです。ホテルに新聞が届かないので、主人公は売店に買いに行くのですが、町が妙に静かなのです。

そして「静」から「騒」への転換。突然暴動が起こることで、主人公は何かが起こったことを悟るのです。たぶん、実際もこんな感じなのでしょう。何が起こったか把握できるのは、少し時間が経ってからです。その瞬間は、動物的な勘を頼りに、「そこにある危機」を、とにかく逃れるということが一番です。

主人公の家族を助ける謎の男(CIA?)がいるのですが、主人公は、家族を守るために、クーデーターを起こした側の民兵を殺したことを彼に告白します。彼は言います。

「ここには善悪はない。あるのは、家族を守るかどうかだけ」

舞台は「ある国」なのですが、撮影が行われたのはタイだそうで、「タイ」とわからないようにという条件でロケが許されたそうなのですが、タイに行ったことがある人なら市場の様子からすぐわかるし(だからタイで上映禁止になったのかも)、家族が国境の川を渡って逃げる先が「ベトナム」で、クメール文字のような文字も出ていたので、舞台はカンボジアかなと想像させてしまいます。

ちょうどカンボジアで総選挙が行われましたが、日本政府も民主的な選挙を求めていたくらいで、最近は独裁的な匂いがしてきたところです。だからなおさら、クーデターはありえるなと。

どこの国もクーデターがありそうなので、フィクションに徹するなら、「ベトナム」という実在の国名や、クメール文字なども、架空のものにしたほうが良かったのではないかとも思いますが。
 
 
 
 
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